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GOMA28

Author:GOMA28
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まったく同じ3人の他人

Three Identical Strangers001

Three Identical Strangers
2018年
アメリカ

ティム・ウォードル監督


デヴィッド・ケルマン
エドワード・ガーランド
ボビー・シャフラン
ローレンス・ライト(ジャーナリスト)


薄くて軽い映画であった。出て来る三つ子もアメコミギャグアニメを地で行ったような、それはそれでグロテスクな迫力は感じたが。

1961年7月12日シングルマザーの元に三つ子が生まれた。
彼らをユダヤ系養子縁組機関と精神科医ピーター・B・ヌーバウアーの指示によりブルーカラー、中流層、富裕層の家庭に三つ子であることを伏せて、それぞれに養子に出し、研究チームがその後の生育状況を詳細に追跡しデータを蓄積していったらしい(しかしその研究データとその結果は長いこと閲覧禁止の機密事項であった)。
この映画は三つ子を追ったものだが、研究対象は双子を基本に、一人ごとに違う里親に出し、その後の成長状況を調べ研究するもので、何組の双子(三つ子)を対象に調べられたかはまだ明かされていない。恐らくかなりの数に上るはず。

彼らが19歳で大学の入学を機に3人が出逢うことになる(偶然か仕組まれたのかはともかく)。
それから、興味本位でマスコミ・TVに取り上げられてゆく中で、この問題の真相をジャーナリストのローレンス・ライトが資料や関係者を見つけて追ってゆくのだが、、、。

しかし1980年代に入らないと、本格的な双子研究・行動心理学は始まらない。
それ以前は、この映画のケースのように双子を別々に育てたらどうなるかが半ば秘密裏に研究されていたみたいだ。
別々に育っていれば、兎角似ているところに目が向き易い。
離れて育ったのに、そんなことまで同じだなんて、、、一卵性なら遺伝情報は100%同じなのだ。
当たり前だが似ているところにフォーカスして驚いてみたい。そしてやはり遺伝が決定要因なのだと、したくなるもの。
逆に一卵性が共に暮らしていれば、同じ遺伝子情報の下、同一環境下で全く同じになってしまうかと謂えば、そんなことはまずない。
両者のほんの僅かの差が殊更に取り上げられ、かえって大きな評価の差となって表れ当人たちに多大な影響を与える場合がある。
更に通常、年齢が上がって行けば、同じ家に住んでいようが生活環境が広がり複雑化するにつけ各自の経験に大きな違いが現れるのは当然で、住むところの違いでどうのという問題でもあるまい。
(確かに幼少期の影響は絶大である。その頃の親からの愛着関係で決まるところは大きいのだが)。

うちみたいに二卵性双生児であると遺伝的には50%くらいで、普通の姉妹と同レヴェルということになる。
一卵性と二卵性の双子を比較して研究しているところは多い。
遺伝情報の比率以外は同じ条件として見ることが出来る為。
ちなみにうちの双子は何から何まで異なる。性格、個性・特性、顔、体格も普通の歳の離れた姉妹より遥かに違う。
(ここでこれについて語り出すと大脱線になるのでやめるが、よい比較にはなると思う(爆)。

能力~才能を遺伝に重きを置き過ぎると優生学(Eugenics)みたいなものに繋がりそれを極端に推し進めればヒットラーのナチス党のような政策(人種政策)にも突き進んでしまう。まあ、このヌーバウアー博士もその流れをくんだ研究者である可能性は高い。
ただ、遺伝が大きく作用することは、DRD4遺伝子からも科学的(実体的)に裏付けされてゆくことになる。

ここでポイントは、親に何らかの精神疾患のある者を選んでいることだ。
(彼らの母が何と診断されていたか忘れたが、、、)。
どうしてわたしは、あの三つ子が不気味に思えて仕方なかったのか、、、。
それは、あの出逢った直後からずっと続く能天気なバカ騒ぎ振りである。
明らかに常軌を逸した燥ぎようには、引くしかない。
あの過剰な笑い顔にはやはり病的なものがしっかりと貼りついていた。
3人とも10代に精神を病み入院などの経験があったという。
これは、引き離されて育てられたことに関係するわけはない(当人も里親も知らぬことであり)。
まずは母の精神疾患が遺伝情報として彼らにも発現したととるべきであろう。
(更に成育環境による愛着障害なども洗わなくてはなるまい)。
単に明るい仲良し同士というものではなく、何をか隠した無意識的で過剰な演出であったのだ。
その無理が続かなくなり、一人が鬱症状のなかで自殺してしまう。
それ以前に、共同経営の店の運営に関する対立で一人が抜けてしまっていた。
映画の中では、里親のひとりが彼らが協調し妥協するような経験を積むことが出来なかったからだと言って、3人を分断した研究の弊害のように語っていたが、三つ子の件は事後的に分かった事実であり、何らかの適応障害に苦しんでいたとすれば、母からの精神疾患の遺伝によるものか、生育環境~愛着関係によるところのもの、またはその相乗作用によるものと考えられよう。
わたしは、もともと母譲りの精神気質をもった当人が里親との関係が上手く取り結べず成長する過程で症状が発現・悪化し不幸な結果を招いたのだと思う。
自殺したひとりの里親(父親)の教育姿勢からして、子供を操作し頭から道徳を押し付ける典型的な毒親であり、それに反抗するしなやかさを持ちえなかったところが発病に繋がったのだ。他の里親は、遺伝形質を発現させない安定した愛着を示していたようだ。つまり成育環境はとても大切なものだと言える。

母の精神疾患がどのようなかたちで発現するかという研究であったならば、預ける家族は単に経済~教育レベルの異なるパタンといよりどのような愛着パタンをもって育成出来る家庭かで分けるべきだろう。恐らくそこまで考察した上での里親選定であったようにも受け取れる。ある意味、起こったことは全て想定済みのものであったかも知れない。


Three Identical Strangers002








みかんの丘

Tangerines001.jpg

Tangerines
2013年
エストニア、ジョージア


ザザ・ウルシャゼ監督・脚本
ニアズ・ディアサミゼ音楽

レンビット・ウルフサク、、、イヴォ(みかん箱作る老人)
ギオルギ・ナカシゼ、、、アハメド(チェチェン人傭兵)
ミヘイル・メスヒ、、、ニカ(ジョージア人兵士)
エルモ・ニュカネン、、、マルゴス(みかん農園主)
ライボ・トラス、、、ユハン(医師)


「世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかった」と監督の意図が良く分かる作品であった。
南コーカサス地方~ジョージア西部のアブハジアでエストニア人が昔から住む集落が舞台。
ジョージアとアブハジア間の紛争によりエストニア人はほとんど国に帰ってしまうが、イヴォとマルガスは残っていた。
マルガスはみかんを収穫せずに腐らせていまうことは忍びないということで収穫を急いでおり彼自らこの戦争を「みかん戦争」と言って収穫に賭けている。そしてその箱作りをしているイヴォは本当に残る理由は語らない。

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いよいよこの集落にも戦闘が迫って来る。
近くで機関銃とバズーガ砲の音がして、行ってみると何人もの兵士の死体が転がっていた。
彼らの車を道脇に落として隠し、彼らを埋葬しようと近づくとまだ生きている兵士が2人いるではないか。
一人はアブハジアを支援するチェチェン人、もう一人はジョージアの兵であった。
この敵同士の負傷兵をイヴォの家に匿い手厚く介抱することとなる。

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外も機関銃の音がしたり、どちらかの陣営の車がやって来たり、物騒であるが。
家の中も緊張の走る非常事態である。
医者を呼んで治療して貰うが、どちらも助かると言う。
傷が癒えて来て、ベッドから立ち上がれるようになれば、一触即発の事態が見えてくる。
イヴォは2人が口をきけるようになったところで、わたしの家で争うこと殺し合うことは許さないと告げる。
2人は彼の威厳と受けた恩からそのことを固く守る。

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単に立ち場が違うだけの人間同士である。
共に一つ屋根の下で過ごすうちに、いがみ合う必然性を失ってゆく。
お互いの身の上噺などをしながら打ち解けてゆくのだが、、、
イヴォの家と外部世界の時間は相当なズレを生じていた。

こんな時世となり、みかんの収穫と出荷のことで悩んでいたマルゴスであったが、兵士が40人ほど手伝ってくれることになりホッとした矢先、大きな攻撃が始まり、約束した一隊がどうやら壊滅的打撃を受けたようであった。
家も燃え、ミカン園も大打撃を受けてしまう。マルゴスの心境に同情する流れが一同に生まれる。
厳しい表情ばかりであったイヴォが冗談交じりの話でニカ相手に笑うシーンがとても印象的だ。
安心した後、奈落の底に落とされたマルゴスであったが、イヴォの家で過ごす4人にはいつしか連帯感が生まれていた。
お互いをただの人間同士として暖かく思いやるような。

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しかし外部の戦闘は激化し、イヴォの家の庭先で薪割りをしていたアハメドとマルゴスに兵隊が銃を向ける。
アハメドに対しお前はジョージア人だなと迫り、チェチェン語で応対しない彼を撃ち殺そうとする。
だがその瞬間、二階からニカがアハメドを取り囲んだ兵士たちを一掃するような銃撃を始めた。
隙を付いてアハメドもニカから自分の銃を投げてもらい応戦し、襲ってきた兵士を全員殲滅したかに見えた。
だが銃撃の最中、アルゴスは流れ弾で命を落とし、死んだかに見えた向うのリーダーが二階から庭に降りて来たニカを射殺してしまう。

この最後に外部から起きた激しい銃撃戦で、イヴォの家に生まれた時間が切断されてしまった。
戦争という即物的暴力が一様な時間性を押し流してきた。

ふたりをそれぞれ埋葬するイヴォとアハメド。
アハメドはジョージア人に戦争で殺された息子の墓の隣にニカを何故埋葬するのかと聞く。
「誰であろうと変わりない。」「そうだろ。」「そうだ。」
アハメドはイヴォに礼を述べ、ジープで去って行く。
ニカがクシャクシャになって飛び出てしまったカセットテープをいつも直していたのだが、そのカセットテープをセットし、聴きながら暮れなずむ路を走り去って行く。



静かで淡々として進行するなか、シンプルな民族音楽がとてもシーンに合っていた。
とうもろこしの島」に似た質感を持った大変優れた作品だと思う。








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オリーブの樹は呼んでいる

El olivo003

El olivo
2016年
スペイン

イシアル・ボジャイン監督
ポール・ラヴァーティ脚本
パスクアル・ガイーニュ音楽

アンナ・カスティーリョ、、、アルマ(養鶏場で働く20歳の女子)
ハビエル・グティエレス 、、、アーティチョーク(アルマの叔父)
ペップ・アンブロス、、、ラファ(アルマに好意を抱く青年、養鶏場のトラック運転手)
マヌエル・クカーラ、、、ラモン(アルマの祖父)


脚本家が『わたしは、ダニエル・ブレイク』の人であったこともあり、観てみた。
何とこの女性監督さんの旦那だそうだ。
つまり夫婦で作った映画か。
それからこの監督、「エル・スール」で15歳のエストレーリャを演じた女優さんでもあった。
(だから何なの、であるが興味は深まった)。

お転婆娘を中心にして動く~というより振り回されて展開するが、全体として静かな雰囲気の映画であった。
樹齢2000年のオリーブの木を巡る噺である。
木についての映画をつい先ごろ観たばかりでもあり、、、期待は膨らむ。

El olivo001

オリーブの樹をおじいちゃんと孫娘が大事に守って来たのだが、目先の金欲しさに家族(父)が重機で引っこ抜いて人に売ってしまう。
木(親木)を守り続けて生きていた時は貧しかったかも知れないが、木を売って事業を始めても上手くいかず、貧困に喘ぐことに。
貧困を呼ぶ問題は他にあった。
オリーブの木と共に生きて来たおじいちゃんは、その後痴呆状態に。
食事もまともにしなくなってしまう。
誰とも口をきかず、時折徘徊するようになる。
大概、孫娘が見つけ出す。
木のあった頃は、いつもおじいちゃんと孫はこの木を中心に語り合い遊んでいたものだ。
孫とおじいちゃんにとってはここがひとつの宇宙であり神聖なる空間であった。
幼い少女は、今にも掘り起こされそうな木に登り泣いて抗議したがなす術もなく、結局おじいちゃんが少女を抱いて降ろす。
樹齢2000年のオリーブというだけあり複雑怪奇なフィギュアであった。「怪物くん」と少女があだ名を付けるのも、もっともな形だ。
その枝振りは全て切り落とされ運ばれて行った。それから10年、、、

El olivo005

孫は気の強い(チャーミングだが影のある)20歳の娘に成長するが、おじいちゃんはかつての姿など見る影もなく衰え、口もきかず食事もまともにとらない。
外部の事にはほとんど何の反応も示さない状態にあった。
娘はそれがとても悲しい。
何とかしたい。あの木を取り戻せないか、、、。木が戻ればおじいちゃんも元気になるのでは、、、。
どうにかその木が載っているパンフレットは手に入れる。
現代っ子で弾けているがとても頼れる親友に相談すると、その木が今何処にあるか直ぐにウェブで探してくれた。

デュッセルドルフのエネルギー会社のエントランスホールに綺麗に品よく飾られており、その会社のロゴマークにもなっていた。
アルマは、特に何の策も買い戻す資金もないまま、闇雲にその会社目掛けてゆくことにする。
周囲の人々には、ドイツの持ち主が亡くなり教会が木を預かっているが、最初の育て主に返還することが望ましいと言っていると嘘をつき、取りに行くと告げる。
それならば、とばかりに、叔父のアーティチョークとアルマに好意を抱くラファが会社の大型トラックを無断で借りて3人でドイツへと出発する。
(親友はじっくり戦略を練り事に当たろうと、引き留めようとするが、かたく抱擁して出発して行く。スペイン気質か?手段や方法という概念がないのか?ソウルだけは感じる)。

El olivo004

途中で叔父の金を騙し取って事業を潰したという男の邸宅に立ち寄り、プール脇に立っていた自由の女神をトラックに積み込んで行く。
この女神がその後どのように使われるのか、ちょっと楽しみにして見ていたのだけれど、叔父が癇癪起こして自分で叩き割ってしまい、それまで。
わざわざデカいものを乗せてはるばる旅してきた意味もなく伏線にもならない。
ちょっとがっかりしする(笑。
そして会社に着くも、教会も牧師もおらず、ついて来た2人は唖然とする。
どうするんだとアルマに詰め寄っても彼女の頭には初めから何もない。直ぐに会社を追い出され会社の前の広場でずっと3人でなす術もなく過ごす。そうなのだ、肝心な時にいつもなす術もないのだ。

途中で頼りになる賢い親友が何やら策を授けてくれるかと思ったがこれと言ってなく、、、。
ただ、彼らのことをSNSで宣伝してくれたお陰で環境保護団体の目にとまりマスコミの注目も集めることになる。
しかし会社の広報担当者は交渉に応じることを拒否する。
会社に人々の注目が集まり、過剰な森林伐採やそれによる集落の移動をするなどのロゴのイメージとはかけ離れた事業内容がクローズアップされることに。
しかし、アルマお目当ても木については正当な取引によって会社が購入したものであり、何の問題もない。
(市長に賄賂を払ってこの取引を成立させたのは、アルマの父側である)。
SNSで集まった環境保護団体の抗議に晒され会社にとっては、とんでもない疫病神か。

El olivo002

抗議集団~圧力集団が一斉にロビーに雪崩れ込んだ隙にアルマも勢い込んで入り込み、かつてのように木に登った。
綺麗に今や剪定された木であるが。
その木のてっぺんでアルマが頑張っている時、叔父の携帯に連絡が入る。
叔父の表情が変わった。
叔父がアルマに伝えることばは、声は一切入らない、群衆の喧騒の中の静寂の瞬間。
涙を流し、アルマが泣き崩れる。
(この無声の演出は秀逸であった)。

El olivo006

娘はその木から若い枝をひとつ無意識に手折って来ていた。
かつておじいちゃんから教えられた植樹のやり方を実践し、砂利をどかして元の木のあった場所にそれを植える。


2000年スパンの再生が始まる。
木の世界とはそういうものなのだ。
(あのおちゃらけ主人公の「WOOD JOB!」にもそういう件がある)。










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ライムライト

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Limelight
1952年
アメリカ


チャールズ・チャップリン監督。製作、脚本、音楽

チャールズ・チャップリン、、、カルヴェロ(喜劇役者)
クレア・ブルーム、、、テレーザ・アンブローズ(バレリーナ)
バスター・キートン、、、カルヴェロのパートナー(ピアノ芸人)
シドニー・チャップリン、、、ネヴィル(作曲家)
ナイジェル・ブルース、、、ポスタント

赤狩りで、チャップリンがアメリカから追放された年の映画であるから、アメリカ最後の作品となるか。

素顔のチャップリンは二枚目であった。
謂わば、生身の登場である。
感慨深い。
老境に達した表現者~道化の姿が描かれる。
そこには深い哀愁が影を落とす。

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明らかにチャップリン自身の生涯が重ね合わされている。
ある意味、集大成か。主人公の落ち目のかつての喜劇王は、攻撃を受けアメリカを追放されるシリアスな~素顔の自分である。
そう言えば、若い女性テレーザに言い寄られるが、彼自身生涯に何度若い女優と結婚していたか。
余り興味はないのでよく知らぬが、泥沼の恋愛も(結婚まで行かないケースも含め)数えれば相当のものになるか、、、。
(愛は実ってもその分、破局もかなりのものであった、、、)。
やはり集大成だ(笑。悲哀の中に笑いもあり、ともに深みを増す、、、。
長いブランクを経て舞台に返り咲き、何故か熱狂的に受け容れられ、大変な音楽コントを熱演した後、舞台袖で愛するテレーザの踊る姿を見ながら息をひきとる。道化師は死んだ。

チャップリンの次男のお父さんに似ている事。びっくりしてしまった。
作曲家役として出て来た時に直ぐにそれと分かった(笑。
息子も良い男である。

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人を励ます時、誰が一番その言葉に影響を受けるか。
相手以上にその言葉を発している当人である。
そしてその言葉を受け取り、救われた相手がその言葉をこちらが一番必要な時に返してくれる。
(それを語っている当人がやはりその言葉を噛み締めている)。
そういうものだ。
精神の力学とも謂えるか。

カルヴェロとテレーザのやり取りがまさにそうである。

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何であっても、シリアスな素顔のチャップリンの映画である。
カルヴェロ、テレーザ、ネヴィル三者ともに、皆芸術家として成功を手にしているのに、愛は上手く繋がらない。
相手の事をどれだけ深く思っていても、それはこの現実という場所においては、苦悩を生み出すことにしかならない、、、。

調べてみて驚くが、次男どころではなく、親族を片っ端出演させている様だ。
やはり彼にとって特別な位置にある作品なのだろう。

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バスター・キートンとチャールズ・チャップリンの芸が終盤特別な尺でタップリ見れると言うのも貴重なフィルムだ。
(そこだけ、別個に挿入されたみたいな感じで何とも言えない空気感であった(笑)。














グッド・ライ 〜いちばん優しい嘘〜

The Good Lie001

The Good Lie
2014年
アメリカ、インド

フィリップ・ファラルドー監督
マーガレット・ネイグル脚本

リース・ウィザースプーン、、、キャリー・デイヴィス(支援センター職員)
アーノルド・オーチェン、、、マメール(スーダン難民)
ゲール・ドゥエイニー、、、ジェレマイア(スーダン難民)
エマニュエル・ジャル、、、ポール(スーダン難民)
クース・ウイール、、、アビタル(スーダン難民)
コリー・ストール、、、ジャック(牧場主、支援者)



スーダンのロストボーイズの噺。
9.11以降であれば、暫くはこのような受け入れも無かった。
最近、トランプ政権下でも受け容れ基準を厳正化した上で再開している。

まず前半は極めて過酷なスーダン内戦の様子が描かれる。
突然軍隊に村を急襲され逃げ惑う人々。
目の前で親・兄弟を殺される。子供は叫び声をあげ物陰に隠れ機を見て逃げる。
途中、これから行こうとしていた方角から武装兵から逃げて来た集団に出逢い目的地を変える。
数千キロを年端も行かぬ子供たちだけでケニア国境まで歩く。
この途上、水が無く病に倒れ兄弟(必ずしも血縁ばかりではない)がひとりまたひとりと亡くなって逝く。
そして漸く水が飲める河にやって来る。そこで何とか渇きを癒すが、我らが主人公一行の長兄がその先の危険を察知し集団の後に付かず独自に河を横断して叢に逃げることに決める。
その川沿いに歩いて行った先から銃声が次々に聴こえ、やがて河に沢山の死体が流れてくる。
長兄の判断は正しかった。だが、叢の中の移動で何気なく兄弟が立ってしまった時に兵士に見つかる。
絶体絶命となった時、長兄の機転で彼が立ち上がり「仲間から逸れた」と言って囮となって敵に捕まり、その隙に年下の兄弟たちはその場から逃げ去る。兄弟たちは長兄の「優しい嘘」によって命を救われる。
長い時を経てケニアの難民キャンプに付いた時は、彼ら兄弟の残った4人だけであった。
それから10年以上、病の蔓延する酷く環境の悪い、必要最低限のものにも困る場所で耐え忍ぶ生活が続く。
国連が漸く衣服や食料を届けてくれるようになった矢先、審査に通ればアメリカに受け入れられることとなる。
彼らは4人ともアメリカ移住が叶う。

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彼らの時は、スーダンから3600人の受け入れがなされた。
慣れない飛行機の旅で、空港まで着くがここで姉のアビタルは制度上の理由で兄弟から引き離され一般家庭に預けられ、他の兄弟はカンザスシティーのアパートに一緒に住む事となる。
ここは法に従う他はなく彼らは納得しないが、ここでの生活は協力者にも恵まれ決して悪くはない。
しかし当然、食事、冬、学校、会話、、、カルチャー(ネイチャー)ショックも大きかった。
アメリカである。水道をひねると水とお湯が出る。シャワーもいつでも浴びれる。
この水がない為に、ここに来るまでに兄弟が死んだ。
歩かなくても車でどこまでも行ける。公共交通機関も充実している。
しかしそれでも最低限の意思疎通ができないと極めて厳しいものだろう。
電話もマクドナルドもコカ・コーラもピザも知らないのだ。
彼らは英語を学んでからアメリカに来た。そこは良かったと思う。

The Good Lie004

アフリカの事など何も関心のない支援センター職員キャリー・デイヴィスが彼らの就職サポートを担当することになる。
素っ気なく事務的に彼らに接して行く。効率的に仕事を熟そうとする。
まずは彼らに合った職を探さなければならない。
同時に彼らとしては徐々に環境に慣れること、周囲の人に馴染む事である。
そして、習慣や常識さらに共通感覚を取り込んでゆくこと。
手先の器用なポール仕事を効率的にまじめにやり過ぎて、同僚から薬を勧められ体験してトラブルを起こしたり、、、
穏やかなジェレマイアはスーパーに勤めしっかり仕事は熟すが、ホームレスに賞味期限切れの食品を与え厳重注意を受け「間違った仕事は出来ない」と仕事を辞めてしまう。極端な食糧難の国からやって来てまだまだ食べられるものを毎日大量に廃棄している現実に納得できない。

The Good Lie003

しかし何より目的である。全くの異文化においてブレずに生きるには、、、。
強力な目的が無ければ、価値観の違いや偏見、差別から非行や暴力、犯罪に押し流されるところは大きくなると思われる。
マメールは難民キャンプにいたころから医療に従事しており、ここアメリカで医者になることが目標であった。
仕事を二つ掛け持ち、彼一人学校に通っていた(学費が高く彼しか学校には行けない)。
しかしその目的意識を強く持たない場合、やはり揺らぎは大きく現れる。
実存的な葛藤に悩むポールと信念に生きるジェレマイアは、それぞれ日常的なズレによって問題も生じる。
兄の犠牲についてしこりをもっているマメールもこの機に心がざわつき始める。兄弟同士の衝突も起きる。新たな文脈のなかで必然的に生じる自らの対象化。その内省において様々なことが問題化され立ち上がって来る。そうしたものだ。何故かつて長兄が犠牲にならなければならなかったのか。何故姉が離れ離れに暮らさなければならないのか、、、。

The Good Lie006

ただでさえ就職の困難な状況で彼らに新たな仕事の斡旋をするなど対応に苦慮しながらもキャリーは彼らに対する理解と認識を深めてゆく。自らスーダンの現状に関して調べるようにもなる。彼らにとっての姉の重要性にも気づき、自宅の部屋を片付けて開け、彼女を引き取る為に奔走する。これが州をまたがると面倒な問題であった。
しかしクリスマスの日にそれを実現させる。
彼らと関りキャリーたちも随分変わった。こうして多様性が連動して行けばよいのだ。
皆でスケートを愉しむ。兄弟で初めて氷の上を経験するのだ。
これでハッピーエンドとなれば良いのだが、もう一つ驚くべき情報が舞い込んでくる。
何と彼らの長兄がケニアのキャンプで彼ら兄弟を探していたという。生きていたのだ。
マメールはキャリーたちの協力のもと、ケニアに戻り10万人の中からやっとのこと兄を探す。
再会を喜ぶも兄は病に犯されていた。しかも背中には痛々しい傷があり。
兄を早速アメリカに連れて戻ろうとするが、すでにアメリカの受け入れは閉鎖しておりどうにもならない。
マメールは兄に自分に成りすましてアメリカに行くように仕向ける。
戸惑う兄に、これはついても良い嘘なんだと言い聞かせ、、、(かつて兄がしてくれたように)。
自分はケニアのキャンプに残ることをマメールはキャリーに伝える。
長兄はそのまま無事アメリカに向い、空港で兄弟たちとの再会を喜ぶ。

The Good Lie002


スーダンから来た兄弟は皆、元難民であったり少年兵であった素人が演じていた。
説得力充分な演技であった。










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WOOD JOB!

WOOD JOB!006

矢口史靖 監督・脚本
三浦しをん 『神去なあなあ日常』原作


染谷将太、、、平野勇気
長澤まさみ、、、石井直紀
伊藤英明、、、飯田ヨキ
優香、、、飯田みき
西田尚美、、、中村祐子
マキタスポーツ、、、田辺巌
有福正志、、、小山三郎
近藤芳正、、、林業組合・専務
光石研、、、中村清一
柄本明、、、山根利郎


大学入試に滑ったチャラけた男子、平野勇気が、パンフレットの美女に惹かれ軽い気持ちで林業の研修に深い山中の街にやって来るところから始まる。
その美女はその街に住む石井直紀で、程なく彼は実物に邂逅することになる。
彼女は小学校の先生であり、バイクを乗り回すアクティブな女性でもあった。
彼は直ぐに惹かれるも彼女は全く素っ気ない。彼は引き受け先の飯田家のヨキにその後しっかりとしごかれる。
直紀は美女であるだけでなく何かと活発で目立つ存在であり、ヨキはその土地の樵のスター的存在である。
その二人からタップリとダメ出しをされながら勇気は、あっけらかんと林業と自然と人々の中に打ち解けてゆく。
この辺の取っ掛かりからもう先の読める定石通りに進んでゆく間違いのない物語であり安心して観てゆける。

WOOD JOB!002

平野勇気の受ける林業の世界でのカルチャーショックがまず面白い。
携帯の電波が届かないというのが、何より大きかった。
ウォッシュレットが無いとか言う前に。
マムシ料理やお尻に沢山くっついた蛭とか(それから悪ガキに「ヒル」と綽名をつけられる)、マムシが耳に噛みつくとか、、、これはもう悲惨な体験であった。
そもそも川の清水に枯葉の欠片が浮いていただけでダメなのだから、最初のうちは逃げ出すことばかり考えて過ごす。

WOOD JOB!005

だが、天を衝く巨木を見上げる行為など経験なかっただろうし、それが倒れてくる様には圧倒されるばかり。
めくるめく光景に彼の表情も変わって行く。
あの自然の元にあったら、もう携帯どころではなくなる(何か憧れてしまう)。
そして何より彼をそこに繫ぎ止めたのは、石井直紀の存在。
森林の美しさが更に幻想的になるというモノ。
夢見心地で届けてもらったお弁当を並んで食べる。
そんなときに、気まぐれでお地蔵さんにおにぎりを半分供える。こころの余裕か。

WOOD JOB!001

良い環境だ。あらゆる点において。
ギスギスした都会で携帯ばっかり気にして暮らしているより、明らかに健康に良い。
マムシ料理に慣れれば猶更、元気溌剌というもの。
画面越しに見ているこちらまで、気持ち良くなる映画というのも、なかなかない。
これこそロケの醍醐味だ(これをセットでやることは不可能)。

仕事を通して自然を相手にする過酷さと清々しさが骨身に滲みてゆく。
その過程が見て取れる流れはとても良い。
石井直紀にちょっと見直されては愛想をつかれつつも、徐々に距離を詰めてゆく。
身体にこの自然と林業を生業とする人々の魂が同調して来る。
代々受け継がれてきた植林技術を知り感慨を深めた「植林した結果が分かるのは、自分が死んだ後のこと」。

WOOD JOB!003

離れた街のショップまで修理の済んだ携帯を取りに行ったとき、昔の彼女からの連絡が入る。
彼女の属する大学のサークル(スローライフクラブ)が彼を頼りに林業を営む人々の生活を取材に来た。
しかしそこでの、彼らの物見遊山な無礼な態度に平野勇気は切れSDカードをビデオから引き抜き捨てて、彼らを追い払ってしまう。ここで、彼の林業~山の男の度合いがかなり高まっていたことが周囲にも分かる。
ヨキに認められた瞬間か。

山には必ずと言っていいほど神社があるが、ここでもしっかり御神木など山や森を対象とした山岳信仰は窺えた。特に節目となる祭を控えそこに参加する人員を決めてゆくが、ヨキの推薦もあり余所者の勇気も選ばれることに。
祭の役員の多くは余所者を祭空間の神山に入らせると罰が当たることを警戒したのだが、直紀の甥にあたる子供が山に迷いこんでしまったときに勇気が何者かの導きでその子を見つけて麓まで背負って降りたことで彼は受け入れられる。
(恐らくあのおにぎりが利いたのだ。日本昔話ではないか)。

WOOD JOB!004

終盤、切り倒した御神木に勇気が乗ったままジェットコースターのように山頂から街へと滑り落ちる面白シーンはどうやって撮ったのか?
もう街のヒーローではないか。相変わらず挨拶もまともに出来ないチャラけたままだが(基本的に成長とかしているわけではない)。
1年間の研修が終わりヨキと感動の別れをして家に着くと何故か近所から木の香りが、、、すでにそういう感覚を身体化していたのだ。
そう、人間はこのように感覚が拡張し多様性が身について行くことが肝要なのだと思う。
妙な分別を持った大人に成長する必要などない。
新築する家で生々しい木材を目の当たりにして、勇気の気持ちは固まる。彼は家の玄関にお土産のマムシ酒を置いてそのまま列車に乗ってにやにやしながらとんぼ返りする。
林業のパンフレットの最新版の表紙は笑顔の勇気が載っていた。


キャストの本当に地元のその道の人と謂った自然な感じがとてもしっくりした。
地味な長澤まさみには好感を持った(笑。





500ページの夢の束

Please Stand By001

Please Stand By
2017年
アメリカ

ベン・リューイン監督
マイケル・ゴラムコ脚本・原作

ダコタ・ファニング、、、ウェンディ(脚本家志望の自閉症の少女)
トニ・コレット、、、スコッティ(ソーシャルワーカー)
アリス・イヴ、、、オードリー(ウェンディの姉)
パットン・オズワルト、、、フランク(スコッティの息子)


大好きなダコタ・ファニング主演とくれば、観てみたくはなるもの。
最近は妹の出演する映画を観ることの方が多くなったが。

自閉症のスタートレックおたくが、「スタートレック」の脚本コンテストに自分の渾身の力を込めた作品を応募する噺。
自分を明らかにスポックに投影している。
どうやらカーク船長はお姉さんらしい。
そして郵送による応募に色々あって間に合わない状況となり、ロサンゼルスのパラマウントピクチャーズまで一人で数100キロを旅する。
自閉症の人が一人旅というのは、かなりの困難を呼ぶことになるが、果敢に挑戦する。
ここが普通?の自閉症の人とは異なる特殊な例かも知れない。
厳密なルーチンを少しでも乱されるとパニックになるものだし、突然の音や光にも混乱するし、、、しかし一つの事への尋常でない集中力はしっかり見て取れた。

この困難を極める長旅をスタートレックの冒険にも準えているのだろう。
音を遮断するためにいつもイヤホン付けてiPodの音楽を聴いている。
後、出来事を極力、ルーチンの内に落とし込もうとするノートを首に下げている。
これらの装備の上でいざ、広大な宇宙へという感じか。
非常に強い「脚本を届けたい」という要求なしに自閉症の人がこんなトライをすることは考えられない。

しかし、彼女の独創性を感嘆するスコッティの謂うように、人とのコミュニケーションに困惑しながら様々なハプニング(事件)に対しビックリする対応を取る。
その度に”Please Stand By”を唱えていたか。

Please Stand By002

彼女の困難は、普通の人であっても大変なもの。
姉夫婦に子供が生まれたことで、一緒に暮らすとこができず、ソーシャルワーカーのスコッティと施設で過ごす。
しかしここでは思うように脚本を書く時間が取れない。
勿論、姉と一緒に暮らしたい。
そして奮起して旅に出るが、ロス行きのバスを途中で降ろされる。連れの犬がおしっこをしてしまったのだ。
此処で、まだ目的地まで270キロを残していた。
姉の娘に似た赤ちゃんを抱く女に出逢い、彼女に同調しようとするが、ロスに一緒に行こうと言う口車に乗りお金とiPodを奪われてしまう。誰でも大変動揺してしまうものだが、彼女は自らの方法で心を落ち着かせる”Please Stand By”

Please Stand By006

店でなけなしの小銭まで騙し取られそうになるが、彼女の様子から彼女の抱える問題を観抜いた老婆に助けられ、老婆の乗るバスに促され乗り込むが、運転手の居眠りで事故に遭い、病院に運ばれてしまう。
もう彼女に時間はない。早く原稿を届けなければ。
看護師の目を欺き(窓から逃げたと想わせ隠れた収納から機を観て逃げる)、病院から抜け出す時に、人に接触し原稿を100ページ分ばかり風に舞い落としてしまう。拾おうとした時に病院スタッフが駆け寄って来た為、拾いきれないと悟り逃げる。
この拘りを捨てた機転は、われわれでも利くかどうか分からない。
柔軟な対処には目を見張る。これも原稿に一点集中するところから来る英知であろうか、、、わたしには分からない。
そしてコピー屋の前のゴミ箱から拾った紙の裏を使い失った原稿を手書きし始める。
わたしでは、思いつかない。凄すぎる自閉症だ。
ロス行きバスに乗るお金はもうなかったが、荷台に忍び込み、とうとう目的地まで着いてしまう。

Please Stand By004

彼女の足取りを病院から知ったスコッティにフランクとオードリーは、舞い落ちていたウェンディの原稿を全て拾い集め、何とかパラマウントピクチャーズの手前(警察署)で彼女に手渡すことに成功する。
その前に捜索願の出ていた彼女を見つけた警官が彼女に「クリンゴン語」で話しかけるなどの粋な働きかけもあり救われる場面があった。
しかし最後のゴールにあっても、原稿の担当者は郵送以外は認めないと彼女を突っぱねる。
だがここで初めて彼女は感情を顕わにする(スポックが稀にそうするように)。
そして強引に原稿を投函して皆で帰って来る。

Please Stand By005

皆、彼女の力に驚きを隠せない。彼女のポテンシャルに感心し見直す。
脚本は、惜しくも入選からは漏れるが、才能は高く評価され今後も書き続けて欲しいというメッセージを受け彼女は満足する。
最後に、姉を訪ね彼女の赤ちゃんを抱き、エンディングへ。

ダコタ・ファニングの演技力と存在感で全て説得してしまった感がある。
まさに力技か。
とてもウェンディが魅力的な女性に思えた。

Please Stand By003

印象に残る良い映画であった。








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独裁者

The Great Dictator001

The Great Dictator
1940年
アメリカ

チャールズ・チャップリン監督、脚本、製作
メレディス・ウィルソン音楽

チャールズ・チャップリン、、、トメニア国の独裁者アデノイド・ヒンケル、ユダヤ人の床屋
ポーレット・ゴダード、、、ハンナ(床屋の彼女)
ジャック・オーキー、、、バクテリア国の独裁者ベンツィーノ・ナパロニ
ヘンリー・ダニエル、、、内相兼宣伝相ガービッチ
レジナルド・ガーディナー、、、シュルツ司令官
ビリー・ギルバート、、、戦争相ヘリング元帥
フローレンス・ライト、、、ヒンケルの秘書


ホロコーストのことを知っていたらこの映画は作れなかったと思う、と後に述べているチャップリンであったが、確かにヒトラーまんまのヒンケルでかなり危ういおちょくりをしている。1940年という時期が実に微妙な風刺だ。
床屋の方は、これまでの無声映画における放浪者の風合いを保っている(つまり2度美味しいということか)。
公開に当たり、各方面からの圧力(妨害)はかなりあったようだ。
架空のトメイニア国の独裁者とゲットーに住むユダヤ人の床屋にそれらを繋ぐシュルツ司令官で回り出す。
(あの訳の分からぬ言語はトメイニア語なのだろう、、、ちょっとドイツ語っぽい)。

後にローワン・アトキンソンに受け継がれる動きを幾つか見るが、他のチャップリン映画に比べるとその面で笑える箇所は少なめだ。だが(放浪者部分が少し抑えられているが)アイロニカルでニンマリするところは、かなりある。
ヒトラーは彼にとっては、パントマイムやバーレスクの要素も充分に生かせる題材でありとても美味しかったはず。
思う存分自分の技を生かせる。その象徴のような、独り地球儀(風船)で優雅に滑稽に戯れる夢見心地なシーン。
突然地球が割れてしまい子供みたいに泣くところまで、見事な流れ~演出であった。

The Great Dictator002

ゲットーでは突撃隊が嫌がらせや暴力を振るう日常が続いていたが、視察に来たシュルツ司令官がかつて戦場で自分の命を救った床屋がリンチに遭っているところに出くわし、その一角の暴力行為を抑える。
しかしヒンケルは自分の党への資金援助をユダヤ人資本家が断ったことに怒り、その腹いせにゲットーは壊滅される。
オスタリッチ国が彼らユダヤ人にとって最後の希望の地となり、床屋の彼女であるハンナらはその国に逃げ込む。
だが平穏な日々を送るオスタリッチ国に、ヒンケルは侵攻を決めるのだった。
そこへ一足先にバクテリア国のナパロニがオスタリッチ国境まで侵攻していたことを知らされる。
明らかにイタリアのムッソリーニであろう。実に尊大である。ガービッチ(何という名前だ)の進言でヒンケルが一生懸命相手を威圧しようと試みるシーンも滑稽で面白い。スタイルだけローワン・アトキンソンが取り入れていた。
ここで交わされる独裁者同士の誇張された滑稽な牽制の様~会談はまさにチャップリンの本領発揮というところだ。
イチゴとパンに大量のマスタードで両者ともに話すことすら出来なくなるところなど、どれだけ日本のドリフに使われたものだろう。
そう、ペンキ缶を被るところやフライパンで頭を打つところも、、、。

シュルツ司令官は、ユダヤに対する政策を批判した為、ヒンケルの不興を買い床屋と共に強制収容所に送られてしまう。
ハンナは、オスタリッチ国から床屋に向けて手紙を書く。ここはとても良い所なので、収容所を出たら早くこちらに来てね、と言った内容のものだ。このように、収容所がどういう場所であったのかの認識は持っていなかったことが分かる。

The Great Dictator003

有名な最後の演説にまで行く流れがやはりスリリングでもあり面白い。
やはりどこか長閑な強制収容所をシュルツ司令官と共に脱走して軍服で歩けば、理髪屋はもうヒンケルそっくりなので、そのまま成り済ませる。シュルツもその傍らを歩けば恩赦を得たのだと誰からも自然に受け取られる。
一方、ヒンケルは侵攻作戦で鴨を撃って潜んでいる最中に軍服で無かった為、間違って捕えられてしまう(笑。よくあるパタン。
床屋たちの脱出は、完璧であったが、後は大集会における総統としての演説である。床屋は司令官に無理だと伝えるが、演説すること以外にこの場を逃れる方法はないと言われ、意を決する。

無声映画時代とは全く異なる形式で、彼はメッセージをストレートに訴える。
「ことば」(の身体性)をフルに使うのだ。身体は直立して動かず真正面から切々と語り、終盤に向っても声の抑揚で表情を付けるのみ。ジェスチャーは最後の最後に腕を振り上げたときだけだ。無声映画からずっと身体~ことばの研究を続けて来た彼にだけ出来るスピーチへの収斂であった。

ことばの物質性が顕わとなり、ダダイストのパフォーマンス~実験のようなアナーキーなパワーを見せつけた。
本来の言葉とはどういうものか考えさせるところでもある。
ヒンケルはことばというモノの暴力~煽動的側面を大変効果的に使用していた。
(詩人は、それとはまた異質な物質性~リズムに気づいた人であろう)。
彼の言葉を拾う秘書のタイプライターの動きも絶妙で愉しめた、、、言葉数に同期しない打ち方。内容はほとんど無いのだ(笑。

The Great Dictator004

床屋の語りは、明瞭でこころを打つ誠実なものであった。
その後での優しいトーンでのハンナへの労りの言葉も。

受け取る側のポジションによって妙な解釈をして批判する向きは少なくなかったようだが、ユダヤ人受けは特に良かったようだ。
ハリウッドの映画会社創設者は皆ユダヤ人であるところからも、彼らの支配力~影響力は無視できるものでは無かろう。

この映画がその時期に上映できた事は大きいものであったはず、だが。

The Great Dictator005










ダーケストアワー 消滅

The Darkest Hour001

The Darkest Hour
2011年
ロシア、アメリカ

クリス・ゴラック監督
ジョン・スペイツ脚本


エミール・ハーシュ、、、ショーン(アメリカから来たIT起業家)
オリヴィア・サールビー、、、ナタリー(モスクワに遊びに来たアメリカ女性)
マックス・ミンゲラ、、、ベン(ショーンの相棒、IT起業家)
レイチェル・テイラー、、、アン(ナタリーの親友)
ヨエル・キナマン、、、スカイラー(モスクワのIT起業家)
ヴェロニカ・ヴェルナドスカヤ、、、ヴィカ(ロシアの少女)


エイリアンのフィギュアの斬新さと幾ら人を殺しても灰しか残さぬ点に品を感じる。
光の使い方と無慈悲な他者観が物語をスッキリシンプルなものに際立たせていた。
「地球滅亡までの~」とかいうコピーが昨日からの繋がりに思え観てみたが、地球としては安泰のようだ。

モスクワのクラブでショーンとベンはアメリカ人の女性ナタリーとアンと出逢う。
意気投合して仲良くなりかけたところで電気が消える。
何が起きたのかと、他の客と共に外に押しだされるように出てみると、夜空に妙な光が無数に灯っており、ふいに落下すると光は消え去った。
そこを調べようと警官が近づいた途端、彼は一瞬にして粉々になり灰と化してしまう。
皆驚き、チリチリに逃げ惑う。その光の物体に触れたところで人は直ぐに破壊され灰となって行く。
彼ら4人も逃げ回るが結局クラブの中に籠ることとなる。そこに商売敵?のスカイラーも加わる。
数日後恐る恐る外に出てみると、辺りには砂が積もっているだけで人の気配はなかった。
それから彼ら5人は、生存者を探して静まり返った街の捜索に出てゆく。
人っ子一人いないモスクワの荒れ果てた廃墟のような街がなかなかのもの(これはセットでは無理)。

The Darkest Hour004

相手は電磁波生命体なのかと思って観ていたのだが、どうやら電磁波のバリアで身を守るエイリアンであるようだ。
面倒なのは光るとき以外は人間の目には見えないこと。
接近してくるときに、電球が光ったり、携帯が鳴り出したりする。それを手掛かりに立ち向かうことになる。
敵は生体電磁波に反応し人を見つけては殺傷していた。
人間のような視覚や声に対する感覚はないようだ。
かなり秀逸なエイリアンデザインである。レベルが高い。

われわれは身を隠すときは、ガラスに身を寄せる。
電磁波を吸収する為、相手から察知されないで済む。
ただ逃げるにも、電気系統が駆動の重要な役割を持つ自動車、バイクなどは全てえんこである。
何であっても全力で走って逃げるしかない。
ここは心許ない。追いつかれたら御終いなのだ。

The Darkest Hour005

逃げてゆくうちにビルの中に灯を認める。だが、その灯を見つけたスカイラーはエイリアンに敢え無く殺されてしまう。
どんな場合にも確率的に何処かに生存者はいる。
そして生き残っているということからして、必ず状況に対し何やらアドヴァンテージをもっているもの。
マッドサイエンティスト風の技師が、ファラデーゲージで守られた部屋に潜みエイリアンを撃退する電磁波砲を作っていたのだ。
そこには、この部屋の灯を頼りにやって来たロシア少女のヴィカもいた。
登場人物にはさして重きを置かれていないこの劇中、ヴィカには感情移入可能なキャラクタ性を感じる。
(実質的ヒロインのような)。

The Darkest Hour006

ここで作戦を練るが、物資を集めに行った帰りにエイリアンに見つかり、ゲージに慌てて帰るなかでアンも命を落とす。
そして電磁波砲開発者のロシア人もその武器の有効性を見せつけたのだが、2発目を撃つ前に殺害される。
このような展開が続き、緊張は途切れることが無い。
ほぼ主役で安心していたベンも窮地に陥ったヴィカを救援する際に敵に見つかり灰にされてしまう。
このかったぱしから先住民を片付けているエイリアンの目的は、どうやら空高く地中から吸い上げている地球の地下資源であるらしい。資源だけ吸い尽くして星間移動する連中のようだ。

The Darkest Hour002

プロメテウスのスタッフによる作品とあったが、特別凝ったことはせず手堅くストレートにタイトに進む。
ロシア人のマッチョな愛国者によるエイリアン撃退チームと3人は邂逅し、例の電磁波砲も複製し、河に停泊する原子力潜水艦に乗り込む目的でエイリアンが沢山待機する地区を皆で横断する。この時、彼らが乗る船が座礁し、エイリアンが攻撃を仕掛けてきた際、ナタリーが逸れてしまう。
潜水艦の出発を延ばしてもらい、彼ら全員で彼女の救出に向かう。
ここで、バスに彼女が隠れていることが分かるが、すかさず敵も乗り移って来る。ショーンは電磁波砲を撃つがとどめにならず彼の直ぐ足元まで光の触手が伸びてくる。このときわれわれは荒唐無稽な追撃を目の当たりにする。撃退したエイリアンのプロテクターの破片をバックから取り出し、相手目掛けショーンは投げつけるのだ。何なんだ?と思ったがそれが功を奏したらしく、敵は爆破して消える。
結果良ければすべてよし。テンポの速い映画であるから今のは何かなどと踏みとどまる分けにはいかない。
作戦で狙っていた水を使った連鎖攻撃もヴィカの機転で成功する。これは分かる範囲だ。

The Darkest Hour003

結局マッチョ隊も皆無事で彼らは引き続き祖国を守るため残り、3人は潜水艦に乗り込み、侵略者を本格的に迎え撃つ希望に燃える、、、。
世界中がエイリアンに対して反撃に転じたことが艦内で確認される。
希望を感じさせつつエンドロールへ。


何と言うかスーパーフラットな(SF)映画であった。









世界沈没

End Day

End Day
2004年

イギリスBBC


ギャレス・エドワーズ監督・」脚本


グレン・コンロイ、、、ハウエル博士(TBM主任科学者)



ギャレス・エドワーズ監督の映画ということで、観る気になった。
傑作「GOZZILLA」や「モンスターズ 地球外生命体」の監督である。
48分という短い時間で4つの”End Day”をまるでパラレルワールドみたいに描く。
この演出は流石に上手いと思った。
同じ日の朝7:00ハウエル博士がアラームで起きるところから始まる異なる大パニック~世界の終焉の描き分けである。

最初は、津波。(向うでも「ツナミ」と言っている。まるで「スシ」みたいだ)。
2番目は、隕石。
3番目は、ウイルスのパンデミック。どこかで聞いたような(爆。
最後は、恐らく重イオン加速器による生成可能性があるとされる仮説上の粒子、ストレンジレットにまつわるもの。ダークマターのひとつみたいに言われている。であればこれが不意に生成されてしまうとひとたまりもない?

ひとつめは、ラ・パルマ島の火山噴火による津波がニューヨークに時速800Kmで押し寄せてくる。
その高さは150m。かなりの内陸にまで猛スピードで入り込む。まさに津波。
何処かに逃げようと車の渋滞にはまってしまった人々は間違いなく全員死亡であろう。
こういうときは、ともかく高層ビルの最上階にでも逃げておくしかあるまい。
噴火と謂えば、ペルム紀に起きたパンゲア超大陸形成の際のプレート移動から引き起こされたスーパープルームによる大噴火である。2000m級の噴火が100万年に渡り続いたと言うから二酸化炭素による保温効果も加え灼熱地獄である。この時期97%の生物が死に絶えている(この噴火の前には氷河期であった)。
それから見れば、局所的な被害に留まった。とは言え、大陸移動などによって、またいつ起こるか分からない。

次は、隕石である。隕石で最近のものは、ロシアのチェリャビンスク隕石が有名で、大規模災害となり多くの人が犠牲になるかと思いきや、UFOが救援に来てくれて死者は0であったという。地元の人々はUFOさまさまでいたく感謝をしているらしい。
隕石はしょっちゅう落ちてはいるが、やはり大きなもので一番近いのは、6600万年前白亜紀の恐竜絶滅(75%の生物が死滅)した時か。ここではアメリカが核ミサイルをそれに向け撃つが、部分的に砕けただけで、大きなまま(どれくらい大きいのかわからない)ドイツに落下する。もう都市は壊滅状態である。
砕けた小さな隕石が火の玉みたいに沢山降って来て、大きいのが最後にズト~ンである。
仮に地球にもっと近づいたところで、充分な破壊力で正確に打ち砕けたとしても、今度は地上は、破片のクラスターによる絨毯爆撃状態になり、やはり甚大な被害を及ぼすはず。
ニュースでは、太陽光の明るさでその天体の発見が遅れたと言っていた。
今は、地球防衛隊という感じでそうした天体専門で見張っている部署がNASAにもあり、早めの対策は打てるとは思うが。
ただし接近して来る天体の正確な軌道はかなり近づいてからでないと割り出しは困難のようだ。非常に複雑な重力的影響を受けてくるためである。
やはり対策としては、軌道を逸らす方向で行くべきだろう。

次は、極東で流行ったウイルスがヨーロッパにも入って来るというもの。
今度は、まずイギリスである。
ここでのパニック振りはかなりのもの。
外出禁止令が出て、戦車まで繰り出す。
致死率の高いウイルスである。赤ん坊はその最中、元気そうにしていた。
これからの究明が大変である。確かに。すでにそれが良く分かっていたのだから、本番でももう少しどうにかならなかったのか。
このBBCフィルムその警鐘に充分なり得るものであったのに。
封じ込めが何よりポイントであり、ここではかなり強硬策をとっていた。
未知のウイルスである場合、その特性を知ることが肝要であるが、RNA型の遺伝子であれば感染を経ながらの変化も素早い。
次々に変種を生んで枝分かれして行く。ワクチンも追いつかない。まったく。

最後は、主人公博士が巨大加速器の実験を反対派の妨害をすり抜け、行うと言うもの。
ブラックホールを実験で作り宇宙の起源を解明するというプランである。
そう言えば、随分前だがインドの女性が加速器でブラックホールが出来ることを知り、自殺したことがあった。
流石、数学者の国インドだと感心したことがある。
恐らくその女性は独自に計算した上でブラックホールの脅威に恐怖して死んだのか、抗議の意味であったのか。
この映画でも多くの人々がプラカードを掲げ、抗議の声を上げていた。
ただ、加速器で生まれるブラックホールは非常に短時間で蒸発してしまい下界には何の影響も及ぼさないものだ。
実際に、何の影響もない。
しかしこの映画では、ストレンジレットの生成により加速器が破壊され、一気に全地球規模で破滅して行くと言うもの。全的崩壊である。これこそホントの”End Day”であろうが、この4つの噺の中では最も信憑性に欠ける。
まず、こんなことはあり得ない。
映画ではTVから、よく宇宙の教養番組の講師で出演する宇宙物理の博士が何故か役者として?ストレンジレットについて解説していた。余りいい加減なことをこういうところで話すと信頼感を失わないかとちょっと心配である(笑。


手際よくまとめられた映画であった。
短いことも助かる。

「そんなことが起きるのか?ではなくいつ起きるのかの問題である」と結んでいたが、1~3に関してはその通りだ。
3つめなど、いつ起きるの?今でしょ。
備えはしっかりしておかないと。分かっているのなら尚更。


映画とは関係ない余計な噺を書き過ぎたのでご注意願いたい(いつもそうだが)。








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別離

Nader and Simin, A Separation001

جدایی نادر از سیمین‎、英題:Nader and Simin, A Separation

2011年
イラン

アスガル・ファルハーディー監督、脚本、製作

レイラ・ハタミ、、、シミン(ナデルの妻)
ペイマン・モアディ、、、ナデル(シミンの夫)
シャハブ・ホセイニ、、、ホッジャト(ラジエーの夫、失業中)
サレー・バヤト、、、ラジエー(家政婦)
サリナ・ファルハディ、、、テルメー(シミンとナデルの娘)
ババク・カリミ、、、判事
メリッラ・ザレイ、、、ギャーライ先生
キミア・ホセイニ、、、ソマイェ(ホッジャトとラジエーの娘)


日常の些細な出来事から重く苦しく泥沼を這うような内容に展開して行くのだが、洗練されているためスッキリと見られる。
重厚だが、やはりエキゾチックな雰囲気の醸す影響か独特な感触を覚えた。
この監督の映画は「セールスマン」を観ている。
この作品も静謐な日常空間の揺らぎの内に、ふと生じる狂気のめくるめく拡張を絶妙に描いていた。

イランの監督と謂えば、真っ先に浮かぶのはアッバス・キアロスタミか。
過去に、「桜桃の味」、「オリーブの林をぬけて」、「そして人生はつづく」、「友だちのうちはどこ?」、「風が吹くまま」等を観て来た。彼の映画が、素人を使った地方を舞台にしたドキュメンタリータッチの演出を抑えたものであるに対し、このアスガル・ファルハーディー監督の作風は達者な俳優で固め、脚本・演出共に練りに練ったものであることが分かる。舞台も都会の日常生活であり、ヨーロッパ文化とさして変わらない。主人公たちも良い暮らし向きの人々である。車からして違う。垢ぬけていて雰囲気が異なる。

この監督の「彼女が消えた浜辺」という映画が以前から気になっており、機会があれば観てみたい。

さてこの「別離」、離婚、介護、失業、信仰、教育、流産と何処にでも見受けられるテーマを織り込み普通の生活が不可避的に引き裂かれてしまう流れがものの見事に描かれる。誰もがバラバラになってゆく。犠牲を伴い、、、。
リアルで救いが無いところが、いつまでも尾を引く(「セールスマン」もまさにそうであった)。

Nader and Simin, A Separation002

母親が離婚を迫るところから始まる。
海外に住む事が娘の教育にとっても好ましいという理由で話し合いで決まっていたことらしいが、夫はアルツハイマーの父親の介護が深刻な問題となり、海外に父を連れて行けない為、残ることを主張する。
それで母は出て行き、夫は仕事に出ている間の父の介護の為、ヘルパーを雇う。
如何にもありそうな噺であるが、登場人物それぞれが抱え込む事情が関係し問題が生じそれが増幅して行く。

その過程で何よりもテルメーが不憫で同情してしまう。
親や大人たちのどうにもならない都合でいいように振り回され、ズタズタである。
しかし自分をしっかり持ち物事を健気に真直ぐ捉えようとしている。
勉強が大好きな所も羨ましい。うちの娘たちもこれくらい勉強好きなら言うことないが、、、コロナ堕落していて無残である。
中一のテルメー女史、実に利口そうな顔つきで、周りのゴタゴタに対し中立的な立ち位置で頑張るがその分、苦労も大きい。
特に父親を庇う為に法廷で嘘の証言をしてしまい、その後さめざめと泣いていたシーンには怒りさえ覚える。
大人誰もがお互いに意地を張り合い、自分のプライドに拘り続け、自分の観念に縛られ、誰もが運命に流され、犠牲となるのは子供である。
しかし、こういうことは、勿論日本の何処にでも見られる普遍的な風景だ。

Nader and Simin, A Separation003

ここでひとつ、独特に感じるのは宗教である。
夫の失業で止む無く家政婦の仕事を引き受けたラジエーであるが、アルツハイマーの老人が粗相をした時にその着替えを支援するかどうかいちいち聖職者に電話して確認をとるところには、ビックリした。
その信仰心がこんなかたちで決定的な役割を果たす映画は、あまり観たことがない。
もし、この噺から信仰が抜けていたら、もっとあっさり片付いているはず。
最終的に(お金で)丸く収まっていただろう。
コーランの上に手を置いて誓えるか?と言われたら、もう嘘はつけない。フリーズする。
そこから、もう真っ逆さまである。恐ろしい。
かくも内面深く浸食している絶対的な装置なのだ。
「このお金を受け取ったら、きっとソマイェに禍が降りかかるわ」とラジエーは心底怯えていた。
(ここがイスラム教徒ではない日本人であるわたしには全く共感し得ない部分である)。

Nader and Simin, A Separation004

そしてストーリーの終盤に序盤に描いたちょっと冷や冷やするシーンを伏線として決定的な収斂に向け回収している。
これには、瞠目した。(上手い脚本~演出だ)。
そうだったのか!である。
この物語の重要なキーパーソンがアルツハイマーの要介護のナデルの父であったことも分かる。
ラジエーは、この老人を庇って身重の身でありながら身代わりに交通事故に遭ってしまい流産に繋がったのだ。だが自分がこのアルツハイマーの老人から目を離した為に起きた結果でもある。
とは言え、このようなミスは誰であってもしてしまう可能性はあるし運悪く事故を引き起こしてしまうこともあろう。

Nader and Simin, A Separation005

このドラマはどこにでも見られるものであり、登場人物は本当に普通の人であり、自分の身を守ろうとして争いもするが基本善意の人たちである。
自分の置かれた立場、自分のアイデンティティに拘り過ぎるところはあるにせよ、必然的にこのような関係性の内に絡めとられてゆくのだ。人は自由に見えて実はそうではない。意地を張ってそうしているように見えてもどちらにせよその方向に転がってゆくしかない。
重力に逆らえないが如くに。

しかしこの流れの総体ははっきり、間違っている。


気まずいままシミン、ナデルは、廊下で離れて待ち続け、娘のテルメーは離婚した親のどちらに付くかを判事の前で答えねばならない。全く認める事の出来ない現実の選択を突き付けられる。
娘は涙を流しながら、「もう決めています」と語りながらも、それに対しいつまでも答えることが出来ないで立ち尽くす。

そのままエンディング、、、。


これほどの強度を持つエンディングは他に知らない。
凄まじい傑作であった。
キャストの力量も素晴らしい。









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GIRLFRIENDを聴いて その2

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YouTubeだと映像データが見られる(演奏する手元も確認出来る)ことで、情報量も多くて把握に役立つみたいなことを書いたが、CDを聴いてつくづく思ったのは、音だけ(勿論、しっかりしたミキシング~その前にオーヴァーダビング、そしてマスタリングされた結果のもの)がクリアかつ立体的に聴けることで楽曲そのものを落ち着いて精確に味わうのによいということ。情報量が多すぎるのも気が散ってしまうし、ライブの偶々とった感の音源などは、やはり厳しい(特に初めて聴くような場合は)。

YouTubeでは、カヴァー曲とオリジナル曲の演奏~録音状況が違い過ぎた。
(カヴァー曲の仕上がりが余りに良すぎた)。
大概、何かをしながら、しかもパソコンから聴いているのだが、オリジナル曲の質の高さが良く分かった。
メロディラインも構成もしっかりしている。
これが2018年であるから、彼女らは17歳くらいの時期の曲か(メンバーによっては16歳?)。

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”360”など宇多田ヒカルを初めて聴いたとき以来の衝撃だ。サウンドがべらぼうにカッコよい。ギターリフに痺れる。日本的ではない(イギリスのインディーズから出てきそうな)インパクトがある。端からワールドワイド(古い言い方((笑)のグループなのだ。

リードヴォーカルは相変わらず艶やかな伸びがあっで気持ち良い。リードギター(時にツインリード)の疾走感がたまらない。
リズム陣はやはり言うことなし。ベーシストは歌も素敵。ただしベースラインのトラックがやや弱い。もっとベース音が聴きたい。
誰もがヴォーカルをとれるみたいで、その辺の今後の可能性も愉しみ。
他に”Hide & Seek”、”キセキラッシュ”、”光”、”15”、”一直線”、”ミライリスト”など特に強力なチューンだ。
今日は、環境音楽としてずっとファーストアルバムを部屋に流していた。
グルーヴ感が強くて落ち着いて掃除もできないが(笑。



CHOCOLATE(DVD付) CD+DVD


先日、詩のことを書いたが、よく聞こえていなかっただけであった(謝。
嘘のない率直で等身大の確かな力のある歌詞である。
この前の記事の詩に関する部分は訂正したい。
所謂、アイロニカルに突き放したプロコルハルムのような文学的造形の詩ではなく、直接的な体温を感じる誠実でしなやかなメッセージとなっており、とても好感を抱く(プロコルハルムのアイロニカルな乾いた詩の方に馴染んでは来たが)。
抒情詩的表現も決まっており言語感覚もかなりのもの。前回、わたしは何を聴いていたのか。
相当なコンポーザー集団ではないか。何と言うか、、、カヴァーを主体に聴き過ぎていた。

009GIRLFRIEND.jpg

最初は若いのにテクニックとアレンジ力の凄いグループだなと、興味を持ったものだが、CDで聴けば聴くほど惹かれてゆく。
感覚的にとても同調出来るのだ。
暖かく瑞々しいエネルギーが充ちてくる。
少年の頃、ビートルズを孤独のうちに、とても自然に聴いていたことを思い出す、、、。
(そこにビートルズやバッハがなかったら、恐らく発狂していた)。
そう、何でこんなに若い女子の作る音楽に郷愁と焦慮の念を覚えるのか。
きっとわたしの幾重にも閉ざされ凍結した深層にまで響く音なのだ。
今一番わたしが関わらなければならぬ精神の層に、ゾンデとなって、、、
、、、仄かな熱を放ち届く音なのだ。
何故だか、、、届いてくれる音なのだ。





セカンドアルバム”HOUSE [CD+DVD]”




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ホームレス ニューヨークと寝た男

Homme Less001

Homme Less
2014年
オーストリア、アメリカ

トーマス・ビルテンゾーン監督・撮影・製作
カイル・イーストウッド 、マット・マクガイア音楽

マーク・レイ(ファッションフォトグラファー)


Homme Less002

マーク・レイという52歳の男のドキュメンタリー映画。
トーマス・ビルテンゾーンというオーストリアの監督が密着しながら、カメラをまわす。
”Homme Less”どう受け取るべきか、、、


マークはニューヨークのビルの屋上を勝手にねぐらにしている。
眺めは良いが天気が気になる。
人目も気になる(不法侵入は罰せられる)。
ちょっと緊張しながら毎日サバイバル生活を続けていると言う。
しかし興味深いホームレスなのだ。

野心はありユーモアを持って快活に行動している。
見かけはスタイリッシュに決めて毎日、颯爽と下界に降りてゆく。

Homme Less003

公園のトイレで髭を剃ったり、ジムのロッカーを幾つも借りて、生活必需品を預けている。
時折、映画のエキストラなどをして日銭を稼いでいるみたいだ。
昔はファッション雑誌のモデルをしていたらしい。

ニューヨークの繁華街で、モデルたちに声をかけ、果敢に写真を撮り続けている。
ファッショニスタのパーティーにも出席しており、実際、有名モデルとも顔馴染みみたいだ。
やたらと綺麗なモデルが登場して、言葉を交わしたりスナップを撮ったり、名刺を渡したりと、華やかな場である。
その時の服装は決まっており、売れっ子フォトグラファーという感じでその場に溶け込んでいる。
撮った写真を、沢山の雑誌社に売り込み専属写真家のポジションを得ようと頑張っているようだ。

Homme Less004

6年間、屋根とベッドのない生活をして来たが、そろそろ見晴らしの良いニューヨークのビルの屋上生活もきつくなって来たと言う。
家も家族も持たず自由に生きる。こういう生活スタイルもあると誇らしげには言っていたが、、、。
歳をとったら屋根は欲しいし、不法侵入をビクビクしながら続けてゆくのも難しくなる。
へとへとに疲れて戻って来るようにしていると言う。
そうでないと、なかなか眠りにつけない間に余計なことを考えてしまうのだ。
飄々と生きているようでいて、かなり焦燥感は持っていることが分かる。
沢山ショーの写真やモデルの個人的な写真を撮っているが、何処に送っても写真はなかなか認めてもらえない。
ヨーロッパにも渡ったが、上手くゆかず無一文でニューヨークに戻って来たそうだ。

写真の枚数はかなり撮っているように思えるが、映画の中で彼の撮った作品を多少は見たかった。
写真自体の研究はどんな風にしているのだろう。
どういうコンセプトを持っているのか、彼自身の個性~スタイルとはどういうものなのか。
その雰囲気だけでも観てみたかった。
その辺は、ほとんど撮られておらず、彼のアーティストとしての実態は見えてこない。

大学は出ていると言っていたが、学部は何処なのか。
大概の高名な写真家は専門の学校を出てから、尊敬する写真家の助手などになり日々の研鑽を積んだ末に自分のスタイルを掴んだ上で様々な可能性を追求してゆく。
その過程が展覧会、メディアを通じて人の目にとまり、需要が生まれてゆくかたちだと思う。
そこらへんのエピソードなりシーンがごっそり抜け落ちている感がある。

彼の特異な生活スタイルやパーティでの交際などばかりが映し出され、それは良く分かったが、段々虚しくなってくる。
音楽もそれにピタリとマッチしており、、、。

Homme Less005

クリント・イーストウッドの息子のカイル・イーストウッドが音楽を担当し、ジャズベースを披露している。
間が渋くて心地よい。
この映画を一際、抒情的に上品に染上げていた。

やはり先日観た「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」を想いうかべてしまうところがある。
あのフランス人ティエリーが成功しなければ、こうなっていたかも知れない。
そして二人はとても似ている本質部分がある。
自分に酔っている点だ。ナルシスト以外の何者でもない。
アート~世界観の追及とか作品自体は全く目的ではなく、何かで一発当てたいという野心こそが主なのである。
そう考えると、ティエリーが一発当て、マークが外れっぱなしというのは良く分かることだ。
後者には、はったりをかまし自己ブランディングする戦略がない。ただ綺麗なモデルの写真を撮っているだけ。
これでは、一流フォトグラファーの上を行ったり、差別化を図ったりも出来るはずはない。
(それに成功したいという情熱もティエリーほど感じない。上手くいかないことも含め自分に酔っているのだ)。

Homme Less006

同時に思い浮かんだのは「ソール・ライター」である。
有名ファッション誌の花形フォトグラファーとして活躍していたが、広いスタジオを持つ裕福な生活を捨てストリート・スナップを撮り続けた写真家である。
彼も極貧生活に身を落とすが、マークと交錯する部分は微塵もない。
見ている世界がまるで違う為、路で遭ってもお互いに目に入らないはず。
ソール・ライターは、ただひたすら作品世界を追求し、その結果残された写真に多くの人が魅せられてゆく。

マークの関心事は他ならぬ自分自身である。
その為、この映画が最も彼のパーソナリティにも合った一番の成功作に思える。
これで売れれば、言うことなしか。
”Homme Less”の意味が沁みてくる。










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マイ・マザー

Jai tué ma mère001

J'ai tué ma mère
2009年
カナダ

グザヴィエ・ドラン監督・脚本・製作

グザヴィエ・ドラン、、、ユベール
アンヌ・ドルヴァル、、、シャンタル・レミング
フランソワ・アルノー、、、アントナン
スザンヌ・クレマン、、、ジュリー


「僕は母を殺した」
期待して観てはみたが、甘い。
甘すぎる。ほぼ普通の母子ではないか。
それにここに同性愛を持ち込んでくると論点もズレるというか、、、。
(これはハッキリ別問題である)。
わたしの期待とは大きな隔たりがあった。

とは言え、この若さで主演、監督、脚本をこなすというのは凄いものだと思う。
、、、思うのだが、若い。若すぎる。
ここでの少年は16~17の間である。

母親は確かにおかしい。
無意識に常に子供を操作しようとしている。
だが、あれだけ派手に言い合えるのなら、健全だとも思う。
きっと幼年期における関係性は拙いものではなかったのだ。
だから派手に言い合える自律性~自立性を子供が持ち得ている。
批判する主体足り得ている。
これなら、さして問題なかろう。
このまま突っ走って母親の謂うように18になったら、ハイさよならで良かろう。

幼年期において潰されていたなら、母親に根こそぎ取り憑かれてしまっており、反抗などする余地はない。
大人しい内向的だが良い子で通っているはず。ビクビクしながら。
その矛盾~歪みがやがて(ある時突然)外部に向けストレートに爆発するか身体~無意識に発現して何らかの形で病むことになろう。
突発的な暴力か原因不明の精神的病いとして、、、適当に分類、病名が付けられ、日常の文脈に収められるにせよ、厄介な存在として常に迫害、排除の対象とはなるはず。

人は、母親にされたことと同等の扱いを他者からされ続けることとなる。
(わたしが心底侮蔑する途轍もなく頭の悪い品性下劣極まりない犯罪的馬鹿どもにすら、である)。
この悪無限反復の円環にとじ込まれ。
大学の心理学の教授の講義のその部分~片々が何処かでずっと脳裏に鳴り響き続ける。
この宇宙背景輻射として。
ならば基本がマルチバースであるなら、相互作用がないにせよそちらに可能性を探りたい。

この母親だと少年期における操作はかなりして来ていそうだ。
その苛立ちが、母との一見他愛もないような会話のなかで、噴出する。
しかしこう言った爆発がその都度出来ることは、彼が健康的であることを示している。
深層に溜めに溜めて、ある夜むくっと起きて金属バットでは、シャレにならない。

注意しなければならないのは、18以降も母親が依存して来ないかだ。
そうしたら人生滅茶苦茶となる。
世の中には無自覚に相互依存関係を保ったまま一生を過ごしてしまうパタンも多く見られる。
血飛沫を上げてもシャム双生児は引き裂かれ離れなければならない。
善く生きるとは何か、の前提である。


ヴィオレッタ」の時と同様、映画とはおよそ関係ない噺になってしまったか、、、。間違ってもこの映画に関する内容~知識として拾わないで貰いたい。











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パターソン

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Paterson
2017年
アメリカ、ドイツ、フランス

ジム・ジャームッシュ監督・脚本
ロバート・ハイン音響
ジム・ジャームッシュ、カーター・ローガン、シェーン・ストーンバック音楽


アダム・ドライバー、、、パターソン(バス運転手、詩人)
ゴルシフテ・ファラハニ、、、ローラ(パターソンの妻)
ネリー、、、マーヴィン(イングリッシュ・ブルドッグ)
バリー・シャバカ・ヘンリー、、、ドク(バーのオーナー)
リズワン・マンジ、、、ドニー(バス車庫長)
ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、、、エヴェレット(恋に悩む男)
チャステン・ハーモン、、、マリー(エヴェレットが恋する女)
スターリング・ジェリンズ、、、若い詩人
永瀬正敏、、、日本からやって来た詩人


ストレンジャー・イン・パラダイス」、「ダウン・バイ・ロー」の最初期の作品を見ているが、このような新しいものは観ていなかった。
Sukita」(2018年)の映画に出演しているものは観たが。

ハッキリ言って大好きなタイプの映画だ。
東京物語」みたいに美しい。
音楽、音響がこれまた素晴らしい。

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ニュージャージー州パターソンに暮らす、バスの運転手パターソンとその妻ローラの一週間を淡々と描く。
とても穏やかな夫婦で、ローラの意思をパターソンが尊重して暮らしている。
彼女は、これからギターを習ってカントリー歌手になりたいという。
慎ましやかだが、ローラの趣味とセンスに室内全てが染まっている。白黒モノトーンに統一され。
何とも言えないユーモアと哀愁が基調にある。

決まり切ったルーチンとはいえ、毎日は微妙に異なる。
その微細な揺らぎを彼パターソンは詩に書きとめる。
決まって早朝、出発する前のバスの運転席で秘密のノートに書く。
まさに詩人の風情である。携帯を持たない。

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バスの電気系統が故障して動かなくなってしまうとか、そういったトラブルも時にはあるが、他にはこれと言ってない。
毎晩マーヴィンの散歩の途中で寄るバーで、エヴェレッの痴情騒ぎもあったが、帰りが少し遅くなった程度か。
最初、双子が欲しいとローラがパターソンに言った関係か、日常によく双子が登場する(笑。
10歳くらいの少女の詩人に出逢い、その詩に打たれるところは、とても素敵な場面だ。

やはりローラと外食して古いホラー映画を見て帰宅したら、留守番していたマーヴィンが詩を書き溜めたノートをビリビリに破ってしまっていたことが、彼らにとって一番の大事件であった。
この日の昼にローラの焼いた白黒模様のカップケーキが市場で大盛況で、直ぐに売り切れたんまり儲かり夫婦でお祝いするというとっても良いことの後に悲惨な事態が待ち構えていた。
これには、ショックが隠せない。
「お前なんか嫌いだ」というパターソン。マーヴィンはどうやらパターソンとローラが仲良くすることに異議があるようだ。

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マーヴィンは我が強く、強引に自分のペースで散歩する。
たまたま出逢ったコインランドリーのラッパーの詩に2人で惹かれてみたり、、、
バス車庫長のドニーはいつ調子はどう?と聞いても最悪としか答えない。
その内容はいつも面白い。
朝の街のバスのコースは長閑だ。
自然の朝の風景はとても美しい。

妻もギターの弾き語りの練習が順調に進んでいる。
意外に上手い。
部屋の全ての調度や壁がモノトーンに完全に塗り直されてゆく。
彼の日常は詩に充ちている。
家には詩集が沢山ある。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集が特にお気に入りか。

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最初の頃に出て来た、マッチの詩がとても印象深い。
ディテールにおける物質感が鮮やかにイメージを結ぶところ。
やはりローラの謂うように詩集を出すと良いと思う。
犬に裂かれたとは言え、自分の書いたものなら容易に思い出せると思うが。
しかし新たに書くこともいくらでも出来よう。
環界において詩的関係性さえ保たれていれば、、、全てが色濃いイメージではないか。
そう言えば、W・C・ウィリアムズのイマジズム(写象主義)をはっきり継承するような詩であった。

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永瀬正敏が日本人の詩人として唐突に現れる。
滝を前にしてベンチに座るパターソンの傍らに。
まるで、一種の恩寵の如くに。

詩人の話に花が咲く。
アレン・ギンズバーグもパターソン出身の詩人であったと。
何度も出て来たウィリアム・カーロス・ウィリアムズも地元詩人であった。
「あなたも詩人ですか」という日本詩人の問いに「いいや、バスの運転手さ」と答える。
「それはとても詩的だ」と。
確かに彼の場合、とても詩的だ。

「詩はわたしの全てです」そして、、、
「白紙のページに広がる可能性もある」と言い、ノートをプレゼントして日本人は去って行く。
滝を前にして、詩的な出逢いであった。
彼ははっきりと詩に目覚める。
「君は魚になりたいか」







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イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 断片補遺

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「売店のある美術館の出口」とは何ともニヒリスティックだ。
美術は常に商業主義と結びついてきた。
ただ個々におけるその結びつき方は色々ある。

昨日観た”イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ”で印象的であったのは、MBWことティエリーと大規模メディア展開した宣伝を見てやってきた民衆との共犯関係だ。その一点についてだけ、簡単な感想を述べておきたい。
この洗脳しようとする側と自ら進んで洗脳されようとやって来る人々との、鍋と蓋みたいな関係。
いみじくも「一連の現象は人類学的、社会学的に検証の価値はある」とシェパード・フェアリーが謂うように、この事例を少なくとも文化論として展開してもよいはず。
このバンクシーの対象化したドキュメンタリー映画自体が、何より良く出来たサンプルでもある。

また、こういうやり方もあるのだ、というMBW擁護論もあろう。
実際、彼の作品は売れ続けているらしい。
単なる初期洗脳でそのまま需要が続くものだろうか。
勿論、問題提起の形でこの映画を発表したバンクシーが権威の立場からMBWを鋭く批判すれば事態は変わる可能性も高いであろうが、彼は直接的に影響力を行使することはしないだろう。ただ、このような形で世界に託したものだ。
(当のMBWがバンクシーを大尊敬している捻じれ現象もある)。

バンクシーの作品が、これまでのポップアート画家の作品と同等な価値を認められるのは良く分かる。
彼の作品は寧ろそれ以上の強度を誇る。
所謂制作をしなくてもコンセプト次第で、アートはサインした便器をひっくり返して展示会に出しても成り立つ。
何れもアート~作品(場合によっては制作行為)そのものが目的であり、全身全霊の思考の産物であることは変わりない。
しかしそうではない見かけ上の「アート」で人を惹き付け続けることが可能か。
このMBWにとっては、アート自体は全くどうでもよい手段に過ぎないのだ。あれだけストリートアーティストを撮り続けて来たのに、彼らの仕事の一体何に惹かれていたのか。
彼にとっては、人を惹き付けることそのことがまさに目的である。
自らがイコン化し、ブランディングを高めてゆく。
サインされたその物が差別化され選択意思決定の単純化・固定化のレールが敷かれればよい。

彼にとっての勝負はやはり何より、最初の伸るか反るかの大規模な展示ショーにかかっていた。
ここで失敗していれば、別に世の中何事もなかったように明日を迎えたものだ。
バンクシーとシェパード・フェアリーという権威の影響力を利用し巧みな宣伝をかけて大勢の集客に成功したことで、この流れが生まれてしまった。新しい権威に縋りたい人々の要求を吸収する装置としてMBWは作動を始めたのだった。
要所要所でマドンナみたいなアーティストがアルバムジャケットなどを依頼することで、その流れは当面維持されてゆくのではないか。

中断


噺は全く変わる。
先日ウェブ注文した”GIRLFRIEND”のファーストアルバムが届き、聴いてみた。
YouTubeのステージ録音ではオリジナル曲の印象はイマイチであったが、このスタジオ版はかなり良かった。
この若いメンバーでの最初の録音としては相当な水準だと思われる。
もうセカンドも出ているし、そちらも注文したい。
彼女らは必ず日本最強のロックバンドになると確信した。





セカンドアルバム”HOUSE [CD+DVD]”



イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

Exit Through the Gift Shop001

Exit Through the Gift Shop
2010年
イギリス、アメリカ

バンクシー監督

バンクシー
ティエリー・グエッタ(アマチュア映像作家、フランス人)
シェパード・フェアリー(ティエリーの従弟、有名グラフィティアーティスト)
シーザー(グラフィティアーティスト)
ネックフェイス(グラフィティアーティスト)
スウーン(グラフィティアーティスト)
ボーフ(グラフィティアーティスト)
バフモンスター(グラフィティアーティスト)


バンクシーの名は知っていても、何も詳しいことは分からない。
ストリート・グラフィティアーティストとして幾つかの壁に描かれた「絵」を写真で見たことはあるていど。世界で一番、名の知れた落書き画家であろう。(スキルと風刺において)優れた腕をもっていることは確かである。
「公共物破壊に新たな方向性を与えた人物」として世界的に有名ではあるが、、、。
彼に関しては、わたしは極めて情弱の立場にいる。
この映画で少しは、バンクシーが馴染みになるか謎を齎されるか、別の何かを知らされるのか、、、


LA在住のフランス人アマチュア映像作家ティエリー・グエッタが覆面アーティストであるバンクシーの存在を知り、彼のドキュメンタリーを撮ろうとするが、逆にバンクシーが彼のドキュメンタリーを撮ることに、、、。
それ以前から、ティエリーはストリートアーティストに興味を抱いていた。
「彼らは皆、信念をもって制作している」
確かに。(しかしティエリーにとってその信念とは何かが終盤に驚くべき形で明かされる)。
それぞれのアーティストに持ち味がハッキリとある。
そして、「落書き」である以上美術館の芸術作品と違って寿命は短い~儚い。
バンクシーは記録してくれる人間を探していたようだ。
(ストリートアートは基本、作り逃げである。次の日には消されている。その作品の記録はある意味、貴重である)。

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「パンク以来の対抗文化が離陸態勢に入った」
街の夜は、彼らの秘密の創作の場となっていた。

夜の闇の創造の場を撮るという行為はこれまたワクワクするものだろう。
(警察が来ると逃げる)。
闇の創造者との共犯関係を愉しむ時間だ。
魅惑の地下世界である。
沢山のストリート・グラフィティアーティスト~そうそうたる面々が出てくるが、彼らはともかく好きでビルの壁に自分ならではの刻印をしてゆく。
ティエリーはそれを撮ることもやめられない。その姿をバンクシー監督が撮る。そういうドキュメンタリー。

時折、解説に現れるバンクシーは全身影となっている。声も変えてある。
何ともカッコよい。映画みたいだ。映画かこれは(笑。
ミステリアスである。

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「繰り返しの力」これは、アンディ・ウォーホルのムーブメントからそうだが、シェパード・フェアリーによる「アンドレ・ザ・ジャイアント」(オベイ)もそうだ。
増殖することで意味が生成される。オバマのポスターも鮮烈であったが。
シェパードもティエリーが映像に残すことを好都合と受け取っていた。ついでに彼は見張り役にもなる、時々助手にもなる。
(実際に、違法で物理的に危険な場所~ビルの屋上などでやっているのだ)。

何でそんなに映像を撮るのかと聞かれ、はじめてティエリーは、ストリートアートの映画を撮ると、ほぼ出まかせに答える。
(周囲も、膨大な映像データからドキュメンタリー映画が出来上がるモノと思っていた)。
ティエリーは単に何も考えず撮っていたようだが。普通、十何回も撮影されれば、何にするのか、聞くものだろう。
シェパードもお人好しで、海外に制作しに行くときもティエリーを連れてゆく(奥さんは良い顔はしていない)。

結局こんな感じで、単に撮っては溜めてゆくばかりであった。作ること(映画監督)には向いていない人であることは、後にバンクシーが太鼓判を押す。精神障害を疑うとまで言われる。これまた突出した面白い人だ。
何で記録し続けるのか、それを止められないのかを彼自身が分析したところによると、幼い頃に植え付けられた喪失感にあるという。二度と戻らぬ瞬間を何らかの形で余すところなく永遠に保存したいという欲動が抑えられないようだ。
やめ方を知らないから、続けるしかないと言う。ヴィデオをもって何処にでも飛んで行く。
最終的に映像を諦めさせるため、バンクシーから君もストリートアートをやってみ、と勧められ、勿論、直ぐにその気になった。

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運よくティエリー・グエッタは誰も逢うことが難しいと謂われている覆面アーティストのバンクシーの撮影を初めて許可される。
勿論、顔は撮れないため手元だけである。
非常に細密なステンシルを幾枚も作り、インクも携え戦地に赴き危険な壁にメッセージを残してきたのだ。
ティエリーはバンクシーの才能に仰天する。それは、見れば容易にわかる。
彼は喜んでLAの最高の場所を案内し、出来る限りの補佐を願い出た。作業は捗ったようだ。
バンクシーもティエリーをイギリスに招待するまでになる。

バンクシーが立体作品も作っていることを知った。大型トラックでそれを運び、道端に置いて逃げる。
「破壊された電話ボックス」
これもティエリーが撮っておかなければ直ぐに当局に撤去されるモノだ。
彼の作品は、紛うことなき傑作である。芸術作品であるが、ストリートの文脈に嵌め込まれてより大きな意味を持つ。
「インスタレーション」としての価値も生む。
道行く人々の反応も様々でその意見を聞くのも楽しい。
受け取り方が自由であるものこそ、芸術である。
バンクシーや彼の仲間にとって、ティエリーの撮影した映像は、放置されたアートがその後、どう受け取られたかを彼らに知らせる貴重な情報でもあった。
その為、ティエリーはバンクシーたちに次第に認められるようになり、自分のスタジオまで撮影許可を出す。世界でただ一人であろう。バンクシーは秘密を明かせる(こころを許せる)人間を内心求めていたところもある。

アメリカに帰国後、ティエリー自身も目立ってくる。巨大な肖像画をビルに貼り付けて回る。
LAって、結構自由なところなんだと感心したものだ。
バンクシーもLAに再びやってきて、何と作品展示会を開くという。確かに鑑賞に耐える質だが、意味合いが違う。
ここにゲリラ的な文脈でも挿入できれば、面白いが。案の定、ディズニーランドに仕掛けをしに行くではないか(笑。
(だが、危険と隣り合わせで、ここではティエリーはセキュリティに捕らわれ、FBIにまで目を付けられる。だが証拠不十分で釈放となる)。そのせいで、展示会のオープニングにはセレブも駆けつけてきた。そしてペインティングされた像の展示で議論が巻き起こる。やはりちゃんと仕込んであった(笑。ストリートアートが新たな局面を迎える。

いずれにせよ、ティエリーをチームに入れたことで、設置した作品に対する一般の反応まで記録する芸術に拡張した。
そしてコレクターが新しい市場に殺到した。「破壊された電話ボックス」に高値が付く。どれもがホットな商品となる。
所謂、現代アートの文脈にストリートアートが組み込まれたと言えよう。


違法行為をこうやってすり抜けたという武勇伝をここで全てばらして大丈夫なのか、とは思うがともかく面白い映画であった。

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バンクシーがコロナウイルスの医療従事者に送った「作品」。




さて終盤どんでん返しとも言える恐ろしい事態となる。バンクシーから映像を諦めさせるためにアートをやってみろと勧められたことばを拡大解釈したティエリーは、自分もバンクシーみたいな高名なアーティストに成れると確信してしまい、作品作りに邁進し始める。最初はストリートに、外注した自分の肖像の版画を貼りまくっていたが、ストリートアートが徐々にポップアートとして展示会場に飾られていく流れに自分も乗ろうとする。それ自体咎められることではないが、何を作るかのコンセプトもなく、それを具現化する技量も持たない彼がアーティストに成るには、はったりしかない。彼は自分のスタイルを模索し追及する一般のアーティストの試練の過程を全てすっ飛ばし、自分が見て来た色々なアーティストの模倣や折衷を行い、制作スタッフを募集して彼は指示を出すだけでそのイメージを彼らによって具現化させていった。そしていきなりバンクシーの展示会場の真似をした大規模なショーを派手に行う。自分のアーティスト名は、MBW~ミスターブレインウォッシュである。これはジョークか?自分でもアイロニカルに自覚しているのか?しかし実際、彼は本気でアートしているという錯覚に陥っている。彼はある意味、大真面目で取り組んでいるのだ。彼にとってアートとは、人を洗脳するマジックだという信念なのだ。すでに高名なシェパード・フェアリーやバンクシーにまで推薦文や宣伝を依頼し、派手な広告を打って、会場設営をバンクシー経由で手助けに来たスタッフに丸投げして、展示ショーを開催する。
しかし、事前の宣伝が功を奏し、先行者たちのスタイルの模倣や折衷がまさにニヒリスティックなポップアートとして正当化して受け入れられ、大盛況となり作品の売り上げも上々であったという。アンディ・ウォーホルの再来とまで評価するメディアも出て、MBWはすっかり自信を持ち、時代の寵児みたいな振る舞いで得意満面。
これには、シェパード・フェアリーやバンクシーもドン引きし、「複雑な気持ちだ。善意で協力はしたが、意図しない方向に進んでしまった」と後悔していた。「一連の現象は社会学的に検証の価値はある」とシェパードは結んでいた。
バンクシー曰く「アートはジョーク」(笑。顔は見えないが苦々しい表情でいることは、はっきり分かる。
飛んだ終盤であった。ポップアートはこの危うさが確かにある。







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ワイルド・スピードX2

2 Fast 2 Furious003

2 Fast 2 Furious
2003年
アメリカ

ジョン・シングルトン監督
マイケル・ブラント、デレク・ハース脚本


ポール・ウォーカー、、、ブライアン・オコナー(元刑事のカリスマストリートレーサー)
タイリース・ギブソン、、、ローマン・ピアース(腕自慢のレーサー、ブライアンの相棒)
エヴァ・メンデス、、、モニカ・フェンテス(FBI潜入捜査官)
コール・ハウザー、、、カーター・ベローン(密輸麻薬売人)
デヴォン青木、、、スーキー(ピンクのホンダ S2000の女性ドライバー)
クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、、、テズ・パーカー(マイアミの顔役、レースの仕切り人)


猛烈に速い!(爆。
日本車が沢山出てくるので、ついつい魅入ってしまった。
CM入りまくりのカット版映画のTV録画であるが、問題も感じずに観てしまう。
ブライアン・オコナーが映画冒頭のレースで、GTRで勝ちをもぎ取るところで、こちらも見る気満々となった(笑。
やっぱり走り屋の車だねえ、とニンマリしてしまうのだ。
しかし橋のダイブはいただけない。あれでは車のダメージもかなりのものだろう。
2位に入ったピンクのホンダ S2000はジャンプから着地の際、フロントが酷いことに、、、サスだって結構傷んだはず。
掴みはOK(笑。

2 Fast 2 Furious004

こちら視聴者としては、至り尽くせりの撮影~カメラワークでカーチェイスなどのカーアクション(特に激しいシフトチェンジなど)を存分に愉しめるが、ストリートレースに駆け付けているカーマニアたち~登場人物は、立場上スタートとゴール現場しか見ることはかなわない。
これは結構つまらないのでは。それでテズ・パーカーは橋の演出をして人々を楽しませようとした訳か。
レース後に何故か謎めいた美女が勿体ぶって現れ、ブライアンの気を引いて立ち去る。
(ブライアンは女癖が悪いらしい)。
直ぐに警察の手入れが入り、逃げるGTRにジャマーが撃ち込まれたため急停車しブライアンは拘束されてしまう。

ブライアンは、FBIから麻薬密売人が運び屋を募集しているからそのドライバーとなり、その男の逮捕に協力すれば、これまでの犯罪歴の帳消をしようと持ち掛けられる。以前、彼は逃亡幇助でロス市警をクビになっているという。
相棒はかつて自分が逮捕したことのある腕の確かなローマン・ピアースを指名する。この男の前科も今回の協力でチャラということで。
そしてレースの夜現れた美女がその密輸麻薬の売人のボスの女として潜入しているFBI捜査官であることを知る。

2 Fast 2 Furious002

FBIから二人に支給された車がランサーエボリューションVIIとエクリプスGTSスパイダーである。三菱では最も尖った車だ。
しかしFBIからのお土産である。GPSが複雑に装着されていて外すことは不可能であった。
テストに受かり麻薬ボスのドライバーとしてFBI監視下であろうとも2人は実に小気味よく、悪ガキ風に走りまわる。
もうこの後は、派手に走り回るだけかと思ったが、結構事態は変化し、ボスのベローンも潜入捜査官のことを見破ったり、ブライアンを怪しんだり、金を渡す場所を急遽変えたり、賄賂を貰ってベローンの手下になっていた警官が彼を裏切ったりして、色々なところで邪魔が入ってくる。それをかわしつつ、最後は自分たちの前科をチャラにし、金も多少いただくという流れに収束する。
マイアミで車の修理屋でもやろうぜ、というところで終わる。

面白かったのは、FBIの追跡を逃れんとして、麻薬ボスの手下の使っているダッジのチャレンジャー とシボレーのカマロ イェンコ をレースで勝って手に入れ、それに乗り換えるに際し、警察、FBIの目をくらます為にテズが巨大ガレージを用意してくれる。
ランエボとエクリプスで二人はそこに乗り入れるのだが、その後、凄い勢いでレース仲間の車が雪崩のように次から次へとガレージから出てくるのだった。イルージョンかい(笑。これはおもちゃみたいでカラフルで楽しい。それにまみれ二人はチャレンジャー とカマロで走り去ってゆく。
そして窮地のモニカ・フェンテスを助け、ベローンを捕らえる為に、彼らの乗るクルーザーに向けカマロで果敢にダイブするのだ。
これには流石のピアースもビビりまくりであった。物語冒頭のブリッジジャンプよりハイリスキーな離れ業である。
なかなかこの手の見どころは多い。
エンターテイメントのサービスの質は高い。

2 Fast 2 Furious001

ホンダのNSXもテズの車で出ていた。フェアレディZも出ており、スーキーがそれをスケッチしてピアースが上手いと感心している。
マツダの RX-7は初っ端のレースで出ており、橋のジャンプを思いとどまる(賢明である)。その他にもあったような、、、。
そう、トヨタのスープラやレクサスもあった、、、。
兎も角、日本車が意外なほど、沢山出てきた。
車を走らせるだけで如何に楽しませることが出来るか、よく練られた映画である。


このシリーズ初めて見たが、他のものも暇があれば見てみようかと思う、、、。










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ショート・ターム

SHORT TERM 12 001

SHORT TERM 12
2013年
アメリカ


デスティン・ダニエル・クレットン監督

ブリー・ラーソン、、、グレイス(ケアマネージャー)
ジョン・ギャラガー・Jr、、、メイソン(同僚、グレイスの恋人)
ケイトリン・ディーヴァー、、、ジェイデン(新たな入所者)
キース・スタンフィールド、、、マーカス(18歳になって外に出る少年)
ラミ・マレック、、、ネイト(新人スタッフ)


ラミ・マレックこれはフレディ・マーキュリーではないか。久しぶり。「ボヘミアン・ラプソディ」で主役を張る5年前か、、、。

「SHORT TERM 12」は、親の虐待から子供を保護する施設の名だ。
コミュニケーション障害による様々な軋轢や薬、自傷行為、脱走、喧嘩など常に持ち上がる。
個々に抱える問題は実に根深い。フラッシュバックもあり、発作的に突発的に彼らは突っ走ってゆく。
大変せわしなく、気の抜けない職場である。
そこで過ごす、未成年者と職員との関係が細やかに描かれてゆく。
外からやって来る子供や18で出てゆかなければならない子供(しかし何処へ誰の元に還れと言うのか)。
それらの子供の抱える非常に重く意識化~言語化しきれない深い憤りや不安や恐怖が様々な形で野放図に噴出する。
その度に、対応を迫られる職員であるが、自殺(未遂)などは流石に、こたえる。

SHORT TERM 12 004

そこに勤める職員自身も問題を胸の奥にしまい込んだまま来た場合もあろう。
隠蔽して先送りして生きて来たのかも知れない。
しかし、時に関わっている子の抱え持つ苦悩~歴史の総体に自らの内奥を逆照射されることで、ふいに自分の抱え持った未解決の巨大な障害~癒されぬ未だ生々しい傷に直面させられてしまう。
わたしは、よく分かる。自分もそれを抱え持つからだ。
この世に「親」ほど厄介なものはない。
わたしにとって最も不要な(禍々しい)存在は親である。この流れは完全に断ち切らなければならない。

SHORT TERM 12 002

現場スタッフと事務・管理側との入所者に対する認識の乖離の問題も捉えられている。
実際、こういう関係における親子の問題を客観的に捉えることはとても難しい。
しかし親元を逃れてやって来た子供たちだ。親に還すことは大変危険な事であり慎重に当たらなくてはならない。
家とは他者からはとても見え難く入り難い場なのだ。だから強制力を持った優れた専門家が必要となる。
被害者は年端もゆかぬ子供であるため猶更だ。
子供は恐怖と自分の立場を対象化出来ない~言語化出来ないことから有効なサインも発せられない。
彼の身体性~総体から問題を読み取る眼力は、余程の直覚力と洞察力に加え経験知を必要とする。

SHORT TERM 12 003

実は、最初期の~幼年期の、彼こそが問題となるはずなのだ。
この事態はそれこそ超越的存在でも介在しなければどうにも明かされない、謂わば運命としか言えない領域にある。
誰にとっても、無意識の深くを対流しながら潜行し固有の磁場を発して行く。

そこに隕石のようにいや、プレート移動のような強力な衝撃を与えられると内奥の対流が滞留し一気にスーパー・プルームが発生し突き上げる。
押し留める方向性では、勿論どうにもならない。
解決はおろか解消も不可能。

この世にあるリソースでどうにかなるような甘いものではない。




SHORT TERM 12 005

ただ走り去るだけ、、、












吹けよ風、呼べよ嵐 ~ Echoes02

Song_of_the_Angels_(1881).jpg

吹けよ風、呼べよ嵐 ~ Echoes」という記事を2013.09.16 Monに書いている。

実にあっさりした内容だが、昨夜みたいに強風が吹き荒れていた日であったようだ、、、。
再びこの題名を反復することになった。

地の底から唸るような強風に加え、凄まじい雷であった。
何度漆黒の空が真っ白くなったか。
数十回に渡り部屋の窓が重低音の中でハッキリ明滅していた。
ここ数日間、ホラー映画を観ていたが、迫力はその比ではない。

この闇の躍動と咆哮。
こうなると、わたしはもう元気になる。絶好調だ。
一昨日は、長く続く地震もあった。
地下世界に潜む何かが自らを解放しこの日常に接続しようとしている。
よい鼓動だ。よい兆候だ。よい光景だ。

夜の闇に煌めく光の白い輪郭。
何かが密かに立ち現れた。

わたしは、悪魔か天使に逢いたい。
ロックは元々彼らをわれわれの地平に呼び込むための儀式の音であった。
だから本物のロックは背骨全体に響き渡る。
隠蔽や抑圧を喰い破った実相に触れる。感電する。


つい先日絵描きのS君に電話すると、何年も前から何も変わった様子もなく、ひたすら制作の日々を過ごしていた。
心身共に日常に何の不自由も支障もないことが分かる。
彼は外界で何があろうと、常に自分の世界を更新しながら生き続けてきたヒトだ。
完全インドア派であるため、外出規制など何の意味もなさない。
いつも通り、という重力。

わたしもここ数か月の間、自分の生活スタイルに変化を強制するものは何もなかったのだが、娘二人がずっと勉強もまともにせず家にいてパソコンばかりやっていることには、苛立つこともあった。
しかし、今日は気分が良く、二人を連れてまた照手姫伝説発祥の地を訪れた。
前回は、長女と二人で行ったが、今日は次女も一緒だ。
われわれ三人の他は誰もいない、幾重もの木漏れ日の錯綜する緑の中の静まり返った散策であった。

濃い緑茶を時折飲みながら、広い空間をただ歩く。
ただ単に気持ちが良い。
確かに気づいた。
こんな場所に時間は存在しない。


周囲にEchoesが鳴り響いている、、、。



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フェノミナ インテグラルハード完全版

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Phenomena
1987年
イタリア


ダリオ・アルジェント監督・脚本
フランコ・フェリーニ脚本
ゴブリン、その他ゲスト音楽

ジェニファー・コネリー、、、ジェニファー・コルビノ(映画俳優を父に持つ少女、アメリカ人)
ダリア・ニコロディ、、、フラウ・ブルックナー(ジェニファーの付き添いの教師)
ダリラ・ディ・ラザーロ、、、校長
パトリック・ボーショー、、、ルドルフ・ガイガー(殺人課の警部)
ドナルド・プレザンス、、、ジョン・マクレガー(昆虫学者)
フィオーレ・アルジェント、、、ベラ・グランド(デンマークからの旅行客)
フェデリカ・マストロヤンニ、、、ソフィ(ジェニファーのルームメイト、フランス人)
タンガ、、、インガ(マクレガー教授の助手のチンパンジー)


1995年に発表された”Phenomena”に4分加えた完全版らしい。
何故かホラー繋がりから、又もやダリオ・アルジェント監督の作品を見ることとなる、、、。
(もう充分)。
微妙だが、昨日の映画よりずっと見易い。
主役が違うところが大きい。ジェニファー・コネリーの存在感でかなり救われる。

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ダリオ・アルジェント監督の娘さんも冒頭で、この映画最初の犠牲者をたっぷりと演じている。
女優として無難に役をこなして掴みはOKというところで、首を切り落とされて、お疲れ様。
しかし欧米の人は、鍵がかかっていなければ普通に他人の家にズカズカ入ってしまうモノなのか。いつも映画を見るたびに思うことだが。
そのせいで、中にいた殺人鬼に追い回され鎖で首を絞められ何とか逃れたと思ったら鋭いハサミで刺され最後には首を切り落とされる羽目に。ガラスの破片が顔に突き刺さって落ちてゆく。かなりスプラッターな意気込みを感じる。
腐った頭蓋骨に無数のウジが這っているところなど、なかなかのものだ。

この街では少女が何人も行方不明となる事件が続いており、未だ死体の見つからない誘拐殺人事件を警察が探っているところである。(いや、先の娘さんの頭蓋骨だけは、見つかっていた)。

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有名映画俳優を父に持つジェニファーは、リヒャルト・ワーグナー女学院に転入して来た。
ジェニファー・コルビノを演じるジェニファー・コネリーが蟲と異様に仲の良い少女という設定で好演している。
蟲との共演~交流は、サルより難しいと思うが、接触も自然で上手くやっていた。
偶然か蟲の導きか、彼女は昆虫学者のマクレガー博士と仲良くなる。
彼は彼女に昆虫と特別の関係が結べる能力を確認する。

彼女は暫くなかった夢遊病をこの地で発病してしまう。マクレガー博士の謂うにはフェーン現象が影響しているとのこと。
風が吹くと虫が増え花が萌え人が狂う、、、ここはスイスの魔境なのだそうだ。

蟲~特に蠅と意思疎通が出来るみたいで、ピンチを救われるシーンはあるも、それほど昆虫の能力を利用した探索や警戒が出来ていたとは思えない。博士曰く、サルファゴスを魔法の杖として使ってみなさい、、、。博士の蟲の蘊蓄は面白かった。
死体にだけ付くというサルファゴスの成虫を籠に入れて、バスに乗り犯人捜しに行くところなど面白かったが。
もっとサルファゴスの活躍や連係プレイなど観てみたかった。
難しいとは思うが、充分期待させた割には、犯人宅の割り出しに役立ったくらいか。

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ジェニファー・コネリーは、これが最初の主演映画のようで、14歳ながら過酷な演技を強いられ健闘しているが、まだまだぎこちない。
だが、その頑張りを演出がかなり白けさせている。音楽もそうだが、彼女が崖を転げ落ちようと、窓から下の木に落下しようと、汚い沼に入ろうと、ウジが無数に湧いているプールに落ちようと、顔も身体も衣服も汚れていないのだ。
この不自然さには、何なんだという反感すら覚える。
とりあえずの説明的な汚れを頬に一筆入れて、腕に傷跡を数本くらい入れておいても良かろうに、、、。
彼女が悪夢に魘され、そのまま夢遊病で歩き出しているのか、夢の中に留まり続けているのかもあやふやにする演出である。
相変わらず、BGMも演出全般が大袈裟でおどろおどろしいく白ける。何でこんなに煩くするのか。センスを疑う。

しかし今回の作品では、虫の接写や動きの変化や風の気配などをストーリーの流れに組み込んでおり、その点で観るべきものがある。
サルの演技も上手い。表情すら感じる程に。

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理解者であるルームメイトと博士も惨殺され、ジェニファーは追い詰められる。
逃げようとするが、父の代理人からの送金がなく身動きできない。
だが不思議に誰が犯人なのかとか、彼女の身の危険を心配したりするような気持が湧いてこない。
いくら周りの人間が殺されようが、次はどう来るのかとかいう期待感はない。彼女が特異点であることは明白であるし、犯人の存在感がどうにも薄く物語に緊迫感が無いこともある。ヒッチコックみたいに物語半ばでヒロインと思っていたキーパーソンがあっさり殺されるような緊張が決定的に無いのだ。
伏線や大きな流れに後で絡んでくる傍流の存在が無く、いきなりタイミングよく現れるべきものが出て来ることが多く何ともチープなご都合主義として目立つ。特に何でその場所を特定出来たのかがはっきり分からない。行き当たりばったりで偶然上手く繋がっているような。

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彼女は、校長(軍隊の将校みたいな女性)から悪魔扱いされ邪魔者として精神病院に送られかけるが、ベルゼブブ (Beelzebub) は確かに蠅の王である。
きっとそこを意識して、彼女の窮地を救う昆虫を蠅としたのか。
最初は蛍が出て来て彼女の案内をした時はホッとしたが、その後は、肉食昆虫のサルファゴスに次いで蠅にウジばかりである。
汚れはないが、しょっちゅう虫が身体に纏わりついていて、大変であったと思う。
今ならVFXでかわすところであろうが。

結局、ブルックナーの年端も行かぬ息子の犯行であったのだが、その息子を守るために母親も邪魔となる者を殺害していた。
(ブルックナー自身が暴露しなくても分からせる流れを作ってもよいか)。
今回も非力な小さな子供や女が犯人であった。意外性を突きたいのだろうが、中学生の女子なら例え顔が怖くても上手くかわせるレベルではないか。
息子が鏡が嫌いで家じゅうの鏡に覆いを付けていたが、確かにプレデターの元型のようであった。
その為、通常の関係が持てず、可愛らしい女子を殺害しては、自分の近くにしまっておいたというのか。
死体はウジだらけで、きっと凄まじい悪臭立ち込める不衛生な環境であったはずだが、画面の世界は完全脱臭・滅菌されている。
その為、綺麗な画像が現出されていてこちらも入り込みやすいかというと、中にはどうにも入れない世界である。
リアルかどうかではなく、荒唐無稽な世界でも何でも良いが、そのコンテクストの中でのしっくりした法則性は欲しい。

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ジェニファーを助けに来た代理人の首を一撃で切り落とす犯人の親である女教師ブルックナーが、何故あの馬乗り体勢で彼女の首には、ダメージを与えられなかったのか?
その後、サルに助けられたジェニファーの首にはかすり傷ひとつ付いていない。
サルもよくあのタイミングで武器のカミソリを持参して来たものだ。
その辺もテレパシーで繋がっていたのか、、、。
サルとは繋がりは無かったはず。
蠅ならその時でも来てもおかしくないが、、、。

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サスペリアPART2

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Profondo Rosso
1975年
イタリア


ダリオ・アルジェント監督
ダリオ・アルジェント、ベルナルディーノ・ザッポーニ脚本


デヴィッド・ヘミングス、、、マーク・デリー(ジャズピアニスト)
ダリア・ニコロディ、、、ジャンナ・ブレッチィ(ジャーナリスト)
ガブリエレ・ラヴィア、、、カルロ(マークの親友のアル中のピアニスト)
マーシャ・メリル、、、ヘルガ・ウルマン(心霊学者、読心術師)
クララ・カラマイ、、、カルロの母親
ニコレッタ・エルミ、、、オルガ

「サスペリアPART2」というので、あのサスペリアのPART2なのだと思って観始めたら、なんだこれ?
何とこの映画が撮られたのは、サスペリアよりも前で、公開がその後になった作品なのだそうだ。
それで、日本の宣伝スタッフが、サスペリアが受けた~ヒットした後だし、これに「サスペリアPART2」とつければお客も来るぞ~ということで、全く何の関係もない映画に「サスペリア」の名を付けてしまったのだという。「PART2」と続けば普通、続編と思う。
普通、、、何の関係もない映画にそんな題名付けるか?
流石に神経を疑う。邦題にはこれまで疑問が多かったがその比ではない。
軽く詐欺だ。悪ふざけなのか?客を馬鹿にしているのか。
音楽でサスペリアに有名なあの音を提供していたゴブリンが参加している。サウンドとして彼ららしくよく出来た部分はあるにせよ、ちょっとこのBGMとしては問題多い。

これから見れば、水野氏の「~カーボーイ―」など清々しい。
『紅い深淵』とかでは、ダメなのか?

それでも映画が良ければ、観終わるころにはそんなこと忘れているが、観る方も結構大変だった。
ストーリーも演出も音楽もキャストも皆、しっくりこない。どれもイマ2なのだが、特に音楽が酷い。酷すぎる。
何のつもりだという音を鳴らす。ここはどういうシーンなんだ、と思うと何を狙っているのか定かでなくなる。

全体のテンポの悪さには参った。
独特のスカスカ感。
そして間延びしてダラダラ続く。
きっと恐怖映画ということで(サスペンスか?)、「サスペリアPART2」でいいや、ということなのだろうが、ちっとも怖くないしドキドキもしない。
生理的にも感覚的にも感情的にも知的にも、訴えてくる何かがない。
そう思うと逆に変わった面白い作品なのかも。
しかしわたしは、そういう風変わりな時間を味わっている暇などない。

Profondo Rosso003

どうも主演の二人からして違和感タップリで、どちらかと謂えば、始まって早々殺された心霊学者の方に長く活躍して欲しかった。
何でピアニストが偶々目撃しただけの事件にあんなに執拗に関わろうとするのかサッパリ分からないし、女性ジャーナリストの方も言動などいちいち意味不明でわざとらしくて鬱陶しい。
大概は序盤に犠牲になって消えるタイプに思えるのだが。
それから気になっていたのは、ピアニストであり、観る角度によってポール・マッカートニーに似ているのだ。
ポールがホラーなんてあり得ない。その辺からもやたら胡散臭いのだ。
これらのキャストを2時間を超えて見続けることは耐え難くもある。


それに、無くなった絵が実は鏡であり、その鏡に映っていたのが犯人だった、、、?
何だそれ?
さっぱり分からん。
まず、心霊学者の家で絵が無くなったことに気づくが、その後その絵だと思っていたのが鏡に映った犯人の顔であった、何て間違いがそもそもあり得るか?そんなに近距離に犯人がいたなら、まず鏡を見る前に実物に気づかないなんてことあり得ない。それに「鏡に映った顔」が「絵」だなんて、、、そんな取り違えあり得るか?
う~ん、犯人のカルロの母は実は夫を息子の目前で殺害した時、すでに精神に異常を来しており、それ以降ずっと息子が酒に溺れながらも母のケアをし続けて来たのであろう何とも悲惨な噺であるが、この主人公のピアニストもかなり普通の神経から逸脱した男にしか映らない。角度によってポールに似ているところからも猶更そうだ。

くだんの母が、読心術の出来る心霊学者を殺したのは、彼女の講演会で自分の激しい殺気を読まれ、こころを全て見透かされ、かつての犯行を警察にばらされると思ってのことであろうが(取り越し苦労に思えるが)、夫を殺した当時、警察には年端のいかぬ息子が父を殺したことにしていたのか?(服役してきたのなら過去の犯罪で問題ないし)。
だとすれば息子がアル中になるのも分かる。そして気の遠くなるほど長い母との二人暮らしでは、気が変にならない方がおかしい。最後は母を庇って自分が犠牲になるのだ。彼も狂気の母に取り込まれていたのか、ともかく尋常ではない。

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そしてナルシスト女ジャーナリスト。偽ポールが嫌がるのに強引に一緒に組んで謎を解こうとするが、ともかく騒がしく厚かましく役に立たないと思っていたら、ポールがいやピアニストが謎解きをしている最中に殴られ火に巻かれたときに何ともタイミングよく助けに来るのだ。
そんなに気の回る人には見えないのだが。ピアニストがカルロに銃で撃たれようとした時にピタリと警察がやってくるのもそうだが、狂気のご都合主義に思える。

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犠牲者たちが命を狙われる時にいつも同じ子供向けの音楽が流れてくるのだが、例の母がレコード~テープ持ち歩いているのか?
かなりの老婆である。そんな演出までしながらヘルガの友人の心霊学会のガタイの良い男性をいとも容易く家具の角に顔面を叩きつけて殺したり、こちらのミスリードを誘うにしても不自然過ぎる。この時に登場するカラクリ人形にだけはハッとした。ここだけビックリした(笑。

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最後のエレベーターにブレスレッドが絡み老婆の首が切れて死ぬところも何だかな~と思う。
ともかく、悉く出てくる人たちはあっけなく老婆に殺されて、あのジャーナリストさえナイフで刺され重体なのに、やはりかなりの特異な精神構造のお調子者の偽ポールのようなピアニストは、ひとりなんともない。

そういえば、ピアニストにお化け屋敷を紹介した管理人の娘も小動物を虐めて父にビンタを喰らっていた。
登場人物皆、かなり常軌を逸している。その調子の狂った人々の演じる悪夢の物語という感じで味わうべきだったのか、、、。
勘弁して、、、。


噺や筋はとりあえずどうでもよいとして、色々と納得のいかない映画であった。
そう、画像としての構図などはよく配慮されていたと思う。
しかし、これが2時間強というのも、つらい原因のひとつ。










GIRLFRIENDを聴いて

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実力派ロックバンド”GIRLFRIEND”を聴いた。見た(笑。
まずはカヴァーVer.のスタジオライブ?をYouTubeで。
演奏風景も見える為、聴くだけより情報量も多くインパクトもある。
凄い見応え。やはり演奏の光景が見える意味は大きい。
それから、彼女らのオリジナル曲のライブステージ模様も見た。
(これについては、あまり撮影・録音状況は良くない感じのものだが)。

Perfumeの「FLASH」、きゃりーぱみゅぱみゅ(言いにくいし書きにくい(苦)の「ファッションモンスター」、乃木坂46の「インフルエンサー」あたりがカヴァーではとても良かった(基本どれも良く甲乙つけ難いのだが、クールな解釈で原曲より魅力を増しているという点において)。
見事に彼女らの曲にしている。
彼女らのアレンジ力と演奏力の高さには驚く。そしてアンサンブルの良さも。
4人全員ヴォーカルがとれることも知った(それぞれ違う表情を曲に与えられる)。

リードヴォーカルの音域の広さと声量、ことばの明瞭さ、安定感は素晴らしい。
(テレ東のアナウンサーが「サイレントマジョリティー」を唱っていたときもそうであったが、単語の発音が明瞭だったので歌詞がとても聞き取り易かった。それと同等の聴きやすさであった。ミュージシャンの中にはわざと聞きにくく発音する人もいる)。
リードギターも申し分ない。目立ち過ぎず要所で入れるフレーズも適度なもので、アンサンブル重視で好感が持てる。ソロの速弾きをこれ見よがしにやるタイプではないと思う(前に出てこれを延々やられると、単に暑苦しく鬱陶しい)。

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しかし何といっても鉄壁のリズム陣である。
このリズムの上ならヴォーカルやリードギターはかなり自由~奔放な表現も可能だと思う。
優れた楽曲とパフォーマンスを残すアーティストは例外なくリズム陣が凄い。
プロコルハルムがあれだけ名曲を量産できたのは、ゲーリー・ブルッカーとマシュー・フィッシャーのコンポーザーとしての才能は大だが、その具現化におけるバリー・J・ウイルソン(天才ドラマー)の存在は絶対的なものだ。

このグループもその例外でなく、リズムがまず堅牢で安定している。
その上ベースラインのドライブ感(グルーブ感)は半端ではない。
全ての曲に骨太の躍動感を与えて自分たちの曲にしている。
これは演奏力だけではなく、アレンジ力が秀逸であるためだ。
センスが大変良い。服のセンスも良い(曲毎にピッタリにコーディネイトされていた。お洒落な女子たちである)。

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自分たちのものにしているカヴァー曲に比べオリジナルは、まだ今一つ弱い。
恐らくそれは、(人生)経験の部分が大きいところだ。
平均年齢が18歳?若すぎるところが良い部分はあるが、曲作りの面では、その材料~要素が少なすぎよう。
決して、だからという訳ではないが、肝心の詩の面は難しくなる。
3年間くらい外部コンポーザーからの曲提供を受けたらどうだろうか。
自分たちが狙う世界観を持っている作曲家、詩人を選び、それを持ち前のテクとセンスで具現化する。
これは一種のDisciplineともなろう。
彼女らのアレンジ力と演奏力からすれば、音楽性より寧ろ詩的な力が伸びれば~世界観が豊かになれば、将来的に幾らでも凄い曲が作れると思う。
宇多田ヒカルがいくら天才であったとしても、傑作「初恋」を二十歳前に作ることはまず無理と言うもの。
天才に加え(人生)経験が絶対的に必要であった。
(もっとも、「ファースト・ラヴ」というその時にしか作れぬ名曲を作ってはいたが)。

(超)一流どころでも、お抱え詩人を持っているグループはある。
プロコルハルムは、演奏に全く加わらない詩だけ提供するメンバー~詩人としてキース・リード。
ルネッサンスは、グループ外部の詩人ベティ・サッチャーから詩を常に提供されている。
キング・クリムゾンは、ピート・シンフィールド、リチャード・パーマー・ジェイムスたちが詩を書いている。
(ピートもリチャードも他でミュージシャンとしての活動もしているが)。

例えインストゥルメンタル曲であっても、というより尚更、詩的世界のバックボーンは不可欠なはず。
更にそれに関係するが、一音の一音の説得力こそを大切にしてもらいたい。
音数は抑える~一音に籠める強度を上げる方向性を望む。
例えば、、、
ブライアン・イーノの”ビフォア・アンド・アフター・サイエンス”の「エナジー・フールズ・ザ・マジシャン」のような。
謂いたいことは、ここでのパーシー・ジョーンズのベースが全てを語っている。


自ずとメンバーの関係の中から生まれてくる固有のサウンドが今現在も熟成されているのだろう。
スキャンダルと近いものはあるがまた異なる方向性をもっている。サイレント・サイレンあたりとも重ならない。もっとハードでヘヴィだ。
とは言えLOVEBITESみたいなヘヴィメタルにはならない、センシティブなメロディラインもありタイト&キャッチーでポップである。
メロディーライン面では、トッド・ラングレンやニック・カーショーなども参照してもらえたらと思った。
デヴィッド・ボウイやルー・リードもだが、、、(この辺は、トータルアルバムづくりのヒントも多い)。
世界を射程に入れた大変器用なバンドでありスタイルの確立に向け、着実に自分たちの世界観作りを進めてもらえばと思う。

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もし直ぐにファンを増やすのなら、ここの天才的ベーシストが乃木坂に入るのが良い。
乃木坂はいくちゃんをはじめ他に仕事を持つ人も少なくない。
見た目も乃木坂的だし。間違いなく人気者になる。
そこで、GIRLFRIENDでベース担当しています、と事あるごとに謂えば、彼女のファン(乃木坂ファン)が皆こぞってやって来る、と思う。








わたしも勿論、注文。来るのが楽しみ。






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ペルドリックス

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Perdrix
2019年
フランス

エルワン・ル・ドゥック監督・脚本


モード・ワイラー、、、ジュリエット・ウェブ(何処にも帰属意識を持たぬ女性)
スワン・アルロー、、、ピエール・ペルドリックス(警官、国家憲兵隊隊長)
ニコラス・モーリー、、、ジュジュ・ペルドリックス(ピエールの兄、ミミズ博士)
ファニー・アルダン、、、テレサ・ペルドリックス(ピエールの母、ラジオのパーソナリティー)
ペイシェンス ・ミュンヘンバッハ、、、マリオン・ペルドリックス(ジュジュの娘)


まさに映画という映画。
ディテールまで大変スタイリッシュでユーモアにも富んでいる。
キャストの仕草や性格が皆、シリアスなのだが微妙にコミカル。
音楽も含め独特の風合いが心地よい。

郊外の路に車のドアを開けたまま放置し、少し離れた高台で日記をつけていたら、忽然と全裸の女が現れ、いきなり車を奪って走り去ってゆく、、、それに対して猛獣のように吼えるジュリエットの姿から始まる。
直ぐその後、街には戦車がやって来きた(戦争式典をやるらしい)。
何やら箱庭みたいな街。
尋常ではない映画だということは、直ぐに分かる。

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車を盗まれた件でジュリエットは警察に盗難届を出しに来る。
所長のピエール・ペルドリックスは、極めて事務的な(型通りの)対応をして、彼女は呆れて直ぐに出てゆく。
ジュリエットは自分で独自に聞き込みに当たるが、、、。

只管、夜のラジオ番組で「真実の愛」を説く母のテレサ。プライベートでは自由恋愛を楽しむ。
~自分の人生を真に生きる大切さを常に語っているところは、共感なのだが、、、スピリチュアル系のひとだ。
アダルトチルドレン丸出しのジュジュはミミズの研究に明け暮れる。
~科学の探求と言って「ミミズ」の事しか頭にないらしい。
その娘のマリオンは何とか家を出て全寮制の女学校に入ろうとしている。
~壁に向って卓球をしているが、ともかく、この家から出たい一心に思え、ジュリエットに共感している。
ピエールは真面目なイイ人で通っているがそれだけが取り柄みたいな男。
~自分とは対極の世界を生きるジュリエットに素直にこころを奪われる。

そこへ台風のようなジュリエット・ウェブが、警察ではなく所長宅に直接やって来たのだ。
16の時に家族を捨てたという(なかなかのもの)。
車の捜索はどうなっているのか、、、
食い物食わせろ、、、彼女は全財産を車に積んで移動中であった。
彼女はペルドリックス家で自由気ままに振舞い、「変な家族」と置手紙を残し去って行く。

Perdrix001.jpg

過激なヌーディスト団体が、街の縁を固めていて、何かあると鮫のように現れるところが実にシュール。
彼らは「本質的ではないモノ」を剥ぎ取ることを使命として活動をしているらしい。

ペルドリックス家の人々は皆、ジュリエット・ウェブに振り回される。
彼女に好きな本を聞かれ、父がくれた「ロビンソンクルーソー」とピエールは答える。父が冒険者に成れと一筆入れてくれた本だ。
(若い頃は、ノヴァーリスの詩を暗唱していたという。そんな会話は素敵だ)。
彼はそれから詩の暗唱を始めるが、、、。
ジュリエットは人との固定的な関係を好まず、単独者として常に移動し続けたい(放浪したい)願望をもっている。
自由奔放で傍若無人。何でも率直に言いたいことを言う。
車に残してあった自分の日記を読んだヌーディストに向け発砲もする。
(ピエールは長い警察官生活で銃を撃ったことがない)。
そういう姿にピエールは魅せられてゆく。
堅物警官ピエールがイイ人を卒業して母の説くような「自分の人生を心から生きる」ことに決める。

パブでのジュリエットとピエールの踊りがこれまた面白い。
とてもスタイリッシュ。
全編そうだが。

結局、彼女の出現を受けて、この家族皆が外に向けて解放されてゆくではないか、、、。
家族として機能しない単に集まっているだけの家族は、自然に(健全に)ばらばらとなる。
制限を外し、人生を享受する。
まさにわたしも実行中である。
隙間に入る音楽のセンスが良い。
そう、確かにわたしの人生においても、音楽は常に隙間を充たしていた。

Perdrix004.jpg

最後は、ピエールは見事に冒険家となり、果敢に車で去って行くジュリエットを自転車でショートカットしつつ追う。
そして劇的に(交通事故で)ふたりは再び邂逅する。
めでたしめでたし、である。
如何にもセンスの良いフランス映画であった。


この手の映画は癖になる。





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The Client  依頼人

The Client001

The Client

1994年
アメリカ

ジョエル・シュマッカー監督
アキヴァ・ゴールズマン、ロバート・ゲッチェル脚本
ジョン・グリシャム原作

スーザン・サランドン、、、レジー・ラブ(弁護士)
トミー・リー・ジョーンズ、、、ロイ・フォルトリッグ(知事を狙う野心家の検事)
ブラッド・レンフロ、、、マーク・スウェイ(自殺現場を目撃した少年)
メアリー=ルイーズ・パーカー、、、ダイアン・スウェイ(貧困に喘ぐマークの母)
アンソニー・ラパーリア、、、バリー・マルダーノ(マフィアの殺し屋)
オジー・デイヴィス、、、ハリー・ルーズベルト判事


凶暴なマフィアであるバリー・マルダーノのお抱え弁護士の自殺現場に運悪く居合わせてしまった為に、マフィアと警察、更にメディア、お手柄を立てて知事を狙う野心家の検事たちに付き纏われて、自分の身を守るため小遣いの1ドルで弁護士を雇い奮闘する少年の御話であるか。

バリーは上院議員を殺して埋めるが、それを知っている弁護士が口止めに殺されることを恐れ故郷に逃げて来たが、逃げ切れないことを悟り、自殺を企てる。森に弟と煙草を吸いに来ていたマークが見つかり彼の車の中でその一件について聞かされる。ヤケクソの(泥酔の)弁護士は死体を埋めた場所までマークに教えてピストル自殺である。それを隠れて目撃した弟は重いPTSDになって入院することに。
日雇いの母は、子供の入院の見舞いの為に職場を一日休んだことでクビになってしまった。

厳しい現実の上に、面倒な騒動に巻き込まれてゆく一家である。中盤ではマフィアの警告~脅しか、彼らのトレーラーハウスまで燃やされてしまう。
口封じの為、少年の命を狙うマフィアと自分の立身出世の為に少年を利用しようとする検事と警察~FBIに追い回されることとなるのだが、弁護士と、二人三脚という程の足並みは揃わないが、何とか二人で協力して窮地を脱してゆく。

The Client002

最初、弁護士と検事が火花を散らす法廷ドラマかと思って観始めたが、そうではない。
それ以前の問題で、検事、警察、FBI、マフィア、マスコミたちが皆、少年と家族のことなどお構いなしに彼らを食い物にしようと(又は葬ろうと)迫りくるのだ。恐らく、最初から素直に警察かFBIに喋っていたら、どう処理されているか分かったものではない。少なくとも今回の事件のせいで滅茶苦茶にされた家庭(実際の家と職場も含む)の面倒までは到底見てはくれまい。場合によってはマークなどそのまま投獄されて終わりのケースもあり得る。
この映画を見てつくづく思うのは、(アメリカで)何か事件に巻き込まれたら、まず良い弁護士を雇うことは絶対条件であるということ。
弁護士を立てずに、何らかの組織や個人と一度関係を持ってしまうと大変な事態に陥るようだ(マフィアも人当たりがとても良い。飴と鞭を上手く使い分け取り込もうとする)。この少年は何でその辺についての感覚を持っていたのだろう。困ったときに親切に接してこられると人間は弱いものであろうが、決して騙されない。そして、たまたま良心的で子供に思い入れのある弁護士に出逢ったことも幸運であった。

法廷での争いはほとんどなく、Clientである少年のある意味暴走に女性弁護士が振り回されあたふたと付き合うという感じもかなりある。
弁護士も1ドルで少年に雇われ、大変な目に逢うばかり。
彼女がそれでも徹底的に少年に寄り添ったのは、離婚した後、逢うことが出来ずにいた自分の子供を彼に重ね合わせたからか。
普通では、こんな Clientはご免であろう。

The Client003

最初は弁護するにも、彼はマフィアの脅しが怖くて本当の事を一切喋らない。
その為、法廷での戦いはまともに出来ない。
しかし、引き延ばしつつ、こちらが有利に進める作戦はあった。
少年と弁護士レジー・ラブとの信頼関係は徐々に深まり、彼女にはすべてを打ち明ける。
だが依然引き延ばしつつ、二人が事件の解決のイニシアチブを握って行く。
この場合、具体的には上院議員の死体をこちらで最初に発見してしまうことだ。
ここで、マフィアとの危険な攻防があったが、レジ―の機転で切り抜ける。

そして最終的に有利な交渉条件を付けて(検事らに)任せる。
向うは名をとり、こちらは身をとるみたいな。
見事少年は、証人保護をもっともよい形でとりつけ母の願っていた生活環境をもぎ取った。
これは大きい。

The Client005

しかし兄弟で隠れ煙草を吸おうなどと森に入って、自殺現場に深入りし、この災難である。君子危うきに近づかずという教訓は覚えておいて損はない(アメリカにはないか)。
でもこの騒動のお陰で、マフィアのファミリーが潰され、少しでもテネシー州メンフィスが安全になったかと謂えば、ファミリーのボスはバリーをトカゲの尻尾切りみたいに見捨てて、そのまま普通に存続する。かえって問題を起こす危険な厄介者がいなくなってさっぱりした様子である。
レジー・ラブとマーク・スウェイが仲良くなったことが、今後の双方に良い影響を及ぼすかどうか、というところか。
彼女のお陰で(マークの臭覚もよかったが)、スウェイ一家は他の州でずっとましな生活が送れるようになった。
スウェイ一家は恩義を感じて当然である。弁護士料も払わず、結果的には良いことずくめだ。
弟のPTSDが回復すれば言うことない。

The Client004

別れの時、レジー・ラブが肌身離さず身に付けていたコンパス付きのブレスレッドを貰う。
「自分の位置を間違えないようにね」と、、、。
(こんな人に一生のうちに出逢えたら御の字である)。


どうもこのマーク・スウェイ少年には今一つ共感できずに最後まで来てしまった。昨日のセバスチャン少年ならまだ可愛げを感じるが、、、。









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