プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。


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キャット・ピープル
パラサイト 半地下の家族 -2
パラサイト 半地下の家族 -1
ヘンリー・ムーア~彫刻に見る普遍性
911爆破の証拠―専門家は語る 前
9/11:爆破の証拠 - 専門家は語る 後
アポロ 11
シャチ~優しい殺し屋~
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
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ラディウス (r)adius

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(r)adius
2017年
カナダ

カロリーヌ・ラブレシュ、スティーヴ・レオナール監督


ディエゴ・クラテンホフ、、、リアム・クラテンホフ
シャーロット・サリヴァン、、、ジェーン(ローズ)
ブレット・ドナヒュー、、、サム(ローズの夫)


これもまた究極のステージに追い込むのが得意なカナダ映画。

突然、自分が「普通でない」ことに気づく。
しかもその自分が誰なのかも分からない。
記憶も失っているのだ。

その異常さとは、自分から半径15m以内にいる他の動物に死を齎すという特質である。
このことを発見して恐れ慄く。
自分の近くで、、、車のドライバー、ダイナーの客、警察官、カラス、ヤギなどが次々に白目をむいて死んでしまう。
最初は、空気感染するウイルスか何かかと外部を疑ったが、自分自身が原因であることを知るに至る。

こんな状況をアイデンティティの覚束ない状態でどう対処すればよいのか。
いる場所がない。いるべきところも分からない。過去も未来も何も見えない。
究極の孤独である。
自分の名前は、事故を起こした(自分が乗っていたであろう)車にあった免許証から取り敢えず知るが。
そこから、自宅の場所も分かりそこに逃げ込む。

(r)adius002.jpg

そこへある女性が訪ねてくる。事故に遭った彼の車の同乗者で彼の名前と住所は知っていた。
その女性は近づいても死なない。
それだけでなく彼女の存在が彼の致命的な特質を無化してくれることを知る。
女性と共にいるときは、近くにいる動物は皆大丈夫なのだ。
しかしその女性も記憶を失っており、自らを「ジェーン・ドゥ」からとりジェーンと呼んでいる。
彼女も勿論、自分が誰であるのかを探る目的で唯一の手掛かりとして彼に会いに来たのだ。

孤独な者同士が一緒にいなければならない状況ができる。
彼女が離れたら彼に近づいた人間・動物は皆死んでしまう。
ふたりで記憶の微かな片辺を辿り、お互いの関係をも探ってゆく。
一方、リアムの家周辺から大量の死者が出たことから、彼が脳に直接電気的なダメージを与える工作をするテロリストであると睨み警察に追われる立場となる。
ふたりは自分が誰か分からぬまま、禍々しい運命も背負って逃亡者となるしかない。

TVの情報から、ふたりの乗る車が事故に遭った地点でUFOの飛来が確認されたというNASAからのアナウンスがあった。
その時の激しい閃光を浴びたことは、ふたりとも自覚がある。
原因は分かったが、それでどうなるか、解決に至るまでには余りに越え難いハードルがあった。

(r)adius003.jpg

記憶を失うということは、ある意味ピュアな状態で、再生に繋がるチャンスであるとも捉えられる。

人生には忘却した方が良いことも多くあるものだ。
逃げながらも徐々に見出される様々な書類(ポスター、日記など)から記憶の断片が蘇り、やがて繫ぎ合わさってゆく、、、。

そしてついに彼らの過去がふたりの前に明かされてしまう。
共にそれを受け容れられない。
特にリアムは、自分が得てしまった特性が自分のかつての性向の拡張したようなものであり、警察に追われるのは当然とも謂える。
更に彼と共に行動してきたジェーン(本名ローズ)の失踪した双子の姉を誘拐して殺害したのがこころを許してきたリアムであったことが分かり、激しい葛藤に苦しむ。彼の過去は、連続殺人犯であった。

(r)adius004.jpg

記憶の喪失と異常な特質に追い込まれるふたりであったが、記憶が戻れば更に過酷で残酷な運命が待ち構えていたのだ。
彼らは孤独から絶望へとまっしぐらに突き進む。
締めくくりは、テロリストを殺せと、突然襲い掛かって来た数名の住民が引き金を引く。
リアムとジェーンとの距離が空いたため、皆死ぬが最後の一人がジェーンの背中に向け発砲してしまう。
瀕死のジェーンを急いで車で病院に送り、緊急処置室に運ばれる彼女を見届け、リアムはこめかみに銃口を向ける。

このままの自分には、もう未来はない。
過去は消せない。


解決策はこの他にはなかった。
彼の虚ろな死んだ瞳で幕が落ちる。


AmazonPrimeで、、、。





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ロープ 戦場の生命線

A Perfect Day001

A Perfect Day
2015年
スペイン

フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督・脚本・製作
ディエゴ・ファリアス脚本
パウラ・ファリアス『Dejarse Llover』原作

ベニチオ・デル・トロ、、、マンブルー(国際援助活動家)
ティム・ロビンス 、、、B(国際援助活動家)
オルガ・キュリレンコ 、、、カティヤ(調査官)
メラニー・ティエリー 、、、ソフィー(新人国際援助活動家)
フェジャ・ストゥカン、、、ダミール(通訳)


皆で一生懸命ジョークを交わしていた。
通訳が無理やりジョークを言わされていたところには笑った。

A Perfect Day003

停戦直後のバルカン半島のどこかの地らしい。
井戸に投げ込まれた死体を除去する為にトラブルや妨害や危険に遭遇しながらも奮闘する国際援助活動家たちの不条理舞台劇という感じの映画であった。
使命感に燃えてという部分もあるが、ずっとダラダラ痴話噺をしていたり、ドキュメントタッチでもあり、なかなかよくできていて面白い。特にオチがイケている。
BGMのロックもセンスが良い。最後はルーリードのハイテンポなロックで締める。
”A Perfect Day”ではない(笑。

A Perfect Day002   A Perfect Day006


何処もそうだが、金儲けの為なら随分とえぐいマネをする輩がいるもので、井戸に死体を投げ込み水を飲めなくして、その地域の人に水を売りさばくやりくちだ。
国際援助活動家の面々は、その死体を吊り上げて除去し水が飲めるようにしようとするのだが、作業途中でロープが切れ死体がまた井戸の中に落ちてしまい、ロープを探し店をやっとみつけても、余所者にはモノを売らなかったり、散々探し回ったあげく、途中で助けた少年の家にそれがあるとのことで、彼の家に向かうとそのロープには狂犬が繋がれており、麻酔も何も効かない強者でどうにもならない。
諦めかけて爆破されて屋根の飛んだ少年の家に入ってみると、マンブルーとソフィーは彼の両親の自殺した姿を発見してしまう。少年を引き取った祖父からは両親は安全なところに逃げたと彼は聞かされている。
しかしロープは少年の親が首つりに使ったものが丁度良い長さであった。
何が幸いするか分からないものだ。

A Perfect Day004

そのロープを使い途中散々地雷の危険地帯で足止めを食い、得体の知れない軍の通行止めなどに逢いながらも、牛飼いの老婆の後を走って地雷をよけて漸くその井戸に戻ることが出来た。ロープを探し始めてから相当な回り道である。
そこで調子よく作業を進めていたら、突然やって来た軍にその作業の中止を言い渡されるのだ。
井戸の死体はまたしても途中まで釣り上げられたところで、ドボンと水に落ちる。

生れて初めて井戸の死体を見てショックを受けていた新米のソフィーが、ここまで巡って来るまでに戦場慣れしていて、最後にどうにもならなかった死体に向けて「このクソデブ」と悪態をつくところが笑える。
どこにもたどり着けず何もなし得ない。どうにもならないことは、もうどうしようもない。

A Perfect Day005

まるでカフカの小説みたいな展開だ。

国際援助活動家は、次の任務に向かうことになる。
難民施設のトイレ詰まりを直す作業である。
雨さえ降らなければ大したことはない、と笑いながら走っているうちに大雨が降り出す。
彼らの表情は途端に陰鬱になる、、、。

彼らの表情に対比する形で井戸が溢れかえり死体がポッコリ上まで浮いて来たではないか。
地元の住民たちがこぞってそれを引きずり出して喜んでいる。


何が幸いするか分からない。
やるだけやって後は天に任せる。

そういう噺であった?
わたしの心境である(爆。










汚れた顔の天使

Angels with Dirty Faces001

Angels with Dirty Faces
1932年

アメリカ

マイケル・カーティス監督
ローランド・ブラウン原作

ジェームズ・キャグニー、、、ロッキー・サリバン
パット・オブライエン、、、ジェリー・コノリー
ハンフリー・ボガート、、、ジム・フレイザー
アン・シェリダン、、、ローリー・ファーガソン
ジョージ・バンクロフト、、、マック・キーファー
ビリー・ハロップ、、、ソーピー
ボビー・ジョーダン、、、スイング
レオ・ゴーシー、、、ビム


「君と私と神だけが知る勇気だ」。
全てがここに収斂される。
ここに賭ける~信じるのだ。

Angels with Dirty Faces002

わたしにとっても「君と私と神だけが知る真理」への確信がなければとてもではないが、日々やってゆけない。
言うまでもなく、われわれが生きる世界~幻想界というのは、社会の法的・道徳的枠から大きく逸脱しており、ことばの枠からも外れている。一回性の生きた流れそのものである。
そのなかで微妙に揺らぐ外縁や襞の領域も、ときに法~言語で引き裂かれてゆく。
このありように対する本源的違和を常に感じて生きている。

生きるということがそうした事情なのだ。

Angels with Dirty Faces003

さて、子供時代に劣悪な環境で育ち、盗みなどの悪さを働いていた親友同士がやがて片方はそのままギャングに、もう一方は牧師となっている。
この分かれ目は、警察に追われ逃げる際に、片方は捕まり感化院に送られ、もう一方は逃げおおせたところにある。
(それぞれ個人の個性~資質における問題もあるだろうが)。
お互いにそれでも親友であることには変わりない。
但し、職業が違うだけ、ではなく属する世界が異なるのだ。

片や自分の流儀でアウトローに生きる者と一方は法の世界に生きている。
互いに相手~個は尊重しているが、自らの属する幻想界(の正義)に準じる~殉じるのだ。
兎角、そうしたものであろう。

Angels with Dirty Faces004

最後に「君と私と神だけが知る勇気」による二人の間の密約が果たされ、友情が究極の形で成就する。


こうしたジャンプ~飛躍がわたしにとっても鍵となってくることは分かる。



AmazonPremiumで、、、。






3人で蕎麦を食べる

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娘ふたりと9時半頃に蕎麦屋で朝蕎麦メニューを食べた。
3人とも食べてる間、一言も喋らない。
美味しかった。

わたしにとっては、丁度良い量であるが、彼女らにとっては少し多かったらしい。
次女は何とか食べきったが、長女はお腹いっぱいと言ってわたしにちょっと戸惑いの視線を向ける。
いいよ残しても、と言うとワカメだけ掬って食べてからお箸を置いた。

こころの触れ合う感触をふと感じる瞬間。
これが少しずつ畳み込まれてゆくことをきっと生活と呼ぶのだ。
遠い先にも想い起こされる絵として連なるもの、、、。

何がどうというものではない。
何かが、滲みただけで。
体内に新しい血液が巡る。

何かに気を取られた隙に忽ち滑り去って行く場。
「今ここ」に感覚と感性を集中させ深く感じて。
この「場所」に留まり続けることで宇宙の速度に乗ろう。


今朝の蕎麦は美味しかった。


帰ってから、フレームからレンズの抜けた眼鏡を眼鏡屋に持って行ったが、無料で丁寧に直してくれた。
部屋に入ってから雨が降り始める。
今日はとても涼しくて、気持ちの良い一日であった。


使い捨てフィルムカメラ

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今日は慌ただしい日であった。
早朝から、音に敏感な長女に何処からか音がすると起こされ、雨の中点検に家の周辺を確認する。
それから掃除、ゴミ出し、亀の世話、子供の朝食作り、、、。

Blu-rayデッキに溜まった番組の整理・コピー、、、そうそうかつては自動でCMカットしてコピーしてくれるデッキがあったが、今はもうないのでは、、、。
結構、これが時間のかかるもの。
ルーチン化しているが、これは何とか自動化したいものだ。

そして今日の極めつけは、わたしも使ったことのない「使い捨てフィルムカメラ」である。
娘たちの修学旅行で個々に持参することになったカメラだ。
何で今どきフィルムの使い捨てカメラを用意させるのか。
その後の現像・プリント代もバカにはならないし、家ではできない過程がメンドクサイ。
これは当然疑問で、学年の担当の先生に聞いてみたのだが、家庭のデジタルカメラを失くしたら困るから一律で使い捨てカメラにしたとのこと。うちはデジタルカメラが沢山余っているので、失くしたらそれはそれでよいので持たせてよいかと聞いたが、皆同じにすることに決めました、とのこと。
失くす可能性はあるし、落として壊すケースもあるかも知れない。
それを言っていたらキリがないが、高価なものだからというところか。妥協しかあるまい。

来週学校に事後学習として使用する写真を持っていくということで、近くのサービスが今一つの写真館にカメラを持ってゆく。
そこで現像の終わる時間を確認して帰宅しお昼の準備にとりかかる。ついでに夕食の用意も済ませる。
先ほどの時間になったのでネガとサムネールプリントを取りに行く。この現像代が思いの外、高かった。
昼食を食べさせてから、学習で使う写真とプライベートのものを選ばせ番号をメモさせる。
次女は家に飾る分(友達とのスナップ)を別に撮ってあったが、長女は事後学習用の堅苦しい写真だけしかなかった(余裕と遊びがないなあ、やはり)。

そして番号メモとネガをもって3回目の写真館である。そこで、プリントの仕上がる時間を確認する。
隙間時間で更にデッキのHDD整理と番組コピーをCMカットしながら進めて行く。
この時間はホントに無駄に思えるが、番組によっては何度か見てしまうものは確かにあるので仕方ない。

今日こそは、書類専用眼鏡のビスが抜けてしまいフレームからレンズが外れてしまったものを直しに行くつもりだったのだが、何処で行くか、タイミングがつかめない。
そうこうするうちに、例の時間になり、プリントを取りに行くことに。
店に入ってから雨が急に降り出す。
ここで最終目的のプリントを受け取ることになったのだが、あいにく傘をさしてきていない。
ビニール袋に入れてくれるかと思いきや紙に挟んだむき出しのまま手渡された。
しかも何度カードをスラッシュしても機械が読み取らず手入力で番号を入れて引き落としとなる。
この時、店員がこれまた伝票をロクに見ず、現像ではなくプリントだけですか?とか聞いてくる。どうなってるんだと思うが、もうフィルムの現像にはこないからどうでもよい。

雨に濡れないようにプリントを持ち帰り、娘に渡す。
後は知らない。
雨が止んだら眼鏡屋に行って最後にゆっくり風呂に入ろうと思っていたが、風呂の方が我慢が出来ず先に入ることに、、、。
ゆっくり入って出たら弟からの電話があり、久々にこれまたゆっくり話をする。
切った直後にまた電話。
トヨタのディーラーからだ。
予約のお時間が過ぎていますが、どうなさいました、と来た。
しまった!昨日の娘と同じだ、、、二日連続呼び出しである、、、まさに、たるんでいる。

てっきり明日のつもりでいた一年点検が今日であった。
娘も風呂に入っており、連れてゆく約束をしていたが、それは翌朝、お蕎麦を一緒に食べに行こうということにして、わたし一人30分遅れで駆け付ける。

かなりの時間がかかりもう充分暗くなっていた。
もし明日でこの時間に娘を連れて来ていたら、ちょっと月曜日に響く気もした。
ピアノの練習を考えると余裕がなさ過ぎた。

帰って少し遅めの(予め作っておいた)夕食を出し、眼鏡は後日に回すこととなった。
何だかよく分からない一日であった。
そう、2万円の支払いが、ここ数日間、かなり連続した。これも同時性か。
モノが壊れることも続いたし、今日でピリオドとしたい。








光を落とす

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朝、暴力的な圧をもって注がれる情報に、きっと長女は苛立つのだ。
そして、始まる事への不安。

見えない事への不安ではなく情報の渦に呑まれる不安。
朝は明るすぎて。
視界が定まらない為、一歩が出ない。

トワイライトゾーンでの密約がどれほど功を奏するか。
だが、やはりまだ、ロゴスよりトポスなのだ。
長女は無音の光の届かない場所でのアルタードステイツに活路を見出そうとしている。

今夜も遅くまでピアノを弾いていた。
その他は、書庫で居眠りをしていたらしい。
そのまま寝るという、、、。
朝への助走路は覚束ないまま。


わたしの出来ることは、この辺で光を落とすことだけ。




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修学旅行の代休最後

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どうもこの話題で続けるのも、何か手抜き感が漂い、今日で最後にしたい(笑。

娘二人も、もうたるみ切ってしまい、ソルフェージュの教室に行くのを忘れ、先生から電話が来てしまった。
10分遅れで駆け付ける。
以前は最初の送りから必ずしていたが、最近は迎えのみにしていた。
毎週のことだし時間に出かけたと思い込んでいたのだが、、、。

まさかと思って声を掛けたら家の中から返答が、いつもはロクにしもしないのに、素直に戻って来たのでびっくり。
その直後に先生から電話ときた。
端折らせて教室に追い立てる。
~たるんでいる。


今日は午前中は市役所に行き、マイナンバーカードというものを3人で貰った。
その場で書く書類もあったが、取り敢えず準備して行ったモノで足りて途中まではすんなり進む。
(実は書類がひとつ足りなかったのだが、その場でなんとかなった)。
だが、暗証番号を設定する端末が空かず、待ち時間がかなりなものになってしまう。
ふたりは、その間ずっとスマホゲームに夢中で、何処にいようが関係ないという感じ。

漸くわれわれの番号が呼ばれ、端末の前に座るが、パソコン好きのふたりは何を期待しているのか楽しそうである。
小6の子にもそれぞれ係がついて個々に端末から入力するのだ。
3人ともここは直ぐに終わり、あっけなくカードは貰えたが、担当者が住民票がとても取りやすくなりましたと何度も強調していた。
そんなに頻繁に必要になるモノでもないし、そのうち有難いものとなる(であろう)カードをバッグにしっかりしまって家に向かう。

今日は大変な豪雨の日になると予報で言われていたが、傘なしで余裕で行って帰って来れたものだ。
(今日、カード申請の予約しておいてよかったかも)。


道すがら当然のごとく、美味しいモノ買って!と来る。
コンビニでしこたまチンして食べられるものを仕入れた。
正直、買い過ぎで、今日中に食べ切れるとは思えなかったが、実際、幾つも残る羽目に。
明日の朝までだろうな、、、。
考えてみれば、スーパーでの買い物がルーチンとなっており、コンビニでたんまり買い物をしたのは久しぶりである。
そして味の方だが、スーパーのものより、美味しい(少なくともこのあたりでは)。
彼女らが言うには、ファミレスより美味しかったそうだ。
(わたしは最近、その辺にはトンと疎い。ファミレスはよく行った時期があったが)。

確かに朝の情報番組でも、各コンビニからの新商品のどれが美味しいなどと、よく取り上げられている。
わたしも以前、スウィーツとかチキン系を食べ比べたことはある。
なかなかのものであった。
いまだにチキンだけは、公園や展示会に行ったときの帰りとかには買ってしまう。
これは、いつも美味しくホットする(笑。


何の噺であったか、、、
思いっきりたるんだ一日であった。
車のガソリンがないことに気づき入れに行き、その後は夜まで片付け仕事に追われた。


sunset.jpg



奇蹟いや怪奇

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今日になって、次女のキーホルダーが見つかった。
あれだけ探して無かったのに!
ホント?それは奇蹟だ。どこにあったの、、、。

、、、見つかったところが何と靴の中なのだ。
バックの小物入れやポーチや財布ではなく、靴だと、、、。
靴を履いて外に出ようとしたら何かが足に当たるので見てみたら、ソレだったと、、、。

超常現象か。
もうこの世界にはついて行けない。
彼女らの手助けは、この先ほとんど無理だと思う。
早く自立してもらいたいが、自立しても物は無くしそうである。
これからは、あのボールペン知らない、とか聞かれたら靴の中探したか?と聞くか。

本人は大事なモノが見つかって小躍りして喜んでいるが、、、
おめでとう~よかったね。
、、、と言った後、わたしは眩暈に襲われた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

靴はどうやら予備の方で、大きなバックに詰めて行ったものらしい。
(履いて来た靴に入っていたらイリュージョンである)。
それにしても、どうやってその靴の中に紛れ込むのか。
袋に入れて持って行ったモノである。
(確率的にどの程度在りえることか。しかし在りえたのだ。宇宙もそれくらいの確率で開闢したのかも知れない)。


世界は複雑で怪奇で疲れる。
認識を新たにした。


Moonwalker002.jpg



データー移動

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今日は、ひたすらデータ移動をした。
(戻ったばかりの日に、大きなデータは移動していたが、こまごましたものがかなり残っている)。
うちでは人も移動しているのだが、直って帰って来たノートからも全て外部ストレージへとデーターを逃がす予定。
元のノートは、ほぼまっさらにするつもり。
相当な量が溜まっていたので、これから数日はかかりそう。

基本、2台のストレージにそのままコピーし、ネットワークで繋がったミニパソコンのデータ用HDDにも特別重要なものを分散して保存することにしている。最大で3つのHDDにしまうことになる。分散はやはり必要だと思う。
以前はサーバーで自動でやっており、信頼性もあったが、ここ最近は、そのときの気分でデーターの選り分けもしているため、必然的に手動レイド仕様となった(爆。
それだけで膨大な時間が取られる。
やはりレイドはソフトに任せるべきだと悟る。が、手動でやりだすとやめられなくなるところもある。

データーを確認しながらコピーする過程で、それほど重要ではないからコピーを止めたり、3個所にコピーしたりしたくなるものが出てくる選別の楽しさというか、その作業が、意味の薄い時間潰しかも知れぬが、、、習慣化してくる。
下手をすると一日中やってもそれだけで過ごせそうな気もする。
きっと生活自体の希薄化は免れまい、、、。

TEXTデータや画像はほんの一目で分かるので良いが、動画はある程度観てから決めるのでこれが厄介。
少なくとも娘の小さい頃のものは、無条件に残すが。
(これが、うっかり観だすとタイムスリップして止まらなくなる)。
今日は気が付くと夕方だった。


台風が来ると言うが、まだ外の庭の確認が出来ていない。
ここのところ、毎日大量な買い物もしている。
人が外に移動するには、かなりのお荷物を必要とする。
何にしても交通はそれ自体、エネルギーと時間を要するものだ。

確かに過去の引っ越しを思い出しても大変だった、、、


ノートのデーター移動~コピーくらいが楽でよい。


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次女がキーホルダーを失くす

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急に午後になってから、お土産に買ったキーホルダーが見当たらない。
誕生石のキーホルダーなのに。
と言って大騒ぎになる。
とってもお気に入りのキーホルダーだそうで、、、

何なんだ。
管理が甘い。

自分のモノの管理については日頃からよく話してもいるし、一緒に整理したり、時には探したりもして来たものだが、、、
その都度、反省会もしてきたのだが、、、。
確かに最近、次女の物探しが増えてきた感はある。
(長女はもうモノ探しのレベルを超越して独自の境地に達しているが、、、)。

まだ地上にいる次女までもよくモノを探す~失くすようになったみたいだ。
これでは、家そのものが浮足立ち何処かに彷徨い出そうな気にもなって来る。

午後から今までずっと探したが見つからない。
探しながら、次女とそのキーホルダーを何処に入れたか、出して見た後どうしたか、とか友達に見せた後、何処にしまったか、その後また何処かで出さなかったか、ポケットとかに不用意に入れてはいないか、家には確実に持って帰ったのか、とか、、、ミルクボーイみたいなやりとりで、その都度あちこち当たってはみたが、みつからない。
(まさにネタではない必死のミルクボーイ状態である)。

妻がホテルにまで電話して聞いたが、キーホルダーの落し物は、なかったとのこと。
(流石に恥ずかしくてわたしにはそこまで出来ない)。

暫くじたばたして疲れたところで、皆静まる。

お土産というか記念に買ったモノは、場所と想い~時間が付属したものであり、母親にまた同じものを買ってあげると謂われてもそれは全くの別物である。価値が異なる。
もうこれはどうにもならない。

この辺の彼女にとっての不条理を自分のこころに組み込むdisciplineの課題が見えたところか。
それと自分流の管理術であろう。
(わたしも眼鏡をよく探す)。
これも勉強である。



StrawberryMoon002.jpg





娘たち帰る

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まさに行ったかと思ったら帰って来た。
わたしはほぼ独りで何の旅行・見学でも帰って来たが、親の迎えが必須なので、6時にふたりを迎えに行った。
そこから、たっぷりと体育館で到着式だかなんだかをやって、われわれ保護者は後ろで立って見ていることに。
かなりの3密を久しぶりに味わう。
何か気持ちが悪い。

噺が長いのは、校長という印象が強くある(お決まりだ)が、今回は実行委員会の児童の噺が長く、その分校長の話はとても簡潔であった。
それにしても、もう少し短くまとめて話す勉強をして欲しい。
普段の授業でも答を一言答える、だけでなく自分の考えを簡潔にまとめて話をする訓練の場を持ってほしいものだ。
とは言え、今回の旅で感想を述べよと謂われても、かわいそうな気はする。

短い。短すぎるのだ。
待っている側にとっても、短い。
あっという間に帰って来ているではないか。

帰る道すがら二人に色々聞いてみたが、次女はオタク友達がまた増えたと喜んでおり、これは一大勢力(圧力団体)に発展するのでは、という危惧はもったが、向こうの土地についての話題はほとんどなかった。
何処に行ったより、バスで同志とどんなことを喋ったか、が問題のようである。
それについてはかなりの勢いで話すのだが、われわれ親はほとんどついて行けない。

日光東照宮の話題に向けると、左甚五郎の作と謂われる眠り猫と「見ざる、聞かざる、言わざる」の3猿のレリーフは観たとのこと。
次女がほぼ眠り猫みたいな眠そうな顔して話してはくれた。
そりゃ、嫌でも見ることにはなるはず。長女もちゃんと見たらしい。
それだけでも見てくれば良いか、、、。
わたしも眠り猫は好きだ。自分の作品のモチーフに使ったこともある。

3猿については世界中にほぼ同様の意味で広まっている。
元は中国から日本へ伝わったものだが、世界に広まったのは日光東照宮の左甚五郎作のレリーフからのようだ。
有名どころでは、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と言うガンジーの教えもここから来ているという。

お土産は食べ物ばかりで、お小遣いのほとんどをこれらのお菓子に使ったそうだ。
しかし自分たちで食べる目的で買ったらしい。
必ずわたしも味見はする。

そして、長女が何でも好きな男子が出来たとか、、、
にやにやしていたのが、何とも、、、奇妙な感覚であった。
これが今夜の一番の話題となる(爆。
(本人は多くは語らないが「見ざる、聞かざる、言わざる」と呑み込んだままには出来ないようだ。無論われわれもだ)。
何れにせよ外に意識が向かうことは、(自立性の獲得にとっても)好ましいことだが。
やはり生き物だなあ、と思う。
いや、育っているのだな、と感じる。


体育館で旅行担当の教員が、帰ってきたら逞しくなっていて、ちょっと大人になった感があるなどと、決まり文句を述べていたが、ホントにある種の距離感~他者性を覚えた。

今後の役に立つ旅行になったような気がする。

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娘の修学旅行

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今日は、家族皆が5時に起きる。
6時半には、娘たちはバスに乗っていなければならない。
コロナのお陰で、例年の二倍の台数のバスが用意され、ホテルも部屋は二倍確保されたという。
結局、ホテル自体貸し切りとなったそうな。
ゆったりモードで寛げるかと思いきや、わたしらの頃は修学旅行と謂えば3泊4日であったところが、1泊二日だと!
これでは、向こうの地をゆっくり回ることなど出来る訳がない。
少なくとも1日はじっくり過ごす日が無ければ、バスに乗って行きホテルに泊まり、明くる朝バスに乗って帰って来るだけではないか。

皆でホテルに泊まったね、という思いでしか残るまい。
ここのところ、やることが全て消化試合みたいな体裁で行われる。

旅行は、そのうちゆっくり行こうと思うが、家族といっても彼女らも面白くはなかろう。
まあ、高校生くらいになったら、親友とお泊りくらいはさせてあげたいものだ。


ともかく、どっと疲れがきた。
いや、蓄積した疲労がのしかかって来た。
横になったら暫く起きれず、3時頃に昼食を摂ってから風呂に3回入る。
そして普段より水をたくさん飲み、うちにあるビタミン各種と青汁に酵素にユーグレナに、、、あるものサプリみんな飲んで本格的に眠ることにした、、、睡。



花とアリス殺人事件

The Murder Case001

The Murder Case of Hana & Alice
2015年

岩井俊二 監督・原作・脚本・音楽・編集
作詞 岩井俊二 / 編曲 桑原まこ / 歌 椎名琴音『fish in the pool』主題歌

鈴木杏、、、荒井花
蒼井優、、、有栖川徹子
平泉成 、、、黒柳健次(徹子の父)、初老の社員
相田翔子、、、有栖川加代(徹子の母)
鈴木蘭々、、、陸奥睦美(徹子のクラスメイト)
黒木華、、、萩野里美(花とアリスの担任)
勝地涼、、、湯田光太郎(花が思いを寄せる幼馴染)
清水由紀、、、矢上風子(徹子のバレエの幼馴染)


The Murder Case004

花とアリス』がこの映画の終わりから始まるのか、、、。
そうなのか。前日譚。
なら、この後の実写の方がずっと好き。
鈴木杏と蒼井優の演技を生で見る方が愉しい。蒼井優はバレエも上手だし。
甘やかで清々しい空気に満ちていた。
これも確かに斬新な?アニメーション技術を感じさせる雰囲気のものではある。
そのへんを事細かに追及する気は微塵もないが。
背景の作りが面白く、CGも変に目立たない感じで流れていた。
ジブリモノや京アニとはまた違う絵の世界だ。

The Murder Case003

ストーリーは、勘違いや間違いやズレが基本で、それらが無理に繋がったり回収されたり後で整合性が取れたりするものではない。
かといって、自然でリアルな流れかと言えば、全然そんな気はしない。
徹子のおっちょこちょい振りが気に障る場面も多い。
蜂の件でもそれがもとで学校に行けなくなることに共感出来ない為、そこからまず入って行けなかった。
その他のエピソードについても、面白いとかびっくりとか意外だ、と思う以前に無理があるという違和感のみ。
(特に4人のユダなどには閉口する。睦美の立ち位置もあり得ない。噺の中心でもある花の恋愛観。受け入れ難さだけが乗じてゆく)。
不自然なノリで、その中で妙に元気なキャラについて行けない。
(荒唐無稽でも説得力があればよいのだが)。
キャラ自体にほとんど馴染めなかったのだ。
すると絵それ自体にもじっくり味わうモチベーションもなくなる。
実際、あまり覚えていないし、印象もない。
全体として、面白いアニメとは思えなかった。

The Murder Case002

岩井俊二監督の映画はどれも好きであるが、アニメは今一つであった。
今後も(実写)映画の方を見ていきたい。
アニメは京アニやジブリの方がずっと好きだ。




ノートルダムのせむし男

Notre Dame002

The Hunchback of Notre-Dame
1939年
アメリカ

ウィリアム・ディターレ監督
ヴィクトル・ユーゴーNotre-Dame de Paris原作
ソニア・レヴィン脚本
ロバート・ワイズ編集

チャールズ・ロートン、、、カジモド(ノートルダム大聖堂の鐘つき男、せむし男)
モーリン・オハラ、、、エスメラルダ(ジプシー娘)
セドリック・ハードウィック、、、フロロ(司教補佐)
エドモンド・オブライエン、、、グランゴワール(詩人)
アラン・マーシャル、、、フェビュス隊長


中世のパリの光景が大変印象に残る(15世紀のパリ)。
特に夜のノートルダム大聖堂の存在感。
ファサードの再現性も高いではないか。
それと同等の存在感をもったせむし男Quasimodo(不完全)。
レリーフ像の数と多彩さにも眩暈を覚える。カジモドもその一つみたいであった。
しかし彼の鐘を突くシーンは凄い。
その激しさと身軽さは、まるでゴリラみたいだ。

Notre Dame001

エスメラルダが最後まで馴染めなかったのは分かる。
彼女は、詩人のグランゴワール、司教補佐のフロロ、王室射手隊の隊長フェビュス、そしてカジモドから好意を寄せられる。
消去法でいってグランゴワールとなろう。
フロロとフェビュスは論外であるが、フロロが最も厄介な輩であろう。フェビュスはどこにでもいる女たらしに過ぎないにしても、これにひっかかったことでとんでもない事態となる。

Notre Dame003

この映画は原作とは異なり、エスメラルダは処刑を免れハッピーエンドである。
カジモドの勇敢で直接的な働きは大きい。彼がいなければ原作のように違う形であるが殺されていたに違いない。
筆の力で世論を形成し王に決断を迫ったのはグランゴワールであり、彼のお陰で彼女は正式にパリに暮らすことが出来た。
ふたりの力があってこそであり、グランゴワールは彼女と結ばれる。
カジモドはレリーフのように孤独のままであるが。
悪魔のそれと並んだ姿が見分けがつかないところが、実に絵にはなる。
彼も「石になりたい」と呟く。そう特異な無機質感がある、、、。
彼はこの地上で何であるか。あえて言えば鐘を突くレリーフであろう。

Notre Dame003

地球は丸いということに対する根深い猜疑や印刷術に対する教会(権力者側)の脅威や不安もよく表されていた。
確かに当時の統治側一般としては、民衆に本を読まれて賢くなられては都合が悪いのは分かる。
その点、ルイ11世は開けた人だと思った。
科学とテクノロジーの味方である。大したものだ。

やはり一番大したものは、完全にカジモドになっていたチャールズ・ロートンであった。
演技も演出もディテールまで文句なしだが、この特殊メイクも素晴らしい。
彼は、何か受賞でもしているのか?これだけやって何もなかったらおかしい。

女の心の動きがよく分かった。






ノート還る

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やはり1万件近くのTEXT、画像、動画の入ったHDDは、還ってきたノートの筐体にセットしたらこれまで通り、全て見えてサクサク作業が出来た。セカンドマシーン、サードマシーンよりすんなりと何でもできるのだが、何より、データが戻って(見えて)使えることでホッとした。
それにしても、かなりのハイスペックの中古ノートが二台楽々買える修理費である。
高い授業料と言って諦めるが、全くこれまで通りに戻っただけのことなのだ。
明日から暇を見て、少しづつ外部ストレージに逃がしていく予定。
とは言え、外部でもHDD、SSDに吸収させるのだから、いつぽしゃるかこれも分からない。
つい先日、WDの外付けHDDが事切れたばかり。
(カリカリ音が悪魔の囁きであった)。

一番、長持ちで堅牢なのは、ラスコーの壁画みたいに岸壁に削り込んだ情報だ。
あの味わい深いフィギュア、、、。
いずれにせよデジタルが一番早く亡くなる。

情報量とその扱いの簡易さは圧倒なのだが、、、。
まだテープの方が長持ちするとも言われているがその編集作業の自在度は天と地の差がある。

しかし情報は凄まじい勢いで雪崩れ込んで来るのに、アウトプットは僅かしか出来ない。
この状況は身体を歪ませるに足る。
そのうえ、ろくでもない情報や詐欺まがいのモノ、単に吐き出された汚物に等しい暴力以外の何物でもないモノも多く混じり、それらは、早急に解毒が必要となる。

アウトプットの有効性は、実感するところではあるが、速度が追い付かない。
ちんたらやっているのがもどかしく、人は原爆を落としたりするのだ。

そう、全的崩壊も趣があってよい。

どうなんだろう。
ここのところ頻りに言われているように、地球外知的生命体は存在するのだろうか、、、。
プーチンに聞いてみたいところなのだが、、、。
河野太郎が総理になったら、日本も本格的にそれに取り組むようになるはず。

地球人が滅んでも他に宇宙を見る存在があるのなら、宇宙は存続するだろう。
あの薫り高い名作「メランコリア」では、地球の消滅と共に宇宙も意味を失い存在を消す。
感知するものが無ければ時空は発生しない。
在るも無いもない。

さて、空のノートが宇宙の果てから帰還した。
外しておいたHDDを装着して時が戻った。

これから新しい時間系に乗る。



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寝ても覚めても

Asako I II001

Asako I & II
2018年
フランス・日本

濱口竜介 監督
田中幸子、濱口竜介 脚本
柴崎友香 原作
tofubeats 音楽


東出昌大、、、丸子亮平 / 鳥居麦
唐田えりか、、、泉谷朝子
瀬戸康史、、、串橋耕介
山下リオ、、、鈴木マヤ
伊藤沙莉、、、島春代
渡辺大知、、、岡崎伸行(ALSになる麦の親友)
仲本工事、、、平川
田中美佐子、、、岡崎栄子


携帯を捨てる。
それまでの全てを捨てる。
決断をしているように取れるが、、、
寝ても覚めても(悪)夢の中なのだ。
外には出れない。

Asako I II004

確かに感謝と愛とは違う。
好きというのは、いつも微妙。
好きというのは、自分に言い聞かせるときに使う。
好きにならなければ、、、。
本当に好きな他の誰かを意識の底に沈みこませる時に使う。

成長した気になっていたけど、、、
目が覚めて、わたし何も変わっていなかった。
何度も目が覚めた。
亮平の運転する車の中で。
麦の運転する車の中で。

同じように車が途中で止まり、気づく。
自分の目覚める方向はどちらなのか、、、。

Asako I II003

ずっと怖かった。いつかそうなるかと思っていた亮平。
麦は亮平やない。帰らないと、と言われあっさり晴れやかな表情で別れを告げる麦。

彼女との関係を常に恐れる男と何も恐れず飄々と自分の世界を生きる男。
顔がそっくりなだけ。
地道に生きる男と夢の中を通り過ぎる男。
実際、どちらに惹かれるかは彼女次第。
どちらも悪夢の中のひとつの様態に過ぎない。

Asako I II002

あやふやな、どこか間違っていると感じていた彼女は、「間違いでなかったことをしたかってん。その時は。」と言う何か安定した現実感に触れたかった。亮平にはその安定~安心感がある。
しかし、どこからともなく現れいつの間にか去ってゆく面影にも、その実体のない煌めく夢の方向にも絶えず引っ張られてゆく。
どちらも夢だが、どちらの夢を選ぶか、である。

最後に朝子は、とても力強く確信を持った目で、亮平の世界で共に生きることを決意する。
彼にもう信じては貰えなくとも、彼に甘えず自分を生きることに決めた。
亮平も、もう関わらないと言っても彼女の飼い猫をすっと飼っていたのだ、、、。
ふたりの仲はそのまま漸近的に元へと収束するのだろう。
元の夢へと。



朝子の寝ても覚めても居心地悪い夢の中にいる感覚はとても共感する。
わたしにとっても、この世界はなにひとつ確かなものも信用できることもない悪夢に等しい。

Asako I II005

主演のふたりは物語を延長しそのまま不確かな夢の中を踏み迷って行ったようだ。


山下リオに意外なところで逢った感じ。相変わらず素敵である。
主演のふたりは、この危うい幻想世界を見事に演じ構築していた。
この世界を表わすのにもっとも適した主演者と思われる。



めがみさま

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2017年

宮岡太郎 監督
大月もも 脚本
主題歌SHE'S「Ghost」
松本淳一 音楽

松井玲奈、、、佐倉 理華
新川優愛、、、ラブ
廣瀬智紀、、、川崎 拓海(ラブのマネージャー)
梅舟惟永、、、三坂 あゆみ(雑誌記者)
西沢仁太、、、鹿島(ラブのセミナー会員)
西丸優子、、、相田(ラブのセミナー会員)
片山萌美、、、高鷲 尚美(理華の同僚)
鈴木ちなみ、、、ショップ店員
筒井真理子、、、、佐倉 市絵(理華の母)
尾美としのり、、、尾沢欽一(三坂の上司)


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酷い毒母に育てられる(うちとおっつかっつだ(爆)。
娘の自立性(はおろか自律性を)も認めない母。
(この母の特徴がまず表されるシーンが隣から聞こえてきた赤ん坊の泣き声に酷く腹をたてるところ。本源的な欲求や瑞々しい生命力という他者性を認めない)。
仕事に就いてからもその支配下から娘は抜け出ることが出来ない。
完全にがんじがらめとなっており、無力で卑屈な曖昧な笑みを浮かべる弱者に貶められて生きる。
母子家庭のようだ。佐倉 理華という娘。

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そんな身体性を抱えもって生きているため、母にされたであろうような仕打ちを周りの人間からも絶えず反復される。
片山萌美女史が悪役やっているのは、ちょっと嫌だが(爆、こういう上から目線に常に痛めつけられることが常態化していた。
虐められても誰も助けてはくれないが、それ以前にちゃんと自己を主張し、周囲に対し被害を訴え救援を頼む姿勢が彼女には欠如している。
しかしこれは仕方ないことで、母のお陰で主張するだけの自己が形成されることがなかったのだ。そして健やかな人との関係性を育む機会が与えられずに来てしまったため、自分に起きたことを正当に周囲に伝える、生きるための基本スキル~コミュニケーションスキルがなかった。
やられたらそのまま。そのまま反論もせずクビとなる。
家に帰って母にしょんぼりその件を話すと、単に責められ、この出来損ないが、みたいな罵倒されるだけ。

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ストレスは勿論、大分以前から溜まりまくっており、もう極限状態に達したか。
夜中にムックリ起きてパソコンに向かうと、モニターに自分の別人格が現れた(投影された)。
これだけ自分を抑圧して、ほぼ亡き者として生きていれば、乖離したもうひとりの活きの良い人格が無意識下から忽然と飛び出て来てもおかしくはない。本人はこれまで内省的な人間ではなかった為、単に外に現れた人と受け取って対話することとなる。

彼女と公園で話をして感銘を受け~自分が本当はそうありたいという話をラブという幻想~インターフェイスを通して知り、彼女のセミナーに行く(実際はどういう形で整えられたのかは分からぬが、理華=ラブ主催のセミナーである)。
そこでラブの口から理華の本心を聴く形となり、大いに感激する。
自分自身に目覚めてゆく。

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橋の欄干から飛び降り自殺しようとしていた青年を思いとどまらせ、彼をセミナーに呼ぶ。
ラブの言葉に強い感銘を受けた青年は彼女のマネージャーとなり運転も受け持つ。
ラブと理華はルームシェアして暮らし相方として活動を進めてゆく。
マネージャーとなった青年に理華は密かに思いを寄せるが、彼はラブに恋をしている。
理華はラブに嫉妬心を抱く。ラブはある意味、理華の理想形でもあり見た目は大変美しい(新川優愛だし)。
しかし活き活きしてきた自分にも自尊心が芽生えてくる。
これまでまず抱かなかったであろう感情が湧き、かなりの回復を感じさせるところ。

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川崎を間にラブに対して、少し距離感を感じ始める理華であったが、それ以上にラブの言葉と実際の行為の隔たりに戸惑い始める。
最初、出逢った頃のことばには、説得力しか覚えなかったのであるが、、、。
「赤ちゃんみたいに泣き叫ばなければ、誰にも気づかない」。「ことばを呑み込んだ分、振り回されてきたのよ」。
「何を捨てても自分だけは捨てられない。裏切ってはいけないのは自分なの。自分のこころに耳を傾けなさい」。
「変わらなくていい。開放するの」。
理華はめでたく家出する。

そして、、、声を上げろ。状況を変えろ。我慢しない。
という掛け声から、ラブ自身も、セミナーの濃いラブ信奉者たちも、まるで子供の仕返しみたいな幼稚で粗暴な行動に出る。
いつも必ず、ラブと理華は一緒にいるが、誰もがラブしか見ておらず、理華に視線が向かないのは、ラブが投影された理華を観ているからだ。人々の中では理華そのものは見えていない。あくまでも理華であるラブに接している。

誰も理華がラブの代役でインタビュー、取材、セミナーで語っても、それに気づかない。
表向きは同一人物であり、内的にかなりの乖離が顕わとなり、双方がそれに気づいてきていた。
であっても、語る内容は同じところから湧き出ている。
その点では、破綻はない。
つまり代役は見事に熟している。

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しかし彼女に習い、セミナーの人々のやることと言えば、相手の人格を無視した暴力的な仕返しであり、一つ間違えれば人身事故や法にも触れる行為に及ぶに至る。
自身も苦しみ葛藤しながら取材に取り組む雑誌記者の三坂がたまたまラブを取材することになった。自分の立ち位置から彼女らを観て、明らかな幼さ自我~自己が成立しないところで単に粗暴な自己主張だけ繰り返しており、彼女は独りよがりで社会的に容認できないものとして告発しようとする。
(この幼い本源的欲求とも取れるものは、子供時代に抑圧され疎外された欲求であろう。ただ、この生々しい欲求がそのまま受け入れられることは赤ん坊でなければ不可能であり、社会化された要求へと昇華されなければならない)。

三坂の真っ当な見解もラブにマインドコントロールされた集団の前では無力であった。
揉み合いになって倒れた三坂を縛り上げて車に乗せ殺害して自分たちを守ろうとするラブについに理華は耐えきれず反旗を翻す。
理華は三坂の主張に共感する部分が大きくなってきたのだ(以前のインタビューの時に比べて)。
しかし三坂はテープを解き車から飛び出したところでトラックに轢かれ死んでしまう。
三坂にも自殺願望があり理華と同様に精神安定剤を常用していた為、取材中であったとは言え彼女の自殺、または妄想がもとの事故と言う形で処理される。

理華は実家に帰り母とはっきりと対峙する。決着をつけるところまでは行かぬが、初めて思い切り自分の本心をぶつける。
毒母が何を謂われたところで改心することはないが、これまで通り娘を思うように操れなくなることだけは認識したはず。

漸く理華は、乖離した自己と決別して、苦難をしっかり受け止められる自立した自己として生きてゆく決心をする。
ラブを取り込んで~子供時代の欲求を承認したうえで、自立した大人として他者と対等に生きる姿となったのだ。
セミナーで、もうラブはいません、と宣言する彼女。
理華は、一つの自我に統合された。

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梅舟惟永という存在感ある女優が光った。
勿論、松井玲奈と新川優愛の熱演は言うことないが。
それから梅舟惟永の上司、編集長?の尾美としのりがとても劇を引き締めていた。
更に友情出演の筒井真理子の毒母振りの凄さはホントに強烈であった。
他人事とは思えない臨場感と共感を得た(爆。
梅舟惟永という女優の他の作品も見てみたいものだ。

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エクストラの空間

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精神科医をしている弟の薦めで外に空間を一つ確保した。
ことばより場所である。

補助の~もう一つの自分だけの場所がこころの安定にどれだけ寄与するか。

同居の難しさ~自我の相互干渉を緩和する。
(特に依存、共依存関係に嵌らぬように、、、うちの場合は憑依もある)。
ストレスからの解放や緊急時の居場所のために。

あるだけで精神にちょっと余裕が出来るか。
別荘ではなく秘密基地みたいな感じでもある。

思い切った部屋の配置・模様替えも良いが空間の拡張・隔絶がもっと効果的だろう。
ともかく、鬱積するのは選択の余地のない限られた(顔を合わせてしまう)空間内での同居である。
空間の選択に余地があるとないでは雲泥の差というか天と地の差だ。

近いがそこそこ離れているところが良い。
余り近いと、ほぼ離れの感覚だ。
鍵が掛かればよいというものではない。
安全であることが肝心だ。
(こころが脅かされないこと)。

誰にも気兼ねせず、安心して自分になれる場所である。

学生時代離れに暮らしていた友人(先輩)たちを思い出す。
(結構汚いところもあったが)。
部屋の中を完璧に自分好みに形作れることの効用は大きい。
このコンフィギュレーションの操作がそのまま自我形成~アイデンティティの確立へと逆照射してくるはず。
やはり秘密基地だ。
娘に必要な場だ。


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近くにマンションを借りる

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同じ屋根の下というのが、煮詰まりの元となる。
親子といえども、、、いや親子だからこそ。
思春期~反抗期~自立という流れからも、少し子供と親の距離を空間的にも取りたい。
(精神的には調整しては来たが、あれこれ手を尽くして空回りしてもしょうもない)。
環境調整からまず行うことにした。

ここの所、物が壊れて修理に出す。取り換える。などのトラブルが続出している。
おまけにメインのノートパソコンにジュースを零した。これは30年以上のパソコン歴からして何とも不甲斐ない噺である。
自分がまさかやるなどと努々思ってもみなかったことだ(爆。
勿論、修理に出す。中のHDの多くのデータがまだバックアップ前であったのだ(実は寸前であった、、、)。
データのバックアップは、そのパソコンを通してするのが最善(セキュリティの関係でSATA~USB3変換ケーブルに繋ぎプロパティからadministratorを移行しても中身を見せない仕様のモノはあるみたいだ。もっとも、パソコンを盗みHDを取り出して繋げば直ぐにデータが見えてしまうのなら、データ盗みほど容易なものはないだろう)。
だが、どれほど修理にかかるかである。ドーターカードの取り換えは必至だろうが。
つい先ほども、ポータブルの外付けHDが自然に壊れた。カリカリ針の音が聞こえだして覚悟は密かにしてはいたが、、、わりと最近のWD製であったため、逝くのが思いの外早い。
貸していたマンションでも機器の大きな取り換え作業が必須となり随分と持っていかれた。
そういうことは、どうも重なる傾向がある。

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有難くない、シンクロニシティである。
同時性は、どちらかと言うと、良い方で取り沙汰されるケースが多い。
ひとも、ものも一気に煮詰まった感が強い。

今回、娘ひとりと親ひとりずつで取り敢えず分かれて静かに過ごしてみようという試みだ。
今日、2LDKのマンションを営業所の人と見て来たが、娘(出たい方の)は、結構な喜びようであった。
ということで、押さえることにした。
基本、独りで住みたいということだが、独りで住めるはずがないため、親が別の部屋で何か呑気にやっていようということに。
ひとりで色々な家事をやってみることは、とても意味あることだ。
こちらは、困って呼ばれるまでは、好きなことをしていればよい。
恐らくわたしがその部屋で絵を描いている構図となるはず。
それも丁度良いかも。ちょいと歩いた先に、アトリエが一室出来たと思えば良い。
そして娘もピアノの練習は、家に戻ってするしかない。
親娘で、ドタバタ行ったり来たりになると思われる。
ブログを書く暇があるかどうかだが、少なくとも映画を眺めている時間はないだろうな、と思われる。

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元々映画は好きではないので、大したことではない。
やることを少なくすること。
なるべくやらずに済ますこと、を心掛けたい。




夜に走る

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今日は病院に2つ行き、薬屋をまわって疲れ果て家でポカンとアイスを食べてほぼ終わり。
物凄く待ち時間が長い病院であった。
みんな只管俯いてスマホで何かしている。
ゲームがほとんどみたいであった。「あつもり」している人もいたようだ。「タヌポータル」で連携プレイができるそうだ。

薬局で処方された薬がないとがっくり来る。
取り寄せだと月曜になりますと謂われたら、遅い!としか応えられない。
金から月まで待てる訳ない。

他の薬局に当たることになったが、途中のスーパーでアイスとドクターペッパーを思わず買ってしまったため、家に一度帰ることに。
家で涼んで大量に溜まった録画を観ながらバニラアイスにドクターペッパーをどくどくかけて食べ始めるともうなかなか腰も上がらない(一応、クリーム・ソーダで食べているつもりだが)。
ほんとに太って来たものだ、、、なんとかせねば、、、。

録画の中では「プレパト」が一番面白かった。
そこの俳句コーナーが愉しい。
芸能人が詠んだ俳句を先生がどう直すかが一番の見どころか。
必ず、おうっと声が出てしまうくらい素敵な句に変えてしまうところが見事でいつも感心する。
変えることで読み手の思うところを更に鮮明に表すのだから素晴らしい。
(いくら綺麗な句になろうと思いがズレてしまっては意味がない)。

それから面白いのは「博士ちゃん」だ。サンドウィッチマンと芦田愛菜のやっている番組。
娘と同じくらいかもっと若い子が博士で出てくる。
それが皆、しっかりしている。
それ以上に自分の好きなこと、やりたいことを知っており、それを無心に極めんとしているところが凄い。
何のためではなく、やりたいから一生懸命やっている。ただそれだけのところが、気持ち良い。
当然それについては大変詳しい。ディテールに及び鮮やかである。

二番組見ながら、結構笑えた。
ここのところ、笑う場面がなかったため、気持ちが解れ、落ち着いた。
偶には、こんな時間ももたなければ。
最近、コズミックフロントは再放送ばかりで、坂道系番組は娘ともども飽きてきて自然に見なくなった。
いくちゃんが出る時だけ見る感じか。
”GirlFriend”が普通の(メジャーの)音楽番組に出たら是非見たいというところか、、、。

食後に飲まねばならぬ薬であるため、アイスをしこたま食べたポッコリお腹を抱えて、ちょっと遠い薬局に行った。
始めて来たところなので、メンドクサイ(お客様)情報を書き込み、ついでだからお薬手帳を新しくした。

帰ってきたら、もう特に何もする気がなくなっていた。


夜になって、ここのところ、とっても難しい娘~長女と一緒に走った。
公園と道路で一緒に走った。
帰りに近所の自動販売機でトマトのスッキリしたジュースを飲んだ。
爽やかな帰宅になった。

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今後の楽しみと言えば、、、航空宇宙自衛隊からの報告。





書道ガールズ!! わたしたちの甲子園

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2010

猪股隆一 監督
永田優子 脚本
岩代太郎 音楽
FUNKY MONKEY BABYS「大切」主題歌

成海璃子、、、早川里子(書道部部長)
山下リオ、、、岡崎美央(書道部部員)
桜庭ななみ、、、篠森香奈(書道部副部長)
高畑充希、、、好永清美(書道部部員)
小島藤子、、、山本小春(書道部部員)
森崎ウィン、、、市ノ瀬誠(書道部部員)
森岡龍、、、中野卓也(書道部部員)
坂口涼太郎、、、村上悟(書道部部員)
市川知宏、、、高田智也(里子の幼なじみ)
金子ノブアキ、、、池澤(書道部顧問の臨時教師)
愛媛県立三島高等学校書道部
埼玉県立川口高等学校書道部
埼玉県立松山女子高等学校書道部


ホントに書道パフォーマンスしていた。
「書道」はよく行く(今は全然行けないが)美術館でもやっているし、その一気呵成に描かれた龍雅で精妙な造形に魅了され暫く見惚れてしまうものだ。
ここで彼女らによって書かれた文字もなかなかのものだと思う。
大きな筆で体力も相当消耗するはず。わたしがやったら必ず腰に来る。
女優も大変な職だと思う。
ピアニストの役柄でホントに弾いてる人もいるし。

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この物語は実話を元にしたものだという。
愛媛県四国中央市は紙の街として知られ、製紙工場の煙突は街の何処からでも見えるシンボルにもなっていた。
そんな街だが、不況の影響で商店街は軒並みシャッターが降りて店じまいの張り紙が淋しく貼られてゆく状況。
最大の売りである上質の紙も安い紙に押されて売れない。
不活性な雰囲気が至るところに蔓延して閉塞感を漂わせていた。
この物語の愛媛県立四国中央高等学校の書道部も主力部員が母親の入院で進学を諦めアルバイトのために部にも出れなくなる。
書道部は、何とかかつての書道部のような活気を取り戻したいともがく。

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絵をパフォーマンスで描くことはもうすでに歴史がある。
このライブのパワーは確実に見るものに衝撃を与える
独り籠って自分に向き合い描き進めその結果を見せるものとは異なるエネルギーの迸りがある。
より感覚の研ぎ澄まされる場の高揚も生まれるのでは。
生成されてゆく過程を目の当たりに出来ることは、音楽を聴くような一回性の感動を齎す。
作者と観客の恍惚的な一体感も生まれるだろう。

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これは造形芸術のひとつの在り方だと思う。
特に書き直しの利かない書道は、このようなパフォーマンスに適している。
だらだら長引かないところも良い。
観ていても気持ちよいものだ。
それが個ではなく団体の対抗戦の形式で行われるのは、スポーツ的な要素も入りより見応えも増す。
フィギュアスケートや新体操の競技の観戦にも近い要素はある。

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この高校の発案で始まった書道パフォーマンス~「書道甲子園」がそのままずっと続いていることは、その価値が人々にしっかり受け容れられているためだろう。
この催しで、町興しがどれほど出来たかはさておいて、人の気持ちが活性化され創造的になることが出来ればきっと良い結果が齎されるものだ。
あの大きな丈夫で破れない高品質の地元の紙がふんだんに使われていたが、売り上げに繋がっていっただろうか、、、。
注目が全国的に広がることであろう。
まさに「再生」である。

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この大会を考え付き、益々盛大なものにしてきたこの書道部の功績は大きい。
ただ、わたしは岡崎美央が大学進学を断念して将来の書道の道も危うい状況のままで終わってしまったのが残念であった。
山下リオは薄幸な美少女という役回りが多いのだろうか、、、。


自分が真にやりたいことが、外的条件により断念せざるを得ない。
立ちはだかる現実。これは、何にしても辛いことだ。
最後の思い出に大会に出場したくらいで、諦めがつくとは思えない。








Rise Up ライズアップ

Rise Up005

Rise Up
2009

中島良 監督
入江信吾 脚本

林遣都、、、津屋崎航(わたる)
山下リオ、、、柳沢ルイ(盲目の少女)
太賀、、、梶裕哉(ひろや)わたるの親友
青木崇高、、、柳沢誠一郎(ルイの兄)


主役トリオがとても瑞々しい。
ほぼありえないような巡りあわせにとても強引な運びであるが、それでも役者が良いと魅せてしまう良い例。

わたしも「太陽って暖かいのね」と涙できる感性で日々を生きたい。

Rise Up003

パラグライダー、盲目の美少女、カメラ、、、。
この三つが揃えば、ドラマは出来るな。
ロケ地がまた良い。

特別な上昇気流“ライオン”に乗ればきっと自分は変われると信じる航。
最後はその航と一緒にパラグライダーで風に乗るルイ。
カメラが趣味であった彼女は、事故で盲目となった後、彼の影響でまた撮り始めた。
高みに上がり、太陽の暖かさを感じてシャッターを押す。

Rise Up001

間近に立つ航の顔を撮る際に、ルイの心象風景における彼の顔が写真に納まる~重なる瞬間のVFXが素敵であった。
これから彼女は盲目の写真家として歩んで行くのだろうと想える。
ひろやもいいやつだが、なかなかここまでの親友というのも、、、貴重である。
航とルイの出会い自体、その因果も含め確率的に在りそうもないものだし、、、あってもよいが。

非常に場のエネルギーが高まっている状態に思える。

何というか若い感性がキラキラしている、そんな映像であった。
ここのルイみたいな少女をツンデレというのか?
ルイ程可愛くないと単に途中で見捨てられそうだが(笑。

Rise Up002

ルイが趣味にしていたカメラは、事故で盲目になってしまった後で処分を頼んでいたモノだそうだ。
それがまだ家に保管されていたことを知り、彼女は逆上してその大切だったカメラを床に叩きつけて壊してしまう。
だが、あることで失意にある彼女を何とか元気にしたいということから、わたるはそのカメラを修理して彼女に手渡す。
わたるに見せた彼女の対応がまず普通のものであろう。嫌がらせなの?と怒り撥ねつける他は考えにくい。
そこから、どういった心の動きがあって、再び撮ってみたいと感じるようになったのか、そこの過程を繊細に描くことは、もうちょっとして欲しいところであった。この部分こそ、この映画の臍の部分だし。

Rise Up004

彼女は撮る対象も撮った写真も見ることは出来ない。
それでも写真を再度、始める決心をしたのは、、、。
確かにその決心をしてから、彼女の外界に対する態度・姿勢が変わった。
こころを強張らせ閉ざしていた他者に対し自分から進んで関り、親切にしてくれた老人に被写体になってくれることを頼むまでしている。
今の自分の身体性を受け容れ、そこを元に新たに積極的に環世界に対して関係を切り結ぼうとしたのだ。
決意後の姿勢はよく分かる。
そして、、、何といってもパラグライダーであろう。
感性が開かれ受容性が高まり、それで”ライオン”に航と一緒に乗れたらきっと感じられるものは、とても広大で美しく暖かいもののはず。
まさにアルタード・ステイツである。

こうした体験から以前の視覚とは異なる感覚が冴えわたってくるかと思われる。
その(拡張)感覚で捉えた写真というのも面白いものになるかも知れない。
そういったことに想いを馳せる機会ともなる映画であった。

Rise Up006

物語の中で流れる「月の光」は良いとして、エンディングの歌はやめてもらいたい。
邦画はどうもエンディングに全てをぶち壊すようなヴォーカルもののポップスをガンガン入れてくるものが多い。
止めて欲しい。


林遣都の演技のぶっきらぼうなところがとてもフィットした物語であった。
山下リオは何の役で出ても存在感があり素晴らしい。








オープン・ウォーター

Open Water002

Open Water
2003年
アメリカ

クリス・ケンティス監督・脚本


ブランチャード・ライアン
ダニエル・トラヴィス


実話であると。

海へとバカンス。二人の男女カップルで出かけるが、どちらも多忙な仕事の合間と言う感じ。
かなり沖のダイビングスポットで楽しくダイビング。
淡々と地味に進む。

タップリ水中の魚やウツボなどを愉しんで水面にポッカリ浮かんでみたら、自分たちの乗って来たボートが影も形もない。
文字通り、海の真ん中に男女のカップルが取り残される。
浮かんでいるだけで波に少しづつ流されてゆく。
とは言え、こんな状況で下手に泳ぎ体力を失ったら大変だ。
成す術もなく偶然通りかかるボートに手を振るが、向こうからは全く気付かれない。遠くて見えないのだ。

Open Water007

徐々に焦燥感が高まり、不安が増してくる。
そうこうするうちにクラゲに刺される。とても痛い。
上下に揺れているうちに酔って気持ちが悪くなる。
様々なパタンの波の動きが映されてゆく。
大海原という自然の真っただ中で、何と人は小さく無力なものか、、、
(これ程説得力のある映像は無い)。

暗くなってくる。
ふたりは何時しか眠ってしまう。
そのうち別々に流され離れてしまい、お互いにパニックになる。
幸い程なく二人は一緒になれた。
しかし安心できる要素は何もないのだ。
長時間水中にいたために足も釣る。
寒さも感じるようになってきた。

Open Water001

突然、大きなサメが威嚇するように寄ってくる。
もはや恐怖しかない。
陸に上がりリゾートを愉しむ人々の姿が明るく対照的に描かれる。
二人の孤絶感と寄る辺なさが際立つ。

Open Water003

暗くなってきて大海原にたった二人、、、。
発狂を誘う。
男が叫びまくる。
女の方は肝を据えた感じであるが、、、。
このじわじわ来るスポットの当て方は効果的だ。
サメが沢山寄ってくる。
恐ろしさが言い争いを誘うが、直ぐにお互いの愛情を確認し合う。
それでも、何に手を振っても無駄。

Open Water005

海の真ん中に取り残された二人にずっとフォーカスするこの手法は効果的だ。
すぐ下には大きなサメがうようよ。
そしてついに男の方がサメに噛まれる。
血を流しているとサメは放っておかない。
太陽が沈む。
もう海原は真っ暗。

Open Water004

誰も彼らに気づかない。
誰も彼らの不在に気付かない。そういうことはあるのだ。
ボートの人員確認などこんなものか、、、。こうした隙間は実は日常のあちこちに潜んでいる。
ちょっと浮上時間に遅れて上がったくらいで、、、。ちょとしたズレが原因で、、、
見捨てられることもある。


翌朝になって、残された荷物からボートの管理者が気づき、捜索が開始されるが、、、
男の方は噛まれた傷の悪化からか力尽き、女は静かに男を手放す。
もはや諦観を漂わせる女。
独りで漂流する女の間近にはサメの群れが取り巻いている。
すでに運命は決まっていた、、、
女が忽然と水面から消える。


後日、捉えられ解体されたサメの体内から二人が使っていた水中カメラがゴロっと出てくる。

海の怖さ。
充分に堪能した。



AmazonPrimeで、どうぞ。




緑園の天使

National Velvet001

National Velvet
1944年
アメリカ

クラレンス・ブラウン監督
セオドア・リーヴス、ヘレン・ドイッチュ脚本
イーニッド・バグノルド原作


エリザベス・テイラー、、、ヴェルヴェット・ブラウン(馬好きの少女)
ミッキー・ルーニー、、、マイ・テイラー(父を亡くした後、放浪の旅に出ている)
ドナルド・クリスプ、、、ハーバート・ブラウン(ヴェルヴェットの父、肉屋の主人)
アン・リヴィア、、、ハーバート・ブラウン夫人(海峡横断)
アンジェラ・ランズベリー、、、エドウィナ・ブラウン(ヴェルヴェットの姉)


エリザベス・テイラー当時12歳。うちの娘と同年齢ではないか、、、。
うちの娘もしっかりしてほしい。

1920年代イギリスの物語である。
馬が大好きな少女ヴェルヴェットはルーニーという流れ者と荒馬を調教して、障害物競争の練習を熟し、何と騎手としてグランド・ナショナルに出場して優勝を果たす。
女子と言うことがあとでばれるが、ゴールした後気を失い落馬したことで失格となったこともあり、お咎めなしとなる。
(優勝したのに失格となりその上、逮捕は厳しすぎる。イギリス人は英雄には寛大ということらしい)。
ニュースになり各方面から話題沸騰。
「優勝騎手は、何と少女だった!」
映画の主演もアメリカから舞い込んでくる。

景気の良い噺だ。
当初馬に反対であった父親も浮かれる。
気持ち良い。
こんな映画もたまには見ないと、、、

National Velvet004

馬のことばかり考えている少女。
夢中になるモノがあることは素晴らしい。
その夢が人生を切り開いてゆく。

唯一引っかかったところは、マイが配達する肉を粗末に扱ったところ。
路に肉を落として犬に喰いつかれた肉を拾って配達である。あんな肉食えない。

末っ子がいつも嘘の病気や怪我で家族の気を引こうとしているところなど脇を固める兄弟姉妹はよいアクセントになっていた。
母はかつて海峡を横断した名選手であったそうだが、奇しくも放浪の旅人マイの父がそのコーチであったという。
馬の絡みと言いもう偶然とか生易しいものではない。
母は受容性が高く達観したとても頼れる人である。
ヴェルヴェットの物怖じしない自分の思いに素直に突き進む性格はこの母譲りであろう。

National Velvet002

荒馬を持て余したオーナーが1シリングのくじで馬を手放す。
ヴェルヴェットがそれを当てる。
その名馬の原石が手に入ってからは毎日、マイがコーチとなり障害レースの練習に明け暮れる。
母がそれらに対して常に背後から支えている。
海岸沿いをヴェルヴェットが途轍もない能力を秘めた馬パイと駆け抜けてゆく。
このシーンは見事なロケーションで気持ち良い。
(あの歳で馬をこれ程乗りこなすというのも凄い。菅井さんより凄そう。飛び越えシーンも本人なら)。

National Velvet003

女子なのでレース時には、騎手を雇わなければならないが。
結局、頼んだ騎士がいけ好かないやつだったため、落馬事故でトラウマを抱えているマイが乗ろうと意を決するが、髪を惜しげもなくバッサリ切って男になりすましヴェルヴェットが乗ることになる。
マイの立派なところは、ヴェルヴェットの決意をいつもそれは正しいと尊重し後押しするところだ。
この信頼関係は大きい。ヴェルヴェット~パイ~マイの連携は無敵となった。
その効果で、ヴェルヴェットは自分の能力をどこまでも伸ばしてゆくことになる。
周囲の懐疑的な目も惹き付けていってしまう。


この点だけでわたしは、この映画に満足してしまう。
こうした関係性を築いて行きたいものだ。
そして何といっても最後の障害物レースのハプニング続出のハラハラドキドキのレースが面白かった。
確かにいくら強気の少女でも、こんなレースを制したら感動より驚きで卒倒してしまうだろう。

今度娘たちと一緒に観たい。












囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件

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CAPTIVE
フランス・フィリピン・ドイツ・イギリス
2012年

ブリランテ・メンドーサ監督・脚本


イザベル・ユペール、、、テレーズ・ブルゴワン(NPO団体職員、フランス人)
カティ・ムルヴィル、、、ソフィー・バーンスタイン
マルク・ザネッタ、、、ジョン・バーンスタイン
ルスティカ・カルピオ、、、ソルダット
マリア・イサベル・ロペス、、、マリア・ポリカルビオ
ティム・マバロ、、、ハメド
レイモンド・バガッツィング、、、アブ・サヤフ


まさに「捕虜」である。
フィリピン南部では身代金目的の誘拐は、実入りの良いビジネスとなっているという。
2001年5月に、フィリピン・パラワン島リゾートで21人の観光客が、イスラム武装勢力アブ・サヤフによって誘拐された事件の実録映画である。
演出を感じないドキュメンタリータッチの淡々と進む映画である。
激しい銃撃戦が突発的に起こるのに、何故かとても静謐な印象であった。

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フィリピン政府の救援部隊かと思うと、ゲリラも人質もお構いなく銃弾を浴びせかける。
人質がバタバタと撃ち殺されて倒れてゆく。これでは無差別射撃ではないか。
しかもゲリラが身を隠している病院に対して撃ちまくってくる。入院患者をどう考えているのだ。
民兵や武装集団もあちこちに潜んでおり、直ぐに銃撃戦となる。
恐らくアブ・サヤフに賞金がかかっているのだ。
しかしここでもゲリラ以上に人質が犠牲になる。

至る所に銃を携えた者が潜んでおり、銃が直ぐに発砲されるこんな場所があるのを実感する。
人質とは言え、最初に身代金が取れそうもないと分かった時点で殺される者も。
金蔓と判断されれば、ゲリラと共にジャングルの中を果てしなく移動し続ける羽目に。
この映画の人質たちは7か月以上をジャングルを連れまわされて過ごす。
都会人がジャングルで過ごす過酷さ、、、。
気力を保つことも難しい。

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ジャングルの中を逃げ惑うことの不安と恐怖に加え、、、
衛生状況は酷い。まともな食料もない。水にも不自由。
ヒルはいるし、病気もあり、怪我をしたら致命的だ。
薬草を噛み砕いたものを傷口にくっつけて処置する。
これでは銃弾で負傷したらもうおしまいだ。
足手まといになると判断されれば物陰に呼ばれて銃殺である。

兵士は、教育も受けていない子供がかなりの数を占める。
(そのまま大人になった兵士が彼らを指導している)。
銃の使い方だけ知っている。
ジャングルが教育の場だ。
考えてみれば凄い共同体だ。
このようなところで人質になったら、まず命がいくつあっても足りない。

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銃による暴力は絶対的だ。
これには、少なくとも民間人は言うなりになるしかない。
これに立ち向かえば、すぐさまハチの巣である。
そして人質になれば、全員射殺されるか、奴隷となるか、イスラム教に改宗して平和に暮らすか、税金を払って自分の宗教で暮らすかを選ばされることとなる。
射殺は初期において金にならぬと判断された場合であるにせよ、脅されて改宗したところでまともには暮らせまい。

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ムスリムのテロリストが世界貿易センターに突っ込んで多数の犠牲者を出したことをラジオで知り、ゲリラたちが歓喜に沸く場面もあった。
同志の功績である。
(ホントは違うが)。
ジャングルにあっても、情報のやり取りはかなりある。電話で身代金の相談も細かくしていた。

こんな場所に突然メディアが入ってきてレポーターが取材をして帰ってゆく。
人質のインタビューを撮って。これも何かの(政治的)取引の一環であろう。
この事態を政府や他の国が把握していない訳ではないのに、人質を助けることが出来ないという奇妙な事態が成立している。
単に停滞しているのか。

学校でゲリラたちが休憩をとる場面もあった。
子供たちが学ぶ場に、凄い人相の物々しい銃を掲げた男たちが入って来るのだ。
しかしそうした事態にも子供たちは和んでいる。特に緊張が走る訳ではない。これが普通なのか。

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テレーズ・ブルゴワンは最後に本格的な救援隊がやって来て保護されるが、まだ年端もいかぬ少年兵ハメドをしきりに気にしていた。
彼女もフランスに子供を3人残している。
7か月以上も共に暮らした、自分の子供と同年代の少年である。かなり重ね合わせて気にしている様子であった。
彼は幼い頃、自分が学校に行っている間に、両親が家で殺され、その後ゲリラ組織で育てられたという。
子供にとって、過酷な社会~環境である。

テレーズ・ブルゴワンはよく助かったものだ。


フィリピン人監督ブリランテ・メンドーサが、まずイザベル・ユペールをヒロインとしたうえで考えて作った映画であるという。
彼女がヒロインをしない訳にはゆかぬが、見事に演じ切っていた。









キューブ CUBE


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Cube
1997年
カナダ

ビンチェンゾ・ナタリ監督・脚本
アンドレ・ビジェリク 、グレーム・マンソン脚本
ヤスナ・ステファノビック美術


モーリス・ディーン・ウィント、、、クエンティン(黒人警察官)
ニッキー・グァダーニ、、、ハロウェイ(女性精神科医師)
ニコール・デ・ボアー、、、レブン(数学科の学生)
ウェイン・ロブソン、、、レン(刑務所の脱獄プロ)
デヴィッド・ヒューレット、、、ワース(設計技師)
アンドリュー・ミラー、、、カザン(自閉症、数に強い)
ジュリアン・リッチングス、、、オルダーソン(最初に骰子のように独楽切れとなる)

以上全員、キューブの中に閉じ込められていたことに気が付き、脱走を図る。


大変、インパクトがあった。
後の映画に相当な影響を与えていることが分かる。
この映画のシーンを真似たものをよく見る。


間違いなく傑作である。

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われわれ誰もが、気づいたら不可視の悪意のある法の支配のただなかに放り出されていた。
勿論、その法(システム)はその共同体~CUBEによって異なるにせよ、トラップ(罰)は多彩で大掛かりな仕組みになっていることは間違いない。
大概の者は、不安に慄く。

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誰もが何で自分がこんな目にあわされるのか、と本質的な疑問は抱くも、まずは目先の障害に対処するしかない。
余裕が与えられていないのだ。立ち止まっていれば餓死してしまうだろう。
世界~法は、それ自体の法則で罰を下し機械的に動いているだけ。

こんな時、知はその動く法則を捉えることに役立つ。
ここでは、それが初期においては、「素数」がポイントであった。しかし、それだけでは現実の解読には不十分であった。
今度はそれが「因数」であることに気づき、謎の数値の3つの塊が空間座標を示すことに思い当たる。

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これで世界の動きの法則と自分たちのいる相対的位置が判明し、トラップ(罰)の回避も可能となった。
だが、それでこの世界が鮮明になり過ごしやすくなるわけではない。
われわれは気づいた時から、その身体性において極めて過酷な状況~世界に囚われているのだ。
ここに慣れる訳にはいかない。
地獄からはっきり解かれなければ、外部を夢見ながら早晩そこで死ぬしかない。

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大きな問題は、人は狭い意味での知のある一定の領域において同調できても、価値の絡む感情的な面では、危機的状況に投げ入れられた者同士で相容れることは難しい。この幻想領域において、個々の肥大した幻想が生理的な面からも互いに強い拒絶反応を示すということだ。
主導権を握った者が自分にとり異質の存在の弾圧・排除に走る。
このシステムの中にあって、機械的トラップで死んだ者は、最初の2人だけである。
その後、死んだ4人は、自分たちの幻想(妄想)を膨らめ、その悪意を相手に投影したうえでの殺し合いによるものだ。
過酷な法によって充分に追い詰められた結果にせよ、殺戮は生の人間同士でなされる。
(それを確かめるための大掛かりな検証システムなのか)。

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これの目的も思想も背後の存在~権力も何も分からぬまま(何かのきっかけで)それぞれ無責任な分散された個々の仕事の集積により自動的に組み上げられた巨大な殺戮空間~キューブが構築され、任意に選ばれた人を入れて作動していた。監視はされているのかどうか、、、神の立場は存在するのか。
あっけらかんと。この宇宙の成り立ちみたいに。ただ成立して作動する空間なのかも知れない。

カザンみたいにあらゆる党派、イデオロギーから無縁で、しかしアスペルンガー的特異能力を持ち、世の中から特別な保護が得られる立ち位置というのは、生存にとって有利な気がした。


漫然と生きている場所をデフォルメ~異化して観易い形にすると、その邪悪な異形の姿があからさまになって来る。
それは、人間そのものの姿であった。




AmazonPrimeで、、、



吸血怪獣ヒルゴンの猛襲

ATTACK OF THE GIANT LEECHES002

ATTACK OF THE GIANT LEECHES
1959年
アメリカ

バーナード・L・コワルスキー監督
レオ・ゴードン脚本


ケン・クラーク,
イヴェット・ヴィッカーズ,
ヤン・シェパード

パッケージを観た時、昭和30年代の日本怪奇映画のような雰囲気を感じた。
アメリカ映画にも似たようなものがあるのか、と興味が湧き見てみた。
文字通り、怖いもの見たさ、、、以外の何ものでもない。


画面が暗くてよく分からない場面が多い。
これだけ暗ければ、ディテールも誤魔化せるが。
バックミュージックが長閑なディズニー調だったりする。
意味のない効果音が気になった。
(ヒルゴンが動いてるぞ、というものなのか)。

雰囲気で察するしかない部分が結構ある。
特に「ヒルゴン」のフィギュアだ。そもそもヒルゴンなんて勝手に名をつけてよいのか?これでわたしも和風映画を連想してしまった。
何だか形態がよく分からない。この映画より古いゴジラがあれほどの雄姿を誇っているに比べ。
よく部分的に見せるだけだったり、わざと霞ませたり、シルエットだけや一瞬だけ見せるようなパタンはあるが、ボコボコ現れているのにその実体が掴めない不定形な形なのだ。と言うと聞こえが良いが、上手く着ぐるみが作れなくて、覚束ない形で見切り発車したみたいな、、、。素材もどういうもので作ったのか(薄手の黒ビニールみたいな)、、、手抜き感が半端ではないものなのだ。

だが、噺自体詰まらないわけではない。ある田舎街の沼地で起きた怪物騒ぎを科学者の父とその娘婿の環境保護管が意見の対立しながら解決して行くものである。
しかし科学者の方は、ダイナマイトで爆発だ、を主張するばかりで、何とも言えない。
ついでに保安官であるが、沼地で死んだり行方不明になった者は皆ワニに襲われたことで片つけようとする。
この沼にはワニは全くいないそうだ。
ともかく正体不明の怪物に怯える者と真っ向から否定する者との間で不信感と不安が募る。

「ヒルゴンの猛襲」と謳っているが、沼に夜とか日暮れ時に入って来た者を引きづり込んで水中に出来た空洞域でチビチビ血を吸っているヒルゴンである。猛襲なんて言うほどガツガツしていない。

結局、威力のあるダイナマイトを沼底に仕掛け、それを環境保護管がレバーを押して、ヒルゴンを退治して終わる。
なかなかあっさりした潔い決着であった。義父と婿の和解も出来娘としてもハッピーか。博士は勿論、満足気であった。

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ちょっと引っかかるところ疑問点が幾つか、、、ダイナマイトの博士の最初の爆破で、ぽこぽこ3人水面に上がって来た男たちであるが、彼らはその直前までヒルゴンに血を吸われながらもまだ生きていたはず。検死官も行方不明になっていた数日前に死んだのではなく、まだ死んだばかりだという見解を示している。
彼らは博士の仕掛けたダイナマイトで死んだのでは、、、。

とても威力のある二度目のダイナマイトで怪物を吹き飛ばしたが、その前に保護管とお友達が2人水中に入ってヒルゴンとちょっとばかり闘ったりする。そこでかなりの傷を敵に負わせる。
水面に上がってきてから、相当深手を負わせたぞ、とか岸にいる関係者に叫び、更に息の根を止めに行く。
だが、保安官をはじめ、ヒルゴンの存在を知らない、或いは否定している者が多い中、まずヒルゴン~ヒルの突然変異体が実際にいたという報告をすべきだろう。それを巡って、もめもしたのだし。
その際に空洞域から水中に落ちた女性が水上に上がってくる。
彼女も寸前まで生きていたのだが浮かんできたところで、ボートに乗せはしたがその後ほったらかしだ。
真っ先に救急措置を取るべき対象ではないのか、、、。あれでは結果的に死んでしまったかも。

ヒルゴンが、アクティブでなさ過ぎる。仕掛けられて反撃すべきところで、全く何もしない。
ここは、これだけやられた分、猛然と襲い掛かるだろうという期待は全て潰れる。
ここが演出上も不思議なところで、迫力、スリルを削ぐところだ。
推測だが、あの妙なもたつく着ぐるみみたいなコスチュームでマメな動きがとても出来ない事情だったのでは。
水中でダイナミックな動きを出すことは、かなり難しいものだし工夫のいるところだろう。

ATTACK OF THE GIANT LEECHES003

博士はヒルゴンは夜行性なのだ、と言っていたが、昼にも出て来たし、夜に行方不明者捜索隊が一杯やって来ても出てこないわで、夜行性かどうかは結局不明であった。あれは単なる仮説ということでよしと。頭の固い娘婿にヒルゴンの存在を力説してきた功績は大きいものだし。しかしヒルゴン陸に立つともうヒルでも何でもない形であるが、、、。血の吸い方がまさにヒルと言うことなのか、、、

この娘婿だが、危険な正体不明の怪物が出没する沼をボートに乗って探索するときに、妻を相棒に引き連れてゆくものか、、、。
ヒルゴンが全力で襲い掛かってきたらどうするつもりなのか。この危機管理のなさは、全く義父の考えを無視しているにせよ、問題ではないか。


こんなことを挙げてゆくと幾らでも出てきてしまうが、酒場を経営する男とその若い妻と間男の三角関係を全体が短い尺の中にあれほど印象深く挿入するのはどうしたものか。ヒルゴンが若い妻と間男を襲って沼の中に消えたものを保安官が信用せず、浮気された為、怒って妻と男を撃ち殺したと逮捕され、夫は獄中自殺してしまう。この悲惨なエピソードがちょっと重くてヒルゴン噺が褪せてしまうのだが、、、。
周りが化け物をなかなか信用しない、と言うレベルのエピソードならもう少し軽めでよかったのでは。
三角関係のもつれをあの熱量で演じられると何の映画だったか分からなくなる。

それから役者がかなり大根揃いの気がしたが、、、。


色々出てきてしまったものだが、結構面白かった作品ではある。
一回、見る分には良いのでは、、、。


ナイアガラ

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Niagara
1953年

アメリカ

ヘンリー・ハサウェイ監督
チャールズ・ブラケット、ウォルター・ライシュ、リチャード・L・ブリーン脚本

マリリン・モンロー、、、ローズ・ルーミス
ジョセフ・コットン、、、ジョージ・ルーミス(ローズの夫)
ジーン・ピータース、、、ポリー・カトラー(新婚旅行中の女性)
ケイシー・アダムス、、、レイ・カトラー(ポリーの夫)
デニス・オディア、、、スターキー警部
リチャード・アラン、、、パトリック(ローズの愛人)
ドン・ウィルソン、、、ケターリング(レイの会社の社長)


ロケーションは、何といってもナイアガラの瀑布である。立派な虹がかかっていて観光客は皆、水浸しである。
庭に娘と水撒きしていても、虹はかかるが、こちらのスケールは違う(笑。
ただ撮影技術の限界か、少しこじんまりとした視野・視界に感じた。

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ここではモンローはセクシー路線。しかも悪女。非常に悪そうな目つきである。モンローウォークもご披露。
周りの視線を一身に集め、ムーディーな歌まで披露している。(今後の路線も敷かれてしまった感があり後で苦悩する)。
そこへ夫がレコード盤をムキになって外し、盤を素手で割って手をケガする。
これでどういう夫婦か察しがつく。
事業に失敗し運のない夫が必死でローズに縋りつくが、さらっと交わされ痛い目ばかり見ている日々の象徴か。

妻が手引きして夫を愛人に葬らせようというパタンはよくある。何度も見た覚えがある。
それの最初の映画だろうか。
たまたま出逢った新婚夫婦に夫の落ちぶれようと精神衰弱振りを印象付けようと何かと接触してくる。
奥さんのポリーは、その正義感や真面目さから何かと関わってしまう。

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鐘の音が殺人成功の知らせというのも、、、なかなか粋なものか。
(殺す前に離婚ではダメなのか、、、素朴すぎる疑問だが)。
その合図で、一緒に高跳びだ。
しかしあの鐘は、たまたま鳴った(鳴る時間だった)のだろう。
それを勘違いしてニコニコ歩いてゆくモンローいやローズ。
夫が行方不明なんですと警察に駆け込み、死体安置所に行って見てびっくり。

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考えてみれば(考えないでもそうだが)このルーミス夫婦厄介者である。
頼られる、というより利用される新婚のカトラー夫婦は飛んだとばっちりだ。
たまたま出逢った新婚のカップルが何でこんなに親切にこじれた夫婦の世話を焼く必要があるのか。
しかも新婚さんは自分たちの予約した部屋をルーミスに譲っている。

案の定、旦那のレイは、ルーミス夫婦に対してブチギレたが。
もう巻き込まれないぞ。と言うが最後の最後逢で巻き込まれる羽目に。

遺体はローズの愛人のパトリックの方であった。
旦那は愛人を返り討ちにし、事の次第を悟り、不気味な雰囲気で戻ってくる。
その真相をロッジの入れ替えによって偶然知ってしまったポリーという構図。結構上手いと思った。
ポリーはその為、最後まで付き合う羽目になる。
このパタンも後の映画で見たことがある(愛人は返り討ちにあうものだ)。

遺体を観て卒倒して病院に入院したローズは暫く鐘楼の音に魘される。
もう生きた心地ではないローズは、病院を抜け出して逃げようとするが、殺されかけた夫から追われる身。
一気に緊張感が高まる。
しかしローズの逃走劇は、警察にも気づかれた為に検問が至る所に出来、夫の待ち伏せで逃げきれずあっけなく終わる。

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建物の暗がりで、ローズの落とした口紅がライトのように光っているところなど、、、無常さ、悲痛さが際立つ。
ディテールの演出が細やか、、、。
愛していたのに裏切られローズを手に掛けてしまったルーミスの絶望に同調できる。
モンロー、いやこのローズの魅力に取り込まれ身を滅ぼした男である。
俳優がまた上手い。

ストーリーも面白い上に、かなりのサスペンスで、よく出来ている。
最後のルーミスが奪ったボートに丁度ポリーが乗り合わせており、途中でボートの燃料が尽き漂流をはじめてじわじわと滝壺へと吸い寄せられてゆくところは圧巻であった。
流れに乗るのを遅れさせるためルーミスはボートを浸水させてゆく。
これは、岸からパトカーの中でその様子を見ていたレイが舟を沈めろと声を絞り出したのに呼応したかのよう。
結局、ポリーをルーミスが滝の縁にある岩場に辛うじて乗せ、自分は急速に滝壺に向かい、真っ逆さまに落ちてゆく。
この様子にポリーは目を覆う。
彼女はヘリに助け上げられる。

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この大きな自然の流れの中では、何事もなかったに等しい、人の些細な出来事であった、、、。
人の音が全て轟音に掻き消されていることも無常感を高めていた。

モンローの魅力はこういったファム・ファタールものより他の映画にこそ、たっぷり見られる。
(別にこれが悪いとは言わないが)。





美の祭典

FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II001

FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II
1938年
ドイツ

レニ・リーフェンシュタール監督
ヘルベルト・ヴィント音楽


外で体操競技をやっている。何とも言えない開放的な競技場である。
体操競技の技術は飛躍的に難易度は増したことが分かる。
しかし、この体操が古臭く稚拙かと言うとそうは思えない。
運動競技の本質(原質)を思い起こさせるような厳粛さを感じさせ魅入ってしまう。
チョコマカと小難しいことを目にもとまらぬ速さでやってみせるアクロバティックな動きより重厚さで唸らせる。
他に、ヨットレースにせよ乗馬、ポロ競技、フェンシング、射撃にしろ、的を得た接写とスローモーションの演出効果は大きい。
音楽も程よく乗る。過剰さはないが適度に盛り上げてゆく。
選手の表情のアップも見事に捉えられている。
突然挿入された唖然とするほどの数の女子による集団体操。
この後に始まる10種競技辺りから、陶然として競技に酔いしれてしまう。
構成・展開も綿密に計算されている。音楽もぴたりと合わせてくる。

FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II004

麻薬のような流れに乗ってしまう。
起伏や緩急のあるリズム、、、。
ここでも男子高跳びが凄い正面飛びなのだ。
ちょっと今見ると、こそばゆい。
(「民族の祭典」の時から、この競技がクセになっている。わたしにとって、とても美味しい競技なのだ)。

競技時間が長引き日が傾いてくる。そんな光量の足りないところが幻想と陶酔を呼び込む。
ホッケー、クリケット、サッカーと陸上競技に絞った「民族の祭典」と異なり、様々な競技がこのパートⅡ「美の祭典」に集まっている。
スローモーションが効果的に使われていた分、自転車競技のスピード感が際立つ。
メリハリが効いている。
そして馬術の映像の美しさ、ダイナミックさ、、、キャプテン(騎士)がよく転げ落ち、見応えがあった。
噺に聞く、キャプテン・バロン西の雄姿も拝めた。古い記録フィルムの価値である。
ボートレースでのあのアップは、競技中の撮影はまず無理であり別個の特別撮影に違いない。
アナウンスもかなりアフレコだと思う。
しかしそれが臨場感と緊迫感~プレザンスを生んでいる。
更に飛び込み競技はもう芸術である。この思い切った自在な構図。幻想的だ。何かのプロモーションビデオ(今ならCM)のようにも見えてしまう。
こんなオリンピック映像をこれまで見たことがない。

FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II003

水泳では、日本がかなり気を吐いている。
男子日本人選手の競泳の姿がかなり捉えられている。
飛込競技でも日本女子選手の爽やかな笑みが印象的だった。
この頃は、水泳と跳躍競技で日本勢が活躍していたことが分かる。

FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II002

これはまさに、よく出来た映画である。

ナチスのプロパガンダ色は微塵も感じられない映像であった。
しかし淀川 長治氏の言うように、この見事な映像で日本人はドイツ贔屓になった、という説もあながち突飛なものでもなく、全て観終わると説得力を感じてくる。

この映画の批判でよく寄せられる、完璧な肉体の賛美がナチズムに呼応するといった類のものがあるが、各国から集まったこれだけの選りすぐりのアスリートを躍動感溢れる映像で表せば、結果的にそう見たければ、そのように見えてもおかしくはない。



上海特急

Shanghai Express005

Shanghai Express
1932年
アメリカ

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督
ジュールス・ファースマン脚本
ハリー・ハーヴェイ原作

マレーネ・ディートリヒ、、、上海リリー
クライヴ・ブルック、、、ドナルド・ハーヴェイ(イギリス軍一等軍曹)
アンナ・メイ・ウォン、、、フイ・フェイ(謎の中国人女性)
ワーナー・オーランド、、、ヘンリー・チャン(革命組織リーダー)


窓の外では蝉がまだ強烈に鳴いている。秋の実感はない。

最近、観ている古典の名作をAmazonPrimeで当たってみることにした。マレーネ・ディートリヒの話題を先だって(「レニ」の感想で)出したこともあり、これを観てみた。
モロッコ」のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督とマレーネ・ディートリヒがこの映画でも組んでいる。「モロッコ」と、この映画の間にもう一つ「間諜X27」が入る。ドイツで撮られた最初の「嘆きの天使」を入れれば、これが二人で組んで撮る4作目ということになる。

Shanghai Express002

充分息の合った撮影現場であったのでは、と想像してしまう。
外国人が沢山乗り合わせる列車の中でほとんどのやりとりが観られる。途中でヘンリー・チャンの停止させた駅で少し、最後は上海駅であるが。
マレーネ・ディートリヒの素顔を見るようなとても打ち解けた安らいで活き活きとした表情もかなりあり、様々なディートリヒに逢える作品となっている。光の当て方も頷けた。着替えも多くファッションも愉しめる。ファンにはたまらない映画であろう。
ただ、脚本の次元の話だが、革命組織が逮捕された同志を奪い返すために上海特急を止めて乗客を詰問し人質を選別しようとする、その辺の展開のキレが今一つで、どうもメリハリが無くもさもさと何となく流れて行き、思いの他あっさりとドナルド・ハーヴェイが助かり、最後は上海リリーと結ばれハッピーエンドという緊張感の感じられない映画であった。
アガサ・クリスティのような面白味はない。ストーリーの複雑さや意外な展開、驚きを期待したら、ほぼ何もない。
サスペンスではないことは、直ぐに分かるが、何と言うか異国情緒漂うラブロマンスものと謂えばしっくりくるか、、、。

Shanghai Express003

異国と言っても、中国、インドやフランスさえも何やら蔑んだような描き方は成されている。アジアをそのように描くのは、この時期のハリウッド(アメリカ一般)に観られる傾向だと思われるが。
アンナ・メイ・ウォンという中国の魅力的な女優の発見はわたしにとって大きかった。
ディートリヒとは被らない独自のビビットな魅力を放っている。
ストーリーのなかでも重要な役割を熟していた。
上海リリーもフイ・フェイも物語を動かす働きをしておいて、それについて何も言わない潔さ、男らしさが粋であった。
男が今一つである。

Shanghai Express004

彼女らに比べると、ドナルド・ハーヴェイ役の俳優は、何か鈍重な感じでシャープさが無く、上海リリーがあんなにも惚れる男には到底思えなかった。ここは、ミスキャストっぽいところだ。この部分では、余りわたしは入り込めないところ。


マレーネ・ディートリヒのいつもの(という程見てはいないが)気怠さや妖艶さ、退廃的な魅力よりも若々しい美しさが目立つ映画であった。
ディートリヒのファンであれば、必見であろう。

Shanghai Express001





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