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GOMA28

Author:GOMA28
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エセルとアーネスト ふたりの物語

Ethel Ernest001

Ethel & Ernest
2016年
イギリス・ルクセンブルク

ロジャー・メインウッド監督・脚本
レイモンド・ブリッグズ原作
カール・デイビス音楽
エンディングテーマ ポール・マッカートニー

声:
ブレンダ・ブレシン、、、エセル(母)
ジム・ブロードベント、、、アーネスト(父)
ルーク・トレッダウェイ、、、レイモンド・ブリッグズ(息子)

Ethel Ernest004

淡々と描かれた作者の両親のアニメーションによる物語であり、彼らが結婚前に母がメイドで父が牛乳配達を手押し車でやっていたころから物語は始まる。
あくまでも息子の目から見た両親であるが、愛すべき人物として再現されている。
きっと彼にとり良い両親であったことは疑いない。
アニメーション自体とてもシンプルで、絵に過剰な主張がないところに好感を持つ。
噺に感情的な煽りが一切無い。
これといったドラマはないとは言え、描かれた生活(感)の密度は高い。

Ethel Ernest005

ともかく、興味を覚えたのが、エセルとアーネストの新婚の家である。
ちょっと広めで自由なレイアウトの利く、とても愛着が沸き住みやすそうなところなのだ。庭がまた色々といじれて良い。
お隣の奥さんとの意地の張り合いも面白い(いや一方的にエセルが見栄を張っているだけか)。
何より家の中の家具や電化製品の移り変わりが見ていて楽しい。
特にテレビが大きくなってゆくところなど、、、。
アーネストの日曜大工もなかなかの腕前である。

Ethel Ernest003

家の中が電化され電話が入りTVが入り映画館みたいだねと喜び、緑のセダンが手に入りドライブに二人で出かけてゆく、、、
父が電気自動車で相変わらずの牛乳配達。母が事務職の共働きだが生活の質は十分なもの。
その間、待望の息子が授かり、戦争で一時彼が田舎に疎開するときは寂しがるが、彼の成績も良く試験に合格する度に喜んで自慢しているところなど微笑ましい。
だが学校をやめ美術学校に入ると言ってからは夫婦で落ち込んで心配する。将来仕事に就けるかと。
息子の考えは理解できないが、全てをありのままに受け容れる。それが親であることを知っているのだ。
流行りの姿のむすこの彼女にも心配する。教会で結婚しなかったことや彼女が統合失調症だと知らされ更にまた心配はする。
新聞ラジオの情報から戦争や息子の将来に一喜一憂しながらも、結局全てをかれらなりにしっかり受け止め、夫婦仲よく平和に時が過ぎてゆく。
味わいある平凡な暮らしが心地よい流れで描かれていた。

Ethel Ernest006


戦前、戦中、戦後を通して描かれる両親の長い物語だが長さを感じさせない。
特別なことはないが愛情が基調にあることで、時折起こる小さな言い合いも意見の相違も、優しい空気の中に溶け込んでしまう。
終始美化も誇張もせずに客観的に丁寧に描写されていることが実感された。
このアニメーション制作に9年をかけていることからもこれにかける情熱もじわっと伝わってくるものだ。

Ethel Ernest002

最後は母は認知症で夫のことすら分からなくなり衰えて亡くなる。
ほとんど一心同体のような夫婦であったことから父の落胆も大きい。
同じ年に一人残された父も後を追うように亡くなる。

ポールマッカートニーの曲で締めくくられ、何やら力みの抜けたレイドバックした気分になった。
そう、もっと等身大の日常に密着してゆったりと生活を楽しむことである。
6月からはそうしよう(笑。





AmazonPrimeにて















ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

Godzilla King of the Monsters001

Godzilla: King of the Monsters
2019年
アメリカ

マイケル・ドハティ監督
マックス・ボレンスタイン、マイケル・ドハティ、ザック・シールズ脚本
東宝株式会社 原作
[ALEXANDROS]「Pray」主題歌
ベアー・マクレアリー音楽


カイル・チャンドラー、、、マーク・ラッセル博士(元モナーク研究員)
ヴェラ・ファーミガ、、、エマ・ラッセル博士(モナーク研究員)
ミリー・ボビー・ブラウン、、、マディソン・ラッセル(ラッセル夫妻の娘)
ブラッドリー・ウィットフォード、、、リック・スタントン博士(モナーク研究員)
渡辺謙、、、芹沢猪四郎博士(モナーク研究員)
サリー・ホーキンス、、、ヴィヴィアン・グレアム博士(モナーク研究員)
チャン・ツィイー、、、アイリーン・チェン博士 / リン・チェン博士(モナーク研究員、考古学者)
チャールズ・ダンス、、、アラン・ジョナ(環境テロリスト)
トーマス・ミドルディッチ、、、サム・コールマン(モナーク研究員)
アイシャ・ハインズ、、、ダイアン・フォスター大佐
オシェア・ジャクソン・Jr、、、ジャクソン・バーンズ海軍兵曹長
デヴィッド・ストラザーン、、、ウィリアム・ステンツ大将


あまりの完成度の高さに思わず唸った。

Godzilla King of the Monsters005

伊福部昭が作曲した「ゴジラのテーマ」もしっかりBGMに融合されていた。
またエンディングでは、ブルーオイスターカルトの名曲「ゴジラ」がかかる(その後は最近流行りの[ALEXANDROS]の曲か)。
本作は、ハリウッド「ゴジラ」三部作の2番目の作品である。
前作に比べ一番大きな違いは怪獣がやたらと出て来てものすごい死闘を展開すること。しかしその構図は、全人類及び全怪獣の敵キングギドラが相手なので、すっきりしている。だが、第三部はアメリカの英雄コングが相手である。完全なアウェーでゴジラはどうするのか。まあ、その最終作でも我らがミリー・ボビー・ブラウン(マディソン)がついているから大丈夫だと思うが(しかも吹き替え版では我らが芦田愛菜が声の担当である)。
前作「GOZZILLA ゴジラ」が非常にリアリティある格調高い傑作であったが、その基本スタンスを継承して更にアクティブ(人も怪獣も)なものにしている。
ともかくちょっと見て直ぐに思うのは、どんだけ金かけているのか~っというもの。
惜しみなくかけて作った絵である。間違いない。流石ハリウッド。キャストも皆、粒揃い。

Godzilla King of the Monsters008

前作をよく覚えていれば、更に見応えも増すと思うが、わたしは映画全体の質感や構図、雰囲気が残っているだけ。
ゴジラそのひとについてはかなり記憶が残っているが、人についてはほぼ忘れてしまっている。
続いて出ている人もいるため、その辺も含めもう一度観ておく方がよいかも。
ただし、人関係よりゴジラと怪獣たちの関係を観れば充分かも知れない。
この関係性を保証する構図が前作とほぼ同じなのだ。
(人と怪獣の距離感が正確無比。これがこの映画を格調高いものにしている。更に加えてVFXの質である)。

Godzilla King of the Monsters004

ゴジラはもう威風堂々とした地球生態系の王といったところ。
モスラはそれは美しい光の鱗粉を纏う女王然とした姿。日本のオリジナルモスラを超えた輝かしい存在へと昇華していた。
ラドンは鋭くクールでひたすらかっこよい。メキシコの火山が住処であることを知った。火の鳥である。
そして地球外怪獣キングギドラの憎たらしいこと。全怪獣を見渡してみてもこれ程の外道はいまい。
ゴジラやモスラがあまりに武士のようだから、余計にそう思う。真ん中の首がリーダーであることが分かった。
ともかくフィギュアの造形と特有の動きはもう極まったと言ってよい。
これ程よく出来たゴジラとモスラとラドンとキングギドラはこれまでに見たことがない。
本物そっくりの彼らを観た。イデアそのものを目の当たりにした。

Godzilla King of the Monsters003

Godzilla King of the Monsters002

そして何よりもヒロイックでかっこよいのが渡辺謙(芹沢猪四郎博士)である。
彼の出演したハリウッド映画の中でも一番、クールかも。
彼とゴジラの死をかけた交感は実に感動的であった。まさに彼こそが武士である。
そして出色なのは、ミリー・ボビー・ブラウン(マディソン)という存在。ガメラにおける藤谷 文子に当たる。
(だが藤谷はすでに中年女性であり、この立ち位置~役は残念ながらもう無理である)。
マディソンの凛とした瑞々しさは圧倒的であった(そして吹き替えが芦田愛菜では最強タッグであろう)。
この映画一番の熱演であったかも、、、今後間違いない注目女優である。
三作目の『ゴジラvsコング』にも同じ立場で出ているという。当然、見逃せない。
それからザ・ピーナツの代りは、チャン・ツィイー演じるアイリーン・チェン博士 / リン・チェン博士の双子となる。
しっかり全てを継承したそつのない構成でもある。ただし、双子の姉妹の活躍はなかった(カットされていた)ここが残念である。
とてもアイリーン博士は重要な役柄であったが。

Godzilla King of the Monsters007

この映画、人と怪獣、怪獣同士の関係が描かれるが、全くワザとらしかったりチープな部分が無い。
本がよく練られている。金が有効に存分にかけられている。
特務機関モナークとオルカなどの組織やガジェットの細部に至るまできっちりと描き出されている。
オキシジェン・デストロイヤーの出るタイミングも言うことなし。これで更にギドらの異物性も際立ち、盛り上がるというもの。
オルカを操るマディソンの選んだ野球スタジアム、ゴジラが身体を癒すために潜む海底の空洞にできた場所~ゴジラの家。
ホントにリアルで壮大なドラマとして堪能できるものだ。
そして最後の対決において、ゴジラが何段階にも破壊力~危険度を上げてゆくその際どさが凄まじい。
彼らのこれまでの対決の中で最高の死闘であった。また演出が上手い。
美しいモスラの復活にも期待したい(卵があったはず)。

Godzilla King of the Monsters006

アラン・ジョナがキングギドラの首を闇の組織?から買ったことでそれをどう利用して災厄を招こうとするのか、、、またキングギドラ(の頭)が何らかの形で関わってくるようだ。その不吉な余韻の中で二部は締めくくられる。
ゴジラにとって相当大変な完結編となりそうだ。




民放TVより











メイジーの瞳

What Maisie Knew002

What Maisie Knew
2012年
アメリカ

スコット・マクギー 、デビッド・シーゲル監督
ヘンリー・ジェームズ原作
ナンシー・ドイン キャロル・カートライト脚本

ジュリアン・ムーア、、、スザンナ(母、ロックミュージシャン)
アレクサンダー・スカルスガルド、、、リンカーン(バーテンダー、メイジ―の父代わり)
オナタ・アプリール、、、メイジ―(幼い少女)
ジョアンナ・バンダーハム、、、マーゴ(元ベビーシッター、メイジ―の母代わり)
スティーブ・クーガン、、、ピール(父、画商)


「メイジーの知ったこと」
色々、知っただろうね。
幼くして。
この子役さん。恐ろしいことに、眼の演技が出来る。
(日本では芦田愛菜か)。

What Maisie Knew005

親で苦労する子供は多い。
そして恐ろしいことは、それが何代にも渡り(この関係性の遺伝子が)引き継がれることも少なくない。
(本題から逸れるので、この件についてはまた違う場所でトクトクと語りたい(爆)。

この子の幼年時はどうだったんだろう、と思いを馳せてしまうところである。
この夫婦が今と違う意識~生活スタイルであったわけがないし、この関りであれば、結構厳しい愛着障害は考えられる。
それから今~少女期は将来の自立に向け自尊心を何よりしっかりもたなければならない。
言葉だけの愛してるわよで用が足りるとでも思ってるのか。実際は自分たちの都合だけで子供を振りまわしているに過ぎない。
子供の前で大喧嘩を繰り返し、結局離婚するが、親権を巡っての泥沼の裁判が続く。
娘は日毎にあっちに行ったりこっちに来たり。だがその日を忘れたり都合で迎えに来なくて空白を彷徨ったりする羽目に。

What Maisie Knew006

親は子供を犠牲にしてやりたいようにやっているに過ぎないことがよく見て取れる。
飽くまでも自分主体。子供は所有物。子供の他者性を見ていない(大概、変化に気づかない)。
自分の都合~気分で猫可愛がりしてみたり助けが必要な肝心な時にほっぽらかしてみたり。
子供に対する気持ちは、子供の人格・主体を尊重したものでは微塵もない。
単に自分の気持ちを一方的に押し付けているだけ。「あなたを愛してるの~、大切なの~」だったらそのように実際に接してみろ。
こういうのを所謂、毒親という。
(しかし冷酷非道なうちの親より遥かにましであるが、、、積極的な虐待はない。一番マズイ言葉による虐待を恒常的に受け続けると確実に脳を壊される。しかしネグレクトも立派な虐待に入る)。

What Maisie Knew007

オヤジはいい加減なことに、ベビーシッターの綺麗な娘をたぶらかし(結局妻とし)、メイジ―の送り迎えや身の回りの世話を焼かせるが、それを当然と思っている。マンションの部屋の鍵も渡さずに彼女は部屋に入れず困り果てたり、、、。
親権を争っている身でありながら娘の世話は全て彼女に押しつけっぱなし。
どれほどマーゴが苦労しているか全く想像すらしない。当然労いもお礼もない。
仕事で忙しいなど勿論、理由にならない。
それで養育できないなら親権を潔く手放すべきであろう。
時折、娘と顔を合わせた時だけ調子のよいことを言って、その場限りのご機嫌取り。
こんな出鱈目が許されるか。

What Maisie Knew004

母親も若い親切なバーテンダーをたぶらかし(結局夫とし)、メイジ―の送り迎えや身の回りの世話を焼かせるが、それを当然と思っている。スザンナとピールは似たもの夫婦ではなかったのか。子供を持たなかったら結構上手くやってただろうか。いや、相手にだけはやたらと望むことが大きい自分勝手な輩なのだろう。きっと。破局は当然だったか。
更に質の悪いことに、この女、赤の他人であるメイジ―に馴染もうと一生懸命彼女の興味に寄り添う姿勢を見せるリンカーンに対し怒って彼を遠ざけるのだ。この所有欲~独占欲は何なのだ。夫婦となり家族として生活を営むのなら、新しい父が子供と上手くやっていけなければ崩壊ではないか。何を考えているのか。結局自分が娘を預かる期間にツアーなどを入れてしまい彼は困り果て、敵側のマーゴに助けを求めに行く羽目となったり、、、。そして突然、帰国していても彼に連絡も入れなかったり、、、これで完全にリンカーンは彼女に愛想を尽かす。

マーゴもピールに当然の如く憤り、出て行ってしまう。
しかし結局、メイジ―をどちらの親もどうにも出来ず、この若い親切なふたりの男女に任せることに、、、。
だが普通ならどちらの男女もいい加減にしろと、怒ってそんなことに一切関わらないはずである。
だが、この2人は何とも愛情深い人格者であった。
悪いのは親であってあなたではない、と全面的にメイジ―を受け容れることに。

What Maisie Knew001

この赤の他人の2人が終始、メイジー自身を尊重して接していた。
しかし実際にこんなに若くてここまで出来た人はそうはいまい。
少なくともわたしの生育期における身の回りの人間にはいなかった。絶無。
この子は物凄くラッキーである。
それにこのイケメンお兄さんと美人のお姉さんがとてもお似合いカップルときている。
二人ともメイジーをよく観て接してくれる。新たな愛情たっぷり家族の形成ではないか。
言うことなしではないか。
しかしこれはお伽噺だ。こんな完璧な赤の他人の保護者なんてどこから出て来るというのか。それこそ魔法が必要である。
最後はマーゴの従妹の売り家に三人で住む事に。売り手なんかなかなかつかないわよ、という危なっかしい生活基盤だが、取り敢えずこの保護者がいてくれれば何とかなる。
救われる。
それでも実の両親に捨てられた外傷経験は深く抱え持ってこの2人と共に生きてゆくことになる。
最後の最後にそれを眼で表現している。この子役、恐ろしい。






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イノセント 15

INNOCENT15 002

INNOCENT15
2016年


甲斐博和 監督・脚本

小川紗良、、、佐田成美(中学生)
萩原利久、、、岩崎銀(成美の心を寄せる同級生)
宮地真緒、、、佐田律子(成美の毒母、主に暴力虐待)
山本剛史、、、岩崎大道(銀の父、同性愛者)


如何にもインディペンデントから出されたという感じの独特の映像だ。
絵も語り~音もキャストも、、、皆、その味が出ている。

INNOCENT15 004

暴力を振るう母と愛人の暴力男の出入りする家の娘。学力があるのに高校に行けるかどうか分からない。
水商売にでも出ろと、母親が参考書をトイレに流してしまう。
暴力による虐待が常態化している。
片や父子家庭で父が同性愛者であることを知って動揺し混乱する息子。
「この人が父さんの好きな人だ」って急に言われても、、、イデオロギー的な意味での是非ではなく、飽くまでもこれまで阿吽の呼吸で分かり合えていたと思っていた父の他者性にぶち当たった驚愕と戸惑いである。生理的拒絶から相手の男性をバットで殴り大怪我を負わせてしまう。
2人がそれぞれに居場所を失うに従い接近し、這い擦って逃避するような光景が痛々しい。

INNOCENT15 001

ここには基本、弱者しか出て来ておらず、そのなかでの権力抗争かと言えば、まともに激しくぶつかり合うでもない。
ことばで整然と自分の思い、考え、立場を主張する分けでもない。
ズルズルと現状が維持され引き延ばされてゆくだけ。
上下関係は変わらず、時折踏み外すと暴力は受けるが、ぼやけた空間を宛てなく蠢くばかり。

あからさまな意思による抵抗とか妨害は入るわけではないが彼らにとり、老婆のシニアカーの通行妨害によってバイクで大怪我をしてしまったりと、、、どうにもならない不可抗力のような禍に外界は充ち満ちているのだ。
この泥沼に何らかの道理や論理による解決など望むべくもない。
ただ居心地の悪いヒリツク世界にわれわれは辛うじて生きているのだ。
このもやもやとした認識のなか、彼らは深手を負い血を流しながらも起こしたバイクにまた乗り突っ走って行く。

INNOCENT15 003

安全な場所は何処にもない。
しかし目の覚めるような場所もない。
どこもかしこも不明瞭で不確かで、寄る辺ない身で漂い続けるしかない。
そんなやりきれないリアルがここに切り取られている。

ハリウッドから最も遠く離れたところの映画だ。
だが現実のわれわれに、ビビッドで心躍る波乱万丈なドラマなどあるか。
そのような虚構に酔い痴れている余裕などあるか。
しかしこのような映画でわれわれの生を再確認してみてそれでどうなるというのだろう。
相変わらず、誰にも救いなどないのだ。

更にそれに加え、15歳と来た。
人として最も困難で苦しい時期ではないか、、、。
思い出したくもない。


INNOCENT15 005
女優(主演)だけでなく長編映画を監督している小川紗良
リバーズ・エッジ」にも脇役で出ていたみたい。
この作品も「リバーズ・エッジ」に通底するものはある。

監督として、、、
「あさつゆ」2016 主演・監督・脚本・編集 (早稲田大学一年の時のもの)
「BEATOPIA」2017 出演・監督・脚本・編集
「最期の星」2018 監督・脚本・編集
「海辺の金魚」2021 監督・脚本・編集

ちなみに本作は、初主演映画 他に映画出演は、、、
「みんなでいこう」2016 愛美 役
「聖なるもの」2018 主演
「ウィッチ・フウィッチ」2018 主演
「さかな」2018 山下ゆかり 役
「ビューティフルドリーマー」2020 主演

「海辺の金魚」小説も書いている。
「ちえりとチェリー」絵本の絵も描いている。
その他、書評など幾つも書いている。

TVドラマでは、、、
NHK連続テレビ小説「まんぷく」、「フォローされたら終わり」、「アライブ がん専門医のカルテ」などに出演。
CMも沢山。「東京海上日動あんしん生命保険」は今現在続いているもの。

趣味でピアノで作曲。ジャズトランペットを部活でやっていたそうだ。

INNOCENT15 006

凛としていてマルチな才能をもったアクティブな人である。
玄人受けもよいようだ。
是非、彼女の監督作品を見てみたい。
「最期の星」2018がまず見たい。どこかで見られないものか、、、

昨年8月31日までYouTubeで無料配信していたらしい。
情弱であった。勿体ないことをした。
これからドンドン出て来る人だと思う。
作品が出たら直ぐに観たい。






春夏秋冬そして春

Spring002.jpg

봄 여름 가을 겨울 그리고 봄  Spring,Summer,Fall,Winter,and Spring

2003年
韓国、ドイツ

キム・ギドク監督・脚本
キム・ヨンイム「アリラン」歌

オ・ヨンス 、、、老僧
キム・ジョンホ 、、、子供
ソ・ジェギョン 、、、少年
キム・ヨンミン 、、、青年(少女と恋に落ちる)
ハ・ヨジン 、、、少女(青年僧と恋に落ちる)
キム・ジョンヨン、、、青年(殺人を犯し寺に戻る)
チ・デハン、、、刑事
チェ・ミン、、、刑事
キム・ギドク、、、新しい僧(刑務所を出所した僧)


レッド・ファミリー」の監督。本作では一番大変な(特に体力的に)役者としても出演している。


山奥の静謐な水上の庵が舞台。

厳かで神聖な美しさに満ちた場所。
和尚様と幼い男の子が修行をしている。
この幼子の春夏秋冬を巡るひとりの男としての生きざまを描く。

Spring001.jpg



幼い子供時代、彼は魚とカエルと蛇に悪戯をして魚と蛇を殺してしまう。
和尚様は、この殺生を彼に反省させようとする。
(和尚様が何時も着かず離れず彼を見守っているところは、保護者~指導者として素晴らしい)。
言葉によってではなく、同じように身体に対して小動物に対して行ったのと同様の罰を与える。
彼の身体に石を括り付け、3匹の動物を探し出し、助けてやるように指示するが、もし一匹でも死んでいたら生涯お前の業となって苦しむことになるであろうと告げる。
結局、これは彼にとり宿命的な予言となった。

Spring003.jpg



すでに幼子は青年となり、寺を養生の為訪れた少女に恋心を抱く。
仏に仕える身でありながら、大胆に心の病で寺に預けられた少女と逢瀬を続けるようになる。
ある時、船の中で抱き合う二人はお師匠様に見つかってしまう。
この際、和尚様はこれまでのように言葉で叱責するのではなく船を浸水させるところが面白い。
水に気づいた男女は慌てふためく。
欲望は執着に繋がり、やがて殺意と変わるであろう、と諭されふたりは別れる。
娘は去ってゆき、やがて若い僧も修行を捨て出奔し街に暮らすことに、、、。
その際、青年は菩薩像を盗んでナップザックに入れて立ち去る。

Spring007.jpg



青年は妻に裏切られ、彼女を殺害し追われる身で、怒りを抱えたまま寺に戻ってきた。
和尚様は、事前に新聞記事でそれを知っているが、平常心で彼を迎える。
彼を以前したように身体に直接訴えかける修行を課し、怒りを追い払う行にあたらせる。
そして最後に寺の前に和尚様が般若心経を筆字で記し、その上から彼にナイフでなぞり彫らせる。
(おそらくこのナイフで裏切った妻を刺し殺してきたのだ)。
刑事がやってきて彼を逮捕しようとするが、和尚様は般若心経を彫り終わるまで待ってくれるよう頼む。
大変な苦行が夜を徹して続いた。
彼が全ての文字を彫り終わり、崩れこんで眠ると和尚様と二人の刑事が彫った窪みに絵の具を塗ってゆく。
かつての弟子が逮捕され船で刑事に連れてゆかれるのを和尚様は見守る。
やがて老僧は自ら船に薪を積み込み、その上に座禅して火を放ち昇天する。

Spring006.jpg



何年過ぎたことだろうか。出所した男が再び僧として荒れ果てた水上の庵へと戻ってくる。
全ての水は固く凍り付いていた。湖は歩いて渡れるのだ。
お師匠様の骨を凍結した半ば炭の船から掘り出し、それを氷に彫った仏の額に嵌めこみ供養する。
その夜、顔を布で覆った女性が赤ん坊を抱いて寺を訪れ祈りをあげるが、漆黒の夜に塗れ女は姿を消す。
翌朝、氷上に母を探して這って泣き続ける赤ん坊を見つけるが、母は何と氷の下に沈んでいるのだった。
男は自らの体に重い臼を括り付け、菩薩像を胸に抱き、山に登ってゆく。
何度も躓き滑り落ちながら只管進む。
幼い頃、お師匠にされたことを今度は自らに課し、遠くの山の頂上に大きな重石とともに登る。
そしてようやくたどり着いた場所に菩薩像を据え、寺に向かって祈りを捧げるのだ。

Spring004.jpg


そして春
山奥の水上の庵には、幼い男の子の肖像を紙に墨で描く僧がいた。
円環構造に閉じた永遠の光景が静かに厳かに流れてゆく、、、

これが人の世~業だと謂わんばかりに、、、

Spring005.jpg


何をおいても舞台が凄まじい。
「レッド・ファミリー」よりこちらの方が断然、深く響く。






AmazonPrimeにて











オンネリとアンネリとひみつのさくせん

Onneli Anneli ja salaperainen muukalainen001

Onneli, Anneli ja salaperainen muukalainen
2017年
フィンランド

サーラ・カンテル監督
マリヤッタ・クレンニエミ原作
サーラ・カンテル 、 サミ・ケスキ=バハラ脚本
アンナ・マリ・カハラ音楽

アーバ・メリカント、、、オンネリ(アンネリの親友)
リリャ・レフト、、、アンネリ(オンネリの親友)
エイヤ・アフボ、、、薔薇の木の夫人(名高い建築家)
ヤッコ・サアリルアマ、、、リキネン(ポリス~「子供の家}新院長)
ヨハンナ・アフ・シュルテン、、、ウメ・ボーシュ(ポリスの妻)
エリナ・クニヒティラ、、、ノッポティーナ(夫人の従妹、魔法使い姉妹の妹)
キティ・コッコネン、、、プクティーナ(夫人の従妹、魔法使い姉妹の姉)
ヤニ・トイヴォラ、、、市長
イェンニ・ハカラ、、、ミンナ・ピンナ(「子供の家」院長)
アレクシス・コイスティネン、、、プッティ(プティッチャネン一家の坊や)
ヨーナス・サールタモ、、、エッラ(プティッチャネン一家の父親)
アルニ・ラモー、、、ペッキ(「子供の家」を脱走した少年)


本作で圧倒的な存在感を示すのは、ミンナ・ピンナである。

夏休み。夏は服装からして暖かそうだ。そして配色~コーディネートも鮮やか。
今回はお揃いばかりじゃないぞ。それぞれのファッションでの主張も見られたり、、、大人じゃん。もうこの役もぎりぎりのところだぞ(しんのすけ、、、笑。
二人が大きくなったのにはビックリ。小5か6には充分見える。こ年頃の少女の成長は急激である。
同時に生意気になる時期だが(うちの娘はまさにそう)。
今度は彼女らの家のすぐそばに「子供の家」という孤児院が建つ。
そこの院長が「改善」と「安全」が好きで、管理と掃除ばかりしているユニークなミンナ・ピンナという女性。
こどもを皆番号で呼ぶ。一番、左。二番、右。という風に。
面白いのは整列である。子供たちを列に乱れがないように真っ直ぐに整列させる。
こんなことやるの日本だけだと思っていたので、笑った。
確かにミンナ・ピンナみたいな先生はいる。充分、子供に舐められているが、本人は気づかない。

Onneli Anneli ja salaperainen muukalainen009

但し、4番が読んでいたUFO関連の本を「こんな有害な図書を読むのは認めない」と彼から取り上げ、自分が読みだしたらすっかり入り込んで夢中で読みこんでしまうところが傑作。一番UFOに期待を寄せるのは彼女であった。
本を手にしてから、いつもどこかUFOを気にした生活を送るようになる(笑。
いざUFOがやって来たというときには、とうとうわたしの噂を聴きつけてやって来たわね~とか言っている。
なかなかのものである(こういう人は長生きする)。

この孤児院、庭には植物も遊具一つも無く、外周は鉄格子で囲まれ、中は装飾も色もなく殺風景、部屋着は囚人みたいなグレー一色の洗濯しやすいというだけで選ばれた素材の服を皆が着せられている。消灯も8時である。彼女が現れたら直ぐに整列・点呼となる。
食事の風景も実に簡素で寂しい限り。心の栄養が無い。
管理・安全だけに力を入れる院長の思想が具現化した施設であった。

Onneli Anneli ja salaperainen muukalainen003

そんな院長の独裁から仲間を解放しようと、4番が脱走する。
名前はペッキ。
彼はオンネリとアンネリの所有するカラフルな山小屋に身を隠す。
(彼女らは母屋の他に素敵な山小屋も所有しているのだ)。
彼は二人が焼いて食べようとテラスに用意しておいたパイを全部平らげてしまう。
侵入者がいるようね、と二人は暢気に構える。
流石に余裕のある人たちは違う。
ガードの協力でその訪問者は直ぐに判明する。
あそこから来た子ね。
そして「子供の家」の院長もポリスのリキネンさんに捜索届を提出する。

Onneli Anneli ja salaperainen muukalainen004

このクールなのかダイコンなのか分かりにくい少年から施設内部の事情を聴き、彼女らも協力することになる。
市長に苦情の手紙などを作成して送るが、敵もさるもの市長の視察時にだけこれ見よがしの遊具を備え付けて交わす。
少年が施設に残してきた妹に無事であることを伝えたいというので、わざわざプッティにその役を頼みに行く。
なにかと衛生にうるさい院長でネズミが嫌いということから、ネズミに化けて施設に侵入し妹に手紙を渡す。
ミンナ・ピンナが慌てふためき消毒しまくり、業者を呼んでネズミ退治をさせるなど予想通りのパタンが確認される。
この辺は、プティッチャネン一家も交え何か面白いことをやらせないと、と言ったとってつけたような挿話である。
ほとんどこの行為に必然性はない。
安否が心配になる以前に決着はつくことは見えている。

Onneli Anneli ja salaperainen muukalainen007

ガードの協力のもと、直ぐにその少年はポリスに捕まり「子供の家」に連れ戻される。
(妹とは直ぐに再会)。
この件に一番悩んだのは、ポリスであるリキネンさん当人であった。
少年やオンネリ、アンネリの気持ちは痛いほどよく分かるのだが、自分は法律に仕える身なのだ。
そして妻に相談すると、こころのままに行動しなさいと諭される。
彼はバッジを還しポリスを辞めてしまった。
そして庭でひとりオカリナの奇麗な音色を響かせる。
妻は夫が風邪をひかないか心配する。
(オンネリとアンネリがノースリーブのドレスで遊んでいる夏である。恐らく大丈夫だと思うが)。

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ミンナ・ピンナから子供たちを救い出す救助団が結成される。
オンネリとアンネリを中心に今やフリーの身のリキネンさんたち夫妻や魔法使い姉妹も加えての構成である。
アンネリが施設に潜入し内と外から解放戦線をはるというもの。
そしてモールス信号のやり取りで子供たちの解放、というよりミンナ・ピンナを懲らしめようという作戦に入る。
しかし情報のやり取りをモールス信号に頼るが、こんな時こそ魔法姉妹に何か頼めないのか。

魔法姉妹には、この後、風船の花を使ってUFOに見立てミンナ・ピンナを追放しようということになる。
彼女は外にUFOが迎えに来たと思い、地球人代表みたいな気持ちで接するがそれが風船と分かり激怒する。
だが彼女は風船もろとも空高く舞い上がってしまう。
ここで、キャ~キャ~騒ぐのではなく、空から見下ろす景色にいたく感動し、彼女のこころが解放されてゆく。
多分そうした設定~狙いなのだと思う。

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せめて風船の花を少しアレンジしてUFOに似せるとか、片腕でいつまでもどこまでも摑まって飛んでゆくのではなく、上に乗っかるとか中に入るなどした方が良かったと思う。
荒唐無稽な設定は分かるが、それぞれのシーンで物理的~肉体的に不可能な動き~所作は避けるべき。
幼い子も見ているのだ。
片手であんな上空を何時間も紐につかまり景色を楽しみながら南極まで?行くというのは絵的に言っても無理がある。
ここは詰め直して欲しかった。

結局、ミンナ・ピンナはペンギンが友となり彼らに番号付けて仕切っているようだ。後から名前呼びとなったか。
とても楽しんんでいる様子が手紙に綴られているが、この辺は感覚的にというより脚本的に荒く飛躍し過ぎた感が強い。
普通ならまずレスキュー隊が救出に向かう流れだ。普通の服装で極に降り立ったのだ。不死身でなければそのままはない。
噺が観念的で抽象的すぎる。
それをする必然性を無くすのなら、文脈にそれなりの理由~流れがしっかり見えないと。
ただ上に登ったら視野が広がりそれまでの凝り固まった考えから解き放たれたというだけでは無理がありすぎでは、、、。
UFO読書でかなり彼女の内的世界が変容を起こしていた可能性は否めないとはいえ。

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オンネリ、アンネリから市長に推薦されたリキネンさんが施設の新院長となる。
これはまさに適任であろう。
施設は薔薇の木の夫人にデザインし直してもらい、皆ハッピーということで、施設の庭の沢山の遊具で遊びながらの大団円。


フィンランドの人の名前の響きはとても面白い。
オンネリ、アンネリもそうだが、ミンナ・ピンナも癖になる(笑。
ムーミンとはまた趣が異なる。

やはりここまで大きくなってしまうと、もう彼女らではこの物語~シリーズは撮れないことが分かる。
次に出るときは、青春学園ものとか、、、であろう。




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オンネリとアンネリのおうち

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Onneli ja Anneli

2014年 
フィンランド

サーラ・カンテル監督
マリヤッタ・クレンニエミ原作
サーラ・カンテル 、 サミ・ケスキ=バハラ脚本
アンナ・マリ・カハラ音楽

アーバ・メリカント、、、オンネリ(アンネリの親友)
リリャ・レフト、、、アンネリ(オンネリの親友)
エイヤ・アフボ、、、薔薇の木の夫人(名高い建築家)
ヤッコ・サアリルアマ、、、リキネン(ポリス)
ヨハンナ・アフ・シュルテン、、、ウメ・ボーシュ(隣の婦人~ポリスの妻)
エリナ・クニヒティラ、、、ノッポティーナ(夫人の従妹、魔法使い姉妹の妹)
キティ・コッコネン、、、プクティーナ(夫人の従妹、魔法使い姉妹の姉)


プティッチャネン一家が出て来ないこと以外は二作目とほぼ同じキャスト。
アイスクリーム屋さんと探偵まがいの少年がこの作で特別に出てくる。
とっても仲良し夫婦であったリキネン警官とウメ・ボーシュ夫人は、まだ結婚はしておらず、この作の終わりごろで夫婦となる。
それから三作目の「~さくせん」で、出てくる異様な風船の花は、この一作目の初めのころに紹介されている。
二作目を見て、あの姉妹は魔法使いの領域だとか書いていたが、実際に魔法使いであった(笑。
三作目では二人の少女はかなりおおきくなっていたが(小5位には見える)この一作目はほとんど二作目と変わらない背丈に見える。二作目であれだけ幼い雰囲気であったため、一作目ではほとんど赤ん坊ではないかと心配したが、しっかり演技も成り立っていた。
ただ、三作目もそうだが本作の男の子も演技がいまひとつ。パッと見にはクールな男子に見えて、暫くすると明らかなダイコンであることが見えてくる(残。今回はオンネリの弟。

Onneli ja Anneli001

さてシリーズ?第一作目の本作であるが、、、
何とも凄い噺の運びに笑ってしまう。
オンネリの家は子だくさんで、彼女がいなくても両親は気づかないほど、毎日がてんてこ舞いの状況。
アンネリの家はママが大学教授だが、旅行でかなりの期間、家を空けているような家庭。
どちらも放任。寂しい二人。ここまでは分かる。
親友のふたりは一緒に住めるような家があったらね、、、と話しているのだった。

するとある可愛いおうちの前で封筒を拾う。
「正直者にあげます」と書かれたもの。
ポリスに届けると中には凄い札束が。これは君たち「正直者」のものだ、とポリスからその大金を改めてもらう。
しかし二人にはお金をもらったところでどう使えばよいのか分からず、もとあったところに戻すことに。
(わたしなら、色々と入り用なので喜んで貰うが)。
その場所に行ったら丁度ご婦人(例の薔薇の木の夫人)がこの家は売り家なのと門のところまで出て来るのだ。
自分用に建てたのだけど、何故か女の子二人用の家になってしまったの(何で?)、誰かこれを買ってくれないかしら、ときた。
ドリフでもこんなコントはしない。
呆気にとられる流れで彼女らは可愛らしい奇麗なおうちをまんまと手に入れる。
まさに中身は小さな女の子二人用に完備されたビタミンカラー弾ける空間なのだ。可愛らしいバスタブ二つにベッド二つが並び。オシャレも好き放題。ドレスや帽子がいくらでもある。二階には例のドールハウスもあるぞ(クレヨンしんちゃんか!)
お隣の魔法使い姉妹とも仲良しとなり、パーティに参加した薔薇の木の夫人からは、二作目からフルに活躍する番犬のガードもプレゼントされる。

Onneli ja Anneli003

わたしは、昨日どういう経緯でこうなったのかと色々思い巡らしていたのだが、それはないだろという形で初めから至れり尽くせりの状態であまりにあっさり家を手に入れ、親もそうね二人で住みなさいというオチなのだ。
何の問題もなく。これは自立を促す噺なのか?少なくともわたしにとって、謎が解けたとかいうレベルの話ではない。
謎の児童文学なのである。

ともかくご都合主義とか予定調和とかいう次元を超えて噺が流れる。
全て彼女らの哲学、「出来事には意味がある」で呑み込んでゆく(何でも良い意味に捉えればそれは気楽である)。
こちらも楽しむのなら寄り添う以外にない。
但し、子供だけで住める家は場合によっては重要である。
(毒を吐く大人からの緊急退避場所としての~いや永久の秘密基地としての)。

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三作を観てゆくとポリスのリキネンさんの人生も丁寧に描かれる。
オンネリとアンネリに次ぐウエイトを持つ準主役だ。
このリキネンさん、とても優しく、絵を描きオカリナを演奏する情緒豊かな男性である。
ご主人を亡くし世を儚んでいるご近所のウメ・ボーシュさんもすぐに彼のことを好きになり再婚の運びとなる。
(何かとオンネリとアンネリが二人を近づける配慮をしたのが功を奏し)。
何でもウメ・ボーシュさんのご主人は庭でオカリナを吹いているときに風邪をひいて亡くなったとのこと(流石フィンランドである)。
彼女の営む雑貨屋の豚の貯金箱の絵付けもそのご主人がしていた。
それと全く同じこと~オカリナと絵をやってくれる男性がリキネンさんである。
(この映画ではオカリナの可憐な音色が聴けて心がとてもほぐれる)。
これも出来過ぎた噺ではあるが、、、。この物語の中では目立たないが肝心なエピソードのひとつと言えよう。
この後、このご夫妻には彼女らは色々と世話になる。
ただリキネンさん良いことがあると決まって「母が見たら喜ぶ」とニンマリするのだ。マザコン以外の何者でもない。

アイスクリーム屋さんがいつも祖母に売上金をたかられ材料費にも事欠く商売をしていて、ついに盗みを働く。
ノッポティーナ&プクティーナ姉妹の家から不思議な卵を産む鶏を盗む(ここの家の生き物は皆不思議だが)。
それに探偵気取りの少年が絡み、結局ポリスのリキネンさんに逮捕されるが、ちょっと拘置されただけで、まだ丈夫で働けるんだから働けとか言われ、オンネリとアンネリもあたしたちも手伝うからもっとアイスクリームの種類を増やしましょ。ということになり魔法使い姉妹も全面協力のもと種類の増えたアイスクリームも評判良く売れ最後はオンネリとアンネリのおうちでパーティで大団円。
皆仲良しで終わる。

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何かパターンも決まっているみたい。
魔法系のおばあちゃんと従妹の姉妹に幼い女の子とマザコン男性の基本構図でずっとやろうと思えば行きそうだが。
(皆が似ているのだ。余り年齢を感じさせない点で。実際大人とか子供がうやむやになって繋がっている。これは重要なヒントかも)。
寅さんシリーズくらいやってみてほしいが、ふたりがどんどん大きくなっても可能な噺であろうか。
勿論、わたしも今だってこんなおうちは欲しい(爆。




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オンネリとアンネリのふゆ

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Onnelin ja Annelin talvi
2015年
フィンランド


サーラ・カンテル監督
マリヤッタ・クレンニエミ原作
サーラ・カンテル 、 サミ・ケスキ=バハラ脚本
アンナ・マリ・カハラ音楽

アーバ・メリカント、、、オンネリ(アンネリのお友達)
リリャ・レフト、、、アンネリ(オンネリのお友達)
エイヤ・アフボ、、、薔薇の木の夫人(名高い建築家)
ヤッコ・サアリルアマ、、、リキネン(ポリス)
ヨハンナ・アフ・シュルテン、、、ウメ・ボーシュ(ポリスの妻)
エリナ・クニヒティラ、、、ノッポティーナ(プクティーナの姉妹、夫人の従妹)
キティ・コッコネン、、、プクティーナ(ノッポティーナ姉妹、夫人の従妹)
アレクシス・コイスティネン、、、プッティ(プティッチャネン一家の坊や)
ヨーナス・サールタモ、、、エッラ(プティッチャネン一家の父親)
サムエル・バウラモ、、、アルスカ(ガソリンスタンドの主人)
インカ・カレン、、、アデレ(ガソリンスタンドの妻)


「オンネリとアンネリ~」は、フィンランドでは誰もが馴染んでいる児童文学であるらしい。

のっけからメルヘン感覚たっぷりのフィンランドの雪景色の中、可愛い家に住む幼い女の子二人とくる。
この小学一年生くらいにしか見えない彼女らは、有名な建築家の「薔薇の木の夫人」から家を買って二人きりで住んでいるのだそうだ。お金に困らない身分みたいだ。
(日本ではあまりない話)。
プティッチャネン(練習しないと言えない)という小さな種族が登場する。

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自分たちの家が人間の木こりによって木ごと倒され壊れてしまった為、薔薇の木の夫人にまた家を作ってもらおうと尋ねて来たという。
ちゃんと車に乗ってくるのだが、それが人間の車をミニチュア大にした機能はそのままの精巧なもの。所謂本物なのだ。
(終わりごろにはミニ・ヘリコプターまで登場する。ミニサンタがプレゼントを届けに来るのだ。この精密工業技術は凄いと言えるがどこにミニ工場をもっているのか。少なくとも森の妖精みたいな小人ではないことは分かる)。
その車が事故に遭って壊れてしまい、薔薇の木の夫人に建ててもらった家に住むオンネリとアンネリのところに転がり込む。二人は面白いので彼ら家族をおままごとのドールハウスに招待して暫く匿うことにする。
丁度おあつらえ向きのドールハウスがあってよかったが、「出来事には意味がある」と言ってそれを受け止める彼女らであった。
幼いながら哲学的ではないか。
それより彼女らにとり、ドールハウスが実際に使えて楽しいことこの上ない。女の子ならこんなお世話はとっても嬉しいはず。

ガソリンスタンドの男性に車の修理を御願いすると快く引き受けてくれ、後にポリスのリキネンもそれに協力してくれる。
ひとの好い人が多い。お隣の夫妻もプッティ探しに快く協力してくれるし。
だがガソリンスタンドの男性の妻は、お金を儲けて南の島でバカンスを楽しみたいのだった。
偶然、彼女はオンネリとアンネリの家に小人が住んでいることを知り、見世物小屋に彼らを売り飛ばし金を手に入れようと企む。
こんなところから始まる。何となく展開は想像できてしまうが(笑。

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「大きい春子ちゃん」の次は小さな「プティッチャネン」である。サイズが違うということだけで、色々と思い切った(荒唐無稽な)お話が作れるというもの。
ただ、後者はVFXに滞りなく、大小の関係が破れ目なしに上手く自然に構成されていた。
きっと制作陣も楽しくやっていたに違いない。そんな雰囲気が漂っている(笑。
そして雪深い土地であるため、家には拘る。
家の装飾にかなり力を入れていることも分かる。
このコロナ禍のように家籠りは結構長いのだ。楽しく心地よく暮らせることが肝心。

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「小さき者の運命が世界の未来を決める」
言いえている。小さき者が滅びたら全体としての未来もない。
ノッポティーナとプクティーナ姉妹が小人とも親しんでいた祖母のレシピを元にスープを作る。
片や小人になるスープ、片や大きくなるスープでありこの後の展開に重要な役を果たす。が、もはや魔法の領域である。
これを盗み見た小人の少年が、大きくなって物語が動く。
これまで、小さき者を軽んじ、それを金に換えて(搾取して)何とも思わなかった、ガソリンスタンドの女が、彼の大きくなった姿に触れ初めて自分の非に気づくというもの。
彼女はSUZUKIの軽ワゴンに乗ってプティッチャネン族ファミリーを留守宅に忍び込みモノを失敬するように攫って行ったのだった。
彼らが大きさは違っても、精神~魂をもつ存在である事実に彼女は愕然とする。
実際、新たな認識を得るときは、こんな驚きをもって可能となることは多い。

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やはり肝心なのは、他者に対する感覚である。
プッティ少年は自分を見下した人間よりも大きくなることを欲して実際、大きくなったが最後には元サイズに戻ることを望む。
その身体性あっての自分~アイデンティティなのだし。
例の姉妹の作ったスープでゲストたちが皆小さくなり小人クリスマスを祝う大団円。
(魔法の)スープがなければこれは無理。
最後に薔薇の木の夫人に森の木の根元に建ててもらった3階建てのゴージャスな家であるが、ちょっと猛禽類とかが来た時に怖い気がした。
人間にもすぐ見つかりそうだし。
大丈夫なのか。

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この「オンネリとアンネリ」は、現在シリーズ3作出ており、これは真ん中のお話しみたいだ。
前・後の2作も観ておきたい。
何故、幼い二人が家を買って二人っきりで住んでいるのかも分かるはず。
何度か話題に出てきた弟の存在も、そして親の実体はどんなものなのか、も(兄弟の数が凄そうであったが)。
わたしも幼少時、自分のお金があったら親と離れて住んでいればどれ程良かったものか。
(日本ではそれは無理か)。




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Be A Rebel

NewOrder010.jpg
Be A Rebel~NewOrder
2020年9月8日リリース

“僕は思う、調和が必要とされていると
ところが周囲を見回しても、それはどこにも見当たらない
怒りで歪んだ顔が幾つもこちらに向けられていて
僕は知りたい、なぜそんなに怒っているのか
この世界は危険な場所にもなり得るけど
代わりがあるわけじゃないし、その大きさはあなどれない

自分を見てごらんよ
ほかのみんなと似ていないかもしれない
違うだけなんだ、それで構わない
誰もが好きなように生きている
それに、人々が君の言葉に耳を貸さないのだとしたら
反論できないからなんだよ
だから腹を立てなくていい、悲しまなくていい
反逆者になろう、破壊者じゃなくて

その日はいずれ訪れるだろう
君が抱く不安や自己不信は消え失せてしまう
やるべきことを達成したんだからね
君の心に迷いはない
一点の曇りもない、家庭内のもめごとにすぎないんだ

自分を見てごらんよ
ほかのみんなと似ていないかもしれない
違うだけなんだ、それで構わない
誰もが好きなように生きている
それに、人々が君の言葉に耳を貸さないのだとしたら
反論できないからなんだよ
だから腹を立てなくていい、悲しまなくていい
反逆者になろう、破壊者じゃなくて

対訳:新谷洋子”


お手軽に丸々引用させてもらった(拝。
ありがたい。
わたしにとっては彼らNewOrderの新曲にあたるものだが、、、。
何度か聴いてはみたが、今一つこれまでの数々の名曲のようなインパクトを感じなかった。
特に”アカデミック”みたいなビビッドな強烈に惹きつける魅力はない。
随分地味で平坦な曲に感じられた。
歌詞については、これまでの彼らの曲から見ると特にシャープではないが堅実で真っ当なものである。

「誰もが好きなように生きている」ことでこれほど軋轢が生じている現在。
「~、調和が必要とされている」のは確かで、痛いほど分かるし同感であるが。
ディスコミュニケーションの状況は実際どうにもならない。言葉が通じないのだ。反論もしようがない。
やるべきことが達成できたその日が来れば、迷いはなくなるだろうか、、、。
自分なりに達成したと区切ることは可能かもしれないが。
諦観に近いものだろうな、、、。
そしてこれまでの迷いは「家庭内のもめごとにすぎないんだ」
とくるか、、、。
家庭内のもめごとが、宇宙大のスケールでのしかかり、わたしには大変シンドイのだが。

「違うだけ」で互いに認め合うのは難しくても受け容れることさえ出来れば、調和は生まれてくるはず。
理解不能であっても、感覚的に合わなくても、相手を貶めたり攻撃するのではなく、受け容れる器さえあれば。
しかしこれが難しいから今現在も「怒りで歪んだ顔」しか見当たらないのだ。

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2007年にピーター・フックがバーナード・サムナーとはもうこれ以上一緒に仕事は出来ないと言って辞めてしまうが、その後のNewOrderも確かに良い作品は出してはいるが、彼らが一緒に曲作りをしていた頃の方が良いものは多い。
そしてどちらもソロプロジェクトの方は冴えない。
このへん、何とも言えない、、、。相克的な緊張も創造には必要なのかも、、、。
まあ、最初から拒否反応を見せて排他しているだけでなく、共にずっとやってきてもダメなときはもうそれまでとなる。
しかし、作品~共同制作において、よいものが生まれていたのは事実。
(こういったケースは、たくさん見られるが)。




大きな春子ちゃん

Am I too big 001

Am I too big?

2020年

岩崎友彦 監督

有元由妃乃,、、、春子ちゃん
岩崎友彦,、、、ともおさん
松崎まこと、、、その友人まこと(踏み潰される)


まず最初に「汚れた英雄」というものをカドカワ最後の最後に観た。
これでもう完全に見納め(明日、Amazonから解除する)。
丁度その作品が、角川春樹監督と来た。
いや~何とも、酷い。酷すぎる。
観ている間が拷問であった。ホントに長いし。
角川春樹とはこういうヒトであったのか、、、。ペラペラのファッション雑誌記事から切り取った成り上がり感覚。
まあ、もう二度とカドカワ映画は観ないので、どうでもよい。
バイクは余り見ないがフォーミュラーやラリーは以前はよくTVのレース番組で観ていたが、やはり本物を見るに限る。
こんなドラマで妙な演出のレースフィルム観てどうすんの。
全然詰まらないし、やりきれない。

わたしはレースと言えばバイクよりもF!だな。
60年代後半、アイルトン・セナとアラン・プロストは、同じマクラーレンチームでチームメートであるにも関わらず熾烈なライバル争いをしていて、もうハラハラし通しだった。
レースとなると文字通り手に汗握るもので、ドラマチックと言えばこの上ない。
そしてあの悲劇へ、、、。セナはレースの安全性に関しては誰よりも高い意識を持っていた人であったのだが、皮肉なものである。
これについて書く場ではないので控えるが、上記の映画程虚しいレース劇もない。レースではなく主人公の生き様を描いたものだとか言われても白々しい。単に現実味がないとかどうとかではなく、カッコだけ付けているのだが全く上滑りに終わっているのだ。
正直、ここまで空っぽな映画は初めて。

無駄な時間を過ごしたと謂えるが、途中からながら見で片付けはそこそこできた。

Am I too big 002

さて本題。
「大きな春子ちゃん」という4分間映画である。
AmazonPrimeもこんな映画まで観れるのかと感心してしまった。
と言うより、こんな映画が存在したことにまず驚く(笑。
エンドロールが速過ぎて文字が読めなかったことを除けば、スッキリしていてとっても面白かった。
良い口直しになったというもの。

春子さんと初めて待ち合わせをする彼とその友達で、登場人物は3人。他に公園で待つエキストラも数人いるが、それだけ。
彼女は、身長166.4フィート、体重53.5tなのだ。単位を言わなかったら当然、センチとキロと思うはず。
春子さんと彼とSNSでやり取りしていたみたいだが、どうやってするの?
あれだけデカい水着?があるのなら、ジャイアントスマホもあるような、、、いやそれは無理。

ともかく、水着姿の春子ちゃんの大きさがそれ程無理なく表されていて気持ちの良い作品であった。
とりわけ手の込んだCGという訳でもないが、戦隊ものの巨大怪人と同レベルの質感である。
黄色いクレーンを腕でうっかり壊したり、何故だか突然飛んできたジェット機(戦闘機?)をなびかせた髪で撃墜したり、、、たまたま踏んずけた自動車に足を取られ(ちょっと縮尺が違う感じもしたが)ビルにお尻から座り込み(このカットに監督は力を入れていることは分かる)、ほぼ倒壊させたりと(ここ蔦屋か?)、、、流石に春子ちゃんでもお尻が痛かったのでは、と思ったが全く杞憂であった(爆。

とても派手なデートの待ち合わせ現場である。
だが周りで騒いだりパニックになっている様子もない。とても静かな雰囲気。デートには良いムードか。
待ち合わせで一緒にいたやたら怯える友達をグチャッと踏みつぶし、クジラの美味しいスポットに行きましょ、と彼を胸の間に挟み、湖に入って行く後ろ姿でエンド。
前方には富士山が、、、クジラはいないと思うが、、、。

Am I too big 003

4分も丁度良い尺であり、今夜の締めくくりとして申し分ない。
ワンアイデアものの超短編であった。
この線でどんどん洗練されてゆけば星新一のSF映画みたいになりそう。
メリエスの向うを張る作品にまでなれば凄い、かも。

短いことの良さも味わった。春子ちゃんはウルトラマン大であったが、、、。
こういうものならまた観たい。
助かる(爆。
「RCサクセション」とは、恐らく何の関係もないはず(念のため)。


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釈迦

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1961年

三隅研次 監督
八尋不二 脚本
伊福部昭 音楽
伊藤熹朔 美術監督
鷺巣富雄、ピー・プロダクション 動画構成
渡辺善夫 絵合成
大橋史典 特殊造形

本郷功次郎、、、シッダ太子(釈迦族の王子、釈迦)
チェリト・ソリス、、、ヤショダラー(シッダ太子妃)
勝新太郎、、、ダイバ・ダッタ(シッダの従兄、シュラダから神通力を授かり悪事の限りを尽くす)
千田是也、、、スッドーダナ(カピラ城主。シッダの父)
細川ちか子、、、マーヤー(スッドーダナ妃、シッダの母)
京マチ子、、、ヤサ(、帝釈天が身をやつした村の女、釈迦が悟りを開くのを介添えする)
川崎敬三、、、ウパリ(修行僧、釈迦の弟子)
山田五十鈴、、、カリティ(子供をさらって殺す夜叉、釈迦に諭される)
東野英治郎、、、シュラダ(バラモン教の行者、釈迦と敵対する)
市川雷蔵、、、クナラ王子(アショカ王の息子)
山本富士子、、、ウシャナ(クナラ王子の妃)
月丘夢路、、、タクシラー(アショカ王の第一夫人、クナラ王子を誘惑する)
中村鴈治郎、、、アショカ王(華子城主、クナラ王子の父)
小林勝彦、、、アナン(釈迦の弟子)
叶順子、、、マータンガ(奴隷の娘、アナンを愛す)
川口浩、、、アジャセ王(マガダ国王、父を殺して王位に就く)
中村玉緒、、、オータミー(アジャセ王妃)
杉村春子、、、イダイケ(ビンビサーラ王妃、アジャセの母)
市川壽海、、、ビンビサーラ(マガダ国王、アジャセの父)


カドカワで、残るはこれかな、と、、、これまで余りに長いので観る気になれなかったものだ。

「釈迦」である。

帰趨を自己に見出す。
自己をこそ整え内なる真理に覚醒することが法を悟ることとなる。
自帰依と法帰依がひとつの場となること。
これを釈迦は最終的に(入滅前に)多くの弟子に諭したというが。
わたしも自らを整える為にのみ沈潜している。
(もしかしたらわたしの一生はそればかりで過ぎて来たような、、、)。


というところで釈迦には特別な思い入れはある。


70mmフィルムによる超大作史劇映画で同時期に撮られた「ベン・ハー」もそうだという。
成程。
内容的にも近いものがある。キリストと釈迦だし。
確かに大作で金をかけている。飛んでもない数の主役名優たちがこれでもかというくらい集結している(セットやカメラ、フィルム、現像代だけでなくギャラも凄まじいものであろう)。
それだけでなく、CGの無い時代によくここまでのVFXをやり遂げたと思う。
もう製作陣の熱意というより心労に敬服したい(笑。
熟練の手作業もかなりを占めているはず。
当時の技術の粋を結集したものだと思う。

釈迦が悟りを得てから、本郷功次郎がほぼ光の中に消えてしまってるのも最初は何だろうと思ったが中頃には当たり前に思えていた。もうこの世の人ではなくなっているのだ。ロングショットで長回しで遠方で光りながら厳かに法を解いている。
いい光景ではないか、、、そのインドの地の風景自体が神々しい。
出来れば、6年間の修行の有様をもう少し見たかったが、誰も見てないもの描きようもないか。
髭が伸び、煩悩~悪魔の襲ってくるのを蹴散らすところが見どころか。
今のCG技術を使えば難なく出来るところをさぞ大変な作業により実現したことは感じ取れる。

Gotama Siddhattha002

伝説から大きく逸脱する挿話で、過剰な演出と取れるところは訂正した方が良かったと思う。
特にヤショダラーがダイバ・ダッタに乱暴され自害するというフィクションはやりすぎではないか。
「絶望を超克し、寛容と慈悲の高みへと達する」ことを描くのならまだ他に描きようもあると思う。
エピソードなどいくらでもあるだろうし。
これは仏教国からの反発を受けるのも無理もない。
彼女も出家しているのだからその逸話も無くなり、話も変わって来る。
しかし、入滅の100年以上も後のクナラ王子のエピソードを釈迦存命中のものにしたのは、より面白い効果を生んだと思う。
市川雷蔵と山本富士子コンビがしっかり活躍して花を添えており俄然話としては盛り上がる。
この2人に加え、京マチ子と叶順子が圧倒的なオーラを放っていた(京マチ子先生の出番が少なかったのは残念)。

Gotama Siddhattha003

そしてこの物語で凄くキツイ存在感を誇るのが勝新太郎のダイバ・ダッタである。
かつて市川雷蔵とコンビを組みお江戸のお惚け道中を共にした仲だが「花くらべ狸道中」、ここでは飛んだ大悪人として非道の限りを尽くす。
とても優れた能力の持ち主であったが、いつもシッダ太子にだけは叶わなかったナンバー2に甘んじる人生であったらしい。
特別に自己顕示欲の強い我欲も凄まじい男であったが、一途に思っていた姫すらシッダ太子しか眼中にない始末。
ついに姫は彼と結婚してしまう。

ここからダイバ・ダッタにとっては穏やかではない。
この劇では直ぐに非道の道に一直線であったが、実は出家したシッダ太子が悟りを得て釈迦となった3年後に彼の弟子となり、真面目に12年間の修行に就いているというのが定説である。しかし他の弟子より能力が高い為、直ぐに頭角を現し、アジャセ王子に神通力をもって近づき多額のお布施を貰う関係を結ぶ。当代最大のパトロンである。金が自由に思うように使えるようになり弟子も沢山出来ると、野望がメキメキ膨らんでくる。
そしてアジャセ王子を操りその父アガタ国王ビンビサーラを殺害させ、そこから後はこの映画のような流れでやりたい放題、、、史上最凶の仏敵であったという。
しかし野望は崩れ、釈迦に命乞いをし救われて改めて弟子となる流れである。
今度は本格的に改心したらしい。

Gotama Siddhattha004

最後は入滅に際し、これまで釈迦の説法を聴き救われた人々が各地から集結して来る。
そしてアナン(多聞第一とも呼ばれる)をはじめ弟子たちに最期の教えを説く。
多くの弟子や信者に見守られながら、「涅槃図」に描かれた通りの姿勢で入滅し、光に纏われ天に昇って逝く。
これがまた、長時間に渡り見て来た最後のシーンである。

自然に感動してしまうものであった。
結構、よく出来ている。

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これと言った教えは物語の中では解いておらず、所謂道徳的な分かり易い教えであるが、、、。
演出がVFXと相まってとても効果的に作用し、とてもありがたい気持ちにさせてくれるのだ。
特に本郷功次郎が忽然と悟りの境地に達し後光が射してからは、彼は釈迦としてずっと光の中に溶け込み常にロングショットで大きな場の中心に描かれ続けて居たことが神性を保ち続ける要因となったと謂えよう。
上手い演出~絵であった。

ともかく「釈迦」をテーマとした豪華で壮大なエンターテイメント大作であった。



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これを観たが、ついに修復版Blu-rayが出た↓ これは良い画像で観たい。











スローなブギにしてくれ

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1981年

藤田敏八 監督
内田栄一 脚本
片岡義男 『スローなブギにしてくれ』原作
南佳孝 音楽・「スローなブギにしてくれ (I want you)」主題曲

浅野温子、、、さち乃(女子高生)
古尾谷雅人、、、ゴロー(さち乃の彼氏)
山崎努、、、ムスタングの男(敬子の家に同居)
浅野裕子、、、敬子(ムスタングの男の愛人)
竹田かほり、、、由紀江(敬子の妹、子供連れ)
原田芳雄、、、宮里輝男(敬子の家の同居人)
室田日出男、、、クイーンエリザベスのマスター
伊丹十三、、、弁護士
春川ますみ、、、春代(さち乃の母)
赤座美代子、、、花絵(ムスタングの男の元妻)
小林綾子、、、マリ(花絵とムスタングの男の幼い娘)
岸部一徳、、、クイーンエリザベスの常連
鈴木ヒロミツ、、、クイーンエリザベスの常連
きくち英一、、、クイーンエリザベスの常連
鶴田忍、、、牛どん屋の店長
高橋三千綱、、、作業服の男
和泉聖治、、、作業服の男
角川春樹、、、自転車に乗る男


「カドカワコーナー」を去る前にもう少し過去の話題作を観ておこうと思い、これを見た(後、1、2作観たら終わり)。
思いの外よく出来ていた。
これまでその題名からして、関心を引く作品でなかった為、意外に良かったので拾い物という感じ。
山崎努大活躍。

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70年代~80年代独特の空気感が充満する中、終始白いムスタングが無茶な走りっぷりを見せてゆく。
若い女性との心中願望を持つ渋いちょい悪風中年、山崎努がステアリングを握っていた。
渋いというより全体に濃い役者揃いである。
ある意味、昭和にふさわしい。
観ている間、かなり暑苦しさを覚えた(笑。
ちょうど陽気からして昼間は暑さを感じるようになっているが、、、なおさら。

そんななか、若き浅野温子の凛として美しいこと。
これに一番びっくり。クール!
フランス映画にでもこの後、出てもらいたかった。
邦画よりずっとあちらの方が似合う(ハリウッドはダメ)。
無軌道で奔放だがしんはしっかりもっていて後半は少しアンニュイでミステリアスな雰囲気も醸していた。
フランス新進女優みたいな感じである。特に部屋を一人でぶち壊すところなど、、、
もったいない。
しかし喋り方、あんな風であったか、、、これが意外であった(幼さを出すためにああなったのか)。

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古尾谷雅人は、もっと歳をとってからが、俄然渋いオーラが出て来て確かな存在感を覚えるのだが、ここでは役にはあっているが粗雑で頼りなげで軽すぎ(つまり、はまり役であったか)。

拾った子猫をろくに高校もいかないさち乃が可愛がる。
一旦欄干から放り投げられるが、救われ育てられることに。
ゴローとさち乃の部屋で野放しに餌だけ与えられ飼われてゆく。
やがて野放図の猫の増殖。足の踏み場もないほどに。
エントロピーは増大の一途を辿り、、、。
猫を全て放り出して一旦それぞれが終焉に向かい、静まる。
その後の再会を経て、再びトップギヤまで上がってゆき、山崎努は行くところまで行ってしまい、、、
古尾谷雅人と浅野温子は非常にこじんまりと微妙な家庭を構えてしまっている。
夫を送り出し、身重な彼女が眩しい天を仰ぐ最後のカットは、まるでムルソーだ(カミユの「異邦人」)。
山崎努の騙った「君たちは絶対うまくいかない」ということばが呪文のように背景輻射していた。
恐らくこのままではゆくまい。

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始まって間もなく同居人の輝男(原田芳雄)が夜のルーチンのランニングで心臓発作を起こし死んでしまうところから、この映画はずっとシニカルでニヒリスティックに澱みながら流れている。確たる方向性もはっきりせず。腐敗臭漂う濃厚な感触だけ継続し。
この禍々しさは一見すべてがすっきり片ついたように見える最後も続いている。
山崎努が拾った若い女との心中に失敗したからと言って、それで懲りたかどうか分からない。

ひとたび死や破滅型の経験に憑りつかれるとその円環構造からはなかなか脱することは叶わない。
これは昭和とか時代には関係なく普遍的にある。
ただ、この時代は今ほど人々は内向して籠ってはいない。
スマフォ~SNSの無い分、直接性を保っており、良くも悪くも粗野で率直なところは感じる。
それから山崎努たちのコミューン的な共同生活は、アメリカ経由のヒッピー文化からの感化は少なからずあるだろう。
ニヒルで高踏的な人間が結構嵌っていた(彼らにそれほど精神性や思想性は感じられぬが生活スタイルにそれが窺える)。
ジャズやクラシックをよく聴いていたが、妻に親権を取られてしまった娘の弾くピアノ発表会の「乙女の祈り」は上手だった。
このおすまし顔の豆ピアニストは「おしん」の小林綾子である。
(おしんのルーツはここにあった)。

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角川春樹がヒッチコックみたいに後半のワンシーンだけ自転車に乗って出ていた。
凄く若くてびっくりした。
そういう時期の映画だったんだと感慨深い。
主題歌は聴きお覚えがあった。この映画に合っていて耳に馴染む。


浅野温子ファンであれば必見の作品。




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セーラー服と機関銃

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1981年

相米慎二 監督
田中陽造 脚本
赤川次郎『セーラー服と機関銃』原作

薬師丸ひろ子、、、星泉 (目高組組長)
渡瀬恒彦、、、佐久間真 (目高組の中心人物)
風祭ゆき、、、三大寺マユミ (太っちょの娘、泉の亡き父の愛人)
大門正明、、、目高組トリオ・政
林家しん平、、、目高組トリオ・ヒコ
酒井敏也、、、目高組トリオ・メイ
柳沢慎吾、、、高校生トリオ・智生
岡竜也、、、高校生トリオ・哲夫
光石研、、、高校生トリオ・周平
柄本明、、、黒木刑事 (太っちょの手先)
佐藤允、、、松の木組組長・関根 (敵組の親分)
北村和夫、、、浜口物産社長・浜口 (やくざ界のドン)
寺田農、、、萩原
三國連太郎、、、太っちょ・三大寺一 (ヘロインの総元締め)


そろそろカドカワ映画の見放題から抜けようと思い(最近ちっとも観てないし)、最後に話題作観ておこうと思った。
これは当時、何かと話題をさらっていた映画だ。
わたしは映画自体に興味がなく、アイドル映画とはもっとも遠いところにいたもので、全く見向きもしなかった。
周囲でも、薬師丸ひろ子フィーバーが過熱していた。
カドカワのメディアミックスもこの辺から始まっているのか。
文庫本と映画と主題歌(薬師丸)の相乗効果で大々的に売り出していたものだ。
相当儲かったはずだし、薬師丸ひろ子も「カイカン。」のセリフとともに一躍時の人となる。

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有名な噺が、薬師丸の撃った機関銃で破裂したガラスの破片が、彼女の頬に当たりずっと残る傷になったものだ。
その血に染まった傷が確かに映像に見られる。渡瀬恒彦がそれに気づき、庇うように気遣っていた。
三島由紀夫が殺されエスカレーターに仰向けに倒れる「からっ風野郎」のシーンで、頭を打ち重傷を負う事件と同等に感じた。
役者も大変である。

映画は(俯瞰するなどの)ロングショットや長回しが目だち、必然性を感じ効果的と思えるところはあるが、妙にその形式~技法が浮き立っている面もあった。
あの最後のマリリンモンローの真似をしているような妙に長いシーンは何なのか、そういう意味不明なカットも印象的だった。

監督が結構もてはやされている人のようであったが、このような思い切った実験的なことをすることで有名であったのか、、、。
ただ、それが成功しているようにも思えなかったのだが。
小津や溝口やタルコフスキーのような見事な成果に繋げるまでは、まだまだという感じ。

何をおいてもこの映画の感想としては、脚本(または原作)が余りに酷い、ということ。
一度は見ておこうと思い、観てはみたが、シリアスドラマではないことは確かだが笑い転げるコメディーではないし、どう見たらよいのかさっぱり分からぬ作品であった。
荒唐無稽で筋立ても構成も展開も大雑把なのだが、雰囲気だけは妙にシリアスなのだ。
役者の力だけで引っ張りに引っ張って何とか持って行ったという感がある。

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薬師丸ひろ子の立ち位置がとっても微妙なのだが、彼女でなければこなせない役柄であることも確か。
当時他にこのような分けのわからぬ役をまともに演じられる若手女優などいたものか。
最後はあのマリリンで絞めである。若手でなければ監督に食ってかかるはず(爆。
周りに集まってきた一般人は何だと思っただろう。
その前に事務所は頬の傷で憤慨しなかったのかどうか。
結果的に薬師丸ひろ子の人気に火が付いたのだから痛し痒しというところか。
その後、傷は気になるようなレベルではなかったと思えるが(ファンではないのでよく知らぬが)。

わたしにとって薬師丸ひろ子は、「ALWAYS 三丁目の夕日」のお母さん役である。あれが滅法良かった。
堀北真希と吉岡秀隆もはまり役立ったし。あれは(脱臭され奇麗すぎたとは言え)大いに楽しめたものだ。
少女役で大成した女優が大人役でもあれだけ良いポジションで活躍できることは素晴らしいと思う。
結構、子役で成功した人は、大人まで持たないケースが少なくないと感じられる。
(大人役でずっと残ってはいるものの、かなりキツイひともいるし)。


結局、薬師丸ひろ子(の少女期)を初めてつくづく見たという感慨が残った(笑。
それにしてもみんな若い。
違和感なく、光石研がひょうきんな高校生である。
柄本明も若いこと。
勿論、渡瀬恒彦も若々しい。
だが、、、
わたしにとって一番良かったのは、日野のコンテッサがタップリ見られたことかも。
RRであり、ちょっとルノーのゴルディーニを彷彿させる面構えもよい。ワクワクした。

ある意味、このコンテッサの走っていた時期の目線で見ると結構面白いところなどが見つかるだろうか、、、
もう見る気しないが(笑。




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エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ

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EIGHTH GRADE
2018年
アメリカ

ボー・バーナム監督・脚本
アンナ・メレディス音楽


エルシー・フィッシャー、、、ケイラ(高校進学を前にした13歳の中学生)
ジョシュ・ハミルトン、、、マーク(父)
エミリー・ロビンソン、、、オリヴィア(高校の先輩)
ジェイク・ライアン、、、ゲイブ(オリヴィアの友人)
ルーク・プラエル、、、エイデン(憧れの同級生)


この時期の娘を持つお父さんは大変だ、という噺でもある。
この点については、いたく共感する(苦。

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ケイラは生れた時からYouTubeをはじめSNS環境のなかにあり、ごく自然にYouTuberとなって動画コンテンツを毎日のように更新している。
彼女の日常生活のルーチンとなっている。
何でも、自分らしく生きることをテーマとしているようだ。
コンテンツではそのためのアドバイスも流している(自分に言い聞かせるように)。
他者に媚びず自分を貫き、バカにされても無視する生き方が彼女にとりクールな生き方なのだ。
それは、その通りだと思う。わたしも基本的にそうしている。
だが彼女の「わたしは、、、わたしは、、、」の語りにはどうにも鬱陶しさも感じてしまう、、、。

さらに気になるのは皆、話をする時も食事時も、携帯を見ながらであり、生の関係よりそれを優先しているところ。
映画のあらゆる局面でその状況が描かれていたが、やはり大変不気味だ。
(ここでは、最近の若者はみんなこんなもの、くらいの調子で捉えられていたように感じたが、これは相当危険な病状であると思われる)。
以前、TVで平手友梨奈女史も危惧していたことだ。

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誕生会のプールパーティは、何度か他の映画でも観てきたが、子供にとりキツイ経験だなあと思う。
ここで友達関係のヒエラルキーがはっきり露呈される。
プレゼントを快く受け取られお礼を言われる子とナニコレ?と素っ気なくされる子だ。
水着を着ているが、海辺の解放感とは真逆の心臓が痛くなるような人工的な海~プールの光景だ。
こういう水辺は絶対御免だ。ここでは自然な風も吹かず閉塞していて鬱屈してしまう。

ただし、学年一番の無口な子に選ばれるようなタイプにしては特に虐められるようなこともなく、軽くあしらわれたり相手にされないくらいの扱いに留まっているのは、助かっているのではないか(相手にされないことで、友達を殊の外欲しているのだが)。
高校の一日体験に行った時の在校生のお姉さんの対応も丁寧で優しく、高校生活に希望の持てるものであったし。
本人の自己実現の感覚からは遠いにしても、それは当人の問題で、環境的に特に悪い気はしない。

父親に対して反抗期であり随分な態度を取ってうっぷん晴らしみたいなことばかりしているが、彼が非常に理性的な態度で適度な距離を保ち続ける姿には感心した。
あれだけこまめに送り迎えし、料理やその他の家事もこなし、細やかな配慮や心配をしていて、あの言われようはなかろう。
他人事とは思えぬところであり、この父には共感しまくりであった(爆。

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娘の方も反抗と共に自己対象化し内省する時期であるが、しっかりやっていて立派。
そこで自分がパパにとってどういう子供~人間かも見えて来る。
するととても冷静な判断も出来るようになるものだ。

時にはそれまで大切に持っていた宝物を燃やしてこれまでの自分を更新することもある。
確かにわたしもした覚えがある。
自分なりのイニシエーションだ。

クラスの人気者の女子(一番上の位)に、自分の言うことがはっきり言えるようになっただけでも随分前進している。
状況がはっきり変わったり、何かが開けたとかいう大きな変化ではないが、着実に前に向って歩いている。
その辺のリアルさで、この映画には好感が持てる。

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父とは、彼女が一皮剥けることで、お互いをある程度理解し合うところまで来たことは良かった。
観ているこちらもホッとするところだが、まだまだ狭い限定された世界にいる。
出来れば、このSNS世界の外~自然にも触れて欲しいのだ。あのスマホとにらめっこの関係性から脱して。
あの中で、何をやろうが袋小路に思える。
友達や彼氏が欲しいと言うことばかりに終始しているが、人の全体性~身体性から捉えると人間社会ばかりでは、逆に行き詰まり狂うしかない。
人間以外のモノとの関りの欠落こそが今一番の問題だと思う。
SNS~Web環境を前提として結構だが、その外の世界があるということにもはっきりと目を向ける必要がある。
これはこれから最も重大な課題となってくるはず。
(この映画のテーマから脱していることは分かっているが、このままでは先が知れている)。

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あのコンテンツで自分の事以外のテーマで喋れるようになることが、本当の意味で成長、と言うより解放へと繋がると思う。
自分の本質への問いは自分への問いではない。




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ランペイジ 巨獣大乱闘

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Rampage
2018年

アメリカ

ブラッド・ペイトン監督
ライアン・イングル、カールトン・キューズ、ライアン・J・コンダル、アダム・スティキエル脚本
ライアン・イングル原案

ドウェイン・ジョンソン、、、デイビス・オコイエ (元アメリカ陸軍特殊部隊員、霊長類学者)
ジョージ、、、体長12.1mのニシゴリラ(デイビスの親友)
ラルフ、、、体長26mのオオカミ
リジー、、、体長68.5mのアメリカ鰐
ナオミ・ハリス、、、ケイト・コールドウェル博士(エナジン社の元遺伝子研究者)
ジェフリー・ディーン・モーガン、、、ハーベイ・ラッセル(政府の捜査官)
マリン・アッカーマン、、、クレア・ワイデン(エナジン社CEO)
ジェイク・レイシー、、、ブレット・ワイデン(クレアの弟)
デミトリアス・グロッセ、、、ブレイク大佐
ジョー・マンガニエロ、、、バーク(クレア直属の兵隊のチーフ)
マーリー・シェルトン、、、ケリー・アトキンズ博士(エナジン社の宇宙ステーションで遺伝子研究)
P・J・バーン、、、ネルソン(デイビスの相棒)


最近観た映画の中では飛び抜けて面白かった。
如何にもアメリカらしい、よく出来たエンターテイメント作品だ。
単純明快な筋立てで仕掛けは単純だが、闘い自体はかなりヘビーでダイナミック。
とことんやる(笑。バトルそのものの質が高い。
これくらい暴れまくってもらえば文句なし。
一口に言えば「ド迫力もの」か。

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ドウェイン・ジョンソンと遺伝子変異ガス?を浴びて巨大獰猛化したゴリラとオオカミと鰐が四つ巴の闘いを繰り広げる愉しさは格別のもの。
その上、超人的に癖の強いキャスト揃い。
ヒトと怪物のナチュラル・ハイブリットのドウェイン・ジョンソンは言うに及ばず、、、
ハーベイ・ラッセル(ジェフリー・ディーン・モーガン)のいかがわしいオヤジ振りも強烈であった。
兵隊のボスのバークも、怪物相手ではどうにもならなかったが、怖さでは彼らに負けていない。
女性陣もクレア・ワイデンという冷血で残忍な経営者が非道な手口を次々に打って来る。
そう全体にマッチョでいかがわしい匂いプンプン。
遺伝子操作で何でもありの生物兵器が幾らでも出来てしまうというのもイージーで凄い噺だが、、、
宇宙ステーション内で独自に非倫理的実験を極秘にやるなど、中国やロシアならちょっと現実味は感じる今日この頃。

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今一つ何で遺伝子変異体になれたのかが、状況的にも説明不足感は否めないが、そこはそういうもんで、というところか。
その舞台で、マッスルファイト全開である。
キングコングはアメリカはお手の物で流石に上手いが、オオカミと鰐のクリーチャーも手は込んでいた。
これ以上に狂暴に出来ないというレベルまでフィギュアを練り上げ、本来持っていない遺伝機能まで取り込んだ姿は見事と謂える。
フィジカルパワーにはただ圧倒されるばかり。

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日本にも怪獣大戦争ものは幾つもあるが、これを見てしまうと箱庭ごっこといった感じだ。
(それはそれで独特の風情はあるのだが)。
国民性の違いというものも考えてしまう。
まあ、役者からして、随分違うし、、、。
(織田信長を演じた市川雷蔵が、自分にはフィジカル的に無理があると謂ったことをどこかで述べていたそうだが、ここでの野性味は桁が違う)。

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そして、一番の役者はジョージである。
闘いのすんだところで、しんみりムードになって終わりか、と思っていたらこの映画最大のどんでん返しが来た。
これだけデイビス・オコイエ博士と意思疎通出来ていたのか、とケイト博士と一緒にこちらも驚く(笑。
「二人ともいつもこうなの~」と言っていたが、まさに最後にコメディか。
そして皆で明るく仲良く引き上げてゆく(爆。

何なんだ、この明るさは、、、。
日本の怪獣映画にはまず、ない。
心身の疲れには効く映画だ。


また観たいと思える映画。



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千羽づる

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1989年

神山征二郎  監督・脚本
松田昭三 脚本
寺島悠介 原作


倍賞千恵子、、、偵子の母
広瀬珠実、、、佐々木偵子(小6の少女)
安藤一夫、、、偵子の担任
前田吟、、、偵子の父
石野真子、、、看護婦
岩崎ひろみ、、、雨宮由紀子(同室の結核患者)
篠田三郎、、、偵子の担当医
殿山泰司、、、住職
田村高廣、、、近所の医者~主治医
日色ともゑ(ナレーター)


平和公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった少女の実話である。
わたしは理不尽な噺が大嫌いであり、怒りを(自分自らの怒りも籠め)どこかにぶつけてやりたい。
ともかく、頭に来た。

昭和29年の広島が舞台。
理髪店を営む両親の元、偵子は6年生まですくすく育つ。
運動の得意な快活な少女で人望も厚くクラスの人気者であった。
だが、風邪をひき長引いたため主治医に診せると、医者は怪訝な顔をしてABCC(原爆傷害調査委員会)の検査を早急に勧めた。
病院での検査結果は、被爆による白血病であった。原爆病とも称される不治の病だ。
両親は娘の余命が3か月、長くて1年と言い渡される。
母は気丈にこれからの娘をどう支えて生きてゆくか腹をくくるが、父はただ泣き崩れる。
(こんなシーン見ていられない。視聴を止めようかと思ったが踏ん張って観た)。

どうやら、父は連帯保証人にもなっていたみたいで、厳しく借金の肩代わりを迫られていた。
娘の入院費と治療費も事の他嵩み、結局店を土地代の安い地方に縮小移転して何とかしのぐ。
それでも病室を集団部屋からより看護の行き届く2人部屋に移す。
両親は、綺麗な着物を新たに仕立て娘に着せる。
綺麗な着物を纏う娘の見納めなのだ。
12歳である。
たまったものではない。

しかしかえって娘に対する姿勢ははっきりする。
迷う隙もない。
何であれ、出来る限りのことをする。
それだけ。
それ以外に一体何が出来るか。
娘の前では決して泣き顔を見せない両親は立派であった。

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偵子は自分が原爆病であることに周囲の言動から気づき、看護婦と仲良くなりナースセンターで隙を見て自分のカルテの白血球の数を毎日のようにチェックしていた。
とても気持ちの強い子であるが、どうにもならなくなる。
見舞いに来た友達の前では元気に振舞うが、、、
千羽つるを一緒に折ってくれた隣のベッドの二つ上のお姉さんが退院してから、一気に病状も進む。
体中が痛くなり歯茎からは出血し、死斑もそこらじゅうに現れて、、、

偵子の死後、ベッドを片付けていた看護婦が、彼女がずっと付けていた自分の白血球の数値のびっしり書かれたメモを発見する。
小6の少女が自分の死に真摯に対峙し孤独に耐え続けた。
周りには気配りすら見せて。
壮絶な死闘である。
彼女は精一杯頑張った。
自分の生をよく生きたとも謂える。
だが余りに短い。
これで納得のいくはずがない。
彼女の事を愛し慕う誰にとっても。

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原爆を日本に落としたのはアメリカである。
このことは、決して忘れてはならない。
しかし自分の日常レベルでも理不尽はいくらでも転がっている。
それらに対しても確固たる姿勢をもって叩き潰してゆかなければならない。


今日はかなり実のある仕事が個人的に出来た。
新しく買った椅子も格段に座り心地が良い。
これで作業も更に進む。
ゆっくりと無理せず取り組んでゆきたい。
自分の場所でやるべきことをするのみ。



ニューマスター版で大変綺麗な画像であった。



AmazonPrimeにて




ニューマスター版









ダーク・スクール

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Down a Dark Hall
2018年
スペイン、アメリカ

ロドリゴ・コルテス監督


アナソフィア・ロブ、、、キット(ピアノ、作曲担当)
ユマ・サーマン、、、デュレ夫人(ブラックウッド学院の学長)
イザベル・ファーマン、、、イジー(数学担当)
ヴィクトリア・モロレス、、、ヴェロニカ(キットの相棒)
ノア・シルヴァー、、、ジュール・デュレ(音楽教師、デュレ夫人の息子)
テイラー・ラッセル、、、アシュリー(詩担当)
ロジー・デイ、、、シエラ(絵画担当)
カースティ・ミッチェル、、、ジニー(キットの母)


エスター」のイザベル・ファーマンが出ている。懐かしい。
あの強烈な印象はここでも少しだけ垣間見られる。
彼女の狂気の演技は圧巻の一言であった。


とても素行が悪いが、霊感の鋭い女子が5人学長に選ばれて人里離れたブラックウッド学院に入学の運びとなる。
この学長も非常に霊感が強い為、同類の少女がしっかり選べたようだ。
どれも問題行動が激しい厄介者扱いの居場所のない少女たちである。
更生の為の徹底した寮制教育と称し、隔離された場所に閉じ込めるには都合がよい。
それにしてもこの不気味極まりない洋館を見ても信じ切ってしまっていると(親にとり)希望の学び舎みたいになってしまう。

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彼女らの霊感の強さがどういう価値を持つというのか、、、。
学長の霊能力で呼び寄せた天才たちの霊をこの世で現実的に働かせ「作品」などの成果を具体的に実らせるという計画に役立てるのである。
夭逝した天才たちのやり残した仕事の続きをさせるという(荒唐無稽な)企ての器として霊との親和性の高い彼女らが選ばれたという。
霊の存在や霊との関係など今一つあやふや。
存在と関係性の設定がどうもはっきりしない。
天才の霊にしてはその才能だけは目覚めていたとしてもほぼゾンビと同じような有様であるし、それらとの関係性がどのように結ばれているのかも分らず突然、成り切ってというか操られている。

Down a Dark Hall004

選ばれた方はたまったものではない(笑。
憑依されれば身体~精神の負担・消耗は大変なものとなるはず。
その通り、画家、ピアニスト(作曲家)、詩人、数学者に憑依された娘たちはどんどん過酷な製作・思索に機械的に追い込まれ衰弱して行く。途中から彼女らは食事を摂らなくなった。霊は食事をしないからか。
果ては器として耐え切れず自殺してしまう。

実はこの学園ではこれまでに多くの生徒が犠牲となっていた。
それをキットとヴェロニカが探り当てる(この為二人は助かったと謂えるか)。
秘密の部屋にはその生徒たちの夥しいファイルと彼女らが身を削ってこの世に現出させた作品~成果が沢山飾られていた。
数式や新たな物理法則などなら直ぐに発表すべきであろうが、、、。
ただ、物理・化学的な研究であればそれ相応の機材や実験素材や施設が必要となろうが(いくら天才の霊が宿ろうと)。
まあ文芸~芸術主体になると思うが。

Down a Dark Hall003

ここの学長の意図は分かったとして、その成果である作品群をどうしようと思っていたのか。
死んだ天才作家の新作だと言って信じてもらえるはずもなかろう。
全て贋作、よくって器用な作家の作ったオマージュ作品どまりであろうに。
自分だけのコレクションでは恐らく我慢できないはずだ、、、。


最後はもう学園全て焼き崩れて終わりとなる。
生き残ったのは、キットとヴェロニカの生徒二人だけ。
作品が残ってもややこしいだけである。
こういうカタストロフがよい。
キットの言うように、寿命なんだから仕方ない。
運命だ。それに尽きる。

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ここでもまた、教育システムの諸問題も横たわっているが、一番力点が置かれているのは洗脳~搾取の流れ。
これがグロテスクに描かれていたとも受け取れるか。
それにしても、、、
主題的にみて、教育者は文化の発展の為にも、過去の天才を引き継ぎ超える若き才能を育てることに情熱をかけるものだが、この学長、夭折した天才に続きの仕事をさせてどうするつもりだったのか。
スタイルから謂ってももはや古いものであろうし、質が高くてもかつての名作のバリエーションを超えるものでもない、となるとやはり完全に自己満足のコレクションか、あの画家の作品が新たに発見されたとか言って金儲けに使うくらいではないか、、、
虚しい。

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この映画、ホラーにカテゴライズされていたが、怖い所は特にない。
なかなか面白い作品であった。




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若草物語

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1964年

森永健次郎 監督
三木克巳 脚本
吉永小百合『若草物語』主題歌
崎出伍一音楽

芦川いづみ、、、瀬川早苗(長女)
浅丘ルリ子、、、高村由紀(次女)
吉永小百合、、、高村しずか(三女)
和泉雅子、、、高村チエコ(四女)
浜田光夫、、、矢坂次郎(由紀を慕う幼馴染、カメラマン)
杉山俊夫、、、山本和雄(矢坂の同僚)
和田浩治、、、野沢圭一(由紀に恋するブルジョアの息子)
山内賢、、、河野健吉(チエコの彼氏、バーテン)
内藤武敏、、、瀬川宏一(早苗の夫)
伊藤雄之助、、、高村勇造(高村家の父)
東恵美子、、、高村弘子(勇造の後妻)
清水将夫、、、野沢章二郎(圭一の父)
高野由美、、、野沢路子(圭一の母)
田代みどり、、、野沢まゆみ(圭一の妹)


とても面白かった。
今では見られないようなゴージャスな四姉妹のお芝居がたっぷり堪能できた。
最近の若手女優とは随分雰囲気が異なる。
どちらが良いとか悪いではないのだが、、、。
(坂道グループに入りそうな人は一人もいなかった(爆)。
幼い演技をしていても大人の風格を感じるのだ。
(探検家になる前の和泉雅子の若い頃が、随分可愛らしくて印象的)。

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オルコットの「若草物語」の映画版ではない(あれを日本に置き換えるのは大変では、、、)。
父が後妻をめとったため、共に暮らしていた娘三人が東京に嫁いでいる長女のところにそろって押し掛けて来てそこから色々と恋愛騒動が巻き起こるというもの。呑気と謂えば呑気な噺だ。
主要登場人物の感情の流れはとてもよく掴めるもので、それぞれに共感できる。
長女の夫、内藤武敏と4人姉妹の父、伊藤雄之助がのんびりとしたムードで良いアクセントになっていた。
娘たちの恋愛対象の俳優は、最初顔の違いがはっきり掴めなかった(笑。
BGMも如何にもこの時期の青春ものといった感じ。

基本的には、由紀としずかとチエコが三人で歩きながら歌を唄ったりして楽しい雰囲気で和やかに進む。
実際の歌声が聴けるのはファンにはきっとたまらないものだろう。かなり上手いし。
(もっと沢山歌~ハーモニーを入れてミュージカル仕立てにしても良かったように思う)。
コミカルな部分もあるが、やがてとっても苦しいところに突入して行く。
こちらも心配になって観ていられないような場面へと、、、修羅場もあるし。
次郎を間に挟んで華やかで社交的な由紀と生真面目で内向的なしずかの感情が絡み縺れる。
姉妹同士の確執と恋愛対象に対する葛藤と動揺。
こんな時、とても幼く見えたチエコが冷静でしっかりしている。分かる。こういうポジション(笑。

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だが、そう来たかという感じで決着に及ぶ。
恐らくもっともよい形に治まった。
落ち着くべきところに落ち着いたという、、、。
由紀には豊かで安定した生活を欲していただろうし、しずかは多忙で貧しくてもそこに生きがいを見出してゆけるはず。
由紀は生活を取り、しずかは対象そのものを選んだ。

圭一がそんなのやだ~っとか言って、高価な装飾品などを床に叩きつけて割ってダダを捏ねたのに押されて由紀が結婚を決めたという訳ではあるまいが。
あれくらいの過保護ボンボンであれば、かえって思うような生活を営む上ではやり易そうだ。
完全に由紀が頼られる側である。好きなように物事が運べそう。

しずかにとっては、ずっと一途に次郎ばかりを想ってきたのだ。彼が姉にぞっこんなので譲っていたが、もうその必要はない。
どんなに生活がせわしなく厳しくとも、情熱的で尽くすタイプの彼女にとっては生きがいとなり幸せであろう。

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それにしても由紀の選択とそれに対するしずかの決断は、究極の予定調和であった。
後にしてみれば、一番よい方向に流れたと謂えよう。
ここで次郎の同僚の山本が絶妙な(触媒のような)役割を果たす。
彼の身振り、行動が無ければ今一つ場は動かなかったと思う。

やはり外圧~負荷がある程度加わることで、自分が本当に望む方向性~対象がクッキリ浮かび上がってくる。
悉くそうしたものだと思う。
「わたしは誰のものでもない。わたしはわたしよ」
全く正しい。それで行かないと。

ともかく、終わりよければすべてよし、という感じであった。
結構スリリングで愉しめる映画でもある。







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エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート

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extra shot non whip caramel pudding
2015年

土屋亮一 脚本・演出

真山りか 、、、演劇部OB
安本彩花 、、、2年生新入部員
廣田あいか 、、、小林の姉
星名美怜 、、、演劇部員
松野莉奈、、、 演劇部員
柏木ひなた、、、部長 
小林歌穂 、、、演劇部員
中山莉子、、、一年生部員
  以上 演劇部生徒(私立恵比寿中学メンバー)
小関えりか(シベリア少女鉄道)、、、教育実習生
加藤雅人(ラブリーヨーヨー)、、、顧問


舞台演劇のビデオを鑑賞した。
「私立恵比寿中学」については、わたしは何も知らない。
この時期は、8人体制であったが今は、6人のようだ。いやその後はどうなっているのか、、、
松野莉奈さんがこの後、18歳でお亡くなりになったことで、体制も変わっている。
(もう一人のメンバーが悪性リンパ腫でグループから外れて6人となるが、3人新入生を入れて現在は9人体制となったという)。

この舞台とても細やかにトリッキーに作られていて、流れが巧妙に繋がってゆき、なるほどね、という面白さであった。
大きな筋では先は読めていても、そこに持ってゆく流れがいちいち面白い。
そのうえ、この8人の演技は安心して堪能できるレベルであった。
特に小林歌穂の複雑な役どころの演技には引き込まれた。

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エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート、、、
これを買って来いと部長が一年生に命令するが、確かに呪文に聴こえる。
そこに毒を入れて復讐を果たそうとするのだから、まさに呪いの具現化だ(笑。
ことばが異なる文脈上で容易に反対の意味を持つことをスウィッチの素早いオンオフみたいに替えて楽しませてくれる。
演技のスピードがついてゆく。

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まあ、皆若くてパワーに溢れていて技術~力はしっかり持っている。
この「私立恵比寿中学」の人々を見て、「乃木坂」や「櫻坂」だけではないな~と思った。
実力者はまだまだいるのだ。
いくちゃんを頂点として、才能溢れる彼女らの層は厚い。

どんな楽曲を普段披露しているのかと思いPVも見てみたが、なかなか持っていかれる魅力あるものだった。
これからは彼女らの本業の曲もチェックしてゆきたい。
しかし舞台も充分に面白いので、またこのような機会があれば是非AmazonPrimeにて鑑賞したいものだ。
何度も見てゆくうちに、このグループもファンになってしまいそう(笑。
(当然、乃木坂ファンであるが、最近は櫻坂のファンにもなりつつある。「ブルームーンキッス」以降(爆)。

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ともかく、鑑賞していて快感に浸れる。
これだと思う。
時を忘れて楽しめる。
実は今日これを見る前に、『京都「やまと絵師」物語』(AmazonPrime)を観たのだが、この映画ではとても快感は得られない。
脚本と演出がまるで成っていない為。観ていくうちにどんどん引いてしまい、まともに観れなかった。
やまと絵~絵師の人生、を味わい知るのなら書籍~画集を見た方がよっぽど良い。
その点、この映画(舞台)はよく寝られた噺とハイテンポな工夫された演出でグイグイ引き込んでくれる。
演技もそれを的確に表現していて言うことなし。

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こういうものなら、また観たい。
舞台は演じる側にとってもやりがいは半端ではないはず。
面白いとその度に会場にどよめきや笑い声がどっと立ち起こる。
手ごたえがリアルタイムで掴めるのも演者にとって醍醐味であろう。
ライトを浴びての舞台上での歌や演劇は一度やったら止められない快感だと思う。
それがこちらにも自ずと伝わってくるのだろう。

快楽の共有か。
いいものだ。
健康的だ。





AmazonPrimeにて











創造と神秘のサグラダ・ファミリア

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Sagrada
2012年
スイス

ステファン・ハウプト監督

アントニ・ガウディ
外尾悦郎(彫刻家)
ジョセップ・マリア・スビラックス(彫刻家)
マーク・バーリー(建築家)
ジョアン・バセゴダ(ガウディ王立研究室ディレクター)
マリオナ・ボネット(建築家)
ジャウマ・トーレギタル(現場監督)
ジュディ・スビラックス=ブルガヤ(美術史家)
ジョアン・リゴール(サグラダファミリア・ファンデーション元会長)
ライモン・パニッカー(宗教学者)
ジョルディ・サバル(音楽家)
ジョセップ・タジャーダ(模型室主任)
デビッド・マッケイ(都市プランナー、建築家)
ルイス・ボネット(聖職者)
コンチータ・スグラニェス(証言者)
ルアード・ボネット(ステンドグラス職人)
ジョアン・ヴィラ=グラウ(ステンドグラス・アーティスト)


何度でも観たくなるようなドキュメンタリーであった。

まず旅行で行ってここまでディープに””Sagrada”の中心まで見ることは叶わぬはず。
この映画でしか観られないものだ。マリオナ・ボネットが少女時代に魅惑された、まさに別世界か。
この時点ですでに130年間建造が続いている。
関係者の熱意と努力には感服するが、これほど様々な人々を引き寄せ続けるガウディという導き手には驚嘆するしかない。
今これだけ人を惹きつける思想家がいるだろうか、、、。
彼はリウマチに苦しむ地中海が世界の中心だと信じるカタルーニャ人の少年であったという。
友達と遊ぶ代わりに、ひたすら自然を観察しスケッチを繰り返していたそうだ。
大学では建築学を学ぶが、自然観察から得たものの方が大きかった。

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「神は急いでおられない。焦らなくていい」
教会は地上で神が住まう場所だ。
サグラダ・ファミリア~聖家族贖罪教会は、1882年に着工された。
路面電車に轢かれて1926年にガウディは亡くなるが、建築は休むことなく続けられている。
いつ完成するかは、まだ分からない。
映画で語られる永遠という概念にはわたしも同意する。
それは終わりの無い時間ではなく、時間の無くなった瞬間を言うのだと。
まさに、、、。

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当初から非常に長い時間を見込んで着工された壮大な大建造物であったが、、、
ガウディは自分が生きているうちに完成を見ることはないことが分かっていた為、ファサードから作り始めた。
それがあれば、後世の建築家も何をすべきかが分かるということから。
なるほど、、、説得力ある。
晩年は他の仕事を一区切りし、サグラダ内に住み込んで仕事に集中したという。
身なりも大変粗末で、そのまま電車に轢かれた時も浮浪者だと思われていたらしい。

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彼の思想は、自然を手本にデザインするというもの。
神の教えをコピーするという考えだ。(学生時代よく訪れたモンセラ山を見るとガウディがそこに何を見たのか興味が沸きたつ)。
言い換えれば、既存の木を木材として使うのではなく、その木の構造を理解しそれを建築に応用して作るという思想だ。
そして「光」~採光に(と同時に色にも)拘る。地下にも光をとりこむネオゴシックを基調とする。
ステンドグラスがまた荘厳。
取り込む光すべてに意味が割り当てられている(24の方向の光は「ヨハネの黙示禄」の長老を表す等)。

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ガウディを引き継いで建設に関わっている専門家たちの考えのずれは面白いが、深い理解のもとの見解も興味がそそられる。
現場監督のトーレギタルの言う「形には言葉がある」それを見出せばシンプルにやるべきことが分かる、には考えさせられた。
確かに全ての形には芳醇な意味が込められていた。
外尾悦郎のファサードに彫った形の意味がとても解り易く明快で豊かであった。

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1936年フランコによって引き起こされる内戦で教会は破壊され、ガウディの肉筆のスケッチや図面や25分の1模型も悉く失われてしまう。ガウディは基本的に設計図は引かず肝心なところは3Dで考え模型でそれを示していた。
関係者は途方に暮れ、建造自体を見送る専門家たちの(ル・コルビジェやグロピウスさえも)署名運動まで起こったが、結局当初の計画通りに再び建設が始まる。最悪の場合、博物館にされるところだった。象徴的である(笑。

サグラダ・ファミリアは使命であった。
今もその細かい無数の断片は整理されて組み立てられ再生している。そのピースを繋ぎ合わせヒントを見出す途方もない作業が同時並行されているのだ。時間はかかる。まるで神の思考の痕跡を辿るこれも崇高な使命に思われた(模型室主任までいるのだ)。
そして飛行機設計用のソフトで全体を運用している。パラメーターに落とし調整がし易い。建築学も日々変革されてゆくのだ。
ダイナミックで(チームとして働き易い)融通の利くことが大切になろう。

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外尾悦郎はガウディの建設思想を実現させるため、カトリックに改宗した。
「ガウディが見たものを見るため」である。しかしそれはキリスト教に限定された視線~思想ではあるまい。
スビラックスは抽象彫刻家であるが、独特の直線的な造形で「生誕」に対する「受難」のファサードを受け持つ。
模倣抜きでガウディの仕事を彼なりに発展させる姿勢で取り組み見事な仕事を果たしている。
スタティックで単純化されたストイックな造形で新鮮な要素として光る。彼は抽象芸術家である上に無神論者である。これも有機的に全てを総合するサグラダに調和していた。
フランコ死後、1976年に受難が完成を見た。新たな出発となる。

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取り組む専門家たちは自らの思想や手法を尊重しつつ「ガウディのヴィジョンをどう実現させるか」に腐心していた。
アプローチや捉え方は異なってもサグラダ・ファミリアを使命として捉えていることに変わりはなかった。
ガウディの基本ヴィジョンをどう実現させるか。
その建設自体が終わりの無い解釈だと、バッハの「ミサ曲ロ短調」を指揮する音楽家ジョルディ・サバルは語る。
演奏を繰り返しバッハの解釈に挑み続けることしかないことと同様に。
確かに携わるだれもがその過程を強調するのだった。
壮大な試みである。

しかし政府~市の政治との確執は大きい。特にこの巨大建造物の下を高速地下鉄通す工事を強行していることには、誰もが不安を抱えている。サグラダは悠久の時間の中で生成され、その地下を高速鉄道が走るという皮肉。


ガウディはよく散歩をしていて、コンチータ・スグラニェスと出会うと決まって黒いコートのポケットからピーナツを取り出して、くれたそうだ。


コロナの影響で観光客の入場料頼みの建設資金は大丈夫なのか、心配である。






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クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代

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KLIMT & SCHIELE - EROS AND PSYCHE
2018
イタリア

ミシェル・マリー監督
アリアンナ・マレリ脚本

ロレンツォ・リケルミー、、、ナビゲーター(映画俳優)
ルドルフ・ブッフビンダー、、、解説(ピアニスト)
リリー・コール、、、解説(モデル、女優)
エリック・カンデル、、、解説(ノーベル生理学・医学賞受賞の神経学者)
ジェーン・カリア、、、解説(美術史家)
ブライアン・ギリアム、、、解説(音楽理論家)
エリザベート・レオポルド、、、解説(レオポルド美術館館長、世界最大のシーレコレクション)
フランツ・スモーラ、、、解説(美術史家)
クラウス・アルブレヒト・シュレーダー、、、解説(アルベルティーナ美術館館長、美術史家)

ドキュメンタリー


ナレーション声がやたらと小さく何言ってるのかよく分からなかった。
(ボリュームを上げるとBGMだけが馬鹿でかくなってしまいバランスが酷く悪い)。
絵の流れで大体を理解した。自分なりに。
これはAmazonPrime固有の問題のようだ。他のところではナレーションが奇麗である(そこには入会していないため触りしか確認できなかったが)。


「時代には芸術を、芸術には自由を」
分離派の会館正面に飾られた言葉である。
でかくて金色の文字であった。
金色と言えばクリムト。
エロスとタナトスの象徴的な色となっている。

表面を取り繕ってもどうにもならない矛盾と腐敗と荒廃が極に達し、そこにスペイン風邪のパンデッミックも加わり、時代を支配してきた体制派は終焉するが、解体に導いた革命家もともに死んでしまう。
その偉大なる作品だけ残して。
ホントにシーレのデッサンは凄い。見惚れた。

KLIMT SCHIELE EROS AND PSYCHE002

この映画では、ムンクの弟子?エゴン・シーレが主役となっていた。
わたしは、このシーレにはこれまで実存の不安と戦きばかりをヒリヒリと感じていたが、この画面で彼のタブローを具に見ると彼の内奥の攻撃性を何より強く受け取った。
かなりモデルに対しサディスティックな画家であったようだが、外に向けた獰猛な意思が伝わってくる。
とても共感を得るところだ。

彼ら芸術家の出現と同期(通底)するように、ジークムント・フロイトが無意識という精神を規定する場を発見する。
この「無意識」はセンセーショナルで、何らかの形で皆が飛びついた。
壊すべき権威~表層に対する内奥に秘められた欲動。
19世紀のウィーンに熟したサロン文化という場にも、とっても魅惑される。
(今、これが無いなあ)。


あらゆる観点から価値の激変した時代であり、スペイン風邪~コロナ禍にも見舞われている状況もとても似通っていて緊張感をずっと覚えて視聴した(凄く聴きにくかったが)。

シーレはもっとよく観てみないと、、、。
こjの時代の空気を改めて感じる。
エミーリエ・フレーゲ(クリムトのソウルメイト)やベルタ・ツッカーカンドル(サロン主催者)、グスタフ・マーラー(交響曲第五番「アダージェット」が取りざたされていた。彼は画家でもある)、ソニア・クニップス(クリムトのパトロン)たちの話題もしっかり組み込まれて進行していた。解説者も対象として取り上げられていた人も充実していた。
(クリムトに関してはいまひとつ特にこれといった情報はなかったが)。






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ついに実現、S君の絵画展

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8月についにS君の絵画展が開かれることとなった(祝。
これまで周りから「いつ絵画展やるの?」とせっつかれていたものだが、やっと彼も重い腰をあげたようだ(笑。
作品数はもう膨大なものとなっているようだし、どうするのかと思っていたら、数をかなり絞って出すことにしたらしい。
平〇〇〇にある立派な洋館であり、その景色が気に入りそこを描いたことで、作品展示は是非ここにしようと決めたそうだ。
(彼に確認しその正式名と住所を公表してもよいことになれば、後日ここに載せたい)。

作品は厳選して出品するという。
素晴らしい。ワクワクだ。
そして、絵のコメント~解説文を依頼された。
責任重大である(笑。
なんせ彼のファンは幅広い。
絵を借りたまま返さない大学教授(もう故人か)とかその道の専門家(わたしも端くれだが)や音楽家やSEやその他諸々、、、
一番多いのは、学校の先生がただろうが、、、押し寄せるな(爆。

ここは、うんと詩的に行きたい(笑。
学校の教員で詩の分かるのはほとんどいないし(嘘。
彼から出品作の写真が送られ次第、作業に入りたい。
わたしの知らない新作もかなりあるとのこと(それはそうだろう)。
ホントは、直にその作品を見て書きたいのだが、このご時世である。ふらふら出かけてゆくのも大変だ。
本物は展示館で見ることにする。すでにわたしのコメもついてしまっている状態で(笑。

web上でも展示場を開ければよいが。
わたしの以前のブログくらいの形式でよければ、、、
しかしスケールがね。
まあ、どんなものかの見当をつけるくらいには役に立つかも知れない。

以前のS君の作品紹介。
S君の仕事-Ⅰ
S君の仕事-Ⅱ
S君の仕事-Ⅲ
S君の仕事-Ⅳ
S君の仕事-Ⅴ
S君の仕事-断片補遺

ここで紹介したものは、ほんの一部であり、わたしが久しぶりに彼のお宅にお邪魔して、部屋に飾ってあったものを写真に収めコメントと共にアップしたもので、ブログではせいぜいこの程度の解像度が限界となる。
実際に足を運んで観てもらう方が良いはず。
コメントはやはりこの線に落ち着くかも(笑。
もう少し面白いものにしたいが。
(まだ分からない)。


やはり自分の作品もしっかり頑張りたいものだが、今諸事情からそれを進める状況にない。
いずれ体制を立て直して臨むことにする。
まあわたしの方はゆっくりやってゆきたい。

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”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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シルバー・グローブ/銀の惑星
イカリエ-XB1
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地球の静止する日
地球が静止する日
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マザーハウス 恐怖の使者
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ベイマックス
ファースト・コンタクト
ファースト・マン
13F~サーティーン・フロア
あやつり糸の世界