透明人間と蝿男

Invisible Man vs. The Human Fly
1957年
村山三男 監督
高岩肇 脚本
北原義郎、、、若林(捜査一課長)
叶順子、、、早川章子(早川博士の娘)
品川隆二、、、月岡博士(不可視光線の発見者)
毛利郁子、、、美恵子(ダンサー)
鶴見丈二、、、杉本
浜口喜博、、、葉山刑事
南部章三、、、早川博士
見明凡太朗、、、警視総監
伊沢一郎、、、楠木(蝿男)
中条静夫、、、山田
荒唐無稽というよりぎこちない。
俳優が一生懸命シリアスな演技をする分、ナンだこれ感が半端ではなく充満する。
突っ込むとかどうとかいうレベルではない。
不可視光線だか透明光線だかはともかく、見えない体になってどうするつもりなのか、である。
捜査に役だったかなと思える場面が一回だけあったが、、、リスクを冒して透明になる必然性に乏しい。
観ていてほとんど意味の無いものであった。
そして、殺人を繰り返す蠅男であるが、大きさは蠅くらいかも知れぬが、人が小さくなっただけで、昆虫化した訳ではない。
何で翅音を立てて飛ぶことが出来るのか。
そして人を殺害する際に、ナイフを使うが、アンプルでナイフまで小さくなってしまうものか?
何度もぬかりなく目的の人物を刺殺しているのだが、ムクムクと大きくなるところは、しっかり目撃されているはずで、その合間に幾らでも逃げたり、逆にひっ捕らえたり出来たはずだが、、、まさか蠅(の大きさ)のままでナイフで刺しても死ぬまでいくとは思えぬが。
しかしどうやらその線だと思われる。それなら猛毒を使うとかしたら少しは説得力があるが、アンプルから出る煙で、毒がどうなるのか、、、。わたしまで何を考えてるのやら(爆。
殺人鬼は戦争中、自分を裏切った人間に復讐を果たすという戦争の深い爪痕~後遺症の一つを提示するものか。
(確かに終戦間もない)。

発想としては、宇宙線の研究過程で発見された透明光線と旧日本軍の開発した人を縮小してしまう薬品によって、片や透明人間に片や昆虫大の人間に、なっていまうというところで、何かやってみようというところまでは良かった?が、、、。
大筋だけでなく細部までもっとよく練って詰めてから作るべきだった。
余りに無理があり過ぎて、役者が熱演するがそれでどうなるものではない。
大体、蠅男が透明光線装置を要求し、それを差し出さなければ何処かを爆破すると脅迫してくるが、まず蠅男は何故透明になる必要があるのか、その上蠅のままでまさか爆発物を密かに設置することなど出来るはずはなく、その作業は実寸男がやっているはずで、首都圏厳戒態勢にした割に見つけることも出来ず、あえなく爆破されてしまう。
この男を探すのに透明になったところでどうなる訳ではないし。

ここをもっと上手くかみ合わせそれぞれがそうなる必然性がまず基本にないと。
叶順子女史など透明人間に自らなってしまうし、勿体ないではないか、、、。
彼女のファンでなくとも、そりゃないでしょと思う残念なところ(爆。
それから何でそんな設定をわざわざ入れてくるのかというところもあり、、、
やる気まんまんの助手が先走って、まだ透明化した体を元に戻す方法が完成していないにも関わらず、自ら透明光線を浴びて透明化してしまうのだが、太陽が良く当たる部分は半透明なんですね、とか顔と手を見せ体験結果を示す。そこは、妙にいじらなくてもよいだろうに、、、。元に戻すことも上手くいかず中途半端な透明度になっているし、、、。
少し話を複雑にしてみたかったのだろうか、、、。
後に知らぬうちに元に戻す光線も発明されたようだが、何故か叶順子演ずる章子は自分の意志で元に戻っている。
その辺どうも腑に落ちないのだが、、、(それを謂ったら蠅男も人に戻りたいときに戻る)。
そしてこの頃になると、例の助手が全く出てこなくなる。
どこでどうしているのか。もうやる気がなくなったのか、ちっとも絡んでこなくなる。忘れられた感じだ。

ともかく、どういうつもりで透明になるのか、、、
蠅にさえ成れば何でも出来るとでも思っているのか、、、
この二点において何だか分からぬ作品であった。
レアな映画で、AmazonPrime(の更にKADOKAWA)で出逢わなければ、その存在すら知らずに過ごしていただろう。
だが、それで損した気分には、まず絶対になるまい。
AmazonPrimeにて、、、