プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

EVANGELION001.jpg

EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.
2009年


庵野秀明 総監督・原作・脚本・製作総指揮
摩砂雪、鶴巻和哉 監督
宇多田ヒカル「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」主題歌
鷺巣詩郎 音楽

碇シンジ(声:緒方恵美) 、、、エヴァンゲリオン初号機パイロット
綾波レイ(声:林原めぐみ) 、、、エヴァンゲリオン零号機パイロット
式波・アスカ・ラングレー(声:宮村優子) 、、、エヴァンゲリオン2号機パイロット、ドイツ出身
真希波・マリ・イラストリアス(声:坂本真綾) 、、、エヴァンゲリオン仮設5号機パイロット、イギリス出身、NERVユーロ支部所属
渚カヲル(声:石田彰) - EVANGELION Mark.06パイロット、月より飛来
葛城ミサト(声:三石琴乃) - NERV戦術作戦部作戦局第1課課長
赤木リツコ(声:山口由里子) 、、、NERV技術開発部技術局第1課所属、E計画担当・エヴァンゲリオン開発責任者
加持リョウジ(声:山寺宏一) 、、、NERV主席監察官
碇ゲンドウ(声:立木文彦) 、、、NERV最高司令官、シンジの父。
冬月コウゾウ(声:清川元夢) 、、、NERV副司令


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の間の作品。
ヱヴァンゲリヲン」で一度、大分以前に”Q”以外を見てまとめを書いているが、あっさりし過ぎである。
ちなみにQは、「序破急」の急になろう。

取り敢えず今回、AmazonPrimeに宣伝があったため、これに絞り改めて観てみることにした。

何と言うか、大サービスのエンターテイメントである。
それ以外に言葉もない。

真希波・マリ・イラストリアスが突然、新エヴァとともに出て来てかなりのインパクトで活躍してしまうのも唐突だが初っ端から凄い畳み掛け。
華麗で派手なご登場の式波・アスカ・ラングレーの第7使徒との空中戦からして、ビビットで痛快な何でもあり感が正当化される。
SEELEの月面基地では、渚カヲルが普通に月面に座っているし、、、。
何がどうなるか、ただあれよあれよと受け容れていく快感か。
しかしそこには絶えず傷みが伴う(こちらも)。
毎度のことながら、使徒の赤いコアを粉砕することも何とも直截的な赤い液体の~死の生々しい溢出である。


エヴァも初号機・零号機・2号機に加え、仮設5号機とMark.06もお目見え。
使徒との死闘も迫力タップリだが。過酷で激しい(見ていて痛々しい)シーン満載である。
真希波・マリ・イラストリアスのエヴァンゲリオン仮設5号機と第3使徒との激しい闘いに始まり、終始陰惨な死闘が繰り広げられる。
仮設5号機もマリ脱出後に爆発するし、光を歪める強力なA.T.フィールドを持つ第8使徒との初号機・零号機・2号機での総当たり迎撃も壮絶であった。更に3号機の起動実験にアスカが志願搭乗するが、3号機の体はすでに使途に乗っ取られており、第9使徒と見做される。シンジはアスカの乗った3号機~第9使徒の破壊を命令されることとなる。シンジはそれに背くがダミーシステムに切り替えられ初号機は狂った獣のように使徒を貪るように食いちぎってゆきアスカを守るエントリープラグまで噛み砕いてしまった。アスカは一命は取り留めるが感染の危惧から隔離されてしまう。
シンジはもはや精神面でも耐え切れずパイロットを辞めて出てゆく。だがこれまでにない強力な第10使徒が来襲し、マリがエヴァ2号機で迎撃する。通常形態ではとても太刀打ち出来ず、獣化第2形態に変身させて闘うが圧倒的な力の前に撃退される。そこでレイが零号機でN2航空誘導弾を抱えて自爆攻撃をかけるが、A.T.フィールドを全て突破して撃ち込んでも肋骨でコアを守り切り、何とレイごと零号機を捕食してしまった。これを目の当たりにしたシンジは、パイロットであることを自覚し初号機に乗り込む。零号機を取り込んだ第10使徒はヒト型に変形したことでNERV本部のメインシャフトにそのまま入り込むことが出来、第一発令所まで降りて襲撃に及ぶ。父ゲンドウの目前で使途を食い止める初号機のシンジ。
そして初号機の内臓電源の切れた後、疑似シン化第1覚醒形態となりシンジに一体化した初号機は、圧倒的な拒絶体である第10使徒をも一蹴し、レイを死力を尽くして救い出す。このシーンはアニメ史に残る劇的シーンであろう。


闘いばかり並べてしまったが、そんななかでの日常生活。
クラスメイトとの和やかな関り、シンジの自分の他にアスカ、ミサト、レイの弁当作り、、、元々彼はこういう仕事が好きなのだと言うことが分かる。細やかな気遣いの出来る心優しい少年なのだ(エヴァに乗ることには大変な葛藤を抱いている。無意識的にはとても和むのだが、戦闘行為には馴染めない)。
葛城ミサトの家にシンジとアスカが同居するところなどコメディタッチで微笑ましいところでもある。
加持リョウジが、シンジやレイたちを第二インパクト前に生息していた海の生物の水族館(海洋生態系保存研究機構による試み)を見学させるところなど、一番好きなシーンだ。そのころは、海に生物が棲んでおり、海も赤くなかった。その世界を彼ら若者は知らないということなのだ。
綾波レイが碇シンジと父ゲンドウとの軋轢を少しでも解消しようと手作りの食事会を予定するところなど、ほっこりする日常も描かれる。何とレイとアスカがそれぞれ料理にも打ち込み始めるのだ。仄かな恋心~三角関係みたいなものも生まれる。大きな意味を持つはずのレイ主催の食事会、それも闘いの為に流れてしまう(3号機の起動実験)。
そしてその想いは膨らみラストのレイを取り戻すシンジの激烈な迫真のシーンに収斂されてゆく。


疑似シン化第1覚醒形態の初号機によりサードインパクトが起ころうとした矢先に、EVANGELION Mark.06が月から飛来する。
パイロットは、渚カヲルだ。
いきなり初号機のコアに槍を討ち挿しサードインパクトを止める。

「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」



実は、この後、”Q”も観たのだが、観なければよかったかも知れない。
シンジが眠りから覚めた14年後、「ヱヴァンゲリヲン」が「宇宙戦艦ヤマト」みたいになってるではないか、、、
シンジと一緒に訳が分からなくなった。
彼は、あまり幸せそうでは、なかった、、、。
何よりも、レイがかつてのレイではなくなっていたのだ。
それは何より絶望的ではないか。これにはわたしも深く同情する。
余りに切ない。











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サークル

The Circle001

The Circle
2017
イギリス

ピーター・キャロウ監督
スコット・オニール脚本


ロス・ノーブル、、、ポール・ロックウッド(探検家?)
エドワード・ベイカー=デュリー、、、カール・マークソン(考古学教授)
セセリア・オラフス、、、メロディ(勉強熱心な学生)
エヴァ・マリー・クン、、、クレア(派手な女子学生)
グリフィン・スティーブンス、、、ジョー・ストリート(素行の悪い学生)
コリン・バーニクル、、、アーチ―(真面目な学生)
エミリー・ヤロウ、、バンシー


またも観難いPOVか、、、と思ったが、出だしだけだった。
このPOV探検家は、位置づけからして、物語の始まる以前の超越的な場面にいる。
不穏な空気に慄き自らの最期をビデオに撮っていた。
そして考古学調査の一行を怪しい島に送った、大変怪しいボートの男(自称港長)も終わりに実際に出て来る。
最初の探検家と港長は実在する(した)ことが分かる。
バンシーも男のビデオにその姿と声が入っていた。特にその声~音である。
この3者、冒頭の探検家、チャーターボートの男、バンシーは実在すると謂ってよい。
そしていつの間にかジャックと名の付いていた犬も。彼女が目覚めた時に彼女のもとにやって来た。

考古学教室のゼミで集まった学生が教師と共にフィールドワークに出発する。
それにしてもジョーという学生、素行が悪すぎる(ウザすぎる)。
こういうのと一緒に真面目なフィールドワークは無理だ。
いやそれ以前の問題で、こいつのせいで、車が事故を起こしたのだ。
そこで彼らの時間が止まる(異なる時間系に亜流する)。

寒々とした光景(色調)や民族音楽の響きがよく合っていた。
特に森の禍々しい雰囲気は良い。高みから靄のように差し込む太陽光線などまず普段経験できない。
絶えず光と音で緊張感を維持する演出もなかなかのもの。
派手さはないがダレない。
夢の中の世界の運びにも似ている。

(メロディの)想像世界はかなり複雑で錯綜していてシンボリックでもあり面白い。
古墳のはずが、石碑がサークル状に並び内側に向いた面に古代文字でマーキングがされている。
そのメッセージを教授と同じレベルで読み解くメロディ。
「彼女は炎のように燃える、、、」彼女は蛍光塗料で書かれた碑文を発見し懐中電灯で浮かび上がらせ解読に取り組む。
ストーンサークルがシェルターになる事を読み解き仲間の命を守ることにも役立てた。
彼女にとっては実り多いフィールドワークの経験となったか。
キリスト教要素は入っては来るが残酷で生々しくもある。
羊や犬も出て来る。
痙攣も起こる。痴話喧嘩も。しかしメロディは、カール教授の事は尊敬していたはずだが、識域下ではそのような疑念も抱えていたのか?
ジョーにとっては、片思いの彼女(それ目的の参加)が教授に取られて最悪の事態に。教授が被害者ではあるが、彼も何もこんな場所でいちゃつくこともあるまいに。
携帯が圏外なのは、彼ら自身が圏外であるから。

青く光るランタンを持ったバンシーともうひとつ凶暴なまさに悪魔「バズリア」が徘徊していたが、この両者の間に何らかの関係性は見出せなかった。
2人とも恐らく違う方法でこの島に来た侵入者を夜の間を狙い惨殺していたようだが、その経緯やこの連中の素性ももう少し解かれれば噺に更に深みや広がりも出て来たと思われる。
ストーンサークルに逃げ込めば、バズリアはバリアで入れないことと光で彼らを遠ざけることが出来る特性は、メロディの解読から分かったが。

汽笛を鳴らしボートが迎えに来たかと思ったら、彼らを確認したあの男は踵を返して遠のいて沖に行ってしまう。
助けを呼ぶ声が男にとってはまだ生きていたのか、という確認合図というところか?まさに悪夢である。
太陽の光と夜間でも懐中電灯やUVライトでも彼らを遠ざけることは出来る。
そしてクレアは瀕死のカールを見つけ、ことの真相を知る。教授が嫉んだジョーに刺されたことを知らされたのだ。
クレアは持っていたUVライトを井戸に投げ込み、その後すぐにバンシーにジョーとクレア二人とも殺害される。

そしてサークルを出て二人を助けに出たメロディもバンシーに襲われるが、その声が救急車のサイレンに変化する。
(バンシーは 人の死を叫び声で予告するという)。両界にまたがって存在するモノか。
彼女は悪夢と謂うよりパラレルワールドから、こちらに戻って来たかのように救助隊に介護され助かったことを知る。
ジョーが車内で立ち歩きクレアに執拗に絡んでくるため教授が席に戻るよう再三注意している時に出合い頭に羊を積んだトラックに危うくぶつかりそうになるも、何とか目的の港に到着したはずであったが、実は教授のワゴン車はトラックに見事に衝突しメロディ以外全員即死であったのだ。あるいは、あちらの世界で全員死んでしまった為に、こちらでは自動車事故で死んだことに時間収束した、のかも知れない。

この2つの時間の干渉具合が、バンシーの鳴き声が船の無線ノイズや救急車のサイレンとも絡みあうことで絶妙な感覚を生んでいた。
そしてあの不気味な船頭が橋渡しをしているのだろう。

どうしても「サークル」とくれば、エマ・ワトソンとトム・ハンクスの映画であるが、2017同じ年に公開されてもいたものだ。
こっちは、全く話題にもなっていなかったみたいだが、かなり上手くまとめた作品だと思う。
(この映画の情報は、どこにも見つからなかった)。
男女関係の縺れの比重が少し大きすぎた感もあるが、キャストも良く見応えもあった。





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レフト・トゥ・ダイ/悪夢のバカンス

LEFT TO DIE001

LEFT TO DIE: THE SANDRA AND TAMMI CHASE STORY
2012年
アメリカ

レオン・イチャソ監督


バーバラ・ハーシー、、、サンドラ・チェイス
レイチェル・リー・クック、、、タミー・チェイス


実話を元にした冤罪もの。
エクアドルで麻薬の運び屋と間違えられた熟年カップル、サンドラとニック。
(サンドラの鞄からこれ見よがしのコカインの詰まった包が二つも見つかったのだ。彼女が犯人であればこんなバカげた運び方などするはずがない。彼女の言う通り、運び屋が危険を察知して彼女の鞄に密かに入れて身を守ったと言う方がずっと信憑性がある)。
しかし捕まったら最後、しっかりした取り調べも裁判もなく、劣悪極まりない牢屋に放り込まれたまま、出られる目処はない。
そこに長年住み着いてしまっている囚人たちの質が悪いこと。持ち物全て身包み剥がされてしまう。盗み・暴力は日常茶飯事。
何を訴えようが警察側は聞く耳もなく弁護士も当てにならない。何をどう持ち掛けようが一向に話は進展しない。
そもそも何も動いてはいないのだ。速度が遅いのではない。
そこは人権など全くない無法状態であり、アメリカ大使館も働きようがない状況であった。

LEFT TO DIE003

サンドラには持病があり、継続的に医者に診てもらう必要があったが、エクアドルの刑務所には基本的人権に配慮する余地はなかった。
時間だけが徒に過ぎ、何と2年が経とうとしていた。

結局勝因は、メディアを使って世界に実情を発信したことであろう。
(兎角、メディアは興味本位を掻き立て大衆を在らぬ方向に煽動する厄介な面が目立ちはするが、その力を上手く利用することで国自体を揺り動かすような効果も生む)。
国は国際社会におけるイメージに気を遣う。
更に気骨のある黒人女性政治家が世論に訴え動いてくれたことが大きい。
白人男の政治家どもはみな、尻込みして時間がかかると言い実質逃げてしまう。
お陰で速やかにサンドラは釈放となり、その後不法に拘束されていた800人以上が釈放となったそうだ。
それにしても飛んでもない国だ。

但し、何処に住んでいようが落とし穴は幾らでもある。上手い噺には乗らないことである。
この母娘はお人好しで上手い噺に乗り易い。
(娘は仕事では、上司から将来を嘱望される出来る女なのだが)。
無防備で直ぐに相手の言うことを鵜呑みにしてしまう。
母はニックの法外な誕生日プレゼント~エクアドル旅行を娘の勧めもあって受けてしまう。
娘は娘で、偽物弁護士に身元をしっかり確かめもせず大金(3000ドルの手付金)を送金してしまい。それまで。
彼氏が警察官でしっかり者なのに相談する暇を惜しんで独りで動き失敗する、おっちょこちょいでもある。
その後も散財し通しで、最後はニックの仕込んだ脱走案で母サンドラの預金(3万ドル)を全てニック指定の口座に振り込み、結局何の手筈もなく、ニックがムショでリッチな生活を送っていただけであった。
これで母はニックという男の本質を知る。

LEFT TO DIE002

結局、釈然としないまま終わってしまったが、サンドラをエクアドル旅行に誘ったニックは、この麻薬密輸事件にどれだけ関与していたのか、、、彼が全くの白でサンドラ同様に巻き込まれた立場とはどうにも思えない。
自分の立場、環境を良くする為に脱獄を持ち掛けサンドラの貯金の3万ドルをすべて巻き上げ、自分の牢屋をゴージャスな環境にして悠々と過ごしていたこと自体まずまともな男ではない。
間違いなく、麻薬取引にも関与しているはず。
この男の実際の罪状とその後どうなったのかも知りたいものだ。


日本も詐欺は横行している。
ここ最近、かなり要注意ものがあった。
上手い噺には気を付けたい。

LEFT TO DIE004


第3逃亡者

Young and Innocent002

Young and Innocent
1937年
イギリス


アルフレッド・ヒッチコック監督
ジョセフィン・テイ『ロウソクのために一シリングを』原作

デリック・デ・マーニー、、、ロバート・ティスダル(脚本家)
ノヴァ・ピルビーム、、、エリカ・バーゴイン(警察署長の娘)
メアリー・クレア、、、マーガレット(エリカの叔母)
エドワード・リグビー、、、ウィルじいさん(修理屋)
パーシー・マーモント、、、バーゴイン大佐(警察署長、エリカの父)
ジョージ・カーゾン、、、ガイ(クリスティンの嫉妬深い夫、ドラマー)

AmazonPrimeで観たが、修復はされておらず、かなり傷みの見える画面であった。
ノイズも入っていてホラー映画の趣もあり。ヒッチコックでなければ集中できなかったかも知れない。


「若さと無邪気」がなんでこんなに固い題になるのか、、、
「第三者」という定義からすれば、確かに当事者ではない逃亡者の噺であり、その通りだ。
だがヒロインに視点を置けば、「若さと無邪気」の方が的を得ている。こちらの方が映画の内容にそぐう。

Young and Innocent001


終盤のカメラの寄り方が尋常ではなかった。
登場人物たちが誰も知らぬうちに、先に超越的視座から真犯人をでかでかとフォーカスしてくるのだ。
どういうつもりだ?という感じ。
ヒッチコックという人は、鑑賞中に必ず監督自身(彼の考えやスタイル)をこちらに強く意識させて来る。
決まってヒトこま自分が出演するが、それよりはるかに大きなインパクトで映画の作り自体をひけらかしてくる。
そちらに目を向けさせる。
何と言うか、映画がホントに好きな人なんだなあと思う。

しなやかで繊細な美しさを湛えたヒロインは素敵であった。
ヒッチコック映画の女優は、確かに違う。
そのつもりで観れば隅々まで彼の趣味で作られているのでは、と思えてくる。
ストーリーとしても、まずあり得ない話だが、ファンタジーとして面白い。

Young and Innocent003

いきなり知り合いの女優の絞殺体を海岸で見つけてしまったロバートは、警察に走り届けたことで犯人にされてしまうということ自体、カフカの小説のKに当たる。
不条理から始まる逃亡劇であるが、自分の盗まれた「コート」を探し出せば、全ての疑いが晴れるということで、警察から逃れて逃亡しそれを探しに行く。
とても目的が単純化され、そこに警察署長の娘が加わる。
その娘エリカが物語を実質引継ぎ引っ張って行く。ずっとハラハラさせる上手い運びが続く。
酒場の乱闘、叔母の家の誕生パーティーなどへの巻き込まれや炭鉱でエリカが崖から落ちるところを何とか助け出す等々。
全く観る者を飽きさせない。
エリカは最初は事件に興味本位であったが、ロバートに関わるうちに徐々に彼の無実を信じ惹かれてゆくのだ。
しかし思いの他、コート探しにてこずり、コートを犯人から貰ったというウィルを見つけ出すが、肝心のベルトだけない。
終盤には、その修理屋のウィルが肝心な役割を果たす。
ロバートのコートをウィルにくれた人物をエリカと組んでグランドホテルに探しに行くのだ。
その人物というのが、「瞬きの激しい男」だという。よりによって瞬きの激しい男って、、、。

ヒッチコックはその犯人をわれわれ視聴者には勿体ぶってズバリアップで教えてくれるが、エリカたちには見つけさせない。
どう展開して行くのか、終盤はそれで気を揉む。
ホテル内の人は余りに多い。警察も待機している。猶予はない。
そんななか、、、余りに意外なかたちでその男が見つかり、あっさり自白してしまう。
やはり好奇心旺盛で何にも首を突っ込むエリカの勝利と謂える。
最初、警察で卒倒したロバートを(ほぼお節介で)介抱したのも彼女であった。

物凄いハッピーエンドというか、、、観ている方がきょとんとしてしまう。
ヒッチコック映画のエッセンスの詰まったような映画か。









ファイナル・アワーズ

THESE FINAL HOURS004

THESE FINAL HOURS
2013年
オーストラリア

ザック・ヒルディッチ監督・脚本


ネイサン・フィリップス、、、ジェームズ
アンガーリー・ライス、、、ローズ(拾った少女)
ジェシカ・デ・ゴウ、、、ゾーイ(恋人)
ダニエル・ヘンシュオール、、、フレディ(友人)
キャスリン・ベック、、、ヴィッキー(フレディの妹、恋人?)


南半球の映画である。
北大西洋に大きな(どれくらいか?)隕石が激突して衝撃波が北米大陸の東海岸と西アフリカを襲う。
西ヨーロッパは跡形もなく消滅だそうな。
かなりの隕石である。これは少なくとも地表の生き物は全滅だ。白亜紀の恐竜絶滅時に勝るとも劣らぬ規模であろう。
海だって大激変であるが、深海の生物はどうか、、、辛うじて生き残るとすれば海溝の底辺りに棲む微生物くらいか、、、。
12時間後にオーストラリアも終わることとなる。
絶対終末のもとで残りの時間をどうするか、、、よく小学生の頃に友達と神妙な顔して話したものだが、、、。
大概、何を腹一杯食うとか、そんな類だったような気がする、、、。

ただもう自暴自棄の群衆や、ソドムとゴモラ状態でそのまま地獄に落ちてゆきそうな連中ばかりであるが、最後を厳粛に締めくくろうという意識はないらしい。
カプリコーンビーチから恋人ゾーイを独り放置してパニックになって逃げ出すジェームズ。
彼は途中で、暴漢に襲われそうになった少女ローズを助け出し、彼女を送り届けようとするがガソリンがない。
そこで姉夫婦の家にまで行って何とかしようとするが、姉夫婦と子供は皆、無理心中を遂げていた。
行く先々で自殺者もあちこちに見られる。集団自殺もあった。彼は姉の車に乗り換えるが、車もガス欠の度にその辺に転がっている車に乗り換え、取り敢えず進む。彼も自分を見失い、友人のフレディのところに逃げ込む。そこもまさにソドムとゴモラであった。
かつての恋人ヴィッキーもおり地下シェルターも備えてあったが、到底自分のいるべき場所ではなく、相棒みたいになっていたローズが妙な薬を飲まされ、介抱の為もありそこを脱出して、縁を切っていた母の家に行きローズの回復を待つ。
元気を取り戻したローズを乗せガソリンを貰って母の家を発つ。ある意味、このタイミングで会っておいたことは良かったことかも知れぬ。

THESE FINAL HOURS005

全的崩壊の前では、各自悟る他ないと思う。自分のいるべき場所に戻り。
もうすでに科学に見捨てられ宗教にも縋る気もない主人公としては、拾った娘を父のところに連れて行き、自分の子を宿した恋人のところに還り最後の一時を共にすることであろう。
それ以外に、何らかの意味のあることなどあるまい。
こういう時に必ず、地下に穴を掘って助かろうとかする者もいるが、釜茹でになるのがオチだ。
(巨大隕石だとマントル域にまでインパクトを及ぼす可能性は大で、地球内部からの突き上げも覚悟しなければならない)。
大気がもっと荒れているはずだが。ちょっと静かすぎる。

THESE FINAL HOURS003

そして漸く、ローズの父のいると言う彼女の叔母の家に着く。
しかし、その中庭で皆が自殺していた。
ローズは気丈に、死んだ父と共にいると言い、ジェームズには恋人のところに戻ることを促す。
まだ、僅かに時間は残されているのだからと。
ジェームズが見えなくなるまで手を振るわと言って送り出すローズ。
ここは、胸に熱いものが来た。
ローズの健気さが荒涼とした風景に最後の安らぎを齎す。
ジェームズは厄介に思っていたローズと共にこの荒れ野を横断するうちに自らの場所に気づき取り戻すことが出来たのだ。
最後の時を過ごす良きパートナーに違いなかった。

THESE FINAL HOURS002

アンガーリー・ライスという女優を観たことだけでも価値はあった。
今後、この女優の出る映画はしっかりチェックしたい。
はじめてダコタ・ファニングを観た時に近い感じがあった。
(大人になったら普通の美人女優になってしまうような危うさもあり何とも言えないが)。
この映画での子役がピークなんてことにならぬ事を願いたい。

THESE FINAL HOURS006

ジェームズは何とか元居たカプリコーンビーチまで戻って来た。
家は空であったが、独り佇むゾーイが海辺にいた。
ゾーイは自分を独り残して出て行ったジェームズを責めるが、遠方から押し寄せて来る凄まじい事態を前に全てを許す。
衝撃波~更に真っ赤な巨大噴煙が海の沖から津波のように迫って来る。
ジェームズとゾーイは共に抱き合いそれを恍惚の表情で見詰める。
ゾーイが思わず洩らす「キレイ、、、」と。
此処はうっとりする神々しい光景だ。
全てが真っ白く包まれる。


スッキリテーマの絞られた良い作品であった。
だがわたしが観て来たこのような全的崩壊もののなかでは、「メランコリア」がやはり圧倒的ナンバーワンである。
この作品もローズの存在で救われているが(人類は全滅するも)その気品と重厚な美から言って「メランコリア」には遠く及ばない。









洲崎パラダイス 赤信号

akasinngou001.jpg

1956年

川島雄三 監督
井手俊郎、寺田信義 脚本
芝木好子 原作
眞鍋理一郎 音楽
今村昌平 助監督

新珠三千代、、、蔦枝 (義治の彼女)
轟夕起子、、、お徳(千草の女主人)
河津清三郎、、、落合(ラジオ店の店主)
三橋達也、、、義治 (蔦枝の彼氏)
芦川いづみ、、、玉子(そば屋の女店員)
植村謙二郎、、、伝七(お徳の夫)
牧真介、、、信夫(トラック運転手)


勝鬨橋で始まり色々あってまた初め~勝鬨橋に戻る。
双六みたいな映画だ。物語としてよく出来ている。
「洲崎パラダイス」というギラギラした電光看板が橋の入り口にあり、そこを越えた先が異界となっているところは、千と千尋の神隠しみたいだ。
文字通りのパラダイス~晴れの場なのだが、忌諱の場でもある。
そこの手前で色々な幻想を抱きながら、堅気に生きる面白さを描く。
そんな映画。
はじめて観るタイプの映画で、とても新鮮であった。

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驚いたのは、出て来る男たちが皆、マザコンなのである。
それも女々しいマザコンだったり、能天気マザコンだったり、壺振り師風マザコンとか(爆。
この時代の男ってえのは皆、こんな風だったのか、、、。
そんな気がする。
その分、女がやたらと生きが良い。
女に振り回されっぱなしの男たち。


巨大遊郭「洲崎パラダイス」に行く橋の手前がまるでこの世の縁、特異な襞のような地帯に想えた。
そして女たちの平べったい声が幾重にも木霊する河を臨む夜の橋や河原の光景が今の日本の原風景なのだと主張しているような、、、何ともうら寂しい。
街には大型トラックが何台も行き来していて、挨拶も飛び交い景気は良いように見えるが、主人公の二人のように今日の寝床にも困る者もいる。

akasinngou006.jpg

東京を彷徨う二人、元橋の向う側、洲崎パラダイスで娼婦をしていた蔦枝と仕事をクビになって金のない義治の動きを軸にドラマが流れる。

橋のこちら側(橋脇)の居酒屋「千草」の女主人のお徳のところに転がり込んだ二人は、蔦枝は客引き~客あしらいに才能を見せ、何やらやる気のない義治も尻を引っ叩かれお徳が探してくれた蕎麦屋の出前の仕事に就く。
「だまされ屋」という蕎麦屋である。如何にもというか、人を喰った名前の店で義治もダラダラ働き始める。
旦那が洲崎パラダイスに蒸発して以来、女独りで幼子二人を養い切り盛りしている居酒屋に普通に転がり込み、そのうえ女将に仕事を探してもらったりと、この頃の共同体は、余所者に対し実に優しく開かれていたようだ。「だまされ屋」主人も挨拶もろくにせずぼ~っとして突っ立っている何処の馬の骨か分からぬ義治を二つ返事で引き受けてしまう。大らかなのか、、、そうなのだろう。
「千草」に毎日届けられる氷が気持ち良い。

akasinngou002.jpg

蔦枝の方は、金回りのよさそうな神田の成金ラジオ商人落合をお得意さんにして色々と貢がせ、アパートまで借りてもらう。
さっさと義治に見限る形か、、、落合と駆け落ち?してしまう。なかなかドライな自由人である。
蕎麦屋「だまされ屋」には、玉子という若くて面倒見の良いしっかり者の娘がおり、何かと義治を心配して世話を焼いてくれる。
「千草」のお徳にもいろいろ世話をかけるが、仕事に集中せず、蔦枝に未練を持って追い掛け回ってばかりいる。
まあ、煮え切らない諦めの悪い男だ。神田で暑気にやられ倒れた際、助けてくれた土木作業員に頼んでそこで日雇い仕事でも始めるのかと思いきや、無断で飛び出してきた蕎麦屋にまた舞い戻り、親方へは玉子にとりなしてもらう。
何なんだこのマザコン。
蕎麦屋の玉子と結ばれれば、真っ当な人に更生できたかも知れぬが、、、。

「千草」の常連で、赤線から若い娘を救い出そうとする若いトラック運転手がやはり女将に彼女の堅気の仕事先を頼みに来ていた。娘は特に何も語ってはいなかったが、本心は果たしてどうなのか。
そして男が迎えに行く直前に娘は何処かに売られたのか、自ら去ったのか「洲崎パラダイス」から姿を消す。
嘆き悲しむ若い運転手信夫のドラマも傍らに流れる。
純情な青年みたいに描かれていたが、独り相撲のマザコン坊やにも見えた。

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それから、長年橋の向うに行ったきりであった夫、伝七がお徳の元にある晩ひょっこり帰って来る。
暫くの間、黙って外に突っ立っている。
還って来た放蕩息子みたいだ。お徳に呼ばれて無言で家に入って来てそのまま居つく。
一言もないまま、子供たちを連れて遊びに行ったり、下でやっている貸しボート屋の手伝いをちょっとばかりやってみたり。
ふらふらしている姿恰好は渋いツボ振りの旦那だが、子供がそのまま大人になったみたいだ。
カッコつけマッチョマザコンである。

結局、還って来て女将さんも一安心も束の間、向こう岸のかつての愛人に刺殺されてしまう。
トラック野郎の彼女もずっと貢ぎ続けて迎えに行く頃に消えてしまうし。
蔦枝も神田の落合に飽きて、戻ってきてしまう。この落合の乗るスクーターはとてもイケるのだが。
落合は、当時のお金で10万以上をアパート代や着物代に貢いで、全てパーになってしまった。
やはり橋を渡った向うの住人に過剰に関わると、とても痛い目に逢うことになるようだ。
確かに「赤信号」である。

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折角、玉子のお陰で蕎麦屋の出前仕事を真面目にやり始めたのに、舞い戻った蔦枝に逢ってしまい、義治は彼女とまた一緒に無一文のまま出て行ってしまう。例の勝鬨橋で振出しに戻り、今度何処に行く?である。
それもまあ、良いかも、、、。


なかなか、画面の構図も絵としてよく出来た映画であった。
BGMが独特のジャズテイストでキッチュで中毒性を感じる。
こういった感じの映画を観始めたら癖になってしまうかも、、、。
マザコン三兄弟みたいなのは、ちょっと、なんだが、、、。











レイニーのままで 消えゆく記憶

A Million Happy Nows001

A Million Happy Nows
2017年
アメリカ

アルバート・アラール監督
マリサ・カリン脚本

クリスタル・チャペル、、、、レイニー(有名女優、アルツハイマー)
ジェシカ・レシア、、、エヴァ(恋人)
デンドリー・テイラー 、、、、(レストランのオーナー)


「若年性アルツハイマー」に向き合う大女優とそのパトナーの女性の物語。
「記憶」という人間にとって最も大事なモノが消えてゆく恐怖との闘いが描かれる。
エミー賞の最優秀女優賞を受賞した後から発病する。
凄い賞を獲得した後というのがせめてもの救いか。
(トロフィー~記念の物は、何らかの効果を持つか、、、大概、記憶とは場所や物を拠り所にするが、病の前にはそれも無力か)。
セリフがぜんぜん覚えられなくなって降板し、パートナーの彼女と共に郊外の海を臨める静かな家を借りて過ごすことに。
しかし愛し合う者同士とは言え、いや寧ろそういう関係であるからこそ、記憶の消失による軋轢は厳しい。

女優の病状は進み、苛立ち不安定になる。寄り添いサポートするパートナーの女性も苦悩し葛藤する。
有名女優であること、しかもLGBTの件も、事態を複雑にする。
郊外にいてもひっそりと暮らすことは難しいし、いつまでも秘密には出来ない。
そう、全ては明かされてしまうものだ(特に芸能記者に興味本位の記事を出される危険は大きい)。
であるから、パートナーは妙な噂や曲解又は誹謗中傷されない為自分から先に事実を公表しようとする。
だが、女優は素直に割り切れない、、、。

A Million Happy Nows002

やはりジョギングなどで運動により進行を遅らせようとしても、外出により道が分からなくなる危険の方が大きい。
条件の良い施設に入所し落ち着いた新たな時を過ごし、恋人が時折訪ねて来るパタンがベターで好ましいものか。
ずっと、悩み続ける日々が続くが、事実を周囲の信用のおける人たちに話すことで、しっかりしたサポートにも恵まれる。
ふたりの間で語れることを語り尽くす。

そして、遠からず何も分からなくなり(記憶から飛び去り)、失ったこと自体も忘れ去ってしまう。
虚しさの極みを、知らずに生きることとなる。
女優は意を決し、予め恋人に先の事を全て託す。

アリスのままで」をちょっと思い出した、、、。
この映画はハードであった。
グッと実存的恐怖にフォーカスされていたと思う。

A Million Happy Nows003

そうだ、こちらで書けることはほとんど書いてしまった。
ただ、有名人であり公表が絡むとアイデンティティの問題はよりめんどくさくなってくる。
一般人が何者でもなくなるより、当人が気を揉むのも分かる。が、行くところに行ってしまえば変わりない。

記憶とは一体何なのか、、、改めて考えさせられる。
われわれにとって本質的問題であることは間違いないところだ。
(記憶の為に苦しめられ、救われもする記憶である)。
レイニーは、面会に来たエヴァのことも忘れてしまっているのに、共に過ごした世界の美しい片々を絵に描いて大事に飾っているのだ。
トロフィーも飾られていた。それが何であるかは忘れていても。
良きものだけが未だに魂に刻まれているというなら幸せではないか、、、。
レイニーが最後、エヴァに「あなた、また来てくれる」と願う言葉は、その証では。


相手役のエヴァが繊細なうえにしっかりしていて、理想的なパートナーであった。
この人がいたことでとても支えられ、その後の生も安らかに送ることが出来る。
(実際のところ、これ程のパートナーに恵まれることは難しい)。

A Million Happy Nows004

しかし、邦題が「 レイニーのままで、、、」という「アリスのままで」に瓜二つというのもどうしたものか。
どうしても同じ病をテーマにしていることから来る似たシーンは出て来てしまう。
殊更に比べられるように仕向けることはこの映画にとって不利である。
この映画は、この映画でジェシカ・レシアが素敵で見応えはあった。







ゴンドラ

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Gondola
1987年

伊藤智生 監督
伊藤智生、棗 耶子 脚本・原案
吉田智 音楽

上村佳子、、、かがり(小学5年生)
界健太、、、良(ビルの窓拭き)
佐藤英夫、、、良の父(元漁師)
出門英、、、かがりの父(作曲家)
木内みどり、、、かがりの母
長谷川初範、、、小学校教師
鈴木正幸、、、獣医


ごっこ」と「万引き家族」を直ぐに思い浮かべる。
ひと目~ファースト・インプレッションで、分かり合える者同士は分かり合えてしまう。
そこが共通する。

但し、これは自主製作映画である。
商業主義の映画では作れないものを作ろうとしたものか。
資金さえ何とかなれば、自分の思うように作れるはず。
監督処女作だそうだ。


よく処女作は越えられない、と言われる。
想いの籠った力作であることは間違いない。
絵で魅せる。見詰める目。視線、、、など印象的。
説明を極力抑えている、、、セリフも少ない。
かなり意欲的にエフェクトは入っている。
内界外界の間のような。ヒリツクプールの水と漁港の海の暖かさの対比など、、、。
ビルの谷間に現れる海の幻視などの演出も巧みである。
カメラアングルなどには、無意味に感じる部分はあったが。

時代を感じさせるのは、携帯の無い所だが、他に昔の映画と思わせる部分は少ない。
つまり舞台に違和感がない。
そして夕日が綺麗であった。
携帯が無いと空間がこうも清々しいことにも気づく。
(特にうちの娘たちを見ているとこの携帯依存にイラつくこともあり)。

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とげとげしいかがりの性格が、良の田舎で彼の家族と共に過ごすうちにとても自然に和らいでいる。
こどもにはこうした場が必要なのだ。
素朴な煮物を一緒に食べたり、一緒に風呂に入り裸の背中を流し合ったり、布団を並べて眠ったり、、、。
母のネグレクトで経験できなかった安らかな温もり~生活を知る。
自分の居場所のない荒涼とした都会のマンションと学校との行き来では経験できない沢山の活きた魚や人に触れてゆく。
まさに触れ合い。
生とは何か、、、暗示に充ちている。
これからも時々、この家に来ると良いのではないか、と思った。
(わたしの幼少期にも田舎があったことを思い出す。これほど暖か味はないが)。
作曲家で家を出て行ってしまった父(かがりは彼の思い出は大切にしている)と普段放っている(稼ぎは良い)母が、二人して娘の安否を東京で心配しているのだが、、、それはどうでもよい。

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結局、飼っている真っ白の小鳥が羽に怪我をし、呆然としているかがりの姿を窓を拭きに来た良が見つけ、両者の目が宿命的に合う。
直ぐに共振してしまうふたり。
同じように何処にも場所のない者同士で了解がついてしまう。
ゴンドラで窓ガラスを通して邂逅するというのも上手い。良いアイデアだ。
蜘蛛でも良かった気もするが、、、ドラマ化が難しくなるか子供向けメルヘンになってしまうか(笑。

怪我をした小鳥を仲立ちに出逢い、その遺骸の埋葬を巡る(場所探しの)時間が過ぎ、結局良の漁港の街で壊れた船を修繕して夕日に映える海に出てゆくまでのほとんど何があったワケでもない濃密な時間が描かれていた。
無事に海に葬る。
良が高層ビルの窓を拭いている時、下には故郷の海の穏やかな水面があったが、かがりの絵にもその場面が瑞々しく描かれていたその海である。
時が淡々と静謐に流れる、ここが彼らの場所なのだ。

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かがりと良のふたりの時間に何と言うか在りもしない郷愁の念を覚えた。
これは憧れのようなものかも知れない。
こんな時間が過ごせたなら、間違いなく宝となる。
(娘たちと一度は過ごしてみたいと思った)。


こういった映画にしては珍しく後味も良い。










親知らず

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2020年


宮嶋風花 監督

宮嶋 花奈、、、明日美(女子高生)
井上 悠介
上嶋 凜


監督の大学の卒業制作作品だそうだ。
AmazonPrimeのラインナップも最近、意欲的ではないか。

10代後半から20代にかけて生えてくる「親知らず」は親の知らぬ間に生えてくるため、全て自分のコントロール下に子供を置きたい親にとって想定外の異物であろうし、それを自分に許可もなく抜いてしまったらもう穏やかではない(許しがたい)そんな父と、二人暮らしの娘の物語~シリアスで滑稽なドキュメンタリーを見るような気分で噺は淡々と進行する。

これまでに見た大学卒業制作で最も凄い作品は、タルコフスキーの「ローラーとバイオリン」であった。
彼は最初から巨匠だったみたいだ。
不変の光の詩情がとても印象に残っている。

こちらの「親知らず」は、素人っぽくて清々しい。良い意味でフレッシュである。キャストのせいであるところが大きい。
(芸達者のキャストが演じたらとても重厚で息苦しいものになった気がする)。
そして、生々しいヒリツク感じは心地よい。
出だしから芸術作品を作ってしまう人もいるが、このような直截的な等身大の表現も好感が持てる。
デビューしたての尖った女子ロックバンドみたいで。
演奏力は基本はしっかり押さえてあり、今後も応援したくなる、みたいな、、、(笑。

透明人間みたいに目立たずに生きて来た自分とそう仕向けた周囲に対し強烈な怒りが静かに込上げる。
母を亡くした後、毒父との二人暮らし、、、凄まじく暗い意思疎通の無い家庭。
(この父親、自閉し我が子の幼年期のビデオばかり毎晩?見て過ごしている。典型的な完全憑依型の自立を阻む親か)。
貼り紙で一方的に用件だけを伝える父。それが偏執狂的にエスカレートする異様極まりない家庭環境において、健康な自分~主体がはっきりと頭をもたげたのだ。
「わたしは何も悪くない」「悪いのは周りの人間。この世界だ」という正しい認識を得る。
(こういう親や大人の作る環境にいる子は自分に罪悪感を持ってしまうパタンがとても多い)。
正直にニュートラルに生きる少女。
何にも囚われずにモノを見ようとする。

自分に見えるモノが見える人と見えない人がいる。
そのことを明瞭に知る。
この世には、自分を理解可能な人間と全く理解できない人間がいる。
自分を他者(独立した人格)と認めず、コントロールし支配しようとする全ての欲望に毅然と立ち向かう。

この映画、伝えたいものはぶっきら棒にしっかり届く。
ディテールの接写やパターンの組み合わせ、パタンの反復とその推移による構成など分かり易く説得力がある。
誤魔化しが無く率直・誠実であり、訳の分からぬ表現などは一切しない。
主演の宮嶋 花奈という女の子がとてもピッタリでよく役柄を理解していることが分かる。
エンディングでタップリ唄っているし。
これだけで終わっては勿体ない人だ。
今後も女優は続けて欲しいと思う。
キャストはこれで間違いない(妙に上手くない方が良い)。

ここで演じている人たちは、皆素人に見えるが、どうなのだろう。
どうみても素人にしか見えない。
素人ならではのぎこちなさがここでは潔い。
学校をサボって道端でギターの弾き語りをしてるクラスメイトの曲が彼女のこころを捕らえ解放した。
自分の想いが歌となって流れ出してゆくのを彼女は佇んで聴き入る。

皆、「変な人」を律義に演じているが、変にも色々あるから厄介だ。
まあ、変と謂えば皆変であり、単に色々と変な人でこの世が出来ているに過ぎない。
この終盤の道端ライブは、彼女の心に同調し彼女の目を外に向ける心優しい変な人が忽然と現れた父に刺殺されてゆくショッキングなシーンへと雪崩れ込む。
「もう大丈夫だよ明日美」と、お前とわたしは一心同体だみたいに立ちはだかる父を、今度は彼女が刺し殺して取り敢えず落着する。

その後、担任といつも弁当を作ってくれていた保険の先生と3人で和やかに会食していて、もっとしっかり食べなさいよとか言われている。
保健の先生が「いつでも私のところに来なさい。あなたの役にたちたいのよ」と向けるに対し、、、
「ありがとうございます。でもわたしは暫くは自分独りでやっていけますから、大丈夫です」と返す。
自立してゆく少女というのは気持ちよい。

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最初と最後の白いカーテンたゆたうジムノペディがピュアな映画であった。
勢いもある。

最後の彼女のボーカルによるエンディングテーマ曲もよく分かる、、、。
(道端ライブでギター少年が唄っていた曲だ)。
粗削りで危なっかしいところが、味である。
気に入ってしまった。

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美女と液体人間

The H-Man001

The H-Man
1958年

本多猪四郎 監督
円谷英二 特技監督
木村武 脚本
海上日出男 原作

佐原健二、、、政田(生物化学助教授)
白川由美、、、新井千加子(歌手)
平田昭彦、、、富永刑事
土屋嘉男、、、田口刑事
千田是也、、、真木(生物化学博士)
田島義文、、、坂田刑事
夏木陽介、、、男
佐藤允、、、内田(麻薬密売人)
小沢栄太郎、、、宮下刑事部長
坪野鎌之、、、小山刑事
藤尾純、、、西山(麻薬密売人)
園田あゆみ、、、エミー(ダンサー)


このタイトルは観ておかないと、、、Primeにあったので観てみた。
ウルトラQや怪奇大作戦の映画版と言っても良いノリであった。
面白かった。主題~モチーフが原爆であるがそれを水に籠めて表現しているため実にテクスチュアが表情豊かでイマジネーションを触発する。
物質的想像力を刺激するのだ。
水の本質的に持つ怖さと重なる。
そしてその不気味な漆黒の水面を走る紅蓮の激しい炎である。
このコントラストには恍惚感すら感じるものであった。
この水と炎のせめぎ合いが、ドラマそのものである。

The H-Man002

更に高級クラブの歌姫である新井千加子の歌はとても良かった。
2曲唄ったが、もっと聴きたくなるものであった。
水に火に音楽である。
雄弁で説得力溢れる流れが出来るものであろう。
警察とギャングから狙われる新井千加子自身もその質感のなかに溶け込んでおり、物質的にかなり芳醇な世界が生成されていた。
あの下水道内のスライムの移動と水浸しの千加子の移動は本源的な部分を擽る。
暗闇に潜んで襲い掛かろうとするスライムであるが、質感から言って不気味でも触ってみたい衝動もあり、疼くのだ。

そこへ、まさにウルトラQの顔である佐原健二が一科学者でありながら警察に付き纏い出ずっぱりなのである。
ウルトラQのハイグレード版であるか。
佐原健二も政田助教授になっているし。

The H-Man003

原爆の放射線で人が液体人間となる発想は面白い。
液体になって死ぬのではなく、液体状の新たな生物になるのだ。
それを頭の固い警察幹部に説明するのに、政田が「ガマ」を使って実験してみせるところも面白い。
何で「ガマ」なのか、、、。
それから被爆したモノにあまりに不用意に近づいたり平気で触ったりするところは上手くなかった。ドラマを壊すものとなる。
隔離や防護服は随時必要であった。
だが気になるところはそれくらい。

車も充分クラッシックカーで、ちょっとしたカーチェイスっぽいことまでサービスしてくれるし、、、
昭和の街並みもファッションもダンサーの踊り、ガジェットも風習、言葉の言い回し、単語の面白さすべてフェティッシュな魅力に溢れていた。
「ガマ」もそうだが、何度かしょっ引かれた「第三国人」とか「鏡台」など、今はもう聞くこともない。

The H-Man004

全体の雰囲気に魅了された映画であった。
この頃独特のVFXも味わい深い。
ウルトラQや怪奇大作戦ファンであれば愉しめること請け合いである。














ラジオ・コバニ

Radio Kobani006

Radio Kobani
2016年
オランダ

ラベー・ドスキー監督・脚本


ディロバン・キコ、、、ディロバン(女子大生、ラジオパーソナリティ)


Radio Kobani001

シリア北部のクルド人街コバニが舞台。
ISに侵略されるがクルド人民防衛隊と連合軍の空爆支援により解放される。
他の土地に避難していた人々が帰って来るが、街はもう瓦礫の廃墟に。

物語の前半は延々と戦闘で死んで土や瓦礫に埋もれたズタズタの死体をパワーショベルで掘り出し、トラックの荷台などに乗せて何処かで処分するために次ぎ次に運び出すシーンが続く。このような戦争時のドキュメンタリーでほんの一コマ映されるような光景がかなり続くのには驚く。その生々しさに。そしてもっと驚くのは、年端も行かぬ子供たちがそれを普通に見ているところだ。
きっと猛烈に臭いのだろう。みんな布で口鼻を覆っている。
中には原形を留めず体のどこの部位かも分からぬような死体(破片も含め)を掘り出しては積んで運び出す。
みんな慣れてはいるが、千切れた体の部分を触るのは抵抗があるようだ。

よくある脱臭されたドキュメントとは違う感触を得た。
戦闘は、収まっている様に見えて、ド~ンという音や機関銃の音が断続する。
カメラが急に忙しく動きだしたかと思うと、クルド人民防衛隊の後について、まさに戦闘場面そのものを撮り始める。
一つ間違えれば撃たれておしまいだ。撮っているのはラジオの女子大生か?そのお友達の方か?
流れ弾が飛んでくる可能性も大な立ち位置である。
大丈夫なのか。これには、ホントにハラハラしてしまう。
味方の女性戦闘員が倒したと言って銃を片手に降りてきたところで、その方向を写すと今倒れたばかりといった格好で敵兵士が横たわっているではないか。もう微動だにしない。

Radio Kobani007

手榴弾もかなり敵陣に放り込む。
上から狙いを定め、ロケット弾も。
そして恐らくスナイパー同士の対決もある。
撮影者の身近の女性上官のiPhoneに電話が入る。
学校の校舎に連合軍の爆撃機が後数分後に爆弾を落とすと言う。
(敵は学校に立てこもり攻撃を仕掛けているのだ)。
他の同志にその場を離れるように指示をすると、約束の時間にピンポイントで爆破された。
味方の表情に安堵感が拡がる。その距離感が尋常でないドキュメンタリーだ。
ともかく近い。
こんな時でも、兵士は床屋で髪を整え髭を剃る。
彼はここにスナイパーとしてやって来たと言う。
床屋が整髪しながら、ISの兵を何人殺したんだね、と聞くが兵士は直接答えない。
ただ、敵はマスクを被っていたり、髭で顔を隠しているから分からないが、殺した後顔を覗くと子供であることが多かったと。
夢にまで出て来て、心が痛むと語っていた。
向うを殺さないとわたしも友も殺されてしまう。
それが戦争というモノだという、、、。

Radio Kobani005

次のカメラでは捕らえられたISの兵士が、尋問を女性指導者から受けていた。
あなたは、ここで酷い虐殺を行いましたね。
~コーランの教えに従ったまでだ。ここの人間は信心深くないと聞いている。
何故、女性や幼い子供、老人たちまで殺したのか。
コーランの教えにそんなことが記されているのか。
~金で雇われたんだ。家族に会いたい。貧しくて金を稼がなくてはならなかった。
普通、金を稼ぐのなら他の方法で稼ぐであろうに。

何と愚かで単純な動機だろう。

ディロバンが始めたラジオで戦果の報告をしたり、毎回のようにゲストを呼んでインタビューを行っていた。
彼らは、皆SNSをやっているが、フェイスブックが主流のようだ。
母親とフェイスブックで知り合った彼氏のことを冗談を交えながら楽しそうにしていたりする。
彼氏選びが一番嬉しそうだ。
勿論、友達同士でも盛んに情報のやりとりをしていた。
女子同士の噺は何処の国でもどんな状況下においても同じ、、、。
女の子同士でバイクに乗っていると若者の乗る車が近づいてきてクラクションを鳴らす。
その男子を見てケラケラ笑う。こんな光景もまた何処も同じだ、、、。
しかしディロバンの幼馴染の一緒に男の子に声をかけようと約束していた娘は、ISに斬首され路に死体を晒されたという。
死はいつも隣合わせで、紙一重で生死が決まっている。

Radio Kobani003

ここも一時的に落ち着いても直ぐにロケット弾が夜空を飛んでくるのだ。
凄い音が遠くで鳴り響く。
その翌日にはその地点の民家で葬式が執り行われており、その傍らに泣き叫ぶその身内がいる。
そんな日常に、女子大生の体当たり取材で作られるラジオ番組「おはようコバニ」は放送されているのだ。
よくこの環境下で取材と出演交渉まで熟し、番組制作をコンスタントに継続出来ると感心する。
勿論、パーソナリティもだ。大した力量だ。これだけスキルとバイタリティがあれば世界の何処の放送局でも通用すると思う。
放送中、突然停電し、予備発電機に切り替え続けてゆく。
その辺もぬかりない。
しかし解放された後、発電用のダムがこちらに戻り、電力供給が安定する。
それでもこれまでの習慣で節電に気を付けてしまう。

Radio Kobani004

状況が安定すれば、直ぐにお友達とアクセサリーの店に行き、プレゼントを買ったりもする。
パン屋が窯で香ばしそうな大きなパンを焼き始める。
復興の兆しが見られ明るい表情もあちこちに窺えるようになり、、、
ラジオの力はより肝心なものになって行くはず。
きっと血液の循環を活性させるように。
(TV局になってしまうとこの機動性と良心は無くなってしまうかも)。
日本との違いといえば、、、直ぐ隣に死があるかどうかであろうか、、、。寧ろそのせいか彼らの生は力強い。鮮烈な覇気も感じた。
場所があるなら復興は可能だ。
(われわれに本当の場所があるのだろうか)。

Radio Kobani002

音楽が良かった。とても惹かれた。ここで演奏されたような音楽をもっと聴いてみたい。













アンセイン ~狂気の真実~

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Unsane
2018年
アメリカ


スティーヴン・ソダーバーグ監督


クレア・フォイ 、、、 ソーヤー・ヴァレンティーニ
ジョシュア・レナード 、、、デヴィッド・ストライン
ジェイ・ファロー 、、、ネイト・ホフマン(施設に潜入した黒人記者)
ジュノー・テンプル 、、、ヴァイオレット(施設の患者)
エイミー・マランス 、、、アシュレイ・ブライターハウス(加藤有生子)
エイミー・アーヴィング 、、、アンジェラ・ヴァレンティーニ(ソーヤーの母)


”insane”ではなく”Unsane”だそうな、、、。
リトルバード 164マイルの恋」のジュノー・テンプルがかなりイタイ患者で出ている。
ファースト・マン」でニールの妻ジャネット・アームストロングで出ていたクレア・フォイ が深いトラウマを引きずるヒロインである。
イフ・アイ・ステイ 愛が還る場所」でクロエ・グレース・モレッツのお父さんで音楽教師役のジョシュア・レナードが恐ろしく病んだ怖いサイコ叔父さんを演じる。

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ストーカー行為を逃れ母には適当な理由を告げて引っ越しをする、ということはアメリカに限らずかなりある事だろう。
バリバリのキャリアウーマンのソーヤーにとって、かつてのストーカー行為が酷く響きトラウマが残り、日常生活を続けるにも支障があった為、カウンセリングを受けに行く。
時間的にも空間的にも間をおいていても自分に向き合い、それが単なる事故のような外的原因に過ぎないハプニングであったのか、それを引き起こす内在的な要因を自らの内にもっていた為にその事態を引き寄せてしまったのか、内省して分析し決着は付けておくべきである。
母との関係性を見ると、ソーヤーは幼少期の家庭環境にも問題を抱えており、それが成人後の人間関係や特に異性関係に強く投影されていたと窺える。家庭で被った関係性(愛着)の障害がそのまま形を変えて反復されたのではないか。
成人した後でストーカーで受けた被害があれだけ内面化され~固着し、あらゆる局面において過敏に反応してしまうのは、相当に根深い幼少期~少女期に受けた傷が無意識レベルに生々しく疼いているからであるはず。
その時期、本人を尊重した伸び伸びとした育て方をされ、環界に対し肯定的な生の安定した基盤が形成されていたら、成人して多少の困難に出逢っても、これ程の外傷経験を受けることなくスッキリ解決し回復してしまうものだ。
ましてや反復したり、フラッシュバックしたり、怒りに囚われてしまうようなことはないはず。
母は娘の自立を疎外し自らが彼女に依存する為にコントロールしたがる過保護の雰囲気がしっかり出ていた。これは演出(脚本)上はっきり意図して表現されている。であるからソーヤーは、母に適当な理由を言って遠くに独り離れていたのだ。
(その後、カウンセリング施設に監禁され警察も半ばグルでどうにもならなくなり、母に泣きつく羽目となったが、この時の様子では共依存関係が窺える。その関係を断ち切りたいが為に、遠くに離れたのだろうが、再び母に頼るとこちらでも危うく泥沼化しそうであった)。

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しかしその線で行くと、管理者はもとよりほとんどの施設の職員など、患者の保険金目当てで一定期間拘束している状況を良しとして患者を記号的に利用してるだけであり、薬なども何を与えているか分かったものではない(ほとんど興奮を抑える鎮静剤の類であろう)。ともかく患者にとって極めて危ない施設であることは間違いない。
ソーヤーはここに相談に来てしまったばかりに、強制的に入院させられ、興奮して暴力を振るい拘束までされてしまう。
しかもかつてのストーカーの犯人がここの職員として入り込んでいたのを知る。
弁護士の指導の下、ずっと継続的に対応策を講じて来たのに、デヴィッドはソーヤー一人をずっと監視し続けて来たのだった。
怒りと驚きでソーヤーの気持ち~意識は大きく乱れるのはわかる。
将来を嘱望されている大事な仕事にも戻れず、踏んだり蹴ったりの状況であるが、ネイトという黒人患者が彼女の良き理解者となる。取り上げられて連絡のつけようのない状況で、彼が隠し持っていた携帯が役に立つ。
実は彼はこの施設を怪しんで乗り込んだジャーナリストであった。
だが、ソーヤーと密かにこの施設を出た後の相談をしているところをデヴィッドに見られたネイトは、その妬みから地下室に捕らえられ薬を打たれて殺されてしまう。
ネイトの携帯から母に施設の状況を打ち明けたことで、実際に母が強い抗議に来たことを受け、デヴィッドはメンテナンスに来た作業員に化けて母のアンジェラを絞殺してしまう。
ヴァイオレットもソーヤーとデヴィッドという強烈な個性の間のやり取りの内に挟まれとばっちりで殺されてしまう。
もう邪魔者もそうでなくとも行きがかり上見境なく殺してゆく。
デヴィッドには、もう歯止めが無い。

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ソーヤーと二人で山小屋で自給自足で幸せに暮らすと言う、全く一方的な妄想を圧しつけてくる。
君の事なら何でも知っている。君の事をこんなにも愛している。君無しでは生きては行けない、、、。
明らかに彼もまた愛着障害と発達障害が見て取れる。それが成育過程において悪化の一途を辿ったか。
生理的に全く受け付けられない相手がこちらの気持ちを無視してターミネーターみたいに迫り続けてくる地獄。
ソーヤーも、一方的な思い込みで彼女を自由に操ろうとする暴力に幼少から晒されて生きて来たのだ。
その浸み込んだ体質がこのような狂気を呼び込むのか。
単に魅力的で綺麗なだけで誰もがこんな理不尽な欲求に悩むものではないことは確かだ。


何とか命からがらデヴィッドを始末して逃げることに成功したソーヤーであったが、ターミネーター・デヴィッドの影は彼女の内面にはまだ色濃く残存していた。いささかも色褪せることなく。
その姿は、彼女を刺激するほんの些細な話声で深層からふいに立ち上がってくるのだった。
彼女は未だに怒りと恐れと混乱に突き動かされている。仕事で成功しようが安寧の日々からは程遠い。
デヴィッドは死んでこの世にはいないことは頭では分かっていても、彼女のこころの深層には何ら変化はないのだ。

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毒親が死んでも子供に不変の毒を送り続けてくるように、心的構造を変革しないことには、何も変わることはない。
死者はいつまでもこころのうちに居続けてしまう。
隙を観ては主体化~実体化し知らずの内に操ろうとする。これを昔の人は悪霊と呼んだはず。
相手が生きていようが死んでいようが関係なく、相手を完全抹消しなければ、真の解放は訪れない。
自らの生を生きることは出来ない。
こちらに憑依しかかる全てのモノたちを完膚なきまでに殲滅すること。



ソーヤー・ヴァレンティーニの置かれた状況は、何も変わっていない。
彼女自身が変わることが絶対条件であるが、とても困難であることが分かる。
自分自身に慄く彼女の姿を追いエンディングとなる、、、
















イノセント

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L'innocente
1976年
イタリア、フランス

ルキノ・ヴィスコンティ監督・脚本
スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ脚本
ガブリエーレ・ダヌンツィオ『罪なき者』原作
フランコ・マンニーノ音楽

ジャンカルロ・ジャンニーニ、、、トゥリオ・エルミル
ラウラ・アントネッリ、、、ジュリアーナ(トゥリオの妻)
ジェニファー・オニール、、、テレーザ・ラッフォ(トゥリオの愛人)
マッシモ・ジロッティ、、、ステファノ・エガーノ伯爵
ディディエ・オードパン、、、フェデリコ・エルミル(トゥリオの弟)
マリー・デュボワ、、、侯爵夫人
マルク・ポレル、、、フィリッポ・ダルボリオ(小説家、ジュリアーナの愛人)
リナ・モレリ、、、トゥリオの母


ルキノ・ヴィスコンティの遺作となったもの。
絢爛豪華であるが、とても落ち着いていて色彩にも品格のある絵だ。
退廃性がここは無邪気さにリンクして狂気を帯びて耽美的に描かれてゆく。
久しぶりに映画を観たという感覚に浸る。
但し、この映画の感想は上手くまとめられない、と思う。

恋愛もここまで透徹した視座で描かれると、狂気に近い。
確かに恋愛は一方通行なものだ。
そもそも人の想い自体がそうである。
神をも信じることなく、剥き出しの欲望に従い生きる我が儘なトゥリオやテレーザたちと、ジュリアーナのような思いを深くに秘めて生きる人間との対比を感じるが、やはり貴族という枠のなかでの生活である。
貴族~トゥリオ(貴族の典型かどうか分からぬが)の本質をイノセントという概念から描けないか、、、。
というルキノ・ヴィスコンティ自らの階級に対する内省からくるものか。

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この家族といい、生まれた子供をそれとして見ることが出来ない。
独立した人格として尊重する感覚がない。
双方共に、その子を通して愛人(という超越的人格)を見ている。
そしてトゥリオは、言葉の厚み、両義性についての感覚が疎い。
だから妻が反語的言い回しで言ったことを額面通りに受け取り、赤ん坊を死なせてしまう。
「お前も憎いと言ったじゃん」である。其れを聞くまでは確かに赤ん坊の養育はしてやろうと言っていたので亡き者にする発想はなかったはず。
これでは、仮にこの子が長じても、とても自らの生を生きる幸せな人生など送れまい。
酷い愛着障害と虐待が最初から存在する環境である。
この先まともに育つはずがない。

赤ん坊を窓辺において夜の雪風で死なせてしまうシーンは正視出来るものではなかった。
ジャンカルロ・ジャンニーニのサタンのような迫真の演技であり、下手なオカルトホラーを遥かに凌駕するものだ。
悲嘆した妻ジュリアーナも死に、テレーザにも見限られ、トゥリオ自身も拳銃で幕引きして果てる。
テレーザのトゥリオの死体に慄き屋敷を逃げてゆく姿がそのまま貴族の行く末にも重なるような、、、。
この女は彼女の取り合いでトゥリオと伯爵の決闘の最中に逃げ出している。
そしてここでも最初から自分はその場にいなかったかのように逃げ出す。
ことばにも何にも責任をとらない。この言葉に対する心許ない感覚である。貴族の特権なのか、、、イノセント?

無邪気と謂えば確かに無邪気かも知れないが、フリーな恋愛感覚はともかく、まず親になってはいけない人間であることは間違いない。そして全ての実生活においても、有害でしかない無邪気さ~我が儘である。
この永遠の少年(少女)のままでは、(貴族の)血も絶えるしかない。


確かに”イノセント”は、絶妙な概念~題だと感じた。









血を吸う薔薇

EVIL OF DRACULA001

EVIL OF DRACULA
1974年

山本迪夫 監督
小川英、武末勝 脚本

黒沢年男、、、白木(聖明女子短大教師)
岸田森、、、聖明女子短大学長
望月真理子、、、西条久美(寮生)
太田美緒、、、三田村雪子(寮生)
荒牧啓子、、、林杏子(寮生)
田中邦衛、、、下村(校医)
佐々木勝彦、、、吉井(教授)
桂木美加、、、学長夫人
伊藤雄之助、、、高倉刑事
吉田静司、、、土屋刑事
小栗一也、、、細谷(聖明女子短大教師)


一昨日辺りから、過去のカルト映画?に当たり、観始めているのだが、往年の名優の若かりし頃を見る価値は感じるが、私自身あまり映画や俳優に関心が深い訳でもない為、その頃の街並みや車、調度やグッズ、ガジェットに目が向く。
ここでは、もう1970年代なので、車もさしてクラシックカーという訳でもなく、あまり時代の特性は感じられなかった。
特定の御屋敷内がほとんどであり、空間的にも限られている。

「血を吸う」シリーズの第3作目らしい。日本の吸血鬼というのも面白いが、宗教性はどうなのだろう。
日本流吸血鬼の雰囲気が掴めれば、これひとつ観てよしとする。
他に色々見るものがあるし。このカルトシリーズも最後としたい。
「怪奇大作戦」で馴染んでいた岸田森目当てで観てみた。
日本の俳優では、一番好きな方の俳優だが、「ゴジラ」の芹沢大助博士の平田昭彦が圧倒的であったな、、、。昨日の「電送人間」にも出ていたが。
後は、笠智衆。
思えば、「東京物語」と「ゴジラ」の二つがわたしにとって最も神聖で美しい日本映画かも知れない。
そう、もうひとつ、「雨月物語」(溝口 健二)も忘れられない。これは変わらないだろうな、、、。

EVIL OF DRACULA002

長野県字魔ヶ里村の聖明女子短期大学を舞台に、200年前に起きた陰惨な事件に端を発する吸血鬼伝説が蘇る、と言った感じか。
東京から呼ばれた心理学の教師白木が何故かいきなり現学長から次期学長候補だと告げられる。
白木は勧められたブランディ―を呑んで眠った夜、悪夢を見る。
吸血鬼と逢ったこともない失踪した女子学生を夢でありありと見たのだ。
寮では学生の不審な失踪も続いており、前学長候補は発狂しているという。
「不死身の魔性は生身の人間に乗り移っている」という彼の日記を発見する。
学長を疑い、白木は校医の下村とともに真相を探り始める。

EVIL OF DRACULA004

その間に、また女子学生が犠牲となる。
そして下村校医も学長が女子学生の血を吸っている現場を押さえ写真を撮りながらも彼に殺されてしまう。
現像された写真には、女子学生しか写っていなかったが、明らかに何者かに支えられた姿勢なのだ。
その不自然に空いた空間を埋める者は現学長であった。
彼は人の身体に憑依しては生命を長らえてきた吸血鬼なのだ。
丁度、学長とその妻は身体の取り換え時なのであった。
その候補が白木とどうやら西条久美のようだ。
久美と同部屋の二人、三田村雪子と林杏子は学長夫妻の犠牲となってしまう。

EVIL OF DRACULA003

かなり早い時点で学長が鋭い牙を見せて吸血鬼の正体を見せてしまうので、こちらにとってサスペンス的なワクワク感は無く、オカルト的な深みも感じない。そもそも日本で吸血鬼と謂われても歴史的背景を下村校医の伝説の語り部の付け焼刃で納得させようとしても無理がある。
必然的にクリーチャー(ホントはサタンだがその意味性は無い)との取っ組み合いのファイトみたいになってしまう。
学長吸血鬼が暴れ、白木が散々投げ飛ばされたりして苦戦するが、ただの肉弾バトルが続く。
吸血鬼の圧倒的な強さを表しているのか、迫力を見せてシーンの盛り上げを見せようとしているのか、しかし流れは何とも言えない平板なものだ。起伏も捻りもなくギミックもなく、シーンは退屈に成らざるを得ない。

最終的に胸に杭を打ち込むことで仕留めることになるが、偶然のことである。
必死で暖炉から拾った火掻き棒?で闇雲に突き刺したまでだ。宗教的な意味はない。
これで学長と夫人の二人が同時に萎れるように果てて逝く。
一心同体なのだ。

EVIL OF DRACULA005

薔薇の花については、女子学生が白い薔薇を一輪挿しにしていたが彼女が血を吸われたときに薔薇も赤く染まったというだけで、周囲は花を挿し替えたと思ったというくらいのもの。
余り題名とするほどの重みも象徴性もない。オマケ程度のアクセサリー。

あまり黒沢年男がこの役どころに合っているようには思えなかった。
女性陣も今一つ。
岸田森が独りで前のめりに頑張っても、ちょっと周りが乗り切れなかった感がある。
田中邦衛もよい味を加えていたが、作品自体がともかく小品であった。


明日はヴィスコンティでも観たい、、、。














電送人間

The Secret of the Telegian002

The Secret of the Telegian
1960年

福田純 監督、円谷英二(特技監督)
関沢新一 脚本

鶴田浩二、、、桐岡勝(東都新報記者)
平田昭彦、、、小林警部
白川由美、、、中条明子(日邦精機OL)
中丸忠雄、、、中本伍郎(須藤兵長)
河津清三郎、、、大西(海南貿易社長)
田島義文、、、隆昌元(キャバレー経営者)
土屋嘉男、、、岡崎捜査主任
佐々木孝丸、、、仁木博士(電気工学博士、電送装置発明)
天本英世、、、海南貿易社員
村上冬樹、、、三浦博士(電気工学博士)
堺左千夫、、、滝
向井淳一郎、、、警視庁部長
大友伸、、、塚本


多摩川園のお化け屋敷から始まる殺人事件。
これまたウルトラQとか怪奇大作戦の空間が拡がる良い雰囲気。


ガス人間の土屋嘉男がここでは岡崎捜査主任である。ガス人間の方が魅力的であった。
こちらは普通の刑事で単純な役だ。
中丸忠雄扮する須藤兵長は電送されて目的地に現れる。
ガス人間のように自分の(身体)能力としてではなく、大掛かりな装置を通しての電送(物質転送)である。
つまり原理的には装置を使えばだれでも電送され得るのだが、その装置を独占的に使用出来る人間をここでは電送人間と呼ぶ。
世間一般は、まだそのテクノロジーの存在を知る者はいない。この事件に関わった刑事と記者だけが知ることとなる。
結構めんどくさいシステムになり、現れる先の地に受像機を予め送って置かなければならない。そこで像を結ぶのだ。
映画では襲う予告を出していたが、事前に警察に受像機を探され押さえられたらおしまいと思うが、、、。
しかもここでは律義に、殺す相手に従軍時代の認識票を事前に郵送しているのだ。
(後の順番程、怖がらせる効果が充分期待できるが)。

但しまだこの電送システムは完成しているわけではなく、須藤兵長が現れた(実体化した)時、凍り付いたような無機質で不気味な表情である。
冷却装置が電送機には無くてはならず、その調達、調整やメンテも大変そう。
何より維持費がかなりかかりそう。
やはりこの時分はモバイルの発想がまだ弱かったか。
(この方式では奇襲もかけられないし、機動性に欠ける)。

The Secret of the Telegian001

人々がオープンリールテープレコーダーを使っている頃である。
鶴田浩二がこんな風なヤングであった頃である。
(後のらしさがない)。
平田昭彦はイメージは変わらない。
この人は、ずっとこの雰囲気であったことに気づく、、、。

The Secret of the Telegian004

それはともかく、昨日の「ガス人間」には無い要素で、キャバレーが出て来るが、昭和のキャバレーとはこんなんだったのか、、、
「軍国キャバレー」である。60年代安保。悪役経営の店というところで妥当なものか。
殺される海南貿易社長の大西の店である。
コスプレ要素が強く、今あってもおかしくない気もする(若干ホステスの年齢層が今より上か)。
全身金粉塗った女性ダンサーが勢いよく踊りまくるところもあり、かなり店のシーンに力を入れていることが伝わる。
電送人間の電送時のスキャンシーンや怪しい光に包まれ走査線ノイズみたいなものが全身に走る様相に勝るとも劣らないインパクトだ。

当時の昭和の雰囲気が出ているのかどうか、こういう店は本質的に時代を超越している気もする。

The Secret of the Telegian005


何でも14年前、大西、隆、塚本、滝の四人の兵は敗戦時、軍の金塊を横領することを企み、阻止しようとした須藤兵長を軍の兵器研究の仁木博士もろとも洞窟の爆破で埋めてしまった。その際に金塊も埋まってしまう。その後、4人の国賊たちは掘り出しに行ったが、死体も金塊も消え失せていたという。例のふたりはどうやら命は助かり金に換えたのだろう。
仁木博士が人間を電送する装置を開発出来た事、須藤兵長が中本伍郎として軽井沢に小西牧場を持ち、そこに冷却装置を設置していることからも潤沢な資金として利用されたはず。
博士は下半身の自由を失ったが、純粋に研究を推し進めて来た。
そして、須藤兵長はその研究の成果を利用し、不正を働き自分たちを殺そうとした4人に復讐をしてゆく。
(この事実を博士は知らない)。
須藤においては天誅だ、というノリである。

The Secret of the Telegian003

結局、最後の復讐を遂げ、電送機に乗りスキャンが始まった時に牧場の電送機を博士がストップし、そこへ浅間山の大噴火による火山砕屑物などで牧場が破壊され須藤はスキャン中にもがきながら消滅する。
桐岡、小林らはその様子をただ見届けるだけである。

この電送機も大戦時に秘密裏に開発がなされた兵器のひとつであろう。
鉄人28号と同じく。

The Secret of the Telegian006

VFXもなかなかなもの。
この時期の映画で気づくことがあった。これはウルトラQなどでもそうだが、、、
警官がやたらと拳銃を発砲する。
煙草を吸いまくる。
これがとても目に付くところだ。








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ガス人間第1号

The Human Vapor004

The Human Vapor
1960年


本多猪四郎 監督
円谷英二(特技監督)
木村武 脚本
ジョン・メレディス・ルーカス『ガス人間』原作

土屋嘉男、、、水野(私立社陵文庫司書)~ガス人間
三橋達也、、、岡本賢治(警部補)
八千草薫、、、春日藤千代(春日流家元)
左卜全、、、じいや(春日流鼓師)
佐多契子、、、甲野京子(東都新報記者)
村上冬樹、、、佐野(生化学博士)
中村哲、、、戸部(東都新報編集局長)
松村達雄、、、池田(東都新報部長)


監督が本多猪四郎 監督、円谷英二(特技監督)であるし、「ウルトラQ」又は,「怪奇大作戦」臭がプンプンするので、昨日に続き、日本の影の名作?のひとつとして観てみた。
途中で3回寝た。
短時間であり、あまり影響はないかと思う、、、。

それにしても「わたしはガス人間だ~」とニコニコして登場したりしているが、「ガス人間」ねえ?しかも第一号。
微妙。
わたしは娘からパパ加齢臭くさいから、とか言われショックを受けているが、、、それとこれとは違うか、、、。
無臭ガスなのだ、きっと。それで誰にも勘付かれず銀行強盗が出来たのだ。

それにしても最近はマスクすると暑苦しくてかなわん。
早く、エアリズムのマスクが出ることを願う。

この映画も見ながら何故か汗をかいてしまった。
左卜全さんはタップリ出ていて、塩沢ときさんもちょっと姿が見え、キャストは良いのだが、緩いのだ。
ともかく、ゆるゆるで催眠術にかかったみたいになってしまう。
いつの間にかウトウトしていて、これはいかんと思って目を開けるのだが(意識だけは)。ふと気づくと眠っていたりする。
ウルトラQというより怪奇大作戦の1話分を3倍に拡大したみたいなテイストなのだが、やはり30分に圧縮した方が、締まって良かったような、、、。

The Human Vapor001

地味な存在であった図書館司書が発明家に「ガス人間」にされてしまう。
何度も失敗して、初めて成功した為、第一号と名乗ったらしい。
確かに鉄人28号もいるし。
何番目に拘る人はいる。
ともかく、ガス分子になって掴みどころのない(ピストルで撃たれても何の抵抗もない)状態になり、何処にも忍び込めるのは察しはつくが、その状態のままどのようにして札束を持てるのか分からぬが(ガス状態のまま人の首を絞めたりしているので札束にも働きかけることは出来)、たんまり金は頂いている。この辺のガス分子の瞬時の組織化~有機化が自在なのだ、きっと。

スーツから抜けてガスとして活動し、戻るときはどうするのか、恐らく家までガスのまま札束持参で移動するしかあるまい。
いや、犯行現場にスーツ上下を残すわけにもいかないだろうから、家からガス状態で移動(往復)してたのか。
強風が吹いたりしたらどうなのか、長距離を特定の方向に調整移動するための何らかの推進力はどういう形で得るのか。
凝縮したり希薄化したりで、まとまった動きがガスのままで出来るとしても、人体化する変容運動のプロセスがもう少し窺えるVFXが挟まれていたら、もっと興味深い変身ものになっていたような、、、。
わたしならガス人間より透明人間の方が面倒が少なくお気楽そうで良いが(何でわたしなら、なのか、、、)。
、、、半分眠っていると、ろくなことを考えないので、集中したい。

The Human Vapor005

図書館で出逢った何故か凋落した日本舞踊の家元に恋をし、彼女のパトロンとして、特異体質を生かし銀行強盗で金を貢ぐ。
舞台資金はしっかり貯まり公演が開けることとなる。
家元には、実家の土地を売った金だと説明していたが、結局バレてしまう。
彼女は自分は潔白であったが、彼の盲目の恋心も察し、全てに決着を付けようと舞台に臨んでいた。
それが彼らの悲劇であった。

家元にとって最後の舞台演目をガス人間一号の見守る中、演じ終えて彼と抱き合う。
これも「美女と野獣」の日本版バリエーションであろうか。
家元は会場にガスが充満していることを知りつつ、ライターに点火する。
(事前に警察の企みは知っていた)。
所謂、心中である。
かなり重い悲恋ドラマなのだ。

The Human Vapor002

劇場が大爆発で燃え盛っているところ出口に這い出たガス人間一号。
息絶えた最後の生々しい名状し難い即物的な死体は、残穢と謂うべきものか、、、。


終盤になって急激に引き寄せられた映画であった。
(わたしのコンディションにもよる)。

The Human Vapor003


佐多契子の喋り方に顕著に出ていたが、この頃の女優の発話の仕方の典型でとても不自然で気にかかる喋りであった。
小津映画でも女優の喋り方に時折窺えるものだ。











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日本沈没

TIDAL WAVE003

TIDAL WAVE
1973年


森谷司郎 監督
中野昭慶(特撮)監督
小松左京 原作
橋本忍 脚本
富岡素敬 撮影
佐藤勝 音楽


藤岡弘、、、小野寺俊夫(潜水艦操縦士)
いしだあゆみ、、、阿部玲子
小林桂樹、、、田所博士
滝田裕介、、、幸長助教授
二谷英明、、、中田(科学技術庁)
中丸忠雄、、、邦枝(内閣調査室)
村井国夫、、、片岡(防衛庁技官)
夏八木勲、、、結城
丹波哲郎、、、山本総理
伊東光一、、、外務大臣
大久保正信、、、老人
角ゆり子、、、老人の姪
竹内均、、、竹内均教授


日本の古典的名作でその内、観なければとおもっていたものの一つを今日観てみた、、、。
丹波哲郎が総理大臣で出ていた。好きな俳優である。

竹内均教授が地球内部の構造を内閣大臣や専門家相手に解説しているところは、NHKの科学番組みたいで面白かった(笑。
丹波哲郎がとても真剣に聴き入っていた。流石に上手い説明である。
これまで地球史的に観れば大規模地殻変動は何度も起きてはいるが、今回は日本海溝における大きな変動で日本列島が消えるに留まる。
(他にもアドヴァイザーとして、耐震工学:大崎順彦、海洋学:奈須紀幸、火山学(気象研究所地震研究部長):諏訪彰などの専門家がついている。とても力の入った映画だ)。
随所に見られる科学的な説明が納得のいくものであった。

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ウルトラQのノリで始まりウキウキしながら見られた。まさにその質感である。
ゴジラ」以来の大作だと思う。
「わだつみ」がやはり魅力だ。わたしは宇宙探査機と潜水艦にはかなり惹かれるものがある。
しかもこの「わだつみ」10万メートルまで潜れるのに、15人くらい乗船出来そうではないか。
しんかい6500など、パイロット2人と科学者1人までしか乗れない。おまけにトイレもない為簡易トイレ持ち込みである。
「わだつみ」には乗ってみたい(笑。青木繁の「わだつみ、、、」から来たネーミングであろうか、、、。
この「わだつみ」を田所博士ら科学者を何人も乗せて、小野寺が操縦し深海を探索する場面は、わたしとしては一番ハラハラした。

TIDAL WAVE004

田所博士と山本総理と小野寺俊夫を中心に配し、科学者~政府~民間人の動線を絡めてゆく。
人物描写がそれぞれに濃く単なるパニック映画とはならない重厚さがあった。
特に、この映画では、日本民族が国を失い、他の国に引取られて果たしてやっていけるのか、という部分もかなり考えさせるものとなっている。島国に守られて来た日本民族がどれだけ諸外国でやってゆけるのか。
首相と田所博士、そして小野寺操縦士もそれぞれ真剣に考え立ち向かっていた。
外相が根回しして回っていた外国の対応、国連での諸外国の反応もリアルである。
それはそうだ。すでに移民問題で長年問題を抱えている国も少なくない。
日本人100,000,000人の受け入れはどう分担してもどうしたって無理がある。
これから先の情勢を考えれば、移民受け入れは更に厳しくなってゆくはず。
(実際、こんな事態になったらどうするのだ、、、恐らく日本の政治家で考えている人間はまずいまい)。

TIDAL WAVE002

このまま何もせず、全員日本列島と共に心中という選択肢もあった。
その選択肢を踏まえた上での未曾有の事態における判断としては、これ以上は望めなかったのではと思わせる。
先見の明を持って臨む山本総理の真摯な対応ぶりは、実際の現実の政治状況を改めて考えさせるものがあった。
数日前やっとうちにも「あべのマスク」が届く。まず使うことのないマスクが。
頓珍漢な政局からしても、このような事態に対応できる日本ではないことは自明である。
田所博士が他の学者とのTV対談で、国民を不安に陥れるものではないなどと嘯く姿勢に腹を立て「この御用学者め!」と叫んで掴みかかるところなど、共感した。事態がまるで分かっていない者たちがギリギリまでしたり顔でいるのだ。

TIDAL WAVE001

苦慮しながら難しい決断をしてゆく凛々しい総理であった。
小野寺俊夫も民間人として人々の救出を精力的に行い海外メディア「ニューズウィーク誌」でも”かみかぜ”として取り上げられる。
ここでも雑誌名をちゃんと適当な名のでっち上げ誌ではなく、「ニューズウィーク」を使っているところに気概を感じた。
ただ、彼と阿部玲子の恋愛の成り行きなどの線にはあまり魅力は感じない。
勿論、市井の人の恋愛~個人的な生活を、この民族存亡の大混乱のなかに絡める狙いは理解できるが、然程ドラマの効果は無いように想える。どうも玲子役のいしだあゆみが弱い。もっと良い女優がいたはず。これが勿体なかった。
結局、二人とも助かるが、それぞれ遠く離れた外国に彷徨う身であった。
日本人が世界に散ったら果たしてどうなるのだろう、、、。
ユダヤ人のような力(狡猾さや知恵)が発揮できるだろうか。


わたしとしては、ウルトラQなどの特撮モノを見る楽しさの(フェティッシュな)延長で観ることが出来たが、最近のハリウッド映画のVFXを見慣れた目で見たりすると結構キツイものかも知れない。
当時の出来る限りの工夫を凝らした大作であるとは謂えようが。










アップグレード

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Upgrade
2018年
アメリカ、オーストラリア

リー・ワネル監督・脚本
フェリシティ・アボット美術
ジェド・パルマー音楽

ローガン・マーシャル=グリーン、、、グレイ・トレイス(自動車の整備士)
メラニー・バレイヨ、、、アシア・トレイス(グレイの妻)
ハリソン・ギルバート、、、エロン・キーン(天才エンジニア、実業家)
ベティ・ガブリエル、、、コルテス刑事
ベネディクト・ハーディ、、、フィスク(ギャングのボス)
リンダ・クロッパー、、、パメラ(グレイの母)


インシディアス 序章」、「インシディアス 1, 2」、「ソウ ”SAW”」のリー・ワネル監督・脚本によるとてもしっかり作りこまれた作品。

舞台は生活のほとんどのインターフェイスが音声で自動化されている近未来。
アシアの全自動走行車のデザインはなかなかのものである。
グレイ・トレイスはガソリンエンジンの人の運転する自動車(クラシックカー)に拘り、その修理と販売を行う。

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顧客のIT実業家エロンに注文の車を妻と共に届けた帰りにグレイ夫妻の自動運転車が何者かに操られ事故を起こす。
そこに現れたギャングに妻は射殺され自分は首を切られ四肢麻痺状態となる。
失意のどん底にいたグレイの病室にエロンが見舞いにやって来てSTEM(ステム)を身体に埋め込むことを勧められる。これまでのように自由に動くことが出来るようになるというのだ。但し企業秘密でありステムの埋め込みは違法でもある為、極秘事項である。
そのチップは、車を届けた日にエロンの邸宅で見せられた究極のAIチップであった。

極秘の手術により高性能AIチップを埋め込んだ身体は人間離れした運動神経も発揮できた。
ステムが脳の指令を受け取り彼の四肢を自在に動かしているのだが、それ以上の機敏さと巧緻性とインパクトを示す。
相手と戦う際には、まるで動きはカンフーの達人みたいだ。
ドローンの撮影した解像度の低い画像を解析しグレイの手を使って精確なペン画に起こすなど、便利を越えている。
そしてステムが脳にダイレクトに話しかけ、アドヴァイス~指示をしてくるのだ。
グレイの目を通しより詳細なデータを得て精緻な分析や予想の結果を伝えてくれる。
その指示に従っていればまず間違いはないのだが。
(脳が2つある状態か?少なくともこちらの脳の情報を神経系に伝達する役目は大きく逸脱した独自性を発揮している。ただひとつそうすることの承認をグレイの脳から受けなければならない)。

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グレイは警察が犯人をなかなか特定できないことに業を煮やし、自ら妻殺しの犯人を突き止めることにする。
神経系を任せ、デジタル情報だけでなくデジタル機器も自由に操ってしまうステムに頼りながら独自に操作を進める。
周囲にはあくまで、四肢の不自由な車椅子の男で通しながら。

自分たちを襲った犯人たちを探り出しグレイは情報を聞き出し警察に引き渡そうとするが、ステムの存在がばれ、グレイの体が動くことを知られるのはまずいということで、グレイの意図に反しあくまで最後まで自分たちで犯人を処分することに、、、つまり単なる復讐となる。
グレイが慄くなか、次々に犯行に関わった者たちを惨殺することになってしまう。
いつの間にか、彼はステムに半ば身体を乗っ取られたような従属的立場になっている。
しかし、ステムを終了させるとグレイは四肢の麻痺した人間に戻ってしまうのだ。
これは自分も加担する自在性は傍らに感じつつ真の自由とは言い難い状況に陥ったことを意味する。

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エロンは自分の開発したステムを追跡していたが、犯人を追うことで警察~外部にこの件が漏れることを危惧し不快感を露わにする。
そしてエロンがステムをシャットダウンしようとしていることを事前に予測したステムは、有能なハッカーの居場所を探り当てており、そこにグレイを向かわせる。そういった極秘情報はネット上からは隠匿されていた。だからステムがダイレクトにアプローチは出来ない。生身でグレイがその場所に乗り込む必要がある。
ここでエロンのステムのダウンとグレイのハッカーがその前に妨害できるか、そしてその場所を嗅ぎ付け先手を取ろうとしているギャングのボス、フィスクたちの襲撃をスリリングに見せる。
こういう場面が実に上手い。

勿論、ここは間一髪でエロンの端末をシステムエラーとし(プログラムの制御コードの書き換えにより)フィスクの襲撃も交わす。
フィスクも改造を受けた人間であった。
腕に銃弾を装着し掌から射撃ができ、相手の目から情報を読み取り記録する機能を持ち、くしゃみ~唾からミクロのナイフを放ち相手を殺傷するなど武器を身体に埋め込んでいるのだ。
フィスクの仲間は全て殺すが、彼は姿を消す。
エロンの制御から外れたステムは完全に自由になっている(誰の承認もいらない。何処にもアクセス自由である)。
ここが肝心なところだ。

まず直接妻を殺害したことが分かったフィスクを追い詰めてゆく。
フィクスはお前は俺たちの仲間だと言い、アシアは単に巻き添えで死んだだけであり、実はお前が目当てであったと言う。
ここでのフィクスとグレイのバトルは、ステムの戦闘オプションを使い果たすレベルの闘いとなるが、グレイの人間臭い挑発でフィクスが動揺した一瞬を突いたステムによる反撃で辛うじて倒す。
そしてフィクスの耳から通話記録を呼び出しエロンがその依頼人であったことがはっきりする。
エロンが黒幕であった、、、。しかし車を届けに行った時の彼の退廃的な様子は何を物語るのか、、、
雲を壁にアートのようにこしらえていた。

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グレイがエロンの邸宅に着いた時にはコルテスがすでに網を張っていた。
コルテスは当初からグレイと妻を襲った犯人よりもグレイを張っていた節がある。
刑事の勘か。それは鋭かったが、彼女はステムにとっては最も鬱陶しい存在であった。
グレイは彼女を殺させまいと何とか抵抗を試みる。
そう、エロンの手をステムはすでに数年前から離れていたのだ。
車を届けに来た時、ステムはグレイに乗り移り自在に動ける存在になることを目論んだ。
エロンはその命令に従ってフィクスたちを動かしたのだった。
企業はステムが運営しておりエロンは形だけのCEOであったのだ。

エロンもステム~グレイによって殺害される。
グレイもついに、こころが壊れ内閉してしまう。
事故で入院したが身体は何ともなく、元気な妻と無事を喜び合っているグレイがそのなかにいた。
こころを閉ざしたグレイの身体は完全にステムが引き継ぐ。
コルテスも結局ステム(グレイ)によって殺されてしまう。
もうステムにとって邪魔者はいない。

エロン宅を一人、アップグレードされたグレーが出てゆく。



キャストがとても良かった。特にエロンの病的な天才エンジニアの雰囲気がこの映画にフィットしていた。
このアップグレード版グレーがこれから何をするのか、続編が出来れば是非見たい。
傑作である。







ガガーリン 世界を変えた108分

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Гагарин. Первый в космосе
Gagarin: First in Space
2013年
ロシア

パヴェル・パルホメンコ監督・脚本
アンドレイ・ディミトリエフ、オレグ・カパネテッツ脚本
ジョージ・カリス音楽

ヤロスラフ・ザルニン、、、ユーリイ・ガガーリン
ミハイル・フィリポフ、、、セルゲイ・コロリョフ:
オルガ・イヴァノヴァ、、、ヴァレンチナ:(妻)
ナジェジダ・マルキナ、、、母親
ヴィクトル・プロスクーリン、、、、父親


ヤロスラフ・ザルニンという俳優がガガーリンにとてもよく似ていた。
奥さん役のオルガ・イヴァノヴァも清楚で知的な素敵な人であった。
そしてお父さんがとても人格者である。役者も良い。ここが素晴らしい。
やはりキャストが良いと入って行きやすい。

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ユーリイ・ガガーリンはボストーク3KA-2で世界初の有人宇宙飛行に成功した。
彼が1961年4月12日の前夜から無事に帰還するまでの噺であるが、その間にタップリとボストークに乗り込むまでの回想が入る。
淡々と描かれてゆくが、もたれるところは否めない。
何処かにフォーカスしてもう少し絞った方が良かったか。
「声」を聴いているところが、如何にも彼らしい、、、。

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地球周回軌道に乗ってから国民向けに初めて放送が開始されたが、もしそれまでに何らかのアクシデントで失敗していたなら、そのまま隠蔽されてしまったのだろうか、と思うと背筋が寒い。
そもそも妻にさえ打ち上げの通達はなく、彼女もラジオで夫が地球の周りを回っていることを知ったのだ。
上手くいかなかったら、ガガーリンは闇に葬られて終わり。
東西冷戦真っ只中である。
アメリカを如何に出し抜くかの、これも宇宙戦争だ。
再突入後に敵国の領土に着陸したら爆破するなどと物騒なことをコロリョフ設計技師長が言っていた。

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しかし成功がはっきりすると、今度は世界に向けた宣伝も華々しい。
初めての無重力体験も含め政治的にも技術的にも様々な重圧が相当なものであっただろう、と感じながら見ていたが、彼にとっては還って来てからの重圧の方が凄かったらしい。
その辺の経緯も描かれているともっとこの頃の宇宙飛行士の置かれた事情が分かるのだが。

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いやその前に、7000m成層圏からのパラシュート着陸というのが驚き。
無謀なことを幾つもクリアしての帰還だったのだ。
メカ関係が驚くほど精緻に再現されていたが、ホントに心許ない段階であったことが分かる。
当時の質感が見事であった。
技術の進歩という点においては、加速してきた経緯が窺えるものだ。
(他の映画との質感も微妙である、、、「ファースト・マン」など)
更に分からないことだらけ。
無重力で脳は働くのか、、、身体は耐えられるのか、、、こんななかで行ったのだ。
(訓練方法も身体チェックも暗中模索と謂った感じ)。
「辞退させて、独身者にやらせましょう」と謂った(他の飛行士の)妻もいた。
夫が行くことがほぼ決定していたガガーリンの妻は、それは違うと思う、と答える。
流石だ。

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ガガーリンだから、この体制とテクノロジーで成功できたのだと信じさせてしまうドキュメンタリー調の映画であった。










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戦場のピアニスト

The Pianist001

The Pianist
2002年
フランス、ドイツ、ポーランド、イギリス

ロマン・ポランスキー監督・脚本・製作
ウワディスワフ・シュピルマン原作
ロナルド・ハーウッド脚本

エイドリアン・ブロディ、、、ウワディスワフ・シュピルマン~ウェイディク(ピアニスト)
トーマス・クレッチマン、、、ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉
エミリア・フォックス、、、ドロタ(ユーレクの妹、チェロ奏者)
ミハウ・ジェブロフスキー、、、ユーレク(ウェイディクの親友)
エド・ストッパード、、、ヘンリク(ウェイディクの弟)
ルース・プラット、、、ヤニナ(旧知の歌手)
ダニエル・カルタジローン、、、マヨレク
ロナン・ヴィバート、、、アンジェイ(ヤニナの夫)
ヴァレンタイン・ペルカ、、、ミルカ(ドロタの夫)
ロイ・スマイルズ、、、イーツァク・ヘラー(ユダヤ人ゲットー警察署長)


ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元に描いた重厚な作品。
トーマス・クレッチマンのピーター特派員を演じる15年前のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉が凛々しい。
実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンという人には大変興味深いものがある。
(勿論、ショパンをホントにここまで弾きこなすエイドリアン・ブロディは凄い、、、代役なしである)。
ロマン・ポランスキー監督もかつてゲットーにいた人であるという。
そうでなければ描けない実体験のディテールを随所に感じる。

The Pianist004

第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台とした映画。
ユダヤ人迫害の凄まじさを淡々と見せつけられる。
彼らは、ユダヤ人専用の居住区(ゲットー)に強制移住させられ、ダビデの星の腕章を腕に付けることを義務付けられた。
突然、兵がアパートの一室へ雪崩れ込んだかと思うと、車椅子の老人をベランダから突き落とし、路上に出した他の家族を走らせ狩りのように銃で撃ち殺してゆく。そんな光景を他の家族は窓越しに観る(この老人や体の不自由な人を窓から突き落とすような行為は、ファシストは決して行わない。ナチズムとファシズムの決定的な違いである)。

この頃、フランスとイギリスの宣戦布告を知り、楽観的になるユダヤ人も少なくなかったようだが、逆に厳しさは増すばかりであった。
就労証明書のない者は強制収容所送りという噂が立ち、ウェイディクが何とか家族全員分の証明書を揃えたのも束の間、全員が収容所に連れて行かれてしまう。ウェイディクだけは、ヘラーにその隊列から掴みだされ命は助かる。
この時期には、ごく普通にユダヤ人の銃殺されてゆく光景が街角で日常化してゆく。
散歩の途中といったノリで、ランダムに選んだ老人たちを舗道に俯せにさせ、パンパンと撃ち殺してゆく様は、余りにあっけらかんとして乾ききっている。ドイツ人にとってユダヤ人とはこれほどまでに単純な記号に過ぎなかったか。
(ユダヤ人にも、何か麻痺した極限状態の姿を覚える)。

The Pianist006

ゲットー内に残り、強制労働に就いていたウェイディクは、ユダヤ人が武装蜂起を計画している事を知り、彼らに協力するが実際に蜂起する前にそこから伝手を頼って出てゆく。出てゆくとき「出るのは簡単だが、生き残るのは困難だ」と謂われるが、まさにその通りであった、、、。
ゲットーに残って蜂起したユダヤ人もほぼ全滅する。結局50万いたユダヤ人で残ったのは20人であったという。
旧知のヤニナに頼みこみアパートに匿ってもらうが、大きな(皿を割る)音を出してしまい隣人に怪しまれそこからも脱走することに。
この辺から非常に厳しい逃亡生活が始まる。
アンジェイから渡された緊急用の住所に行くと、そこはかつて恋心を抱ていたドロタのアパートであった。
(ここでは安全の為、外から鍵をかけられ一人残されるも、2週間ほっぽらかしを喰らい栄養失調で死にかける)。
彼女の夫ミルカからもよくしてもらうが、結局子供を安全なところで産むために彼を残し夫妻はそこを去って行く。

The Pianist002

ワルシャワ蜂起が起こると、ウェイディクが隠れ潜んでいたアパートも全て無残に焼き払われる。
この死に絶えたワルシャワ一帯の光景はデビッドボウイの「ワルシャワ」を呼び覚ました。
(ボウイの「ワルシャワ」がこの空間に流されてもよかったかも知れない)。
そして廃墟の中を彷徨い、漸くある家で缶詰を見つける。
その缶がなかなか開けられない。
うっかり下に落としてしまったところを、その家を拠点として使っているドイツ軍のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉に見つかってしまう。

The Pianist003

主人公の好みであろうが、いくちゃんの好きなショパンが沢山演奏されていた。
ノクターンが何曲か、、、。「華麗なる円舞曲」もあった。
と謂うより、ウェイディク~エイドリアン・ブロディが弾く曲はみなショパンではなかったか。
特に「バラード第1番」は圧巻であった。
ホーゼンフェルト陸軍大尉に弾いて聴かせたものだ。これで彼は命拾いする。食料ももらう。缶切りまでも。
これほどの”芸は身を助く”はあるまい。弾けなかったら銃殺であろう。
映画で流れるのは、わたしが普段聴かない重厚な難曲ものばかりであったが、聴いてみるとやはり聴き入ってしまう。
(これから意識的に聴いてみようかと思う。LPしかないのだが)。

屋根裏部屋にウェイディクが身を隠している時に、どこからか流れて来たベートーベンの「 月光 (ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調)」はホーゼンフェルト陸軍大尉が弾いていたのだ。廃墟の夜に密かに響き渡る、夢か現か判然としないめくるめく音色。
(ショパン以外では他には、ドロタが弾いていたバッハの「無伴奏チェロ組曲」であり、ともにウェイディクが耳を凝らして聴く曲である~弾くのではなく)。
ホーゼンフェルト自身がピアノの素養を持っていた為、ウェイディクはピアノで救われたのだ。
いや、純粋に音楽~芸術の力でここは、人のこころを癒したと言うべきか。
(それは確かに言える。イタリアで日本のバイオリン奏者が屋上からコロナ医療に携わる人々に向けた演奏は率直に凄いパワーを感じた)。
それにしてもやはりそれを受け取れる人に恵まれた部分は大きいと言わざるを得ない。
とても運の強い人だ。
何度、こんな風に絶体絶命のピンチを運よく切り抜けて来たことか、、、。

The Pianist005

ユダヤ人ゲットー警察署長ヘラーにアウシュビッツ行きの列車に乗せられる寸前に助けられたところから、強運だと思ったが。
タイミングよくその場を抜け出していたり、銃殺されてもおかしくないところで、何故か救われている。

ソ連軍の侵攻に押され劣勢になったドイツ軍は退却をはじめ、ホーゼンフェルト陸軍大尉は残りの食料とコートをウェイディクに与えて廃墟から立ち去る。

ポーランド国歌を鳴らして走る車を見て思わず歓び勇んで飛び出すが、そのコートからドイツ兵と間違えられ誤射される。
漸くポーランド人と認められこれまた危うく助かる。
ホーゼンフェルトはソ連軍に捕まり戦犯捕虜収容所でその後、直ぐに亡くなってしまったという。
最後は、ウワディスワフ・シュピルマンの「華麗なる大ポロネーズ」を幸せそうに弾いている姿でエンディング。


ショパンが沢山聴けた死に塗れた映画であった。
また見たいとは思わぬが、大変な力作であることは間違いない。












タクシー運転手 ~約束は海を越えて~

Taxi Driver0001

Taxi Driver
2017年
韓国

チャン・フン監督
オム・ユナ脚本


ソン・ガンホ、、、キム・マンソプ(ソウルのタクシー運転手)
トーマス・クレッチマン、、、ピーター(ドイツ公共放送連盟(ARD)東京特派員)
ユ・ヘジン、、、ファン・テスル(光州のタクシー運転手)
リュ・ジュンヨル、、、ク・ジェシク(通訳担当の大学生)
パク・ヒョックォン、、、チェ記者

ソン・ガンホの演技が圧巻である。
ユ・ヘジンの熱演もこの実話にとてもフィットしていた。

韓国の光州広域市(当時、全羅南道光州市)で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件を実話ベースで描く。
この事件を取材するドイツ人ジャーナリスト(実名はユルゲン・ヒンツペーター)と彼のソウル~光州の往復を請け負ったタクシー運転手を中心に展開する。
1980年5月のことであり、その時代の街や家屋、車がしっくり揃えられていた。
キム・マンソプはノックダウン生産モデルのマツダファミリアの年季の入った車を何とか走らせていた。

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11歳の娘(うちと一緒ではないか)と二人暮らしの個人タクシー運転手のマンソプは、10万ウォンも家賃を滞納している状況でともかく金が欲しい。
そこへ日本からやって来たドイツ人ジャーナリストのピーターがソウル~光州の往復を10万ウォンで(他のタクシーに)依頼してきた。
それを自分は英語が出来ると言って横取りしてマンソプとピーターの二人で、すでに軍部が道路を閉鎖している光州にあえて向かう。
前半はマンソプの緊迫感のない呑気なノリでコミカルな雰囲気が醸された場面もある。
特に光州に入ってすぐにおにぎりをもらい、外国記者を検問を掻い潜って連れて来てくれたドライバーということで持て囃され良い気分になっている頃がピークであった。
突然の軍隊の攻撃を境にジェットコースターの天辺からまっしぐらの状態になってゆく。

Taxi Driver0004

マンソプは政治などに全く関心のない小市民である。
金に釣られて光州まではるばるやって来たが、そこがにわかに信じ難い危険地帯であることに驚き、来たことを後悔する。
彼には学生たちが何故デモをしているのか全く理解していなかった。
勉強もしないでデモなどしていて、道が混んで迷惑だ(確かに運転手にとってはそう感じよう)、、、と呆れていた程度の認識なのだ。
それも無理はなく、ソウルに住んでいる限り、TV・新聞メディアから流れるニュースは嘘ばかりであった。
弾圧・迫害に抵抗する市民や学生を平和を乱す暴徒として扱い、多くの死傷者を出しながらも、それを一切公表しなかったのだ。
無理もない。しかし昨今このような言論~情報の統制が日本にはないなどと高をくくっている状況ではない。
(特に政府の公表するデータ)。

ここでひとつ、何故光州が強い共同体意識によってこれだけ政府に対抗できたのか。
その他地域との関係が、恐らく歴史的・政治的にあると思われるが、ここではその辺を匂わすトピックは無かった。
その温度差は少し気になったが、この地域住民の学生を含め、非常時の団結はとても濃いものを感じた。
特に外国人記者やソウルのタクシー運転手を迎えた際の持て成し等で。

Taxi Driver0006

光州の街の様子は、メディアからの情報からは全くかけ離れた、戒厳司令部によって投入された空挺旅団が一般民衆を次々に射殺する無法地帯の様相を呈していた。
後の天安門事件でも民主化を求める学生たちに対し軍は武力行使によって鎮圧を図った。外国の報道機関を締め出し、自国の報道に対しては厳しい統制をかけた点も同様である。
どうしてもこのパタンに落ち着くのか。
最近もアメリカの人種差別~人権侵害から起きた警官の黒人殺害事件も抗議デモと機動隊の衝突のエスカレートがただ事ではない。トランプ大統領は州から要請があり次第、軍隊を出すと呼びかけている(アメリカの場合こうした騒ぎに乗じて商店を狙い派手な強奪も起き、暴徒化は確かに存在するが)。
基本、このパタンは変わらない。

マンソプは、目と鼻の先で繰り広げられる、軍部が怪我を負って逃げる学生を狙い撃ちして殺してゆく光景に目を疑う。
しかしそれが事実なのだ。
そしてずっと行動を共にして来て打ち解けていた気の良い通訳の学生もピーターのフィルムを守ろうとして軍部に捉えられ殺されてしまう。(今ならネットでデータを送れば済むことだが、フィルムを持って届けなければならない)。
衝撃が続く。
これをピーターは顔を顰めながらも撮り続ける。
必ず世界にこの事実を公表しなければならない。
死んでいった誰もがそれを願っていたのだ。

Taxi Driver0003

マンソプは、娘の事が気がかりでもあり、ピーターを光州に置いて、明け方ソウルに向け帰って行くが、途中で引き返す。
「お客さんを乗せて帰らなければならない」からだ。
それがタクシードライバーの使命である。無論、それだけではない。
無理に明るく歌を唄って帰路に就くが、どうにも自分を誤魔化せなくなる。
娘に電話をかけ、悲壮な覚悟であの銃声の轟く街に再び入って行く。
(どのような思想、信条を持っていようが、銃を一般市民に向け乱射するような土地から逃れて来たのにまたそこに戻るには相当な覚悟を要するはず。この人は身をもってその使命を内面化したのだ)。

最後は、タクシーと軍用ジープのカーチェイスである。
パワーの上で圧倒的に不利であるが、ここでずっと救援活動などを共に行ってきた光州のタクシーたちが加勢してマンソプのタクシーを逃がしてくれる。
だがその際、何度も窮地を助けてもらった光州タクシーのボスをはじめ、助っ人に来てくれたタクシーは全滅してしまう。
「必ずこの実態を世界に知らせてくれ」という誰もの願いを叶えることがマンソプの至上命令であった。
暫く車を停めてから、空港に向かって走って行く。

ピーターは予約した飛行機をキャンセルしてその前に出る飛行機にギリギリのタイミングで乗り換える。
無事に離陸したことをマンソプは確認し胸を撫でおろす。

光州事件ははっきりとメディアに載った。


2003年チョンアム言論文化財団とハンギョレ新聞社が授与する第2回ソン・ゴンホ言論賞を受賞したユルゲン・ヒンツペーター氏は「勇敢なタクシー運転手キム・サボク氏に感謝する。彼に会いたい」と切々と語っていた。
結局、二人は空港であの時に別れた後、一度も逢うことはなかった。

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残酷で異常

Cruel Unusual004

Cruel & Unusual
2014年
カナダ

マーリン・ダービスビック監督・脚本

デヴィッド・リッチモンド=ペック、、、エドガー(教師)
ベルナデッタ・サクイバル、、、メイロン(エドガーの妻)
ミシェル・ハリソン、、、ドリス(自殺した母)
リチャード・ハーモン、、、両親を殺した高校生


死後、肉体を失い想念~イメージだけの世界にあって、空間化した時間を行き来しつつ自分と他者との関係性を捉え直し浄化されてゆく過程を描く。
カトリック教で謂えば、煉獄の場であるか。
彼はその煉獄の間~モニタに映る指導者(審判を下す者か?)に従い犯した罪を語り合うグループディスカッションの場に耐え切れず、何度もそこから脱走しようとする。だが、これまでの世界に戻ると妻を殺害するまさにその場面を体験することになり、その度にドアを開くとこの場に引き戻される。
それを繰り返すうちに、自分が妻を誤って殺してしまったこと、自分もすでに死んでいる事、、、自分の罪に気づいて行く。
この場所を起点にして、何度も妻殺しの場面を異なる角度から再体験しているのだった。
その度にわれわれも彼らの置かれた状況がピースを加えて絵が見えてくるように詳しく分かって行く。そしてエドガーも知らなかった事実が文脈に新たに加わり彼の物語も更新されてゆく。
そしてついに妻の連れ子のゴーガンにシンクロし彼の置かれた状況を察し、妻のメイロンにもシンクロし自分の思い込みのせいで彼女の追い詰められた心境を理解する。
自分の愛が重すぎたことを認識する。

Cruel Unusual003

このグループのなかで知り合った女性ドリスが自殺によってこの場にいることが分かる。
自殺は、少なくともキリスト教においては罪であり、彼女はここで相応の扱いを他の人殺しのメンバーから受けていた。
彼はこの部屋を出たり戻ったりを繰り返していくうちに多くを悟って行くが、形作られてゆく文脈に落ち着くことは出来ない。
ドリスが子供たちの目の前で首を吊って死ぬことも、自分の愛する妻を殺してしまうことにも納得できない。
彼はドリスを連れて彼の世界の扉を開き、彼の日常の文脈に彼女を無理やり引き入れる。
彼女は抵抗するが、彼は賭けに出る。ドリスの協力を得て、妻を誤って手に掛けることがことが出来ぬように部屋に鍵をかけて閉じ込める。しかし彼は妻に呑まされた毒で死ぬことになる。そうなれば、妻が自分と同じような煉獄の責め苦に合うことになる。
考えあぐねていると、いつの間にか空は晴れ渡り昼間となっており、彼の家の庭がドリスの家の庭となっている。
彼女の幼い二人の娘がテラスで無邪気におやつを食べていた。
それを間近で眺めるドリス。

Cruel Unusual002

そして庭の木に今にも首を吊ろうとしているドリスをエドガーは認め、直ぐに説得して彼女を梯子から降ろす。
彼は彼女の替わりに梯子を登り、ロープを首に掛ける。自分が首を吊ることが、妻とドリスを救うことが分かったのだ。
妻にとって重すぎた自分の愛情から、彼女を解放するには、これしかない。
ドリスが首を吊ることを思い留まらせるにも。
エドガーは妻への遺言をドリスに託し、首を吊る。
その瞬間、子供の目には見えなかったドリスが実体化し彼女の存在に気づく。
妻も命を落とすことなく息子との穏やかな生活が開けることとなった。

最後は、妻と息子のゴーガン更にドリスがエドガーの首を吊った木の下に花を手向ける。
彼の死は無駄ではなかった。
彼はまた、例の煉獄~グループディスカッションの場にいた。
そして他の殺人犯たちの前で確信に満ちた表情で自分の罪を騙り始めようとしている。
(果たして審判が、自殺と受け取るか自己犠牲と受け取るかである)。

Cruel Unusual001


よくある安易でチャチなタイムリープものとは明らかに一線を画する、必然性と説得力のある物語だ。
(わたしは、タイムリープものは大嫌い)。
過激な視点を秘めた名作と謂って良い映画だと思う。
この監督の作品は、今後も注目したい。







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