死霊館

The Conjuring
2013年
アメリカ
ジェームズ・ワン監督
チャド・ヘイズ、ケイリー・W・ヘイズ脚本
ヴェラ・ファーミガ、、、ロレイン・ウォーレン (霊能力者)
パトリック・ウィルソン、、、エド・ウォーレン (悪魔研究家、ロレインの夫)
リリ・テイラー、、、キャロリン・ペロン (ペロン夫人)
ロン・リビングストン、、、ロジャー・ペロン (キャロリンの夫)
シャンリー・カズウェル、、、アンドレア・ペロン(長女)
ヘイリー・マクファーランド、、、ナンシー・ペロン (次女)
ジョーイ・キング、、、クリスティーン・ペロン (三女。霊が見える)
マッケンジー・フォイ、、、シンディ・ペロン (四女。夢遊病)
カイラ・ディーヴァー、、、エイプリル・ペロン (五女。霊が見える)
シャノン・クック、、、ドルー (エドの助手)
ジョン・ブラザートン、、、ブラッド・ハミルトン巡査 (ハリスヴィル署警官。ウォーレン夫妻の調査と除霊を手伝う)
スターリング・ジェリンズ、、、ジュディ・ウォーレン (ウォーレン夫妻の娘)
「死霊館」という名では「死霊館 エンフィールド事件」というのは以前観た。
監督もいっしょだ。
今回観たモノの続編だったらしい。しかし続編を先に観た後にこれを観ても別に何の差し障りもない。
独立した悪魔モノとしてしっかり堪能できる。
完結したものとしてどちらもよく出来てるし。
(それ以前に傑作”SAW”の監督だ)。
安定した作りの映画でどっしりと観られた。怖い所でしっかり怖いが、スプラッターやデカい音や怖い顔で脅かすような安易な所はない。話の流れや展開、透視~出現~撮影を通して不安や恐怖を齎せたり間もうまく使われていた。
確かに悪霊の顔は怖かったが、悪霊としては標準的であり特に狙った感はない(笑。

バチカン公認の超常現象研究家エド&ロレーヌ・ウォーレン夫妻の凄まじいエクソシストの実体験の場面を描いたもの。
1971年の(有名な)事件だという。当時の音楽が流れ雰囲気が懐かしいというか、、、。
古い家を競売で手に入れたペロン家に降りかかる得体の知れぬ恐怖。夜中の物音、閉めたドアが開いており、、、などに始まり。
怪現象に悩まされ子どもたちが怯え、ポルターガイスト現象も起きるに至り、ペロン夫人はウォーレン夫妻に縋りつく。
関わったその家はこれまで経験したことの無いほどの強力な悪霊が支配していた。
しかし透視能力はくれると言われても欲しくない。
あんな化け物がいくらでも見えてしまうなんて生きた心地がしないではないか。
妻は命を削って悪魔と対峙していると夫のエドが言っているのはよく分かる。

相手は所謂、悪魔である。
悪魔は人形などを通して人を支配するという。
ここでは家自体にも取り憑いている(しかも複数)。
しかし悪魔の目的は飽くまでも人なのだ(しゃれではない)。
(だからこの家は不気味だからと言って引っ越してもすでに遅い。ターゲットはロックされるのだ)。
悪魔のやり方は、専門家エド・ウォーレンによれば、、、
1.まず存在を知らせる。壁とかを叩く音。悪臭。足を引っ張る。痣を作る。犬を殺す。鳥を操り家にぶつける、、、等々。時計の針を3時7分で止めるのもあった(これは専門家が調べないと意味は分からない。つまり呪いの主が死んだ時刻だと)。
2.攻撃する。もう引きずり回す。ぶん投げる。など凄いパワーのあることが分かる。まともにやり合ったらたまったものではない。熊と闘うようなものか。そして心身ともに対象を脆弱にさせる。そりゃなるでしょ。
3.憑依する。目的を達成する。人に取り憑き完全支配することを最初から狙っているのだ。
「一家全員殺すぞ」という場合は、まずは母に乗り移って彼女の手で順番に子供を次々に殺害させるものにもなる。
これはもっとも残酷なやり方であろう。ペロン夫人が魔女バスシーバに憑依されまさにこの流れとなった。
悪魔的。まさに、、、。

ウォーレン家にはこれまで除霊した際にそこの悪魔が器として使ったアイテムが全て大事にコレクションされている。
戦利品かと思いきやその器ごと封印して保管管理しておいた方が安全だからということらしい。
成程と理解はしたが、これって非常に危ないコレクションルームではないか。
何かのアクシデントが起き、一つ間違ったらそこから悪魔たちが解放されて束で悪さを始めてしまうではないか。
管理責任は半端では無かろう。
その割に娘のジュディが忍び込んで遊んでるではないか、、、大丈夫か。
わたしも色々なものをコレクションしているが(コレクション体質なので)、アナベル人形などを飾っておくのはご免だ)。
日本の甲冑があったのが気になったが、、、この人たち日本にも除霊に行っているのか?
バチカンの指示を仰いでエクソシズムを行ったというのか、、、ラテン語を唱えて平家の怨霊とか退治できるのか。
面白いと謂えば面白過ぎるが、たぶんそれは無い。耳なし芳一にでも頼むしかあるまい。
欧米の人がこれを観るのと日本人とでは、やはり感覚的に違ってくると思う。
勿論、個人差は何処にでもある上での質的な落差であるが。
キリスト教を強く感じてしまう映画はあるが、これもその一つだ。
この除霊にかける献身的な身を捨てた救済行為にもその宗教性を感じる。

日本の場合、化け猫とか言ってもかつて酷い目に遭わされたモノやその末裔に至る系に対して恨みを晴らすというターゲットの絞られたものが主であるが、キリスト教系のモノは偶々出逢ったモノがターゲットにされることが多い。それに取り憑き好き勝手を働きズタズタにされ殺されたりしている。勿論一族に対しての呪いというのもあったが、、、その過程でキリスト教を侮辱するような行いをしてゆくという、やはりキリスト教のパラダイム内の物語に収斂するものである。
(そういえばルドルフ・シュタイナーを読んでいた時に、7代先の子孫へのカルマの影響等も語られていた。そうした部分もあるのだろうが)。
しかし、ポルターガイストというの、ホントにあるの?
必ずと言っていいほどこうした映画にはその現象が出て来るが、そこが俄かに信じられない。
わたしはモノがひとりでに動くところなど見たことない。風も無く。
神も天使もそう。
キリストや釈迦は確かにいたのだろうが。

このペロン家のキャロリンお母さんがほとんど身体を乗っ取られそうになり、悪魔の力に翻弄され愛娘を寸でのところで手に掛けそうになったところで、何とか踏みとどまり自分を取り戻すところはタップリとドラマチックであった。
きっとホントにこんな感じであったのだろう。実際飛んでも無く大変な事件であったらしい。
ウォーレン夫妻をはじめ周りの人々の身体を張った救済活動の賜物であるが、キャロリンが以前にロレインに語っていた、これがわたしの宝~家族よ、と言って見せた海辺で撮った「家族写真」が大きかった。その記憶が。
あの海辺でのあなたの大切な家族のことを思い出して、というロレインのことばで母は最終的に悪魔を振り切った。
この純粋な想いこそ古今東西において不変で普遍的なものである。結局ここで決まるのかも。
そうした想いの記憶装置はやはり大きい。何にしても呼び出すものである。”The Conjuring”
そのアイテムは重い念も籠もるはずだ。
やはり保管管理も重要な仕事となろう。良い意味でも悪魔のものであっても。
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