プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ひみつのアッコちゃん

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2010年

川村泰祐 監督
山口雅俊、大森美香、福間正治 脚本
赤塚不二夫『ひみつのアッコちゃん』原作

綾瀬はるか/吉田里琴(吉川愛)、、、22歳、//10歳 加賀美あつ子(アッコ)
岡田将生、、、早瀬尚人(化粧品会社AKATSUKA研究開発部主任)
谷原章介、、、熱海専務
吹石一恵、、、青山マリ(早瀬の部下)
塚地武雅、、、守衛さん
香川照之、、、鏡の精
堀内敬子、、、あつ子のママ
大杉漣、、、中村前社長
内田春菊、、、総理夫人
肘井美佳、、、黒川朋美(青山の同僚)
柿澤勇人、、、サトウ先生
もたいまさこ、、、大庭鶴子(AKATSUKA筆頭株主)
鹿賀丈史、、、鬼頭大五郎


面白い。何だか分からないが、感動した。

コンパクトを壊してしまい庭にお墓を作って埋めたら、鏡の精から何にでも変身できる魔法のコンパクトを授かる。
そんなもんでこんな途方もないガジェットが授かるんだったら、墓ぐらい幾つでも作るぞおと言いたいがそういう噺ではない。

小5のアッコちゃん、冬休みの短い時間を塾をさぼって化粧品会社で女子大生としてアルバイトに励む。
会社は首脳陣が堕落していて乗っ取られる寸前。
アッコちゃんはひょんなことから商品開発部の中心人物早瀬の下で仕事に励むことに、、、。

見かけは女子大生だが、中身は小5としてもモノ知らずな幼い少女。
色々とハチャメチャな展開となるが、ギャグコメディなのでもっとはじけてもよかったかも知れない。
まあ程よいところでまとめた感はあるも、ちょっと小5にしては、お馬鹿過ぎたかも知れなかった。
しかし化粧品開発に貢献したい、早瀬を盛り立てたい、会社を更生させたいという純粋な熱意に皆が打たれてゆく。
そして筆頭株主もそれを認める。

熱海専務をそそのかし会社を乗っ取ろうとした鬼頭大五郎 が何と或る大国の軍事兵器にAKATSUKA社の早瀬の研究成果を利用しようとしていた。
しかし乗っ取りが株主総会で不成功に終わると、その研究ごと葬る為に工場を爆破しようとする。
(データや開発者が残っていれば、意味はないはずだが)。
そのことを知ったアッコちゃんが爆破を寸前のところで食い止めるなどという凄い噺となるのだ。
アッコちゃんの奮闘に触発されやる気になった早瀬と共に危機を乗り切り会社は再生へと向かう。

商品開発研究に熱意を傾ける早瀬に思いを寄せるアッコちゃんだが、彼も一途で純粋な彼女を必要とするようになっていた。
だが、アッコちゃんは履歴を早稲田大学算数学部と詐称し22歳の女子大生に変身した小5の女の子である。
冬休みが終わればお家に戻らなければならない、、、。

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン~になあれ」
と「「ラミパス・ラミパス・ルルルルル~」で自由に変身しては元に戻れるのだが、、、
アッコちゃんは漠然と大人に憧れていた。

「大人ってなに? 一所懸命働く人? 心の痛みを知る人?
自分の身を投げだして、誰かを守る人のこと?
それだったら、魔法なんか使わなくても、
アッコちゃんはもうなってるんじゃないのか」
鏡の精にそう言われる。

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今なりたいのは何?
「自分になりたい」
そうなんだ。
これになかなかなれない。
わたしは、是が非でもなるが。

彼女は本来の自分に戻り、本当の早稲田大学理工学部4年に成って、早瀬が面接官として中央に座る会場に来ていた。
「早稲田大学算数学部の、、、いえ済みません、、、」と言ったところで早瀬は彼女に気づき、二人は目を合わせて微笑む。

こういうコメディもお気楽でたまには良い。
綾瀬はるかには特に思い入れはないのだが、どんな役でもしっかり熟す人だなと思う。
もたいまさこと塚地武雅の持ち味が出ていてどちらも良い役柄だった。
大杉漣が変身したアッコちゃんとなって演じる姿は実にくすぐったいものであった。何でも器用に熟すのね。
少女のアッコちゃん役の吉川愛には注目している。とてもビビットな存在である。





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3連作画を描く

blue sky


漸く新築祝い用に描いた3連作の絵が仕上がる。
一つのキャンバスはF6ほどのもの。F4も用意してある(F0も試したが小さすぎて見送る)。
まず一つの画布に運動の方向と強さを任意に決めた線を走らせる。カスレもしっかり残す~活かす。
その後から、空間を規定する面を滲みぼかしつつ塗り込んで行く。補色より線の強弱を有効に使った。
この時、余白を忘れない。描きたいのは余白という奥行きだったりする。
事後的に確かにそうなった。連想しやすいのは空の白雲だが、あくまでも平板な白には相当な強度の分厚い空間が固定された。
それが3つ。それぞれ自立しているが、相互に微妙に関連し合う形で最終的にはほぼ同時に仕上がる。
かなり複雑な運動と面つまりは場所に他ならないタブローが出来た。

その際に、そこから派生した他のパタンを試したものがあり(残った絵の具が勿体ないこともあり)、今そのパタンの3連作画を描き進めている(アクリル絵の具は乾いたらそこまでで終わる絵の具の為)。
これは、へたをすると止めどなく出てきそう、、、体力が問題であるが。
途方もない並行世界が存在するように。
マルチバース~気が遠くなるようで、とても親近感もある。
われわれはやはり何らかの形で飛びたいのだ。
違う場に。ここにいながら、そこに。
それを妨げるものを悉く破壊し尽くし。

3連作というのが面白い。
これまで一枚単位の絵しか描いたことがないこともあり新鮮な感覚というだけでなく、創作の自由度が飛躍した。
何と言うかとても手頃な範囲~組み合わせで多様性の試作が出来る。
とても狭い範囲で、秘密裏にこそこそと、違う場所に接続する。
絵を描くことの目的である快感と快楽の境地。
但し、どうだろう。
これを持って行って見せられた人は果たして何を想うか、、、。
今更ながら、そんな当たり前のことを漠然と思う。



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卓球温泉

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1998年

山川元 監督・脚本
岩代太郎 音楽
矢野顕子 「丘を越えて」主題歌

松坂慶子、、、藤木園子(主婦)
牧瀬里穂、、、浦乃かなえ(ラジオパーソナリティ)
蟹江敬三、、、藤木哲郎(園子の夫)
ヨースケ(現・窪塚洋介)、、、藤木篤(高校生の息子)
山中聡、、、高田公平
菅原大吉 、、、内藤ディレクター
大杉漣、、、岡田
久保田民絵、、、高田千代子
広岡由里子、、、春
左右田一平、、、番頭
桜井センリ、、、大旦那
戸田昌宏、、、直哉
六平直政、、、ダンプの男
ベンガル、、、弁天
上田耕一、、、政夫
松本海希、、、政夫の妻
久保明、、、鉄也


スポーツの効用について考えさせられる。
TV番組の一流スポーツ選手の観戦も良いが、それはその場の興奮で終わる。結果によっては、ストレス解消に繋がることもあろうが。
(所詮、自分とはかけ離れた専門的な世界のことである)。
自分でやるスポーツというのは、全く別物。
体調管理の為とか体力維持の為とか運動(反射)神経の点検もしないといけないところもある(歳を取ると)。
ジョギング等で済ませてしまうことも多い。後、ストレッチとか(スポーツといえるか?)
だが、それ以外に人とやるスポーツにおいては、一緒にやることによる単に言語によるコミュニケーションを超えた共振関係が生まれる。これって大きいことだなと再確認させられる。
日常の言葉では最初から交信不能な関係性に埋没してしまっている場合~ケースでも、共に競技に熱中して行く中で起きる大きなうねり~リズムに一体化し互いに共感を得ることが可能ともなる。
それは場としても広がり人々を繋ぐような働きもする。
これはそんな可能性を描こうとした映画だ。

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それからスポーツとは関係ない、もうひとつ大きなこの映画の要素。
ここでは専業主婦の家出だ。
自己規制を何重にもかけて日常をやりくりする文脈からの超脱である。
これは計画的にしっかりと筋道を立てて実行に移そうなどと考えていたら一生出来るものではない。
ちょっとしたトリガー、彼女の場合はいつも聴いているラジオのパーソナリティの何気ないお勧めにそそのかされるような形で、不意に実行してしまったようなものである。
こんな形でしか飛ぶことは無理だと思う。イコール解放。これは潜在された力の発揮できる状況ともなろう。
異なる場に行くだけでも心理的な作用は大きい。好奇心も活性しそこで能動的に動いた結果が人を動かす。
思わぬ繋がりと広がりが生じ、死に体であった温泉街に活気が蘇り、自分の家庭にも波及し再生されてゆく。
お噺としては、余りに上手く出来すぎているが、コメディのエンターテイメントである。理想のサンプルの一つとして見ればよい。
最後の矢野顕子の唄う「丘を越えて」で全て良しとなる(これが流れてしまったらもう逆らえない)。

家出とスポーツの最良の組み合わせと謂えるか(笑。
更に身も心も解放する温泉も加わるではないか。これ以上ない相乗作用生むはず。

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卓球によるイベントで盛り上がったのは良いが、温泉街の復興にこの後どのように役立って行ったのか、、、
その辺まで見通せるとホッとできるのだが。
ともかく、ぼんやり愉しんで映画が観れるのはとても助かるものだ。
家事をやりながらのいつものラジオ番組に背中を押され、専業主婦が家出をした先が、かつて夫と行ったことのある温泉宿であった。無意識で着いたところであるが何らかの意図は知らずに働いたものであろう。
だがそこは寂れてかつての面影もほとんどなく、廃業寸前であった。
家出主婦の園子は旅館で楽しんだ卓球を想い出し、それがこの宿やこの温泉街の復興に役立つのではないかと考え、関係者に勧める。
無論、今更卓球なんて、という声が返って来るが、最新ゲーム機にはない旅でやって来た人同士を繋ぐ力があると。
ゲームなどはどこにあっても個人的にいつでも出来る。ネット対戦等で見知らぬ者同士の連帯感は産むだろうが、ここではその土地の活性化なのだ。ゲームと絡んだ企画などを皆で企てる。webを介して宣伝するとかなりの人が集まった。
青空に上がるピンポンボールとラケットのアドバルーンが愉しい。
パーソナリティのかなえがその温泉旅館の娘でもあったという偶然は余りにも、、、ではあるが、メディアの力も借りスポーツ~卓球による再生がこんな風にあってもよいと思った。
手軽に出来るし、わたしも娘とやってみたくなったものだ。


松坂慶子の専業主婦とても好感をもった。
それにしても皆卓球上手過ぎではないか、、、それが気になった。




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スウィッチ

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SWITCH
2011年
フランス

フレデリック・シェンデルフェール監督・脚本
ジャン=クリストフ・グランジェ脚本

カリーヌ・ヴァナッス、、、ソフィ・マラテール(モントリオールのデザイナー)
エリック・カントナ、、、ダミアン・フォルジャ(殺人課警部)
メーディ・ネブー、、、ダミアンの部下
オーレリアン・ルコワン、、、ドロール
カリーナ・テスタ、、、、ベネディクト


ソフィはデザイナーとして仕事が行き詰っていた。そこで気分を変えようと知人に勧められたのが違う場所に住んでみることだった。
心機一転やり直そうと。「8月のパリで生まれ変われるわよ」に乗った。
ソフィは期間限定のアパート交換サイト「switch.com」でモントリオールの自宅とパリのアパートを交換する。
ベネディクトという女性の部屋だ。
鍵を交換してパリのその部屋に着くとそれはサイトで見た通りの素晴らしい景観の豪華な部屋であった。
ちょっと周囲の観光を楽しみ満足して眠るが、、、
翌朝から散々な目に、、、。

ホーム・エクスチェンジはハリウッド映画でもあったはずだが、向こうはラブロマンス映画であったと思う。

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アパートで鍵の掛かった部屋に男(トマ)の首なし死体が発見され、彼女は警察に犯人と断定されてしまう。
ある朝、身に覚えのないことで突然逮捕という流れは、カフカ的。
彼女の関わったサイトは直ぐに抹消され、パスポートから搭乗記録も身元を特定するものは全て書き換えられてしまう。
つまりモントリオールのソフィは完全にパリのベネディクトにされてしまったのだ。
これは単に住居交換サイトでたまたま殺人劇に巻き込まれ犯罪者と勘違いされたようなものではなかった。
近隣の人々も写真から彼女をベネディクトだと言う。普通これは変ではないか。
(名前を変えられたからと言って、顔は違うはず)。

その後はもう警察も医者にもどこにも頼れなくなり、スウィッチが入り逃げて逃げまくる。
8月のパリで生まれ変わるどころか、皆バカンス、バカンスと言って窮地にある彼女にまともに関わってくれない。
パリ初日に公園で逢い電話番号を聞いたイラン青年は、ただのチンピラで頼って行ったが直ぐに裏切られる。
踏んだり蹴ったりだが、ルノーとキャッシュカードを逃走中のソフィーに奪われた日本人女性は、その様子から彼女の方が被害者に思えたと警察に訴える。古着屋の黒人店主もソフィーのことをメディアを通し逃走犯と知った上で彼女を匿い必要な物資を提供する。少数ながらモノの見える人にはちゃんと分かるのだ。

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それにしてもよく走る。アスリート並みに。
運動能力も優れている上に格闘術もわきまえているような。
咄嗟の判断も切れるが(逃走時に蹴屋のカギをかけた後に鍵を折る等)、ちょっとそれは、、、という行動もあったり、、、勿論究極状態にあって戸惑いは生じるはず。この一挙手一投足に注目させてしまう動きの多彩さに惹き付けられた。
弛みは全くなく展開する(警察にはイライラするが)。

追い詰められ孤立し母に自分の家を確認し身分証明書を取ってもらおうとするが、そこに待ち構えていた犯人に殺されてしまう。
次々に犠牲者が出てゆき、警察もこの事件が単純なものではない事に気づき始める。
ベネディクトの母親に再度、食い下がることで出生の秘密から見えてきた、、、。
検死官の検視結果にもミスが見つかり、それまで思い込み捜査をしていた刑事の頭が冴えてきて、ソフィーとベネディクトが同じ不妊治療病院で精子提供を受けた異父姉妹であることを推察するに至る。これで顔が似ていてもおかしくない(防犯カメラ等が無効となるのも無理はない)。そしてそこに事件の発端があると、、、。

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そのことを知っていたベネディクトは、同じ精子を提供され産まれたトマを殺害しソフィーも同様に殺そうとした。
ベネディクトが飛びぬけてパソコンに長けていたことから例のサイトの立ち上げと抹消、ソフィーの身元の情報操作を手際よく出来たことも頷ける。

何故、ベネディクトは異父兄弟の殺害に走ったのか。
自分の母は高名な芸術家で資産家でもあったが、非常に冷たく扱われ問題児~精神異常の子供として苦境を生きることとなった。
公平にする為トマとソフィーの人生を貰うという。わたしにはこの「X5W7896」という精子しかないと彼女に見せる。
幼少期はどうであったか分からぬが、現在は明らかに異常である。サイコ女だ。

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ベネディクトは自分が貸した部屋に戻って来たソフィを捕らえ、母親のアトリエに連れて行き、両足を骨折させプールに投げ込もうとした。
そこへようやく初動の過ちに気づいた警察が、彼女を助けに来る。
とは言え、彼女がスマフォで連絡して場所を特定できたのだから、ホトホト頼りにはならない。
何とかギリギリのところで助けられるが、自慢の脚はちゃんと治るのか、心配になってしまう。

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ヒロインの女優にはとても好感がもてた。この女優はもっとクローズアップされないと、、、。
何と言うか佇まいが素敵なのだ。どんな役をやっても品格ある感じの女優だ。
それには有名監督の最初から話題に乗った映画に出る必要があるか。
この映画はなかなかよく出来てるし、しっかり取り上げられればこの女優もよくお目にかかるヒロインの一人となるはず。




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ゴーストランドの惨劇

INCIDENT IN A GHOSTLAND001

INCIDENT IN A GHOSTLAND
2019年
フランス,カナダ

パスカル・ロジェ監督・脚本


クリスタル・リード、、、ベス(妹)
アナスタシア・フィリップス、、、ヴェラ(姉)
エミリア・ジョーンズ、、、10代のベス
テイラー・ヒックソン、、、10代のヴェラ
ミレーヌ・ファルメール、、、ポリーン(母親)


題名は作家志望の妹が自身の怪奇体験談を執筆した本の題である。
自分がその災難に遭っている最中に夢想の中に退避して書いたものと謂えるか。
(ラブクラフトに称賛されていたりして、つくづくめでたい)。

この監督の映画は以前、「MOTHER マザー」というのを観ている。
何とも言えない映画であった。

INCIDENT IN A GHOSTLAND002

これは、お化け屋敷映画である。
筋立てがどうのというものではなく、ただドーンと怖いのが絶妙のタイミングでやってきて驚かす。
これの連続で見せる。
気合の入ったものだ。
大したもの。

只管、怖がらせる。
それに耐えられない精神が幻を見せ、その対比でまた怖がらせるのだ。
確かに怖い。
特にホラーに弱いわたしには効いた(笑。

INCIDENT IN A GHOSTLAND003

寂れた街にある叔母の家を相続し引っ越した母と双子の娘の3人家族。
街道で出逢ったキャンディ売りのトラックの異様な姿の男2人が突然、家に乱入して襲いかかる。
魔女の姿の冷酷な男と獰猛な巨漢だ。
どう見てもコミュニケーション可能な生き物には見えない。
逃げ惑うが、母は惨殺され娘二人は顔が歪むほどに殴られる。
余り怖いものだから、ラブクラフトを崇拝する妹の方は、完全に白昼夢の中に逃避してしまい、自分が新進気鋭のホラー作家として成功を収めた世界に閉じ籠ってしまう。ラブクラフトの肖像を前にずっと語り掛けている始末。
姉の方は、その間も殴られボコボコにされて悲鳴をあげている。
(妹の煌びやかな妄想と悲惨極まりない闇の現実がクロスカッティングされ展開する)。

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その二人の男たちの素性はおろか、彼らがことばを交わす場面もほぼ見られない。
一体何者なのか、、、。
ただ、二人が実在し母を殺し娘たちを監禁して暴力を振るっていることだけは確かな事実なのだ。
何か人の仕業というより超自然的な災害か獣の被害に遭ったみたいな、、、。
途中、3人が立ち寄った店で見た新聞記事に載っていた一家惨殺犯人がそれであろう。
飛んでもない輩に掴ってしまったものだ。

敢えてこの二人組から人間性の欠片も排除することで、恐怖と緊張を増す演出効果をあげているのだろう。
(しかしこうした関係性はわれわれの身の回りに広がっているのは確かである。道ですれ違うモノの目が名状し難い存在に邂逅してしまったという半ば凍結したような目付きであったりすることが少なくない。互いが互いにとって不安と恐怖と憎悪を掻き立てる関係性はいよいよ高まっている)。

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それにしてもこの妹の白昼夢~妄想癖は、かなり強力であった。
途中、ホントに作家として成功した妹が姉と母を残した家に戻ると、過去のトラウマでボロボロになって未だに苦しみ踠く姉と気丈に振舞う母が自分を迎え、成功を称えてくれる場面などそのまま受け取ってしまったものだ。
それ以前に、母が二人を攻撃して撃退しているようなシーンもあった。
現実をシャットアウトし合理化する、なかなか都合の良い能力である。

そこにいてそこにいない(しかし現実に肉体的に存在する為、ボコボコにはされるが)。
完全に逃避~疑似空間にこころは閉じ籠ることが出来る。これも精神崩壊から心身を守る防衛機能ではあるが。
小説家向きの資質と謂えるかも知れぬが、現実に相対する意志力がないとなると薄っぺらいファンタジーくらいが関の山では。
作家とは本来、現実を克明に描き切ってその結果として超現実的空間を析出するものだ。
カフカが良い例。
この妄想癖が創作に繋がるかどうか、、、微妙。

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夢(妄想)と現の交錯がとても効果的にクロスしていた。
恐怖と不安もだが、とても虚しさの増す演出であった。
それからこの叔母から引き継いだ家だが、夥しい数の不気味で古い人形ばかりころがっていて、わたしなら直ぐに逃げ出すような空間であった。アンティーク趣味なのだろうが、なにより埃っぽい。
潰して新築だ。




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ガール・イン・ザ・ミラー

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LOOK AWAY
2019年
カナダ

アサフ・バーンスタイン監督・脚本


インディア・アイズリー、、、マリア/アイラム(女子高生)
ミラ・ソルヴィーノ、、、エイミー(マリア/アイラムの母)
ペネロープ・ミッチェル、、、リリー(幼馴染)
ジェイソン・アイザックス、、、ダン(整形外科医、マリア/アイラムの父)
ジョン・C・マクドナルド、、、マーク(マリアをターゲットに虐める)
ハリソン・ギルバートソン、、、ショーン(リリーの彼氏、後にマリア/アイラムの恋人)
クリステン・ハリス、、、ナオミ
キエラ・ジョンソン、、、ジニー
マイケル・バーンスタイン、、、クラウディア

LOOK AWAY、、、意味深。

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噺自体はよくあるパタン。
ヒロインがなかなか毒と狂気を孕む雰囲気が出せ魅せてくれる。
この女優のお陰で観きれた面はあるか。
キャスト全員役には嵌っていた。

双子の片方が死産だったのか。いやどうやらその姿を見て捨てられた子らしい。
マリアが自分が双子で生まれたことを知った時から、鏡(媒体)にアイラムという同じ顔の別人格が現れる。
自分のかつての片割れが無意識的に自らの抑圧し隠蔽した本心の代弁者として現出したという判り易い設定。
マリアは家庭では出来損ない扱いをされ、学校では美人なのに虐められるという「キャリー」そっくりの境遇に甘んじていた。

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毒親から幼年期~少女期に受けた精神的虐待、更に学校での虐めによるトラウマとストレスの蓄積も大きく、一度外に噴出すればかなり危険な事態を引き起こしかねない。
特にこの少女はこのアイラムを外部の特異な存在~死んだ双子の片割れとして実体化して観ている為、猶更コントロール不能状態となる。
無意識が自立したらそれは恐ろしい。多重人格ともなろう。

案の定、鏡(の儀式)を経て入れ替わった人格は、人間的な~規範の中での~節度ある仕返しではなく、直接殺害に及んでしまう。所謂、アイラム側に規範など存在しない。
元々、人間~父に選別され排除された存在なのだ。
「何故、わたしを愛せないの」と言って、父の首を斬る。
この行為は神話や伝説空間の物語のものと同質であろう。
いつもうわべの取り繕い、美しさばかり口煩く、誕生日のプレゼントに整形を勧めてきた父である。
ありのままの自分を認めてくれたことはない(しかもアイラムの方は醜さから捨てられたようだ)。

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自分の引き立て役くらいの意識でマリアと接しているリリーを、アイラム人格が氷上で睨みつけ追い詰める様子は、鬼気迫る呪術的なものであった。
結局彼女は必死に逃げているうちに倒れて縁石に激突し死亡する。これについては不可抗力の事故で扱われるものであろう。
リリーの不在により、以前から好意をもっていた彼女の彼であるショーンとは心置きなく大胆な恋愛が可能となった。
しかしそれ以外のマークの脚への殴打やショーンの頭の殴打、父の喉を切る行為は明らかな害意~殺意による故意になされたものである。
父を殺した後、マリア人格は消滅したようだ。
横暴な抑圧者によって生まれた人格がマリアであれば自然消滅ということか。

このアイラムはこの後どうするのだろう。
ママのベッドに入って添い寝していたが、このままでは済むまい。

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ヒロインのインディア・アイズリーはオリヴィア・ハッセーの娘だそうだ。
そう言われても残念ながら、特別の感慨はないのだが(笑。確かに面影がありその気で見ればよく似ている。
よい女優であることは、この映画でよく分かった。
他の映画でも期待したい。

LOOK AWAY003

父役のジェイソン・アイザックスがこの物語の緊張感を保つ役割をしっかり担っていた。
非常に厳格な不気味さを感じる好演であった。


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あなたと私の合言葉 さようなら、今日は

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1959年

市川崑 監督
久里子亭 、舟橋和郎 脚本
久里子亭 原作

若尾文子 、、、青田和子(カーデザイナー)
京マチ子 、、、市毛梅子(老舗料理屋のやり手の経営者、和子の親友)
菅原謙二 、、、渡辺半次郎(会社員)
佐分利信 、、、青田伍介(元欧州航路の船長、和子の父)
野添ひとみ 、、、青田通子(スチューアデス、和子の妹)
川口浩 、、、片岡哲(クリーニング店アルバイト、夜間大学生)
船越英二 、、、市毛虎雄(梅子の義兄)


ホントに小津映画みたいだった。カメラワークなど特に。
形式を巧みに踏襲しているが内容(テーマ)も小津の世界に似せているから笑った。
少しセリフの喋り方などに誇張が感じられもするが、監督が愉しんで撮っている感じが伝わってくるような。
佐分利信など小津映画に出ている時とほぼ一緒だ(笑。
途中までパロディとして面白がって観ていたが、、、
一本の映画として、よく出来ていて充分愉しめる。
流石に器用な監督だ。
全体としてコミカルで、キャストも若尾文子の映画に馴染みの達者な人ばかりで、セリフのやり取りも軽妙。
とても魅せる。

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若きカーデザイナー。若尾文子のこれまで見た役では一番素敵な役であった。
眼鏡のちょっとサイボーグ風のできる女。大変凛々しい(ちょっと天然)。
実際に車のデザインをしているところやプレゼンをしているシーンなどが少しでも入っていたらもっと素敵では。
贔屓の京マチ子先生も関西弁をまくしたててずっと和服姿でシャキッとしており、わたしとしては文句なし(笑。
滑舌が素晴らしく、よく喋りまくる(昨日の心は強いが奥床しい奥方とは対比的に)。
佐分利信は小津映画からコピー&ペーストしてきた感じであった。
とても味のあるお父さんだ。
川口浩の役はとても合っていた。これまで見た彼の役の中では一番まともな人である。
船越英二は珍しく三枚目役であったが、コミカル面をしっかり支えていた。

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この映画、女性陣がやたらと粋が良く、男性陣を圧倒し、結局彼女らのペースで流れてゆく。
こんなにすんなり、和子の許嫁の半次郎と彼女の親友の梅子が結婚してしまうとは思わなかった(笑。
和子は半次郎に気が無い訳ではなく、父と離れられないことに、何かと合理的な理屈をつけて誤魔化している面は大きい。
(勿論、仕事も精力的にやっているが)。
そんな父娘の関係も丁寧に描写されている。
父にとり和子は、家事全般を熟してくれる亡き妻の替わりでもあり、幼いところの残る妹の世話役でもあり、父の相談役でもある。
自分が嫁いでしまうと父一人では何も出来ないことから家を離れられないでいるというが、父離れ子離れの問題であろう。
実際上の仕事というより精神的な繋がりが大きいことが後半よく分かって来る。

結局、結婚など眼中にない、仕事が全てみたいなことを力説していた和子と梅子であったが、梅子は和子の許嫁の半次郎に強引に言い寄り結婚してしまい。和子に熱を上げていた哲は、通子に強引に言い寄られこの妹の方と結婚することに。
(実生活では、川口浩と野添ひとみはこの後、結婚したそうな)。
和子は、子離れ(娘離れ)を決意した父の意を酌み会社の勧めを受けアメリカ転勤を決める。
この辺の家族(恋愛~自立)関係は小津と微妙にズレるような、、、。

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女性たちが自分の意志を通してゆく様が描かれていて清々しい。
男性の方も結果オーライみたいで、、、これから頑張りましょうというところか。

この家族劇、まさに小津映画の神髄であり、最後は小津映画とも異なるヒロインの自立と旅立ち~解放で閉じたが、見事な換骨奪胎ではないか。
優れた(コミカルな)オマージュ作品となっていると思う。

若尾文子主演の映画では一番好きだ。


AmazonPrimeにて









地獄門

Gate of Hell001

Gate of Hell
1953年

衣笠貞之助 監督・脚本
菊池寛 『袈裟の良人』原作
芥川也寸志 音楽
和田三造(画家) 色彩指導

長谷川一夫、、、盛遠
京マチ子、、、袈裟
山形勲、、、渡辺渡
黒川弥太郎、、、重盛
坂東好太郎、、、六郎
田崎潤、、、小源太
千田是也(、、、清盛
清水将夫、、、信頼


日本初の総天然色映画とのこと。
和色の再現に力が入っていることは頷ける。
演出の工夫も目立った。

物語は、平治の乱から始まる。
平氏政権が敷かれてゆく中での理不尽で悲惨な出来事が描かれる。

所謂「袈裟の良人」が主役なのか?確かに人格的に出来た人であり、とても哲学的な思索者だと思う。
だが、それより妻の袈裟の自己犠牲的な愛。この形でしか自分の信じるところを貫けなかったその悲劇の方に感情は傾くが、、、
いや感情的には寧ろ、盛遠というドでかい赤ん坊みたいな奴へのイラつきだ。あり得ない暴虐の限りを尽くす。
と謂うより、精神異常か?最初に見初めた時は人妻と知らなかったにせよそれが分かった時点で身を引くのは当然であろうに。
この盛遠という男、最初は主君に仕える武士としては鑑のような男に見えたが、その実、飛んでもないバカであった。
つまり、この物語は恐ろしく手前勝手で欲望のコントロールの効かない3歳児がそのままデカくなったような粗暴な虚けが主人公なのだ。
この男が事態を動かしていることは間違いない。この男に悉く振り回されて物語は展開する。
映画を観ながら、こいつ早く殺されろと願っているようなケースはなかなかない。
結局、飛んでもない罪を犯しながらも生きている~生きて行く。
許せない(笑。

Gate of Hell002

袈裟の旦那の人格者振りも徹底しているが、この内省的な思考ってこの時代にやはり可能であったのか?
どうなんだろう、、、。
妙に気になった。
内面というものの存在に関してである。
そう最後の最後に、盛遠にも大きなトラウマの代償として内面化が生じたが。
もののあわれをしることとなる。
そう無常観か、、、。

しかし侍がどのように受け取られたか甚だ疑問がある。
それから清盛も下衆っぽい。
女性がこれでは、余りに哀れである。

オスカーとパルムドールの受賞って、映像美(色彩)とエキゾチックな衣装、習俗や所作に向こうの人が魅せられたのか。
何とも言えない映画であった。











十代の誘惑

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1953年

久松静児 監督
須崎勝弥 脚本


若尾文子 、、、月村光子
江原達怡 、、、大井晴彦(光子の彼氏)
夏川静江 、、、月村はる江(光子の母)
山本富士子 、、、川上先生
菅原兼二 、、、有川先生(光子の担任)
青山京子 、、、辻勢津子(小説家志望、クラスメイト)
北林谷栄 、、、大井千代子(光子の母)
千田是也 、、、大井敬蔵(光子の父)
南田洋子 、、、宮下弘子(入院中のクラスメイト)
菅井一郎 、、、善三郎(大井家の使用人)
船越英二 、、、青木


「十代の誘惑」って何?
要するに、「あの二人は怪しいぞ~、やーい、やーい」の噺が噂として興味本位で大きくなったというもの。
(確かにお互いに意識し合っていて、ぎこちない関係ではあったが)。
オマケに変な嘘っぱち記事をローカル新聞で公表されて。
でも名誉棄損の事件として迅速に対応すればよいではないか。
サッと全て津子のせいなのと言ってしまえば、それで取り敢えずは解消するくらいのもの。
だが、自殺まで考えるほどに深刻になったりする(笑。光子がやたらめそめそしたり、晴彦がヒスを起こしたり、、、
何だかやけに平和なピンボケ物語なのだ(笑。

家が貧しい光子は勢津子宅から修学旅行費を出して貰う代わりに何をしでかすか分からぬ勢津子の監視役を頼まれる。
案の定、旅行先の電車の中で偽学生にたぶらかされ、夜に怪しいところに連れて行かれる。それを尾行しすんでのところで阻止した光子と晴彦であったが、その為に宿に帰るのが遅くなってしまい、二人の噂が立てられる(勢津子はちゃっかり先に帰っている)。
光子としては勢津子のせいだとか謂えない立場に悩む。その間にひたすら噂は大きくなって広まってしまう。
二人はいよいよ好奇の目で見られ居場所に困るようになるが勢津子にとってはまるで他人事である。
そしてまたしても勢津子は偽編集者につかまり、小説を出して貰えるということで、光子と晴彦のありもしない異性交遊を書いた原稿を渡すのであった。
それを持って男は学校にゆすりに行くが、有川に追い出された腹いせに新聞社にそれを売り、センセーショナルな記事にされてしまう。これに学校関係者は親も教員も大慌てでパニックになり、二人を責めたてることに。味方は有川先生と川上先生くらいか。
有川先生はなかなか頼もしい。光子の母もしっかり娘を信じている。これは立派だ。

しかし、何とも書くのもバカバカしい他愛もない噺ではある(笑。
何かというと「エリーゼのために」が流れまくるのも異様に陳腐。
暫く長女のピアノでずっと聴いて来たから、このBGMはキツイ。
物凄くくどいのだ。いい加減にしてくれ。というほど(爆。
オマケに晴彦がピアノでエリーゼをまたヘラヘラと弾き始める。
もう「バカ!」が、彼の御得意の台詞。このナヨっとした風情は嫌いではないが、、、微妙な線を行く役者だ。

辻勢津子はどうみてもサイコ娘だ。小説家志望の想像力豊かな夢見る少女とかいう生易しいものではない。
軽佻浮薄で全く考え無しに行動しその後のしりぬぐいを全て人にやらせて知ったことではないという娘。
そして自分の世界にどっぷり浸かり完結する危険な奴だ。
こういうのと付き合ったら大変なことになる。
自分の趣味の世界~つまらぬ小説書き~に没頭している間、周囲が全く見えていない。

光子は唯一の相談役の宮下弘子が病死し、嵐の海で自殺を図ろうとするが、、、
晴彦がピッタリのタイミングで現れ、彼女を正気に戻して一夜をこれからは前向きに頑張るわよと励まし合って過ごす。
新聞記事を読んだ辻勢津子は漸く自分のやったことの重大さに気づき、彼女を含め関係者で二人を迎えに行く。
最後はハピーエンド。何故か皆でよかった、よかったと、、、誤解はすんなり解けたと、、、
何ともどーでもよい噺で映画を作ったものだ(笑。
若尾文子が勿体ないが、彼女が出ていなければまず見る人はいないであろう映画であった(哀。
わたしは特に若尾ファンでも何でもない為、寧ろ江原達怡演じる晴彦を楽しんだ。




AmazonPrimeにて




安珍と清姫

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1960年
島耕二 監督
小国英雄 脚本

市川雷蔵、、、安珍
若尾文子、、、清姫
浦路洋子、、、桜姫
片山明彦、、、友綱
毛利郁子、、、早苗
毛利菊枝、、、渚
見明凡太郎、、、清継
小堀阿吉雄、、、道覚
荒木忍、、、増全
南部彰三、、、義円
花布辰男、、、佐助
小松みどり、、、女陰陽師


「安珍・清姫伝説」というものがあるそうだ。
修行僧、安珍と自分のこころのままに生きようとする清姫との壮絶な悲恋物語である。

紀州道成寺にまつわる伝説であり、かなりおどろおどろしい御話である。
浄瑠璃や歌舞伎で有名で、これはその映画版となる。ストーリーはアレンジしているようだが、、、。
やはり全体に舞台劇の雰囲気であった。
修行僧・安珍が、真砂の里で清姫に出逢ってしまったことから始まる。
しかし感心したのは、この時代に自分の思いのまま振舞える女性がいたということだ。
(姫という立場にあっても、そうは容易に出来るものではなかろう)。

激情の恋物語であるが、ここまでやってくれれば、文句なし。
これまでに観た若尾文子の映画では最も思い切ったヘビーなものに思えた(蛇にもなるし)。
若尾文子の魅力が遺憾なく発揮されていたと謂えよう。
市川雷蔵も忍者よりこちらの方がずっと似合っている。

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安珍はあやかしに憑りつかれているみたいなことを祭りの夜、女陰陽師から唐突に言われるが、、、。
そのあやかしとは、僧にとってのそれである。僧を捨てれば最愛の人に他ならない。
月夜の温泉の光景など、セットであろうが、幻想的で艶めかしく美しい(キッチュではあるが)。
若尾文子が全裸で湯に浸かって来るのだ。度肝を抜かれる安珍。
ここでは女の性がよく表されている。エゴイスティックで残酷な性が。その為に安珍は傷を癒していたのに、トラウマになる。
混乱を極めた彼は、煩悩に苦しみながら逃げ出し彷徨い続ける。
神仏に仕える身でありながら女性に恋をするなど、、あってはならぬこと、、、
(僧を辞めてはダメなのか?この辺から度々道覚和尚が見るに見かねて目立たぬ格好でアドバイスに訪れるが)。
BGMも雅楽もあればクラシックのオーケストラも入り、、、
挿入歌もオペラ調で、彼と清姫の葛藤に寄り添う。
絵~演出も構図や突然の強風など工夫がある。
時折入る二人で舞を舞う幻想が可愛らしい。

安珍が滝に懸命に打たれ煩悩を祓おうとすれば、清姫は琴で欲望を解放し伝えようとする。
恐ろしいこの空間を超えた駆け引き。
清姫に思いを寄せる友綱が思いの外、人格者であることも何とも言えない、、、。
また父、清継もこの時代に珍しいリベラルな人格者である。
周りの付き人も僧も含め良い人ばかりで、、、。
そうであっても身分、境遇の異なる者同士の恋を実らせることは、内面的に難しい。
結局、自分のこころが難しくしているだけなのだが。
(安珍の周囲を巻き込む恐るべき独り相撲でもある)。

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最後は鬼気迫る迫力。
信仰を取ろうと女を取ろうとどちらも恥ずべきことではない。己のこころのままに進むのじゃ。
それも仏の道。行くがよい。
悟りを開いた道覚がそういうのである。それで良いのだ。
しかし道覚の教えに覚醒し自らのこころに従った時にはもう遅かった。
川に身を投げた清姫が大蛇に変化して道成寺にひたひたと迫り来る。
安珍は清姫に会おうと飛び出そうとするが、相手はすでに身を投げた女、周りの修行僧一同が彼を留める。
そして悪霊から守ろうと、大きな鐘の中に彼を閉じ込めるのだ。
皆で経を唱えるが、そこに恐ろしい形相の清姫が現れ、僧たちは成す術もない。
完全にオカルト映画である。
(しかしこの時期のVFXによく見られるチャチな感じの特撮ではなく、生々しくリアルで集中が途切れることはない)。
やがて彼女は大蛇の姿となり鐘に纏わりつき口から火を放つ。

命は助かった安珍が目を覚まし清姫を探して川に行くと、辺に倒れた姫の亡骸があった。
わたしは何と言うことをしてしまったのか、、、慟哭する安珍。
確かに中途半端であった。
自分のこころに忠実に従っていれば、どうするべきか直ぐに答えは出たはず。
これからは、姫の成仏を祈りずっと姫と共にいよう。
それもひとつだが、生きて共に居た方が良かったとは思える。
悲恋物語にはならぬが(笑。







「TEIHEN」決定戦

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面白いモノを観たい!と思ったなら、、、いや、爆笑したいのなら。

コメディ映画や生半可なお笑い番組を観てもいまひとつと感じていたなら、断然坂道系の企画ものである。
こっちを見る方が百倍笑える。
「乃木坂工事中」の「TEIHEN」決定戦を見て腹を抱えて笑い転げた。いや、のたうち回った(少し危険)。
ミルクボーイは確かに面白いが、破壊力では断然こちらである。
向かうところ敵なしの破壊力。
もう息が出来ないほどに笑った。

この完結編では「粘土細工」、「三輪車」、「絵心チェック」というのを披露するのだが、想定外なんてものではない、奇想天外、空前絶後の作品とパフォーマンスが堪能できる。予選を行い、そこから選りすぐりのメンバーが決勝戦に出場する。最下位から4人ずつ選ばれるみたいだ。

この面白さは、別にそれを狙ってやっているわざとらしいものではなく、本人が真面目にやっての結果が人を唖然とさせ不気味で不安にさせるズレなのだ。ズレそのものなのだ。そのグロテスクな空気が何故か爆笑を引き起こす。この化学変化については、そのうち考えてみたい(今は笑いこけて脱力状態なのだ)。

粘土で作ったカエルがどう見ても奇妙な亀でしかない。いや、潰れたようなプードルにもなってしまい、やっとカエルが現れたかと思ったら思いっきり気味が悪かったりして、、、。いくちゃん作のカエルの舌が思いっきり長くて気味が悪いのだ。
作品が披露されるたびに、会場からまず悲鳴が上がる。そしてわが目を疑う表情で恐々作品を見つめる。
顔をしかめながら作者の説明を聞いて、笑いが巻き起こり、MCの突っ込みで手を叩きながらの大笑いとなる。

三輪車は、、、何で三輪車なのかそれ自体訳が分からないが(笑、、、エントリーした4人皆がスタートの合図で出走できない。
全く前に漕ぎ出せないのだ。それでMCが一旦休ませ、仕切り直させる。
そうしたら、いくちゃんがこともあろうに隣レーンの山下さんの前に回り込んで行き、巻き込み事故を起こすのだ。
山下さんは倒れ、いくちゃんはそのままコースを大きく外れ、、、ここでスタジオは大盛り上がり。拍手喝采。
そのままいくちゃんがコース相当の直線距離を走破したことでゴール(笑。それに続き2人が何とかヨレヨレとゴール。
北川さんがひとり収録時間を心配するMCによりゴール寸前でカタツムリよりゆっくり進んでいる彼女に「もう帰ろ」と、競技を終了させる。ここでも大笑い。北川さんも持ち味を充分発揮した。

そして極めつけが恒例の「絵心チェック」である。
これまで何度、笑い死にしそうになったか、、、。
今年も早くもこれが見られる。いやでも期待は膨らむが、毎回期待を遥かに上回ることが約束されている。
坂口さんは今回も孤絶した、それはシュールな世界を確信をもって展開しており安定度は抜群であった。
もう涙の出るほど不気味な面白さである。最初のテーマが「らくだ」であったが、MCの言うように何がテーマであったか最初からすっ飛んでいる。「北欧の画家の作品みたい」というMCのコメントがよい。確かにこういう絵を描くシュールレアリストはいる。
そしていくちゃん(この才能のかたまりみたいな女史が必ずこういう場で活躍しているのがウケる)が、描いた三つコブラクダには悲鳴が上がり皆が眉に皺を寄せる不気味さときた。口がともかく怖い。カエルも口が不気味であったが、彼女の絵は口に特徴がある。今回も凄いものを二発も喰らった。
そして与田さんのラクダが極めつけであり、これに勝てる相手はどこにもいないと言ってよい出来栄えであった。
これは作品を見なければ話にならないが、もう狙ってもここまではプロでも描けないものだ。
狂暴、狂気、狂態がアマルガム状になったラクダである。MCが「おれがラクダだ~!」と盛り上げ、カオス状態になる。

第二戦目のテーマが「ゴリラ」であったが、ここでも坂口さんがキュビズムの手法を思わせるピカソばりの作品で皆を恐れ戦かせる。
そして堀さんである。彼女の描くラクダもゴリラも虚無的表情の人面なのだ。MCに何で人の顔なの?と聞かれ「ラクダとかには興味無いんです」という答え。元も子もない。こんなのが動物園にいたらこわいよなあ~と言っていたが、間違いなく底知れぬ恐怖を撒き散らすに違いない。
大笑いにはまず、日常の地平を破る恐怖や驚愕の爆弾が必要なのだ。その上に何とも言えない気を引く可愛さや滑稽さが乗ると、もう持っていかれる。
ここでも与田さんのゴリラが手の付けられないお馬鹿丸出しの様相を呈していた。ラクダよりも何の動物か分かるけど頭悪そう~と言われ、これでリベンジ出来ましたとすまし顔で返す。MC二人から間髪入れずに「全くリベンジになってない」ときっぱり言われる。

ずっとざわついている中で、「TEIHEN」決定戦の優勝者が言い渡される。いくちゃんと与田さんであった(爆。
「みんな細かい仕事とかあったら、この二人にやってもらいな」とMCに言われ、笑いの中で終わり、、、。

恐怖にグロテスク、そこに絶妙な可愛さが加わり、日常の文脈の一瞬の破壊~爽快さに繋がる。それは浄化でもあると感じられる。
笑いによって毒を放出する。
わたしにとっては宗教的儀式に等しい。

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ここでつくづく思ったのが、形体認識~把握の難しさである。やはり日頃、記号的(言語的)な操作で生活している為、いざそれを情報的に大きく上回る形体として掴みなおそうとするともうにっちもさっちもゆかない。それを星野さんが自分の言葉で述べていた。堀さんの言う、興味がないというのもそれを裏返した答えでもあろう。与田さんは普段からカエルを手で触っていた為、カエルの造形では特別リアルなものであった。それでも底辺女王になってしまうが(笑。

櫻坂の「センス女王決め」もとても面白く、大いに笑えたが優れた作品に感動もした。
ことばのセンスが磨かれた女史が多いことが分かる。
事象に対し形体ではなく意味の関係性~繋がりにおいてかなり敏感であると感じた。


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忍びの者新・霧隠才蔵

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1966年

監督 森一生
脚本 高岩肇

市川雷蔵 、、、霧隠才蔵
藤村志保 、、、あかね(くノ一)
楠侑子 、、、弥生
田村高廣 、、、風魔大十郎
千波丈太郎 、、、鴉佐源太
五味龍太郎 、、、島律家久
内田朝雄 、、、音羽弥藤次
佐々木孝丸 、、、天海僧正
小沢栄太郎 、、、徳川家康


たまたま観たものがこれであったが、「霧隠才蔵」ものは沢山あるようだ。
調べたら、これはシリーズ第7作目のものだと、、、。
「寅さん」までは行かなくても凄い人気シリーズなのか?
これまでこの手のものはほとんど見て来なかった為、新鮮であった。
この作品がシリーズ中でどのような位置ににあるのかも分からないが、以前のものを見ていなくてもこれ一作で楽しめるものになっている。前後関係など気にする必要は感じない。
市川雷蔵はどちらかと言うと顔を隠さない侍の方が似合う気がするが、これも堂に入っていた。
藤村志保とよく組んで出演しているように思う。

大阪夏の陣が終り、家康は既に将軍職を秀忠に譲っている。
しかし実権はまだ家康の手中にあり駿府の居城に籠って指令を出しているが、すでに病気がかなり進行していた。
自分の死後の支配体制に関して事細かく天海僧正などの側近に伝えている。
(外様の支配の為には人質を取るか縁戚関係を結ぶことなど、、、)。
そして家康は伊賀忍者をその信念の強さから殊の外恐れていた。
この物語は、霧隠才蔵の属する伊賀忍者と風魔忍者との決戦を描いたものである。
痛快娯楽ものに入る映画であろう。

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主人公の霧隠才蔵はとても強いが、途轍もなく強いと言うほどでもない強さで、リアリティがある。
彼のお仲間の忍者はかなり簡単に敵の風魔の忍者に倒されてゆくが、力の差がちょっと大き過ぎる気がした。
(風魔というのは、甲賀の忍者だな)。
伊賀忍者はこれと言った忍法を使ったりしないのか、、、
(実はわたしは、荒唐無稽な忍術を期待して見始めたのであるが、、、もっと地道で硬派な映画であった)。
煙幕とか手榴弾みたいなものや手裏剣は使っていたが、少なくともお仲間の伊賀忍者はほとんど何もせずにバッタバッタやられていた。
共に、敵対意識は大変強く、今回家康に伊賀忍者の殲滅を依頼されこれを好機と見て風魔は30人の総勢で乗り込んできたと言う。
何でも風魔は源氏の血を引き、伊賀は平家の血を引くということから根深い敵同士であるそうだ。
殺されると首は晒される。才蔵はそれを回収して弔っている。

伊賀の地面の下に掘られた秘密のアジトは、まずまずといったところか。
子供時代にあんな秘密基地があったらさぞかし楽しかっただろう、と思う。
今も自分だけの秘密基地は欲しい。ロマンである。
今度、改築するようなときは、是非自分だけの秘密の部屋を作りたい(無理か?)。

余り変わった飛び道具や仕掛けもなく、風魔の火縄の術と城の吊り天井くらいであったか。
あかねと弥生の女性陣は、スパイとして活躍している。
才蔵は家康を討つ前に彼は病死してしまい、どうするのかと思ったが、まずは一人で風魔を全滅させに敵のアジトに乗り込む。
この映画の見どころと言ってよい最後の死闘の場面はそれなりに楽しめるが、、、
敵統領の大十郎がひと際強そうであったが、最後はちょっと呆気なく終わってしまった。
実際、闘いとはそんなものであろう。
才蔵のスタミナには感服である。

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そして休む間もなく、一人走って秀頼を討ちに行く。
無謀な戦に臨まんとする彼の姿に虚無感が漂う。


面白かった。
また、このシリーズ観てみようかと思う。










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処刑の部屋

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1956年

市川崑 監督
和田夏十、長谷部慶治 脚本
石原慎太郎 原作
増村 保造 助監督

川口浩、、、島田克巳
若尾文子、、、青地顕子
宮口精二、、、島田半弥(胃の具合の悪い銀行員の克巳の父)
岸輝子、、、島田はる(克巳の母)
梅若正義、、、伊藤
中村伸郎、、、茂手木教授
平田守、、、吉村
川崎敬三、、、竹島


狂った果実」も演者は、かなりいまいちだったが、脚本~演出の骨組みは面白いものであった。
こちらは、「妻は告白する」で大変印象の悪い(飽くまでも役柄に対して)川口浩がまた若尾文子と主演をはっている(こちらの方が古い作品だが)。
まあしかし、ここではただの反抗的で虚しい悪ガキである分、分かり易い。相変わらず印象は最悪だが。
若尾文子がとても若い凛とした女子学生である。
ぼんやりしたモノトーン画面だが展開はシャープであった。
監督は原作をモチーフに淡々とスタイリッシュに撮っていったものであろう。
(乾いた感触で、速度感はある)。

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吉本隆明は下部構造より上部構造が本質であり、上部構造が下部構造を規定すると論じていたが。
ゼミで若尾文子も寧ろそちらに近い立場で論じていた。人間とは要するに観念の動物である。ここの捉え方において。
正面からのショットが意志の強さを見せている(この撮り方ゴダールっぽい)。

それにしても島田克巳のグループ、どういう集まりなのか。
気色悪い。
ダンスパーティーばかりして金勘定していて何なんだ、、、。
野放図に振舞いながら決まって親元に戻りちゃっかり甘えている。
「やりたいことをやるんだ」、「俺は生きるんだ」。
そもそもこの男にとってやりたいことって何だ。生きるとは何なのか。
単に無軌道に衝動的に暴れているだけにしか見えないが。
アドレナリン大放出の無軌道な乱闘とレイプ犯罪と来た。
(何故、青地顕子は訴えなかったのか、、、卑劣にも酒に睡眠薬を混ぜた上でである)。
何を偉そうにして、おれはやりたいことをやっている、お前たちもやってみろ、などと得意気に謂えるのか、、、
一体何をしたというのか、、、犯罪行為だけだろ。
尖って突っ張っているだけで、、、意味不明。

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「太陽族」笑える。
~族ときた。
こんな狂態演じておいて、偉そうな口を叩く資格などどこにあるのか。
悉く神経を逆なでする態度で、反抗を気取っているようだが、やってることは犯行に過ぎない。
そして、森さんも呆れる女性蔑視集団でもある。
大学卒業後の進路や就職を前にして同じようなことをしていた仲間も去ってゆく。
それを軽蔑して、変わらないことに固執する。
これがこの男にとり生きることだと言うのか。
聞いて呆れる。「生きるとは変わること」と欅坂(現櫻坂)も唄っている通り、、、。
BGMや音楽~ドラムソロとかも耳障りであった。
これをキビキビとした展開の映画にしても、一体エンターテイメントとして成り立つものか?

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若尾文子のキリっとした表情が無ければ、こんな胸糞悪い映画到底観ていられない。
最後に顕子にナイフで太腿を刺され、痛いと呻きつつ足を引き摺りながら表に転げ出て、這いつくばって行くが、、、
微塵も共感するところが無い。
明らかに狙っていることは分かるが、形式を整えてもそれだけで納得は無理であろう。
カッコよい映画だった、などとまずあり得ない。
何と言うか、多少なりとも感情移入出来る登場人物が一人でもいれば違ったかもしれないが。
余りにやっていることが、幼過ぎ、卑劣過ぎるのだ。
アウトローだが気持ちはよく分かる、とか言う部分が微塵もないところでも受け入れ難いのだ。

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さらにこれを真似した犯罪が何件も続いたというのは、どういうことか、、、。
この世代もそんなところか。




AmazonPrimeにて、、、








遊び

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1971年

増村保造 監督
今子正義、伊藤昌洋 脚本
野坂昭如  「心中弁天島」原作

関根恵子、、、少女
内田朝雄、、、少女の父
杉山とく子、、、少女の母
小峯美栄子、、、少女の姉
大門正明、、、少年
平泉征、、、兄貴の子分
稲妻竜二、、、兄貴の子分
早川雄三、、、高利貸
松坂慶子、、、フーテン娘
村田扶実子、、、寿荘の老婆


これには驚いた。凄い傑作。スピリット~魂を感じる。
増村保造監督作品ではこれが一番好きだ。
(全部観たわけではない為、今のところ、、、だが)。

最初のあたりBGMが変。大門正明の台詞回しが大袈裟で声が大きいこと、関根恵子が素朴で若すぎることも気になったが、、、
関根恵子演じる17歳の少女と大門正明演じる19歳の少年の生活環境の過酷さ壮絶さは、どちらもよく伝わる。
彼ら二人にとり、家族が何より重荷であった。
(ライン作業の現場こ過酷さとか、キャバレーの仕事に関しては大変さを匂わす程度)。
二人とも自分のこの宿命に心底うんざりしており、逃避出来るならしたい気持ちで一杯でもある。
ちょっとしたトリガーがあれば直ぐにでもそれに縋りついてしまうほどに、、、。

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少年(チンピラ)は、兄貴にもっと取り立てて貰いたいがために、たまたま出逢った電気工の少女を貢物にしようとする。
気を引いて優しくするといつも辛い境遇の彼女は直ぐに懐いて付いて来るのだった。
映画を一緒に観て、ゴーゴー喫茶とか、バーとか彼女の知らない場所に連れて行くと、彼女の自暴自棄な気持ちもいつしか薄れ、彼にこころを許し始めていた。そして兄貴に彼女を差し出すために指定の宿に連れて行くが、余りに彼女が素直で純粋で可愛らしく本気で好きになってしまい、彼女を連れて逃げることに。
これがどれ程、危険なことかは二人とも承知の上である。
(実質、全て~仕事も家族も何もかも~を捨てることになる。これまでの関係性を裏切ることになる)。

僅かな持ち金で、タクシーを飛ばし海の見える豪華ホテルに向かう。
もうこの辺から二人に先の無いことがひしひしと伝わってくる。
(こういった恋人同士の追い詰められる逃避行映画はかなりの数あるが)。
男は彼女に対しおれはチンピラだと告白するが、そんなことは最初から承知の上よと返す。
何もかも嫌になって付いてきたけど、あなたが好きになりずっと一緒にいたくなったの、、、と。
彼女にとっても男にとっても初めて尽くしの一夜となり、確かな愛を確認し合いこの上ない幸せに二人は浸る。
この刹那を永遠の楽園のように楽しもうとする気持ちは、あくる朝には自分たちには何も残っていない悲壮な覚悟からも来ている。

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早朝、たった二人で叢に出ると、これまでに感じたことのない幸せに満ち足りた気持ちを暫し確認し合う。
(ここのシーンが好きだ)。
二人には、あっけらかんと、何もない。このまま逃げたとしても追っ手がやがて来るだろう。
岸には壊れた小舟が浮かんでいる(半ば沈んでいる)。
まさかとは思ったが服を脱いで、その浸水している小舟に溜まった水をあたかも、宗教的儀式のように体にかけるのだった。そして二人は小舟に乗り込む。
前方には海が開けていた。
だが舟が到底体重に耐えられぬことが分かり、木に掴って泳ぐ形で舟を押して向こう岸を目指すことにする。
日常の文脈から彼らは異様な強度をもって離脱を図るのだ。
無謀で現実性のない選択に見えて、二人にはそれ以外の道がなかった。

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こうした映画は、エンディングが大切だが、この非現実的な~裸になって壊れた舟を押して泳ぎ遥か彼方の向こう岸を目指すという~不条理な行為を何の躊躇もなく同意して始めるというこの有様に全てが収斂されてゆく。

とても魅力的な小品であった。
関根恵子と大門正明の熱演は素晴らしかった。
感動した。








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1964年

増村保造 監督
新藤兼人 脚本
谷崎潤一郎 原作


若尾文子、、、徳光光子(織物会社の社長令嬢、美術学校日本画コース)
岸田今日子、、、柿内園子(人妻、美術学校日本画コース)
船越英二、、、柿内孝太郎(園子の夫)
川津祐介、、、綿貫栄次郎(光子の婚約者)


KADOKAWAシリーズの1964年の作品
谷崎潤一郎は残念ながら全く読んでいないので原作は知らない。
柿内園子が語り部となりこれまでの彼女らの数奇な運命を先生(谷崎か)に騙って聴かせる形式で進む。

何ともエキセントリックな女性が二人でほぼずっと興奮して喚き散らしている状態で、途中からついて行けずに寝落ちしたりで、結構きつかった。
結局、どんな映画であったか、、、。
余り分かっていないが、また見直すのは気が重い。

わたしの場合、しっかり目を開いて観ていても、終わったところでほぼ全て忘れ去っていることも珍しくない。
この映画も、特に若尾文子の魅力が出ていたとは思えず、かと言ってカメラワークや絵作り、演出が特に面白いとも感じなかったし、ストーリーも何やら訳の分らぬものに思えた。演出はこの時代を考えれば無理もないが、ちょっとおとなしすぎる感もある。
この主要キャストの達者な芸の印象は残っているが(特に岸田今日子)、何をどう演じていたのか今やほぼ何処かに消えてしまっている(残。

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多様性が強調される時代の中で特にLGBTは積極的に取り上げられる機会も多い。
大変よいことだと思う。
この映画でも光子は自由奔放な性を愉しんでいたような。
単なるレズビアンではなく、綿貫とも男女の関係を普通にもっていた。
以前からわたしのお気に入りのロックミュージシャンなどにはそういう人は少なくなかったようだし。
解放された意識を持つ人ほど、率直に自分の性に従って健康的な生を送っていたように思える。

ここの部分は、単に自分の好きなようにやればよいのだ。
何も他人に気兼ねする必要などない。
他者と違うことから来る罪悪感を植え付けられる心配は無くなった。
それを批判したら、逆に非難される時代となって来ている。
(この原作が書かれた時代はまだ保守的であったが)。
この映画では、徳光光子と柿内園子は互いに愛し合っているが、独占欲が園子に強く、光子と綿貫の関係は許せない。
そして園子の夫である孝太郎は普通の人であり、とても素朴な拒否反応を示す。園子を当然のように責める。
綿貫は、皆仲良く光子は自分と園子の2人で共有しましょうというスタンスだ。ご丁寧に誓約書まで用意する。
孝太郎には想像もつかぬ狂気の沙汰としか受け取れない。

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4人いてもこれだけ志向がズレると色々とざわつく面倒なこととなる。
性に関しては特に根深く、固定観念も絡むと難しいところ。
客観的に第三者としては、どのタイプも人権レベルから快く認めることは出来ても、個人的にこの関係性のなかでの当事者となった場合、折り合いが容易に付けられるものではなかろう。
だからこういったこじれたドラマにも出来る(笑。
確かにこれをテーマとすれば、幾らでも噺が作れそうだ。

思考~観念的な価値観や判断から離れ、感情レベルの深い場所からの噴出の問題であり、その齟齬、軋轢、対立ともなれば、もう激しいぶつかり合いしかなく~修羅場か~ともかく煩い。
どうも若尾文子向きの役には思えないのだが。
岸田今日子の緩急自在な演技には感心したが。
船越英二などやられっぱなしである(笑。
川津祐介がそこに誓約書などの書類を挟み込んでくるのも奇妙でコミカルであった。

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終盤は、捨てられた綿貫の奸計に嵌り社会的に窮地に追いやられる3人がいた。
たかが世間体の問題であろうに。
孝太郎も彼女らの関係の輪に入っていたが、単に楽しむと謂うより嫉妬に苦しむ状況にあったようだ。
確かにこうした間には愛憎関係は必然的に生まれるだろう。
結局、(わたしがひと眠りした後であるが)孝太郎と光子と園子の3人で心中を図ることとなる。


3人で死にましょうと並んで寝て睡眠薬を飲むが、園子一人が息を吹き返して、語り部となる、という形であった。

演者の力でドロドロした感触は味わったが、眠気も誘った。



AmazonPrimeにて






妻は告白する

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1961年

増村保造 監督
井手雅人 脚本
円山雅也 原作
北村和夫 音楽

若尾文子、、、滝川彩子
川口浩、、、幸田修
小沢栄太郎、、、滝川亮吉 (医学部教授、彩子の夫)
馬渕晴子、、、宗方理恵 (幸田の元婚約者)
根上淳、、、杉山弁護士
高松英郎、、、葛西検事
大山健二、、、内海裁判長
小山内淳、、、浦田宏
村田扶実子、、、宮内恵子


昨日は、わたしの誕生日で、ただ飲み食いだけの一日となる。
ブログどころの話ではなかった(爆。


若尾文子(KADOKAWA)シリーズに戻し、、、この映画、何とも言えない暗くてねちねちした雰囲気で進んで行く。
何が原因かと思うと、幸田修である。
わたしが最も嫌いなタイプ。虫唾が走る男。独りよがりで正義漢を演じている馬鹿。
根源的欲望より道徳に拘るような糞屑。
(こう言う奴は淘汰されてゆかねばならない。多様性も芸術性のひとかけらもない輩)。

彩子は、医大教授の夫である亮吉と医薬品会社の幸田とともに登山中に遭難し、夫のザイルを切って自分と好意を寄せていた幸田が助かる。
この行為を巡り、計画性は無いにせよ故意に行った殺人か死の恐怖と苦しさから逃れる為の緊急避難に当たるかが裁判で問われることになった。
興味本位なゴシップで取り上げるマスコミ。
それに煽られ沸き立つ世間。
当然、彩子に対する風当たりは強い。

延々と続く裁判。
検察側の厳しい問い詰め。
暗く沈痛な雰囲気。
そこにニヒリスティックで刹那的で享楽的な要素もあり、音楽がとてもマッチしている。「女は二度生まれる」のBGMみたいに良い。
そして滝川彩子の一途の狂気の愛。若尾文子の迫真の演技が説得力を持つが、、、。
その相手が相手であった。

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世間の中傷に対し信じあって生きてゆけるか。
その試練など男にとって問題ではないという。
では何が問題なのか?
罪の意識なのである。
夫に対して潔白なのか、、、という。

この彩子の愛する男によって間に法が入って来る。
対幻想に法~共同幻想は相容れない。
そもそも罪とは何か。
絶対的な罪など存在し得るか?ここでも2人は宙吊り状態となる。

折角無罪となったものを、、、。
緊急避難の貴重な判例として弁護士にも喜ばれ。
死んだ夫が嫌がらせに入った保険金も手にし、
それを活かさない手があろうか。
しかし幸田はここに善悪を持ち込む。
あなたに殺意はなかったのか?、、、あったらどうだというのか。
ここでザイルを切るのは、彩子に命を助けられた幸田の方である。


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彩子の死んだ夫は一体、どういうつもりで彼女と結婚したのか。
まったく分からない。彼女のことなどお構いなく、薄給なのに酒を呑み惚けて趣味の登山ばかりしていた。
貧しさから医大教授のプロポーズを受けてしまったのは、浅はかであったが、離婚を許さない横暴な男である。
彼女がこの夫と心中する必然性はない。
彼らを登山に誘い自分が遭難して宙吊りとなってバタつき、上の2人を息が出来ぬほど締め付けただけである。
中央にいた妻の立場からして確かに悩ましいが、上の人間に皆を引き上げることは専門家からして不可能という事態であれば、3人とも死ぬか2人で助かるかの選択しかなくなる。

極限状態にあり気絶する寸前にとった彼女の行為はナイフでザイルを切る事であった。

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離婚したくても出来なかった夫が死んで、彼女も無罪となった以上、お互いに好意を抱いている同志、何の障害もなく一緒になれるものを、、、男は急に妙な拘りを持ち出し、彼女を跳ね付ける。
そこに罪悪感を持ち込む。
彼女の潔白が証明されたのに、彼女が好意を寄せ命がけで救った相手から罪人にされてしまうこの不条理。

幸田の元婚約者の理恵から、なぜ彼女の思いを受け止めてあげないの?女だから女の気持ちが良く分かるの。
とまで言わせている。

絶体絶命の山の遭難から生還し、世間の冷たい視線に耐えながら裁判で無罪を勝ち取ったにも関わらず、、、
結局、焦燥しきった彩子は青酸カリで自殺してしまう。

呆然と立ち尽くす幸田。

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実際、このように愛情の前に法~道徳を持ち出す輩はいる。決して少なくない。
それで嘸かし自分は立派だと思い込んでいる。














黄線地帯

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1960年

石井輝男 監督・脚本

吉田輝雄、、、真山俊夫(新聞記者)
天知茂、、、衆木一広(殺し屋)
三原葉子、、、小月エミ(真山の彼女、ダンサー)
三条魔子、、、桂弓子
大友純、、、阿川(依頼人)
沼田曜一、、、新聞社デスク
吉田昌代、、、酒場のマダム
鳴門洋二、、、パイラーの政
若杉嘉津子、、、売春宿のマダム
中村虎彦、、、松平義秀(社会事業家)
小野彰子、、、ヨーモク売りの女


KADOKAWAコレクションに入れば、この「ラインシリーズ」が全て見られるようだが、取り敢えず「黄線地帯」というのがそもそも何かというところで、観てみた。
黄線地帯とは、売春防止法後に外国人相手の秘密売春組織~産業が、地下に潜っている一帯のことか。
神戸が舞台となっている。

まずその地帯の独特の暗く陰鬱な雰囲気の充満する、せせこましく日本離れした街並みの重なりである。
その谷間に雨が降りしきり、洋館めいた夜の窓から衆木と小月のふたりが下を打ち眺める光景に全てが集約されているような気がした。細い路地には詩人が詩を詠んで迷惑がられていた。
とても絵になるシーンで、明らかに意図的に撮られている。
ちょっと、その行き場の無さ、雑踏に毒のある人が溢れていても、誰もがお互いを食い物にしようと虎視眈々と狙っているような孤独しかない、ニヒリスティックな殺し屋が潜伏するところでもあり、そんな場所が日本版「ブレードランナー」みたいに感じられた。
この国籍も超越したヨーモク売りが徘徊する廃屋の集まったような街が、、、。

よく住めば都などと謂うが、ここがそうなるだろうか、、、。
生まれた場所がここでも、わたしだったら直ぐに出たくなるだろう。
どの店も裏の部屋を持っていて不法な秘密の取り引きで金を儲けていそうである。死体もころがっていそう。
エキゾチックではあるが、ワクワクするような秘密は何処にもない。
邪魔者の死体も近くの波止場にしょっちゅう浮いていそうだ。
100円札に「助けて」というメッセージと名前を書いて人に投げかける。このパタンが何とも覚束ないが面白い。

出てくる連中は皆悪者ばかり。嘘と謀だけでやり取りしている。騙すか出し抜くか。金と銃で動くが、裏切りも当たり前。
正義の使者として乗り込んでくる真山だけが浮いている。
殺し屋の衆木も自分なりの流儀をもっていて、やはり浮いていた。
この界隈では、地位が上の者ほど、悪辣である。
社会事業家が外国人向けに日本人女性を誘拐して売り飛ばすなどして大金を儲けている。
(ある意味、こうした映画では定番の設定だが)、ありそうな噺だ。
殺される時には、決まって「金なら幾らでもやる。助けてくれ!」これはまず外さない(笑。

ここで印象に残ったのは、天知茂演じる殺し屋、衆木という人間である。
幼少年期の成育環境が最悪であったため、必然的に裏社会~殺し屋に流れ着いてしまった。
よく分かるが、こういう人間は周囲との親和的関係はまず保持出来ない。
そこはわたしも共感するところだ。
そして信頼を基本とした安寧の場を求めようとしても常に逆の方に転がって行ってしまう。
パタンが出来上がってしまっている為だ。
孤立を深める分、攻撃性も強まってゆく。
その最たる者としての殺し屋か、、、。

彼は彼なりに正当性を要請する。殺しの流儀があり、弱者を虐める悪辣な奴を消すとき以外は殺しはやらない、というものであったが、、、殺人に正当性が求められるかどうか、はさておき。
今回は、依頼人が麻薬輸入をし易くする為、神戸税関長の殺害を頼まれ実行してしまう。
報酬の代わりにパトカーを差し向けられる。騙されたことを知り、復讐に乗り出すが、、、
余りに「情弱」である上に判断力・洞察力に乏しい。依頼だけ聴いてそれを丸呑みするなんてあり得ないことだ。
大体殺害依頼などして来ること自体、まともな相手ではないのだから、その背景、背後を調べずに動くことなどもっての外だろう。
それまでよく自分の流儀を守ってこれたものだ。

偶然出逢った小月エミを人質にしながら、何とか辿り着き一番上の悪人とその手下を撃ち殺すが、最後にはエミの彼氏の愛の力に押され、結局集まった警察官に撃たれ敢え無い最期を迎える。どの映画でもこうした男の最期はほぼ決まりであり、ここでもそれに則っている。

流れは分かっているが、承知の上でも楽しめるものにはなっている。
ただ「ラインもの」を今後も観るかどうか、、、は微妙である。恐らくもう見ないだろう。



AmazonPrimeにて、、、。




からっ風野郎

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Afraid to Die
1960年

増村保造 監督
菊島隆三、安藤日出男 脚本
音楽 塚原哲夫
「からっ風野郎」主題歌 作詞・唄:三島由紀夫、作曲・ギター演奏:深沢七郎、編曲:江口浩司

三島由紀夫、、、朝比奈武夫(朝比奈一家の二代目)
若尾文子、、、小泉芳江(映画館「コンパル」従業員)
船越英二、、、愛川進(朝比奈一家の舎弟、武夫の親友)
川崎敬三、、、小泉正一(芳江の兄)
根上淳、、、相良雄作(新興ヤクザ相良商事の社長)
小野道子、、、高津綾子(愛川進の恋人)
水谷良重、、、香取昌子(武夫の情婦の歌手)
志村喬、、、平山吾平(武夫の叔父貴)
潮万太郎、、、金沢(朝比奈一家に出入りしている酔っ払い)
倉田マユミ、、、村田(産婦人科医)
神山繁、、、ゼンソクの政(相良に雇われた殺し屋)
三津田健、、、川瀬(刑務所の所長)
山本礼三郎、、、雲取大三郎(雲取大三郎)


キャバレーで香取昌子の唄う「バナナの歌」が実に不気味だった。
こんな歌があったなんて、、、客はどこがよくて聴いているのか、、、不気味さが癖になるのかも。
よく出てくる「愚連隊」という言葉も面白い。昔よく耳にした言葉だ。
この映画、確か文豪三島由紀夫氏の演技が酷評されたことで有名な作品であったはず。
しかし実際に観てみるとそれほどガタガタいうほどのものではないと思うが。
殊更気にしなければ、ちょっと気の弱いやくざの感じも出ているし、入り込んで観られるものだ。
これをとやかく言うのなら、一昨日の「斬る」の主人公の妹役の方が問題であろうに。
(最後のシーンで大怪我したことも当時話題になったそうだが、、、演技に駄目出しされて大怪我までしたらもう役者など嫌になってしまうだろうに、この後、また時代劇に出ている。それも観てみたい(笑)。

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しかし何でプロの役者でもないのに、彼に気の弱いかるっぱしいやくざ役をやらせるのか、、、どういう経緯でこれが決まったのか分からないが、素人なら本業の役処であれば、それほど無理なく演じられると思うのだが。
作家先生からでも、、、。(自慢の筋肉を見せる場面は幾つもあったが、アウトローの逞しさとは別種のものであった)。
それで場慣れしてから、エリートやくざとか、、、もしかしたらやくざへのある種の憧れもあったか(笑。
流石に彼に、学の無いやくざは似合わないし、いきなりこれではハードルが高い。
若尾文子が体を張ってカバーしている感じもあったが、、、。
この無理な役からして、かなり頑張って演じていることが分かる。

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そして最後にあのシーン。
これはよく象徴的な場面と言われてきたところ。
(やはりこの映画は有名なため、断片的にわたしの耳にも情報が入って来ていた)。
わたしも今回、初めて観たが感慨深い。
確かに死体の演技が素晴らしい、、、皮肉にも。
彼の人生に重ねすぎて意味を過剰に引き出すのもどうかと思うが。

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しかし、役者をやってみたいという気持ちは、とても強くもっていたことは分かる。
このままどんどん出演を重ねていくうちに役者カンもよくなり、上手くはなってゆくはず。
何事にも真摯に向き合い、途轍もない努力家でもあったのだから、その学習力から当然上達も早いはず。
それはそれで良いと思うが。

だが、全編を通して、何とも言えない虚無感は漂い充満して行く。
これが何から発せられているかと謂えば、三島氏からだと思える。
この異質感が、大根役者呼ばわりされる一因みたいな気もするのだが。
若尾文子や船越英二でもどうにもならない。
芸がいくら達者でも呑み込まれてしまう亜空間みたいな場を感じる。

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何とも言えない質感を持った映画であった。












青空娘

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A Cheerful Girl
1957年

増村保造 監督
白坂依志夫 脚本
源氏鶏太 原作

若尾文子、、、小野有子
菅原謙二、、、二見桂吉(高校の恩師、美術の先生)
川崎敬三、、、広岡良輔(有子の彼氏)
東山千栄子、、、広岡静江(良輔の母)
信欣三、、、小野栄一(有子の父、会社社長)
沢村貞子、、、小野達子(有子の義母)
穂高のり子、、、小野照子(有子の姉)
品川隆二、、、小野正治(有子の兄、ジャズのトランペット奏者)
岩垂幸彦、、、小野弘志(有子の弟)
三宅邦子、、、三村町子(有子の実母)
ミヤコ蝶々、、、八重(小野家の女中)
南都雄二、、、哲五郎(名言に凝る魚屋)
八潮悠子、、、米川信子(有子の高校からの親友)


まず、ミヤコ蝶々だ。懐かしい。幼少時にモノクロTVで見た覚えのある喋り方の特徴あるおばちゃん女優である。
いや~感慨深い、、、。見るからに人の好さそうな笑顔だ。

ここのところ数本、若尾文子主演映画を観て来たが、これが彼女の人気の訳か、というものが実感できた気がする。
中道を行く人なのだ。
過剰に悲嘆せず、有頂天で燥がず、ほとんどブレず、適度にユーモアとウェットがあり、カラッとして健康的。
綺麗だがお色気など特に見せない品がある。”A Cheerful Girl”~万人受けするタイプだ。
文部省(文科省)推薦映画にもうってつけの女優さんとも謂えるか。
この映画も軽~い映画だが、かるっぱしい映画ではない。
軽やかなエンターテイメントとして、しっかり成り立っている。
そこに若尾文子の果たすところは大きい。

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まあこの映画でも明るくサバサバしているが、押さえるところでは所ではしっかり押さえる。
夫の不倫相手の娘が転がり込んで来たことから、そりゃ本妻や(彼を取られた)多感で自己中な娘が辛く当たるのも無理もない。
(後はジャズ命のニヒルな兄貴とやんちゃな弟だが、この小僧は喧嘩でねじ伏せると懐いて子分になる)。
有子は女中としてこき使われ酷い扱いを受けるが、諸悪の根源は勿論、父である。
しかしこの父親があっけらかんとしており、あまり自覚がない(罪悪感でもあれば、預けた祖母が亡くなったからと言い、自分の家などに呼べるはずがない)。
もっと悲惨なのは浮気相手(有子の実の母)である。娘には絶対会うなと言われ身を隠して細々と生きている。
このおやじ、相当なうつけであることが序盤のうちに明かされる。

しかし彼女、高校の恩師と姉の片思いの御曹司からは愛され、(父親も身勝手に可愛がってくるし)、女中の八重にも大事にされ、魚屋にも応援される。弟はぺったり懐き、基本他者からは特別な立場の人を除き、とても大切にされる人なのだ。
祖母からしっかり愛され大切に育てられたことが分かる。
人は幼少年期に愛着関係に問題なく、自尊心を育まれて生き生きと育てられさえすれば、大人になって自分の母の件を今際の際の祖母から聞いたとしても崩れるような心配はない)。
結局、何に対しても前向きに快活に対処して行く。
青空を振り仰いで、、、(二見の教えでもある)。

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何をおいても悲惨なのは、父の愛人で有子の実母の町子であろう。
父はこの女性が実の子に逢えずにずっと身を隠し貧しく暮らしている事への責任など微塵も感じず、社長として優雅に暮らし、妻が厳しくて怖いなどと嘯きずっと平気でいた。飛んでも野郎である。
最後に有子にきつく叱られるが、それで妻に謝り家庭内は何とかなったみたいだ、、、。
そして有子は広岡からプロポーズされ、受け容れる。
二見は恩師という立場上、好きだが身を引く(笑。

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考えてみれば実に単純な物語なのだが、何故かエンディングまで来て不思議な感動に包まれていた、、、。
空に向けて、お~い!みたいなところも自然に心地よく受け容れていたものだ。
恐らく、これが若尾文子効果なのだ。

他の女優がヒロインだったらこうは行かないだろう。
(ミヤコ蝶々はんも良い味出していた)。
この路線もいいかも知れない(笑。

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斬る

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1962年

三隅研次 監督
柴田錬三郎 原作
新藤兼人 脚本
本多省三 撮影


市川雷蔵、、、高倉信吾
藤村志保、、、山口藤子
渚まゆみ、、、高倉芳尾
万里昌代、、、田所佐代
成田純一郎、、、田所主水
丹羽又三郎、、、千葉栄次郎
天知茂、、、多田草司
柳永二郎、、、松平大炊頭


カラー作品である。
とてもスタイリッシュな絵作りであることが最初から分かるが、余りにそれが分かり過ぎるというのもどうしたものか。
(それが狙いかも知れない)。
様式美に拘った映画であることは承知。
カメラワークも成程、、、と思う。
導入部のカットからして鬼気迫るもので、枕詞映像に太陽が映される。
「三絃の構え」にせよ時代劇自体が、様式美の世界でもある。
とてもその点で調和するところだ。

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キャストにおいて、、、
渚まゆみという信吾の妹役の女優が浮きまくっていた。
厳粛な時代劇にキャピキャピのJKが乱入したかのような、、、。
他に女優いくらでもいただろうに(笑。
万里昌代の迫力もちょっと凄過ぎたが。
(これは後に信吾にとってのトラウマとなる)。

妹以外は、前半のダイジェストもどきの展開も然程気にはならず引き込まれて観た。
全般にわたり市川雷蔵の独壇場と謂う感じの映画だ。
この確立した二枚目スタイルを一度打ち破ろうとして「炎上」を作ったが、その上でまた従来の時代劇二枚目に戻って来たというところか、、、。
もう円熟の境地なのか、堂々とした風格と余裕が感じられる。
松平大炊頭役の柳永二郎との関りも大変趣深い。
わたしの特に気に入ったところがこのふたりの間のわび・さびの効いた境地である。
(松平大炊頭が殺害されなければ、信吾にとって安息の場が開けていたであろうに)。

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そういえば、この信吾は、三人の武士から父性を感受し、三人の女性の影響を強く受けている。
ただ彼の人生の基調を決めたのは、女性の方であろう。
お家の為に働き斬首された母と逆恨みの犠牲となり非業の死を遂げた妹、そして弟の身代わりになって果てた武家の娘の印象は生涯付き纏ったはず。
その為に独身を通し、松平大炊頭~殿のなくてはならない用心棒であり心の友として仕える。
或る意味、大変虚無的な邪剣使いの武士として生きることを選ぶ。
しかし顧みれば彼自身は、幼少期から善い殿の庇護の下、義父にも義妹にも恵まれ良い人生を送って来たとも謂える。
壮絶な身近な女性の死が大きかったか。

我流の必殺剣を編み出し、向かうところ敵なしの剣豪であったが、殿が罠に嵌り殺害されてしまったことで、自らも切腹をして果てる。
最後の、「殿~っ」と叫びながら、お屋敷の襖を次々に開けて、もぬけのからの部屋から部屋を探して走る光景~カメラは信吾の心象そのものであった。
冒頭の母の背負った宿命から、ここまでとても緊張に満ちた流れが途絶えることがない。
ストーリー展開と言いカメラワークと言い、物語と絵作りともに高水準を保ち続けた作品と謂えるか。
見応えはあった。
(あの妹は、入れ替えした方が良かったと思うが)。


AmazonPrimeにて。











氷点

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Freezing Point
1966年

山本薩夫 監督
三浦綾子 原作
水木洋子 脚本
池野成 音楽


若尾文子、、、辻口夏枝
安田道代(大楠道代)、、、辻口陽子
山本圭、、、辻口徹
船越英二、、、辻口啓造
森光子、、、藤尾辰子
鈴木瑞穂、、、高木雄二郎
成田三樹夫、、、村井靖夫
津川雅彦、、、北原邦雄

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辻口陽子役の安田道代という女優が余りにも健康優良児で、儚げな美女の方が合っていたように思うが。
安田道代という人に文句は微塵もないとは言え。
若尾文子女史は、今回は妖艶な院長夫人であるが、冷酷で非道な顔を見せる。
これもなかなかのものであった。彼女がやると何故か憎めないのだ。これも人徳か。
軽~いあっけらかん女子から知的で残酷なご婦人まで、何でもござれである。

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山本圭は好きな役者だが、とても若い。
この時期の姿は初めて見たかも。
もう少し歳をとってからの方が魅力が滲み出るが、、、とても初々しい。
最初彼だと気付かなかったが、津川雅彦が真っすぐで純粋な好青年を演じているには驚く。
こんな頃があったんだ、、、と実に感慨深い。それにしても絵に描いたような好青年。
こういう人もいるのかな~。と言うか、ホントにいたら見てみたい(笑。

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そして森光子が渋い。
いなせで落ち着いていて実に頼れる雰囲気なのだ。
若尾奥様の方は神経質でかなり脆い。
対比的な役柄で支えている。
そして成田三樹夫がこれも若いうちから良い味を出す。
陰のあるやさぐれインテリがこれまた似合う。
必ず秘め事をもっているタイプ。モテるタイプか。

この年代の映画(主役)の常連、船越英二は病院長で裏のある人格者をお堅く決めている。
この人もソフトもハードも何でも巧みに熟す役者だ。
もう表面的には聖人君子の顔で通っているが、妻の不貞を疑い残酷な策を講じ悶々と過ごしている。
見かけと異なり、ほぼ地獄の生活~磁場に居続けることとなるのだ。

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鈴木瑞穂演じる高木雄二郎の小細工がそもそも不幸を齎したと謂えよう。
確かに自分の愛娘を殺害した男の子供と言われてそれまで通りに我が子として接することが出来ようか、、、。
それは人のこころを弄ぶ余りに残酷な仕打ちであり、それが連鎖するのも無理はない。
ここから全てが狂ったと謂える。強いて言えばここが原罪~氷点となろう。

だがそれが無ければこうした面白い物語~ドラマにはなるまい。
終盤に流れる陽子の遺書の文面の乙女チックなこと。
こういう世界観嫌いではない(笑。ちょっとくすぐったいが癖になる(萌。
もう戻れないという「氷点」がしっくりする。
何とも言えない快感が走り、、、
この頃になると、健康優良児でも許せてしまう。
まとまった、、、

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一度は観て良い映画だと思う。
この後、沢山のリメイクが国内外で製作されたが、この映画を超えるのは難しいのでは。
二度と撮れないようなオーラは感じる。


映画では、「続氷点」があるのかどうか、、、。


AmazonPrimeにて











女は二度生まれる

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1961年
川島雄三 監督
井手俊郎、川島雄三 脚本
富田常雄 原作
池野成 音楽


若尾文子、、、小えん
藤巻潤、、、牧純一郎
山村聡、、、筒井清正
菅原通済、、、島崎
山茶花究、、、矢島賢造
江波杏子、、、山脇里子
高野通子、、、筒井敏子
潮万太郎、、、桜田
倉田マユミ、、、吟子
上田吉二郎、、、猪谷先生
フランキー堺、、、野崎文夫
高見國一、、、泉山孝平


BGMが面白くてハマった。前衛ジャズか現代音楽である。
SFホラーみたいでシュールでくすぐったい(笑。
これが小えんの世界に妙にマッチしている。
ヒロイン小えんの女性としての自立の過程がふんわりと描かれてゆく物語。
若尾文子という人ならではの、直向きでからっとした可愛らしさが活かされた役であろう。

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彼女まずは、かなり軽めの芸者から始まる。
健気だが、とっても軽い(笑。
しかし建築家の「おとうさん」が付き、二号さん~妾となってから学び始める。
「おとうさん」というのがよい。
二度生まれる、、、か。
おとうさんができるとそうなるのか。
(おとうさんにも色々あるだろうが、このおとうさんは教育熱心なところが救いであった)。
この時期、おとうさんのお陰で習い事を始め、めきめき力をつける。
小唄については、師匠にも認められその才能が花開く。

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山村聡の「おとうさん」はしっくりして分かるが、、、
「こうちゃん」という17?の高校生との付き合いは、何であるのか、、、。
結構幅広い付き合いである。
その他色々な職業の人々が通り過ぎて行く。
フランキー堺の板前が中でもとても趣深く印象に残った。
関係のあった人間が次々と去ってはまたもどってきたりもするこの芸者の世界の交通は面白い。
クラブにも務めたりするが似たような人々との出会いであり、どちらでも(お座敷でもクラブでも)遭うひともおり、おとうさんもその一人。

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恐らく「こうちゃん」との関りは小えんの自我の成長とともに変わってくる。
ひとの世話をする、おねえさんとして大人の役割~アイデンティティを身に付けようとしているのか。
確かに最初の頃は、その少年と同学年くらいのものであったが、終盤ではおかあさんみたいであった。
以前、気になっていた学生が立派な大人になって現れるが、それにも惑わされず。
大人としてしっかり自分の身を守る姿勢が窺えるし。
それにしても牧純一郎との再会が余りにあっさりしすぎていて、あの伏線は何であったのかとは思った。
(わたしはここで思いっきり大恋愛パタンかと踏んでいたのだが)。

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そして唯一の頼みの綱のおとうさんがあっけなく病死する。
(そういえば、小唄の方の勉強はどうなったのか、、、折角おとうさんの影響でやり始めたことである)。
本妻とも堂々と対決するが、何とも虚しい。
おとうさんが亡くなったところで悲しみはするが、何かスッキリ吹っ切れた晴れやかさが窺える。
自立した女性の姿だ。
しっかり単独者として凛々しく生きて行く雰囲気を漂わせて、エンディング。


KADOKAWAのシネマコレクションに入ってから、ここのところずっとすっぽかしてきたが、折角だからまとめて観ていこうと思う。
何故か、若尾文子ばかりが出てくる。
そういう映画に限定されるが、それも良いかも。


AmazonPrimeにて。









女の勲章

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1961年

吉村公三郎 監督
山崎豊子 原作
新藤兼人 脚本


京マチ子、、、大庭式子
若尾文子、、、津川倫子
叶順子、、、坪田かつ美
中村玉緒、、、大木富枝
田宮二郎、、、八代銀四郎
船越英二、、、曽根英生
三津田健、、、大原泰造
内藤武敏、、、野本敬太
森雅之、、、白石教授
細川ちか子、、、大原京子


「安城家の舞踏会」、「女経」、「越前竹人形」の吉村公三郎 監督。
(わたしの以前の職場の同僚の方がこの監督のご親族であったことを最近知った)。


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それにしてもこれは、どえらい映画だ。
大変文学的な作品である。
ファッション業界が舞台ということもあるが絵作りも隙が無い。この監督らしいものだ。
またキャストが豪華絢爛。
女優陣の凄さは言うまでもないが、田宮二郎がこれまた圧巻。
やはりこの役者はちょっと桁が違うわ、と思わせる。
京マチ子の船場のお嬢様から見る見る人格が変容して実業家然となって行く姿も見事。
とても説得力のある精緻な身体的表現が自然に出来る人なのだ。
(結局、最後に純粋なお嬢様が頭を擡げてしまい破滅を呼ぶ)。
他の女性も欲望と葛藤に揺れ動く様相がしっかり描かれる。
薄っぺらな人物はいない。

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ストーリー自体が良く出来ている。原作が山崎豊子であることが大きい。
とても噺がリアルで重く生々しいのだ。
あらゆる野心~自己実現、名誉~承認、財力、愛欲、、、、利己的な欲求が渦巻き展開してゆくのだが、、、。
関西弁を流暢に話すいかがわしさ満点の田宮二郎演じる八代銀四郎に欲の部分で次々に絡めとられていってしまう。
欲望であり業でもあるような。
それを追い求める人間の強かさ、脆弱さ、偽善、独善、狡猾さ、虚栄等々を芸達者な演者がタップリと表現して行く、、、。
久しぶりに、すげ~っと映画を観ながら唸った(笑。

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特にわたしとしては、田宮二郎の外連味タップリの喋りに聞惚れた。
あの関西あきんどの無駄のない身のこなしと共に、とってもスマートであった。
やはり大変な役者である。徹底的に虚無的な男に成っていた。
結局、頭が回る分、策に溺れて飛んでもない結果を最後に引き起こすことになるが。
(この流れは如何にも山崎豊子だ)。

純粋に芸術的な理想に向け邁進していた矢先、ほんの少しの打算的な欲望に付け込まれ足を掬われた形である。
その欲望の拡張の流れに一旦嵌ると、銀四郎の言うように「見る見る雪だるまのように膨らんでしまう」。
逃れられない。精神的にも経済的にも実際逃げようが無くなる。ある意味恐ろしいゲームの駒となっていたことに気づく。
こころの隙間を突かれたことから、、、。
銀四郎とは死神か。


何にしても、映画としてタップリと楽しめる作品となっている。
絵は見事、主役女優が勢揃い、田宮二郎が圧倒的。
ゴージャスな映画であった。




AmazonPrimeにて







過激派オペラ

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2016年

江本純子 監督・原作・脚本


早織
中村有沙
桜井ユキ
森田涼花
佐久間麻由
後藤ユウミ
石橋穂乃香
今中菜津美
趣里
増田有華
宮下今日子
梨木智香



劇団「毛皮族」を主宰する監督が映画も作ってみた、ということである。

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演劇の手法を意識して作ったようだが、映画にしっかりなっていたと思う。
演劇調~舞台劇風のプレザンスを伝えようと作ったもののようだ。
それもあり、とても生々しい。何とも言えない臨場感に浸れる。
やっている本人たち誰もが体を張って全身で発散していているのだが、結構苦しそうできつそう。
やたらと叫びまくる。全てが大音響。赤裸々に激しく。衝動的なエロティシズムに溢れ。
カタストロフは充分に味わえ、終わった後はしみじみ快感に浸れるのかも知れぬが。
映画内演劇も見られ、この監督の作る舞台の一端も窺い知ることが出来る、、、。

寧ろ、わたしは舞台の方に興味が湧き、実際に観てみたいと思った。
この劇中にもかつて見に来た人がとても感激して監督に駆け寄り話しかけてきていたが、、、。
凄いエネルギーの奔流に圧倒されそうだ。
少なくとも、この監督のものは強い印象は残すはず。
(わたしも学生時代は、演劇をやる友人の舞台を幾つか観てはきたが、直ぐに忘れるものと記憶に一部でも残るものはある。自分が音楽ソースを提供したものなど、多少なりとも関わったものについては、覚えているものだ)。

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テーマは性と解放か。
確かに性、特に女性にとっては、それが自らの生の解放に直結するところは大きい、であろう。
映画の封切の挨拶で如何に撮影がしんどかったか、監督が厳しかったか、などが騙られていたが、それと共に演者のほとんどが笑ったりして大いに楽しんでください、みたいなメッセージを述べていたが、笑えるような楽しさはなかったと思う。

わたしは、ひたすら性に発する激しさばかりを喰らった感がある。
そして理不尽な揺らぎと衝動性、それから虚しさ、、、。

映画の中の主催者である監督は、力はあるが、自分の好みの団員にことさらかまけていたり(同棲までするが、直ぐに喧嘩別れである)、自分の感情で荒れて彼女らに八つ当たりしてみたりで、非常に横揺れの激しい人に見えた。

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何より勿体ないと思ったのは、折角苦楽を共にして全員で舞台を成功に導いたのに、その後の接し方により、信頼を築いた仲間を皆失ってしまう。一回でも舞台を共にやれば、監督のやり方、思想も身体的に浸透しているはずで、次回の舞台にまるで素人や新しい女優に教え込むより効率的にも信頼度から謂ってもずっと有効であると思うが、、、。
最後には、また新たに舞台をやる仲間の募集を掲示板に出していたが、、、。
ちょっとねえ、あれだけ良い女優を集めておいて、またまっさらからというのも、虚しい。
虚しいと謂えば、熱愛して同棲した相手とあんなにあっさり分かれてしまうのもどうかと思う。
そういう気質の人なのであろう、、、。

それにしてもひとつの舞台をやるには、金がかかるのだ、ということが分かる。
実際、この劇団の600万円の借金はどう工面したのだろうか、、、。
そこは何も語られていない。
アルバイトとかも劇中でやってはいたが、あんな細々としたもので何とかなるものではない。
昔の芸術家みたいにパトロンを持つとか、そういうのも必要であろう。
それに近い、先輩舞台監督みたいな人が少し力を貸すような場面もあったが。

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自己主張の強すぎるアグレッシブな人の集まりである。
それをあれだけまとめるカリスマ性と統率力は凄いが、根底に愛情のない仕打ちをすると皆離れてしまうパタンであった。
劇の内容は理不尽でも面白いが、組織に対してそれは不味い。


キャストは、皆良かった。というか振り切れていて凄いものだ。
主演の早織と中村有沙は特にリミッターを超えているのでは、という感じであった。
それにしても舞台挨拶の時の優しく凛としたフェミニンな早織と映画の中での男前な早織がどうにも同一人物には見えなかった。
女優は役によってここまで変身できるのか、という良い例でもある。
正直、驚いた。

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炎上

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Enjō
1958年
市川崑 監督
和田夏十、長谷部慶治 脚本
三島由紀夫『金閣寺』原作
宮川一夫 撮影
黛敏郎、中本利生(邦楽)音楽


市川雷蔵、、、溝口吾市
仲代達矢、、、戸刈
中村鴈治郎、、、田山道詮老師
北林谷栄、、、溝口あき(吾市の母)
舟木洋一、、、鶴川
浜村純、、、溝口承道(吾市の父)
洋館の女(らん子):浦路洋子
新珠三千代、、、花の師匠
信欣三、、、副司
中村玉緒、、、五番町の女(まり子)


「金閣寺」は幼少の頃から本棚に背表紙を観た来た。
それだけで、読んでない(笑。
三島作品は、随筆~エッセイしか読んでいない。
それでこの映画である。
三島文学をまともに読んでいない以上、飽くまで、この映画を観た範囲で、気になったことのみ書いておく。

映画作りにおいて三島本人も監督とディスカッション済みらしい。
この映画は原作者に認められたものとみて良いようだ。
映画の形式に変換され時間も99分と短い。
内容がどうそぎ落とされ、何をテーマに置かれて再構成されたものか。

市川雷蔵が吃音に悩む孤独な学生を極めて繊細に演じ。
仲代達矢が片足の不自由な理論武装した学生を豪放に怪演する。
中村鴈治郎がしたたかな(裏の顔を持つ)人格者の住職を好演する。
(この感じの人に、わたしはかなり出逢って来た覚えがある)。
映画において、金閣が「驟閣寺」(しゅうかくじ)と名を変えられているのは、何か訳があるのか。
モノクロの気品と壮麗さが充分に生かされていたように思われない。
「驟閣寺」はここでは神々しい程に美しくなければならぬのでは、、、

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この吾市という僧に成ろうとする学生、母との折り合いが酷く悪い。
肉親憎悪には、やるべきことをせず虐待などに変えて来たか裏切り行為(不貞)などの原因が多いと思うが、この場合後者のようだ。
非常に潔癖で純粋な性格であるため(吃音にもそれが影響している)、特にそのような不潔なことが許せない。嫌悪の対象となるのは分かるものだ。
その反動で病死した父を過度に神聖化しているように窺える。
父が生前、「驟閣寺」ほど美しい寺はない。一度お前にも見せよう、と実際に父と見て感動した想い出が彼の中で純化してゆき、そのイメージが(父とも重なり)途方もない価値になってしまっていた。
基本的にコミュニケーションが難しく吃音に対する迫害により著しく内面化が進みアイデンティティの拠り所を強く求める心性も生まれやすい。
今や「驟閣寺」は聖地であり、はじめからあった不変の場所となる。この世にあって変わることのない絶対的な価値である。
しかしこの感覚~世界は他者との共有は当然難しい。

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彼と対照的な懐疑的で退廃的な理論家である戸刈が世の中の全ては流転しており変化こそ本質であり変わらぬものなど何処にも無い、という至極もっともな理屈を諭されたことに対する反感もあろう。
吾市は彼の、鋭い洞察力から放たれる容赦ない言葉や、やくざな行いが受け入れ難く、そりが合わない。が一目置いている。
尺八を教えてもらい自分も吹けるようになり、影響もしっかり受けているのだ。
(出来れば、もっと尺八などに専念するような資質~感性があれば、放火などせずに済んだはずだが。芸術表現による他者との感覚共有は在り得る)。
このかたくなな吾市の価値観と、いつも呟いている「誰も分かってくれない」という常に底流する不満は同根に思える。

戸刈の知性のように全てを相対化すれば、これだけは分かって欲しい絶対的なもの~価値などない。
自分とは常に生成する過程~その途上の点に過ぎず、わたしはこういうモノだ、それを承認してくれなどという欲望は、少なくともプライド上見せないでいる。知性で論理は組み立てるが、心理的には強がりの裏返しでもある。自分の本心を巧妙に隠して生きている。
(彼も自分の脚をワザとひけらかして他者の憐れみを逆に利用しているに過ぎずコンプレックス自体はしっかり引き摺っている。だから片端呼ばわりを女にされるとやはり逆上する)。
この辺で、二人は言っていることは正反対でも、似た者同士でもある。

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父も寺も田畑も借金の埋め合わせに奪われた彼を暖かく拾ってくれた老師にはある時点まで絶対的な信頼を置いていたが、やがてそれも崩れ去る。尊敬する住職が妾を囲っていた俗物であったのだ。吾市はこういうのが一番許せないタイプであろう。
かつて一目惚れした(彼にとって人間離れした)美しい女性が、戸刈と男と女のドロドロの関係にあった。
このような落胆~絶望も重なり、父=「驟閣寺」の幻想を更に強固なものにしようとする。その内面化が極度に進み、揺らいでくる。その基盤を重力的に支えきれなくなってくる。
そしてその自分の気持ちを誰も分かってくれない。

これを吃音の自分が天に(もはや人ではなかろう)知らしめるには、父を火葬した時のように「驟閣寺」も炎に焼くしかない。
同時に自分も世界を失う。

飽くまでもこの映画を観た上での感想に過ぎないが。
溝口吾市が象徴的に「驟閣寺」を焼失させるにせよ、もうひとつそれを成す何かが欲しい。
別に何故、「驟閣寺」に放火したかの謎解きではない。
溝口吾市の孤独の様相にもう少し迫りたいところであった。








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