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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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「ハリウッド・コレクション:想い出のイングリッド・バーグマン」

Ingrid Bergman004

Ingrid Bergman
1986年
アメリカ

ジーン・フェルドマン監督

イングリッド・バーグマン
その他大勢
ドキュメンタリー


自然体で、自分に誠実に生きた女性。
これに尽きるか。
それにしてもこれ程、華々しい人生というものがあるんだなあ、、、
「君の瞳に乾杯」ときた、、、。
ただただ、感嘆するばかり。

Ingrid Bergman001

こういう一生を眺めてしまうと、自分の人生の超低空飛行ぶりに唖然としてしまう。
彼女は両親に溺愛されて育てられたというが、それによって培われた自己信頼感が外に向けての果敢なチャレンジを悉く成功に導いていると謂えよう。
両親にされたことを周囲の人々からも等しくされる。
これは基本法則のようだ。

彼女の優れた才能と決断力、行動力は勿論、素晴らしいものだが、やはり前提となるのは、あの天賦の美貌である。
まずあれがなければ、始まるまい。
どうしたって、そこが出発点であろう。
そうでなければ、そもそも女優など目指す分けもない。
そう、あのような美貌に恵まれなくても、彼女なら別の分野でも超一流の何かになっている可能性は高いだろうが。

Ingrid Bergman003

とかく恋愛に関しても自分の気持ちに忠実に動くと世間的な外圧は避けることはできない。
そんなことには動じない彼女であっても、流石に大事にしていた娘に対しては心を痛めたはず。
映画でもそれは語られていたが、親権を獲得するまでは悩むことも多かっただろう。
だが娘のピアも寂しい思いは味わったかも知れぬが、何より母を人として尊敬していたことは間違いない。
それは彼女にとっても娘にとってもこの上ないことだ。

『ゴルダと呼ばれた女』という最後のテレビドラマ出演作を引き受けた時には、すでに全身に癌が転移しており非常に辛い体調であったという。映画で初めて知ったがこの時、主演舞台も同時に抱えていたそうだ。
しかしセリフは勿論、完璧に覚えて、どちらも誰よりも早く現場に入り、最後まで残っていたという。
プロデューサーにも周囲の誰にも病の件は明かさず、彼女が最悪の体調を押して臨んでいることに気づく人はいなかったという。
恐ろしい人である。

Ingrid Bergman002

『ゴルダと呼ばれた女』で受賞した二度目のエミー賞を受け取るためその亡き母の代りに舞台に上がったピアのスピーチに彼女がしっかり娘に受け入れられていたことを知る。
三回もオスカーに輝いているだけでも世紀の大女優であるが、娘と多くの人々に深く愛され、尊敬された人生であったことは確かである。
大女優生命を危うくするような過激な挑戦も沢山して、最終的に全てが実を結んだと言えよう。
めくるめく濃密で絢爛たる人生を全うした人だなあ、、、と見終わって軽く虚脱した(笑。

Ingrid Bergman005

まあ、凄い人はいるものだ。
という認識を新たにしたが、、、


自然体で、自分に誠実に生きることだけは大いに見習うところだ。
今の1,000倍はそうすることにした(爆。
いやホントに。





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若き日の信長

nobu001.jpg

1959年

森一生 監督
八尋不二 脚本
大佛次郎 原作

市川雷蔵、、、上総介信長
金田一敦子、、、弥生(山口左馬之助の娘)
青山京子、、、小萩
高松英郎、、、林美作守
北原義郎、、、平手五郎右衛門
舟木洋一、、、勘十郎信行
市川染五郎、、、平手甚三郎
小沢栄太郎、、、平手中務政秀 (爺)
月田昌也、、、木下藤吉郎
伊沢一郎、、、山口九郎二郎
清水元、、、岩室長門守
佐々木孝丸、、、大石寺覚円
香川良介、、、山口左馬之助
荒木忍、、、林佐渡守
松岡良樹、、、平手監物


体調がまだ思わしくなく、今日はお気軽に観れそうな短いものを選んだ。
そこそこ楽しめた。

桶狭間の戦いに向かう際の「人生五十年~」という敦盛の舞は、南辛坊さんも舞っていて親近感がある(笑。
市川雷蔵版は重厚で見応えがあった。
合戦前にあれを舞えば集中して気合も入るはず。それで今川義元を急襲して打ち取れたのだ。
(実際に舞っていたというのだから素敵だ)。

誰よりも情報戦を重視し、密かに偽の密書などを配下に書かせて敵を他の敵を使って効率的に倒す。
流石である。
大した「うつけ」である。
戦国の世、味方陣営にも裏切り者が多かった為か、本当の配下の別動隊を使って内々に画策をしていた様子が描かれていた。
しかし油断させる為とはいえ、親身に思って誠心誠意仕えている宿老の爺を切腹させては、元も子もない。
もう少し近しい臣下身内への配慮は必要だっただろう。しかし敵を欺くにはまず味方であろうか。
情報戦は諸刃の刃でもある。

しかし男は至る所で命を狙われ、女は政治の道具に使われ、この時代も生き難い時代であったことは分かる。
だがその中でも切腹というのは、キツイ制度であった。
これをやる方も辛いだろうが、やられた方は(信長など)たまったものではない。
死ぬことで相手に消えない巨大な負債を与えるのだ。
(毒親はこれの小型版を継続的に仕掛け続ける)。
いずれにせよ、どう見てもフェアではない。
人間が生きていれば、どの時代でも、この手の災厄はずっとついて回るのだろう。


歌舞伎役者についての知識がまるで無い為、何代目の誰がどの人かよく分からないのだが、松たか子のお父さんは直ぐに分かった。この時若干17歳である。若い。あまりに若過ぎて、「仮面ノリダー」の”ちびノリダー”が被ってしまい、とても困った(とんねるずのその番組を見ていなかった人には意味不明であろうが)。

市川雷蔵の太眉の信長は凛々しいが野性味はなく洗練された都会派であった(笑。
進歩的な思想家としてはピッタリの風情であったが。
信長と弥生の関係も涼やかな演出で良かった。
市川雷蔵と弥生役の女優がお似合いで絵になっている。
全体に絵的にシンプルでとても見易かった。


まだ幼い加藤清正が馬に乗って桶狭間の戦いに参戦するなんて、、、映画的に面白いだろうか。
微妙で無理な演出が散見されたが、概ね面白かったからよいと思う。


信長に今川が滅ぼされると、いよいよ家康が出てくる。
この後の(家康~徳川)物語は溢れる程あるが。遠慮したい(笑。










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箪笥

A TALE OF TWO SISTERS001

A TALE OF TWO SISTERS     장화, 홍련(장화홍련)
2003年
韓国

キム・ジウン監督・脚本
イ・ビョンウ音楽

イム・スジョン、、、スミ(姉)
ムン・グニョン、、、スヨン(妹)
ヨム・ジョンア、、、ウンジュ(看護人、継母)
キム・ガプス、、、ムヒョン(父、医者)
ウ・ギホン、、、ソンギュ(叔父)
イ・スンビ、、、ミヒ(叔母)
パク・ミヒョン、、、実母


今日は体調も悪く、細かい言い回しとかもうほとんど覚えていないがその骨格は掴めた。
思いつくところから語りたい。

A TALE OF TWO SISTERS004

この過剰なまでのウンジュに対する娘たちの敵対意識は、、、
ウンジュを看護師ではなく女性として見た時の病床の母に対する同情もあろうが、自分たちの父を奪われる不安と恐怖を募らせたエレクトラコンプレックスも充分に感じられる。それをも考慮に入れなければ、これほど彼女に対する無礼極まりない接し方もないだろう。
そもそもこのウンジュという女性が最後にスミを精神病院に見舞った時の様子を見ると(父親との親密さは写真から窺えるものではあるが)、事務的で愛想はない看護や家の仕事などやるべきことは責任を持ってそつなくこなす感じの人に見えた。
すでに後妻におさまっているようではあったが。

A TALE OF TWO SISTERS003

父の動きが鍵になるが、母と妹の亡くなった家に再びやって来たのは、父と姉だけであったことが次第に分かる。
妹は父の視界にないことから不在を察することが出来るが、継母~父の部下の看護師は、薬の手渡しと座っている姿が忽然と入れ替わるところで決定的になる。スミのもう一つの人格である(袋に人形を詰めていたところなどには、冷たい恐怖が走った)。
この継母人格の妖艶さすら漂わせる冷たい美貌は、誘惑者と略奪者の狡猾さも窺わせる。実際の彼女とはかなり隔たる印象だ。

ただし、このウンジュも作った食事をろくに食べず、さっさと部屋に引き挙げてゆく次女の態度には流石に怒りを覚えそれを叱る。
叱られた娘を抱いて慰めた後で、母は箪笥の中で首を吊って自殺を図る。それに気づいたスヨンはパニックになり母を箪笥から引き釣り降ろそうとするが、その箪笥ごと倒れて彼女も圧死してしまうこととなる。
もがきながら「お姉ちゃん助けて」と叫ぶが、気づいて来たのは、ウンジュだけであった。
彼女は直ぐに部屋を出たときにスミに出くわす。ウンジュは彼女を止めるがスミは「どいて、ここにいるのが耐えられない」といった言葉を彼女に強く投げつけ出てゆこうとする。
「お前はこの一瞬のことを一生後悔するだろう」に対し「あなたの顔を見なくて済むなら結構よ」みたいに返し、そのまま外に出て行ってしまう。
胸騒ぎがして家を振り返るが、窓を開けてこちらを見ているウンジュと目が合い、踵を返してゆく。ここでエンドロール。
ウンジュの自分に対する態度が招く自業自得の結末に永遠に苦しみぬけという呪いでもあるか。
物語の中で、「聴こえなかったの?」というセリフがあった。悔恨の響きが鳴り響いている。何故聴こえなかったのか、、、
妹よりウンジュへの当てつけその権力闘争を優先させたため、妹の幽かだが悲痛な叫びを聴き取れなかった。
(しかし箪笥の倒れた大きな音は響いたはずである。何故ほかの誰かが駆け付けなかったのか、特に父!)

A TALE OF TWO SISTERS002

この取り返しのつかない結果に対し、スミは人格が自分とウンジュに分離し、更に妹スヨンの幻影をも出現させた。
どうにもならない後悔から、悪辣な継母とか弱い妹と彼女を献身的に庇護する自分という人格とその関係を幻想の中に創作し閉じ籠る。「忘れてしまいたいこと、消してしまいたいこと」のまさにただなかに。そのなかにぼんやりと見守るように現れ薬をくれたりする(現実の)父親。距離を置いて観察するように。まるで父親の方が幻のような存在ではないか。
しかし何故この父親は、妻や娘たちそしてウンジュとのコミュニケーションをこれほどまでに図らないのか。
彼の放任によって女同士の幻想の暴走が始まり、それが膨らみ行くところまで行ってしまったと謂えよう。
この男は一体何をしているのか(言うまでもないが、するべきことを怠ってしないことは、残酷な虐待に等しい)。
スミの妹スヨンに対する不自然なほど過剰な心配や労り「何でも言って」という懇願する姿勢が悲痛な限り。
(スヨンはそれに対し最後は絶叫していた。もうすでに、どうにも出来ないのだ。何も変えられないのだ。言うまでもなくこの叫びはスミの心の底からのものである)。

伯父と叔母を父は、母が首を吊る日に呼んでいたが、あれは何の目的であったのか。
(伯父はムヒョンに呼ばれて仕方なく来ることになったと言っていたが)。
食事の席で一人ではしゃぎゲストの相手をしていたのは、ウンジュではなくスミに他ならない。
叔父夫婦の怪訝な表情が全てを語る。
しかし叔母はまさかあの異様な光景に気分を悪くして心臓発作を起こしたというのか。
(スヨンのお化けも見たみたいだが)。
この辺も含め、今一つよく見切れなかった部分がある。
気持ち悪い家だと言っていたが、それは確かに気持ち悪い。この上なく(わたしも倒れる気がする(笑)。
又日を改め、再度視聴してみようかとも思うが、体調が優れないときは止めておきたい。

A TALE OF TWO SISTERS005

大変高密度な作品であったが、、、
興覚めになったところもある。
恐らく韓国人は誰もが知るところの有名な伝説を元にしているそうで、最後に姉妹の亡霊が出ることになっているらしい。
それもあり、お化けはこの映画でも外せないようだ。
しかしここまで精緻にスミの幻想界を描き切っているのである。それに対する現実だけでなく霊的超常現象まで織り交ぜてしまうと物語に重みがなくなってしまう(格が落ちる)気がするが。
正直、わたしは白けた。
あのウンジュが家に帰って(ホントの)お化けに遭って悲鳴を上げるところなどはどう見てもいらない。
そんな期待に添わなくてもよいはず。
わたしもこの映画を最初から所謂ホラーとしては観ていない。




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死体語り

THE NIGHTSHIFTER001

MORTO NAO FALA   THE NIGHTSHIFTER
2018
ブラジル

デニソン・ハマーリョ監督・脚本

ダニエル・デ・オリベイラ、、、ステーニョ(死体検視官)
ファビウラ・ナシメント、、、オデッテ(妻、浮気している)
ビアンカ・コンパラート、、、ララ(浮気相手の娘)
アンナララ・プラテス、、、シサ(ステーニョの幼い娘)
マルコ・リッカ、、、ジャイミ(ステーニョの小学生くらいの息子)


相変わらず人に対してわざと空咳をしてくる馬鹿が徘徊している。
例外なく如何にも頭の悪そうな馬鹿面を下げていることは言うまでもない。
(後で何とかするか。ゾンビみたいなものに構っている暇はないのだが)。
それにしても何なのかね~~この下劣な糞屑どもは(爆。
午前中の買い物時間の短縮を促す役には立った。
ブログも午前中に書けるし。放置したままアップは午後10時過ぎとして。

THE NIGHTSHIFTER002

さて、ただもう血生臭い映画であった。わたしの苦手なホラーである。時間が比較的短いので選んでみた。
出てくるのは損傷の激しい死体ばかり。大概、喧嘩やギャングのいざこざで出た他殺体なのだ。
ブラジルの死体安置所とは、こんなに血なまぐさいのか。
主人公が死体と話せる特技を持っている為、死体との対話がたくさんある。
(冗談じみたシチュエーションだが生真面目に淡々と会話を交わした後、手際よく処理して行く)。
死んだ後、生きてる間に誰にも話せなかった秘密を彼に告白~懺悔してくる者もいる。
誰にも内緒であった父殺しまで告白されても、、、された方もたまったものではない。
毎日酷い惨殺体を見続け、おまけに死者の爆弾発言にまで耳を傾けていれば、ノイローゼにならない方がおかしい。
悪臭も生半可なものではない。
この染付いた死臭のお陰で女房にまで浮気される始末(悪臭だけが原因でもなさそうだが)。

THE NIGHTSHIFTER003

よく耐え忍んでいる真面目で気弱な主人公に同情する。
だが、彼も我慢ならないこともある。
妻の浮気問題である。
これも別の死体からの情報で知ったことだ。なんとも因果な職業であり特殊能力である。
(わたしはこんな能力絶対にいらない(笑)。
浮気相手に対する手段を択ばない報復に彼は出た。
(しかしむしろ妻の方が問題に思えるが)。

これまで死体から得た情報は一切外には漏らさずやって来たが、妻を奪った男に復讐するため、初めて誰も知らない死体が最後に語った貴重な情報を利用する。
ギャングの抗争で弟を殺されたボスに彼と弟しか知らない情報をちらつかせて信用を得て、妻の浮気相手をはめて彼を殺させる。
だが、浮気中であったため、ステーニョの妻まで殺されてしまう羽目に(これは夫としても誤算であった)。
そこから災いが彼や家族に、そして浮気相手の娘にも降りかかり酷い目に遭わされる。

THE NIGHTSHIFTER004

怖いというよりひたすらグロテスクで気持ち悪い場面ばかり。
とってもリアルで生々しい死体が、終始その切断部位も含めゴロゴロ出てくる。
幽霊も不気味で直接出るというより憑依して現れるため、始末が悪い。
ホントに血生臭い映画であった。
(私の趣味ではない)。

特に浮気相手のよくできた娘がとても悲惨で可哀そうである。
少なからず、自分の父親が彼の妻を奪ったことに罪悪感を抱いていることは分かる。
(しかし彼が手を直接下していないがギャングを利用して復讐を行ったことは知らない)。
彼女は主人公の残された子供たちを親身に世話をしているのに、悪霊となった母はそのララをステーニョに殺させようと迫りくる。
結局、妻の遺品を全て処分することで呪いをかわすことができるようであったが、指輪だけが残りララに妻が乗り移り最後の対決となる。

THE NIGHTSHIFTER005

これがまた血生臭い。ブラジル的なのだろうか、、、。
結局、彼が指輪をもぎ取り自分の指に嵌め死霊とともに夜の街を駆け抜けてゆくところで終わる。
自分が妻とともに地獄に落ちてゆき、残った者を救おうというものだ。

これでなんとかなるのか、、、というところでの微妙なエンディングであった。
父は正気に戻った傷だらけ血まみれのララに子供たちを託していったが、、、。
死者と話せる男が主人公というところが特徴的な映画であるが、基本かなり単純な悪霊の復讐とそれから逃れようとする人たちの攻防が描かれるだけの話である。とてもグロテスクで痛い場面が多いが。
脚本的には弛みがなく演出も効果的で緊張感もあり面白く見終わった。


何か特筆するものは感じないがブラジルのホラーも一度は見て損はないと思う。




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ゲット・アウト

Get Out007

Get Out
2017年
アメリカ

ジョーダン・ピール監督・脚本・製作
マイケル・エイブルズ音楽


ダニエル・カルーヤ、、、クリス・ワシントン(黒人写真家)
アリソン・ウィリアムズ、、、ローズ・アーミテージ(白人大学生、クリスの恋人)
ブラッドリー・ウィットフォード、、、ディーン・アーミテージ(ローズの父親、脳神経外科医)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、、、ジェレミー・アーミテージ(ローズの弟、医学生)
キャサリン・キーナー、、、ミッシー・アーミテージ(ローズの母親、心理療法家)
リル・レル・ハウリー、、、ロッド・ウィリアムズ(クリスの親友、黒人、運輸保安庁勤務)
ベッティ・ガブリエル、、、ジョージーナ(アーミテージ家の使用人、黒人)
マーカス・ヘンダーソン、、、ウォルター(アーミテージ家の庭の管理人、黒人)
レイキース・スタンフィールド、、、アンドリュー・ローガン・キング/アンドレ・ヘイワース(パーティに招かれた客、若い黒人)
スティーヴン・ルート、、、ジム・ハドソン(盲目の画商)


何で黒人の体に限定して乗り移るのか?
人種がそもそも関係あるのか?
黒人が特別丈夫というわけでもないだろうに。
スポーツの得意な黒人が多いことは確かだが、あくまでも個人の資質~能力の問題だ。
人種関係なく丈夫な人間を捕獲して乗り移ればよかろうに。
黒人の身体を羨望するところはあるにせよ、殊更黒人に固執する必要もあるまいに、、、。
黒人ばかりを狙うことで、レイシズムなどを呼び込んでしまいかねない。

Get Out004

これは、老い、病で滅ぶ運命にある肉体を更新して永く生きたいという欲望が齎した破天荒な物語であろう。
そこに黒人の体を器として利用すると。
しかし脳=自我意識=人格という単純な構図は成り立つと言うのか、、、。
丈夫な肉体へ老いた自分の体の脳を入れ替えれば、新たに健康体の自分として生きられるなんて単純なものではなかろうに。

最後、主人公クリスが絶体絶命の時に追ってきたウォルターという黒人庭師が、ローズを撃ち次いで自分を撃って自殺している。
これが答えであろう。このウォルターに脳を移植して生き延びていたのは、ローズの祖父であったようだ。深夜激走していたが彼は元陸上選手であったという。
ジョージーナという女使用人は祖母であった。
だが彼女も情緒的に不安定で今の自分の状況に憂いと混乱を覚えている様子が窺える。
クリスに写真を撮られてアンドリューも激昂した。自分が黒人の体に成っていることへの葛藤~不満がそれを誘発したのだろう。
鼻血を流していたことは、精神~神経との不具合も考えられる。フラッシュの刺激に対する単純な発作とは思えない。
アンドリューはクリスに対し”Get Out”と叫び掴みかかる。これは白人の黒人に対する罵声以外の何物でもなかろう。

Get Out005
Get Out006

脳味噌を挿げ替え続ければ永遠に生きられるなんて、それ自体がナンセンスである。
実存も糞もない。何やらロボットから逆照射された人間の模型みたいに思えるものだ。
脳と意識にばかり拘り過ぎている。
庭師や下働き、客でやって来た若者それぞれの黒人らしからぬ所作や言動に不信感をクリスは抱いていたが、そういった身体的な記憶は脳ではなく体が担っているところであろう。それを無理やり直そうとすれば軋轢があるはず。

この監督、以前はコメディアンをやっていたという。
これは永遠の生に憧れた白人の金持ちセレブたちのエスカレートした欲望~道楽をシリアスに描いたためにホラータッチになった、ということか。
そのホラーがとても笑えない可笑しさを誘う。
鹿を嫌っていたディーンがクリスに剥製として飾られていた鹿の角で刺されて死ぬなど、とても伏線の回収が細かい。
脚本のセンスはかなりのものだ。

このセンスといい監督名といい、既視感があり自分のブログ内を検索したら”US”の監督であった。

確かに怖さとユーモアの質が独特で似ている。
絶妙なセンスだ。
この監督は、これからもずっと注目したい。
音楽もとても映像にフィットしていると思ったら、「アス」と同じマイケル・エイブルズという人である。
(こちらが「アス」の一つ前のデビュー作であるようだ)。
なるほど、、、このタッグでこの水準はキープして行けるというもの。
他の作品(三作目)も楽しみだ。

Get Out002

わたしにとって印象的であったのは、ローズの母親で心理療法家ミッシーによる催眠術である。
ティーカップのスプーンを音を立てて回すことで、クリスをストンと催眠状態に落としてしまう。
いとも簡単にである。
恐らくそれまでの何気ない語りの部分から、もうすでに催眠状態に誘っていたようなのだが、あの仕草と音を引き金に落としているようだ。
それ以降は条件反射的に、カップにスプーンをコチンと当てればたちどころにかかってしまう。
ああいった催眠術はよく見るが面白い。

彼女の両親に会いに行く途中、車で鹿を轢き殺すが、これは彼の母が轢き逃げで亡くなったこととリンクする。
彼がずっと心の底に封印してきた記憶が明るみに引き釣り出される衝撃的な場面であり、伏線がはられた。
この鹿轢き殺しエピソードを二人から聞き、ミッシーは逃さず利用したのだ。
彼女はまさにこの母の事故死体験が深い潜在意識につながっていることを見抜き、そこを突いて彼を術にかける。
伏線の回収は周到だ。
 
Get Out003

この黒人と白人のペアであるが、やはりこうした形で白人女が黒人の体を狙いコミュニティに晒して、皆で競り落としているところなど、どうみてもレイシズム丸出しである。リベラルな白人の無意識的側面とかではなく、むき出しのレイシズム以外の何物でもない。黒人の身体的優位さに嫉妬している部分はあるとしても単なるモノ扱いに他ならない。ここに人権があるか。
こういう映画が現在も作られているということは、未だにこうした黒人と白人ペアに限らず、レイシズムの問題は進行形にあるということだ。確かに警察官が続けざまに黒人を殺害したり、東洋人女性をホテルの前で殴る蹴るの暴行を働き重傷を負わせ、見ていたドアマンが扉を閉めて救助にも当たらなかったなど、幾らでもニュースに事欠かない現状だ。
「わたしはオバマ支持者だ。人種差別などしない」なんて薄っぺらい言葉を真に受ける主人公ではないが、一人ではどうなっていたことか、、、。
自分の彼女が過去に引き込んだ黒人の写真が次々に見つかり愕然とする主人公の姿が印象的であった。
相棒の保安官が鼻が利き、かなりの助けになっていたことは事実。あのような頼れる親友がいなかったら、クリスも餌食になっていたかも。

Get Out001

「アス」の方が見応えはあったが、これも充分に面白い作品であった。





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月は上りぬ

tsukiha.jpg

1955年

田中絹代 監督
斎藤良輔、小津安二郎 脚本

笠智衆、、、浅井茂吉(家長)
山根寿子、、、浅井千鶴(未亡人、長女)
杉葉子、、、浅井綾子(次女)
北原三枝、、、浅井節子(三女)
安井昌二、、、安井昌二(長女の亡夫の弟)
三島耕、、、雨宮渉(昌二の親友、電気技師)
佐野周二、、、高須俊介(大学教授)
増田順二、、、田中豊(昌二の親友)
小田切みき、、、女中文や
田中絹代、、、下働き米や
汐見洋、、、禅寺の住持慈海


田中絹代の二作目の監督作品。
舞台は長閑な奈良。月を眺めて万葉集を詠みたくなる。わたしまで(笑。
マイクロウェーブの話も絡む(雨宮の専門分野だ)。
疎開してそのまま住み着いた浅井家のホームドラマである。
かなりのブルジョアである。古典芸能(文芸)が日常生活・習慣に溶け込んでいた。
女中や下働きが奴隷みたいに娘たち(特に節子)にこき使われる。
監督が下働き役で文句も愚痴もなく見事な演技を見せていた(笑。
よく溝口映画に出ていた彼女であるが、あのような長回しシーンは見られなかったと思う。
ローアングルはかなり見られたが小津映画ほど徹するようなこともなく自在な角度が見られた。
枕詞ショット?のような光景はなかったが、動きから動きへシーンを上手くまとめて流していた。

tsukiha004.png

電報で万葉集の歌番号を打ち合い恋心を伝え合う。
(見事にマイクロウェーブと古典が融合されている(笑)。
そう何度も繰り返しは利かぬだろうが、なかなかやってくれるじゃねえか、、、
周りの人々には暫くはその暗号が何のことか解らない。
それに気づいたのが、綾子と雨宮を騙して無理やりくっ付けようと画策した節子である。
この石原裕次郎の奥さんが一人で暴れまわる映画とも言える。
「目をよく見ればその人の真意が分かるというものよ」とか「人のことは言えるけど自分の事は言えないものね」など、彼女のことばがそのままこの映画の基軸となって進展する。

就職難なのか、安井はお寺で間借りしながら親戚でもある浅井家を出入りしているが、仕事がなくブラブラしている。
人情家で同じく職がなくブラブラしている田中に自分の翻訳のアルバイトを分けてあげたりしていた。
暇なため節子と一緒に綾子と雨宮を一緒にしようと色々企む(とは言え、実に芸のない素朴な方法だが)。
この二人も兄妹みたいに仲が良く、いつも一緒に遊んでいる。
全体に登場人物の言葉遣いや所作、物腰は柔らかく気品がある。
(女中、下働きには容赦ないが。茶坊主みたいな子供も何人かいて黙々と働いていたのが印象的)。

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月夜の晩に(騙して)呼び出すのは、効果的だ。
ひとは月の影響を受ける。
二人ともまた節子にハメられたと悟るも月夜の雰囲気が気持ちを軽やかに高揚させる。
二人の引き合う力が増幅されるのだ。
雨宮はマイクロウェーブの仕事で直ぐに東京に発つが、、、
後日、電報で、雨宮からの3755に対して666(ちょっとオカルティック)と綾子が返し、ふたりは結ばれることに、、、

折角決まりかけた就職先を親友の田中に譲ってしまったことで一時安井と節子は喧嘩して関係が抉れるが、、、。
安井が住職の紹介で英語の先生の口を東京に見つけてくれた為、東京に出てゆくことになる。
出発の直前姉千鶴の一押しで仲直りし、二人して東京に発ってゆくことに、、、。
これで、茂吉の娘は二人ほぼ一緒に決まって家から巣立ってゆく。

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そして二人きりになりましたねえ、と寂しそうに呟く長女千鶴に対し父は優しく、お前も未亡人だということなど気にかけず、良い人がいれば嫁ぎなさいと諭す。
高須くんなんかいいじゃないか、というと長女も胸に秘めていたものが込みあげ、素直にその気になる。

皆、自分の意志だけで決断して行動するのではなく、身近な親身になって考えてくれる人の一押しがあって自分の気持ちに正直になってゆく。
これで三人娘、みんなほぼ同時期に決まった(爆。
何か最後は、小津映画みたいな雰囲気で静かな余韻を残す。

ちょっとコミカル要素もある、日本の古典文化の息づく気品のある映画であった。
名監督(小津~溝口)のもと沢山の作品に出演していただけに、監督をやってもこれだけできてしまうものだな、と感じる。
 

しかし笠智衆という人は、何人娘を嫁がせたものか。
恐らく日本映画史上、一番ではなかろうか、、、




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勝手にふるえてろ

Tremble All You Want001

Tremble All You Want
2017年

大九明子 監督・脚本
綿矢りさ 『勝手にふるえてろ』原作
黒猫チェルシー「ベイビーユー」主題歌

松岡茉優、、、江藤 良香(彼氏のいないOL)
北村匠海、、、イチ:一宮( ヨシカの中学時代からの片思いの相手)
渡辺大知、、、 ニ:霧島(ヨシカと同期入社の社員、営業二課)
石橋杏奈、、、月島 来留美(ヨシカと同期入社の経理課の同僚)
古舘寛治、、、釣りおじさん(ヨシカの話し相手になっている、いつも釣りをしているおじさん)
片桐はいり、、、オカリナ(いつもオカリナを吹いているアパートの隣人)
趣里、、、金髪店員(ヨシカが通うハンバーガーショップの店員)
前野朋哉、、、最寄り駅の駅員
池田鉄洋、、、整体師
稲川実代子、、、編み物おばさん
柳俊太郎、、、コンビニ店員


これから2日で一本にしようかどうか、、、暫く試してみたい。
(絵の方は進んでいない)。

この映画も、他者と自分、自分と自分との間の距離~身体性を微分的に描く綿矢りさの小説から起こされている。
脳内で漠然と超自我と語るというより、自分の気になる特定の対象にそれを投影して対話するというこれまた楽しい試みだ。
この本も持っていないのだが、「私をくいとめて」と同様の線で行くのね(同じ原作者と監督コンビで)。
(綿矢りさの小説は軒並み映画化されているみたい。距離感の織り成すドラマである為、心理空間の表現は映画として活きる)。
繊細で微妙な狂気を孕む「ふるえ」というかヒリツキががたっぷりと味わえた。
自分の殻からもんどりうって外に這い出し新たな距離感~身体性を獲得しようとするく絶滅危惧種ヨシカの笑えぬコミカルドラマである。
片桐はいりと前野朋哉がここでもよいアクセントとなっていた。
充分に絵的にも面白い。映画的な(緩急ある演出の効く)噺でもあり。

Tremble All You Want005  Tremble All You Want004  Tremble All You Want002

会社の隣の席の同僚の仲良し月島とアパートの隣の部屋のオカリナさん、それから強引に言い寄る”二”とは、実際に話をして付き合いがあるようだが、それ以外の朝夕決まって同じところで釣りを楽しむ男性、常連で行くハンバーガーショップのウェイトレス、最寄り駅の駅員、通勤バスでいつも隣り合う編み物好きな初老の女性、毎晩のように通うコンビニの店員、との小気味よい会話は全て自分を鼓舞する都合よい妄想である。
まるでミュージカルの軽快なノリで弾むように進むが何とも虚しい。
そして片思いの相手イチを想像で過去から召喚し今の自分を慰める毎日。
全体としてはどんよりとした停滞感で澱んでいる。

Tremble All You Want007

そんな自分を投影するような過去の絶滅生物を図鑑で調べたり、それを取り寄せ身近に飾っていた。
大きなアンモナイトもその一つだ。
その渦巻構造に惹かれるのは分かる。
絶滅に自らの拘りで進んで行くものへの絶望的共感。
出口のない立派なオタク趣味である。

Tremble All You Want000

その趣味も(不思議に~不自然なくらい)ピッタリ合い、あれだけ噺も弾み良い雰囲気になったのに、イチが自分の名前を憶えていなかったことで激しく幻滅する。取り乱す。こちらも余りに話が合い過ぎ、これも幻想なのかと疑ってしまったが、、、
とは言え、今二人がとても良い感じなら、ここから出発できないものか?
勿体ない気がした。
イチとの再会を同窓会を利用し自ら企てそれにまんまと成功したのに。
妄想に逃避していた日常から一歩足を果敢に踏み出し、せっかく主体的に行動を起こしたことを無駄にしてしまうものだろうか。
何とも言えない脆弱性(と破滅衝動)を感じる。
「痛くなかったら死にたい」と自暴自棄に、、、
その辺の複雑な感情の揺れが見事に演じられていたが。
あの絶滅種の話はホントに二人でしたのか?
(幻想と現実をほとんどシームレスに移動している為、彼が同窓会の女性を寝かせに連れて行った後に直ぐに戻って来ていたのかどうかも怪しくなってくる)。

Tremble All You Want003

確かに彼女が勝手に会話を捏造して楽しんでいた、よく出逢う市井の人々の名前も知らない。
自分もイチにとっては、自分の中で自問自答しているような名のない相手~存在であったものか、、、
しかしこれまでの在り方に落胆するにせよ、今現在の場から切り開けないか?
ここでイチに見切りをつけ、二に行くというのも、どうしたものか。
元々乗り気でない相手なのに。

Tremble All You Want006

最後にヨシカは二に心を許す。というより決心するのだ。
あれだけ惹かれていたイチを上書きして。
二とヨシカの間に立って取り持っていた月島に自分の秘密(24年間彼氏のいないこと)をばらされ彼女とも絶交してしまう。
脆弱な潔癖症~プライドが許さず会社を(辞めると謂ったが止められ)休み、周りには妊娠したと嘘をつき立ち往生する。
ヤケクソで自宅籠城しているところに二がやって来て懐柔されるのだが、、、。
二の熱弁は、経験も積んだ大人の噺で説得力はあるのだが、好き嫌いという「感覚」は理屈ではない。
熱意に押されて感情が揺り動かされたとか言うレベルとはまた違うはずだが、、、。

Tremble All You Want009

ヨシカの日頃の心性にはかなり共感出来るものがあったが、あれでは好きでもない対象に無理やり妥協したようにも映る。
恐らく、外界との距離の更新を図る為、半ば脳内彼氏ではない生身で存在する他者を必要としたのだ、と思う。
固執する理想像~前提を捨て、外に出たのだ。
これは飛躍だ。
生き残る為の。








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パソコンを二台買う

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パソコン環境がリフレッシュすると気持ちが良い。
最近、公園に行ってもお気に入りの蕎麦屋に行ってもほとんどピンとこない。
愉快でないのだ。
わたしにとっての生活環境とはパソコン環境であることを再認識した。

一台壊れ、もう一台もハード的なヘタレが見えて来たので、HDDとメモリーを外して廃棄した。
(HDDは外付けケースに収めれば十分使えて助かるが、メモリーはCPUのアップグレードに従い規格も変わって行く為、古いメモリーの用途はないが、同じ規格のモノとの交換、増設に活きる場合もなくはない)。
兎も角、遅いパソコンはストレスの原因となり心身にとり有害である。
健康の為の買い替え。

その遅くなった2台に代わり、受注生産のBTOパソコンを二台買った。
片方はノート。もう一方は手のひらサイズ省スペースパソコン。
もう注文したのは1か月以上前で、先週位に届いた。
わたしにとっての定番アプリ、ユーティリティー設定と、引き上げデータをゆっくり暇を見て入れてきたが、つい先ほど完了したので、一息ついたところ。
昔のMacはこの作業が楽しかったものだ、、、。Winは味気ない。ディスクトップアクセサリーがMacは面白いものが多かった。
その点ではLinuxも結構、面白い。フランス製のBeOSも遊び心満載であった(ほとんど実用には使わなかったが)。
色々懐かしいことを思い出してしまう(笑。

何とも惜しかったのは、注文したのが、10世代Core i 7のCPUものである。
(Core i 9は割高なので買わない。バリバリにクリエイティブに使うならXeonのBTOで行きたい。20年前に独自に組んだワークステーションで使っただけだが。未だにしっかり起動はするも用途がない。音はほぼ掃除機である(笑)。
今は11世代のCore i 7が出てきている。10%程の処理能力のアップがなされていると、、、。
グラボは特に3Dを昔みたいにやるわけでもなく、 写真編集、ビデオ編集くらいしかやらないためGeForce MX350でよい。
最高のCPU統合グラフィックスの2.5倍の処理速度と買うときに謳っていたのでそれにした(笑、3D制作やゲームやるなら考えもするが、ここはさして問題とはならないのでほとんど何も考えず。
ワークステーションの時はELSA Quadroにしたものだ。MAYAをやる為。MAYAはグラボを選ぶので、RADEON系は特に、ハイエンドでも不具合が起きていた(当時)。
OpenGLの問題だ。
ゲームをやるならGeFourceやRADEONのゲーム用のカードが適している(CADや3D制作用カードは逆に使えない。値段は10倍以上したりするが。当時でグラボだけで150万とかざらにあった)。
GPUの性能向上は凄まじいものがあり当時と今では雲泥の差だが。値段はどうであろう?
そうそう、メモリは作業スペースでもあり、大きい方が良いので(速度もだが)32GBにした。

CPUの世代交代は、ちょいとしたタイミングであった。
わたしはその辺の情報に最近疎いのだ。乃木坂情報は、反比例して敏感になっているが、、、
(誰が卒業したかとか、すでに娘より早い(爆)。
まあ、特に重い仕事をするわけでもないため、丁度よいと謂える(とは言え、値段がこなれた訳でもない。これからだ)。
パソコンハード関連はほぼ新しいモノに越したことはない。
とは言え、娘用にCore i 5の中古(6世代CPUのもの)を合計3台買ったがそれで充分遊べている。
基本アニメを見るだけ。
苦情はない(笑。
長女は使い方が雑でパワーボタンを押してシャットダウンなどするものだから、もう壊してしまった。
(今はわたしのおさがりの4世代Core i 7ノートを使っているが、パネルタッチの入力もできるので、結構楽しんで使っている)。

パソコン環境が安定したところで、ゆっくりと、、、
何をやろうか、明日から考えよう(笑。







私をくいとめて

Hold Me Back003

Hold Me Back
2017年

大九明子 監督・脚本
綿矢りさ 『私をくいとめて』原作
大滝詠一「君は天然色」劇中歌

のん、、、黒川みつ子(会社員、31歳ミニ御局)
林遣都、、、多田くん(取引先営業、2歳下)
臼田あさ美、、、ノゾミさん(仲良し先輩)
片桐はいり、、、澤田さん(出来る上司)
橋本愛、、、皐月(親友)
若林拓也、、、カーター(痛いハンサム社員)
岡野陽一、、、コロッケ屋店主
前野朋哉、、、実体化A
中村倫也、、、声A
吉住、、、芸人(本人役)


おひとり様に馴染んでしまった女性が外に向け一歩踏み出す物語、、、
とてもコミカルで楽しく見ることが出来た。
(邦画のコミカルはわざとらしくて観ていられないものも少なくないが、本作はキャストの上手さで乗り切っている)。
更に大滝詠一の「君は天然色」がこの映画の為に作られたようにフィットしていた。
Aという超自我と対話して日常生活を送って行く姿は、日記(夢日記)を毎日綿密に書いて過ごしている人とも充分重なる。
(Aが男性というのも分かる。理想や倫理を背負う装置であり性も違う方が割り切れる)。
こういうAとコンタクトを好んでする人は悟られないようにしているが珍しいという訳では無い。
ただこの習慣が何らかの理由~原因で途切れたりすると途端に不安定になる人でもある。
この辺、よく分かるところだ。

兎も角、焼き肉屋に独りで入って普通にたらふく食べて楽しむことが身に付いた女性である。
お気楽だし、この生活自体不自由ではないし、やめられなくなる人がいたって全くおかしくはない、と思う。
(とは言え、恋愛もしたいし白馬の彼氏をどこかで待ってもいるのだ)。

Hold Me Back001

「ニコニコしていても温度を感じさせない。馴染み易い人とは思わなかった」
とか「人間なんて生まれながらのおひとり様なのだから誰かといるときは努力が必要なんだよ」
「付き合ったらどうなるんだろう」、「ただおれが隣にいるだけ」
など何気なく聞こえる会話が、やはり良い。
綿矢りさだわ。
何冊も持っているが、、、文体がフィットして心地よい。
(この映画の原書はもっていないが)。

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イタリアロケもしているのか、、、スタジオもあるか、ともかくイタリアのシチュエーションであった。
金もかけている。
橋本愛とのやり取りその空気感が出色であった。お互いに絵を描き合えるなんて素敵だ。
(呼ばれて行った現地で、相手が初めて身ごもっていることを知る何とも言えない距離感からの再会であるが)。
大変な距離感を詰め、時間的に蓄積したわだかまりが氷解して行く過程にはホッとした。やっぱ上手いね。
臼田あさ美と片桐はいりも持ち味が充分に出ていて良い雰囲気を醸し出していた。
2人の優しい距離感覚がみつ子に安心感を与えている気がする。

面白いのは同じアパートの下の階に「ホーミー」をやっているモンゴルの人がいて、夜中にそれが聴こえる。
わたしも「ホーミー」は娘と一緒にステージで聴いたことがありその技巧には驚愕した。
まさかここでそれに出逢うなんて奇遇。振動で探していた鍵が落ちてきたりしても納得の奇跡のテクニックである(笑。
(ホーミーの人に会ってみたいとかいう気持ちは生じないのね。わたしなら凄く興味もつ。距離感~音を楽しむのが好きなのだ)。

多田くんは間違いなく彼女にとって、良い彼氏だ。
ユーモアのセンスは微妙だが、待てること・距離を適切に保つこと~彼女を尊重出来ることは素晴らしい。
そして最も微妙であったのは、Aの実体化した姿であった。役者は前野朋哉であり声はそのまま中村倫也。
これ程、微妙な形態があろうか?!
どういう顔して見ていればよいのか、のんも少し引いていたが、こちらもどう引けばよいのか、、、
丁度いい、とか言って彼女はついに笑い出していたが、、、むず痒く居心地の悪いところである。
Aは海の向こうに泳ぎ去って行き、後は多田くんに任せたと謂うノリか、、、。

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イタリアの他に日本だが、合羽橋で食品サンプルを作ったり(サンプル作りとか如何にも好きそう)、築地本願寺に澤田さんとお参りしたり、東京タワーの外階段を上るイヴェントに、ノゾミさんとカーターと一緒に4人で参加したり、、、ロケ地としては楽しい。そして要所要所で海~海辺が現れる。境界を暗示させるような。大滝詠一「君は天然色」はこんな「水辺」のシーンに確かによく合う。
夜のタワーでは2組のカップルが生まれるという甘酸っぱく高揚するところでもあるが、みつ子としてはこれまでしみついたお気楽のライフスタイルを捨て、新たにお二人様生活に飛び込む試練の始まりでもあり躊躇する部分もある。
タワーでの微妙な二人の距離感。

ここから(念願の)付き合いも始まり、沖縄旅行に行くことに、、、
イタリアの時みたいに苦手な飛行機に乗って旅立つ。
Aの代わりを多田くんがやってくれるであろうことが分かる。


Aが黒川みつ子のイメージの中に実体化して現れる終盤が今一つ分からなかった。
あれは沖縄に多田くんと行ったホテルでのことである。
ホテルの部屋の濃密な距離感に耐えられなくなって思わず飛び出してAに癒されクールダウンして戻ったあの夜。

その後で、鍵を探して出かけてゆき飛行機の中で緊張に耐えている姿で終わるが、そのシーンは何なのか?
沖縄にはもう2人で行って帰って来ているのではないのか?
最後のあの一人で飛行機に乗っているシーンはいつのことで何であったのか?
ここ以外の挿入されるイメージは全て文脈上の意味は掴めたが、最後は分からなかった。
ただ、これから一人で飛行機乗って沖縄行くぞ、生活を変えるぞ、周りとの距離感・身体性を激変させるぞ、という意気込みを最後に入れたのか、、、何で?

ちょっと見ていて疲れたのかも。



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ガーンジー島の読書会の秘密

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society001

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society
2018年
イギリス、フランス

マイク・ニューウェル監督
ケヴィン・フッド、ドン・ルース、トーマス・ベズーチャ脚本
メアリー・アン・シェイファー、アニー・バロウズ『ガーンジー島の読書会』原作

リリー・ジェームズ、、、ジュリエット・アシュトン(作家)
ミキール・ハースマン、、、ドーシー・アダムズ(養豚家、読書会メンバー)
グレン・パウエル、、、マーク・レイノルズ(アメリカ人富豪軍人、ジュリエットの婚約者)
ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、、、エリザベス・マッケンナ(キットの母)
キャサリン・パーキンソン、、、アイソラ・ピルビー(読書会メンバー)
マシュー・グッド、、、シドニー・スターク(編集者)
トム・コートネイ、、、エベン・ラムジー(イーライの祖父、郵便局長、読書会メンバー)
ペネロープ・ウィルトン、、、アメリア・モーグリー(読書会メンバー)
キット・コナー、、、イーライ・ラムジー(エベンの孫、読書会メンバー)
フローレンス・キーン、、、キット・マッケンナ(ドーシーの養女)
ニコロ・パセッティ、、、 クリスチャン・ヘルマン(キットの父、ドイツ兵)


とても忙しくなり、記事のアップペースを毎日ではなく、3日に2回としてみたが、特に楽になった気はしない(笑。
2日に1つにしようか迷う、、、


終戦直後のイギリス領ガーンジー島を舞台にした物語。
島の景観が絵になっていて美しい。
(ロケーションに拘っているのが分かる)。
直感が疼いたら、とりあえずそこに足を運んでみな、何かがおこるぞという映画だ。
(今の時期、難しいが、これってやはり大事なことだ。まず踏み出すことって)。

作家ジュリエット・アシュトンもそれで人生の大きな転機を掴む。
アメリカ人の金持ちマーク・レイノルズと結婚していても、それなりの幸せは享受出来たであろうが、この島に来てしまったからには、もう後戻りは効かなかった。知る前には戻れない、万事そうである。

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society003

彼女はある日突然、自分に届いたガンジー島の読者会メンバーからの手紙で、その会に興味をもつ。
(自分がかつて手放した本に感銘を受けた人からの手紙である。向こうでは古書店に売る本に自分の名前と住所まで書くのか)。
自分の執筆活動の役に立つものかも知れない。良い記事も書けるかも。
ということで、編集長に予定を変えてもらい島を訪れ、その地に興味を持ち、会に参加しそこから連れ去られたエリザベスの事が気になってゆく。(船に乗る直前、付き合っていた彼氏からプロポーズされ承諾する。色々と忙しい人だ)。

ジュリエットが、不在の人エリザベスに寄り添ううちに自分自身に目覚めてゆく過程が描かれてゆく。


戦時中この島にもドイツ軍は侵攻し、ドーシー・アダムズの養豚場から豚を奪い、替わりにジャガイモを喰えと置いて行った。
隠れて豚肉も喰いたい本好きが密かに集まり表向きは読書会と称し手に入れば肉を喰ったり密造酒を呑んだり本も読んだりしていた。当初読書会は隠れ蓑であったが本~ことばの力は大きい。とても大きい。
本当の定例読書会となり、そこから彼らメンバーの絆は深まって行く。
「読書とポテトピールパイの会」である。羨ましい共同体だ。
しかしポテトピールパイは不味そうなので食べたくない。

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society006

彼女も彼のプロポーズを受けた頃は、虚飾の世界に憧れていた。
ゴージャスなドレスを身に纏い華やかなパーティーでもてはやされる生活。これはこれで良いのだが、、、
「手紙」で彼女の中の何かが疼いた。予感、いや運命も感じていたか、、、
とても興味深い世界がそこに眠っていることが分かり、会のことを取材し執筆することにする。
しかしそれを伝えられた会のメンバーはあからさまに不快感を見せる。
ジュリエットの「タイムス誌に載せると言ったら喜んでもらえると思って、、、」と、羽振りの良い、何かと紋切り型の大袈裟な表現の好きなアメリカ人婚約者マークの心性は同根である。
戦勝国の奢りも加わり、自己相対化の余地もない。

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しかし、読書会メンバーとの交流を通してジュリエットは変わり始める。
婚約者とは本の話が果たして出来ていたか。
この読書会は、子供にとっても大変良い学習の場となっていた。
少年イーライはメンバーの朗読を真剣に聴き入り、書評に関する討論など自主的に几帳面にノートしていた。
普通の学校よりも理想的な学習環境に思える。

彼らと行動をともにしながら、ジュリエットは読書会の創始者であり不在のエリザベスという存在に深くのめり込んでゆく。
誰もが語りたがらないエリザベスとは、何者なのか、、、。
親しくなってゆくにつれ会のメンバーたちは、エリザベスについて少しづつ彼女に語り始めた。

エリザベスがどれだけ大きな存在であったか。
ジュリエットも謎を追ううちに惹かれてゆく。囚われない思考と、自由なものの見方、愛情の深さとその信念の強さに。
そしてメンバーのアイソラが気弱なエリザベスという立ち位置で、ジュリエットにじわじわと影響を与えていたことも見逃せない。
このアイソラがなかなか素直で素敵なのだ。
ジュリエットは、こうありたい自分を発見してゆく。その確信が深まって行く。
その先に、自分於愛する相手が薔薇の花束を何時も送って来るマーク・レイノルズではなく、島の野草を手渡してくれるドーシー・アダムズであることに気づく。
(当然、自分を見出せば、自分には誰が必要なのかは自ずと分かるものだ)。

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society005

エリザベスは、自分の親友(アメリアの娘)を戦争で失い、ドイツ軍に大変な憤りを抱いていたが、敵兵であろうが人の本質を見抜く目を持っていた。彼女は自分の信念に忠実に、敵兵クリスチャン・ヘルマンを堂々と愛した。
アメリアは、余りの憎しみから余所者に対する目が曇っていたが、彼女のことは認めていた。
当然、島では浮いた存在となるが、そんなことに動じるエリザベスではなかった。
彼は本国に戻される途上、魚雷で戦艦もろとも命を落とす。
クリスチャンは知らぬままであったが、二人の間には子供が出来ていた。それがキットという女の子である。
残されたエリザベスは、或る時脱走した病気の少年ドイツ兵を保護したかどで逮捕されてしまう。
赤ん坊を託されたのが、彼女が最も信用していたドーシー・アダムズであった。
その赤ん坊を彼は自分の娘のように大切に育てていた。
母の帰りをひたすら待つ読書会のメンバーたちであったが、、、。
そんななかジュリエットがマークに頼んでおいた追跡調査の報告が送られて来る。
エリザベスは、ドイツの収容所で女の子に暴力を振るう監視役を止めに入ったところを銃殺されたという。

呆然となり皆の力が抜ける。
外に出て、その件を幼い娘を膝に乗せ伝えるドーシー。
窓からそれを眺めながら、「未だにわたしは娘の死が理解できないでいる」と泣き崩れるアメリア、、、。

今やキットにとってジュリエットはなくてはならない存在となっていた。
そしてジュリエットにとっても。
読書会のメンバーは彼女にとり精神的血族でもあった。
(ある意味、理想的な家族のようなものである)。

彼女は家に戻り、やはりこの事を書き記す。しかし約束通り出版はしない。
記事は、読書会に寄贈される。
.彼女の再出発のマニュフェストでもあるか
そして彼女はまた再び船着き場で、今度はドーシーと結婚を誓う(最初と最後がシンメトリー構成)。


暫くエンドロールが流れると、読書会でイーライに続き、皆の応援のなかキットも懸命に朗読を披露している音声が入って来る。
これには、、、ちょっとやられた。

キャスト全員、存在感があり申し分なかった。



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ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

Hitler contro Picasso e gli altri004

Hitler contro Picasso e gli altri
2019年
イタリア・フランス・ドイツ

クラウディオ・ポリ監督・編集
サビーナ・フェデーリ 、 アリアンナ・マレリ脚本
ディディ・ニョッキ原案

トニ・セルビッロ、、、案内人
美術史家
(元)所有者(証言者)


ドキュメンタリー映画である。
ナチスがヨーロッパ各地で略奪した美術品の総数は約60万点以上。
今でも10万点が行方不明という。
元の持ち主に戻すといっても、そこには大きな困難が控えている。
持ち主は存命であってもおおかた収容所帰りなのだ。
ナチスに略奪された絵画の所有権をいくら訴えても、絵画を購入した領収書や写真があるかなどと確認されるという。
理不尽にも程がある。
絵を取り戻すことに全財産と一生を捧げたひとも少なくないという。
現状では、孫の代である程度戻ってくれば良い方のようだ。
自分の手元に戻らずともその宝が、美術館で厳重に保管・管理されていればまだよいが、、、
行方知れずのまま孫の代でも何の情報もないときたら、その家としてはずっと苦悶を引き摺り続けることになる。
何をおいても芸術愛好家としては、その作品は大事な家族そのものなのだ。
お金以上の宝である。

Hitler contro Picasso e gli altri001

反ユダヤが前提である。ユダヤの所有しているモノは略奪しなければならない。ナチスとしてはそこから始まっている。
ヒトラーとゲーリングの略奪した絵画の奪い合いにもうんざりする。
特にゲーリングの見境ないどん欲さ、、、。
成り上がりの貴族志向。その肥満した化粧を施し奇抜な服装の男は、確かに異彩を放ち過ぎる。
自分の権威を高価な大画家による絵画によって高めようとする男。価値のある絵画を無尽蔵に収集しようとしてゆく。
そして総督は、大芸術(国家公認の古典美術)と退廃芸術(自由表現の現代美術)との間にはっきりと境界線を引く。
ヒトラーとしては、自由な表現が統制と規律を乱すという考えであった。
彼の好むテーマは、家族と母性であるという。そして母性に訴え総督の子供をたくさん作れという方向につなげるという、、、
何だ、兵隊の増産の目的か?まさかそれだけではなかろうが。
多少なりとも芸術の人々へ及ぼす力の認識とセンスは持っていたはず(元画学生でもある)。ゲーリングに関しては怪しいが。
わたしの大好きな画家たちの絵の多くが退廃芸術に放り込まれ粗末に扱われ風前の灯となる。
マルクの蒼い馬の絵を見たときは胸が詰まった。

Hitler contro Picasso e gli altri002

ゲーリングは退廃美術を売ってその金で大芸術家の絵を購入してもいたそうだ。
そのなかの最も大きな取引のひとつにフェルメールの絵がある。
彼としてはやっと手に入れ、たいそう喜んでいたようだが、死ぬ少し前にそれが贋作と判明したそうだ。
その贋作画家はフェルメールを得意としており大変な技量を持っていた(特に絵の具とマチエールの似せ方)。
本来の罪からすると量刑は軽くナチス~ゲーリングを騙した英雄と持て囃されたという。
ナチスの愛したフェルメール」の主人公ハン・ファン・メーヘレンである。
多くの混乱のエピソードのひとつだ。

Hitler contro Picasso e gli altri003

アメリカは略奪された絵の動向を調べそれを奪還する美術史家で結成されたチームを派遣する。
「モニュメンツマン」の活躍である。
この活躍は、映画「The Monuments Men」邦題ミケランジェロ・プロジェクトで見られるものである。
ジョージ・クルーニー監督・脚本の作品である。
わたしはこれでクルーニーファンになった。おまけにマット・デイモンもフルに活躍している。
このチームの具体的な仕事についてはここではほとんど言及されていない。
「ミケランジェロの聖母像」が見つかったことが一言述べられていただけ。
そこは、「ミケランジェロ・プロジェクト」を観て補うしかないか。
(映画であるから多少ドラマチックな脚色は施されていようが)。

Hitler contro Picasso e gli altri005

まだ何処かにナチスに焼却されずに眠っている名画がかなりあるであろうことは間違いない。
2010年のグルリット事件(ヒトラー側近の画商の息子がアパートに大量の名画を隠し持っていたことが雑誌ですっぱ抜かれる)。
この他にも必ず似たようなことが明るみに出されてゆくことだろう。
わたしの大好きな「退廃芸術」が沢山日の目を見ることを期待したい。


ピカソを訪ねたナチス高官が「ゲルニカ」のポストカードを見て「これはあなたの仕事ですか」と尋ねると、「いえ、あなたがたの仕事です」と返したという。
そこからこの映画が作られたのか、と合点した。



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透明人間

The Invisible Man001

The Invisible Man
2020年
アメリカ、オーストラリア

リー・ワネル監督・脚本
H・G・ウェルズ『透明人間』、ジェイムズ・ホエール『透明人間』原作

エリザベス・モス、、、セシリア・カシュ
オリヴァー・ジャクソン=コーエン、、、エイドリアン・グリフィン
オルディス・ホッジ、、、ジェームズ・レイニア
ストーム・リード、、、シドニー・レイニア
ハリエット・ダイアー、、、エミリー・カシュ
マイケル・ドーマン、、、トム・グリフィン
ベネディクト・ハーディ、、、マーク
アマリ・ゴールデン、、、アニー
サラ・スミス、、、レックリー刑事


とても新鮮な緊張感ある引き締まった「透明人間」であった。
セシリア・カシュ の心境がとても良く分かり共鳴できる。
抗不安剤をずっと飲み続けている人の様相も充分に窺えるものだ。
(相当な演技力ということか)。
演出において空間を長回しで一定時間撮り続ける手法がそのまま意味内容として緊迫感を生んでいた。
透明人間という存在の無理~理不尽を受け容れることで、破綻は感じずじっくりと観ることが出来る。
重厚な傑作であった。

The Invisible Man003

人をコントロールする人間に捕まると内面から浸食される。
搾取された果ては、中身を喰い破られて立ち腐れで終わり。
これが、幼年期~子供時代からのことだと、もう自分自身としての未来も死もない。
最初から自分を生きることが出来ないとなれば、まさに生き地獄でしかあるまい。
ヒロインは大人の女性となって、恐ろしいサイコ男に捕まり身動きが取れなくなる。
恐らく彼女の妹であったら、最初の段階で相手を撥ね付けてしまうと思うが、セシリアはそれ程の自我を獲得していなかったのだろう。
大人になってこの状況にあるということは、幼年期~少女期~思春期にそれぞれ享受、獲得すべき愛着関係や自己信頼感や自主自立性に問題を抱えているものと思われる。
かく謂うわたしもこの点で大いに苦労した。
そして独力で~誰の力も借りず~これまでの関係性~力学を構造的に洗い出してここまでやって来た。
誰の力も借りず、ではなく周りの妨害を跳ね除けながら、がより精確である。
それに余りに大きなエネルギーを消費したため、未だに激しい憎悪を核に抱え込んでしまっている。
そのうねりが強い磁場を形成していて生の人間関係は結びにくい、必然的に相手を選ぶ。
(このエネルギーの対消滅のためには、相応の報復を必須とする)。

The Invisible Man004

ほとんどこの女性みたいである。
わたしも随分、利用され搾取されてきた。
最初は親の支配・投影・操作に始まり。
悪無限反復から抜け出ること。

セシリアはこのループから、途轍もない荒唐無稽な事件の克服によって脱するに至ったと謂えよう。
大変危険な負荷を通してである。それに押しつぶされたら文字通り死ぬか廃人だ。
彼女はやり遂げた。
相手の裏をかき相手がやってきたことを逆手に取り、小気味よい復讐である。
最後の誇らしげな自信に満ちた表情が余韻を残す。

The Invisible Man002


大きな試練を乗り越えることである。



エイドリアンの発明したスーツは何より軍が欲しがるものであり、この件は国家の軍事機密に取り込まれ事件そのもの~真相はもみ消されることになるのでは。
透明軍隊ほど無敵で怖いものはない。
ここでのエイドリアンのやりたい放題を見て実感した。
特に最後の自分の兄を替え玉にして被害者を装うということもこの透明化のトリックのなかで初めて可能となったものだ。
このテクノロジーを国家~軍が放っておくはずがない。
もしかしたらセシリアの命も危ないかも、、、。



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空飛ぶ円盤地球を襲撃す

Earth vs the Flying Saucers002

Earth vs. the Flying Saucers
1956年
アメリカ

このモノクロ映画を、2007年にカラーライズ版にしたものを観た。


フレッド・F・シアーズ監督
ジョージ・ワーシング・イエーツ、レイモンド・T・マーカス脚本
カート・シオドマク原作

ヒュー・マーロウ、、、マービン博士
ジョーン・テイラー、、、キャロル(妻)
ドナルド・カーティス、、、ハグリン少佐
モリス・アンクラム、、、ハンリー元帥(キャロルの父)


怪奇大作戦やウルトラQを見る感覚で、これを最後まで楽しんだが、どちらかと言えばわたしは向こうの方が好きだ。
このアメリカ中心主義丸出しと言うか、それが無意識的な前提であることと、自分たちが侵略者であったことから来る外者に対する徹底した排除志向~共通感覚は、見事に貫かれていた。
ただそれが潔く無反省に突っ走ってゆくので、これはこれでエンタメ的には面白いと。
あの頃のアメ車で豪快にガソリン振り撒き飛ばすような感覚もある。
但し、どうも流れがまごまごしており、動きもちぐはぐでスムーズに最後まで走り切る爽快感まではいかない。
もっさり動く宇宙人もそうだが、地球人も無防備に彼らと対面しては光線で消されたり、銃で簡単に撃ち殺してみたりでどうもお互いによく分からない感じも引き摺ってゆく。

Earth vs the Flying Saucers005

自分たちの惑星を失い、住み心地のよさそうな星を探しに来たが丁度良い地球が見つかった。
当初は宇宙開発の中心人物の博士と話し合い正式にアメリカ政府と地球への移住の手続きをとるつもりであった。
取り敢えず「第九地区」でも宛がうという発想は全くない地上の人々である。
宇宙人も他の国のことなど端から眼中にない。
アメリカナイズされた連中だ。
時間観念の違いから上手く博士にメッセージが伝わらず、のこのこ円盤から降り立ったところで宇宙人一体が射殺される。
(この、得体の知れぬヒトが降りたところで即座に撃つというのは、アメリカの伝統芸である。他のSFでもそうだ)。
それを合図に宇宙人が怪光線を放ちロケット発射基地施設の人間のほとんど殺してしまう。
お互いに侵略者気質丸出しの似た者同士である。
気の合ったところでアドレナリン放出の、本格的な戦争に繋がって行く、、、。

この当時にしてはVFXが様になっており、絵的な破綻は見られなかった。その辺は見事である。
使いまわしの絵が数回見られたのがちょっと残念であったが、特に不満はない綺麗なものであった。
UFOや宇宙人の素顔やスーツについても後の宇宙侵略者の原型となっていることが分かる。
ストーリーは見事に平坦で単純極まりない侵略ものであったが、これもその後のSFの基本フォーマットとなっていると思う。
キャストは、今一つ厚みがなく、共感を覚えて寄り添ってしまう衝動を感じる者はいなかった。ここも平坦である。
UFOに捕らえられ記憶装置として利用されたハンリー元帥が使用済みということで上空から廃棄されたが、その後も淡々と娘夫婦は軍部に協力して頑張っていた。結構ハードボイルドタッチでもある。

Earth vs the Flying Saucers004

宇宙人は地球時間で56日後に会議を正式に設定しろ、それまで待つ、と太陽に細工をして地上を混乱させ警告してきたが、アメリカ政府は(何故か大統領は蚊帳の外で軍部だけで動いていたみたいだが)、即刻兵器開発に乗り出しUFO殲滅作戦に打って出る。博士には新兵器開発を要請する。博士もやる気満々で新兵器を短時間で作ってしまう。
普通、太陽の状態が変わると電気・通信系統に大打撃を被るはずだがその描写はほとんどなかったように思える。

それよりこれから地球の代表アメリカがUFO宇宙人相手に国力を見せつけると謂うノリである。
だが通常兵器~火器では全く歯が立たない。
そこへ博士の開発した超音波砲であるが、どうも統制のとれた形で制御運用されている様子が無く、UFOにジープごと何台も消されてしまったり、どこからどう狙い撃つか分からずぼんやりしていたり、博士からそこを狙え!とか言われて撃ってみたりと折角の最新装備を軍がしっかりコントロールしているのか疑われる状況での戦闘が行き当たりばったりで続く。
円盤も何を狙って攻撃しているのかが掴めない戦闘体制に感じられ、ここでも似た者同士感が窺えてしまう。
ちょっとカオスである。
で、超音波砲で何台かのUFOを制御不能にして撃ち落とし、突然アメリカ側がどこからともなく勝利宣言をする。

Earth vs the Flying Saucer003

えっ?終わったの、、、もうUFO皆落ちたの?という感じで戦闘は突然の終わりを告げる。
潜んでいるもの、宇宙空間に退避しているのもいないのか?UFOすべての台数数えていたのか、、、心配になるが大丈夫らしかった。
平和を取り戻し、博士夫婦が海辺で、もうああいうの来ないわよね。もう来ないさ、、、みたいな。
手を取り合い海に向かって走って行く、、、エンド。


めでたしめでたし。エドウッドのSFを少し前に見ていたせいか、出来の良さが際立った。




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ランナウェイズ

The Runaways001

The Runaways
2010年
アメリカ

フローリア・シジスモンディ監督・脚本
シェリー・カーリー『Neon Angel: The Cherie Currie Story』原作
ジョーン・ジェット製作総指揮


ダコタ・ファニング、、、シェリー・カーリー(ヴォーカル、キーボード)
クリステン・スチュワート、、、ジョーン・ジェット(ギター、ヴォーカル)
スカウト・テイラー=コンプトン、、、リタ・フォード(ギター)
アリア・ショウカット、、、ジャッキー・フォックス(ベース)
ステラ・メイヴ、、、サンディ・ウェスト(ドラムス)
マイケル・シャノン、、、キム・フォーリー(プロジューサー)
テータム・オニール、、、シェリーの母
ライリー・キーオ、、、マリー(シェリーの双子の姉)

わたしは、ハッキリ言ってあまりランナウェイズは聴いて来なかった。が、日本に住んでいて彼女らのサウンドを一時期聴かないでいることは無理であった。その人気の広がりはかなりのものでありロックを聴かない人も何らかの形で知っていた。

ダコタ・ファニングとクリステン・スチュワートW主演である。
この2人が出ているのだから、まず間違いなしで観ることが出来る。
しっかりランナウェイズのチューンをふたりで幾つも歌い上げていた。
熱演である。ピッタリ成り切っていた。
元々、クリステン・スチュワートは成っていたか(爆。
ともかく、かっこよい。二人とも言うことなし。いや他のメンバーも堂に入っている。
1975年頃の雰囲気もしっかり窺える。車で特に。そこでまだ15歳くらいの反抗期の少女が暴れまくる。
まだロックミュージシャンは、女性の草分け的存在のスージー・クアトロがソロで頑張っていたくらいか、、、メインヴォーカリストで男たちのプレイヤーのなかで活動していた女性ミュージシャンは少なくないが、、、。
その極北に清らかなソプラノヴォイスでわたしを魅了し圧倒したクラシカルな唱法のアニーハズラムがいた(わたしの大好きな「ルネサンス」に)。勿論、ランナウェイズはその対極を走る。

The Runaways002

シェリー・カーリーは(父は母に実質捨てられ酒に逃げる男であるが)門限もしっかりある躾は厳しい家庭の娘であった。
バンド活動を通して(特に薬など)過激さはエスカレートしてゆき、衣装はコルセットとガーターベルトのほとんど下着姿にまでなる。
これが彼女、そしてグループのイメージとなる。攻撃性とエロティシズムというメッセージを同時に発信して売り出す。
これは矛盾とまではいかないが軋轢を生むこととなる(特にメンバー内に)。
アメリカ本国よりも日本での人気が高まり、篠山紀信がシェリーの「激写」をしたことは有名。
話題性は豊富であったが、果たして音楽的にどれだけ受け止められていたものか、、、。
映画でも日本での過剰な受け方が描かれてはいた。
様々なメディアに露出していたことは覚えている。「こまわりくん」にも出ていたし浸透していたことは確か。
(確かこまわりくんが、窓の外からチ、チ、チ、と鳥になって覗いていたところ、それがバレるとチェリ~ボ~ム!と苦し紛れに叫んで誤魔化す、、、即座に西城くんに殴り飛ばされていたような、、、うろ覚えだが(爆)。

来日演奏のシーンは、しょぼかった。日本風スタジオロケではあるが、もう少し金掛けて欲しい。
宴会場面ももうちょっとどうにかならなかったか。
彼女らは、世界のどこより日本で一番人気だったのだ。
どれほどファンが詰めかけて来たかは雰囲気的に分かるが、如何せんスケール感が無さ過ぎ。
演奏力は当時から評価は高かったが、その様子は窺えた。
(よく練習はしていたし)。

The Runaways003

プロデューサーの仕事の大変さも分かった。
まさにアーティストを作り上げる仕事だ。
これからデビューする若い娘などプロデューサー次第で決まるようなもの。
その点、彼女らは過激なプロデューサー、キム・フォウリーに捕まりデビューまでは早かったと謂えるか。幸か不幸か、、、。
「チェリー・ボム」 などほとんど彼の作詞・作曲ではないか、あれでは、、、。介入にも程がある。
彼は時代の流れから女子バンドが儲かると踏んだ。それが見事に当たったと謂える。
もう少し後になると、マルコム・マクラレンの動きとかがやたらと目立つことになる。

かなりドロドロしながらの活動光景が描かれていたが、実際もっとすごかったと思う。
というよりかなり酷かったはず。
純粋な音楽活動以外の部分で大変だっただろうところが多分に窺える。
実際、プロとしてやって行くにはクリアして行かなくてはならない、どうでもよいことや関係が山ほどあろう。
更に女のリビドーだしまくれーと何にでも咬みつくスタイルでやって来ている。
プロデューサーもこういう煽り一辺倒の売り方もあるのだろうが、まだティーンの彼女らにはキツイ。
苦悩と葛藤などと呑気に言っていられない誹謗中傷など当たり前。SNS中心の今のようなWeb社会であったならどうなっているか。
仲間内でも不公平感などが充満する。精神的にボロボロになる。薬でボロボロになる。
誰よりもロックをやりたいジョーンが何とかグループを維持しようとするが、、、
本当にロックをやりたい(ロックしかない)強力な意志が無ければ続けられない~残れない世界と謂えるか。

The Runaways004

カーリーはデヴィッド・ボウイを、ジェットはスージー・クアトロで、フォードはリッチー・ブラックモアとジェフ・ベック、、、ウェストはロジャー・テイラー(クイーン)、フォックスはジーン・シモンズ(キッス)を自分の理想のイメージに描いていたという。
グループそのものは、煽情的な歌詞とストレートでパンクな雰囲気で押していたが、それぞれ求める方向性は異なり重厚な本格派を狙っている。何となくのコマーシャルに乗った女子バンドでは全くなかったことは確か。


だが、ストーンズみたいに長続きはしなかった。気の長いおじちゃんでないと続かないか、、、
実質、ジェットとフォードの両ギタリストの方向性の違いが決定的になり解散となった。
ジョーン・ジェットはこの後、「アイ・ラブ・ロックンロール」など大ヒットを飛ばすブラック・ハーツを組んで更に活躍する。
ある意味女性ロッカーの頂点に立つ。
リタ・フォードもソロギタリストとして成功を収めている。
初期に在籍したミッキ(マイケル)・スティールは、わたしも大好きなバングルズに入って活躍した。
ジャッキー・フォックスは芸能界からは引退するが、ハーバード大学法科大学院を卒業して弁護士になる。大学時代の同期にバラク・オバマがいたことは、以前ロック番組の小ネタで知った(笑。
サンディ・ウェストは肺がんで若くして亡くなっている。
カーリーはフォックスに少し遅れて脱退したが、ソロ・アルバムをリリースして単独でのツアーを行うが、終息に向かう。
薬物から立ち直った彼女は同じような依存症の若者のカウンセラーをする傍らチェーンソーアーティスト(彫刻家)もやっているとのこと(これも以前小ネタで知る)。女優としても幾つも映画に出ていた。TV番組にもかなり出ていたはず。
確かに女デヴィッド・ボウイというルックスであった。

何と言うか自分の理想をしっかり持った人たちであったことは分かる。
プロデューサーとはそれを商業ベースに上手く乗せる腕の持ち主というところ。(マイケル・シャノンみたいなカリスマ性を漂わせていることも大事だ)。
ともかく、どちらも大変だ。


余りファンでもないが、色々と芋蔓式に出て来てしまうものである。
昔を偲ぶ年寄りみたいな気持ちになっていた(爆。



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ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ / グレイテスト・ヒッツ [CD]






ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール

God Help the Girl002

God Help the Girl
2014年
イギリス

スチュアート・マードック監督・脚本・音楽


エミリー・ブラウニング、、、イヴ
オリー・アレクサンダー、、、ジェームズ
ハンナ・マリー、、、キャシー
ピエール・ブーランジェ、、、アントン


スコットランドのグラスゴーが舞台。
文化・芸術・若者の街で、かつては工業の街でもあったという、映画でもその辺は語られる。
ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックの故郷だそうだ。
ミュージカル映画で、オシャレだが淡々と進みちょっと苦かったりもする。
音楽は全て彼のソロアルバムからのオリジナルチューンで、ポップで耳障りも良い。
(ベル・アンド・セバスチャンはアルバムも持ってはいるが、余り聴かなかった。わたしにとり、それほどしっくりくるタイプの音ではないので。劇中、ジェームズがデヴィッド・ボウイに不快感を呈するところがあったが、わたしはバリバリのボウイ派であった)。

God Help the Girl001

拒食症から精神科の病院に入院していたイヴが自分のことを曲に書き始め(医者にも勧められ)、才能も開花して、、、自己実現~自己治療へと進み自立してゆく。表現の過程というものは悉くそうしたものだ。
あんなに簡単に病院を抜け出すことが出来るとは思わなかったが、彼女は外出許可なく自由に外泊する(笑。
見つかれば叱られそれなりのペナルティが課せられはするが、全く懲りない。
自由な夢見る乙女である。オーストラリアが故郷らしい。グラスゴーは移民が多いと聞く。
イヴとジェームズがひょんなことでコンサートで出逢い、彼女が曲を書いていることから、意気投合してバンドを結成することに。
彼について音楽を勉強しているキャシーも誘う。彼女もイヴに劣らず変わっている娘でお互い気も合った。
キャシーもイヴと一緒にヴォーカルを担当する。ジェームズはギター担当。3人ともピアノは弾く。

ビラを配りバンドミュージシャンを募集すると、たくさん集まり充実した演奏が可能となる。
何故か走ってビラをまき散らし、その後を人々が走ってついて来るところなど、ビートルズ・ファンタジーみたい(爆。
ストリングスも入っていて厚みもあり豊かで爽やかなサウンドになった。
(集まった面々に説明していた時、たまたま公園で清掃アルバイトで居合わせた娘もバックヴォーカルになっている(笑)。
但し、ベル・アンド・セバスチャンというグループ名の付けられるところまではいかない。
彼の自伝ではなく、飽くまでもちょっとほろ苦い創作の青春コメディ、、、か。

God Help the Girl003

キャシーに急な連絡が必要になった際、可愛い犬を走らせ迎えにやっていたが、携帯を使うシーンが見られないというのが何より新鮮であった。
彼女を誘い出す時、窓の下から声を何度もかけて起こしたり、キャシーも窓から服を繋げて降りようとしたり、イヴに玄関から降りたらと謂われて気づいたり、、、何とものんびりした光景が広がる。
だが不良はあちこちに屯していた。結構、怖い所はあるのだ。
うち捨てられた街という暗い感じはなかったが、、、工業はすたれていた様子だ。

街中全て、自転車で移動である。
車にも乗っていなかったはず。バスには乗るが。
何としかし、彼らはカヌーは使う。
カヌー~カヤックに乗っての移動は、どんな映画でも余り見ない。
何とも長閑で(意図した演出か)個性的でどこかノスタルジックで、、、和らぐ。
一言、彼ららしい。
そう、こんなサウンドなんだ。

God Help the Girl004

ジェームズは死ぬまでに一枚CDが出せればよい。別に自分の思うような音楽が出来れば売れなくても構わないというスタンスだが、イヴは、しっかりとプロとしての活動を手堅くやってゆきたいようだ。
成功したいみたいだ。野心を抱くようになった。本人は成長したと言っている。
(確かに自分の作ったデモを録音した大事なテープを人気バンドのフロントマンのアントンに託しプロヂューサーの返事を待ってるくらい非現実的な感覚で生きてきたころからは足は地に着いた)。

とても仲の良い3人であった。
イヴが病院を抜け出て来て、即興で歌を作って唄いまくり、直ぐに打ち解け信頼し合って来た仲であったが、、、。
イヴはロンドンの音大に入るために一人旅立ってゆく。
それを見送るジェームズ。
後から気づいて自転車でやって来るキャシー。
帰りはジェームズとキャシーで二人乗りで帰って行く。
最後はとってもほろ苦い。

曲は場面にピッタリであった。
(そりゃそうだ)。


God Help the Girl005





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オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー

THE STRANGER005

THE STRANGER
1946年
アメリカ

オーソン・ウェルズ監督
ヴィクター・トリヴァス、デクラ・ダニング原作
オーソン・ウェルズ、アンソニー・ヴェイラー、ジョン・ヒューストン脚本

エドワード・G・ロビンソン、、、ウィルソン(刑事)
オーソン・ウェルズ、、、チャールズ・ランキン(高校教師・時計技師)/フランツ・キンドラ(ナチス高官)
ロレッタ・ヤング、、、メアリー・ロングストリート(判事の娘、チャールズの妻)
フィリップ・メリヴェイル、、、マイネキー(元収容所所長)
リチャード・ロング、、、ノア・ロングストリート(メアリーの弟)
バイロン・キース、、、ジェフリー・ローレンス(メアリーの父、判事)
ビリー・ハウス、、、ポッター(雑貨店主人)
マーサ・ウェントワース、、、家政婦


ヒッチコック調の雰囲気で充分愉しめた。
オーソン・ウェルズ自身は自分のこの映画が気に食わなかったそうだが。
映画の絵そのものは、まさにウェルズのものであった。独特のコントラスト、長回しも含め。
時計への拘りは作品の質感も決めている。
時計台と梯子という垂直性の際立つ構図が随所に見られ特徴的。
終盤にかけてその梯子が意味を持つ。
よく出来ていると思ったのだが、何が悪かったのだろう。

THE STRANGER004

エドワード・G・ロビンソンは映画ファンの中ではとても人気の俳優だがわたしはよく知らない。
恐らくここで初めてお目にかかった。
ベテランの切れ者刑事(戦争犯罪委員会の委員長?)を演じていたが、実に味のある役者だ。
厳しいが親しみのある物腰で頼りがいを感じる。
潜伏する元ナチ狩りに執念を燃やす。
ナチの大物高官の逮捕の為、元収容所所長マイネキーをワザと釈放し泳がし尾行する。

オーソン・ウェルズはひたすら暗い。結構、生徒たちに慕われているのに。
(相変わらず重厚な存在感だが、暗くて重くてそれだけでも奥さん大丈夫?というところ(爆)。
アメリカで身を隠し、名門校の教師となり、判事の娘とも結婚して偽装生活は完璧と言えたのだが、、、
選んだ場所コネチカットのハーパーも余所者を受け容れる良い街ではないか。
しかし囮のマイネキーがのこのこ元上官であるフランツ・キンドラに真直ぐ逢いに行ってしまう。
まさに狙い通り。ドンピシャである。勿論彼はチャールズ・ランキンで行かねばならない。
流石に元高官は簡単に尻尾は出さないが、警戒レベルを過剰に上げる。

THE STRANGER006

それにしても自分を慕ってやってきた元収容所所長である部下をいとも簡単に殺す必要があったのか?
(本当の自分をひた隠しする為だけに殺害とはリスキー過ぎないか)。
余計に面倒なことになると思うが。
相手はもう教会に絡めとられ完全に懺悔しておりどちらの陣営にとっても無害な老人である。
(自分でもわたしは変わりましたと言ってしきりに悔悛しており、またナチを復活させようとか言う危険分子ではない)。
わかったわたしも悔悛するからもう来るなと言って追い返せば、波風立たずにそのまま済んだように思われるのだが。
(身を守るには、波風を立てぬことが基本である)。
何にしても、死体を出したらもうお終いではないか。バレて追い詰められるのは時間の問題となる。
犬も絡んでいるし。

この辺の対応・処置はナチ高官にしては余りにお粗末では。
結婚相手に対して騙る嘘もちょっと厳しい。
妻以外に漏れたら確認を取られ直ぐに分かってしまうものだ。
そして邪魔だと判断すれば所長や犬と同様に殺そうとする。
自分を庇う妻でもマインドコントロールが効かなくなったと判断した時点で。
益々身を危うくする方向に進めてゆく。
よくこんな計略で行くような男にナチの若きエリート高官が務まったものだ。

THE STRANGER001

口の上手さで切り抜けていけるものをもっているのに。
一時は、鋭いウィルソンを丸め込むところまで行ったのに惜しい。
ただ流石にナチ狩り専門家は夜中にハタと気づく。
マルクスの事を「ユダヤ」呼ばわりをするのはナチの特徴だと。
眠っている時もナチ狩り思考は働き続けているのだ。
やはりそれくらい一所懸命にやっていれば、成果もあがるというもの。

夢中になって打ち込むことが大切だと言うことは、こういう場面からも汲み取れる(笑。
ナチスの残虐さを確認するうえでウィルソンがメアリーに見せる強制収容所のドキュメンタリーフィルムがあったが、この当時ではこのくらいのものかと思った。現在のドキュメンタリー番組などでは、かなり強烈でショッキングなものが流されている。

THE STRANGER003


最後の計略で教会の時計台に上る階段に細工して奥さんを墜落死させようとして呼び出した際、彼女は躊躇なく飛び出さんとしたが、マーサ・ウェントワース演じる家政婦が仮病でそれを止める。これで流れが完全にウィルソン側になった。
彼女の功績は大きい。要所要所でしっかり働く。
終わり方は、かなり劇的、というか劇画調か。
自分の直した教会の時計の動く像(天使?)に刺されて死ぬのだから。
このシーンに力を入れていることは分かる。

THE STRANGER002

オーソン・ウェルズ自身は、自分の力作は評論家には絶賛され、商業的に失敗しても評価の高い監督だが、この手の(娯楽サスペンス)作品でヒットを飛ばしてゆけば、風当たりも悪くなくなり、自由な製作も出来るようになったのでは。



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夜歩く男

HE WALKED BY NIGHT001

HE WALKED BY NIGHT
1948年
アメリカ


アルフレッド・ワーカー監督
クレイン・ウィルバー、ジョン・C・ヒギンズ脚本

リチャード・ベースハート
スコット・ブラディ
ロイ・ロバーツ
ジャック・ウェッブ
ジョン・デナー


これは良い掘り出しものであった。
過去の名作と呼びたい。
幾つもの既視感あるシーンを感じた。
恐らく映画愛好家であればたくさん見つかるのではないか。
わたしも「第三の男」への影響がクッキリ見受けられた。
硬質な夜のハイコントラストな光景。
犯人のよく知った迷路の地下道を沢山の警官たちに徐々に追い詰められてゆく最期のシーンは感慨深い。
長く続いた闘いの果てのあっけない虚しい帰結。

実話が元になっており、ドキュメンタリータッチで淡々と描かれてゆく物語。
犯人は窃盗だけでなく、邪魔とあらば躊躇なくピストルを向け撃ち殺す。
警官を撃ち殺された警察も執念を燃やし地道で執拗な捜査を繰り返す。
充分ハードボイルドタッチでもある。
最後にはモンタージュで写真を作って大量に配布して身近な警察内部から疑って人物像を絞って行く。
大変な難事件であったことが分かる。
まず、犯人が手掛かりを残さない。前科、犯罪歴もなく、親しい友人関係など、目立つ人間関係がない。
盗品をレンタル屋に卸し、大金を儲ける。特定の人間に顔が知れてもおかしくないはずだが、、、顔を知る者は一握り。
(ともかく写真がないのだ)。
犯行も周到でぬかりない。何より逃げ道、武器の隠し場所など実に巧妙である。
しかし特徴は、彼が狡猾で冷酷な男で天才的な詐欺師でもあったということよりも
この時代ではまだ、人間像を掴み難いパーソナリティであったことが大きい。

何より、彼の動機である。何を求めて何を狙って犯行を続けてゆくのか。不明のまま死んでしまったが。
病的なものも感じ取れる。
愛着障害で回避型の人間は今後ますます増えてゆくとみられているが。
そのタイプは、人間関係は極めて希薄であり、何をやるにも単独で行う。
この映画の製作された時期であれば、そういう人間は特異な存在でありとても生き難い少数者であろうが、今は全くそうではない。
パソコンとWeb環境が前提としてある。つまり彼らにとり生きるに適した環境が整っているのだ。
ある意味、Web環境のなかで無敵となる。
この犯人も電気系には極めて強い科学の造詣も深い男であった。
彼は恐らく先駆的な回避型愛着障害の人間であったようだ。
人より犬が友である。警察が家の周りを包囲すれば、真っ先に犬が知らせてくれる。
このお陰で彼は難を逃れる。初動が早かった為だ。

この事件が長引いたのも彼が情報戦でも一歩先を行っていたからである。
仲間を失った警官が通常の捜査を諦め、知恵を働かせ内部から徹底的に探っていると、警官ではないがかつて警察で働いていた無線技士に偶然行き着く。ある意味、ラッキーでもあった。
地を這うような捜査でついに彼を特定する。
アパートを探り当て、ミルク配達業に化け玄関でこれ見よがしにミルク瓶を割りその後始末をしていると、思惑通り犯人が玄関を開けて顔を見せた。ほぼモンタージュの顔であり、チェックメイトとなったものだ。


最後の迷路の地下道でも、まだ犯人はマンホールから外の夜の世界に脱出できる余裕はあった。
しかし、そのマンホールの蓋にはパトカーのタイヤが少しばかり乗っていたのだ。
命運が尽きたと謂えよう。蓋の穴から警察の放った催涙弾の煙が漏れて上がるところが何とも虚しい。


全体に古さは隠せないがチャチなところはない、過去の名作である。
一気に観てしまう作品であった。






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宇宙のデッドライン

BEYOND THE TIME BARRIER004

BEYOND THE TIME BARRIER
1960年
アメリカ

エドガー・G・ウルマー監督
アーサー・C・ピアース脚本

ロバート・クラーク、、、アリソン中佐
ダーレン・トンプキンス、、、トレーネ(テレパス)
アリアンヌ・アーデン、、、マルコーバ(科学者)
ウラジミール・ソコロフ、、、未来都市の総督
スティーヴン・ベカシー、、、カール・クラウス(数学者)
ニール・フレッチャー、、、エアフォースのチーフ
ジャック・ハーマン、、、リッチマン(医師)
ラス・マーカー、、、カーティス大佐
ジョン・ヴァン・ドリーレン、、、ボウマン博士(宇宙物理学博士)
ボイド・'レッド'・モーガン、、、未来都市の隊長


基本的に会話により物語が進行する。
とは言え、思弁的な映画かと謂えばちょっと舌足らず。殴り合ったりもするじ雑な運びも多い。
最初は雰囲気的にエドウッド派のSF監督か?と疑う要素に心配したが、流石にそれは後半に差し掛かる当たりには晴れた(笑。
ジェット戦闘機も本物を使っている(空軍の協力を得ている?)し、三角形を多用した幾何学的な空間デザインなどもそれなりに手抜きはしない姿勢が見えた。ストーリーもしっかり組まれてはいる(エドウッドはここで破綻している)。とは言え低予算映画の限界は時折気になりもする。

BEYOND THE TIME BARRIER002

そして何より内容的に新鮮さを求めるのは無理。
この映画のコンセプトが詰まらないと謂うのではなく、後の映画でこうしたモチーフはしょっちゅう使われ、科学の認識も変遷していることから来るわれわれ側の知識~感覚の問題がある。
重要なのは、まだ人類~アメリカは月に行ってはいないのだ。
これは大きい。この状況下で、アインシュタインの時間のパラドクスを組み入れたお話を主軸に持ち込んでいる。
つまり先駆的な意味はあり当時としては挑戦的な試みであったはず。
「タイムトラベル(時間のパラドクス)」、「宇宙線被害(生殖機能の破壊、またはゾンビ化)」、「パニック時の権力抗争」、「人類救済の為の犠牲(恋愛との葛藤)~ヒロイックな行動」等々、、、。
SF作品のヒントが散りばめられた作品として受け取れば、その道の人々には有難い作品となろう。

BEYOND THE TIME BARRIER003

超音速機のテスト飛行を成功させ着陸したと思ったらそこは自分のいた1960年ではなく2024年であった。
こうした不安は無意識にわれわれが持っているものだと思う。
そんなところから導入して行くところは上手い。

2024年の地球では、人類は地下生活を送っており(金のあるものは火星に逃げたらしいが)。
宇宙線による遺伝子損傷により人類は生殖不可能となってしまった。
そして言葉も失い唖になっている。
地下都市の総督の娘トレーネだけは生殖機能が正常で意思相通もテレパシーで可能ということ。
だが基本、今いる人間が死ねばほぼ終わりの状況だ。
そして人によってはミュータント化して他の人を襲って食べているという。彼らは捕らえられ幽閉されている。
ゾンビの元であろうが、ここでのミュータントは知力は残っており凄まじく素早く攻撃力が高い。

BEYOND THE TIME BARRIER001

アリソン中佐はトレーネに気に入られた為、この地での人類救済の頼みの綱扱いされる。
アリソン中佐と同様に他の時間から亜空間を介してこの世界に飛び込んでしまった宇宙飛行士も捕らえられ太陽光エネルギーの管理を任されているが、彼らもまた宇宙線の被害に遭っておらず言葉にも困らない状態であった。

アリソン中佐は自分のいた時間に戻り、宇宙線対策を呼び掛け、未来を救いたいと願った。
その障害となるのは、総督が切にこの世界の救世主~娘と結婚し子孫を残して欲しいと望むこと。
実際、ふたりは恋心も芽生えているのだった。
他の時間系からこの地下都市で燻っている3人の科学者たちも中佐を利用し元の時間に戻ろうと画策していた。
信用ならぬ連中であることが暴露される。
来た道を逆走するくらいで元の時間系に乗っかれるのか?
何でも来るときもマッハ8ほどで来たのである。
30万km/秒が光速であれば、マッハ88万に近い速度が出れば分かり易いが、、、これはここでは何とかなる勘定だ。
(別に光速に近くなければ理論が成立しない訳ではないし)。

アリソン中佐は総督と娘は結果的に説き伏せ、仲間の科学者たちは、自分が彼の飛行機を乗っ取り帰ろうとして奸計を巡らすが、結局襲い掛かり暴力で決着をつけることになる。
このいざこざでトレーネは流れ弾に当たり死んでしまう。
アリソン中佐が周りの欲張りを制圧し、総督にホントに未来を頼むと託され、逆に飛行することで、自分の時間の空軍基地に戻って来る。
しかし彼は酷く年老いて戻って来たのだった。そのありさまを見た軍の上層部はこれは深刻に考えねばならないと述べ、メッセージは伝わることとなる。

慣性系にいた者と高速系にいた者との対比である。
これってどう考えても中佐が年老いているのは逆ではないか?
またここまで極端な差は生まれないにせよ。
中佐の方が歳をとらないはずである。


ショッキングな終わり方でメッセージ性は強いものであった。





AmazonPrimeにて







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ビタースイート

Big Girls Dont Cry001

Große Mädchen weinen nicht   / Big Girls Don't Cry

2002年
ドイツ

マリア・フォン・ヘランド監督・脚本

アンナ・マリア・ミュヘ:、、、カティ(女子高生)
ストロリン・ハーフルト:、、、ステフィ(女子高生)
デビッド・ウィンター 、、、カルロス(男子高生、ステフィの彼氏~テッサの彼氏)
ジョセフィン・ドーム、、、 テッサ(女子高生)
ティルベルト・シュトラール=シェーファー 、、、クラウス(男子高生、カティの彼氏)
ジェニファー・ウルリッヒ:、、、イヴォンヌ(女子高生)
ステファン・カート:、、、ハンス(ステフィの父)
ガブリエラ・マリア・シュメイデ:、、、イングリッド(カティの母)
テレサ・ハーダー、、、ジャネット(テッサの母)


感慨深いのは、カティとステフィは、腐れ縁とでも言うか、幼い頃から一緒に過ごし、双子の姉妹的な仲だ。
だから間にどれだけ酷い事件~裏切りが発生しようが、完全にそっぽを向けない。離れられない。
良くも悪くもである。
幼い頃に培われた関係性というものは、強固なものであることが分かる。
動物の刷り込みに近いか。
そして徹底して壊れれば、その再生時に全ては以前より良い形(風通しの良い解放された関係)に再編される可能性があるということ。これが示され希望に包まれるエンディングを迎えホッとした。確かにその通りだと思う。

まあ、最初から危なっかしくて無軌道で、反抗的で衝動的な娘たち。
更に粗暴で暴力的。
所謂、反抗期だから、と言われても手のつけようのない悪ガキぶりを発揮するのだ。
特に主導的なのはステフィの方である。
カティがそれに合わせる。
二人いれば権力関係も自ずと生じるものだ。

彼女らの場合、単なる反抗期に収まらない。
どちらもトラウマによる比重が大きいのだ。
やはり家庭~親の問題である。
カティの家は良く分かる。
母が神経症でともかく細かく直ぐに苛立ち気難しい。
父はその母の顔色を何時も見て事を荒立てないように動いている。
どちらも子供より自分の気持ちと世間体が優先であり、監視と抑制が基本の安堵感や解放のない場だ。

ステフィの方は、両親が経済力と社会的地位のある所謂リベラルな家庭のようだが、、、。
夫が派手に浮気をしているところをこれまた羽目を外して夜遊びに来ていた娘がバーで目撃してしまう。
表面的には仲の良さを演出している夫婦であったが、その実情を娘は垣間見た形か。
大変なショックを受け、その相手の女の住所を探り嫌がらせを執拗に始めてゆく。
まあ、しかしやることがえげつない。やりすぎにカティはしばしついて行けなくなる。
(この2者間の感覚~意識の差異・葛藤が物語を揺り動かしてゆく)。

その辺はトラウマの深さと個人的資質によるものであろうが、ステフィのパラノイアックな攻撃その止めることが出来ない他害衝動はもはや病的とも謂えよう。
そして何より酷かったのは、自分の父と彼女の母が浮気していたとはいえ、 何も知らぬその娘テッサを騙しポルノ映画に出演させようとしたことだ。
彼女はバンドをやっておりギターとヴォーカルを担当していた為、自分の彼氏のギタリストにまず合わせセッションさせると、思いの他歌唱力があり、曲も書いていてそれを聞いて彼氏も大変気に入ってしまう。本当はここで馬鹿にして返すつもりだったが当てが外れた。
そのせいもあってエキサイトし、危険な人物が経営する撮影スタジオに、録音の為と騙してテッサを一人送り込んでしまったのだ。
これはかなり極悪レベルの犯罪であったことが後にはっきりする。

ここでカティのこころが疼く。恨みの対象の大事にしている存在とは言え、彼女自身に何も罪はない。
はっきりとテッサが深く傷つくか生命の危険に遭遇する可能性も高いものであった。
カティはデートを途中で切り上げ彼女を助けに行く。
すんでのところで彼女を救い、騙した訳を打ち明ける。
娘の傷に気づいた母はその訳を問いただす。
母娘はそろって愛人宅に乗り込み、ステフィの父が愛しているからもう少し待てと言って逢瀬を続けていたことを告白する。
カティも交えた家族の前で明かされ、妻は離婚を宣言し、夫は唖然として項垂れ、ステフィ家は解体する。
更にこの解体を誘ったのがカティの実質的裏切りであったことをステフィは知ることとなった。
これでブチギレたステフィはカティの彼氏を誘惑してしまい、その現場をカティが見てしまう。
もう行くところまで行ってしまった。

それだけではない。そのスタジオを少し前にステフィに紹介され小遣い稼ぎに行ったクラスメイトのイヴォンヌは、その男に殺され遺体で発見されたのだ。
ここで誰もがステフィに拒絶反応を示す。

この映画、最初は何やらやんちゃな女子高生が奔放な恋愛をしてどうにかなって行く能天気なものかな~と思いかけてどうしたものかと見続けるのをためらったが、どんどん荒涼な世界に突き進んでゆくにつれ目が離せなくなった。
かなりのハードボイルドでシビアでクールな噺である。

そして学校を休んでいるステフィを心配して駆けつけたカティは、ベッドで両手首を切って自殺を図っている彼女を発見する。
幸い発見が早く一命は取り留めた。
病院で再びステフィの両親が集う。娘と共にやり直す兆しが生まれる。
テッサはギタリストの彼(ステフィの元カレ)が出来て音楽活動、恋愛が順調に進んでゆく様子が窺え、、、。
度々家を空ける娘を非難して混乱していたカティの母は、娘の逞しさと優しさを実感して彼女に寄り添う態度を示す。
恋人との間の修復は時間を要するが、ステフィを見舞い新たな関係性を築いてゆく兆しも見られた。


変なアメリカ風青春ドタバタムービーではない、かなりハードな再生劇で見応えがあった。
面白かった。



AmazonPrimeにて







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ヒア アフター

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Hereafter
2010年

クリント・イーストウッド監督
ピーター・モーガン脚本

マット・デイモン、、、ジョージ・ロネガン(アメリカ人霊能者)
セシル・ドゥ・フランス、、、マリー・ルレ(フランス人ジャーナリスト)
フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン、、、マーカス/ジェイソン(ロンドンの一卵性双生児)
ジェイ・モーア、、、ビリー・ロネガン(ジョージの兄)
ブライス・ダラス・ハワード、、、メラニー(ジョージが料理教室で知り合った女性)
マルト・ケラー、、、ルソー博士(臨死体験を研究している医師)
ティエリー・ヌーヴィック、、、ディディエ(報道番組のディレクター、マリーの恋人)
デレク・ジャコビ、、、朗読家


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とてもよく出来た映画であった。
堪能した。
じわ~っとくる映画である。
全く別の3組の波乱に満ちたストーリーが広がりを持って動き出し重なって行くところが素敵であった。
流石はクリント・イーストウッド。この監督、上手い。

Hereafter002.jpg

登場人物それぞれ本当にリアリティ充分である。
誰の立場における言動にも共感できるものだ。
マーカスだけちょっと気が利き過ぎているが。
彼も何やら特異な能力~勘が働くのか、、、。

でも最後はあのような、ジャンプは確かに必要だった。
何と言うか本当に大切なものと繋がるには、平坦な文脈からの飛躍が要請されることがある。
要は、それを受け取り実行に移せるかだ。
ジョージは中盤までずっと受け身で消極的に身を守るだけの生活に甘んじてきたが、終盤に向け兄という反面教師により自分の在り方を際立たせ(自覚し)マーカス少年に背を押され「どうかしている」と言いながらも飛び込んで行ったことこそが正解であった。
彼はあの世と繋がるより強力な繋がりをこの世で掴むに至った。
ひとりの実存として自分の生を生きることが可能となった。
良い噺だ。

Hereafter004.jpg

確かにあの世(の人)と繋がるだけの能力など自分にとって何にもならない。
人助けになるとか言われても救われなければならないのは他ならぬ自分自身である。
失うものがさぞ多かった人生であっただろう。
素手で笑顔のまましっかり握手し合える相手に出逢えたことが素晴らしい。
やはりマーカスにはそれを感じ取る何かがあったのだろう。
(ジェイソンが入ってもいるな、きっと)。

マリー・ルレみたいに臨死体験すれば強烈な経験として以後の自分の人生を一変してしまうこともあろうが、それが自分の生をより豊かにする契機に繋がる。出逢うべき人にも邂逅する。
マーカスも兄を失ったことで(兄の本当のメッセージを聴き)、ひとりの人間として自立に向かう。

ジョージの兄が弟の孤独と苦悩を理解できるかどうかは分からぬが、少なくとも弟を利用して儲けようなどという野心は無意味であることは分かったと思う。その他の登場人物たちが皆希望の開けた良い方向に向ってゆく気持ちの良い映画であった。

Hereafter005.jpg

そう、最近こういった気持ちの良いものに然程、触れる機会がなかったことに気づく。

全てのキャストが良かったが、特にマット・デイモンは言うことなし。
ホント良い役者だな~と感慨に耽るほど。
わたしのにとっては、レオナルド・ディカプリオと近いものを感じる。
セシル・ドゥ・フランスも自分を貫こうとするインテリフランス女性の象徴みたいな佇まいで素敵であった(ベルギー出身みたいだが)。
そして尺は短いがルソー博士役のマルト・ケラーも闘う理論派のドイツ人学者の説得力を感じた(スイスの女優であるが、ユングもスイス人であった)。
その他、子役も双子を双子で演じ、なかなかのものであった。ちょっと「シックス・センス」のオスメント君にダブってしまう感じもしたが、頑張った(笑。

やはり良いものに沢山触れてゆきたい。
魂の衛生の為にも。

彼岸とは、いや死とは何であるか、常に隅に置いておくことも必要であろう。


AmazonPrimeにて












”Bon voyage.”

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