プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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子供と遊ばない日

piano001.jpg

たまには、子供と離れて時を過ごす日も欲しい。
独りになりたいときもある(笑。

こんなに長期間、子供と一緒に過ごすことも珍しいし、そうはないことだ。
ふたりは、わたしの目を逃れるとエンドレスでパソコンゲームに走る。
今日はもう、良いことにする。


映画は観てみた。
が、映画のせいではなく感動が薄い。
こちらが感覚的に疲弊している。
感性がダウンしているようだ。

再度、見直さないと感想にもなりそうにない。
そんな感じだ。

観たものは、「グラビティ 繰り返される宇宙」と「万引き家族」
これを立て続けに観て、消化できるはずもない(爆。


思考停止寸前で混乱もしているため、明日以降にまとめてから書くために少しだけ整理しておきたいのだが、、、
出来そうもない。
取り敢えず、気になる事だけでも挙げておきたい。
「グラビティ 繰り返される宇宙」
VFXが良い。
とてもこじんまりした範囲の深宇宙の光景。
強大な重力場の近傍での出来事。
時間が遅延することは分かる。逆走する場合もあろう。時間のループと突然現れ過去の自分に追突する未来の自分、というところがインパクトはあるも、微妙。
無限ループの表現として巨大惑星の輪が全てその船から発せられた脱出ポッドで形成されている光景には瞠目。

良いSFというものは、世界が出来事の集まりであることを想い起こさせてくれる。
そうした感覚を目覚めさせてくれる。
その点で、この映画は好感の持てるものであった。

わたしは、時間を扱う映画では、時間を実体化していない脚本に期待する。
実際、熱力学関係の熱が絡む数式以外の物理の方程式からは、時間変数は消えている。
時間は無い、と言ってよい。
物の動きがランダムであることから不可逆性が不可避となりモノの移ろい~エントロピーの向きから類推により時間という測り~概念が身体化してしまったものか、、、。
その時間も分秒の計測などは生活環境には馴染まず、事象の起こる順番で身体的に感知するレベルである。
全体の基準となる線状的時間~絶対時間(ニュートン)など生活実感には元々そぐわなかった。

物事の軸に時間は無く、互いが互いの関係においてどう変化するかの相互作用があるのみである。
宇宙の局所、局所で多様な「時間」が生じる。人も固有時として存在し関係する。

その辺の感覚はある。
恐ろしい重力場において時間がほぼ止まっているのは、相対性理論による描写であろうが、その宇宙船の位置が気になる。
事象の地平面に取り込まれずにいられる場所なのか、、、ギリギリのエッジにあって時間の逆流と新たな時間系との激突を繰り返しているのか。
しかもそのループ現象が乗組員の行動の修正によって乗り越えられるという設定か、、、。

「万引き家族」も同様。
ギリギリの場所で奇妙な疑似家族形態を微妙に保つ。
勿論、揺らぎながら辛うじて形~枠を維持しているところがリアルで良い。
「万引き」~ちょいとした?ジャンプで繋がっているのだ。
これはアイデアの勝利に思える。

ゆりという連れてこられた少女は、まさに「ごっこ」のヨヨ子である。
ここでの子役も素晴らしい。
それぞれの存在の無軌道な揺らぎぶりがとても生々しさを覚えて心地よい。
よく比較されていた「パラサイト 半地下の家族」とは、趣きが違う。
ここにあの絢爛たるエンターテイメント性は見られない。その意味で実に地味で生~レアである。
ドキュメンタリーを観るような感覚で淡々と事象は起こる。
連続性と謂うよりちょっとした飛躍で進展して行く。

概ね子供にとって良い方に向いていると思っていたが、大事に育てていた祥太によってその危うい家族は解体する。
同じくネグレクト現場から連れてこられたユリは、元の親に還されたが、当然「柴田家」の方が愛情~愛着関係が篤い。
そちらに還りたがっているのは自然な欲求だ。幼少期の大事な経験が味わえない環境でひとは育たない。
だが、祥太はそこからの巣立ちが必要な段階だった。
意識の上でも彼は、「柴田家」を相対化してしまった。
そのきっかけは、近所のカモにしていた駄菓子屋の主人に現場を目撃され、妹には万引きはさせるなと、逆にお菓子を貰ったことだった。
恐らくこういった経験から子供は、ひとつこれまでの世界を包含する世界観を得るのだろう。

そうした運動が見て取れた。
これもまた静かで良い映画であった。


そのうちにまとめたい。

取り敢えず今日のところは、、、この辺で。



ハッシュ・マネー

Hush Money001

Hush Money
2020年
アメリカ

テレル・ラモント監督


ジョシュア・レイ、、、ダグ(元美術教師)
ケネディ・ウェイト、、、ケネディ(野球有名プレイヤーの娘)
マシュー・J・プラム

「口止め料」である、、、微妙。
「身代金」ではない。

ゆっくり子供と絵を描いていたら、時間感覚も緩くなってきて、うっかりブログ記事をあげるのを忘れてしまっていた。
(コメント?の返しは、メールで分かるので、書いたが)。
思えば、必ず毎日アップしていた時期が結構続いていた。
3日空けて、ルーチンから解かれてしまうと、ある意味起きているのか寝ているのかもあやふやな状態となってよくないかも(笑。
ちょいと、映画でも観てみる。という感じでこれにしてみた。

主人公は「美術」の講義が大学から無くなってしまった為に、失業した美術の教師。
どういう大学なのだ、と文句を言いたところだが、、、。恐らく人気のない授業~単位だったのだろう。
当然、そのままではこれまでに入っていた収入がない分、何かと困る事も出て来るだろうが、、、。
就職先をいろいろ丁寧に当たったのだろうか?

何故だか知らぬが悪徳金貸し(ギャングであろう)から多額の借金をしてしまう。
友人チャックの勧めでそこを紹介されたらしい。このチャックというのも(酷い)曲者だ。
その返済の為そのチャックに言われた通り大リーガーの有名選手の娘を誘拐して指定された場所に連れて行ったのにその男はこない。自分の仕事はそこまでであったのに、この後どうすればよいのか?電話で呼び出してもチャックは別の用があって動けないだと。飛んでもない金貸しを紹介しておいて、返済に困ると誘拐までさせた挙句、自分は手を貸すどころか、打ち合わせの場所にも現れないというのは、、、明らかにハメられたのであろう。もしかしてグルなのか?
誘拐などという大それた犯罪を仕組んでおいて、当日忙しくて行けないから後は適当に頼むというこんな出鱈目があるはずない。
この主人公、ここでパニックとなり、その後はもう滅茶苦茶(自暴自棄)な行動で、当然の如く自滅となる。

この映画は、一体何を狙って作られたものだろう。
ドツボに嵌った人の、歯止めが利かず負の方向に転げ落ちて行ってしまうパタンを一例描いてみせたものなのか。
このダグの行為の愚かさは、誰が見てもそれ以外の何かとは映らないはずだが、友人に肝心なところで梯子を外された時点で、まともな判断の出来る状態ではなくなっていたと謂えようか。所謂、ワンパートを任されただけの犯罪ド素人がいきなり一人で難易度の高い犯罪の全てを熟す羽目になってしまったのだ。対応の取れるはずもない。身代金を奪い金貸しに渡す時間は日没前だ。焦りまくる。
しかも、自分の娘が行方不明と妻から聞かされ、金貸しが娘を保険として誘拐していることを悟ってから、いよいよパニックも倍増する。自分でも何やってるか分からない、、、。


その悲哀がひたすら伝わって来るばかり。
もうそうなると、あの時こうしなければよかったという現実逃避的な後悔と自己破滅的な行動に落ち込むパタンはかなりの確率で起きそうだ。
普段では考えられないような愚かな行動を積み重ねてしまう。
更に、自分の娘に血液を与えるために訪れた客を眠らせ血液採取する老婆の魔の手に落ちてみたり、、、突飛な不運にも見舞われる。誘拐犯のタグは自分の娘のようにケネディをそこから救出したり、喘息持ちの彼女の為に吸入器を買い与えたりして世話まで焼く。そして漸く彼女の母親(継母)が指定の公園のゴミ箱に金の入ったバッグを届ける。タグはそれを横取りしようとする男を半殺しにして金を自宅に持ち帰る。当然そこにはGPSも仕込まれていてFBIが直ぐにやって来る。

こんな最中に、タグとケネディとの間で交わされる「絵」についての話は、唯一実のある部分である。
タグは画家としては無名で、絵も売れていないが、彼女は彼の絵を気に入ってその価値を自分の言葉で語っていた。
奥さんは見向きもしない彼の絵の理解者に、こんな形で出逢うというのもまことに皮肉なものである。
絵を観ればその人間の本質も直覚できるものだ。彼はお気に入りの蝶の絵を覚悟した後ケネディに託す。

ここでは、妙な友人の勧めに応じてギャングから金を借りた時点でほぼアウトではあるが、その過ちに気づき、直ぐにしっかり者の奥さんに相談していたら、痛手を負うにしても何とかなっていただろう。FBIに取り囲まれたことで金を渡しに出ることが出来ず時間切れで自分の最愛の娘を失うことも、その罪の意識からFBIに銃を向け撃ち殺されるところまで行く必要もはなかったはず。
何であっても、最初の失敗の取戻しを早急にすることだ。

彼は、絵をただ描いていれば良かったのだ。ホントは単に絵を描いていたいだけだったのだ。
妻が普通の仕事をしているのだから、再就職はのんびり構えて少しでも条件に合うところをじっくり探せばよかったのではないか。
何を焦っていたのかは知らぬが、ほとんどわたしは日頃全く観ないTV~新聞の三面記事を観る気分で見てしまっていた。
お茶の間の奥さん感覚である(笑。
(今はコロナウイルスでもちきりであるが、ほとんど興味はない)。

ケネディがタグに代わって(引き継いで)絵を描いていることにほっとした。
PTSDではなく彼女にとって良い影響を与えることとなったのであれば(そう願いたい)。
彼女の父も目覚ましい活躍をするようになったことをラジオが伝えていた(彼女の為に奮起したようだ)。
それでなければ、タグも浮かばれまい。

主演の二人はとても熱演で説得力もあった。

この映画、久々のブログ復帰には無理ない滑り出しとなったか?


何の「口止め料」だったのか、、、。
その金はもう要らないと言っていたが、それで口止めもなにもあるまい。
その悪徳金貸しは、タグの娘を殺しておいてどうなったのか、まんまと逃げおおせたのか。




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形を作る

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実体のはっきりしないモノの漠然とした脅威。
結局、ウイルスとは何者?
いや教科書の解説が欲しいのではなくて、、、一体、細胞膜もない活動体とは、生命なのか何なのか?
(タンパク質合成も代謝力もない、、、だからパラサイトするのか、しかしそれに何の意味が、、、あるのか)。
つかみどころのない主役がわれわれの時の流れを危うくしているではないか。

一種の猶予期間~アドレッセンスみたいな日曜続きで、、、太ることが心配(爆。
何処にも目につく、あやふやな対応。仕方ないとはいえ。
情報は過多で錯綜するが、いずれも実情にそぐわぬ、麻痺する感覚。
何処かに湿布でも貼りたい。

こんな時は、「形」をはっきり作る。
部屋で籠ってやるには持って来いの精神活動。
精神衛生上もっともよい集中。
「形」を無欲無心に作ろう。

これは自己完結とは正反対で、自閉からは最も遠い行為。作業。仕事か遊びか。どうでもよい。
一気に(ミクロ~マクロ)宇宙に共振~直結する。


一切、周囲に惑わされない。混じり気の無い究極の快楽。とは、このこと。



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ファインディング・ドリー

Finding Dory001

Finding Dory
2016年
アメリカ

アンドリュー・スタントン、アンガス・マクレーン監督
アンドリュー・スタントン脚本
ジョン・ラセター製作総指揮
トーマス・ニューマン音楽
八代亜紀「アンフォゲッタブル」エンディング・ソング

ドリー 、、、何でも直ぐに忘れるナンヨウハギの雌、人やクジラの言葉を理解する
マーリン 、、、カクレクマノミ、ニモの父
ニモ、、、カクレクマノミ、ドリー の親友
ハンク、、、ミズダコの雄
デスティニー、、、ジンベイザメの雌
ベイリー、、、シロイルカの雄
チャーリー&ジェニー、、、ドリーの両親
フルーク&ラダー、、、アシカのコンビ
ベッキー、、、アビの雌
八代亜紀、、、本人、海洋研究所のアナウンス担当(声のみ出演

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、ピクサー・アニメーション・スタジオ製作
ピクサーあってのウォルト・ディズニー・ピクチャーズである(ジョン・ラセター繋がり)。
スティーブ・ジョブスの大きな功績のひとつでもある。


ファインディング・ニモ」(2003年)の冒険譚から1年後の設定。
マーリン、ニモ親子と一緒にあのドリーは暮らしていた。相変わらず少し前のことをすぐに忘れる、重度の健忘症。そして強度の楽天家である。
ドリーはニモと共にエイ先生の授業に参加するが、この時、うっかり激流に流された拍子に過去のことを思い出す。
「激流には近付いてはいけない」という声がして、それが彼女の両親の言葉であった。
ドリーは両親とはぐれてしまったことを思い出し、両親を探しに行く決意をする。

ニモと今一つ乗り気でないマーリンを引き連れ向こう見ずな両親探しの冒険に出るドリー主演の物語だ。
これが奇想天外で充分ハラハラさせてくれ愉しめる。
(何と言っても健忘症であるが、大事な事を少しづつ思い出して突飛な行動に繋げてゆく)。
脇役もとても個性豊かで何故かとっても親切で情に篤い。
(ちょっと良い人過ぎないか?特にやさぐれたタコ)。

Finding Dory005

鉄板かも知れないが、「モアナと伝説の海」のヘイヘイにピッタリ対応するベッキーも登場する。
そして配役で意外な面白さ、、、
舞台となる海洋研究所のアナウンスを八代亜紀が本人役で務めている。
字幕版だとシガニー・ウィーバーなのだ。
というと、シガニー・ウィーバーは、日本でいうと八代亜紀なのか~?信じられない(謎。

Finding Dory002

「カリフォルニア・モロベイの宝石」というドリーが思い出した言葉がハンクによれば、海洋生物研究所に当たるという。
人につかまり搬送されたところが、そこというのもラッキーである。
そして「研究所の生き物は適切な処置を受けて、自然へ還されます」という八代亜紀のアナウンスが何度も聴こえるが、タグを付けられるとクリーヴランドの水族館で隠居暮らしが出来るという。ミズダコのハンクは実際の海に良い思いが無く、水族館暮らしを強く望んでいる。

どちらが幸せかは、その動物というかその個体次第であろう。
自然はとても厳しい。
だが、このニモたちの住む海の世界は、注意さえしていれば、ほどほどに穏やかだ。

Finding Dory003

この物語では、ドリーが思い出すばかりではなく、出逢った相手が彼女のことを覚えているというパタンも幾つもある。
デスティニーやベイリー、そして彼女の両親を知るナンヨウハギたち、である。
世界は広いようでとても狭いのだ。
こうした物語では。

全て擬人化されており、口当たりの良い御話になっている分、冒険の荒唐無稽さも予定調和的な面白さである。
ハラハラしても親子で安心して観られるものだ。
遊園地のアトラクション的なものか。
感動の親子愛である。
如何にもアメリカ人が好きなタイプのものだ。

Finding Dory004

そしてドリーは、ハンクも海に還してしまう。
そちらが正しいのだ。
そういった枠組みで作られているが、ともかく圧倒的映像技術の勝利である。
CGが現実を超えて(ビビットな)リアルになっていることは、言うまでもない。
以前観たオタク映画、「3D彼女 リアルガール」の登場オタクが現実の美しい風景を前に「3DCGみたいにリアルだ~」と言って感動していたが、「モアナと伝説の海」でも如実に味わえるようにイデア界をそのまま見るような感覚になる。
物語内容は極力引っ掛かりのないものにして、ひたすら映像美を堪能する映画であろう。


その目的は十二分に果たしている。
身体的に大変、心地よい。







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照手姫

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運動不足の解消と、鈍って来きた身体の解放のため、ハイキングに出た。
今日は朝から晴天で、風もここ数日間の中では穏やか、、、。

先日観たTV番組でうちの(比較的)近所に照手姫伝説発祥の地があったことを思い出し、天気も良いし歩いて行こうということになる。
おやつのチョコとお茶のペットボトルだけ持って、おにぎりなどの食事はまだ、外でゆっくり食べる気は起きないので、帰ってから食べることに。
照手姫関連のお店とかには一切寄らず、発祥の地に向い、そこで小休止をとったら直ぐに家路に向かうというあっさりした計画だ。

さて実際に歩くと、次女が足が痛いの痒いのと言い出し煩い。
やはり家に(何度か連れ出してはいるが)ほとんど籠りっきりで運動不足からくる体調の不良であろう。
(血行が悪いのではないか)。
叱咤激励で動く二人ではない。
わたしが大学の一般教養でちょっとだけ習ったヨガのワークショップの内のひとつで、二人ペアとなり、片方が目をつぶり、手を繋いで普通に目を開けている方がナビゲートするというものを試してみた。
空間の質的変化がビビットに感じ取れ感覚の域が上がる高揚した経験が出来る。
日蔭と日向がこれほど違うか、とか足裏の感触の差もクッキリ拾って行けて面白い。
次女もワクワクした様子で、文句を言わなくなった。
取り敢えずは、良し。

サクラもほぼ満開で、途中から完全に桜並木の中に入って歩く。
ここは、目を閉じていたら勿体ないが、帰りに観れば良しとする。
匂い~香りはどうだろう、、、これはさしてしなかった。キンモクセイ(9~10月)とか蝋梅などがあれば、それが目いっぱい愉しめるのだが、、、。
いつしか足も楽になったそうだ。
成長痛ということもあるが、注意はしていきたい。

照手姫伝説の碑については、長女とわたしはすでに来て見ている。
数年前だが、彼女も覚えていた。
とても狭いエリアの伝説である。
わたしが家族で行くもうひとつの大きな公園の方はデイダラボッチ伝説があり、スケールはかなりデカい(笑。
碑には面白みのない絵が説明的に嵌め込まれていて、殆ど見ずに帰路に就いた。


サクラはもう家の周辺の街路には一杯咲いている為、こどもは時折垂れ下がっている魔物の手首みたいな枯れ枝を怖がってみたり、他の自然現象を何かに見立てて楽しんだりしていた。次女の好きな苔は見当たらなかった。
流石に長女も疲れてきたようで、次女は早く帰りたいコールを繰り返している為、照手公園には行かずにそのまま帰った。


以前は、車でも結構掛かる道を徒歩で歩いたものだが、ここのところめっきり体力が落ちているようだ。
子供だから体つくりは大切である。
運動をさせる~体力をつけることを第一に考えてゆきたい。


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モアナと伝説の海

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Moana
2016年
アメリカ

ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー監督
ジャレド・ブッシュ脚本
オペタイア・フォアイ、マーク・マンシーナ、リン=マニュエル・ミランダ音楽


モアナ・ワイアリキ(モトゥヌイの次期村長)
マウイ(半神半人の英雄)
ミニ・マウイ(タトゥー、マウイの良心)
トゥイ・ワイアリキ(モアナの父、モトゥヌイの村長)
タラ(モアナの祖母)
シーナ(モアナの母)
ヘイヘイ(ペットのニワトリ)


ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの制作による「アナと雪の女王」からの久々の充実した傑作であった。
大変見応えがあった。この圧倒的で説得力溢れる映像美は実写では難しい。
特に海の表現~進歩したなあ~と感慨にふける、、、(笑。
この映像そのものを観るだけでも十二分に価値があろう。



噺はとても単純なものにして、ひたすらダイナミックでビビットな画像を愉しませるものとなっている。
テ・フィティという女神が、かつて海に島を作り、植物や人を生んでいった。
だが、ある時、マウイという半神半人の男がテ・フィティからこころを奪ってしまう。
そのことで、テ・フィティは、テ・カァという溶岩の魔物に変わってしまい、その後1000年に渡り、この世に闇が拡がるようになった。
闇の力は、島から生命を奪って行った、、、。
この物語は、闇をこの世から取り除くために、海に選ばれた少女モアナと彼女に促され手を貸すマウイのテ・フィティにこころを返すまでの波乱に満ちた冒険譚である。
とても面白い。ちょっと宮崎駿のアニメを思い出しニヤッとしてしまうところもある。

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タラという祖母はとても自由な発想を持ち、因習に捕らわれない素敵な人である。
村長である父トゥイの「珊瑚礁を超えてはいけない」という厳しい戒めに対しても、孫娘の意志を尊重する姿勢を見せる。
彼女は、モアナ自身の心の声に従いなさいという。
素晴らしい教育だ。彼女は島の長となる存在である。そんな人間がかつての習わしに従い生きることしか出来なければ、島に未来はない。
そして祖母という存在はまた伝説という情報の宝庫でもある。
探求心豊かなモアナは、タラからその昔、島の先人たちも遠い海原に挙って出航していた歴史を知ることとなる。
豊かな海(外洋)に出て行けなくなった理由も了解し、島と人々を救う為に冒険に出る決意を固めたのだ。


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海が味方というのも凄く心強い。
(ちょっとご都合主義的で、擬人化し過ぎな面はあるが)。
普段はドジで、肝心な時に良い働きを偶然するバイプレイヤーもニワトリのヘイヘイとしてお約束のように出演している。
この辺は鉄板か。

マウイは、人々から英雄と称えられていた頃、人々の愛を得る為、島や火やココナッツを彼らに与えた。
しかしそれで彼のこころが満たされたかと謂えばそうではなかった。
相変わらず虚無感が彼のこころを支配していたのだろう。
創造主としての力も得たいが為に、女神テ・フィティ(の島)からこころを奪い取ってしまったのだ。
しかし、心を奪われたテ・フィティはテ・カァという溶岩の魔物に変貌し、マウイを一撃で倒し神から授かった釣り針もこころの石も海底深くに沈んでしまった。そして、闇が拡がり良くないことが世に起こるようになった。

そこで海もこの事態を変えてくれる勇敢で機知に溢れる人を探していたのか、、、それに選ばれたのがモトゥヌイ次期村長であるモアナという少女であった。
彼女はとても真面目で責任感があり、使命感を持つ少女である。海としては重要な任務を託せる存在か。
(しかし自分はどうあるべきかの実存的不安は抱き続けている)。
海の導きの中(この旅は海の導きは不可避である)、モアナも奮闘してまずは、こころを盗んだ英雄マウイを探しだす。と言うか邂逅する。それからは彼との闘いでもある。彼をどうやって味方に付けるかが旅の大きな課題ともなって行く。


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カカモラというココナッツみたいな海賊、巨大なカニのタマトア、テ・カァという溶岩の魔物との戦いもそれぞれタイプが異なるもスリリングでスピーディでコミカルな要素を持たせ充分魅せるものとなっている。
動きのダイナミックさエンターテイメントは申し分ない。

この旅路の後半まで、マウイはモアナをずっと邪魔者扱いし続け何とか振り切ろうとする。
だが海を味方につけるモアナは、どこまでも食い下がる。

マウイは自分の身に起きたことが全て体のタトゥーに現れてしまう体質から、自分の生い立ちまでモアナに聞かれ、渋々それを語ることになる。彼はかつて人間であり、母は彼を役に立たない、いらない子として海に捨ててしまった。しかし海の神に救われ何にでも変身できる「神の釣り針」を授けられ(この時点で半神半人の超人と化したのだ)英雄として暴れ回るようになった。
しかし彼はいつまで経っても自分に確信が持てず、ずっと不安に苛まれていた。
(その寄る辺なさ、不安は神の釣り針への彼の過剰とも謂える拘りにも見られる。そういうモノ~ガジェットの支えが必須なのだ。良く分かる)。
マウイの内面の微妙な徴がことごとく彼の体に動くタトゥー~ミニマウイとして現れていたのか。
彼の内面を素直に表して、彼女に読み取られてしまうのだ。
ここでモアナは、彼がテ・フィティから造物主としての「こころ」~究極の力を奪った理由を察知する。
だが、結果として更に彼を虚しくさせ世に混乱と死を招くだけであった。
「あなたをマウイにしたのはあなたよ」とモアナはマウイに告げる。これは確かで肝心なところだ。
マウイになったのは彼にとって不本意ながら不可避であったが、彼が主体として異なる存在~彼自身となるには、マウイを自ら選んだと措定する(選び直す)ところから始めるしかない(ここはカントも謂う通りに)。
彼も新たなアイデンティティの獲得に乗り出すしかない。

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とは言え向こうの映画は、捻くれていた者が告白すると直ぐに素直になってしまうパタンは多い。
もうその後は、一度大きな挫折を味わうが、エイとなって表れた祖母の励ましも受け(タラは自分が死んだらエイとなってあなたのところに現れると約束していた)、マウイと力を合わせてこころをテ・カァ~テ・フィティに戻す。
その後の生命の爆発は鮮やかで煌めきに満ちてゆく。
珊瑚礁を越えて皆が海に出てゆく。モアナもマウイも活き活きと解放されて、、、。
こういう「爽快なハッピーエンドというのもたまには見たいものだ。
おっと、それから歌も良かった。

ともかく、良いものを見た(娘たちはオーストラリア旅行の時の飛行機の中で観ていたので二度目だったが、じっくり味わっていた)。








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ナビゲイター

Flight of the Navigator001

Flight of the Navigator
1986年
アメリカ

ランダル・クレイザー監督
マイケル・バートン、マット・マクマヌス脚本
マーク・H・ベイカー原案

ジョーイ・クレイマー、、、デイヴィッド
ヴェロニカ・カートライト、、、ヘレン
サラ・ジェシカ・パーカー、、、キャロリン
クリフ・デ・ヤング、、、ビル


デイヴィッド少年は弟を迎えに夜森の中に入って行った時に、何かを見つけて足を滑らせ、気を失う。
目を覚まし急いで家に戻るが、そこには他人が住んでいて、周りの世界はすでに8年経っていたことを知る。
自分の家族は別の家に引っ越しており、自分より遥かに年上の体も大きい弟がいることに驚く。
勿論、家族はその前に充分驚いているが、取り敢えず兄が帰って来たことを戸惑いながらもとても喜ぶ。
これを知ってほぼ同時期に捕らえたUFOとの関連でNASAも色めき立つ。
直ぐに少年を念入りに調べるために、NASAの研究室に幽閉する。
脳波を調べると、UFOとの関係が色濃く出てきて、かなり長期に渡る検査・検証が必要と分かる。
これを知った少年は、何処からか聞こえてくる声に従い、研究所からロボットに隠れて逃げ出す。
呼ぶ声は勿論UFOからのものであった。

Flight of the Navigator003

このUFOは、宇宙船ではなく、星間移動体であり高度なAIのマシンであった。
とても綺麗で洗練された形体で、飛行時にはまた形を変えたりする(どうやら自在に形が変えられるような)。
デイヴィッド少年はその内部に招待され、好き勝手に操縦までさせてもらい大いに楽しんだ。
何処にも繫ぎ目や構造体としての特徴を示さない物体であったが、少年を招くときにはヌルっと下に階段が現れる。
この仕掛けは可愛らししく気に入った。
何かに使えそうな階段である(そろそろ実現可能な)。

マシンの中は操縦室的な形体にもなる。様々な形体~機能を魅せることが出来そう。
まさにソフトマシーンである。
そこで少年は大はしゃぎ。
確かに誰でも楽しくなるはず。
こういう「ごっこ」をわれわれはよくやったものだ(一人遊びでもやっていた)。

Flight of the Navigator002

「ごっこ」では、いつも荒唐無稽なテーマやトラブルや敵やイベントが設定される。
ここでは、君らは脳の10%しか使わないからということで、少年に未知の星間地図を記憶させてみたのは良いが、自分(UFO)自身が地球の送電線に引っかかったトラブルによりそのデータを失ってしまった。それで自分の星に帰れないからさっき君に移した記憶データをこっちにコピーさせてよということになる。うん痛くなければいいよ、ということで、コピーしたら余計な情報までコピーしてしまいそのAIは冗談好きのチャラいデイヴィッドの身近な人間とそっくりな「人格」も持ってしまう。
これもちょっとまわりくどいが荒唐無稽な流れである。

それでかなりの尺をそのUFO内で漫才じみたやり取りをして過ごすというもの。
それほど笑えないジョークも多く、さして面白くはない。
とは言え、もうほとんど親しい友達になってしまっている。
これにより、言語構造の異なる別の認識~知の体系を持つ知的存在とのコミュニケーションの難しさの表現の問題をすっ飛ばせることとなった。上手いと言えばそうだが、これではあんまりだ。他者の感覚が微塵も無くなり、平板でチープな感じに落ち着く。
確かに、こういうUFOに乗ってそこらじゅうを飛び回ったら爽快だろうなと、子供なら思うだろうか。

Flight of the Navigator004

少年期への郷愁に浸れる映画かも知れないが、、、。
また、時間を跨ぐ場面であるが、人はやはり時間を空間化したい衝動~欲望に常に駆られていることを確認する。
映画ではしょっちゅうテーマになってきた。
4光年先の惑星に行き、帰って来たことで、自分は変わらないが、周囲は8年経っていた、というのは良しとして、また地球上で8年前に帰るというのは、あまり面白みはない。

わたしとしては、弟より若い兄貴がいても良い気はするが、、、。
本人にとっては困るか。そう言えば同じ歳の憧れの彼女がいたっけ。
それであんなにしゃにむに8年前に戻りたかったのか。
若い(幼い)兄貴を無条件で迎えた(8年前に長男を失い多くの苦難を重ねてきた)家族の世界はどうなるのか。
兎も角、デイヴィッドは再度、UFOに乗り込み、8年前に無事に戻ると家族に出逢い、彼ら3人に対する愛を告げる。
めでたしめでたし、なのだろうが、どうにもチープな印象は残った。

Flight of the Navigator005

娘たちと一緒に観たが、「ドラえもん」の方が面白いとのこと。
ドラえもんと比較可能な映画に思えるが、説得力ではドラえもんに軍配が上がる。









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NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム

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NERVE
2018年
アメリカ

ヘンリー・ジュースト, アリエル・シュルマン監督
ジーン・ライアン原作
ジェシカ・シャーザー脚本

エマ・ロバーツ、、、ヴィーナス・デルモニコ
デイヴ・フランコ、、、イアン
エミリー・ミード、、、シドニー(ヴィーナスの親友)
マシン・ガン・ケリー、、、タイ(イアンの元相棒)
マイルズ・ハイザー、、、トミー(ヴィーナスの親友、プログラマー)
ジュリエット・ルイス、、、ナンシー(ヴィーナスの母)


噺の骨組みは至ってシンプル。映像・BGMは何かの(アップルとかの)PVみたいにお洒落。
仕掛けも、オンラインの裏サイト参加型ライブ形式のゲーム。
ゲームには視聴者か挑戦者かを選択して(口座も)登録して参加。
賭けでもあるし、金は結構掛かる。無料ならともかく、お金がかかってもこんなに沢山の参加者が見込めるだろうか?

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ゲームはスマフォを介し視聴者から無理な要求~課題が次々に出され、それをクリアするごとに挑戦者には賞金が入ってゆく形式。
当然、挑戦者への要求はどんどん膨らみエスカレートしてゆく。
参加者が増すにつけ匿名性の特権(無責任)からも過激な方向に進む以外にはない。
だが、失敗したり棄権するとそれまで。
密告したら制裁もあり口座のお金も吸い取られるというもの。

一度入ったら辞められなくなる。
挑戦者の承認要求(ランキングあり)と増額される賞金に視聴者の金払っているんだから面白いもの見せろという過剰な欲求により確かにこのようなゲームは成り立ち白熱もするだろう。
ただし、これは裏サイトということだが、これだけの参加者~資金からして、ホントに裏なのか(どの程度の裏か?)
然もこの内容の危険さは明白であり、警察のサイバー犯罪の部署が黙っているはずもない、と思うが。
(密告とかする以前に)。
この内容、流れで死人の出ないはずがない。

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これに似たSNS関連のものでやはりスリリングであった「ザ・サークル」や「search/サーチ」があったが、それらに比べかなり単純な内容であった。だが無軌道に(無責任に)ヒートアップするゲームという点でスリルがありリアルでもあった。
こういったゲームであれば、システムさえ出来ていれば、参加者だけで自動的に加熱するものだろう。
黒幕など必要ない。
参加者そのものが、全員犯罪者なのだ。

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であるから、参加者の実名が明かされてゆくと、ゲームからどんどん人が撤退して行くシーンはその通りだと思う。
ここでも腕利きプログラマーのハッキングでめでたしめでたしであった。
何かあると、ハッカーが活躍となるご時世である。
ヴィーナスには、トミーにもう少し感謝しなさいと言いたい。

この映画は、SNSが過剰に機能する現代社会の風刺と謂うより、登場する主要キャストのアイドル的な姿をスタイリッシュに描いて愉しむものに映った。
確かに、エマ・ロバーツ、デイヴ・フランコ、エミリー・ミード、マシン・ガン・ケリー、マイルズ・ハイザーなど皆アイドル性は高い。
人物の肉付けや関係性の描写などは、かなり御座なりで甘い。
全編を通して重みはなく、スピーディーでハイテンポのあっさりした映画であった。

今日は疲れていて重々しいものには耐えられないといった時に適した映画かも知れない。









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ブランカとギター弾き

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BLANKA
2015年
イタリア

長谷井宏紀 監督・脚本
大西健之 撮影
アスカ・マツミヤ 、 フランシス・デヴェラ 、 アルベルト・ボフ 音楽

サイデル・ガブテロ、、、ブランカ(孤児の少女)
ピーター・ミラリ、、、ピーター(盲目のギター弾き)
ジョマル・ビスヨ、、、セバスチャン(孤児の少年)
レイモンド・カマチョ、、、ラウル(孤児の少年のボス)


フィリピンを舞台にした映画。
自分のフィリピンに対する無知がよく分かった。特にスラム街。
”フィリピン”という場所をリアルにじっくりと感じた。
路地や雑踏、広場での人々の息遣い、たむろする出生証明書のなさそうな荒んだちびっこギャングたちや人情味のある風俗嬢(男含む)、、、。
人の隙を見る眼差し、、、敵意を秘めた目つき、、、人攫いの魔の手、、、街には落とし穴だらけ、、、しかし物乞いにお金を出す人も少なくない。
捨て子たち~ストリート・チルドレンは、徒党を組み身を守り、連携してスリなどで日銭を稼ぐ。
ヒロインのブランカもそうだ。しかし彼女はかなりのお金を貯めている。母親を買う目的で貯めたお金だ。
父を知らず、母はいつも酔っぱらっていて、ある時男と逃げてしまった。

わたしの方が恵まれているなどと謂うつもりは毛頭ないが、これも大変過酷な環境~現実だ。
親がしっかりした家がないと、子供はどうなるのか、、、これは何処の国だろうと変わらぬが(わたしの場合もそうであったが)、改めて家庭環境の大切さを痛感する。
環境は過酷なものだが、その猥雑な風景は何故かとても美しい。


ブランカはギターの音色に導かれピーターに出逢う。
彼は盲目で老齢のギター弾きで、広場に寝泊まりするホームレスだ。
二人は何となく気心の合う~波長の合う歳を越えた友達になる。

ある日、警察からピーターが立ち退きを宣告されたところに出くわしブランカは彼を誘い他の地に移ることにする。
そこは、彼女を捨てた母がかつて彼女を連れて行ったことのある場所であった。
(実は騙され違う場所でバスを降ろされてしまうのだが)。

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彼女の唄う「Carinosa」は大変印象に残る民族音楽であった。
その歌を彼女に教えるピーターがまた渋くて良い。
とても素敵な老人である。ギターもレイドバックしてブルージーでとても沁みる。
時折見せる年輪の刻まれた微笑みが暖かくてチャーミングだ。
彼ら二人で組み、パブで唄うと観客も増え、マスターにも喜ばれとても良い流れとなる。
だが、そのことで隅に追いやられた者が彼らに恨みを持つ。
こういった力学(権力抗争)が至る所に見え隠れしている。
彼女は、店の雑用係に陥れられ店をクビになり貯めて来た有り金全て奪われてしまう。
こんな風に彼女は何度も自分が貯めたお金を巻き上げられてしまう。
とは言え、そのお金は、元は人から盗んだお金であった。悪銭身に付かずか。

ピーターから母親はお金では買えないんだよと諭され、だって大人はお金で子供を買うでしょと言い返すブランカ。
彼女の気持ちの中で、金持ちの財布をくすねることの正当化の意識が窺える。
合法的に(又は法を巧みにすり抜けて)人を搾取するか、ゲリラ的に金持ちから失敬するかの違いか、、、。
しかし、スリや車上荒らし、ひったくり置き引きみたいなことを繰り返すうちに、彼女の身に危険が忍び寄る。

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ギャング仲間の権力関係と人身売買の売人との姦計でブランカは売り飛ばされそうになる。
これまでになかった彼女の人生で最大のピンチであった。
ここで彼女を姉貴と慕うセバスチャンの助けもあって、ピーターと共に何とか難を乗り切る。
紆余曲折を経て結局、彼女はピーターから教えられた歌を唄ってお金を稼ぐ方法で身を立てることになろう。
お金で買う事の出来ないものがあるんだ、とピーターの語る関係が彼と結べる。


最後に夜に孤児院を脱走して、街に戻りピーターの演奏するギターの音を頼りに広場に辿り着いたブランカと彼女を察知したピーターの交わす笑顔の美しいこと、、、。
(そこには彼女を捨て身で庇ったセバスチャンが足を洗い、ピーターの下で煙草売りをしていた)。

これまで見た映画のエンディングの中でも最も美しいシーンであった。

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ビックリしたが、サイデル・ガブテロ以外のキャストは、皆ストリートで見つけた素人であるとのこと。
笑ってしまったが、素人の良い所だけを抽出したかのような朴訥だが味のある演技は、自然で誰も素晴らしかった。
特にピーターに関しては格別であった。もう人格の魅力のレベルである。
彼は上演された直ぐ後に亡くなってしまったという。しかし彼の優しさはずっと映画のなかに生き続ける。

BLANKA005.jpgサイデル・ガブテロ
フィリピンで歌姫としても活躍中とのこと。確かに声も良い。注目の若手女優だ。








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ごっこ

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2018年

熊澤尚人 監督
小路啓之『ごっこ』原作
熊澤尚人、高橋泉 脚本
安川午朗 音楽
indigo la End「ほころびごっこ」主題歌

千原ジュニア、、、城宮
優香、、、マチ (婦人警官、城宮の幼馴染)
平尾菜々花、、、5歳のヨヨ子
ちすん、、、ヨヨ子の母
清水富美加、、、18歳のヨヨ子


これもコミックの原作なのか、、、邦画はそれが多い。
(この映画については、これで充分なので原作は見なくても良い気がする)。

キャストの力量で、微笑ましい場面にも常にフラジリティが潜み、緊張感の走る映画であった。
所々の演出上の問題を感じるが、熱気と狂気で一気に持って行った感がある。
そう、このような社会問題としても取り上げられる引き籠り、ニート、幼女誘拐、自殺、虐待、難病の娘を抱えたシングルマザー等々のテーマが揃っているとき、何がリアリティの重みを感じさせるものかと謂えば、狂気であると思う。
運びや演出に多少の問題~不自然さを感じても、 この秘められた狂気その過剰さで真に迫るリアリティを勝ち得た作品と謂えよう。

千原ジュニア氏の演技は超ド級であり、その顔面芸は恐らく右に出る人はいまい。
その狂気と緊張感には終始、圧倒された。
平尾菜々花という天才には驚くばかり。
幼さの中にハッとする凛々しさを表現する辺り、只者とは言えない(どういう女優になるのか末恐ろしい)。
ちすんの深い闇を抱えた母の狂気も千原氏に負けない凄みを湛えていて説得力があった。
(彼女の気持ちは、不条理に見えてよく分かるものだ)。
優香の婦人警官の設定が少々甘いというか弱いところが残念であったが、好演はしていた。
清水富美加、確か今は千眼 美子という法名の女優がこの映画以降、普通の映画には出ないというのは、とても惜しい。
彼女と獄中の城宮との対話はまさに圧巻であった(危うく号泣しかけた)。これを他の女優で出来るかと思うとやはり惜しい。
この人の知性を感じさせる品格のある演技は、なかなか。芦田愛菜は知性はあるが、まだ若いし。
(今のところ、小松奈々と浜辺美波が頑張って引っ張って行くしかないか)。

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瀬戸際にいた二人、城宮とヨヨ子の邂逅から始まる。
傷だらけの幼い彼女は、城宮に手を差し出し、いきなり「パパ」と呼ぶ。
何かの呪文か?
全く新たな時間流に二人は乗ってしまう。
とても危うい非現実的な生活が始まり、二人はそこで互いに目覚めてゆく、、、。
それがほどほどの安定した日常に落ち着くものではなかった。

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何よりも、「ごっこ」が普通の父娘を越えた「ごっこ」になってしまうことが、悲劇であった。
その純粋さが、究極まで~不条理と謂えるところまで行ってしまうのだ。
だがその強度~狂気がとてもリアリティを生んで衝撃的であった。
充分に分かるところであり、共感しっぱなしではあった。
そして結末はこうならざるを得ないはず。

廃園となった遊園地のシーンはとても印象的。
狂気の行き着いた廃墟である。
マチが駆け付けた時、ヨヨ子はティーカップの中で眠っており、これまでの事をとりあえず全てリセットしてしまうのだ。

18歳になったヨヨ子は京大法学部に合格し、獄中の城宮を訪ねる。
5歳の頃の記憶をほとんど失っていた彼女であるが、城宮に語る中でやがて多くを思い出してゆく。
「わたしは常に誰かに見守られていることを感じていました」
彼女が一時期施設に引取られていた時、誰からか送られてくるコミックが全てカラーであったことを思い出す。
すべての記憶が今に繋がって来た~パパ捕まえた、である。
壁に隔てられていても、ヨヨ子と城宮の絆が確かなものになったことは、救いである。
基本的なストーリーとキャストはとても良かったと思う。
もう少し演出を見直して欲しかった。








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しゃべれども しゃべれども

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2007年

平山秀幸 監督
奥寺佐渡子 脚本
安川午朗 音楽

国分太一、、、今昔亭三つ葉(外山達也)
香里奈、、、十河五月(クリーニング店の娘、三つ葉の生徒)
松重豊、、、湯河原太一(元野球選手、解説者、三つ葉の生徒)
森永悠希、、、村林優(大阪から東京に転校してきた小学生、三つ葉の生徒)
八千草薫、、、外山春子(三つ葉の祖母、茶道教室お師匠)
伊東四朗、、、今昔亭小三文(三つ葉の師匠)
占部 房子、、、実川郁子(優の叔母、春子の茶道の生徒)


落語には縁がないし、日頃聴く機会もない。
ここで、「まんじゅうこわい」というやつと「火焔太鼓」を観たが、確かに粋で面白い。
同時に噺のスキルというものを改めて考えさせられた。関西弁についても。
同じお題の関西弁バージョンもあることを知る。
これを調子のよい村林優少年がそれは楽しそうに喋るところが見どころであった。
活舌が滑らかで良い。
この少年が俄然面白い。やはり関西弁の喋りの方もしっくりくる。

二つ目の今昔亭三つ葉がひょんなことから話し方教室を開くことになってしまう。
そこに集まったのが、十河五月と村林優と湯河原太一であった。
それぞれ噺下手の無表情で無口な美女と関西から引っ越して来て学校に馴染めない小学生と元野球選手で解説が下手過ぎる野球解説者である。最近の謂い方では、コミュ障か。
三つ葉自身からして師匠今昔亭小三文のコピーから抜けられず、なかなか真打になれない悶々とした状況にあった。
皆、自分の「噺」を何とかして現状を打開したい人たちである。

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成り行きで始まった話し方教室から、銘々がどんな風に自らの噺の殻を破って行くかの物語が始まる。
話すこと自体に関わることは、かなり構成員同士の関係性も密にする。
話すことが苦手で不器用な者同士であっても、いや尚更そうだからこそ、濃くなることはあるかも知れない。
教室以外の場でも優のクラスの友達との覇権を賭けた野球勝負に一肌脱ぐ。
こうしてコミュニケーションが深まって行く。
というより、こうした関係性が騙りを解放して行くのだろう。

落語の練習は進み、かなりの上達を見せる。この2人の呑み込みは早い。
そして三つ葉の一門会が開かれる機会に、話し方教室の発表会も開くことになる。

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三つ葉と五月は謂いたいことを言い合い喧嘩となり、仲違いをする。
これも関係性のダイナミズムの一環であろうし、次の段階に繋がるものだ。
優はクラスのボスに三振をとられ敗北する。
だが、そのボスを自分の「まんじゅうこわい」の発表の場に招待することにした。
優の「まんじゅうこわい」に渋い顔をしていたボスもついに笑みをこぼす。
面白さで難敵を取り込む。少なくともこの先ボスが優に一目置くことは想像できる。
ここで、彼らの関係も次の段階に入った。

五月は予定していた「まんじゅうこわい」を三つ葉が拘り続ける「火焔太鼓」に替えて臨む。
皆突然の変更に驚くが、彼女もしっかりやり遂げる。
こちらの発表会も大いに盛り上がって終わり、この教室も閉じることとなる。
湯河原太一は二軍コーチになったことを告げ、村林優は将来、三つ葉の弟子を予約して去って行く。


下町風情が全編に漂う。
祖母の春子の存在、所作や語りがそのまま粋な基調を支えている。
酸漿市での五月の浴衣姿が花を添える。
この辺の雰囲気は良い。

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最後は、三つ葉が二日酔いで臨んだ一門会での「火焔太鼓」がかなりの尺で披露される。
師匠の今昔亭小三文に漸く評価される。
自分の「火焔太鼓」が出来たじゃねえか、と。

そして隅田川を走る船の甲板で、三つ葉と五月が和解して打ち解け抱擁する。
船の風は気持ち良いものだろう。

すべて予定調和の流れで、締めくくるが、この雰囲気は悪くない。








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私の人生なのに

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2018

原桂之介 監督・脚本
清智英 東きゆう 原作
主題歌『涙の理由』JY(知英)


知英、、、金城瑞穂(オリンピック候補新体操選手)
稲葉友、、、柏原淳之介(瑞穂の幼馴染)
落合モトキ、、、誉田哲二(アスレティックトレーナー)
根岸季衣、、、佐伯

(ほぼ)順風満帆で生きてきた人が、突然病や事故で体の自由を失い、大切なもの・ことを諦めざるを得なくなったとき、どう自らと向き合ってゆくか、、、。
ある女性の生き方を繊細に丁寧に追ってゆく物語であった。

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主演二人の演技がとても瑞々しく心地よいもので、特に知英の自然な(妙な力みや癖のない)演技は際立って清々しい。
稲葉友の朴訥な仕草や言動は、スター選手から下半身麻痺の身となって絶望の縁にいる彼女の心にいつしか浸み込んでゆく。
過剰さや陳腐な既視感、煽るような演出が一切ないうえに演技がとても繊細で禁欲的なものであった為、まず観易かった。
先日見た「四月は君の嘘」が余りに酷かった為、これも観始めるときにかなり警戒感を持ってしまったのだが、、、。
(「四月は君の嘘」は、原作の換骨奪胎に大失敗したもののようだ。そうだと思う)。

『涙の理由』の透明感ある弾き語りも金城瑞穂に成り切った歌声で映画そのものに溶け込み良い余韻を残す。
流石に知英の歌声の透明度は素敵である。
全体に丁寧に作り込まれていて、ユーモラスな所も随所にありメリハリの利いた映画であった。
KARAのファンであったわたしとしては、彼女の実力タップリの安定した活躍ぶりはとても嬉しい。
(ハラさんに関しては至極残念であったが)。

誰にも突然やって来る挫折は、あり得るものであり、それにどう向き合うかで人生は大きく違ってくるものだと思う。
その点において、観る者に開かれた作品でもあろう。

わざとらしさや嫌みがないところに好感をもったが、何と言っても絶望のなかに沈むヒロインの傍らにひょっこり現れる若いのに達観した幼馴染という設定が、恐らくこれだけがご都合主義と謂えば、そうである。
だが、この柏原淳之介がいなければ、そもそも御話にならない。
彼の関わり方しか彼女の琴線に触れることは、不可能に思える。
こんな存在がそう身近にいてくれるとは思えないのも事実だ。
確かに周囲の人々の、障害を負った人に対する親切はなくてはならない。
今後の生活も射程に入った手厚いケアもあればとても心強いものに違いないだろう。

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しかし彼女の言う通り、「わたしの足にはなれない」のだ。これは重い。
先入観や思い込みの無い対等な視線で相手を見る。
自分も多くを~すべてを失って身動きできない時を送って来た経験を身体化してきた。
そんな幼馴染が、遠方からヒッチハイクしてやってきて、音楽は自由だ、一緒に唄おうと、、、。
音楽なら何でも出来る、走ることが出来る、と来たものだ。
そうだ、そういう解放力こそがまず必要なのだろう。
(妙に爆風スランプの”Runner”がマッチしていた)。
自分の不自由さに固着し過ぎるところから、違う場所に展出することが肝心なのだ。
そうしないと、実質的な新たな第一歩が踏み出せまい。
その場所をこのある意味スーパーマンの幼馴染が作ってくれたのだ。
彼無しに、誉田哲二トレーナーの机上のプランに従っていても彼女の心は救えなかった(表面上の社会復帰は出来ても)。

音楽はその契機となり得る。
その力を持つ。
(映画「四月は君の嘘」の大失敗は、そこを全く描けなかった。音楽が描けず、難病の少女との単なる恋愛ものに落とし込んでしまったところにある。酷い矮小化としか言えない)。






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ビッグ・アイズ

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Big Eyes
2014年
アメリカ

ティム・バートン監督・製作
スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー脚本
ダニー・エルフマン音楽
ブリュノ・デルボネル撮影

エイミー・アダムス、、、マーガレット・キーン (「ビッグ・アイズ」の真の作者)
クリストフ・ヴァルツ、、、ウォルター・キーン(「ビッグ・アイズ」の偽の作者、夫)
ダニー・ヒューストン、、、ディック・ノーラン
クリステン・リッター、、、ディーアン
ジェイソン・シュワルツマン、、、ルーベン
テレンス・スタンプ、、、ジョン・キャナデイ
マデリン・アーサー、、、ジェーン(娘)

あの傑作『エド・ウッド』もティム・バートン監督・製作、スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー脚本のトリオであった。
なるほど伝記が得意なのか、、、これも当然、面白い。


初っ端から、一目でティム・バートンと分かる絵でニンマリしてしまう。
シザーハンズ」の模型空間にそっくりなのだ。何ともアーティフィシャルな、、、色彩と構成、、、箱庭的な。
こうした、「絵」の映画に適した監督に思える。それにこの絵に出てくる少女に極めて似た登場人物(動物含む)も彼の映画には出てくる(「ティム・バートンのコープスブライド」など、、、)。
こうした絵というのは、60年代に話題を攫った、マーガレット・キーンのとても現代風ポップな少女像群である。

エイミー・アダムスとクリストフ・ヴァルツの主演コンビも申し分ない。
娘がもう少し出て来ても良いような気はした。

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噺は女性の立場がまだ弱かった時代、シングルマザーで生きていくことに自信が持てないヒロインの気弱さに起因する、著作権と名誉棄損を巡る奇想天外なドラマに思える。強気の女性でなくても普通、確信をもって描いた絵なら、自分の絵は自分の絵だと主張し、夫にはその販売戦略のみを頼むという線引きをすることだろう。だがここでは夫が画家になりきり(そういう願望は強く持っていた為)あくまでも自分が作者としてひのき舞台に立ち、いつしか本気で自分がその絵を描いた当人になってしまい暴走して行くのだった。ここまで極端な人は少ないだろうが、その心性を持つ人は結構いるものだ。
ともかくマーガレットの描いた目の大きなとても特徴的な少女像を夫のウォルターが自分の描いたものとして売りまくって有名画家になってしまう。男でないと売れないなどとまことしやかに彼女を説得~洗脳していたが、ジョージア・オキーフは世の尊敬を集め売れていた(これはマーガレット自身も知っていることだ)。
実際は、ただの売り方の問題であり、男女差などではない。こういったところの口の上手さ、口先三寸で世を渡って来た男の本領が発揮されてゆく。

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彼女の絵は独自の感性と拘りで描きあげる個性的で彼女ならではの不変のテーマによるものだが、彼女独りで売っていた頃は、ほとんどまともな評価はされてはいなかった。(彼女は道端で似顔絵描きをするくらいで特に売り込みもしていないのだ)。
夫のウォルターは自称画家の~実際はまるで何も描けない~男であるが、マーケッティングの才があり、売り込みも実に上手い。高い絵の買えない層には、すぐさま彼らの欲しい絵を確認してポスターやポストカードを大量に印刷して売るなど対応も的確で素早いのだ。(彼は純粋に儲けの観点からこれをしたのだが、彼女の絵の特性からしてウォーホールのように印刷で売れるポップな絵でもあるのだ。これは彼の意図を越えて芸術の売り方の革新的な展開を生んだことは確かである)。
人脈作りも早く、スポンサーとなりそうな団体には絵を予め寄贈してパイプを作るなど、事業としての開拓や拡張にも充分に才を示す。宣伝は得意であり、モチーフの少女たちを、自分が従軍中に出逢った戦争孤児に結び付けて世の同情を買う。飛んでもない嘘八百を躊躇いもなく挙げ連ねられる精神性には呆気にとられる。
絵は飛ぶように売れた。

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絵のサインは「キーン」であり、それは当然ウォルター・キーンを意味したが、やはり彼女独りで作品群にこれだけ多くの衆目を集めることは極めて難しかったであろう。
その結果、彼と本当の作者である妻とその娘は、充分な富を得て、大変お洒落な豪邸に住む。
勿論、彼女は不自由極まりない閉塞感と孤独に苛まれる生活を強いられた。
彼女には絶対にこのトリックを他者にばらすな、ばらしたら今の生活の何もかもがぶち壊しだと脅し、アトリエに閉じ込め作品の量産をさせ、自分は社交界やTVのトークショーで大いに燥ぐ日々を愉しんでいたのだ(確かに最初にウォルター・キーン作としてバカ売れし始めてしまった為、築いた生活以前の問題として、途中からわたしが描いてますというような訂正をしようがなくなったというところが実際か)。

この辺は、かなりホントは危なっかしい綱渡りであったはずだが、何せ彼女も文句は漏らすにせよ動かないのだ。
だが、絵の件でずっと娘を裏切ってきたことと、ただ描きたくて描いて来た自分の絵への愛情と執着、大事な友人を失ってしまったこと、エホバの証人との関りや学びを通して、やはり嘘は続けられない気持ちが高まってゆく(何よりも自分の心に対する嘘に耐えかねたのだ)。
そして娘と二人で家を飛び出し、メディアに真実を告げ、裁判を起こす。
ここで、裁判長が夫と彼女にそれぞれ画材を与え1時間で絵を描かせるという説得力のある嘘みたいな裁判を行う(笑。
これで当然決着がつく。絵は描けるか描けないかは誰の目にも歴然とする。結局ウォルターは、何も描けずに腕が痛い痛いと言って周囲の冷たい視線を浴びて終わり。
(以前、作曲家でこういうのを見たものだが、佐村河内だっけ、、、わたしも昔別ブログでそれを書いたことがある)。

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彼女の絵はまるで「奈良 美智」の少女像の先祖みたいだ。わたしは奈良の絵よりこちらのマーガレットの方が良い。
何と言うか、マーガレット・キーンのポップな大きな目の少女の翳りは、とてもこちらの胸に深く浸み込んできてしっくりする。
これは似て非なるものか。

エイミー・アダムスは「メッセージ」の言語学者でも、こうした画家においても、その内省的で繊細な柔らかさがよくフィットしていた。








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光のノスタルジア

Nostalgia de la luz001

Nostalgia de la luz
2010年
フランス、ドイツ、チリ

パトリシオ・グスマン監督・脚本

カテル・ジアン撮影


勉強しない子を勉強させることの難しさをヒシヒシと感じる今日この頃、、、。


スペイン語が終始聴こえるドキュメンタリー映画であり、映像がとても美しかった。
その為の心地よさからか途中二度も眠ってしまった(疲れによるところも小さくない)。

チリと謂えば宇宙望遠鏡以外では、いつも何かと話題になるアルマ望遠鏡。乾いた気象条件が星の観測にはうってつけ。
ミリ波やサブミリ波という波長の電波で天体観測をする超高解像度の望遠鏡だ。
口径12メートルおよび7メートルの合計66台のパラボラで巨大電波望遠鏡を構成するその景観は圧巻。

Nostalgia de la luz003Nostalgia de la luz006


TVをあまり見ないわたしが例外的によく観ているコズミックフロントネクスト(NHK)では、登場回数も多いお馴染み望遠鏡である。
(次によく見るのが、デザイントークス+だが、これも実に各方面に広がりがあって良い)。

この映画では、天文学、考古学、独裁政権の深い爪痕が並行して描かれ、それら全てが過去の探求であり、砂漠(乾いた空気)とCa繋がりとしても語られる。
アタカマ高地とアタカマ砂漠で、片や宇宙の歴史(生命の誕生)を探求し、片やチリの闇に押し隠された虐殺の真実を暴こうとする~政治犯として殺された肉親の遺骨を砂漠の中を放浪して探し続ける人々が交錯して映し出される。
そこに考古学者の人類の歴史の探求も絡む。何とも生々しいミイラ、、、。
彼らは呟く。遠い過去の歴史は探索されて問題にされず、何故、近い過去はそれを禁じられているのか、と。
ピノチェト軍治独裁政権が大量虐殺した一般市民の死体をアタカマ砂漠に埋めたが後に掘り起こし何処に捨てたか定かではない。
海に捨てたという幹部もいるが信じる人は少ない。砂漠の何処かと見て、残りの人生のすべてをかけて遺族は探し続けている。

Nostalgia de la luz005Nostalgia de la luz002



誰もがそれは星の美しい空の下、真実~過去を探し求める。
自らに課せられた使命として。

とりわけ広大な砂漠の砂粒の中に肉親の骨の破片を探して歩く女性(老婦人)たち。
われわれ個々の探索~運命も、この作業に象徴されるように思えてくる。

Nostalgia de la luz004

最後に彼女らが望遠鏡を覗く姿が何とも印象的であった、、、。














多肉の数だけ、、、

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娘たちだけでなく、わたしも最近、ぼんやり過ごすことが多くなった.。特に今日みたいに天気が良いと、、、。
多肉になった気分になることもある(爆。
他者との交わりは、生命にとって刺激を得る大切なことだと、やはり思う。


明日、学校に諸費と給食費を収めるのと、つでに突然の休校で持ち帰れなかった大きな重いもの(汗、を受け取りに保護者が召集されることになった。娘に聞くと、かなり重いものが幾つもあるよ、ということなので大きな頑丈なバッグを二つ持ってゆくことにした。
お金も4つの封筒にそれぞれ入れた。それから次女が休みに入る前に担任に渡し忘れたファイルも届けに行くこととなる。

ここのところなるべく人の集まるところには行かずに色々と買い溜めをして間に合わせていたが、流石に明日は日用品と食材を買う必要が出て来た為、午前中は大変忙しくなる(妻が公共交通機関を使いたくないということから勤め先までの送り迎えもしているし)。

学校から出ている宿題~課題も最近の中弛みでペースはとても悪い。
今日は、明日先生に進み具合を報告するからと、ハッパをかけて少しは進ませたのだが。
未だに理科の工作は面倒でなかなか手に付かない。
プラモデルを作るのは好きなのだが、、、

地道に進めなければならない学習一般、やる気が出ない。
自分から面白いからやるというのが、「数学パズル」と「ネイティブの発音で聴く英語」のワーク、そしてわたしと始めた「クロッキー」である。3日目になったがクロッキーははっきり進歩が見られる。
全体を一気に捉えながら、それぞれの葉っぱの特徴もそれとなく掴んでいる。
何より伸び伸び、活き活きと描けてきたことが良い。
これだけは褒めた(笑。
多肉はたくさんある。多肉の数だけ、絵は描ける。
モチーフには困らない(笑。

だが、ピアノはやらない。ほんとにサボってしまっている。これでは技能は後退してしまう。
わたしは、ピアノを一か月も休むことには反対であった。
だがこういった風潮が出来てしまい。何でもかんでもお休み、自宅待機となって、何より拙いのは子供にとって一番大切な学習がないがしろにされることだ。
やはり学校という場がないと、なんでもかんでもくまなく学習するということは、とても難しい。
学校と同様のペースで、自ら進んで出来る子はそうはいないと思う。
(今のようにパソコンゲームが好きなだけ出来る環境ではどうしてもそちらに流れてしまう)。


いよいよ、、、テコ入れをする時が来たようだ(爆。


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当分クロッキー

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娘たちとクロッキーをやり始めたら、これが面白い。
当分、クロッキーをやり続けることにした。

毎日、可愛い多肉を観察しながら、見る~描くワークが出来る。
こういう機会でないと、なかなかする気にもならない(ならなかった)。

集中力とセンスとテクニックが身に付けばよいが、、、。
それ以前に、何より自然のフィギュアの面白さ、奇妙さ、美しさに気づくこと、これが一番重要であろう。


描くこと~見ることには常に発見がある。
そこに驚きがあれば、謂うことない。

(無意識に触れるような、何かの契機になるような、、、)。



毎日が新鮮でありますように、、、。





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多肉と娘を描き始める

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今日は天気が良く風も心地よいので、庭で多肉の世話をしていた。
夕方からは、娘と多肉の鉢植えをモチーフにクロッキーを幾つかして、娘の絵を描き始めようかと、、、。
絵をキャンバスにしっかり描くとなると、、、
真面目にやるとすれば、何十年ぶりとなる(笑。

まず、キャンバスはジェッソで塗り潰して使えるものはかなりある。
絵の具はアクリルにする。
乗ってきたら油に切り替えたい。
まず画材の確認をして、今日の夜から始めることにした。

娘たちは、緊張感のない休みがダラダラ続くなか、最初のうちは学校の課題をやってはいたが、ここ3日くらいなにもやらずにパソコンゲームに興じている。おまけにピアノ教室も1か月お休みとなり、ますます堕落して行く。
ここで何とかしないと、、、子供にとって最も大切なものは、勉強である。

何とかしたい。
まず、一緒に絵を描くか、、、
それも良いかも。



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グエムル-漢江の怪物

THE HOST001

괴물  THE HOST

2002年
韓国

ポン・ジュノ監督・脚本・製作


ソン・ガンホ、、、パク・カンドゥ(父、河岸の売店の店主)
ピョン・ヒボン、、、パク・ヒボン(カンドゥの父、河岸の売店に勤める)
パク・ヘイル、、、パク・ナミル(カンドゥの弟、ヒョンソの叔父)
ペ・ドゥナ、、、パク・ナムジュ(カンドゥの妹、ヒョンソの叔母、アーチェリーの選手)
コ・アソン、、、パク・ヒョンソ(娘)
イ・ジェウン、、、セジン
イ・ドンホ、、、セジュ
ユン・ジェムン、、、ホームレスの男


今日はほぼ貸し切りの雨の公園で遊び惚けていて、帰ってたらふく食べたら、絵まで行かなかった(残。
うちは、立てた予定がすんなり実行されることは、まことに少ない。
明日はどうにかするつもり。

ポン・ジュノ監督「パラサイト 半地下の家族」に次いで2作目の鑑賞。これより13年前の作品。
度肝を抜く傑作であった。
ウイルスでパニックになる状況は、何とも「今でしょ!」
韓国の現状をそのまま怪獣パニック映画に見立てて描いたようにも受け取れるが、移し替え作業としてではなく、もっと普遍的な特殊状況として素直に観るのが一番面白いと思う。
コミカルに上質なエンターテイメントとしてこってり描くところは、この13年後の作品とも変わらない姿勢だ。

THE HOST

ここでも発端はアメリカである。
有毒物質を違法で漢江に廃棄したことから、河に異変が見られるようになる。凶悪なクリーチャーがある日突然河原に出現し人々を襲い始める。このクリーチャーの獰猛で冷徹な造形は秀逸。サイズも人の6~7倍くらいか。そのサイズでの人との攻防は実にスピーディーでスリリングでインパクト充分なものであった(これが馬鹿でかいと、動きや距離感の問題も生じ、こうした稠密な物語は不可能である)。

アメリカはここでも、政府の対処を観ていられないなどと、状況にズカズカ入り込んで来てウイルス説をまことしやかに流し(捏造し)それに対する抗ウイルス・ガスの実験の場として利用する計画を立て強制執行する。クリーチャー~韓国国民が本気で恐れる”グエムル”(怪物)自体を退治する様子は見せない。
その間にもアメリカの狡猾さと韓国政府の頼りなさが、そして事の真相などまるでお構いなしの姿勢が露わに示される。

THE HOST002

グエムルに孤立無援の苦境の中で立ち向かい、やっとのことで倒すのが、河辺の被害者である売店の一家であった。
一家の大切な娘が怪物に捕らわれていて一命が危機に晒されている。その最大の緊急事態~切実な状況に全く聞く耳を持たない警察、人権団体、マスコミ、逆にウイルス保有者として彼らは指名手配され、懸賞金欲しさに騙して警察に売ろうとする職場の同僚すら現れる、、、この件で一家は気持ちはバラバラながら同じ目的の下、強く団結する。
しかし独りで心細い状況で、粘り強くグエムルと闘ってきたその娘も、力尽きて最後にはあえなく死んでしまう。だが、その娘に途中から守られていた幼いホームレスの男子は助かる。

THE HOST003

父と娘を失った一家の兄弟3人が連携でグエムルを倒すところは圧巻であった。
しかし、あの娘がグエムルの口からカンドゥによって取り出されて(まるで分娩の如くに)目を覚ますかと期待したのに、目を開けたのが一緒に出されたホームレスの幼い男の子一人だったのには、正直がっかりした。
カンドゥにとって彼が娘の替わりみたいに新しい家族となるのだが、すんなり受け入れられるものだろうか、、、。


この物語そのものが、韓国に限らず、如何にもある噺である。
グエムルは謂わば、潜在し遍在する(暴走する)悪意の象徴と捉えてよいはず。

THE HOST004

キャストが大変良かった。
空気人形」、「クラウドアトラス」のペ・ドゥナである。やはりここでもとっても素敵であった。
ソン・ガンホの凄さは、ひしひしと分かってきた。
コ・アソンは、今後も注目したい。大した子役であった(今は若手女優であろう)。








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明日からゆっくり

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外に出れない為、室内で色々と片付け仕事を中心にガタガタやっていたが、取り敢えず一区切りがついた。
明日から、ゆっくりと絵を描くことにする。

実は今日も映画を娘と一緒に観たが、つまらなかったのだ。
「フレフレ少女」というもの。新垣結衣なら応援団ものでも面白いかと踏んだが、何のことはなく娘二人はお菓子ばかり食べていた。
正直、これはキツイ。
大体、小説ばかり読んでいる文学少女が、例え野球部員に恋をしたとして、ラブレターを書くまでは分かるが、応援したくて応援部に入って活躍して、、、なんてことで面白いストーリーを作ろうなんて、無理だ。
(個に向かう愛情が、チームや野球というスポーツに向かうには、飛躍がある。というか転換に当たる。全くベクトルの方向が異なるものだからだ)。
ラブレターの文を極めて行き相手の心をガッツリ掴むことに専念するか、その文がどんどん大きく膨らみ恋愛小説を一本仕上げ、それで賞など取ってしまう方向に昇華するとか、、、の方がずっとリアリティがあって物語も稠密なものが作れる。

発想が荒唐無稽だが、噺の内容は驚くほどありきたりで粗雑でリアリティの感じられない子供騙しであった(子供は白け切っていたが)。やはり何で彼女が応援部に入って応援そのものに目覚めるのか、その必然性が感じられないのだ。
まあ、製作側は最初から応援を題材にした映画を撮りたいところから入って行ったのだろうが。
最終的に謳われる応援の精神に行き着くまでの流れが何とも、、、そもそも彼女はどんな文学を読んでいたのだろうか、、、。
「今日はつまんなかったね」と謂われ明日からの映画鑑賞は、危ぶまれる状況にもなった。
丁度この機会に、わたしの生活の流れも変えてみようと思う。

折角だから娘たちと一緒に描くことにした。
クロッキー、素描をしてから、じっくり対象に向かうつもり。
思えば5歳位から、絵や数字は必ず毎日書いていた。

その頃の時間流に乗り移ろうとは考えていたものだ。
今がタイミング的に丁度良い。
ゆっくりと描き始めよう。

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ガールズ・ステップ

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2015年

川村泰祐 監督
江頭美智留 脚本
宇山佳佑『ガールズ・ステップ』原作

石井杏奈、、、西原あずさ(孤独を嫌う、ジミーズ)
小芝風花、、、片瀬愛海(スマホ中毒、ジミーズ)
小野花梨、、、小沢葉月(ぶりっ子、ジミーズ)
岸本環、、、岸本環(ガリ勉、ジミーズ)
上原実矩、、、貴島美香(金髪ヘアーのヤンキー、ジミーズ)
松浦雅、、、倉田結衣(チアリーディング部のキャプテン)
磯村勇斗、、、池辺保(あずさの幼馴染、バスケット部エース)
塚本高史、、、ケニー長尾(ダンサー、ダンスコーチ)
山本裕典、、、大久保慶太(美香の恋人、「ちろりん村」店長)
音月桂、、、藤原涼子(体育教師、ダンス部顧問)


「文部科学省」とのタイアップ企画だと、、、泣きそう(爆。
何とも凄い映画を見てしまったもんだ、、、後悔はしないにしても。

今回は小説を原作としているそうだ。
若い層をターゲットとしたコミックからだと思っていた。
兎も角、娘たちと観てみた(今日もAmazonPrimeで)。カッパえびせんがすすんだ(笑。


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小芝風花は、「魔女の宅急便 実写版」のキキでお馴染みであったが、他のキャストは知らなかった。
確かに皆ジミーズという雰囲気を醸している。
ヤンキー役の上原実矩は、キラッとしていて、、、、他の役も見てみたい。
体育の藤原涼子先生は、一目で宝塚だと分かる芸風が染みついている。この線でずっと行くのだろうか。
「ちろりん村」気に入った。わたし一人ではとても行けないが(娘でも連れて)こういう魅力的な甘味処には行ってみたい。
昔仮面ライダーやっていた美香の彼氏役も如何にもという店長だが実に自然だった。

とっても地味な”ジミーズ”という最下層の人々がいて、最上位にいるチアリーダー部から、思いっきり見下されている。
その”ジミーズ”がそのまま「ダンス部”ジミーズ”」となり、何度かの波乱や解散の危機を乗り越えて結束を固め、大きな大会で見事なダンスを魅せ、光り輝く”ジミーズ”になるまでの過程を描く。

もう、この過程の出来事とかは、SNSで知り合った男に騙された、友達に嫌われ干されるのが怖い、経済的に支えるため家の手伝い、勉強が出来ないため家庭での差別、、、JKならばさもありそうな問題から生じている。
ここらで、共感を覚える人も少なくないかも知れない。

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バラバラになってから、片瀬愛海の純愛騒動で相手の男の会社にみんなで押し駆け、男をけちょんけちょんにやっつけ、皆で抱き合ってワ~ッと泣く。そして浜辺まで行き、皆で大告白大会である(確かに浜辺が一番適当な場所であろう。その後、走れるし)。みんなぶちまけてしまう。そして許し合う。全て受け容れる。カタストロフである。さっぱりして再起動しよう。

鉄板の運びであろう。

ここで、「ことば」がどれだけ人を支えるものか、を皆が再認識する。
肝心なところだ。
「ことば」が如何に大切か。

これから後は、凄いパワーで、ダンスが加速度的に仕上がってゆく。
今まで見下していた名門チアリーダー部が練習とメイクアップに協力してくれる。
(リーダーのあずさがチア部の部長に変な気を使うことを辞めたことで、逆に見直される)。
あずさは、幼馴染の保に好きだという気持ちをスッキリ伝える。
ことばを偽らず、全て開放すること、、、。スポーツや表現において、とても肝心なことだ。

そしてステージへ。
元々踊りの達者な女優さんたちが、そこそこの力でしっかり魅せる。
(もう少し踊りそのものをじっくり観たかったが)。
綺麗に踊れたことは窺わせる。
チア☆ダン」や「フラガール」をちょっと思い出す。これも含めみな良い映画だ。

コーチとの別れ。
練習に向かう彼女たち。
”ジミーズ”の元の意味(蔑称)は、忘れ去られるはず。
「努力賞」のトロフィーが部室に飾ってあった。
初出場では、順当なところだろう。


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これも結構、泣かせる映画である。
ちょっと若返った気になる(爆。





DVD


AmazonPrime版




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3D彼女 リアルガール

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2018年

英勉 監督
那波マオ『3D彼女』原作
高野水登、英勉 脚本

中条あやみ、、、五十嵐色葉
佐野勇斗、、、筒井光 (オタク)
清水尋也、、、高梨ミツヤ (弟)
恒松祐里、、、石野ありさ (友人)
上白石萌歌、、、綾戸純恵 (下級生のオタク)
ゆうたろう、、、伊東悠人 (オタクの親友)
三浦貴大、、、間淵慎吾 (友人)
神田沙也加、、、えぞみち(声)
竹内力、、、筒井充 (父)
濱田マリ、、、筒井紀江 (母)


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コミックからの実写化が多い。
青春オタクものだから猶更か、、、。
形式的には小説よりも実写化はし易いとは思うが、、、。
ここ最近、観た映画では一番面白かった。娘たちと3人で観たが、彼女らもとっても面白かったと、、、。
コミカルな(ギャグ満載の)ラブコメで無理~破綻がない。
キャラの一角を担う、えぞみちのアニメ効果が演出的にも最適であった。
(ここは破れ目なく上手く融合している)。
また、中条あやみは小松奈々や浜辺美波らと同様、出るだけでアーティスティックインプレッションをグイっと上げて、そのまま持っていける人だと思うが、ここでは物語自体も良かった。
2Dワールドに浸りっきりの「人権が湯飲み以下」の筒井が、3Dリアル美少女にマジに恋をして現実世界に生きる決意をする~リア充になる噺?のような。
最初からその線~物語は分かって見始めるのだが、結構波乱万丈で、最後に泣かせるパタンとは言え、実際泣ける(爆。
いや、ホントに。

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このような映画の場合、主役(のふたり)の存在感と魅力が物語の良し悪しを左右するところも大きいが、色葉と筒井のコンビは、息も合っていて、かなりのものであった。しかも脇を固める人々もなかなかのものである。特に伊東くんとか、もう異星人のレベルだ。
われわれは、現実には関わってはならない。2Dの中でのみ生存可能なのだ、みたいなコテコテのオタクカルト教祖顔で筒井に忠告する。
防衛線を張りつつも相手が色葉(中条あやみ)の為、彼女の出方を観ながらコミュ障ながら接してゆく筒井。この辺、いちいち笑える。色葉も筒井は呼びにくいから「ツッツン」にするって、、、何で?そっちの方が呼びにくくないか?
色葉にとっても、初めてのタイプの男子(オタク)であったようだが、もうすぐリスクの高い脳の手術をする身であり、からかってみたら本気でズバッと怒りを返してきたところに純粋さと素直さを感じたのか(恐らく色葉に対して周囲は特別扱いしかしてこなかったはず)。
普通の世界ではいつもちやほやされて現実味のない生活を送って来た彼女が2D命の引き籠もり少年に触れて新鮮でリアルな体験をしたいと思ったのか。
五十嵐色葉 がそんな直覚を得て、外国語にしか聞こえないオタク会話で狭くて濃密な共同体を完結する地底人みたいな「ツッツン」に、自分の大事な時間を託したのか、、、。
「6か月の短い間だけだけど、宜しくね」これに特に筒井は反応しない。

目先のことで目一杯なのだ。
それまでに、デートで彼女が家にまでやってきたり、部屋を観られそれで万事休すかと思ったら、フィギュアを気に入られたり、キャンプに友達と泊りがけで行ったり、かなり打ち解けたり誤解で暫く離れてみたりの一通りのラブコメは熟す。
結局、2人は親和的関係が保てるようになり距離は縮まった。
色葉が魔法の杖を手にしたえぞみちフィギュアを羨ましがるのが印象的であったが、「ツッツン」も僕も同じだと返す(初めて話の合ったとき)。
現実には、魔法がちょっぴり必要なのだ。

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半年なんて直ぐに来てしまう。
彼女は、大変な手術があるのと言って、筒井を置いて去ってしまった。
秀逸だと感じたところは、彼が彼氏になる時に約束したプレゼントを渡すのだが、そのえぞみちフィギュアの魔法の杖の部分が持ってくる途中で破損していた。今度、直したものと取り換えると言ったはよいが、それが果たせないままになる。
彼女と別れて、5年が経つ。
筒井はすでに社会人として暮らしていた。
そんなある日、手術は成功したが過去の記憶を失った色葉に偶然出逢う。
彼女は、自分の過去に過ごした場所を全て一通り巡っていたのだ。
筒井は彼女の現状を主治医から知らされる。
色葉は彼女の幼いころから面倒を見て来たその主治医との結婚が決まっていた。

筒井は、一旦は諦めるが、2D画面から彼を応援するえぞみちの現実はリセット出来ないがリスタートは切れるという言葉に励まされ、色葉のいる式場に向かって走ってゆく。
式場では、筒井のお友達が、彼からのプレゼント~綺麗に直した魔法の杖の入った小箱を色葉に手渡していた。
彼女はその杖を見て、きっと思い出したのだ。

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彼女も式を飛び出して夜の街を駆けてゆく。
そして劇的に(予定調和で)出会う。
ハッピーエンド。
だが、充分に面白かった。
これでよいと思う。







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映画は観るには観たが、、、

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娘二人が家に居座り、超多忙の中、何とか昨日今日と映画はAmazonPrimeで観てはみたが、どちらも破綻したご都合主義で、感想など書くにも書けない代物であった。

まず、ひとつは、、、

Don't Say A Word
2001年
アメリカ

ゲイリー・フレダー監督
アンソニー・ペッカム、パトリック・スミス・ケリー脚本
アンドリュー・クラヴァン『秘密の友人』原作


マイケル・ダグラス、、、ネイサン・コンラッド医師
ショーン・ビーン、、、パトリック・バリー・コスター(強盗団のボス)
ブリタニー・マーフィ、、、エリザベス・バロウズ(精神科に入院する少女)
スカイ・マッコール・バートシアク、、、ジェシー・コンラッド(ネイサンの娘)
ファムケ・ヤンセン、、、アギー・コンラッド(ネイサンの妻)
ジェニファー・エスポジート、、、サンドラ・キャシディ(殺人課刑事)
オリヴァー・プラット、、、ルイス・サックス医師

少女役のブリタニー・マーフィの存在だけが際立つ映画であった。
残念ながらこの才能あふれる女優さんは32歳で夭逝されたそうだ。
(スカイ・マッコール・バートシアクという8歳の娘役で出演していた女優さんも21の若さで亡くなられている)。
この映画、しっくりこない。
リアリティの問題である。

何でこんなに不可思議なストーリーを組まなければならぬのか、、、
奇想天外な噺でも、リアリティや必然性が感じられないものでは、入るにも入れないではないか、、、。
クライムサスペンスであれば尚更、、、。
勿論、これまでにもなんでわざわざそんな手段を講じる必要があるのか、こうした方がずっと堅実で容易で成功率も高かろうにとか思っても、それはそれで面白いから、いいかあ~っというのもあったものだが、折角良いキャストを揃えブリタニー・マーフィなんていう光る人が出ているのに、これはないだろう、、、という残念さが、書く気を奪った。


もうひとつ観た映画がこれ、、、

Lorena Villarreal 監督

Silencio
2018年
メキシコ

ロレーナ・ビジャレアル監督


メリーナ・マシューズ、、、アナ(精神科医)
ルパート・グレイヴス、、、ジェームズ(アナの祖父、科学者)
ジョン・ノーブル、、、ピーター(ジェームズの助手)


飛んでもない事態となった時、これをチャラにしてやり直せたら、と誰もが一度くらい思ったことはあるのでは、、、
わたしは、しょっちゅうだ(爆。

但し、よくあるタイムリープものであると、過去に僅かな手を付けると未来は飛んでもない世界に激変してしまう。
ここでの石を介しての改変は、並行宇宙(マルチバース)への乗り換えのように映る。

過去に戻り何やら細工~調整をして事態を想う方向に替えようと謂うのではなく、突然違う場所にいて、その中で普通に生きてしまっているところから、並行世界に飛んだのでは、、、と受け取ったのだが。
物理的な干渉は一切ないとは言え、ここではそうなっているような感じである。
その上、霊の存在が見える患者さんとかもいて、その霊の謂うことも聴くことが出来、更に彼といることで、自分(霊能力はない)も霊を観るどころか抱き締めたりも出来たりして、、、。そして石に3時33分に思いを念じるとそれが叶う、、、つまり悲しい事故とか事件のない世界のコンテクストに自分が収まっているというのだ。しかもそれが実現した際に、等価交換がなされ、大切な誰かを失うとか、、、。何をもっての等価なのか、どう交換するのか、とか、何やら魔法使いのお伽の国の御話としか思えなくなる。
それをまた妙な科学めいた脚色と演出で物語ろうとするが、ただの白痴的な何でもありの世界が広がるだけでもうとりとめもない、、、。

勘弁して、としか謂えない。魔法の国の御話とでもして、もっと破天荒な物語にでもした方がスッキリ観られるのでは。
ファンタジーとして成立させるならその枠組みの中でのリアリティが感じられなければ物語を信頼して入り込めない。


映画は疲れる。




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Mama

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Mama
2013年
スペイン、カナダ

アンディ・ムスキエティ監督
ニール・クロス、アンディ・ムスキエティ、バルバラ・ムスキエティ脚本
アンディ・ムスキエティ『Mama』原作
フェルナンド・ベラスケス音楽
アントニオ・リエストラ撮影
ギレルモ・デル・トロ製作総指揮

ジェシカ・チャステイン、、、アナベル(ルーカスの恋人、ミュージシャン)
ミーガン・シャルパンティエ、、、ヴィクトリア(姉)
イザベル・ネリッセ、、、リリー(妹)
ニコライ・コスター=ワルドー、、、ルーカス / ジェフリー(兄、投資仲介会社の経営者/弟、画家)
ダニエル・カッシュ、、、ドレイファス博士


今日もまた霊の噺である。ゴシックホラーの世界。(運動不足から胃の凭れる重い噺は避けたい)。
ギレルモ・デル・トロが製作総指揮であるため、迷ったが見ることにした。彼が監督なら迷うことなく観たのだが。
ジェシカ・チャステインがヒロインなら間違いないだろう、という予想も立った。
すでにわたしも「インターステラー」、「ゼロ ダーク サーティー」、「オデッセイ」、「クリムゾン・ピーク」、「女神の見えざる手」で彼女の演技を見ている。優れた作品ばかりだ。

ギレルモ・デル・トロのゴシック調ダーク・ファンタジーはしっかり醸し出されていて、こってりした見応えがあった。
パンズ・ラビリンス」、「クリムゾン・ピーク」、「クロノス」、「 シェイプ・オブ・ウォーター」と同じ系列の映画として堪能できる。
ちなみにギレルモ・デル・トロ監督映画で一番好きなものは「パシフィック・リム」ではあるが(笑。これは仕方ない。わたしのツボなので。

ジェシカ・チャステインの雰囲気がこれまでと随分違って驚いた。

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噺は、投資仲介会社の経営者ルーカスが、共同経営者2人と自分の妻を殺害した上、幼い娘二人を連れて当てなく逃亡を図る。
そして行き着いた森の奥にある小屋で娘を殺して心中でもしようとしたか、、、長女のヴィクトリアに拳銃を向けたときに何者かに襲われ消え去る。
その為、幼い二人の少女は森にとり残されたまま何者かに育てられて、5年後に、ルーカスの弟のジェフリーの依頼で兄の捜索に当たっていた男たちに救助される。
二人の少女はオオカミ少女となっていた。
姉は父と離れた時が3歳くらいであったが、妹は生後間もない時期であったことから、人の文化的な生活に馴染むのは困難であり、何より身体的接触を嫌った。
しかし姉の学習力は高く、すぐに引き取られた ジェフリーとアナベルとコミュニケーションを言語によりとることが出来るようになり、生活にも馴染んで行った。妹は、食事や睡眠、歩行も人の習慣を取り込むことは難しく、人との距離はなかなか縮まらなかったが、言葉は理解し自らも片言を喋るようにはなる。

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ジェフリーとアナベルは、子供(姪)の親権を巡って伯母のジーンと闘争中でもあった。
彼らは劣勢であったが、子供たちに興味を示しているドレイファス博士から住居を提供されたことで親権を得て、二人の面倒を見始める。しかし、なかなか懐かず手を焼き、邸宅に潜む何者かの強い気配と気味の悪い物音~子守歌、などにも悩まされることとなった。
そう、二人を育てて来た何者かが一緒に引っ越してきたのだ。
壁の黒い染みからは蛾が這い出て舞い、そこから何者かが素早く出入りしていた。
(この虫やクリーチャーの作りは紛れもなくデル・トロ調だ。”Mama”の作ったヒト型人形もまさにそれ)。

二人が、”Mama”と呼ぶその何かに興味を持ったドレイファス博士がヴィクトリアの催眠分析から、その真相を探り出してゆく。
一方ルーカスは、壁の染みから現れた”Mama”に二階から下に突き落とされ入院となる。
アナベルひとりで、大分懐いて来たヴィクトリアとまだまだ難しいリリーに、暗躍する”Mama”もいるなか家を任される。
心細いなかで、ある夜観た余りに鮮烈な夢が、彼女がある女性であり、引き離された赤ん坊を修道院から取り戻し、人々に追い詰められ絶壁から子供を抱いたまま飛び降りるというものであった。
これは、ドレイファス博士の前でヴィクトリアが語った話(”Mama”から聞いた噺)と重なるものである。
その女性こそ”Mama”であった。
博士も公文書館で集めた資料からその真相に気づき、証拠を押さえるために2人が見つかった小屋を調べに行くが、”Mama”に殺されてしまう。

入院中のルーカスも兄が娘たちを助けてくれとある場所で指をさす夢を見る。
トンネルの傍のその場所を彼は特定し、病院を抜け出し車でそこへ急ぐ。
アナベルは博士の行方が分からなくなったことで不審を覚え、彼のオフィスからこれまでの調査資料と”Mama”イーディスの娘の遺骨の箱とVAIOを持ち去り、彼が突き止めたものを確認する。
この時期、ヴィクトリアだけでなくリリーもアナベルに懐き始めたことで、イーディスは怒りを露わにしていた。
また再び、自分が大切に思う娘を取り上げられるという怒りであろう。

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イーディスは、アナベルに襲い掛かるもヴィクトリアに止められるが、二人を連れ去ってしまう。
アナベルは博士の残した地図を頼りに森の小屋に辿り着く。その途上でルーカスとも合流する。
そして小屋に行くとその先に断崖があることに気づく。
そこのまさに縁に母イーディスと二人の娘がいるのだった。

最初は、イーディスは素直にアナベルの渡す娘の遺骨を受け取り、崖へと戻ろうとした。
しかしその瞬間、リリーが”Mama”と連呼するのだ。
この声に激しく動揺したイーディスは、かつての娘の遺骨を投げ捨て、再び二人を連れてゆこうとする。
ルーカスもアナベルも恐ろしい力により、それを制することが出来ない。
ふたりとも連れて行かれるところで、ヴィクトリアはここに残ると涙ながらに”Mama”に訴える。
ヴィクトリアはアナベルを選んでいた。彼女の方に母を見出していたのだ。
イーディスの激しい形相は変わり、ヴィクトリアの気持ちを尊重する様子を見せた。
だが、リリーは明らかに”Mama”と行きたがっているのだ。
彼女と過ごした5年間は、リリーの愛着を決定づけるに充分であった。
イーディスの彼女への愛情も偽りのないものだった。

Mama005.jpg

アナベルとヴィクトリアが必死にリリーの名を呼ぶが届かず、二人は崖から身を投じて消えてしまう。
そこから青く煌めく美しい蝶がヴィクトリアのところに舞って来るのだった。

とても耽美的で重厚な絵であった。










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オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主

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Odd Thomas
2013年
アメリカ

スティーヴン・ソマーズ監督・脚本・製作
ディーン・R・クーンツ「オッド・トーマスの霊感」原作
ジョン・スウィハート音楽
ミッチェル・アムンドセン撮影


アントン・イェルチン、、、オッド・トーマス
アディソン・ティムリン、、、ストーミー(彼女)
ウィレム・デフォー、、、警察署長
ググ・バサ=ロー、、、ヴァイオラ(親友)
メリッサ・オードウェイ、、、リゼット(友人)
ニコ・トルトレッラ、、、ヴァーナー巡査(悪魔崇拝者PODメンバー)
カイル・マッキバー、、、エクルズ巡査(悪魔崇拝者PODメンバー)
シュラー・ヘンズリー、、、ボブ・ロバートソン(悪魔崇拝者PODメンバー)


アトランティスのこころ」に子役で出ていたアントン・イェルチンが大きくなって主演で活躍。
アディソン・ティムリンとも息の合った演技で、一緒に一気に駆け抜けるといった感じの作品であった。

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オッドは、死んだ人~霊魂が見えるだけでなく、彼らが自分を殺した犯人を伝えに来る特異な立場の人である。
伝えに来られては、動かない訳にもいかない。
警察にとっては、役に立つのだが、面倒なこのとも多い為、警察署長しか知らない。
勿論、彼女のストーミーは知っており、色々と相談に乗ったりしている。
平穏な暮らしを送るために、自然に見えてしまう悪霊オダッハも見えない振りをして過ごす。
多くのアメリカンヒーローと同じく、その能力は重宝ではあるが、市井の人々には煙たがれたり胡散臭いものと見られている。

オダッハという存在が面白い。
オッドのような能力者にしか見えない、人の死ぬところに集まって来るクリーチャーだ。
このCGは上手く出来ている。
これから大量殺人を企てている人物などには、予め山のようにオダッハが群がって纏わりつく。勿論、当事者には感知されないが、オッドにははっきり見えている。
それから、たまにオダッハが見える人間が他にいたりもするが、不用意にそれを他人に話したりすると、すぐさまオダッハに憑依された人間によって殺されてしまう(例えばドライバーに乗り移り轢き殺されるなど)。
かなり気を遣って生活することになる。

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オダッハがうようよと大量に集まるということは、大量虐殺が行われることを意味した。
街全体を巻き込むほどの大事件がオッドには予想された。
オッドは、特別な情報系があるためその危機は可視的なのだが、他の人々には今一つ実感も伴わないが、これは仕方ない。
ハッキリ見える者と、見えない者との間には、どうしても埋めがたい認識の差は生じるもの。

死後も滅びない精神的な実体が前提とされている映画は多い。
ついでに魔物も付属する。ここではオダッハ(如何にも凶悪そうな物の怪)。
実際に、こんなモノが見えてしまったのなら世界観は一変するだろう。


犯人が誰で、どこでどのような殺戮が起こるのか、、、。
幾つかの事件~殺人を経ながらその真相を徐々に詰めてゆく。
警察署長にも漸く事態の深刻さが分かりかけたところで、身近な人間に狙撃される。
身内に犯人が潜んでいたのだ。それも複数。
(最初からとっても怪しかったのだが、、、)。

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とても面白いのだが、若干話が縺れるというか、粗さを感じるところはある。
コミカルタッチでスピーディーなところは、良い。
(その分、怖さは微塵もない。霊が出るとか言っても「ハンナプトラ」の監督である。ゴーストバスターズ系に近い)。
だが、最後の大詰めは、力がこもっていて思わず持って行かれた。
CGに相当お金もかかっていて迫力がある。
畳み掛ける緊張感もあり、オッド・トーマス独りでよく頑張った、というところで一件落着。

最後はハッピーエンドに終わったかとこちらも安堵しかけたところで、残り時間を見ると微妙なのだ。
すると、やはり悲しいどんでん返しと相成った。
こういう形で収束するとは、思ってはいなかった。
終盤まで、かなり能天気な展開であった為、そのまま行くとばかり思いこんでいたのだ。

彼が死んだ者の霊が見えるということの最も悲しい面がエンディングとなった。
そうか、彼女があの惨状から静かに立ち上がった時に全て分かっていたんだ、と思うと、わたしも胸が締め付けられてしまったではないか。
アントン・イェルチンとアディソン・ティムリンの演技が真に迫って切なすぎる。
この反転には、やられた。

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