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GOMA28

Author:GOMA28
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黒い箱のアリス

BLACK HOLLOW CAGE003

BLACK HOLLOW CAGE
2017年
スペイン


サドラック・ゴンサレス=ペレヨン監督・脚本

ロウェナ・マクドネル、、、アリス
ジュリアン・ニコルソン、、、アダム(アリスの父)
ハイデ・ライサンダー、、、エリカ(ポールの姉)
マーク・ピゲネル、、、ポール
ウィル・ハドソン、、、ディビッド(エリカのサディスティックな恋人)

父が暴漢にバッドで殴り殺される場面から始まる為、不穏な空気が張り詰めている。
舞台は、鳥の囀りが心地よい静謐な森の中のシンメトリーが基調のモダンな邸宅。
自然を室内に大きく取り込む機能的デザインで、大変開放的な構造である。
しかし長く続く通路~廊下は、閉塞感を覚える、2階はないかなり広い敷地を要する建築だ。
壁にはジャクソンポロック調のアクションペインティングの抽象画が飾ってある。

セリフは大変少なく、説明的な動きや流れも全くない。

アリスが右手を失っていて義手を装着している。
義手を思いのままに動かす練習をもどかしそうにしているのだが、、、。

BLACK HOLLOW CAGE004

母も娘と同じ(自動車)事故で亡くなっており、犬に会話出来るモニタを装着して喋らせているように見えるが、これは明らかに犬の思考ではない。
どういう装置なのかと謂うレベルではなく、母の脳を犬に移植してモニタから声を出しているだけか。
だとすれば画期的な医学の成果である。その水準でみると、義手がやけに稚拙なテクノロジーに窺える。

そしてブラックキューブが忽然と森の中にある。
これは何か、、、。ここだけ突出した未来を醸す。
アリスの謂うように、一種のタイムマシンか。
このマシンを仲立ちとしてアリスは、異なる時間流にいる彼女自身と手紙や音声データのやり取りをする。
いや、それだけでなく、アリスの意志に従い大きく口を開けて、これに入り込んで過去を大きく改変してしまう。
それを何度か繰り返す。一体何でこんなものがここにあるのか、などの説明は一切ない。
これは飛んでもなく革新的なテクノロジーであり、どうも水準の差の激しいテクノロジーが混在してあるようだ。

BLACK HOLLOW CAGE001

アリスは普通の女の子と謂うより、未来のイブのようなイコンか。
ソフトマシン的なエロティシズムを体現している。
このアリスの存在で、無機質で機能的な空間が、耽美性を帯びる。
喋る白い犬にしても、そうだ。但しモニタが如何にも前世紀的なお粗末な作り~デザインであったが。
エリカもその役を担う要素はあったが、余り深く絡んでこない。

淡々と殺しが何度も行われる。そして再度、戻ってやり直す。
アダムの運転する車が原因で、彼の妻と相手の車の夫婦が死に、アリスが右手を失ったという。
その死んだ夫婦の子供がディビッドであり、その恋人のエリカとその弟のポールが協力して、敵討ちをしに来たのだ。
アダムがこうして普通に暮らしていることから、彼は法的には裁かれる対象ではなかったのか。

仇討ちを未然に抑えるために、キューブの自分の未来のメッセージに従い動いてはみるが、それが殺害ともなると、実行は難しい。
弟を殺してみたが、姉に殺されたりと、やってはみたが、冷徹にはなれず自分も殺されてしまう。
父アダムと異なる時間系のアリスが相談した結果(どうやって実現できるかはさておき)、父の事故の日に彼女が戻り、先にカギを捨てることにする。

アリスが颯爽とキューブに入ったところで、エンドロールへ。
確かに戻れるのなら、殺しで解決するより、事故を起こさぬに越したことはあるまい。

BLACK HOLLOW CAGE002

アンドロイド的な魅力に溢れるアリスが長い家の中を移動したり、究極のテクノロジーの塊の漆黒のキューブの中に入るところなど、やはり不思議の国のアリスの殺伐とした未来版といった感じである。

神学的要素を抜き詩情を薄めソフトマシン的な意匠を凝らしたタルコフスキーみたいな感覚で観ることが出来た。
心地よい時間を過ごしたものだ。
わたしの好きなタイプの映画ではある。









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インシディアス 序章

Chapter 3 002

Insidious: Chapter 3
2015年
アメリカ

リー・ワネル監督・脚本・製作


ダーモット・マローニー、、、ショーン・ブレナー(父)
ステファニー・スコット 、、、クイン・ブレナー(女子高生、娘)
、、、エリーズ・ライナー(霊能者)
スティーブ・コルター、、、カール(霊能者)
リー・ワネル、、、スペックス(心霊捜索隊、記事・デッサン担当隊員)
アンガス・サンプソン、、、タッカー(心霊捜索隊、テクノロジー担当隊員)
ヘイリー・キヨコ、、、マギー (親友)
テイト・バーニー、、、アレックス・ブレナー(弟)
マイケル・レイド・マッケイ 、、、酸素吸入用マスクの男


ここでは、スペックス役のリー・ワネルが、監督・脚本・製作までやっている。
第一章の前日譚。ランバート家と関わる前のことが描かれる。
ここで、エリーズとスペックス、タッカーのトリオの誕生の経緯も分かる。

Chapter 3 007

夫を失ったエリーズ・ライナーは憔悴し心霊業界から引退していた。
しかし彼女のかつての噂を聞いた女子高生のクインが亡き母との交信の依頼に家まで訪ねて来る。
エリーズは、すでにクインが自分で交信を試みていることを感じ取り、彼女の身の危険を察知し、それを止めるよう忠告する。
クインの呼びかけに近づいて来たのは母ではなく、彼女を獲りこもうとする強力な悪霊であった。

Chapter 3 006

悪霊に目を付けられたクインは、自動車事故に遭い両足骨折の重傷を負う。
退院後の自宅静養中に彼女は何度も悪霊に襲われる。
(恐怖と言うより見ていても大変痛い目に合う~散々なものだ)。
徐々に彼女は悪霊に獲り込まれてゆくのだった。

不用意に彼岸に向け死者に呼びかけると、他の死者たちも皆それに注目するようだ。
そのなかでも特に質の悪い霊に気づかれると厄介なことになるケースと謂えるか。

Chapter 3 003

ショッキングなシーンは、両足骨折で首にギブスを嵌めているにも拘らず、立ち上がり脚でベッドを蹴飛ばし、ギブスを外し暴れ回るところだ。折れている脚でギクシャク歩くところが痛々しい。そしてナイフを手にして自殺しようとした瞬間に皆で飛びつき彼女を押さえるのだが、その彼女の口の中に魔物の目が覗いて光っているのだ。
怖いというより気色が悪いし、痛い。
この映画、全体に怖い要素は然程ないが、ヒロインが骨折していて身動きできずにベッドに寝ているのにいちいち投げ飛ばされたり無理やり立たされたりするため、ともかく痛々しい。こちらまで痛さを感じてしまうのだ。

Chapter 3 004

悪霊は生者の肉体を奪って生き返ろうとしたり、魂を獲り込んで闇の世界に引き釣りこもうとするという。
強力な悪霊に対し、カールがエリーズを鼓舞する「生きているのだから君の方がずっと強い。」という言葉が印象に残る。
彼女はこの言葉を頼りに果敢に悪霊に立ち向かってゆく。

やはり悪霊と闘うには、霊界~彼岸に飛ぶことが必要となる。
心霊捜索隊のスペックスとタッカーを助手に使いエリーズは、亡き夫になりすまし彼女を獲り込もうとする狡猾な魔物も退治する。
自分は生きているから強い、ということと、自分の死期を予め知っていることが彼女の強みであろう。
であるから、身の危険に出逢っても「今はその時ではない」ことが分かる為、怯まない。
エリーズはランバート家のジョシュに憑りついた最凶の悪霊に殺される運命を知っている。
(そして霊となっても、スペックスとタッカーと組んで活動を続けていく(第二章)。考えてみれば面白い霊能ヒロインだ)。

Chapter 3 001

クインがエリーズらの呼びかけに応えて、悪霊の酸素吸入器を剥ぎ取り、口から砂を吐いて消滅させ、この世に帰還する終盤シーンは気持ちよい解決であった。

第一章、第二章、序章を経て「インシディアス」が深みを増し、ドラマとして豊かなものになったと謂える(まだ四章を残すが)。
ここでしっかり実質ヒロインのエリーズのひととなりが描かれてゆく。
現在76歳の女優が奮闘する姿がチャーミングで、この一連の作品でオカルトホラー界?での地位も確立したのではないか。

そして何よりもこの作品の世界観の特徴は、この世と彼岸との連続性である。
彼岸に当る場所が連続性をもって存在するということ。
霊能者であれば、この世から彼岸にいとも容易くカンテラを掲げて訪ねて行けるのだ。
つまり死後とは何か。
時間を失った場所に移動すること、、、らしい。

Chapter 3 005










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インシディアス 1, 2

Insidious001.jpg

Insidious 1,2
2010年、2013年
アメリカ

ジェームズ・ワン監督
リー・ワネル脚本

パトリック・ウィルソン、、、ジョシュ・ランバート
ローズ・バーン、、、ルネ・ランバート
タイ・シンプキンス、、、ダルトン・ランバート
アンドリュー・アスター、、、フォスター・ランバート
バーバラ・ハーシー、、、ロレイン・ランバート
リン・シェイ、、、エリーズ・ライナー
リー・ワネル、、、スペックス
アンガス・サンプソン、、、タッカー
スティーブ・コルター、、、カール
トム・フィッツパトリック、、、パーカークレイン


取り敢えず、今日「インシディアス」第一章、第二章、序章の3章をこの順で観てみた。
繋がりが厳密で、映画として手堅くよく出来たものに思えた。ホラーではあるが。


わたしにとってホラーは、日常には味わえない刺激を求めるのと同時に、あまり深い人間関係とか制度の歪みが引き起こす暴力関係などで重くなりたくないときに、所謂お化け屋敷やジェットコースターに乗りたい気分で時折観てみたくなるものだ。
演出が特徴的であり、突然の大音響や血飛沫や怖い顔(悪霊)の出現、場面転換などでショックを与えてくる。
確かに気分転換には良い刺激になろうというもの。
(ただし暗い場面が多くて観難いのもこの類の映画には多く、そこはストレスにもなる)。
AmazonPrimeで観れる範囲で観ている(笑。

Insidious002.jpg

この映画は特に各キャラの肉付けがしっかりしており、ストーリーは第一章と第二章で一作品と謂える内容となっており、一章の出来事(怪奇現象)の理由・原因が二章で明かされる(ものによっては、第三章~序章で分かる)伏線回収が周到になされた構成となっている。

狡猾で油断のならぬ霊が何やら悪事を働くのかと思っていたのだが、物凄く病んで狂った霊が纏わりついて命を狙うという内容であった。
また霊になった後も人助けをする霊というのも他に観た覚えがない。
ただし、わたしは霊と言うものを信じていない(笑。
これを言ってしまっては、この映画そのものの否定に繋がるので、その件のついてはとやかく言うまい。
霊とか、霊界~彼岸を前提とし、その上に成立する映画である。
所謂、物質界に作用を及ぼす想念の世界を思い切り描いているものだ。
彼岸(ここでは彼方と言っていたか)を時間のない場所と定義していたが成程と思う。

Insidious004.jpg

幽体離脱でこの世界~現と彼岸を行き来する能力を無意識的に使っていた父子がそのせいで悪霊に取り憑かれ、家族や霊能者たちが協力して除霊の為奮戦するという噺か。
それにしても夢を見ていると思っていたら幽体離脱であった、というのは恐ろしい。
子供であれば変とは思わぬか。これはありそうで怖い。
最後の最悪の霊をやっつけたのは、自らも死んで霊となった霊能者であった。

引っ越したばかりの家で赤ん坊のベッドのモニターに入って来る不気味な声が何やら喋っていたり、ポルターガイスト現象が多発し、この家には悪霊が取り憑いているわと怖がる妻。
おまけに最愛の長男が事故で昏睡状態に陥る。
普通ポルターガイスト現象など起きればこのルネのように家を疑うと思う。
息子の件もあり思い切ってまた引っ越すが、新しい家で直ぐに同様のことが起きる。

家族一丸となって問題に対処しなければどうにもならない場合、ネックとなるのは感覚的にどれほどその現象を察知出来ているかである。対象に対する認識に差があるとお互いに信じ合うことが出来ずに見える世界がバラバラとなる。ここが大きい。
(何を信じるかの闘いでもある。人は自らが信じるモノをのみ見る)。
悪霊もの映画はここでよく人間関係がもつれる。というかそれをストーリー立てに組み込む。この映画も同様である。

そこで、前の家の悪霊たちが一緒に引っ越してきたのだろうというところで、夫の母ロレイン・ランバートの懇意である信頼のおける霊能者エリーズ・ライナーに助けを求める。所謂、共通認識の為の権威を呼ぶ。
「心霊捜索隊」というコミカルなサービス業者がまずやって来てテクノロジーで出来ることを色々と試してゆく(隊員のスペックスはこの作品の脚本家である)。
そしてこれがテクノロジーでどうにかなる範囲でないことが分かるとエリーズのお出ましとなる(システムのトリオ編成なのだ)。

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悪霊が家ではなく長男のダルトンに憑いており、彼の状況は昏睡状態ではなく、幽体離脱であることが明かされる。
肉体を残し幽体だけで長くいると、死者や悪霊に肉体を乗っ取られてしまい、帰ってはこれなくなるという。
タイムリミットとの闘いとなる。
死者を呼び出すと他の死者にも聞かれるという。死霊が寄り集まって来てこぞって蘇りを狙うというのだ。
彼岸とはそういうところだったのか、、、。時の無い世界というのは考えただけでも確かに恐ろしい。

結局、父ジョシュもダルトンと同じ年頃にエリーズによって救われていた。そしてその当時の記憶は消してもらって日常に戻っていた。
今回は、エリーズの助けによりダルトンは彼方から連れ戻されたが、助けに向ったジョシュに取り憑いて来てしまった最悪の悪霊は、それによって殺されたエリーズの霊により退治される。
この辺の切迫した闘いはこの世と彼方の同期で展開し、とてもよく出来ていた。
彼方での悪霊とのバトルは凄みがあってスリリングである。
(この世界での取り憑かれた者もかなりの腕力をもつようだが)。
印象に残ったのは「生きている者は死者より強い」ということで、確かにそうであったが、エリーズは霊となって更に強くなっていた。
二章でカールというかつてエリーズと組んでいた霊能者がエリーズと交信を図り彼女の助けを借りるために彼方に飛ぶ。
彼方ではそこに飛ばされたジョシュも助けを求めていた。そこにすでに亡くなっているエリーズが現れ活躍するものだ。

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パーカークレインという男がサイコパス殺人鬼であり、母からの虐待で恐ろしく精神を病み、命令に従い女性の殺害を続けていた。
母から男であることを認められず女の子として育てられ、自ら性転換をしてICUに入院していた患者でもあった。
女装して次々に女性の殺害を繰り返して来て、死んだ後に幽体離脱してやってきたランバート家父子二代にわたり目を付け、肉体に入り込んで殺人をまた始めようとしていた。
この大元の母親を倒すことで、ランバート家は漸く救われる。
彼方に残されたジョシュとカールは自らの意志で彼方に飛んだ息子のダルトンの案内で戻って来ることが出来た。


スペックスとタッカーコンビは、相変わらず霊現象から来る禍のお助け隊をやっているが、ここには霊のエリーズも加わっていた。









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ある少年の告白

Boy Erased001

Boy Erased
2018年
アメリカ

ジョエル・エドガートン監督・脚本
ガラルド・コンリー『Boy Erased: A Memoir』原作


ルーカス・ヘッジズ、、、ジャレッド・イーモンズ(同性愛の少年)
ニコール・キッドマン、、、ナンシー・イーモンズ(母)
ラッセル・クロウ、、、マーシャル・イーモンズ(父、牧師)
ジョエル・エドガートン、、、、ヴィクター・サイクス(チーフセラピスト)
ジョー・アルウィン、、、ヘンリー
グザヴィエ・ドラン、、、ジョン
トロイ・シヴァン、、、ゲイリー
テオドール・ペルラン、、、ゼイヴィア
フリー、、、ブランドン(施設の指導員)


トロイ・シヴァンが出てるぞ!これでこの映画の注目度も上がるというもの(笑。
「この映画で誰かの命を救えることを確信した」使命感により出演したという。
ニコール・キッドマンがなんとも老いていた(悲。とても良い母親役だが、、、。
ジョエル・エドガートンは、これまでかなり俳優としては観てきている。
ここでも狂信的なセラピストを演じており説得力ある演技だ。実際このタイプの人は結構いる。


キリスト教はこれまでも聖書の解釈で、宗派が分かれてきたが、LGBTに対する姿勢で(アメリカプロテスタント教会の)分裂が起きているという。
つまり、同性愛婚を容認しようという教会もかなりの勢力をもつということだ。

Boy Erased003

伝統的な教会においては、同性愛は悔い改めるべき罪である。
ジャレッドは、高校時代に何となく彼女はいたが、親密になることが何故か出来なかった。
しかし大学に入り自分が男に対して性的な興味があることに気づく。
「僕は男に惹かれるんだ」と両親に告白して、彼らをフリーズさせる。
父が牧師であることからも、彼は即刻、矯正を受けなければならぬ対象となる。
父とその友人がジャレッドの身の振り方を決めてしまう(母はそのやり方に懐疑的であったが)。

ジャレッドは母親の送り迎えで、同性愛矯正プログラムの施設に通わされる。
キリスト教の信仰心にかこつけ罪の意識を植え付け高圧的に自己否定を迫るプログラムである。
違う人間~人格になれ!と。
「同性愛は選択の結果だ」(この前提となる決めつけがミソ)生まれつきの同性愛者はいない、、、つまり神は同性愛者は造らなかった、、、お前の選択は神の意志に反すると。
「お前は罪人だ」と叩き込む。そして改心せよと。
施設のプログラム実践内容は一切口外しない約束。トイレにまでスタッフが監視し、持ち物は全て施設預かりで、日記や携帯メールを読み問題個所を破棄させられるなど、人権も個性も何も認めずあるべき姿に矯正することのみに特化した矯正施設である。暴力で、あるべき~神に愛される~人間に、なったふりをさせる(みんなふりをせざるを得ない)。
告白と家系図作りも強要される。
これらも既にあるモノや隠していることが暴露~発見されるのではなく、罪の捏造を行う制度として機能するのだ。
(この手の罠は、日常生活のあちこちに見られる)。
これに絡めとられてゆくうちに、無力感から人は妙に従順になってしまう。

Boy Erased004

精神を病む者がいてもおかしくない。自殺者も実際に出てしまう。
しかし結果的には、このような極端な環境に置かれたことで、自分をとことん内省し、この生き方しかないことを強く悟ることとなったのだと思う。少なくともジャレッドは、自分が正しいと自覚出来たのだ。
窮地に追い込まれたところで、自分を認めることが出来た。
そもそも意識レベルで同性愛者に成れる訳などなく、その身体性を抑圧・疎外するプログラムは最初から破綻している。
ジャレッドは、携帯を取り戻し、勢いづいて「お母さんに言っちゃうぞ!」と連絡し、母に助け出される。
(母は、ヴィクター・サイクスに言いたい放題の苦言をぶつけ、息子を車に乗せ走り去る。天晴れ)。


それはそれで良いが、最後に父に対して、僕は変わらないけど、僕を失いたくなければ父さんが変わるしかない、と言い放つ。
自分が変わらないことは認めさせたうえで他者が変わらないことを非難するのは危うい。
父さんは、ゲイそのものが教理に反するからというだけでなく、生理的に受け付けないのだ。
これは自分が男は良いが女の子は受け入れられないのと同じ次元のことであろう。
どちらも身体的に不可能なのだ。その点での対称性は保たれている。
父さんは性の問題はさておき、息子を愛していることに対しては嘘はない。愛していても趣味が合わない事は普通にある(趣味趣向のレベルではなく、もっと深い問題であるとはいえ)。

Boy Erased005

そう、性は死よりもヒトにとっては本質的なものだ。
それを認めて欲しいということは、そのまま僕という存在を丸ごと認めてくれ、を意味しよう。
これは切実な願いである。

その本質における違い、それがそのまま他者性(の問題)であろう。
親子と言っても他者としての認識は避けられない。
違いを認めつつ折り合いをつけてゆく線が創造的な生き方なのでは、と思う。
お父さんが、ゲイ自体は無理だが、お前がゲイであることを知った上で、愛しているよという姿勢でも、この先に進めるのではないか。そのうちに、髭の生えたお相手(伴侶)を連れてきてその現実に立ち竦みながらも、受け入れてゆくことになるはずだ。
困難を伴いはするが、これこそが神の与えた試練という風に捉えられないか。

Boy Erased006

性の問題はそのまま他者性に直面する。
それがよく捉えられていた。


施設でジャレッドが気になっていた同性愛の女の子とのドラマは特になかったのだが、この辺からの発展もあったら面白かったかも。
実話だから、ないのならそれまでだが。お互いに気になっていた様子なので、何らかの引っかかりがあったはずなのだ。
しかし縁がなくてそのまま立ち消える関係というのも世の中には多いもの。
ちょと勿体ない気がした。









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皇帝ペンギン ただいま

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L'empereur
2018年
フランス

リュック・ジャケ監督

まず、撮影チームに対し讃辞を送りたい。
極寒の地で長いスパンで、40歳を越えるパパペンギンにフォーカスして撮り続けることは、さぞや大変であったのでは。
皇帝ペンギンの生態を見事に捉えた非常に貴重な映像に思える。
主人公がベテランパパで子育て名人というところが素敵(笑。
一面の氷河の世界も神秘的で圧倒される美である。

子育ては闘いである。
というところにまず同感。というより激しく共感(笑。
1か月ほど前に観た「イクメン・オオカワウソ奮闘中」をも想い起してしまった。
皇帝ペンギンも夫婦で子育てに勤しむ(いや卵を温める段階から過酷な試練に耐える)。
あの強面のカワウソパパ・ディアブロも随分しんどい子育てであったが、こちらの(名前は付けられていない)パパも疲労困憊のハードワークに明け暮れていた。

Lempereur003.jpg

海辺からかなり離れた雪原~氷の上で雛を育てているのに、餌は遠くの深海に潜って捕って来るのだ。強風に煽られたり、氷の裂け目などの罠も避けて、その往復が一苦労。
だが食欲旺盛な子供の為にせっせと狩りに出かける。
一度潜ると水の中では自由自在のしなやかな泳ぎっぷり。陸上とは打って変わり別人のようだ。
しかしうっかり泳ぎに興じている間に海面が氷に覆われていたりする場合もある。
突然出口なしではシャレにならない。自然は一時も気を許せないものだ。

寒くて吹雪くなかを亀の甲羅みたいに集まって凌ぐ姿は痛々しい。
天敵にも襲われる。変な大きな黒っぽい鳥だが、何という鳥だか忘れた。
その鳥に雛が襲われている時も嘴で応戦するとかはせず、ただ身を挺して守ろうとするだけで反撃はしない。
(ここは獰猛なカワウソと違い、いたって紳士的である)。
歩く姿も遠くからシルエットで見ると、哲学者みたいな思慮深さと気品が窺えたりする。
確かに嘴もそれほど頑強で大きくもなく、手足においては仮にファイティングスピリットがあっても使えるものではない。

だが優雅な美の表現なら断然、皇帝ペンギンである。見た目も黄色と黒の引き締まった姿で優美であるが。
お互いの律動を同調させてゆく秘めやかで静謐なダンスは、人間の舞踊にも見られない程の美しさであった。
彼らの気品や威厳がもっとも現れる場~時であろう。
半面、親たちの鳴き声~呼びかけは、結構突拍子もないデカくて剽軽な音でちょっと笑いを誘うものだ。
海鳥の声に似ている。

雛は両親のお陰で、親よりも大きく育ち体重は間違いなく親を越していることが分かるまでになる。
だが、まだ自分では何も出来ない。過保護で育った肥満児みたいだ。
親とはまるで異なる姿でモフモフした愛らしい姿で憎めないものだが。

Lempereur001.jpg

ここまで育ったところで、驚いたが、献身的に子供を夫と共に育て上げて来た母がどこかに去って行く。
何故だか理解できなかったが、夫と妻で何度も何度も挨拶をしてから名残惜しそうに吹雪のなかを去って行くのだ。
雛もお辞儀をしながら声を張り上げているが、振り向きもせずやがて風の中に彼女は姿を消す。
暫くの間、父は雛と共に過ごすが、彼もまた雛を残して吹雪の中を去ってしまう。
この光景には思わず胸が詰まった。

僅か数頭の親ペンギンが指導者のように雛の集団を見守り先頭に立って群れを率いる。
(彼らは皆、背中で物事を教える)。
海辺を目指すのだ。しかし泳ぎや狩りなど何をかを特に教えるでもない。
まだ、親の精悍な姿に変態していない。この状態で泳げるのか心配になる。
指導ペンギンもいつまでも彼らと共にはいない。
雛が大人の真似をして冷たい海に自力で飛び込むまでのこと。
そこから先は、何も分からなくても自分たちでやってゆくのだ。

Lempereur004.jpg

3日かかって漸く一頭の雛が水に飛び込む。
それにつられて次々に入水してゆく。
完全に素人泳ぎだ。
だが、スイッチがすぐに入り、親と同じように泳ぎ始めるのだろう。
そして精悍で美しい皇帝ペンギンの姿にいつしかなっているのだ。


とても素敵なドキュメンタリーであった。







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あるメイドの密かな欲望

femme de chambre001

Journal d'une femme de chambre
2015年
フランス・ベルギー

ブノワ・ジャコ監督
オクターヴ・ミルボー『小間使の日記』原作

レア・セドゥ、、、セレスティーヌ(小間使い)
ヴァンサン・ランドン、、、ジョゼフ(ランレール家、使用人)
クロティルド・モレ、、、ランレール夫人
エルヴェ・ピエール、、、ランレール(主人)


小間使の日記』(1964年)のリメイク(その前、1946年のアメリカ映画「ジャン・ルノワールの小間使の日記」もある)。
前作とはだいぶ違う。特にジョゼフとの関係性。酷い男には描かれていない。
(彼が地下反ユダヤ組織の運動家であるところからも、ナチス登場以前から如何にユダヤ人が全ヨーロッパ的に嫌われていたかは分かる)。

femme de chambre003

森で殺された少女の扱いもこちらは、素っ気ない。ほとんど広がりをもたない小さなエピソードで消える。
セレスティーヌの怪しい魅力という点では互角か。
主人に対し毒づくことはするが、鍵穴から世界を見る批判性はさほど感じない。
(ここは、ジャンヌ・モローの前作の方が強かったと思う)。
奴隷とほとんど変わらない小間使いの在り方とブルジョワ~支配層の滑稽さ低俗さ醜悪さは描かれてはいるが。
寧ろわたしとしては、セレスティーヌに寄り添い彼女の喜怒哀楽~その表情の移ろいに同調し共感して行く体験であった。
ミルボーの狙う「実存的嘔吐」(サルトルか!)まで射程が届いているかは、レア・セドゥ個人に魅了されてしまい、良く分からなかった(爆。

femme de chambre002

恐らくそこを突く映画にはなっていない。
セレスティーヌの魅力を描くものだ。
純真さと悪魔的なものの同居。
利発で自尊心のある強かな女性、その生き様である。
まさにその点において成功作であろう。

そして何であれ、生きる希望に繋げてゆく。  
だがそれは、これまで彼女が求めて来た自立と誇りと自由とは異なる、女性~恋愛の路か、、、。
ブルジョワ支配を巧みにかわして、ジョゼフとなら新たな世界を生きることが出来るという。
よく言えば、原作を換骨奪胎した新たな作品とも言えるか、、、。
(映画とは、その形式上そうなるしかないが。この場合は思想的にも)。











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デジタル・スーパースター列伝 闇の世界の超人たち

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2011年

クーロン黒沢 監督

ミスターPBX
田中さん
Kaz


わたしは、ここまでアキバのコアな客では無かったので、独特の語り口のうちに紹介された通の店はどれも知らない。
紹介されている超人も知る人ぞ知る有名人らしいがわたしは存じ上げない。
特に一人目のミスターPBXという人は、電話マニアということで、接点がまるでない。凄いとは思うが、わたしはほとんど電話使わないし。衛星回線の電話をいつも6台くらい鞄に入れて持ち歩き、公園でデンマークとかに電話しているのだ。
携帯キャリアも6回線契約しているという。
そして無料でかけられる国際電話を探り当てたり。その関連の友達も多いみたいである、、、友達がいなければ電話もかけられないが、、、これをやるための友達みたいだ(笑。

二人目の、ファイル共有で何でもダウンロードするんだという田中さんという方は、その部屋が圧巻だった。
二台のモニタの前に座り、通常は3台のパソコンを起動しっぱなしで、色々と落とし続けているらしかった。わたしも常に3台のパソコンを365日動かしっぱなしでいるが(他に娘たちも3台つけっぱなしでいるので、6台動きつづけてはいるが)、彼の場合、パソコン前に座禅した達磨のように見える。半ばこの世と隔絶しつつ、この世の最も新しいファイルを片っ端ダウンロードするぞという教理の宗教家みたいでもあり、壁面は見えず全てネットで購入したものが箱に入ったまま所狭しと(ホントに狭い)パズルのように積み上げられ内側のもう一つの壁を形成しているのだった。雑然としているが電脳籠もり堂とでも謂えるか。大きな地震で一度、第二の壁の一部が崩れ落ちたそうだ。インタビュアーで監督のクーロン黒沢氏(この世界の有名人だそうだ)が一番上にある直撃したら死を免れないシロモノを指して地震対策はしないのか、という問いに対しそんな興味はないとあっさり返すところに、オタク道の覚悟のほどをみた気もした。


これは、相当にマニアックな人でないとついては行けぬ内容ではある。特に電話については、、、。
しかしわたしも秋葉原に無縁では勿論ない。
毎週(土か日に)必ず秋葉で降りて、パーツや周辺機器を漁り、値段を見比べて購入し、その足で神保町までお気に入りコースを辿って行き、お目当ての古本屋を10件ほど巡り、時には全集を丸ごと買ってデカい袋を3つと紐で縛られた本を下げて汗ビッショリで駅まで歩くというような行を続けていた時期もあったものだ。

パソコンを本格的に弄り始めて35年になるか。
最初に買ったパソコンが、富士通のFM8だった(笑。究極のパソコンとか言われて売り出されていたっけ(爆。
8ビットパソコンである。アプリケーションもなかったわけではないが、1万円以上するものを買ってもまるで使い物にはならなかった。
必要なソフトは、ベーシックで自分で書いたもいのを使っていた(勤め先で楽をしたいがためにプログラムを書いて効率化を図ったのだが、それを同僚にみつかり、他の人の仕事もそれでやることとなり、仕事が逆に増えたこともある)。使い始めて不都合な部分はその都度ブラッシュアップしたりデバッグしてゆき、、、繋いでいたが、やがて企業が製品を出したので、職場全体としてそれに移行した。
プログラミングは、そこそこ面白かったが、やはり性能の良いパソコンでしっかり作り込まれた大きなアプリケーション上で、モノづくりすることが断然、楽しい。あくまでも仕事ではなく!趣味で遊びたい!
ビデオで撮った映像を編集処理したり、2D画像加工処理をしたり、3D画像(これは少し後にワークステーションをショップBTOで購入してMAYAをインストールしてからのことだが)に一時期凝ってみたり、音楽編集や制作をアタリから移植されたCubaseをMacで愉しんだ。この時期がわたしのパソコン黄金期であった(笑。今は、こんな書き込みと調べものしかしていない。

しかし当時は、パソコンは高い。高すぎた。今考えてみると、企業にパソコン開発費を貢いでいた形であろう。
初期の頃は、無計画に評判の良いエイスースの基盤とか(モニタもエイスースはとても良かった)を買い集め、自作もした。自作に憧れてではなく、パソコンがその時代は今の10倍以上の値段であったから、せめて自作で何とかしようと必要に駆られてのことであった。しかしシッカリ調べずに安いパーツなどを買いそろえてしまったことから、結局一台完成させるところを、3台作る羽目になったものだ(爆。危うく職場の友人に一台持って行かれそうなこともあったが、、、それでもメーカーの完成品を買うよりコストは抑えられたか、、、。
しかし結果的に3台あるお陰で、色々と実験が出来て大変助かった面はあった。やけに3が続く、、、。
(ランケーブルをマンションの部屋に張り巡らせていて、友人に何かのアジトみたいだと言われたこともあった)。
特にワークステーションの時は、ショップの店長と綿密な相談を重ね高品質で最適なパーツを一つづつ選んでBTO構成した。(このワークステーションは今でもあり、洗濯機のような爆音でちゃんと稼働する。電気喰うので滅多に起動しないが。XPだし)。


この映画と何の関係もないことをついつい綴ってしまった。
ドキュメンタリーに何度も出て来た、「コピー合戦」をショップで見かけたことはなかったが、怪しい台湾や韓国の人が路上で不法コピーのCDを束で売っているのは何度も見かけた。一本で30万くらいするソフトも含め、高いソフトが20本は入ったものが1万円とかで売られていた。サクラのおじいちゃんがいて、これを動かすためにMac一台買っても損はないよ~と、ニコニコ宣伝していたものだ。
路上でMacを積み上げて売っていた光景は、差し詰めバナナのたたき売りであった。今思うとそこで、Macintosh IIcxとMacintosh Color Classic IIは買っておけば良かったと後悔している。どちらも1980円だった(苦。中古になるとホントにゴミ同然だ。

Macintosh IIcx
Macintosh ColorClassic

小さなパーツショップも幾つもあって、それは薄気味悪くて面白かった。
漫画に出てくるような風貌の~フランケンシュタイン博士~みたいな人が、ボサボサ頭でひたすら基盤を弄っていたり、それはもう一種の地下世界でドキドキしたものだ。随分パーツや周辺機器はそういうところで買ったものだ。
いつだったか、、、秋葉原の夏の夕暮れ時に、草履に七分丈ズボンを履いたお父さんが片手に大振りのスイカ、もう一方に Color Classic IIを同じように紙紐で縛って下げ、階段を登っていた姿が時折思い浮かぶ。
その光景に、何故かとても嬉しくなったことを覚えている。
アキバとして脱臭され、コスプレとかメイド喫茶とかいうものが出来始めてからと言うもの、一度もそのかつての聖地に足を踏み入れたことはない。
アキバではなく秋葉原のこの映像を見せられたことで、あの頃の秋葉愛がちょっと蘇った、、、。

秋葉原のもう一つの愉しみは、と言ってももうほとんど忘れてしまったのだが、ラーメン屋とカレー屋である。
これが結構美味しくて混むのだ。わたしは時間を微妙にズラして入った(ズラし過ぎると閉まってしまう)。
ブロ友の「花音」さんが以前の記事で書かれていたことがあるが、買うものを買ってほっとする場所でもあった。
懐かしい。彼女はご夫婦で来られていたそうだが、わたしは独身時代のかなり昔のことだ。

わたしは、昔の秋葉原~神保町がとても好きだ。
ということに気づかされた一本でもあった。




これは恐らくPrimeでないと観れないと思われる。
ここのところ10本くらい連続でPrime視聴である。




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SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬

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2018年

相原裕美 監督

鋤田正義
布袋寅泰
ジム・ジャームッシュ
山本寛斎
永瀬正敏
糸井重里
リリー・フランキー
クリス・トーマス
ポール・スミス
細野晴臣
坂本龍一
高橋幸宏
MIYAVI
PANTA
是枝裕和
立川直樹
高橋靖子
箭内道彦
その他、、、


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デビッドボウイのイメージは全て鋤田正義の写真を通したものであった。
マーク・ボランもそう。
イギー・ポップもそう。
ルー・リードの印象を決定付けたアルバムジャケットも。
YMOも。
サディスティック・ミカ・バンドの、あの「黒船」のジャケット!
わたしの好きなロックアーティストのイメージのほとんどは、鋤田正義を介して生まれたものであった。

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マークボランと謂えばこの写真だ。鋤田以外のボランの写真の記憶はない。
ボランに逢いに行ってボウイに出逢い、40年以上の親友の関係であった(ボウイの死まで)。
そしてイギーポップに出逢い、彼のもっとも信頼できる写真家となる。
表情豊かな役者のようなイギーの写真は、鋤田のものだけだ。

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そしてボウイが発見したルー・リードにも出逢う。
ルー・リードのサウンドを具現化したシャープなジャケット写真はどれも鋤田によるもの(彼のもの以外もあるが)。
考えてみれば、ルー・リード程、ジャケットのアートワーク(写真)とサウンドとルーの人となり~イメージが一つに融合したアーティストがいるだろうか。ニューヨークの孤高の詩人である。
ローリー・アンダーソンとの貴重な写真もあるということは、やはりかなり親密な間柄でもあったのだろう。
写真の腕前だけでなく、その時代を担うようなアーティストといとも軽やかに親友関係になれるその人格~人間力には敬服するばかりである。

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山本寛斎の鳶職人が履くニッカポッカを元にデザインした大胆かつ華やかなボトムを身に纏ったボウイは鮮烈であった。
この時期、ボウイは京都に惹かれてゆく。
そう、ボウイは日本のクリエーターによりイメージが磨かれ、それを鋤田正義が見事にイデアに昇め世界に広めた。

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忌野清志郎は断然、鋤田正義の写真がカッコよい。飛び抜けて素敵だ。
こうして優れたアーティストたちの写真に触れてゆくうちに、彼らをイメージするその元の像~イデアは鋤田のポートレートによっていることに気づかされる。
彼の世に出した画像がわれわれがそのアーティストについて想う~考える無意識のイデアとなっていたのだ。

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映画には一度も出てこなかったが、戸川純もこの人のフィルターから立ち現れて来たのだった。
とても魅力的なアーティストである。この頃、彼女の曲やパフォーマンスにかなり浸っていたものだ。
鋤田はこのようなアーティストをいち早く探し出せる才能にも恵まれていたのだろう。
縁を上手く生かして芋づる式に飛び抜けた存在を次々に見出し、それを写真で永遠に残してゆく。
写真家としては最高の仕事ではないか、、、。

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鋤田正義とは、、、
わたしの(いや世界中の人にとっての)ロックアーティストのイメージを作って来た人であり、彼らを永遠の存在にした人である。
次から次へと出てくるアーティスト(その多くがすでに故人)やプロヂューサーの面々が実に多彩で凄い個性ばかりだ。
楽しいだろうな、、、とつくづく思う。





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TAKUMI AI時代にモノづくりは生き残るのか。

Takumi 004

Takumi – A 60,000-hour story on the survival of human craft
2019年
アメリカ

クレイ・ジェター監督

木内 繁男(“金剛組”宮大工)
中東 久人(料理旅館“美山荘”主人)
小島 奈保子(切り絵アーティスト)
菅沼 克明(LEXUS田原工場 品質管理部)


匠の姿~その存在価値をAIとの対比を通して描いてゆく。
(理論的にというよりイメージ的なものが大きいか)。
西洋では“専門家”となるためには1万時間の経験を要するとされているが、日本の匠はその道を究めるまでに6万時間をかけるという。

LEXUSからの配信だそうだ。
LEXUSも30周年を迎え、その記念ドキュメンタリーとして製作されたのだという。
「ニューヨークで開催されたドキュメンタリーフィルムフェスティバル「DOC NYC」において、メディア向けに限定公開された54分の通常版」とのこと。
それで納得した。
最後のLEXUSの品質管理責任者が匠と繋がるところがいまひとつピンとこなかったのだが。
勿論、手でボディを触って微かな(0.3㎜くらいの)ズレ、傾き?歪みを検出できる能力は凄いものだが(これって修行によって獲得できるものなのか?)

Takumi 002

オリジナルが60000時間のドキュメンタリーだそうだ、、、。www.takumi-craft.comにて配信。
AmazonPrimeでは、それを54分に編集したものをやっていた。
その尺でなければ見ることは不可能(笑。
60000時間とは、匠となるまでの修行を重ねる時間、その過程である。一日8時間励んで、30年間という時間となる。
実際、どのように配信されているのか、、、。
確かに54分版ではあっさりしている。ひとつのものの制作過程を最初から最後まで、こってり観てみたい気はする。

Takumi 001

AI時代にモノづくりは、どうなってゆくのか。そのまま残るのか、変質を余儀なくされてゆくことになるのか、例えば技術面はAIが支援して匠はキュレーターの立場として残るとか、、、そうした場合、ほぼ企画者であり監督である。
それは、LEXUSの最終管理監督に近い気もする。
“金剛組”は、何も変わらないことで、体制をしっかり維持してきたという。

Takumi 005

“金剛組”はもう1400年続く会社である。
これだけで充分、驚異に値するが、宮大工のカンナをかける姿が、これまた味わいがある。この姿は不変であろう。
“美山荘”主人の料理の素材を山に入って摘む姿。何でここまでメルヘンなのか。ちょっと童話の世界みたいであった。
切り絵アーティストは、わたしも度々見るにつけ驚くばかりであるが、この小島 奈保子さんは切り絵を彫刻にまで強度を高めてゆく。
和紙という素材に、制作の段階から徹底して拘る。これをもって匠というのも面白い。芸術家であることは謂うに及ばぬが、匠と呼んでも良いではないか、、、。
最後の最終品質管理を任されている菅沼 克明氏も匠の風格を感じるが、LEXUSはこのレベルで品質が保たれているという宣伝でもあろう。単なる工業製品を超えた品質ということか。匠の作る工芸品の域だと。

Takumi 003

全てCMのような美しさで幻想的に撮られている。
匠たちが、とても凛々しく美しいのだ。
それぞれの匠の独自の考えも述べられており、貴重に思える。
しかしあくまでもイメージビデオである。
「AI時代にモノづくりは生き残るのか。」に関する掘り下げた考察などは特にない。

Takumi 006








はんなり

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GEISHA MODERN
アメリカ
2005年

曽原三友紀 監督・作詞(エンディングテーマ)
「はんなり 心のふるさと」エンディングテーマ


アメリカ映画でこれだけのドキュメンタリーが描けるのは、監督が日本人?だからか。
(これまでに海外~に限らず~映画の「芸者」の描写はほとんど悲惨なものであった)。
恐らく京都5花街文化に近い位置にいる(精通した)人なのだろう。
京都の5花街に深く潜入して、花街全体を隈なく捉え精確に伝えようとしているところが貴重に思えた。
ここまで入れるのは、確かな目的意識をもっていて、かなりの知識が無ければ無理だ。
芸妓、舞妓、仕込み、置屋の女将、お茶屋の女将、着物や帯、扇子職人、5分で彼女らに衣装を着せる男衆、踊りの師匠、振付師、大夫、、、そして趣深いお座敷、それぞれの部屋、街角も含めどれも色濃く描写されていて解像度が高い。

「お茶屋遊び」など縁のないわたしにとって、垣間見た秘密の(隠された)文化は、時折TVで観たことはあるが、かなりエキゾチックに感じられた。
自分が普段、日本文化から遠い生活を送っていることを実感する。
それで余計に、この環境を彩る装飾面での職人の技には魅せられる。
超絶職人の技を堪能することが大好きなわたしにとって、彼らの手作業の様子は、もう少し見たかった。
技と言えば着物を舞妓さんに着せる男衆の手際も見惚れるものがある。
芸妓さんたちも、踊りだけでなく、華道・茶道・楽器そして日常の立ち振る舞いも含め、日本伝統文化の担い手として日夜その習得に励んでいる。これは大変な立場でもある。始めたきっかけは街で見かける舞妓さんが綺麗だったから、というものが多かったが。
ここに出てくる人々誰もが、芸の道を究めようと弛まぬ努力を重ね、人格をも陶冶されてゆく姿は美しい。
(女将さん衆は特に精神面を強調していた)。

GEISHA MODERN002

花柳界をまだ幼くして選んだ動機や現在のプライベートも紹介されていて興味深いものであった。
かなり多忙な芸妓さんがジャズシンガーとしても活躍しており、海外にも積極的に出てゆき、英語の習熟に意欲を燃やしているのも驚いた。女将さんたちも伝統をしっかり守りつつ、時流にも対応し芸妓さんの主体性~創造性を尊重している姿勢は素敵だと思う。
もっとも、女将さんたちもパソコンでHPを立ち上げ募集やらなにやら全てウェブ上で処理していたものだ。
伝統を残すだけでなく、新時代にそれを開放して行こうという姿勢も、一般の人に歌や楽器を教えるなどの教室に窺える。

ただ面白かった~意外であった~ところは、芸妓の舞う舞踊のうたは、みな男が作っているということ。
女性の恋焦がれる切なさや、恥じらいなどの仕草も含め、繊細な踊りとうたを演出するが、その踊り~うたの意味を彼女らに伝えて理解してもらうのが一苦労だそうである。舞台を見ているととても自然で理にかなった流れにしか見えぬが、時にそんなあほなと否定されることもあると。彼女らは皆、舞踊のうたのようには思わない~感じないという。
その女性像の物語は、男の女性に対する願望であり理想像に過ぎないという、踊りの師匠の見解であった。
ちょっとがっかりした(笑。
ここの部分では彼女らは純粋に型として踊りを習熟してゆくのか、、、。芸術家、舞踏家というよりアスリート寄りの気もする。


全体に見て印象に強く残るところは、、、
踊りや芸に縁のないわたしにとり、所作や佇まいの美しさである。
特に年配の女将さんの動きの洗練された無駄の無さは、そのまま芸術とも謂えるか。
(踊りの、動きの強調と単純化による洗練を経た様式美に関しては確かに惹き付けられたが)。
そして踊りの稽古に励む芸妓さんの滝のように流れる汗に、戸惑うような美を感じた。
(やはり和装の女性のアスリートのような汗はシュールですらある)。







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ヤン・ファン・エイク

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Jan van Eyck

先日ヤン・ファン・エイクの開閉式パネル絵24枚からなるゲントの祭壇画の特集を日美でやっていた。
少し前から話題にはなっていたが、あの中央に立つ”子羊”の顔が人面(異星人にも見える)であったとは、、、。
TVで見て、改めてびっくりした。
修復があたかも秘宝の発掘に思えるのだ。
ヤン・ファン・エイクの文字通り再発見であろう。
(番組ではファン・エイクの情報が出て来たと言っていたが)。
しかし肝心なところで、かなり微妙な感覚を味わう、、、

Jan van Eyck002

どう見ても、加筆修正されてしまったついこの間までの子羊の方が「羊」であった。
普通の羊にしては神聖で凛々しかったが、所謂羊には違いなかった。
それが分厚い修正層を剥ぎ取る修復作業により、全く異なる子羊が立ち現れたではないか。
修復に当たった人の驚きの表情が目に浮かぶ。

しかし、あの超写実主義のヤン・ファン・エイクがよりによって何で羊を人面化~擬人化するのか、、、。
勿論宗教的な意味等あるのだろうが、やはりその他のモノの描き方から謂ってもそこだけが際立つ。
驚くべき細密描写に加え、空気遠近法による空間表現も、金属や鏡の反射、反映、光学を研究した上での光の屈折を正確に描き込むなどにより、世界の質感を余すことなく描写し尽くすヤン・ファン・エイクである。
ここで改めてTVでも充分わかる遠方の空は明らかに空気遠近法の先駆をなしていた。
レオナルドより早い。
透明絵の具の塗り重ねで光の乱反射を呼ぶ層の効果は、バルテュスに多用される。
軽い筆さばきで、ある距離で驚くべき質感を現出する技法は、ベラスケス、フェルメールへと繋がる。
見ることの科学を追求した最初の画家と謂えようか。後継者がレオナルドとも謂えるか。
だが、単に科学的な追及だけでないことが、この羊に表れていた。
意図はまだ分からない。

Jan van Eyck001


そもそも、、、
このヤン・ファン・エイクの描いたベルギー、ゲントの聖バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊」が600年を経て70%まで加筆されてきたということ自体脅威である。
ナポレオンに奪われ、ヒトラーに略奪され、酷い損傷を受けながら修復を繰り返されてきたが、時代の風潮に合わせて図像まで描き替えられしまっていたのだ。
日本でも自然災害で水にやられ黴の生えた絵画の修復が細心の注意を払い最新の技術によって進められているが、それはオリジナル(原画)を守り維持するための作業である。

今回の修復で多くの加筆修正箇所が露わにされた。
風景の遠景の建造物の一角が丸ごと消されていたり、馬の顔が変わっているとか、かなり加筆修正が成されていたが、主役の子羊の変貌にはただただ唖然とする。
冒涜(犯罪)とも謂えるほどの描き替えだ。

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後世の人間によって手を加えられたものを「それ」と思ってきた者にとって、制作当初の姿が出現することによる当惑は小さくない。
単なる感動とは異質の何かであったりする。

この新たな子羊は取り分け、趣深い。
大概、後世に加筆された部分は醜く、剥ぎ取られたことでオリジナルの神々しさが解き放たれるのだが、この微妙な感覚はなんだ。
間違いなく、ヒトの目である。両眼視差の可能な、前面に配置された目になっている。
彼はここに何を込めたのか、、、

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丸い凸面鏡に自画像を大きく映り込ませている。
超絶技巧を愉しむかのような絵画。
わたしにとって、ヤン・ファン・エイクと謂えば小学校時代から、この絵であった。




チチを撮りに

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Capturing Dad
2013年

中野量太 監督・脚本


柳英里紗、、、東村葉月(長女、フリーター)
松原菜野花、、、東村呼春(次女、高校生)
渡辺真起子、、、東村佐和(母、宝くじ販売員)
滝藤賢一、、、西森徹二(叔父)
二階堂智、、、西森正高(父)
小林海人、、、西森千尋(異母兄弟)


「お父さんが末期癌でもうすぐ死ぬそうだから会いに行って、ついでにその顔を写真に撮ってきてね」と母に頼まれ、父の実家に姉妹で汽車の旅に出る。
父さんとは、14年前に女を作って家を捨て出て行ったきりで、妹の方はほとんど記憶にない存在であった。

姉妹が着いた時にはすでに父は亡くなり、葬式に出るだけになってしまった。
向こうの弟家族と異母兄弟とのやりとりがみられるくらい。
父の相手の女性も7年前に出て行ってしまい、4年生の男の子が独り残されたかたちとなっている。
この男の子がやけに礼儀正しい。
(確かに他人の中で暮らしてゆかねばならないし、普通の4年生のような振る舞いも出来ないのか)。

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この子は、弟家族に育てられることとなろうが、、、。
父の弟所謂叔父はまだしも、叔母は他人である。
すでにふたりの幼い娘を捨て、次の息子も独り残し、子供が育てられない宿命の?父親である。
しっかり育てられていれば、4年生なら何とか大丈夫だが、母親が幼年期にどれだけ愛着の上で有効に機能していたかどうか、直ぐに出て行ってしまうわけだから、怪しいところであるが。

別れ際にどうしようも無くなったら、お姉ちゃんたちが逃げ道になってあげるからといってその小さな少年に名刺を手渡すと、涙をぽろぽろ落としていたところからして、もうすでに充分辛い思いを重ねてきていることが見て取れる。
どうやら葉月の想定より早めに連絡が来てしまうような感じがするが。
お姉ちゃんのところも母の手ひとつでやって来ている。
余裕はない。他人の面倒までみれまい。
葉月がキャバレー?でバイトをやっていて貯金しているそうだが、東京に一人住まいするためだそうだ。

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子供がいなければ、家庭崩壊しても基本的に問題は少ないが、すでに子供がいる場合は、きっちり子供に対する責任を果たす必要がある。少なくとも小学校くらいまでは家庭が安定していることが望ましい。
幼年期の一生を決定づけるもっとも大切な時期を考えれば、別れるというなら(生物学的に見ても)母親が引き取った方が良い。
しかし昨日の映画のイリナ・イオネスコみたいな女性では、もう無茶苦茶にされてしまうことから一概には言えないが、通常は直接的身体の関りから母の方でなければなるまい。施設よりは父がぴったり寄り添うことが可能なら父で補える部分は少なくないが、どちらかと謂えば父は10歳を超えてからが寧ろ出番となろう。

この東村家の場合、なんやかやとやりあってはいても、母がしっかりしている分、救われている。
快活な良い娘に育っているではないか。
じぶんをもって活き活きしている。
それで分かるというもの。
親の都合で子供をないがしろにしたり利用したり、ストレス(トラウマ)の処理対象に子供を消費していない。
愛情をかけているかどうかが全てである。
子育ては、それしかない。

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映画については、如何にも身近にありそうなエピソードで綴った日本映画という感じの流れであった。
ロケ地からしてそうであるが、全編にわたりノンビリしており、刺激も抑えられていて観易かった。
キャストがおかあさん以外、みな微妙であった。
よく出来た大学の文化祭の映画みたいだった。







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ヴィオレッタ

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My Little Princess
2011年
フランス

エヴァ・イオネスコ監督・脚本
ベルトラン・ブルガラ音楽
フランソワ=ルノー・ラバルト美術


イザベル・ユペール、、、アンナ(写真家、ヴィオレッタの母)
アナマリア・ヴァルトロメイ、、、ヴィオレッタ(12歳の娘、モデル)
ドニ・ラヴァン、、、エルンスト(画家、アンナのパトロン・理解者)
ジョルゲッタ・レアウ、、、マミー/バアバ(ヴィオレッタの曾祖母)
ジェトロ・キャーヴ、、、アップダイク(パトロン、シド・ヴィシャスがモデル?)


今日も写真家の物語。
イリナ・イオネスコ(ルーマニア系フランス人)の作品は学生時代、いくつか見ており、家にも探すと何冊か写真集はある。
(直ぐ見つかるはずだが、後にする)。
シュルレアリスムとゴシックの融合みたいな評価が成されていたと思うが、多くは娘を被写体とした少女像である。
イリナ・イオネスコ独自の様式美で描かれた幼い少女のエロティシズムは芸術的に昇華されているものだが、世間的に物議をかもし敵は多かったであろうことは納得できる。
何より娘は巷に写真集が出回り、同年代の子供や教師から色眼鏡で見られていた。
そこから来る虐めや嫌がらせに耐え、何より母親との確執、葛藤、闘争に明け暮れなければならなかった。
子供らしい遊びを友人としたことがなく、母親も母親としてすべきことは何もせず、娘を利用し自分の作品作りに専心していた。
何度も母親から逃げ出す場面が印象に残る。
このモデルとなっていた娘が実体験~実話をもとにメガホンをとった作品。

My Little Princess004

一言で謂えば、虐待の連鎖、である。
この監督が、自分の代で止めなければなるまい。
非常に過酷な人生を送った末であろうが、この映画を撮ることが大変大きな意味を成したであろうことは想像がつく。
繊細かつ大胆にそして克明に自らの歴史を描きあげている。大したものだと思う。
ここまで自分と母との関係を対象化し描写出来たということは、次の(異なる)場所にアイデンティティを移すことに成功したのでは。
恐らく、自分の子供への負の連鎖は断ち切れたであろう(子供がいるかどうか知らぬが)。
そう祈りたい。

わたしも人生の殆どすべてを、それに蕩尽してしまった。
果たして自分の生をどれほど生きることが出来ているかは怪しい(笑。
愛着障害に加え虐待である。
大抵、こうした「家」のなかの問題に関しては(仮に気の利いた識者がいたとしても)他者は容易に入り込めない。
まず部外者に理解は不可能だ。
独りで長い時間を費やして誰の力も借りずに自分を取り戻してゆくしかない。
経験上、それ以外の路は考えられないものだ。

My Little Princess003

物語の中でも幼いながらも必死に戦ってはいるが、親の庇護下から抜け出せる歳ではない。
ここが何より大きい。
その関係性が如何に不快で苦痛であっても抜け出すことが社会的に出来ない。
そしてその関係性のなかで培われてしまった身体性を再構築する場~機会がほとんど見出せない。
そのまま持ち越して長じると、今度は周囲から親からなされたと同等の扱いを受けることになる。
この悪無限反復から脱するに、このような作品を作る有効性はとても高いと思う。

ヴィオレッタが母アンナの出生に纏わる悲劇(近親相姦による望まれぬ出生であったこと)を知り混乱し更に母を遠ざけよとするところは強烈であった。アンナという巨大な闇に圧倒され距離を置くしかなかったのだろう。
恐らく母は幼少時からの大きなトラウマを識域下に抑圧し、内省の機会もないままにただ突き上げてくる欲求に身を任せ芸術を盾に高圧的に娘を思いのまま操って来たが、その彼女の無意識の暴力は、ヴィオレッタにとっては途轍もない虐待以外の何ものでもなかった。

My Little Princess002

エンディングでも、母はついにそれに気づくこともなく、収容所に逃げ込むしかなかった娘に何食わぬ顔で面会に訪れる。
「ヴィオレッタ愛しているわよ」という母を尻目に、彼女は収容所の窓から外に逃げ出し、何処までも走って行く。
この逃走する彼女の姿がとても清々しい。


共感するしかない映画であった。
この救われない映画で、恐らく監督は解放されたのではなかろうか。


キャストは素晴らしい。音楽もかなり良かった。
アナマリア・ヴァルトロメイが他にどのような作品に出ているのか気になる。
際立った子役であったが、健やかに育って活躍して行って貰いたいものだ。







ソール・ライター

Saul Leiter001

Saul Leiter

「何を手に入れるかではなく、何を捨てるかだ」
まさに。
わたしも常にそうありたいとおもいつつ、捨てるところまでいっていない。
つまらぬものにしがみついている。
(わたしはコレクション癖が強く、モノで自分を支えている部分が大きい。支えている部分が足を引っ張るところもある)。
N-1を基本におきたい。

bunkamuraでも日曜美術館でも特集されていたが、Saul Leiterがクローズ・アップされている。
AmazonPrimeでも彼の映画があり、滅法評判が良い。

わたしがこの写真家を知ったのは、最近のことだ。
確かにインスタでも「ソール・ライター風」のスナップの流行りを見た気がする。
ちょっと雰囲気を真似しやすいか。とても洒落て見えるし、、、。
ストリート・スナップということからも、お気楽に入って行きやすいかも知れない。

Saul Leiter006

「外で働くのが好きだ」
有名ファッション誌の花形フォトグラファーであったが、室内での食事会~社交界が面倒だったのか。
やがて、背後からスポンサーたちの余計な注文が飛び交うようになり、さっさと華やかな世界から抜け出てしまった。
名声~名誉を捨てる勇気であろうか。 

しかし、偶々横切った板に遮られたモデルなど意表を突くファッション写真など、華々しい活動をしていたころも偶然を取り込んだ(チャンスオペレーションした)風通しの良い世界を沢山提供してきた作家である。
そのテクニックは、一線を退いた後もより洗練されていたようだ。

Saul Leiter003

イーストビレッジの毎日の同じ風景のなかに、異化された光景を捉える。
絵を描いて、コーヒーを啜り、散歩する道すがら、上から覗き込んだり、大きなカーテン(天蓋)の下に切り取られた明るい光景であったり、雨の降る中、雪の積もる中、雨滴に包まれた窓から見た通りであったり、、、「つまらないもの、単純なものの美」を、彼ならではの視点から切り取ることをルーチンとして暮らしていた。

わたしも写真を趣味で撮っていたころ、ガラスや水面の反映は面白くてよく撮っていた。
映り込みにも拘ったものだ。
それから雨の日の風景も好んで撮った。月時雨の光景など妖気も漂いウキウキしたものだ。葛飾北斎みたいな調子になる。
そういえばソール・ライターのカラースナップにもそんな風情を感じるところがある。
何よりも構図の妙である。
わたしも構図とフレーミングにはかなり注意を払った。

しかし彼の、「三分の一構図」のような、分割構成は考えなかった。
小さな区画に密かな謎~物語を発生させる。一つの方法論の発見か。
全体の片隅、この小さい場所に誘うことに、ウキウキする面白さがある。
フレーミングばかり気にし過ぎて、内側の構造はほったらかしていた。
その意識でファインダーを覗けば、切り取る空間は全く異なってくるはず。
やってみたい(笑。

Saul Leiter005

そして「ポイント・カラー」である。
日常の何でもない光景がひとつの色にフォーカスすることで、シンプルにビビットに再構成される。
それは激走する車のボディのレッドだったり、黄色いドットにもなり、雪の中の真っ赤な傘であったり、赤と黒にシックに構成された街角であったりする(昨日の映画もこの赤と黒の世界が際立っていた)。
ある色の強調により、シンプルにしたりぼかしたり、かなりの自在さである。

「窓の水滴の方が有名人のポートレートなどよりよっぽど面白い」
わたしの場合、その有名人が誰かにもよるが、確かに水滴の表情の作る光景の方が精神が解放される。
斬新な見方~特殊な世界を圧しつけられるのではなく、名状し難い郷愁と心地よさを感じるだけ。
自我がない。スッキリする。

Saul Leiter002

だが、繊細で知的な妹のモノクロ写真は、彼の他の写真とは異なる。
ユダヤ教の厳格な学者である父に従い聖職者としての路を歩んでいたが、大学を中退し芸術家になる決心を伝える。
すると父は、小説家か画家なら良いが、写真家だけは最低の職であり、それだけは禁じるということであった。
ユダヤ教は偶像崇拝を認めない為、他人を写真に撮ること自体がタブーなのだ。
確かにそれでは、写真家にはなれない。

最初は彼も画家を目指すが、やがて趣味でやっていた写真に傾いてゆく。
そういう時、ただ一人彼に味方し、支持してくれたのが妹のデボラであったという。
当然、彼(と妹との関係)の濃密な物語がそこに凝縮してくるだろうし、写真も軽やかなものにはなり難い。
妹は30代で精神を病み病院に収容されて戻らなかったそうだ。
妹のポートレートだけは異質で感情的な響きがある。

Saul Leiter007

彼は富みや名誉とは全く関係しない場所で撮り続けた写真家であると言える。
見るからに、とても良い顔をした人だとつくづく思う。

彼の作風を真似する人が増えているようだ。
真似をすることで、彼の思想~方法論が身体化するだろうか。
そういった、形から入る方向性もあるかとは思う、、、。





永遠のソール・ライター




All about Saul Leiter ソール・ライターのすべて





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パラサイト 半地下の家族 -2

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Parasite
2020
韓国

ポン・ジュノ監督・脚本
ハン・ジンウォン脚本

ソン・ガンホ、、、キム・ギテク (半地下に棲むキム一家の父)
チェ・ウシク、、、キム・ギウ(ギテクの長男、4年間大学受験をしている)
パク・ソダム、、、キム・ギジョン(ギテクの長女、美大を受験希望)
チャン・ヘジン、、、チュンスク(ギテクの妻、元ハンマー投げメダリスト)
イ・ソンギュン 、、、パク・ドンイク(高台の豪邸に住むIT企業の社長)
チョ・ヨジョン、、、ヨンギョ(ドンイクの美人妻)
チョン・ジソ、、、パク・ダヘ(ドンイクの長女、受験生)
チョン・ヒョンジュン、、、パク・ダソン(ドンイクの長男、ADHD的)
イ・ジョンウン、、、ムングァン(パク宅の家政婦)
パク・ミョンフン、、、グンセ(ムングァンの夫)
パク・ソジュン、、、ミニョク(ギウの友人、大学生でアメリカに留学)


スタジオセットですべての空間を作っているだけあり、光と影の微細なコントロール、配色・構図も見事に演出されている。
ディテールに至るまで無駄がない。ロケだとここまで作りこめないだろう。
計算の行き届いた映画だと感心して見ていると、意表を突く展開に唖然とする。

ダソンの誕生祝いで、パク一家はキャンプ旅行に出かける。
この隙に、豪邸の居間にパラサイト一家が勢揃いして高い酒などを出して散らかし放題で、思い思いに宴会を始める。
普段、言葉使いや所作など気を使い暮らしている反動で、思いっきりだらしない。
妻チュンスクのゴキブリ発言でギテクがマジ切れしてみたり、ギウはダヘと結婚したらこの家を継ぐことになるとか、夢のような浮かれた噺に興じる何でもありのエントロピー増大する一方の流れが野放図に続く。
(確か物語の最初で、ギテクがテーブルの上にいた虫を指で弾くが、あれはゴキブリだったか、、、)。
この家族というかギテクの人となりを見てきて思うに、刹那的で無計画とか謂うよりもっと根深い破壊(破滅)衝動みたいなものも感じる(ピザの箱作もだらしない程度なら、しっかり出来たり出来なかったりするものだが、全て不良というのも異様だ)。

突然度肝を抜くホラー展開を迎える。
雨の中を前の(策略で首にした)家政婦が訪ねてきたのだ。
地下室に忘れ物をしたと言う。
透明のグラスが綺麗に並べられた棚の間に漆黒の空間があり、そこから地下に通じる通路・階段が伸びていた。
(赤と黒のコントラストが美しくも空恐ろしい)。
現富豪一家の知るところではない、それ以前からこの邸宅を熟知している家政婦ムングァンのみぞ知る地下世界の入り口であった。

降りてゆくとそこには、何とムングァンの夫グンセが隠れ住んでいるのだった。
女は彼にずっとパク一家の目を盗んでは食事を与えていたのだ。すでに4年間も続いているという。
(この家政婦が大食いだと謂われてきた理由がここで分かる)。
そして深夜ケーキを食べに行ったダソンが目撃したトラウマを負うほどの怖い幽霊体験とはこの男を偶然目撃したことによる。
この男もまた、「台湾カステラ」で失敗し大きな借金を背負ったらしい。
(フランチャイズで一気に流行り直ぐに廃れたという)。
ギテクにとっては、共感できる部分ではあるか。
借金取りから逃れてここにいるしかない。しかし本を沢山揃えて読んでいるらしく、何らかの「計画」をもっていることは推察できる。

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ここは、半地下どころの話ではなく、窓ひとつない、深い地下である。
この突然顕わになる垂直構造。
これまでは、高台のパク一家の大豪邸から自分たちの住む半地下までの上下関係~階級しか知らなかった。
さらに伸びる格差である。努力や能力・才能とは、また別の要因によってがんじがらめとなる格差。
コンドームの串刺しがあったが、ここにあっては子供も作れない。
キム家には、子供がいるだけ恵まれていると謂えるか。
一番上層にいる家では、愛着障害がみられ、性の状況も大都市特有の変化を余儀なくされている(これは全世界的な傾向である)。恐らく妻の状況からも疎遠で淡白な関係になっているはず。それを大きく助長するのが先進国特有のIT環境であるが、奇しくも夫はIT会社の社長である。
一番下では、IT環境による人との身体性の疎外ではなく、関係したくても出来ない状況に社会的に追い込まれている。性に関しては、キム一家がそれなりに自由で従来の人間的な関係性が生きている(残っている)ように思われる。

ムングァンはこれを内密にし、金を払うから食事を夫に与えて欲しいと懇願するが、チュンスクはそれをはねつける。
やはり自分たちの生活が脅かされる恐れは感じるはず。既得権?の守りに入る。
そのやり取りをしている際に、陰で聞いていた他の3人が転がり出てきてしまう。コミカルだが笑っている場合ではない。
ムングァンは、ギウとギジョンのことはまだ辞める前のことで、よく知っている。
この詐欺家族の関係をばらすと形勢逆転となる。
彼らをビデオに録りアップする、奥様に送信する、などと脅す。

そこから、まさに血生臭く展開してゆく。
お互いにやり合っている時にヨンギョ夫人からの電話で大雨のためキャンプを切り上げ至急家に戻るから食事を頼むとのことである。地底人との攻防の最中、散らかし放題の部屋を片付け、食事の準備に取り掛からねばならない。
大雨が降れば、このくらいの想定がつかないようでは、やはり成功は無理な気がする。
一瞬のスキを突いたチュンスクの蹴りを食らったムングァンは、階段を転げ落ち脳震盪を起こすが、これがもとで命を落とす。
グンゼは血だらけになりながらも、頭で照明のスイッチを押してモールス信号を打つが誰にも気づかれない。
取り敢えず2人を地下に封じ込めたところで、大急ぎで急場を凌ぎ、ご主人一家が戻る時には何食わぬ顔をして食事を出すが、相変わらず奥様は何も気づかない。
娘も同様。主人は生ごみ臭さを気にする。妻にギテクが雑巾の匂いがすることも告げる。
もっとも敏感なダソンは何と雨の降る庭にインディアンのテントを出して懐中電灯をもって籠ってしまった。
きっと、部屋の匂いに耐えられなかったのだろう。

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パク夫妻は、庭のテントの動向を見守りながらもソファの上で夫の意向で事を始める。
その下にパラサイト一家の母親以外の3人が隠れていた。何とも言えない象徴的な構図である。その最中にダヘからギウにメールが届く。ダヘはギウにゾッコンなのだ。彼女の日記も盗み見て知っている。
上の彼らが寝静まったところで、3人は無事に抜け出し、やっとのこと家に帰るが大雨の浸水で家中の物が水浸しで避難を余儀なくされる。
ギテクは妻のメダルを手に取り、ギウはミニョクに貰ったステイタスの象徴であろうか、お守りの「石」~「山水景石」を重いにも関わらず持ち出す。
ギジョンはクールにタバコをふかしていた。彼女だけは、独力でここを抜け出せる力を感じさせる。
3人とも避難所である体育館で一夜を過ごす。
ここでギテクは、わたしの計画は、計画の無いことだと謂う。計画するから予定外のことが起きて翻弄されるみたいなことを述べる。
ギウは、無謀な計画を立てたことを父に詫びる。子供2人だけなら結構上手くいって金も貯められたのではと思うが、、、。

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翌朝早々、ヨンギョから庭で盛大に誕生パーティーを開くという連絡が入り、パラサイト一家は皆、召集されることになった。
3人は恐らく、前夜はどぶ水に漬かってシャワーも浴びる暇もなかったはず。
運転手は奥様の買い物に駆り出され、ついに彼女も臭いと車の窓ガラスを開ける。家政婦は庭のテーブルセットのセッティングと勿論、ケーキと料理の準備である。
家庭教師は単なるゲストの一人であろうが、アートセラピストは、各テーブルにケーキなどを運ぶウエイトレスみたいな役を頼まれていたようだ。更にアトラクションとして息子のインディアンものに運転手は主人と共にインディアンとしてメイクをされ駆り出された。
このパーティーは息子のケーキと結びついたトラウマ治療の意味も含んでおり、インディアンは大事な役だと聞かされる。

ギウは何故か「山水景石」を持って地下の夫婦が気になり降りてゆく(何故「石」を持って降りたのか?殺害か?)
母も気になり食事を差し入れようとはしたがタイミング悪く奥様に呼び出されてしまう。
地下室に入ったギウは、待ち伏せしていたグンゼに紐で首を絞められる。
何とか難を逃れるが、結局グンゼに持って行った「石」で頭を殴られ大量の出血と共に気を失う。
グンゼは外を睨みつけ、包丁を手に持ち、ケーキを運んでいたギジョンを狙って刺す。
一つ階級の上のもっとも将来性を感じさせる存在を消す。階級闘争だ。
その様を観たダソンはまさに幽霊の正体を目の当たりにして気絶する。更にトラウマを強化する飛んだバースデーパーティーになった。
ドンイクは直ぐに息子を病院に連れてゆくと言い、カギを催促しその場を立ち去ろうとする。
血まみれのギジョンに駆け寄るチュンスク。ギテクはドンイクにカギを投げるがチュンスクとグンゼの揉み合う中に落ちてしまう。
チュンスクは肉刺しでグンゼを何とか刺し殺す。ドンイクはカギを手にするがその際に倒れたグンゼの匂いに思わず表情を歪めた。
その一瞬の姿にギテク は鋭く反応し、衝動的にドンイクを刺す。

結局、グンセとムングァンの地下夫妻が死に、ギジョンとドンイク社長が死ぬ。
ギウは、一命をとりとめるが脳には障害が残ったようだ。
母のチュンスクは正当防衛が認められ、ギウは公文書偽造と住居侵入で罪は受けるが、執行猶予であった。
ギジョンはロッカー式納骨堂に納骨された。これも半地下風の墓に見える。
父ギテクは、豪邸の地下に逃げ込み、地下層の人へと自ら落ちて行った。
消息不明とされる彼はグンセのように、今は外国人が買い取ったその豪邸の照明でモールス信号を打つ。
それを夜高台に上り豪邸を見ていたギウが気づき、父の居所を知ることになる。
彼は将来、金を稼ぎその豪邸を買い取り父を助け出そうという計画を立てた。
恐らく、有名大学から一流企業という正規ルートではない、金を稼ぐ計画であろう。


非常に重厚な物語を実に上質な娯楽作品に仕上げている。
この面白さで、本来映画嫌いなわたしも一気に観ることが出来た。
しかも韓国語で。
セリフの意味をしっかり聞き取れなかった部分はあったはずだが、取り敢えずは見終えたと思う。
二度目は吹替で観たい(笑。







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パラサイト 半地下の家族 -1

Parasite004.jpg

Parasite
2020
韓国

ポン・ジュノ監督・脚本
ハン・ジンウォン脚本

ソン・ガンホ、、、キム・ギテク (半地下に棲むキム一家の父)
チェ・ウシク、、、キム・ギウ(ギテクの長男、4年間大学受験をしている)
パク・ソダム、、、キム・ギジョン(ギテクの長女、美大を受験希望)
チャン・ヘジン、、、チュンスク(ギテクの妻、元ハンマー投げメダリスト)
イ・ソンギュン 、、、パク・ドンイク(高台の豪邸に住むIT企業の社長)
チョ・ヨジョン、、、ヨンギョ(ドンイクの美人妻)
チョン・ジソ、、、パク・ダヘ(ドンイクの長女、受験生)
チョン・ヒョンジュン、、、パク・ダソン(ドンイクの長男、ADHD的)
イ・ジョンウン、、、ムングァン(パク宅の家政婦)
パク・ミョンフン、、、グンセ(ムングァンの夫)
パク・ソジュン、、、ミニョク(ギウの友人、大学生でアメリカに留学)


アート作品を堪能した。韓国語のものを観た。
無論、わたしは分からない。妻が英語、韓国語、中国語に堪能なので、今何言った?といちいち聞きながら鑑賞した(爆。

キム一家は半地下に住んでおり、全員無職である。
半地下の家は明り取りガラスが上部に位置し、それは丁度歩道の高さに等しい。つまり酔っ払いが立ちしょんをそこめがけてしてしまうこともある。
採光も換気も悪く湿気が強くトイレは天井近くに位置する。
Wifiも他人の家のものを勝手に借用して乗っかっている(それでもスマフォだけは全員やっているのは韓国らしい)。
住環境としては劣悪であるが、家賃は安い(日本円に換算して月4万が相場とのこと)。

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ピザの箱を組み立てる内職を家族でやるが、4分の1は不良品を出してしまう。
父ギテクの作業が投げやりなのだ。
彼は計画を立てない主義である。
何をやっても計画通りにはならないという経験則からだ。
過去に「台湾カステラ」で失敗しているのだが、4人のなかで1人だけ資質~能力が異質である。

あるとき、ギウに家庭教師の仕事が舞い込む。
親友の名門大学に通うミニョクがアメリカ留学のため今教えている女子高生を引き続きみてほしいということだ。
ミニョクの頼みは断れないことと、大金持ちということでかなりの収入が期待できた。
ミニョクの魂胆は、自分が好意を寄せるその娘を他の大学生に任せると心配なのだが、ギウなら安心と踏んでの依頼であった。
ギウは学力には自信があり、入学証明書などの書類関係は美大を狙う妹ギジョンが、精巧なものを難なく偽造してくれる。
(ギウもギジョンも実力は充分持っており、金の関係で大学に行けないだけなのだ)。
ミニョクはその際、幸運を齎すという高価な「石」の飾りをギウに土産として置いてゆく。
(この「石」が後に果たす役割に驚愕する)。

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ギウは高台の大豪邸に戸惑うが、世間知らずの美しい奥さんを直ぐに丸め込み、娘も巧妙な手練手管で直ぐに虜にしてしまう。
彼が豪邸に入るや否やインディアンの格好で弓をいってきた幼い少年が、母の悩みの種のトラウマを抱えた落ち着きのない長男であった。ギウは少年の絵を評価し、アートセラピーで彼を治癒出来る人間を紹介しようと持ち掛け、すっかり信じ込んでしまっている母はそれにも飛びつく。渡りに舟とはよく言ったものだ。想定外の高給も約束される。
当然、妹ギジョンを赤の他人として紹介する。
彼女はギウよりも上手で全く落ち着きを持たない少年をすっかり手懐けてしまう。同時に母も権威的な姿勢で圧倒し一目置かせる。
ギウも腕をいきなり握るなどの行為でダヘを惹き付けたが、ギジョンも少年を膝に乗せて絵を描かせるなど、身体の接触を有効に使う。
ヨンギョ夫人は、綺麗な犬を3匹も飼っており胸に抱いてはいるが、自分の子供に接する場面は一度も劇中にはない。
子供との間に愛着障害のあることがはっきり見て取れる。子育てはこれまでメイド任せで、パーティーなどの社交にうつつをぬかしてきたような雰囲気が容易に受け取れる。料理もまるで出来ない。綺麗なのが取り柄みたいな人だ。
恐らくそれを窺い、有効な手立てを講じたと謂えよう。

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キム一家から子供が2人、まんまと大富豪の邸宅に収入源(と快適な居場所)を確保してしまった。
父ギテクが、金持ちほど騙し易いものはないと謂うように、その後、運転手と古参の家政婦の2人を子供たちの姦計により絶妙の連係プレイで追い出し、そのポジションに父と母が収まることにあっさり成功してしまう。
つまり貧困一家全員が大富豪の家にそのままパラサイトしてしまうのだ。
勿論、一人一人は全くの他人として。
何もかもとんとん拍子にギテクの子供たちの立てた計画が実るこの過程は、とても痛快なコメディでしかない。
貧困家族に比べ、富豪一家の隙だらけのこの無防備さは何なのか。
ギウとギジョンの2人は相当優秀な能力をもつが、富豪家族では、感覚~感性の飛びぬけたダソン以外は凡庸な感じである。
単に富豪の血筋を継いでいるというだけで、今のステイタスを維持しているのか(韓国の実情が垣間見える)。

ここで整理すると、代役とすでにあったポジションの人間を蹴落として、入り込んだメンバーがギウ(家庭教師)、ギテク(運転手)、チュンスク(家政婦)であり、新たな役柄を創設して入り込んだのがギジョン(アートセラピスト)である。
きっちり役を熟しているのは、2人の子供と母親だが、父はちょっと危ない。ボロが出るとすればここからという感じが強い。
ともかくハラハラする場面は続く。

そして、大きな心配事が立ち現れる。
感覚の鋭い幼いダソン少年が、他人として振舞うパラサイト皆を「同じ匂いがする」と両親に訴えるのだ。
それから、ドンイク社長も車内や家で、「生ごみのような匂い」がするとか、表情をしかめて言うようになる。
ギテクはそれに過剰に反応するようになり、頻りに自分の匂いを確認しはじめる。
家に戻りギテク一家は、それぞれ違う洗剤で服を洗おうなどと相談し始めるが、ギジョンの鋭い一声がそれを制する。
「半地下から抜け出さないとその匂いは消えないのよ!」
まさに。彼女はいつも一番、覚醒している。

この「匂い」が終始大きなキイとなり、最後にとんでもないトリガーとなってゆく。

後半、全く物語の雰囲気、様相が変わってゆく。





パラサイト 半地下の家族 -2
明日に続く。


翔んで埼玉

Fly Me To The Saitama001
Fly Me To The Saitama
2019年

武内英樹 監督
徳永友一 脚本
魔夜峰央「このマンガがすごい!comics 翔んで埼玉」原作
はなわ「埼玉県のうた」主題歌

【伝説
二階堂ふみ、、、壇ノ浦百美(東京都知事・壇ノ浦建造の息子)
GACKT、、、麻実麗(大手証券会社の御曹司、埼玉解放戦線を率いる)
伊勢谷友介、、、阿久津翔(建造の執事、千葉解放戦線のリーダー)
中尾彬、、、壇ノ浦建造(東京都知事、百美の父)
武田久美子、、、壇ノ浦恵子(建造の妻、百美の母)
京本政樹、、、埼玉デューク(麻実麗の実の父)
麿赤兒、、、西園寺宗十郎(麗の養父)
加藤諒、、、下川信男(白鵬堂学院Z組の埼玉出身者)
竹中直人、、、神奈川県知事

【現在
ブラザートム、、、菅原好海(埼玉生まれの父)
麻生久美子、、、菅原真紀(千葉生まれの母)
島崎遥香、、、菅原愛海(結納を控えた娘)


主題歌が一番面白かったかも、、、。
Tvでやっていたのを観る。
荒唐無稽ですっ飛んだ噺かと、期待しての鑑賞。
わたしとしては、何ともピンとこない、郷土愛、、、感想も特にないのだが、、、
一言で謂えばやはり「埼玉愛」の映画で、前半はしこたま埼玉を貶しまくるが、後半へと埼玉を激しく持ち上げてゆく。
魔夜峰央は、「パタリロ!」の作者だったな、、、。
しかし埼玉人は、そんなに「海」が欲しいのか?

Fly Me To The Saitama006

菅原一家が軽ワゴンに乗って、娘の結納に東京まで行くすがら「伝説の人物、麻実麗の埼玉解放の物語」のラジオドラマを聴き、その世界を堪能するという変わった趣向の映画。ラジオの情報~物語だけで、スペクタクル映像を想像しつつ愉しむというのも粋ではあるが,当然、車内の父、母、娘はそれぞれ違う絵を思い描きながら聴いているはず。
両親が感激したり反省してみたり言い争ったりと思いっきりドラマに入り込んでいるなかで、娘は冷めた態度でただの都市伝説だし、わたし結婚したら東京に住むから関係ないという立場でいる。

Fly Me To The Saitama002

ラジオの伝説ドラマでは、かつて東京は埼玉を迫害しており、通行手形なしには埼玉県人は東京を訪れることは出来なかった。
都知事は、その通行手形だけでなく闇手形をもって裏金を不正に貯め込み巨額の富を得ていたのだ。
通行手形撤廃を目指す千葉た埼玉のレジスタンスを都は許さない。
厳しく彼らを取り締まり潰していた。
それに神奈川が陰で協力していた。ありそうな話である(笑。

百美が麗を追って埼玉に入ったことで、サイタマリアという命にかかわる熱病に罹り、血清を求めて東京に戻るとか、群馬が恐ろしい未開の地とされ、妙な生き物や大きな足跡などが紹介されていたが、これはどの格差には笑うしかない。
実は、群馬を殊更に未開地と宣伝することで、その地に隠した知事の不正金に気づかれないようにしていたという。
馬鹿げているが不思議にホントにありそうな気もして来る。というかあったら楽しい。

Fly Me To The Saitama003

代々東京都知事を生み出している超名門校、白鵬堂学院の光景は時折似たようなものを見てきているが、少し学園内の景色^セットが少ない気がした。絢爛豪華な学内をもっと見たい。
「東京テイスティング」というのは面白かった。この手のバラエティは後二つくらい見てみたい。
単に尺が伸びるだけで、全体として間延びするだけか、、、。
愉しませるには良い場面となるところだが。

結局、この「東京テイスティング」を制した都会指数の高い麻実麗に壇ノ浦百美が惹かれてゆくというのは如何にも漫画(少女漫画)的でお約束的な流れか。

Fly Me To The Saitama004

東京の街中で埼玉アタックチームが埼玉人狩りをしている場面など、仮面ライダーのショッカーみたいな緩い流れであった。
シラコバトの絵柄のついた草加せんべいを踏み絵にするところは笑えたものだ。

埼玉対千葉の全面戦争も面白いが、もっと色々な戦術、パタンも見たいものだった。
この小競り合いは結局、見せかけで千葉・埼玉連合として東京攻めを行う為の作戦であったのだが。

壇ノ浦建造が思いの他、あっさり降参してしまい拍子抜けであった。
自衛隊で押し留めようとするだけでは平板過ぎる。
都はほとんど何の策も講じていなかったのか。

東京に菅原家が着くとそこに婚約者も来ており、丁度彼も同じラジオを聴いていて、それに感動し自分は東京ではなく春日部に家を建てると愛海に宣言する。

オチでは、数年後に埼玉は全国に浸透して、密かに日本中を支配しているような様相を呈しており、次の彼らの目標は世界埼玉計画となっていた。
ギャグとしての面白さは、ほどほどというところか、、、。

Fly Me To The Saitama005

GACKT、伊勢谷友介、京本政樹が似た系列で、この内容にはピッタリのキャスティングだと納得。
二階堂ふみの美少年であるが、麻実麗に恋をする時点で実は男の子として育てられた美少女なのか、と思ったのだが、そのまま男子であったが、ホントに男子なのか?気になった(笑。凛々しく可愛かったので、どちらでもよいが。
加藤諒のインパクトは大きかった。漫画からそのまま飛び出して来た灰汁の強いキャラみたいだった。






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アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング

I Feel Pretty004


I Feel Pretty
2018年
アメリカ

アビー・コーン、マーク・シルヴァースタイン監督・脚本

エイミー・シューマー、、、レネー・ベネット
ミシェル・ウィリアムズ、、、エイヴリー・ルクレア(高級化粧品会社CEO)
ローリー・スコーヴェル、、、イーサン(レネーの彼氏、CNN勤務)
エミリー・ラタコウスキー、、、マロリー(スポーツジムで知り合った美女、モデル)
エイディ・ブライアント、、、ヴィヴィアン(レネーの親友)
トム・ホッパー、、、グラント・ルクレア(エイヴリーの弟)
ビジー・フィリップス、、、ジェーン(レネーの親友)
アドリアン・マルティネス、、、メイソン(レネーの同僚)
ナオミ・キャンベル、、、、ヘレン・グレイ(社長)
ローレン・ハットン、、、リリー・ルクレア(創業者、エイヴリーの祖母)


面白くて元気が出る映画、ということで観てみた。
ラブコメでわたしが元気になるとは思えなかったが、取り敢えず。

何より見た目を気にする女性が、ジムで頭を打って自分が最高にイケてる容姿に変わったと思い込んでしまう。
(荒唐無稽だが、あくまでも彼女だけが自分の外見が変わったと信じているに過ぎない)。
やたらと上機嫌になって何に対しても積極的になり、、、その自信に満ちた表情とポジティブな言動が人々を引き寄せるようになる。
この辺の流れはよく分かる。そういうものだろう。
周囲の視線や表情~意識は一切気にもならなくなる(周囲としては、何でこの女性がこんなに容姿に自信をもって振舞えるのか分からず怪訝な態度を示すが)。
そして、それまでのイケてない頃の親友を見下すようになり、調子にどんどん乗ってゆく。
容貌で人の優劣を見て来たため、自分が絶世の美女に変身したのなら、他の者は必然的に見下すようになろう。
自信~自己イメージの高さというものは、このレベルにおいて支えられていることが多いようだ。
アイドル、役者、タレントなどは特に。モデルはまさにそこに特化しているから、当然だとして。

I Feel Pretty001


レネーは高い自己肯定感に任せて、自分の憧れに積極的にチャレンジし、その前向きな姿勢で叶えていってしまう。
前から成りたかった本社の受付係にも、美しきCEOのエイヴリーの目に留まり抜擢される。
それからというもの庶民の生活意識に疎いエイヴリーにもズバズバと自分の意見を述べ、大衆化粧品販売宣伝の会議にも呼ばれるようになる。実質、エイヴリーの右腕のように頼られ、彼女のイケメンの弟にも特別扱いされる。
創業者のエイヴリーの祖母にも認められ、孫のサポートを直々に頼まれるほどになり、取り巻きは万全でもう鬼に金棒である。

I Feel Pretty003


クリーニング店で知り合った男性とも順調に交際は進み、昔の親友を失ったくらいで、何もかもうまくゆき、CEOのプライベートジェットに同乗して意気揚々と商品のプレゼンにボストンへと向かう。このまま何処に行ってしまうのか、というところだがドラマの展開上この辺で一波乱のタイミングとなる。
豪華ホテルのスウィートルームでひとりプレゼンの見直し、練習をしているとき、何かと親しくかかわってくるイーサンが部屋に入ってきて、彼に迫られトイレに逃げた際に弾みで転んで以前と同じく頭を打つ。
やっぱりね、という感じのコメディーであるが、まずは自分が元に戻ったショックに耐えきれず、全てを放りだして逃げてしまうレネー。

自分は全く別人のように美人に変わったと信じていた~一体どんな姿であったのか彼女の自己イメージを見ることはなかった~のだが、鏡に映る姿は以前の自分に戻ってしまっていた。(ずっとその姿で自信満々にやってきたのだったが)。
その絶望から彼女としては、もはや今いる場所には居た堪れない状況にあった。
逃げて酒を飲み以前の親友に謝罪するが聞き入れては貰えない。
絶好調から、どん底である。

ここでまた、スポーツジムに行って奇跡よもう一度という感じで頭をまた打とうとする、即物的な考えを持つが叶わず。
しかし未練があり、本社に忍び込むと大衆向け新製品の発表パーティーのあることを知る。
ここからどうも展開がドリフのコントみたいで、ドタバタして唐突で、ちょっと良くつかめなかったが、エイヴリーのプレゼンを強引に引き継ぎ、自分の持ち込んだスライドを使いプレゼン途中で、自分が変わったと思っていた時期に何も変わっていなかったことに初めて気づく。写真は以前も今も何も変わっていなかった。
舞台上でしばし唖然となるが気を取り直し、周囲の声など気にせず自分を信じ誇りをもってやっていけば怖いものはない。
自信をもって頑張る全ての女性のための化粧品よ、、、とかいう噺で喝采を貰って、全てが丸く収まるというもの。

I Feel Pretty002

変身設定より、この最後の逆転の件に、無理を感じた。
かなり強引なまとめである。
もう少し説得力をもった着地にしてほしいものだ。

だが、ともかく容姿はさておき、内面から湧き出る積極的な意志~生命力により魅力が引き出される。
全ては意識の持ち方次第よ、、、わたしを見て、、、
というハッピーで前向きなところに流れ着く。



些細なことだが、服などで気分が変わることはある。
まずは、その辺~外から自分の気持ちを上げてゆくのは確かに有効だと思う。





字幕版がお勧め




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チェルノブイリ・ハート

Chernobyl Heart001

Chernobyl Heart
2003年

アメリカ

マリアン・デレオ監督・リポーター

「未知の心臓疾患や放射線障害」のことを指すものだそうである。
独特の風合いのドキュメンタリー映画であった。
このような大規模な原子炉による災害などの場合、それをテーマに掲げると言っても作者の立場によってデータの扱いは大きく異なり(特にリスクの評価などに大きく表れ)、全く別の事件~事柄のように描かれてしまう場合もある。
ただ、事実として今も原発から半径30キロ以内の地域が居住不可であり、350キロの範囲内に高濃度汚染地帯である100を超えるホットスポットが点在し、農業などは一切できない状況が続いている。
また事故の規模を伝える際などに引き合いに出される死者の数だが、放射線被曝と甲状腺癌や白血病、先天性の障害との因果関係は直接的に証明する手段はなく、科学的な根拠とするところが難しい。この辺がまた作者の思惑によるデータの扱い方の違いに反映するものか。


まず、ナジム・̞̞ヒクメットという詩人の「いきること」についての詩が流される。
これはよい詩だと思う。気に入った。

詩の後、おっと引き寄せられたのは、ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲第三番の第二楽章レント・エ・ラルゴ」が流れたことだ。
わたしの大好きな曲なので、一気に画面に注視したのだが、何やら軽い。
使われている古びた映像は独自のリアルな説得力を放つが、そこに添えられる字幕のデータは大丈夫なのかちょっとどうなのか、である。どういう形で引っ張って来たデータなのか。何れにせよ映像は言葉~記号と融合してより強いメッセージを持つのだが。
グレツキの音楽そのものもペラペラな感じに、貼り付けられていたような、、、。

線量計を持ってベラルーシで量ったりもするが、防護服と厳重なマスクをして万全な体勢で臨むと言っていたが、話すときはマスクなしで、周りのスタッフは普通の服装だったりと統一していないが、ここは実際どういう場所なのか。というちぐはぐな場面に戸惑う。
しかし地元の人々は思いの外、楽観的なご老人が多かった気がした。放射性物質や放射能、放射線(量)についての知識はきっと他の地域の人より誰もが普通に持っているようであったが。

Chernobyl Heart003

しかし産婦人科で健常児の生まれる率はどれくらいという質問に15%から20%と医者が答えていたが、それはどういうデータなのか?
放射線との関係は皆あるという。免疫力の低下。障害がみられなくとも病気に罹りやすい。確かにそうだろうが、煽られている雰囲気が強い。
最初と最後に日本のみなさまへというメッセージも添えられ、福島のことも語られているのだ。
何やら腑に落ちない気分になる。どういう立場で語っているのか。
ベラルーシでのことばかりであったが、ウクライナはどうなのか。チェルノブイリはウクライナである。
勿論、隣のベラルーシも汚染されたであろうし、その向こうのロシアだって。日本でも汚染は観測はされたものだが。
ウクライナはどうなのか。取材をベラルーシに限定していたのか、、、。
また殊の外、被害者が生まれ故郷に拘ることが印象的だった。
生れた土地を離れたくない、、、確かにロシア文学などに触れると、彼らの土地に対する態度~心情を強く感じることはある。
(わたしが帰属意識がなさ過ぎるのかも知れぬが)。
これが被害の深刻さに影響しているか。子供が残っていたら確かにまずい。

福島との違いは、チェルノブイリ事故の地域住民に対する当局の発表が遅れたため被爆地に2日以上住民が普通に暮らしていた差は酷く大きいはずである。(他にも違いは多々あるが、少なくとも)。異常に気付いたスウェーデンからの訴えで白状した形である。何とも。
ミハイル・ゴルバチョフが、グラスノスチ(情報公開)の徹底を指導したことで、隠蔽体質(当初は事故そのものを隠していた)は徐々に変わっていったが、正確な実態はどうなのか?勿論、福島だってその実情がわれわれに知らされている訳ではない。御用学者の話はともかく。


リポーターの女性が監督のようなのだが、お昼のバラエティ的な匂いもする。
自己顕示欲の強い独善的なタイプのよくいるリポーター(アメリカには特に多くいそうな野心家)。
噂話に目のない主婦の琴線をくすぐるような口調と言い、仕草や演出はなかなか。
だが生理的に受け付けない人もいるはず。
看護師に対する横柄な態度や娘の心臓手術に成功したアメリカの医者に対する母親への恩着せがましさ、アメリカでは水頭症は生れてすぐに水を抜くがここでは予算の関係でしないのと内緒話みたいな小声で呟いて見せたり、、、等々。
この映画の興行収入は大きかったのか?確かアカデミー賞の短編部門の賞を取ったとか。

Chernobyl Heart002

ただ実際、子供の実態には衝撃を受けた。
甲状腺がんや重い心臓疾患、先天性の奇形、その他重度の障害を持って生まれてくる子供が増加していることは確かのようだ。
その病院の様相は想像を絶したもの。
取材映像そのものは、見ておく必要を感じた。
この映像を自分の文脈に落とし込むことは困難であれ、知っておくことはどこかの局面で重要な判断に繋がると思われる。


2011年の福島原発事故を受けて、最後に日本へのメッセージを付け加えたのなら、どちらも同じとかいう雑な(というより誤った意識を植え付けるような)噺ではなく、両者の違いをまず明確に示したうえで、今後有効であろう手立てや心構え等貰えるとありがたいものだったと思う。







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完全なるチェックメイト

Pawn Sacrifice000

Pawn Sacrifice
2015年


エドワード・ズウィック監督
スティーヴン・ナイト脚本
スティーヴン・ナイト、スティーヴン・J・リヴェル、クリストファー・ウィルキンソン原案

トビー・マグワイア、、、ボビー・フィッシャー
ピーター・サースガード、、、神父ビル・ロンバーディ(チェスのマスター)
リーヴ・シュレイバー、、、ボリス・スパスキー(ソ連の天才チェスプレイヤー)
マイケル・スタールバーグ、、、ポール・マーシャル(ボビーの専属弁護士)
リリー・レーブ、、、ジョーン・フィッシャー(ボビーの姉)
ロビン・ワイガート、、、レジーナ・フィッシャー(ボビーの母)
エヴリーヌ・ブロシュ、、、娼婦(ボビーの彼女)


ラストサムライ」の監督である。
トビー・マグワイアと言ったら”スパイダーマン”であるが、「華麗なるギャツビー」でもニック・キャラウェイであった。

ボビー・フィッシャーその人を見たような気になった。
トビー・マグワイア迫真の紙一重の演技である。
ボビーの母はモスクワの大学で薬学を専攻し、そこで出逢って結婚した生物学者ハンスとはすぐに別れることになり、ボビーは母と娘(姉)との3人家族で育ち父を知らない。母は6ヵ国語の話せるインテリであるが、ソ連から戻った女性であることからFBIに絶えず監視されていた。
その息子ボビーも同様にマークされており、何かに監視され盗聴されているという意識は母からも植え付けられている。
外に車が停まったら必ず母に伝えろと言われていたため不眠症になり、彼を心配した姉がチェスセットを買い与えたという。
かなり特異な環境である。

Pawn Sacrifice001

後に天才の名を欲しいままにするボビー・フィッシャーだけあって、独学で誰にも負けない腕を身に着けてしまう。
しかし子供のころに既に妙な言動があり精神科医に診せたところ、強い人間に打ち負かされれば、チェスを辞め普通の生活に戻ることで落ち着くようなお気軽なアドヴァイスを受けるが、逆にやる気満々となる。

そのまま色々なタイトルの最年少チャンピオン記録を次々に打ち立て、国内でもヨーロッパでも敵なしになる。
当時は、ソ連がチェスでは世界最強の国であり、なかでもボリス・スパスキーという絶対王者が君臨していた。
宇宙探査でもアメリカはソ連に立ち遅れており、チェスでソ連に一矢報いる機運も高まる。
ただし、実際にボビーがボリスと対戦する頃には、アメリカは月着陸は済ませていた。

Pawn Sacrifice003

東西の天才、ボリス・スパスキーもボビー・フィッシャーも冷戦下における両国家の”Pawn Sacrifice”だったのか。
「兵隊の駒を犠牲にして局面を優位にする作戦」
まさに国を挙げてのフィーバー振りであった。

それにしても頭脳を究極まで使うと確かに変調が起こるのだろう。
ボビーだけでなくボリスも充分その兆候がみられた。
二人に謂えることは異様な聴覚の鋭さである。

Pawn Sacrifice002

純粋な思考の集中が僅かなノイズによって搔き乱される。
そのため雑音を殊更に嫌う。
緊張が高まればその感度もそれに応じて高まってゆく。
当初、余裕綽々に見えたボリスがボビーとの息詰まる決戦の最中、椅子から異音がすると立ち上がり椅子をひっくり返して調べ始めるという行動に出る。これは誰もが驚く。ボビーはしょっちゅうそんなことをしているため周りは慣れているが。
やはりチェスを極める過程で、指し手がオーバーフローし、脳神経の興奮が尋常でなくなるのか。


Pawn Sacrifice004

父の不在も彼にとって大きいものであった。
ボビーの才能に飛びついたポール・マーシャル弁護士とチェスマスターでもあるビル・ロンバーディ神父が極めて粘り強くきめ細かなケアをしてゆくが、理不尽なボビーの要求によって振り回されるばかりとなる。
すぐに気が変わり異なる欲求も吹っ掛けてくるとなると、当然対応しきれない。
するといつも約束を破ると激怒する。
突然、試合をすっぽかして失踪してそれを探すのも一苦労。
その上、チェスで名誉を得たいことはよく分かるが、金もたらふく要求してくる。
これで才能がなければ単なる厄介者以外の何者でもあるまい。
しかしアメリカの希望を背負うスターでもあるのだ。
キッシンジャーやニクソンも彼の機嫌をとってバックアップしている。これは国の名誉のためではあるが。

この忍耐力抜群のポールとビルが父親代わりが果たせたかどうかは微妙である。
彼らの働きなしには、ボビー・フィッシャーがボリス・スパスキーと対戦する場も生まれなかったはずだが。

Pawn Sacrifice005

そしてアイスランドのレイキャヴィークの世界選手権で、ボビーは、これまでにない(研究されてない)相手の読めない斬新な指し手でボリスに勝利してしまう。
これはチャンピオンを独占してきたソ連を破った歴史的勝利となる。
しかしこれ以降の防衛戦においてチェス連盟に出すボビーの条件が余りに無謀なもので、結局彼は試合を放棄しチャンピンの座も明け渡してしまう。
それ以降は事実上隠遁生活を送る事となる。
精神の症状はもっと激しくなり、反米・反ユダヤ発言が激化してゆく。
ちなみにボビー自身もユダヤ系なのだが。

彼を最後に受け入れた国はアイスランドであった。
チェスの天才として持て囃されるというより、精神に障害のあるケアの必要な人として保護された面が大きいようだ。
彼自身はチェス以外に何も関心の無い人で、常にチェスの手を考え続けて生きた人であった。
考えようによっては幸せな人である。


見応のある映画であった。







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アポロ 11

Apollo 11 001

Apollo 11
2019年
アメリカ

トッド・ダグラス・ミラー監督

ニール・A・アームストロング船長
マイケル・コリンズ司令船操縦士
エドウィン・E・オルドリンJr.(バズ・オルドリン)月着陸船操縦士


Apollo 11 002

”Apollo 11”に関しては、すでに「ファースト・マン」で観ていた。こちらは(ブレードランナー2049の)ライアン・ゴズリング主演の映画であるため、大変静謐な流れであっても、物語として構成する上での演出によるドラマ性は不可避的に生じていた。
管制官や他の飛行士たちやスタッフ、家族と背景の事情など、人間もしっかり描かれていたものだ。
ただ、ニール・A・アームストロングという内省的で寡黙な男を主人公に描くことから流れの主調はとても禁欲的であった。

このドキュメンタリーフィルムには、その最低限のドラマ性もほとんどなく、、、淡々と飛行士と管制とのやりとりだけの編集で作られてゆく。まさに”Apollo 11”の成し遂げた偉業の貴重な資料を見る気分である。
ただ驚くのは、非常に高解像度の映像で構成されていること。綺麗すぎてびっくりした。
月面の風景は大分以前にTVで観た通りのものであったが、、、。

Apollo 11 003

アームストロングが最後に多くの支えてくれた人々に対し、お礼を述べ敬意を表していたが、この月面映像を世界中に流すことも実は並大抵のことではなかった。その経緯が描かれた映画が「月のひつじ」である。
オーストラリアの平原にポツリとあるパークス天文台のパラボラアンテナ”The Dish”により、アポロ11号から降り立った、アームストロングとエドウィン・オルドリンの月面歩行の姿が世界中のTVに無事映し出されたのだが、それはニューサウスウェールズ州の田舎町パークスに住む3人の天文台員と1人派遣されたNASA職員の大変な努力の成果なのだ。

彼らの頑張りがなければ、放送に失敗し、あの姿も名言も全世界の人々に届けられなかったのだから。
このことも忘れてはならないものだろう。
(それにしても誰だ。この一大事業をでっち上げの嘘だなどとまことしやかに噂を流したのは)。

Apollo 11 005

わたしの記事は、映画を取っ掛かりにして自分の好きなことを書くスタイルでほとんど来ており、映画にはない情報や関連する事柄やもはや映画から離れた自分の考えを述べて終わっていたりする。
端から映画評をやるつもりはなく、感想から自分の考えを述べる場にしてきたもので、今更変える気もない。
しかし結果的に映画評としても有効に働いている場合もあったようだ。
(あくまで過去に頂いたメッセージ等から察するに)。

ブロ友のST Rockerさんが、数日前にこの「アポロ11」の映画評をアップされている。
この淡々としたドキュメンタリー映画の中でさらりと流されていたとても重大で危機的な場面にフォーカスして、その詳細を述べている箇所が特に光る記事だ。
映画で取り敢えず触れられていることや敢えて気が付かないように流してしまった箇所についても、重要と想われたところに顕微鏡をあてるように、いやX線でその内情を覗いたように掘り下げて書き込んでいる。
丁度、この映画の気の利いた解説になっており、是非、参照して頂きたい。
適切な情報を加えることで、鑑賞を豊かにする一例であろう。

Apollo 11 004

ということで今回は、人の褌で相撲をとることになった(爆。
たまには良いか。




極めつけの超高画質版。お勧め。


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流石に月には行けないが。



ついでにこれも。とても良い作品であったが、邦題にある「ひつじ」は単に人より羊の数が多い土地柄であることを知らせたいだけのものだろう。内容には関係ない。



ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ

The Price of Desire004

The Price of Desire
2015年
ベルギー、アイルランド

メアリー・マクガキアン監督・脚本・製作

ブライアン・バーン音楽

オーラ・ブラディ、、、アイリーン・グレイ
ヴァンサン・ペレーズ、、、ル・コルビュジエ
フランチェスコ・シャンナ、、、ジャン・バドヴィッチ
アラニス・モリセット、、、マルサ・ダミア
ドミニク・ピノン、、、フェルナン・レジェ
アドリアーナ・ランドール、、、シャルロット・ペリアン


The Price of Desire001

NHKの番組「デザイン・プラス」を見るのが好きなのだが、その辺の延長で観るつもりであったが、登場人物たちの欲望の絡み合う噺が主であった。
建築や家具に関する理論的なやり取りは、特にこれと言って面白いものでもなかった。
ただ、感性的にアイリーン・グレイの家に対する思いは受け取れた。
きっと、この”E.1027”は、極めて心地よい空間なのだろう。
土地から厳選して作ったものだ。
天才的な家具デザイナーのアイリーンが家具を作るときと同じ思想でデザイン設計した海辺のヴィラである。
身体をどのように包み込む斬新で繊細な機能美が実現されたものなのか、その様相~細部を少しでも実感したい。
彼女の家具や椅子から、その心地よさの感覚を少しでも触覚的に知りたいのだが。

室内を自分が恰も隅々まで歩き回るような撮影~感覚が味わえたら良かった。
この映画で映される範囲では今一つ部分も全体像も掴みにくい。
ドキュメンタリーではないのだが、このような優れた建築を扱うのであるから、もう少し全体から細部までをしっかり見せて欲しい。
撮影がホントに凡庸であった。
というより、人間ドラマに重きを置きすぎたか。

The Price of Desire003

監督は、アイリーン・グレイの天才と悲運を描きたかったのか。
それにしても彼女を取り巻く男たちの酷さは目に余る(ここに描かれた範囲では)。
彼女が自由と創造を求め女友達と多くの時間を過ごしたのは充分納得できる。
つまらない男に関わっていたら時間と才能の浪費しかない。
だがその点で実際、かなりの無駄な時間を費やしてしまった感は否めない。

しかしル・コルビュジエというのは、あのように嫌みたらたらのスノッブだったのか。
思わせぶりな内容のないお喋りはいちいち癇に障る。
これといった理論も聞けず、ル・コルビュジエの奇怪な行動ばかり見せられていては、うんざりするばかり。
海辺の彼女の建てた家に居座り、あんなにいつも海パンひとつでダラダラ過ごしていたのかあの男は。
特に、”E.1027”の綺麗な白壁に、無神経な汚らしい絵をベタベタ描いて悦に入っているところは胸糞が悪くなった。
ピカソ(レジェもか)を真似たあの絵は実に酷いものだ。

The Price of Desire002

この時代、優れた建築家は他にもいたが(God is in the detailのミース・ファン・デル・ローエとか)、どうも男の友人に恵まれなかったようだ。恋人にも。あの浮気男に結局ずっと振り回されていたのは何故なのか?(そういえばTVでもそんな話題が、、、)。
彼女の家具。装飾を排した機能的で繊細なデザインには、魅力は覚えるも、もう少し質感まで蝕知できるような映像が欲しい。
何しろ、神様はディテールにいるのだ。これはミースの方だが。

日頃、それほどの家具を使っていないことからも、とても憧れてしまう。
われわれは日常のルーチンにどれだけ自覚的か。
家もそうだろうが、まず家具が人~身体を作る。
もっと毎日、自分が使うモノに対する感覚を研ぎ澄ませていきたい。
これは、そういう映画ではないが、彼女の作品の制作姿勢からそれを意識させられた。
このような傑出した作家のドキュメンタリーをやはり見たいな。

アイリーン・グレイ役のオーラ・ブラディは、まさにその人のように(わたしの中に)フィットした。
この人をそのまま彼女と感じたものだ。
その芸術的雰囲気だけ(幽かに)感じられて良かったが、、、。
他はハッキリ言ってどうでもよい。特に人間ドラマなどは、知ったことではない。





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十二人の死にたい子どもたち

12.jpg

2018年

堤幸彦 監督
冲方丁『十二人の死にたい子どもたち』原作
倉持裕 脚本

杉咲花、、、アンリ(死ぬ権利を主張:7番)
新田真剣佑、、、シンジロウ(不治の病、推理好き:5番)
北村匠海、、、ノブオ(秀才、過去に殺人:9番)
高杉真宙、、、サトシ(主催者:1番)
黒島結菜、、、メイコ(ファザコン:6番)
橋本環奈、、、リョウコ(人気女優:4番)
渕野右登、、、ケンイチ(空気読めない、いじめられっ子:2番)
古川琴音、、、ミツエ(ゴスロリ:3番)
萩原利久、、、タカヒロ(吃音:8番)
坂東龍汰、、、セイゴ(親分肌の不良:10番)
吉川愛、、、マイ(ギャル:11番)
竹内愛紗、、、ユキ(内向的:12番)
とまん、、、ゼロバン(ユキの兄、植物状態、車椅子で運ばれる)
*番号は病院に入った時に順番に取る札。ベッドにもこれに対応した番号が振られている。


まず自殺などこれまでの人生で1秒たりとも脳裏を掠めたこともないわたしにとって、共感はし難いものである。

安楽死を目的に、秘密裏に廃病院に集まった12人の子供たちが繰り広げる密室ミステリーなのか、、、。
もう死ぬしかないが、自分独りでは決行できない者と集団自殺を社会に対する抗議に位置づけようと企てる者が顔を合わせる。
とは言え死ぬために集まったのに、何故そこで話し合いをするのか。
淡々と準備をして、速やかに実行に移せばよいのに。

だが、会場には不測の事態が生じていた。
12人で実施するはずが、すでに死体となった人物がいつの間にか一人余計にベッドで寝ているのだ。
これは、ちょっと気持ち悪い。気になる。
この人は一体誰、と騒然となるが、集まった誰からも情報は得られない。
そこで僅かな手がかりから全員で必死にその正体とそれを運んできた人物(とその協力者)を探ることになる。
目的はさて置き、謎解きが始まり、推理が得意なシンジロウ主導で事が運んで行く。
謎の遺体を警察がどう判断するかによって、自分たちの行為が自殺と受け取られない危険性も孕む。
彼らにとって自殺でなければならない。自分の手で自分の生を終わらせるのでなければ意味~価値がないのだ。
最後は、周到に事を成し遂げたいのは分かる。
しかし自分たちの行為(とその目的)を正確に示すというなら、面倒なことをしなくてもやり方はもっと他に幾らでもあったはず。

不思議なのは、何故直ぐに、妹ユキがわたしが運んできました、と素直に伝えないのか?
その件で皆で大きな労力と時間を無駄にすることとなるのに。
まず、運んできて誰かに見つかりそうになったことで、何故兄を放置して隠れ、メンバーの一人として平気で加わっていられるのか?
場合によっては、兄がどんな扱いを受けるか分からないのに他人のフリはないではないか。
どうもこのレベルの不自然な行為、行動が自明の扱いで進んでゆくのが気にかかる。
特にノブオがメイコに階段から突き落とされた件など、それが殺人となる可能性も高かった。
本人は皆が速やかに目的を達せられるようにしたというが、どういう理屈だ。

亡くなった院長の息子でもある主催者のサトシは、この会を安楽死の会としておきながら、話し合いの機会を作ってゆく。
ちょっとした問題が生じるたびに、話し合いの場に持ってゆく。
要するに、独りで抱え込んで煮詰まり、視野狭窄による思考の偏りを、似た者同士をひとところに集め、銘々に語り合わせることで、自分を対象化させ相対化に向けようとする企てである。
つまり、自殺志願で誘っておきながらサトシはここで再度、彼らに生きる力を蘇らせたいのだ。
集団の場において、利己主義のメイコもいるが、お互いを思いやり尊重し合う気風が生まれている。
推理はともかく、不治の病で近いうちに自分が自分で無くなってしまうことを知っているシンジロウが皆の前で、それでも生きられるところまで生きたい、もっと皆の話を聞きたい、と訴えることで、そちらの方にこころが転んで行く。
傾き出したら一気に行ってしまうものだ。

元々彼らは、今の自分を取り巻く状況と疎外感、閉塞感に耐えられなくなっただけであり、新たな環境を作る意欲が湧きさえすれば気持ちも変わるのだ。自分に価値がないと感じているのではなく、今在る自分~アイデンティティに大きな不満を抱いているだけなのだ。
(アンリ以外は)。
その上に、「死」は社会においてもうそれ程の価値も意味も湛えてはいない。このような集団死であればそれなりのインパクトは与えられようが、カルト教団のそれと同じで、それに真摯に向き合う精神など期待できない。
やはり生きて訴える真っ当な方法しか残ってはいないはず。
最初彼らを見た時から(これは演出ではないだろうが)、やけに誰もが元気なのだ。
身も心も干乾びて腑抜けのようになった人など一人もおらず、元気な人間が希望を失っているだけにしか見えない。
精神衰弱している人間などひとりもいないどころか、アンリの力強さでやって行けないところがあろうか。
そもそも本当に絶望の淵にある人間が、遠方からのこのここんな集まりには参加できないだろう。

最後に病院から晴れ晴れとした表情でそれぞれの方向へ帰って行くが、定期的なカウンセリングは必要な気はする。
志向性、思考の形が誰にでもある。放っておけばまた同じような雰囲気になって行くはず。
ノブオについては、自首するより先にカウンセリングだ。自首だけはするものではない。
余計に窮地に立つことになる。


有名どころのオファーされた女優ではなく、オーディションから出演した、これからブレイクするのだろうな、と思った女優以下3名。
Takeuchi Aisa竹内愛紗、、、ユキ(12番)
Yoshikawa Ai吉川愛、、、マイ(11番)
Furukawa Kotone古川琴音、、、ミツエ(3番)
独特のオーラを発している有力新進女優である。
今回の役が適役だとは到底思えないが、、、。
杉咲、黒島、橋本の有名どころもウカウカしていられない。

しかし杉咲花の演技はやはり貫禄もあり凄いものであった。
それを見るだけで、この映画を見終える意味があったと感じられる。







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