赤線地帯

1956年
溝口健二 監督
成澤昌茂 脚本
黛敏郎 音楽
京マチ子、、、ミッキー(夢の里の娼婦)
若尾文子、、、やすみ(夢の里の娼婦)
木暮実千代、、、ハナエ(夢の里の娼婦)
三益愛子、、、ゆめ子(夢の里の娼婦)
菅原謙二、、、栄公(娼婦を紹介する役)
川上康子、、、しづ子(夢の里の新米娼婦)
進藤英太郎、、、田谷倉蔵(夢の里の主人)
見明凡太朗、、、野々村(巡査)
田中春男、、、大阪弁のセールスマンの常連
沢村貞子、、、田谷辰子(夢の里の女将)
加東大介、、、宮崎行雄(近所の店の経営者)
多々良純、、、やすみの客(やすみに金を騙し取られる)
十朱久雄、、、塩見(ニコニコ堂主人、夜逃げする)
町田博子、、、より江(夢の里の娼婦)
浦辺粂子、、、おたね(夢の里使用人)
小川虎之助、、、ミッキーの父(神戸の事業家、名士)
高堂国典、、、門脇敬作(ゆめ子の義父)
三好栄子、、、門脇さく(ゆめ子の義母)
入江洋祐、、、修一(ゆめ子の息子、町工場に努める)
溝口健二の遺作となった映画。
「ちょっと医者に行ってくる」と言って病院に行ったきり帰らぬ人となったそうだ。
サロン「夢の里」という”特殊飲食店”を舞台に、、、女の群像劇が繰り広げられる。
クローズアップはほとんどない。ロングショットは相変わらず基本となっている。
黛敏郎の音楽が怪奇大作戦していた。
なかなかスリリングで吸い込まれるように観た。
かなりのホラーでもある。
また観たくなるタイプの映画だ。

もうどうにもならない貧困から体を売って金を稼いできたのに、「売春防止法」によりその仕事も奪われようとしている。
役人はどうかしている、と彼女らはオカンムリである。
公娼に頼って生を繋いでいる人がいるにも拘らず、その人たちを経済的に救う方策は提示されない。
中にはミッキーみたいに親への反抗からこの仕事をやっている者もいるが。
宿の主人は、俺たちは社会事業をして世間やお前たちを救っているんだとか必死に盛り上げようとしているが、、、
下火になっていることは明らか、、、明日が見えない。
猶予期間を経て、完全施行が1958年4月ということであるから、この物語はリアルタイムで作られたものだ。

こういう情勢であると、やすみのように結婚を仄めかせ、客から金を巻き上げて、すっからかんになったら捨てるみたいな方法が生きてくる。自分の綺麗な容姿を最大限に利用するやり方だ。
(ニコニコ堂も主人を騙し夜逃げさせて乗っ取ったのは女性であった)。
ミッキーも容姿では全くやすみに引けを取らないが、稼ぐ気はないらしい。
彼女の場合、家の名に泥を塗るのが目的でやっているもの(父への反抗~復讐)である。
他の娼婦は皆、ただ生きてゆく為の金が欲しいのだが、それほど客もつかず、どうにも足りない状況だ。
特に家庭もちで子供がいたり病人を抱えていたら、ほとんどアウトとなる。

つまり人間の生活が出来ない。
ここでもゆめ子のように子供に捨てられ発狂したり、、、
ハナエのように、未遂に終わったが夫が首つり自殺を図ったり、、、
やすみですら、会社の金を横領して貢いだ客から殺されそうになる。
やはり、厳しい仕事である。
しかし他に仕事が無いのだ。
ここが根本的な問題なのである。
警察(巡査)とは、なあなあで仲良くやっている様子であったが、体制が後戻りは効かないところに来ていた。

差別を受け搾取される底辺の女性の目~立ち位置からの映画であり、その構図からして溝口作品である。
内容的には大変重いものだが、その悲惨さを社会正義から糾弾するみたいな描き方ではなく、彼女らに対する共感と愛情を基本に置いた描写であり、その為に辛いのだが誰もが魅力的に見えてくるのだ。
出入りの人数も多くて常に慌ただしく、コミカルな面も当然ある。
全体を通してテンポがよく展開も早くて面白く観られてしまう。
闇の見せ方が違うと言うか、、、
なかなか強かな女の子が頑張っている分、他の溝口映画より観易く感じられた。

なかでも京マチコがやたらとカッコよかった。
時代を超越している。
自分ではやりたい放題やって来てママや私を苦しめておいて、今更家名の為に戻れなどとよく言えたものね、、、みたいな啖呵を神戸では名の知れた名士の父に切る。
そしてもう絶対に帰らないから、と店まで迎えに来た父を追い返す。
子供にとって、貧困も親の犠牲だが、このケースも全面的に親の犠牲である。
(後者の犠牲が現代社会において溢れてきている)。

最後に、店に出る初日を迎えたまだ幼さの残るしづ子が、初めて前を通る男に向けて声をかけるところが、まさにホラーであった。
BGMも怪奇大作戦である。
京マチコ級の堂々としたカッコよさは、今の女優では、小松奈々あたりにみられるところか、、、。
こんな女優がいたのだと、感心した。

