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GOMA28

Author:GOMA28
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女子カメラ

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2012年

向井宗敏 監督・脚本

光宗薫、、、吉澤美樹 (中学校教師の決まった大学生、写真部)
熊谷弥香、、、坂井彩 (美樹の親友、写真部)
高山都、、、岡田めぐみ (美樹の親友、写真部)
園ゆきよ、、、村松春佳 (美樹の親友、写真部)
隆大介、、、吉澤栄治 (美樹の父、レストランのオーナー)
大友恵理、、、吉澤幸子 (美樹の母)
高田宏太郎、、、吉澤豊 (美樹の兄)
グレート義太夫、、、坂井登 (彩の父)


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TV番組の「プレパト」で、シャープな水彩画を披露して才能を高く評価されている光宗薫女史が主演している映画ということで、観てみた。
もうかなり昔の映画であったが、容姿は今とほとんど変わらない。きっと才能も変わらないはずだが、この映画、芸術性は無い。
何と言うか、「家族の写真撮ろう」「うん、そうね」というくらいのノリで、のほほんと流れて行く映画なのだ。
折角、彼女の主演なんだから、、、もう少しその、、、と言いたいところだが。
(別にゴッホみたいに狂気まで描く必要もないが)。
仲良し写真部の4人で、大学卒業旅行に楽しく繰り出そうとしていたのだが、美樹は教育実習で教えた子がテニス大会に出場することで応援に行かねばならず欠席が決まり、その他の3人についても、何と春佳が集金した旅行費を失くしてしまう。
これには、一同ガ~ンである。
仲間荒れも起きる。
大学生で金に余裕がある子はそうもいまい。そりゃ険悪な雰囲気にもなろう。

わたしは、その後10分間くらいは、盗んだ意外な犯人が炙り出されてゆくのか、、、とか思ってちょっとはワクワクしていたのだが、直ぐにその手の映画ではないことをはっきり悟る。
どうせバックのポケットの中に入っているんではないの、とか思ったりしていたのだが、後に分かるが、まさかその通りだったとは、、、(汗。
わたしもバックの中に入れておいたものを探し損ねて失くしたと思い込んでいたこともあり、そんなケースもあるぞ、と思ったのだが別に当たって欲しいわけではない。もっと捻りが欲しかった。
この失くした娘はしっかり者の落ち着いたキャラに見えたが案外ボヤッとしているのだな。
直ぐにわたしみたいにスマホや眼鏡を家中探しまくるようになりそう(苦。

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まあ、そのおかげで、皆の家族を撮って回る自動車旅行が実現する。
その案は旅行に行けない美樹のアイデアで、彼女の兄がETCと派手な軽ワゴンを貸してくれることになった。
それぞれの家族に関わり彼らの写真を撮ってゆく様子~場面がこの映画のメインテーマとなってゆく。
子は親思いの、親は子想いの仲睦まじい、毒にも薬にもならない場面が描かれ、ペラい写真が撮られる。
いや。これはこれでよいと思うが、それで何なの感は拭えない。
さすがに3人で長旅を軽ワゴンではキツイ。
そこで春佳の父が高級ホテルの宿泊券を帰りにどうぞと皆にプレゼントしてくれる。親からのせめてもの罪滅ぼしの意味もある。
この時点で、まだ春佳のバッグに失くしたお金が入っていることには誰も気づいていない。
豪華ホテルの「砂風呂」でゆっくりくつろぐ。九州に来たらこれである。
突然、美樹が飛行機でやって来て合流。よく来たものだ、、、。
自分の応援していた生徒が見事テニス大会で優勝したと報告する。

その後、最後まで就活で決まらなかっためぐみに一次通過の電話が来る。
その時だったか、春佳がバッグのポケットに旅行代金の封筒を入れたことを思い出す。
ここで良いことが全て収束する。
まさに絵に描いたようなハッピーエンド、、、明日の午後が最後の面接試験と謂うことで皆で一緒に泊まって帰りましょう。
車を置いて、飛行機で帰れば大丈夫よ。
めでたしめでたし。

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今話題の光宗薫画伯が出ているので、写真であっても芸術性に迫れる余地もあろうに、そちらの方向性はまるでなく家族を撮って、家族っていいなあ~仲間っていいなあ~では勿体なかろう。
家族愛とか写真の素晴らしさ、友情の尊さ、でも何でも良いが、それを納得させてしまうほどの強力な虚構のストーリー、演出などが組み込まれて、なんぼのものではないのか、、、。

この映画を観て、間違っても家族はいいなあ、、、とか写真を撮りたいなあ、、、などと思うことはない(少なくともわたしは)。
元々わたしは写真は好きであり、ここのところ娘の写真ばかりに傾いているが、それ以外の写真にも強く触手は向いている。
ともだちは、例えばブロ友さんをはじめ、学生時代の友人にしても、支えられとても助かっているが。
それらに対する意識を更に触発させる物語性や切り口があってよいはず。


これ程何の刺激も情報もない時間を過ごしたことは近年にない。





AmazonPrimeにて




パーフェクト・ワールド 世界の謎を解け

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CHERNOVIK   A ROUGH DRAFT
ロシア
2018年


セルゲイ・モクリツキー監督
セルゲイ・ルキヤネンコ原作
マクシム・ブダリン脚本

ニキータ・ヴォルコフ、、、キリル(機能者、検閲官)
エフゲニー・トカチューク、、、コーチャ(キリルの親友、管理官)
セヴィリヤ・ヤノシャウスカイテ、、、レナータ(機能者、上官)
オルガ・ブロフスカヤ、、、アンナ(知る者、キリルの恋人)
ユリア・ペレシルド、、、ローザ(機能者)
エフゲニー・ツィガノフ、、、アントン(監督官、アンナの同伴者)


「下書き」
キリルはゲームの天才プログラマーなのか、、、。
そのゲームが「クラウド・タワー」、、、どんな傑作なのか。完成パーティーが盛大に開かれ彼は皆に称えられる。
しかし恋人にいきなり振られた。
何かが変わっている。親友のコーチャに励まされるが、、、。

家に戻れば、そこは既に他人の所有する家。
内装も変わっていて飼い犬も知らぬ顔。
ついに彼は自分の家を追い出され、コーチャと共に法的に取り戻そうとするが、自分の登録~記録が役所から全て消えている。
それからというもの、彼を知る人間が現実にいなくなってゆく。
会社の同僚からも、友人からも、彼の存在~記憶が消えてしまう。そして両親も彼のことを全く知らないと、、、。

キリルは完全にこの世界におけるアイデンティティを失う。
おおっ。不条理。身元も仕事も恋人も友人も両親も失い自分の存在証明もなくなった。
導入部は引き込まれる。これは大当たりのロシアSFか。

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と、思ったらそこから奇想天外の急展開。
目覚めるとキリルは「塔」の番人みたいな検閲官に任命される。
その塔からは身体的に離れられない(12㌔以上離れると体が衰弱を極める)。
その税関で旅行者の管理をする仕事に就くことを受け容れざるを得ない。カフカ的展開。何かワクワクするではないか。
彼の家を乗っ取った女が彼の上官みたいであった。
何と彼は扉を開けると並行世界に繋ぎ(つまり塔である税関が無限の並行世界との結束点らしい)、旅行者を異なる世界に案内する窓口なのだ。
何でいきなり、、、ともかく強引にこういう文脈に飛ぶ。

彼も自分の想像~創造した世界を扉の向こうに描き、そこに人々を誘う。
まんざらでもない仕事に思えてきたのか、ドラえもんの何処でもドアとほとんど変わらぬ楽しい並行世界を扉の外に繋いで行く。
彼自身がそもそも自宅が変わってしまていた時点で並行世界にスリップしていたのだ。

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この並行世界を管理する管理者がおり、、実はキリルの親友であったコーチャが(別の世界において)その管理者であった。
かれの言うには、キリルの元居た世界もひとつの「下書き」に過ぎず、いろいろな並行世界で試してもっともよいものを管理者の究極の世界~アルカンをパーフェクトにするために利用するようだ。何とも、、、。いきなりスケールが途轍もない。
ともあれ彼の作る~繋ぐ世界はとても評価されここでも重要人物にはなる。
だが彼はかつての恋人アンナが彼の記憶を持っていないことが虚しく、思い悩む。

どうも両親と恋人に拘り過ぎて物語自体が、失速して行く。
前半の期待からそれほどの展開も進展もなく進む。やたらスケールの大きい設定なのだが、、、。
アンナには、この白紙の状態から元の世界での関係を再現しようと猛アタックして上手くいくのだが邪魔が入る。
だが、それを巡ってのいざこざに終始しておりこの映画の世界観がどうなったのか、恋人との関係を軸にこのマルチバースを管理することの不条理や問題を析出しようとしているのか、、、。ただやはりキリルが彼女を取り戻そうともがくところばかりが気になる。

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とは言え、面白いところは幾つかある、、、
塔を離れ衰弱が進むとスケルトンの骸骨みたいになってしまい水を大量に飲むことで何とか元に戻る。
この辺のリミットは、一種の緊張を生みそれなりに物語を面白くするところか。VFXが気持ち悪いが。
それから、アルカンの防衛軍のマトリョーシカロボットが出色の出来だった。
マトリョーシカが空を飛んでパトロールしており、戦闘態勢に入るとトランスフォームして表情も恐ろしくなる。
情け容赦なく銃撃してくる。結構面白い。ヤバいマトリョーシカである。
そしてパーティの歌姫が派手な中国人。かなり中国人や中国風建物も目に付くが、他の国の要素や人種はほとんど見当たらない。
ロシアにとり中国とは、今何であるのか、、、。

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ポップスがよく流れたが、恋愛映画の比重が大きいみたいでどうもわたしには合わない。
この線に流れ出して緊張感も失われ、何やらとても小粒な感じになってしまった。
つまり無数の並行世界~下書き実験を通してアルカンがどのように生成(または修正)されてゆくのか、その辺の過程をスリリングに見せるとかいうモノではなく、ただキリルが連れ去られたり追放されたりするアンナを追いかけ、探すくらいの噺になってしまう。
これでは、余りに物足りない。
上官との超能力バトルなどの見せ場も用意はしているが、それほどそそらない。

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最初の期待ほどの映画ではなかった。




AmazonPrimeにて






おまけ



静かなる叫び

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Polytechnique
2009年
カナダ

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督・脚本
ジャック・ダヴィッツ脚本
ブノワ・シャレスト音楽

カリーヌ・ヴァナッス、、、ヴァレリー(学生)
セバスティアン・ユベルドー、、、ジャン=フランソワ(学生)
マキシム・ゴーデット、、、殺人者(学生)
エヴリーヌ・ブロシュ、、、ステファニー(学生、ヴァレリーの親友)
ピエール=イヴ・カルディナル、、、エリック(ヴァレリーの恋人)
ジョアンヌ=マリー・トランブレー、、、ジャン=フランソワの母


ブレードランナー2049」、「メッセージ」、「プリズナーズ」、「ボーダーライン」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の初期作品。
超大作「DUNE/デューン 砂の惑星」の公開が待たれる。

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モノクロの無機的な光景が広がる。
轟音が唸っていても、ヒヤッとする静謐さの内にいる。
実際、セリフは少なめ。狂言廻しがいない。特定の人物~主人公の視座に絞らない。この主体が場所そのもの、場所の特異性を描き出すような形式になっている。
外は一面の雪白の世界。
BGMと相まって格調高い映像が実現している。
血は溢れ出ているも概念的なものへ昇華され即物性がない。
1989年、モントリオールの理工科大学が舞台。実話ベースであるという、、、。

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フェミニストに対する憎悪の念を抱く青年が刻々と銃乱射テロの準備を(遺書を書きつつ)進める過程が他の学生の生活と並行して描かれてゆく。時間軸の交錯もあり鋭い構成。
このクロスカッティングはとても巧妙に不安と緊張を高めるものだ。
彼は受験の失敗を女子学生のせいにしており、フェミニストの粛清という強迫観念に完全に取り込まれ発狂状態にある。
彼の極度の緊張が物語の基調となって流れ出す。
大学の喧騒の中、学生ジャン=フランソワが不意に壁に掲げられた「ゲルニカ」の絵に惹き付けられる。
無意識に予兆を捉えたかのように、、、
エントロピーに関する講義が延々と続く中、ついに意を決してライフルをもった彼が乗り込み女子学生を狙い撃ちしてゆく。
壮絶な光景だが、乱射事件は全体には伝わらず(直ぐに波及せず)構内に局所的なパニックを繰り返して進行する。
ジャン=フランソワが要請した警察の救援はなかなか来ない。
鳴り響く銃声。その度に女子学生がどこかで絶命する。
大学構内が一様に静まり返ってゆく、、、エントロピー増大の一途を辿る。

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ジャン=フランソワは、犯人がまだ立てこもり犯行を重ねているにも関わらず、自ら構内にとどまり、怪我人の応急処置をして回った。犯人と鉢合わせしてしまい危うく射殺されそうにもなる(余程のことが無ければ男子学生は狙撃されないが)。
彼が独りで懸命に怪我人の看護を細々としていると、やっと救急隊が入り担架でヴァレリーをはじめ、まだ息のある学生が運びだしてゆく。
まさにゲルニカの現場である。
結局、女子学生ばかり14人が射殺され、犯人もその銃で自殺する。
外は何も変わらぬ一面の雪。

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そもそも表向きは(遺書から)フェミニストを狙った犯行のようだが、結果的には女子学生を無差別に殺害しただけである。
事前に、こいつとこいつは憎むべきフェミニストというマークをしていたのではなかったようだが、、、。
だとすれば、フェミニスト云々は方便であり、女子にもてない腹いせレベルのことだってあり得る。
結局、どうであったのだろうか、、、。
(銃乱射事件は向こうではしょっちゅうある為、何とも言えぬが大方詰まらぬエゴから出ているものばかり)。
殺された方はたまったものではない。


その後、怪我が治り希望通りの航空関係の仕事に就いているヴァレリーと、かつて彼女にノートを借りたジャン=フランソワは、その事件後もPTSDに悩んでいた。それは当然だろう。あれだけの惨劇の最中にいて、恐怖に逃げ惑う経験をしたのだ。
それでも妊娠を嫌がる職場で、出産を迎えようとする逞しいヴァレリーに対し、ジャン=フランソワは、車に排気ガスを引き込んで自殺を図ってしまう。

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そう、その現場を生き延びても、あの厳然たる記憶の後遺症~不可逆性に多くの者が悩み続けるのだ。
生の危うさと過酷さ、、、しかしこの大自然のもとでは、何もなかったかのよう。雪白の世界が広がるのみ。




AmazonPrimeにて




おまけ。




越前竹人形

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1963年

吉村公三郎 監督
笠原良三 脚本
水上勉 『越前竹人形』原作
宮川一夫 撮影


若尾文子、、、玉枝(遊郭の元女郎)
山下洵一郎、、、喜助(竹細工職人)
中村玉緒、、、お光
中村鴈治郎、、、船頭
殿山泰司、、、善海和尚
伊達三郎、、、長七
浜村純、、、医者
西村晃、、、忠平


竹だけで作られる「越前竹人形」。職人の技に何とも言えない過酷さを感じ圧倒される。

実にデリケートな絵であった。
これほど美しいモノクロ映像もそうはないのでは。
場面場面でかなりコントラストや明度の調整がなされていることは、素人でも分かる。
構図の工夫にも感心する。特にディテールで雰囲気を魅せる。
雪と雷~光がとても象徴的な意味~陰影を産む。
絵作りに細心の注意を払って作られた映画に思えるものだ。

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ストーリーもしっかりした原作があってか、説得力も充分。
喜助の父が遊女である玉枝の為に作った見事な竹人形に彼が魅入られるところから噺が始まる。
玉枝は遊女であっても人擦れしていない癖のない健気で美しい女性だ。
喜助の喋る方言の響きがとても耳に優しく心地よい。彼のひととなりを窺わせるような。
普通なら彼が見受けすれば、良い夫婦となり幸せに暮らして行けると思われるのだが、、、。

喜助の留守にお光を孕ませる忠平は実に憎たらしいが、この西村晃という役者はこういう役が上手い。
(後の黄門様ではあるが)。
気を失い倒れた玉枝を救った船頭役の中村鴈治郎には強烈な印象を受けた。
善い人を超えた超越者の風情である。
存在自体で魅せる役者の典型にも想える。
中村玉緒は実に人の良い可愛らしい役であり、この暗く湿った物語に明かりを掲げていた。
登場人物たちは思いの外、悪人は少なく、善意の人が多い。
雪国の田舎町の生活も暗いばかりではないのだが。

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しかし玉枝が折角子供の件から解放され、喜助と仲良く暮らして行けると思った矢先に産後の肥立ちが悪く死んでしまう。
人はこれからというときに、あっけなく路を閉ざされることがある。
あのような河原に行きついての流産である。当然、過労と衛生状態も悪く細菌感染による発熱がみられていた。
玉枝が無理を押してそのまま喜助の待つ家に帰って来た気持ちには充分に共感できる。
解放されこれから喜助と思うがままに生きたいという気持ちの表れと謂えるか。

喜助はこれまで、玉枝の客が父であり、玉枝は幾ら惹かれてもじぶんにとって母でしかない。
父を超える竹人形(玉枝をモデルとした像)を作ることで彼女との関係を母以上~以外のものにしたかった。
懸命に憑りつかれたように喜助は竹人形を作り続けた。
その作品は高く評価され、大きな賞も取り、弟子を何人も抱えるようにもなったとは言え、、、。
それでも玉枝との位置関係を崩せずにいた。妻であって妻ではない。
玉枝の風呂場での行水の闇に浮かび上がる白い妖艶な姿を見て葛藤するが、気持ちが乱れるだけでどうにもならない。
だが、玉枝の親友のお光の噺から、父は自分の娘と同様の関係で彼女を労わり支えていただけであり、何の関係も持たなかったことを知らされる。これは単なる方便か。
しかしそこで初めて喜助は玉枝と何の蟠りもない、対等の男女の関係を持つことが可能となった。

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つまり父の人形から二人とも解放されたのだ。
皮肉にもその途上の苦難のときに一度だけ番頭の忠平に襲われていなければ、、、
それが運命を狂わせてしまう。
特にこの頃は、中絶など出来ない世であった。
起きてしまったことの意味付けを変えることは、このように命がけとなる場合もある。
だがそういったことはわれわれの現実にも幾つも見られることである。


何よりモノトーンの美しい、感慨深い作品であった。



AmazonPrimeにてKADOKAWA映画。





ラブ&ポップ

Love Pop004

庵野秀明 監督
村上龍 原作
薩川昭夫 脚本
三輪明日美「あの素晴しい愛をもう一度」主題歌 

三輪明日美 、、、吉井裕美
希良梨 、、、野田知佐
工藤浩乃 、、、横井奈緒
仲間由紀恵 、、、高橋千恵子
三輪ひとみ 、、、裕美の姉
平田満 、、、カゲガワ
吹越満 、、、ヨシムラ
モロ師岡 、、、ヤザキ
手塚とおる 、、、ウエハラ
渡辺いっけい 、、、コバヤシ
浅野忠信 、、、キャプテンEO


アニメでは「ヱヴァンゲリヲン」、実写では「シン・ゴジラ」と「キューティーハニー」もある庵野秀明の初めての監督作品。

友達と一緒に渋谷に水着を買いに出かけたら、たまたま見かけたトパーズの指輪が気に入り、それを買うぞということで、援助交際でお金を稼いで手に入れようとする。指輪は128000円であった。
最初は友達4人で共同してカラオケ交際で直ぐに12万円手に入れるが、それでは何か物足りない。
自分の物を買うのに他の3人の手助けで買うのはちょっと違う気がする、、、ということで、その稼ぎは4当分して分け、残りの分は自分独りの援助交際で賄おうと。そうなのか。
一人で動いたことは初めてだが、指輪の為に頑張るぞというノリで幾つかの荒唐無稽な交際をしてゆく御話。

Love Pop003

カメラワークが何やら斬新さを狙っての事か、意味のない角度のカットが目障りだった。
若かりし仲間由紀恵が、癖が無くとてもナチュラルな話し方と雰囲気であり、かえって気になってしまう。
しかし何で仲間由紀恵がヒロインではないのか。
勿論、新人なのだろうが、どうみても彼女がヒロインという気がするが、、、脇に美人を置く設定なのだろう。
確かに吉井裕美には、普通の清楚な可愛らしい娘が合っているとは思った。

それにしても援助交際というものが、具体的にこのような形のモノもあるとは知らなかった。
一緒にしゃぶしゃぶ食べるだけで、ハイ5万円。勿論高級牛肉のしゃぶしゃぶは奢ってもらった上で。
一緒にカラオケで唄って、適当に拍手して、何でも頼んで食べて、ハイ5万円。
一緒にコンビニとレンタルビデオ屋に恋人っぽく付き添うだけで、ハイ5万円。ってほんの数分であがりの仕事ではないか。しかも向うは、タクシー代まで出すという。彼女は気持ち悪い~みたいに駆けだして行ってしまった為、タクシー代は貰っていないが。
わたしなら、必ずタクシー代まで貰うぞ(いや、ここでわたしならってないわ(爆)。

Love Pop002 これは庵野監督らしいイメージカットである、、、

ともかく、女子高生にとっては、これ程美味しい噺はあるまい。
ほんの数分から1時間弱で、軽~く5万円。それも労働とはとても言えない、ただ食べるだけしかも日頃食べられないような高級牛を奢ってもらって5万円もらえるなんて、そりゃ誰だってやりたいわ。
ただし、ホテルとかに行ってしまうと怖い思いをすることにもなる。
ここは、気を付けないと。後々トラウマが尾を引いたりしてはかなわん。
また、そういうシチュエーションで急に道徳モードになり、娘相手に説教をトクトクと始めるおっさんもいるようだ。
ちょっと違うだろ。女子高生をそういうところに呼び出しておいて、言う立場か。

とは言え、何とも不可思議で気持ち悪いこともある。
道徳おっさんもそうだが、マスカットを口に入れて数回噛んだら出してもらいそれを噛んだ娘のネーム付きで保存する。
ワケわからんが衛生的ではないコレクションには違いない。
この手の想定不可能な依頼もあるため、基本何でもありに対する心構えは必要か。
しかし、何年も籠って寝ていたような風情の男に呼ばれて遭うが、清々しい微笑みを投げかけられた男がいたく感動し、もう今ので全てどうでもよくなったと言い、お金だけ渡してくれるような場合もある。(ここでは未練が出て、もう少し付き合わされるが)。
やはり気持ち良い微笑み(特に可愛い女子高生のもの)は最強であり、大切だとつくづく思う。
場合によっては、それによって命まで救われるかも知れない。
だいたい、女子高生の可愛い微笑みで気を悪くするような人間がいるはずもない。

Love Pop001

大人が(可愛い)女子高生にこうまで大金をさらっと渡すのは、何故なのか。
やはり日頃のストレスを晴らす、気前の良い蕩尽がしたいのだろう。
コツコツ貯めたお金を一気に使う~捨てる歓び。
料理代も馬鹿にならぬ上に4人に12万ポイっと渡してスカッとした顔で帰って行くおじさん。
(このおじさん、何度も似たようなことで、払ってくれる。女子高生にとっては良い鴨である)。
蕩尽の快感に浸るには、バカバカしく虚しいことにパッと使うに越したことはない。
やはり使う対象には女子高生が、ピッタリなのかも。
ホントに空虚で抽象的な対象だし(笑。












夜の来訪者

AN INSPECTOR CALLS

AN INSPECTOR CALLS
2015年
イギリス

アシュリング・ウォルシュ監督
J・B・プリーストリーの戯曲 原作
ヘレン・エドマンソン脚本

デヴィッド・シューリス、、、グール(警部)
ソフィー・ランドル、、、日記を残し自殺した女性
ミランダ・リチャードソン、、、シビル(母)
ケン・ストット、、、アーサー(父)
フィン・コール、、、エリック(シーラの弟)
クロエ・ピリー、、、シーラ(長女)
カイル・ソーラー、、、ジェラルド(シーラの婚約者)


舞台劇を見るような感じであった。BBCのTV映画のようだ。
1912年、バーリング家の一室での会話とその内容の回想シーンで進行する。
とても分かり易い物語。
一人の貧しい女性労働者に対してある上流の家族の全員がそろいもそろって惨い仕打ちをするというハイパーリアルな内容だ。
この家族は、支配~搾取側の人間の典型を一家族という枠内に構成して分かり易くドラマチックに表現したというものか。
貧富の差、格差社会、これらは普遍的な問題である。
更に個人レベルで見れば、利己的で排他的、不寛容。
それがずっしりと詰め込まれている。

搾取され利用され切り捨てられた孤独な一人の女性の自殺するまでの過程を彼女の日記から紐解く形で展開する。
飽くまでも一つの部屋での会話を通して行われる。
上流家族の一人一人が彼女にした仕打ちがひとつづつ詳細に暴露されてゆく。
この時代の支配層と被支配層の関係性と支配者~搾取側の人格をグロテスクなまでに誇張して見せている。
(しかし現代の日常の権力関係に置き換えてみることも容易である)。

各自の罪を突き付け断罪する役割が謎の警部グールである。
彼は確固たる毅然とした態度で権威を振りかざし事実を捻じ曲げようとする彼らの態度を打ち砕く。
しかし警部は記録も取らず、何もせずそこにいる者たちの罪を暴いて素早く立ち去るのだ。

グールとは、彼女の日記から出現した霊的存在なのか。
まさに消え去って、本当の警察がその霊?を引き継いでバーリング家の人々に調書を取りに来る。
おもしろいのは、グールがバーリング家に一人の女性の自殺が決行される前にやってきていたことである。
彼が自殺したと言ってきたときは、まだ女性は生きていた。
グールと名乗る男は彼らが婚約の祝福の最中であったことなどお構いなしに彼らに休む間も与えず性急に自殺した女性がどのように追い込まれていったのかを糾弾してゆく。
それは、ある意味、彼が帰って行った後に、この家族の改心によっては、女性の自殺も止められた可能性も仄めかす流れである。
もしかしたらグールはその為に、その時間に来たのかも知れない。

だが、何とこの家族はグールにやり込まれたときには、各自がその深い罪を認めはしたが、彼が去った後は、彼らを貶める罠だとかの陰謀説を捻り出したり、グールという警部が署にいないことを確認してそれが嘘だと決めつけ、それなら自殺した女性などそもそも存在しないのではと憶測し、それを確かめたところ、その時点でいなかった為、この自らが為した罪自体もなかったことにしてしまう。
エリックとシーラだけは、それでも彼女にした行為~罪は現実のことであるとそれを受け止めようとする。
二人はしたこと自体は変わらないと主張するが、他の面々は自分の惨い行為を棚に上げ、われわれは騙されていただけだ、と被害者のような顔でいる。
そしてその事実の隠蔽~忘却と身の保全を図る相談を始めている。
明らかに理不尽で残酷な扱いで独りの女性を自殺に追いやったことなど、どこかにすっ飛んでいる様子。

ここで実際に事件が起こってしまう。
彼らに(本当の)警察から電話が来る。
一瞬の安堵が急展開し地獄に真っ逆さまの様相を呈して、終わり。
上流家族の転落が決定する。


人間の出てこない映画を観たくなった。


AmazonPrimeにて。




レッド・ファミリー

Red Family001

붉은 가족  Red Family
2013年
韓国

イ・ジュヒョン監督
キム・ギドク原案、製作、脚本、編集


キム・ユミ、、、ベク・スンヘ(妻役・班長)
チョン・ウ、、、キム・ジェホン(夫役)
ソン・ビョンホ、、、チョ・ミョンシク(祖父役)
パク・ソヨン、、、オ・ミンジ(娘役)
キム・ビョンオク、、、金物屋の主人(ツツジ班の上司)


テーマを人間の尊厳と自由に置いたら、大変重い映画である。
普遍性を持ち説得力は充分だ。
但し、その具体的な題材として、あの南の家族(資本主義の典型)と潜伏する北の工作員疑似家族との対比において語るその語り口には違和感を覚えた。
もし、わたしが北の工作員であったなら、あのお隣さんにこころを揺るがされたり憧れることは無い。
南~資本主義をまず絶対視しているところで躓く。

Red Family004

北の工作員たちは、家族を人質に取られ、家族にも会えずずっと敵国にあってスパイとして指令に従い暗殺などを続けてゆかなければならない。そこだけを見れば、飛んでもない人権無視の人を非情な道具としか考えない非人道的なシステムである。
だが、反面この南の家族をそんなに理想的に思えるか、である。
ここにも暴力は幾重にも蔓延り、人間を貶め操作し搾取する流れが絡み合っており、そこに自由や尊厳がどれ程あるというのか。
(どちらが残酷かの度合いなど容易に見えるものではない)。
更に引っかかるのは、「家族」である。
今特にこの資本主義社会においては、家族は解体の一途を辿っている。
(これはスウェーデンなどの北欧を筆頭に全世界的な傾向のようだ)。
それに伴い人間自体大きく変質が加速している。

Red Family003

「南」~資本主義自体を相対化する視点が必要なことと、、、
このように家~家族という制度に重い求心力を置くことはもう無理であるという認識。
良い悪いの問題ではなく、人は「個」として単独化の方向を強めている。
(結果的にある大きな方向性を持つことになるにせよ)。
個~実存が先行する。
何にしろ帰属意識も希薄だ。少なくともわたしには全くない。
(その意味で、わたしはアナーキストだ)。

もはや資本主義対共産主義などで争うところであろうか。
国の体制~イデオロギーが何であろうが、絶えずわれわれは、「個」としてはみ出て行く。
それが特に顕著になって来た。
どちらでもない、あてのない場所にはみ出て行くのだ。
ひたすら自らの生を求めて、、、。
横断して行く。

但し、それは人「類」としての滅亡を早める流れとなるかも知れない。
そうだとしてもこの傾向は強まるだけであろう。
地球上から人がいなくなったところで、どこがマズイ?

北の工作員は、誤っている自分を認識し覚醒するも、自らを再編成する自由が与えられない。
これこそが何より悲劇であり、生命として常に新たに生成されてゆく動的平衡~本来的な生の実現が不可能なのだ。
それで諦めて死を選ぶ。そこはよく分かる。必然性がある。
しかし最後にあんな風に南の家族劇をして死ぬところは共感し難い。
わたしがあの立場であれば、拒否する。あの劇には加わらない。
それより自分が助かる策を探る。
あんな場所で死ぬ気など、さらさらない。

Red Family005

最後に、幾らでも処分出来たはずの娘役のオ・ミンジを生かした工作員の上官は、何を思ったのか。
わたしは、南に靡いた彼ら全員、粛清されるものと思っていた。
恐らく、ツツジ班の面々との本音の騙り合いを通し、こころの揺らいだ部分は小さくはなかったはず。
その経緯から、上官もこの若い娘に託す想いが生じたとしてもおかしいことではない。
皆目見当もつかない未知のものに向けての投企だとしても。
それに賭けてみたいと思ったのだろう。

わたしもこの中道を行く娘なら、良いモデルを示すことが出来ると思われた。
頼りないお隣のにいちゃんでも相棒にして、、、。
彼女もそんなスッキリした顔を見せていたし。

Red Family002

良いエンディングであった。











黒い十人の女

Ten Dark Women001

Ten Dark Women
1961年

市川崑 監督
和田夏十 脚本
芥川也寸志 音楽

船越英二、、、風松吉(TVプロデューサー)
岸恵子、、、石ノ下市子(女優)
山本富士子、、、風双葉(風松吉の妻、レストラン「カチューシャ」経営)
宮城まり子、、、三輪子(台本印刷屋の経営、後半幽霊)
中村玉緒、、、四村塩(CMガール)
岸田今日子、、、後藤五夜子(TV局の演出担当)
宇野良子、、、虫子
村井千恵子、、、七重
有明マスミ、、、八代
紺野ユカ、、、櫛子
倉田マユミ、、、十糸子
森山加代子、、、百瀬桃子
永井智雄、、、本町芸能局長


そろそろKADOKAWAでも観なければ勿体ないと思い(貧乏性だな)、わけも分からず観てみた。
スタイリッシュな映画だ。構図に拘りを感じるが、、、。
女優が10人?出てくるが、若い人もいるのだが、雰囲気的に皆大人である。
何と言うか、今の同年齢の女優より大人の風格が窺えるのだ。
風という「ピーターパンのように影を持っていない、、、現代の機構が無ければ消えて無くなるような男」(市子)とその男を巡る10人の美女という設定(色々なタイプの女性がいるが)。
彼女らは、口々に風という男を何とも思っていない、いい加減な奴呼ばわりして非難しているが、彼のことが気になり関わらないではいられない。自分からまた寄って行ってしまう。
そういう関係なのだ。
この男に何とも言えない魅力を感じるのだが、自分のプライドから率直に認められないみたいな、、、。


風松吉はTVプロデューサーであり、いつも時間に関係なく、「忙しい」を口癖にしており、都合が悪くなると「そうだ、会社にいかなくちゃ」と言って時間関係なく深夜であろうと出かけてゆく。
必ずその時の女に突っ込まれて太刀打ち出来なくなるとそうやって逃げる。
だが、女の方も呆れたかと思ううと、後で追いかけるのだがら始末に悪い(笑。
しかし風松吉タイプの人間は増えていると思う。
深い人間関係を避ける回避型(愛着障害)は近年とても増加しているという。
(自閉症スペクトラムと共に)。
先に引いた市子は、このような男に対し「心と心を触れ合せることのできない生き物になってしまうのよ。女は男に求めるものはもうないのよ、、、」とまで言い放つ。実際そういうことになろう。だが、ほっとけない何かがあるのだ。

Ten Dark Women004

この風松吉は、時代的に言えばその先駆者的存在か。
TVプロデューサーという仕事からも現代人に近い生活スタイル~環境と謂えよう。
確かに仕事場を窺えば、秒刻みの動きで、大変神経も使い多忙を極める様子である。
だが、そのなかで風と謂えば、何の仕事を請け負っているのか皆目分からない。
一体何をやっているのか、見えてこないのだ。カツライスを黙々と食いながら、人の仕事ぶりを見ていたりしていたが。
こういう宙に浮いたような立場というのも、こんな職場にあるのか、と思う。
または、この男、女性関係だけでなく仕事もいい加減なのか。
確か自分が先方のプロジューサー?に連絡するのを忘れ、他の同僚に責任をなすり付けていたりしている。

だがこれで肩書のある仕事が成り立つのかと思うと、何となく全体としては回っているようなのだ。
抽象性の高い職種(箱を幾つ組み立てたとかいう労働に具体性のないもの)ほど、何もやっていなくてもやり手で通っていたりする。
もしかしたらいるだけで何らかの機能を果たす存在なのかも。
これがこの仕事~システムの何とも奇妙で面白いところか、、、。
女優石ノ下市子の洞察が光る。

風松吉は生理的に女性に好かれるタイプのようだ。
また、ちょとした寂しさとか不安とかを抱えた女性の懐にスッと入るのが自然に出来る、謂わばその路の天才なのかも。
独特のソフトで掴みどころのない雰囲気は、また浮気をされて血が上っている女性を空回りさせる。
何だか分からないが、また振出しに戻っていて、、、。
ちょっとしたマジックか?
軽快にシニカルに少しコミカルに展開するフランス映画みたいな質感だ。
10人が男を浜辺で取り囲み、毒殺して水に放り込む白昼夢も粋な映像であった。

Ten Dark Women002

愛人+妻の総勢10人の女性が集結し、このいい加減男(とは言え、植木等とはまた違うタイプ、向こうは猛烈仕事人)をどうするか、喧嘩腰になったり皮肉たっぷりに、またなだめ合ったりして語り合うが、結局殺すことに決めた(笑。
妻がこの男を殺したということで、残りの女性たちとの関係を清算しようという企みだ。
夫もそれに乗る。まあどうでもいいやと言うノリで。
TV局に出入りしていることから、この男がピストルを用意してくる(爆。
自宅にて女たちのいる前で、妻がこの旦那を撃ち殺して見せる。

Ten Dark Women003

ほかの女たちは解放されたように出て行き、三輪子は自殺する。何とも言えぬ未練があった為かこの世からの解放をも目論んだ。
だが、直ぐ空砲の狂言自殺だと謂うことが判明し(そりゃ、逮捕もなにもされていないし)、女たち皆で葉を責める。
そして結局、女優の市子がこの男を引き取ることに。
男は暇で退屈なことから会社に行きたいと駄々を捏ねるが、彼女はずっと隠遁暮らしをさせるという。
つまり二人とも体は生きながらえているも、男も辞表を出され女優をやめ財産だけで生きることを選んだ女もこれまでの社会からは抹殺された立場となる。
(わたしなら息苦しくて堪らなくなる。ブログでも書かないとやってられない(爆)。

Ten Dark Women005

久しぶりに、例のすっかりお友達になってしまった女たちの集まりに参加するが、四村塩などは結婚が決まったとかで、皆自分の人生を楽しんでいる様子であった。
皆に感謝される市子。本当なら妻であった葉がずっと面倒を見続けなければならぬところであろう。
どうなのか、市子は貧乏くじを引いていないのか。

最後の夜の車を運転する市子の表情が印象に残る、、、と言うか怖い。
船越英二は、こういう役をやったら右に出る人はいないと思える。
クレージーキャッツと伊丹十三にはニンマリした。

まあ、面白い映画ではあったが、わたしはSFが観たい(爆。





AmazonPrimeにて。




おまけ




風の又三郎

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1940年

島耕二 監督
宮沢賢治 原作
永見隆二、 小池慎太郎 脚本


中田弘二、、、先生
北竜二、、、又三郎の父
風見章子、、、カスケ少年の姉
西島悌四郎、、、一郎の兄
片山明彦、、、又三郎(5年)
大泉滉、、、一郎(6年)
星野和正、、、嘉助(4年)
小泉忠、、、耕助(3年)
中島利夫、、、佐太郎(4年)
林寛、、、一郎の祖父
見明凡太郎、、、洋服の男
杉利成、、、悦治(3年)
南沢昌平、、、承吉(1年)
河合英一、、、小助(1年)
久見京子、、、かよ(佐太郎の妹)


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なんせ、この物語、小学生の時、読んだはずだが、風と光るガラスのマントと、、、そう光のイメージが残っているくらい、、、。
25年以上前に詩人の入沢康夫の監修による宮沢賢治の全集(選集だったか)を買って、改めて読みだしたのだが、詩~心象スケッチに強烈に惹かれ童話はまだ本格的に読んでいないままで来てしまった、、、。
ちゃんと読み返しておくべきであった、と思う。

春と修羅の「序」に特に魅入られ何度も自分なりに考えてみた。現象学との繋がりで読んだが、華厳経との関係もある。
どう読むか、考えているうちに色々なことに気が移ったり、忙殺されたり、、、最近は子育てでもうどうにもならない、、、(苦。
宮沢賢治は、当時最先端の物理学(宇宙物理)の書籍を輸入して解読していたこともあり、その辺からのアプローチも鋭く、瞠目させられる。音楽にも明るいし、とても興味深いが、読み込んで行くにはかなり腰を据えてかからなければなるまい。
やはりこの手のことは、大学時代にやっておくべきだった。暇なら幾らでもある時期に。

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さて、この映画だが、これを観て何か思い出したような気分になった。
ただ、どうもこの時代の映画の音声は(わたしが特別なのかも知れぬが)聞き取り難い。
それでも雰囲気、物語の物質性がモノクロの画面から香しく伝わって来くるのだった。
モノクロの光がとても説得力があるのだ(恐らくカラーでは、特別なフィルターが必要になるか、、、そう「ダイナー」みたいな)。
特にあのガラスのマント。
想像力を掻き立てる郷愁溢れる美しさ、、、。

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映画として、宮沢賢治の詩~心象スケッチの強度にどれだけ迫れるか、となると思うが。
コントラストもかなり幻想的で、光がとても象徴的に煌めく。
又三郎(三郎)の微笑みもこの世の文脈からズレていて。
又三郎も子供たちも唄う風を呼ぶ歌がとてもプリミティブな響きで耳に妙に残り、、、
とても優れたシュールレアリスムの作品となっている。

子供ばかり出てくるが、クレジットを見ると、後の有名俳優の名が幾つも見られる。
そうした意味でも、興味深いものであろう。
もう80年以上も前の映画であるが、「東京物語」や「雨月物語」とおなじくらい独自の輝きをもっており、古いとか時代性などを超脱した域にある。
どうも音声だけ気になったが、また何度か見直したい作品であった。

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9月1日に転校してきた三郎に対して、「今日は、二百十日だからお前は風の又三郎だ!」なんていう綽名を付けるなんて、、、
昔の小学生は、悪ガキどももインテリである。
わたしは、馬が草原に逃げて行ってしまい、風雨が次第に強まる中、それを追った少年たちのなかで、ひとり嘉助が倒れてしまう。
その時に、又三郎が光るガラスのマントを羽織り、微笑みを浮かべて宙を飛んでゆくところに引き込まれる。
そのような宝の場所~時空というものが自分にもあった気がするのだ。
いつだったか、、、どんなことだったか、まだ想い出せない。


今日はせっせと寝て、夢の中で想い出したい、、、。
折角の機会だ。



AmazonPrimeにて、、、


ゾンビーバー

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Zombeavers
2014年
アメリカ

ジョーダン・ルービン監督・音楽
ジョン・カプラン、アル・カプラン脚本

レイチェル・メルヴィン 、、、メアリー
コートニー・パーム 、、、ゾーイ
レクシー・アトキンズ 、、、ジェン
ハッチ・ダーノ 、、、サム
ジェイク・ウィアリー 、、、トミー
ピーター・ギルロイ 、、、バック
レックス・リン、、、スミス


こういうのをホラーコメディとか言うのか?
CGはほとんど使われていない感じ。
よく高校、大学生の出てくるものには、下ネタが会話などに挟まれその世代感を出したりする演出に使われるが、この映画では下ネタが終始物語の基調となり、それなしに噺は進まない内容になっている。
しかもそれが面白おかしい学園コメディなのではなく、最後には独りもいなくなる大変なホラーなのだ。
しかもストーリーそのものは、よく出来ている。
基本的にとても変な発想の妙な噺なのだが、その前提を受け容れればしっかりしたゾンビホラーの作品と謂える。
見るからにお馬鹿学生たちであるが、人間関係におけるドロドロとした心情の動きはよく分かる描かれ方であった。

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大型トラックの無責任脇見運転ドライバーが鹿を轢き殺した衝撃で、川に落下させたドラム缶から汚染物質が流出した。
その物質の影響で、ビーバーが獰猛なゾンビと化して週末のバカンスにやって来た男女6人の大学生に襲い掛かってゆく。
湖畔に遊びに来た学生たちは、次々にそのゾンビーバーに襲われパニックになる。
ログハウスに立てこもり中から木で出入り口を塞ぐなどして身を守ろうとするが、ビーバーにとって木は全く意味がない。
人にとって分が悪い夜間こそビーバーにとっては活動時間となる。
叢から沢山の光る目に取り囲まれて怯え慌てふためく若い男女。

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何と襲われて、殺されなくても傷を受けるだけで、少し時間が経過するとその人間はビーバーに似た尻尾も前歯もあるゾンビに変身して人を襲うのだ。
どちらかと言うとビーバーに襲われるよりゾンビ化したビーバーゾンビ人間に襲われる方が怖い。
もう絶体絶命の恐怖の惨劇が連鎖してゆく。
よくビーバーでここまで持ってこれたとちょっと感心しながら、入り込めた。
(ビーバーの動き自体にはかなり制限~限界が見える)。
ふっと絶妙なタイミングで出現するハンター?が何とも言えない立ち位置である。
凄く頼りになりそうで、ゾンビバー人間にあっけなくやられてしまう。
こういうガードマンをどの程度有効に使い引っ張るかは悩ましいところか。

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そして最後の最後にひとり傷だらけで生き残った女子大生が、自動車道にやっと出てよろよろと助けを求め歩いてゆくとその先から大型トラックが走って来るではないか。歓喜して手を振るが、そのトラックこそ最初に出てきた鹿殺しトラックであった。いつもそうなのかスマホに脇見をしていて、彼女も轢き殺される。
呆気なく、、、。

そして、、、誰もいなくなった。

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ちょっと捻りを感じたのは、真面目風で慎重な感じの最後まで生き残りそうなタイプの女子が最初にゾンビ化して仲間を襲い、自分を裏切った彼氏をゾンビとして一物を食いちぎり葬るというある意味、理にかなった行動をとる。
元はと言えば彼女の親友の眼鏡女子が自分の体に傷があることを知り、(もうやけくそよと言うか、本心なのか)その彼を誘ったのだ。この辺、結構切羽詰まった凄い愛憎関係が噴出してくる。
この眼鏡女子、ゾンビーバーには噛まれていない女子を、そろそろあなたもゾンビになるわと撃ち殺そうとしたり、追い詰められた時の自己中心な誰をも巻き添えにしてやる感が半端でなく出ていた。
そしてやんちゃで如何にも一番最初に犠牲になりそうな娘が最後まで残るところが、意外に感じはした。一番開放的なお馬鹿で罪はないという感じの娘だ。まあ、エンドロール直前で絶命するが、そのトラックは死神なのか。
しっかりまとめてはいる。

何も考えずに観るには最適なものだ。











カリキュレーター

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Vychislitel
2014年
ロシア

ドミトリー・グラチョフ監督
アレクサンダー・グローモフ 、ドミトリー・グラチョフ 、アンドレイ・クツザ脚本

エブゲーニイ・ミローノフ、、、エルヴィン(造反した総統顧問官)
アンナ・シポスカヤ、、、クリスティ(受刑者)
ビニー・ジョーンズ、、、ユスト・バン・ボルグ(受刑者)
ニキータ・パンフィーロフ、、、マタイヤス(大尉)
キリル・コザコブ、、、総統


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以前にもロシアSFは観たことがあるが、タルコフスキーの「ソラリス」は別として、それ以外のどれよりも面白かった。
地球人が他の惑星に住み着いた遥か未来の御話。惑星XT-59が舞台。
「システム」が徹底管理支配する居住区に人々は生活している。
システムの命令に従わねば、そこでは造反罪として処罰される。
ここに出てくる8人の囚人も皆、同様の罪で終身刑を言い渡された者たち。
その罰が、居住地の外、危険極まりない生物の生息する沼地に放り出されるというもの。
実質、残酷な処刑に等しい。

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「幸福の島」を目指し300キロを無事に踏破すれば、命が助かると謂うが、その島の所在を知る者はいない。
実際、囚人の間でもその島の存在を信じない者がほとんど。
しかし今回、外に放り出された者たちもは選択の余地なく、ひたすらその島に向け歩き続けるしかない。
(途中の旧刑務所に取り敢えず行くことになるが)。
最初から二手~エルヴィンとクリスティ組と残り全部の組に分かれ、途中仲間割れしたりしながら進むが、鉱物の質感の植物とも動物とも取れる(高電圧の電流まで流れるような)奇怪で獰猛な捕食生物に囚人たちは襲われてゆく、サバイバルサスペンス。

エルヴィンが何故、クリスティだけを相棒にして、集団行動を避けたのか、理由がハッキリする。
集団であると地下に潜む極めて敏感で危険な生物に察知され易いのだ。
二人でのコンパクトな移動の方が小回りも効き安全に進める。
エルヴィンが知る人の限られる沼についての情報をかなりもっていることが分かるところ。
ユストも以前、沼を罪人として渡った経験があるという(どうやって生きて帰ったのか)。
(この二人は未経験の他の受刑者と違い、勝手を色々と知っている)。

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沼地の生物だけで十二分に危ういのに、そこに総統の追っ手がエルヴィンらを殺しにやって来る。
絶体絶命のピンチであり、充分にハラハラさせる。
VFXも実に巧みに仕掛けられている(ロシアSFは、どれをとってもVFX~CG技術はとても高度だ。装置や飛行艇のデザインも含め)。
そして特に裂け目もなく、展開も流れも良い。
特に終盤の自分が書き換えたコードでシステムを一時停止させ敵の戦闘機を沼に沈め安堵した矢先に巨大な滝に呑まれることが分かったところなど、結構驚かせる。
山場が適所に設定された上手い作りだ。

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但し、エルヴィンの相棒のクリスティが彼の忠告をいちいち無視して危険を招くところは、イラつかせるが。
ちなみに、”カリキュレーター”とは、クリスティがエルヴィンの理詰めのまるで計算機のように思考~行動する姿勢に対して付けた綽名みたいなものだ。
二人は、予想通り身を守るのに利用できた金属の箱と引き換えに、食料をユスト組に渡してしまうが、ゴキブリのような虫(フナ虫?)を生で食して生きながらえる。
何でも喰わねば300キロなど移動できない。苦行を共にすれば打ち解けても来るものだ。

エルヴィンはクリスティに自らの正体を明かす。
彼は元体制側の人間で、総統の顧問官であったがこのシステムが人道上非常に問題があることを危惧し人々に内情を暴露しようとしたが捉えられ機密情報漏えい罪に問われたという。
しかし彼はシステムに彼しか解くコードを知らないウイルスを忍ばせて来ていた。
そのままにしておけば、システム全体がシャットダウンをするのだ。

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色々と難所が続き、人間同士ももつれあいながら、結局最後にエルヴィンとクリスティの2人だけ生き残る。
この辺は、こういったパニックサスペンスものの定石か。
そして「幸福の島」に辿り着いたはずであったが、そこは総督の軍事基地であった。
そこには脱出用ジェットが格納されているが、解除コードの下一桁をエルヴィンは知らなかった。
ここでクリスティが初めて機転を利かせ、最後の一桁をそれを総督と彼とが決めたときの経緯から推測する。
見事その数字が当たり、格納庫の扉が開くが、そのジェットは一人乗りであった。
ごたごたするも、ふたりで何とか窮屈なところを乗り込み、無事脱出を果たす。

10年後、その惑星はより非情なシステムにより管理されたという後日談が騙れれ終わり、、、。


一口に言えば、ロシア製のデストピア映画である。
湿り気と独特の重さと暗さをもったロシアらしい雰囲気のある映画であった。




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レジェンド・オブ・リタ

THE LEGEND OF RITA

DIE STILLE NACH DEM SCHUSS  THE LEGEND OF RITA
2001年
ドイツ

フォルカー・シュレンドルフ監督・脚本

ビビアナ・ベグロー、、、リタ・フォークト(西側反資本主義テロリスト)
マルティン・ヴトケ、、、アーウィン・ハル(シュタージ将校)
ナディヤ・ウール、、、タジャナ(リタの同志、アルコール依存症)
アレキサンダー・ベヤー、、、ヨッヘン・ペトカ(リタの恋人)
ジェニー・シリー、、、フリーデリケ・アデバッハ(リタの同志)


西ドイツのテロリスト赤軍派(RAF)と東ドイツの秘密警察(シュタージ)とがこのような癒着関係にあったというのは、なかなか興味深い。どちらも冷酷無比で怖い組織みたいに感じていたが、この映画で見る限り、良くも悪くも人間臭く迷走もする。
こんな風だったのか、とか思ってしまった。

ただし、その悪くも、の部分であるが、どんな思想を掲げようと、それのみを絶対視して自分と異なる考えや感覚を持ち異なる体制下に生きる人間を殺してよいことには、なるまい。
そもそも武装闘争とは何か。何を意味するのか。(何故武装闘争なのか)。
わたしは前半は、こういう体質の人もいるのだな~と、遠くから眺める気持ちで観ていたのだが、次第に何とも言えない不快な親近感を覚えだした。

今も生きているインゲ・ヴィエットという反資本主義者であり元テロリストの半生を描いたものという。
ここでは、リタ・フォークトというヒロイン名であくまでもフィクションの形で本質を捉えようと表現されたものだと受け取れる。



わたしが感じたのは、ロジェ・カイヨワの遊びや戦争論にもあった、人が無意識的に囚われる眩暈や聖なるものへの憧れに等についてであった。
まずは、ある理念なりイデオロギーに感化されその政治闘争に身を委ねてゆく。
次第に思考判断を共同体理念に丸投げ依存するような過程に入ってゆき、恐らく周りなど見えない高揚に包まれてゆくのではないか。
眩暈とヒロイックな高揚感がどんどん高まる中で、自分たちの革命の障害となるものなど、躊躇なく粛清してかまわない感覚麻痺に陥る。
もう客観的な思想内容~行動に対する反省的思考は働かず、そこに自己投企し仲間と破壊的行動を共にすることで(ここでは)悪魔の体制資本主義を打倒せんとするヒロイックな感情の高まりと危険を切り抜けてゆく眩暈と恍惚にひたすら酔って行く。
もうあるところまで来たら止められない。降りることは出来なくなる。制裁があるからと謂うより寧ろその快楽原理から。
こんな政治性~思想性のない局面でも、われわれはランナーズハイなどで近い感覚を味わうこともあろう。

この人間の無意識的な身体性にこそ注意を傾ける必要がある。
最近よく話題にもあがる協調圧力なども、一緒に仲間になって同じことをやれというアホな理念も何もない圧力に思えて、実は多数派に協調することこそが善という共同的な感覚~理念に基づいている。
(これが根付いてきた歴史的必然性もあるにはあろうが。原初的生活においてなど)。

異質に見えるだけの対象を理不尽に周囲が攻撃・排除しようとするような場には、往々にしてこの手の共通感覚が働いているものだ。
ここでは、たまたま交通違反で接触して来た警官を自分たちの素性がバレ、神聖な闘争の妨げになるかも知れない、という程度のことで簡単に撃ち殺している。
しかし、基本的に巷にも同様な愚かな行為を幾らでも見る。
これはいくら強調してもし足りない。

この映画では結局、西の反資本主義テロリストが東に渡り、そこの秘密警察の助けも借り、偽名パスポートやらなにやらで身を隠し、職にも就き、恋人も作って、、、それで何をどう動かしたのか、、、である。
結構、普通の生活もその場その場で楽しんでいる様子が何とも言えない。
闘争としては、銀行強盗や誘拐、仲間の脱獄を手伝い、その時邪魔な警官や弁護士とかを射殺したくらいである。
自慢げに法を踏みにじり悪行をする。これで資本主義がどうなったというのだ。
そしてかつての同志であり現在共産圏に家庭を持ち暮らしているジェニー・シリーの生活に苦しむ表情をどう見たのか。
(結局、ベルリンの壁が壊され、東のシュタージから見放され孤立無援で、ドイツ全土から追い詰められる)。
政治的に全く意味の無い虚しい行為~犯罪だけが残った。
やったことは、単なる(快楽原理による)幼稚で衝動的な憂さ晴らしに過ぎない。それも実に迷惑至極な。

テロ組織という目立った形である為、これに対しては誰もが批判的に見るであろうが、日常に潜在する同質の暴力に関しては自ら加担している場合もある。きっと、ある。確かにある。




AmazonPrimeにて。




Diner ダイナー

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2019年

蜷川 実花 監督
平山 夢明『ダイナー』原作
後藤 ひろひと 杉山 嘉一 蜷川 実花 脚本
大沢 伸一 音楽
DAOKO × MIYAVI「千客万来 主題歌「千客万来」
横尾忠則 美術・装飾
東信 フラワーデコレーション
諏訪綾子 フードクリエイション
名和昇平 彫刻(DIVAボトルウオッカの瓶)

藤原 竜也、、、ボンベロ(天才シェフ、元殺し屋)
玉城 ティナ、、、オオバカナコ(ウエイトレス)
窪田 正孝、、、スキン(殺し屋)
本郷 奏多、、、キッド(殺し屋)
武田 真治、、、ブロ(殺し屋)
斎藤 工、、、カウボーイ(殺し屋ディーディーの彼氏)
佐藤 江梨子、、、ディーディー(殺し屋、カウボーイの彼女)
金子 ノブアキ、、、ブタ男(殺し屋)
小栗 旬、、、マテバ(殺し屋、四天王、東のトップ)
土屋 アンナ、、、マリア(殺し屋、四天王、西のトップ)
真矢 ミキ、、、無礼図(殺し屋、四天王、北のトップ)
奥田 瑛二、、、コフィ(殺し屋、四天王、南のトップ、組織のナンバー2)
菊千代、、、CGブルドッグ(ボンベロの相棒)


「想像力のないやつは、死ね!」
爽快。チョー面白かった!
邦画でこんなに尖ってすっ飛んだものは、初めて見た。
理屈なしに面白い、というより理屈がこれに付くか(爆。
アートにかけた熱量が凄いし、関わったクリエイターとキャストも豪華。
ゴージャスで如何にも金かけてる映画。
誰もが過度の演出と限度を超えたメイキャップとファッションで楽しませてくれる。
(玉城 ティナについてはメイド服は着ているが、ほぼ普通か。元々フランス人形みたいな人である)。
VFXも半端ではない。CGが常に合成されていてアーティフィシャルこの上ない。
ブルドックの菊千代とキッドには感心しながら笑った。

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セリフも面白い。「扱いづらい女だ」とか、、、。
気にかけている証拠だが(笑。
藤原 竜也は、監督のお父さんに舞台で随分としごかれていたものだが、やはり才能を買われてのものだろう。
娘の映画でも大暴れで実力フルに発揮である。
「ここでは、砂糖一粒までも俺が支配する」確かにそんな自分の城は持ちたいものだ。
そこで作られる絶品料理特にデザート類は実際に食べてみたい。
横尾忠則が美術・装飾を担当し、東信のフラワーデコレーションにフードクリエーター諏訪綾子の創作料理、更に1億円以上するというDIVAボトルウオッカの瓶ボトルデザインが彫刻家の名和昇平だという。 
そんなダイナー、腕があればだれもが持ちたくなるもの。

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窪田 正孝がここでもカッコよい役だ。彼は常に節度ある二枚目役ばかりだが、今回はかなりのこころのトラウマを抱えている。
とは言え、他の殺し屋連中からすれば、とてもまともではあるが、、、
トラウマに触れると、もうどうにもならない。
やはり他者に対する想像力と洞察力は必須だ(特にこういうところでは)。
前提としてまずは良心であるが。オオバカナコは孤独だがとても優しく素直であるところで救われたかも。

兎も角、来る客が皆ピストルでも何でもやたらとぶっ放す。
こんなところにいたら直ぐに巻き添え喰って命がいくらあっても足りない(笑。
まあ、会員制の殺し屋専用のダイナーで一般人には関係ないが。
死体をどう処理しているのかは、心配になる。
(警察が捜索するような人々ではない点は気楽でよいが)。

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登場人物(環境も含め)全てが高度に抽象化されており、物語もメタレベルもしくはマルチレベルにあって地上の道理には収まらない。
親に捨てられた孤独で透明人間みたいに過ごしてきたオオバカナコも抽象化の極めて進んだキャラであり、このダイナーには相応しい存在となっている。
そしてここでボンベロの下で働くうちに、メキシコで自分のダイナーを持つ夢を真剣に叶えようと思うようになる。
自分が自分にとって必要な存在になってゆく。
別に人に必要とされなくても問題はないのだ。
ボンベロの謂うように自分に確信があれば。

1日30万円のアルバイトである。
最後にボンベロから店を出すための資金も貰う。
(きっと凄い金額のはず)。
「きっとわたしの店に来てね」と言って喚気口から独り逃げるカナコ。

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ボンベロと無礼図とのどちらも不死身かとも思える激戦が終盤を埋め、途中でカナコを逃がしてから彼は意を決し死闘に終止符を打つ。
何年後であろうか、、、
これまた極彩色の箱庭風の人工的な(メキシコの)街で、彼女はダイナーを開いて成功している。
そこへ激戦の最中、死んだかと思った菊千代が現れ、そしてボンベロが姿を見せる。
よく生きていたものだ(無礼図と爆破で同士討ちになったかと思っていたが)。
感激の再会でハッピーエンド。
これがとても気持ち良い。

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それにしても本郷 奏多はまともな役では気の済まない役者なのか、、、
いつも突飛な役ばかりだが、今回の役は演技もそうだがCG技術の勝利でもある。昔だったらやろうにも出来ない。
(「赤い風車」のホセ・ファーラーがロートレック役で同様の演出であったが)。
自分で殺しをし易くするため、薬物等使用して体を小学生並みの大きさに保つなんて、、、
(昔のソ連の体操選手とかに似た人はいたが)。
ここまでサイコというのも最高だ。謂うことなし(笑。


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わたしの好きなミュージシャン土屋 アンナも女王様風にご登場だ。
とっても振り切れた役だが、真矢 ミキにすぐ殺されてしまった。
もう少し暴れさせてあげたいものだが、、、。

兎も角、この世界観、癖になる。
極彩色にCG絡めっぱなし。
限度がない。
ハチャメチャな噺なのに説得力充分。
音楽もピッタリフィットしていた。
パワーが貰え、こっちまで絶好調だ(爆。

またこの監督の映画は観たい。











遊星からの物体X

The Thing015

The Thing
1982年
アメリカ

ジョン・カーペンター監督
ビル・ランカスター脚本
ジョン・W・キャンベル『影が行く』原作
エンニオ・モリコーネ音楽


カート・ラッセル、、、R・J・マクレディ(ヘリ操縦士)
A・ウィルフォード・ブリムリー、、、ブレア(主任生物学者)
ドナルド・モファット、、、ギャリー(観測隊隊長)
キース・デイヴィッド、、、チャイルズ(機械技師)
T・K・カーター、、、ノールス(調理師)
デヴィッド・クレノン、、、パーマー(第2ヘリ操縦士、機械技師)
リチャード・ダイサート、、、ドクター・コッパー(医師)
チャールズ・ハラハン、、、ヴァンス・ノリス(地球物理学者)
ピーター・マローニー、、、ジョージ・ベニングス(気象学者)
リチャード・メイサー、、、クラーク(犬飼育係)
トーマス・G・ウェイツ、、、ウィンドウズ(無線通信技師)


「何を聞かれても、そうだな、しか答えられない」、、、こんな状況はある。
究極の状況下では。究極の他者”The Thing”の衝撃の後では。
ことばが全く実効性を持たなくなる。そんな場所もある。

The Thing012

わたしにとって原体験みたいな映画で、ホントに大昔にTVで観た記憶がある。
冬の南極の鬱々としてヒリツク雰囲気だけよく覚えていた。
大分以前、「遊星からの物体X ファーストコンタクト The Thing」について記事にしていたことを思い出す。
この映画の前日譚であった。


改めて見て、その稠密さ、質量に驚く。
ザ・ミスト」に近い残酷な神々しさを覚える。

雪~氷の下から10万年以上昔に外宇宙から飛来したエイリアン~他者が、爆破の熱で永い冬眠から覚めた。
全く気付かなかった名状しがたい化け物が突然無意識下から躍り出る恐怖。
人は誰でも少なからず、こうした異物を知らずに抱え込んでもいる。
その目覚め~覚醒は、当人を全く異なる人格に上書きすることもあろう。
見かけは同じでも違うモノになっている。
(そもそも自己同一性とは何か)。
誰もが疑心暗鬼になり~自らに対しても~籠って対象を窺いだす。
全ての表象に対しヒリツキ怯える。

The Thing010

距離を持つことで、相手は生きた身体性を失い、モノ化し記号的な操作対象となってゆく。
自閉的な閉ざされた環境において、他者は排除・攻撃対象として現象する~投影される。
そうまさにいつ自分に死を齎す怪物の真の姿を現すか。
それだけの時間~空間が他者であり、恐怖に充満する場所である。
雪と氷の大平原。
日の光を反射し一面地平線まで白く煌めくこの表層だけで、充分に恐ろしい事ではないか。

The Thing016

そこを犬が走って逃げてくる。
途轍もない災厄の前兆に相応しいイントロダクション。
こんな風に始まる日常~物語は幾らでもありそう。
そしてまた他の犬が次の場所を作りに走ってゆく。
(時空に隙間は幾らでもあるのだ)。
ウイルスの感染拡大のように。
そう、彼らは血液一滴分あれば、対象の身体全体の組織を書き換えてしまうのだ。
常にそれに成って生き延びてゆく驚異の適応性と増殖性。

The Thing013

そして(われわれも他者も)生命を生かすも殺すも火である。
ここでは、始まりから終わりまで火が付きまとう。
怪物も火によって目覚め火によって焼かれる。
人も火が続く限りは生きながらえようが、火が絶えれば凍え死ぬだけ。
雪の凍土、吹雪~風、血液~水、火の4大元素が生々しく描き出されていた。
大変本源的な(物質的想像力を刺激する)映画であった。

The Thing014

この物語をずっと支配する恐怖は、人間にとって実はもっとも本質的で身近な感覚なのだと確認する。
身の危険に対し誰もが恐怖と緊張を強いられるが、他者に対して基本的に持つ感覚・感情こそそれであろう。
であるから排他的な攻撃性や自分に都合のよい投影により、処理・封印しようとする。
だが、それで安心など出来るものではない。
元々相手は、常に他の何者かなのだ。常に溢出してしまう何者かなのだ。
恐怖心はずっと燻り続けよう。
いつまでも、、、


このような本質的なホラーが描かれた稠密な映画である。
エンニオ・モリコーネの音楽とは思えぬ重苦しい音色であった。












プラン9・フロム・アウタースペース

Plan 9 from Outer Space004

Plan 9 from Outer Space
1959年
アメリカ

エド・ウッド監督・製作・脚本

グレゴリー・ウォルコット、、、ジェフ・トレント(パイロット)
モナ・マッキノン、、、ポーラ・トレント(ジェフの妻)
デューク・ムーア、、、ハーパー中尉
トム・キーン、、、エドワーズ大佐
トー・ジョンソン、、、ダニエル・クレイ警視
ベラ・ルゴシ、、、老人
ヴァンパイラ、、、老人の妻
ジョン・ブリッケンリッジ、、、宇宙人の船長?司令官?
ダドリー・マンラブ、、、宇宙人エロス
ジョアンナ・リー、、、宇宙人タンナ


ティム・バートン監督の(傑作)「エド・ウッド」でこの監督のことを知り、(怖いもの見たさで)機会があれば観てみようと思っていたが、AmazonPrimeを開いたらいきなり目に飛び込んできた。
「見ろ!」という何処からかのメッセージに違いあるまい、と観念して見てみた。
見るんじゃなかった、、、ティム・バートンのエド・ウッドへの興味は、飽くまでも彼そのものに対してであろう(勿論、こういう作品を作る人がどういう人なのかとなろうが)。

Plan 9 from Outer Space003

これ、もっとセリフが少なく、淡々と進行するものであれば、味があってそれなりに見られた気もするのだが、、、。
監督の妙な理屈を役者に大声で怒鳴りまくらせて、煩くてイライラしたものだ。
セリフがごっそりなくなれば、それはそれで子供のおもちゃ遊びの感覚でぼんやり眺められ、そのままこちらの白昼夢の世界に入り込めるかも知れない。
そう、案外入り口の機能を果たしてくれそうな映画になる可能性はあった。
妙に画質が良いのがも気になる。保存状態が良かったのか?(誰も観ない為に?)この映画フィルムを修復しようという殊勝な考えを持つ人はいないはずだし。

Plan 9 from Outer Space001

部分的に見て行けば、、、
ゾンビ化したダニエル・クレイ警視はなかなかの迫力であった。これは良いキャラだ。ただどう動かすかのプランが全くなかっただけか。
老人の妻のヴァンパイラも格好は決まっていたが、何をするでもなく木の書割みたいに立っているだけで勿体ない。
宇宙人タンナ役のジョアンナ・リーは、訳の分らぬ宇宙人役ではなく、地球人側のヒロインにでもした方が良かったのではないか。
何より宇宙人が地球人と何の変りもなく男女がいて、風呂屋のおやじみたいな屁理屈を捏ねる司令官みたいなのがいて、指令室?への出入り口がカーテンというのも、情けない。計器類も何もかも地球にありそうなものだし、、、見せない方が良かったのでは。
低予算は分かる。パイロット宅のセットもそれは酷いものであった。予算のない分、光の調節などで画面をうんと単純化・強調し、まさに見せたいものだけ映すとか工夫を凝らせばそれなりのものは出来たはず。明るい光の下、何でもかんでも映してしまうから、ノイズや単なるボロ隠しみたいなものも全部晒され、げんなりしてしまう。
それから何の繋がりもない借り物のフィルムを随所に使っていることが一目で分かり、とても白ける。
日本の特撮ミニチュア模型みたいには出来ないにしても(出来ないのは分かり切っているが)、役者の演技や一部分だけを映したり音響効果などで、その状況を暗示するなどして伝えればよいのだから、工夫ひとつではないか。

Plan 9 from Outer Space002

せめて脚本を誰か他の人に書いてもらうのも予算の都合上駄目だったのか、、、。
この人、ストーリーが書ける書けない才能がどうのという以前に思想そのものが破綻している。
全く話になっていないのだ。本のレベルで取り敢えず辻褄が合えさえすれば、、、
支離滅裂でこちらも眩暈に襲われる。妙な主張は入れないに越したことは無い。エンターテイメントに徹する。
あのぎこちない揺らめく円盤がそれでも一番の出来映えに思えた。

Plan 9 from Outer Space006

宇宙人は男女揃える必要はなく、もっと人間離れした格好で一言も騙らず、淡々と作業~操作を続け、地上にゾンビを量産して行く。
ペラペラ無駄口叩かず、同胞とはテレパシーで意思疎通を行う。それでなければクールな超越者には見えない。
警官も皆やられてしまい、軍隊も要請されるがゾンビの数に圧倒される(この辺の群衆のフィルムを工夫する)。
それをジョアンナ・リー扮するヒロインが敵の弱点を突いて次々に倒し、ついに宇宙船も破壊し地球を救う、とかすれば、スーパーガールとかキャットウーマンのオリジナルとか言われ珍重されたかも。ゾンビのはしりとしても。
大体、何の役にも立たぬゾンビ三体作って地上に放って何のダメージを与えられるものか。
そもそもこの宇宙人は何しに来たのかも分からない。彼ら自身混乱している始末。自己顕示欲だけは受け取れたが。
それを迎える地球人もサッパリ訳わからぬ理屈で応戦し、西部劇のチンピラみたいな殴り合いを宇宙人とし始める。
何処かの路地のチンピラ同士の小競り合いか。
これでは困った人たちのカオス劇ではないか。
メタレベルではまさにそうであり、監督の真意がそれであるなら、、、いやないな。

Plan 9 from Outer Space005

これは、決して昔の映画だからこうなったという類のものではない。断じてない。
技術や設備などの問題以前。
この時代にも大変優れた映画は幾つもある。
(もっと古いサイレント映画も含め。チャップリンのものなど、、、)。
単に映画としての体を成していないのだ。




AmazonPrimeにて。

「地球最後の男」といい、貴重なフィルムが観られることは、映画好きな人や研究者には有難いことだろう。







地球最後の男

The Last Man on Earth001

The Last Man on Earth
1964年
アメリカ、イタリア

ウバルド・ラゴーナ、シドニー・サルコウ監督
フリオ・M・メノッティ、ウバルド・ラゴナ、ウィリアム・レイセスター、リチャード・マシスン脚本
リチャード・マシスン"I Am Legend" 原作
邦訳の度に、『吸血鬼』、『地球最後の男〈人類SOS〉』、『地球最後の男』、『アイ・アム・レジェンド』という題になっている。
尚、この原作の他の映画に、『地球最後の男オメガマン』(The Omega Man)と『アイ・アム・レジェンド』(I Am Legend)があるようだ。
機会があれば観てみたい。


ヴィンセント・プライス、、、ロバート・モーガン(生物学者)
フランカ・ベットーヤ、、、ルース・コリンズ(新人類の女性)
エマ・ダニエリ、、、ヴァージニア・モーガン(ロバートの妻)
ジャコモ・ロッシ=スチュアート、、、ベン・コルトマン(ロバートの同僚、若手の研究者)
クリスティ・コートランド、、、キャシー・モーガン(ロバートの娘)


原作がかなりよく出来たSF小説に思える。
それが十全に映画化されたかどうかは疑問。
この物語の真意を伝えるには至らなかったと謂える。かなり脚本、演出的に弱い。
監督の問題か。
ここからゾンビ映画が溢れ出てきたことはよく分かる記念碑的ムービーであるには違いない。

The Last Man on Earth003

全世界で生き残った人間が、主人公のモーガンただ一人。
全世界レベルでウイルスが猛威を振るい、、、
密を避けたり、衛生面を徹底したり、外出自粛など生活上の制限も虚しく、誰もがなすすべなく感染してしまった(どこかで聴いたことある噺だ。そうこの原作のエピゴーネンが沢山出回ることとなり、いまや現実界にも広まる(苦)。
感染者は、公衆焼却場で次々と焼き捨てられてきたが、やがて焼く役人たちもいなくなる。昼間の路上にはゴロゴロと幾らでも転がっている始末。
その埋葬はもはや彼に残された仕事~責任となり、心臓に木の杭を打ってとどめを刺した上で死体を焼却してゆく。
独りでは大変だ。直ぐに日も暮れたしまう(そうしたら吸血鬼に取り巻かれてしまう)。

日中あちこち探しまわるが、どうやら生存者は見当たらない。
世界に向けて3年間に渡りSOSを発してきたが電波を返してくる者もいなかった。
孤独を極める。
吸血たちは夜な夜な「モーガン出てこい、殺してやる」とか言ってこぞってやって来るが、かなり非力で大したことは無い。
陽の光の下では倒れて動けなくなる、鏡を怖がる、ニンニクを嫌がる、この辺は従来の吸血鬼?と同じ特性である。
また、生前の記憶や知性、そこそこの運動能力、言語能力も保持していることでゾンビとは異なる。
モーガンは、日中は“吸血鬼り”と、周辺の探査も行いチェックした範囲を地図に示し、陽が落ちたら家に立てこもり、音楽などを聴いて過ごす。時には家族のビデオを観て過去の思いに耽る。だがかなり嫌気がさしている。

The Last Man on Earth002

だがある日のこと、生きた犬に出逢い、久々に希望に胸を躍らせる。
しかしその犬も調べてみるとウイルス感染しており、処理することとなり大いに落胆するのだった。
その埋葬をしたとき、遠くに歩く女性をみとめる。
今度こそと思ったらその通り、生きた女性であった。感染していたとしても今現在はしっかり生きているのだ。
彼女はニンニクを嫌うことなどから、モーガン博士としては感染を疑うものであるが、まだ何とかなる状態と踏んだ。
そこで、彼の血液から作ったワクチンを接種すると、見事に彼女は吸血鬼特性が消え去る。
ここで長年の博士の研究が実を結んだことになり、大変な成果ではないか。
彼の仮説では、パナマで働いていたときに感染した吸血コウモリに噛まれたことが原因で免疫が出来たに違いないと。
ホントはここから新人類への集団接種とかそちらへの展開だってあり得たはずだが、もう流れは決まっていた。
彼女は、実は新人類の共同体からモーガンのスパイとして送り込まれた来た女性であり、ワクチンで昼間に何とか動けるようになっていた。しかしそれは持続性が短い(進行を遅らせている)のだ。博士のワクチンは大変重要なはず。
彼女はモーガンに感謝し、しかし味方が命を狙い襲って来ることを伝え、逃げるように諭す。

新人類は夜しか動けないが、死んで吸血鬼になったわけではなく、飽くまでも人間なのだ。
かなりの人数がおり、新しい共同体を形成している。動きも人間そのものだ。
モーガンに対しては、昼間の間に同胞が沢山葬られており、吸血鬼同様、彼のような旧人類も粛清の対象となっており今回の襲撃となった。

The Last Man on Earth004

この映画、最後の大切な詰めが実に弱い。
モーガンという旧人類こそが、新人類の眠る最中に彼らを殺戮して行く悪鬼というかLegend Maになっていたということである。
最後に視座が急転するのだ。
多勢に無勢でモーガンは追い詰められてゆく。ルースが彼は敵ではないことを伝えようとするが同胞にそれを聴く耳はない。
最後に逃げ込んだ教会で、モーガンは「貴様らは皆怪物fだ!わたしこそが地球最後の人間だ!」と叫んだところを槍で胸を刺され絶命する。
そして新人類たちが恐るべき旧人類と吸血鬼を倒し、地上の夜の支配者となってゆく噺である。
ただし、ルース・コリンズだけは新人類でありながら昼間も平気というマルチな人となっているはず。

この視座が一気に新人類側に移り、旧人類こそが切り裂きジャックみたいな殺戮魔となっていたという転換が強調されなければならないはずが、とても弱いのだ。
ルース・コリンズのモーガンが殺される時、そして彼の死後における仲間とのやりとり如何でその新たな世界観が示唆されるはずが、何をどう狙っているのかはっきりしない。
有耶無耶な締めであった。
勿体ない。












切り裂き魔ゴーレム

The Limehouse Golem001

The Limehouse Golem
2016年
イギリス

フアン・カルロス・メディナ監督
ジェーン・ゴールドマン脚本
ピーター・アクロイド『切り裂き魔ゴーレム』原作

ビル・ナイ、、、ジョン・キルデア(刑事)
オリヴィア・クック、、、エリザベス(リジー)・クリー(舞台女優)
ダグラス・ブース、、、 ダグラス・ブース(舞台俳優、劇団長、リジーの師匠)
ダニエル・メイズ、、、ジョージ・フラッド(キルデア刑事の補佐警官)
サム・リード、、、ジョン・クリー(リジーの夫、売れない劇作家)
マリア・バルベルデ、、、アヴェリン・オルテガ(クリーの愛人、元女優のメイド)
エディ・マーサン 、、、アンクル( 劇場支配人)


「芸術の一分野として見た殺人」(トマス・ド・クインシー)などという著書があったとは知らなかった。
(「阿片常用者の告白」が有名であるが、、、)。
この著書のページの上に自分の殺害日記をつける犯人とはどんな奴だ?
しかも物凄い癖のある筆跡ではないか、、、。
筆跡鑑定したら直ぐ判るような代物。
図書館で閲覧しながら本に直接、書き込みするってどういうことだ?
かなりの自己顕示欲ではないか。
『ライムハウスのゴーレム』と恐れられる連続殺人犯である。

The Limehouse Golem002

リジーが作家の夫を毒殺したとして逮捕された日に一家5人全員殺害事件も起きていた。
この両方の事件が繋がってゆく。
ゴーレムの方は、死体が切り刻まれるもので殺害方法はことなるものだが。
「傍観者であれ、加害者と同等の血を流させることになる」などと血文字で壁に書きつけるなど、劇場型である。
自己を何らかの形で強烈に表出しないと居られない体質。
大変な不幸と不遇に見舞われ深い傷を負っている者こそ、その必然性を持つ。
出来れば、ロックミュージシャンになることを勧めたいが、、、最適の職業なのだが、、、。
この時代は、1880年頃だとすると、、、。

確かに大衆演劇など一番合っている表出の場かも知れない。
リジーにとっても原体験に直結する場であろうし。
しかし、そこで充足出来なかった。彼女の要求する条件が整わなかった。
コメディエンヌとして人気は博したが、舞台女優として自分の全てを表現したかったのだ。
受ける~称賛だけでは物足りない。自分の外傷経験を対消滅させる超巨大エネルギーが必要なのだ。
浄化と昇華が閉ざされれば、違う場所に激しい殺意に変換されて噴出する。
それも芸術的趣向を加えた。
そう、これも自己表出である以上。

The Limehouse Golem003

幼少時の愛着障害と思春期における抑圧と搾取。
完全に押しつぶされた自己尊厳。
だが生のエネルギー自体は消滅はしない。保存される。
識域下に圧縮され貯えられた凄まじいエネルギーは強烈な殺意に絞り込まれ制御不能に放流する。
これを止められる人間などいない。
勿論、神にも止められはしない。

そして永久に回帰する。
エネルギーは不滅なのだ。












クリスタル殺人事件

The Mirror Crackd003

The Mirror Crack'd
1980年
イギリス

ガイ・ハミルトン監督
ジョナサン・ヘイルズ、バリー・サンドラー脚本
アガサ・クリスティ『鏡は横にひび割れて』原作

アンジェラ・ランズベリー、、、ミス・マープル(事件の犯人を推理する老嬢)
エリザベス・テイラー、、、マリーナ・グレッグ(アメリカ人の大女優)
キム・ノヴァク、、、ローラ・ブルースター(アメリカ人のグラマーな女優)
ロック・ハドソン、、、ジェイソン・ラッド(映画監督、マリーナの夫)
エドワード・フォックス、、、ダーモット・クラドック(ミス・マープルの甥、ロンドン警視庁の主任警部)
ジェラルディン・チャップリン、、、エラ・ジリンスキー(ジェイソン・ラッドの助手)
トニー・カーチス、、、マーティ・N・フィン(映画プロデューサー、ローラの夫)
モーリン・ベネット、、、ヘザー・バブコック(地元婦人会幹事)
ウェンディ・モーガン、、、チェリー・ベイカー(ミス・マープル宅の家政婦)


物凄い豪華キャスト。
ミス・マープルというおばあちゃんが実質ヒロインと謂える。
名探偵であり、ダーモット・クラドック警部のずっと上を行く。
(時折、こういう鋭いおばあちゃんに遭遇することはある。それがよいかと言えばそうとも言えなかったりする((笑)。
エリザベス・テイラーはまさに現実とほぼ同じ状況みたいな。
(若い頃の映画も観ている為、感慨深い)。

The Mirror Crackd004

この物語は、「スコットランドの女王メアリー」の大作映画で再起を狙う往年の大女優マリーナ・グレッグが何者かに命を狙われ、彼女の身代わりにヘザー・バブコックとエラ・ジリンスキーが毒殺されてしまう。舞台は映画を撮影するキャストやクルーを大歓迎する村である。
いよいよマリーナ本人の身が危ないと、不安と緊張が高まる。
しかし名探偵ミス・マープルの推理から、偶然の手違いからマリーナではなく他の人が殺害されてしまったのではなく、最初から巧妙に練られた殺害であり、その真犯人はマリーナであることを突き止める。
わたしも、最初はマリーナの大ファンであるヘザーが毒殺されたのは、彼女がカクテルを零してしまった為、マリーナが飲むはずだったものを彼女に渡したことによるものであった。これだけ見れば、当然狙われたのはマリーナの方だと思ってしまう。
ご丁寧に彼女宛に脅迫状まで届いている。
ジェイソンを慕っているエラが点鼻薬で亡くなるところは、マリーナではなく直接彼女狙いであるが。
エラが淹れてきたコーヒーに毒が入っていてそれに口を付けたマリーナがパニックになった経緯もある。
エラは、怪しいと思われた関係者に片っ端から電話をかけて調べていたことで、真犯人によって仕組まれ殺されたと受け取られていた。

The Mirror Crackd001

村を挙げての歓迎パーティーにマリーナの前にしゃしゃり出てきた婦人会幹事のヘザーが自分がどれ程彼女の大ファンであるかを一方的に捲し立てていた。その時、飛んでもない事実が発覚したのだった。
マリーナを長いこと映画から遠ざけていた原因である息子の知的疾患を招いたのは、戦時中に彼女が慰問の舞台を務めた後、袖でファンだと謂うことで待っていた女性にサインをせがまれキスをされたことによるものであった。今眼前で喋りまくっている女がまさにその女であり、その時の女の風疹のせいで運命が狂ってしまったことを知った瞬間、マリーナは凍てついた表情で「聖母子像」の絵を打ち眺めていた。
ミス・マープルへの報告係でもあるチェリー・ベイカーの観察によれば、周りの人間皆がその異様な表情に唖然とするほどであったようだ。
そしてそれを境に、マリーナにスイッチが入ってしまったのだ。

コロナ禍における現在でもこうした意図せぬ接触事故は多々あるはず。
現状に無理に引き込んでしまう意識も働いてしまった。
この映画を観て、やはり気を付けねばと再認識したものだ。
その時々で様々な観方~受け取り方はあるものである。

The Mirror Crackd002

真相が発覚してしまったことで、アリーナは最期まで女優として美しい演出のもと自殺を果たす。

成程ねえ、と思う映画であったが、余りわたしの得意なタイプの映画ではない。
そろそろSFが観たい。「アリータ」みたいなスーパーファンタジーでも良いが、、、。














定められし運命

AGAINST THEIR WILL

AGAINST THEIR WILL
2012年
フランス

ドゥニ・マルバル監督

フロール・ボナヴェントゥーラ、、、アリス・ファーバリッチ
マーシャ・メリル、、、初老のファーバリッチ
ルイーズ・エレーロ、、、リゼット・ワイズ
ピエール・キウィット、、、ヒューゴ・シュタイナー(足の悪い少佐)


戦争映画にこういう切り口があったかと思った。
久々に感動というものを味わう。
この感覚~感情よいものだ。

物語は、身籠ったリゼットの娘が、かつての母の親友であり里親でもあるアリスの語る二人の人生をビデオ録画するその内容である。

アルザスがドイツ軍に占領され、一夜にしてドイツ人となったフランスの少女(高校生か大学生くらいか)たちの噺。
国家労働奉仕団に全員送られる。そこで教訓を叩きこまれる。
しかし思いの外、残虐な目に遭わされる訳でもなかった。
衣食住環境も作業も戦時中にしては、酷いとは言えないレベル。
思想上の問題を除けば規律の厳しい宿舎みたいな感じかも知れない。
少なくとも容姿がナチスに認められる立場のノンポリのリゼットにとっては、然程悪い場所には感じられなかった。
何かにつけて「ハイルヒトラー」である。リゼットは何の抵抗もなく、アリスは苦々しく、、、。
指導者~ヒトラーは見ておられます。
まるで天から覗いている神のごとくだ。

ヒトラー~ナチスの思想(アーリア人の優位~民族浄化に基づき)監視員は皆厳しく意地悪だったりするが、足の不自由なシュタイナー少佐は、彼女らに対し公平に真摯な態度で接する。
だが、規律を乱したり逸脱する行為が見られたり、密告されたりすれば、厄介なことになる。
飽くまでも従順に作業に取り組み、思想的にドイツ人化した者が評価される。
アリスとリゼットは、リゼットがアリスを何かと庇う形で次第に打ち解けてゆく。
だが、砲弾の組み立ての不手際の罪を負わされ、二人は指導者の子孫を残す為の施設に送り込まれる。
アリスは排除されるところを、医者の娘であることから欠員の出た看護師の替わりを務めることで命拾いするが、リゼットは彼女に目を付けていた少佐に強引に身籠らされることとなる。ここから彼女のドイツに対する意識が激変する。
アリスと共にリゼットも脱走し、唯一の頼れる存在であるシュタイナー少佐に連絡を付け、彼に窮地を救われ、シスターに守られ生き延びる。
二人の絆もより深まるが、アリスのシュタイナーに対する信頼も高まってゆく。
ドイツに運ばれ始めて寛いだ生活を送っていたが、リゼットがいよいよ女の子を産み落とす。

リゼットは、シスターの施設でアリスに対し「わたしに何かあったら、子供をお願い」と頼むのだった。アリスは「何を言うの、死んでは駄目よ」と返していたが、「子供を愛してね」という念を押す言葉に対し、怪訝な顔をしながらもはっきりと頷いていた。
この時のリゼットの決意が現実となってしまう。
赤ん坊を産んだ直後、皆が目を一瞬離した隙に彼女は逃走し川に飛び込み絶命していたのだ。

嘆き悲しむアリス。
ミルクも取り寄せてない状況で、赤ん坊に彼女の乳を吸わせると、何としっかり母乳が出るのだった。
シスターは、奇蹟が起きました、と囁く。
この女の子を里子として育てるには、既婚女性であることが望ましいもの(有利)であった。
「わたしが愛してると謂ったら?」「それなら、、、」
シュタイナーからのプロポーズを受けるアリス。
この辺りで何故か感極まってしまった。

現在は年老いても仲の良いアリスとシュタイナー夫妻とリゼットの忘れ形見との幸せな生活が窺える。
その娘もお腹に子供を宿し、生まれたらこのビデオを見せるのだと言う。

知らぬ間に、ここに来るまでの、、、
アリス、リゼット、シュタイナーの感情の揺れ動き、そして流れが余りに説得力に溢れていたのだ。
特にアリスとリゼットの間に生成される友情にとても共感できる。
何だろう、この熱いものは、、、。


今日は午前中からお笑いを見て腹を抱えて笑い転げ、その後この映画で感極まり、感情の激しい体操となった(笑。
そう、朝は蕎麦屋で美味しい蕎麦をたらふく食べて幸福感に浸ってもいたっけ。
久しぶりに気持ちが充たされた感がある。

深呼吸をして眠ろう。



AmazonPrimeにて、、、


全くと言ってよい程、情報のない映画だが、隠れた名作だと思う。
かなりの低予算で作られているはずだが。


サイド・エフェクト

Side Effects001

Side Effects
2013年
アメリカ

スティーブン・ソダーバーグ監督・撮影・編集
スコット・Z・バーンズ脚本
トーマス・ニューマン音楽

ジュード・ロウ、、、ジョナサン・バンクス博士
ルーニー・マーラ、、、エミリー・テイラー
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、、、ヴィクトリア・シーバート博士(エミリーの以前の担当医)
チャニング・テイタム、、、マーティン・テイラー(エミリーの夫、インサイダー取引で服役)
ヴィネッサ・ショウ、、、ディアドラ・バンクス(バンクスの妻)
アン・ダウド、、、マーティンの母
ポリー・ドレイパー、、、エミリーの上司


これはビックリ。
ヒッチコックみたいな映画で楽しめた。
キャストも良い。
音楽にも力が入っている。
こう来るか的な、よく練られた丁寧に作られた映画に感じられた。

Side Effects003

今、うちでも薬が最大のテーマとなっているのだが、薬が色々と出てくる。
こんなに薬ばかり飲んでいないと、普通に生活出来ないというのも、人間とは厄介なものだ。
うちも薬なしの生活は、考えられない。

ここでも取り上げられている鬱病は特に厄介なものである。
鬱病からの自殺も多い。
この映画では、そういった精神における病を巧みに演出し犯罪に利用して行く。
当然それについて豊富な知識を持つ精神科医が絡む。

Side Effects002

なりすまし精神疾患を上手く演じて殺人もやる。標的は日頃から献身的に接する愛してやまない夫である、ということで。
実行した際、心神喪失状態であることから無罪を狙う。
しかしその薬を処方した医者は罪に問われることや製薬会社の株価にもはっきり影響が出ることも計算に入れ、、、とか。
(このとき、異常に株価の上がる他の製薬会社があり、そこに彼女らは関与している)。
ルーニー・マーラとキャサリン・ゼタ=ジョーンズが悪女ぶりをジワジワと発揮する。
しかし、ふりとは言え、鬱で駐車場の壁に車で正面衝突して運ばれるなどの体を張ったリスキーな芝居もしてゆく。
地下鉄ホームから飛び込むふりをして駅員に止められたり、、、その後、エミリーはバンクス博士のところに駆けつけ、ホテルで色々と相談するが、そこを盗撮させ後に利用する等々、、、着々と手際よく計画を進めて行く。

SSRIや新薬アブリクサとかゾロフト等々、、、色々試すが、実は飲んだのはアブリクサだけ(実は全く効果のない薬であった)。
精神疾患など微塵もなくふりをしているだけであり有効な薬をホントに飲んだらかえってマズイ。
しかしエミリーは病を悪化させ夢遊病まで発症する。それによって夫を包丁で刺し殺す。
結局、アブリクサの副作用ということになる。
バンクスはこの新薬開発会社と契約を結び患者の協力を得ると金が入ることになっていた。これも不利な要素となる。

Side Effects004

エミリーは精神医療センターに入ることを条件に無罪を勝ち取る。
追い詰められたバンクスは、エミリーが以前、鬱の治療を受けていたというシーバート博士と組んでいたことを突き止める。
バンクスは、面会時にナトリウムアミタールをエミリーに投与してこころを落ち着かせ、何でも自分の思う真実を喋らせるようにする。
彼女はそれを逆手に取り、嘘を騙り眠ってしまう。
だが、それはただの食塩水であった。このあたりからバンクスが形勢を逆転させてゆく。

写真の小細工もあって妻子は出て行き、評判を酷く落としたにも関わらず、バンクスは攻めに出る。
シーバートにはエミリーから話はすべて聞いたと騙り、エミリーにはシーバート推薦の電気ショック療法を試すと持ち掛ける。
そしてシーバートから金を受け取ったとエミリーに留守電に入れ、彼女と組んだように巧みに見せかける(窓から見下ろせる場所で親しげに喋り握手して見せるなど、、、ヒッチコックもやりそうなトリック)。
エミリーは取り乱す。

Side Effects005

結局、全てをバンクスに話してしまう。シーバートとのなりそめから(恋愛関係でもあった)、詐病の計略。夫への恨みと殺意まで。
バンクスはエミリーを使い、心を許したシーバートから犯行や金を隠した銀行などの情報をボイスレコーダーに録音させる。
シーバートは捕まり、エミリーも裁判所命令で副作用のある薬の実験台の役目を命ぜられる。それを嫌い逃げたところで彼女も捕まり医療センターに閉じ込められる。
バンクスは元の家庭の状態に戻り、新オフィスも構えていた。
外を虚しく窓越しに見つめるエミリーの姿、、、でエンドロール。


何だかダラダラ大まかな出来事を書いてしまったが、全く意味の無いことをした。
そもそもこれは書くことでもないし上手く書けるものでもない。
見るしかないものだ。
ヒッチコックばりの面白さはあったと思う。




AmazonPrimeにて、、、

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グッド・ネイバー

The Good Neighbor001

The Good Neighbor
2016年
アメリカ

カスラ・ファラハニ監督
マーク・ビアンクリ、ジェフ・リチャード脚本
アンドリュー・ヒューイット音楽

ジェームズ・カーン、、、ハロルド・グレイニー(独り暮らしの老人)
ローガン・ミラー、、、イーサン・フレミング(高校生)
キーア・ギルクリスト、、、ショーン・ターナー(高校生)
ローラ・イネス、、、キャロライン・グレイニー(イーサンの母)


淡々と流れる映画であった。

糞生意気なアホ高校生が、したり顔で「人は見たいものを見る」などとほざいていたが、まさにその通りで、お前がそれにはっきり自覚的でない為に人を殺すことになったのだ。
他者に対する想像力の欠落。
人を自分の都合の良いようにしか見ることの出来ない屑。
近所の老人に対して、自分の見たいもの~内面を投影して、老人をいいようにいたぶり殺すに至る。
その老人が日頃、不愛想で誰とも付き合いを持たない変人だからきっと何か悪いことをしているどう扱ってもよいやつだ、などと決めてかかる。
この老人は、知人(妻の友人)から良い施設の世話をされていたが、断固として断っていた。
家に大切な想い出が詰まっている為、絶対にここを離れたくなかったのだ。
そこへ、ターゲットに質の悪い悪さをしてその反応を録画・編集しwebに上げ評判をとろうという糞バカどもが一方的に絡んできた。

The Good Neighbor002

向こうには決まって地下室というブラックボックスがある。
昨日の映画では狙い通り地下室に犯罪の巣を見つけ真犯人を暴くことに成功したが、今日の作品はこの老人が地下室でしていることは、亡き妻との想い出に耽ることであった。
そこには病床の妻の為にプレゼントした、彼女が自分を呼ぶときに便利なベルが大切に保管されていた。
この餓鬼どもは、それまでポルターガイストばりの扉がバタバタ開閉したり音楽が勝手に鳴り出したり、電気が付いたり消えたりなどを全て遠隔操作し、それに対する彼の反応をずっと録画してきた。
それらのデバイス取り付けは老人が買い物に出かけた隙に忍び込んでやったものだったが、地下室にはカメラも盗聴器も取り付けていなかった。
家宅不法侵入とは、そもそもこの老人の稠密な内的生活に土足で入り込むことでもある。その重みすら微塵も感じていない。
(単に見つかったら、やべ~っというだけなのだ)。

The Good Neighbor003

ご丁寧にこの家の地下から女性の叫び声が聞こえたなどと警察に通報して何とかその中を確かめようとさえする。
老人にとってそれら全ての事象は霊現象~女性の声すらも~妻からのメッセージだと受け取れるものとなっていた。
そして警察の調べに満足しないそいつらは、自分で地下室を探りに行き、ビンテージもののベルを上の居間まで勝手に持ってきてしまう。そのベルの移動は、老人にとり特別な意味を持った。
これが最終的なトリガーとなり妻からの指示~お迎えと受け取り、彼はピストル自殺を果たす。
(確かにこいつらの言う通り「人は見たいものを見る」ことしか出来ない)。
こいつらは腰を抜かすが、勝手に死んだんだから俺達にはかんけーね~、とかほざいて、機器を取り外し証拠隠滅を図ろうとする。

The Good Neighbor004

裁判官が本来なら無期懲役にあたいする行為だが、まだ未成年であり初犯である為、2年間の保護観察処分とする、ときた。
何なんだ、この情状酌量は。
この老人が死ぬまでに至る仕掛けを作動し、その反応を全てビデオに録りそれをウェブ上にアップして人気者になろうなどと企む屑どもに対し、、、
人をそもそも何だと思っているのか。
だがこういった手合いはいる、いる。こういう空馬鹿は巷にウヨウヨ老若男女を問わず、いるから困る。
自分の空虚さを充たそうと、承認要求の点稼ぎの為に他者を平気で利用し犠牲にするゴロツキどもが。
この映画も典型的「バカは死ね!」映画、(わたしにとり)第二弾となった。だが、ターゲットにされた老人は死んだ(殺された)が、奴らときたら、ピンピンしており保護観察2年というのは、余りに非対称な関係性ではないか。

そして判決後に裁判所を出ると、マスコミや野次馬が大挙して集まり騒ぎ立てて、沢山のマイクを向けて来る。
この子憎たらしい高校生のまんざらでもないという満足気な表情、、、。
こう言う奴を果たして生かしておく意味があるのか。
(死んでも治らない手合いだが)。
こいつは、更に調子に乗るだけだろう。
共感性と想像力のない上に承認欲だけ旺盛なモノがこの先、また何をやらかすのか、、、。
まずもって、少年法というのが気に喰わない。
人類は急速に変化している。枠の有効性は常に検討を加えられなければならない。


見るのが嫌になる映画であった。









サマー・オブ・84

Summer of 84 001

Summer of 84
2019年
カナダ、アメリカ

フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル 監督
マット・レスリー、スティーヴン・J・スミス 脚本

グラハム・ヴァーチャー、、、デイヴィー(警官の息子)
ジュダ・ルイス、、、イーツ(デイヴィーの親友)
ケイレブ・エメリー、、、ウッディ(デイヴィーの親友)
コリー・グルーター=アンドリュー、、、ファラデイ(デイヴィーの親友)
ティエラ・スコビー、、、ニッキー(デイヴィーの彼女)
リッチ・ソマー、、、マッキー(デイヴィーの父の同僚警官)
ジェイソン・グレイ=スタンフォード、、、ランドール



オレゴン州のイプスウィッチという小さな町に住む少年たちが連続殺人犯を自分たちで暴き追い詰める噺。
1984年の夏のことだ。ホントにこういう事件が片田舎で起きたのだろう。
(田舎の方が噂も回りやすくパニックも起こりやすい)。
題材になる事件は色々とあっただろうし。
小さな共同体ならではの住み難さも漂う。「わたしこの町を出たいの」(ニッキー)。「ぼくもだ」(デイヴィー)。
町の人は誰でも顔見知りで、誰の家庭が今、離婚危機だとかの情報も直ぐに回ってしまう。
また少年たちの噺を聞いても各家庭の大変さが滲んできており、家庭問題でとても苦しんでいる子供もいる。
デイヴィーの彼女(幼馴染)のニッキーも両親の離婚でこの町を離れることになっている。

Summer of 84 002

そんな重苦しい雰囲気のなか、寧ろだからこそ、少年たちの団結は固く、集まって頻繁に語り合う。
少年ならではの思春期の噺も勿論登るが、しかしここではもっと深刻な話題に事欠かない。
何故なら、連続殺人犯が次々に少年たちを攫って殺してゆく事件が自分の住む町に発生していたからだ。
地元ケーブルTVでもその都度事件のニュースが流され住民は不安に慄いている。

家庭の難しくこんがらがった問題もあるのだが、恐ろしい事件の解決に街全体で取り組む必要も出てきた。
しかし家庭の矛盾~問題を外に逸らす程の吸引力まではない。
そんなことは、警察に任せておけ。主人公にすれば、お父さんを信頼して余計なことはするものじゃないと謂われるところだ。
だが、警官を父にもつデイヴィーは、これはぼくらで何とか解決しなければ、という気持ちになる。
自分の知っている少年も犠牲になっている。正義感もあろうが、このような緊急事態に友達との結束を強め居場所を更に固め、何らかの働きをして両親や町の知り合いに対する承認欲求を満たし自尊心を高めたいという気持ちも分かる。
少年期の仲間との冒険とは、そうしたものだろう。

勿論、子供同士でそんな危険なこと~遊びをされては親としては困る。
当然のこととして認めない。
だが、結束の固い少年グループ4人で、勝手に監視に、ゴミあさり、庭の土の掘り返し、家宅侵入までしてこいつがやはり臭いというところまで突き止める。そしてそれを得意になって両親の前で報告する。
その容疑者が同業の近所の警官なのだ。お父さんも呆れて端から相手にせず、息子たちを強引に連れて行き、先方に謝罪させ、外出禁止処分とする。
確かに証拠としては弱いモノであり、怪しい程度を超えるものではなかった。

Summer of 84 003

この手の噺には必ずマドンナがおり、その少年たちと共に捜査や監視、潜入などかなり深入りしてくる美少女が必ずいる。
噺に花を添えねば、というところか(笑。とても健康的なチアリーダーのキャプテン風の美女である。
なるべくリアリティを崩さぬ範囲でやってもらいたいが、ここで彼らが家庭の事情もあって親密に打ち解けていくのは分かるが、4人グループだとイーツ少年が、所謂典型的なイケメンであり、他の少年たちは主人公も含め、とても良いやつなのだが、ほぼオタクと謂える。最初は意外性を覚えたが、人の好みはそれぞれ感が出ていて良いところで、観てゆくうちに馴染んだ。

そしてこともあろうに、犯人と睨んだ警官が連続殺人犯を逮捕するという手柄をたてる。
この放送を聞き、一時は仲間たちは気持ちが萎え、両親はほら見たことかと態度に見せ、もう少年事件対策班は解散かというところに来るが、デイヴィーの信念は揺るがなかった。確かに状況証拠などは、しっかり積んできている。後は決定打だ。

自宅謹慎を抜け出しデイヴィーとその義理堅い親友ウッディと彼女のニッキーの3人がどうしても犯人としか思えない警官マッキーの自宅地下に忍び込む。そこで父のビデオを回す。はっきり殺害を示す物証が撮れればこれ以上の証拠はない。
あちこち探しまくり、奥の扉を開いた瞬間、水酸化ナトリウムで溶かし始めている少年の死体を見つける。
そして普通に飾られている家族写真かと思っていたものは全てこれまでの被害者写真であった。
緞帳が上がったかのように真相が更新された~明かされたのだ(この展開は衝撃的で面白かった)。
まだ殺される前の衰弱した少年も見つけ担ぎ出す。
警察署長の前でビデオ上映する。


Summer of 84 004

両親にも褒められ署長にも英雄だと労う言葉をかけられ、ほっとして眠りにつく。
ウッディもデイヴィー宅に泊まる。周りは監視され捜索を開始した犯人からは守られているはずであった。
ところが、、、という大どんでん返しである。二人は森の中、犯人の死体処理場に連れ浚われ、、、。
結局、デイヴィーはこのサイコ犯から激しい呪いの言葉を植え付けられ、PTSDに悩みつつその後もこの地で怯えながら暮らすことに、、、。この犯人はそのまま何処に逃走したのか分からない、、、。
「お前のお陰で俺は帰る家が無くなった~!」と意味不明な呪文をかけて消えたのだ。
彼女は越して行き、最後まで協力してくれたウッディはそのサイコに無残に殺害され、、、。
悪夢のただなかに放り込まれたまま、、、

、、、少年は今日も隣人の恐怖を反芻しながら自転車に独りで乗っている、、、

終わりのない悪夢。


AmazonPrimeにて。






式日

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ritual
2000年

庵野秀明 監督・脚本
藤谷文子『逃避夢』原作

岩井俊二、、、監督
藤谷文子、、、彼女
村上淳、、、自転車の男
大竹しのぶ、、、「彼女」の母親

松尾スズキ、、、ナレーター
林原めぐみ、、、ナレーター


「新世紀ヱヴァンゲリヲン」などのアニメ監督の庵野秀明による実写映画であり、いつも実写を撮っている岩井俊二がアニメ監督ながら実写に挑戦しようと題材を求めにやって来た、という設定のようだ。

ガメラの相棒でスティーブン・セガールの娘さんの藤谷文子。
彼女が原作者で、岩井俊二監督が監督役で彼女の相手役を演じる。
庵野監督の故郷が、山口県・宇部市で、そこでのロケだという。
最後の最後に大竹しのぶが現れる。
この女優なら最後が締まる(笑。

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疲れた後の気怠い雰囲気に馴染める。
彼女はガメラのお友達なので、親近感もあるし。
惹かれたことを、ただ書いていきたい。

少女~彼女は「明日何の日か分かる?」とばかり聞いて(確認して)くる。
これも儀式だ。
明日とは、、、。明日とは何か?
「明日は君の誕生日だろ」と監督。「そう私の誕生日」、、、誕生日とは何か?
喜びの記念日で明日に繋ぐ。いや明日を拒み続ける。明日から逃げる。
(どうやら誕生日に災いが何度も重なったらしい)。
彼女は、毎日のように儀式をやってる。
今日も生きるかどうかの、確認作業として
屋上の柵の外に出てみる。手を離さなければ、今日も生きると。
どこか死に憧れているみたい。
(わたしには微塵もない感覚だ)。

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沢山の風鈴を目覚ましに使っていた。
面白い。真似したい。電話の時報は聞きたくないな。
それから秘密の部屋があるといい。きっといい。
青空のもとに秘密の場所があるといい。ありきたりな青空であっても。
天蓋が開くのでもよい。日野啓三の描く世界が垣間見えそうでドキドキする(笑。
虚構のなかに居続けるには、空のデパート?いやここでは「太陽家具」か?がひとつあるとよい。
近頃空き家は増えてきているが、手頃なビルがあれば、これは面白い秘密基地になる。
広い空いたフロアがあれば、レーシングサーキットをいつも置きっぱなしにして遊びたい。

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逃げる。
虚構に逃げる。
耐え難い、鬱陶しい現実から。
操作を繰り返す母親の赤電話から。
全ての置いてけぼりから。
家族の傷痕から。
得体の知れぬ恐怖と不安から。
呪いの叶う誕生日から。
嫌いな自分から。
睡眠から。
、、、眠れないということは大きい。
夢の替わりに虚構に閉じ籠るのか。

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赤い傘。赤い靴。赤いドレス、、、
雨が降ると悲しみの感情が溢れ出るという。いやそれが楽しいのか、、、。
「雨の日はパパとお姉ちゃんの日」二人とも亡くなっているとか本人は騙るが。
(わたしは雨が降るとウキウキ嬉しくなる)。
屋上と線路を行ったり来たりの夢のような現実。
いつも床には水が溜まっている。
識域下の触り(障り)、、、

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呪いの叶うことは恐ろしい。
結局、淋しいということか。
逃げ場の確保のために「居なくなって!」と叫んでも、それでも残るものは愛か。
監督は残り、寄り添う。これが彼女の求めたものか。もう逃げたくなくなったのだ。
(添い寝はホントに心地よさそうだった)。
寄り添ってくれるその支えは何よりも心強い。逃げる必要がなくなる。
終盤、現れた母親。
感情の全てをぶつける娘。
娘としても実際に当人にぶつける機会をもったことはとても大きい。とても価値のある現場だ。
現実を受け容れ、無事に誕生日を迎えることが出来る。
そして、どのような過ちをしたにせよ、このように自分の子供に謝れる親は、毒親とは言えない。
本当の親である。
それで救われる。
皆が救われる。



AmazonPrimeによる、、、




エリザベス  狂気のオカルティズム-Ⅱ

089Kate Bush

昨日の記事の続き、、、。

観ながら自然に想い浮かんだことだが、この噺が極めて理不尽な誘拐による悲惨なものであったことは確かだが、家庭によっては通常の生活にあっても同様の状況が展開されている場合だってあると謂うことだ。
表向きには全く分からぬ形で、、、(見る人が見れば察知~洞察できるものだが)。
場合によっては共依存的な強固な関係が築かれ。
だとすれば、寧ろこちらの方が悲惨と謂えよう。
その中にいた子供の多くは完全に潰れ歪んだ脳~形質を自らのものとし、そのDNAよりも強力な新たな遺伝子を子孫に継いで行くこととなるだろう。人類は急速に大きく変化する。それぞれが他の個体を完全排除するような個の体系を生成して逝く。
人類は殊の外、早い滅亡を迎えることとなるかも知れない。
スマホとネットワークの普及・拡張がそれに拍車をかけて。
(コロナなどよりこちらの方が何億倍も深刻なのだが)。

昨日の記事にそのことを続けて書こうと思いつつ、途中でまとめて終えてしまったのだが、今日になってやはり一言加えておきたいと思った。が、別に分かり易く説明などする気はない。そういうものではない。分かる人間だけが分かってくれればよい。

(遺伝学上の)実の父と実の母のもとであっても、それはいくらでも起こり得る。
(実の父・母と言うだけでは、何ら特別な意味も価値も持ち得ない。彼らが子供にどう接したか、何をしたかがすべてである)。
アメリカでは早くから、家庭内外における児童虐待に対し、徹底した厳しい対策を講じていたが、日本はその虐待に対する感覚も鈍いうえに疎く啓蒙もされていない。その実体をうやむやにさせる妙な(封建的)親子観も根強く存在する。実際、文化的(医学的)なレベルでは何も行われていないに等しい。その意味では日本は恐ろしく立ち遅れており後進国と謂える。
教育の現場にあっても、わたしの子供時代(小学校~高校)においては、教員も飛んでもなく酷いレベルにあり、人の心を守り育てるようなカリキュラム以前に資質自体が微塵もなかった。今距離をもってしみじみ客観的に回想してみて、そう断言できる。
おまけにわたしの家自体がさらに酷い環境であった。
(ファミリー、、、とても気持ちの悪い響きだ。その血筋・系図全般に渡り、、、)。

地域の酷さは更に上を行く。
まさに負の共同体である。
下劣なゴロツキの集積場と謂える。
これについては度々、機に触れて言っているので重複は避ける。
が、必要とあれば、幾らでも晒す用意はあるし、対策もすでに準備されている(覚えておけ)。
それはそれとして、、、
途轍もなく頭の悪い品性下劣極まりない犯罪的馬鹿どもが、実にふざけた真似をして来たが、それ自体はもはやどうでもよい。
関心すらない。
ただしこれらが滅亡の素子を生んで行くことは間違いない。

062Kate Bush










エリザベス  狂気のオカルティズム

I Am Elizabeth Smart001

I Am Elizabeth Smart
2017年
アメリカ

サラ・ウォーカー監督

アラナ・ボーデン、、、エリザベス・スマート(14歳の被害者)
スキート・ウールリッチ、、、ブライアン(誘拐犯)
エリザベス・スマート、、、本人

まさに”I AM ELIZABETH SMART”である。
どれだけ、これを大声で叫びたかったか。
心の中で叫び続けてもだれもこちらを注視してはくれない。
不用意に声を出したり他人に語り掛ければ殺害されるという恐怖で何も出来ずに従う他なかった。
(しかし邦題の「オカルト」、、、というよりホラーであった)。

宗教(似非宗教)の名を借りた誘拐犯夫婦と犠牲者の少女との9か月間にも渡る地獄の逃亡生活の日々の真相を本人自ら語るというもの。充分に衝撃的である。
物語の本人役はアラナ・ボーデンが演じ、途中で複数回に渡って挿入される解説を本人がするという形をとる。犠牲者自らの意志による顔出しである。メッセージ性も強い。
毎日の性的乱暴、虐待、脅し、洗脳行為にもめげず、ストックホルム症候群にも陥らず(本人曰く)、情動剥奪障害にもならず、しっかり自分を保ち続けたということだ。素晴らしいメンタルだ。幼少時からの家庭の生育環境がものを言ったといえよう。

終盤そろそろエリザベスの救出も間近となったところで突然流れる曲に打たれた。
何と”Cloudbusting”ではないか。
ケイト・ブッシュの曲を誰かがアレンジして唄っていた。
この曲は、確かにこの件で、絶妙に合うかも知れない。非常に意味深く響いた。

ユダヤ人精神科医学者ヴィルヘルム・ライヒとその息子を巡る噺で、息子の視点から父を描いた曲であった。
オルゴン放射器のクラウド・バスターで雲を蹴散らかし雨を降らせるとてもドラマチックなMVは今でも鮮明に覚えている。
オルゴン・エネルギーの提唱者であり、わたしも「オルゴン・ボックス」にはとても興味を惹かれたものだ。
ライヒ役はドナルド・サザーランドで息子役がケイト・ブッシュであった。
とても感動的な曲~MVであり感慨深い。もう一度、このMVは観直したい。感涙に咽ぶなきっと、、、。
.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
And every time it rains,
You're here in my head,
Like the sun coming out
Like your son's coming out,
Ooh, I just know that something good is going to happen.
And I don't know when,
But just saying it could even make it happen.

We've been cloudbusting daddy
Your sun's coming out. Your son's coming out.

とても不遇な研究者であり、自身のオルゴン研究所で開発(発明)した機器(確か癌治療のオルゴン・ボックス)を裁判所に逆らい販売したことで、法廷侮辱罪で収監されてしまう。ケイトブッシュのMVは、車で連れて行かれる父を息子が目撃して、走って追いすがりリヤウインドウからの父の指示でクラウド・バスターを起動させ雨を降らせる場面がドラマチックな曲で描かれるものだ。
結局、父は収監先の刑務所で9か月後に心臓発作で亡くなってしまう。

噺を戻すと、無作為に選んだ家の娘ではなく、以前お金を貰ったり、仕事を世話して貰った恩のある家の娘を狙った誘拐~略奪であった。
その略奪夫婦は宗教上の理由~神のお告げでその娘を選び第二の妻にしたとか言っているが、まずもって教理とか教条などというレベルのものではなく狂人の戯言レベルのものである。外界全てを敵に回し自らの正当性を保とうとするだけの、それ自体の真理~内容は、何もないお粗末なもの。
組織性もない。特定の教団ではなく~かつて所属していたにせよ除名された二人の彷徨える適応障害者といったところか。
この夫婦、境界性パーソナリティ障害と謂うより、もう一歩向こうに行ってしまっている感はある。
飛んでもない者に見込まれたものだ。飛んだ神に選ばれてしまったものだ。
親の善行が仇となったと謂えるか。皮肉なものだ。おかしな者に関わるものではない。

何とも微妙で危ういと思ったことは、宗教ですから、、、という免罪符ですり抜けられるところ。
これによって万引きも見逃される。その上パーティーに誘われもする。酒も飲み放題。
警察が何度か不審に思い、慎重に問いかけもするが、宗教ですので娘の顔は見せられません、で切り抜けてしまう。
物々しい白装束で顔も覆って3人で街に出て歩こうが、そういう人たちなのだと、人々はワザと目を逸らす。
かえってその方が怪しまれないのだ。
宗教に迂闊に手を出せないことと、マイノリティ差別を逆手に取ってもいる。

この本人である女性は大変凛として気丈に事件を対象化して淡々と語っているが、感情的にどう捉えているのか~整理できているのか、今一つよく分からなかった。こうした事件を経験した人によく見られる抑止運動や被害者を守る運動や基金の創設など例に漏れずこの女性も精力的に行っているらしい。この映画もその一環となるものだ。
ともあれ現在は結婚して二児の母であるという。
14歳に襲った災難が大きなPTSDとして残存しないような強靭さを備えた女性であることを祈る。
(でなければ子供の育成に大きく影響を及ぼすからだ)。

14歳まで安定した愛着関係により自尊心を持ちしっかりした自我が育成された子であれば、酷い困難に遭遇しても折れたり潰れたりするようなことは無い。恐らく彼女はそういう人であろう。


他者との関係性の切り結びについて考えさせられる作品であった。
他者とはブラックボックスである。




AmazonPrimeにて、、、



アリータ

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Alita: Battle Angel
2019
アメリカ

ロバート・ロドリゲス監督
ジェームズ・キャメロン、レータ・カログリディス脚本
木城ゆきと『銃夢』原作

ローサ・サラザール、、、アリータ(サイボーグの少女戦士)
クリストフ・ヴァルツ、、、ダイソン・イド(医師、ハンター・ウォリアー)
ジェニファー・コネリー、、、チレン(イドの元妻、科学者)
マハーシャラ・アリ、、、ベクター(モーターボールのオーナー、ノヴァの手先)
エド・スクライン、、、ザパン(ハンター・ウォリアー)
キーアン・ジョンソン、、、ヒューゴ(イドの手伝い、サイボーグのパーツ強盗、アリータの彼氏)
ジョージ・レンデボーグ・Jr、、、タンジ(ヒューゴの親友)
アイダラ・ヴィクター、、、ガーハード(イドの助手の黒人女性)
ミシェル・ロドリゲス、、、ゲルダ(アリータのパンツァークンストの師)
エドワード・ノートン、、、ノヴァ(ザレム人科学者)


これも原作は知らない。

Alita002.jpg

アバター同様の「CGI アニメーション」である。もうCGIは来るところまで来ている。
この個性的な「絵」で(サイバーパンクな)世界観が成立し、アバター以上に見事なドラマ展開となっていた。
ブレードランナー」の血筋を引いている。「ATOM」の雰囲気も漂う。
「絵」の迫力と説得力に圧倒される。ストーリーもしっかりしていてテンポも良い。
(ただしザレムという空中都市に人々が憧れる理由が今一つ分かりかねた)。
一目で分かるキャラ関係も観易くしている。悪者はホントに狂暴で悪そうで、ラスボスは如何にもそれらしい(笑。
顔のデフォルメが丁度、「アナと雪の女王」を連想させるフィギュアとなっており、この顔がアメリカ人の好みなのかと納得する。
見慣れるととても愛らしく豊かな表情と謂えよう。
それにしても凄まじいアクションには唖然とするばかり。武術が身についているのだ。敵の体が真っ二つに成ったり、粉々に成ったり、首がすっとんだり、グチャグチャに潰れて巻き込まれたり、、、
ストリートファイトもモーターボールシーンも壮絶。だが爽快。
最初から彼女の闘争本能は発動していたが、その理由が闘いながら記憶に蘇ってくる。
戦士としての過去生が彼女にはあったのだ。
(その思い出の中でいつも登場するのが彼女の上官?ゲルダである。続編には恐らく登場してくるのでは)。

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彼女はどうやら上空に浮かぶザレムという空中都市から落ちてきたようだ。
そこは上流階級の人間だけが住める場所で、下からは登れない場所であるという。
下界はそこから落とされる鉄屑を囲むように形成されたクズ鉄町であり、下層階級の人間やサイボーグが暮らしていた。
どことなくラピュタ臭も匂わせるところ。でもファンタジーと謂うにはかなりブラックだ。
彼女は医者であるダイソン・イドに拾われ体を与えられる。
彼の元で手伝いをしているヒューゴに出逢い、やがて強く惹かれ合う関係となる。
人とサイボーグの恋愛である。

ヒューゴの不思議な発明」をそれとなく思い起こしてしまった。
ヒューゴ少年も機械人形の修理を父から受け継ぎ、メカパーツの調達をして暮らしていたものだ。
可愛い少女の相棒もいたし。

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面白いのは、火星連邦共和国(URM)という別種の文明が存在し、300年前の没落戦争で地上は屑鉄の町となりスクラップの売買などで人は生きながらえているみたいだが、このURMの文明は、地上の科学にとってブラックボックスであり、その文明のツール、アイテムを利用していても、それを修理、改造などは出来ないらしい。
アリータも途中からURMの宇宙船から彼女が持ち返ったスーツに適合し、無敵の身体を獲得する。
と謂うことは、彼女は300年前にURMにいたのだろう。URM製のソードにも適合し、強敵を次々に破ってゆく。
使えるが中身は分からない、というのは日常茶飯ではあるが、ここで新鮮に思えた。

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最後の喪失~別れのシーンでアリータは何かが吹っ切れた。
覚悟が決まった、という雄姿である。
続編を待て!とばかりのエンディングであった(笑。


極めてよく出来たエンターテイメント・スーパー・ファンタジーであった。









耳をかく女

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2012年

堀内博志 監督・脚本

Satomimagae 音楽・主題歌

桜木梨奈、、、光田絵菜(震災時に恋人に置き去りにされ、PTSDに悩む女子大生)
中田暁良、、、川村吉伸(3歳で母が家出した青年)
広澤草、、、愛(耳かき店の絵菜の先輩従業員)
宇野祥平、、、小林耳かき店店長
笠原紳司、、、絵菜の元カレ
正木佐和、、、絵菜の大学の友人(耳かき店を絵菜に勧める)
安藤一人、、、吉伸の母の再婚相手
大迫茂生、、、吉伸の会社の上司


とても雰囲気の良い映画で、映像だけでなく音楽も新鮮で面白かった。
震災後の寄る辺なさと漠然と残る不安に閉塞感の入り混じった空気の中を、透明感溢れる涼やかな一条の光が射し込んだような映画で、ただひたすら気持ちが良かった。

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これは脚本も良いが、偏に主演女優によるところが大きい。
純度の高い硬質で稠密な結晶を感じさせる女優である。
初めての映画での初主演ということもあって、演技か素なのか分からない間もありこの女優の動きを見ているだけでもう一つのと言うかメタドラマも愉しめる感じであった。

この映画で、初めて「耳かき店」の内側を知った。
(以前、ニュースで「耳かき店」というものがあることは知っていたが)。
桜木梨奈の初めての役としてピッタリなミステリアスな役どころ。
確かにこういうところで耳をかいてもらえば気持ちはよいだろうが、耳をかいてもらいにわざわざこういう店に出向くというのも億劫である。面白いとは思うが、まず行かないな。

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震災後、突発性難聴に悩みながら就活をする女子大生(すでに卒後)と プロバイダの会社務めでカメラが趣味の青年との恋の物語か、、、。二人とも耳に拘りがある。片や耳にストレスの影響が表れ難聴に悩み、片や幼年期の母の耳たぶの思いに憑りつかれている(喪失感を持ち続ける)。どちらも外傷経験が最も柔らかで敏感な器官に作用しているらしい。

「はい」、「すみません」が口癖みたいで、これと言った志もないまま企業を回るルーチンを続け、部屋もかなり散らかっている彼女であるが、最後には元カレがやってきてもキッパリ断り、部屋もきちんと片付けている。
毎日を意識的に大切に過ごし始める。

「耳かき店」に務め、良い彼氏が出来て、目覚めるものがあったのだ。
自分をここで対象化したことが何より大きい。
新しい彼氏は会社では苦情受付ばかりに追われているが、写真家の夢はずっと諦めないでいる。
ここが彼女が瞠目し惹かれたところであろう。
自分はこれまでやりたいことなど無かったが、そのことすらも気づかずに来てしまったことに愕然とする。
彼女の感情が熱く込み上げ、自分を洗いざらい打ち明ける。

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恐ろしく何も考えずにここまで漂流して来たのだ。
皆就職するからということでマニュアルそのままの対策をとり企業の内定を取ったが、震災で立ち消えとなり、就活再会するも難聴も障害となり、何処にも相手にされず彷徨い続ける日々。

ここで、彼女の耳に魅せられた青年が丁度彼女が友人の勧めで入った「耳かき店」にやって来る。
耳を介したお付き合い~物語の始まりとなった。
この耳の繊細~敏感なイメージから来る微細な感覚がこの映画の雰囲気を決めていた。
とても美しいフォルムの彼女の裸体と言い、白肌の肌理と言い、陶酔を呼ぶものである。
ある種の耽美的な映画とも謂える。
ならば、もう少し彼女の美を映像に盛り込んでも良かったはず。


掘り出し物であった。












ストロベリーショートケイクス

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(この映像は無い)

strawberry shortcakes
2006年

矢崎仁司 監督
狗飼恭子 脚本
魚喃キリコ 原作

池脇千鶴、、、里子(フリーター、秋代の事務所の電話番)
中越典子、、、ちひろ(OL、塔子とルームシェア)
中村優子、、、秋代(デリヘル嬢、里子と仲が良い)
岩瀬塔子、、、塔子(イラストレーター)
安藤政信、、、菊地(建築業アルバイト、秋代の同郷の親友)
加瀬亮、、、永井(ちひろが一方的に思いを寄せる会社員)
村杉蝉之介、、、森尾(デリヘル店長)
矢島健一、、、大崎編集長 (塔子のイラストを扱う)
高橋真唯、、、近藤 (大崎の部下)


原作マンガはみていない。
そもそもマンガ自体ほとんど書棚から出さなくなったし新しいものも買わなくなった。
いぬやしき」を最後に。


この映画で、デリヘルの娘は、部屋に行ったとき真っ先に「チェンジしますか」と聞くことを知った(笑。
登場人物それぞれの日常の空気感がなかなか良かった。
4人のヒロインたちは、基本皆まともな人だ。

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里子は拾った石を隕石だとして自分のしつらえた神棚に飾り「どうか店長を殺してください」とかお祈りしている普通の子だ。映画のオープニングでいきなり彼氏に派手にフラレており、彼氏が欲しいこともいつもお祈りしている。
ちひろはハーレークイーンロマンスみたいな夢を追っているが、現実とは噛み合わない。ちゃっかりして、ふわふわしているようで、考えることは考えており、なかなかメンタルも強い。想いを募らせていた相手ともしっかりケリをつける。
秋代はデリヘル嬢でお金を貯め5階より上のマンションの部屋を買うことにしている。それより低い窓から身を投げても死に損なう可能性があるからだと。同郷の馴染みの男子と会うときは必ず地味なジーンズ姿に眼鏡をかけて酒屋のバイトをしていると謂う。その男子は彼女がいるのだが、彼との関係を一だけ持ち、赤ちゃんが出来て独り(他に知るのは里子だけか)喜んでいる。死ぬ気は無くなった感がある。
塔子は、摂食障害を抱えており、仕事と人間関係のストレスが大きいように見受けられる。
イラスト制作で徹夜して生活リズムを崩すことも影響があるはず。出版社の近藤に渡した完成作を失くされ怒り心頭でもある。元カレが結婚してもう関係ないと言いながら引き摺っている様子。ルームシェアしていたちひろとのわだかまりが解け、かなり元気になる。

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ごく普通の人たちだ。
よくこの手の噺に出くわすが、こういった複数の主演者が物語を同時並行するものは、途中からひょんなことで流れ(交通)が交錯して出逢い、それぞれの流れが一本化してゆくものが多いが、ここでは、一向に4人が2組のままでずっと進む。しかしこの映画が終わるところで、向こう側で4人(2組)が邂逅することになっている。われわれにはそれが見れない。ちょっとお洒落。

まだ日本語が上手く喋れない中国人が適当にやっている味もいまいちのラーメン屋がここの登場人物が何となく寄っている場所なのだ。ここで出逢うとか言うことは無いが、最大の伏線がここから張られている。
塔子の徹夜で仕上げた大事なイラストを受け取りに行った近藤がここに置き忘れてしまうのだ。
結局、彼女はどこで作品を紛失したか分からず(それくらい印象に残らぬラーメン屋なのだ)、結局また0から塔子が描くこととなる。
塔子が怒りを噛み殺し謝罪を求めるが、向こうは理不尽な文句を付けられたかのような顔をしている。
こうした滑稽な光景はわたしは何度となく経験してきた。共感できるとかいうものではないくらい、、、。
兎も角、ここで忘れられた絵を里子が拾う(そういえばわたしも喫茶店で自作の絵を忘れたことがある。出てこなかった)。
彼女はここの不味いラーメンをよく食べに来ており、デリヘル店長にセクハラされ店を止めてこの店の電話番となる。
電話番が天職みたいだ。

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同じく客を殴ってデリヘルを辞めた秋代に里子からの餞別(身籠ったことに対してか?)でその絵を額に入れて渡そうとする。
そこは、どこの海岸だろうか、、、。
時を同じくして、会社を辞めて故郷に帰ろうとしているちひろと別れを惜しんでいるうちにうっかり一緒に乗ってきてしまった塔子が同じ海岸に降り、喋りながらやって来る。
そして2組がそれぞれ想いを語り合っているうちに両者の距離が接近し、ついに塔子が「あれ、わたしの絵よ!」と気づくことになる。
で、お終い。

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近藤が絵を置き忘れたことが4人の邂逅を生んだ。
こういうこともあるだろう。
宇宙の生成もこういった偶然の重なりによっていることは少なくない。
4人は恐らく馬が合い、きっと良いお友達になるはず。
良い雰囲気の映画で一息ついたという感覚だ。
出来ればこの続編も観たいくらいだった。
(幾らでもこんな感じのドラマなら作れるはず。何処にでもある日常なのだホントに)。




AmazonPrimeにて、、、







観たのだが書けなかった映画

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片付け整理仕事の傍ら、映画も観てはみた。

KADOKAWAに拘って観ていたら、最近の邦画については、何とも書きようの無い作品に連続して出逢ってしまい、今後は(課金など気にせず)他に広く当たることにした(笑。
先だってブロ友さんからもご指摘があったが、わたしは邦画に拘って観ている。
あの「海街diary」的空気感がこの時期観やすい気がして、、、。
KADOKAWAで無作為にあたって観たのが、「甘い鞭」と「愛の渦」と「女の穴」というものだった。
こちらに引っかかってくるリアリティ~共感は、それぞれ根底的にはある。
ストーリー、表現手法や演出には違和感を持つところはあったが、、、。


少女期に受けた性的暴行による凄まじいトラウマに翻弄され二重生活を強いられる女医の話と生〜性の閉塞感を引きづり偶然集まった人間同士の緩くて奇妙な共同体意識と個人的感情との齟齬。(これは男と女の違いも多分にあるかも知れない)。ただ物語ひとつを終了するにあたり結果的に始まる前と何かが変化するということはなく、何ら変わることはないという性の属性をも虚しく表す。最後の物語はコメディであるが性を宇宙人とLGBTの視点から捉え返そうとしたのかはさておき、中途半端なもので特に演出の半端さが稚拙に感じられるものであった。後半は兎も角、前半は映像的に白ける不自然な無理があった。

暴力、虐待(言葉も含め)によるトラウマは確実に人生(脳)を狂わせ、その人間本来の生を生きる事を阻む事は間違いない。
フラッシュバックだけでなく、現実に何度も同等の体験を繰り返す(他者から同じ様な仕打ちをされる)事となる。自分からそれを求める心的機構も出来上がってしまう。

それから生存する限り性自体(行為を含め)反復し、快楽、喪失、忘却を繰り返す。そしてそれは一定のリズムを持ち実存的な変化は及ぼさない。であるからこそ快楽と同時に必要悪の面〜価値も帯びる。
この映画に出てくる人々の帰りがけの虚な表情に、全てが反映されている。

3つ目の作品では、性的マイノリティの抽象性と寄る方無さがコミカルいやシニカルに描写されていた。
これは分かるが宇宙人をここに出す意味が今ひとつ分からない。性に対し根本的に他者である、つまり植物みたいに異なる相手からどう見えるかを狙ったものか。だとすると食い足りない。演出的にも余りに弱い。
後半はそれはそれで分かる哀愁を感じるものであり、ホモの先生役がなかなか説得力がある名演技であった。


性という生の根底を支えるところとそれに絡んでくる暴力〜差別、悪無限反復、虚無感そして結果的に作用するトラウマによる生きにくさ。
これらが異なる視点から描かれていた。


生の営みは性と深く絡む。以前澁澤龍彦が生物学者ジャンロスタンの研究から引いて、地球に死が導入される以前から性に当たる現象〜行為は存在した事を説いている。
つまり単細胞同士で性行為と受け取れる細胞をリフレッシュする行為が存在したというものだ。
まだ多細胞=死が発生する以前だ。
別に死よりも性が本質的とまで言う気はないが、われわれの生が性の上に成り立つ事は言うまでもない。


エンターテイメントとして扱うとなると思いの外難しいところだと思う。



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一日が異常に速い

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もう少し整理し片づけたいという気持ちが働き、今日もあちこち開けては見る。ひっくり返して中身を広げる。取り敢えず片っ端から出してみる。などやってゆくと、、、。
出てくる出てくる宝の山(あくまでもわたしにとって)。
第三者が見れば単なるゴミか。

昔は今の少なくとも10倍は何やら書いたり作ったり描いたりは確実にしていたことを確認する。
だが、観ていくうちに続きがないもの、その前の段階が無い~散逸していることに気づいたりする。
そうすると、それがどうしても観たくなる。
それを共感してくれる人はきっといるはず。

その続きやその前の部分など、今では到底書けない。作れない。
でも観たい。知りたくなる。
ということで、またあちこちを探し始める。

この時間まで当たってみたが、不発。
どうにも見つからない。

それから気づいたのだが、それほど長時間にわたり探しごとをした覚えがないのだが、あっという間に夜なのだ。
娘にお昼と夕飯は作ったので、時間を忘れてずっと専念していたという訳でもない、、、。
だが嘘みたいに、早く一日が過ぎた。
呆気ない一日。

もっとゆったりと流れて濃密な生きられる時間が欲しい。
年を取ったせいで、あっという間に時が過ぎているのだとすれば、、、
脳の問題か。

日中、やたらと眠いのだ。
何というか、生産性のない生活である(笑。
いや、笑っている場合ではない。
何とかしなければ。
DHAのサプリは毎日飲んではいるが、そういったレベルではなく、、、。

明日から、もう少しビビットな生活をしよう。
探しものは、何とか見つけたい。
(何らかの形でまとめられたら嬉しいものだ)。


そういえば、櫻坂46のセンターを務める森田ひかる女史のビビットで凛としていること。
まさに「ひかる」の名に恥じない。
ノリに乗っている人を見てそのパワーに乗っかりたいものだ、と娘と彼女らの新曲ビデオを観ながら思った(笑。



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”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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