黄線地帯

1960年
石井輝男 監督・脚本
吉田輝雄、、、真山俊夫(新聞記者)
天知茂、、、衆木一広(殺し屋)
三原葉子、、、小月エミ(真山の彼女、ダンサー)
三条魔子、、、桂弓子
大友純、、、阿川(依頼人)
沼田曜一、、、新聞社デスク
吉田昌代、、、酒場のマダム
鳴門洋二、、、パイラーの政
若杉嘉津子、、、売春宿のマダム
中村虎彦、、、松平義秀(社会事業家)
小野彰子、、、ヨーモク売りの女
KADOKAWAコレクションに入れば、この「ラインシリーズ」が全て見られるようだが、取り敢えず「黄線地帯」というのがそもそも何かというところで、観てみた。
黄線地帯とは、売春防止法後に外国人相手の秘密売春組織~産業が、地下に潜っている一帯のことか。
神戸が舞台となっている。
まずその地帯の独特の暗く陰鬱な雰囲気の充満する、せせこましく日本離れした街並みの重なりである。
その谷間に雨が降りしきり、洋館めいた夜の窓から衆木と小月のふたりが下を打ち眺める光景に全てが集約されているような気がした。細い路地には詩人が詩を詠んで迷惑がられていた。
とても絵になるシーンで、明らかに意図的に撮られている。
ちょっと、その行き場の無さ、雑踏に毒のある人が溢れていても、誰もがお互いを食い物にしようと虎視眈々と狙っているような孤独しかない、ニヒリスティックな殺し屋が潜伏するところでもあり、そんな場所が日本版「ブレードランナー」みたいに感じられた。
この国籍も超越したヨーモク売りが徘徊する廃屋の集まったような街が、、、。
よく住めば都などと謂うが、ここがそうなるだろうか、、、。
生まれた場所がここでも、わたしだったら直ぐに出たくなるだろう。
どの店も裏の部屋を持っていて不法な秘密の取り引きで金を儲けていそうである。死体もころがっていそう。
エキゾチックではあるが、ワクワクするような秘密は何処にもない。
邪魔者の死体も近くの波止場にしょっちゅう浮いていそうだ。
100円札に「助けて」というメッセージと名前を書いて人に投げかける。このパタンが何とも覚束ないが面白い。
出てくる連中は皆悪者ばかり。嘘と謀だけでやり取りしている。騙すか出し抜くか。金と銃で動くが、裏切りも当たり前。
正義の使者として乗り込んでくる真山だけが浮いている。
殺し屋の衆木も自分なりの流儀をもっていて、やはり浮いていた。
この界隈では、地位が上の者ほど、悪辣である。
社会事業家が外国人向けに日本人女性を誘拐して売り飛ばすなどして大金を儲けている。
(ある意味、こうした映画では定番の設定だが)、ありそうな噺だ。
殺される時には、決まって「金なら幾らでもやる。助けてくれ!」これはまず外さない(笑。
ここで印象に残ったのは、天知茂演じる殺し屋、衆木という人間である。
幼少年期の成育環境が最悪であったため、必然的に裏社会~殺し屋に流れ着いてしまった。
よく分かるが、こういう人間は周囲との親和的関係はまず保持出来ない。
そこはわたしも共感するところだ。
そして信頼を基本とした安寧の場を求めようとしても常に逆の方に転がって行ってしまう。
パタンが出来上がってしまっている為だ。
孤立を深める分、攻撃性も強まってゆく。
その最たる者としての殺し屋か、、、。
彼は彼なりに正当性を要請する。殺しの流儀があり、弱者を虐める悪辣な奴を消すとき以外は殺しはやらない、というものであったが、、、殺人に正当性が求められるかどうか、はさておき。
今回は、依頼人が麻薬輸入をし易くする為、神戸税関長の殺害を頼まれ実行してしまう。
報酬の代わりにパトカーを差し向けられる。騙されたことを知り、復讐に乗り出すが、、、
余りに「情弱」である上に判断力・洞察力に乏しい。依頼だけ聴いてそれを丸呑みするなんてあり得ないことだ。
大体殺害依頼などして来ること自体、まともな相手ではないのだから、その背景、背後を調べずに動くことなどもっての外だろう。
それまでよく自分の流儀を守ってこれたものだ。
偶然出逢った小月エミを人質にしながら、何とか辿り着き一番上の悪人とその手下を撃ち殺すが、最後にはエミの彼氏の愛の力に押され、結局集まった警察官に撃たれ敢え無い最期を迎える。どの映画でもこうした男の最期はほぼ決まりであり、ここでもそれに則っている。
流れは分かっているが、承知の上でも楽しめるものにはなっている。
ただ「ラインもの」を今後も観るかどうか、、、は微妙である。恐らくもう見ないだろう。
AmazonPrimeにて、、、。