プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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シェルター 狂気の秘密

Harms Way002

Harm's Way
2008年
カナダ

メラニー・オア監督

キャスリーン・クインラン、、、ビー(DVシェルターの主人)
イングリッド・カヴェラルス、、、ダーリーン(夫のDvから逃れた母)
ハンナ・ロックナー、、、ビクトリア(ダーリーンの娘)


AmazonPrimeでないと、観れそうもない作品。Primeがなければ、まず出逢うことはない。
こじんまりとした大変まともなサイコ映画。
基本全てが謎のまま終わって行くが、現実も何もかも不透明であり、誰にも分る透明な関係性など存在しない。
何もかもが明瞭に説明出来たら、それこそフィクションだ。

夫のDVから逃れて母娘で遠く離れた農場~DVシェルターにやって来る。
そこを独りで管理しているビーという婦人は、彼女らの名前も素性も聞かないでただ受け容れてくれる。
煙草、酒、薬などの依存性のあるものをやらない。
敷地の外に出ない(逃げて来たのだからわざわざ見つかる真似はしないはずだが)。
農業の手伝いをする。納屋には近づかない。
この条件を守れば、食費、宿泊料タダで居たいだけ居てよし、ということである。
いる間は、しっかり外部から守ってくれるという。これは助かるではないか。
普通なら、暫く身を隠しながらもここを足掛かりにして、親子二人で自立に向けた生活を図るのだろうが、、、。

滅茶苦茶になった家庭生活も、この長閑な農村の隠れ家で母娘で農業などを手伝うことを通し関係の修復にも当てられよう。
酒、煙草も断ち、健康的な充実した時間が過ごせるはずだが。

どうもこのダーリーンという母親キリっとしない、と言うかだらしない。
元々規範に対する感覚も薄く(自制心も無く)、ビーに謂われた条件も迷うことなく破っている。DVも呼び込みやすい性格などだと分かる。とりあえずは、ビーに言われた仕事は手伝うが、常に気は散っており、持ち込んだ習慣は止められないし自制もしない。
娘のビクトリアもこの母には信頼がおけなくなっていることは、車でこの駆け込み寺に来る冒頭から分かる。
見限ってはいないが、つくづく頼りないとは感じているようだ。その分、大人の女性のビーに惹かれる。

Harms Way001

ビーという存在は謎に包まれたままである。
何故、優しく避難を求めて来た女性を匿うというボランティアの仕事をしながら、納屋にはここにこれまでに逃げて来たはずの女性のトランクが山積みにされており、つい先ごろ来た女性が血まみれで息も絶え絶えの状態で鎖で繋がれているのか。
動機も趣向もよく分からない。大きな闇を抱え持ちながらも「家族」を持ちたがっているようにも窺えた。
しかしこれまでは、全て失敗し~約束を守れなかったのか~、その結果かなりの殺害を行ってきたらしい。

ダーリーンは煙草を吹かし酒を呑みつつ、禁止された納屋に近づくと謂うよりさっさと鎖を解いて中を物色している時に、それを知って驚愕する。ここはやばい所だわ、と気づく。あの女はサイコだと。
そして娘と逃げようとするが、警察に見つかっては困るのだ。実は夫からではなく、2人は警察から逃げているのだ。
警察はこの周辺を失踪女性の情報を求めパトロールしている。
このシェルターにも訪ねて来ており、ビーもその仕事柄マークしていた。

Harms Way003

ビートとビクトリアは、基本的に噺も合う。
お互いにビーのアトリエで絵を描き合って、会話を楽しんでいる。
ビーは賢いビクトリアを気に入っている。
事が無ければ、結構上手くいっていたかも知れない。

だが、母親のダーリーンが悉く約束を破っていたことを知り彼女は激しく憤る。
納屋の秘密がバレてはもう後はない。
しかしこれを知らなければ、(防衛上)ビクトリアでもどうなっていたか分からない。

ビクトリアは、常に包丁を身の回りに隠す習慣が身についている。
これは、途切れることの無い激しいDV環境にあって幼いながら自らの命を守る為に身に付けた習慣であろう。
終盤の急展開で事態が加速する。

母娘のここに来る切っ掛けは、母に暴力を振るう父を包丁で娘が刺し殺してしまい逃亡場所として紹介されたのだった。
そしてここでもビーを裏切って捕まり前の女性のように斧で処分されそうになった母を前にして、ビクトリアはビーを背後から刺して救う。ビーは死ぬとき、あなたはオオカミだったのね、と呟く。
ビクトリアは、また母がこうした事態を招いた~反復させたことに憤る。
だが母は、こうなったのもあなたのせいよ、と自分が元々蒔いた種を娘の責任のように詰る。

ビクトリアは、この限りない反復構造から抜けるために、縛られたままの母を放置して一人で納屋を出て敷地から外に歩いて行く。
ビーとの会話で、赤ずきんが自らオオカミを倒して進まなくてはならないと諭された通りビクトリアは実行したと謂えるか。
オオカミではなく逞しい赤ずきんである。
全てから解放されたこの娘なら一人で逞しくやって行けると思う。


清々しい小品であった。


アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち

Stonehearst Asylum001

Stonehearst Asylum
2014年
アメリカ

ブラッド・アンダーソン監督
ジョー・ガンジェミ脚本
エドガー・アラン・ポー「タール博士とフェザー教授の療法」原作
ジョン・デブニー音楽

ケイト・ベッキンセイル 、、、イライザ・グレイヴス(患者)
ジム・スタージェス 、、、エドワード・ニューゲート(精神科医)
マイケル・ケイン 、、、ベンジャミン・ソルト医師
ベン・キングスレー 、、、サイラス・ラム医師(院長)
デヴィッド・シューリス 、、、ミッキー・フィン(武装警備員)
ブレンダン・グリーソン 、、、精神鑑定医
シニード・キューザック 、、、ミセス・パイク
ソフィー・ケネディ・クラーク 、、、ミリー
クリストファー・フルフォード 、、、パクストン
ジェイソン・フレミング 、、、スワンウィック


狂人とは他者が特定の誰かを指して呼ぶ言葉だ。
多くは相対的に決まる。絶対的な狂人とは、果たしてどういう者を指すか。
誰が誰にとって狂人であるか、、、。
どの共同体~パラダイムがその個人を狂人としてカテゴライズするか。
時代、場所、共同体が異なれば、全く異なる人として価値づけられもする。
人は関係性のなかにその都度、現出する。
その関係性は重層的であり、或る関係の網毎にその人の価値は大きく異なりもする。
単一の共同体のみに属しているという人は少ないはず。一人が幾重もの関係性の内にいるのが通常だ。
相対的に決まるとは言ってみたが、個人レベルで考えれば、狂人などという強力な価値対象は絶対的な重みをもつ。
本当の狂人に他ならない。悪そのものである。

わたしも狂人と特定するモノは、はっきり存在する。
向うは大概、自分を狂人とは思っていない。そういうものだ。
自分に被害を及ぼす存在でなければ、どうでもよいが、そうでないモノについては狂人と謂わずとも何らかの名を与えて特定しておく必要がある。自分にとって理性的に整理が合理的につき健康的であるからだ。その上、相手にとり呪術的効果もある(笑。

まずは、おおかた、、、
この世のルールは全て心得ているような顔をした他罰主義者があちこちに妖怪のように跋扈しているだけで、その世界観の何と貧しいこと。貧しいだけならともかく、明らかに甚だしく狂ってもいる。単なる馬鹿であることも凄まじく多いが。
この映画でも結局、狂人って何だ~誰だ~である。
特に精神医学の世界は、歴史的に見ても相当酷いものであった。
明らかに甚だしく間違ったことをして来た。

Stonehearst Asylum002

そこでの立場~患者と医者つまり奴隷と支配者の逆転がとても面白い結果を生んでいた。
これまでのパラダイムで見れば狂った連中が暴動を起こして医者やスタッフたちを退け、病院に出鱈目な統治をしいたということであるが、それによってこれまで不治の異常者と見做されていた者たちが、自らの人間性を回復し尊厳を見出して来ているのだ。
どちらが間違っていたのかは、相対的なものではなく絶対的なものだ。

イライザはヒステリー患者とされ、多くの講義を受けに来た関係者の前で、治療法という名の下、人の尊厳を踏み躙る行為をモルモットのように受けて来た。
その上病院では日常的に、患者たちに鎮静剤投与や拷問めいた苦痛を機械で与える人体実験を繰り返し精神崩壊へと向かわせるばかりであった。
患者のなかの元軍医であるサイラスらが医療チームと入れ替わったことで、重篤な患者を強い薬や一切の責め苦から解き、自然な人間関係のなかにおいて治療を進めることで、彼らがゆっくりと自分を見出してゆく過程がみられるようになった。口のきけない少女が人の世話をする看護婦の役目を果たすようになっている(ロールプレイ効果も効いている)。
ニューゲートはオクスフォードで精神医学を学び現場での研修をこの病院に受けに来た。

Stonehearst Asylum003

患者の治療の先進性には共感するが、院長の取り巻きには感心できない。
ピアノを弾きこなし作曲にも秀でている美しいイライザがここにいる事にも疑問を持つ。
更に地下の独房に、何とこの病院の院長その他の医者や看護婦、スタッフたちが閉じ込められていたことを知り、ニューゲートは驚愕する。囚われの元院長からそれまでの経緯を聞く。何人もの医療関係者が毒殺などにあっていることを知る。街に助けを呼びに行くか、鍵を探して彼らを解放するか。
しかし守りも固い。脱走者は殺される。そうした恐怖と暴力の関係性のもとにあったのだ。

そして、サイラスも凶器とも謂える電気ショックの機械を開発し、元院長の脳を破壊してしまう。
両者ともにほぼ同レベルの闘いとなってくる。
イライザは酷いトラウマを持っている為、彼女を解放したサイラスへの依存と信頼は消え難い。
しかしニューゲートはイライザは勿論、囚われの者たちをここから何とか解放しようとする。

Stonehearst Asylum004

そこで院長室からサイラスのトラウマに関する資料を見つける。
まさに戦争で受けた残酷なトラウマであった。
それを彼に突き付けることで、彼は深く抑圧していた罪の意識に苛まれ戻らなくなってしまう。本当の患者となる。
そしてイライザに関しては、自分は以前の講義の受講者の一人であったが、その時は無力で何も出来なかった為、こうして医者として改めて君を個人的に助けに来たことを告げる。
一緒に良い環境に住み移ろうと。
そのまま2人は、気候も穏やかな長閑なリゾート地のような場所で暮らすことに。
(まあ、何と良いムードではないか)。

その後、例の病院にイライザを引き取りに来た夫とその付き添いの医者ニューゲートが、もう2か月前にイライザがニューゲートという医者に引取られて退院したことを告げられる。
実は、ニューゲートと名乗り乗り込んで来た若い精神医は、そのニューゲートの患者であり、例の講演会にもう一人の患者として彼女を知った男であったのだ。主治医であるニューゲートに成りすまし、彼の身分証や服や眼鏡などを盗みイライザに接近を図ったのだと、、、どんでん返しにも程がある。
彼は嘘が上手く狡猾でもっとも油断ならぬ患者であったとそのニューゲートは語る。
だが、彼はその時、悲嘆に暮れて助けを叫んでいたイライザにある種の直観を覚えたに違いない。
この人とならこの泥沼の世界から抜けだせると。彼の自由な発想と解放への不屈の意志が決断させたのだ。
(一体彼はどういった種類の狂人とレッテルが貼られていたのか)。
ここを出さえすれば、2人して自立した幸せな世界がきっと掴めると。
こうした個人レベルのレジスタンスは何処においてもなされるべきである。

この2人の方がずっとまともな人間であった、ことは間違いない。











ディケイド 腐敗する者たち

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Decay
2015年
アメリカ

ジョセフ・ワートナーチェイニー監督・脚本・編集
マイケル・シェイブ音楽

ロブ・ザブレッキー、、、ジョナサン
リサ・ハワード
エリシャ・ヤッフェ


AmazonPrimeで観た。

遊園地の清掃人のジョナサン。
ジョナサンの趣味で収集している鍵を拾ってくれる友人。
一緒に昼の弁当を食べながら彼女の話をしたりする。
ジョナサンの世話をやいてくれる婦人。
この人は彼の成人後見人なのだろうか。
登場人物は、基本その3人くらい。
警官が時々、訪ねて来るが。

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頻繁に挿入される子供時代の記憶~フラッシュバック。
毒母の生々しいイメージである。どうやら彼が少年の時、母親は極端な潔癖症の強迫観念から、焼身自殺をしたようだ。
(幼少~少年期における毒母の影響は消そうにも消せるものではない。それによって腐敗した精神は正しい治療を施さないと益々進行するばかりである)。

体罰と言葉による日常的虐待により母に対し隷属的に育てられる。
極端に潔癖症の独善的で排他的な母の性格上、自宅軟禁状態で過ごし、外~他者との接触はほとんどもたない。
他者とは病原菌の塊である。鍵をかけないドアは不吉だ。施錠を何度も確かめさせる。
この世界観を幼少時から暴力的に植え付けられて来たため、中年(初老)?を迎えてもその枠の外には出れない。
出れないのではなく、そもそも今の状態がおかしいという認識すらなく毎日のルーチンを繰り返している。
亡き母に対する反抗心や憎しみ、怒りなどは微塵も感じられない。
そんな主人公のジョナサンである。彼は車には乗らず、三輪車を漕いで移動する。

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毎日、イマヌエル・カントばりの規則正しい生活を送っていた彼であったが、2人の不良娘が彼の家に盗みに入ったことで、かなり様相が変わる。
丁度家の中を物色している最中に彼が帰宅してきて、驚いた不良は、一人は脚立を踏み外し頭を打って死に、もう一人は道路に飛び出したところを車に轢かれて死ぬ。飛んだアホである。それはどうでもよいとして、彼は死体を見てどうするか迷う。
そういう客には初めて会ったのだ。
取り敢えず、バスタブにそれを入れ、氷を一杯充たして腐敗を遅らせようとした。
その死体の世話が彼の厳格なルーチンのなかに加わる。
毎日同じ8時8分の目覚ましで起き、冷蔵庫の冷凍食品を解凍して食べ、遊園地の清掃の仕事に行き、定時に帰り、薬を包丁で潰して飲む。地下室での胡蝶蘭の手入れ、トレーニングも欠かさない、、、。これを映画でもこれでもかというくらい反復する。強迫性障害を強調する為か~最後に薬を潰さずに飲むところで如何に追い詰められたかを示す。

元々外のものに興味が無い訳ではない。ボーイスカウトにも憧れがあった。
犬を飼いたいと言ったら母にひどく叱られ折檻を受け飼えなかったに過ぎず、生きているものには不浄さから手は出せなかったが、勝手に入って来てすでに死んだものである。興味は沸く。剥製があんなに沢山家の中を飾っているのだ。
彼の趣味である鍵収集も、その鍵で開けた他人の家の様子を想像する為のアイテムである。
しかし生きているものは、母の教えでは全て不浄なのである。
彼は想像を絶えず働かせる。今回、丁度そうするのに良い相手が転がり込んだのだ。
「出逢い」があったのだ。心ときめく。

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さてここから長い時間にわたって、わたしは画面を正視出来ない。
一番苦手な映像が延々と続く。
この若い女(女子高か女子大生だろう)の腐敗が進んでゆく。腐敗臭も凄かろう。
ウジが湧き、口からゴキブリが這い出て来たり、もう目も当てられない惨状なのだが、どう思っているのかわれらが主人公は丁寧に体を拭いたり氷を足したり防腐処理を出来る範囲でしながら、わざわざ夕食には食卓に招き、一緒にディナーをしたりするのだ。キャンドルも灯し。
死体の片づけや食卓の汚れの後始末などかなり大変な仕事が増えてしまった。
それでも世話やきに来る婦人にも仕事の同僚にも彼女が出来たと打ち明ける。
ラジカセにテープに吹き込んだ遊園地に流れそうな曲を流し、鼻歌も唄う。
このルーチンワークの反復。
だがそれにも限界が来る。
腐敗の限界である。彼女も彼も腐敗した。ディケイド、、、邦題は正しい。

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2人とも喜んではくれるが、同僚は明らかに彼のイマジナリーフレンドであることが分かる。
世話やき婦人の方も入って来方からして非現実的であるが、警察の聞き込みやマークに対して婦人の掛け合いが効いたような感じもするのだが、、、薬を持って来てくれるし彼を病気だと認識している。とは言え彼女もその実在は怪しい。実際に彼女が警官と話している映像は無かったと思う。
それより何度も家に入って来て、一度も腐敗臭に気づかない。

ともかく、彼にとって現実と想像は境界があやふやなのだ。どちらも等価の彼の世界と言ってしまえばそれまでか。
ただし、彼の状況と境遇からしても成人後見人がいないのは現実的ではない。彼一人で社会生活(という外部性)を熟せるものではない。想定外の出来事に対応が出来るか、、、今回のように。
遊園地は廃園であり、いつも彼はそこに無断で入り、勝手に清掃をして想像の中の友人と昼食をとっていただけだ。
この現実~彼の世界を作ったのは、全て毒母である。
何よりも毒母の力の恐ろしさに驚愕すべきなのだ。そしてこうした親子関係が外からは見えない。文字通り鍵を厳重にかけられ。毒母が焼身自殺し、外の風が入って来た時はすでに、もう充分彼も腐敗していた。
この廃園が何故か妙に美しい。哀しいほどに美しい。

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この外部から来た彼女との生活は長くは続かない。
信心深く、三輪車には鍵はかけず「何時盗むことなかれ」という札を付けている彼にとり、平気でドアを破り盗みに入る若い女性は、まさに外部の者だ。そんな外部を求めはした。しかし、、、
彼自身母に潔癖症を叩き込まれてきたのだ。
「不潔な家には悪魔が宿る」外部を受け容れると言うことは腐敗を呼び込むと言うこと。
汚いものには特に耐えられない(わたしだって到底耐えられないが)。
彼女の朽ちた体を拭くと活き活きした綺麗な肌が出て来るイメージで吹っ切れたのか。
遺体を解体し袋に詰めて処分する。
「ひとりも悪くない」
再び彼は前の生活に戻って行く。

BGMも繊細で良かった。








陰陽師

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2001年

滝田洋二郎 監督
福田靖、夢枕獏、江良至 脚本
夢枕獏 『陰陽師』原作


野村萬斎、、、安倍晴明
伊藤英明、、、源博雅
今井絵理子、、、蜜虫
夏川結衣、、、祐姫
宝生舞、、、瓜の女
矢島健一、、、藤原師輔
石井愃一、、、藤原兼家
石丸謙二郎、、、陰陽頭
国分佐智子、、、任子
螢雪次郎、、、源忠正
下元史朗、、、小野清麻呂
八巻健弐、、、橘右近
木下ほうか、、、垣武天皇
立原瞳、、、綾子
萩原聖人、、、早良親王
柄本明、、、藤原元方
岸部一徳、、、帝
小泉今日子、、、青音
真田広之、、、道尊



以前、TVで観た覚えがあるが、なかなか面白かった。
時代考証とか文化思想的なことは、さておき。
この世とあの世の繋がり具合が良い雰囲気で出ていた。鬼や怨霊が人々の日常のなかに跋扈していた様子は窺える。
全体の明るさも丁度良い加減か、、、。

onmyouji002.jpg

野村萬斎の凛とした佇まいと所作がミステリアスでもあり良い。泰山府君祭の舞いも良いが、竹藪の中を下って走るところなども、、、何とも言えない。
真田広之の貫禄ある凄み。やはり彼が物語の心となって動かしていた。
夏川結衣の怨念。その怪しい魅力が良い。
伊藤英明の頼りなさ。笛が上手いということでキャラにあっている。特殊な中空存在の雰囲気が出ていた。
今井絵理子の蜜虫は中国から渡って来た蝶だという感じがよく分かるアーティフィシャルなマスコットか。
小泉今日子の年齢不詳の重厚さもピッタリな雰囲気に思える。青音は結局何百年年生きているのか、早良親王を成仏させないうちは死ぬことも出来ぬ宿命を抱えた諦観が漂っている。

安倍晴明VS道尊の終盤の闘いは何とも面白かった。
口元に人差し指と中指をたて、呪文を唱えつつ闘うところが新鮮でシュールなものであった。
最後は結界を張って道尊を閉じ込めとどめを刺す。
道尊は己が操った祐姫と同じように自ら刃で首を切って果てる。
この辺の件を観ても、真田広之でなければ物語全体が軽くなってしまうことがよく分かる。

この晴明、先見の明というか洞察力に問題があるか。ほとんど禍々しい空模様などで異変に気づく。
闘いとなると様々な力を発揮するが、いつも先手を打たれて、後手に回ってばかりというのは、如何なものか。
源博雅はいつもぼんやりしているし。
ふたりで力を合わせて都を守るというのとは、どういう関係においてだ。
源博雅という存在は何か?

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「博雅はいい男よのう」といつも謂われているように、博雅が都にいることで、もともと人や都などどうでもよい晴明が手を貸すようになっていた。
博雅が思いを寄せていた祐姫が彼の腕の中で息を引き取った際に、晴明が道尊に向け文字通りの一矢報いたところは、かなり晴明の入れ込みようが分かる。ここはとてもカッコよいシーンであった(あまりそう感じさせる場面がない中で)。
晴明にとって源博雅は、特別な存在であり守らなければならぬものなのだ。
(その割に、のんびりしていて一度死なせているが)。

つまり一度博雅は殺され、青音の生命を貰って生き返ることで、青音の霊魂の言葉が道尊に取り憑いた早良親王に伝わり、2人ともそろって成仏して逝くことになる。その結果、道尊は利用しようとしたその巨大な怨念の力を失う。無敵ではなくなる。
博雅はまさにその時の器としての役割を果たす存在であったのだ。
ふたつの大きな霊を成仏させるための存在。結果として晴明と共に都を救う。

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橋の下の女の屍に纏わりつくヘビの生々しさに対して、蜜虫の蝶や道尊の偵察鳥、呪いをかけられた赤ん坊や悪霊の煙などは当時のVFXの限界というより、あやかしや機械仕掛けを誇張して魅せるためのぎこちなさか。
道尊が額に射られた矢をズブズブ押し込んで口から出してくるシーンはおどろおどろしさよりというより、イリュージョン的な御ふざけに見え、ちょっと白けさせた。この辺の演出、何とも言えない。
今のVFXで作ってしまうとかなり異なる印象になるはず。臨場感はやはり格段に違っていたはず。


迫力やスケール感はないが、平安京独特の世界観を醸そうとしたことは分かる。
Ⅱは、観ようかどうしようか迷っている。







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スーサイド・スクワッド

Suicide Squad

Suicide Squad
2016年
アメリカ

デヴィッド・エアー監督・脚本
DCコミックス「スーサイド・スクワッド「」原作

ウィル・スミス、、、デッドショット(フロイド・ロートン)
ジャレッド・レトー、、、ジョーカー
マーゴット・ロビー、、、ハーレイ・クイン(ハーリーン・クインゼル)
ジョエル・キナマン、、、リック・フラッグ大佐
ヴィオラ・デイヴィス、、、アマンダ・ウォラー
ジェイ・コートニー、、、キャプテン・ブーメラン(ディーガー・ハークネス)
ジェイ・ヘルナンデス、、、エル・ディアブロ(チャト・サンタナ)
アドウェール・アキノエ=アグバエ、、、キラー・クロック(ウェイロン・ジョーンズ)
アイク・バリンホルツ、、、グリッグス
スコット・イーストウッド、、、エドワーズ
カーラ・デルヴィーニュ、、、エンチャントレス(ジューン・ムーン)
福原かれん、、、カタナ(タツ・ヤマシロ)
アダム・ビーチ、、、スリップノット(クリストファー・ワイス)
シェイリン・ピエール=ディクソン、、、ゾーイ
ジム・パラック、、、フロスト
エズラ・ミラー、、、バレリー・アレン/フラッシュ
ベン・アフレック、、、ブルース・ウェイン/バットマン

Suicide Squad001

DCコミックスの悪役キャラクター総出演ということだが、アメコミは全く知らないわたしには、誰もが初めてのキャラとなる。
それも新鮮に観ることが出来て良いか、、、。
マーゴット・ロビーが出ているので観た。
「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観たいと思っているが、取り敢えず今回は、これを。
アイ、トーニャ」で一気にファンになったが、実にかけ離れた役を見事に熟す人である。演じる幅が凄い。
ただ、酷い映画にも出てしまっている。是非、出るものを選んで欲しい。もう充分選べる立場のはず。

さてこの映画、こういうタイプ何度も観た気がする。VFXも含め。
とても既視感があり、やはりそれぞれのキャラを楽しむ映画ではないか。
相当に濃い人を集めていることもあり。
だがストーリー的には弱い。演出的にも夜と闇のなかでの闘いばかりで、明け方も効果的に使えばどうであろう?

Suicide Squad002

何にしても敵の設定がよく分からない。
と言うか、どんな敵だったのか結局、掴めなかったではないか、、、。
特別チョイスされた悪党軍団は、徐々にキャラがエピソードを通し描かれてゆくが、これと言って印象的なものはない。
デッドショットと優等生の娘との関係、リック・フラッグ大佐とエンチャントレスとの恋愛、ハーレイ・クインとジョーカーの仲、、、色々あっても薄い。
彼ら皆、ちょい悪軍団という感じ。実は良い人だったし。

特にこれといって策も練らず、チョイ悪連中も特技はあってもこれといった突飛な能力は火炎放射を使う男くらいで、後は日本刀の使い手(この女性は特別枠)だったり狙撃の名手だったりやたらと怪力だったり、ナイフ使いだったり、バッドでぶん殴ったり、潜水が上手かったり、、、の寄せ集めで皆身体能力は高そうだが、今一つこれで闘えるのか心配な即席軍団なのだ。

敵は圧倒的な光線みたいな武器で、軍事人工衛星や秘密軍事基地や大型空母などを次々に破壊し、とんでもない攻撃力を発揮している。まともに戦える相手とは思えないのだが、、、。
だが、やたらと派手でおどろおどろしい割に、対人間相手はそれほど大したこともないような、、、。
クビにマイクロ爆弾を仕掛けられて、仕方なく戦っていた軍団が、爆弾の起爆装置を壊され自由になった後で、隊長に力を貸す気に誰もがなって乗り込んでゆくところが、共感できるレベルではなかった。ダークなハードボイルドを狙っているのかと思って観ていたのだが、こんなお子様青春スポーツ劇みたいなところに着地でよいのか、、、という感じ。
何で友達~チームになってしまったのかが不明であった。
もしかしたら大事なところで眠ったか?短い時間眠ったみたいだし。

バッドやナイフや刀や怪力や拳銃が結構役に立ったりして、、、そしてナイフで敵の心臓を取ったことで勝機を得ると。
やはりハーレイ・クインが決めるのだ。
結局、どういう相手だったのか、、、。

Suicide Squad003

ジョーカーとの絡みも不思議。
三つ巴の混戦という訳でもなかった。
途中で不覚にも眠ったりして、定かではないが、懐かしのロックがシーン毎かかる中で、現代音楽の「交響曲第3番」(ヘンリク・ミコワイ・グレツキ)がかかっていたような。
選曲は面白かった気がする。

Suicide Squad004

重いテーマの映画はパスしたい気分の時に見てもよいかと思われる。
だが、もしこの作品にマーゴット・ロビーが出ていなかったら、誰にも見向きもされない映画であったかも、、、。
そんな、そら恐ろしい考えが頭を掠める映画であった。



来る

It Comes

It Comes
2018年


中島哲也 監督・脚本
岩井秀人、門間宣裕 脚本
澤村伊智「ぼぎわんが、来る」原作

岡田准一、、、野崎和浩(オカルト・ライター)
黒木華、、、田原香奈(秀樹の妻、知紗の母)
小松菜奈、、、比嘉真琴(霊媒師、キャバ嬢)
松たか子、、、比嘉琴子(真琴の姉、最強の霊媒師)
妻夫木聡、、、田原秀樹(香奈の夫、知紗の父、月島製菓のサラリーマン)
青木崇高、、、津田大吾(民俗学准教授)
柴田理恵、、、逢坂セツ子(高名な霊媒師)
志田愛珠、、、田原知紗(田原夫妻の娘、あちらと繋がっている)
太賀、、、高梨重明(田原の会社の同僚)
石田えり、、、秀樹の母
高橋ユウ、、、綾 (野崎の彼女)
伊集院光、、、店長(香奈の勤めるスーパー)
蜷川みほ、、、香奈の母
上原実矩、、、巫女
中川江奈、、、少女(幼少時に秀樹をあちらに誘った失踪した少女)
吉田妙子、、、ユタ(沖縄から呼ばれた巫女)


迫り来る”あれ”が全く何であるのか分からない。
「原作」では、はっきり分かるようなのだが、映画は大きく作り変えているらしい。
最後までその実体は映像化もされないまま。
その被害状況~死者からその凶暴さと破壊力は窺えるというもの。
かえって清々しい。元々目に見えない方がそれらしい。

終盤、悪霊祓いの儀式がマンション前の児童公園をフルに使って盛大に行われている。
日本中の宗派が集まったのか、という感じの破格のお祭り騒ぎになる。
ここは、とっても楽しくワクワクする。
やはりお祓いはここまでやらなくては、、、。
比嘉琴子のネットワークは素晴らしく、お祓い関係の日本中の実力者と政財界の要人とも太いパイプで繋がっており、超法規的な措置もとれるようだ。警察がマンションの住人を皆避難させている。
ここが呪術の国でもある側面が窺える、、、”お山”の存在である。今度「陰陽師」でも観ようか。

It Comes001

この映画はストーリーはとてもストレートで、見どころは何と言っても大変個性的な登場人物を追うところにある。

田原秀樹は確かに一言で謂えば「うそつき」である。人に見られる自分だけを取り繕う。どんなに家の中が悲惨でボロボロの状態であってもブログには幸せ一杯の家族をただ描き続ける。自分が娘の知紗を試行錯誤しつつ精一杯育てていることを書いているが、実際は娘はほったらかしで、妻一人に押し付けている。表面的に調子のよいだけの軽薄な人で全く当てにならない。こういう人は結構いて、わたしも何人も見て来た。

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妻の香奈はいよいよやっていけなくなる。更にマンションの部屋にポルターガイスト現象まで発生し始める。誰にも頼れず、親切にしてくれる夫の友人津田大吾に惹かれてゆく。
そして秀樹が”あれ”に殺されると”、心底ホッとするが、シングルマザーとしてまたスーパー店員に戻らなければならない。
過酷な生活の中で、彼女は娘に当たってしまう。自分が絶対になりたくないと誓った母親みたいな毒親に変貌して行く自分に唖然とする(母もシングルマザーで娘を邪険に扱ってきた同じ構図となっている)。毒親になる要素を持っていても生活環境が恵まれていれば、ならずに済む場合も少なくない。だが、ここでは知紗をネグレクトすることに繋がり明らかに愛着関係の取り結びに失敗する。あからさまに母親の怨念の姿を借りたあれに襲われ、彼女もトイレで絶命する。

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比嘉琴子と逢坂セツ子がやたらとカッコよい。
この映画そのものが、アニメ調の出来であるが2人はそれを象徴するような存在だ。
一口で謂えば、面白カッコよいという感じ。
特に琴子の常に冷静沈着で明晰で淡々とした性格が最もよく出ていたところがラーメンを食べているシーンであった。
あんな風にラーメンを食べる女性は、他には恐らく市川紗耶さんくらいではないか。雑念の無いシンプルな正しい食べ方なのだ。

比嘉真琴はそのハイパーな容姿から超能力めいた力を持つスーパーガールをイメージしてしまったが、霊感の鋭いとても普通の人である。子供好きで知紗もよく懐き、良くも悪くも真っ当な感覚の人で姉と対照的であった。
野崎和浩は闇を抱えていることが分かるが、地味であった。演技も演出上もとても抑えられていて、やさぐれていて良い味は出ていたが。
もうちょっとビビットな要素も欲しい。
最初の犠牲者となった秀樹の会社の同僚高梨のハイテンションからおどろおどろしい暗さへの変貌は、この物語の不吉さを充分に演出する導入になっていた。

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ニヒリストの津田大吾も殺され、逢坂セツ子も腕を失いながらも最終決戦に果敢に参戦するが殺される。
琴子が日本各地から呼び寄せた霊媒師やら祈祷師たち(所謂神職)も”あれ”に殲滅された。
この噺、余りに多くの人間が死ぬ。
映画的に言って主要人物のほとんどが死に絶える。
自分が死んだことに気づかない秀樹が霊のまま相変わらず育児ブログを更新していたのは笑うに笑えないところだが、、、。

ガールズ・ステップ」の上原実矩が巫女でちょいと出ていた。
「呼ばれてしもてん。私、悪い子やから。寝てると、力いっぱい引っ張られて」と謂い”お山”に呼ばれていった少女も印象的である。
「秀樹も呼ばれるで。だって、あんた、嘘つきやから」幼少時代に謂われたことは、結構人生を左右することがある。
この子の名前を秀樹は忘れていたが、”チサ”であった。もう彼は逃れられぬ運命であったのだ。しかし周りの巻き込み方も凄まじい。

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最後に、残ったのは、野崎和浩と比嘉真琴と”あれ”を呼び込んだ田原知紗の3人のようであったが、比嘉琴子はどうなったのか分からない。原作はともかく、この映画の流れであれば、続編は是非作って貰いたい。
知紗があちら”お山”と完全に切れたかどうかは分からないし、琴子の能力なら今回のあれを退治して健在でいるのでは。
ともかく、この世の存在で、あちらに呼ばれない人は恐らくいないであろうから。
きっと知紗をキイパーソンにして、また凄い勢いでやって来る。死が。

真琴の膝でスヤスヤ眠る知紗は「オムライスの国の夢」を見ていた。










月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術

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Le voyage extraordinaire
2011年
フランス

セルジュ・ブロンベルグ監督
セルジュ・ブロンベルグ、エリック・ランジュ脚本

ブルーノ・アレクシウ音楽

コスタ=ガヴラス
ジャン=ピエール・ジュネ
ミシェル・ゴンドリー
ミシェル・アザナヴィシウス
トム・ハンクス
以上、インタビュー等で出演


主にメリエスの「月世界旅行」(1902年)のカラー版の修復を巡るドキュメンタリー。
このメリエスの作品自体は、1秒16フレームの14分のものである。原作はジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』。
更にH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』からも取り入れられている。
まさに奇想天外なストーリーと斬新なVFXによって作られた最初のSF映画だ。

ヒューゴの不思議な発明」にも出て来たメリエスその人の伝記でもある。ヒューゴ~は重厚な物語となっているが。

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最初に復刻されたメリエスの「月世界旅行」のカラー版を何となく見る。
これだけいきなり見ると、何とも言えないコメディ調で現実離れした色彩に彩られたファンタジーにちょっと面食らう。
しかしその後のメリエスの波乱に満ちた半生に触れ、殆どのフィルムが消失したところで漸く探し出した「月世界旅行」の絶望的なまでに痛んだフィルムを20年の歳月を費やしその道の優秀な専門家が集結して修復した経緯を観た後に、再び見る「月世界旅行」の重さは計り知れない。
見れば見る程、不思議な世界だ。不条理だが豊かな夢のなかにいるかのよう。
確かに惹かれるものがある、、、。
飽くまでも前提として、美しい画面で見ることが出来たからである。

よく、あの酷い状態~劣化と謂うより破損・欠落状態~のものをここまで綺麗に修復したものだ。
メリエスの当時もフィルムの一コマ一コマに職人芸で色を塗る途方もない労力と技術により作っていたものだが、激しく痛んだフィルムを修復することは最新テクノロジーを駆使しても大変な労力を要した。
テクノロジーの進化は本当に素晴らしいが、やはりそれをベストな調整の下に使い熟す人間のセンスと熟練がものを言う。
大変な遺産のデジタル修復により、今後傷み、劣化を気にすることが無くなった功績も途轍もなく大きい。

しかし、音楽は頂けない。この部分は(元々無声映画であるし)後でどうにでもなるだろうが。
エールというフランスのエレクトロニカ・バンドが付けた音は全く世界観にそぐわぬ悪趣味の最低の音楽であった。
違和感タップリであり、これは即刻、付け直してもらいたい。

Le voyage extraordinaire003

想像を膨らませて世界を生成する歓びをたっぷりと味わった人であると思う。
科学がそれに追いつき追い越してしまった、みたいなことを言っていたが、それはまた別事である。
今でも妖精や妖怪はしっかりと彼らの場所を持っているし、科学も思想のひとつに過ぎない。
何より自分の豊かなイマジネーションを世界で初めて動画によって描いて魅せたことが大きい。
人々もそれに瞠目し惜しみない賞賛を送ったことで彼の思いは一旦は遂げられたと謂える。

しかし、映画自体が盛んとなり、産業化することで、効率的生産が最優先となる。
当初の時間をたっぷり取った趣味的なイマジネーションの具現化が市場を前にして形骸化してゆく過程を見ることとなる。
しかもまだ、著作権の概念もなく質の落ちる盗作が世界中に蔓延り、オリジナルフィルムも盗まれ、そうこうするうちにメリエス的世界観が人々に飽きられてしまったことが、彼に取り打撃であった。勿論その間の戦争による影響は大だ。
この辺から後は、「ヒューゴの不思議な発明」をこそ観た方が良いかも知れない。









5時から7時までのクレオ

Cléo001

Cléo de 5 à 7
1962年
フランス、イタリア

アニエス・ヴァルダ監督・脚本

ミシェル・ルグラン音楽
主題歌:作詞 アニエス・ヴァルダ作曲 ミシェル・ルグラン

コリンヌ・マルシャン、、、クレオまたはフロランス(歌手)
アントワーヌ・ブルセイエ、、、アントワーヌ(公園で出会った兵士)
アンナ・カリーナ、、、サイレントの短編映画の登場人物
ジャン=クロード・ブリアリ、、、サイレントの短編映画の登場人物
ジャン・リュック・ゴダール、、、サイレントの短編映画の登場人物
エディ・コンスタンティーヌ、、、サイレントの短編映画の登場人物
サミー・フレイ、、、サイレントの短編映画の登場人物
ドロテ・ブランク、、、ドロテ(クレオの親友、モデル)
ミシェル・ルグラン、、、ボブ(作曲家)
ドミニク・ダヴレー、、、アンジェル(クレオのマネージャー、家政婦)
ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ、、、ジョゼ(恋人)


コリンヌ・マルシャンはアニエス・ヴァルダに見出され、初主演だそうだが、見事にヒロインの役柄を全うしている。
色々と有名どころが出ていたみたいだが、ミシェル・ルグランには驚いた。
ミシェル・ルグラン作曲とピアノによるコリンヌ・マルシャン唱の新曲打ち合わせシーンは、大変贅沢で素敵なシーンであった。
ここだけでもこの映画を観る価値があるというもの。何と言ってもシャンソンの曲が良い。

そして、一際モデルオーラを放つコリンヌ・マルシャンが、、、、
本物の日常のパリをリアルタイムで歩く。
友達の車に普通に乗り、パリの街を走り回る。
本物のシトロエンのタクシーでパリの街を走る。
本物のバスでパリのバス路線を走る。
窓に嵌め込み風景は、一つもない。
これまた粋で贅沢。

Cléo002

確かに即興的な演出をあちこちに感じる。
同時録音であることは分かる。
オールロケである。
アニエス・ヴァルダの面目躍如だ。

凡そ2時間の間をほぼリアルタイムにクレオの動きを追ってゆくもの。
細かいキャプチャー毎に、時間(何時何分から~何時何分と)のテロップも入るところが、お洒落。

癌の精密検診を受けて7時にその結果を知ることになっている歌手クレオの5時からの動きが綴られてゆく。
5時。冒頭はカラーで占い師にカードで運命をみてもらうところから始まる。
悉く不吉な兆候が現れてしまう。
クレオは、参る。
この後、映画はずっとモノクロで(ほぼリアルタイムで)進む。

カフェに来ると家政婦兼マネージャーのアンジェルと落ち合う。
ここでクレオは思いっきり悲観するが、アンジェルは保護者の立場で宥める。
しかしこの保護者は凄いお喋りでクレオそっちのけで店員相手に喋り捲る。
カフェを出て気づいたが、パリは人が車道を好き勝手に横断するので大変危ないと聞いたが確かに。これでは事故も多いのではないか、と思う。こんな通りは自分は走りたくない。カーブの時など、とても怖い。
色々と心細い時は買い物である。
特に女子は買い物が気持ちを上げるには一番ではないか。
ふたりで、帽子を選ぶ。アンジェルは結構、縁起を担ぎ煩い。
ここで店主に写真をせがまれる。彼女も悪い気はしない。やはり芸能人の写真は箔が付くというモノ。

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タクシーに乗って走り出すと直ぐに隣車線の車がクレオに話しかけてくる。
パリ~フランス人は皆こんな感じなのか。
タクシーが止まる度にアフリカの土人の置物が目に留まる。これは不吉な予感を高める(演出か)。
画学生の住む通りに行くとまた走っている車に取りすがって来る。上からも物をお落とす。昔は排泄物も落としていたのだから、ペストも流行るはずだ、、、。かなり危ないことを普通にしている。
走行中のカメラは、まるで自分が運転している視界だ。

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彼女の部屋は白一色でとても広くて寛げるものだ。小さな猫が遊んでいる。
ここでいきなりクレオが、ぶら下がり健康器?にぶら下がったのには、ちょっとびっくり。
わたしも丁度ぶら下がりたい気分であり、羨ましくなった(昔うちにあったそれは、直ぐに洗濯物干し器となっていた)。
とってもキザな恋人が久しぶりに顔を見に来たが、病気のことを察してくれない。
上手い愛の言葉をペラペラしゃべって忙しいからまた来ると言って帰って行く。
とても剽軽な作曲家のボブと詩人が入れ違いに来て、彼のピアノで新作シャンソンの打ち合わせ~お稽古をするが、最初の明るい雰囲気の曲にはノリノリであったが最後の曲の暗い曲想に文句を言い出て行ってしまう。死の恐怖を感じたのか、、、。
わたしは、ハッキリ言ってクレオのヴォーカルともどもこの曲にとても感動した(このチューンはオーケストラも入り、唱も別録音であることは分かるが)。
流石にどの曲もうっとりする出来のシャンソンである。ピアニストとしての腕前も相当なもの。即興も交えてミシェル・ルグランが芸達者であることが分かった。明らかにコメディ向きだが。
ここのシーンだけは特に何度も観たくなる。

Cléo006  
Cléo005

街をあちこち歩きまわるが、落ち着かない。
病気の事でずっとそわそわする。
グロテスクな大道芸人の芸を見て更に不吉な気持ちに揺らぐ。
カフェに行くが、ジュークボックスで自分の曲を流しても誰も聴いていない。
孤独に打ちのめされる。このカフェは、かなり自然な雰囲気に作っていた。親友のドロテの名が客の会話に出て、彼女に会いに行くことに、、、。

親友のドロテが彫塑の裸婦モデルをしているスタジオに行き、彼女の(ドロテの彼の)車で街を乗り回す。
ここではクレオはよく笑う。
これでかなり気はまぎれはするが、、、。
病気のことや死の恐怖を感じていることも話す。ドロテは素直に受け取る。それがよいのだ。
ドロテの彼氏のところに行き、サイレントの短編映画を見せてもらう。
気晴らしにはなったが、白(光)と黒(暗闇)の対比が何度も見られ、クレオの不安に重なる。
おまけにドロテをタクシーで送って帰る途中で殺人事件の現場に出くわす。ドロテは先ほどクレオの鏡が割れたことを今の事件の被害者の運命と関連付け彼女を落ち着かせる。
ドロテを家の近くで降ろしタクシーでクレオはそのまま進む。
ここからのシーンが素敵だ。音楽も良い。ドロテのおススメの公園の中の滝を観に行く。

水音に耳を澄ませていると、軍人に出逢う。
とてもお喋りな男で閉口するが、アルジェリアに今夜出発と聞いて、自分の病と死への恐怖について語り合う。
話してゆくうちに打ち解け心が和み、夜に電話を医者に掛ける前に、直接病院に一緒に行くことにする。
路線バスで病院のある停留所まで、2人して乗って行く。話ははずむ。
かなりの尺で、こちらも路線バスの旅を一緒に楽しむことが出来る。得した気分だ(笑。
ここでも彼女は兵士に写真をねだられる。
嵌め込み画像でない為、気持ち良い。
病院に着くが担当医はいないと謂われる。
これでは、やはり予定通りに電話で聴くしかないと諦め、アントワーヌがアルジェリアに発つ時間をどう過ごすかという噺になる。

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そんな時に医者が車でやって来て、わたしに任せなさいと言う。
放射線治療の事を告げ、必ず治るから心配するなと、、、。
2人の歩く顔の正面からの接写が続く。
クレオから不安が消え、幸せな気持ちが湧き、生きる意欲が充ちて来る。

ほぼドキュメンタリーフィルムを見る感覚だ。
こうしたコンセプト~2時間の間を自分の病(実存)について心配しながら街中を廻り、最後に医者に出逢うという~ほぼリアルタイムの噺は、お洒落で極めて低予算に映画が作れる優れたアイデアであろう。
パリの街が舞台であることも大きい。
それに、主演のコリンヌ・マルシャン~アニエス・ヴァルダの人選~が良かった。
この作風自体もそうだが、大変参考になる作品であると思う。
何より、気に入った。





サラブレッド

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Thoroughbreds
2017年
アメリカ

コリー・フィンリー監督・脚本


アニヤ・テイラー=ジョイ、、、リリー(上流のお嬢様)
オリビア・クック、、、アマンダ(リリーの幼馴染、問題児)
アントン・イェルチン、、、ティム(麻薬の売人)
ポール・スパークス、、、マーク(リリーの継父)
フランシー・スウィフト、、、(リリーの母)


ウィッチ」、「スプリット」、「 モーガン プロトタイプL-9」、「ミスター・ガラス」のアニヤ・テイラー=ジョイが主演であれば、まず何であっても観る(笑。

効果音がとても印象的。
間と不協和音の作る緊張感が絶えない。
独特のリズムとセンス。そう、ズレのセンスか。
カメラのフレーミングにしても、スタイリッシュである。

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最初は対照的な2人に見えたが、どちらも闇は深かった。
リリーの方は義父の高圧的な支配に相当なストレスを覚えており、彼女なりの反抗はしていたが力の差は歴然としていた。
(一流校は退学となり、企業のインターンも辞めていた)。
アマンダは感情を喪失していた。
自分のサラブレッドが足を骨折したため、自ら殺処分したという。それがトラウマとなっているようだ。
また周囲からも動物虐待の目で見られているという。
(リリーとは、乗馬友達なのか。リリーの豪邸にも彼女が白馬に乗っている写真が飾ってあった)。
薬を年下の高校生相手に売り捌いているチンピラのティムも基本、誰にも信用されておらず、まともに相手にされない。
将来は大物になりこの辺一帯を仕切るみたいな法螺を吹いてる。
リリーが義父の殺害に彼を利用しようとしたが、小心者であるティムは逃げてしまう。

このトリオの社会からのはみ出し様が如何にもありそうなもの。その落ち着き先も完全なお嬢様であり刑務所の囚人でありホテルボーイであった。何とも。


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まずは、アマンダの母がリリーに勉強を教えてくれるように頼み、アマンダは謂われた通りにリリー宅を訪ねる。
久しぶりの再会となるらしい。

リリーのママの影は薄い。何でもマークの言いなりのようだ。
マークは日本刀も所持しており、筋肉トレーニングを毎日欠かさない硬派の男だ。
トレーニングマシンを使っており、その不気味な轟音が殊更彼の存在を邸内に際立たせている。
オマケにこの義父は、彼女を問題児ばかりを扱う全寮制の学校に入れる手続きまで勝手にしてしまう。
母は手厚い指導が受けられるのよと、マークには意見など出来ず、全く娘の意思は無視である。

リリーにとっては中学生の時、父を亡くしてからは、闇を溜めこむ生活が続いていたようだ。

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アマンダの挑発によってリリーのマークに対する殺意が次第に意識化される。
そして実際に作戦を練り実行に移す運びとなった。
チンピラのティムをそそのかし、実行犯をやらせ、自分たちはその日は旅行などに出掛けてアリバイ作りをする。
しかし尻込みしたティムはピストルだけ取って逃げてしまう。
マークがスパまで母を迎えに来たのだ。失敗に唖然とするリリー。
その後、ティムは姿をくらます。

リリーの自宅プールでアマンダと潜水で遊んでいる時、リリーはもう息が残っていないのにそのまま潜り続けて溺れかける。
アマンダに助けられるが、彼女のなかでなにか箍が外れたような契機となった感がある。

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ティムに愛想つかせた2人であるが、アマンダはすでに冷静になっており、計画自体の取りやめも考えていた。
しかし逆にリリーは何としても自分たちでマークの殺害を実行しようとしている。
2人はよく、古い白黒映画を観ながら相談をするようになっていた。
この役者たちはもうみんな死んでるわよね、とか、、、確かにそうだ。

びっくりしたのは、リリーがアマンダの飲むオレンジジュースに睡眠薬を入れていたことだ。
アマンダが飲み始めた時に、直ぐにそのことを打ち明け飲まないように言うが、、、。
あなたが眠っている間にマークを殺してそのナイフをあなたの手に握らせようと思ったの、と正直に告白する。
アマンダはそれを聞き、敢えて全部飲み干し忽ち眠りに落ちてしまう。

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アマンダの意思も酌んでか、リリーは刃物を持って二階に上がり、トレーニング中の義父を襲いに行く。
暫く後、マシンの轟音が止まり大きな物音が数回した。
戻って来たリリーは全身血まみれ。
アマンダの手や身体にも返り血を塗り付け、鼾をかいて眠っている彼女に添い寝するリリー。


後に、リリーはお嬢様として落ち着いて暮らし、アマンダは事件当時の記憶を喪失した患者として更生施設?にいた。
ティムが務めるホテルに、リリーが高級車で乗り付けて来て偶然出逢う。
ティムはバツが悪そうにしながら、彼女に義父やアマンダの話を向ける。
アマンダからの手紙が届いたという。しかし、彼女は全く中身は読まなかったらしい。
アマンダのいる部屋には、リリーと彼女がそれぞれの馬に乗る写真が飾ってあった。
悪くない所と評し、淡々として作業に就いている。

親友同士ということか、、、。恐らくそうなのだ。
双方に解放感が窺えた点で、ハッピーエンドの映画であったと謂える。


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アトランティスのこころ」、「オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主」のアントン・イェルチン。
これが遺作というのも寂しい。









幸福

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Le Bonheur
1964年
フランス

アニエス・ヴァルダ監督・脚本
ジャン=ミシェル・デュファイ音楽


ジャン・クロード・ドルオー、、、フランシス(夫)
クレール・ドルオー、、、テレーゼ(妻)
マリー・フランス・ボワイエ、、、エミリー(愛人~妻)
サンドリーヌ・ドルオー、、、ジズー(長女)
オリヴィエ・ドルオー、、、ピエロ(長男)


「ヌーヴェルヴァーグの祖母」アニエス・ヴァルダの作品を初めて観た。
平穏に暮らす4人家族の満ち足りた時間が流れる。
田園風景が印象派の絵画のように柔らかく、明るく穏やかである。
しかし、人はそんななかに過剰を求める。それとも何らかの喪失が根底にあっての事か、、、。
夫は別の女性に心惹かれる。
恐らくファースト・インプレッションで、お互いに惹かれ合ったのだろう。
直ぐに意気投合して恋人同士になる。
暫くは、2人とも誰にもそれを喋らずにいたが、男の方がこともあろうに妻に愛人が出来た事を喋ってしまう。
嘘がつけない性格だからと。

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可愛い幼い子供が二人いることを忘れている。
妻との仲も大変良いのだし、子育ても順調でこれだけ家庭が安定していたら、これを壊すようなことは極力したくはないものではないか。
他に目移りしようが、現実的に考え所謂、浮気としてその件は、ひた隠しにした方がリスクマネージメント上安全である。
(好きになってしまったからには、もうそれ以前には戻れない。今後について真剣に考え手を打つしかない)。
嘘をつくのが嫌いと言っても、妻を愛しているのだから、もう一人好きな人が出来たからと言って、わざわざそれを本人に伝える必要はあるまい。自分の気持ちだけではなく、彼女のこころに対する想像力を働かせる必要がある。

相手の彼女は、最初から彼が所帯持ちであることを知っており、その立場で付き合う覚悟でいる。
とは言え、彼の奥さんに嫉妬はしており、彼との時間を多く持ちたいとは願っているようだ。
(ここには後の危険因子は潜んでいよう)。

Le Bonheur001

いつものように休日に森にピクニックに行ったところで、子供二人がテントで眠静まった時に、実は、、、という感じで夫はホントに喋ってしまう。
妻は、勿論驚くが、君の事はとても愛しているが、向こうの事も愛しているんだとあっけらかんと言う。
離婚などする気は全くなく、今まで通りやっていくが、向こうとも上手くやってゆきたいと、、、。
これがもしかしたら、この男の良い所かも知れないが、妻にとっては青天の霹靂に違いない。
夫のどちらとも上手くやって行けるという理屈を呆気にとられながらも受け容れ、取り敢えず納得したような妻であった。

ここで取っ組み合いの喧嘩をするくらいが良かったように思うが。
この妻は大変真面目で献身的な人であるが、繊細で内向的な面を強く感じる。
長女が目を覚ますと、妻がいない。
子供二人と妻を森の中を探して歩く。
だんだん尋常ではない胸騒ぎを覚え、森に和む人々に片っ端から「ブロンドの青いドレスの女性」を聞いて彷徨う。

Le Bonheur002

森の湖畔で異変に気付く。
子供を置いて、そこに駆けつけると、変わり果てた妻の横たわる姿が。
全て納得され、また平穏な時間が流れ始めたと思ったのも束の間。
妻はまず夫の言葉を呑み込んで、静かに反芻していたのだろう。
子供たちと夫が居眠りをしている最中に彼女は起き出し、森で出逢った人によると、花を抱いて歩いていたという。

一端、子供たちは兄夫婦に預けられることとなったが、愛人の彼女が奥さんの座に就き、これまでのように二人の子供の世話をやき、休日には森にこれまでとほぼ同様の形でピクニックに出掛けていた。
子供たちも幼いせいか直ぐに彼女に懐き、ママではなくエミリーと名で呼んではいるが、単に表向きは女性が入れ替わっただけの構図に窺える。


淡々とその後も同じ明るさで描かれてゆくが、、、。
男は、表向きはこれまでと変わりなく生活をしているように見えて、大きな喪失感を抱きつつ生きているには違いない。

Le Bonheur004

成程、アニエス・ヴァルダ、、、。
本当にシンプルに無駄なく絞り込んで描く。
彼女自身(人となり)を「顔たち、ところどころ」でじっくり見た後の為、とても感慨深いものがある。
他の作品も観てみたい。







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