怪奇蒐集者 霊域 西浦和也3

2020年
横山一洋 監督
西浦和也、、、語り(作家)
蜃気楼龍玉、、、案内人(噺家)
昨日の「怪奇蒐集者」繋がりで、もうひとつばかりAmazonPrimeで選んでみた。
全く知らない領域のモノなので、選ぶ基準も何もなく、語り手の異なるすぐ隣にあったものにした。
今日は、西浦和也という人である。
噺家みたいな雰囲気の人だが、その割に喋りがそれほど上手いという感じでもない。だが慣れるとこの人の世界にじっくり浸れる。
専門の怪奇蒐集家のようで、精力的にそうした噺の紹介の場も設けていてファンも多いらしい。
「死なないブレスレット」は印象的だった。
わたしにとってもっとも役に立った噺である。
ブレスレットを介して悪魔と契約し、それを持っていれば死なないように守られるというもの。
悪魔の入り込んだ銀のブレスレットは、一夜にして真黒くなったという。
だが契約をしたその息子は気味悪がり、それを身に付けていなかったこともあり事故死してしまう。
息子のその形見を持っていた父、そしてそれを食事を振舞い譲り受けた古物商はとりあえず持っている間、事故や災害からの死からは守られたが、確実に何かを代償にしていたようだ。悪魔との契約とはそうしたものだと。
つまり事故等で死ぬのを避ける代わりに確実に健康を損ねていったり、他の損を被っていたりするのだ。
そうした法則性があることを知った。(悪魔と)契約を交わすことの危険性である。どんなに良い(旨い)噺であっても。
この話でも確かに死なない代わりに健康や自由が奪われてゆく。
なるほど、と思った。
何かの拍子で悪魔の宿るガジェットを手に入れてしまったなら(つまり安値であろうと買ってしまったら)直ぐに誰かに売ってしまうしかない。貞子のビデオテープみたいだ。
売り買いで自動的に悪魔との「契約」が成り立ってしまう。
売らずに何処かにしまったり、埋めたりしたところで、契約は切れた訳ではない。契約を切らねばならないのだ。

やはり「大黒様」が、持っていればもっとも安全で(害もなく)役に立つ(かも知れない(笑)。
大黒様が笑っているのを聴くと、何らかの得があると。
ここでは、笑いを聴いた後で宝くじを複数枚買ってみると、全部で120万儲かったという。
「大黒様」を古物商などで見つけたら、こちらの方は手に入れた方が良いかも。
しかし笑い声が聴けなければ、ご利益はない。ただのお荷物になってしまう。
「大黒様」自体が好きでなければ、、、。
「たかゆき」では、キャンプ場で夜中に突然、「たかゆき」と人を探すような叫び声が響き渡る。
情報提供者は、キャンプ場での迷子だと思って西村氏にその噺をしたそうだが、其れを聴いた西村氏は子供が川で溺れたと受け取った。その「たかゆき」という呼び声は、彼ら提供者とその友人の二人以外、キャンプ場の誰も聞かなかったという。
季節は夏であり、とても暑苦しい中、寒気を感じていたのも彼らだけであったようだ。
そのキャンプ場で提供者に同伴していた友人は、何と西村氏が話をウェブ配信した翌日に川で溺れ亡くなったという。
噺が追い付いてくる、と西村氏は語っていたが、そういう受け止め方もあるのだなと思った。
どうしても絡めて考えてしまうものだろうとは思うが、、、実際のところ「たかゆき」が何であるかも分からず、ホントに川で少年が溺れたにせよ、それとその友人の水死を関連付けようにも覚束ないであろうが。ちょっと強引だし意味が分からない。
「魅入られて」は、バラの写真に纏わる噺で、その光景がこちらの脳裏にも鮮やかに広がる類のものであった。
いきなり交差点?で飛び込んできた真っ赤なバラに目を疑うのだが、近づいてみれば、ディスプレイに飾られた写真集2ページ(見開き)に渡る(真ん中で切れ目のある)バラの画像に過ぎなかった。
そのことは忘れ自分が目当てにしていた写真展示会場で友人の写真展を観て回り、幾つかの作品をインスタに上げコメントを付け会場を後にするが。その後、不可解なことが起きるのだった、、、。
それは意識と無意識の微妙な狭間に生じる稀有な出来事にも想える。
自分がアップした覚えのないあの真っ赤なバラの画像に、いいねとコメントが押し寄せて来た、というのも微妙な気分、というより確かに気味悪いに違いあるまい。そのバラは写真集の見開きの中に印刷されたものではなく、真ん中に切れ目のないオリジナル画像そのもののようなのだ。幻のようにディスプレイに現れたそのバラとは、何であったのか、、、。
直ぐにその画像をデリートしたそうだ。

自分にも似たことがあって、もう意識の底に沈んでしまっているが今の自分に影響を放っているというものもありそうな気がしてくる。
そういった不気味な怖さは感じるものだ。
一度、自分の過去の体験について顧みる機会はもってみたい。
DVDについては、、、
