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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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欲望の怪物

YOKUBOU004.jpg

2019年

松本卓也 監督・脚本・編集

加藤万里奈(口笛奏者)、、、臼井(納豆工場授業員)
根矢涼香、、、早乙女(納豆工場授業員)
森恵美、、、倉本(納豆工場授業員)
粘土職人よっちゃん、、、本人(恐らく自閉症スペクトラム)


ヒロインの加藤万里奈女史は、口笛の国際大会で優勝したことのある女子大生で、何とデヴィ夫人の別宅とかで同居中とか。
しかもペットのモモンガまで同居させてもらってるとのこと。
余程気に入られているようだ。きっと贅沢三昧の女子大生に違いない。

YOKUBOU002.jpg

そんな実生活とは異なり、ここでは納豆工場で働く地味で寡黙な女性を演じる。
その上、周りが欲の塊みたいな人々の中でひとり欲のない役柄である。
黙々と働き、静かに弁当を食べ、ほとんど受け身で聞き役なので、然程演技経験がなくとも、それらしく見える役か。
かなり淡白な人に見えるが、いつも職場で形成したトリオで一緒に行動している。
(いつも一緒に行動を共にすることは、それなりに心地よい共同体なのであろう)。

そんな日々に臼井はふとしたことで奇妙な人形のアクセサリーを目にする。
その類のちょっと不気味な人形を街ゆく人々や自分の妹の持ち物のなかにも発見するようになる。
街に粘土職人よっちゃんの作った何でも持ち主の欲を実現するという人形が出回り始めたのだ。
(寓話風のメルヘンなのか、と思ったがまあその線で良いと思う)。
友達である早乙女と倉本は猛烈にそれを欲しがる。
どうしても実現したいことがあるのだ。
臼井はその人形を手に入れる為に手を尽くす2人に付き合う。

YOKUBOU001.jpg

実は臼井には中学時代に好きな男子がおり、同窓会に期待して臨んだがすでに彼は妻子持ちであった。
それでもう特に欲と謂えるものも無く、深夜職場で彼女だけの納豆の儀式をしていた。
(普段、納豆がドバっと出て来る口に手を翳していると一粒、ふた粒零れ落ちて来るのだった)。
自分のなかにある欲を確かめるかのような儀式だ。
だが、特に欲と呼べるようなものは、見出せなかった。
その人形を持ち主から大量に買い付け、転売することで儲けている3人組の男もいたが、それも欲の実現か。

懸命にその人形を欲しがる二人はなかなか手に入れられない。
臼井はその争奪戦のおこぼれが自分の前に転がって来て何と言うことも無くひとつゲットしてしまう。
二人もその後、訳の分からぬ偉そうな豪邸に住む女子小学生から謂われた通りに芸をして人形を恵んでもらうことに。
(臼井もそこにいて口笛を吹けと命令されるが音が出なかった。人形も必要なかったので二人に譲る形で丁度良かった)。


YOKUBOU003.jpg

これで二人はそれぞれ願いが叶い、臼井は職を失い路頭に迷うかつて好きだった男性に持っていた人形を渡そうとする。
だが彼はそれを貰ったら自分がダメになると言い、彼女に返す。

その人形のお陰かどうか、独り夜道を帰る彼女は、口笛が吹けるようになっていた。
(この為に彼女をヒロインにしたのか?)
粘土職人よっちゃんは劇中でもいつものように?粘土をこねていた。

YOKUBOU005.jpg

何と言うか独特の空気感の漂う物語であった。
このヒロインの人で、もう一本全然違う雰囲気の映画を観てみたい。
これは水戸で撮影したようである。
(ヒロインの出身地らしい)。




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bad blood

bad blood

登り山智志 監督

小矢菜々美、、、アスカ
松山歩夢、、、ゆうこ
柴山庸平


恐ろしく低予算によるものだと分かるが、映画としての体裁はしっかりとれていると思う。
変に気負ったところも無く、誠実な製作姿勢を覚えた。
ヒロインの映画監督としての自覚に目覚める第一歩というところが描かれる、、、。
共に映画を作って来た親友の死に拘り、監督としての在り方に迷いもするが、一緒に役者をかって出てくれる友人や亡き友の父の支えもあり自分の道を見出してゆく。
余韻も良い。

堅実な出来で、違和感や破れ目は感じない。
とてもすんなり観れたし、尺も丁度よくコンパクトにまとまっている。
伏線も細やかだし、回想も自然に挿入されていて流れに説得力を感じた。
監督の伝えたいことは、過不足なく受け取れる映画だ。
ショートだが、ちゃんとドラマのある好感の持てる作品だと思う。


ただ、キャストも含めかなり地味である。
AmazonPrime以外ではなかなか観られる作品ではない。
一度見ておく価値はある。
宣伝するつもりはないが(笑。



AmazonPrimeにて






景山民夫のダブルファンタジー

kageyama003.jpg

以下2作とも景山民夫の原作によるアニメーション
1994

入江泰浩、林桂子 作画監督
刑部徹 撮影監督

どちらも一見、クレヨンしんちゃん風の絵~作画で親しみは感じた。
一息つくには良いかも。


「南洋ホテル」

池水通洋、、、羽根沢(カメラマン)
茶風林、、、吉野(助手)

「南洋ホテル」という日本人は避けるホテルに予約が入れてあり、そこに滞在して海辺の景色を撮影して帰る予定のプロのカメラマンと助手であったが、、、。
南の島、、、どこだろう、、、日本軍の残した爪痕の見られる島である。
きっと日本兵がたくさん亡くなった場所なのだ。
泊まったホテルには特に英霊たちが「日本に連れて行って」と客に迫って来て、取り憑くらしい。
怖いので二人で酒をあおり寝てしまうが翌朝に気づくと、たくさんの幽霊が部屋を取り巻いているではないか。
その有様に驚き慌てふためき、カメラマンはホテルから一目散に空港まで逃げ戻る。
助手はどうなったのか分からない(笑。
骸骨の兵がリゾート客の背中に取り憑いているのがカメラマンには見え、ただ只管恐れ戦くばかり。

kageyama002.jpg

これでは、亡くなった日本兵がまるで悪霊扱いではないか。
何かで怖がらせたいにしても、題材には配慮したい。恐ろしく稚拙で無神経。


「サイケデリック航空」

相原勇、、、由利恵(新妻)
堀川亮、、、ボク(夫)

kageyama004.png

ボクが航空券を忘れて飛行場に来てしまったことで、搭乗受付カウンタ-で搭乗拒否され新妻には滅法叱られる。
Eチケットはまだない頃か。
怪しいダフ屋から安いチケットをその場で購入して、ともかくサイパンにハネムーン旅行には何が何でも行くつもり。
しかし、乗った飛行機も搭乗員もパイロットもとても不安な怪しいもの。
だいたいカウンターの怖い女性が所謂スチュワーデスで、ダフ屋がそのままパイロットなのだ。飛行機に至っては小型の使い古した中古みたいないつ墜落してもおかしくないようなもの。
一緒に乗り合わせた商売人がこれまた怪しい男。この航空会社慣れしていて準備万端ときた。
オプションで、シートや毛布が出て来て、その都度お金を要求して来る。
結局、2人はベンチに座ってジェットコースターみたいな恐怖の空の旅を体験する。
そしてやっと着いたかと思ったら北海道なのだ。
この後、金沢、式根島を経由して82時間後に漸く目的地に到着だという。

kageyama001.jpg

確かに一生記憶に残るハネムーン旅行となろう。
考えようによっては貴重な体験である。



忙しい夏の夜にちょっとだけ時間を割いて観るには手頃なアニメであった。





AmazonPrimeにて









ウィジャ ビギニング

Origin of Evil006

Ouija: Origin of Evil
2016
アメリカ

マイク・フラナガン 監督
マイク・フラナガン、ジェフ・ハワード 脚本

エリザベス・リーサー 、、、アリス・ザンダー(母)
アナリース・バッソ 、、、ポーリーナ・ザンダー(リーナ、長女)
リン・シェイ 、、、老年期のポーリーナ・ザンダー(「呪い襲い殺す」に現れる)
ルールー・ウィルソン 、、、ドリス・ザンダー(ポーリーナの妹)
ヘンリー・トーマス 、、、トム・ホーガン神父
パーカー・マック 、、、マイケル・ラッセル(マイキー、ポーリーナの彼氏)
ダグ・ジョーンズ 、、、グール・マーカス(戦時中捕虜になり殺されたポーランド人)



一昨日観た映画「呪い襲い殺す」の前日譚。1960年代に遡る。
え、、、あの妹が口を縫われて死んだと言っていた姉は、このポーリーナのことなの?ここに繋がるの?と最後に分かって笑ってしまった。因みに可憐な次女ドリスが、器としてあの凄まじい悪霊になる分け(苦。

Origin of Evil003

ひどくオドロオドロシイ不気味な母と二人の娘の物語みたいであったが、ここに当時の彼女らの実生活に焦点を当てると、交通事故で亡くなった夫にちゃんと別れを告げたいために交霊術に嵌っただけの普通の母子である。
普通と謂うにはインチキな占いで生計を立てるところなどちょっとどうかと思うところだが(子供まで巻き込み)。
たまたま住んだ家がナチスの医者で人体実験を繰り返していた男の家であったことが不運であった。
(例の死の天使ヨーゼフ・メンゲレのことか?)

Origin of Evil004

母のオカルト趣味から、ウィジャ ボードの導入を境に、次女が明らかに取り憑かれたにも拘らず、これは凄い力を得たと喜び盲目的に深みに嵌って行く。この時点ではまだ姉だけまともな判断が下せたのだが、、、
この姉にもしっかり取り憑いてしまう。
使用に当たり「一人で遊ばないこと」、「墓場で遊ばないこと」、「さよならを言うこと」という注意書きを全て無視して行っていたことも何ともいい加減。

Origin of Evil002

そして24年後にあっても、この姉にまだ悪霊が取り憑いたままであれば。
このおばあちゃんの存在自体とても危険ではないか。
ただ、あのチャーミングな姉(高校生)がどう見てもこのおばあちゃんには繋がらない。
もう少しおばあちゃん女優の人選をお願いしたいものだ。
この人、「インシディアス 1, 2」で霊能者エリーズ・ライナー役で出ていた人ではないか。
こういったホラー映画の重鎮なのか。かなり出演数も多いようだ。「シグナル」にも出ている。こちらはSFに入るが。

Origin of Evil005

この映画、キャスト(特に二人の娘)もよく、面白かったのだが、ちょっと気になったところもある。
最初にやってみようよとふざけ半分でやった連中は、直ぐに噺の中から消えていて、普通なら皆殺しになるところ、ものの数ではない扱いで死ぬ役でもなかった(笑。
何だったんだ、という感じ。ただ一人だけ長女の彼氏はそのまま彼女に付き纏ってきたためにその流れで殺される。
殺されることで役者としての面目が立つ(笑。
それから妹の憑依を解く為?から姉が彼女の口を縫い付けてしまうのだが、あの発想が突飛すぎる。
亡き父が人形の口を縫ったのをヒントに思いついたとか、ちょっとあり得ない感じであったが、その時すでに姉にも悪霊が憑依していたことからも、あの行為は結局どういう行為だったのか。あれで妹は死んだのだ。ついでに母も殺してしまうし。
悪霊の仕組んだものとしか受け取れないが。悪霊は器と声を欲していた。何故、声を一時封印したのか。

Origin of Evil001

悪霊の憑依したドリスの動きが邦画のクリーチャーに似ていた。
貞子の系列に。
あの幼い女の子が口をあんなに開けることが異様であり白目もむくから悲惨さがよく伝わる。
しかしこの手の映画ももう限界感が強いな、、、。




AmazonPrimeにて













呪い襲い殺す

Ouija001.jpg

Ouija
2014
アメリカ

スタイルズ・ホワイト 監督
スタイルズ・ホワイト、ジュリエット・スノーデン 脚本


オリヴィア・クック 、、、レイン・モリス(女子高生)
アナ・コトー 、、、サラ・モリス(レインの妹)
ダレン・カガソフ 、、、トレヴァー(レインの友人)
ビアンカ・サントス 、、、イザベル(レインの友人)
ダグラス・スミス 、、、ピート(レインの友人)
シェリー・ヘニッヒ 、、、デビー・ガラルディ(レインの親友、初めに殺される)
シエラ・ホイヤーマン 、、、 ドリス・ザンダー/マーカス(昔、行方不明となった少女)
クローディア・カッツ・ミニック 、、、母親/アリス・ザンダー


「ウィジャボード」は日本で謂う「こっくりさん」のようだ。
このボードを使ったホラー映画は結構作られているらしい。
面白半分で仲間とやって、どんな形で何に繋がり、それでどうなるのか、基本この範囲であろう。
ホラーでやっているのだから、繋がる相手は凶悪な悪霊でなければ。
基本、作り易いものではないかと思うが、パタンに嵌り易いと想像できる。
どのように他と差別化を図るかが勝負か。

Ouija002.jpg

「ウィジャボード」をやったばかりに悪霊に取り憑かれ、散々な目に合う映画であるが、、、。
(それからこの手の映画によく見る、怪力で足を引っ張りするっと何処かに連れ去る場面は幾つもある)。
本作(ならでは)の特徴として、ボードをやって呪われた者は、瞬時に問答無用で殺されてしまうのだ。
だから恐怖に慄く時間は僅かだが、確実に瞬殺されてしまうので救いが無い。
なんやかんやで人によっては逃げ延びたり怪我したり、殺されたりでそこの部分でスリリングを味合わせるものではない。
勿論、悪霊が襲い掛かるまでの、何かいそうな暗闇でドキドキする空間演出はたっぷりあるが、出たらお終いみたいな。

その意味で最凶無比で無敵な悪霊だ。
更にその悪霊の姉が精神病院にいて彼女に助けを乞いに行くと親身に相談に乗ってくれてその呪いから解ける方法を教えてくれるのだが、、、何とその姉は妹を更に強力に解放させる方法をレインに授けたのだ。
であるから、一件落着したかに思ったところで、更に凶悪化した霊と対決することとなる。
ここは怖かった。なんせそれまでに見ていた怖い形相の母の霊が元凶と思い込んでいたが(姉もそう明言していたが)、実は凶悪化してしまった次女ドリスの霊を止めようとしていた霊であった。しかし姉が母の霊を消し去る方に導いてしまい妹の霊は自由に暴れまくることが可能となる。
ちょっと捻りの部分だ。

ともかく、親しい仲間であるデビー、イザベル、ピート、トレヴァーと軒並み瞬殺である。
突然瞳が白くなった時が死ぬサインだ。
こちらにとっても分かり易い。
自分が口を縫われて殺されたことから、呪い殺す相手も口を素晴らしい早業で縫ってから殺す。

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悪霊と最後の闘いで明らかにレインが劣勢になった時、悪霊と共に呼び寄せられていたデビーが加勢する。
この時ばかりは白目となったレインが親友の力を得て再生する。
その背後で妹のサラがドリスのミイラを暖炉に放り込む。そしてボードもレインが燃え盛る炎の中へ、、、。
これで悪霊は黒い煙となって消え去る。

この撃退法(死体とボードの両方を焼くこと)を教えてくれたのは、巷の霊能者であった。
最初から彼女に聞きに行けばよかった。死人は半分で押さえられた。
正しい情報を掴むことの難しさはある。わたしも実感するところ。

「呪い襲い殺す」ってそりゃそうだが、何ともヘボい邦題(笑。

Ouija004.jpg

涼しくなるほどの映画かどうか、、、微妙。
主演のオリヴィア・クックは時折見るなと思ってブログ内を探すと「切り裂き魔ゴーレム」や「シグナル」で観ていた。
人気女優のようだ。




AmazonPrimeにて








フランシス・ハ

Frances Ha001

Frances Ha
2012年
アメリカ

ノア・バームバック 監督
ノア・バームバック、グレタ・ガーウィグ 脚本
デヴィッド・ボウイ「モダン・ラブ」主題歌


グレタ・ガーウィグ、、、フランシス(元ダンサー,振付師)
ミッキー・サムナー、、、ソフィー(フランシスの親友)
アダム・ドライバー、、、レフ
マイケル・ゼゲン、、、ベンジ
パトリック・ヒューシンガー、、、パッチ(フランシスの彼氏)


FRANCES HALLADAYを郵便受けに通そうとしたら丈が足りずにFRANCES HAまでしか入らなかったということ?
洒落てるのか。何とも、、、。
このヒロイン役の女優、名作「レディ・バード」の監督・脚本の人ではないか(この映画の後で製作されるのだが)。
「レディ・バード」も軽快なテンポが印象が残っている。一見ありふれた光景に確かな差異が感じられる映画であった。
ジャッキー ファーストレディ最後の使命」でも重要な役を果たしていた。
女優、監督、脚本に確かな成果をあげている。
才色兼備とはよく言ったものだ。

Frances Ha002

モノクロである。
リズム感もよく、軽快に走り抜けたという感じ。
この走るというのが、ヌーベルバーグの雰囲気なのだが(ネオヌーベルバーグもよく走る)。

噺は何だか良く分からなかったが、ヒロインの躍動感ある好演で最後まで心地よく観ることが出来た。
筋や内容を掴んで感心したりするものではなく映像そのものの快感に浸るタイプの映画である。
(その局面はどの映画にもあるがこれは特に)。

Frances Ha004

ヌーベルバーグの走りだ(笑。
モダンダンサーといえば、昨日の映画の主人公の彼女?もそうだった。
奇妙な同時性を覚えるところ(昨日の方が前衛であったが)。
掴みどころのない性格だが、チャーミングで人は良く、ノリもよいがその割に不器用。
ダンサーとしてもう一歩のところで公演から外され、事務職か才能を認められている振付師を勧められる。
しかし納得がいかず、じたばたするうちに職もなく金もなく住むところもなく、友達を頼ってあっちこっちに行ったり来たり。
一緒に暮らしていた大の親友には男ができて離れてしまい、クリスマスには親元に帰ったりする。
それでも何ともカラッとしていて、まだ27歳なんだから、と言って前向きに生きる。
共感を得る人も多いはず。

Frances Ha005

全体にフラットな世界を淡々と駆け抜ける話であり、大きな山や谷も緩急もない。
だが壮絶な経験をし、そこから這い上がる主人公みたいなドラマに食傷したときに胃薬みたいに効く。
揺さぶられて涙するような部分はないが、見てよかったと思わせる何かは確かにある。
感動とかいう言葉はそぐわないが、とても気持ち良い風に吹かれた気分。
こんな時期に、そういう時間が過ごせたなら充分だ。

Frances Ha003

このフランシスという女性、グレタ・ガーウィグそのものといえるような自然体で成り立っているところを感じる。
実際、ソフィーとの間のやり取りなどかなりのアドリブも入っているはず。
そのちょっとした仕草や言葉、表情に惹かれるのだ。
普段でもこんな感じでふざけるんだろうな~と思いつつ見ていた。
友達もきっと多いことだろう(この映画でのように)。
ということで、ほとんどヒロインの魅力で引っ張っていかれた映画であった。

Frances Ha006

ずっとプロのダンサーに拘っていたが、結局ダンスの振付師として評価を受けその仕事に就く。
普段は事務職として働きながら。

昨日の映画「コーヒーをめぐる冒険」とどこかで接続しそうな話でもあった。
デヴィッド・ボウイ「モダン・ラブ」はピッタリフィットしていた。



AmazonPrimeにて








コーヒーをめぐる冒険

Oh Boy002

Oh Boy
2012
ドイツ

ヤン・オーレ・ゲルスター 監督・脚本
マグヌス・プフリューガー 音響

トム・シリング、、、ニコ・フィッシャー(モラトリアム青年)
マルク・ホーゼマン、、、マッツェ(ニコの友人、役者)
フリーデリッケ・ケンプター、、、ユリカ(ニコの同級生)
ウルリッヒ・ノエテン、、、ニコの父
ミヒャエル・グビスデク、、、フリードリッヒ(コーヒーショップで知り合った老人)
カタリーナ・シュットラー、、、ニコのガールフレンド


大学の法学部を二年前に中退して、その後何をするでもなく、親の仕送りでブラブラしている青年がある朝コーヒーを飲み損ねる。
途端に運転免許が取り上げられ、銀行のカードが使えなくなり、彼女からそっぽを向かれ、、、寄る辺なくなり彷徨い出したところから噺が始まる。
これといった話ではないが、どこにいても居心地がどうもよくなく、違和感が募るがそれが何であるのかよく分からない。
その部分を淡々と描写してゆく。
モノクロで大変美しい絵画のような街並みに息を呑んだ。

Oh Boy001

コーヒーを飲もうとしても、常に何らかのトラブルで飲めない。
コーヒーは朝の目覚めの習慣でもあるが、その後の日常における人との接触~コミュニケーションの為のアイテムでもある。
絶妙なタイミングの不条理が続き、コーヒーをずっと飲み損ねてゆき、人との関りも異化してしまう。
この巧妙な不運~ズレはカフカ的でもある。

Oh Boy003

ニコ・フィッシャーは、付き合いがよいと言うか、友人に誘われると断れない。
基本、受動的に何にでも関わってしまう。
初めて遇うヒトとも、そつなく噺を合わせることは出来るが、その場をやり過ごす為であり主体的な関りはもたない。
父親に退学の件を内緒にしていたことでどやされ、支援を打ち切られるが、「何をやってたんだ」に対し「考えてたんだ」と返す。
モラトリアム青年である。
気持ちはとっても分かるが。

Oh Boy004

宙ぶらりんで漂っている青年であり、日常の個々の局面においてはもっともなことを言ったりするが、自立していない脆弱さが際立つ。
これは自己形成がしっかりできていないというところもあるが、周囲~規範とのズレに対して敏感である為でもあろう。
もっと言えば、ことばとのズレである。
こういう若者は、結構お年寄りと気が合ったりするものだ。
ことばのレベルではなく感覚的に。
その疎外された者同士の身体性において。
(コーヒーを飲むべき時に飲めないというのは、そこだ)。

Oh Boy006

印象に残るのは、最後に出逢うナチスドイツ時代に翻弄された老人に対する彼の共感である。
老人はドイツ語を喋っているのに周りの人間の喋るドイツ語が全く理解できないという。
よそから来たのか、ここを離れていたのか、と聞くと60年間離れていたと返す。
ベルリン生まれだというが。離れていたというのは、それまでの日常を失っていたということか。
そしてことばがもはや意味を持たないほどに変容してしまったということか。
それこそ底知れぬ疎外と孤独だ。
彼はこの老人に深く同調した。
結局彼は話終えると、店の外で倒れ亡くなる。身寄りもない老人で、看護婦にせめてファーストネームだけでも教えてくれるように頼むと、フリードリヒであるという。
ニコは、漸くコーヒーを飲むことが出来た。

Oh Boy005

脆弱さの強度がしっかり描かれていた。
監督の才能が光る傑作であった。



AmazonPrimeにて














庵野秀明+松本人志 対談

taidan001.jpg

2021


品川ヒロシ 監督

庵野秀明
松本人志


対談である。
しかもAmazonPrimeVideo上で。こうしたことを行う媒体の形体の変化も感じる。
AmazonPrimeに番組を持っている松本氏とほとんどすべての作品がAmazonPrimeで観られる庵野氏である。
この番組で対談というのは共に映画に関わっている点からも、あり得るものだとは思う。

専門のフィールドの異なるカリスマ同士の対談で、、、面白い企画だと感じるが、、、
初対面でいきなり始めたようだ。
事前の打ち合わせなく。

そういった形式で始める対談もありだと思うが、今回の場合、事前に打ち合わせはあった方が深まったのではないか。
テーマは予めあった方が核心に向けてグイグイ進める。
今回は、何もない場所でいきなりばったり逢い、お互いに遠慮し合って褒め合っていて噺が進まない。
具体的にこういう点で驚愕したとかいう噺ならまだ分かるが、あなたは日本の宝だみたいに言われてニコニコし合っていても、、、。

だが、ポロポロと面白い噺は断片として幾つか拾えた。
庵野氏が子供の頃一番影響を受けたテレビ番組に「鉄人28号」をあげたのには嬉しくなった。
物凄く入り込んで見入っていた様子が窺えるがそれはとっても良く分かるところ。
それからふたりとも、大変熱心に仮面ライダーとウルトラマンを観ていたことに感心した(笑。
(因みにウルトラマンシリーズの特撮監督はわたしの叔父である)。
ふたりとも実に細かいところまで観ている。ウルトラマンのちょっとした所作まで捉えて自分でも真似していたとか、、、。
それからボコボコにやられてしまう回がたまらなく好きだとか(爆。
そこに何とも言えないエロティシズムを感じるという点で二人とも感性が合うというところに大満足していた。
「あいますね~そうですね~」、「似てますね~」それはそれでどっちでもよいけど。

taidan003.jpg


わたしにとって、ちょっと意外に思ったのが、庵野氏は監督というよりもずっとプロデューサー寄りの人だなと思えたところ。
映画作りにおいて、「自分が描きたいもの」、「時代の要請として描くべきもの」、「ファン(コアなファン)の要求の取り入れ」、「出資者からの意向で描くもの」とあるとし、優先順位一番は、出資者の考えであると。ただの監督の立場であれば、何が何でも自分の描きたい世界を描くと言うだろう。庵野氏も宮崎駿を例に出して言っていたが。
「自分はプロデューサーも兼ねているから全体を考えなければならない。商業映画である以上、採算が取れなければならない。その為には広く他者の意見も取り込んで多くの人に届くものを作って行く。まずそこが肝心で、自分のやりたいことは、一番最後」と述べていた。確かに儲けが出なければ出資者が離れてしまい次回作も作れない。
ここを考えたうえで監督業を熟す感覚は、松本氏には余りなかったのでは。吉本においては権力もありご意見番的立場であるが、全体の為に裏に回ると謂うより、先頭に立ってやりたい放題やれる立場であろう(社員の一人であることからも)。

わたしはもっと庵野氏はクリエイターとして、自分の思想や感覚を強く押し出して作っていると思っていた。
最初の方の話題で、広く国外でも受け容れられている件に関して、自分から英語で書いて外国用には作らないことを主張していた。それは自分が日本語により思考して構築した世界が結果として好まれたもので、自分が世界に広めると謂うのではなく世界~外部が自分に寄ってくることだと、松本氏と意見を同じくしていた。
自らが真に描きたいものを作れば自ずと世界も近づいて来るという考えは、宮崎駿のそれにほぼ等しいと思われる。

taidan002.jpg

まあともかく、お互いにプロデューサーを経験したことで、おとなになりましたね~と確認し合っていたが。
対談自体が、おとなの対談であった(笑。
特に出資者との関係は、庵野氏も監督の他にプロデューサーも兼ねるようになってもっとも大きなポイントであることが確認できた。
更に技術的な点で、松本氏が何度も勉強になったと強調していた「角度」である。
庵野氏は、ライティングなどより同じ素材の動きであっても「角度」の違うショットを沢山同時に撮っておいてそれを編集する事が肝心であると主張していた。これには松本氏も思うところがあったようでかなり食いついていた。
確かに様々な角度の絵を元にどのように編集するかで、大きく異なる世界が構築できることは分かる。
(これは色々なものことの制作に対して示唆的な方法論ともなろう)。

ぶつかるところや疑問点を突き付けるような場面はなかった。
それはそれでよいのだが、話題に詰まり、監督からこれについて、、、と小声で何度もテーマ振りがなされていたのには、ちょっと大物を呼んでおいて、文化祭のリハーサル状態みたいで、成り立っていない感がすごい。
途中から明らかに庵野氏はカメラの隣の監督と目を合わせている。
これはやはり事前にしっかりテーマの打ち合わせしておくべきであった。
勿体ないではないか。

最後に二人とも、また会いましょう面白かった、と言っており、もし次回があるのなら、今日の対談の監督を3人目として司会というか回し役として入れて行えば、もっと効率よく滞りなく話も深まると思う。
アニメと異なり、実写映画は制作に時間もそれほどかからないため、シン・仮面ライダー、シン・ウルトラマン以降それを受けた対談は噺もはずむと思うし、結構早いうちに実現してしまうのもよいはず。


今度のウルトラマン、カラータイマーが無いという!
うっそ~っと思った(爆。
どちらも観なければ。



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良い映画を観るとハードルが上がる

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昨日、大変計算されたスタイリッシュな秀作映画を観てしまった為、今日観てしまった映画はどれも見劣りが凄まじく、、、

変に大風呂敷を広げ、表に顔を晒さない本当に世界を支配する大物とか国家機密情報や秘密裏に進める研究組織にキリスト教の闇~サタンの領域で暗躍・殺人を犯す者や秘めたサイキック能力を持つ者などと、、、こんな(安易でコケ脅し)装置を勢ぞろいで出して、結局何を描こうとしたのかサッパリ分からない大雑把な映画”ダーク・センス”。特にキリスト教を利用した毒々しい雰囲気の犯罪が絡む話にはうんざりだ。
また、この映画、キャストのキャラが不自然なほどに薄っぺらく、わざとらしく、セリフは臭く、設定、流れに無理がありすぎ、とてもまともに観られるものではなかった。だが、取り敢えず最後まで見なけりゃという義務感で見終えたが、最後の最後に何だこりゃのエンディングで呆気にとられた。何なのか。
これほど時間の無駄を感じたものはない。

次いで、、、二つほど観てはみたが、、、もう口直しに面白可笑しいドキュメンタリーでもないかと探すと”古代の宇宙人”というのがあり、きっとその道の(「ムー」とかの記事にあるような)突飛で独善的だがハチャメチャなストーリーで感心させられるような感じのものなら気分転換にもなるし、と思いこれを二話ばかり続けて観てはみることに、、、
新しい情報は特になく、そういう説もあったなあ~こういう話題も広まったな、と思いながら観ているうちにコックリコックリしてしまい、、、ちょっとした昼寝が出来てスッキリして良かった。
が、感想など何もない(怒。

やるんなら徹底して弾けて貰いたいのだが、科学番組の体裁をとろうといった流れで終始押していた。
何やら変わった肩書の研究家ではなく、マサチューセッツ工科大学の真面目そうな教授なども出して権威を持たせようとしており、退屈だった。
だがその割に内容的な掘り下げも無く、ちょっと踏み出した仮説もなかった(と思う)。
何と言うか、欲求不満を誘う番組である。残り(3話以降)は観る気はない。

その後、沖縄を舞台にした邦画も観始めてみて、海辺の綺麗なロケーションだが、体力的に持たない為、途中で止めた。
これはそのうち続きを観るつもりだが、今のわたしのリズムに、この海のリズムは合わない。
体調と相談して観ることにする。


こういう時期に一番観たいタイプの映画は「メランコリア」みたいなものか。
ラース・フォン・トリアー監督も失言が多い人で干されたりしていたが、今はどうなのか。映画ファンではないので、知らないが、、、。
(ヒトラー礼賛は流石にまずい。とは言え「我が闘争」などは、高校生の夏休みあたりで読んでおくべき書籍であろう。ムッソリーニのファシスト党との違いもはっきりする)。

ついでにトリアー監督にちょっとばかり注文を出すならば、、、
地球に巨大天体が激突するまでの「地上の描写」をうんと細やかに続けて貰いたいのと、地球が完全破壊された後の残骸の流れと回収の様。更に地球の消滅後の太陽系の重力バランス、新たな各惑星の収まり方、月の動きなども静かな光景として眺めてみたい。
そこまで尺を伸ばしてあれば、言うことなし。これほどの贅沢はないという感じなのだが。
宇宙を観測する主体がなくなったところで、宇宙も消滅といったところであるが、今日眠りながらも観たワームホールを通ってやって来る知的生命体を前提としている”古代の宇宙人”のディレクタたちにとっては、宇宙は何があろうがしっかり存在している。
牛だけを何頭も惨殺して死骸をそのまま放置してゆく宇宙人とかが宇宙には沢山いるそうだ。


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マジカル・ガール

Magical Girl001

Magical Girl
2016年
スペイン

カルロス・ベルムト 監督・脚本


バルバラ・レニー、、、バルバラ(精神を病んだ若い女性)
ルシア・ポシャン、、、アリシア(白血病で余命僅かな12歳少女)
ホセ・サクリスタン、、、ダミアン(元数学教師・バルバラは教え子)
ルイス・ベルメホ、、、ルイス(アリシアの父、元文学教師)
イスラエル・エレハルデ、、、アルフレド(バルバラの夫、精神科医)


Magical Girl002

長山洋子 のデビュー曲、 春はSA・RA SA・RA (1984)が流れ、とてもピッタリフィットしていて大変新鮮だった。
12歳の白血病の少女アリシアが大好きな、日本のテレビアニメ「魔法少女ユキコ」の主題歌として使われている。
凄い選曲である。どういうヒトなのだろう。
監督はこれがデビュー作だと、、、。
説明を一切省きその事態の描写のみで進めてゆく手法が徹底している。
そのためこちらも超越的な視座が提供されず、差し詰め通行人みたいな寄る辺なさで人物たちの後を追う。

Magical Girl003

突然無関係の噺に飛び、狐につままれた気持ちで入り込んだと思うと前の噺に唐突に繋がる。
事故みたいに(まさに事故だが)。
手法は、かなり洗練されている。
しかしこのソリッドな手法だけではない。

人間関係のすれ違いと謂うより、コミュニケーションのズレと距離感が実に際立つ。
それが絶望的なところまで広がってしまう。
交わされる言葉が詩的ならまだしも意味の分からぬ暗号を手渡すようなところも。
こちらだけでなく、登場人物も想像で意味を補完せざるを得ない。
一義的(指示的)な意味のやり取りはもうほとんどなく、言葉やサインを受け取ると謂うより、相手に関する想いを勝手に膨らませて、暴力的なやり取りに及んでしまう。
フィルム・ノワールに間違いなく数えられる。

Magical Girl004

自閉的~分裂病的なやり取りだ。
秘密クラブもその延長か。
それぞれの登場人物は自分の考え,流儀は頑固に持っており、そこに迷いはない。
ある意味彼らのなかでは、とても論理的に(映画の冒頭で出て来た2+2=4のように)正確に動いているのだ。
だが、それ自体が例え論理的になされようが、大変歪な方法を選択してしまっている。
どの人物にも、何でそういう行動に出るのか、と驚き呆れるばかり。
何故、ルイスは自分に一度だけ身を任せた(精神的に不安を抱えてもいる)女性から二度に渡り恐喝など出来るのか。
理由は余命いくばくもない我が子にプレゼントがしたいというものでも。
その金は彼女の夫に相談できる類のものではなく、それをどんな手段で工面したか想像も出来ないのか。
バルバラも何故、二度にも渡り危険なクラブで自らの体を犠牲にしてまで金策をしたのか。
そもそも払う必要があるのかどうか、考えないのか。払わずに済ませる方法もあろうに。
これはどちらもほとんど悩むことなく、直ぐに行動に出ている。そこに驚く。

普通なら、それをやるかどうか、そしてやるのならどういう方法を選ぶかで大変迷うところではないか。
この辺は酷く短絡的なのだ。
そしてこの父は、娘がこの状況で本当に望んでいるのは何か、はっきり確かめようとしないのだ。
誰だって、その都度欲しいものなど出て来るものだ(わたしもジャケットが欲しいと思った次の日に新しい車が欲しいと思ったり、宣伝を観ては、パソコンを買い替えたいとか、幾らでも日々の欲望は更新される)。
この期に及んで真に彼女の欲していることが何か、何故しっかり彼女に確かめようとしないのか。
今、最も大切なことであろう。

Magical Girl005

案の定、ラジオ番組で彼女が父に対して送ったメッセージを聞きそびれてしまう。ラジオをかけながら、少し待ってと彼女が頼むのに父は金策の為、彼女をほっぽらかして出て行ってしまう。
彼女が欲しているのは、父がいつも傍にいてくれることなのだ。
病院でずっと過ごしても注射があっても病院食を食べさせられても、その後にいつも父が傍にいてくれるから大丈夫、というメッセージ~彼女の願い、を送っていたのだ。だが肝心の父は彼女に時間が残されていないにも拘らず、全く傍についていない。
彼女にとり、今更「魔法少女」のコスチュームとステッキを買って貰ってどうなるというのか。
確かにどこかで、欲しいと謂ったにせよ、、、。
彼は自分の幻想に囚われ自己満足に浸ろうとしているだけ。彼女を観ていない。耳も傾けていない。

こころを病んでいるバルバラの噺を勝手に自分で補完し重傷を負わされた彼女の報復に向かうダミアン。
彼がずっと楽しみにやっていたパズルのピースがひとつ足りず、彼はパズルをバラバラにしてしまった。
彼はピストルを持ってルイスに会う。自分を撃ち殺せと。そうすれば家族共々奈落の底に落ちることになると迫る。
だが、向こうが望みそうなったことで、そのことで彼女を恐喝はしたとルイスは返す。
彼女の不貞に対する名誉を守るため、急遽ダミアンはBプランに切り替えた。

Magical Girl006

即座にその店にいる店長と客共々ルイスを銃殺する。
そしてルイスが恐喝に使う為に録音した携帯をポケットに探すが、見つからず、調べておいた彼の家に取りに行く。
そこでは、娘のアリシアが、魔法少女のコスチュームとステッキで決めて父の帰宅を待っていた。
丁度そこにやって来たダミアン。お父さんに頼まれたと言って携帯をテーブルから奪う。
そのまま帰ったかと思ったら戻り、彼女にこちらを向くなと謂い銃口を向ける。
しかし彼女はジャンヌダルクのように毅然と凛々しくアニメのヒロインのように真直ぐな目で立ち尽くす。
ダミアンは仕方なく自分が目を背け彼女を撃つ。

全てが片つき、彼はバルバラの病室に報告に行く。
ダミアンと彼女は過去にどういう関係であったのか、最後まで謎のママである。
それを言えば、この映画は肝心なところは全て見せない~知らせない。
それでいて説明不足などという消化不良感は全くない映画であった。
(最初に生徒時代の彼女がダミアンに見せろと言われても手品で消してしまったメモと同じく、携帯を見せてと言われたときに消して見せるなど、細かい伏線は丁寧に回収している。また傷が直ぐに治らない処にもリアリティを覚える。とは言え額の傷は何かの象徴でもあるのか、、、)。

きっと、われわれの日常もこんな関係性で軋み病みボロボロであることをしっかり認識している監督の作品だからである。


この曲がきっちり入っている。ビックリする(笑。




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ザ ライト エクソシストの真実

THE RITE001

THE RITE
2011
アメリカ

ミカエル・ハフストローム 監督
マイケル・ペトローニ 脚本
マット・バグリオ 原作

アンソニー・ホプキンス、、、ルーカス・トレヴァント神父
コリン・オドナヒュー、、、マイケル・コヴァック (神学生~エクソシスト)
アリシー・ブラガ、、、アンジェリーナ (記者)
キアラン・ハインズ、、、ザビエル神父
トビー・ジョーンズ、、、マシュー神父
ルトガー・ハウアー、、、イシュトヴァン・コヴァック (マイケルの父、葬儀屋)
マルタ・ガスティーニ、、、ロザリア (憑依された少女、悪魔に殺される)
マリア・グラツィア・クチノッタ、、、アンドリア
クリス・マークエット、、、エディ


久しぶりにルトガー・ハウアーに逢った。
ブレード・ランナー」のロイ・バティーとして永遠に映画史に残る人だ。


信仰の問題~歪み、精神の疾患~拡張、パラダイムの裂け目、意志と表象の間に生じる事故。
境界線上の鬩ぎ合い~闘いを観た思いだ。
随分と骨の折れる。
それにマイケル・コヴァックという理性的に物事を直視しようとする青年が巻き込まれてゆく。
最終的に彼がルーカス・トレヴァント神父やジャーナリストのアンジェリーナの力を借りて、エクソシストとなるまでを描いて行く。
実話を元にしたもので、実在の人物を演じているという。

THE RITE002

その闘いは「儀式」という場に行われる。この襞のような。
「儀式」である。名前を暴く儀式だ。
悪魔の名を名乗らせることで、こちら側へ、表象界に捕らえこむとき同時に神~キリストも実体化される。
キリスト教が最大限の強度をもつ瞬間だ。
(陰陽道でも「名」に拘る。関わる対象は共に霊的超越的存在である)。

わたし~(特に信仰を持たぬ)日本人にとって、「悪魔」も「神~キリスト」もない。
「悪魔」を認めるから「神」も存在する。
バチカンがエクソシストを公認し教会に派遣するのも分かる。
このように「悪魔」がそれとして暴力的に(殺人的に)実体化するなら、それに対抗するには「神~キリスト」しかあるまい。
毒カエルが枕から出て来たり、口から五寸釘が幾つも吐き出されたり、、、それも手持ちの仕掛けの一つでもあったり、、、
ある意味、レトリックの世界の闘いでもある。
病院や医者の出る幕ではない。
特別な場に実体化された世界の闘いなのだ。

THE RITE004

この科学信仰(万能)の世界でキリスト教がその存在を誇示しようとするならこうした局面となろうか。
傍目に観れば、あまりにあざといが。
そのローカルな場に起こる現象は、当事者にとなれば生き死にのかかった大問題(大事件)である。
だから親族がエクソシストに泣きつくのだ。
但しこうした事象はキリスト教世界でのみ起き得る。
(差し詰め日本なら悪霊払いであるか。しかし一神教下のサタンの比ではない、長閑なものだ)。
キリスト教自体、ダダやシュールレアリストもっと遡れば、ニーチェの「ルサンチマン」による理論によって排撃され、科学と哲学の背後に押しやられていると謂える。ほぼ食事の時の礼儀作法と行事、教会に通う日常生活習慣として存続しているところ。

THE RITE003

そこに、これが起こる(わたしとしては集団的病理現象に思えるところではあるが)。
現に語られる(騙られる)事実として。
何であろうが、語られることとして、起きている。
だがそれをキリスト教内で収めている。
「悪魔祓い」という儀式を通し、身内であるエクソシストにより。
(家庭のとても根深い問題は結局家庭内で解決~解消するしかないのにも似て)。
中で(取り敢えず)解決してしまえば、結局それが何であるか~あったかは、外に対しては語り得ない。
そもそも語ることばがない。科学(医学)で語れなければ、外部(世界)に了解~承認されない。
しかしそうした還元は不可能な事態であり出来事なのだ。
語ったとしても、このフィルムが限界であろう。
アンソニー・ホプキンスやルトガー・ハウアーのような霊力をもった俳優が演じて脚色し。
こうした物語となるしか、ない。

THE RITE005

わたしは、これについては何も言えない。




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サボタージュ

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Sabotage
1936
イギリス

アルフレッド・ヒッチコック 監督
チャールズ・ベネット、イアン・ヘイ、ヘレン・シンプソン、アルマ・レヴィル 脚本
ジョセフ・コンラッド『密偵』原作

シルヴィア・シドニー、、、ヴァーロック夫人(アメリカ人の若妻)
オスカー・ホモルカ、、、カール・ヴァーロック(映画館主)
ジョン・ローダー、、、テッド・スペンサー( 隣の八百屋の店員に化けた刑事)
デズモンド・テスター、、、スティーヴィー(ヴァーロック夫人の幼い弟)
ジョイス・バーバー、、、ルネ( 映画館のチケット売り)


やはりヒッチコックは一味違うと唸る映画であった。この終わり方特に好きだ。
いきなり大停電の混乱から始めるところ、掴みはOK(笑。
これを仕掛けたのが、映画館主のヴァーロックであった。
その妻は初っ端はセーラー服を着ていてピッタリ似合っている乃木坂風の可憐な女性である。

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このヴァーロック夫人が余りに若すぎて最初は彼の娘にしか思えなかった。
何でもアメリカは景気が悪いので、こちら(イギリス)に渡って来たとのこと、、、こちらも景気は良くないようだが。
歳の離れた夫婦で、彼女のこれまた若い弟も同居しており、少し変わった感じの家だ。
家政婦に夫はいつもキャベツを焦がすと文句を言っている。
夫がまるで父代わりの感じの家庭で、彼女の弟も可愛がっていた。

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夫は映画館主だが度々変装して外出する裏の顔は反政府組織の工作員であった。
組織の上司から金を貰い仕事をしているが、人の殺害は何とか避けたいと思っている。
だが、金欲しさに爆破テロの仕事を引き受けることに。
映画館の隣の果物屋では、その夫に眼を付けた刑事が店員を装い、ずっと監視していた。
映画館にもよく来てお節介を焼いたりして干渉して来る。
しょっちゅう映画館を訪れているうちにスペンサー刑事とヴァーロック夫人は親しくなってゆく。

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前回の停電作戦は組織の上層部には受けが悪かったらしく、ロンドン市長の就任パレードをターゲットにすることが告げられた。
館長は時限爆弾が同志のペット屋店主から送られてきて、それをしかける危険な任務を負うこととなる。
1時45分にセットされたもので、早速それを偽装の為のフィルム缶と共に抱え出掛けようとしたが、丁度その時、スペンサー刑事が聞き取りに来ていた。
怪しまれることを恐れ彼女の弟に代わりに持って行かせることに。

弟は勿論任務の事など知る由もなく、時間に遅れるなとだけ言われ出掛ける。
だがまだ幼い少年は、あちこち寄り道しているうちに時間に間に合わなくなった。
(厚かましい露天商に捕まったのは運が悪いが、この時代の映画にはよく出て来る景色だ)。
彼もロスした時間が流石に気になり、バスで(可燃物のフィルム缶を持ってバスには乗れないのだが車掌に無理を言って乗せて貰い)運ぶことにする。車窓から街頭に掲げられた時計の針の動きを気にしながら乗って行く。
この演出でこちらもそわそわしてくるというものだ。
街は思いの他渋滞で、なかなかバスも進まず、針はピタリと1時45分を指す。
無情にも彼を乗せたバス毎大爆発(弟は爆弾の隣にいたから木っ端みじんであろう)。
無差別テロの映画上での先駆けか。

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弟の死を知り、姉は倒れ込んでしまう。
彼女は夫を怪しんでいたが、彼の本当の仕事を知ることになる。
同時に隣の果物屋の店員がずっと夫の監視をして来た刑事であることも分かる。
結局、弟は誰に殺されたのか、、、
直截的には爆発物を手渡した夫であろう。
しかし夫は、たまたま居合わせた刑事や任務を無理やりやらせた組織上司のせいにし不幸な事故として開き直っている。
彼女は混乱を極めた。

夕食の際、こんな時にも関わらずまた夫が、家政婦のキャベツを焦がした料理にケチをつけるのだ。
その時、咄嗟に彼女は食事のナイフを手にして緊張した面持ちになる。
彼女の混乱した殺気に気づき顔を恐怖で強張らす夫の表情の長回しも特筆もの。
(ヒッチコックお得意のカメラだ)。
夫がそっと彼女に近づき押さえようとした瞬間、彼女のナイフが彼の胸に刺さってしまう。
夫は倒れ身動き一つしない。このナイフで刺すところは、故意にやったというより物の弾みに近い。
彼女は動転しよろめき椅子に腰かけたまま茫然自失。

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この奥さんが上手く罪を逃れたタイミングは流石のヒッチコックである。
何であろうが一度、裁判ともなれば恐らく彼女に勝ち目はない。
しかし直ぐ後に、ペット屋が鳥籠の回収にずかずかやってきたのが、ラッキーな流れであった。
(奥さんに早く証拠隠滅しなさいと急き立てられてやってきたのだ)。
そこでヴァーロックの遺体を発見して動転するペット屋店主。
更に彼をマークしてやって来た警察たちに映画館を包囲されているのを知り、逃げ場のないことを悟る。
切羽詰まったペット屋は自爆を選ぶ。
これで男と夫の死体はどちらも派手に吹っ飛び、死因は爆死以外になくなった。

彼女は面倒から解き放たれた。
しかし弟と夫を同時に失ったこころの傷は大きい。
スペンサー刑事にもたれかかりながらその場を去って行く。

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今回実行犯は2人が爆死したにせよ、反政府組織の上層部にまでは手が届かず仕舞いであった。
取り敢えず、難を逃れた二人はホッとする。
新しい生活が始まるのだ。
(こういう転機もある)。




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山河遥かなり

The Search001


The Search
1948年
アメリカ

フレッド・ジンネマン 監督
リチャード・シュヴァイザー 脚本
デイヴィッド・ウェクスラー、リチャード・シュヴァイザー 原作


イワン・ヤンドル、、、カレル・マリク(チェコ人の少年)
モンゴメリー・クリフト、、、ラルフ・スティーヴンスン(アメリカ兵)
ヤルミラ・ノヴォトナ、、、カレルの母
アリーン・マクマホン、、、マレイ夫人
ウェンデル・コーリイ、、、ジェリー・フィッシャー(スティーヴンスンの友人)


文字通り”The Search”であった。
二次大戦後のベルリンのひとりの孤児を巡る物語。
幼い彼と離れ離れの母が希望を捨てずにお互いを探し続ける、感動的な噺であった。
主人公の少年は幸せな家庭を戦争によって破壊され過酷な収容所生活を強いられてきた。
ほとんどは、ガス室などで殺されてしまっただろうに、どんな場合も例外はある。
(父と姉は別のところで殺害され、母は奇跡的に助かるが、彼と母は完全に逸れてしまっている)。
しかし解放された後の彼は周りの大人たちには恵まれていた。
特に偶然道端で腹をすかせた彼を発見したアメリカ兵の青年である。

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だがトラウマはどこまでも根深い。
そう傷が簡単に癒えるものではない。
それは同じように殺されずに助けられた同年配の子供たちすべてに謂えることであった。
これまでの経験から、条件反射的に身構えてしまったり行動に出てしまう。
そののっぴきならない仕草、行動から収容所生活の悲惨さが窺えるところだ。

結局自分の家に連れ帰り青年兵は手厚く彼を保護する。
だが彼は自国語~チェコ語を話さない。何も返さず話そうとしない。
何も喋らない彼に業を煮やしスティーヴンスンの方から英語を教える。
幼いせいか吸収も早く、そこそこ日常生活に困らぬ程度にコミュニケーション可能となる。
この頃には彼も歳相応の表情と対応を見せて来る。
だが本名は明かさない。どこかで身を守るための規制が働いているのか。
恐らくそういうものだろう。

The Search002

一方、母親も八方手を尽くして役所や施設を回る。
手がかりはなかなかないが、感心したのはお役所の職員の献身的な関わり方である。
これ程こころの籠った対応というものがあろうかというくらい。
これだけ、一人一人の案件に親身に対応していたら身が持つまいと思ったが、、、。
少なくともこの母にはピッタリの働き口と同時に子供を探す機会(一定期間の孤児の救済施設職員)も提供してくれる。
青年兵はアメリカに帰る日が近づいており、親は多くの場合ガス室か銃殺で亡くなっている為、その子を自国に連れて帰り育てようと決心する。その為の様々な手続きに奔走する。
そして救済施設に一時預け、先に帰って彼を待つ手筈まで整えた。

彼の母は救済施設の子供たちを送り出したところで一区切りがつき、そこを辞めまた息子探しの放浪の旅に出ることにする。
だが、彼女が列車に向った時に入れ違えに息子とその恩人がジープで施設に乗り付ける。
そこで、院長がよくよくその子のことを調べてみると、先ほど別れたばかりの女性の子であることが判明する。
ジープで三人で駅まで行くが、間に合わなかった。院長は落胆して列車で着いた次のクールの孤児たちを先導するが、背後から列車で去ったはずの女性の声がかかる。
彼女は車窓から次々に降りてゆく孤児たちを眺めているうちに、やはりこれまでのように彼らの力になってあげたいという思いが募って来たのだ。
こうした無私の純粋な思いが彼女に幸運を齎すこととなる。
院長は直ぐに良い選択であったことを彼女に告げ、そのままスティーヴンスンに母が見つかったことを知らせた。

The Search003

これまで自分の息子のように親身に可愛がり育てて来たアメリカ兵青年が、少年に彼らの列に入りなさいとそっと促す。
そこで暫く過ごすことは教えられていたことから、彼は素直に列に入って歩き出す。
そして母と少年の目が合う。
二人は当然、母国語で叫び抱き合う。

ある意味、酷く不幸な状況のなかの途轍もない幸運でもある。
ほとんどメルヘンのような。
だが、こんな状況下だからこそ、こんな展開~噺がとても胸を打つ。

The Search004

勿論、黙々と歩んでゆく他の少年少女たちにこんな幸運が待ち受けているなんて、ほとんどあるまい。
(それは先ほど故郷に向けて発った少年少女たちにも言える)。
だが、こんな理想的な美しい流れも想像してみたい。御話であっても触れてみたい。
ひとのこころの気高さ崇高さ暖かさに感動してみたいのだ。


現実が余りにも荒涼としていて悲惨である分。




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ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー

DEUX DE LA VAGUE001

DEUX DE LA VAGUE
2010
フランス


エマニュエル・ローラン 監督


わたしは映画そのものに対して疎い為、このドキュメンタリーフィルムは、如何にも通の観るものだという感じがして、ちょっと躊躇した(笑。尺がそれ程長くないので観ることにしたが、余りに早口の喋りが多く、途中一回しっかり寝てしまった(残。

ぎっしりふたりの仲の良かった時期からトリュフォーの「アメリカの夜」で完全に決裂するまでの間の情報が詰め込まれたドキュメンタリーであった。
何よりふたりの素顔や肉声が聴けるだけで得した気分になる。わたしはトリュフォーについては疎い為、これを機に彼の作品も是非意識的に観てみたい。
このドキュメンタリーは、時期が限られており(トリュフォーの生きている間)、その後のゴダールのインタビューも欲しかったが、若い頃の活動に絞られているのが少し残念。ゴダールはまだ元気だ。その後の考えも(特に映画における政治への関り、その姿勢の変化等)聞きたいものだったが、、、。
ただ、色々と面白い、興味深いカット~シーンが短いが沢山紛れていてそれらお宝を何度か観直したいものである(笑。
アニエス・ヴァルダの作品についてもちょっと出て来てニンマリしてしまった)。
噺の文脈に乗ったふたりの数々の作品の断片からそのビビットな魅力を再確認してしまう。
特にヒッチコックやフリッツ・ラングにゴダールがインタビューしているところがあり、大変興味深いところであった。
(あのゴダールが遠慮気味に話しているところが可笑しい)。

DEUX DE LA VAGUE002

一瞬の花火であった「ヌーヴェルヴァーグ」が何故、そんなに短命であったのか、何となく実感した。
何よりもセールスの問題は大きかったみたいだ。ふたりは、少し先を行きすぎていたか。
確かにそれまでの映画とは一線を画するものであることは間違いない。
保守的な映画ファンは勿論多い。プロットから撮り方、偶然性~アドリブの取り込み等、、、その革新性について行けない人のインタビューも面白かった(笑。
ただし、共にふたりの処女作は話題を集めヒットもし、トリュフォーの作品は文化相のアンドレ・マルローにも強力に推されフランス代表作にもなる。
このムーブメントは短命であったにせよ、ゴダールとトリュフォーが共に協力しながら(トリュフォーが撮影しゴダールが編集する、などして)作り上げたスタイルは、しっかり継承されていると思う(邦画にもそれを真似したものが少なくない。失敗も多いが)。

グッバイ・ゴダール!」をちょっと思い出しながら見た。
わたしは、思想的にはトリュフォーに共感する。
彼がマチスを引き合いに出して語るところなど、特に。
「マチスにとって戦争など取るに足らぬものだった。大切なのは何千枚の絵だった。」「芸術のための芸術ではなく、芸術とは美のためであり、他者のためであり、人を楽しませるものだ。」全くその通りだと思う。
ゴダールの政治メッセージに映画を利用するよりずっとしっくりくる。
そもそも映画を撮るという行為そのものが政治性を常に帯びるではないか。ロックだって同様である。別に内容に政治を盛り込むまでもない。
ただゴダール作品はそうは言っても面白い。政治メッセージを大きくはみ出して。

DEUX DE LA VAGUE003

シネマテーク・フランセーズの館主アンリ・ラングロワがアンドレ・マルローに更迭され、ラングロワ復職の大きな抗議運動をふたりを中心に行ったということだが、ヌーヴェルヴァーグを最初に認めて推し出したのはマルローである。そのお陰でふたりが良いタイミングでデビュー出来たところは大きい。確かラングロワは経営に失敗して更迭されたのでは。政治・思想的な問題とは違うはずであるが。

このフィルムは、ふたりプラス、ジャン=ピエール・レオが第三の男という感じで終始絡んで来た。
彼にとってゴダールとトリュフォーは「ふたりの父」という存在であった。
彼は『大人は判ってくれない』でいきなり俳優(子役)・主演を射止め、それからずっとトリュフォー映画に出続けた。
わたしはそのジャン=ピエール・レオの晩年の「ライオンは今夜死ぬ」に出逢ったが、文字通り彼は「死」を演じていた。
随分、時は経ったものである。

DEUX DE LA VAGUE004

何にしても、まだわたしは『大人は判ってくれない』を観ていない。
これはちょっと焦る。何とか早めに見ておきたい。
トリュフォーのものは「華氏451」くらいか、まともに観ているのは、、、シャルロット・ゲンズブール主演の「小さな泥棒」の原作も書いているが、、、。
わたしはゴダール以外、ほとんどヌーヴェルヴァーグに触れていないのかも。ヌーヴェルヴァーグ的な作家~監督の映画は結構見たが(ネオ・ヌーヴェルヴァーグとも評されるレオン・カラックスとかその血を引く同じ系譜の監督の作品には触れて来たが)。


まずは、近いうちにトリュフォーを、、、。





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ゴーストシップ

Ghost Ship005

Ghost Ship
2003年
アメリカ、オーストラリア

スティーブ・ベック 監督
マーク・ハンロン,ジョン・ポーグ 脚本
ジョン・フリッゼル 音楽
マッドヴェイン 『Not Falling』主題曲

ジュリアナ・マルグリース、、、エップス(ウォリアー号船員)
ガブリエル・バーン、、、マーフィー(ウォリアー号船長)
ロン・エルダード、、、ドッジ(ウォリアー号船員)
イザイア・ワシントン、、、グリーア(ウォリアー号船員)
デズモンド・ハリントン、、、フェリマン(魂の回収屋)
アレックス・ディミトリアデス、、、サントス(ウォリアー号船員)
カール・アーバン、、、マンダー(ウォリアー号船員)
エミリー・ブラウニング、、、ケイティ(グラーザ号乗客の少女、亡霊)
フランチェスカ・レットンディーニ、、、フランチェスカ(グラーザ号の歌手、亡霊)


幽霊船が主役。
イタリアの豪華客船アントニア・グラーザ号が1962年5月アメリカに向けて出港したが大西洋上で突然消息を絶つ。
それから40年が経ち、サルベージ依頼を受けたアークティック・ウォリアー号のクルーがベーリング海沖を漂流する船をとらえると、その船こそがアントニア・グラーザ号であった。
公海で発見された船は発見者のモノになるという。
お宝を積んでいたらこりゃ大儲けだ。
何とホントに金塊を山のように積んでいた。
観ているこっちもクルー同様に嬉しくなってしまった(爆。
それが、そのまま持って帰れないところが、この映画なのだ、、、(残。

Ghost Ship004

ガブリエル・バーンがとても粋で渋い船長をやっていた。
ドラキュラの次に似合う(笑。サタンもやっていたはず。どちらかというとそっち寄りのヒトではないかと(笑。

どうもサタンと回収屋との関係が分からないのだが。
サタンは船上で金塊を利用し人々に殺し合いをさせ、魂を回収していたということらしいが。
ここに魂の回収屋というのが絡んでくるが、彼はどういう立ち位置なのか。何者なのか。不死身で怪力で変身もする。
はっきり言って化け物には違いないが、サタンとは別の何かのようだ。主従関係かと言えばそうとも言えない。
彼はあの船を修理して金塊を移動したかったのか?魂の回収だけならサタンひとりでやっていることのようだし。
そもそも回収屋は、儲けの取り分が不服で彼らに同行した流れであった。
要求額の儲けの20パーセントが受け入れられていれば同行しなかったことになる。つまりノータッチで岸で待っていた。
彼がサタンの命令で動く手下のような存在ではなく、寧ろ彼もお宝の方に執着があるようだ。
しかし、その船の実情とサタンの存在も分かっている。そのうえで彼らサベージの専門家をそこに向けたのはどういう意図なのか。
あわよくば、サタンに殺されずにお宝を持ち帰るのでは、という望みに賭けていたのか?

Ghost Ship002

分け前が少ないために同行したのは、あわよくばお宝ゲットして持ち帰ることになった時点で皆殺しにして独り占めにしようと思ったか。別に持って帰ってきたところでそうしても良かっただろうに。
サベージボートでお宝を乗せてエンジン直して動かそうとした際にガスボンベを開き船を爆破させたのはサタンであった。
つまりサタンにしてみればお宝を動かしたくない。陸には上げたくないというところでよいか。
不死身の回収屋は最後にまた例のお宝を船に乗せてゆくところであった。
豪華船爆破により沈んだお宝を普通に荷物として別の船に移せる力があるのなら、それを独り占めするまさにそのタイミングであろうに、また船に乗せてどうするのか。やはりサタンの下で働いているのか。
今回のサベージは何の役割があったのか?この訳の分からないクリーチャーにとり。

Ghost Ship001

ちょっと気になったところ、整理のつかぬ部分をだらだら述べてしまったが、やはりどうにも意図がはっきりしない。
だが、それは置いておいて、ダンスホールでの大スプラッター大会はスピーディーで見事な眺めであった。
これだけ鮮やかなスプラッターならホラー苦手なわたしもニンマリしてしまう。
もう着飾った上流階級の華やかな紳士淑女がワイヤーで一瞬のうちに真っ二つなのだ。
この40年前の豪華客船での血飛沫の舞い上がる華やかなダンスホール。
いやが上にもその後の物語を期待してしまう。

Ghost Ship003

だが、後は現在の荒れた夜の雨の降る海での幽霊船の怪奇現象に怯えお宝もって早く逃げようとするクルーとそれを妨害し彼らの魂も奪おうとするサタンとの攻防だが、サタンにそもそも勝てるはずはない。
次々に現れる亡霊に惑わされクルーも殺されてゆく。
その過程のハラハラドキドキは見せ場も多く楽しめるものであった。
ただしポテトチップスを食べながら観ているところで、クルーが肝試しで古い缶詰を開けて中身を旨い旨いと食べていたら全部蛆であったところはもうポーズしてポテトをしまい暫く他のことをしてから再開とした。ホラーはこれもあるから苦手だ。
それはともかく、、、
ケイティという少女の幽霊が度々現れ、何故かエップスを救おうとする。
お母さんに似ていたらしい。その他の幽霊はサタンの差し金であろう。見事に引っかかり殺されてゆくクルーたち。
最後の最後に回収屋と立ち向かい裏をかいて船を爆破させエップスだけが生き残る。
彼女が海面に向かい泳いでゆくときに沢山の幽霊もサタンから解放され一緒に途中まで泳いで消えてゆく。
このあたりとても美しい光景であった。
勿論、回収屋も人ではないため、最後は自分の仕事に戻っていたが、何でこうなるのと言う感じであった。
やはりサタンの下僕なのか。だとすると今回の失敗はかなりのペナルティではないか(裏切り要素もあるし)。
面白いのだが、根本的な部分が腑に落ちず、よく分からない映画であった。



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ダイバージェント

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Divergent
2014年
アメリカ

ニール・バーガー 監督
エヴァン・ドーハティ、ヴァネッサ・テイラー、ヴェロニカ・ロス
ヴェロニカ・ロス『ダイバージェント 異端者』原作

シェイリーン・ウッドリー、、、ベアトリス・“トリス”・プライアー
テオ・ジェームズ、、、トビアス・“フォー”・イートン
アシュレイ・ジャッド、、、ナタリー・プライアー
ジェイ・コートニー、、、エリック
レイ・スティーブンソン、、、マーカス・イートン
ゾーイ・クラヴィッツ、、、クリスティーナ
マイルズ・テラー、、、ピーター・ヘイズ
トニー・ゴールドウィン、、、アンドリュー・プライアー
アンセル・エルゴート、、、ケイレブ・プライアー
トーリ・ウー 、、、マギー・Q
メキ・ファイファー、、、マックス
ケイト・ウィンスレット、、、ジェニーン・マシューズ


戦争で世界崩壊後のシカゴが舞台。遥か彼方に高いフェンスが築かれているのが窺え、その外を暗示させる。
その内側~管理の行き届いた環境~都市に人々は暮らしているのだ。
彼らは平和維持のため、無欲を司る「アブネゲーション」、平和を司る「アミティ」、高潔を司る「キャンダー」、博学を司る「エリュアダイト」、勇敢を司る「ドーントレス」の5つの『派閥』に分かれて生活をしていた。
この他に「無派閥」という共同体もあるが、そこは下位集団のようである。
一定の年齢になると審査を受け、自分がどの派閥に属するかの適正テストを受ける。
最終決定は自分の意志で決められるようだ。ヒロインのトリスは適性が一つに絞れない特異なタイプで、どうやらどの派閥にも当てはまらないダイバージェント「異端者」の資質が認められた。幸いテストの試験官の計らいでその件は隠し、適当に誤魔化して自分の意志により出身は「アブネゲーション」であったが、「ドーントレス」に希望して入ることに。

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シカゴの全体統治に当たっているのは無欲「アブネゲーション」であり、その指導者がトリスの父であった。
無欲が統治することは、大変理にかなっているように見えるが、最近その体制に対し悪い噂が流されているようであった。
体制をクーデターで転覆させ全体を支配しようと企んでいるのが博学「エリュアダイト」であり、その黒幕の中心人物にジェニーン・マシューズがいる。
彼らは自分たちのもっとも大きな障害となるものを、いずれの派閥も超越しているダイバージェントであるとして、彼らを秘密裏に抹殺していた。

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ヒロインの所属した派閥は正式なグループメンバーとなるには、過酷な訓練を積み一定ラインを越えなければならず、不合格者は脱落者として「無派閥」に落ちてしまうようだ。
「無派閥」は所謂各派閥からの脱落者の集まりということなのか。見た目は確かに無気力な雰囲気である。
それに対し、ダイバージェント~異端者は高い能力を秘め体制に囚われない危険因子という位置にあるようだ。
大衆に対する単独者であろうか。確かに厄介な存在であろう(笑。

物語のテーマ・発想と舞台設定、演出には『ハンガー・ゲーム』の雰囲気があった。
主人公の成長を追うところにウエイトが置かれていたようだ。
舞台のSFXはよく出来ており、スケールも大きく質感にも説得力があった。
特に仲間との訓練で、ビルの間を高速で滑りぬけてゆくスリリングなアスレチックみたいなものはこちらも疑似体験してしまうほどハラハラした。そういう部分はよく出来ていると思う。

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だが、この荒唐無稽な派閥をどんな風に描写~説明して見せるのか、派閥間の関りやどのように全体として連動するのか、など期待したが別にその辺は何もなく、派閥の民のイメージがちょっと映る程度であった。ほとんどすべてヒロインが属した「勇敢」内の人間関係や過酷な訓練が描かれるものなのだ。注射をやたらと打ち、深層に抱えた恐怖のイメージに対処する訓練~テストというのはちょっと面白かったが。
もし彼女が「無欲」にそのまま留まれば、アクションシーンとかメンバー間のイザコザもなく実に平坦な物語にしかならないはずで、ドラマとしてはこの選択以外になかろうとは思う。

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恐らく個人的な時間や空間は彼らには無く、スパルタ訓練あるのみと窺えるのだが、いつの間にかフォーとトリスの恋愛モードが生じてくるなり、何でこんな暇があるのだろう、といったシーンがやたらと入ってきて戦いの最中すら隙だらけの弛んだ流れとなって来る。こんな二人だけの自由時間があって大丈夫なのかとこちらが心配になるほどに。
ご都合主義的な展開も次々に入ってきて何やら妙なラブコメディの流れに澱んでくる。
どんな場面にもタフなファイト要素を組み込むことでそれらしくもっていこうとするも、先は見え見えで落ち着くところに着地するだけである。スリリングな動きが入っても緊張感はない。

度々ジェニーン・マシューズが何かの企みでこの派閥を訪れて来ていたが、「勇敢」のメンバーを政権奪取の為の戦闘員~駒として操り、利用しようとしていたのだ。このあたりがもっとも山となるところかとも思ったが、彼女の両親が亡くなる場面もあったが、陰謀の阻止の部分までラブコメ絡みであっけなく、その後の展開も見られず終息を迎える。
ヒロインの逞しく変貌してゆくところに寄り添い、彼女密着で進む意図は分かるが、そこにかまけて周囲の状況や流れ~本筋が見えてこない~感じられないことで、全体としての緊迫感が失せてしまっていた。
世界観を支える大事なプロットが抜けてしまっている。どういった世界観かも実は判然としないのだが。

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それにキャストがどうにも存在が薄いのだ。主演者に関しても共感するほどの重みがない。
雰囲気だけと言う感じ。
雰囲気映画である。間違ってもSF映画ではない。




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テッド・バンディ

Shockingly Evil and Vile001

Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile
2019年
アメリカ

ジョー・バーリンジャー監督
マイケル・ワーウィー脚本
エリザベス・ケンドール『The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy』原作
マルコ・ベルトラミ、デニス・スミス音楽


ザック・エフロン、、、セオドア・バンディ〔テッド〕(連続殺人犯、元法学部学生)
リリー・コリンズ、、、エリザベス・ケンドール〔リズ〕(シングルマザー)
カヤ・スコデラリオ、、、キャロル・アン・ブーン(テッドを支援、妻となって女児を出産)
ジョン・マルコヴィッチ、、、エドワード・カワート(判事、 フロリダ州の裁判長)
ジェフリー・ドノヴァン、、、ジョン・オコンネル弁護士(ユタ州での弁護士)
アンジェラ・サラフィアン、、、ジョアンナ( リズの親友)
デヴィッド・ヨーコム検事、、、ディラン・ベイカー (ユタ州の検事)
ブライアン・ジェラティ、、、ダン・ダウド弁護士(フロリダ州の公選弁護人)
ジム・パーソンズ、、、ラリー・シンプソン検事(フロリダ州の検事)
ハーレイ・ジョエル・オスメント、、、ジェリー・トンプソン( リズの同僚、後に夫)
グレース・ヴィクトリア・コックス、、、キャロル・ダロンチ(ユタ州でテッドに誘拐された女性、最初の証人)
テリー・キニー、、、マイク・フィッシャー刑事(コロラド州ピトキン郡の刑事、テッドを追う)
ジェームズ・ヘットフィールド、、、ボブ・ヘイワード(テッドを最初に逮捕したユタ州の警官)


リリー・コリンズのお父さんは、あのフィル・コリンズだというからたまげた。
彼女は音楽はやらないのか。
別にそこに拘るつもりはないが、、、。
まさにヒロインしていた。

Shockingly Evil and Vile006

BGMにELPが流れたりして、とても入りやすい映画ではあった。
とは言え、題材からして観易い作品という分けではないが。
映画としての作りはテンポもよく、グロテスクなシーンやオドロオドロシイ部分の即物的描写がほとんどなかった。
だが、この主人公は明らかに異常である(有名な事件らしいがわたしは全く知らなかった)。
何よりも、こんな凄い主人公を引き受けたザック・エフロンには敬意を払いたい。
イメージは寧ろ良くなり評価は上がるのでは、、、。
しっかりやり切っており、役者としてお見事。

最後のエンドロールで本物たちが実際のフィルム上で出ていたが、かなり忠実にトレースしていたことを知った。
何でも5時間を超えるドキュメンタリーがあり、本作はそれをもとにした映画だというが、わたしはこれだけで十分。
そんな猟奇連続殺人には興味ない。
それ以前に、身が持たない(笑。

Shockingly Evil and Vile007

確かにこういう人は、いる。
この原因を遺伝的流れや家庭環境に見出そうとしても、きっと上手くいかないと思う。
(勿論、何らかの無意識の物語はあったはずだが。幼児期のストレス~身体的虐待や性的虐待,ネグレクトなど、、、だがそこからここへの結実~Blossomsである!)
日常の文脈を食い破り、恐らくそれは突然変異体の如くに忽然と立現れるのだ。
判事が酷く病んでいると言っていたが、確かに病んでいると謂えば凄まじい病様だ。
尋常ではない。

だが、こういう人はいる。
恐らく死刑制度はこういう人の為にあるのだと思う。
彼は異様に元気で前向きで直向きに何の罪悪感もなく、自分好みの女子を惨殺し続けられる。と言う風に見受けられる。
本人の中にその行為に対する反省的意識がない、と言うより自動的にそれを行ってしまっているようなのだ。
それは特定の刺激に乗じてオン(ハレ)/オフ(ケ)の切り替えが起こるのではないか。女性が目に入った時、タイプ~ターゲットであればスイッチが入るというように。(分かり易いと謂えばそれまでだが)。
オンの時点で常識的な人格は消え去り、女性を機械的に殺害してゆくのだ。
オフの際は、人格はその自動運転中全てに対する記憶はそれとして保持されてはいても、切断されたパーソナリティとなり、日常の勉学(法学)や愛する女性との常識的な範囲での生活を営む状態となる。
そしてその行為を自ら止める気はない。行為を完全に否定しながら反復継続してゆくのだ。
外部からその機械状反復運動の切断をする以外に方法はない。

Shockingly Evil and Vile005

しかしここで不思議なのは、普通に愛せる相手が存在するということ。その女性の子供に対しても子煩悩を発揮する。
本人の中では、サッと極めて残虐な方法で惨殺してしまう女子と長く普通に愛せる女子の分別がはっきりなされているのだ。
それが、どこにあるのか。何なのか。
興味深いものだ。
この選ばれた人は、他の女子とはどう違うのか。同じ「女性」ではない、少なくとも全く異なる範疇の「何か」であろう。
ここでは、エリザベス・ケンドールとキャロル・アン・ブーンの二人の女子である(確かに美人だが)。
美醜という質的に連続性のある~相対的なものとも思えない。

Shockingly Evil and Vile002

単なる好みの差にせよ、扱いは凄まじく異なり、一定のシステム上で処理するモノと人格的に愛する者との違い、である。
これに対応したテッド自身の主体の切り替えも当然起きているはず。彼女に対する彼氏モードとmurdererモード。
一般的に言えば、二重(多重)人格であろうか。
だがドラマの中で、その側面からの病理学的アプローチがなされた部分は全く見られない。
厚顔無恥の嘘つき、詐欺師の殺人鬼というところである。それが30人以上の猟奇殺害に関わっているところで、大きく取り上げられたのだが。

Shockingly Evil and Vile004

一人の人間が、これだけはっきり嘘をつき堂々と日常を生きつつ、途轍もなく残虐な殺害を趣味のように続けられるか。
(裁判で、どんな証拠を突き付けられてもへいっちゃらだし。弁護人をクビにするし)。
それに耐えるスーパーマンに、ここで皆が驚愕し唖然として立ちすくんだというところだ。
中には素敵と恋心を芽生えさせる女性も出て来て、ファンレターなどもかなり舞い込むまでに。
彼の信奉者も出てくるのだ。
キャロル・アン・ブーンは一貫して彼を守り支えこの時期に子供まで作り結婚をする。
愛し合いすでに婚約をしていたエリザベス・ケンドールは、あるところで目が覚め完全に敵対する関係になった。
彼女に献身的に尽くす人の良いリズの同僚ジェリーとの結婚も大きい(ハーレイ・ジョエル・オスメントが扮するところが何故か笑える。失礼)。
最後の面会で、彼女は彼に「わたしを解放して!」と何度も叫び、どういう「やり方」でこの女性の首を切断したのか、と刑事にもらった写真を見せ、その「やり方」~方法を問いただすと、彼は無表情に(又は覚めた顔で)それを面会のガラス面~そのインターフェイスに書き記すのだった。

ここは面白いシーンである。
どうしてそんなむごいことをとか何故そんなことを、という人道的で感情的な詰問ではなく(お前の化けの皮をはがす的な脅しでもなく)、その方法を質問したらそれに正確に応える人格が素直に出てきた、というところ。
やはりこの人ただもんではないわ。
ずっと彼を追って来た刑事がその続きの聴きただしにかかる、、、。


Shockingly Evil and Vile003

多様性では済まされない問題に対し多様な関わりが必要となる。
ザック・エフロンはよく理解した演技だったと思う。
キャストは充実していた。裁判長は勿論、ジェリーも(笑。
フィル・コリンズの娘さんには、今後も頑張ってもらいたいものである(親戚の叔父さんみたいな心境(爆)。





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散り行く花

Broken Blossoms005

Broken Blossoms

1919年
アメリカ

D・W・グリフィス監督・脚本
トーマス・バーク『中国人と子供』(『ライムハウス夜景集』より)原作

リリアン・ギッシュ、、、ルーシー(15歳の少女)
リチャード・バーセルメス、、、チェン・ハン(仏教徒の中国人青年、雑貨店を営む)
ドナルド・クリスプ、、、バトリング・バロウズ(ルーシーの父、現役ボクサー)
アーサー・ハワード、、、バロウズのマネージャー


まさに”Broken Blossoms”
”Broken Flower ”でないところが身につまされる。
何と言うセピアか。これほど美しいセピアの光景は見たことが無い。
スラム街がお伽噺の絵本の世界にも感じられる。

薄幸の少女の美しさ。この映画の隠れた主題は、この少女を虐待することと愛でることで彼女の美と神聖さを際立たせようとしたところか。

「散り行く花」

Broken Blossoms007

中国人チェンの薄目と猫背の無駄のない身のこなしが、如何にも仏教の布教で西洋に渡った僧という雰囲気を漂わせていた。
チェンは結局、夢破れスラム街で店番をしながら阿片を吸う生活に甘んじていたが、品格はその表情や所作に見て取れる。
その近くの家では、ボクサーである父が日常的に娘ルーシーに暴力を振るっていた。
少女に手を差し伸べる者はいない。いや、寧ろ危険な目が彼女を狙ってもいた。チェンは一度彼女を助けた稀有な存在である。

バトリングの鞭は痛いうえに顔のアップが怖い。
この映画という形式を持って初めて観客はこのド迫力のアップを拝むことが可能となった。
「第八芸術」の誕生を観た。これを観ないてはない。

この映画も後の映画にどれ程の影響を与えたものか。
シャイニング」はその最たるものか。
そうした目で見て行けば沢山の発見があるはず。

Broken Blossoms011

酒は呑むは女好きで、界隈では敵なしのボクサーのチャンピオンの父が娘に虐待を続けている。
これは少女にとって地獄以外の何ものでもない。
貧困~スラムであろうがなかろうが、この父は同じことをするはず。
(こういう人間は、どのような環境においても、確かにいる)。

このボクシングの試合の様子を殊の外しっかりと見せているのが印象的であった。
こうした迫力ある運動シーンも映画ならではの見せどころであろう。
映画そのものの表現芸術としての確立の為、様々な有効な要素を組み込んでくる姿勢が窺える。

Broken Blossoms003

チェンの店の前で倒れてしまったルーシーを助け、彼は二階でひっそりベッドに寝かせ彼女の看護をする。
綺麗な服と食事と人形も与える。心身に栄養を与え、愛情を注ぐ。
これは彼にとっても自分を取り戻し自分を救う行為となった。ふたりともに活き活きとしてくる。
本来、人間とはそういうものだ。否定的、弾圧的環境にあって、生きた関係など何処にも結びようはない。
(それに気づかぬ愚か者は多いが)。
彼女は父に暴力を加えられた後、笑えと命令され指で口の端を上げて無理に笑い顔を作っていたが、自然な笑みを浮かべるようになる。
彼女にとって生まれて初めての安全で落ち着いた、愛情に包まれた束の間の環境であった。

Broken Blossoms010

一次大戦が終わり、黄禍論も沸き起こり、人種差別も強まろうこの時期に、中国青年と貧しい虐げられた少女の絆である。
粗野、粗暴で自己中心、外国人を許せない差別主義者のイギリス人ボクサーと仏教の布教にやって来た元僧の対比は、彼ら(映画製作者)にとっての自己批判の構図でもあろう。
実際、ルーシーを取り巻くスラム街の輩は飛んでも無いゴロツキばかりである。
(ある意味、このような自己批判をしっかりできることは西洋文化のひとつの強みであろう)。

この環境で、繊細でか弱い少女が生き残れるとは到底思えない。
それでも家庭環境さえしっかりしていれば、安全基地さえあれば、何とかなろうが、、、
この娘の場合、肝心の家庭が最悪なのだ。娘がストレス発散の標的なのだ。しかもその父を戒める者はだれもいない、どころか娘がチェンに匿われていることを調べその父に知らせてしまうのだ。何という、、、。

Broken Blossoms009

父は手下を引き連れチェンの店に行き、眠る少女を見つけ部屋を破壊して少女を強引に家に連れ戻す。
少女は身の潔白を訴え暴力を必死で回避しようとするが、父は逆にエキサイトするばかり。
恐ろしさのあまり隣の部屋に逃げ込み鍵をかけると、彼は狂ったように斧でドアを破って来るのだ。
この恐ろしさは少女にとり途轍もないものであった。
強引に引きずり出され、許しを請う少女に鞭で叩き放題叩き、ついに彼女は絶命する。
彼女に捧げる白い花を店に買いに行っていたチェンは、意地の悪い同族からその件を知らされる。

Broken Blossoms004

狼狽えながらも急いで家に帰るチェン。
滅茶滅茶に部屋は荒らされルーシーはいない。彼女に与えた服が床に、、、。
ルーシーの家に走ると、独り息絶えた彼女が倒れていた。
そこに戻って来る父親。当然、双方共に、ただでは済ませられない。
父が斧で彼に襲い掛かろうとしたところで、チェンのピストルが素早く火を噴く。
(最後の決着がピストルになろうとは、、、)。
流石にタフな父も、もんどりうって倒れて死ぬ。
ルーシーをチェンは抱きかかえ、荒れ果てた部屋に連れ帰り、彼女の葬式を独り厳かにあげる。
取り分け美しいシーンであった。


リリアン・ギッシュは、ずっと後のトーキー映画の「ジェニーの肖像」と「狩人の夜」で観ただけである。
このような若い頃の彼女主演の映画を他にも観てみたい。

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カリガリ博士

Das Cabinet des Doktor Caligari002

Das Cabinet des Doktor Caligari
1920年
ドイツ

ローベルト・ヴィーネ 監督
ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー 脚本
ヘルマン・ヴァルム 美術

ヴェルナー・クラウス、、、カリガリ博士(医者、見世物師、実は病院長)
コンラート・ファイト、、、チェザーレ(夢遊病患者、実は精神病院患者)
フリードリッヒ・フェーエル、、、フランシス(回想者、実は偏執狂)
リル・ダゴファー、、、ジェーン(フランシスの恋人、実は精神病院患者)
ハンス・ハインツ・フォン・トワルドウスキー、、、アラン(フランシスの親友、実は?
ルドルフ・レッティンゲル、、、オルセン博士(ジェーンの父、実は?)


「カリガリ博士」は「悪魔スヴェンガリ」と同日に観ており、ちょっとこんがらているところもある。

実は随分長いことカリガリ博士の事をガリガリ博士と思っていた。「ガリガリ君」の影響が大きい(先ほども食べたのだが)。
設定が1900年初頭。夢遊病に籠められる意味も豊潤であったか。
心理学~精神分析と表現主義が相乗効果を生んだ作品というのは言い過ぎだろうか。
サイレント映画ならではの抽象性も手伝い芸実性がそこはかとなく漂う。

Das Cabinet des Doktor Caligari003

表現主義の画家、アルフレート・クビーンがセット制作に携わっているという。
やはり本格的に狙った光景だったのだ。
確かに平衡感覚を乱すような歪んだ革新的な空間が妙にややこしい(笑。
メイクも尋常ではない。演技も独特な誇張が見られる(チャップリンにも多分にあるが)。
また、フランシスの回想に始まるストーリー構成も最後に大捻りが待っていた。
連続殺人のミステリーものと思って観始めたらなんと、、、である。
(回想シーンのなかに更に回想シーンが含まれる)。
サイレントでこのような複雑な構成というのもかなりの実験的な試みではないか。
ずっとオーケストラの音楽が流れ続けており、気持ち良くなって3回ほど眠ってしまった。
この映画のモノクロの明暗の調子にもよる。

アランとフランシスは表現主義の絵の中を歩く人という感じであった。

Das Cabinet des Doktor Caligari005

ホルステンヴァルでのカーニバルから噺は始まる。
カリガリ博士が役所に興行の申請を出しに行く。
この時の役所の職員が大変対応が悪かった。

さてカリガリ博士の部屋は、観客は満員のようである。
呼び物は、夢遊病者チェザーレによる予言なのだ。
「25年の眠りから覚めた」とは、この男クリーチャーなのか。
チェザーレの目は充分に怖い。これで預言者などと言われれば、その場にいたらさぞ怖いはず。

「あとどれくらい生きられる?」とはよく聞いたものだが「もうすぐ死ぬ。夜明けにはな」とはよく答えたものだ。
これで何か起きないはずもない。
案の定、アランはその通りに律義に殺される。
予言通りに殺されたんだから予言者が怪しい、というのも凄い流れだ。
アランの前に例の態度の悪い役所職員も殺されていた。

Das Cabinet des Doktor Caligari006

フランシスは彼女ジェーンの父オルセン博士と共に、探りを入れる。
その間、別の犯人による殺人未遂事件も起きて捜査が複雑になる。
ジェーンもチェザーレを観に行き怖くて逃げる。
その後を追い、チェザーレはジェーンを殺しに行く。
だが何故か躊躇し、殺せず彼女を連れ去る。

無事保護されたジェーンの証言から、犯人はチェザーレということに。
フランシスが見張っていたのは、カリガリ博士が仕込んだ人形だったのだ。
カリガリが逃げ込むのを追ってフランシスは精神病院にやって来る。

彼が眠っている間に彼に付いての関係資料を職員たちと片っ端に探る。
日記から、カリガリが自分の野望の為、チェザーレを夢遊病者に仕立て上げて操り事件を引き起こしていたことが分かる。
その日記の情景再現シーンは少し過剰な演出に見えた。特にカリガリの本の捲り方の派手さには笑った。
カリガリ博士がやる気になったところが書かれていた。
画面に「カリガリ」の文字が溢れ出るところなど、アニメのようで遊び心も見られる。

Das Cabinet des Doktor Caligari004

結局、チェザーレはジェーンを背負って逃げるうちに彼女を追って来た民衆に取り戻され、その後、谷に足を踏み外して死んでいた。
切り札の下僕の遺体を見せられた博士はもはやこれまでという感じで暴れて取り押さえられる。
もはや「彼は鎖に繋がれた異常者なのだ」
でフランシス語り部の回想はおわるのだが、、、。

シュルレアリスムの絵画を観るような感覚で夢想~妄想の世界を堪能できる。
曲線を中心とした街の歪んだ垂直的構図も悪夢を思わせる。

Das Cabinet des Doktor Caligari001

その後、フランシスの噺では死んだはずのチェザーレが普通に立っており、様相が変わる。
ジェーンもこれまでと異なる様子で表情無く座っており、、、全く他人のようだった。
フランシスの噺をずっと聞いて来た男は、噺が違うじゃないか、、、という感じで離れてゆく。
そしてフランシスは病院から出て来た院長を「彼がカリガリだ!」と叫び掴みかかる。
当然周囲の人々に引き離され拘束される。

フランシスが偏執狂であり、院長がそれなら治療法がある、と締めくくる。
眼鏡を改めてすると、やはりこれまで出ていたカリガリ博士だ。とてもお茶目な。

後の映画(映画監督)への影響は当然大きいと思われるが、わたしがふと連想した邦画は「狂つた一頁」だった。
間違いなくこれ見て驚いて作っているはず。

メトロポリス」、「霊魂の不滅」、などに並ぶ古典の名作に違いない。
まあ、メトロポリスがダントツに良いけど(笑。
この勢いでフリッツ・ラングのものなど、もう少し観たいのだが、AmazonPrimeでやってもらえないか。フリッツ・ラングコレクションというのがあるが、やたらと高いのだ。DVDで38844円もする。





AmazonPrimeにて
















悪魔スヴェンガリ

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Svengali
1931年
アメリカ

アーチー・L・メイヨ 監督
J・グラッブ・アレクサンダー 脚本
ジョルジュ・デュ・モーリア 原作
アントン・グロット 美術

ジョン・バリモア、、、スヴェンガリ(声楽家)
マリアン・マーシュ、、、トリルビー(モデル、歌手)
ブラムウェル・フレッチャー、、、ビリー(画家)
ドナルド・クリスプ、、、レアード(画家)
ラムスデン・ヘイア、、、タフィー(画家)
カーメル・マイヤーズ、、、オノリ(声楽の生徒)
ルイ・アルバーニ、、、ゲッコ(手下、バイオリニスト)


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「私の最高傑作」しかし「願いは届かない」これに尽きる。
催眠術を使って操るも、歌姫としての才能を見出し見事開花させ、大事に育ててきたが、こころは離れたまま。
婚約者のビリーから自殺を装い彼女を奪い、声楽~オペラ界では大成功を収めたにも関わらず、、、
スヴェンガリとしては肝心のトリルビーとの恋愛関係を築きたいのだがそうはいかない。
スヴェンガリ夫妻として活躍しているのだが、形だけなのだ。
空しさの中で彼女を所有し続ける。
このパタン、一番、孤独を感じるものだ。絶対的な孤独ともいうべきか。

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この美術、イケてる。
部屋にしても街にしても、、、
表現主義の作風。
どことなく全てが歪んでいる。
「カリガリ博士」ほどではないが、同じ系譜であろう。

スヴェンガリが催眠術をかけるときの目の輝きも充分に不気味でよい効果を上げていた。
チュザーレ(カリガリ博士の手下の夢遊病者)の目をやはり想起してしまう。
雰囲気的には怪僧ラスプーチンみたいな存在にもとれたが、こちらは病に侵されていてあれほどタフではない。
傲慢な姿からそう見えても。

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折角、スヴェンガリ夫妻はヨーロッパ中で持て囃されるまでに昇りつめたにも関わらず、彼女が死んだはずのトリルビーだとビリーに見抜かれてしまう。流石は(元)婚約者である。
その当時は、彼女はまだ歌には目覚めておらず、画家のモデルとして生活していただけである。
他の友人は、声が違うしあんなに唄えるはずもないと否定するが、彼には分った。

河に投身自殺したものとして諦め、その後の5年を過ごしてきたが、ビリーとしては彼らにしがみつき公演を見続けるのみである。
ビリーとその友人の画家3人と逢った時も、彼女の催眠が解けてしまった事があった。
スヴェンガリは、公演を開けば立見席まで満員続きの盛況ぶりであったが、舞台の突然キャンセルを次々にしてしまう。
怒ったコンサートマスターからは契約を切られ、大きな公演の場を全て失ってしまう。
その後、地方のコーヒー店などで細々と続けては行くが、、、
スヴェンガリ自身の胸の病も進行しステージ自体も続けられなくなってくる。
そんな時に、またビリーが客としてやって来るのだ。
スヴェンガリから見たら、まさに彼こそ悪魔だ。

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しかしスヴェンガリが悪魔であるのは、最後の最後に分かる。
大変な逆転劇を彼らの最後の舞台に仕込むのだ。
自分の死の間際にトリルビーに催眠をかけ自分以外にこころを開かなくしてしまう。
これで彼女はビリーとも真に結ばれることはない。
例えスヴェンガリが息絶え、彼がトリルビーの身を引き取ったとしても、もう呪いは解けないのだ。
勝利の笑みを浮かべてスヴェンガリは逝った。
悪魔として。

それにしてもゲッコというバイオリニスト、最後の最後までスヴェンガリに心から仕えていた。
わたしは彼に一番感心したものだ。

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芸術家を夢中にさせ翻弄するキキのようなミューズがしっかりその役割を果たしていた。
マリアン・マーシュは他の映画でも見てみたい。
今であればエル・ファニングあたりか、、、
役者は揃っていた。




AmazonPrimeにて













レッドプラネット

Red Planet001

Red Planet
2000年
アメリカ

アントニー・ホフマン 監督
チャック・ファーラー、ジョナサン・レムキン 脚本
チャック・ファーラー原作

ヴァル・キルマー、、、ロビー・ギャラガー(エンジニアで整備士)
キャリー=アン・モス、、、ケイト・ボーマン船長
トム・サイズモア、、、クイン・バーチナル(生物工学者)
テレンス・スタンプ、、、バド・シャンティラス(主任科学将校)
サイモン・ベイカー、、、チップ・ペテンギル(火星地球化の専門家。元予備要員)
ベンジャミン・ブラット、、、テッド・サンテン( 副操縦士)
AMEE、、、探査AIロボット


これはSFエンターテイメント映画として、しっかり楽しませてくれる。
ミッション・トゥー・マース」みたいな駄作でなくて良かった(笑。
火星の雰囲気は出ており、なかなか面白かった。

Red Planet006

火星に二酸化炭素の氷を頼みに藻を繁殖させ酸素を発生させテラフォーミングの足掛かりにしようと目論んだら、或るところで.酸素発生率が下がりその原因が地球上では掴めない、ということで有人探査船が火星に飛ばされた。
2050年という近未来ではないか。環境汚染と人口爆発である。ホーキング博士のお勧めでもあり積極的に他の惑星への移住~テラフォーミングの計画は進められていたようだ(他人事ではなくほとんど現在と地続きの世界である)。

困難を乗り越え取り敢えず彼らが火星に降り立った地球人最初の人となる。母船も火災発生でほぼ全壊かと思われたが独り残った船長が優秀なため救われる。SF映画優秀船長賞の投票をしたら彼女のタイトルはかたい。
火星ではハブがすでにロボットによって作られており、何とか乗組員は向かうが、そこも壊滅状態。藻も何処にも見られない。
火星特有の嵐が原因かと思うが、ハブの強度は充分耐える構造を持つものであった。藻にしてもおかしい。
更に宇宙服の酸素がなくなり苦し紛れにヘルメットを外すと何と、地球の高い標高程度の酸素があるのだ。何でもやってみるものだな(良い子はまねしないでね)。着陸時にそれくらい調べなさいよ、と謂いたい。
何故藻が無いのか。ハブはどうして破壊されているのか。何故か薄いが呼吸できる酸素はある。
それらの謎を解かなくてはならない(少なくともその問題は地球に持ち帰らなくてはならない)。だが、彼らの道案内に連れて来たAIロボットAMEEが故障により探査モードから戦闘モードに切り替わってしまい乗組員たちに襲い掛かって来る、、、。
そんな過酷な状況からどうやって任務を果たし帰還するか、というドキドキ満載の作品なのだ。

Red Planet002

AMEEみたいな狂暴なポンコツはいただけないが。優秀なHAL 9000も実に厄介であった。何でAIをそういう設定にしたいのか、、、人間の未成熟、無力さに対する恐れと不安の反転であろうか。
太陽フレアの影響をしっかり描いているのも良い。地磁気の外に出ると純粋な宇宙になる。
ISSや月が舞台ではない。このような事故は想定しておかなければならない。
ついでに2つの月、フォボスやダイモスも見たかった。
火星環境の過酷さ特に気温の差も何気に描けていた。
AMEEが偵察用のドローンを飛ばしまくっていたのも良い。火星の薄い大気でも飛ばせるのだ(実証済みでありNASAも飛ばす計画である)。
更にマーズパスファインダーやマーズ・エクスプロレーション・ローバーも使用したエアバックで着地していた(笑。
人の乗った探査機でよくやったものだと感心する。そうとうな重量であったはずだが。少なくともマーズ・サイエンス・ラボラトリー~キュリオシティよりも重いはず。キュリオシティはその重量からコストを低く抑えられるエアバック着地を断念している。
案の定この衝撃で一番の人格者のシャンティラスが内臓を痛め亡くなってしまう。無謀過ぎた。

Red Planet004  Red Planet003

彼を除くと基本自己中な、いい加減な連中ばかりである。
この面々で探査チームというのもまず最初から何を考えてるのか、というものだが、、、
籤で引いたような人選だと、当然ペテンギルのような輩も入り込みメンバー自ら滅ぶ方向に向いてしまう。
ギャラガーが何とか頑張り、バーチナルがヒロイックな精神に目覚めたところで、船長とギャラガーの2人が助かることとなるが。

火星での過酷さはかなり来るものがあり、ギャラガーがこんなとこ嫌いだとか糞火星めとか言っているのには共感できた。
ここをテラフォーミングなんて、やるだけ無駄に思うが。途方もない時間が必要となるし。
初期に生まれ眠っている固有の生物種を目覚めさせてもどうかと思う。
あの藻を食べ酸素を生成していた連中こそ有用な側面はあっても見た目が狂暴なゴキブリである。わたしは嫌だ。
ハブを完全に食い荒らしたのもその連中である。共生まで持って行くにはハードル高そう。人喰いゴキブリだぞ。
当初は嫌みな生物工学者にみえたバーチナルだが、自分の身を犠牲にして研究サンプルをギャラガーに手渡し華々しく散って行ったのは、最後に大いに株を上げたものだが、こんな犠牲が続くことが懸念される。

Red Planet005

AMEEとエンジニアであるギャラガーの知識と小細工の効いたスリリングでハードな闘いと、船長の絶望的な緊急時における神業的な危機回避術も合わせて見どころであろう。倒したAMEEからバッテリーを抜き取り(序盤でこのバッテリーを祖父が揶揄していた伏線を回収し)打ち捨てられた古いロシアの探査艇に装着して脱出というのも分かっていて充分ハラハラさせる。もう出来過ぎのコテコテシーンではあっても。
そういう部分は、面白かったので良しとしたいが、最後は、如何にもというヒロインとヒーローが助かり結ばれ仲良くご帰還なのだ。
かなり早い時分に、このパタンかもと踏んでいたのだが。
これがアメリカSF映画の限界かとも思った。このペア帰還。
(製作側からこうしてね、という圧力もあるのだろうか)。


観て損はない映画である。





AmazonPrimeにて





















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ポラロイド

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Polaroid
2017年
アメリカ

ラース・クレヴバーグ監督・原作
ブレア・バトラー脚本

キャスリン・プレスコット、、、バード(女子高生)
タイラー・ヤング、、、コナー(同じ高校の男子、彼氏)
サマンサ・ローガン、、、ケイシー(女子高生、親友)
ミッチ・ピレッジ、、、ペンブローク保安官
グレイス・ザブリスキー、、、老女(ポラロイド殺人鬼の妻)


ノルウェー出身の監督のデビュー作だそうで、主演女優もイギリス人であるためか、質感がアメリカ映画ぽくなかった。
邦画のホラーに近い感触なのだ。間があり(ポラロイドの現像時間自体もワクワクの間であるし)薄暗くてコンパクトにまとまっている。
情感も漂い気配で魅せる。マッチョな雰囲気はなく、あからさまなスプラッターがない。
クリーチャーもスタティックにはせず動きと雰囲気重視、狂暴で残酷ではあるが、脂ぎってはいない(笑。
ただ、でかい音でびっくりさせはする。これあまり感心しないが。

主人公のメカオタクの女子高生、SX-70Sという初期ポラロイドカメラを友達からプレゼントされ、喜んでいたのも束の間。
そのカメラで撮った被写体が次々に死んでゆくのだ。その友達も惨殺される。
どうやら被写体の背景に写り込んだ妙な人影が怪しいことに気づく。
この娘、写真にやたら詳しく、アンセル・アダムスやウォーカー・エヴァンスもこの型のポラロイドを使っていたそうな。
巨匠は、ワザと自分の熟練の技術を封印するような機材を使うことはある。
これだともう、シャッターチャンスとフレーミングだけの勝負だ。
その目で、後で彼らの写真集を見直してみたい(ネガと違ってどれくらいもつのだろうか)。

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調べてゆくうちにどうやら写り込んだ人影が殺人に関与していることを彼らは掴む。
何とこの影、写真の中をユラユラと移動するのだ。
そして後から撮った写真にも移動し(写真から写真へと)前の写真からは消え去っている。
つまり前の写真でマークしていた人物は殺してしまったということ。用が無くなれば次の写真にいる人物をターゲットにする。
ありそうで、これまでなかったような。写真上とこの現実を行き来するクリーチャーなのだ。
日本のだと映った被写体が歪んでいるのだが、、、どちらかというとその方が分かり易い。
また気味が悪いし、その写真を焼くと映っている者も燃えてしまう。呪術的(笑。
であれば、破かれると真っ二つになってしまうのだ。
クシャクシャにされれば、3D側もグシャグシャになるというもの。
これが警官とクリーチャーで証明される。
なかなか見せ方が良かった。警官は実に気の毒。

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主人公はトラウマを背負っている。幼い頃、自分の我儘で父が事故死したと。
その時の傷跡が首に残っていていつもマフラーを巻いている。この傷がそのままトラウマを存続させているとも言えよう。特に美容~ファッションに影響する部分なので猶更である。
まあ特に罪悪感を抱くほどのものではない子供ならではの父への要求に過ぎなかったものだが、車が追突してきたことに関しては運が悪かったとしか言えまい。
今回また自分が絡むオカルト殺人が起き、過剰に責任を感じてしまう。
やはり同じバイトの男子から貰ったポラロイドである。責任取れと言われても困る。
しかし殺人ポラロイドというのも実に迷惑としか言えない。

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パパは新聞記者で自分も将来、後を継ごうと思っている。
「パパなら真実を追求する」と言って彼女は果敢に立ち向かう。
暗室生まれのお化けであるから、明るいところと熱の高いところには近づけないことに気づく。
確かにそうであった。スチームで近づけない。明るい時には出て来ない。

新聞記者の娘と言う感じで、資料を調べまくると、昔の猟奇殺人の記事に当たる。
丁度、ポラロイドに彫られたイニシャルの殺人鬼が彼女の学校で写真を教えており、その生徒4人が襲われ3人が惨殺されたと。
逃げおおせた一人の生徒が、今彼らに関わっている警官であった。
その警官も勿論、狙われる身であるが、、、。

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ここに登場する殺人ポラロイドであるが、欧米流にいえば完全に悪魔であろう。
殺人犯の妻の老女が夫に負けず相当なサイコパスであったことも分かる。
つまりこのポラロイドを生んだのは、サイコ夫婦であったのだ。

結局、犯人の娘が事件後に自殺したということから、老女~妻の言ったことは大嘘であり、4人が娘を虐めて死なせ父が怒り復讐したというのではなく、その男の異常な虐待を受け続けていた娘を助けようとした同級生たちを殺し自分も警察に射殺されたがその時にポラロイドカメラを握ったまま死に、そこに念でも移ったのか?それにしても老女の物語にコロッと騙されるところは、まだまだ父に及ばず甘っちょろい。
ともかくミスリードを誘ったかに見えた直ぐ後に正される忙しい展開であった。

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色々と対策を練ろうとするが、決まって感情的になり問題解決を待たずに責任のありかをしきりに問いただす者が出てくる。
これで噺が進まなくなる。
結局、主人公が捨て身の体当たりで、自分を撮ってクリーチャーを呼び出したところで、クリーチャー自身を素早く撮り、そのプリントをもみクシャにして火をつけ燃やす。その時に自分の指も写っていた為、指は失ってしまう。
だが辛くも勝利した。

線の細い主人公が必死に頑張るので、思わず応援してしまう。
これがなかなかそういう気になれないヒロインの場合も少なくないのだが(笑。

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このプリントと現実界の対応システムを抽出できれば、大変な大金持ちに成れそう(笑。
そのクリーチャー自身による呪いであれば、恐らく写真そのものを破ろうが、それ~主体自体に対する効果は無いのでは。
しかしここでは、現像された写真に対する現実界への対応関係に例外はなかった。
ということは、クリーチャーをも内包するひとつのその法則世界がはっきりとあるということだ。
であればそのシステム、まずは軍事目的に使われるはず。
敵国の指導者を撮って(撮るのなんて容易いし)、それを破ればそれまでよ、となる。大変な効率である。
軍事費(予算)も大幅削減し他に金が回せる。
もっともそういうシステムだと相手に分かれば、顔出ししなくなるな。全て影武者。

ともかく、そこそこ面白いホラーであった。



AmazonPrimeにて











マーターズ

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Martyrs
2008年
フランス、カナダ


パスカル・ロジェ 監督・脚本
アレックス・コルテス、ウィリー・コルテス 音楽
ブノワ・レスタン 特殊メイク

モルジャーナ・アラウィ、、、アンナ
ミレーヌ・ジャンパノイ、、、リュシー
カトリーヌ・ベジャン、、、マドモアゼル
ロバート・トゥーパン、、、父親
パトリシア・テューレーン、、、母親
ジュリエット・ゴスラン、、、マリー
グザヴィエ・ドラン、、、、アントワーヌ
ジャン=マリー・モンスレー、、、エチエンヌ
エリカ・スコット、、、10歳のアンナ
ジェシー・ファン、、、10歳のリュシー


この監督のものは「ゴーストランドの惨劇」と「MOTHER マザー」の2作を観ているが、どちらもショッキングな内容ではあったが、本作のインパクトは桁違いであった。途轍もないもので、共感したり感動したり出来る余地がまるで無い。
わたしにとって、ハッキリ言って、全く関係ない人たちの全く関係ない御話であった。

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生理的に怖い。
これまでに観たどんなスプラッターホラーよりも怖かった。
恐らく生理的にどうにも受け付けないヒトはいるはず。
そんな人が映画館で観始めてしまったら、大変なことだ。
わたしは、いつものようにAmazonPrimeで観たが、途中10回は止めて、もうやめようかなと思った(怖。

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流れや展開に、大概の映画なら必然性とか道理を感じたりするものだが、この噺の流れは何でこうなり、こう来るのよ、と絶句するばかり。
何だか分からないが偉く財力のある特殊な研究組織が秘密裏に生贄を使って人体実験を繰り返して来てるのだが、それが何なのかさっぱり分からない。
ともかく残酷で凄惨な試練を被験者に与え続け、死後の世界を生きながらにして観る「殉教者」にさせようとした。
これまでは、殆ど皆、幻覚が見えそれに怯え発狂して死んでしまう者ばかりであった。


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リュシーもその一人であったが、施設で知り合った親友のアンナは酷い虐待を受けながら最後は全身の皮を剥がされ究極的なところまで追い詰められるがそのまま死なず死後の世界を垣間見るのだった。
確かに彼女はリュシー人格の声~メッセージを聴いていて、何をか悟ったのだ。
彼女の異様な目を見てこれまでの者たちとは違う次の世界への覚醒を担当者たちは感じ取る。
知らせを受けた組織のボスであるマドモアゼルは、早速彼女の口元に耳を近づけそれがどんなものか聴き取るのだった。
その後、続々と組織の幹部が屋敷に集まって来て、その報告を色めき立って待つのだ。
「これまでに出た殉教者は4人であったが、ただ一人アンナだけは、その内容を生きてマドモアゼルに伝えたのだった。
皆さん彼女に敬意を払いましょうと、ここで労をねぎらわれてもどうにもならぬが。
待てない者は、マドモアゼルの部屋の扉越しに、死後の世界は存在するのですか、とせっかちに聴く。
彼女は「存在するわよ。でも疑って」と言って部屋でピストル自殺する。

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果たしてアンナはマドモアゼルに何を語ったのか。
死後の世界はとっても素晴らしいものよ、、、的なことを吹き込んだのか。復讐も兼ねて。
あんなに現世的な財と地位を築いた人が積極的にピストル自殺するのだ。その世界を早く観たい、と急くように。
彼らにはキリスト教の物語が基本にあるはずなのだが、それでは物足りないのだろうか。
それはそうだ。もはやパラダイムとして機能していないのだから。
科学信仰がもっとも広く隅々まで行渡っている現代だが、科学では死後は解明出来ない(素粒子論に絡めて説明しようとする学者はいるにせよ)。

だからと言ってこれはないだろう、という地下人体実験である。人権も糞もない。
こんなことをしたら、バチが当たらぬか心配はしないのか、そっちの方が疑問だが、妙に唯物論的なのだ。
だったら、この世で愉しむだけ愉しんで、後はスイッチオフで良いではないか、、、
しかし彼らにとっては、死後も唯物論的な確固たる世界が欲しいのだ。あの世でもゴージャスな生活がしたい。

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何にしても連続性の断たれた「世界」=「無」に関してじたばたしたところで、何がどうなる分けでもなかろう。
意味がない。
誕生も死も突然訪れるものである。
自分の範疇ではない。これこそ自分の責任~意識を完全に超えている。考えの対象ではない。

小5の頃だったと思う。わたしは風呂場で突然、宙吊りになったような不安と恐怖に駆られたことがある。
自分の死後も宇宙がずっと続いて行く映像が鮮明に浮かんだのだ。これほどの寄る辺ない不条理を味わったことが無かった。
観測者であるわたしが前提としてあることで、初めて宇宙~表象が可能となるのに、そのわたしが消滅した後にも、存在する、ということは何において存在するというのか、そのことに立ちすくんだ覚えがある。

その後、長じるに従い死について考えることは無くなった。
わたしの問題ではないからである。
知ったことではない。


AmazonPrimeにて













私は告白する

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I Confess
1953年
アメリカ

アルフレッド・ヒッチコック監督
ウィリアム・アーチボルド脚本
ポール・アンセルム『Nos Deux Consciences』原作

モンゴメリー・クリフト、、、マイケル・ローガン(神父)
アン・バクスター、、、ルース・グランドフォート(国会議員の妻、かつてのローガンの恋人)
カール・マルデン、、、ラルー警視(担当刑事)
O・E・ハッセ、、、オットー・ケラー(ローガンの使用人)
ドリー・ハース、、、アルマ・ケラー(オットーの妻)
オヴィラ・レガーレ、、、ヴィレット弁護士(ローガンとルースの件で恐喝をはたらく)


ヒッチコックがいきなり画面を過る。大胆な出方だ(笑。
カナダのケベック州が舞台。
戦争から戻り敬虔な神父となった男が冤罪によって起訴され追い詰められてゆく波乱のドラマである。
告白して、その罪を相手の神父に被せて逃げるとは、凄いてだ。キリスト教の隙を突いたやり方か。
ホントにこの場合、神父はどうにもならないのか。告白された内容は他言できないものなのか。それが犯罪捜査に直結しようと。
それにしてもこの犯人、とりわけ夫婦で故郷を失って来たところを親身に世話をやいてもらった身でありながら、、、
家と仕事まで世話をしてもらっており、最も信頼できるということから、罪も被せられるに転換できる心性とは一体どういうものなのか。(日本流に言えば、まさに恩を仇で返すとなろうが)。

I Confess002

これは時代も国も関係なく何処にでも起こり得る人間の断罪欲望の物語でもある。
特にここでは、起訴された人間が神父であり、殺された人間がその神父とかつて恋人であった婦人を恐喝していたことから動機が疑われるものであった。しかも強盗殺人の犯人である使用人が神父に不利な時間(女性から相談を受けていた時)に法衣を着て犯行に及んだのである。
下衆の劣情を刺激するネタ~部分に飛びつき勝手に物語を膨らめたい輩共。
うんざりするほどこのては(身近でも許し難い糞屑を)見て来たが、古今東西の人間の性ともいえよう。
この時分からマスコミとそれに乗っかった野次馬のパワーを見せつける。
裁判の判決で陪審員から証拠不十分で無罪とされたにも関わらず、、、裁判長はこれに不服の含みを持たせる、、、
法廷を出てすぐにとり囲まれ民衆にもみくちゃにされる神父。「神父をやめろ~」これには真犯人の妻も居た堪れなかった。
それはそうである。多少の良心と理性が働けば黙ってはいられなくなるというもの。
(勿論、しめしめと黙って見物を続ける輩もいるものだが)。

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もう何度となくこういった文は映画の内容にかこつけて書いては来たが、要するに人は下らない自己実現欲求からも人を罪人に仕立て上げ、ある種の達成感と優越感に浸りたいのだ。
何やら手頃な批判対象を見つけるとすぐさまそれまで何の関係もなかった(考えてもみなかった)人物を誹謗中傷しまくる。
メディアで煽られれば即ゴーサインとなるのだ。
こういった心性はいやほど見て来た。
今更どうというものではない。

しかしこの映画での(祖国を失った)ドイツ移民の夫婦である。
特に夫は、何故誰よりも親身になり自分たちの生活の世話をしてくれた神父に罪を擦り付けることが出来たのか。
告白したのだからあなたは誰にも真実を話すことは出来ない。
つまり教会システムを逆手にとって神父を脅迫しているのだ。
一番の味方(庇護者)であり理解者でもあった対象に有罪となれば死刑もあり得る罪を被せる行為が、告白したのだから誰にも言えないはずというルール上で出来てしまうというこの心性は、奇妙で病的としか思えない。
自分が罪から逃れるのみならず相手を殺人罪~有罪に陥れようとしていることを、分かってやっていることが異様なのだ。これは、恐らく自分(たち)が受けて来た不遇(迫害)の人生において本当にこちらの為に身を挺して庇ってくれる人がいるかどうかのひとつの賭けに出ているのだろうか。そういった面から謂えば宗教的な感もある。
そしてもしわたしの告白を刑事に告げたら、あなたも他の人間同様の臆病者に過ぎない、腰抜けだ、などと恫喝する。
いやその強がりより「あなたは、一人ぽっちだ。友達はいない」と続く言葉がやけに気になった。
つまり人間として、ひとり真実を抱え持って逝く孤独と一人ぽっちという亡命者である自分を重ね同一視しているのか。
わたしもあなたも同じなのだと、謂いたいのか。

過去にわたしの身辺にも似たようなモノが少なからずいたことを思う。

I Confess003

今回は、犯人の奥さんが無罪で裁判所を出ても人々の非難の下でリンチにかけられているような様子に耐え切れず、真実を話しに駆け寄ったところを夫に撃たれて死んでしまい、そこですべてが判明することに。
この夫は、向かいのホテルに逃げ込み、最後の最後まで、神父に向い刑事にわたしの告白を伝えたのかどうかを銃を片手に逃げながらしつこく問いただすばかりであった。
ここに徹底して拘り続けるものがあるのだ。最愛の妻を撃ち殺し、自分の罪を逃れること以上に。

I Confess005

考えさせられる映画であり、相変わらず見事な展開の作品であった。
ヒッチコック映画はいつもヒロインが目立つが、この映画でもそうだが、むしろわたしは犯人の奥さんの女優の繊細な感情を表す演技に惹かれた。



NHKBSにて


















”Bon voyage.”

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地球が静止する日
宇宙戦争
トランス・ワールド
ロボット
ヴィデオドローム
イグジステンズ
マイノリティ・リポート
フローズン・タイム
マザーハウス 恐怖の使者
EVA
ベイマックス
ファースト・コンタクト
ファースト・マン
13F~サーティーン・フロア
あやつり糸の世界