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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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花くらべ狸道中

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1961年

田中徳三 監督
八尋不二 脚本


市川雷蔵、、、雷吉狸/弥次郎兵衛
勝新太郎、、、新助狸/喜多八
若尾文子、、、たより
中田康子、、、きぬた(お伝)
近藤美恵子、、、しのぶ


今日は身体の調整の為、ずっと外を動き回っていた。
これから暫く、そうするつもり。
外を歩き回るというのも気持ちの良いもの。
そういう季節となった。

特に体幹のトレーニングをしないと。
買い物も車で行かず、,
徒歩にした。
しっかり体を作り、作品作りに励みたい。

ということで何となく楽しそうな娯楽映画でKADOKAWAものを見てみることに、、、。
紹介の初っ端の文で評判が良いというか景気のよさそうなことが書いてあった本作を選んだ。
尺も短めでスッキリまとまっていれば、気持ちも良い。
キャストもここのところお馴染みのメンバー。
市川雷蔵、勝新太郎、若尾文子となれば手堅い。
何だか知らぬが狸の物語だと、、、。

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結果、な~んだ、こりゃ~であった。
中学の文化祭劇でもこれよりは遥かにクオリティーは高い。
何を狙って作ったのか、、、。
狙いが分かったとしても、これは、ない。まずないな。
脚本家の頭のネジが100本抜けてる。監督は狸であろう。

市川雷蔵、勝新太郎、若尾文子ほどの大スター(名優)がどういうつもりでこれを引き受けたのか。
勝新太郎など途中で怒って帰っちゃったりしなかったのか。
(結構楽しそうに演じているのが不気味であった)。
若尾文子も相当無理をしている。
市川雷蔵は何でも真面目に熟すにせよ。これは割り切ってやっている、、、何か契約上の理でやるしかなかったのか。
更にここに京マチ子先生が加わっていたりしたら卒倒もんである。

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もう何よこれ。
これを見せられて、ねえ皆さんこれだけの豪華スターが唄って踊って弾ける物語、贅沢で楽しいでしょう~っと言われても、、、
どんな顔して見ろと言うのか!
目が点である。

全く楽しめない笑えないコメディほど空虚なものはない。
一言、虚しい。
歌がどうの、踊りがどうの、書割や構図がどうだとかいう以前のことで、、、。それらも全く引っ掛からないが、、、
特にこの映画、進めば進むほど、終盤に行くにつれ凄まじく詰まらなくなる、というか下らなくなってゆく。
全てのプロットが解体して行く。エントロピー増大の一途を辿り、、、
もうこれ以上緩むことが不可能な場にまで落ち込んで終わる、という感じ。

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これもお仕事、とキャストは皆、割り切ってやったのだろう。
不思議に思って高評価のライナーを観てみると、何やらカルトな時代劇ミュージカルで貴重なのだ、とかいう論調である。
つまり映画愛好家に有難がられている作品みたいだ。
ちょうど、エド・ウッドの作品が珍重されるみたいなものか。
そこまでいかないか。もう少し素直な駄作か。どうなんだろう。
こういうものが面白いという人もいるということなのだろう。
しかし、、、

ホントに、勝新太郎など途中で怒って帰っちゃったりしなかったのか。






AmazonPrimeにて








桃太郎侍

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Free Lance Samurai

1957年

三隅研次 監督
山手樹一郎 原作
八尋不二 脚本

市川雷蔵、、、桃太郎/若木新之介
浦路洋子、、、百合(伊織の娘)
河津清三郎、、、伊賀半九郎(鷲塚の手先のリーダー、凄腕)
木暮実千代、、、花房小鈴(女スリ)
堺駿二、、、伊之助(桃太郎に心酔する子分)
杉山昌三九、、、鷲塚主膳(次席家老)
香川良介、、、右田外記
清水元、、、神島伊織(江戸家老)
細川俊夫大、、、滝鉄心斎
植村謙二郎、、、高垣勘兵衛
荒木忍、、、慈海和尚
浜世津子、、、千代
若杉曜子、、、お梅の方
南条新太郎、、、杉田助之進
水原浩一、、、小川新兵衛
原聖四郎、、、鷲塚大学
高倉一郎、、、藤井佐次馬
郷登志彦、、、大西虎之助
志摩靖彦、、、進藤儀十郎
浅尾奥山、、、若水讃岐守


高橋英樹主演のTV版を見た記憶が薄っすらとある。
映画でも調べてみたら、「修羅城秘聞 双龍の巻」、「續・修羅城秘聞 飛雲の巻」が1952年に衣笠貞之助監督・脚本で長谷川一夫主演で撮られている。
本作の後に、「桃太郎侍 江戸の修羅王 南海の鬼」(1960年)が、深田金之助監督のもと、里見浩太朗主演である。
更に本作と同じ題の「桃太郎侍」(1963年)が井上昭監督で本郷功次郎主演と来た。
わたしの覚えているTVシリーズは1976年以降のものらしい。
ともかく、人気のお馴染みのストーリーであったのは分かる。

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双児を忌む武家の風習は初めて聞いた。
その為、兄新之介は若木家のお家を継ぐ殿様コースに、片や弟は最初からいなかったものとして里子に出され育つ。
弟は本名を語らず、桃太郎と人を喰った名を自ら名乗る。
剣の腕がありながら何処にも士官せず素浪人として流離う。
しかしどうやって金を得ているのかは分からない(この手のヒーローには誰にも言えること)。

自分が理不尽な制度によってこの世から排除された存在であることを今際の際の養母から聞かされ、それ以来システムに認められた何らかの位置に着くことを拒み続けて来た。
それは共感する。
更に曲がったことや理不尽な仕打ちには黙っていられない。
それも分かる。
昨日の斑平みたいに酷く虐げられたわけでもなさそうで、トラウマに苦しみ悶えるような面はない。
喧嘩も強いからアウトローとしてやって行ける資質はありか。

いつものように桃太郎が襲われている娘を助ける。
偶々その娘は、桃太郎を赤子の時に捨てた若木家の江戸家老の娘であった。
(出た!運命の悪戯)。
若木家は今、次席家老の鷲塚が何と新之介を亡き者とし妾腹の子万太郎を擁して藩を乗っ取らんと策謀を巡らしていたのだった。
皮肉なことである。正当な実子である桃太郎が素浪人しているというのに。
百合が殊勝な顔して若殿の警護を頼みに来るが、桃太郎はこの件には一切関わらないことを告げる。
そういうシステム上のいざこざはご免被るというところ。そりゃそうだ。
しかし謀反者の企みで兄が毒殺されかけたことを知らされ桃太郎の義侠心が疼く。
(毒を盛った悪がわざわざ若殿に合わせろとやって来る。そこへ桃太郎が若殿で現れ観ている人間誰もがざま~見ろ。基本このパタンで締めてゆく)。

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ただ、桃太郎が無類の剣の使い手なのに自殺願望を抱いていたのと、オランダ由来の毒をタップリ盛られた兄の回復の早さにちょっと驚く。
わたしはこの兄が毒殺され桃太郎が義勇任侠からその後を継ぐのかと思っていた。そうしたら桃太郎は死ぬ気だし、兄は元気に蘇るし。
なかなかの双子だ。

なかなかの双子ぶりは、若殿の近くにいる百合が似てるわ、というレベルみたいだが(小鈴や若木家家臣にとっても)、その後の展開を見てゆくと、よく若殿を知ってる者どもを悉く騙してしまう入れ替わりぶりなのだ。これは間違いなくクリソツでなければ話にならなるまい。似ているどころでは弱い。
実際見ているわれわれもそっくりを見て納得して進んでいるのだ。
一卵性双生児なら当然であろう。
この辺のレトリックは微妙に思える(うちみたいに二卵性だと似ても似つかないが)。

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桃太郎若様を巡る百合と花房小鈴のそれぞれの動きに物語は翻弄されつつ進む。
片や一途に、片や騙しだまされ、、、。
要所要所で伊之助の空回りしつつのコミカルな助けやチャチャも入る。
そして桃太郎に裏をかかれながらも頑張って奸計をめぐらす伊賀半九郎たち。
終盤、見事に自分から罠に嵌りに来た桃太郎を小鈴もろとも焼き殺し首尾よく運んだと安堵した矢先、、、
本物の若殿は元気に乗り込んで来るし、伊之助に助けられた桃太郎もここぞという場に参戦する。

おのれ~という勢いで桃太郎と互角の腕を誇る半九郎との一騎打ちへと、、、。
半九郎は「ゲスの知恵はどこまでもゲス!」と言われた腹いせもあるか。(かなり根に持っていそう)。
最後の見せ場、大一番である。
階段を利用したハラハラする鬩ぎ合いは、結果は当然分かっていようと見応えは充分ある。
桃太郎がどんな風に勝つのか、だけで魅せる。

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船着き場で桃太郎が船から兄の一行を見送っていると、そこに駆けつけて来たのは百合であった。
伊之助あたりの手配であろうか、、、粋なものである。
馬上から兄はその様子を笑顔で窺い、踵を返して城に帰って行く。

上手い。ちょっと無理があってもエンターテイメントとして文句なしに成り立っている。
面白かった。




AmazonPrimeにて












剣鬼

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1965年

三隅研次 監督
柴田錬三郎 原作
星川清司脚本

市川雷蔵、、、斑平
姿美千子、、、お咲(彼女)
睦五郎、、、友蔵
工藤堅太郎、、、朝蔵
戸浦六宏、、、海野正信(藩主、精神を病む)
五味龍太郎、、、虚無僧(斑平を打ち破らんとする侍)
内田朝雄、、、醍醐弥一郎(居合いの達人、公儀隠密)
佐藤慶、、、神戸菊馬(小姓頭)


今日はまともな映画にしたい、というところで市川雷蔵の映画にした(KADOKAWA対象作を見切るぞという気持ちもない分けではない)。
とても印象的であった「斬る」の監督である。
ダイナミックに相手を切って出る侍と謂うより、切る事の虚しさに耐え運命に抗いもがきながら切るしかない男の無常観を描く。
斑平はその出自からして周囲の者に蔑まれ差別に耐えて生き、剣の道で自らの未来を切り開かんとしたが、、、。
何とも重苦しい映画である。
この監督は他に「 女系家族」も撮っている。
亡き当主の愛人であった若尾文子が当主の娘たちから散々虐められながらも自分を貫く物語である。
その辺では、両者ともに自分の宿命と闘う主人公を描いている。

もうひとつわたしが観たのが大魔神シリーズ二作目「大魔神怒る」である。
1~3作とも大魔神のインパクトが強く、似ていたので特徴は思い出せないが、色々多方面で撮っている監督である。
この「剣鬼」と「斬る」は流れる基調が無常で、とても似た作風と感じた。

市川雷蔵は」観る者を共振させ味方にしてしまう典型的ヒーローであろう。
ここでは特にそうだ。
生まれた時から散々理不尽な差別を受けて育つ。
この苦痛は共感できる。

なんせお前は人と犬の間に出来た子だ~はいくら何でもなかろうに、皆からそう言われる。
母が彼を生んで死ぬときに犬がいたからといっても、亡き奥方から頂いた大事な犬を邪険にはできまい。
無足の下級藩士の養子に出されそこで成人するが、、、
義父が死に際に、人を黙らせるような特技を身に付けるのだぞというメッセージを残す。
そこで彼は花を見事に咲かせる特技を身に付ける。
素晴らしい。
もう乱世の時代ではなく、武術よりもそういったニーズの方が高い。
案の定、お城の花造りの仕事にスカウトされる。
そこまでは良かった。
これどまりなら「花造りの斑平」で名を馳せ、あちこちにお花のテーマパークでも作り楽しく平安に暮らせたであろうに。

ある日、見事に作り上げた花畑で刀を振り回す藩主に対し斑平が石のつぶてを投げつけたところを神戸菊馬が見届け、以降かれの直属の部下として働くことに。
脚がやたらと速いことを買われ(走っている馬を後から追いこすのだ)反射神経にも優れた居合い切りも待望され、藩の裏の仕事を受け持つことに、、、。
ここから、斑平の人切り人生が始まってしまう。

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藩の為、公儀隠密を小姓頭の命令で切り始めるともう後戻りが出来なくなる。
可愛らしい彼女が出来たにも拘らず、花ばかりやっているわけにはいかない落ち着いた生活とは無縁となった。
切る相手は選べない。ついに自分の大恩人である醍醐弥一郎をも切ることに。彼も公儀隠密であったのだ。

そこから斑平は、行くところまで突き進む決心をし、祭られている妖剣を自らの剣に定め、この剣を自分が思うままに操ることが出来れば宿命に対し勝ちだとする。
その後、気の触れた藩主の替わりを立て藩を立て直すことを江戸に出向き直訴しようとする若い侍を次々に途中の街道で切り殺す。11人も切ってしまう。
だが、その折り藩主海野正信が取り乱し暴れている際に自ら井戸に転落し死んでしまった。

これで自動的に藩は新たな藩主のもと新体制を敷くこととなり、神戸は失脚して逃げてゆく。
しかし斑平は、妖剣とともに藩に留まり、自分の命運を任せようとする。
だが、そこに留まることは自殺行為を意味した。
山には斑平がお咲と育てた美しい花が咲き乱れていたが、そこが最後の決戦場と化す。
藩は認めていないが、遺族たちが結成した仇討ち侍が多数結集しで斑平を山に誘い出し襲い掛かったのだ。
多勢に夢勢とはまさにこのこと。
斑平は、居合い抜きでもあり、こうした入り乱れる集団戦に有利な立場ではない。
夥しい数を相手にし最後まで切り殺すが自らも酷い深手を負い、、、

最後は彼が騙されたことを知り駆け付けたお咲の叫び声にも何も帰って来るものも無く、、、、
お咲の涙が斑平の死の暗示して終わる。


一度、過酷な宿命(或る流れ)に嵌め込まれると如何にもがいても出ることは叶わない例とも受け取れる。
実際にそうである場合が圧倒的に多いのだ。

市川雷蔵氏物凄い運動量であった。あんなに過酷な運動はアスリート級だ。
内田朝雄が実に渋いカッコよい役であった。




AmazonPrimeにて



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ドニーダーコ

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Donnie Darko
2001年
アメリカ

リチャード・ケリー監督、脚本
マイケル・アンドリュース音楽

ジェイク・ジレンホール、、、ドニー・ダーコ(17歳高校生)
ジェナ・マローン、、、グレッチェン・ロス(転校生)
ドリュー・バリモア、、、カレン・ポメロイ(国語教師)
メアリー・マクドネル、、、ローズ・ダーコ(母)
ホームズ・オズボーン、、、エディ・ダーコ(父)
パトリック・スウェイジ、、、ジム・カニングハム(宗教家)
キャサリン・ロス、、、リリアン・サーマン(精神科医師)
ノア・ワイリー、、、ケネス・モニトフ(物理学教師)
マギー・ジレンホール、、、エリザベス・ダーコ(姉)


ジェイク・ジレンホール繋がりで観てみた。
使われている音楽の趣味が良い。
ジョイディヴィジョンも流れていたが、ティアーズ・フォー・フィアーズの曲がメインの役を果たしていた。
特に“Mad World”である。これはティアーズの曲を新たにこの映画用に(アコースティックに)アレンジし唄い直している。
所謂カヴァー・ヴァージョン。それもかなり良い形で。
印象に残った。

さて映画であるが、、、。
ジェイク・ジレンホールが若すぎて最初誰だか分からなかった。
だが、これは直ぐに気が付いた。
映画自体については、最後まで何なの状態であった、、、。

ドニー・ダーコは夢遊病でゴルフ場に来た時、「世界の終わりまであと28日と6時間と42分12秒」とフランクという銀色のウサギの着ぐるみの男に言われる。
そこで一晩眠り、翌朝目覚めて帰ると自分の部屋に飛行機のエンジンが落下していた。
部屋にいなかったことで命拾いとなる。

Donnie Darko002

その辺までは分かるがこれ以降、ウサギが出る度び何のことか、見るうちに映画から興味が失せて行き詰まらなくなってゆく。
それは当然、この事象の起こるメカニズムや因果関係などの描写~説明が全くなく進んでゆく為に白けてくるのだ。
これは映画作品としては明らかな失敗作と謂える。
難解とか深淵とかいう類の映画では全くない。(外部テクストを介して見れば驚くほど単純素朴な作品)。

実はこの映画の噺の中でロバータ・スパロウという科学者(今は気のふれたおばあさん)の著した『タイムトラベルの哲学』とかいう書物があるのだが、その内容は一切明かされていないにも拘らず、その内容を前提としないと何が起きているのか、登場人物の関係性や役割に至るまで解読出来ないものとなっているのだ。
その本の内容は、この映画の紹介公式サイトに記載されているという。
何のこっちゃ?
映画は映画で完結しなければ、意味ないだろ、、、
外部メディアを参照して初めてほうそうなの、、、って、これもメディアミックスと謂うの?
ただ単に変。

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そこで、その老婆が若いシャキシャキの学者のころ認めたという書物の内容をそこで拾い読みすると、ちょっと面白い。
プライマリー・ユニバースという世界線があるのだが、そこは基本的に安定した時空の世界である。
ある契機でタンジェント・ユニバースが生成されることがあるという。
突然アーティファクトが生成された時がそれであるという。それは必ず金属であるらしい。ここでは飛行機のエンジン。
それが空から降って来たことで、世界はタンジェント・ユニバースになっている。
(とは言え、プライマリー・ユニバースは厳然とあり、隣接する短命なタンジェント・ユニバースに移行したという形らしい)。
とても時間が不安定な世界で、すぐに崩壊する。銀ウサギが主人公に言った時間くらいしか持続しない宇宙であると。
(こう説明されれば、又は何らかの方法で示唆されれば、そうなのかと興味を持って見続けるだろうに。要はどんな理屈でも良いのだ。物語性が生まれることで観るということが取り敢えず出来るというもの)。
ここで副産物のように生成されたアーティファクトをプライマリー・ユニバースに戻さないとタンジェント・ユニバースの崩壊によりプライマリー・ユニバースも消滅するという。そのメカニズムがもう少し突っ込んで書いてあったが、ほぼ支離滅裂であって読むに耐えない。

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あくまでもユニバースの扱いでマルチバースではないと。タンジェント・ユニバースがブラックホール化してしまうというが、何が一体ブラックホールになるのかさっぱり分からない。太陽の8倍相当の恒星であれば可能となるが、ユニバース単位のブラックホールがいきなり生まれることはない。何~どの質量がブラックホール化するのか、、。
それから、リビングレシーバーとかマニピュレイテッド・デッドとか人間レベルのつまり物理法則とは相容れないシステムの役割~要素がこの物理状況に働きかける重要なものとして分担されるがこの非物理的な意識レベルの働きは何処からどういう過程で生じるものなのか。つまりこの状況を総合して俯瞰できるメタレベルの超意識体でも別に措定しないとこんな操作的な行為(としか受け取れない)の介在は考えにくい。
それらの存在には何やら超能力が与えられていたりして、一体何なの?

余りに(超)人間的介入なのだ。と思ってもう少し資料的なサイトを覗いてみると、何やら「未来人」が超越的立場から彼らの動きを操作しているとのこと、、、勘弁して、、、これはディレクターズカットにナレーションで入れられているらしい。

結局、このAmazonPrimeで視聴したものは何なのか、、、。
それから理屈付けとは言え、何だか訳の分からぬ突飛な理屈で無理やり納得させようとするのもどうか、、、。
訳を聞いても更に納得いかない場合もあるのだ。

そもそもタンジェント・ユニバースというユニバースがどうして生じたのよ?
このユニバースとの関係性も今一つ分からない。プライマリーは時間凍結して、タンジェントは時間リセットが続くみたいな、、、。
その出現によりアーティファクトが生じるなんていう災難の兆候みたいなモノは良いアイデアに思えるが、、、。
何でもいいから、上手く納得させてもらいたい。
それがSFだと思う。




AmazonPrimeにて




複製された男

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Enemy
2013年
カナダ、スペイン

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督
ハビエル・グヨン 脚本
ジョゼ・サラマーゴ『複製された男』原作

ジェイク・ギレンホール、、、アダム(大学の歴史講師)/アンソニー (役者)
メラニー・ロラン、、、メアリー (アダムの恋人)
サラ・ガドン、、、ヘレン (アンソニーの身重の妻)
イザベラ・ロッセリーニ、、、キャロライン (アダムの母)


ブレードランナー2049」、「 メッセージ」、「プリズナーズ」、「静かなる叫び」、「ボーダーライン」と、ドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作映画を観て来たが、これは何だ?明らかに異質であることは分かる。
最初、邦題からクローン技術で生れた自分にそっくりの人間にでも出逢ってしまい、それが事件に繋がるような映画を連想してしまったが、原題は敵である。
しかし原作小説はこの邦題と一緒らしい。何とも言えない、、、。

謎当てクイズか、、、そんなものに突き合わされた感じ。
確かにこの二人の主人公の客観的な存在を確認する場面はない(第三者による目撃はない)。
一人の男が妻と暮らし時々愛人と過ごすことは物理的な不具合はない。
終盤のアンソニーとメアリー の余りのエキセントリックな事故は、ラジオのニュースで語られそうになったところでチャンネルを絶妙なタイミングで変えられる。あれは決別の儀式的なイメージであろう。恐らくそこでアンソニー人格が昇華されたのだ。
実際、アダムがアンソニーを生み出し、弁証法的に(アンソニーとの対立から)新たなアダムになったと捉えればよい。
「一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」とマルクスを引いていたように。

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原作がどのような小説なのか、、、
周到に計算された緻密な(トリッキーな)心理劇であることは分かるが、クイズみたいな映画とも謂える。
表象は奇妙に歪みこじれてもいるが、当の世界の真相とは、何のことは無い浮気心の葛藤といったところか。
(「独裁者と支配の仕方」、更に蜘蛛について何度も触れられるところから、母性~女性の支配に対する葛藤という次元もあろうか)。
確かに普遍性はあるにせよ、その心理を確認したところでどうなの、、、である。
どうということもない題材でこれの表わす意味は分かるかね、解読してみなと聞かれているみたいで居心地は悪い。
「カオスは未解読の秩序」とわざわざ前振りしている。解読できれば正解が手に入るということか。
映画でどれだけ小説のレトリックを巧みに表すことが出来るかの腕試しみたいなものにも想える。
蜘蛛の表現などヴィルヌーヴらしく確かに上手い。蜘蛛には縛り付ける母の象徴的意味がありインパクトはある。
絵的に面白くもあるが、やけに暗い画面が多く苛立つところも少なくなかった。
”Blade Runner 2049”、”Arrival”、”PRISONERS”、”Polytechnique”、”Sicario”の思想性からみると、別にそれが分かったところで、衝撃を受けたり感動~共感が込み上げる分けでもない、、、。

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わたしも充分抑圧された人間であるが、それで何かが明かされた分けでもなく確認したところで何なのか。
実はキャストなどをいつものように調べているうちに監督のインタビューの抜粋を見てしまったことで、一気にやる気を失くした。
他の評論家の言なら別に気にせず自分の感じたことを書いていたが、作者~権威の言葉はやはり重い。またそれを知らずに書いて後で知るのもシャクである。まあ、納得は出来るものだが、監督の明かすことではないと思った。作品は独り歩きさせないと。

そもそも自宅でレンタルした映画をたまたま観たら、自分にそっくりの俳優が出ていた、くらいで普通こんなにパニックになって動き回るようなことは無い。「へ~こいつ、おれにそっくりじゃん」で終わりだ。それがトリガーになるところからして心理的(深層心理的)に絡んでくるメンドクサイ映画だなとは嫌でも察するが、それに付き合うかどうかはその内容~物語次第だ。

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いくら緻密に描かれていても脳内画像=イメージがこんなに明瞭に実体化した姿で文脈に錯綜して入り込むと~回想と現実ではない~一種の病的心象にもなり違和感が大きくなるだけ。
但しこれを解離性同一性障害ととると、通常ある人格が発動しているときは、他人格は眠っているものだ。
このようにはっきりと人格同士が恐れ対峙し合う場面は極めて特殊と謂える。
完全に脳内イメージ~白昼夢だとすると無理を感じる描写だ。
そこが見辛いところだったか。暗い画面と相まって。

それにしても巧みだと感心したところは、ヘレンがアダム(これもまた象徴的な名だ)に逢いに行き、お腹の子のことで二言三言話して、そのまま彼は講義の時間だと言って去ってゆく。その後ろ姿を見てアンソニーに電話をするが、彼が建物に消えかかるその絶妙なタイミングで繋がる。
この辺で彼らは二人存在する余地も持たせる。
ミスリードを誘うというか幾つかの解釈の余地を残したいところか。
ドッペルゲンガーで押し切ることも可能ではないか。
いやわたしが最初に勝手に連想したクローンでも行こうとしたら行ける。

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まあよく出来た作品なのだろうが、ヴィルヌーヴの他の映画のような満足感はなかった。
メタファーがあっても良いがそれが主体では、楽しみ方が違って来る。
それより「デューン」が待ち遠しい。




AmazonPrimeにて
恐らく3月いっぱいで配信終わり。










籠の中の乙女

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Dogtooth
2012年
ギリシャ


ヨルゴス・ランティモス 監督
ヨルゴス・ランティモス 、エフティミス・フィリップ 脚本


クリストス・ステルギオグル、、、父
ミシェル・ヴァレイ、、、母
アンゲリキ・パプーリァ、、、長女
マリー・ツォニ、、、次女
クリストス・パサリス、、、長男
アナ・カレジドゥ、、、クリスティナ


聖なる鹿殺し」の監督による処女作品。ブラックコメディと言うべきか、、、
同様の不条理で残酷な日常世界が描かれるが、より粗削りで生々しい。
その分グロテスクな狂気が際立つ。
まず面白いのは、子供たち(長男、長女、次女)に名前がない。
名前があると不可避的に自我の形成を呼ぶからか、、、これには虚を突かれた(笑。
確か犬には名があったはず。かれらは犬程にも人権がない(爆。
外から運ばれてくるクリスティナだけ名前のある人である。つまり普通の人。

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家~家庭とは、悪い意味での「カルト」であることが少なくない。アメリカで謂われる「破壊的カルト」に当たる。
わたしの育った「うち」もまさにそのカルトに他ならなかった。
さてこの映画での家もまさにそのカルトだ。
その異様な独善的で排他的な閉塞空間。父は大きな工場を経営していながら異常に外~社会を嫌悪している。
外に子供たちを出すと汚れてしまうという極端な過保護と潔癖主義、、、いや常軌を逸した思い込み~病気であるか。
時間を締め出し子供を箱庭の中で消費し尽くそうとする。子供たちは驚くほど従順だ(今流行りの反抗期の無い子供以上に)。

同時に外を如何に消し去るか。
(国単位では北朝鮮が行っている)。
ことばの意味も全て変え、子供たちの思考が外の文脈に接続しないようにする。
完全な文盲状態であり外~社会と繋がろうにもどうにもならない状況に置く。
それで異様な遊びが内で創発される。
ホントに異様な気味の悪い遊びを思いつく。(熱闘に指を突っ込む我慢競争とか、ホルマリンを嗅いで早く起きた方が勝ちとか、人形をハサミで刻んだり、猫を殺したり、兄の腕をナイフで切ったり)。

父は長男の性的欲求の処理の為に自分の経営する会社から女子従業員を目隠しをして車に乗せてきて、相手をさせる。
だが、彼女が妹に外部の文化~映画ビデオを貸す。それによって映画の中の「物語」を本来のことば共々吸収し始めた。
まるで家(箱庭)の中の物語とは異質であることを知る。つまりこれまでの自分の世界を相対化する思考が芽生える。
これに気づいた父は戸惑い激怒する。
娘をビデオで叩きまくり、貸した女の頭をビデデッキで叩く。大丈夫か。
こうした専制主義者が逆上すると暴力に訴える~虐待するのは常である。

そして虐待の極みは、外からの女の供給は危険を伴うことから、姉妹に兄の相手をさせることにする(選ばせる)。
兄の自我がまるで育っていないことが、これにすんなり従うところからも分かる。ピアノとギターは上手いのに、、、。
生理的に不快を感じずにそれを受け容れる身体性が出来ているのだ。
近親相姦の薦めを父親がするという究極の規範意識の解体、いや希薄さか、これでは一般社会で生きられまい。
また重要なのは、母が全面的に父に依存しており従順に従っていることだ。これは大きいとしか言えない。
夫婦共に完全にイってしまっており完結している。閉じた構造が出来ている。

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両親の結婚記念パーティーで長男の弾くギターで二人の姉妹がダンスを披露する。
或る意味、ここが一番の見どころか。
所謂、ダンスというものを観たことがない二人である。シンクロしていることから相談して作っていることは分かるが、、、
役者が素晴らしいことを認識するシーンでもあるが、初めて見る前衛創作ダンス、それも思い切り稚拙で奇妙で面白いもの。
この子供たちの状況を象徴的に表すダンスであった。これはホント見ものだ。まず他では見れない。

外は悪である、とは言え子供たちも外があると謂うことは元々(漠然と)知っているのだ。
物理的に門の外は外界であるから。
そして父は抜けることがない犬歯が抜ければ外に出られるという掟~法を定める。
成人すれば抜けると子供たちは勘違いしているが、歯も抜けなければ成人への道も閉ざされていることから、二重の意味で外に出るのが不可能な完全に理不尽な法なのだ。
永遠に幽閉されて朽ちるしかない運命にあるが、血を流せば出ることも不可能ではない。
法を破れば外に出られる、クーデターで自立できるのだ。
外には悪い猫がおりそれが襲ってきたら犬となって吠えるという荒唐無稽な訓練をずっと母も交えてやってきたが、、、。
(その物語に絡めとられている妹は兄が暴漢~例の女に襲われた時も猫が素早く入ってきて襲って行ったと真面目に語っていた)。
今や長女には外に出る~自分の枠(パラダイム)を破り巣立ち解放されたいという意思が芽生えているのだ。
映画で学習したことで動機があり、彼女自身の意志で掟を破り動いた。

犬歯を無理やり叩き割って血だらけになり、そのまま部屋を抜け出し父の車のトランクに入り込む。
家族は、彼女が自分をこう呼べといって知らせていた「ブルース」という名を大声で呼ぶ。
笑うに笑えないシチュエーションではあるが、みんなでブルースと呼びかけ探し回る。
娘は自らに名を付けることから自立を目論んだのだ。

結局、翌朝父はその車で工場に出かけた。車を工場の横に付けたところで物語は突然終わる。
トランクは中からは開けられない。
やがて父親と顔を見合わせることになるであろう彼女はどうなるのか。


何と言うか監督の悪意がよく伝わる映画であった。とても心地よい。


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後、5日で配信終了。









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雪之丞変化

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1963年

市川崑 監督
和田夏十 脚本
三上於菟吉『雪之丞変化』原作
芥川也寸志、八木正生 音楽

長谷川一夫、、、中村雪之丞、闇太郎
山本富士子、、、お初
若尾文子、、、浪路
市川雷蔵、、、昼太郎
勝新太郎、、、島抜け法師
船越英二、、、門倉平馬
八代目市川中車、、、中村菊之丞
林成年、、、ムク犬
二代目中村鴈治郎、、、土部三斎
柳永二郎、、、広海屋
伊達三郎、、、川口屋
浜村純、、、脇田一松斎


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変身ヒーローものの原型となった作品。
なるほど、、、ここからキューティー・ハニーが生まれたか、、、と思うと感慨深い。
この時代小説を元に、映画やTVドラマ、舞台、歌舞伎、宝塚までたくさんの作品が製作されたことを知った。
その数には驚く。だが確かにスリリングで仇討ちという題材からして日本的情緒も深く、無常観を基調とする馴染みやすい物語になっている。
しかも散文的な作りではなく、映画の中で歌舞伎が演じられるだけでなく映画に歌舞伎が違和感なく浸透している。
本作は、まさに映画という表現形式で出来ることを一杯一杯に詰め込んで見事な芸術作品に昇華していた。
贅沢な映画を観る快感が味わえたものだ。
(映画の苦手なわたしでも宙吊感覚なく心地よい鑑賞が出来た)。

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まずもって役者が強者ばかり。
ここのところ中村鴈治郎ばかり見ているような気がするが、上手いねえ。
ちょい役で出ていた市川雷蔵と勝新太郎のフレッシュで若いこと、、、。
船越英二の幅広さにも改めて感心する。
だが何と言ってもここでは、一人で二人のヒーローを同時に演じ分けている長谷川一夫であろう。
いや~味わい深い。
更に若尾文子の一途で儚げな美はここでは狂気を帯びていた。
もはや存在自体で深く危うい情感を魅せている。
山本富士子の粋でいなせな江戸言葉も大変快感であったが、実に監督の美意識~様式美に従い作り込まれた拘りの映画であった。(ちなみに関西弁なら田宮二郎である)。
このように形式を練って丁寧に作られたものは、心地よい刺激に充ちている。

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歌舞伎や宝塚は観始めると癖になりドップリ嵌ってディープなファンになるとは言われるが、こうした幻想的な舞台のような映画には引き込まれる。
粋なのだ。新鮮に感じた。
そして、これが日常生活に導入できないか、、、とふと思う。

ちょっと、粋な生活をしてみたい。
方法論を考えたい。

まさに変身である。
そっちの方に気持ちが向いてしまう。
こうした形式上の実験作(そういうつもりで作っていないにせよ)を見てしまうと、日常形式も異化してみたくなるもの。
仮面ライダー見てこういう気持ちにはなれなかったが、この映画にはそうした力がある。

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儚げでもいつもは至って強い若尾文子が思いの外、さっと散ってしまってお終いなのが、何とも言えない喪失感である。
仇討ちは如何にも一流役者といった方法でとったが虚しい。しかも何の罪もない浪路まで巻き込み死なせてしまった、、、。
中村雪之丞の心情にこちらも重なりエンディング、、、実に上手い。
邦画でなければ作り出せない世界であった。
(邦画の可能性をここに観た感じ)。



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女系家族

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1963年

三隅研次 監督
依田義賢 脚本
山崎豊子 原作


若尾文子、、、浜田文乃 (4代目の愛人)
高田美和、、、矢島雛子 (3女)
鳳八千代、、、矢島千寿 (次女)
京マチ子、、、矢島藤代 (長女)
深見泰三、、、矢島嘉蔵
浅尾奥山、、、矢島為之助
中村鴈治郎、、、大野宇市 (大番頭)
田宮二郎、、、梅村芳三郎 (藤代の踊りの師匠)
浪花千栄子、、、芳子 (叔母)
北林谷栄、、、君枝
近江輝子、、、お政
高桐真、、、畑中良吉
遠藤辰雄、、、小森常次


船場の老舗木綿問屋を舞台に遺産相続の骨肉の争いがスリリングに描かれてゆく。
女系(家付き娘が婿養子をとる家)である。女が代々強く、男は小さくなって我慢している感じ、、、。
但し、長女の藤代は一度外に嫁ぎ離婚して戻って来ているところから、抉れる元が出来ている。
遺書もそこを踏まえたものとなっており、直接家を継ぐ形となるのは次女夫婦となっていた。
京マチ子先生がいつになくアドレナリン大放出の闘争心丸出しで激しいこと、、、。
矢島家の誰もが、この船場の格式と女系の伝統に囚われているが、捉え方はそれぞれの思惑によって違う。
それぞれが相手の腹を探り合う対立関係となる。
ただそれが船場言葉で流暢になされるところが心地よくもあるのだ。

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そして矢島家の驚愕の事実がもうひとつの遺書から判明する。
婿として家を発展させ大きな財を成した婿であった温厚な4代目であるが、恐妻に隠れて愛人を作っていたのだ。
矢島家は愛人対策には共闘する構えを取る。
ここでも若尾文子演じる亡くなった4代目当主の愛人が、3姉妹をはじめ遺族から蔑まれながらも最後に自分の権利を勝ち取る。
昨日も勝ったのは若尾文子だけだった。
だが、今回はかなりの虐めに遭いながらも強い意志と策謀で遺産を闘い取る。
4代目の子供を宿していたこともあり、是が非でも成人するまでの経済的支えは必要であった。
一途でブレないところが何よりの強みか。彼女の凄味を感じるところだ。
(だんだんこの女優の器の大きさがわたしにも感じられるようになってきた。と謂うより実力が充分に発揮された作品ではないか)。

また田宮二郎が出てくるところで、噺が面白くなるのだが、ここでもやはり策士のスーパーマンで遺産相続を少しでも有利に持っていきたい京マチ子先生演じる藤代をたぶらかして何やらデカいことをやらかすのかとワクワクしながら観ることが出来た。
しかし彼女の心変わり~諦観で、あっさり頓挫してしまう一寸物足りない感じの収束ではあった。
だが田宮二郎が絡むと一気に噺に緊張感が生じて俄然のめり込んでしまうものだ。
この役者は違うね~。何と言うか完全にその人になってしまう凄味をいつも覚える。
叔母の芳子も見るから如何わしく、世間知らずの3女雛子を抱き込もうとするなど、こちらも同等の策略家であった。

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出産した赤子連れの文乃の登場(二度目の矢島家訪問)によって物語が強引にブーツストラップされる。
大番頭は、かなりのやり手であり余裕を感じさせるこれもまた策士であったが、誰も信じず切り札を隠しもっていた文乃に丸裸にされることに、、、。何と妾にだけ託した遺言があったのだ(ずっと生れて来る子供を守るために隠していた)。
彼はその立場を利用し、秘密裡に財産着服していたことが、文乃の持参した遺書によって白日の下に晒されもはやこれまでとなる。
当主は横流しなどちゃんと知っていたのだ。そして愛人にも全て打ち明けていたのだった。
大番頭宇市 の野心は撃ち砕かれ、放心状態で力を失って項垂れる。
中村鴈治郎の胡散臭さと哀愁は独自の境地に達していた。
彼の裏表の顔の切り替えから次第に苦渋の表情に染まってゆくところなど喋らずとも饒舌な演技であった。


権謀術数を巡らす高次の演技が火花を散らしていた感じである。
構図を配慮した絵も魅せるものであった。
最後に藤代が脱力と共に悟ってしまうところが何とも言えない。とことんやって疲れたのだ。
スマートで切れ者の梅村の御師匠もこれには絶句するしかなかったか、、、。
長女藤代は「一人で生きて行くのが一番強いと、おとうはんが教えてくれた気がします」と家を出ることにする。

若尾文子~文乃の一途なしたたかさが勝ったと謂えるか。

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とても見応えのある重くシビアな映画であった。
この映画にほとんど既視感は感じなかった。





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しとやかな獣

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1962年


川島雄三 監督
新藤兼人 脚本
池野成 音楽
宗川信夫 撮影

若尾文子、、、三谷幸枝(芸能事務所の会計係、男に金を貢がせ旅館の女将へ)
船越英二、、、神谷栄作(税務署員)
浜田ゆう子、、、前田友子(姉、作家の妾)
高松英郎、、、香取一郎(芸能事務所社長)
川畑愛光、、、前田実(弟、芸能事務所の金を横領)
伊藤雄之助、、、前田時造(父、元海軍中佐)
山岡久乃、、、前田よしの(母)
小沢昭一、、、ピノサク・パブリスタ(偽外人のジャズシンガー)
山茶花究、、、吉沢駿太郎(小説家)
ミヤコ蝶々、、、マダムゆき(銀座のクラブのマダム)


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晴海団地の一部屋を絶えず行き来する癖の強い詐欺師たちの織り成すブラックコメディ。
彼らの欲求はストレートに金と愛欲だ。
その表現において、伝統芸能のような単純・強調されたグロテスクな様式美が光る。
支えるカメラワークが卓越していた。
どのようにしてアパート一室の狭い限定された空間を縦横無尽な角度から撮っているのか、、、。
相当な工夫と熟練の技を感じる。
役者の演技もシュールでクレイジー。セリフの量もかなりのものでスピード感も小気味よい。
説得力があり、しっかり要所で見得を切る(笑。
アパートの階段も心理状況を描写する実に効果的な舞台装置として使用される。
窓から外の風景や気象状況も家族の内面に呼応していた。

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登場人物が全員、見事に人格破綻しており、自己中心の我欲しかないところがスッキリしている。
三谷幸枝が一番したたかな悪みたいに見られているが、誰もが同じ穴のムジナであるには違いない。
皆が自分のことを棚に上げ、相手(幸枝)に騙され裏切られてこうなったなどと嘆くところがその典型。
近づく=利用される。が、これほど完全に成立しているのも怖いと謂えるが。
結局、この部屋を訪れる男は皆(弟も含め)幸枝と関係を持ってきた者ばかりである。
そして恥も外聞もなく「どうしてくれるんだ~」とか騒ぎ立てる。
厚顔無恥な下品さが充満する。

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慇懃無礼な夫婦の品の無さなどは極めつけだ(この夫婦は不思議と可愛らしくも見える)。
その人物たちの奸計や姑息な駆け引きに惹き付けられる。
かなりの見応えだ。
舞台演出と演技が上手くかみ合っている。
面白いのは、どう見てもバレそうなのにバレない訪問者を隠れて覗くシーンである(笑。
狭い部屋に作家や社長や幸枝が怒って乗り込んできて家族の誰かとやり合ったりしているのを、見つからずに覗き見している者が二人くらいいるのが、なんともコントを観ているような気持になるのだ。これも様式美の一つか。
そう、姉弟でTVの音楽で踊り狂う場面があるが、それが能狂言の音に聴こえてくる。
ノリ自体が能狂言なのだ。動きまでそのように見えてくるのが凄い。(音楽との絡みは秀逸だった)。
その中で前田夫婦は全く異次元にいるかのように落ち着いて蕎麦を食べているのだ。
このシーンがわたしは最も印象に残った。

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結局、税務署員の神谷が警察に逮捕される前に彼らのアパート屋上から飛び降り自殺するが、、、
彼らにとっては、どうでもよい他人事になっている。
しかしここから先、彼ら全員にとって危ない局面に入ってゆくのは確かであろう、、、。
それをよしのの表情に暗示させて終わる。

様式美を追求した味わい深い傑作だ。
この監督作品は、他のものも観てみたい。



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ホワイト・クロウ 伝説のダンサー

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THE WHITE CROW
2018年
イギリス、ロシア、フランス

レイフ・ファインズ 監督、アレクサンドル・プーシキン役
デヴィッド・ヘア 脚本
マイク・エリー 撮影
アン・シーベル 美術
ヨハン・コボー バレエ・アドバイザー&振付 
マデリーン・フォンテーヌ 衣裳
イラン・エシュケリ 音楽

オレグ・イヴェンコ、、、ルドルフ・ヌレエフ(バレエダンサー)
アデル・エグザルコプロス、、、クララ・サン(富豪の有力者、彼女)
セルゲイ・ポルーニン、、、ユーリ・ソロヴィヨフ(バレエダンサー)
ラファエル・ペルソナ、、、ピエール・ラコット(バレエダンサー)
ルイス・ホフマン、、、テヤ・クレムケ(バレエダンサー)
チュルパン・ハマートヴァ、、、クセニア・プーシキン(先生の奥さん)
カリプソ・ヴァロワ、、、クレール・モットゥ
レイフ・ファインズ、、、アレクサンドル・プーシキン(バレエの先生)


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「白いカラス」
主人公の綽名である。
内向的でちょっと気難しい。かなり傲慢(笑。
深い孤独が彼の精神的基調を成していることが窺える。
先生は彼の我儘に只管、耐えるのみ。最大の理解者であるが、、、それだけに苦しい。
アデル・エグザルコプロスが寡黙で内省的な雰囲気で出てくる。
落ち着いた淑女のままであった、、、彼に献身的に尽くすが、、、手応えの無い男であった(笑。
幼い頃の回想はブルーセピアトーンで度々挿入される。
狩りに一緒に行った父は失踪してしまったのか。
やはり絵が綺麗であった。特にルーブル!

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「ステップとは論理的なものだ。論理を見つけて、従いなさい。そうすれば焦らずともステップは続く。」
「流れと意味を考えなさい。」
分かる。芸術とはそういうものだ。
ソ連からフランスに渡り、街に魅了され美術館や演奏会、舞台などを巡り美を吸収して行く。
徹底的に見て学ぶ。
常にお目付け役の監視のもとだが。

ニジンスキー賞までもらい、才能は評価されている。
自他共に認めている。
他の映画ではなかなか見れない、本人自身の舞がしっかり見ることが出来た。
オレグ・イヴェンコのダイナミックなダンスもそうだが、セルゲイ・ポルーニンの超絶的な動きにも圧倒された。
彼のダンスはもう少し見たいものだ。
やはり役者がその道のプロであることは、映画に裂け目を生じさせない。

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鉄道オタクで、鉄道模型となると気難しくなる。
「シベリア鉄道は無いのか。」「安物ばかり見せるな。」とか言って店主に激怒したりする。
列車の中で産まれたことが大きいか、、、拘りが凄い。

「技術にばかり時間を割きすぎる。要はどんな物語を見せたいのかだ。」
プーシキン先生の思想である、、、「わたしは何を語りたいのか、これを自らに問うこと。」
ルドルフは、こんな先生から食事に呼ばれ噺をじっくりしてもらい、奥さんには健康を気遣ってスープなど作ってもらっている。
おまけに痛めた脚の看護までしてくれる。
結構な御身分であるが、ソ連は窮屈でならない。

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確かに上層部に報告を入れると脅されながらの監視付きでは生きた心地はすまい。
ロンドン行きを遮られ、一緒に踊るはずの仲間と引き離されたときは、ついに来たかと思ったものだ。
ルドルフ自身は、そのまま連れ戻されたら二度と踊れないことを悟ったが、周りのフランス人ダンサーにはその意味が分からなかった。KGBの言説をすんなり受け入れてまた今度ねと、心配しながらも行ってしまう人がほとんどであった。
但し、ソ連の彼の友人はその危機を正確に認識していた。彼は直ぐに第三者に頼みクララを空港に呼び寄せた。
彼女しか彼を救うことが出来ない。彼女は事態を直ぐに把握して空港警察に連絡し、迅速な行動をとった。

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亡命のやり取りには、緊張が走る。
実際、こんな風に亡命が実行されるのか、、、感慨深い。
大変リアルな生々しい亡命の瞬間であった。
「亡命を希望します」と自ら訴えるのだ。
事態を深刻に受け取った友人が早急に動いてくれたおかげであろう。
(こういう時に動いてくれる人が本当の友人である)。
フランス空港警察の毅然とした態度も素晴らしい。
こういう展開となったらもう亡命しかない。一択である。ここで懐柔させられ、のこのこ母国に戻れば命の保証はない。

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メディアに対して、「祖国には戻らないかも知れないけど、ここが気に入るかどうかも分からない。汽車の中で産まれたのだし、、、。」
こう述べるルドルフ・ヌレエフは率直である。まったく、、、忖度なし。
クララ・サンも彼には振り回されっぱなしであった。
世話になっているのに一言もないがこの先、彼女とはどうなっていくのか(なったのか)、ちょっとは気になる(笑。

アデル・エグザルコプロスが大人し過ぎるが、バレエの躍動感やフランスの街並み(ルーブル)、亡命時の緊張はしっかり味わえる。





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アナーキスト 愛と革命の時代

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Les anarchistes
2016年
フランス

エリ・ワジュマン監督・脚本
ガエル・マーセ脚本
グロリア・ヤコブセン音楽

タハール・ラヒム、、、ジャン(警官、潜入捜査官)
アデル・エグザルコプロス、、、ジュディット(アナキスト、教師志望)
スワン・アルロー、、、エリゼ(アナキスト、ジュディットの恋人)
ギヨーム・グイ、、、ウジェーヌ(アナキストグループのリーダー)
セドリック・カーン、、、ガスパール(ジャンの上官)


ハリウッド映画ならスリルとサスペンス仕立てでかなり恋愛描写も入れてドラマチックに展開するところではないかと思うが、、、
とても淡々と起伏も少なく流れてゆく、、、。

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孤児院育ちの警官がアナーキスト組織に潜入し活動を共にするうちに信用を得てゆくが、組織の美女に恋をしてしまう。
彼は自分の任務と彼らとの関係において引き裂かれ苦悩を深めてゆく。
彼女を巡り三角関係になるが、相手の男が後は頼むと言い残し押し入った富豪の邸宅で待ち伏せしていた警察に銃を向けられた際に自殺を図る。
だがその犯行計画を知らせ警察を手引きしたのが自分であることが知れてしまう。
逮捕されたリーダーは、そのことに激怒しながら引き立てられて行った。
見張りに外に立っていたその女性もその事実を見て取り、怒りに身を震わす。
手紙を一通、潜入捜査官に出しその女性はパリから教師になる為アメリカに渡る、、、。
「エリゼがその事実を知らずあなたを信じたまま死んでいったのは救いであるが、あなたは一生苦しむはず」といった内容である。か彼にとり、呪文のように効くはずだ。

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個人思想としてのアナキストではなく政治組織としてのアナキスト集団であるらしい。
資金調達の為、富豪の豪邸に空き巣に入ったり銀行を襲うなどして資金調達していた。
彼らはそれを搾取されたものを取り戻す行為と称している。
経済的な不公平に対し、社会運動~政治運動が改革に対する有効性を持たなければ、クーデターや市民組織による暴動も起きる可能性はあろうが、これはどの程度の動きであったのか、、、。
警察が潜入捜査をして情報収集するのであるから見過ごせない反社会的行動には違いあるまいが、観た限りでは多くの組織間の横の繋がりなどはなく、そのグループ単位で動き、恣意的で腹いせの行動などが目立った。

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無政府主義といっても今更原始に戻ることなど出来ない。
現状に不満を抱えるグループを超える何かを持っているとは思えないものであった。
冒頭のグループの集会で、ジュディットのエモーショナルな演説があったが、それにすべてが象徴される。
ハッキリとした理想像を掲げ明確な政治理念により具体的にこういう手順を踏んで改革を進めて行くなどというマニュフェスト(ロキシーミュージック懐かしい)が見られない。
組織としてまとまって動きその政治理念を広く大衆にも訴え賛同を得て大きな動きにしてゆくことは不可欠だ。
社会を変えると言うのであれば。
どうみてもそのレベルで動いてはいない。
こうなったらあの検事の家にダイナマイト仕掛けてやる、とかいっており、ギャングみたいなものだ。
今でいえばテログループか。

ジャンは、その後アナキストグループでの実際の活動に対して事細かく尋問され、自分が何者であるのか分からなくなる。
彼もまた悲惨な運命を背負わされたと謂えよう。

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ジャンの実存的な問いはともかく、結局こういうアナキストグループもいたのだということしか分からない。
このアナキストに、これといった感慨もなかった。
社会~共同体に対する不満や怒りは、様々なレベルで多くの人間が抱え持つ。
ただそれを集団を巻き込む政治的ムーブメントにする必然性は感じられない。
それよりも生理的、精神的レベルでの人類の急激な変化(進化)が起きているのは、はっきり分かる。

アデル・エグザルコプロスは確かにヒロインとしての華がある。
アデル ブルーは熱い色」は鮮烈であったが。




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メアリーの総て

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Mary Shelley
2017年

アイルランド、ルクセンブルク、アメリカ

ハイファ・アル=マンスール監督
エマ・ジェンセン、ハイファ・アル=マンスール脚本
アメリア・ワーナー音楽

エル・ファニング、、、メアリー・シェリー(フランケンシュタインの作者)
ダグラス・ブース、、、パーシー・ビッシュ・シェリー:(詩人)
トム・スターリッジ、、、ジョージ・ゴードン・バイロン:(詩人)
ベル・パウリー、、、クレア・クレアモント(義妹)
スティーヴン・ディレイン、、、ウィリアム・ゴドウィン:(父、思想家・文学者、現在書店経営)
ベン・ハーディ、、、ジョン・ウィリアム・ポリドーリ(医者、ドラキュラの作者)
メイジー・ウィリアムズ、、、イザベル・バクスター:(父の親友の娘)


18歳で「フランケンシュタイン」を書いたメアリー・シェリーの御話。

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絵の美しい映画であった。
エル・ファニングであれば当然そうなるが。
音楽もよく合っていた。
メアリーの怪奇小説をお墓で読むのは良い趣味だ。
父の影響が大きい。「他人の思想や言葉を振り払え」「自分の声を探せ」と、娘の人格と能力を尊重し自立を後押しする。
継母とは全く相容れないものであったが、、、。
書物に囲まれた生活環境は恵まれていた。義妹もお調子者だが終始味方であった。
父はアナーキズムの先駆者と称され、(実)母はフェミニズムの創始者と崇められ、メアリーはSFの創始者である。
何とも素晴らしい。
特にSFの創始者とはありがたや、、、(拝。

クレアとイザベルが妙に似ていて紛らわしかった。
(メアリーに対する距離感や性格~キャラと顔まで似ているではないか(笑)。
日本でもしリメイクする機会があれば、この役は上白石姉妹にでも頼んでほしい。

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自己主張が強いがメランコリックな性格は小説家向きに思える。
おまけに母親譲りの情熱家でもある。
思い込んだら周囲の思惑など蹴散らして突き進む。
シェリーからの求愛にこたえるメアリーであったが、すでに彼は既婚者であった。
子供すらいたのだ。その上、妻と子供を蔑ろにしていた。
義母は勿論世間体から、アナキストの父もその不実さから、強くその恋愛~結婚に反対したが、メアリーはそれを押し切ってシェリーのもとに飛んで行く。
その頃は、まだシェリーは父の財産の後ろ盾があった。

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メアリーは、自分の思想を持ち、才能ある男には惹かれるが、常に幻滅を味わうことになる。
特に自由恋愛において。
これは、男女がお互いに実行すると、まず対関係は自ずと解体してしまうのではないか、、、。
それでもメアリーは、泥沼の中でこの関係も繋ぎ止める。
彼女の努力も大きいが、元々魅力溢れる女性であったのだろう(映画ではエル・ファニングである。説得力絶大(笑)。
向こうが折れるのだ。

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自分を尊敬して付いて来る義妹が詩人バイロンに自由恋愛のもと遊ばれて軽くあしらわれる。
しかし彼女にはバイロンの子供が既に宿っていた。
メアリーもシェリーとの間に産まれた天使のような娘を失っている。
娘が高熱なのに、ジェリーが差し押さえを喰い、夜中に豪雨の最中、家から連れ出さなければならなかった為だ。
最愛の者を自由な思想~恋愛や放蕩のツケで失って行く。
シェリーは富豪の父から勘当を受けていた。
もう金もなければ希望も失っていた。
これまで味わったことのない喪失感と日々路頭に迷うような生活に追い込まれる。

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元々持っていたこの世の闇への洞察と想像力が実際の自由意思による行動によって過酷な現実と悲痛な運命をも引き寄せた。
彼女は悪夢~幻視を見る体質もあったようだ。
生活苦や夫の自由な行動に引きづられ、自分の制作もままならぬ状況が続くなか、、、
取り立てから逃げバイロン邸に逃げ込んだところで、連日の豪雨で籠る事となる。
(丁度コロナ禍の現在のように)。
この機に、バイロンとジェリーとメアリーと医者のポリドーリがそれぞれ小説をひとつ書くということになる。
メアリーの鋭い目が輝く。
これまでの艱難辛苦を経て彼女の中に時熟したものがあった。
それが堰を切って溢れ出す。

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彼女は当時の科学に惹かれていた。
その中で生体電気を利用し死者を蘇らせる方法などに深い興味を示していた。
これまでに身を引き裂かれ、最愛の者を失ってきたことにそれは深く結びついていただろう。
こうして死者の体を繋ぎ合わせて作られたクリーチャーの物語が完成をみることとなる。
父である博士は心血を注いで作り上げた息子を全く受け入れることが出来なかった。
怪物は絶望と究極の孤独から悲劇を呼ぶこととなる。
フランケンシュタインの草稿を呼んだシェリーは、とてもよく出来た傑作だが、もっと人の為に希望と美に満ちた明るいものに出来ないかと意見する。
この時点でもう終わってるとわたしは強く感じたが、、、

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まさにメアリーは現実を直視し、想像力を駆使し、ありのままの姿を克明に描いたのだ。
それを描く他になかった。これはシュルレアリスムの先駆けでもあろう。
一切の虚飾や欺瞞を排し夢や希望など何処にもない世界の在り様を描いた結果、グロテスクな怪奇小説となった。
多くの出版社が若い女性がこれを書いたと謂うことだけで拒絶する。
結局、出版を受け付けた会社も作者の名を伏せることと序文をシェリーが書くことを条件とした。
当然、それではシェリーが書いたと世間は思ってしまうはず。彼女は悶々として過ごしていた。
父や母が闘った当時と何も変わっていない現実と彼女も闘うこととなる。
しかし「他人の思想や言葉を振り払い、自分の声によって書き上げた」傑作を父はいち早く評価する。
義妹もわたしのようにこの小説に深く共感する人は思いの外多いはずと彼女を励ます。
父もシェリーも著者は彼女であることを声高に告げ、第二版から彼女の名が冠されることとなる。

彼女と共に小説を書いたジョン・ウィリアム・ポリドーリは「吸血鬼ドラキュラ」を書いて出版するが、これもバイロン作であろうと噂され遂に正しい著者の名が作者名として本に記されることは無かったという。
ポリドーリは失意の中、鬱病となり25歳で自殺してしまった。何と言うことか、、、。
初めて知った。驚いた。



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キューポラのある街

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1962年

浦山桐郎 監督
今村昌平、浦山桐郎 脚本
早船ちよ『キューポラのある街』 原作
黛敏郎 音楽

吉永小百合、、、石黒ジュン(長女・中学三年)
市川好郎、、、石黒タカユキ(長男・小学六年)
東野英治郎、、、石黒辰五郎(父、鋳造工)
杉山徳子、、、石黒トミ(妻)
鈴木光子、、、金山ヨシエ(ジュンの友達、サンキチの姉)
森坂秀樹、、、サンキチ(タカユキの友達、朝鮮人の同級生)
浜村純、、、サンキチの父(朝鮮人)
菅井きん、、、美代(サンキチの母、日本人)
浜田光夫、、、塚本克巳(鋳造工、ジュンの親友)
北林谷栄、、、うめ(その母)
殿山泰司、、、松永親方
川勝喜久雄、、、ノッポ(高校一年、不良)
日吉順子、、、中島ノブコ(ジュンの友人、社長の娘)
下元勉、、、東吾(鋳造試験場技師)
加藤武、、、野田先生(ジュンの担任教師)


川口市の鋳物工場の直立炉を指してキューポラと謂うそうだ。
この映画の評判は何か(何処か)で知っていたが、漸く観ることとなった。

吉永小百合の映画を初めて見ることともなった。
流石に表情だけで魅せる。
「お父ちゃんは、無知蒙昧よ!」「いけないことは、親でもいけないわ」と、ズバッとぶった切る(笑。
弟を誑かしたノッポには容赦なく背後の何とか組には、躊躇なくズカズカ入り込み親分に堂々と文句~正論を謂う。
更に「あたい家の犠牲になんてなりたくない!」
そして「自己中心主義!」父ちゃんに言い放つ。
ビンタン貰ってもキリっと睨む。明晰でいつも凛としていて良い(笑。

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父は腕の良い職人であっても、頑迷で大酒呑みで粗暴とくれば始末に悪い。
母の内職ではどうにもならず家は困窮を極める。
ジュンもパチンコ屋でバイトをするが、中学生である。続けられない。
学業優秀なのに家の事情で専念できない。
幸い親友の父と同じ職工で労働組合員の塚本や担任の野田先生が何かと支えてくれる。
ヨシエやノブコも良い友達である。
弟も世話を焼かせるが、良い奴だ。
経済的には大変苦しいが人に恵まれてない訳ではない。
しかし朝鮮人のクラスメイトのヨシエなどとても素敵な親友であったが、引き離されることになる。
(わたしとしてはヨシエの行く末がとても気になってしまった)。

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当時の小中学生は、しっかりしている。
社会情勢、家庭環境がそうさせる部分は大きいが、とても自覚的な生を生きている。
ビビットで逞しい。ジュンは特に。快活で直向きと謂うより、現実に接する(触れる)直接性~純度が高い。
半面、自分の状況に対して逃避~否定的な者は厳しい境遇に嵌り込んでしまうだろう。


この物語、ヒロインのジュンの感情と考えの動きに身を任せていれば充分に堪能できる。
貧しく過酷な生活の中で、物事をしっかり見つめ、何事も諦めずに最善の道を選択して行くところに自然に感動を覚える。
また、やんちゃな弟が良い。ヒロインの弟という立場で、これほど濃密に描かれる人物像を見たことない。
そして朝鮮人の友人とその弟がこれまた実に良い味を出している。
(しかしそのホクセンに渡った人たちは、プロパガンダとはおよそかけ離れた過酷な現実が待っていたようだ)。

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ディテールも映画としての絵もとても精緻に描かれ~撮られている。
列車が幾つものエピソードの中、町の向こうを走ってゆく。橋の下を走り去ってゆく。
ホントに列車がその場面を雄弁に語る。
まさにわたしの友人の絵描きのS君の画布を観る思いだ。
風情のある下町の間を抜けて行く列車の産む光景は特別な郷愁を呼ぶ。
自転車もよく走るが、ジュンはヨシエからお別れに自転車を貰う。
様々な交通がジュンに幅広い考えを齎す。
結局、彼女は就職し定時制高校で学び自立を図ることとする。
生活経験全てが学びとなるという思想である。
多様性を認め幅広い思考に目覚めて行く。こんな女子高生がいたらそれは素敵ではないか。


彼ら北朝鮮帰還事業で帰る人たちは、上野駅から電車で新潟に行き、船で北朝鮮に向かって行った。
横田めぐみさんも 新潟市に転居後、拉致被害に遭った。
皮肉にも新潟である。窓口として開けてしまったか。

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このジュンという少女、若尾文子がやってもとても器用に熟すのは目に見えるが、この爽やかなインテリジェンスはやはり吉永小百合だなあと感じた。
とてもはまり役であった。





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シモーネ・バイルズ ~ 金メダルへの道

THE SIMONE BILES STORY001

THE SIMONE BILES STORY: COURAGE TO SOA
2018年

ヴァネッサ・パリーゼ監督
ケリー・フラートン脚本


ジャンテ・ゴッドロック、、、シモーネ・バイルズ(天才体操選手)
キャスリーン・ローズ・パーキンス、、、エイミー(コーチ)
ジュリアス・テノン、、、ロン(祖父)
ティシャ・キャンベル=マーチン、、、ネリー(義祖母)



世界体操競技選手権最多メダル数25個の世界記録を持つ体操選手である。
超人的と謂うしかないが、2020年に照準を合わせていたが、どうなることやら、、、。
(どの選手にとってもそうであるが)。
モチベーションと体調維持はホントにアスリートたちにとって大きな課題であろう。

THE SIMONE BILES STORY002

シモーネ・バイルズは実母が薬物及びアルコール依存症であることから、子供の保護能力がなく、親元を離れ祖父と義祖母との間に法的に養子縁組し、親子として暮らすことになる。
祖父もそうであるが、血の繋がりのない祖父の妻が大変深い愛情を彼女に注ぐ。
この新たな家庭に落ち着いてから、彼女に体操の並外れた才能が見いだされ、ジムに通い出すが、6歳から今現在までコーチを務めるエイミーと出逢ったことも大きい。まさに二人三脚による努力の歴史である。
差別や虐待にも遭い、ADHD絡みで悩むことも多かったが、確かな叡智を持つ強力な支援者に恵まれたことも確かだ。その意味では恵まれている。
(確かに落ち着きがなく、失敗しては泣きべそばかりかいていた)。
映画でもはっきり謂われていたが、新たな家族が出来たことが大変良い結果を生んだのだ。

ADHDであるにも拘らず、並外れた集中力を発揮できた為の偉業であろう。
運動神経が特別優れていようが、それだけで優勝をさらえるほど競技は容易なものではない。
彼女は決して初めから強靭な意志や資質を備えた人ではなく、人一倍迷い悩んだ末に現在に辿り着いたことは推察できる。
これは医者やコーチ、そして祖父や養母の支援・協力の元、独自の方法を生み出す努力があった為だ。
ひとつに、日記を効果的な利用がある(養母に勧められてから継続している)。
大きな目標を立ててからその実現に向けての細かいプロセスを練ってゆく形だ。

スポーツ以外の社会問題にも積極的にSNSなどを通し発言している。
アスリートである前に人間です、という立ち位置は正しい。
(最近では、大阪選手の活躍が目立った。あの行為に対し、アスリートが政治問題に介入するなみたいな批判があったらしいが、別に介入して何の差し支えがあろう。選挙にだって行くんだし。しかも基本的人権~生存権は、政治以前の問題である)。

THE SIMONE BILES STORY003

彼女が挫折を幾つも経て(やはりADHDは集中を要することに対し多くの困難を伴うものか)成功を掴んでゆく過程には、こちらも嬉しくなる。自然に応援する気持ちが湧くものだ。
今度の東京オリンピック、全く何の興味も無かったが、彼女のような人が活躍できるなら、開催に漕ぎつけて欲しいと初めて感じた。


ジャンテ・ゴッドロックという女優の身体の仕上げが凄いものであった。
やはりアスリート役をやるには、あそこまで筋骨隆々に持っていく必要があるのだ。
プロ意識をヒシヒシと感じた。



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アリス・スウィート・アリス

ALICE SWEET ALICE001

ALICE SWEET ALICE
1976年
2015年レストア
アメリカ

アルフレッド・ソウル監督
アルフレッド・ソウル、ローズマリー・リトヴォ脚本
スティーヴン・ローレンス音楽


リンダ・ミラー 、、、キャサリン・スペイジス(母)
ポーラ・シェパード 、、、アリス・スペイジス(12歳の少女)
ナイルズ・マクマスター 、、、ドミニク(ドム)・スペイジス(父、キャサリンの元夫)
ブルック・シールズ 、、、カレン・スペイジス(妹、9歳)
ジェーン・ロウリー 、、、アニー・デロレンジ(叔母)
ゲイリー・アレン 、、、ジム・デロレンジ(アニーの夫)
キャシー・リッチ 、、、アンジェラ・デロレンジ
ルドルフ・ウィルリック 、、、トム神父
パトリック・ゴーマン 、、、パット神父
ミルドレッド・クリントン 、、、トレドーニ夫人(トム神父の家政婦)
マイケル・ハードスターク 、、、スピナ主任刑事
トム・シニョレッリ 、、、ブレナン刑事
ルイーザ・ホートン 、、、ホイットマン医師


レストアとは言え、年代物感がしっかり残っており、雰囲気の良い映画に仕上がっている。

小学生用の黄色いレインコート
プラスチックの女のお面~このお面が気味が悪い。
これでトリッキーな殺人事件が続いて行く。
キャサリンがいみじくも語るが、「人は物事を自分の見たいように見る」、、、そのとおりだ。
冷静に見れば、体格が同じくらいでも小学生と初老の婦人では明らかに肌の色艶も異なり雰囲気から分かるもの。
そうもうひとつ、白いソックスだ。この辺で嫌でも歳恰好が違うことは察知できるはず。
アリスの平時の行いの悪さが~当てつけが人々の目を彼女に向けさせる。
親に疎外され親の愛を欲する少女。

ALICE SWEET ALICE003

そこに根深く横たわるのがキリスト教。
いや神父への愛か
両方の綯交ぜとなった感情か。
やはり宗教~狂信は殺人を正当化する。
自らの信じる教義の為なら悪魔は退治しなければならぬ、と。
悪魔的に不安を煽る人物は配置されてはいるが、殺人犯は別の人物であることは分かる。

ALICE SWEET ALICE004


愛情に飢えて常軌を逸する少女と狂信者の婦人の行動が「同じ黄色いレインコートとお面」~記号によって交錯する。
演出によって巧みにミスリードを誘うが、、、。
ただし、トレドーニ夫人にそこまでの凶行を強いる理由が、少なくともキリスト教徒でないわたしには全く分からない。
告白という制度で内面からがんじがらめに抑圧された教徒でないと共感は無理である。
批判ではなく殺害、しかも厄介者の少女に罪をなすり付けるこの凶行を神のもと正当化するこの排他的精神~異端に対する態度は凄いものだ。
(しかし本人もしんどい精神状態であろう。ダダかロックで内的にぶち破るしか出口はないなこれは)。
何と言うか物語~演出的には、アリスの悪ガキ振りがエグイ為、太った大家の猫を殺すし、嘘発見器もぶち壊す飛んでもない奴という悪印象ばかりが積み重なる、、、そもそもあのような不気味な恰好をして悪戯をすること自体やはりアリスも尋常ではないが、この流れではアリスは最低限、病院送りだろうなと思わせる。

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序盤の聖餐式であっけなく殺されてしまう妹カレンに対する妬みであるが、この物語、妬みが宗教絡みで根底に渦巻いている。
極め付きは、トレドーニ夫人がトム神父の首を刺し殺してしまう最後の場面だ。
そして教会はパニックとなり、皆が現場に駆け寄る中、アリスは逆行し、手にはトレドーニ夫人の紙袋が握られていた。
彼女は無表情で血塗れの包丁を確認し歩いて行く。
彼女がこの先を引き継ぐ雰囲気を漂わせ、、、。


最もホラーだったのは、ヒロインのポーラ・シェパードがこの時、19歳であったという。
体格、表情からして、嘘・信じられな~いの世界であった(笑。




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テルマをまた観た

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Thelma
2017年
ヨアキム・トリアー監督

文句なしの傑作だが、、、。
トリアー監督って、他にもいた気がするが、、、。
気になって自分のブログ内を検索してみたら、何と、、、

メランコリア」のラース・フォン・トリアー監督がいた。
わたしの好きな監督で、大好きな映画だ。そうだった。そうだった(笑。
、、、それは良しとして、、、

何と、、、このヨアキム・トリアー監督の「テルマ」も観て感想書いてるではないの、、、!?
どうなってるんだ(謎。
これは笑い事では済まない。
(2600記事あるともう何書いたか分からなくなってはいるところはあるとは言え)
ついに痴呆症が始まったのか(ガ~ン、、、
である。
暫し唖然。

恐るべきことに割と最近、2019.07.05 に観て書いたことを、全く忘れていて、とても新鮮な気持ちで観ていたのだ。
(普通、題名を失念していて、見始めたところで直ぐにこれ前に観た、と気付くというもの)。
しっかり見終わり、う~ん、これは傑作だ、と思い、この監督の名前見覚えがあるな、、、
ということで、ブログ内検索したところで、驚愕の事実発覚である。
ちょっとやばいではないか、、、。

どうせなら。忘れたまま感想書いて、その当時と現在の感覚~思考の違いを比べてみたら面白かったかも。
しかしそれはもう遅い。
以前書いたと知って、また書く気にはならぬ。
読み返してみると、今より気の利いた整理された文章になっている(苦。
それはもう、KADOKAWAシリーズ観てしまおうとばかりに「東京おにぎり娘」とか立て続けに観ている昨今、何だか訳わからなくなっているところは否定できない(爆。
やはりわたしも自分の観たいものを観ないと。変な抑圧を加えるものではない。
いやそういうことより、自分の感覚~思考が危うくなってきたのかも知れない(恐。

わたしの場合、感想は100%自前の思考のひねり出しである。
であるから、生で揺らいでて自分にとって分かり易い。混乱した動きだな、とかこれはもうへばっているとかもよく察知できる。
やはり基本は変わっておらず、波の揺れ幅といったところだろうか、、、。
(しかしこれを機会に以前の文章を読み返してみたい。これまでほとんどしてこなかったことだ)。
そういえば、少し説明が足りず勢いで書いてしまっているところでは、面倒なこともあった。

以前、コメントで(その前後にやたらと長く、何に対してのコメか分からぬとぼけた変な文が送られて来たこともあったが)わたしの感想の文章から知識として一部引用しているといった人もいた。
これにもぞっとした。
わたしの文の一部をコンテクストから抜き取り、この作家はこうだなんて、他の文章中に固定挿入されたらホント困る。
思考の流れ~過程が何処から掛かっているか分かった上で読み込んで欲しい。
恐らくその部分をあっさり切り取れる人はその流れ~全体は読んでいない。
確かイヨネスコのところだった。
わたしは彼女のことなど(知識として)何も知らないが、その娘の生き方からしてこのような起源が母~娘間に感じ取れるという意味で書いたが、イヨネスコとはこういう人物だったと単純に受け取られるのは困る。


横道に逸れたが、今はまた新しく素敵なコメを寄せて頂くブロ友さんや、TwitterやFacebookに来る友人のコメも貴重で刺激になることも多い(彼らの場合、メールや電話で来ることもある(笑)。

昔書いたものは生物学的にもある意味、他者によるものである。
この機に読み返すのは面白いと思った。



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東京おにぎり娘

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1961年

田中重雄 監督
長瀬喜伴、高岡尚平 脚本

若尾文子、、、まり子(おにぎり直江の女将)
叶順子、、、みどり(踊り子、腹違いの妹)
中村鴈治郎、、、鶴吉(テーラー直江主人、父)
川口浩、、、白井五郎(演出家、まり子の幼馴染)
ジェリー藤尾、、、三平(まり子の舎弟)
川崎敬三、、、村田幸吉(鶴吉の元弟子、既製服店主人)
伊藤雄之助、、、田代(鶴吉お得意さんの社長)
沢村貞子、、、かめ(叔母)
藤間紫、、、はま(麻雀屋の女将)
村田知栄子、、、梅子(五郎の母)
瀬川雅人、、、太郎(弟)
八波むと志、、、不動産屋


思いっきり力の抜けた映画である。
(東京おにぎり娘というところからしてシリアスな映画は想像できないが、コメディとしても脱力感たっぷり)。
若尾文子のサバサバした魅力がとても活きている。
この映画、叶順子絡みの部分だけちょっと新鮮だった。でもほんの少ししか彼女は出ていなかった。
もう少し、踊り子シーンでも観たかったが。
「おにぎり直江」も悪くない。
ジェリー藤尾も良かったのだが、、、。
いつもはかなり癖のある川口浩、川崎敬三も好青年。
その辺での気持ちよさはある。
それにしても、、、

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フォーマットがひとつあってその使い廻しが上手くなされている。
この時期の現代邦画を観るたびにそんな印象が残るのだが。
結婚を巡る父娘の噺やその相手が近所の幼馴染や父親の部下(弟子)であったり、、そこに叔母たちが首を突っ込んで来ては、噺が抉れたり、、、父にしても娘の結婚はとても寂しいが、お父さんは大丈夫だと威勢よく送り出そうとしたり、、、もう既視感どころではない。こういう噺しかないのかなあ、、、ファミリーコメディ、ラブコメともなれば、こうか、、、。

若尾文子も幾つ似たような映画に出ていることやら、、、。
(勿論、微妙に違う役をしっかり演じ分けていることは分かる)。
ファンなら彼女が何に出ようが関係なく観るのだろうが、、、

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とりまく川口浩も川崎敬三もジェリー藤尾も男性陣がとても良い人ばかりである。
細かい気配りはしてくれるし、、、。内緒で店の新規開店費用まで捻出してくれるし、、、ナイトを気取ってすすんでこき使われてもいるし。
そして2代目中村鴈治郎~親父さんも若い頃はヤンチャをしていたと謂うが、これまた優しい娘思いの父親だ。
少し不器用だが、、、高倉健か(笑。大阪生まれの江戸っ子である。憎めない親父だ。いやおもろいひとである。
ちょっと嫌味なお得意さんの社長もまり子には至って優しい。
周りの世話焼き叔母さん沢村貞子に藤間紫に村田知栄子にも常に心配され大事にされている。
(幼馴染の五郎と一緒にしようと画策するが抉れてしまう結果になったりはするが)。
つまりここでの若尾文子~まり子はとても恵まれている。
そして父の経営するテーラー直江の一階を改築しおにぎり直江として新装開店すれば客は連日満員で繁盛する。
良いこと尽くめではないか、、、

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五郎経由で、腹違いの妹みどりの存在が発覚する。
(親父さんが済まなそうに謝るが、あっさり許す)。
この件は、ちょっと面白い具合に進んで行くかと思っていたが、かなりあっさりであった。
もう少しみどりの出番が欲しかった。
叶順子の映画はまた改めて観てみたい。
まり子は、どうせ五郎の方から靡くだろうと高をくくっていたのだが、叔母たちがかつて仕組んだ縁組に乗らなかったのは五郎の方であった。
何と五郎の好きな人はみどりであった。
まり子は、いきなり弟と妹が出来てしまうことに。
(突然現れた美人の妹と結婚相手かと思っていた男性である)。

しかし通常、幼馴染は兄妹の感覚が強く意識づけられている為、その他の関係性を上書きするのは困難と謂われている。
五郎の感覚が自然に思う。
寧ろまり子には、幸吉が似合うと思われるが。親父さんもこのかつての弟子と仲直りしたところであるし。

まり子と幸吉は、新橋の烏森神社でよい雰囲気の中エンディング。



この映画を観た後も、今日は一日ぼんやり過ごした。


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ぼんち

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Bonchi
1960年


市川崑 監督
和田夏十、市川崑 脚本
芥川也寸志 音楽

市川雷蔵、、、喜久治(河内屋足袋店の跡取り)
若尾文子、、、ぽん太(芸者で喜久治の女)
越路吹雪、、、比佐子(ホステスで喜久治の女)
山田五十鈴、、、勢以(喜久治の母)
草笛光子、、、幾子(仲居で喜久治の女)
中村玉緒、、、弘子(喜久治の最初の妻)
林成年、、、太郎(喜久治の次男)
中村鴈治郎、、、春団子(落語家)
北林谷栄、、、内田まき
きの(喜久治の祖母):毛利菊枝
菅井一郎、、、土合
嵐三右エ門、、、和助
伊達三郎、、、泰助
浜村純、、、憲兵
潮万太郎、、、高野市蔵
毛利郁子、、、芸者
船越英二、、、喜兵衛(喜久治の父):
京マチ子、、、お福(仲居で喜久治の女)


年老いたぼんち~喜久治が自らが関わった女たちのことを騙って聴かせる内容である。
「ぼんち」って「わかだんなはん」のことなのね、、、。
以前、ザ・ボンチという二人組が結構面白かったから、何となく期待して観たが、これはこれで見事な放蕩映画であった。
特にボンチに突っ込みを入れに来た、祖母とその腰巾着みたいな母とのやりとりが、面白いこと。
市川雷蔵はどんな役でも熟せるのね~と感心した。
ほぼドライで素っ頓狂な漫才みたいなレベル。
大阪弁?がとても綺麗なのもリズミカルで心地よい。

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豪華なキャストである。
この映画の内容から女性陣の充実は重要な要素だが、確かによく集めたものだ。
相変わらず若尾文子と京マチ子先生が器用に役を演じていた。
それに加え、超強力な毛利菊枝と山田五十鈴の漫才コンビである、、、?
この二人に正面から太刀打ち出来る者がいようか。
(喜久治みたいにいなすのが精一杯か)。
更に越路吹雪に草笛光子に中村玉緒とダメ押し。
女優ではないが船越英二が良い味を出している。

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しかしあしたび屋はそんなに儲かるのか、、、ボンチの放蕩~道楽振りはかなりのもの。
お妾は何人でも可で、ひとりには競馬の馬まで買い与えている。
家や暮らしに必要な費用はしっかり支給し彼女らも贅沢出来る。
子供が生まれるとちょっと面倒のようだが。
(妾に男子が出来れば5万円、女子ならば1万円自動的に支払うというのも笑える)。
そこで祖母の老舗を守るための理屈は凄い。
女の子を産みそうな娘をボンにあてがい(ここではお福)、彼女に女の子を産ませ、これはという才能のある婿を呼んで店を更に繁盛させるという策である。
ボンの父である喜兵衛(婿養子)もその線で店を発展させたそうだ。

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それにしてもボンと祖母と母とのトリオ漫才は面白い。
なかなか最近の映画ではこんな粋でブラックな対話は観れないと思う。
老舗の商家の暖簾と仕来りとは謂うが、これだけ自由奔放に生活できるというのも半端ではない。
(弘子が仕来りに反するとかで里に強制的に帰されるなど確かに酷いが)。
ボンとしては飄々としながらも悩み苦しむところはあるのだ。
べそをかくと、わてが慰めて差し上げましょうと、京マチ子先生である。
勝手にしなさい。
ボンが恵まれた生活を享受しているように見えて、絡む女たちのしたたかさがこれまたしっかり描かれていた。
実際、女たちは、したたかで逞しい。

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喜久治の噺の終わった後、最後に彼の人物像を語る長年身辺の世話をしてきた女中の独白でピリッと物語を締める。
結局、この喜久治は理想的な「ぼんち」にはなれなかったということなのか、、、。
「ぼんち」というものが本来どういうものなのか知らぬが、やはり独特の伝統・文化と仕来りから生まれてくる粋な存在なのだろう。


何にしても、よく出来た豪華コメディであった。




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ホラー2

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「着信アリ」と「戦慄ショート ショート コワバナ、、、」というのを観てみた。
もうよい。
ショートオムニバス版の方は、完全にコメディ心霊もので、ブラックだったり、ほんわかさせたりという楽しい類のもの。
「冥途喫茶」には笑えた。
「着信アリ」はシリアス路線で笑えないが。

昨日観た「着信アリ2」の最初のものであるが、自分の携帯番号からかかってきた未来から来たメールにその時刻に自分がどのように殺されるかが映っているというもの。未来の姿を送って来るので、そのままそうなるだけ、という噺。
これは2でもいっしょ。予知能力というより未来からの通知のようだ。未来旅行は高速(光速に近い速度)で移動することにより可能となると理科の授業の雑談で中学生のとき盛り上がったものだったが、、、。猿の惑星でも宇宙船が未来の猿が支配する地球に不時着してしまう。宇宙船が余りに高速であったためだ。
ここの場合、何らかの特殊能力の働きみたいであったが、、、。

無残な死体には、2では胃に台湾産の石炭が入っていたのが、最初は口に赤い飴玉であった。
元凶が2では幼い予言者リー・リィーであったが、こちらは美々子という姉に虐待を受けてきた幼い娘であった。
どちらも繋がりがあるようで、無いような、、、。虐待の連鎖作用は確かに大きな実効性があるが。
(災いの主体が何なのか)。
虐待により生じる負のパワーだとしてもその瘴気自体の波及力はこれくらいはあってもよい。
広がりはもっとずっと広くてよいが。

皆、電話をとって~観てびっくりする。
これを防ぐ方法として着信拒否では、ダメなのか?
そういうシンプルな疑問をもって観ていたが、、、。

とりあえず、今回は柴咲コウが物語を引っ張り飽きさせなかった。

虐待(特に言葉による虐待)は、子供の脳を変形させるほどの障害を残し、その障害はDNAよりも強力な遺伝因子ともなる。
ここでも代理ミュンヒハウゼン症候群なども出ていたが(実際、違ったのだが)、虐待の波及効果は大変大きいものだ。

映画が何本でも作れるが、それより実際の虐待を何とかすべきだ。
ここから生じ潜在し遍在する凶気は対処出来まい。


噺については詳しく取り上げないことにする。
ホラーであるし(笑。





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ホラー

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難問山積の中、、、間をぬって、、、
、、、ホラーをいくつか見てみた(笑。
昨日観たホラーが何故か残っていて、、、


何も考えずにスカッと怖がってスッキリ出来るかとも思ったが、、、
「着信アリ2」と「ヒトコワ3」とかいうものを何気なく拾った。
着信の方はどうやら1を見ておいた方が良かったみたい。
前提がよく分からなかったが、凡その経緯は分かった。
規範意識を脅かす人と違う子供を排斥~粛清したことで降りかかる災いという類か。

「ヒトコワ3」は、5つのオムニバスの小ネタで、そこそこ面白かったが。
感覚を刺激しても認識を揺さぶるようなものはなく見終わって何も残らない。
ちょっとした都市伝説ぽいもの。
森川葵が出ていた最初のだけ覚えている。
わざと道端に気持ち悪い殺害写真を忍ばせた財布を落としておき、拾い主を次のターゲットにするなんてリスキー過ぎるだろ。
しかも脅かす目的なのかわざわざ自分の顔写真のある免許証も入れておくなんて。違う交番か警察署に届けられたらどうなるのか?わたしなら中身の札だけ抜いて溝に財布を投げ捨てるかも(冗談)。
やはり強力なキャストが出ていると印象には残るか、、、。
キャッストは大きい。

しかし昨日の宮崎あおいを超える印象はない。
勿論、「着信アリ2」のキャスト、特にミムラはとても良かった。
が、内容的に貞子と同じで、酷い目に遭った女の子が復讐に出て来たというもの。
メディア~電子機器を巧みに使って出て来るのも同様。
しかも酷い目に合わせた奴らを殺すのではなく、たまたま網に引っ掛かって来ただけの関係ない者を殺すのだ。
理不尽なのも同様である。
自然災害か愉快犯みたいなものだ。
酷い目に遭ったと謂ってもその恨みの晴らし方に共感できない。
怖いというのも、突然気味の悪い出方で驚かすという感じのもの。そして気持ち悪い殺し方をする。
そういった面から、サスペンスやホラー面からしてもびっくりというところはあっても寒々するような恐怖というのは残らない。

お化け屋敷ツアーをしてみた感じ。
しかし本当のホラーというのは、まさに日常にある。
この凄まじい重力場に。
問題山積のこの日常こそ寒々としたホラー空間だ。
役者もそろってるし、、、



明日にでも「着信アリ」の最初のと、余裕があればファイナルも見てみようか、、、どうかな、、、
若尾文子にして、KADOKAWA対象作品から抜けるとするか。
抜けると謂えば、うちの娘も小学校を抜ける。



いよいよ卒業式が近づいてきたが、全くそんなケジメ感のないうちの娘たちであるが、そんなものだろうと思う。
集合場としての学校の役目も終えつつあるのかも知れない。
勉強は何処でも出来るとは言え、やはり個人でやるとなると必然的に偏るはず。
いやどうだろう、どんな分野であろうとそこを徹底して追求すればあらゆる知を動員することとなる。
だが、その追求自体、独りで出来るとは思えない。
学校という初めに枠ありきではないが目的によってその都度柔らかく組織されるチームは不可欠だ。
実際に集まる必要はないが、ネットワークは肝心なもの。上手く活かしてゆかなくては、、、。


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富江 最終章

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2002年

中原俊 監督
藤岡美暢 脚本
伊藤潤二 原作


安藤 希、、、富江(おばけ、和彦の元カノ)
宮﨑あおい、、、橋本登美恵(女子高生)
國村 隼、、、橋本和彦(登美恵の父、氷業者)
渡辺 哲、、、鈴木(父の同僚)


KADOKAWAコレクションともそろそろおさらばしたいので、その前に残っているもので面白そうなものを探すと、宮崎あおいのレアな主演作が見つかる。20年前の少女時代のもの。
そして、ホラーだ。
この「富江」というのはシリーズものらしい。
確かうちの娘が大分前に観ていた。どれを観たのかは知らぬが、、、。
わたしは基本、ジャパニーズホラーは観る気がしないので、スルーだが、宮崎あおい主演という一点で観ることにした。

邦画はコミック原作が殊の外、多いものだと気付く。
(確かに日本コミック・アニメはレベルが高く名作は多いが)。
それを実写にして成功したものは数少ない。
これがどうなのか、原作はまたしても未読なので分からない。

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宮崎あおいの瑞々しい若い頃の主演作品。
安藤希も『さくや妖怪伝』の主演作を以前観た。こちらもヒロインタイプの美形である。
W主演か。
(放つオーラのスケールは桁違いであるが)。
透明感と可愛らしさと凛々しさのオーラを絶妙に放つ宮崎あおいのような女優が今いるだろうか、、、。
実に稀有な存在であったことを改めて認識する。

そして何とも変わったホラーなのだ。
まずちっとも怖くない。グロテスクなところはあるが、登美恵はそれに動じない。赤ちゃんのように大事に扱う。
結局おばけが何度も殺されるが、生きてる人は不思議に誰も死なない。
おばけも不死だとか、わけの分らぬことを言い、何度死んでも生き返って来るから、、、怖いと謂うよりしつこい。
悪さをすると謂えば、登美恵を虐めることくらいか。
登美恵は学校では見るからに悪でバカ丸出しの女子学生3人組に虐められ、家に帰れば父の昔の彼女のおばけに虐められる大変な人生を送っている。

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この登美恵は来る者を全く拒めず、言うなりになってしまう特異体質なのか。
いじめっ子の言うなりに動き、お化けの言うなりに従う。
最後に富子の性格が悪すぎ面倒見切れなくなり、ビルの屋上から投げ捨てるが、おばけだから何度でも蘇ってくる。
何でやって来るのかと謂えば、父の和彦の元カノで相思相愛だったのに結ばれず死別してしまったため、念が残ったみたいだ。
初恋やり直そう、と和彦を誘いに来るのであった。純情なのか何なのか、、、
その気持ちは分からないではないが、実際におばけで来られても困るというもの。
邪魔な娘は殺せなどと身も蓋もないことを要求するし。
即物的過ぎる。詩情など一切ない。

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お父さんも優しく寛容なのかサイコなのかよく分からない人で面白かった。
娘も「お父さんが氷屋さんで良かった」と言って富江の死体を凍り漬けにしたものを二人で綺麗ねと言ってスナック食べながら鑑賞しているのだ。
最初は富江のサイクルに驚くが、余りに何度も反復されると、こうなってゆくだろう、、、。
そしてその反復を断つため、父は娘登美恵を設定温度を上げて冷凍室に閉じ込め、富江の前では彼女の言う通り娘を始末した形にして二人で旅立ってゆく。富江としては和彦との初恋を成就させたいだけなのだし。
二人で何処かに行って暮らしているのだろう。

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宮崎あおいの、ねぐらなな眼鏡女子の姿から、徐々に自己主張もする生気を取り戻した少女への変身は見事であった。
最後はまさに宮崎あおいになっており、こちらも安心した(笑。
やはり宮崎あおいの魅力ひとつで最後まで引っ張った感のある映画である。
ここから後の彼女の快進撃には目を見張るものがあった。





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悪の華

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2019年


井口昇 監督
岡田麿里 脚本
押見修造「惡の華」原作
福田裕彦 音楽
リーガルリリー「ハナヒカリ」主題歌


伊藤健太郎、、、春日高男
玉城ティナ、、、仲村佐和
秋田汐梨、、、佐伯奈々子
飯豊まりえ、、、常磐文
北川美穂、、、クラスメイト
佐久本宝、、、クラスメイト
田中偉登、、、クラスメイト
松本若菜、、、佐伯の母
黒沢あすか、、、仲村の母
高橋和也、、、仲村の父
佐々木すみ江、、、仲村の祖母
坂井真紀、、、春日の母
鶴見辰吾、、、春日の父


昨日は全ての物語性を拒否して庭仕事をしていた(爆。
多肉を沢山間引いた。
(しかし程々であり、スッキリするまでいかない。壊滅的なまでに過激に行かなくては事態は変わるまい)。

「悪の華」懐かしい。題に惹かれて観ることに、、、。
これはこれで、面白かった。
玉城ティナが思い切って振り切れている。
こういう役を綺麗な玉城ティナがやること自体に象徴的に大きな意味がある。
若い女優で、これは凄いと思うひとりだ。
(小松奈々、浜辺美波、山田安奈も凄い、、、若手女優はこれほどメジャーでなくても実力派が目白押しである。層が厚い)。

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ルドンの例の「目玉」~正式名『起源』がボードレールを象徴するCGとして機能していたのが面白い。
見るものと見られるものとの照応関係であろうか、、、ボードレールと謂えばコレスポンダンス。
ルドンは文字通り『悪の華』という版画集を出版していた(実際、親交もあったはず。ボードレールやマラルメとは)。

とは言え直接ボードレールの「悪の華」ではなく、押見修造原作のコミック「惡の華」(未読)の映画化なのだが、作中の人物がルドンの起源を装丁にしたボードレールの「悪の華」の古本を大切に読んでいるので、当然思想的関連はあろう。
よくムンクの絵が装丁の本を見たものだが、確か堀口大学訳のものだと思う。
それでは全くボードレールが伝わらないので、他の訳者のものが良い。これ(元本)は誰のであろうか、、、。
この装丁も、堀口大学訳のようだ。残念。
早速、ボードレールの「悪の華」を探しに書庫に入ったが、最近長女に荒らされていて、本が見つからない、、、。
時間もないので取り敢えず、ボードレールは棚に上げて映画の感想にとどめることに、、、。
象徴の森やコレスポンダンスに拘らずに観る(すでにルドンの目玉がグロテスク=美の構図となってはいるが)。共感覚(感覚の通底)などが感じ取られれば詩的な映画となろう。  

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仲村佐和は、片田舎の町の山を越えた向こう側に行きたがっている。向こう側は物理的な意味での向こうではない。
春日高男は、この田舎町の内にとどまり中に外を作ろうとする。
しかし実際に森とまでは行かない林の中に掘っ立て小屋を作って共に語り合う場とする。
わたしらが少年時代にこしらえた秘密基地もこれに通底していたことは気が付く。
だがそうした場は部外者によって直ぐに解体される。
ここでは一度はミューズとして祭り上げ熱を上げるが、体操着を何故だか持って帰ってしまってからギクシャクしどうしの佐伯奈々子によって燃やされてしまう。床に落ちた体操着を単に棚に戻せばよいところを持ち帰ってしまうところからこの物語が始まる。

仲村佐和の苛立ちは元々実際の社会的なレベル~規範・道徳などにはなく、ことばの化学反応の欠如に対するものだと思う。
だから詩的な世界~ボードレールの言う万物照応の世界が必要であったのだ。
あの森?の掘っ立て小屋ではなく象徴の森が春日高男によって作り上げられればよかった。
つまり春日高男がボードレールになればよい。

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だが、ボードレールどころではなかった。
彼は詩人ではなかったのだ。だから折角カップルになった佐伯奈々子に愛想尽かれる。
そして必死ですがりつくが仲村佐和にも振り捨てられる。だが追いすがるを繰り返す。
女子から何かと大事にされ好意を寄せられるも結局捨てられるタイプ(爆。
だが、仲村佐和にはなかなかの変態野郎だと認められ夏祭りの櫓を占拠しTV放映のなか心中を図る。
ちょっと太宰っぽい(笑。
ここで佐和は高男を放り出し、自分独りで逝こうとするが父に阻止される。

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問題を起こした高男一家は引っ越し、都会で高校生活が始まり文学少女の常磐文に出逢う。
ここでも彼は受け入れられ、もてることはかなりもてるのだ。
やはり太宰っぽい。
だが彼の総元締めの仲村佐和にお参りに行かなくてはならないこととなる。
そうしないと新たな一歩が踏み出せないのだ。かつての恋人奈々子はしっかり地に足の着いた生活を始めていた。
そして彼女から現在の仲村佐和の住所が送られてくる(ホントに女子に気をかけてもらえる男だ)。

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特に印象的なのが最後のシーン。
春日高男が常磐文と共に分かれたままになっていた仲村佐和を訪ねるクライマックス?のところだが、、、
想定の範囲内でやりあいと打ち解けの予定調和となり、仲村が二人の仲を取り持つ流れで春日に別れを告げる。
(この辺でもう普通の人の関係~忖度である)。春日高男だけでなく仲村佐和も普通の人となって生きるのだろうが、、、
仲村佐和が浜辺から踵を返して母の待つ家に戻ってゆく時にオーバーラップする形で浜辺に座る制服の女子高生に、そのルドンの目が見開かれるのだ。
それまでの彼らのエネルギーは保存され、この誰とも知れぬ女子高生に引き継がれるのだきっと。

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しかしそうなると、このボードレール~ルドンの「悪の華」は思春期特有の一過的な流行り病なのか?
それでは、あんまりだ。
この詩集、キリスト教に対する冒涜においても有名であるが、この映画に(前提として)初めから流れ充満する憂鬱~場所と時代~物語そのものへの根源的憎悪は、反抗期と共に消え去るようなものである分けがない。
だが、春日高男と常磐文はもうそれなりに幸せな安定した生活をしてゆきそうである。
めでたしめでたし感が溢れ出ていた。

物語として、生き難さとしての前提から始まることは、了解である。
ここに説明や注釈はいらない。
ただどのように糞虫どもを跳ね除け、叩き潰して突き進んで行くかにせよ、自らの中の糞虫に対しどう対処してゆくかにつけても、、、破壊と解体の後の詩的関係性であろう。
コレスポンダンス自体、対立するもの矛盾するものの一致でもある。
悪を詠うことは美を詠うことである。
悪が善となる契機が描かれてゆくか、どうか。
最後は仲村さんの神聖な輝きであろうが。その表現~演出はとても弱い。
臭覚~香りなどの感覚動員もほぼなかった。

どうもこころがざわつくような感覚までいかなかった。
もっと詩的な関係の深まりが欲しい。
閉塞感に苛立つ青春のやんちゃな逸脱物語にはしたくはないが、、、
せめて原作アニメでも観て確認はしたい。
娘が観るようなら借りるつもり、、、。




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物語には飽きた

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映画が観れないのは物語を受け付けなくなったからだ。
あらゆる物語が耐えられない。
勿論、風景というコードも。
モンドリアンもコードであり、、、
二重らせんはコードそのものだ。

今日はさっさとルーチン仕事は済ませ、創造~解体仕事=創作をしてみたが、それが出来たかどうかは、コード~物語、、、感覚の終了如何。
それ以前に、なかなか手放せない。
中央に余白を残し、中空構造の未完結で次に飛ぶが、、、。

何かやってしまわないうちに、次に移る。
そこで注意を向けるのなら、ディテールである。
垂直的にディテールに向かう。
広がりに向かうと息苦しい凡庸さに埋まってゆくだけ。
間に合わせに嵌ってしまう。

下手をするとたちどころに物語に絡めとられる。
こうして備忘録~注意書きを取り敢えず認めておくが。
何かの指標になるわけでもなく、、、気休めのひとつか、、、。
ホントにヒトというのは忘れっぽい。
そして書いたことで安心してしまう。
これはいけない。


統合するにも、絶えず邪魔が入る。何処から、、、元を正せば、、、
生活から生の無駄を省きたい。
総合的な場所を生むこと。
捨てること、何かを諦めることが必要。
特に自動化したルーチンのなかに悪癖は潜む。
再度の自己解体へ、、、




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家事

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実際、家事をそこそこしっかりやっていると、時間が余らない(爆。
ホントに。
であるから、探しごとも創作も進んでいない。
家事は食事を作る部分は多分に創作的で、ちょっと充足感を味わうが、全般的に見れば片付け仕事に入るか。
しかも毎日のルーチンである。
片付け(修繕・補充を含む)を反復する運動である。
適度な運動であり、そこそこ疲労する。

確かにこれを高度な次元から芸術に持っていく人もいるかも知れない。
(大方、見方・捉え方の問題に落ち着くとは思うが)。
片付け術など参考に、派手に思い切った整理まで出来れば、ひとつの蕩尽としてカタストロフを味わえるだろうが。
それがなかなか出来そうで出来ない。
まだこれはどこかで使えるかも。
結局、置く場所を移動するだけだったりする。
(移動の途中でゴミ箱に入れる場合もあると多少スッキッとするが(笑)。

さて、確かに物事の捉え方で随分、世界が異化する。
気持ちが変われば救われもするだろう。
これは一瞬のことだ。
その際の具体的な方法は、仮説を組み込むことだ。
仮説を発明すること。
それで世界の書き換えが済む。
新たな説明体系~物語が発動する。
そこを暫く生きてみよう。

新たな家事が始まる(笑。


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F3号の三連作に落ち着く

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基本パタンが出来ると、自動的にその発展パタンが生成されて行く。
なるべくわたしの意志を介在させないように進める。
ここ毎日、この三連作と長女との卓球でほぼ一日が完了する。
(ちなみに長女はピアノとわたしとの卓球である)。
次女はクールにそんなことやってられない、という表情で只管アニメオタク(アニメイラスト)の道を歩んでいる。
(ピアノもここのところアニメソングばかり弾いている)。
皆、好きなようにやれば良い。

ただ気持ちよく好きなようにやるには、あまり意識的になってはいけない。
逸脱、やりそこない(しくじり)、過剰さ、中断と飛躍も含め、少々のズレを正さずにその流れに乗った方が面白い生成を眺められる。
昨日は嵐の中でワザとまだ乾いていない看板を庭に取り付けてみた。
(趣味の看板である(笑)。
案の定、いきなりレタリングを貼った部分から不具合が出ている。


O君から詩も書いてねというメールを頂いているので、何かに使うのかも知れない為、今そのモードに持っていきつつある。
ざわざわした日常から、なかなかそれは作れない。
過去の作品探しを始めてから、頓挫してそのまま来てしまっているし。
明日はまた家探しを始めようか、と思っている。

色々なことを再開し制作ペースに乗せたい。
やはり制作である。
ものを作らないと何故か体調にも悪い。


TVで原始太陽系の途轍もなく危ういダイナミックな破壊運動の様子をCG画像で見た。
木星が中心に暴れ、土星がそれを結果的に鎮めたような形か、、、
われわれの太陽系はVer.2であるという。一度ほぼ死んでから再生したみたいだ。
銀河系にある夥しい惑星系のなかでも唯一無二かどうかは分からぬが極めて特殊な形体をとる。
恒星と水星の間の空間には何もない。
例えばトラピスト-1の惑星は7つ全てが太陽系で謂う太陽と水星の間に収まってしまっている。この距離くらいが大部分のようだ。恒星が太陽より小さく寿命も長い赤色矮星であることも大きい。全ての惑星が潮汐固定しており環境は安定していると謂えるか、、、。
そう惑星同士は軌道共鳴している。この音楽が聴きたい、、、。
そして岩石惑星の大きさである。太陽系にはスーパーアースのサイズがない。
他の惑星系に比べ地球はあまりに小さいのだ。
その影響とは何であろうか、、、。

いずれにせよ太陽系は、(たまたまできた)とても特殊な環境なのである。
他の惑星系はどうやらVer.1のまま生成され安定したみたいだ。
この危うい稀有な存在であることはこれまた創造的?ともいえる。
自転しながら公転というせわしない落ち着きの無さである。

特殊な身体性を持ったことは間違いない。




A Sunday on La Grande Jatte





天使の処刑人バイオレット&デイジー

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Violet & Daisy
2011年
アメリカ


ジェフリー・フレッチャー監督・脚本・製作

シアーシャ・ローナン、、、デイジー (美少女の殺し屋)
アレクシス・ブレデル、、、バイオレット (美少女の殺し屋)
ダニー・トレホ、、、、ラス (二人のボス)
ジェームズ・ガンドルフィーニ、、、マイケル (現金強奪犯)
マリアンヌ・ジャン=バプティスト、、、アイリス (組織No.1の殺し屋)
コディ・ホーン、、、バービー・サンデー (憧れのスター~ミュージシャン)
タチアナ・マスラニー、、、エイプリル (マイケルの娘、学生)


邦題も「バイオレットとデイジー」ではダメなのか、、、。

バイオレットとデイジー は、ティーンエイジャー美少女の殺し屋である。
(この時点でのっけからファンタジー。二人の暮らし振りもおよそ現実感はない)。
最初のシーンだけファンシーでハードボイルド調の派手な撃ち合いがあるが、それだけ。
二人は憧れのバービー・サンデーのドレスが欲しい。
それを買うため、報酬の良い次の仕事を引き受けるが、、、
そのターゲットは、自ら殺してくれと頼む初老の男。
何とも深い味わいのある男で(故ジェームズ・ガンドルフィーニが好演し)二人は彼に惹き付けられてゆく。

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その男の部屋で、彼とデイジー とバイオレットの三人劇が展開する。
時折、銃の弾を買いにバイオレットが外にも出るが、ほとんど男のアパートの一室での会話劇である。
邦題を見ると3流アクション映画と勘違いするが、ほとんどその要素はない。
いい加減、この手の陳腐な邦題はやめて欲しい。


こういうファンタジー映画もアリだと思う。
ターゲットの男は、自分は癌ですぐに死ぬことが分かっているが、心残りは絶縁状態の愛娘のことであった。
娘は離婚後、母が事故死したことから父に対する悪感情を抱いていたのだ。
父は娘との関係を修復したかったが、妻との本当の事情を話すと娘が妻を憎んでしまうことを恐れていた。

男とこの二人の娘たちは会話を進めて行くにつれ疑似的父娘のような関係を取り結んでおり、彼女らはプロとして仕事を完結することに躊躇する。
しかしこの仕事を終えてバービー・サンデーのドレスを買うのが目的なのだ。
彼の命を狙うもう一組のギャングが乗り込んでくるが、弾を買いに行っていたバイオレットに背後からハチの巣にされる。
もう命まで救ってしまったこともあり、何も任務を全うしなくてもとも思えるが、、、
(あのギャングに殺されるくらいなら彼女たちに撃たれた方が良い気持ちは分かる)。

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彼はデイジーに撃たれて死ぬことを望んだ。何故なら、これまでの仕事で、彼女はずっと空砲を撃っており、実弾で相手を仕留めていたのはバイオレットひとりであったのだ。これをバイオレットは気づき二人の関係性がギクシャクしてきたため、自分を殺す仕事はデイジーにやらせることにした。
彼はデイジーに娘のドレスを、バイオレットには愛用のカメラをプレゼントする。
そして娘への遺言をバイオレットに代筆してもらう。
「金は振り込んでおいたから学業に専念しなさい。体は大事にしなさい」などの当たり障りない内容であったが、これで彼の気持ちは落ち着く。

静かに目を閉じベッドに横たわる男をデイジーは撃つ。
二人はそのままアパートを出て行くと入れ替わりに隣人の通報を受けた警察が現場検証にやって来る。
いつもこの二人の高校生は全く部外者に思われて来たようだ。
フリーパスである。

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大金を貰い豪華なドレスを二人はものにする。
この日は二人それぞれ別に帰路につくことになった。
バイオレットはどうやら父とよりを戻す様子が窺える。
デイジーは男の娘エイプリルの写真をもって出ていた。
ドレスを持ち返る途中、ある高校に面した通りで、その写真の中の少女に出逢う。
出逢うべくして出逢ったのかも知れない。
デイジーは彼女を呼び止め、お父さんはとっても良い人だった。彼がこれをあなたに、と言ってそのドレスをエイプリルに手渡す。

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流れるようにスムーズに小気味よく展開する為、あっという間に終わった感がある。
とても観易い映画であった。
疲れた時に良い。

ここでつくづく思ったのは、ほぼメイクの無い(薄い)高校生役のシアーシャ・ローナンの綺麗で可愛らしいこと。
これまでも彼女主演の映画は幾つも見て来たはずだが、この映画で初めてそう感じた。
特別この映画の彼女が自然体に近い感じのシーンが多かったこともあったかも知れないが、大変魅力的であった。
アレクシス・ブレデルもヒロイン女優であることはよく分かる。この映画で初めて観たが、他の活躍も観てみたい。


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人狼村 史上最悪の田舎

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LOBOS DE ARGA

2011年
スペイン

フアン・マルティネス・モレノ監督・脚本
カルロス・フェロ撮影
セルヒオ・モウレ音楽


ゴルカ・オチョア、、、トマス・マリーリョ(作家)
カルロス・アレセス、、、カリスト(友人)
セクン・デ・ラ・ロサ、、、マリオ(編集者)
マベル・リベラ、、、ローザ(母)
マヌエル・マンキニャ、、、エヴァリスト(叔父、村長・司祭)
ルイス・サエラ、、、ガルディア(警官)
マルコス・ルイス、、、ディエゴ(半人半狼の100歳を越える甥)
犬、、、ヴィト


ミイラみたいな死体をロープ代わりにして主人公を助けるところなどドリフでも思いつかないブラックコメディだが(まさか墓の下に狼男のいる地下洞窟があるなんて)、結構ハラハラさせるホラーでもある。

パンズ・ラビリンス」のスタッフが集まっているなら少なくとも画像面は間違いないはずということで見始めたが、、、。
特別それを意識する「絵」を感じなかったのだが、噺の面白さで惹き付けられてしまった。
もう二足歩行の人食い狼男がわんさか出てきて、、、狼だと言われればそうだとして観るが、、、他の男にも思えてくる。
(何故なら他の狼男は変身すれば普通の狼になっている)。
では何かと問われれば、やっぱり狼かしらと思うのだが、、、ゴリラにも似ているのだ。
やたらと狂暴だが、頑張れば人間でも倒すことは可能であることが分かる。


呪いの村に招待を受けて小説を書きにやって来たトマスであったが、村人にいきなり生け贄にされてしまう。
(100年前マリーリョ家の伯爵夫人が子供欲しさに旅芸人の男との間に子を産むが、子供の父親がバレぬようその芸人一家を惨殺してしまう。その際、男の妻によって息子が10歳になったときに人食い狼になる呪いをかけられる)。
100年後にマリーリョ家の血を引く者を生贄にすればその息子は人食い狼から人に戻ると言い伝えられていた。
そしてその日が来た。首謀者は村長であり司祭でもある叔父だ。

伝承がそのまま生きている土地はある。
何処に住もうとその土地に行き渡る透明な(不可視の)堅固のシステムはある。
有害さの度合いの問題に過ぎないにせよ


名誉村民に認定されて呼ばれたトマスは生まれ故郷で、原点に帰り執筆するつもりであったが、そこは旧友カリストの言うように信じられないことが起こりうる場所であった。
確かにそうだ。
ホントに人食い狼などという荒唐無稽な怪物がいるなんて。しかもその生贄を待ち構えていたなんて。自分がその生贄だなんて(笑。

村民は殺すと何があるか分からないから納屋に何とか閉じ込めたそのバケモノに、通りすがりの巡礼者を餌として与えていたとか、、、それでエヴァリストが司祭なのか、、、。
ともかく丁度100年目となった今、マリーリョ家直系のトマスを生贄として差し出し、呪いからの解放が村民の総意に違いなかった。
(それまで100人以上の村民が喰われてきたと言う。これは村の固い秘密であり自分たちで解決を図るべき重大事項であった)。
それをトマスを犬と共に救い出したカリストがペラペラとばらす。
それだけ計画に精通しているなら会った時に全て話して逃がせばよいのに、、、。
(後で大苦労して助けるのなら)。

カリストは司祭から納屋の地下に狼男を探しに行かされた時、子供を発見し匿う。
その子供は、狼男の血を引いておりトマスの甥にあたることが後に分かるのだが、、、。
カリストは自宅にトマスとマリオを匿っていたが、更にその不思議な野生児の処遇に困った。
彼らの判断では、そいつはバケモノで夜になると変身して襲って来ると言い、殺そうとするが、子供なので出来ない。

それではと、トマスの小指を切り落として焼いてそのバケモノの子供に喰わせようとする。
だが一本目は犬がそれを食ってしまった為もう片方の一本を切って食わせる。
何の確証もないままに友人の指をいともたやすく切り落としその怪物の子供だろうと思う少年に喰わせるというのも、何と短絡的か。
その子の素性もその時点では何も分からない上に、指を食わせれば呪いが解けるだろうというのも推測に過ぎない。
タコでもあるまに、そんなご無体な、、、ドリフのコント並みである。
結局最後まで見て、指を食わせた意味はあったのか、、、
ブラックナンセンス。

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そして生贄計画がうやむやになったところで、村人たちに殺されそうになると、第二の呪いが発動し、村人全員が狼に変身してしまう。こちらの方がキツくないか。そこへ母が車で助けに来る。
教会に逃げ込むが連中は次々に聖なる場所に侵入してくる。
絶体絶命となるが、母が呼んだ頼りになる警官がいてくれたこともあり、急場を凌ぎながら革命時の古い武器を地下道から持ち込み、それを爆破して何とか逃げ伸びる。母は教会で殺されてしまうが。

地下道を抜けて来た最後の狼男を殺すと呪いが解け、少年が急速に年老いて死ぬ。
実年齢は100歳を越えているのだ。
この変身のVFXはなかなかのものであった。
しかしこの少年一言も発せず、何をするでもないうちにやけに静かに消えてしまった。
途中、狼の本性を出して突然暴れたりするような突発的な動きを期待したが、そこは肩透かしを食らう。
ただいただけ。

最後に何とか助かったと思ったら、黙っていたがトマスが実は噛まれていた。
カリストとマリオも噛まれており、彼らが警戒されていたのだが何故か変身はしない。
二人はその前に変身を危惧したトマスに縛られていたのだが、何のことは無い変身するのはトマスの方ではないか。
二人は観念して3人でつるんで狼男として夜の街を生きようということになる(爆。
ここが可笑しい。
しっかり相対化する視座がある。
人食い狼男としての人生も悪くないかも(笑。
キツイブラックジョークである。




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