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GOMA28

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ベル&セバスチャン 新たな旅立ち

Belle et Sebastien, laventure continue001

Belle et Sebastien, l'aventure continue
2016年
フランス


クリスチャン・デュゲイ監督
ジュリエット・セイルズ ファビアン・スアレ脚本
セシル・オーブリー『アルプスの村の犬と少年』原作

フェリックス・ボシュエ、、、セバスチャン(孤児)
チェッキー・カリョ、、、セザール(セバスチャンの祖父)
マルゴ・シャトリエ、、、アンジェリーナ(セバスチャンの姪、レジスタンスの闘士)
ティエリー・ヌーヴィック、、、ピエール(セバスチャンの実父、パイロット)
ティラーヌ・ブロンドー、、、ガブリエラ(樵の娘)


ベル&セバスチャン」の続編。
終戦を迎えた様子。
陰鬱な影は引き、村は明るくなったようだ。
ようやく学校行けると思ったら、何とサボっとるではないか。

セバスチャンとセザールとベルがおめかしをして、レジスタンス記念賞を貰って帰還するアンジェリーナを迎える日、、、
しかし、彼女らを乗せた軍用機が後少しのところでエンジンが発火し森に墜落してしまう。
村の消防からは絶望的な情報しか届かない。
その火が元で森林火災が広がっており、容易に近づけない状況であった。
しかしセバスチャンらは、アンジェリーナが存命しており助けを求めていると信じる。

前編よりもスリリングなアクションが多い。
特にセバスチャンは今回はとても危険で激しい橇の坂下りがあり、落ちる寸でのところでベルに助けられたりする。
火に取り巻かれながら、高い木に登るところなど、ハイリスキーなアクションがとても多い。
急流下りもあったし。
勿論、火災からの脱出の際の崖歩きもそうだ。
かなりハラハラさせられる。セバスチャンの無鉄砲ぶりが甚だしいが、それが話を面白くさせているだけではない。
特別なVFXは使用していないと思うのだが、自然災害の半端ではない光景が広がる。
実際に森林火災を起こして撮るはずはないし、、、。
どのように撮ったのか?特に火災に取り巻かれ洞窟に逃げるが、火炎が容赦なく吹き込みまさに火炎放射器で吹き飛ばされるような脱出は凄いものであった(これは特撮だろうが)。冒険劇のサバイバルアクションを超えている。

Belle et Sebastien, laventure continue004

今回は実際に飛行機に乗るため、上空からの俯瞰がたっぷり楽しめる。
とは言え、飛行機内でひと悶着在り、宙をもんどりうって不時着するので景色を楽しむ場面は少ないか。
飛行機のコントロールを失う危ない飛行も(スタントのアクロバット飛行と言われればそれまでだが)実にスリリング。
ベルと大きな熊の対決も大変危険なものであるし、、、熊も演技なら大したものである。
火災から逃れて次から次へと逃げてくる様々な動物たちも圧倒的な光景だがどこか夢心地にもなった。
ここは必死に逃げているはずだが演出が綺麗すぎるところ(ここはCGだろうが、ロケ実写とCGの区別がよく分からない部分が少なくない)。

飛行機の不時着した湖畔がこれまた凄い風景である。
ともかく、アンジェリーナの安否を確かめんとして、駆け付けるセバスチャンであるが、アクセスは上空からでないと不可能であった。
そこでパイロットでドイツ軍の飛行機を持っている父であるピエールにセザールは金を握らせ、頼み込む。
セザールは、ピエールを良く思っていないが、今回はあっさりセバスチャンに実の父であることを教える。
父の方は、セバスチャンのブレスレットを見るまでそのことに気づかない。
自分が邪険にしていた子供が亡き妻の残した子供であることは、かなり後で知る。

Belle et Sebastien, laventure continue002

父は逢ったばかりは、金に汚い実に嫌な男であったが、共に過ごすうちに気心が知れてくる。
息子と気づいてからは、父と息子の話も出来た。
「守れない約束もある。」「誰も悪くはないんだ。」父の言葉は印象に残る。
きっと複雑な事情があったのだ。
ピエールは、しっかりセバスチャンたちを身を挺して守ってくれた。
ダイナマイトを持って火に取り巻かれたセバスチャンとガブリエラを助けに来たときは実に頼もしかったが、良く見つけられたと思う。
本当の姿が露わになってゆく。
(前作同様にご都合主義は感じるが)。

皆で協力して命からがらの火を噴く森からの脱出の後、セバスチャンはピエールをパパと呼ぶ。
確かに生死を彷徨う時間を共に過ごし、生還したあかつきには、純粋に打ち解けてしまうものだろう。
この風景の下である。

Belle et Sebastien, laventure continue005

父のピエールとアンジェリーナが一目惚れの設定だが、ギヨームはどうなるのか。
他人事だが気になる(そういえばギヨームはその後、どうなったのか)。

ピエールとアンジェリーナが結婚でもしたらセバスチャンは急に両親を持つことになる。
おじいちゃんもタフで良い人だし、、、今回はセバスチャンを思ってのタフぶりを全編に渡り遺憾なく発揮した。
かなり良い家庭が出来るではないか。
セバスチャンにとって、幸せであろう。

前作に続き、同年代の可愛らしい少女に出逢うが、今回もそのまま別れてしまう。
もし続編があれば、今度はどうなるだろうか。

キャストは謂うことなし、であった。
セバスチャンの険しい目つきが精悍さを増した彼をよく表していた。
なかなかのものである。
相変わらずベルの演技は秀逸であった(時折わざとらしさも感じるところはあるが)。

Belle et Sebastien, laventure continue003

わたしが子供や動物の出て来る映画に感じるいやらしさはこの映画にはない。








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ベル&セバスチャン

Belle et Sebastien001

Belle et Sebastien
2013年
フランス

ニコラ・バニエ監督
ジュリエット・サレ脚本
セシル・オーブリー『アルプスの村の犬と少年』原作
主題歌”Belle” ZAZ

フェリックス・ボッスエ、、、セバスチャン(孤児)
チェッキー・カリョ、、、セザール(セバスチャンの祖父)
マルゴ・シャトリエ、、、アンジェリーナ(セバスチャンの姪、パン屋)
ディミトリ・ストロージュ、、、ギヨーム(医者、レジスタンス)


”ベル&セバスチャン”と聞いて直ぐに頭に浮かぶのは、グラスゴーのロックバンドだ。
この映画を見て、彼らの”The Cat with the Cream”をふいに思い出した、、、。
ファンでもなくそれ程聴いてきたわけでもないが、彼らの密やかで淡々とした日常風景を繊細に拾ってゆくギターサウンドはとても良い余韻をこころに残していた。
今となってそれに気づく、、、物静かだが秘めた情熱もじわじわと感じられるサウンド、、、。


この原作から「名犬ジョリィ」というアニメが製作されNHKで放送されていたらしいが、わたしはそちらは一度も見たことがなく全く知らない(わたしは基本的に犬や子供が出て来る作品は好まない。この映画はモロにそれだが(笑)。


雪山の絶景に圧倒される。スタジオはまずないであろう突き抜けたロケだ。
セザールと幼いセバスチャンは、山で親を失ったカモシカの子供を救う、この物語にとって象徴的な場面で始まる。
彼らは沢山の羊を飼って生活を営んでいる。何故かたった一人の孫のセバスチャンは学校に行っていない。
(セザールは頑なにセバスチャンを学校に通わせないようだ)。
祖父セザールから、セバスチャンの母はピレネーを越えた隣の国アメリカに暮らしていると聞かされてきた。
セバスチャンはまだ見ぬ母を独りずっと待っている幼い少年である。

神韻縹渺たるピレネー山脈を眺めているうちに、誰もが各々にそこを超えた向うに過剰な幻想を抱き始めるに違いない、、、
山の向うからの神を迎えるための装置としてかつて日本にも風鈴~鐸が軒先に吊るされていた。
(今は単なる季節の風物詩だが)。

Belle et Sebastien002

白く壮麗な山々だけでなく、その間を縫って流れる川や泉が大自然の光景を際立たせる、、。
戦時中のピレネーの山麓の小さな村である。
セバスチャンは家畜や人を襲う「野獣」として村人たちから命を狙われている一匹の犬に出逢う。
彼女は虐待され山に捨てられたうらぶれた大きな犬であった。
孤独な魂同士の邂逅である。
セバスチャンはその犬をベルと名づけ距離を縮めて行く。
美女と野獣」のベルか。確かに汚い姿で現れるが、水を浴びて出てきたら見違える美しい雪白の犬になっていた。
この変身には息を呑む。

セバスチャンの「人は何故虐待するの?」に「じゃあ、人は何故戦争をする」と聞かれた大人は答える、、、。
ベルとセバスチャンはお互いを認め合うのに時間は要らなかった。

ZAZの歌声が絶妙なタイミングで映像にピッタリと絡んでくる。
フレンチポップス~シャンソンは耳に優しく心地よい。

Belle et Sebastien004

村には、ナチスの一隊が入り込んでおり、スイスへの密入国者を取り締まっていた。
セバスチャンの身近にも厳しい捜索の手が伸びてきた。
彼のよく知る医者のギヨームがスイスへの密入国の案内役を秘密裏に続けていた。
(これは村人たちにとって公然の秘密であったようだ)。
クリスマスの夜、ナチスからユダヤ人一家を救う越境の最中にギヨームはアクシデントで足を骨折してしまう。
彼はベルに救われ彼女にソリで引かれてセザールの家まで連れて来られる。
(ベルは、以前ギヨームに村人に撃たれた傷の治療をしてもらっていた)。
アンジェリーナと、この件を子供ながらに気づいていたセバスチャンとベルが一家の越境の手引きを引き継ぐことになる。

一家の同年齢の少女とセバスチャンは親しくなるが彼女に、隣はアメリカではなくスイスなのだと教えられる。
愕然とする彼は少女に「アメリカ」という文字を書いてもらい、学校に忍び込み地球儀でその位置を確かめる。
(彼は利発で洞察力も高い少年で、勉強を始めたらもう一切の隠し事は出来まい)。
セザールに問いただすと、母はロマ(ジプシー)で冬の山小屋で産気付き赤ん坊を生んで亡くなったという。
彼はその子を託されたのだと伝える。
母は天国でお前の事を愛している。そしてわたしもお前を愛していると。
セバスチャンを学校に行かせなかったのも、母の件を隠したかったのだろう。
セザールはセバスチャンが母からクリスマスプレゼントに貰うことを楽しみにしていたコンパス付きの懐中時計をプレゼントする。

途中で、アンジェリーナに好意を持つドイツ軍中尉が部下が網を張っていることを後を追って忠告しに来てくれる。
大雪とドイツ兵に周囲を阻まれていたのだ。
そこでクレバスだらけの氷河を渡る命がけの越境しかなくなるが、一行は果敢に挑む。
氷の細い橋を渡る本当にスリリングな場面であるが、何故かチャップリンを思わせるところでもある。
ベルのチャップリンのシリアス版的名演もあってここは切り抜けた。

冬のピレネー越えに成功しセバスチャンは一際逞しくなり、ベルとの絆はより深まった。
アンジェリーナはそのままイギリスへと発ちレジスタンス運動に身を投じる決心を伝える。
ユダヤ人家族を無事受け取ったスイス側の案内人に、彼を独りで帰すのかと聞かれると彼女はセバスチャンは一人じゃないと返す。

Belle et Sebastien003

まさに「ベル&セバスチャン」である。
エンディング~エンドロールの映像でセバスチャンがランドセル背負って友達と歩く姿が映る。
もう彼に何も隠す必要などないのだ、、、。


「毎日が日曜日」で窒息しそうな日々に、清らかに吹き込んで来た優しい風のような映画であった。
犬も子役も他のキャストも文句なし。



ネオアコの「ベル&セバスチャン」も少し聴き直してみた。
“I’ll Be Your Pilot”が心地よく感じられた、、、このバンドには確かに閉鎖的な攻撃性や殺気がない。
それはいまこの時世にあって、革新的と謂える。グループ名に違和感はない。
(グラスゴーも穏やかで落ち着いた街だという)。









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インターセクション

INTERSECTIONS001.png

INTERSECTIONS
2013年
フランス

デヴィッド・マルコーニ監督・脚本
リュック・ベッソン製作

ジェイミー・アレクサンダー、、、テイラー・ドーラン(スコットの妻、アメリカ人)
フランク・グリロ、、、スコット・ドーラン(ヘッジファンドマネージャー、アメリカ人)
ロシュディ・ゼム、、、サレー(自称モロッコ人の修理工)
マリ=ジョゼ・クローズ、、、オードリー(赤ん坊連れの女)
ムーサ・マースクリ、、、イサム・ベナム(護送中の凶悪犯)
チャーリー・ビューリー、、、トラビス(テイラーの愛人)


「交差点」~確かに交差する。交差~事件として。
リュック・ベッソンの映画みたいに宣伝されていたので観たが、監督は違った。
砂漠でこんな交通事故ってあるんだ。凄い確率に思える。
(だが、全てが砂漠の交通事故みたいな出来事で地味に展開する)。
そしてこんな人間模様ってあるんだ、、、という感じの珍しいパタンの(アクション)サスペンスドラマ。
確かにリュック・ベッソン的なカーアクションとクラッシュの凄い映画ではあった。
(しかしその後は、唐突な展開はあるにせよ淡々と進む)。

INTERSECTIONS004.png

そして何より際立つ悪女。こんなひどい女っているんだ、、、。顔を見ると如何にも薄情そうなので納得。
シチュエーション自体が特殊なので、いちいちこんなのあり?という感じで観てゆくが、サスペンス映画としては面白いか。
新婚夫婦のモロッコのゴージャス新婚旅行となるはずだったが、妻の画策で砂漠の真ん中で愛人に夫を殺害させようとしたのだが、夫がそれを事前に察知し、その愛人を金で買収し妻の計画は潰れたのだが、、、何だか調子に乗ってやってしまったカーチェイスで故障して止まっていたモロッコ人のバスと車に激突してしまい、何人もの死傷者を出し、そこに残されたものたちのサバイバルと個々の人間事情が露わになってゆく。そして実に厄介な流れとなり、、、。

INTERSECTIONS002.jpg

こうした映画だと最後は悪女が勝利してエンディングとなりそうなものだが、ここでは男が勝つ。
勝っても負けてもどうでも良いが、、、
登場人物は(赤ん坊以外)皆、ゴロツキなのだ。
誰にも共感は覚えない。

別に登場人物に共感しながら映画を見る必要はない。
人間性に共感が持てないというだけでなく、何でそういう行動をとるのか、とかいつそういう申し合わせをしたのか等の行動の謎も多い。不思議な意思疎通もあり新鮮味があった。彼らの意思や目的も今一つ分からないというか曖昧だったりする。
ダイヤの原石は誰でも欲しいというのはよく分かるが(笑。
あらま、と思いつつただ見ているのも楽しいもので。
距離を持ってモロッコの風景を眺めてゆくのも面白いものだ。
エキゾチックである。
キャストも皆、エキゾチックであり、飽きることはない。
TOYOTA車が結構多いことに気づく。

INTERSECTIONS003.jpg

最後に拾われたカメラのSDメモリーカードからまた飛んでもない事実が判明して警察やらが動き出したりするのか、とも思ったがそんな内容でもなかった。映っていたものは、かなり虚しい物悲しくもあるものであった。
飽きずに疲れずに観る事の出来る映画である。











最初で最後のキス

UN BACIO001

UN BACIO

2018年
イタリア

イヴァン・コトロネーオ監督・脚本・原案

リウマ・グリッロ・リッツベルガー、、、ロレンツォ(ゲイの高校生)
ヴァレンティーナ・ロマーニ、、、ブルー(ロレンツォのクラスメイト、親友)
レオナルド・パッザッリ、、、アントニオ(ロレンツォのクラスメイト、親友)
トーマス・トラバッキ、、、レナト(ロレンツォの父)
スージー・ラウデ、、、ステファニア(ロレンツォの母)
ジョルジョ・マルケージ、、、ダビデ(ブルーの父)
シモネッタ・ソルデル、、、ニナ(ブルーの母)
セルジョ・ロマーノ、、、ヴィンツェンゾ(アントニオの父)
ラウラ・マッツィ、、、イネス(アントニオの母)
エウジェニオ・フランティスキーニ、、、ジョバンニ(ブルーの彼氏)
アレッサンドロ・スペルドゥーティ、、、マッシモ(亡くなったアントニオの兄)
デニス・ファゾーロ、、、サントロ先生


”キスを一つ~じゃあ、またね”
「最初で最後のキス」は、ない。相も変わらず、、、

UN BACIO002

こういう展開なのか、、、
しかし自然だと思った。
勿論、最後に蛇足で加えられたあのシーンのような”事態”の引き延ばしはあり得たとは思うが。
どっちみち結末は同じではないか。
アントニオはその道の人ではなく、ブルーのことが好きな男子なのだ。

好き嫌いの問題はどうにもならない。
生理的な(無意識~身体性の)レベルにあり、修正は効かない。
その人間の思想に触れ、尊敬することはあっても、好きとか嫌いは別のこと。
理性~理解の問題ではなく感性の領域だ。

最後の悲劇的結末を回避する知恵ということなら、ロレンツォはゲイの恋人を他に探すべきであった。
このトリオで関係が深まることはない。深まると悲劇しかない。
学校(街)で浮いた者同士が自然に寄り添うことはあっても、お互いに深い親密な関係性が築けるかは別問題だ。
アントニオはブルーと付き合えるかと謂えば、彼女の趣味とは思えない。
結局、この3人は仲の良い友人として付き合いつつ、恋人は外に持つのがよいはず。
ブルーはジョバンニみたいな軽薄なプレイボーイではない彼氏を見つけて。

UN BACIO003

その辺は、しかし実生活のくびきを逃れ俯瞰的に考えるのは難しいものだ。
まして行動に出ようにも相手のある事であり、運もあり上手く行くとは限らない。
寧ろ、ロレンツォのように現実を逃避して自分に都合の良い妄想に浸って誤魔化そうとしてしまう。
しかしその結果、当然日常生活の軋轢を増すことになる。
様々な嫌がらせ行為や誹謗中傷も覚悟しなければならない。
長年の経験からロレンツォはそれらに対する耐性は持っていたが、あからさまにアントニオに拒絶されたことは、こたえた。

元々彼らはトラウマを引きずり自分の本当の問題に直面することを避けていた。
アントニオは、時折現れる亡くなった聡明な兄の幻影が語る言葉こそが彼の深層の想いの表出に相違なかった。
しかしそれを彼は自分の本当の想いとして受け容れずにいた。
かなり早い時期に、彼の兄の幻は、ブルーは好きだがロレンツォは嫌いだと伝えている。
内奥の声には、しっかり耳を貸すべきであった。
アントニオは、優秀な兄ではなく自分が本当は死ぬべきだったのではないかというコンプレックスに悩んでいた。
それが邪魔をしていた。

UN BACIO004

ロレンツォは、性の問題に根差す現実の生き難さを妄想による逃避と殊更挑発的な素振りで強引に渡って来た。
しかしそれは軋轢を増すだけである。
彼も現実的な問題解決を先送りしているだけであった。
自分ならではの幸せを掴むつもりなら、戦略をしっかり練るべきである。

ブルーは、ジョバンニを彼氏として慕っているつもりでいたが、寧ろ彼から受けた深いこころの傷を隠蔽する目的で付き合っていたようだ。
しかし、それがどうにも誤魔化せなくなる。
ある夜、母に泣きつき、付き添ってもらい警察に被害届を出す。

3者共に、自分を偽り、それに直面することを避けるために、とても歪で突飛な行動をとって逃げ続けていたと言える。
逃げる者同士で出来た、はみ出しトリオであった。

結果、生まれた生理的嫌悪は大きい。
これはよく分かる。
アントニオは、父としょっちゅう猟に出ている。
銃の使用は自然に思いつく。

UN BACIO005

3人のそれぞれの親(ロレンツォは里親)は、子供に充分な忍耐と愛情をもって寄り添う努力を惜しまなかった。
この点では、大変恵まれている(羨ましい限りだ)。
しかし、それでも救えないケースはある。
残酷な運命に絡めとられるしかないような。
ある意味、ぎりぎりで救われたのはブルーだけであったが、いつも一緒にいた友人を2人失った傷は深い。

軽いテンポで進んでいた甘酸っぱい青春ものみたいであったが、シビアでリアルな結末に収斂される物語であった。


実際に、この手の事件はあって不思議ではない。
(恐らく似た話は幾つもあるはず)。


レディ・ガガの曲が実にマッチしていた。














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カメ騒動

kame005.jpg

カメの世話がどうにも続きそうもない、、、。
他の事で手いっぱいになった。
ということで、お隣のSさん宅に引取って貰えるかを打診することに、、、。
娘さんは獣医の卵でもある。
妻が奥さんに話をしたところ、すでに一匹飼っているし、スペースも充分なので、一緒に飼えるとのこと。
この安心感は大きい。
養子に出すことが直ぐに決まった。

だが、急に家族の意思が変わる。残念ながら、よくあることなのだが、、、。
情が湧いてきて、いなくなると寂しい、とか。
ここまで育てて来たのだから、せめてもう少し先まで見届けたい、とか。
カメを描いた長女の絵が良い賞に選ばれたのだし、幸運のカメだから、とか、、、これはわたしの指導がよかったからなのだが。
(「国際児童画展2017‐Ⅱ」及び「国際児童画展2017‐Ⅰ」)
そのくせ、カメのボツリヌス菌のことを気にしたりする(コロナウイルス騒動の煽りもあるか)。

念のため、最も肝心なことを挙げておくと、カメの世話は完全にわたしひとりで100%しているということ。
育ての親はわたしであること。
(買うときは、皆の同意の元であった)。
いまや家族は、普段カメに見向きもしない上に、わたしが世話をしているのを邪魔扱いする場面もある。
ともかく、水が臭いとか、汚いとか平気で言うのだ。

現実性のない(責任意識のない)甘えた感情で、身勝手なことを無自覚に言う、、、
うちは、こうしたパタンが多い。これには危機感を持つ。
そして、笑うしかないが、、、
「もう少し頑張る」と、先方の奥さんに言ったそうだ。
わたしが頑張るのか。そんなこと言った覚えはない。ギャグかこれは。

作曲家のO君に相談したところ、世話が大変になった時は、その動物の為にも手放すべきとの答え。
まさにその通りの言葉に背を押され、今日わたしから先方に電話をかけ、当初の通りに引取って貰うことに話を戻した。
直ぐに引き取りますよということで、カメ2匹とセット(亀島、透明容器、餌、ヒーター)を持って伺う。
大事に長生きするように育てますよ、と言われ感謝を述べ帰宅した。
部屋を整理し、さてと夕食に何作るかと考えていた矢先に、S奥さんが先ほどわたしが持って行った荷物をそのまま抱え持って玄関まで来ているではないか。

何と、Sさん宅のカメの住処にうちからの新入りを降ろしたところ、主のカメがふたりを威嚇してきて、追い回す行動に出たという。
しかも、威嚇に留まらず、噛みついて来たそうだ。縄張りに入って来るものは許さんというところか。
ずっと様子を見守ってくれていた奥さんはびっくりして二人を保護し、またこちらに届けてくれたのだった。
暫く見守ってくれたお陰で不味いことにならずに済んだと言える。
基本、カメは一匹単位で飼うのがよく、闘争本能が強く複数で飼うのには適さないとのこと。
うちの2匹は恐らく生まれた時からペットショップで共に過ごしてきたためか、2つ重なって日光浴をのんびり楽しんでいたりする仲だが、普通は余所者が突然やってきたら、防衛本能や攻撃性が発現し、やはり穏やかではないのだ。
(確かに、近くの公園の大きな池でカメを観察した際に、重なって日を浴びている群れと、大きな個体が小さな個体を威嚇しているパタンがあった)。

整理したばかりの部屋を元の体制に戻し、前と同じくカメたちを水を満たした水槽にポチャンと入れた。
これはやはり縁のあるカメなのだ。
速攻で戻って来るのだから、、、(笑。
ちょっと新たな気持ちが湧いてきた。
カメを床に置いて自由に歩かせてみる。
その様子を見ながら、娘たちとカメ会議をして、これから少しはカメの世話をすることを促した。
久しぶりにカメを手に取り暫く一緒に遊んでいた。
一度いなくなった彼らが戻ったことで、意識に変化が生じたように思われる。

お世話のルーチンの一部をふたりが受け持つことを確認した。
その後、直ぐに長女が歯が抜けそうで抜けないというので急遽歯医者に行くことに、、、
随分、時間がかかり、わたしは待合室で眠りこけてしまった。
ふいに起きた時、自分のいる場所がひどく新鮮に覚えた。
何とも、今日はあわただしい日であった。





殺人狂時代

Monsieur Verdoux001

Monsieur Verdoux
1974
アメリカ

チャールズ・チャップリン監督・脚本・製作・音楽
オーソン・ウェルズ原案アイデア

チャールズ・チャップリン、、、アンリ・ヴェルドゥ(元銀行員)
マーサ・レイ、、、アナベラ・ボヌール(悪運の強い中年婦人)
イソベル・エルソム、、、グロネイ夫人
マリリン・ナッシュ、、、若い未亡人(軍需会社社長の夫人)
ロバート・ルイス、、、モーリス(ヴェルドゥの友人
メイディ・コレル、、、モナ(ヴェルドゥの妻)
アリソン・ロダン、、、ピーター(ヴェルドゥの息子)
エイダ・メイ、、、アネット(アナベラのメイド)
マージョリー・ベネット、、、グロネイ夫人のメイド
マーガレット・ホフマン、、、リディア・フローレイ
チャールズ・エヴァンズ、、、モロー刑事
オードリー・ベッツ、、、マーサ(モーリスの妻)
バーバラ・スレイター、、、花屋の女


「放浪紳士チャーリー」はいない。
であるから、「街の灯」や「黄金狂時代」とは形式的にも内容も異なる。勿論、チャップリンの小道具や装置、技はしっかりと見せつけてくるが、トーキーで尺も長い普通の映画である。

相変わらず、窓の外に爆中みたいに転げ落ちてみせたり、札や電話帳を捲る指捌きの凄いこと。笑える。
毒の入ったワイングラスの取り違えなどもお得意だ。
だが、腹を抱えて大笑いしたりする場面はない。
基本的に、チャップリンが普通のおじさんなのだ。
奇妙なズレを常に見せる異能者~放浪紳士チャーリーではない。いたって普通の人間なのだ。
(この点は無声映画ではなくなったこの普通の映画形式によるところもあろうが)。

Monsieur Verdoux004

噺としては、多額の預金を引き出した後に行方不明になる中年女性が相次ぎ、警察は事件性を認め捜査を開始する。
主人公は、30年余り勤めた銀行をリストラされた元銀行員(出納係)であり、小金持ちの中年女性を騙して金を奪っては殺す殺人犯アンリ・ヴェルドゥである。
楽天家でないと出来ないビジネスであると彼は謂う。余り割の良い商売でもないそうだ。
薬屋の友人を持ち、証拠の残らぬ毒薬の研究もしているとてもマメな人物である。
そうマメでないと務まらないことは、見ていて良く分かる。
芸も細かい。要所要所でムード作りにピアノも弾く。花束を気前よく定期的に送る。
(不景気で過酷な世界でなければ、この商売に就く必要もなかったはず)。
「ひとつ失っても次がある。」クールな姿勢で割り切って取り組む。
それでいて蟲や猫などの小動物にはとても優しい。

Monsieur Verdoux002

ヴェルドゥは何人もの女性と同時に偽名を使い分けて関わり(重婚し)、奪った金を株などの投資で資産管理しているが、運悪く大恐慌が押し寄せて来た。
とても際どい綱渡りのような資産運営が続く。
列車で国中を毎日のように横断する(勿論、近所で出来る仕事ではない)。
自らの大切な家庭を守り、多重生活を送る。これは心身ともに疲れる。実際、終始疲れた顔をしていた。
すべて足の不自由な妻と幼い息子を養う為のビジネスなのだが、彼も恐慌の波に押し流され破産し、そのさなか妻と息子も失ってしまう。

Monsieur Verdoux005

この間、マリリン・ナッシュ演じる若い未亡人との関係がとてもシリアスで興味深い。
傍若無人に人を振り回すアナベラ・ボヌール夫人と対局を成すような知的な美女である。
ショーペンハウアーの「自殺について」が話題に出るが、それで人となりを無理なく伝えるところはやはり上手い。
(ショーペンハウアーはわたしの最も好きな思想家でもある)。
彼もこの女性とは本心で話が出来た。最初は自作の毒を試すつもりで彼女を誘ったのだが。
彼女は傷病兵であった夫を貧困のうちに亡くし、詐欺容疑で捕まり雨の中出所したばかりであった。
彼はその身の上に同情し充分な金を渡し、自分が関わる人間ではないとして直ぐに別れる。
彼女とはその後も2回偶然邂逅することとなり、3度目は軍需会社社長の妻として富豪となっていた。深い恩を感じている彼女は援助を申し出るが彼はキッパリ断り、これでさよならだ、と言って別れる。

Monsieur Verdoux003

最後は、自ら警察に捕まり、斬首刑に処せられる。
この処刑場に連れて行かれる前に喋った言葉が有名なセリフとして残っている。
(赤狩りも激しさを増し、これが元でチャップリン監督自身、アメリカを追放されるはめとなるが)。

「戦争や紛争、全てはビジネス。1人殺せば犯罪者で、100万人殺せば英雄になる。数は殺人を神聖にする。」
確かにその通りだ。世界をビジネス空間と見た場合、それが言える。
だから「このビジネスは小さい規模ではうまくいかない。」
戦争や紛争状態ではなく平時にあって違うアイテムを入れても成り立つ。
しかし「放浪紳士チャーリー」が体現していたことを最後の最後に演説されても、、、。
勿論、内容的にそれを語る必然的な流れが出来ており、充分な説得力はある。
とは言え、天才チャップリンが敢えて作る映画であったかどうか。
映画としては、エンターテイメントとして大変よく出来ていたと思うし、優れた作品と謂えようが、、、。
自らのやるべきことをほぼ成し終えて、ご意見番となったコメディアンみたいな立ち位置を覚える。


この映画そのものを観れば、見応えのあるとても素晴らしい作品である。








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EMMA/エマ 人工警察官

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EMMA
2016年
フランス


アルフレッド・ロット監督
マノン・ディリス 、セバスチャン・ル・デルジエ脚本


パトリック・リドレモン、、、フレッド(刑事)
ソレーヌ・エベール、、、エマ(サイボーグ刑事、フレッド主任チーム配属)
スリマン・イェフサー、、、ナシーム(フレッド主任チームの刑事)
サブリナ・セヴク、、、アレックス(フレッド主任チームの刑事)



映画特有の演出がほとんど感じられず、TV番組のようなクライムサスペンス。
パトリック・リドレモンとソレーヌ・エベールのコンビは絶妙な雰囲気を醸しており、ドラマの基調をしっかり作り支えていた。
特にソレーヌ・エベールのサイボーグ演技はとてもしっくりしていた。
真面目なのにコミカルな微妙な違和感が上手く表現されている。

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サイボーグ刑事エマが研修生扱いでフレッドのチームに配属され適性の最終チェックを受けるまでの噺。
2つの事件が起こり、彼女が尋常ではない能力を発揮し、それをうまくフレッドが受け止め解決に漕ぎつける。
彼女なしではかなりの時間を要したはずだ。

巨大データベースをもっており、現場ですかさず鑑識でするような検死も出来、マイクとカメラを頭脳に直結出来たり、武術にも通じていて、運動能力も高く走るのもやたらと速く、身体は防弾皮膚となっている。
ロボット三原則をしっかり守り、呑み込みが早く、疲れ知らず(笑。
共通感覚や常識におけるズレが前半かなり露呈するが、老練な主任刑事の的確な指導で修正されてゆく。
見た目だけでなく、人間らしさを獲得して優秀な刑事となるであろう過程を描いている。

そして大切なポイントは「信頼」であるか。
確かに幾ら優秀であっても、周囲からの信頼感が得られなければ成り立たない。
彼女は、幼い子供(フレッドの娘)にも受けが良い。
動物にも上手く接する。
忖度も呑み込み的確な嘘もつけるようになる。
終盤には彼女に対し、フレッド刑事のチームに信頼感が生まれている。

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フレッドは上司に対し、エマに合格点を出す。
ただし、このエマが今後、量産されるとなると、ぞっとするが。

こうした人間そっくりのアンドロイドを描くほど、人間が逆照射されてくるものだ。
AIものはとかくそうだが。
しかし実際、このドラマのような関係性に現実味はない。
アンドロイドと謂うより、優秀な外国人と言ったところか。

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彼女は夜は瞑想しているようだが、ここでもアンドロイドは自分の記憶を気にするようになる。
(自分には無かった幼少期の)写真を飾り、、、。
このパタンは、「ブレードランナー」でもそうであった。
内面が芽生えてくるとはそういうことか。


如何にも続編がある終わり方であるが、どうなのだろうか、、、。
シリーズものにピッタリの作りである。
続編が出れば観たい。













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アンキャニー 不気味の谷

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Uncanny
2019年

アメリカ

マシュー・ルートワイラー監督
クレイグ・リッチー音楽

マーク・ウエバ―、、、デヴィッド(AIロボット工学者)
ルーシー・グリフィス、、、ジョイ・アンドリュース(科学取材レポーター、ロボット工学専門家)
デヴィッド・クレイトン・ロジャーズ、、、アダム(AIロボット)


屋上から街を見渡すシーンはあるにせよ、基本ずっと薄暗い研究室~密室でのほぼダイヤローグで進む。
内容が面白くなかったら、ついて行けない作品であろう。
アスペルンガー症候群かと思ったら(ヒューマノイドインターフェイス)AIなのか、、、。
取材の記者ジョイ・アンドリュースと共に感心する?
しっかり自立系主体として動いている、細部にわたって人間であるが、、、。
(まさに人間そっくりの高度なロボット~アンドロイドとアスペルンガーの人間の”不気味の谷(底)”における交錯を見る)。
「彼女は美人か?」のデヴィッドとアダムのやり取りの不気味さ。
そのジョイが研究室に通ってくる一週間を一日毎に描いてゆく。

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アダムも毎日、研究を進めている。
ストレスもなく籠って淡々と研究を進められれば人がやるより遥かに生産性は高いかもしれない。
ダヴィッドと共同で作業にもあたる。
この辺は、理想的な関係に思えるものだ。
しかし、ここまで「人間」である必要があるのか。
そこが雇い主「キャッスル」の要請なのであろうが。
まさに”不気味の谷”がポイントとなる。

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アダムとデヴィッドで、毎日チェスをやる。コミュニケーションと観察~チェックの一環か?
結局、どっちがどっちなのかよく分からない。
ここの様子を見る限りではイニシアティブを握るデヴィッドに受け身のアダムという感じであるが。
デヴィッドはジョイに対し”不気味の谷”を抜けた向こう側目指し「フォードよりゴッホになりたい」とまで言う。
つまり量産・普及型は製造しないということだ(一般向けではないとすると、、、)。
雑誌の記事にはとても良いキャッチ―な噺だ。
彼女にシヴァ神を示し瞑想にまで言及する。

次第に会話も深まって行きジョイの学生時代のプログラミングの件に及ぶ。
デヴィッドは彼女の未完成のプログラムを一緒に完成させる。
ジョイの当初の気持ちと姿勢は大きく変わり彼らに刺激を受け興味関心が個人的に深まってゆく。
彼女の目的も今の取材よりもかつての研究を始めたい気持ちが芽生える。

(両者とも)欲求を持つ主体であることは、間違いない。
アダムは彼らの行動と彼女のプライベートまで録画して確認したりもする。
彼らに三角関係が生まれていた(中盤以降それが深まり痴話喧嘩にもなる(笑)。
「行動の発現が観られるわ」(ジョイ)どころではない。
一途な探求と作業のルーチンに加え、アダムが贈り物をジョイにしたりする。
サプライズもかけるなど、そっちの方にヒートアップする。
そしてチェスにもふつうに勝つ。

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7日目、最終日の夜デート
デヴィッドがすしを握って振る舞う。日本酒も呑んだようだ。
なかなか粋なやつだ。
彼女の前で思わせ振りに自問したりもする。
巧みに気を引き、彼女の方からデヴィッドを誘惑しふたりは結ばれた。
ジョイは(何と)デヴィッドと恋人同士となったのだ。
結構、自然な流れにより。

彼女と結ばれたことをデヴィッドは、彼女を通して我々の研究成果を世界に認識させることになると説明する。
(確かに科学雑誌に掲載されるし、他のメディアにも広く紹介されよう)。
しかしアダムは、君は主目的を変更したと謂う。
主目的を変え、優先順位を変えることまでしたと、アダムはデヴィッドを強く非難する。
この変化はジョイにも起きていた。彼女の仕事~ライフワークに対する意識である。自分も生産者になりたいという。

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どんでん返しと言うか、そういうことか。
怒ったアダムに追われて、ということはあるにせよ、、、。
外部に出ようとした(恐らく自分の意志で解放されようとした)デヴィッドがセキュリティの外に出た途端、無線電波が届かなくなり、ノイズが~と言って倒れてしまう。ここで、われわれは真相を悟る件となる。
(その前からしっかり怪しかったが。何を隠そう、デヴィッドこそがアダムであった。つまりロボット役のアダムがデヴィッド)。
この精巧なロボットは、AIシステムを内臓しているのではなく、外部コンピュータ~サーバーを通し無線操作されているものであり、研究室を出たら作動しないものなのだ。途端にポンコツなのだ、、、この落差に唖然。

つまり、偉そうにしていたデヴィッドは、アダムであり、、、
如何にもぎこちないアダムがデヴィッドであった。
実質、その場にいる人間は、ずっとこのアスペルンガー・デヴィッドひとりであったのだ。
そしてジョイは実質、被験者であった。
きっと雑誌取材は「キャッスル」に仕組まれたものであって、彼女によってアダムの信頼性を証明~確認しようとしたものだ。

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結果的に言って(最終的に)、ロボットの方は「不気味の谷」(森政弘博士の説)をとっくに超えてその彼岸に到達していた。
でなければ、美人記者が夜を共にする気になるまい。
つまり、デヴィッドはこの上ない研究成果を挙げたと謂えよう。
しかしその天才ロボット工学者の方はかえって不気味の谷の底に居続けているような、、、。
実際、彼は物凄くふたりに警戒され怖がられてもいた。アスペルンガーの強張った部分が強くせり出す。
ただ、アダムとデヴィッドは被験者ジョイに対してどこまで芝居なのか、どこかで本気?なのか嫉妬の部分などよく分からない。
いずれにせよ、(それぞれの)感情があり主体的に行動しているのだ。
ロボット工学が、将来ここまで来るとは到底思えない。
人間の補佐という立場は出ないはず(最初から出ない設計思想でいくはず)。

キャッスル社の提供する“ワークスペース18”でデヴィッドはすでに10年、研究を進めて来たのだが、恐らく軍事目的に直結の国家機密の極秘事業であろう。

ホンモノのダヴィッドのサプライズが最後の最後に明かされる。
やはり一番、手の込んだ悪さをするのは、人間の方であろう。

面白い映画ではあった。

「エクスマキナ」に似た世界観を持つが、あの映画には遠く及ばない。





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パーフェクト・センス

PERFECT SENSE001


PERFECT SENSE
2011年
イギリス

デイヴィッド・マッケンジー監督
キム・フップス・オーカソン脚本
マックス・リヒター音楽


ユアン・マクレガー、、、マイケル(シェフ)
エヴァ・グリーン、、、スーザン(感染症学者)
ユエン・ブレムナー、、、ジェームズ
スティーヴン・ディレイン、、、スティーブン
デニス・ローソン、、、ボス
コニー・ニールセン、、、ジェニー


臭覚を失う症状(SOS)から始まった原因不明の感染症。
(いや、これは「新型コロナ」ではないか、、、10年先の予見?とか思ったりしたが)。
そして何故か深い悲しみの感情に見舞われる。感情を乱すウイルス?
ちょっと超越的な精神論~身体論を呼び込むと謂うより、それを目論んだ運びに思える。
匂いと共に思い出も損なわれる(深い悲しみの感情と匂いというものの相関関係とは、、、考えてみる価値ありそうな)。
替わりに料理の味付けが濃くなってゆく。確かに、、、。
味覚も乱れると思い出は壊滅状態になろう(プルーストのプチット・マドレーヌによる豊かなイメージの想起など無くなる)。

PERFECT SENSE003

この感染症の究明は進まない。
主人公も至ってのんびり構えている(専門家は不可避的に不眠不休体制での対応となるはずだが)。
(ウイルスのパンデミックと言えば「アウト・ブレイク」であるが、このように何とか食い止めねばという切迫感や使命感は何故かどこにも見られない。これが不思議に思える)。
成り行き任せに感染は拡大し続けてゆく。まるで必然的な運命を受け容れるが如く。
終末論とスピリチュアルヒーリングブームが巷に広がる(これは自然に)。
政府の動きがまるで見えない。
マイケルの厨房では有機リン酸化合物が怪しいと言い始めるが、それぞれの場所から特有の噂が立ち上ってゆく状況。
一般では環境汚染や遺伝子組み換えによる惨事だという見解が多くを占め、、、経済効果を狙ってウイルスを撒いたという陰謀説もお約束で出てくる。
政治家は、自由社会に対する(原理主義者たちの)テロであると緊張を高める(取り敢えず政敵のせいにする)向きもあり。
原理主義者は神の不信者に対する制裁であると断じる。
パンデミックによってというより、原因や解決策のまるでつかめない不安で不透明な停滞と閉塞感からじわじわと人々にパニックが広がってゆく。

更に、このウイルスの特性か。
強い恐怖心に加え度を越した飢えの感覚に見舞われる。
イギリス人が生魚を貪り食っている。生肉も、、、食べられないものまで、、、。
ふと我に返る。尋常なことではなかった。感覚だけでなく感情も大いに揺さぶられることを知る。

化学的な作用と密接な関係のある感覚から失われていくようで、臭覚に次いで味覚が世界から失われる。
そして、、、それでも人は生活のリズムを取り戻すために仕事に行ったりこれまでの習慣を続けてみる。
料理~レストランは意味を変え存続し、温度と触感を楽しむ社交の場になる。
医療関係者や研究者は何をやっているのかが全く見えてこない(主人公は恋愛にうつつをぬかしているだけ)。
人々がこのパンデミックをどう捉えているのかその意識が今一つ掴めない。

PERFECT SENSE005

更に、激しい怒りと憎しみが嵐のように込み上げた後に、人々は聴覚を失う(SHLS)。
世界中が本格的なパニックに陥る。
潜伏から発症までが早まってゆく。
それでも対策は具体的に何も進まない。
進んでいる様子が見えてこない。
何も分からないのだ。
不安と混乱と怒り、、、ほとんど正気を失う。
暴力的な動きは見られるが、緊張感はあまりない。
次々に店や施設は閉鎖されてゆき、街も閉鎖となる。
人々は自宅待機となる。パッケージされたパスタが軍から配られる。

暴言と粗暴な行為が至る所で見られるが、これは病がトリガーで起こるにせよ、本人の本質の露呈とも謂えるか。
世界が終ると信じた者たちは略奪を始める。
まだ人生は続くと信じる者たちは、自らの仕事を続ける。
(仕事しかやることのない者もいる)。
沈黙のなかで、、、。
演奏会が開かれる。
演奏する姿とそれが及ぼす振動を感じる。
そして、それでも酒を呑む。生に縋りつくように。

PERFECT SENSE002

忽然と幸せな気分に人々は包まれる。
全てを許し合う、全てを包み込むこころが生じる。
感謝の念が込み上げ爽やかな気持ちで外に出て、人とこの思いを共有したくなる。
暖かい世界の訪れ、、、
、、、と同時に世界は忽然と闇に閉ざされた。


諸表象のなかで辛うじて、触覚だけが人類に残されたのか、、、。
見る~聞く必要がなくなった事で世界から支配関係が無くなるとかいう問題ではない。
(確かに触覚だけでは、権力~階級関係を生む経済性は生れないが)。

ワクチン開発などする気がなかった(ほとんど自堕落に状況に酔っていた)人類はこの運命を受け容れこの後は平和に暮らした、と言うことか?いや、感情~精神と一体化した感染症と思われていたこのエネルギー~場の成すがままとなっていただけなのか(単なる函数として)。
何でもドイツに感覚に異常のない新生児が生まれてきたとかいう情報が入ってきていたようであったが。
その辺から特効薬を作ろうにも、旧人類~大人はすでに皆、何も見えないのだ。
恐らく、、、どうにもならない。問題はそのレベルには無い。
それ以前に、泣き声すら聞こえぬのに赤ん坊の世話がまともに出来るものかどうか、、、。


何とも謂えない息苦しく居心地の悪い映画であった。
ただ、もっとわれわれはウイルスと思しき存在~エネルギーをもっとよく知る必要がある。
自分たちの文化的文脈のなかに取り込み位置付ける知が欲しい。












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スーパーエイト

Super 8 001

Super 8
2011年
アメリカ


J・J・エイブラムス監督・脚本
スティーヴン・スピルバーグ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク製作

エル・ファニング、、、アリス・デイナード
ジョエル・コートニー、、、ジョー・ラム
ライリー・グリフィス、、、チャールズ・カズニック(ジョーの親友、ちびっこ映画監督)
ライアン・リー、、、ケアリー
ガブリエル・バッソ、、、マーティン
ザック・ミルズ、、、プレストン
カイル・チャンドラー、、、ジャック・ラム(ジョーの父、保安官補佐)
ロン・エルダード、、、ルイス・デイナード(アリスの父)
ノア・エメリッヒ、、、ネレク大佐


1979年のオハイオ州が舞台。
ウォークマンが流行っている。
時代の雰囲気は適度に出ていた。
オタクっぽい子供が自主制作映画を撮っているなど、この先の展開に「スタンド・バイ・ミー」的な展開を期待してしまったが、そういった少年同志による成長とかいう要素はなかった。またエイリアンが出て来たところでSFという訳ではない。街に巻き起こった大きな騒動を経て父と子の絆が深まったという噺か、、、。製作に加わったスティーヴン・スピルバーグの好きそうな噺である。

ジョーは模型作りが趣味のインドア少年であるが、幼稚園からの友達のチャールズの映画撮影に協力していた。
他にもかなり濃いオタク仲間でゾンビ映画が撮り進められているところだ。
そこに、女子も必要となり、チャールズの意向で同級生のアリスを誘う。
渋々彼女も撮影に加わる。
エル・ファニングである。女優だけがやたらとレベルが高い(爆。
無免許で父の車を走らせて来て、ジョーに父親にチクるなと念を押して凄むところなど実にチャーミングである(笑。

Super 8 005

初っ端のちびっこ映画同好会の夜の撮影時での鉄道事故がもの凄い迫力で驚いた。
このVFXで、製作陣の力の入れ具合が窺え、圧倒される。
ジョーたち子供撮影隊は命からがらその場から逃げる。
その事故は尋常なものではなく、彼らの学校の生物の教師がわざと貨物列車と車でぶつかり、何かを防ごうとしたらしい。
瀕死の彼は軍に捉えられ、尋問を受けた後に殺害される。
その事故処理にやって来た軍は大変大掛かりな調査をし始め、地元には何も明かさず、独自に作業に当たっていた。
どうやらその貨物列車、アメリカ空軍の物資を積んでいたらしい。
ジョーも小さなキューブを一つ拾い、観察していたが異様な物体であった。
それ以降街では、エンジンや電子レンジが大量に盗まれたり、犬がいなくなったり、人が失踪したり、停電になるなどの異変が立て続けに起こる。
ジョーの母親が工場で事故に遭い亡くなったのだが、一連の騒動の最初の犠牲者であったのか、、、。
ジャックは、保安官代行として大忙しとなる。

出だしの緊張が、断続的に現れる恐ろし気な怪物の影もあり、ずっと維持されてゆく。
後で分かるが、この怪物は実は、チャールズ・カズニック監督の深夜の無人駅での撮影時にカメラにすでに収まっていたのだ。
怪物の全貌が最後の最後まで分からないところも上手い演出である。
ジャックは、軍の無線を傍受し、彼らが秘密裏に街にとってかなり危険な作業をしていることを嗅ぎ付ける。
そのさなかにもちびっ子鬼監督は映画の撮影を敢行する。
周りの連中も律義に従う。

Super 8 003

列車に体当たりして何かを止めようとした教師の自宅を調べ、ジョーたちは事件の概要を知る。
(軍に根こそぎ研究資料など押収されていなかったようだ)。
その怪獣は、不時着した異星人で、宇宙船を修理して帰還しようとしていたのだが、ネレク大佐らがそれを妨害して地球(地下)に押し留めていた。生物の先生はその初期から異星人と関わっており、彼を軍から解放しようと企てていたことが分かる。
ラム家の父子ともに、それぞれの立場から軍の動きに強い不信感を持つ。

そんななかアリスが父の目の前で怪物に連れ去られたところは、こちらも心細くなったが、そこは何とかジョーたちが捨て身の救出を試みる。
異星人が地下を好むことから場所を突き止め、アリスが喰われるギリギリのところで彼女を救い出す。
何故か、ジョーの説得にその異星人は応じ、彼らは見逃す。気持ちが上手い具合に通じたのだ。生物の先生宅で情報をしっかり掴んでいた為にコミュニケーションが成立したようだ。しかしその後大変な異変が街に巻き起こる。
そもそも、チャールズが片思いでアリスを抜擢したのだが、ジョーとアリスが両想いとなり、映画同好会自体も揺らぎ始めていたが、もはやもめている余裕もない状況になっていた。

Super 8 002

街中でコントロールを失った戦車や軍用ジープなどが暴走し発砲しまくり、混乱を極めていた。
そして至る所から引き寄せられた金属類が全て一点に向い吸い寄せられてゆく。
ジョーが拾って取っておいたキューブは宇宙船のパーツの一つであったようだ。
モニュメンタルな塔のような造形が立ち現れ、やがてハッキリと宇宙船の様相を呈するようになる。
それが離陸する頃、ジョーの父子とアリスの父娘が同じ場所に集い、夜空に向い飛び去って行く宇宙船を見上げていた。

Super 8 004

一気に最後まで見せてしまうエンターテイメント性を持った作品であったが、、、。
仲の悪かったジャックとルイスが和解し、ジョーとアリスが結ばれることが予期されるハッピーエンディングで良いのだが、何か物足りない感じは残る。







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街の灯

City Lights001

City Lights
1931年
アメリカ

チャールズ・チャップリン監督・脚本・製作・音楽
アルフレッド・ニューマン音楽


チャールズ・チャップリン、、、浮浪者
ヴァージニア・チェリル、、、花売り娘(盲目)
フローレンス・リー、、、花売り娘の祖母
ハリー・マイヤーズ、、、富豪
アラン・ガルシア、、、富豪の執事


”コメディ・ロマンス・イン・パントマイム”とある。
何と巧みなエンターテイメント芸術であろう、、、圧倒された。
音楽付きのサイレント映画である。
時折掲げられる白いセリフ文字も必要最低限で簡潔な最適なものだ。

この形式だからこそこれほど研ぎ澄まされた表現が実現したと謂えるか。
音楽も本当に良かった。
ここではチャップリンだけでなくアルフレッド・ニューマンも音楽を担当している。
かのランディ・ニューマンはアルフレッド・ニューマンの甥にあたるそうだ。
そういえば、ランディもトイストーリーズ3とか4の音楽を担当していた。

City Lights002

自殺を思いとどまらせ相棒となった富豪紳士のキャラクターの極端さ加減も面白い。
酔っている時は浮浪者(チャップリン)を自分を救ってくれたわが友として篤い待遇をするが、酔いが醒めると途端に邪魔者扱いだ。
これがチャップリンの運命をハッキリ左右することとなる。

出逢いの際の絶妙としか言えない二人の掛け合いの動きはコピーしているコメディアンなど幾らでもいようが、ここまで振り切れていてあっけらかんと笑わせてくれるものはそうはない。
この映画はとてもカラカラと笑えるシーンが多い。
計算の緻密さとそれを的確に具現する匠の技である。
仕掛けも細やかであり淀みなくスムーズに動いて行く。

City Lights003

滑稽さやペーソスを表す道具立ても様々だが、酔っぱらいながらレストランで天井から垂れているテープとスパゲティを一緒に食べたり、そこでの椅子や葉巻のすり替えられる動きが見事で目を愉しませてくれる。
盲目の女性が毛糸を巻くとき彼の着ている服から巻き取っていたのを知り、最後まで彼女が気づかぬように巻き取らせてゆくような繊細で優しい面にも充分に活用されていた。
ともかく、紐が上手く使いこなされていて、そのテンポも実に素晴らしい。
笑うしかない。

City Lights004

たまたま一輪の花を買ったことでその娘が盲目であることを知った浮浪者の紳士チャップリン。
貧しい盲目の花売り娘を経済的にも支援し、目の手術も名医に受けさせ見えるようにしてあげたいと思うようになる。
その一心で金策を始める。
しかし彼は何処にあっても面白いことをしでかす。

抱腹絶倒シーン満載であり、素早いテンポに乗せられる。
テンポ勝負の流れでもあろう。
ちょっとでもテンポが狂えば成り立たないシーンばかり。
どれ程練り込まれた作りであるかが分かる。
チャップリンが音楽家でもあるところからであろう。
リズム操作でこちらを問答無用に惹き込んでいるのだ。

取り分け賭博ボクシングシーンの面白さは抜群で、これを真似たものでもこれほどの域に達していないと思う。
ゴングの紐とあのレフリーはあり得ないと思いながらもあの3人のフォーメーションと動きの妙には呆れて笑うしかない。

City Lights005

何とか金は裕福な相棒から貰うが、アクシデントで彼は素面に戻り、結局浮浪者であるチャップリンは警察に捕まり投獄される羽目になる。その前に十分な金を全額娘に手渡して旅に出るような事を言いその場を去る。
彼がしゃばに戻る秋には、街路で花を細々と売っていた娘は立派な花屋を構え、活き活きと目を輝かせて働いていた。
いつも娘が花を売っていた場所に寄り、生意気なガキに悪戯されながら、彼は娘の経営する店の前にやって来る。

全く隙の無い完璧に計算し尽くされた作品であることは分かった。
最初と最後に出て来る一輪の花の意味が全く違うことで、この花にこの娘の気持ちを語らせている。
終わり間際に娘の花屋に裕福で立派な紳士が花束を届けてくれと注文にやって来る。
憎い演出だ。ここで娘はこの方がかつてわたしを助けてくれた方かしら、と胸を躍らせる。
しかし、その後に彼女をガラス越しに見て無垢な笑みを漏らすみすぼらしい男に目を止め、施しの金と花を一輪その男に哀れみの気持ちで手渡そうとする、、、。

City Lights006

目に障害のある人は他の感覚がその分、発達している。
彼女は目が見えるようになっていても、長くその他の感覚を研ぎ澄ませて生きて来た。
(勿論、視覚は全てに優越する表象感知器官であり、まずそこで判断を下してしまうものだが、彼女はそれにとどまらない)。
「あなたなのですね。」
彼の手に触れただけで、全てを悟ったのだ。
しかし男はただ満面の笑顔で「目が見えるようになったのですね、、、」
、、、と言い残し、きっとそのまま去って行くのだろう、、、。

このシーンは、忘れがたい場所の記憶としてわたしの中にずっと残る。

この余りに絶妙な終わり方、、、やはり天才チャップリンでなければこうはいくまい。


最後にグッと胸に込上げてくるものがあったが、最後の結びのシーンに感動したというより、この映画全体の見事さに対して感極まったというものであった、、、
ここまで完璧なものを観たことはない。









死者の記憶をもつ子供たち 2h SP

81mHP.jpg

2h SPを観てみた。
作りは、45分ものと変わりはなかった。
長くなった分、エピソードも増え、何と5つもすし詰めで入っている。
これでは、45分で2つの方が話が充実していた。


昨日観た「乗り移った記憶」の貿易センタービルで落下死した記憶を持つケイドの噺の続きがあり、前世の友人と語り合う場面が出て来る。
相手もアフターライフってあるんだなあ、、、という感慨に浸る。
二人しか知らない話でピタリと通じるのだ。
(今は子供とおじさんであるが)。
母子で明日から今の生を生きることが出来ることを噛み締めて終わる。
恐らくこれが一番肝心なことであろう。
それだけなのだ。きっと。
では何故、前世の記憶を持って生まれてくるのか?
いや寧ろ、何かの間違えで記憶が残っていることで、現生での生活が多大な障害に見舞われている状況なのだ。

蝶の変態で、卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫の過程で、前の段階の記憶が残っていたら現段階の生に支障が生じよう。幼虫の動きを身体に残していたら成虫の生存にとっての危機となる(支障どころの話ではない)。
ヒトも完全変態をしているのかも知れない。このような飛躍を経験して続いてゆくのか、、、
そうなると死は、上の過程における()の状況に過ぎないもの、、、
われわれは、前のフィギュアの記憶を完全に忘却しているために今の生を生きていられるのかも知れない。
もしかしたら、無意識的なレベルからの突き上げは、それ~他の場所の記憶の作動によるものと謂えるか。
確かにユングの説く集合無意識は、われわれの原初における記憶である。


ともかく、自分の中に自分を突き動かす強力なイメージ~他人格を抱え込んで苦しむ子供がいるということだけは、ハッキリ分った。
その原因を何に求めるかはさておき。
彼らは決まって激しい夜泣きをする。親子で心身ともに疲れ果てる。荒唐無稽な主張をする。
親としてはそれを否定することは出来ない(否定による解消は望めない)。
徹底して我が子の主張に寄り添い、その記憶から子供を解放しようとする行動は誰もが等しくとっていた。
わたしもその立場ならきっとそうするはず。

ただ、ここに取り上げられたパオロ少年に関しては、昨日の家紋を頼りに日本で前世の自分を探すと言っていた少女よりも覚束ない。日本刀に興味を持ち前世は武士の棟梁で、合戦の中、闇に囲まれ死んだという少年であるが、そのシーンについて、ディテールの解像度の高まることはなく、ずっと漠然としたままで、刀の構えや所作から着物の選択に至るまで、およそ日本らしくなく、侍の姿から遠いものであった。フィジカルイメージがまったくないのだ。他の前世チャイルドたちは文字や形体~家紋などや固有名(地名や人名)などを思い出してゆき、それが決め手となったりしていたが、彼のイメージは、戦隊ものの「赤~」とかアメリカンコミックやテレビショー経由のものに相違なかった。イメージに外部性が見られない点において、これは単なる思い込みとしか受け取れない。
勿論、サムライスピリットで逞しく生きてゆくぞ、という意気込みは結構なものであり、応援したいものだが。
(昨日の前世が「風と共に去りぬ」の脚本家シドニー・ハワードであった少年の対極にいる。このようにはっきりしてしまえば気持ちもスッキリする。後は今世でも名作をものにすれば、説得力が増す。それこそ前世~輪廻転生ブームも巻き起こるだろう。詐欺も含めて)。

ここでも、あのお空の扉からママのお腹に降りて来て、生まれて来たんだよ、という件がある。前世が司祭であった子供だ。
乃木坂4期生の北川さんの見解を聴いてみたい、とふと思った(笑。


面白く興味深いエピソードも幾つもあった。昨日のものであるが、、、
息子がロシア空軍大佐であったことが判明したエピソードは気に入った。
父がイラクに派遣が決まった時に、男同士の話があると息子に呼ばれ、戦場での身の守り方を教えられ、しっかりやってこいと年端も行かぬ息子に励まされる父の絵は何かとても仄々していた。
息子の面持ちは確かに大佐の威厳があり、明らかに父親より格上オーラをビシバシ発していた。
しっかりした息子を持って羨ましい限りだ。うちの娘の赤んぼぶりからしても、、、。

それから、孤児列車の回で、自分のイメージをたった一人孤独のうちにずっと探っていて、その前世ルーツに迫って行く少女には、大変好感を持った。早くその件を解決して、将来研究職にでも就き、実のある仕事をしてもらいたいものだ。今回の足を使った探求は必ず糧になると思われる。


だが、われわれ一般として、最も気になることは、前世がどうとか輪廻転生などということよりも、死んだ後の”生”としか捉えようのない今回の彼らの話しについてである。その死後に訪れる場所そのものが気になるのだ。その霊界みたいな場所こそが知りたい。
そこは、何なんだ?
それこそ知りたいところなのだ。この子たちの中から誰でもよいから教えてくれ。頼むよ。

ちなみに、そこが居心地よければわたしは絶対に輪廻転生のサイクルなどには乗らない。外れる。冗談じゃない。
死んでも拒否する。って死んでいるところだが(爆。

ともかく、教えて欲しい。





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死者の記憶をもつ子供たち

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Season 1 4 Episodes
2020年
アメリカ

1. 乗り移った記憶

2. 兵士と脚本家

3. 孤児列車とホテル火災

4. タイタニック号の乗客

以上4編を観てみた。
(この後、2hスペシャルというものがあったが、時間の関係でそこまでは観れなかった)。
かなりシリアスなもので、こちらも普通に真面目に観た。
ともかく、TVの作りだ。
映画とはずいぶん違う。

伝えるべきところをテンポよく簡潔に流してゆく。
観易いことこの上ない。
だが内容は何とも、、、。
噺は、自分の子供が超越的なトラウマを抱えていた場合の、親子の奮闘の記録である。


幼い我が子が急に悪夢を観始める~不意に語り出す。
どうしたことなのか確かめると、凡そ子供らしからぬ口調と表情で自分が死んだときの話をする(そのときは別人格に見える)。
ほとんどが陰惨な事件~事故により命を落としている。
そして自分のかつての親の事や家族の事、仕事の事なども語り始める。
荒唐無稽な絵空事にも想えない真に迫った雰囲気であり、ふざけている様子はない。
それらの噺は徐々に解像度を高め詳細なものとなってゆく。
まさにその時間系は強迫観念として日夜子供のこころを捉えて離さず、彼らは皆孤独にふさぎ込んで苦しむようになり、親は無力に見守るしかない状況となる。
親は危機感を募らせてゆく。

2歳から5歳の間にそれは起きており、親や兄弟がその間に話に現れるような何らかの情報を与えた覚えはない。
しかし、通常では知りえない(親も知らない)情報を正確に事細かに語り、ネットで検索すると事実であることが分かる。
とは言え、天国の窓からママを見ていた、などという言説をはじめやはりどこかの隙に刷り込まれた物語と受け取れるところもある。
情報は何処からともなく様々な形で多様なものが無意識にそれと気づかず侵入して来るものだ。
だが、受け手の年齢にしては、語る内容が整理されている(そこが決め手になっている)。
彼らは決まって、普通より早く歩き、発話も早く、物覚えも良く、世話のかからぬ子どもであったようだ。
(単に能力が高いとも受け取れるが、そもそも彼らを精神分析医が真剣に分析してはいないのか。それが番組の話にはない)。
ともかく知るはずのない事実について熟知していることが大きな戸惑いを生むのだ。
それも陰惨な事件により彼らの前世が断ち切られているところが大きい。

過去に起きた事件の正確で詳細な事実を子供の口から語られると、その合理化として親は前世の(超越的な)記憶を保持した子供なのだと思いたくなるのは分かる。ともかく得体の知れない変わった子供では、お互いに耐えられまい。
彼らは明らかに他の子供とは違うが、聡明で真面目で「異常」を感じさせないことも確かなのだ。
自分の子供が子供らしくすくすく育つのではなく、ある特定の(多くは忌まわしい)記憶に蝕まれ苦しみもがいているのを見ると、親としては激しく執着する「前世」の記憶から彼らを解き放ち、自らの生を活き活きと生きてもらいたいと願う。これは当然だ。
ある意味、結果的に双方の共犯関係は揺ぎ無いものとなる。

彼らは親子で問題の解決に当たる。子供も自分の生を生きたいのだ。
「前世」を仮定し、その記憶を事実の記録と突き合わせ、合致した現場に実際に行って確認~追体験をする。
これは正しいものだと思う。
これ以外の有効に思える方法は浮かばない。
実際にそこを訪れ、事実を確認し自分の前世の妹と逢うなどして、悪夢から解かれてゆく。
1~4までの話では皆、その線で良い方向に向ってゆく。
今生の親子の絆も深まり良い結果を生んでいる。
ただ、前世で日本人として生まれた少女が(記憶から書いた)家紋?を頼りにかつての自分を探し出すのは、大変難しいと思われる。基本、何処の家にも家紋はあり、その家紋に当たる家は夥しい数だと思われる。
筆で書いた漢字も日本の通常の熟語ではない。これは何かの拍子に取り込んでしまった文字であろう。
彼女自身は感受性豊かで能力も高い子供だとは思うが、精神分析医に診てもらった方が解決は早い気がする。


娘との関りで、死は終着ではなく、その先の世界があることが分かり、安らかな境地に至ったと、癌を患う彼女の母が語っていたが、どうもそういう気持ちには共感しかねる。


明日は、二時間スペシャル版も観てみたいが、物語としては充分に面白いので期待は出来る。



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真珠のボタン

El boton de nacar005

El boton de nacar
フランス・チリ・スペイン
2015年

パトリシオ・グスマン監督・脚本
カテル・ジアン撮影

パトリシオ・グスマン監督の「光のノスタルジア」(2010)に続いて観てみたが、結局ピノチェト軍治独裁政権により大量虐殺された市民の遺体(残酷極まりないな拷問を受けて死んだ者たち)は、列車のレールに体を結び付けられた形でヘリから海に投下されていたのか。
これでは、砂漠をいくら掘っても見つからない、、、。
これほどの大犯罪が全く取沙汰されないのは、アメリカが背後で糸を引いていたためか。

今回もチリらしく、宇宙との関係で水を仲立ちに生命が説かれる。
映画は、水晶に入った3000年前の一滴の水から始まる。
ロジェ・カイヨワみたいだ)。何とも言えない郷愁に囚われる。

そう”水”である。
水以外に託せない。
水が全てを記憶してくれている。
政治~法などではもはやどうにもならないのだ。

El boton de nacar006

今回は、民俗学的なアプローチがかけられ、1万年以上前にパタゴニアにやってきた民族~インディオの数奇な運命から語れてゆく。

彼ら先住民はチリで唯一の海洋民族であった。
フィヨルドの間を行き交う、水の遊動民~ノマドである。
海に潜り恵みを食べ、カヌーで絶えず移動をしていた。
櫂を漕ぎながら子供は大人になって行く。

そうした彼ら先住民の写真も残っており、とても美しく威厳もあって印象深い。
よく、これだけの数の記録写真、映像が残されていたと思う。
学術的な記録というところもあろう。

しかし白人が入って来て、先住民の土地と信仰、言語、カヌーは奪われ、無理やり着せられた服には病原菌が付着しており多くの者が死んでしまった。その上、先住民狩りの標的となり残りの命も狩られほとんどが消滅することとなる。
牧畜を大規模に始めようとしていて、南部のインディオを皆殺しにしていったのだ。
パタゴニアは失われた。今残る彼らの子孫は20人を数えるのみ。
チリの望遠鏡から他の水を貯蔵する天体は幾つも発見されている。
そこにカヌーが浮かべられれば、彼らは平和に暮らすことが出来ただろうか、、、監督~ナレーターは夢想して語る。

であるから、彼らの僅かに残った者たちはチリを否定する。
チリに住んでいるが、自分は断じてチリ人ではない。
彼らは数千年前の言葉を話す(彼らが亡くなれば、消えてしまうモノか)。
チリという国は、4200㎞の世界一長い太平洋に面した海岸線を持っていながら、豊かな海~水に背を向けた。
チリ人は海を疎んじている。唯一水と共に生きた民は後か僅かしかいない、、、。

El boton de nacar004

民俗学者がインディオに教わったという原初的なボーカリゼーションは思わずわたしも真似してみたい衝動にかられた。
水=音楽=生命というのは、とても良く分かる。

水は遠く離れた宇宙空間を彗星によって運ばれてきた。
インディオは死んだら星になると信じていたという。
映像は美しい。
禁欲的に静かに入って来る音楽もとても情景に合っている。
彼らは自分たちの体に絵を描いた。
星々が身体を纏う。

El boton de nacar003

入植者たちの暴挙が始まる。
金鉱目当ての山師たちやカトリック宣教師たちである。
ずっと水と星と共に生きて来たインディオたちは、入植者たちと彼らを支援する政府に「野蛮人」として迫害を受けてゆく、、、

そのなかで入れ子状に挿入された「ジョニー・ボタン」の伝説めいた逸話がある。
19世紀初頭にイギリスの船が訪れ、4人のインディオを文明化しようと船長が企み、イギリスに彼らを連れて行った。
「真珠のボタン」と交換で船に乗せたインディオのひとりをジョニー・ボタンと名付けたそうだ。
石器時代から産業革命後の世界へ海の旅で渡る。これも時間旅行になろう。
そして英語を喋る紳士となったころ故郷に還されることになった。
直ぐに彼らは服を脱ぎ、髪も髭も伸ばし見かけは元のようになったが、かつての自分には戻れなかったという。

El boton de nacar002

ピノチェト軍治独裁政権支配の終わった30~40年後に政権幹部であった者が一般市民、政治犯たちの死体を海に投下したことを明かす。
その地点の海底を探ると海底の付着物のぎっしりついたレールが見つかった。
その付着物のひとつに、真珠のボタンがあった。

チリらしく、絶えず星と地上の生命の物語を「水」を間に据えて描いたものであった。
大変美しくイマジナリーな映像でもあった。音楽もマッチしていた。
あり得ない他の惑星の海をカヌーで渡るインディオたちの姿が郷愁に溢れていた。

El boton de nacar001









これは、「真珠のボタン」と「光のノスタルジア」のツインパック。




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ビューティフル・チャンス 優しい3つの奇跡

Three Doors from Paradise001

Three Doors from Paradise
2019
アメリカ

ジョー・ロビアンコ監督
ジョー・ロビアンコ、ジェシー・ロビアンコ脚本


ロバート・アロイ、、、ブランドン(自閉症)
カイリー・シルヴァースタイン、、、ローズ(ネグレクトされた女児)
エリカ・ブーザー、、、タミーリン(レストランの給仕)
デブラ・トスカーノ、、、ステファニー(自閉症支援施設の所長)
ジョン・アナンチュア、、、アルゴ(ギャング、タミーリンの彼氏)
ステイシー・ケスラー、、、(母、売春婦)


物語は、自閉症のブランドンに惹かれて寄り添うネグレクトされた少女ローズと親を知らず育ち男運のない若い女性タミーリンとの3人の何とも言えない繋がりを描く。

ブランドンは、何を聞かれても「さあね」である。何度も促されると渋々「オーケー」と言う。
何でも取り敢えずは呑み込んでしまう。大概のことに関心はないのだ。
自閉症特有の拘りは、兵士のミニチュアとパズル(これで一日中遊べる)。食事ではシリアルというところか。
スケジュール(時間)やルーチン~手順、独自の儀式などへの強い拘りはみられない。
穏やかな接しやすい人である。
数字は何でも正確に覚えてしまう。数字への無意識的な拘りがある。
(覚える気がなくても覚えてしまうのだから、才能というより癖のようなものか。ここに主体性~意志はない)。
噺は、ブランドンがのっぴきならない理由で施設を追い出されてアパートに一人住まいさせられることになるところから始まる。
やはり習慣となった生活形態を変えるとなると、とても抵抗を感じるようだ(当然だが)。
新しい挑戦をするには良い機会よ、とか言われても「挑戦したくない」、はよく分かる(笑。
(元々変化を嫌うところに自分にそんな必然性などなく、施設の都合で動かされるのだ)。

この人の場合、他者との関係を持とうなどという意識はない。
少なくとも自分から外に働きかけようなどという気持ちはない。
基本、部屋で独り兵隊ごっこをミニチュアでやりパズルを組んでいれば平穏に暮らせるのだ。
(今のご時世にピッタリ適応した人ではないか)。
しかしここでは、引っ越してきたアパートのお隣さんたちに恵まれ、聡明でしっかり者の少女と気さくで美人のお姉さんが何かと部屋を訪問して外へと連れ立ってくれる。細やかな気遣いやお金の扱いも教えてくれる。自分の気持ちを素直に出すことを支援してくれる。
(アパートの環境自体はかなり厳しいもので、当初はここが嫌いで、早く帰りたいとステファニーに言っていたブランドンであるが)。
毎週来ることになっている福祉関係の職員は来ないが、そいういった係の人より遥かに彼女らの方が深い共感関係でやりとりが出来ている。
そして何より新しい施設を紹介に来たステファニーに対しブランドンは、「ここで暮らす」と強い意志表明をする。
恐らく彼としては初めての自らの意思の表出ではないか。
(これが出来れば、自閉症の看板は外してよかろう)。

ここでも「家」という制度の解体がはっきり見られる。
そして緩く疑似家族~親和的関係による共同体、が出来上がってゆく。
とても自然に。
暴力関係から解かれた気の合う仲間と一緒に住んだ方がそりゃ心地よいに決まっている。
そこが基本となった新しい共同体があって良い。
「家族」という制度に自閉的に拘らず。
タミーリンは彼氏が飛んでもないゴロツキで愛想つかした矢先に人を撃ち殺し、ローズを人質にとったところでブランドンに窓から投げ飛ばされて絶命し、めでたくフリーになる。
虐待ネグレクトを受けていたローズは、売春を生業としている母がアルゴに射殺されたことで、フリーになる。
3人で家族だったらよかったのにね、と言っていた通り、形の上では3人一緒に暮らして行けることだろう。

ブランドンに対し、こころに大きな隙間のある人たちが気持ちを寄せてくるところは、理解・共鳴できるところではあるが、同様の疎外感と不全感を埋めるために逆に強い反感や排除の意識をもって当たってくる類の輩もいる。ここではアルゴである。世の中、この手のゴロツキの方がとかく目立つものだ。

最後のブランドンの怒りは胸のすくものであった。
やはり怒る時は、大爆発するしかない。
わたしもこの先、怒る場面は幾つもある。予定~予約もある(爆。
溜まりに溜まったものがある。
(怒りは指数関数的に膨張する。パンデミックというよりビッグバン)。
あるところで解消した方が良い。



とっても低予算で作られたことが分かる作品であり、自主製作~インディペンデント~にも思える作りであるが、好感の持てる良い映画であった。






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黄金狂時代

The Gold Rush001

The Gold Rush
1925年
アメリカ

チャールズ・チャップリン監督・脚本・音楽・製作

チャールズ・チャップリン、、、チャーリー(金鉱を探す探検家)
ジョージア・ヘイル、、、ジョージア(酒場の女)
マック・スウェイン、、、ビッグ・ジム・マッケイ(金鉱を探す探検家)
トム・マレイ、、、ブラック・ラーセン(指名手配犯)


こういうのドリフが真似してたな~。
シーンや道具立てだけでなく、チャップリンの立ち振る舞い、細かい所作に至るまで、、、。
とても感慨深い、、、
(特に、志村けん氏が亡くなったこともあり)。


無声映画に音楽とナレーションを乗せただけでこれだけの表現力が得られるのか。
随分と面白いし、VFXも充分なもの。光による演出などもきめ細やか、、、。
思いの他、複雑で突飛で潔い展開。
スリリングでコミカルで残億で、ペーソスに溢れ見応えタップリである。
童話のような寓意性も感じられ。

The Gold Rush004

腹が空いて靴を食べる。
揶揄われて有頂天になり、、、
鶏と幻視され喰われそうになる。
空想の中の切ないパンのダンス。
ほろ苦さや切なさも夢見心地に過ぎてゆく。我に返った後の現実の喪失感。
いやしかし、それさえも、夢の中での出来事に思える。

The Gold Rush002

家が吹雪で雪上を滑り、崖の縁で留まっている非現実的な朝。
悪夢のシーソーから解かれたところに、丁度ご褒美のように金鉱が待っている。
成功と言うには、余りに荒唐無稽な現実。
(ほとんど事故だ)。

大金持ちの名士になったとは言え、チャーリーにはただひとつ心残りがあった。
それはかつて(片思いで)愛したジョージアのことだ。豪華な船室でふと寂し気に彼女の痛んだ写真をうち眺める。
すると、何とすでに彼女は彼の船の甲板に引き寄せられているではないか、、、。
(これはご都合主義などという生易しいものではなく、物理法則によりこうした現象が生まれた感がある)。

The Gold Rush003

夢~幻想と現実の行き来から奇想天外な白昼夢のような現実を経ることで、夢にも描けない程の成功と出逢いにも恵まれた。
それが全く不自然にも感じられない。
わたしはずっと、暖かい穏やかな流れに身を託していたものだ。
(それでいて最近の映画よりも生なインパクトがある)。

映画はもともと、CGなどによるエフェクトがなくても、これだけの世界を描く事の出来る表現形式なのだということを再認識させられた。
(寧ろ最近の映画の方に閉塞感と不自由さを感じるところがある)。


何だ、結局飛んでもないハッピーエンドではないか、、、。
と知ったところでプツっと”The End”
呆気にとられる。
こんな風な終わり方に慣れていない分、大変新鮮でシュールであった。









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万引き家族

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Shoplifters
2018年

是枝裕和 監督・脚本・原案
細野晴臣 音楽


リリー・フランキー、、、柴田治(日雇い労働者)
安藤サクラ、、、柴田信代(治の妻、パート従業員)
松岡茉優、、、柴田亜紀(信代の妹、風俗嬢)
城桧吏、、、柴田祥太(治の息子、治と組んで万引き)
佐々木みゆ、、、ゆり(治が柴田家に連れて帰ってきた少女)
樹木希林、、、柴田初枝(治の母、年金受給)



ゆりが「ごっこ」のヨヨ子の立場と同じであった。孤立している~救いを待っているところを、タイミングよく拾われる、、、。わたしは、その機会を逃したようだ?

是枝裕和 監督のものは、「誰も知らない」、「海街diary」、「奇跡」、「空気人形」、、、などを観て来た。
「空気人形」が一番好きだが、基本、子供を動かす~撮るのが上手な人に思える。

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それにしても、リリー・フランキーって人があまりにピッタリ感が凄いので、もう役でやってる気がしなかった。
一口に言って、味がある。
何をするより前に、いるだけで面白い~趣深い人か。
多くを語らないと言うか肝心なことを何も言わないが、「万引きしか俺には教えることがないから、、、」、「物は店に並んでる間は、誰のものでもないんだ」とか、パチンコ店の駐車場から拾ってきた幼い子に自分の本名である祥太と名付けることなどで、自分を騙っている。
信代も籍が入っているわけではなく、治が通っていたバーのホステスであったらしい。
クリーニング屋で客の服のポケットからネコババしたりしていた。
存在感では、他を圧倒するところであった。

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しかし、そもそも何でこの人たちは疑似家族を作って過ごしているのか。
何らかの信仰を拠り所に集まっているのならまだ分かるが。
どうやら亜紀以外は皆、万引きをしているようだが、まさか万引きで寄り添う共同体など考えられない。
ただ、皆、拾われて(誰かを待っていて)タイミングよく集まってしまった共同体のようだ。
つまり、元の場では生きてはゆけなかった(少なくとも生きるのに支障があった)単独者が少しでも生きやすい場を形成していたとは言えよう。
そう、レオ・レオニの「スイミー」を祥太が話題に出していたが、まさにその噺に共鳴する。
構造が同じだ。祥太という子は、内部にいながら自分の属する集団からはみ出し分析出来る子のようだ。
ドップリ浸からずに、意識の上で彼らに同意しそこにいる。

他に存在自体が面白いのは亜紀で、彼女は初枝の別れた夫と後妻との間に生まれた息子夫婦の娘であったが、海外旅行中という形で、その家を出て、柴田家の娘に成りすまして風俗嬢をしている。元の家には、妹との関係でいれなくなったらしい。両親からも疎まれているようだ。所謂、犯罪には手を染めていない万引き一家のメンバーである。
初枝はどうやら、前夫の命日?に息子の家に行き「慰謝料」をちびちびと受け取ってへそくりに貯めているようだった。年金やパチンコなど含め貯め込んでいるらしかった。パチンコで人の貯めた球を根こそぎゲットするところなどやはりプロか。
この怪しい老婆も充分面白い。

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一番、この家族の構成員でいようと必死であったのが、一番最後に拾われたゆりであろう。
万引きにも積極的に加わろうとして腕を磨いていた。
親のネグレクトと虐待をまた経験したくない。
戻されたら間違いなく再びそれが繰り返されることを彼女は身に染みて知っている。

とは言え、彼らが一枚岩である分けではない。
それぞれの温度が異なりズレている。
肝心なところを語らないのも隠していることがあるからだ。
それは初枝の死体遺棄から始まっている。
それから、構成員もそれぞれ思いを隠しながら微妙に揺らぎつつ持ちこたえては来た。

ゆりが止めるのも聞かず、万引きをしようとしていることを悟り、祥太がわざと自分が身代わりに捕まる。
駄菓子屋で万引きを咎められるのではなく、妹にそれをさせるなと諭され、お菓子まで手渡されたときにきっと彼の気持ちに踏ん切りが付いたのだろう。

彼はある意味、お世話になったその家族を相対化し、違う世界に生きることに決めたのだ。その能力も充分にもっていた。
その決断が、この疑似家族を解体させる。
彼は施設に入るが、学校では成績優秀で将来は開けていることだろう。
全ての罪を背負って信代が服役する。
治は一人住まい。初枝は亡くなっている。亜紀はどうしたか、、、。

だが、映画のラストに映されるゆりは、かつて拾われたベランダで同じように「外」を見ている。

血縁によって構成される家族が理想の共同体である保障などどこにもない。
(それは、わたしが絶対的確信をもって謂えることだ)。











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グラビティ 繰り返される宇宙

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ATROPA
2018年
アメリカ

エリ・サジック監督・脚本


アンソニー・ボナベンチュラ、、、コール・フリーマン(警官)
ジーニー・ボレット、、、モイラ(コールの離れ離れになっていた妻、医療スタッフ)
クリス・ボス、、、サンダース(アトロパ号乗組員、メカニック)
ベン・クリーヴァー、、、ジェンセン(アトロパ号乗組員、情報解析)
デヴィッド・M・エデルスタイン、、、ロバート・マッケイ(アトロパ号船長)
マイケル・アイアンサイド、、、シュレイバー(コールの上司)


もう忘れかけているが、、、備忘録的に。

”ATROPA”。シンプル。
短い映画で助かる。深宇宙でのイベントなのだが、非常に狭い範囲にフォーカスして、こじんまりとしている。
長いものを観る余裕~時間がないときに丁度良い。この時間がこの映画のキイだ。いやキイは重力で時間は結果か。
ループものである。

ATROPA005.jpg ATROPA002.jpg

宇宙船アトロパ号とコールの探査船の全体~ディテールがとても質感があり、見せ方も上手かった。テンポも良い。
VFXテクニックがしっかり駆使されていることが分かる。
巨大惑星の輪の部分がこれまでに集まった(アトロパ号の残骸と)脱出ポッドで形成されている光景には瞠目した。
見せ場は幾つもあるが、これが出色のシーンであろう。
他にも、宇宙空間に忽然と現れた過去のアトロパ号が、今のアトロパ号に激突するシーンもグロテスクであった。
こういった驚愕すべき事件~認識は一種のグロテスクさを伴う。
そこがよく描かれている。

コールの地球における刑事時代の回想~記憶に出て来るロボットも、ちょい役で出て終わりというのも勿体ない出来映えであった。
低予算であることは窺えるが、登場するモノがきっちりと作り込まれているのには好感が持てる。
ただし、時間の逆戻りまでは良しとして(もともと時間は方向つけられていない)、またもやループとかで、、、心配になりはしたがこの作品は余り気になるところは感じない作りであっさりとエンディングまで行けた(時間を扱ったものは、兎角チャチになりがちだが)。
全体の雰囲気は良い。この監督の他のものにも興味を覚えた。ニール・ブロムカンプ監督に近いものを感じる。

ATROPA005.png

通常、時間とは事象の起こる順番や相関関係をもって身体的に感知し、そのレベルでわれわれは認識している。
だが一方向に不可逆的に、一定ペースで、全宇宙において共通な時間(そして今)という認識は量子物理学と相対性理論によって否定されている。相対性理論では時間は重力によって変化するもの、量子論では、そもそも因果律ではなく相互作用である。
よく例えられる、時間はお金のようなもの。
いづれも超越的な測りの役を果たしているだけ。
時間概念いや観念はマクロの領域に観られるエントロピーの法則からその一方向性をわれわれが感知、身体化しているところによると思われる。

この御話の現場では、強力な重力場における時間の遅延が船に生じているらしい。
相対性理論から発想を得ている脚本になるか。
それにしても、どれだけの重力との関係なのか。そもそもそこに船として存在できるのか。事象の地平面に引き込まれずにいられるのか、、、の方が心配になる。そんなデッド・ゾーンと呼ばれる場所~局所の御話である(苦。

ATROPA004.jpg

インターステラー」も主人公が高重力場(ブラックホール近傍)を経験してきたため、地球に帰還した時にはすでに娘の方が歳上であった、、、などあるが、、、。
そして、時間ループである、、、。ここでは時間の逆走から起こっている。

物語としては、、、「敵は何だ」に対し「時間です」
古いナビ信号がだんだん速くなり、それが逆再生して流れているのが分かるが、実は信号そのものは正しく、自分たちの方が空間的には静止しており、時間的には逆走していることを知る。しかも逆走は次第に速くなっていると。船員は、初めて地動説を説かれた人々状態か?(そこまでの動揺はないか、、、)。
コールの探査船がアトロパ号に追いつく時間が予定よりずっと早かったことが頷けた。
そして、このままでいると、また昔の宇宙船アトロパ号が激突して来る、、、。

自分たちの乗るアトロパ号の時空間座標において、過去のアトロパ号が衝突~全員死亡することがエンドレスで繰り返されていることを知り、コールはその無限ループを断ち切る決意をする。
彼は離れ離れになっていた奥さんをアトロパ号に見つけ、漸く彼女との仲を修復しようとしていたところである。
このループが、彼らの行動の修正により回避できるのか、というドラマとなっている。
なかなか心理劇的にワクワクするものはある。
われわれはネットワークのノードである。ノードの振る舞いはとても肝心なものだ。
(そう捉えておいてよいか)。

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ある意味「エンドレスエイト」を思い起こす。
考えてみれば、時間ループものは、結構多い。
何故それが起きるのかという原理はそれなりの(荒唐無稽な)説明があるも、取り敢えずそれを受け容れ、内容を愉しむという形となる(それは仕方ない)。
大概が人間ドラマのやり直しに落ち着く演出舞台に過ぎず、それとは別の創造レベルに達しているのは、やはり涼宮ハルヒの「エンドレスエイト」か。
確かに「エンドレスエイト」は大怪作)であった。


ただ、とても気になったのは、コールがループを断ち切るため、デッド・ゾーンに停滞するアトロパ号とそれに激突してくる異なる場のアトロパ号(どうやって異なる時間系の物体が同じ空間に相互作用を起こすのかがキツイところだ)を共に完全爆破して終わらせようとしたのだが、それでホントに終わったのかどうか、、、である。
また、個人レベルで考えても、コールが後に小さな探査船でやって来る自分に託す形で妻のモイラを独り脱出ポッドに乗せて送り出し、自分はアトロパ号で自爆するのだが、飽くまでもそこにこれからやって来る自分は自分であって自分ではない。まさに、この固有時である自分と妻との関係は他の自分とは言え還元不能のはずである。感情的に受け容れられないものではないか。
自分~アイデンティティとは何かの問題ともなる。

やはりフィジカルにもメタフィジカルにもメンタル~オントロギーにも今一つ詰めが欲しいところか。
尺も短くあっさりし過ぎている。
(もう少し練っていたらかなりの傑作になっていたかも知れない)。







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エンドルフィン

Endorphine.jpg

Endorphine
2015年
カナダ

アンドレ・ターピン監督・脚本

ソフィー・ネリッセ、、、シモン・ディコネック(量子物理学者の少女時代)
マイリーン・マッケイ、、、シモン・ディコネック(量子物理学者の女子大生時代)
リズ・ロイ、、、シモン・ディコネック(量子物理学者の初老時代)
モニア・ショクリ、、、シモンの母


脳内伝達物質のエンドルフィンは、モルヒネを使用した時のような多幸感を齎す。
以前、βエンドルフィン分泌によるランナーズ・ハイなどが話題になっていた時期があった。
何でこの映画、エンドルフィンなのか、、、。

やさしい本泥棒」のヒロインのリーゼル役であったソフィー・ネリッセが主人公の若い頃を演じる。
ちょっと成長した時期をマイリーン・マッケイ。教授になってからの姿をリセ・ロイ。


と言っても、初老の教授の頃と女子大生の頃と少女期が飛び飛びにごちゃ混ぜになって出て来る。
少女期に目の前で母を殺害され、シモンは深いトラウマを負う。
その為か、彼女は時間に拘ったのか。
その時に何も出来なかった自分の無力感が時間意識いや感覚に対する無力感にも同期する。
そして時間とはそもそも何か、を解明したいと願う、、、ようになったみたいだ。

教授の現実~時間についての講義がこの映画の解説にもなっている。
量子力学ベースの時間論となる。ミクロレベルで、粒子は時間的方向性を持たない。
われわれの感じるスケールにおいて立ち現れる時間とは、、、。

様々な説があるが、この先生の説はどのようなものかは今一つ分からないのだが、
昆虫の環界認識との差などを映画のコマ送りを素材にして説明するところで、昆虫の視覚の速度における精度の高さを説いていた。
われわれのスケールでのぼやけた視覚における世界認識というものはある。
そのぼやけ~無知の尺度として生まれた概念が根深く身体化しているところはある。

彼女の講義からは離れるが、全素粒子の相互作用を観る方法がない為、物質と熱(エントロピー)の関係を統計学的に(例えば温度とかで)表現する測りとして時間という概念が生じたという説明はある。
いずれにせよ、われわれが日常感覚では平らな地面~無意識的な基準~の上に生活していて空に浮かぶ天体はこの確かな地面の上空を移動している~日が昇り、沈む~のが極自然な基本感覚である。これに対してわれわれの貼り付いている地面の方が動いているのだと言われても身体感覚では受け入れ難い。その動きも複雑極まりないピアノ曲線を超高速で描いてゆく。
通常のわれわれの時間感覚は、天動説に馴染んだ身体感覚のようなものと謂えるか。
こんなところから、時間について対象化したり思い描いたりすること自体が難しい。
もう久しく前から、光の速度がどの観測者から観ても一定ということから、時間の相対性~時空の歪みは説かれてきたものだが。

もう少しこのシモン先生の時間講義を聴いてみたいものであったが、そこは映画自体で、、、ということか。


もう出だしから尋常ではない時間論の解説なのか、映画の世界そのものの描写なのか判然としない光景が映し出される。
シモンのイメージ、思考、経験、、、物事はこれらをキッパリ割り切れるものではないが、時間のみならず、これらもコラージュの如くに組み込まれて展開する。

こういう映画のように形式を目一杯活用して内容~テーマを表現するものって、どうも解説は難しい。
解説しようなんて元々思ってはいないが(笑。
映画の内容で思想を語るものではないところが難しいのだ。
そのまま体験すればよい?確かにそうなのだが、、、。

要するに変化の体験をわれわれが日常的~マクロのスケールで~把握する尺度として生まれた概念のひとつが時間となろう。
であるから、このような体験を映画で魅せて、この作者の「時間論」いや時間を披露しようと言うものとして、、、
だが、どうも残念なことに、わたしは見終わってどういうものであったかが定かでなくなり、全体をよく思い出せないのだ。
記憶自体がそもそも通常の時間に制約されているため、それを離れた把握が有機的(言語的)にし難い。
別の文法が必要となってくる。

それにどれだけ厳密にある時間論に則し作られているのか。
その辺も何とも言えない。
何でこの映画、エンドルフィンなのか、、、。


そういえば、時間を扱った「グラビティ 繰り返される宇宙」と「万引き家族」の感想を書くことにしていたことを思い出した。
これは、もう鮮度が失われて無理かもしれないが、キャストの記録くらいは残しておきたい気もする。








アイアン・スカイ ディレクターズ・カット版

Iron Sky001

Iron Sky
2013年
フィンランド・ドイツ・オーストラリア


ティモ・ヴオレンソラ監督
マイケル・カレスニコ、ティモ・ヴオレンソラ脚本
ヨハンナ・シニサロ、ヤルモ・プスカラ原案


ユリア・ディーツェ、、、レナーテ・リヒター(地球学者)
ゲッツ・オットー、、、クラウス・アドラー(ナチス准将、次期総督)
クリストファー・カービイ、、、ジェームズ・ワシントン(黒人モデル、何故か月に送り込まれる)
ウド・キア、、、ウォルフガング・コーツフライシュ総統
ティロ・プリュックナー、、、リヒター博士(レナーテの父、マッドサイエンティスト)
ペータ・サージェント、、、ヴィヴィアン・ワグナー(大統領の広報担当者、ナチス軍を迎え撃つ指揮官にもなる)
ステファニー・ポール、、、アメリカ合衆国大統領(選挙戦の為、戦争を企てる)

Iron Sky007

月の裏側に逃げたナチスの残党が、卍型巨大基地~要塞を月面に建造して地球制服を企んでいた。
そこへたまたまやって来たアメリカの月着陸船から降りて、また旗でも立てておくかとか言っている時に、観ての通りの形をした巨大なナチスの裏月面基地を発見して唖然となる。
月面に降りていたモデルで軽佻浮薄なジェームズ・ワシントンはナチスに捕らえられ、殺されかけるも大統領と友達みたいな出任せで辛うじて命は助かる。
但し、地球侵略時にクラウス・アドラー准将を大統領のところまで案内しなければならない。
だが、これも荒唐無稽な形で直ぐに実現してしまう(詳細はアホな展開で略)。

Iron Sky004

「ザワークラウト」をうちでも漬けて食べてみたくなった。
ブラックコメディーで出来ることを片っ端からやってみた、みたいな映画。
コミカルにVFXは、バカ丁寧に作られていて、笑えるかと思って観ていたが、特に爽快に笑える感じのものでもない。
かなりのお馬鹿度ではあるが、時々、ニヤッとするくらいのもの。
マッドサイエンティストのリヒター博士がジェームズ・ワシントンから奪ったスマホをコア動力システムに組み込む時にその接続インターフェイスをUniversal Serial Busと呼ぼう!と言った時は流石に笑った。

Iron Sky003

”Dark Side of the Moon”にナチスが巨大要塞を建造していて、月面の岩石からヘリウム3の採掘も進めていたらしい。
次期エネルギーをいち早く自分たちのものにしていた。
そこまでしていて、コンピュータは馬鹿でかいままのもの(真空管?)で、その方面での技術革新は全く進んでいない。
地球と月で基礎技術的な面で大変な差が出来ていた、、、そんなことあるか?こういったズレは面白い問題だと思う。
スマホ(のCPU)の方が遥かに高性能で、クラウス・アドラー准将が意気込んで地球にスマホ~タブレットを奪いに行く(爆。

Iron Sky002

何故か、アメリカ大統領広報担当?のヴィヴィアン・ワグナーと意気投合してクラウス・アドラーは現ナチス体制に反旗を翻す。
(意気投合するのは両者ともに利用し合ってと謂うより、余りに灰汁の強い性格がピタリと合ったという感じだ)。
今はウォルフガング・コーツフライシュ総統の時代であるが、クラウスは飽くまでも”ハイル・ヒトラー”と唱えており、現体制を老害と称しこれを打破して自分が総統の座に就くことを狙っている。
ヴィヴィアンもそれに協力する。
だが、直ぐに裏切られる。クラウスはナチスを我が物にして地球を征服すること以外、頭になかった。
立派なヒトラー後継者である。第四帝国万歳と来る。

差別表現に充ち満ちているが、お調子者のジェームズ・ワシントン(ウィル・スミスの芸風にそっくり)がリヒター博士に月面基地において白人(アーリア人)に改造されてしまう。劣等民族であることから救ってやったぞと恩に着せられクラウス准将、レナーテ女史(クラウス准将の婚約者でもある)と共に地球の大統領の仲介役として円盤で還って来る。
しかし結局、彼はかつての黒人でもモデルでもなくなり単なる白人ホームレスになってしまう。
同胞も職も地位も失ってアイデンティティ崩壊ときた。

その後、街中で出逢ったジェームズ・ワシントンとレナーテ・リヒターは、チャップリンの映画「独裁者」を一緒に観る。
レナーテは月ではナチスのプロパガンダ用に編集されたものを観ていたのだが、全く異なる長い「独裁者」を観て、愕然とする。
ジェームズの方も編集が余り上手くないとか知ったようなことを言っていたが、レナーテはここで、転向する(笑。
ナチスが間違っている事を悟り、クラウスを止めようと行動に出る。

Iron Sky005

この映画の目玉でもある、月周辺でのナチス軍と地球軍の宇宙戦艦同士の闘いである。
(その前に地球ニューヨーク上空を、しこたま円盤が来襲してきて暴れまわるのだが)。
この辺は、普通に面白い。ヒトラーお気に入りのワーグナーもここぞとかかる。
だが、日曜のヒーロータイムで何となく見る分には良いが、わざわざ時間を取ってみる程のものかとも思う。
確かにVFXはよく出来ている。が、この手のものは食傷気味でもある。ローランド・エメリッヒ監督をはじめこういうのを作りたがる人も多い。一杯見て来たのだ。

アメリカ大統領がここで意気揚々と、秘密裏に宇宙戦艦を開発していたことを世界に明かし、何故だか広報担当?のヴィヴィアン・ワグナーが、その船の船長として敵の壊滅に向かう。大統領に指名されたのとクラウスに対する復讐もあるみたいだ。
宣伝効果抜群で選挙戦はもう貰ったようなもの。

面白いのは、ナチスの戦艦が隕石を持って来て地球に落下させたり、葉巻状の巨大母艦から次々に発射される円盤との競り合いである。数が余りに多く、アメリカの戦艦も苦境に立たされる。
そこで各国からそれぞれ秘密裏に開発された宇宙戦艦がズラリと登場して来る。何れも個性的なデザインで兵器も異なる。
アメリカ大統領は平和協定違反よ!と怒りを爆発させるが、各国の協力が無いとナチス第四帝国は倒せない。
違反はアメリカもだろと言い、各国代表は大笑いである。
アメリカだけはイイのよと叫ぶ大統領。小学生の学級会レベルに遠く達していない。

Iron Sky006

このシーンでもっとも凄いものは、ナチスの最終兵器である超巨大戦艦”神々の黄昏”である。
その壮大さに圧倒される地球防衛軍?これには狼狽えた。
ヘリウム3をエネルギーとし、一撃で月が大きく削れてしまうキャノン砲を備えている。
しかし戦艦ヤマトみたいに直ぐに沈む運命にあった。
中で、レナーテ・リヒターとジェームズ・ワシントンが適当に活躍していたのだ。
レナーテが総指揮官であるクラウスをハイヒールで倒し、ジェームズがコアシステムからiPadを引き抜いた。
これで、”神々の黄昏”は呆気なく沈む(勿体ない。

兎角そういうモノなのかも知れない。
ナチスを取り敢えず退けると、今度は各国がヘリウム3を巡ってその場で喧々諤々となる。
大統領は、月はアメリカのものよ。旗っだって立てているでしょ!と主張する。
各国の宇宙戦艦同士の死闘に転じる。
日本の戦艦はカミカゼ特攻隊みたいに敵の宇宙戦艦に激突し玉砕するスタイルをとる。

そんなころ、レナーテと薬を飲んで黒人に戻ったジェームズが抱擁してキスを交わしている。
それを観たヒトラーユーゲントたちが異議を唱えるが、レナーテはジェームズにこれからするべきことが多いわねとほほ笑む。


まあ、家に閉じこもっていて、ストレスが溜まっていたなら、観るのもよいかもという映画か。








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イカルイト

Iqaluit002.jpg

Iqaluit
2016
カナダ

ベノワ・ピロン監督・脚本
ロバート・マーセル・ルパージュ音楽

マリ=ジョゼ・クローズ、、、カルメン
フランソワ・パピノー、、、ジル(夫、建設業者)
ナター・アンガラアク、、、ノア(夫の親友、部下、イヌイット)
クリスティン・トゥートゥー、、、アニ(ノアの姪、ジルの浮気相手)
セバスチャン・フーバドー、、、ビクター(夫の親友、白人)
ポール・ヌタラリアック、、、ダニー(ノアの息子)


フロビッシャー・ベイという名の街であったが、1987年にイカルイトに改称された。
ロバート・マーセル・ルパージュの音楽がこの北(北緯63度)の朝なのか夜なのか分からない場所にマッチしていた。
雑踏の話声が環境音でよく響いていた。
住民の約6割はイヌイットであるそうだ。

クリスティン・トゥートゥーの特殊な発声法によるボーカリゼーションも興味深い。
以前、モンゴル人のアーティストによる演奏でもまた異なる発声法によるボーカリゼーション”フォーミー”に驚嘆したものだが(但しこちらは驚嘆という類のものではなく、喉笛とスキャットの重奏による素朴で生々しい響きといった感じ)。

長期出張中の夫の事故を受けてモントリオールから駆け付けた妻のカルメン。
しかし彼は一言も彼女に告げることもなく息を引き取る。
それから、カルメンはイカルイトに滞在し夫の生前の姿を知ろうとする。
事故の真相も知りたい。
夫の仕事仲間や知人に当たると皆、彼はいい奴だった、良い上司だった、等と当たり障りないコメントを返してくる。
まあ大概はそうしたものだろう。何やら腹に秘めている者は、そういうときには何も言わない。

寒々とはしているが、とても惹かれる幻惑的な光景だ。
そしてバーに作家自ら彫刻を売りに来るというのも乙なお土産文化に思える。

Iqaluit001.jpg

この物語、アザラシを生で食べるシーンから始まる。
これが御馳走なのだ。皆で取り囲み各自ナイフで切りながら美味しそうに食べる。
(精神を落ち着かせたいときに滞在する川辺のテントでもノアは釣った魚の生を食していた。食文化は日本人の感覚に近い)。
ここで、ジルはこの家の主人であり仕事の部下でもあるノアに金を渡し、アザラシの生食に誘われた帰りに娘のアリにも金を渡す。
かなり気前のいい男だと思っていたが、後半でその意味も分かる。
ダニーのジルを窺う表情にも見て取れるものだ。

夫はイヌイットの有名な作家の彫刻も沢山集めていた。
知らない面を知ることはあるだろう。
だが、この収集もある目的というかケジメとして処理されていた。

実はジルは、まだ当時20歳の学生と恋仲になり、何と子供まで儲けていたのだった。
流石にカルメンはこれには驚き、悲嘆に暮れる。
真相は、酒に酔ったダニーとジルとの間のちょっとした小競り合いからの事故であった。
押された拍子に落ちたところで頭部を打ってしまったのだ。
直ぐに警察に連絡はしたが、自分たちは姿を消して、この一見は皆で闇に葬ろうとしていた。

そのことを漸く知ったカルメン。
しかし、ノアとその家族との関りを通し、そして何よりこの北の、朝なのか夜なのか分からない場所に、彼女も何時しか呑み込まれていた。
闇のない時間は、異なる感覚と感性を生む。
何よりこの場所なのだ。


この事故~事件の決着は、そのことを自ら話したダニーとその一家に任せることにする。
そしてカルメンは、アニに子供に父親のことを話すかと聞き、勿論という返答に少しだけ微笑む。





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”Bon voyage.”

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