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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ボディ・ハント

House at the End of the Street001

House at the End of the Street
2012年
アメリカ

マーク・トンデライ監督
デヴィッド・ルーカ脚本
ジョナサン・モストウ原案

ジェニファー・ローレンス、、、エリッサ・キャシディ(17歳女子高生、バンドで音楽活動)
マックス・シエリオット、、、ライアン・ジェイコブソン(隣家に住む青年)
エリザベス・シュー、、、サラ・キャシディ(エリッサの母、医師)
ギル・ベローズ、、、ビル・ウィーヴァー(警察官、相談相手)
エヴァ・リンク、、、キャリー・アン(ライアンの妹)

サラとエリッサの母娘が森の端の片田舎の家に引っ越してくる。
すぐ隣の家が3年前に父母を障害のある娘が殺すという悲惨な事件があった家だった。
そのせいで、地価は低落していて、家もお手頃な値段で借りることが出来た。
問題の家がすぐ隣であることに母は胸騒ぎを感じる。


「僕はキャリーじゃないよ」
「あなたはキャリーよ」と母の怒りに触れ殴られる。
ライアンは幼い頃、ブランコ事故で妹のキャリー・アンを喪ったことで、両親に妹の替わりとして育てられる。
(ちょうどダリが亡くなった兄の身代わりとして育てられたように)。
彼はアイデンティティを認められず、常態化した虐待の中を生きて来た。
思春期となり、力の均衡がズレ、彼は両親を殺す。
この時、彼は誰として殺したのか?キャリー・アンとして?新生ライアン・ジェイコブソンとして?
キャリー・アン=ライアン・ジェイコブソンとして殺したのか。

表向きは、事故で頭を打った障害で暴力衝動~殺意をもつキャリーが両親を殺害しそのまま行方をくらましたこととなっている。
つまりライアン・ジェイコブソン(という人物)は、惨事に逢った家族の生き残りの一人に過ぎない。
犯人の兄である。
当時、彼は叔母の家に預けられていたという(そういうことになっている)。

足枷は確かになくなった。
この時点から彼は自分自身として生きることを始めようとしたのか。
だが、直ぐにそれが可能とはならなかった。
彼は、自分のアイデンティティを成立させるために、キャリー・アンを必要とした。
なくてもやり直すことは可能であったかも知れぬが、彼には必須要素であったようだ。

どのようにして彼はキャリー・アンを調達していたのだろうか?
こんな片田舎で。
美女が一人でも失踪すれば、直ぐに街中大騒ぎになろうが。
しかもライアンは買い物すら出ることを控えるほどの引き籠りに近い生活を送っている。

House at the End of the Street003

こうした猟奇ホラーには必須の地下室がここでもしっかり機能を果たす。
ここに犯人の深い闇の快楽と原罪の秘密が詰まっている。大変な情報量だ。これは誰もが怖さ見たさで入ってみたくはなる。
お化け屋敷よりずっと怖い。
向こうの人(欧米人)は、訪ねた家に人がいないときに、平気で家探しをするというところもこうした映画では必ず見られる彼らの習性のようだ。そして必ず何かを見つけ出し自ら危険に陥る。ある意味、自業自得だ。
妙に話が分かるお節介(親切)な警官が深入りして、絶体絶命の主人公にあと一歩のところであっさり殺されるところも、定石通り。

勿論それだけではない。
ライアン・ジェイコブソンが如何にもその地の住人に不当な差別を受け、謂われなき悪意を向けられているかが強調され、そのなかで、独り静かに誠実に生きているさまをこちらにそして主人公エリッサに示す。当然、それに対する同情を呼ぶ。
更にこちらには彼が秘密裏に、暴れて外に飛び出す妹を匿って養い面倒を必死で看ている様が窺える。
だが、地域で一番健気で良いヒトこそが、ホラー製造鬼なのだ、という既視感。

と謂うより、少し捻くれた感じで観てゆくと役者が幾ら上手くても、中盤くらいで薄々分かって来る。
ここでは、包丁を持って屋敷を脱出したキャリー・アンを止めようとして、首を折って死なせてしまい、何てことをしてしまったのかと悔いた後あたりから完全にこれは黒だと分かってしまう(その後、キャリーのスペアを用意するところでやっぱりねと何なんだ、である(爆)。
主人公のエリッサに疑いが過るのはもう少し先であるが、それまで贔屓をして必死に庇っていた人間が殺人犯であることに気づきショックを受ける。
そして彼が殺意をむき出しにして襲い掛かる、主人公に迫りくる最大の危機。
そこへ、もっとも(本当に)彼女を大切に思う、来るべき人が飛び込んでくる。
すんでのところで、彼女を救う。
必ず事件の流れに親子のドラマ(不和~葛藤~和解)を絡めるところも忘れてはならない。

House at the End of the Street002

これぞ、ホラーの鉄板パタンなのであろう(笑。
もはや様式美の世界かも知れない(TVの水戸黄門みたいな)。
素直に観れば、上手にこちらのミスリードを誘う演出と脚本で、充分に愉しめるものだが。
ジェニファー・ローレンスのファンには、観て損はない内容と謂える。

最後、治療施設に収容されたらしいライアンであるが、彼は自分のアイデンティティが生み出せるのだろうか。






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