自生多肉の発見
蟲の視線で地面をゆっくり眺めて歩くと、色々と発見がある。
様々な切れ端~名残りがその場所、その場所にころがっているのだ。
それぞれの場所がその切れ端の経緯の記憶を呼び起こす。
いつこの部分がここに落ちたか、、、その場所からその小さな物語が思い起こされる。
まさに場所こそ記憶だ。
ついこの間、解体して処分となった金の生る木の小さな枝が幾つかその場所に遺棄されていた。
拾ったものを二つばかり、他の多肉の苗と一緒に植えておくことに。
(今、底の浅い皿みたいな器に幾つも多肉の赤ん坊が芽を出している)。
こんな形で集まる多肉の葉や子株が柔らかな培養土の上でまた活き活きと伸び大きくなってゆく。
しかし、こちらの気づかぬところで、いつの間にかそこに零れたのか、何かで飛んだのか、運ばれたのか、庭の無意識の領域で小さな芽を幾つも出している多肉が見つかる。
成育条件としては良かったり、難しいところだったりするが、しっかり根を出しているのだ。
間違って踏まれるようなところにも根付いている。
(今日わたしが気づいていなければ、明日のうちにペッタンコになっていたかも知れない)。
これが面白い。こんなところにいたのか、という、、、。
多肉は、葉っぱからでも、小さな株からでも、ひとつの親株から幾つでも分かれて増える。
一鉢が、直ぐに10鉢くらいになってしまう。
大概、違う種類の似た者同士で寄せ植えにするが。
(この時、水を嫌うものとわりと大丈夫なものなどを一緒には植えない)。
どんどん分かれて根付き大きくなるところが何といっても面白いのだ。
生命力と可愛らしくも不思議な造形~個性と暴れまくり始末に負えなくなるところ、、、
こどもみたいである。
但し、小憎らしいことを謂わないだけ扱い易い(笑。
この連中が喋りだしたら、ややこしいことになるだろうが、それを生きる動きに変えていることは確か。
時々形を調整しなくてはならなくなる。
相手の意思は受け取りながらも、、、。
生き物は面白い。