プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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大掃除をする

moonbow.jpg

特にするつもりもなかったのだが、今日になって大掃除を始めてしまった。
勿論、一日でどうにかなる訳はなく、色々と大昔のものが出てきて、それらの鑑賞に耽ってしまったりで、能率は悪い。
捨ててゆくつもりが、再度しまい直す作業になったりで、ほとんど片付かない。
出てくるものは、自分にとってお宝だったりする。
(単に懐かしいというだけのものではない)。
自分の古いノート類や昔作った同人誌等々、、、。
相当傷んでいるが、取り敢えず読める。
引き込まれてしまう。

このブログでさえそうだが、初期に書いたものはもう自分が書いたものとは思えない。
大概(残念ながら)、今のものよりは驚きと魅力がある。
舌足らずだったりもっと踏み込みたいところもあったが、形を整えよう等と思っていない潔さはちょっと爽快だったりする。
詩が沢山見つかったが、自分ではもうよく分からない。
高校生から大学に入ってから綴ったモノだ。

今日は昔のわたし作の作品(しかも絵ではなく詩)をずっと鑑賞して過ごしてしまった。
基本的には、技法も方法もなく勢いに乗って書いているものではあるが、、、
今ではまずこんなものは書けないし、考えもしない。
そもそも発想がない。
きっとそれをもって他者である。
自分(という連続性~自我)とは何なのか、と改めて思うところだ。

面白いと謂えば、結構面白かったので、幾つかブログに転載しようかと思う。
(備忘録の意味からも)。
同人誌”AQUA”に載せたものを数回にわたり、、、。

ちょっと決心がいるが(笑。


それから映画はそろそろSFが観たい。
勿論、「透明人間と蝿男」みたいなものでは困る。
まともに観られるものが観たい。
(ちょっと、映画に関しては禁断症状が出ている)。




StrawberryMoon002.jpg




赤い天使

Red Angel001

Red Angel
1966年

増村保造 監督
有馬頼義 原作
笠原良三 脚本


若尾文子、、、西さくら(従軍看護婦)
芦田伸介、、、岡部軍医
井上大吾、、、尖兵中隊の伍長
河島尚真、、、衛生兵
喜多大八、、、野上衛生上等兵
小山内淳、、、特務曹長
千波丈太郎、、、坂本一等兵
川津祐介、、、折原一等兵
仲村隆、、、小隊長
池上綾子、、、津留崎(従軍看護婦)


日中戦争の最中、天津の陸軍病院の壮絶な現場で繰り広げられる生と死をかけたドラマ。
岡部軍医が次々と運ばれてくる負傷兵の腕や脚を鋸でゴリゴリ切り落としてゆく。
もう血がどうのといったレベルではない凄惨な光景。
まさに阿鼻叫喚をきわめる。

見ているだけで痛くて生々しくて軍医が気持ちを落ち着かせるためにモルヒネを常習しているのも分かる。
しかしそれで心身ともにおかしくなり人格にも影響してくる。
それを身を挺して救うのが従軍看護婦西さくらであった。
結局、岡部軍医は蘇ってしまう。
「赤い天使」か。

途中余りの惨たらしさからデスク近辺の整理を始めてしまう。
よくつまらないものを観始めてしまったときにすることであるが、これは正視に絶えずやってしまった。
カラーであったら、ギブアップしていたか。バケツに切り落とした腕や脚が無造作に放り込まれているのだ。
死体を穴に放り込むより遥かに即物性が高い。
まあ、海外にもこのタイプの戦時下における極限状況の映画はあるが、生と性の問題をここまで追求して描いた映画は少ないと思われる。
しかも兵士が主人公~主体ではなく従軍看護婦が主体でグイグイ進めて行く。
(それにしてもこの女性途轍もなくメンタルが強い)。
終戦後は政治家にでもなると凄い指導力を発揮しそうな、、、まだ残念ながらそういう時期ではないのだが。

Red Angel002

西さくらのしっかりした理念を持った凛とした魅力と思い切りのよさが素晴らしい。
この”KADOKAWA”シリーズには、若尾文子、ヒロイン映画が幾つもあるので、どうせだから見てみようかと思ってしまう。
しかしいくら劣悪な環境下の前線基地であっても上官には鍵の掛かる個室がありワインも飲め、ちゃんとしたベッドもあるのだ。
毎晩、西さくらを呼ぶことが出来る。
お陰でモルヒネ依存からも解かれ、これで無事に帰国出来れば言うことないが、、、。

戦争の悲惨さを国民に感じさせない為、脚や腕を切断した兵は家族の元には返さず、帰国後は施設に監禁してそこで終わらせるというのが印象に残った。戦争はイメージ戦でもある。
折角、西さくらによって癒された両腕を失った折原一等兵が、あくる日に投身自殺をしてしまう。
現実に、もうこの先がないことを自覚していたからだ。

Red Angel003

そして中国側の戦略も凄い。
慰安婦にコレラ菌を仕込んだものを食べさせ、基地内でコレラを流行らせ、戦力を大幅に削いだところで夜明けに一斉攻撃を仕掛けてくるとは。しかも最初は徹底した迫撃砲である。充分に戦力を弱体化させたうえで圧倒的人数で襲い掛かる。
元々分断されて小部隊にされたうえに火器も底を尽き、心身ともに衰弱した部隊でこれに立ち向かうことなど出来はしない。
その基地を置いた村に中国人の老人などが、一定数残っていたというが、それらはある意味、何とでも動ける人材である。
コレラ菌を振り撒くにはうってつけの要員ではないか。
この辺の管理も日本軍は甘かったと謂えよう。


しかし、事態がこのような戦時下でなくとも、生~性の問題は違う形で抑圧され搾取され、西看護婦のような生きる力を持てずにいる人間は現在たくさんいる。
彼女のように活力に満ちた生~性の力を発動できる人間が果たしてどれだけいるか。
このスーパーフラットな地平において、生き難さに喘ぐ人間にとり、このようなミューズは切望されているように思う。
以前から、2D,3D映像世界の現実にも現れているようであるが。
特にこのコロナ禍の時期にあって猶更それは濃い影を落としてゆくと思われる。
しかしやはり生身の人と人同士の関係の及ぼす身体~実存への影響には到底及ばない。
基本的に、個の体系~幻想が強固となる方向性の先に救いはないと思う。
われわれに必要なのは、西さくらのような他者なのだ。


戦争中は大変だった、、、とか言っている場合ではない。
(いやこの映画もあながち戦争映画とはいえない)。














何も無い日

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こういう日も確かにある。
必ず何かが揺らぎ事象が立ち起こり一日を構成するのだが、、、
今日は意識に引っかかる事がなかった。
微細な何かの蠢きもない。

映画もルーチンとして観たが、あれは何だったのか。
わたしは疲れている。
重かった今年も終わるのだ。

そう今日はいつもより長く風呂に入っていた。
意識が飛んでいたので、眠ったのだ。

そのまま酷く眠い。
何かに触れる気もしない。
情報をここしばらく遮断していたが、明日はアンテナを立てるかも知れない。

でも今日は始まる前からおしまい。



moon05.jpg

怪獣大戦争

Invasion of AstroMonster002

Invasion of Astro-Monster
1965年
日本、アメリカ

本多猪四郎(本編)、円谷英二(特撮)監督
関沢新一 脚本
伊福部昭 音楽

ゴジラ
ラドン
キングギドラ
宝田明、、、富士一夫
ニック・アダムス、、、グレン
久保明、、、鳥井哲男
水野久美、、、波川(X星人)
沢井桂子、、、富士ハルノ
土屋嘉男、、、X星人統制官
田崎潤、、、桜井博士


BSでたまたま観る。周りが煩くて集中できなかったが(笑。
伊福部昭のマーチのテーマ曲が流れるとワクワクするが、それ以上のワクワクが内容的になかった。
ゴジラがシェーッをしたりしてつまらない。何故それをするのか意味も分からない。
コミカル路線で押す内容でもなかったし、、、。
こういう怪獣ものは、怪獣が真面目~直向きだから引き込まれる。
ギャレス・エドワーズ監督のハリウッド・ゴジラを見習ってほしい。これからのゴジラも。あれが正道だ。
(わたしはもしかしたら、最初のゴジラに次いでギャレス・エドワーズ監督のゴジラが好きかも知れない。その他者性と崇高な孤独感において)。

Invasion of AstroMonster005

それにどう見ても怪獣メインではない。
彼らは脇役に過ぎない。
人類対X星人の闘いに怪獣が絡んだというか。
それもあってか、ゴジラも真面目にやってないし。
ラドンもゴジラを掴んでキングギドラの上に落っことして楽をしようと?していたり(笑。

Invasion of AstroMonster004

兎も角、怪獣が軽い。軽すぎる。大きさ~スケールはあるが。

ディテール的には興味を引くところは見られる。
桜井博士の研究室の計器類が面白かった。
モニタにしても時代を感じ、レトロ科学な魅力が漂う空間であった。
田崎潤がこういった映画にとても似合うキャラである。
雰囲気は出来上がっていた。

しかしX星人は水が欲しいなら科学力で幾らでも水の合成は出来るだろうに。
確かX星にも酸素と水素はあったみたいだし、中学生だって合成実験をしている。
わざわざゴジラとラドンを星間輸送してみたり、キングギドラを使ってみたりして、地球を征服しようとしたりと、まわりくどい連中だ。
女性が皆、水野久美というのも凄い。
この女優は海外でも人気で、和製フランソワーズ・アルヌールと言われていたそうだが、宇宙人でも通用する普遍性を持っているらしい。
確かに宇宙人に見えた。
かなり精巧なフィギュアもあった。人気アイテムであったらしい。

Invasion of AstroMonster003

最初に出てくる発明家の鳥井哲男の作る警報器の鳴らす音が、X星人が苦手な音波の帯域であったというのはちょっと面白い。
この音波を電波で放出するみたいなことを謂っていたが、音を電波信号に変え、電線を通して伝えることは、電話で分かるが、電波に乗せるとかは、音の周波数が低すぎる点でそのままでは無理ではないか。搬送波に乗せ送ったとしてもそこから分離した音自体を聴かせなくてはだめではないか、、、。要は電波砲みたいなものからビリビリではなく巨大なスピーカーが必要では、、、

兎も角、その音波砲を照射すると円盤がぐらぐら揺らぎ、なかでX星人が耳を塞ぎやめてくれ~と叫び、ついに円盤が爆発してしまう。
ゴジラとラドンを操っていた電磁波も別に開発した遮断電磁波の照射により二人の怪獣を自律させる。
キングギドラは元々彼らにとって気に喰わぬ奴だったから、タッグを組んで攻撃する。
が結局、キングギドラには逃げられてしまう。
最初からゴジラもラドンも然程、やる気もなかったから深追いしない。
またどこかの海底とかで昼寝を始めているはず。

X星人は地球人がやっつけた。
科学力に勝る相手を滅ぼし、自信に繋がったであろう。
怪獣は、ただ3人でほどほどに暴れていただけであった。
「怪獣大戦争」は無い。
X星人統制官の土屋嘉男がとても様になっており、キャストは適役であったと思う。
ニック・アダムスという役者演じるグレンもしっくり溶け込んでいた。
波川と恋人関係にもなっていたが、そこはさらっと流した感じである。

Invasion of AstroMonster001


ゴジラ、ラドンを操る電磁波を遮断する装置が完成しているのに暫くの間、その二人を軍隊が砲撃していた意味がよく分からなかった。何故直ぐに覚醒させなかったのか、わたしがその理由を見落としていたのかも知れぬが。
久々のTV鑑賞であったが、外野が煩くて落ち着かないまま観終わってしまった、、、。
特に惜しい気もしないが。
子供の頃、一回は見てはいるはずだが、、、記憶には残っていなかった。








カノン

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雑賀俊朗 監督
登坂恵里香 脚本


比嘉愛未 、、、岸本藍(次女、小学校教師)
ミムラ 、、、宮沢(岸本)紫(長女、専業主婦)
佐々木希 、、、岸本茜(三女、金沢の実家の料亭の若女将)
桐山漣 、、、小出聡(藍の婚約者、市役所職員)
長谷川朝晴 、、、宮沢和彦(紫のモラハラ夫)
古村比呂 、、、小出妙子(聡の母、喫茶店経営)
島田陽子 、、、新井澄子(豆腐屋経営者)
多岐川裕美 、、、岸本辰子(三姉妹の祖母、金沢の料亭の元女将)
鈴木保奈美 、、、原島美津子(三姉妹の母、アルコール認知症)


毒母(アルコール依存症)による少女期(前期)における恒常的虐待がどのようなトラウマを子供に与えるか。
ここでは母親の情緒不安定(暴力)、暴言、ネグレクト、、、などが顕著に窺える。
三姉妹においても年齢の違いから少し影響もことなるところはあるようだ。
長女はその影響が最も大きいようで自尊心が育まれず、自己肯定感がない。その為、それを更に深く抉る様な夫を持つことになる。
幼いころの関係性を反復強化させるような共依存関係を結ぶ相手を選ぶことは、よく知られることだ(実際にそういうもの)。
次女は親の暴力に対する恐怖と不安が無意識的に大きく残存しており、フラッシュバックや悪夢に悩まされる。そのため家庭を持つことにも不安が大きく決断できない。自分にとって好意的な対象であっても関係性を切り結ぶこと自体を自己保身の為から避けてしまう。仕事だけはきちっとやり周囲からの信頼は得ているようだが。
三女は、母と同じようにアルコール依存傾向が見られる。人を使い責任の重い料亭の女将という立場もあるが、ストレス耐性が弱い面が窺え、何かに依存して安定を図ろうとする傾向はあるか。他の姉妹に対しても直ぐに喧嘩腰になるところなど、精神の安定感と余裕に乏しい。
いずれにせよ、今の自分を素直に肯定的に受け容れることが出来ないのは三者とも同様だ。
だから生きることが苦しく、不安に苛まれたり自らチャンスを避けたり依存したりして生きている。

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この母親の生活環境からすれば、幼年期における愛着関係にも障害が見られる可能性は当然大きい。
長女は常に人目を気にする強い不安型の愛着障害とみられるし、次女は回避型の愛着障害とも謂える。三女の依存性からしても愛着障害は視野から外せない。

とは言え、この母親は、子供に対しての義務を果たしておらず害毒を与え子供を著しく生き難くさせた罪は明白であるが、彼女をそうさせる原因を作った人間は祖母であることは否定しがたい。
この祖母の権威的で支配的~高圧的な姿勢は、美津子だけでなく、息子~美津子の夫にも同様に向けられており、息子は母からの支配を逃れるように美津子と結婚し、家業を継がず、無理と分かっている日本画家の道を強引に選び、他の女と心中を図る。まるで母への当てつけのような破滅的人生を歩んだ(つまりとうとう母の支配を逃れることが出来なかった)。
息子や孫娘たちの悲劇もあり、後にかなり反省をして美津子を理解しようと努めるが、事態はどうにもならないところまで進んでしまっていた。

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前に進むためにもまずは、トラウマが当人の中で癒され自尊心が芽生え、しっかりした自我が確立された上で、初めて他者との自立的で対等な健康的関係が結べるようになる。
そこから見ると、藍の結婚相手の母は怪しい。娘~聡の妹を学校の不手際で熱中症により失っている。
藍を多分に娘の代理として無意識的に見ている節がある。
充分に関わって相手の人格を認めたうえで親密になるのは分かるが、最初からあの無条件の歓迎ぶりは尋常とは思えない。
娘像を彼女に投影して無意識的に支配、コントロールしようとしてゆく可能性は否定できない。無防備に気を許すのは危険かも。
肝心の夫となる彼は、彼女をじっくり見てきている。母美津子との関係も知った上で共に居ようと言っていたことからも信用が出来る。藍にとっても安定した自我をもった人間と共に居ることは自己治癒を早めることにも繋がるはず。


人は、自然に親に成れるものではない。
意識的になってゆくものであり、無意識的に身体的に引き摺ってしまっているものを全て対象化し相対化して対消滅させて自分を浄化させつつ親になってゆくしかないものだ。

特にわたしのように、特別あつらえの超ド級毒親に育てられた身としては、この過程が凄まじく難関となる(爆。
負の遺産が大きすぎるのだ。
だが、やるしかあるまい。


原島美津子の過酷な人生は、よく分かるが、娘たちの苦難は全て~100%親の責任である。
娘たちは、まず自分の生き辛さ、苦痛は自分に原因はないということをはっきり認識~自覚しなければばらない。
全てはそこから始まる。
そして何より原因と関係性について精確に分析して知る事である。
それが済んだうえで、はじめて母親を一個の人間として捉えればよいと考える。

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パッフェルベルのカノンを3つのピアノで弾くのは初めて聴いた。
母、美津子も招いて藍の結婚式で三姉妹のパッフェルベルのカノンを披露するというのは、分かっていても感動的ではある。
しかしエンディングで盛り上げる為か終盤、オーケストラアレンジが被って来たが、ピアノだけで行くべきだった。

それからもうひとつ気になった点は、少女時代の娘たちが、今現在の娘にどう見ても対応しないところである。
大変な演技を強いられるわけでもない少女期である。
せめて似ている~面影のある娘を使って貰いたい。
結構物語の信憑性というか信頼性にも寄与する部分である。
ダコダファニングみたいな演技を求められる訳ではないのだし、もう少し探して欲しいものだ。

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全体として観て、とても良い映画であった。
どこか「海街diary」を思わせるところでもあった、、、。











透明人間と蝿男

Invisible Man vs The Human Fly001

Invisible Man vs. The Human Fly
1957年

村山三男 監督
高岩肇 脚本

北原義郎、、、若林(捜査一課長)
叶順子、、、早川章子(早川博士の娘)
品川隆二、、、月岡博士(不可視光線の発見者)
毛利郁子、、、美恵子(ダンサー)
鶴見丈二、、、杉本
浜口喜博、、、葉山刑事
南部章三、、、早川博士
見明凡太朗、、、警視総監
伊沢一郎、、、楠木(蝿男)
中条静夫、、、山田


荒唐無稽というよりぎこちない。
俳優が一生懸命シリアスな演技をする分、ナンだこれ感が半端ではなく充満する。
突っ込むとかどうとかいうレベルではない。

不可視光線だか透明光線だかはともかく、見えない体になってどうするつもりなのか、である。
捜査に役だったかなと思える場面が一回だけあったが、、、リスクを冒して透明になる必然性に乏しい。
観ていてほとんど意味の無いものであった。
そして、殺人を繰り返す蠅男であるが、大きさは蠅くらいかも知れぬが、人が小さくなっただけで、昆虫化した訳ではない。
何で翅音を立てて飛ぶことが出来るのか。
そして人を殺害する際に、ナイフを使うが、アンプルでナイフまで小さくなってしまうものか?
何度もぬかりなく目的の人物を刺殺しているのだが、ムクムクと大きくなるところは、しっかり目撃されているはずで、その合間に幾らでも逃げたり、逆にひっ捕らえたり出来たはずだが、、、まさか蠅(の大きさ)のままでナイフで刺しても死ぬまでいくとは思えぬが。
しかしどうやらその線だと思われる。それなら猛毒を使うとかしたら少しは説得力があるが、アンプルから出る煙で、毒がどうなるのか、、、。わたしまで何を考えてるのやら(爆。
殺人鬼は戦争中、自分を裏切った人間に復讐を果たすという戦争の深い爪痕~後遺症の一つを提示するものか。
(確かに終戦間もない)。

Invisible Man vs The Human Fly002

発想としては、宇宙線の研究過程で発見された透明光線と旧日本軍の開発した人を縮小してしまう薬品によって、片や透明人間に片や昆虫大の人間に、なっていまうというところで、何かやってみようというところまでは良かった?が、、、。
大筋だけでなく細部までもっとよく練って詰めてから作るべきだった。
余りに無理があり過ぎて、役者が熱演するがそれでどうなるものではない。
大体、蠅男が透明光線装置を要求し、それを差し出さなければ何処かを爆破すると脅迫してくるが、まず蠅男は何故透明になる必要があるのか、その上蠅のままでまさか爆発物を密かに設置することなど出来るはずはなく、その作業は実寸男がやっているはずで、首都圏厳戒態勢にした割に見つけることも出来ず、あえなく爆破されてしまう。
この男を探すのに透明になったところでどうなる訳ではないし。

Invisible Man vsThe Human Fly003

ここをもっと上手くかみ合わせそれぞれがそうなる必然性がまず基本にないと。
叶順子女史など透明人間に自らなってしまうし、勿体ないではないか、、、。
彼女のファンでなくとも、そりゃないでしょと思う残念なところ(爆。

それから何でそんな設定をわざわざ入れてくるのかというところもあり、、、
やる気まんまんの助手が先走って、まだ透明化した体を元に戻す方法が完成していないにも関わらず、自ら透明光線を浴びて透明化してしまうのだが、太陽が良く当たる部分は半透明なんですね、とか顔と手を見せ体験結果を示す。そこは、妙にいじらなくてもよいだろうに、、、。元に戻すことも上手くいかず中途半端な透明度になっているし、、、。
少し話を複雑にしてみたかったのだろうか、、、。
後に知らぬうちに元に戻す光線も発明されたようだが、何故か叶順子演ずる章子は自分の意志で元に戻っている。
その辺どうも腑に落ちないのだが、、、(それを謂ったら蠅男も人に戻りたいときに戻る)。
そしてこの頃になると、例の助手が全く出てこなくなる。
どこでどうしているのか。もうやる気がなくなったのか、ちっとも絡んでこなくなる。忘れられた感じだ。

Invisible Man vs The Human Fly004

ともかく、どういうつもりで透明になるのか、、、
蠅にさえ成れば何でも出来るとでも思っているのか、、、
この二点において何だか分からぬ作品であった。


レアな映画で、AmazonPrime(の更にKADOKAWA)で出逢わなければ、その存在すら知らずに過ごしていただろう。
だが、それで損した気分には、まず絶対になるまい。




AmazonPrimeにて、、、




宇宙人東京に現わる

Warning from Space001

"Warning from Space"or"Mysterious Satellite"だそうだ、、、
1956年

島耕二 監督
小国英雄 脚本
中島源太郎 原案

南部彰三、、、磯辺直太郎
目黒幸子、、、磯辺徳子
川崎敬三、、、磯辺徹
見明凡太朗、、、小村芳雄(天文台所長)
永井ミエ子、、、小村多恵子(娘)
山形勲、、、松田英輔(ウリウム101の発見者)
平井岐代子、、、松田清子
フランク・熊谷、、、天文台通信係
河原侃二、、、高島博士
苅田とよみ、、、青空ひかり / 天野銀子(パイラ星人)
小原利之、、、平野健一


「宇宙人東京に現わる」という題とジャケットは以前見たことがあり、まずその映画を観ることはなかろう、と思っていた。
今回、”シネマコレクション by KADOKAWA対象作品”というのにうっかり入ってしまったことで、どうせならと観てみることにした。
「宇宙人東京に現わる」である。凄い題だ。レトロSF。
UFOが世界中で頻繁に目撃され、何と東京(浅草か)には宇宙軒とかいう飲み屋があり天文台の博士も呑みに来る。
が、それがどうしたという、別にそこからの展開もない。ただ人々の宇宙への関心は結構あるみたい。

Warning from Space007

歴史的な価値があるというか、位置づけのなされている作品なのだと思う。
(わたしにとっては若き川崎敬三に出逢ったことが大きい)。
VFXは当時の一杯一杯のところまでやっているのは分かる(太郎も絡んでおり)。
だがストーリーは、(映画としてみても)、如何なものか、、、。

Warning from Space004  Warning from Space005

パイラ星人のデザインは岡本太郎が担当だそうだ。
そういわれれば腑に落ちる形だ。色もビビットであったし。
わたしはかつてジャケットに映っていたその形~宇宙人を見て映画を観るのを敬遠したのであった。
確かに太陽の塔に棲んでいてもおかしくない人々だ。
噺の流れや内容はともかく、引っかかる面白い道具立てやシーンは幾つもあった。

パイラ星人が普通の地球人の話し合いをしていた。
道徳を大切にするのだ。

Warning from Space002

地球を征服に来たのではなく、地球の危機を知らせに来た彼らなのだが、、、
青空ひかりという女性歌手にそっくりに変身して地球人のなかに潜入する。
コミュニケーションを抵抗なく図るためらしい。あの形では真面目な話をする気にはなれないだろうが。
人気スターに変身したら動き難いであろうに。何でわざわざ。案の定JKにキャーキャー取り巻かれたりしているし。
政治家とは関わらず信用のおける科学者に個人的に接するというのは、アリかも。
磯辺徹とテニスするときに、漫画みたいな飛んでもないジャンプする。
直ぐに科学者に重力事情の違う星から来た宇宙人だと見破られる(笑。
元々宇宙人としてメッセージを伝えに来たのだから、良いと謂えばそうだが。
まわりくどいユーモアの持ち主だ。

太陽系から遥か遠く離れたところからやって来たが、地球人には親近感をもっており、かつての自分たちの姿を見るような状況にいると。核を有効に活用しなさい、というメッセージと今近づいている危機について警告しに来たという。

Warning from Space003

彼らは天体Rが地球にぶつかることを(たまたま)知り、日本の博士に知らせに来た。
地球の全ての核を使ってその天体を破壊しなさい、と訴える。
被爆国の日本に訴えれば話が早い、と考えたと。
しかし原水爆より遥かに大きなエネルギーをもつ「ウリウム101」の方程式を見た途端激しく拒否反応を見せその紙を破り捨てる。

モニタというものがなく(コンピュータも見当たらない)、ただひたすら博士が望遠鏡のレンズを汗をかきながら見続ける。
そして「あった」とか言う。
「おお」
「順番に覗いて見てください」とか言う。
並んで見てゆく。モニタは無いのか?
この観測の姿が余りにシンプルなのだ。
天体の軌道や質量・大きさや組成、接近速度~到達時間の計算はどこでしているのか見当がつかない。

Warning from Space006

その後、何度も海外に核による天体Rの破壊を訴え博士が電話を世界に向けてかけまくるが、望遠鏡でそれを捉えられるところまで来ると世界各国も真剣にそれに応じる。
そして核攻撃が一斉に始まるが、全く天体には影響を及ぼさない。そればかりか接近速度が速まって来た。
そんななか、マフィアが「ウリウム101」の発見者松田博士を誘拐しその方程式を教えろと脅す。
聴いてどうするのか、よく分からぬが。
天体が近づくにつれ地上の大気が乱れ気温も上昇し海も荒れまくる。きっと磁気も異常になっているだろう。
博士を誘拐し椅子に縛り付けたマフィアは何故か何処かに姿を消し、ビルの部屋には博士しかいない。
そのビルも崩れ始め絶体絶命のところに、パイラ星人がやって来て方程式を教えろと。
教えた直ぐ後で、宇宙船内で製造した「ウリウム101」装着弾頭ミサイルをRに向けて放つ。
Rは粉々に吹き飛ぶ。皆喜ぶ。
地球に相当な物理的影響を与える近傍まで来ていた天体の大爆発の激しい影響を被るかと思いきや、その後の地上は穏やかであったみたいだ。

初めから核くらいでは軌道を変えることも不可能であることがパイラ星人には分からなかったのか不思議。
方程式を見ただけで拒絶反応を見せたのに結局それを使うことを勧める。
結構、アバウトな宇宙人だ。あのテニスのジャンプにせよ、いやその前に何で有名スターに変身してきたのか、いやそれ以前にあの青空ひかり / 天野銀子って出てくる必要があったのか、、、わたしも今気づいた(爆。
よくあるパタンで磯辺徹と小村多恵子の恋愛噺などの傍流もなく、すっきりしていてよい。


終わり良ければ全てよし、の世界であった。
特に先方に礼を言うでもなく、そのまま良かったで終わる。






AmazonPrimeによる、、、。










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Odd Obsession003

Odd Obsession
1959年

市川崑 監督
長谷部慶治、和田夏十、市川崑 脚本
谷崎潤一郎 原作
芥川也寸志 音楽

京マチ子 、、、郁子
叶順子 、、、敏子(郁子の娘)
仲代達矢 、、、 木村(郁子の婚約者、医師)
中村鴈治郎 、、、剣持(郁子の夫、古美術鑑定家)
北林谷栄 、、、はな(女中)
菅井一郎 、、、石塚(整体師)


まさに「奇妙な執着」であった。
「鍵」は確かに終盤における決定的な流れの「キー」とはなるが、、、。

Odd Obsession004

流石は1959年の映画である。
エロティシズムに関しては、あからさまな部分は無く、全て想像に任せる形。
谷崎潤一郎のこの作品は全く読んでいない為、映画としての感想のみ。
剣持は、如何にも谷崎の分身みたいで入り易かった。
郁子は流石に端正で品格ある上流婦人だが、夫に依存しつつ自分の欲望を満たすなかなか強かな女性。
娘の敏子を演じる叶順子は、クールでデカダンスな魅力を覚えた。
他の映画でも観てみたい女優だ。
仲代達矢はカフカの小説のKでも演じてもらいたい雰囲気であった。憑りつかれたような眼で怖い。
語り部的役割も担い、内面の打算的な呟きがしょうもなかった(笑。見た目、内面などないようなとぼけ顔をしている。
北林谷栄 のはなは色盲をよいことに無意識的に極めてデンジャラスな振舞いをする老女であり、毒~農薬を使って皆にあっけらかんと究極の審判を下す。終始とぼけたままで、ある意味もっとも怖い存在と言えよう。
皆の疑心暗鬼が高じて爆発が起きるようなところには出ず、はながキョトンと事を成してしまったものだ。
余りにあっけない唐突な幕引きはコミカルですらあったが、実にリアルでもあった。

Odd Obsession002

剣持のいつまでも若くありたいという欲望は分かるが、この設定は明らかに娘の敏子の存在を踏みにじっている。
(おまけに、いや肝心なことだが、婚約者の木村からも軽んじられている。不満は溜まるはず)。
この父では娘に恨まれても当然。勿論、自分の婚約者と浮気をする母に対しても殺意を持っている(はなのせいで空振りするが)。
しかも剣持は妻にも軽んぜられている。妻にとっては良い思いはさせてもらっているが同時に軽蔑の対象ともなろう。
死んだときに、思いっきり喜ばれていては、浮かばれまい。
京マチ子の、この辺の押し殺した繊細な感情表現の上手い事。
その表情は能面を想わせるメイクも効いてかなり怖い。そう言えば他のキャストもメイクが怖いことに気づく。
剣持の木村と妻をわざと近づけさせてその様子を覗き見し、嫉妬で精力を取り戻そうという姿も怖いと謂えばそうである。
木村もそれを知りつつ従って行くところが、存在自体薄気味悪い(勿論開業医を実現するためでもあるが)。
登場人物誰もが怖いと謂える。演出~姿からして、、、もう一息でアダムスファミリーではないか。
不穏な雰囲気も障子に鳥影がさーっと映り込んだりで高めてゆく。
(日本の伝統的な)演出の妙が冴える。

Odd Obsession005

結局、誰からもコケにされていた娘敏子は、毒を混入したと信じているティーカップを母に差し出す。
同時に木村にもという訳ではなかった。
つまり馬鹿にされていることは、分かっていても彼とはホントに結婚すると決めていたのだ。
しかし次の瞬間、はなの作ったサラダを3人でバクバク食べて皆絶命となる。
だれもまさか、はなが毒をわざと入れるとは思っても見なかったのだ。
唐突に誰もの企ても中断された。
ただし、警察が遺書と受け取る郁子の日記の内容は、どういうことか。
天国とは、単に幸せに暮らせるようになるの意なのか、、、
(夫が死んでせいせいしたという感じもあるか。だが家は抵当に入っており古美術も借りているだけで財産は残っていなかった)。
死んだ夫を追って一家心中を図ったことになるとは、上手く出来た噺である。
警察は、わしがやったという女中の言葉などに耳を貸さないのも分かる。

Odd Obsession006

全体の湿り気を感じる古風な日本的な映像美といい、よく出来た作品だと思う。




AmazonPrimeにて、、、





東京喰種 トーキョーグール【S】

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2019年

川崎拓也 平牧和彦 監督
石田スイ 原作
御笠ノ忠次 脚本
小田朋美 菊地成孔 音楽

窪田正孝、、、カネキ(大学生半喰種)
山本舞香、、、トーカ(女子高生喰種)
松田翔太、、、月山習(美食家喰種)
森七菜、、、小坂依子(トーカのクラスメイト、人間)
白石隼也、、、西尾錦(カネキの先輩喰種)
桜田 ひより、、、笛口雛実(文学好き喰種)
知英、、、イトリ(バー「Helter Skelter」経営者喰種)
村井國夫、、、芳村(「あんていく」喰種店長)
坂東巳之助、、、ウタ(イトリの幼なじみ喰種)
木竜麻生、、、西野貴未(西尾の恋人、人間)


東京喰種 トーキョーグール」の続編なのか、、、
前作の方がスケールは明らかに大きい。本作は小さくまとまった感がある。
それからカネキが少し弱くなった感じ。
肝心のヒロインが宗教に行ってしまったため、山本舞香にチェンジしたが、こちらもカッコよかった。
その為か親友の小坂依子も古畑星夏から森七菜に交代になっていた。これは残念だがバランスの問題でもあろう。
兎も角、トーカは相変わらず強い。
知英さんが思わせぶりタップリに出ていたが、次回作で恐らく大活躍となるのだろう、、。

生態系のなかの頂点捕食者はというと、ワニとかシャチとかライオンなどか、、、。
人は生態系に内属すると言ってよいのかどうかと思う要素はあるが、食べられないという点からいえば、人も少なくとも高次捕食者には違いない(かつては共食いしていた部族はいたが)。
だがその人を食って生きている種がいるならば、彼らが頂点捕食者として君臨することになるか。
それがグールで、もう人類一般にもその存在は知られている。
だが、実際に個々の個体はひっそりと身を隠して暮らしているようだ。
上手く偽装して、レストランなどをやっている。かなりの地下で「グールレストラン」を派手に開いたりしてもいた。

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カネキたちも喫茶店「あんていく」に身を寄せて日々を過ごしている。
美食家グールは充分退廃的で良かった。
しかしカネキは何であんなにひ弱になってしまったのか、、、。
グールとしての能力も一瞬しか見せない。
トーカが助太刀してやっと勝ったが、そんなものではないだろうに。

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美食家グールの耽美的で只管純粋に欲望を追求する姿はそれでよいと思ったが、彼だけで物語全般を引っ張るのは難しい。
人をそんなに簡単に殺してもよいのか~人はたくさんの生き物を殺している~グールは人しか殺さない。
確かに慎ましい。それに命より趣味(美食)の為に生きるみたいな芸術至上主義的姿勢には共感できる。
そこにグールと人間女子との純愛ストーリーも対比的に絡め、その辺で厚みが出るかと思いきや、葛藤と愛は表現されてはいるも、とても平板で単純な流れであった。
そう、スケール(広がりや深まり)がなく、単純なままアクション~血で滑って行ってしまった感である。

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前作の方がグールと人間との共存における苦悩や葛藤や思考が描かれていたように思うが、その辺の揺らぎ~揺れ幅は大事な部分であろうに。
もう少しやれると思うのだが、、、。
知英さんも次回作への繋ぎとして思わせぶりな雰囲気だけ残していたが、この程度では期待を膨らませるところまでは行かない。
もう少し具体的に何かをやって繋いだ方が良かったような、、、。
どこのシーンにしても食い足りない感じである。

気づくと、松田翔太の怪演の印象だけ残った。

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次作に期待したい。
原作は全く見ていないが、この流れだと次作を予告したようなエンディングであるが、大丈夫か。








マンイーター

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Rogue
2007年
オーストラリア、アメリカ

グレッグ・マクリーン監督、脚本、製作
フランソワ・テータ音楽
ウィル・ギブソン撮影

ラダ・ミッチェル、、、ケイト・ライアン(ガイド)
マイケル・ヴァルタン、、、ピート・マッケル(旅行ライター)
サム・ワーシントン、、、ニール・ケリー
バリー・オットー、、、マーヴ
ミア・ワシコウスカ、、、シェリー(エリザベスの娘)
キャロライン・ブレイジャー、、、メアリー・エレン
スティーヴン・カリー、、、サイモン
ジョン・ジャラット、、、ラッセル
ヘザー・ミッチェル、、、エリザベス
ジェフ・モレル、、、アレン(エリザベスの夫)
ロバート・テイラー、、、エヴェレット(メアリーの夫)


「ごろつき」である。
キツイゴロツキだ。ここまでのゴロツキには、陸地で出逢うことは、恐らく無い。
オーストラリアのカカドゥ国立公園のロケーションが楽しめる。
壁画もあり歴史的価値も充分この映画で感じられるものだ。
絵~撮影が見事。
ミア・ワシコウスカがまだスター(ヒロイン)となる以前の姿が見られる。
とても気丈なヒロイン役が多い彼女だが、ここではか弱いまだ甘えん坊の娘役だ。何だか得した気分になった(笑。

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ワニ映画であるが、普通によく出来た映画であった。
ワニの造形や動きもよく、人間のそれぞれの性格描写もしっかりしており緊張感がずっと持続する。
シチュエーションは、ボートのツアーガイドが、救難信号を観たからと言って、観光客をつれたまま誰も入ってはならない聖域に入り込み、そこを縄張りとする巨大な凶悪ワニの攻撃に遭うというもの。
しかも、そのワニにボートを壊され何とか辿り着いた小島は、満潮になると水没してしまう場所であった。
無線機も使えない(電波状況によるものか)、次第に日が暮れてゆくなか水際にいた人間が次々にあっという間に襲われてゆく。
明らかなタイムリミットと究極の寄る辺なさ、問答無用の殺意。
そして夜になる。漆黒の静まり返った水面の恐ろしさは自分の記憶の中にもある。

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この映画の他のワニ映画と一線を画するところが、襲われ感であるか。
よくあるワニ映画の何ともこれ見よがしなあざといものではなく、リアリティがあり臨場感に溢れているのだ。
ワニの形体だけでなく性質~習性や獰猛な動きが他とは違う説得力がある。そして肉体的~感覚的な痛さも。
(ピートを追い詰め執拗に襲いかかるところなど、演出に過剰さがあったとしても大変スリリングな恐怖を覚え不自然感はない)。
ヒロインが噛まれて瀕死の重傷を負うこと自体、その痛々しさの感覚が尋常ではないものとして迫ってくる。
つまりもう怖いのだ。これまでに観たワニ映画の多くは人が襲われると笑ってしまうようなシーンが少なくなかったが。
カカドゥ国立公園の勇壮な光景のもと潜んでこちらを静かに窺っているワニの作る空間は張りつめていて美しくもあって。
そこを流れる緊迫した時間がこの映画そのものとなっている。

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お馬鹿コメディのワニやサメ映画も結構面白いが、こうしたシリアスものもあることが分かった。
サメ映画では切り口も面白い「オープン・ウォーター」、「ディープ・ブルー」、「ロスト・バケーション」などの傑作と呼んでよいであろう作品はある。
そう「シャーク・ナイト」もよく見られるタイプではあるがそのなかでは破綻も感じない良い出来の青春パニック映画であった。
ジョーズ」を外してはならぬか。

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それにしても欧米人は、サメやワニ映画が好きだと再確認した。
何にしても旅行客を連れたまま違法の海域での遭難現場に立ち寄るのは余りに危険で無謀、無責任な行為だ。
無線で本部や救助隊に連絡して、自分たちは予定のコースを回って帰るべきだろう。
何れにせよこれを観て、冒険などには死んでも出たくはないと感じた(爆。









「生まれてはじめて」

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今日は一日中、庭で多肉の世話をして、疲れてTVを何気なくあちこち観ていて、歌番組にしたら、、、何と
いくちゃんと久保さんが「生まれてはじめて」(『アナと雪の女王』)を唄っていた。
このふたりのデュエットはとても良いし、この曲自体も好きだ。
映画が良かった。
何よりこれは良い企画だ。偉い。
こういうのをもっとやって欲しいもんだ。
と謂うより、このふたりはユニット組んでこれから先もやってもらいたい。
純粋に良質なコンテンポラリーミュージックを作って演奏~唄って欲しい。
少なくともいくちゃんには、卒業後ミュージカルオンリーとかにはならないでもらいたい。
わたしはミュージカル見に行く習慣がないのだ。
久保さん頼むぞ、、、。

何の話だ、、、。
兎も角、今日は力仕事もして結構疲れた。

おやすみなさい。





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霊幻道士

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Mr. Vampire
2019年
香港

リッキー・ラウ監督
シートゥ・チャホン脚本


ラム・チェンイン、、、カオ道士
リッキー・ホイ、、、モンチョイ(カオ道士の弟子)
チン・シュウホウ、、、チュウサム(カオ道士の弟子)
ムーン・リー、、、ティンティン(ヤンの娘)
ウォン・ハー、、、ヤン(大富豪)
ビリー・ラウ、、、ウェイ(保安隊長、ヤンの甥)
アンソニー・チェン、、、カオ道士の弟弟子で道長
ユン・ワー、、、ヤンの父親の狂暴キョンシー
ポーリン・ウォン、、、シャンシー(20で死んだ女性の幽霊)


どうやら1985年から始まったシリーズものらしい。
この映画も2019年に日本での放映だが、元は1985年くらいのものではなかろうか、、、しっかり調べれば分かるものだろうが、脱力系のものを観た後で、そういう面倒なことする気にならない(笑。「幽玄道士」とは別物らしい。そのうちそちらとも見比べてみたい。
脱力してそこそこ楽しめる。特別大笑いするとか鮮やかアクションでスカッとするとかいうような強力な刺激はない。
独特のキョンシーと共存する文化の醸す雰囲気を堪能するには良い。
昨日のキョンシーものよりずっと渋く正統なキョンシー映画ではあるだろう。

役に立つのかダメなのか何とも微妙な弟子を持ち、そこに更に間の抜けた保安隊長が加わり、凶悪キョンシーと幽霊相手にカオ道士がとても忙しいという噺(笑。
幾種類もの法具があり、それらを直伝の作法で使いこなしキョンシーを管理または撃退する道士の仕事が重宝されていたようだ。
独特のカンフーアクションに加え、法具扱いの所作を観るだけで面白い。
この映画ならではの醍醐味?であろう。

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法具の幾つか。
お札 鶏血で呪文を書いた護符。流石に道士ともなると書くのも速い。強力な呪文をキョンシーの額に張り付け動きを封じる。この札で火を放つ事もでき、扉や窓に貼り付け結界としても使える。
墨壺 これはわたしも持っているはず(どこかにしまってある)。デザインで直線引くときにとても役立つ。ここでは、壺の中身にキョンシーの嫌う鶏血と墨汁を混ぜた液体を入れておく。糸がこんがらがったりしていたが、キョンシーの行く手を阻んだり結界を張るのにも使われていた。大工さんなら誰でももっている。
八卦境 闇の力になる月の光を転換させ霊力として集約させる。これは邪気を反射させることにもなる。
鶏血 雄鶏の生き血である。多分映画で本当にしめていたと思う。キョンシー除けの効能があり、墨壺に混ぜたりやお札書きに使われる。
桃剣 邪気を追い払う桃の木から作られた剣。対キョンシーの有効な武器であるが銭剣と同様に儀式にも使われる。
ライチの葉 ライチの葉は、法力を籠めることで悪霊の幻覚を見抜く天眼通を発動する事が出来きる。カオ道士がシャンシーの正体を見破るのに使っている。ライチの木はキョンシーを火葬するのに最適だと言う。
餅米 邪気を追い払い、キョンシーに対する有効な武器となる。キョンシーに成りかけたモンチョイの治療にも使われた。しかし少しでも不純物が混ざっていると効果がない。
銭剣 銭を結び剣にした武器。霊力により桃剣を上回る破壊力を発揮していた。

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ストーリーは、ヤンという富豪にカオ道士が父の墓の移転を頼まれる。
20年後に移転すると家の運気がアップすると言われたそうだ。
墓を調べると道士は色々と不審な点に気づく。
ヤンから相談を受けて墓を作った風水師が悪意からワザと悪い運気が来るように埋葬されていたのだ。
(父の埋葬後は運気は実際に下がり気味であったそうな)。
その父は、強欲で非情であった為、悪意を随分かっていたという。
何とその父は死後20年経過しているのに、腐敗していないのだった。
道士はキョンシーになることを恐れ火葬を勧めるがヤンはそれを酷く嫌う。それで遺体を新たな埋葬場所が決定するまで、道士のところで預かることとなる。
(ここで火葬を決めていれば、ヤン自身も父ともども、キョンシーとして焼かれることもなかった。運命とはそうしたものであろう)。

この時、周囲の墓全てに線香をあげてゆくが、20歳で死んだ女性の墓の前で思わず同情する言葉を漏らしたチュウサムに、その霊が好意をもち憑りつくこととなる。メンドクサイことが加わったものだ。
その女幽霊をチュウサムは恋人が出来たと思い喜ぶも彼自身が危険な状況になってゆく。同時に大変狂暴なヤンの父キョンシーが人々を次々襲って犠牲者が増えて行き、ついに自分の息子まで殺してキョンシーにしてしまう。
ウェイが道士に泣きついてくる(最初は道士を犯人だと決めつけ投獄と拷問までしようとしていた)が、余計にこじれる。更に父キョンシーとの闘いでモンチョイが傷つき、それによるキョンシー化の兆しが表れてくる。
それを防ぐために道士はチュウサムに餅米を買いに行かせるが、店主に騙され安い別の米を混ぜ合わされたものを持って帰ってしまう。おかげでモンチョイのキョンシー化に歯止めが掛からず更に様態が悪化してしまう、、、。

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この流れである。カオ道士は、凶悪キョンシーと弟子に憑りついた女性幽霊とも闘い、キョンシーとの闘いで負傷しキョンシー化してゆく弟子モンチョイへの対策を講じ救わねばならない。おまけにウェイ保安隊長が足を引っ張る。弟子はへまはするし余計なこともする。
観ていてこの道士が気の毒に思えてくる。
そしてこの物語のヒロイン、ティンティンがこれと言って特に活躍をする訳でもなく、どちらかと言えば女性幽霊シャンシーの方が目立って出番が多い。

何だかんだと言ってもカンフーアクションの戦闘シーンが肝であろう。
やはりジャッキー・チェンみたいに闘いながら近くにある物を片っ端から武器に利用しながら繰り広げる手際は楽しませる。
そして弟子とのチームプレー~フォーメーションの妙である。
結局、大変手強い父キョンシーをたまたま起きた火を利用して丸焼きにして滅却するに及んだ。
最初から焼いていればこれ程に犠牲者と手間を取らずに解決していたが。
それでは、こういったドタバタ劇は生れない。
依頼者のヤンも運気が上がるどころか焼かれてしまうことになった。最初父の埋葬を担当した風水師は恐らくここまで繰り込んで20年後に墓を移転するように告げていたのだろう。
余程ヤン父は恨まれていたのだ。
そこで一人残ったヒロインのティンティンはどうするのか、と思ったがどうやら脚本家にも忘れ去られていたみたいだ。

特に何もなく終わったと思う。
わたしもはっきり覚えていないが、、、(笑。







霊幻道士 こちらキョンシー退治局

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Vampire Cleanup Department
2017年
香港

ヤン・パク・ウィン、チウ・シン・ハン監督
ヤン・パク・ウィン、チウ・シン・ハン脚本

チン・シュウホウ、、、ジーチャウ(チュンの師匠)
ベイビージョン・チョイ、、、チュン・チョンティン(学生)
リン・ミンチェン、、、イッ・シウハー(キョンシー、チュンの彼女)
リチャード・ン、、、ツォン局長
スーザン・ショウ、、、チュンの祖母


キョンシー退治局~Vampire Cleanup Department(V.C..D.)という政府機関が表向きは清掃局の形で秘密裏に活動していた。
如何にもキョンシーの本場、香港である。
そこにノンポリ学生のチュン・チョンティンがスカウトされる。
何故か?彼はキョンシーにお尻を噛まれたのに、何でもないのだ。普通の人なら死んでいる。
彼にはキョンシーの毒に対する免疫があるのだ。

実は、彼の父もV.C..D.の隊員であったそうで、妻と共にキョンシーに襲われ亡くなったのだが、彼女は亡くなる寸前にチュンを産み落としたのだと言う。
その辺の事情で生まれつきの免疫があるらしい。

Vampire Cleanup Department002

そしてキョンシーにもタイプが4通りあり個体差もあるとのこと。
今回出てきた二体のキョンシーは、一方は地主キョンシーで凶悪狂暴な個体と、もう一方は地主と共に強制的に殉葬されたメイドで無害というより人間の感情も豊かにもっているのだ。見かけも人間の可憐で綺麗な娘そのものである。移動の仕方だけが変なだけ。
先輩の道士から焼却炉に入れて処分するように言われるが、自分の部屋に連れ帰り共に過ごす。
とても穏やかで情もあり健気な性格のため、愛情が湧いてくる(お互いにか)。
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その後の流れはそうくるだろうな、と思うとおりに展開し、最後にこのカワイイキョンシーが人間に戻って晴れて結ばれるみたいな臭いハッピーエンドを少しばかり期待してしまったが、流石にそうはならず、彼女は同僚から処分されそうになったり、警察に捕らえられ狂暴キョンシーを誘き寄せる囮にされたりの酷い目に遭うが、結局愛するチュンを凶悪キョンシーから庇って救い、日光の中で煙になって消えてしまう。まるで人魚姫の悲恋物語みたいに。

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彼女と初めて湖(沼か)の中で出逢ったときにiPhoneを彼女が呑み込んでしまい、その後は言葉の喋れない彼女の気持ちをVoiceOverが伝えてくれるようになったのは、面白い。良いアイデアだ。彼のおばあさんが妊娠を疑い彼女のお腹を摩ったときもそのiPhoneが気の利いた返事をして相手を満足させたのだ(笑。
適度のユーモアもあり、ラブコメディとしてよく出来ていたと思う。

最後は、チュンも一人前になって、V.C..D.の若手の指導教官となっていた。
そこに、かつてのイッ・シウハーそっくりの新採の美女がいるではないか。
そのパタンで来たか、という感じである。
こうこなければ、やはり物足りない。

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スプラッシュのキョンシー版みたいでとてもよかった。
ひとつ、やはり主役キャスト選定は、大事である。
これについては、成功。◎。
爆。









幾つか観たが

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今AmazonPrimeで「KADOKAWA対象作品」というのを見始めた為、そこから選んで書こうと思ったのだが、、、
「穴」(1957)は流石に書くに書けない。ヒロインのルポライター京マチ子(長子)大活躍の噺だが、はっきり言って無茶苦茶な内容のブラックコメディで何が面白いんだか、、、というモノ。もう少しストーリー、いやプロットがしっかりできていれば入り込めたかも知れぬが、、、。
京マチ子が勿体ない(もう少し仕事を選んで欲しかった)。
空振りドタバタ劇であった。

それでは、新しいものをと、「傷だらけの悪魔」というのを観てみるが、女子高校生の虐めを扱っているにしては、余りに雑で不自然で無神経でついて行けない。
初めから唐突な展開で突き放されるが、どんどん観てはいられないモノになってゆく。ヒロインが可哀そう過ぎてとかでは全くない。
単に噺そのものが粗雑、人の描写自体が粗雑過ぎて人間関係どころではない。
テーマからして行動、行為、(繊細な)内面描写のリアリティ、必然性は重要な要素だが、それが微塵もない。
ヒロインが最も変。この女は何を偉そうにしているのか。感情移入の要素ゼロ。
ともかくヒロインが憎たらしい。

「手討ち」も見始めたが、こういった時代物を観る気分ではない、、、。
何というか、先も見え見えで、めんどくさくて気持ちが沈む。
(はっきりと悲劇が見え見えのモノはどうにも観ていられない)。


課金されるからと言って(何でPrimeの料金払っていて、こんなものに更に払うのかと思うのだが、、、そこが引っかかるのだ)、無理やりKADOKAWA作品を観ることもあるまいと思って、たまたま見放題で目に付いたのが「グッドボタン」であった。
SNSにかまける女子高生間のカースト争い、、、らしいということで。取り敢えず最後まで観てみた。が、これもヒロインが変過ぎる。
あの愛情深い母親をもって、この娘?というメンタルだけ強い自己本位な女なのだ。高校生にはどうにも見えないのも引っかかる。
問題を起こす娘の方は分かる。家庭環境~毒親のせいで、このようなパーソナリティを持ってしまう子は確かにいる。
酷い里親の間をたらい回しにされるうちに培われた生きる(身を守る)為のスキルが身体化されたのだ。
これこそ社会~大人が救うべき存在なのだが、変なヒロインたちが良い目だけみる噺。
最後は問題児は逮捕され、ヒロインは彼氏と着飾ってプロムに出る幸せ一杯というころで大ハッピーエンドときた。
(直前にいつも絡んでいた友達を自分たちの無謀な遊びに巻き込み死なせているにも関わらず。直接的に死なせたのは問題児であるといっても)。
家庭環境~母親が良いと娘が自己中だろうと幸せな生活に恵まれ、それが悪いと子供はどんどん悪循環の中に貶められてゆく。
ブラックコメディである。が、いじめ、子供の育成問題を扱うにあたって、このようなコメディは合わない。どういう神経なのか。
ここではSNS自体はさして問題でも何でもない。幼稚な悪態は何処でもついてる。それにしても高校生とは思えぬ精神年齢。
(2つの女子高生ものは、単なるアホ映画であった。にしてもこうした感性や認識がかなり蔓延しているのかも知れない)。


子供にとって親は絶対的存在である。完全に受け身の無力な子供にとって親は100%の責任を負わなければならない。
親の愛情、保護能力、教育力如何で子供の将来が決まると言っても過言ではない。
この件において、おちゃらけてる場合ではない。


しかしいつもアメリカの映画を観て思うのだが、何で玄関が皆ガラス製なのか。
かなりの豪邸もそうである(少なくとも映画で見る限り)。
賊がガラスを肘で割り、簡単に鍵を開けて入って来る。
このパタン何度見たことか、、、。
問題のある家など、銀行の金庫くらい分厚い扉にしたらどうか。
バズーガ砲でもビクともしないくらいなら安心だ。
鍵も生態認証が良い(しかも死んだパーツは不可というもの)。


明日はアニメにしよう。
いよいよ寒くなった。外の多肉をビニルハウスに入れよう。



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小さき勇者たち ~ガメラ~

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2006年

田﨑竜太 監督
龍居由佳里 脚本
上野洋子 音楽
mink 主題歌 Eternal Love

富岡涼、、、相沢 透(11歳の少年)
津田寛治、、、相沢 孝介(透の父、あいざわ食堂の主人)
夏帆、、、西尾 麻衣(透の幼馴染、心臓病)
寺島進、、、西尾 治(麻衣の父、西尾真珠店の主人)
奥貫薫、、、西尾 晴美(麻衣の母)
石川眞吾、、、石田 勝(透の親友)
成田翔吾、、、石田 克也(勝の弟)


母を亡くし心淋しい少年透に卵から孵ったときから育てられたガメラ~トト(愛称)と子供たちとの友情の物語。
子亀の頃はまさに亀であるが、大きくなってからはキャラクターのカメみたいなキッズ受けのよさそうな可愛らしい顔となっている。
それまでのガメラの風貌とは似ても似つかない。
それに比して相手の凶悪怪獣ジーダスの悪ズラたるや。ギャオスよりも粗暴で洗練されてない悪という感じ。
感情移入しまくって観てしまった。後半ではもう涙腺緩みっぱなし(爆。
子供映画だが子供騙しはない。

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怪獣物は兎角、夜の闘いが多いが、本作は全て真昼間の闘いである。
やはりキッズの映画である。子供は夕方になったらお家に帰らなければならない。
音楽も意欲的なアプローチがなされている。
(どうしても伊福部昭のゴジラに音楽面ではかなわなかったガメラであるが、ここで新境地を開く)。
VFXはそれまでのガメラ映画とは比べ物にならないほど進化している(主にCG)。
しかし子亀の頃のトトは、本物の亀(リクガメ)が使われている(笑。
そして面白いのは、実物大ガメラが作られておりそれがトレーラーに乗せられて街道を走ったり、研究所に収容されて観察されたりしている。実物の子亀~着ぐるみ+CG~実物大模型色々な局面からガメラが観られる。が、どの形態においても可愛らしい。そこに裂け目はない。

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33年前、三重県志摩でガメラが4頭のギャオスを相手に戦い、自爆して人々を救った壮絶な姿を透の父である孝介は少年時代に目撃した。
この父に焼き付いた記憶と息子の母を事故で亡くした喪失感が基調に流れる。
そして彼らの身近では、透の年上の幼馴染の麻衣が心臓病の大きな手術を控えており、大事な存在の命を何とか繋ぎ止めたい気持ちで溢れていた。
透の父である津田寛治と麻衣の父、寺島進がまさに最強の父である。こんな父がいてくれたら言うことなし。
子供にとってどれほど支えになるか。

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ここへきて、大事に育ててきたトトが海から現れた人を食らう凶悪な怪獣ジーダスに立ち向かって行くことになる。
誰もが33年前のガメラを思い浮かべた。
透はもう大事な者を決して失いたくない。麻衣もトト~ガメラも。
その為、ガメラの卵をずっと守って来た赤い石(先代ガメラの自爆時の莫大なエネルギーの影響で生まれた緋色の真珠と同様に生成されたものか)を透はまず麻衣の手術時に彼女に持たせる。
(麻衣の父もなけなしの最後の緋色の真珠をお守りに加工して彼女に手渡す)。
すると大変な手術にも関わらず見事成功する。そして術後間もない麻衣が電話で透にこの赤い石をトトに渡してと願う。
透もガメラに石を渡そうと、危険な避難区域となっている怪獣の暴れている場所~病院のある街に向かって行く。
しかし父の孝介はそれがガメラを自爆させるパワーにもなりかねないという想いが過るのだ。

舞台は名古屋の都市の真っただ中である。そこに麻衣の病院とジーダスと闘い疲れたガメラの収容された研究所がある。
名古屋の街にやって来たジーダスはやりたい放題に街を破壊する。
そしてガメラのいる場所を見つけ、襲い掛かかって来るのだ。
応戦するガメラだが、かなり大きく成長してはいるものの、まだ子供の風情である。
まともにやり合っても分が悪いことは、はっきり分かる。

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この物語の肝は、ここでベットに横たわる麻衣の手から次々に駅伝リレーのように子供たちが赤い石をもってトトへと走ってゆく姿である。大人たちの群れが我先に避難して行く流れに逆行して幼い男女の子供たちが赤い石をリレーして行く。
そしてすぐ間地かに来ていた 勝の手についに石が渡り、それをしっかり透の手に握らせるのだ。
ここでそれまで透の身を案じ安全なところに避難させようとばかりしていた父が、よしおれも一緒に行こうと息子を援護しながら危険な場所に向かって行くのだ。そしてトトが絶体絶命の危機に瀕しているビルの上階までふたりは駆け登ってゆく。
息子をトトと対面できる場所に残骸をどけて入らせ、振り返らず前だけ見て行けと送り出す。

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散々に痛めつけられたトトが高層ビルの最上部に突き刺さっているところをジーダスの槍のように鋭利な舌で脇腹を突かれる。
酷い深手を負ったところで、透から絶対に死ぬなと言われ赤い石を口に投げ込まれる。
ここで初めてトトはこれまでのガメラのようにジェット噴射で飛行しジーダスに有効な攻撃を繰り出してゆく。
そして最後は、とどめの渾身の火球発射である。お腹ではなく口からのものだが、超絶的な破壊力であった。
ジーダスは粉々に破壊され、ガメラは勝った。
そこに当局の政治家やお抱え科学者が疲労したガメラの捕獲に来るが、子供たちが彼らの行く手を阻み、透のトト直ぐに逃げろ、さようなら、、、の声に呼応し、ガメラは空高く舞い上がり帰ってゆく。

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ガメラ 大怪獣空中決戦

Guardian of the Universe003

Gamera : Guardian of the Universe
1995年

金子修介(本編)、樋口真嗣(特撮)監督
伊藤和典 脚本
大谷幸 音楽
爆風スランプ 主題歌「神話」


伊原剛志、、、米森 良成(海上保安庁巡視船「のじま」一等航海士)
中山忍、、、長峰 真弓(鳥類学者)
藤谷文子、、、草薙 浅黄(ガメラと交信する少女)
本田博太郎、、、斎藤 雅昭(環境庁審議官)
螢雪次朗、、、大迫 力(刑事)
小野寺昭、、、草薙 直哉(浅黄の父)
長谷川初範、、、佐竹(自衛隊一等陸佐)
渡辺裕之、、、大野(自衛隊三等陸佐)
真山勇一、木村優子、大神いずみ(ニュースキャスター)


平成ガメラシリーズ第一弾。相当な力作。
次作が昨日の「ガメラ2 レギオン襲来」であり
三作目が「ガメラ3 邪神覚醒」となり、とりあえず3つとも観たことになる。
どれも普通に映画として観て、レベルが高い。
2015.10.30に観た「ガメラ3」が未だに印象に残っている(引きずっている)が、本作は完成度で謂えば一番高いと思う。
映画的によく出来ていると唸るところがかなりある。
ストーリーに生物学や伝承などの要素を取り込み信憑性や奥行きを持たせている点。
カメラワーク~構図が臨場感ある空間を常に保障しており緊迫感が途切れない点。
本物の自衛隊を陸・海・空に渡って協力を取り付け使うことが出来たことで、ミニチュアのチャチな質感がどこにもない点。
(ロケを可能な限り行っていることからも、しっかりした遠近法の獲得にも繋がり、リアリティが増す)。
被害状況を伝える報道番組も実際の災害時と同様の形で流されていた点(新聞記事においてもこれでもかという畳みかけ)。
他にもディテールにかなり拘ったシーンが多い。

Guardian of the Universe001

この平成「ガメラシリーズ」は、子供向け怪獣映画として製作されていない、ことがはっきりわかる。
つまり子供騙し的な安易さや妥協が見えない(子供映画こそ手抜きは禁物だが、ここでは残酷な場面も描かれる)。
とても細部まで拘った丁寧な作りで発想も良かった。
東京タワーをへし折りその上を鳥の巣のようにねぐらにするギャオスが実に様になっており見事な演出だ。
VFXにCGを使わない爆破や破壊シーンもとても迫力がある。
ヘリコプターが臨場感たっぷりで、長峰 真弓が乗ってギャオスを追跡した場面など特に。
そして何より人間が描けている。キャストのこころの葛藤と変化の流れもよく分かる。
主要キャストに厚みがあり(勿論、ガメラも含め)入り込める作品だ。

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またこのシリーズは、時系列的にしっかり繋がっている点でも内容の豊かな広がりが生まれている。
(1~3まで、キャストがブレず、2でヒロインを水野美紀が務めたのが大きな変化であったが、見えない場所で中山忍の探査・研究は進められている。また水野のヒロインも成功し新鮮味を齎していた)。
全体を通して、ガメラの運命の過酷さが3で極まるまでの流れが悲痛だが大きい。
余りに重いので、3は当分再び観ることはないだろうが。
所謂怪獣をメインに置き、ここまでシリアスなものは、少ないと思う。

Guardian of the Universe002

これまで通り子供達には応援され長峰 真弓や健気な草薙 浅黄に見守られ、その他の無妙な人間の無理解や身勝手に耐えガメラは、ひたすら地球の生態系を守る為に闘う。
今回は、渾身のプラズマ火球で巨大化したギャオスを倒す。
そして勾玉を通して共振~シンクロしていた浅黄の傷を治し最後に絶妙に優しい表情を零してガメラは去ってゆく。


大気圏外まで飛んでギャオスと戦ったガメラであったが、空中戦は然程多くは無かった。
もう少し空中戦のシーンは欲しかったな。

とは言え、よく出来ていた。
3で終わってしまったのは残念。
キャスト総取り換えで、全く新しくガメラシリーズを始めてもらいたいものだ。











ガメラ2 レギオン襲来

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Gamera 2 : Attack of the Legion
1996年

金子修介(本編)、樋口真嗣(特撮)監督
伊藤和典 脚本

水野美紀、、、穂波碧(札幌市青少年科学館の学芸員)
永島敏行、、、渡良瀬佑介(陸上自衛隊二等陸佐)
吹越満、、、帯津(エンジニア)
石橋保、、、花谷(陸上自衛隊一等陸尉)
藤谷文子、、、草薙浅黄(ガメラと心を通わせる女子高生)
養老孟司、、、北海道大学獣医学部の教授
長谷川初範、、、佐竹(陸上自衛隊一等陸佐)
川津祐介、、、野尻明雄(札幌市青少年科学館所長)
渡辺裕之、、、大野一等陸佐
辻萬長、、、坂東陸将(戦闘指揮所・師団長)
藪本雅子、、、報道番組キャスター


まさかの養老孟司先生が嬉しそうに小型レギオンを解剖していたのがとても印象的。
(確かに脳科学の理論を説く場でもないようだが、贅沢な配役だと思った)。
よくこういった対宇宙生物パニック映画だと当局から召喚された各方面の著名科学者が対策会議でそれぞれの専門分野からの見解を述べたりするが、ここでは青少年科学館の女性学芸員とNTT北海道のエンジニアが何となく関り、結果大活躍する。
しかも彼女が大変チャーミングときており、まさにヒロインに相応しい。
全体のバランスも問題なくカタストロフまでの流れもよく、充分に面白かった。

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ガメラもゴジラも好きだが、どちらかと言えば、わたしはガメラ贔屓だと思う。
毎回、ガメラには何とも言えない悲哀を感じ応援してしまうのだ。
ゴジラ映画自体は良いのだが、ゴジラに感情移入することはない。
ガメラの場合、一緒にエキサイトしてしまう。
ウルティメイト・プラズマの発射は、ウルトラマンのスペシューム光線の何百倍ものカタルシスだ(爆。
いつもは孤立無援に耐えて闘うガメラだが、ここでは帯津さんをはじめ一生懸命ガメラを後方支援する人がいる。
ガメラもそれに応え懸命に戦う。
草薙浅黄もガメラと念が通じる。
穂波碧や子供たちが祈るなか、最終的に陸上自衛隊もガメラを援護する。

北海道に流星が飛来する。
その正体は、宇宙生物であった。ただの隕石ではないことは、その物体が消え移動した跡がしっかり残されていたからだ。
このあたりから学芸員の穂波碧女史の推論~仮説が大変有効であることが実証されてゆく。
エンジニアの帯津が彼女の説を科学的に理論づける。陸上自衛隊の渡良瀬も信頼を寄せる名コンビだ。
噺の分る当局側の男がいて、今回はレギオンをガメラと人間が力を合わせて撃退する流れとなった。それはめでたい。

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このレギオンという怪獣は変則的でとても強い。
ガメラ映画の中でも最強~最凶とも謂われるバケモノである。
怪虫(群体~小型レギオン)と植物(草体~本体)とで攻撃してくるとてもアイデアの効いた怪物だ。
(群体が地中のシリコンを分解して摂取する過程に発生する酸素を草体が吸収する共生関係にあるらしい)。
ここで大量に発生する高濃度酸素下では地球の生物は生きることは出来なくなる。
しかも草体は成長すると大爆発し無数の種子を大気圏外にまで撒き散らして繁殖することも帯津が突き止めた。
これを阻止しなければ地球は壊滅状態に追い込まれる。

そしてついに巨大レギオンが地中から現れ大暴れする。
これを遥かに小柄なガメラが必死で食い止めるがマイクロ波で散々痛めつけられる。
レギオンは電磁波で意思疎通をしており、強い電磁波を発するものを敵と認識して襲い掛かってゆく。
それによる磁場の乱れも生じ通信機器が一気にダウンしてしまう。

しかも巨大レギオンの強さは一度やられたと思ったら目の色を青から赤に変えて新たな武器をもって襲って来るではないか。
やはり外宇宙から飛来してくるような輩は始末に悪い。

ガメラの負担を少しでも減らすため、帯津は変電所の電圧を最大限に上げ巨大レギオンの命令でガメラに襲い掛かろうとする無数の小型レギオン~群体をおびき寄せ、そこへ救援にやって来た渡良瀬が配備したミサイルを一気に撃ち込みこれを殲滅させる。人類の連係プレイでやっつけたのだ。後はガメラに任せるのみ、となったところで、いよいよお腹がパカッと開き凄まじいウルティメイト・プラズマ発射とくる。こんなにド派手な武器はあるまい。まさにカタストロフ。(充分にためてから発射する究極の武器である)。
これで粉微塵にならない相手はない。

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穂波碧曰く、「ガメラは地球の生態系を壊すことを許さないの」。
別に人類の味方という訳ではない。
人類もかなり壊してはいるが、外来種(外宇宙からの生物)による壊滅的被害から地球環境を守っただけ。
「ガメラの敵にはなりたくないわね」(碧)
まさに。
ガメラとは、友好関係を保ちたい。

余りにガメラが痛々しい「ガメラ3邪神<イリス>覚醒」よりも、こちらの方が観ていられる。











カケラ

A Piece of Our Life001

A Piece of Our Life
2009年

安藤モモ子 監督・脚本
桜沢エリカ 原作
桃山さくら、渡邉啓子 製作


満島ひかり、、、北川ハル(女子大生)
中村映里子、、、坂田リコ(メディカル・アーティスト)
津川雅彦、、、田中 正()
かたせ梨乃、、、山城陶子
永岡佑、、、篠塚了太(ハルの彼氏)
光石研、、、坂田昭吾(リコの父)
志茂田景樹、、、老婆(リコの祖母?)


安藤モモ子ファミリーが何とも、、、犬養毅(曽祖父)、犬養健(祖父)、奥田瑛二(父)、安藤和津(母)、安藤サクラ(妹)、柄本佑(義弟)、、、面白い。この人は、さらに作家もやっている。
製作において、女性で固めた作品。それは充分に伝わった。

大変面白い映画であった。面白いと言っても居心地悪くむず痒く、不安定で宙吊り状態のまま終わる。
「女性」というものを女性が正面からバシッと描こうとした類稀な作品であると思う。
よく女性の性を描くとか謂っても、男の監督と脚本家が男目線で描いたものばかり。
溝口しかり、小津しかり、、、他も皆、、、。それで女性蔑視だとか言われてもいる、、、。
こういう作品は貴重なものだ。

A Piece of Our Life002

とは言え、どこがどう凄いとかわたしから謂うのは難しい。
ただ男が安心して観られるようなお気楽な世界ではない。
その意味でかなり観難い。
だがそれがホントなのだという説得力~生々しいリアリティーを感じる。
まさに女性の生理的な事情も赤裸々に描かれる。男性には思いつかないであろうところだ。
そうした女性特有の身体性を逃さずに彼女らの世界~観念を描いて行く。

A Piece of Our Life007

ハルは惰性で流されるように付き合いが続いている了太との関係にそろそろけじめをつけたい、と思っていた矢先に明晰で凛としたリコという女性から声を掛けられる。
ビックリするが、リコは初っ端からハルのことが好きだと言って迫ってくるのだ。
二人が付き合う正当性を理路整然と生物学的根拠を示しつつ説いてくる(ちょっと空気読まないポイが)。
だが言語化出来ないような微細な感覚世界を(その職業からして)大切にしている。
戸惑いながらもハルもリコに好意を寄せてゆく。とても仲良しになってゆく。
覇気のない表情でいることが多かったハルが快活で伸び伸びした面を見せるようになっていた。
それに従い了太には愛も特別な感情も、もはやないことを悟る。
(おまけに奴は浮気をしていた)。

A Piece of Our Life004

しかし、ここがハルのピリッとしないところなのだが、自から了太に引導を渡せない。リコの手を借りて何とか彼と手を切る。
更にリコのように開けっ広げに女の子同士で晴れて付き合う気概もない。
(リコにしてみれば同性愛という意識はなく、飽くまでも個人と個人との間の愛情だという。確かにそういった世界観は了解できる。要は生理的な部分で受け容れられるかどうかの問題か、狭苦しい良識~固定観念が邪魔しているのか)。
何やらグズグズ世間体を気にしてこそこそしているのだ。並んで歩かず後ろからついて行ったり、、、。
リコが余りにクリアに理論で割り切っているところに馴染めない部分もあるか。
女の子同士が生理的にダメなら、好意を抱いて寄ってくる他の男子学生もいるのに、そちらと関わる気もない。
そして、どちら(リコとも男子学生)とも距離を置き、独りでせっせと部屋の掃除をしている(笑。
どちらにも微妙な違和感を抱いていてスッキリしない。、それが相手の問題なのか自分が解決すべきところなのか、、、両方セットで考える問題となろうが。

A Piece of Our Life009

その辺の吹っ切れないし寄る辺ない部分がとても居心地は悪いが、リアルなのだ。
何故かとても共感してしまう。
人間というものは、今の関係が明らかにおかしいと気付いたとしても直ぐにそれを断ち切ることは難しいし、理想的で創造的な関係~環境であると理解はしてもそこに飛び込めるかと言えば、躊躇してしまうことが多い。
その結果、腐れ縁を清算出来なかったり、新しい関係性を切り結べないで、鬱々とした日常を送っていたりする。
だが、恋愛感情も含まれる関係であれば、、、まずは感情に任せて動くところかと思うが。

大掃除をしてから、暫く誰とも距離を置き、冷静に考える時間を持つことは賢明かも知れない。
焦る事でもない。
欠けたままの自分を受け容れそれに耐え続けるのが人生でもあるし。
「欠けている月も綺麗、、、」「満月なのはたった一日だけなの」


ひとつ謎なのだが、何故ハルはいつも履かない可愛いスカート姿で八百屋にお金を持たずに出向き、蜜柑一個をせしめるということをしたのか。何の通過儀礼なのか、、、女性として新たな自分の(魅力の)確認なのか、、、リボーンの取り敢えずの成功か。
もうひとつ、、、ペットボトルが鳥に成ったり(投げ合いだけで止めて欲しい)、まるで宇宙をプロジェクトマッピングしたようなプールに飛び込むところなど、それほどのカタルシスの場面でもなかったし、然程意味はないVFXに思える。あの効果は無くてもよかったかな、、、。


その後、ハルとリコがどうなるのか、気になる。
少なくとも良い親友にはなれると思うが。
リコの職業~女性の体のパーツ作りもこの噺を引き立たせとても魅惑的にみせるものであった。
リコの作業風景がとても素敵である(無理なVFXよりもこうした光景を克明に写す方がシュールでリアルだ)。
最初からディテール描写に拘っていたがそれを徹底することが効果的に思える。

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続編が作られるはずはないが、観てみたくなる、、、。
キャストは、素晴らしい。特に満島ひかりと中村映里子は言うことなし。



AmazonPrimeにて、、、








楊貴妃

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1955年
日本、香港

溝口健二 監督
陶秦、川口松太郎、依田義賢、成沢昌茂 脚本
水谷浩 美術
早坂文雄 音楽

京マチ子、、、楊貴妃
森雅之、、、玄宗皇帝
山村聡、、、安禄山
小沢栄、、、楊国忠
山形勲、、、楊銛
南田洋子、、、紅桃
霧立のぼる、、、翠花
村田知英子、、、緑花
阿井美千子、、、紅花
進藤英太郎、、、高力士
石黒達也、、、李林甫
見明凡太郎、、、陳玄礼
杉村春子、、、延春郡主


京マチ子先生にはうってつけの役柄の楊貴妃。美女の代名詞でもある。ピッタリ。
貫禄の付く前の初々しさ。
はじめは下働きの小娘で登場だ。
悪い親戚に騙されて厨房に押し込まれて辛い仕事を強要されていて、まるでシンデレラである。
まさに『灰かぶり姫』であった。
そこで、ホントに小娘になっているのだから凄い。
演技力もレベルが違う。
そしてあれよあれよという間に(ホントに直ぐに)皇帝に見初められ楊貴妃として君臨している。
(ちょっと呆気にとられたが)。
悪い(品のない)親戚連中も高い地位を貰い宮廷でのさばっている。
(これが後に悲劇を呼ぶ)。

京マチ子の美しさは文句なしで、品格の高い楊貴妃に見事になっていたという他ないが、宮廷の舞を披露する以外は動きはとても大人しく地味であった。立場上そういうところだろうが。何か物足りない。「赤線地帯」のアクティブでアグレッシブなところを見ている為か上品に静々歩むだけではどうも、、、。

さらに中国の噺である。中国と言えば、広大さである。
スケール感がほとんどないところが厳しい。
全てスタジオ撮影であろう。
もう空間的に窮屈なのだ。狭くて暗くてせせこましいときた。
長いと思わせるロングショットも余り見られなかったと思う。
であれば、宮廷内のみのやりとりに徹した方が良かったのでは、、、。
煌びやかな内装で調度品も豪華な室内のみで、外の情勢を随時匂わせ緊迫感を持たせるように幾らでも出来るはず。
長安の街に皇帝と二人でお忍びで出ていき、祭りを楽しむところなど、盛り上がるどころか、ちょっと侘しくなってしまう。
(予算が足りないのか~と)。
ただし、非常に練られたショットで大変雄弁に格調高く場面をイマジネーティブに構成する部分は印象的だった。

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一大歴史スペクタクルではなく、玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇に的を絞って描いていることは分かるので、猶更室内劇でもよかったような。
この時代の中国の音楽なのか、雅楽なのかちょっと分かりにくい音楽であったが、、、
その辺は調べられて作られたのだろうか、、、日本人の作曲家より向こうの人の作品の方がよりしっくりしたのでは。

玄宗と言えば唐の絶頂期を治めた皇帝として有名であるが、楊貴妃にかまけて政治を蔑ろにしてしまったとか、、、。
確かそんなものであったはず。
ここでは民衆の怒りを買い反乱が起きて、みたいな流れであったが、実際は楊貴妃を発見した安禄山と彼女の親族楊国忠との間の覇権争いが招いたもののようだが。どちらもより高い地位と実権を握りたい。
楊貴妃は元々、この連中がのし上がる為の一か八かで切られたカードに過ぎなかったのだ。
最初は結託して楊貴妃を仕立て上げたが、その後はどちらのお陰だということになる。あさましい。
だが美貌だけでなく楽器も弾けて人格も高い楊貴妃にすっかり皇帝も参ってしまう。
折角、善政を行っていたのに、、、道を誤る。

楊貴妃はその差し迫った事態に気づき、身を引こうとするが、その流れに呑み込まれる他ないところまで来てしまう。
最後の処刑のシーンは無駄のない精巧なショットの構成であった。
しかし処刑にまで辿る過程があっさりしすぎており、楊貴妃となったときと同様、さらっと描かれ過ぎてる。
テーマからしても二人の人間に関してはもっと尺を使ってこってり描く必要はあったはず。
溝口映画とみると猶更そう思える。
(田中絹代の波乱万丈というか虐められようからすると、、、)。
まあ、わたしとしては京マチ子先生が酷い目に遭わずに、最後に一思いに処刑の方が観易かった。


溝口映画としては薄口作品に思えるが、、、観て損は無い映画であることは間違いない。
わたしとしては、「雨月物語」と「祇園の姉妹」が圧倒的で、ついで「赤線地帯」、、、ではある、今のところは。
近いうちに「残菊物語」を観なければ、、、。










浮草

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Floating Weeds
1959年

小津安二郎 監督
野田高梧、小津安二郎 脚本

中村鴈治郎、、、嵐駒十郎(旅芸人座長)
京マチ子、、、すみ子
川口浩、、、本間清(駒十郎とお芳の息子)
若尾文子、、、加代(すみ子の妹)
杉村春子、、、お芳(清の母)
野添ひとみ、、、あい子(小川軒の娘)
笠智衆、、、相生座の旦那
三井弘次、、、吉之助
田中春男、、、矢太蔵


旅の芸人一座の御話。
哀愁を絵に描いたような役者の面々に京マチ子と若尾文子という美女が何故か交じっている。
構図の取り方から間違いなく小津映画だが、、、。
「絵」は何処を切っても「絵画」のよう。本作はカラーであり、赤が特に印象的。
とは言え、、、この噺、キャストが違うためだけでもない。どうにも異質。

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のっけから(役者は誰だったか)一本調子の「そうかのう」何連発したか、、、やはり小津映画だ。
ローアングル。構図に拘りまくり、会話する顔を真正面から捉えるところもお馴染み。
笠智衆と言えば加代に対して「ほうかのう。あの頃は南京豆みたいだったが」とか、女の子が南京豆である、いつも通り(笑。
しかし、ホンのチョイ役だった。
ここは笠智衆節の炸裂する物語ではない。
杉村春子もヘビーな役処で緊張感を支える。裏ヒロインとでも言いたいところ。
何というか全てを見通してどっしりと構えている凄さがある。
京マチ子先生は、ここでも艶やかで凛々しいが、貫禄があって皆から「ねーさん」と呼ばれていて、渋かった。
親方に嫉妬する役だ。
親方のこそこそ逢っている相手は息子であったが。その家族関係に嫉妬しているのか、、、。

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わたしがこれまで観て来た小津監督のサラリーマン(家族)映画とは随分違うものであった。
とても哀愁が濃く、情愛もドロッとしていて、座長がバシバシ(女に対しても)手をあげる。
こんな暴力シーンは小津映画では観たことがない。
それにキスシーンも何度もある。実はこれにも驚いた。笠智衆の出番は、ないな、、、。原節子も無い。
荒々しい感情が随所でぶつかり合う。
しかし随所に粋な演出や展開があって上手いものだと感心したり、、、。
そう、その粋を体現しているのが、京マチ子と中村鴈治郎、それに杉村春子か。
特に京マチ子の浴衣の粋な着崩し?や所作は堂に入っており感心するばかり。
若尾文子はとても健気で一途な娘が似合っていたが、こういう感じのピチピチした娘も新鮮。
最初は悪戯心でたぶらかそうとしたのだが、お互いに本気になったというパタンであるが、これもこの監督としては新鮮(笑。

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小津映画としては異色の内容に思えた。
わたしにとって、これまで笠智衆と原節子がそのまま小津映画であった為、当惑もしたが終盤まで来る頃にはドップリ浸かっており感動も覚えた。

駒十郎が清におじさんではなく父だと明かし、加代との仲も認めたうえで独り旅に出てゆくところも粋だが、、、。
最後の駅の待合室での侘しい親方とすみ子の出逢いから、希望を胸に秘めて二人でもう一旗あげようと列車に乗ってゆく流れが何とも心地よい。
また粋である。
やはり旅~放浪に出てゆく宿命~業を背負った人というのはいるものだ。
ノマドとして絶えず移動を続けなくてはいられない人。
浮草とは、彼らのような浮き草稼業のこと。父親として息子は根を生やした偉い人になってほしかったのだろうが。
自分は傍にはいてやれない。お芳はそのことをしっかり認識しており気丈に受け止めていた。
こうした人にとっては別れはつきものだが、やはり宿命的に寄り添うことになる人もいる。
すみ子と二人ならきっと何かを掴むだろう。

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こういうドラマチックな重い小津映画があったのだ。










女経

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Jokyo
1960年

吉村公三郎、市川崑、増村保造 監督
八住利雄 脚本
村松梢風 原作

3人の監督によるオムニバス映画。
ともかく、ヒロインがやり手で強か。
若尾文子、山本富士子、京マチ子のビックネームがそれぞれのヒロインを務める。
昨日の京マチ子に驚き、以前見た「雨月物語」を探してしまった。(まだ再鑑賞してはいない)。
原節子以外のこの時代の大女優にわたしは疎いもので、京マチ子から意識的に観てみたいとは思う。

3篇とも「金」である。金を儲ける為、手練手管を弄する(弄してきた)女たちの噺。
しかし最後に「愛」が見られるみたいな、、、エンディングは爽やかにというところか、、、。

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第一話 「耳を噛みたがる女」
増村保造 監督

若尾文子 、、、紀美
川口浩 、、、田畑正巳
左幸子 、、、五月
田宮二郎 、、、春本
村田知栄子 、、、お辰

家が船というのが、ちょとエキゾチック。
貧しいことは分かるが、ヨーロッパ的な感じもしてカラッと明るい。
銀座のキャバレー・ゴンドラの花形でもあり、かなりえげつなく男から金をむしり取っているように見えたが、、、。
次第に紀美がとても健気で可愛らしく思えるようになってゆく。
儲けた金で自分がこころを寄せる彼氏の会社の株をひたすら買い続けて居るのだ。
ホントは好きなのだが、自分の立場を弁えて彼氏が上流の女性と結婚できるように仕向ける。
自分を悪女にして彼氏を諦めさせるのだった。

しかしそうすると、後は金に拘り続けて生きるしかなくなるのでは、、、。
この娘の先が心配になるのだが。
取り敢えずは、元気にまた稼ぎに出かけてゆく。

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第二話「物を高く売りつける女」
市川崑 監督

山本富士子 、、、土砂爪子
船越英二 、、、三原靖
野添ひとみ 、、、ドミノ
菅原謙二 、、、大石

幻想的でホラー要素もありワクワクした。
山本富士子の演技がシュールで面白い。どこか諸星大二郎の漫画を見ているような気にさせるのだ。
噺は、流行作家と怪しい住宅ブローカーの女との駆け引きである。
女はボロボロの海辺の別荘を高値で流行作家に売りつけようとしていた。
そのやり方が何ともこの世離れした幻想的な手法~雰囲気なのだ。
兎も角、夫が亡くなり自分は無理やり東京に引き取られてしまうが、この海辺の別荘に残りたいということで、作家がこの未亡人ともどもここを買い取ろうということに、、、。
女はその後、手付金を受け取り、首尾よく行ったと安心していたら自分の部屋に作家がいきなり訪ねてきた。
これはバレたということで、女は作家に詫びを入れる。
彼の方が一枚上手で、これまでの経緯から彼女の使ったちょっとした小道具まで全て調べ、彼女が何者でありそして住所まで割り出していたのだった。しかも買った別荘も彼女に払った金額よりも高い金額で第三者に売ってしまっていたという。
これには彼女も感服して、やり手の彼とこころから打ち解けることに、、、まあ流石ですこと、と言うノリか。

この作家は推理作家か。彼女がいればネタにも困らないというのは頷ける。二人は上手くやっていくことだろう。

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第三話「恋を忘れていた女」
吉村公三郎 監督

京マチ子、、、 お三津
中村鴈治郎 、、、五助
叶順子 、、、弓子
根上淳 、、、兼光
星ひかる 、、、庄平
村田扶美子 、、、お文
川崎敬三 、、、吉須
浦辺粂子 、、、おすぎ
滝花久子 、、、おふみ


お目当ての京マチ子先生であるが、ここでは中年の貫禄十分の実業家なのだ。渋い。
かつては先斗町の売れっ妓であったが、嫁いだ先の主人が亡くなってから京都の修学旅行専門旅館とバーとお茶屋を経営するやり手マダムとなる。金もしこたま持っている。
ずっと自分のことだけを考え稼ぐことばかりに集中してきたが、修学旅行に来た生徒が事故に遭い、輸血に協力すると重篤であった子供が持ち直し彼女に対し感謝の笑みを漏らすのだった。周りからも感謝され彼女も人の為に何かをする喜びに浸る。
それからは一度は渋った義妹の結婚資金を気前よく渡して見送る。そして追っ手を逃れて彼女に会いに来たかつての恋人が詐欺で警察に捕まってしまうが、その恋人の帰りを待つことに決めるのだった。

ちょっとしたきっかけで、自分がずっとそうなりたいと思っていた自分になれることは、確かにあると思う。
きっとそれまでは、何とも言い難い不全感に苛まれていたのではないか。
日々、焦燥感に追い立てられているような様子であった。
最後は実に清々しい表情で佇むお三津の姿でエンディング、、、。

(昨日の若々しい跳ね返りのビビットな京マチ子とは全く趣が異なった。役が違えば当たり前だが)。



オムニバスということもあるか、サラっと見られて後味も良い。







赤線地帯

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1956年

溝口健二 監督
成澤昌茂 脚本
黛敏郎 音楽

京マチ子、、、ミッキー(夢の里の娼婦)
若尾文子、、、やすみ(夢の里の娼婦)
木暮実千代、、、ハナエ(夢の里の娼婦)
三益愛子、、、ゆめ子(夢の里の娼婦)
菅原謙二、、、栄公(娼婦を紹介する役)
川上康子、、、しづ子(夢の里の新米娼婦)
進藤英太郎、、、田谷倉蔵(夢の里の主人)
見明凡太朗、、、野々村(巡査)
田中春男、、、大阪弁のセールスマンの常連
沢村貞子、、、田谷辰子(夢の里の女将)
加東大介、、、宮崎行雄(近所の店の経営者)
多々良純、、、やすみの客(やすみに金を騙し取られる)
十朱久雄、、、塩見(ニコニコ堂主人、夜逃げする)
町田博子、、、より江(夢の里の娼婦)
浦辺粂子、、、おたね(夢の里使用人)
小川虎之助、、、ミッキーの父(神戸の事業家、名士)
高堂国典、、、門脇敬作(ゆめ子の義父)
三好栄子、、、門脇さく(ゆめ子の義母)
入江洋祐、、、修一(ゆめ子の息子、町工場に努める)


溝口健二の遺作となった映画。
「ちょっと医者に行ってくる」と言って病院に行ったきり帰らぬ人となったそうだ。


サロン「夢の里」という”特殊飲食店”を舞台に、、、女の群像劇が繰り広げられる。
クローズアップはほとんどない。ロングショットは相変わらず基本となっている。
黛敏郎の音楽が怪奇大作戦していた。
なかなかスリリングで吸い込まれるように観た。
かなりのホラーでもある。
また観たくなるタイプの映画だ。

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もうどうにもならない貧困から体を売って金を稼いできたのに、「売春防止法」によりその仕事も奪われようとしている。
役人はどうかしている、と彼女らはオカンムリである。
公娼に頼って生を繋いでいる人がいるにも拘らず、その人たちを経済的に救う方策は提示されない。
中にはミッキーみたいに親への反抗からこの仕事をやっている者もいるが。
宿の主人は、俺たちは社会事業をして世間やお前たちを救っているんだとか必死に盛り上げようとしているが、、、
下火になっていることは明らか、、、明日が見えない。

猶予期間を経て、完全施行が1958年4月ということであるから、この物語はリアルタイムで作られたものだ。

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こういう情勢であると、やすみのように結婚を仄めかせ、客から金を巻き上げて、すっからかんになったら捨てるみたいな方法が生きてくる。自分の綺麗な容姿を最大限に利用するやり方だ。
(ニコニコ堂も主人を騙し夜逃げさせて乗っ取ったのは女性であった)。
ミッキーも容姿では全くやすみに引けを取らないが、稼ぐ気はないらしい。
彼女の場合、家の名に泥を塗るのが目的でやっているもの(父への反抗~復讐)である。
他の娼婦は皆、ただ生きてゆく為の金が欲しいのだが、それほど客もつかず、どうにも足りない状況だ。
特に家庭もちで子供がいたり病人を抱えていたら、ほとんどアウトとなる。

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つまり人間の生活が出来ない。
ここでもゆめ子のように子供に捨てられ発狂したり、、、
ハナエのように、未遂に終わったが夫が首つり自殺を図ったり、、、
やすみですら、会社の金を横領して貢いだ客から殺されそうになる。
やはり、厳しい仕事である。
しかし他に仕事が無いのだ。
ここが根本的な問題なのである。
警察(巡査)とは、なあなあで仲良くやっている様子であったが、体制が後戻りは効かないところに来ていた。

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差別を受け搾取される底辺の女性の目~立ち位置からの映画であり、その構図からして溝口作品である。
内容的には大変重いものだが、その悲惨さを社会正義から糾弾するみたいな描き方ではなく、彼女らに対する共感と愛情を基本に置いた描写であり、その為に辛いのだが誰もが魅力的に見えてくるのだ。
出入りの人数も多くて常に慌ただしく、コミカルな面も当然ある。
全体を通してテンポがよく展開も早くて面白く観られてしまう。
闇の見せ方が違うと言うか、、、
なかなか強かな女の子が頑張っている分、他の溝口映画より観易く感じられた。

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なかでも京マチコがやたらとカッコよかった。
時代を超越している。
自分ではやりたい放題やって来てママや私を苦しめておいて、今更家名の為に戻れなどとよく言えたものね、、、みたいな啖呵を神戸では名の知れた名士の父に切る。
そしてもう絶対に帰らないから、と店まで迎えに来た父を追い返す。
子供にとって、貧困も親の犠牲だが、このケースも全面的に親の犠牲である。
(後者の犠牲が現代社会において溢れてきている)。

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最後に、店に出る初日を迎えたまだ幼さの残るしづ子が、初めて前を通る男に向けて声をかけるところが、まさにホラーであった。
BGMも怪奇大作戦である。

京マチコ級の堂々としたカッコよさは、今の女優では、小松奈々あたりにみられるところか、、、。
こんな女優がいたのだと、感心した。

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武蔵野夫人

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1951年

溝口健二 監督
大岡昇平 原作
依田義賢 脚本
早坂文雄 音楽

田中絹代 、、、秋山道子
轟夕起子 、、、大野富子(従兄の妻)
森雅之 、、、秋山忠雄(道子の夫、大学教授)
山村聡 、、、大野英治(道子の従兄、富子の夫)
片山明彦 、、、宮地勉(道子の従弟)
進藤英太郎 、、、宮地信三郎(道子の父)
中村美那子 、、、大野雪子(富子の娘)
平井岐代子 、、、宮地民子(道子の母)
塩沢登代路(塩沢とき) 、、、成田はなえ
大谷伶子 、、、笹本孝子
千石規子 、、、大野家の女中


かつての武蔵野と言われた地の風景が垣間見れる。「はけ」という場所も初めて知る。
現代劇ではないか、、、溝口映画では初めて。
戦禍を逃れ、、、
あたふたと武蔵野の高台にある妻の実家に疎開して来た夫婦のシーンから始まる。
ロングショットは相変わらず。庭まで臨む空間を生かした室内での距離を持った対話など、溝口の構図は随所に見られる。
夫の方は、迎えた妻の両親受けはよくなさそう。「あいつは卑しい男だ。」(父)
(3年後に出逢う潔癖な勉からも酷く嫌われる)。

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相次いで道子の両親は亡くなり、遺産は道子が継ぐ。
彼女は宮地の家を守って生きる決心をする。
そこへ勉が復員して来る。
ここから男女の愛憎劇が始まる。
戦後の価値観と謂うより、体制の変わったところで、皆不器用に自由の行使をするも、はき違えによる混乱も多い。
勉は道子に以前から思いを寄せておりそれを積極的に彼女に告げる。
半面、女にだらしのない享楽的な忠雄には嫌悪感を隠さない。
戦争捕虜となっていた為のPTSDなどは微塵もない健康体である。

和楽ではなく、クラシックがレコードで鳴り渡る。シューマンのトロイメライ。
登場人物たちは皆、西洋文化をすんなりと受け入れている。
勉は特にクラシック音楽が好きだ。
この音楽に合わせた雰囲気は家屋、室内、店などに生きているが、、、。
ともかくリベラルな学者ぶった忠雄のだらしなさ自己中振りと、勉の訴える愛は自由だに道子は当惑し苦しめられることになる。

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この武蔵野~「はけ」という澄んだ水の湧き出てくる地を何よりも大切に思う道子とその地に同様に憧れる勉であり、その地を仲立ちにした良い関係を保ってきた二人であったのだが、、、。
それも愛憎劇の中で解体して行く。
しかし道子は言い寄ってくる勉に対し、二人の間の純潔を保つ「誓い」を彼にたてさせる。
それは戦中でも戦後の価値観からでもない。武蔵野~東京の新しい景色にそぐふ価値観だと諭す。
彼女は信念を貫く。
(実はわたしは、この思想の内実を咀嚼しきれていない)。

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しかし5人、、、道子、富子、忠雄、英治そして勉の絡む人間関係は坂を転げ落ちるように泥沼化する。
堂々とスタンダール学者の忠雄は、富子と浮気をしている。自分の信条に従い。
そして結局、離婚を忠雄が切り出し家の権利書を盗み出して富子と共に家を出てしまう。
家を売り飛ばそうとする(抵当に入れようとする)が道子の同意書が無くて出来ない。
富子にせっつかれ業を煮やし夜中に道子のもとに帰るが、服毒自殺を図っていた道子を発見することに。
財産分与を含む遺言はその前に勉のもとに送られていた。

武蔵野の光景とは裏腹に何ともドロドロした人間模様であるが、「はけ」という地がどれほど道子にとって掛け替えのない場所であるか、わたしは原作も未読でありいまひとつはっきり掴めなかった。
単に親からの代の家を守るということを超えた「場所」としてあるのなら、道子があの家で死を選ぶことは納得できる。

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しかしどうもしっくりこない。感動もまるでない。
野火」は、映画でもとても見応えはあったが、、、(勿論、原作も読んだ)。
何故だろうと考えるに、配役と演出に問題があるように思える。幾分か紋切り型の感も拭えない。
全体に、どうにも薄いのだ。
脚本の問題もあろうが、、、。兎も角、勉の役者はいただけない。幼い駄々っ子みたいな感じで、道子と恋愛関係になる様な相手に思えない。声の甲高さも何とかならなかったのか、、、とても気になった。
そして肝心の道子にもスッキリしない。
脇役の中に埋もれてしまう印象もあった。

田中絹代主演の悲劇なのだが、他の作品のような重みが感じられない。


















西鶴一代女

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1952年

溝口健二 監督
依田義賢 脚本
井原西鶴 『好色一代女』原作

田中絹代、、、お春
山根寿子、、、奥方
三船敏郎、、、勝之介
宇野重吉、、、扇屋弥吉
菅井一郎、、、お春の父新左衛門
進藤英太郎、、、笹屋嘉兵衛
大泉滉、、、笹屋番頭文吉
清水将夫、、、菊小路
加東大介、、、菱屋太三郎
小川虎之助、、、磯部弥太衛門
柳永二郎、、、田舎大尽
浜田百合子、、、お局吉岡
市川春代、、、待女岩橋
原駒子、、、お局葛井
毛利菊枝、、、老尼妙海
沢村貞子、、、笹屋女房お和佐


一度途中で挫けた映画であったが、今回溝口映画を続けて観ている勢いで観てみた。
とりあえず最後まで。
大変洗練された映像であったため、生理的にそれ程のしんどさは無かった。
音楽が繊細な和楽で通されていたのも大きい。
形式としては、お春の回想というものであったことにもよるだろう。
ただし内容の理不尽さは途轍もない。これでもかという汚辱にまみれた生涯、、、
原作もこのようにヘビーでハードなのか、、、。
単なる「女の愛欲遍歴」を超えてこれであったなら、、、
とても読む気にならない。

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まさに2時間16分の間にどれだけの難に遭えばよいのか、という流転の人生であった。
畳みかける悪夢のエピソードに眩暈がするくらいだ。
もういちいち覚えてもいられない。覚えていたら気がおかしくなる。
本人が特に好色な訳ではない。いや寧ろそれを剥奪されていよう。
更にマゾキスティックパーソナリティ障害なのでもない。
彼女自身は控えめで自己主張は出来ないにせよ極めて真っ当な人格をもっている(ように描かれている)。
基本、翻弄され流される人生なのだ。
容姿が美しいということも災いしているか。それにしても、、、

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これ程数奇な人生があろうか、とも思うがこのように弾圧を受けて生きる人は少なくない。
特に当時は女性であるための不利、不遇は大きい。まるで親や男の道具だ。
いや今でも子供を自分の不安や欲求を晴らすための道具として操る親は、はっきりいるが。
(うちの場合は、特にそうである。子供は内面を持つ他者とは思われていない。その意味でわたしも恒常的に過酷な虐待を受け続けてきた)。
パラダイムがどうであろうが、子に対する愛情が最低限あれば、子供自身の生を尊重しようとは思うはず(だが)。
ここにおける基本的感覚は時代や地域、パラダイムの問題ではないと思う。

ここでも主人公は、制度と他者(男~父を含め)の思惑と都合で理不尽な暴力に晒され、侮辱を受け続ける。
自尊心を傷付けられたとかいう生易しいレベルではない。
めちゃくちゃな殊遇である。
特に何より悲痛であったのは、この女性が生んだ我が子に遭えない(引き裂かれた)というところだ。
御付きの者どもに囲まれ籠に乗せられ若殿として大切に育てられている様子の我が子を道端から垣間見る場面はとても辛い。
そして恐らく、たった一度だけまともな男~商人と結ばれ、扇子屋を構えて幸せな暮らしを始めた矢先に、その夫が金目当ての盗賊に殺されてしまった。
何で自分はこんな目に遭うのか、、、柱の陰でさめざめと泣くばかり、、、

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だが、少し冷静に物語を眺めると、この流れはエントロピーの向きに等しく大変自然な流れであることも分かる。
初期においてこのように流れ始めたら、こういう顛末になるのは条理であるような。
一旦、この方向性を取ればこうなるしかない摂理のようなもの。

無常の原理をみるような。
そんな感覚で観た。
それを体現するお春の若い娘時代から老婆に至るまでの田中絹代の迫真の演技には圧倒された。

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ただ、救いというか、、、お春がどれだけ社会の最底辺に貶められても、品格と威厳は保ち続けて居ることである。
ここが最も重要なところだ。
ロングショットや俯瞰的に見る撮影姿勢、生々しい暴力場面はそれを匂わせる形跡で示すところなど、、、にもよるか。
(お春の回想によると言う形式で進行している点は肝心)。


これを映像化するに溝口映画は最適なのかも知れない。











近松物語

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1954年

溝口健二 監督
依田義賢 脚本
早坂文雄 音楽

長谷川一夫、、、茂兵衛(手代)
香川京子、、、おさん(以春の妻)
南田洋子、、、お玉(女中)
進藤英太郎、、、大経師以春
小沢栄太郎、、、助右衛門(主手代)
菅井一郎、、、源兵衛
田中春男、、、岐阜屋道喜(おさんの兄)
石黒達也、、、院の経師以三
浪花千栄子、、、おこう


やはり琵琶湖に浮かぶ心中を図る小舟の幻想的な光景である。
ワンシーン・ワンカットの手法が大変活きている。
(他でもそうだが)。
近松門左衛門の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』と西鶴の『好色五人女』を下敷きにしているものだという。
染み入る様な歌舞伎の音楽がまた良い。
恍惚として魅入ってしまう。
ストーリーも大変リアルな不条理の連鎖を見事に描く。

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京の烏丸四条にて、宮中の経巻表装と暦で繁盛する大経師の店を舞台に。
この店の大経師以春は商人なのに苗字と帯刀が認められている。
暦はこの店が独占販売権を貰っているらしい。
まさに特別扱いをされており、以春は傲岸不遜を絵に描いたような男であった(分かり易い)。

美しい妻おさんの兄、岐阜屋道喜が借りた金の利子が払えず金の無心に妹の元を訪ねてくる。
夫の大経師以春は全く取り合わないことを知っている為に妻である妹に頼むのだが、彼女が苦しむことをどう考えているのやら。
おさんの母までが無心に来てはおさんに多大な負担をかける。
おさんは困り果てもっとも信頼のおける腕の良い職人でもある茂兵衛に相談を持ち掛けた。
茂兵衛は主人の印を使い御得意先から取り敢えず金を借りてその場の都合を付けようとしたが、助右衛門に見つかってしまう。
ここで助右衛門に賄賂を約束しこの件を上手く果たせば、この場はやり過ごすことは出来たはず。
(多分、またすぐにゴミのようなアホ兄が借金を作って泣きついてくることも目に見えるが)。
主人に正直に詫びに行ってしまったことから茂兵衛は逆鱗に触れ空き部屋に監禁される。この時点から運命の歯車が動き出し茂兵衛とおさんだけでなく、この格式と財産を誇る店もろともに転落~崩壊の一途を辿ることとなる。
ここから先の展開は見事である。

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事態は悪い方へ悪い方へと転がる。
以春が若い女中のお玉に手を出しており、それに憤慨したおさんが寝床をすり替えて待機すると、昼間助け舟をだしてくれたことに礼を言おうと茂兵衛が屋根伝いにやって来たのだ。
ここを使用人に見られ不義密通の誤解を受ける。この時代不義密通は街を晒し者として引き回され、磔となる重罪である。
金も作らなければならず、二人は取り敢えず店を離れ金策に向かう。
そして茂兵衛と共におさんは何とかまとまった金を実家に送ってその窮地を救うが、、

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おさんは、茂兵衛と駆け落ちした形となり、逃亡をそのまま余儀なくすることになる。
どこにも包囲網は張り巡らされ、逃げきれず琵琶湖で心中を決めるが、もう 今際の際でもあり胸のつかえを取って死のうと茂兵衛がおさんをずっと慕っていたことを告白する。
これを聴いたおさんは、死ぬ気が失せ二人でこのまま生き続けたいと願う。
お互いに愛し合っていたことに気づく二人。
もうこの愛の邪魔は誰にも出来ない。
静かだが燃え盛る思いに包まれる、、、と言ったところか。
このかなりの動きを交えたやりとりを小舟の上でするのだ。これは非現実的なシーンであるがまた大変リアリティを感じる瑞々しい場でもある。
このワンシーン・ワンカットこそ溝口の真骨頂なのだな、と納得する(勿論、他の場面も幾つもそうであるが、、、おさんが自分だけ出頭して彼女を救おうと身を潜めた茂兵衛を探して山道をはだしで走りまわり倒れるまでのロングショットなども)。

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兄は大変な迷惑をかけ、それを救ってもらったにも関わらず、おさんが茂兵衛と逃げる羽目になってからは、彼女を責め立てる。
捕らえられた後は、また大経師に追い返そうとするばかり。
岐阜屋道喜の自己中振り~クズは救いようもない。
昼夜妹が道なき道を泥だらけで彷徨い歩いて逃亡している最中、このアホは三味線の稽古などをして唄い惚けているのだ。

結局、おさんと茂兵衛は一緒に捕らえられたことで、不義密通となり掟通りに裁かれることに。
その罪人を出した大経師以春の栄華を極めた店は御取り潰しとなり主人と番頭は追放となる。

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しかしおさんは何の後悔もない。
人生の最後に本当に愛する相手を見つけたのだ。
だが茂兵衛の表情はおさんのようにすっきり晴れやかではない。
とても複雑な思いにとらわれた様子が窺える。
これで果たして良かったのか、という、、、。
お互いに真実の愛は貫いたが、この結末を呼んでしまった。
(他に何とかできなかったものか)。

わたしなら空ハンコの時点で助右衛門に賄賂を握らせるが。
「毒を食らわば皿まで」である。
一旦、急場を凌いだら、その後のことをじっくり考える。
だがこれでは、愛が目覚める契機がないかも。悲劇を前提にしたところで真の愛が見いだせたのだから。
何という悲恋物語、、、。













祇園の姉妹

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Sisters of the Gion
1936年


溝口健二 監督
依田義賢 脚本

山田五十鈴、、、おもちゃ(芸妓、妹)
梅村蓉子、、、梅吉(芸妓、姉)
志賀迺家辨慶、、、古沢新兵衛(木綿問屋)
久野和子、、、おえみ(古沢の妻)
林家染之助、、、定吉(古沢の番頭)
三枡源女、、、おはん(定吉の妻)
進藤英太郎、、、工藤三五郎(呉服屋)
いわま櫻子、、、おまさ(工藤の妻)
深見泰三、、、木村保(工藤の番頭)


一部のフィルムが失われてオリジナルが95分のものであるのに69分で終わっている。
にも拘らず、凄まじい傑作だ。

何よりこの芸妓はんたちを取り巻く、空間描写の饒舌さに酔う。
のっけから破綻した木綿問屋の家屋を横に横にとその骨組みを追って行くところからいやおうなしに惹き付けられる。
構図と(色調も匂わせる)明暗に(長廻しの)カメラワーク全てが計算しつくされたものであろうことが感じられるのだ。
小津映画もそうだが、形式~美学の重要性がここでも納得できる。
そして彼女らの生のリズムそのものの早口の京ことばにいつしかわたしも身体的に同調して行く。
(最初は何喋っているのか内容が掴み難いのだが)。
何とも言えない生理である(京の暗い裏通りの生理等々)。
砕けた格好のおもちゃの日常の光景からして匂い立ってくるような、、、
この演出あって、芸妓はんの世界が濃密に香ってくるのだ。
(ゴダールが溝口を尊敬するのも分かる)。

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ここに描かれる二つのタイプの芸妓の姿は抑圧、搾取、差別されている人の典型的で普遍的な姿とも言えよう。
片やその宿命に従いその掟のなかで正しく生きようとする者とそのシステム自体を批判的に捉えそれを逆手にとって搾取側を支配・利用しようと企てる者。
それが姉の梅吉と妹のおもちゃにそれぞれ当て嵌まる。

姉は幼くしてこの世界に入った為、その外を知らない。
妹のように女学校を出てからこの世界に入った者のように、この世界を相対化する視座がない。
物事に対して懐疑的でない分、同情心があり心根が優しく感じられもする。
妹にとっては、姉の大切にする世間体や義理・人情は盲目的な囚われ以外の何ものでもない。
姉は男女観(男尊女卑)においても封建的な制度の内に嵌り込んでいて疑問がないが、妹は男の差別、所有欲、横暴に対し激しい怒りを抱く近代的自我をもっている。
姉のいう女の幸せではなく女の権利を主張する。

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双方ともにそれぞれの人格が説得力を持って活き活きと描かれている。
但し、妹はどうせ闘うならもっと自分を守る策略を立てる必要があったはず。
(結構口八丁で面白可笑しく男を操っていたのだが、思わず素が出てしまったか)。
幾ら相手が馬鹿男でも、あれ程ストレートにケチョンケチョンに貶してしまえば(言ってることは正論だが)、ただ単に恨みを持たれる。
或る意味、これは姉譲りの率直で素直な性格とも謂えるか。
そして飛んだところで復讐される。
大怪我をする(ここでは文字通りそうした目に遭う)。
では姉は安寧な生活を保障されるのかと言えば、やはり男の勝手で良いように使われ、捨てられてしまった。
(あれだけ尽くしたのに、というところか)。

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結局、どちらも行く先が決まっているのだ。
(妹がもしもっと上手く奸計を巡らし相手を操ることに成功していても、どれだけそれが続くものか)。
その逃れられない宿命を、最後に妹が病院のベッドで大いに嘆く。
大変共感する。
わたしも一緒に悔しくなった。


本当に相思相愛のお金持ちのだんなはんに巡り会えれば、どちらのタイプの芸妓はんも幸せになれるものだろうか、、、。
内属するシステムに関係なく、愛があれば自由と解放が得られるだろうか。
ふと、そんなことも考えてしまった、、、。
「愛」も勿論、西洋(文学)から入って来た幻想(概念)のひとつであるが。
(そこにも権力と打算は忍び込むにせよ)。
取り敢えず、愛とか言ってはみたが、、、
因習のうちに従順に生きるでもなく、掟に立ち向かい好戦的に生きるでもない、自分ならではの創造的な生を生み出すしかないと思う、、、。
どのような環境に生きているにせよ。
勿論、これは現代社会においても課題に他ならない。


ともかくこの映像には、ゾクゾクした。
茶をブブというような京ことばも癖になる。
麻薬的な映画。









In Time

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In Time
2011年
アメリカ


アンドリュー・ニコル監督・脚本・製作


ジャスティン・ティンバーレイク、、、ウィル・サラス
アマンダ・サイフリッド、、、シルヴィア・ワイス
キリアン・マーフィー、、、レイモンド・レオン(タイムキーパー)
オリヴィア・ワイルド、、、レイチェル・サラス(ウィルの母)
マット・ボマー、、、ヘンリー・ハミルトン
ヴィンセント・カーシーザー、、、フィリップ・ワイス(シルヴィアの父、大富豪)


金が時間となった世界。人は生れると腕にデジタルタイマーが表示される。
それを見れば自分の余命がハッキリ分かる。
人口増加対策なのだそうだ。
人々は25歳から歳をとらない。(だから祖母も母も娘も同い年の容姿であったりする。ここが面白かった)。
その後は(1日毎の)余命となり、貧民ゾーンでは労働によって細々と生存時間を得て生活を営む制度となっている。
(そして人口調節の為、税と物価が同時に上がり多くの死者を出すらしい)。

資本層~支配層では時間は有り余っており実質不死の人間で構成される。
だが時間を持て余し、ただギャンブルに耽るだけという空虚な生活に苦痛を感じる者もいるようだ。
(ウィルに自分の時間を与えて死んだ富裕層の男もそのひとり)。
何か創造的なことをしろよ、と言いたい。
実際、ここまで退廃的になることは無いと思う。
貧困層のその日暮らしの実情は、確かに絶望的だが。

多くの人々は新たに時間を供給されないと、時間切れでその場で倒れて死んでしまう。
ウィルの母もそうであった。
まさに「時間内に」という映画である。
ハラハラしながら見た(笑。
そこが狙いなのだが。

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しかしウィルが時間を富裕層の男から貰って彼らのゾーンへ入ってゆくまでであった。
そこから先がしぼんで行く。散漫になる。
折角、アマンダ・サイフリッドとの出逢いもあるのに、これと言って驚くような展開がないのだ。勿体ない。
富裕ゾーンに乗り込んでからの展開が甘い~温いとしか言えない。
大物資本家~長時間保有者のシルヴィアの父親とポーカーやって勝った後、2人で海で泳いでからその後が、これといって無い。
彼は一体、何しに行ったのか、、、。「youは何しに富裕ゾーンに」である(笑。

ウィルがシルヴィアと共に、彼女の父の経営する銀行を破り、時間を強奪して貧民層に分配するのだが。
これって(このパタン)何かの映画でもあったな、、、。
特に計画に沿ってというものではなく、「タイムキーパー」に追跡され、ギャングに時間を狙われながら流れでやっているようなもの。
基本、逃亡者である。

ここでしっかりした策略を元にした(富裕層社会の打倒を目指す)行動とかがあれば緊張感も更にアップしたものになったはずだが。
時間切れの心配と、如何に監視員たちから逃げおおせるか、といったレベルのハラハラ感であった。
ここでゆったり愛を語っている場合かという(お約束の)場面もはさみ、行き当たりバッタリ感は否めない。
面白いのは、労働者の仕事が完全に機械にとって代わられたようなものであったり、車やバスが今の時代のものと変わらないのだ。遺伝子操作がずっと進んだ世の中なのだが、、、。なかなかに趣深い風景であった。

お金が時間にとって代わったという発想から、どのような世界観と主人公が何を目指して行動をとってゆくかが、十分に詰められないまま製作されたようだ。
結果的にゾーンの解体に従い時間が均等に広がり、社会制度の崩壊が進む様相を見せていたが、、、
その展開が何段階にも具体的に描かれないと、緊迫感がまるでないではないか。

In Time003

貧困層の人間は走るが富裕層はまず走ることは無いというのはとても説得力がある。
ウィルの得意なアームレスリングみたいな相手の時間を奪う1対1のバトルなどのアイデアもよかったが、もっとこういった細部も全体に欲しい。
ジャスティン・ティンバーレイクとアマンダ・サイフリッドの逃亡劇としての面白さはそこそこあったが、もう少しブラッシュアップして発表して欲しい映画であった。
二人ともよく走っていた。特にアマンダ・サイフリッドにはご苦労さまと言いたい(笑。





AmazonPrimeにて。






ババドック 暗闇の魔物

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The Babadook
2014年
オーストラリア

ジェニファー・ケント監督・脚本
ジェド・カーゼル音楽

エッシー・デイヴィス、、、アメリア(母)
ノア・ワイズマン、、、サミュエル(息子)


ここのところいつものように、AmazonPrimeにて視聴。

監督は『ドッグヴィル』で助監督を務めた人だそうだ。
う~んその情報を知っても何とも言えないなあ~(爆。

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とてもよく練られた作品であった。
見応えは充分であるが、わたしには(映画は女性の立場から描かれているが)余りに身につまされるもので息苦しい限りであった。
他人事ではないからだ。
距離が冷静に保てない。
こういう映画については書こうにも書けないのだ。
わたしの現状が過去のものとなり対象化できる地点に辿り着いて初めて書くことも可能となる気はするが。

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監督やキャストの情報を調べる時に、たまたま目にした(普段わたしは他者のレビューは見ないのだが)Amazonの視聴者レビューにこの映画について他に何か言えることがあろうかというほど完璧なものがあるのを見つけ、もうわざわざわたしが敢えて何をか言うまでもないことが(二重に)分かった。

もともとこれについては書く距離がないことも踏まえ、このMs. Kという方の文章を引用させて頂き(無断で申し訳ない)、全くわたしも同感であるが、わたしには到底このように冷静に分析できないことも言い添えておく。
(とは言え、いつもわたしは映画レビューなどしているつもりもないが。映画をダシに自分の考えを吐露しているだけだ。だからブログのカテゴリーも「映画」ではない。「学問・文化・芸術」の「美術」にいる)。

The Babadook003


5つ星のうち4.0 心理学ホラー、描写と演技がすごいです。

母の着ている仕事着はピンク。この映画では、ピンクは母性を表す色と考えられます。そして母はこれを家事をしているときも着ており、パーティや警察へ行くときの私服も執拗にピンクです。これは彼女に母としての時間以外がないこと、時に義務(制服)で、時に選択で、母という服を着ているのだ、と表現しているようです。ババドックに襲われるときはほぼ、白のネグリジェ(素の自分に戻る)というのにも注目です。
地下室は潜在意識や抑圧したはずの怒りや憎しみを表しているようですね。
良き隣人は社会のあるべき姿の象徴。困った時には声をかけ、助け合おうとしています。
ババドックは母が抑圧した自分の闇の部分です。夫を失った孤独と深い悲しみ、そして息子への憎しみ。
サミュエルが最初にババドックの絵本を見つけたことは、彼が母の抑圧された心に気づいていることを表してます。そして落ち着かない行動が増え、不眠となって、常に化け物を倒す対策を練るようになるのもこのあたりからなのです。
サミュエルについてHe speaks his mind(訳ではなんでも口に出すとある)、という表現がありますが、これは母親が心を隠していることとの対比になっていると考えられます。合同誕生日を断られた時の母の満面の笑顔。
先生は僕を嫌っているんだと言う息子に対し、それは違うと言い、妹クレアにトラブルで学校をやめたことを隠したり、職場も不眠やこどものトラブルについては言わず、病気という。何度もそうした場面が現れることから、この「本音を言わない母」「怒りを隠している母」が物語の大きなキーであることは疑いようがありません。
そして最も母が抑圧していたもの、それは息子が生まれたことへの怒りでした。夫は息子が生まれるために、死んだ。
そう考えてしまうこと、息子の誕生におめでとうと言えない、だから誕生日を祝えなかった。ババドック(抑圧された憎しみ)を飼いならす試みを始めてから、二人は初めての誕生日当日のパーティをし、母はおめでとうを言えるのです。
わんこを埋めた土の上に咲く薔薇は、黒。これに水をやり、育てていることから、暗い過去をただ葬るのでなく、世話をして管理すること、共存することを選んだのがわかります。
そして息子も、闇を認めて飼いならそうと努力する母に対して、ここにいなさいと言えばおとなしく言うことを聞き、少し落ち着いた様子に見えます。
注目すべきは、母が最期のシーンまでピンクを着ていること。これはまだまだ自然な感情で強い母性を感じてるわけではないが、それでも母であろうと決意していることの表しているのかなと思いました。
女性の監督ということで、母性の危うさをよく理解し、色と深層心理を巧みに使った映画だったと思います。
そして、母である自分には、他人ごとではないと思うような映画でした。
役者さんたちの見事な演技も圧巻でした。



これ以上に何が言えようか。



この映画が、世界各国の映画祭で合計50部門以上にノミネートされ、35部門で賞を受賞していることも頷ける。
確かに演技も圧巻であった。

The Babadook005







マーシュランド

La isla mínima002

La isla mínima
2014年
スペイン

アルベルト・ロドリゲス監督・脚本
フリオ・デ・ラ・ロサ音楽
アレックス・カタラン撮影

ラウール・アレバロ、、、ペドロ・スアレス刑事
ハビエル・グティエレス、、、フアン・ロブレス刑事
アントニオ・デ・ラ・トーレ、、、ロドリゴ(被害者の父親)
ネレア・バロス、、、ロシオ(被害者の母親)
ヘスス・カストロ、、、キニ(女たらし)
メルセデス・レオン、、、カーサ・ソト(猟師宿の女主人)
アデルファ・カルボ、、、フェルナンダ
マノロ・ソロ、、、ジャーナリスト
サルバドール・レイナ、、、ヘスス
ヘスス・カロサ、、、ミゲル
フアン・カルロス・ビリェヌエバ、、、アンドラーデ判事
アルベルト・ゴンサレス、、、アルフォンソ・コラレス(実業家、町の有力者)
マヌエル・サラス、、、セバスティアン・ロビラ(猟師宿の従業員)
セシリア・ビリャヌエバ、、、マリア
アナ・トメノ、、、マリーナ


映像の空気感が圧倒する。特にあの湿原。水辺の夕日。
まるで絵画を見るような気持ちで観てしまう。
恍惚として魅入ってしまうほど、幻想的なまでに美しい。
そして殺人事件の犯人を追い続ける刑事たちの向かうところ不穏な空気でピリピリしている。
BGMも良くマッチしている。
二人の刑事も渋くてピッタリ。

La isla mínima004

スペインの現実が染み入るように描かれる。
息苦しい程に濃密でリアルだ。何もかも。
死体も。
映画でこれ程即物的な(惨殺)死体を観たことは無い。
そして、突然俯瞰映像に切り替わる。
鳥の視座よりずっと高くて驚く。
この俯瞰って一体、、、人間の営み全てを呑み込む自然の風景の分厚さを確認するかのような。

「町を出たいの」「耐えられない」
この町の娘たちにとってどういう状況なのか、、、女子高生でもそうなのだ。
殺された二人も麻薬売買に巻き込まれ暴行され拷問にかけられ殺された。
失踪事件は珍しいことではないという。
町を兎も角出たがっている。そして必死に職を探している。
貧困、薬の密売に絡むトラブル~賄賂、汚職、憲兵隊との関係、、、民主主義への変動期のなかで持ち上がるしこり。
1980年のスペイン・アンダルシア州のそれは美しい風景のなかでの人間模様。

La isla mínima003

フランコ独裁体制は終焉しているが、あちこちに爪痕は残っている。
署長が何度も今は民主主義なんだぞと刑事たちに言うが、現場の捜査ではそうもいかない。
二人のやり手の刑事もバシバシ容疑者にもなっていない相手をぶん殴る。
そして二人とも捜査への取り組み方、方針が違う。
署長にしても民主主義とは言えない上との関係~仕来りで動く。

そして淡々としているが、かなりハードな捜査を経て二人の刑事は犯人を追い詰める。
猟師宿で少女の拷問などの犯行が積まれていたようだ。
夜間のちょっとしたカーチェイスも大変趣深い。
わたしの好きなシトロエンが走りまくり何故だか嬉しいものだ(笑。
スペインの田舎にシトロエンがかなり入って来ていることが分かった。
最後は湿地に追い込む。
これが凄い湿地なのだ。
ここで初めて銃撃戦になり警官側も皆怪我をする。

La isla mínima001

フアンが傷を負いながらも事件の主犯~コラレスをナイフで倒し、攫われた少女も無事に救出する。
他の犯人、プレイボーイのキニと猟師宿の従業員セバスティアンも逮捕された。
手柄はペドロのものになったらしい(新聞記事からすると)。
だがジャーナリストの情報によるとフアンは以前、秘密警察で活躍した過去があり「カラス」と恐れられ100人以上を一人で拷問していたという。ペドロの彼を複雑な想いで見る鋭い目が印象的であった。そしてエンドロールへ。
ここに出てくる人物も誰もが厚みを持った人間に描かれている。
と謂うより、各自が深い闇を抱えて生きており、その苦しさが町に充満しているかのよう。
(それに少女たちは耐えきれなかったのかと思ってしまう)。
風景ともども重厚で重苦しい映画であった。

この時期のスペインの濃厚な雰囲気に浸れた作品である。
しかし一回の視聴では咀嚼し切れない世界が広がっていた。
そう、何が残ったかと思うと、あの俯瞰した自然の光景。













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