プラン9・フロム・アウタースペース

Plan 9 from Outer Space
1959年
アメリカ
エド・ウッド監督・製作・脚本
グレゴリー・ウォルコット、、、ジェフ・トレント(パイロット)
モナ・マッキノン、、、ポーラ・トレント(ジェフの妻)
デューク・ムーア、、、ハーパー中尉
トム・キーン、、、エドワーズ大佐
トー・ジョンソン、、、ダニエル・クレイ警視
ベラ・ルゴシ、、、老人
ヴァンパイラ、、、老人の妻
ジョン・ブリッケンリッジ、、、宇宙人の船長?司令官?
ダドリー・マンラブ、、、宇宙人エロス
ジョアンナ・リー、、、宇宙人タンナ
ティム・バートン監督の(傑作)「エド・ウッド」でこの監督のことを知り、(怖いもの見たさで)機会があれば観てみようと思っていたが、AmazonPrimeを開いたらいきなり目に飛び込んできた。
「見ろ!」という何処からかのメッセージに違いあるまい、と観念して見てみた。
見るんじゃなかった、、、ティム・バートンのエド・ウッドへの興味は、飽くまでも彼そのものに対してであろう(勿論、こういう作品を作る人がどういう人なのかとなろうが)。

これ、もっとセリフが少なく、淡々と進行するものであれば、味があってそれなりに見られた気もするのだが、、、。
監督の妙な理屈を役者に大声で怒鳴りまくらせて、煩くてイライラしたものだ。
セリフがごっそりなくなれば、それはそれで子供のおもちゃ遊びの感覚でぼんやり眺められ、そのままこちらの白昼夢の世界に入り込めるかも知れない。
そう、案外入り口の機能を果たしてくれそうな映画になる可能性はあった。
妙に画質が良いのがも気になる。保存状態が良かったのか?(誰も観ない為に?)この映画フィルムを修復しようという殊勝な考えを持つ人はいないはずだし。

部分的に見て行けば、、、
ゾンビ化したダニエル・クレイ警視はなかなかの迫力であった。これは良いキャラだ。ただどう動かすかのプランが全くなかっただけか。
老人の妻のヴァンパイラも格好は決まっていたが、何をするでもなく木の書割みたいに立っているだけで勿体ない。
宇宙人タンナ役のジョアンナ・リーは、訳の分らぬ宇宙人役ではなく、地球人側のヒロインにでもした方が良かったのではないか。
何より宇宙人が地球人と何の変りもなく男女がいて、風呂屋のおやじみたいな屁理屈を捏ねる司令官みたいなのがいて、指令室?への出入り口がカーテンというのも、情けない。計器類も何もかも地球にありそうなものだし、、、見せない方が良かったのでは。
低予算は分かる。パイロット宅のセットもそれは酷いものであった。予算のない分、光の調節などで画面をうんと単純化・強調し、まさに見せたいものだけ映すとか工夫を凝らせばそれなりのものは出来たはず。明るい光の下、何でもかんでも映してしまうから、ノイズや単なるボロ隠しみたいなものも全部晒され、げんなりしてしまう。
それから何の繋がりもない借り物のフィルムを随所に使っていることが一目で分かり、とても白ける。
日本の特撮ミニチュア模型みたいには出来ないにしても(出来ないのは分かり切っているが)、役者の演技や一部分だけを映したり音響効果などで、その状況を暗示するなどして伝えればよいのだから、工夫ひとつではないか。

せめて脚本を誰か他の人に書いてもらうのも予算の都合上駄目だったのか、、、。
この人、ストーリーが書ける書けない才能がどうのという以前に思想そのものが破綻している。
全く話になっていないのだ。本のレベルで取り敢えず辻褄が合えさえすれば、、、
支離滅裂でこちらも眩暈に襲われる。妙な主張は入れないに越したことは無い。エンターテイメントに徹する。
あのぎこちない揺らめく円盤がそれでも一番の出来映えに思えた。

宇宙人は男女揃える必要はなく、もっと人間離れした格好で一言も騙らず、淡々と作業~操作を続け、地上にゾンビを量産して行く。
ペラペラ無駄口叩かず、同胞とはテレパシーで意思疎通を行う。それでなければクールな超越者には見えない。
警官も皆やられてしまい、軍隊も要請されるがゾンビの数に圧倒される(この辺の群衆のフィルムを工夫する)。
それをジョアンナ・リー扮するヒロインが敵の弱点を突いて次々に倒し、ついに宇宙船も破壊し地球を救う、とかすれば、スーパーガールとかキャットウーマンのオリジナルとか言われ珍重されたかも。ゾンビのはしりとしても。
大体、何の役にも立たぬゾンビ三体作って地上に放って何のダメージを与えられるものか。
そもそもこの宇宙人は何しに来たのかも分からない。彼ら自身混乱している始末。自己顕示欲だけは受け取れたが。
それを迎える地球人もサッパリ訳わからぬ理屈で応戦し、西部劇のチンピラみたいな殴り合いを宇宙人とし始める。
何処かの路地のチンピラ同士の小競り合いか。
これでは困った人たちのカオス劇ではないか。
メタレベルではまさにそうであり、監督の真意がそれであるなら、、、いやないな。

これは、決して昔の映画だからこうなったという類のものではない。断じてない。
技術や設備などの問題以前。
この時代にも大変優れた映画は幾つもある。
(もっと古いサイレント映画も含め。チャップリンのものなど、、、)。
単に映画としての体を成していないのだ。
AmazonPrimeにて。
「地球最後の男」といい、貴重なフィルムが観られることは、映画好きな人や研究者には有難いことだろう。