カリガリ博士
Das Cabinet des Doktor Caligari
1920年
ドイツ
ローベルト・ヴィーネ 監督
ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー 脚本
ヘルマン・ヴァルム 美術
ヴェルナー・クラウス、、、カリガリ博士(医者、見世物師、実は病院長)
コンラート・ファイト、、、チェザーレ(夢遊病患者、実は精神病院患者)
フリードリッヒ・フェーエル、、、フランシス(回想者、実は偏執狂)
リル・ダゴファー、、、ジェーン(フランシスの恋人、実は精神病院患者)
ハンス・ハインツ・フォン・トワルドウスキー、、、アラン(フランシスの親友、実は?
ルドルフ・レッティンゲル、、、オルセン博士(ジェーンの父、実は?)
「カリガリ博士」は「悪魔スヴェンガリ」と同日に観ており、ちょっとこんがらているところもある。
実は随分長いことカリガリ博士の事をガリガリ博士と思っていた。「ガリガリ君」の影響が大きい(先ほども食べたのだが)。
設定が1900年初頭。夢遊病に籠められる意味も豊潤であったか。
心理学~精神分析と表現主義が相乗効果を生んだ作品というのは言い過ぎだろうか。
サイレント映画ならではの抽象性も手伝い芸実性がそこはかとなく漂う。
表現主義の画家、アルフレート・クビーンがセット制作に携わっているという。
やはり本格的に狙った光景だったのだ。
確かに平衡感覚を乱すような歪んだ革新的な空間が妙にややこしい(笑。
メイクも尋常ではない。演技も独特な誇張が見られる(チャップリンにも多分にあるが)。
また、フランシスの回想に始まるストーリー構成も最後に大捻りが待っていた。
連続殺人のミステリーものと思って観始めたらなんと、、、である。
(回想シーンのなかに更に回想シーンが含まれる)。
サイレントでこのような複雑な構成というのもかなりの実験的な試みではないか。
ずっとオーケストラの音楽が流れ続けており、気持ち良くなって3回ほど眠ってしまった。
この映画のモノクロの明暗の調子にもよる。
アランとフランシスは表現主義の絵の中を歩く人という感じであった。
ホルステンヴァルでのカーニバルから噺は始まる。
カリガリ博士が役所に興行の申請を出しに行く。
この時の役所の職員が大変対応が悪かった。
さてカリガリ博士の部屋は、観客は満員のようである。
呼び物は、夢遊病者チェザーレによる予言なのだ。
「25年の眠りから覚めた」とは、この男クリーチャーなのか。
チェザーレの目は充分に怖い。これで預言者などと言われれば、その場にいたらさぞ怖いはず。
「あとどれくらい生きられる?」とはよく聞いたものだが「もうすぐ死ぬ。夜明けにはな」とはよく答えたものだ。
これで何か起きないはずもない。
案の定、アランはその通りに律義に殺される。
予言通りに殺されたんだから予言者が怪しい、というのも凄い流れだ。
アランの前に例の態度の悪い役所職員も殺されていた。
フランシスは彼女ジェーンの父オルセン博士と共に、探りを入れる。
その間、別の犯人による殺人未遂事件も起きて捜査が複雑になる。
ジェーンもチェザーレを観に行き怖くて逃げる。
その後を追い、チェザーレはジェーンを殺しに行く。
だが何故か躊躇し、殺せず彼女を連れ去る。
無事保護されたジェーンの証言から、犯人はチェザーレということに。
フランシスが見張っていたのは、カリガリ博士が仕込んだ人形だったのだ。
カリガリが逃げ込むのを追ってフランシスは精神病院にやって来る。
彼が眠っている間に彼に付いての関係資料を職員たちと片っ端に探る。
日記から、カリガリが自分の野望の為、チェザーレを夢遊病者に仕立て上げて操り事件を引き起こしていたことが分かる。
その日記の情景再現シーンは少し過剰な演出に見えた。特にカリガリの本の捲り方の派手さには笑った。
カリガリ博士がやる気になったところが書かれていた。
画面に「カリガリ」の文字が溢れ出るところなど、アニメのようで遊び心も見られる。
結局、チェザーレはジェーンを背負って逃げるうちに彼女を追って来た民衆に取り戻され、その後、谷に足を踏み外して死んでいた。
切り札の下僕の遺体を見せられた博士はもはやこれまでという感じで暴れて取り押さえられる。
もはや「彼は鎖に繋がれた異常者なのだ」
でフランシス語り部の回想はおわるのだが、、、。
シュルレアリスムの絵画を観るような感覚で夢想~妄想の世界を堪能できる。
曲線を中心とした街の歪んだ垂直的構図も悪夢を思わせる。
その後、フランシスの噺では死んだはずのチェザーレが普通に立っており、様相が変わる。
ジェーンもこれまでと異なる様子で表情無く座っており、、、全く他人のようだった。
フランシスの噺をずっと聞いて来た男は、噺が違うじゃないか、、、という感じで離れてゆく。
そしてフランシスは病院から出て来た院長を「彼がカリガリだ!」と叫び掴みかかる。
当然周囲の人々に引き離され拘束される。
フランシスが偏執狂であり、院長がそれなら治療法がある、と締めくくる。
眼鏡を改めてすると、やはりこれまで出ていたカリガリ博士だ。とてもお茶目な。
後の映画(映画監督)への影響は当然大きいと思われるが、わたしがふと連想した邦画は「狂つた一頁」だった。
間違いなくこれ見て驚いて作っているはず。
「メトロポリス」、「霊魂の不滅」、などに並ぶ古典の名作に違いない。
まあ、メトロポリスがダントツに良いけど(笑。
この勢いでフリッツ・ラングのものなど、もう少し観たいのだが、AmazonPrimeでやってもらえないか。フリッツ・ラングコレクションというのがあるが、やたらと高いのだ。DVDで38844円もする。
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