ババドック 暗闇の魔物

The Babadook
2014年
オーストラリア
ジェニファー・ケント監督・脚本
ジェド・カーゼル音楽
エッシー・デイヴィス、、、アメリア(母)
ノア・ワイズマン、、、サミュエル(息子)
ここのところいつものように、AmazonPrimeにて視聴。
監督は『ドッグヴィル』で助監督を務めた人だそうだ。
う~んその情報を知っても何とも言えないなあ~(爆。

とてもよく練られた作品であった。
見応えは充分であるが、わたしには(映画は女性の立場から描かれているが)余りに身につまされるもので息苦しい限りであった。
他人事ではないからだ。
距離が冷静に保てない。
こういう映画については書こうにも書けないのだ。
わたしの現状が過去のものとなり対象化できる地点に辿り着いて初めて書くことも可能となる気はするが。

監督やキャストの情報を調べる時に、たまたま目にした(普段わたしは他者のレビューは見ないのだが)Amazonの視聴者レビューにこの映画について他に何か言えることがあろうかというほど完璧なものがあるのを見つけ、もうわざわざわたしが敢えて何をか言うまでもないことが(二重に)分かった。
もともとこれについては書く距離がないことも踏まえ、このMs. Kという方の文章を引用させて頂き(無断で申し訳ない)、全くわたしも同感であるが、わたしには到底このように冷静に分析できないことも言い添えておく。
(とは言え、いつもわたしは映画レビューなどしているつもりもないが。映画をダシに自分の考えを吐露しているだけだ。だからブログのカテゴリーも「映画」ではない。「学問・文化・芸術」の「美術」にいる)。

5つ星のうち4.0 心理学ホラー、描写と演技がすごいです。
母の着ている仕事着はピンク。この映画では、ピンクは母性を表す色と考えられます。そして母はこれを家事をしているときも着ており、パーティや警察へ行くときの私服も執拗にピンクです。これは彼女に母としての時間以外がないこと、時に義務(制服)で、時に選択で、母という服を着ているのだ、と表現しているようです。ババドックに襲われるときはほぼ、白のネグリジェ(素の自分に戻る)というのにも注目です。
地下室は潜在意識や抑圧したはずの怒りや憎しみを表しているようですね。
良き隣人は社会のあるべき姿の象徴。困った時には声をかけ、助け合おうとしています。
ババドックは母が抑圧した自分の闇の部分です。夫を失った孤独と深い悲しみ、そして息子への憎しみ。
サミュエルが最初にババドックの絵本を見つけたことは、彼が母の抑圧された心に気づいていることを表してます。そして落ち着かない行動が増え、不眠となって、常に化け物を倒す対策を練るようになるのもこのあたりからなのです。
サミュエルについてHe speaks his mind(訳ではなんでも口に出すとある)、という表現がありますが、これは母親が心を隠していることとの対比になっていると考えられます。合同誕生日を断られた時の母の満面の笑顔。
先生は僕を嫌っているんだと言う息子に対し、それは違うと言い、妹クレアにトラブルで学校をやめたことを隠したり、職場も不眠やこどものトラブルについては言わず、病気という。何度もそうした場面が現れることから、この「本音を言わない母」「怒りを隠している母」が物語の大きなキーであることは疑いようがありません。
そして最も母が抑圧していたもの、それは息子が生まれたことへの怒りでした。夫は息子が生まれるために、死んだ。
そう考えてしまうこと、息子の誕生におめでとうと言えない、だから誕生日を祝えなかった。ババドック(抑圧された憎しみ)を飼いならす試みを始めてから、二人は初めての誕生日当日のパーティをし、母はおめでとうを言えるのです。
わんこを埋めた土の上に咲く薔薇は、黒。これに水をやり、育てていることから、暗い過去をただ葬るのでなく、世話をして管理すること、共存することを選んだのがわかります。
そして息子も、闇を認めて飼いならそうと努力する母に対して、ここにいなさいと言えばおとなしく言うことを聞き、少し落ち着いた様子に見えます。
注目すべきは、母が最期のシーンまでピンクを着ていること。これはまだまだ自然な感情で強い母性を感じてるわけではないが、それでも母であろうと決意していることの表しているのかなと思いました。
女性の監督ということで、母性の危うさをよく理解し、色と深層心理を巧みに使った映画だったと思います。
そして、母である自分には、他人ごとではないと思うような映画でした。
役者さんたちの見事な演技も圧巻でした。
これ以上に何が言えようか。
この映画が、世界各国の映画祭で合計50部門以上にノミネートされ、35部門で賞を受賞していることも頷ける。
確かに演技も圧巻であった。
