プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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日日是好日

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にちにちこれこうじつ
2018年

大森立嗣 監督・脚本
森下典子『日日是好日~「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』

黒木華、、、典子
樹木希林、、、武田先生
多部未華子、、、美智子(典子の従姉)
鶴見辰吾、、、典子の父
郡山冬果、、、典子の母
岡本智礼、、、典子の弟
鶴田真由、、、雪野
山下美月、、、ひとみ
原田麻由、、、田所
川村紗也、、、早苗
滝沢恵、、、由美子


女子大に通う典子は、武田のおばさん(有名な茶道の先生)の教室に「お茶」を習いに通うことになる。
典子の従姉の美智子も一緒に通うことに。
軽い感じで始めたことだが、典子には無くてはならぬ場となり、生涯続けるものとなる。

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形から入る。
意味など考えずに身体で習得して行く。
自然と体や手が動くようになること。
所作の洗練からどれだけ自分のものにしたかが計れる世界である。

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突然の雨が今の行いにシンクロし、ひとつの世界に融合し、調和して行く。
そうした世界なのだ。
こどもの頃、理解できなかったフェリーニの「道」に涙できるようになる境地なのだ(これはほとんどだれでもそうだと思うが)。

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縁側に座って、空を見ながら語る光景は、実際に自分がそこで何をか語るにしても、素敵な場である。
彼方の風が音連れる。
何かに気づく。
ことばの意味。音の意味。偶然と思えた事の意味。

屏風を読もうとしていたが、ある時画像としてそのまま見ればよいと気づく。

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何処にいようと、自分の居場所が無いという感覚は、誰もが持ち得る。
自意識が強まる契機があれば、自ずとそうした気分に囚われるものだ。
同時期に、彼氏に裏切られ、お茶の教室でも融通の利かないところで躓き、従姉の美智子は自分の決めた道をどんどん進んで先に行ってしまう。停滞感と居場所のなさに困惑するなか、食事の誘いを断った直後にその父が倒れ、亡くなってしまう。

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一期一会の意味を知る。
今日遭えたからと言って、また別の日にも逢えるとは、限らない。
と謂うより、同じ場は存在しないという意味において。
何度、遭おうが全てが一期一会であり、異なる出逢いなのだ。
だから、「日日是好日」となる。
「お茶」という「場」は、自然~人(全事象)を微分的に意識に切り取る装置として意味を持つ。

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典子が行き詰っている時に、筋の良い女子高生で現れたのが山下美月だったので、ビックリした。
樹木希林さんの最期の軽妙洒脱の名人芸を間近で触れることが出来、ホントにラッキーだったはず。
乃木坂では彼女だけではないか?

メイキングで、希林さんに足を揉んで貰っていたような、、、何と贅沢な。
樹木希林の演技の自然さが尋常ではなかった。
黒木華にも円熟味を覚える。





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ウインド・リバー

Wind River

Wind River
2017年
アメリカ

テイラー・シェリダン監督・脚本


ジェレミー・レナー、、、コリー・ランバート(FWS、ハンター)
エリザベス・オルセン、、、ジェーン・バナー(FBI)
ジョン・バーンサル、、、マット・レイバーン(ナタリーの恋人)
グレアム・グリーン、、、ベン・ショーヨ (部族警察長)
ケルシー・アスビル、、、ナタリー・ハンソン(マーティンの娘)
ギル・バーミンガム、、、マーティン・ハンソン(コリーの親友、ネイティブ)
ジュリア・ジョーンズ、、、ウィルマ・ランバート(コリーの妻、ネイティブ)


終盤クライマックスの、夜のドアの内側の濃密な時間から突き抜けた雪白の外の空間への展開は圧巻だった。
これ程緊張に充ちた鮮やかな時制の切り替えは観たことない。
ドアの内も外もいずれも陰惨極まりないドラマであった。
果てしなくすべてを覆い尽くす白い雪に呪詛された場なのだ。
マイナス30℃、、、

ワイオミング州ウィンド・リバー保留地。
人里離れた荒野にコリー・ランバートが少女の死体を発見する。
彼女は10キロの雪原を裸足で走り、マイナス30℃の空気で肺が潰され死亡した。
彼女を死に追いやった犯人を探る新米のFBI女性捜査官とそれを助ける野生動物保護管理官のコリー。
彼は凄腕のハンターである。

Wind River002

時折降っては消えてゆく雪とは違う。
全てを深く隠蔽して冷たく静まり返っている雪なのだ。
光を跳ね返すその異様な明るさも人を麻痺させ蝕み、住人を発狂へと誘う。

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この「場」で犠牲となるのは、「弱い者」であるとコリーは謂う。
コリーの娘もこの雪原で亡くなった。
少し目を離した隙に起きた事件であったが、未だに何も解決していない。
雪原で発見した18歳の少女も親友マーティンの娘ナタリーであった。

Wind River005

何もかも白く覆われた極限の地に住むことで、ひとの残虐さが露わになる。
差別も(法的に)深く絡み、それを更に容易に引き出してしまう。
アメリカに限らず、このような出来事を引き起こす磁場は何処にでも見つかる。
いくら広く多様に見える空間でも、狂気に充ちた閉塞性はそこかしこにあるではないか。

Wind River003

一面の雪の世界には、銃が似合う。
明るく静謐に広がる雪原の林の陰には、ハンターが潜む。
事件の解決は、銃である。
トレーラーハウスの内部から放たれた銃弾がジェーン・バナーを倒す。その後、雪原の林から狙いすましたコリーのライフルがトレーラー内部の男を吹き飛ばす。

Wind River004

ナタリーと彼氏のマットを殺した犯人は皆コリーに射殺され、逃げたひとりも追い詰められ、ナタリーと同じように裸足で雪原を走らされ絶命する。
ジェーン・バナーは、防弾服により、一命をとりとめる。
コリーに助けられたと礼を言う彼女に、彼は君がタフであるから生き残れたのだと諭す。
そう、タフで強いこと。これが何処であろうが、生き残りの条件である。

最後に、ナタリーを失い生きる気力を失くしたマーティンが妙な「死化粧」を顔に施し外に座っている。
それで正しいのか?と尋ねるコリーに、誰も教えてくれないから、自己流でやってみた、と返す。
暫く娘の思いに浸りたいから付き合ってくれと言われ、二人並んで座り雪しかない風景を眺め続ける。




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ジュリエッタ

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Julieta
2016年
スペイン

ペドロ・アルモドバル監督・脚本
アリス・マンロー『Runaway』原作

エマ・スアレス、、、現在のジュリエッタ
アドリアーナ・ウガルテ、、、若き日のジュリエッタ
ダニエル・グラオ、、、ショアン(ジュリエッタの夫、漁師)
インマ・クエスタ、、、アバ(彫刻家、ショアンの親友)
ダリオ・グランディネッティ、、、ロレンソ(現在の恋人)
ミシェル・ジェネール、、、ベア(アンティアの大親友)
スシ・サンチェス、、、サラ
ナタリー・ポーサ、、、フアナ
プリシラ・デルガド、、、アンティア少女期(ジュリエッタの娘)
ブランカ・パレス、、、アンティア18歳
ロッシ・デ・パルマ、、、マリアン(家政婦)


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初老を迎えたジュリエッタは、現在の恋人と共にポルトガルへ移住を決めた。その矢先に12年前失踪した娘の親友に偶然出逢い、娘の消息を聞く。
忘れることに決めていた娘に対する思いが沸き上がって激しく動揺し、今いるマドリードに独り残ることに決める。
娘がまだ自分がマドリードにいると言っていたからだ。
恋人との再起を決めたばかりで、それをご破算にするというのも余程の決意であろう。

ジュリエッタは、娘に対して彼女が生まれる前に遡る全てのことを手紙にしたためることにした。
これまで言えずにいたことを洗いざらい伝えようと。

娘は、はっきりと母を捨て、母のいない自分の路を選んだ。
ジュリエッタは、その理由が掴めず、ずっと長い苦悶の時を過ごして来たが、諦めの境地と自分の過去を問わずに受け入れてくれるロレンソの出現により、新たな人生を始める決心でいたのだが、、、。
瞑想に行くといって出て行ったときは、内省し自分とは何者かを洞察する場を求めてのことと思えたが、実は彼女は父が時化を知りつつ海に出た原因が、ジュリエッタとアバにあることを家政婦のマリアンから聞かされており、父を死に追いやった母と親友でありかつての恋人のアバに対する怒りから去って行ったことを知らされる。

ジュリエッタはかつて、列車で自分に語り掛けて来た紳士を無視した直後に彼が自殺をしたことが忘れられず、夫を海で失う原因を作ってしまったかも知れない自責の念、そして娘がいつまでも戻らぬことでずっとこころを悩まし続け、鬱病を患うまでになっていた。それがロレンソによって改善されたばかりであった。

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確かにジュリエッタが娘アンティアに対して虐待(精神的なトラウマ)を与えるような局面はなかったようであるため、娘が母を拒絶する原因は、漁に出る前に女性関係を巡って父を追い詰めたことに対するところだろう。
それをわざわざ知らぬ娘に伝えたマリアンという家政婦はどういう存在か。
亡き夫ショアンのウインドブレーカーを着て家政婦を辞めて出て行ったことからも、特別な思いを夫に対して持っていたのだろう。
彼女の言葉はかなり予言的な響きももち、「教職にまた就けば、以前と同じことになる」とかお告げを下すような力も秘める。

アバ、ベアという女性は、ジュリエッタに対してとても真摯な姿勢で接しており、特にアバはかつてショアンの恋人でもあったのに、ジュリエッタを快く迎え、友人として親身に相談にも乗っていた。
風にもびくともしない重量感あるソリッドでプリミティブな男性像を作っていたが、彼女の思想~姿勢の分かるものである。
自立した逞しい女性だ。ジュリエッタはその点で、弱い部分はありその辺の依存性が娘に対する悪影響として響いていたところも考えられる。
アバは、病死する前にジュリエッタに、アンティアにマリアンが入れ知恵した事実を伝える。

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焦燥していたジュリエッタは車道を挟んだ正面に、彼女を探していたロレンソを見つける。
彼にすがろうとして歩き出したところを車に接触して怪我をし入院となった。
再び彼に保護されたところで、彼女も一応の安定を得る。
彼はことの経緯を全て知ることとなる。
そして瞑想セミナーから13年が経ったところで、娘から始めて住所の書かれた手紙が届く。
そこには、自分も長男を水の事故で突然失い、あの時の母の気持ちが漸く理解できたといった趣旨が綴られていた。

ロレンソの車で不安げに娘の家に向かうジュリエッタ。
ここで映画は、終わる。

キャストが良かったこともあり、とても濃密な時間を一気に堪能できた。
とてもこってりした濃い映画であった。

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妖怪大戦争

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2005年
三池崇史 監督・脚本
主題歌 「愛を謳おう」忌野清志郎 with 井上陽水


神木隆之介、、、稲生タダシ(麒麟送子)
宮迫博之、、、佐田(「怪」編集員)
南果歩、、、稲生陽子(タダシの母)
成海璃子、、、稲生タタル(タダシの姉)
佐野史郎、、、、「怪」編集長
宮部みゆき、、、宮部先生
大沢在昌、、、読書好きのホームレス
徳井優、、、駐在
板尾創路、、、たこ焼き屋のアナウンサー
ほんこん、、、屋台のオヤジ
田中要次、、、よういちの父
永澤俊矢、、、阿倍晴明
津田寛治、、、大人のタダシ/タダシの父
柄本明、、、牛舎の農夫
菅原文太、、、稲木俊太郎(タダシの祖父)
近藤正臣、、、猩猩
高橋真唯、、、川姫
阿部サダヲ、、、川太郎
田口浩正、、、一本だたら
遠藤憲一、、、大天狗
根岸季衣、、、砂かけ婆
三輪明日美、、、ろくろ首
吉井怜、、、雪女
蛍原徹、、、豆腐小僧
石橋蓮司、、、大首
忌野清志郎、、、ぬらりひょん
竹中直人、、、油すまし
荒俣宏、、、山ン本五郎佐衛門
京極夏彦、、、神ン野悪五郎
水木しげる、、、妖怪大翁
岡村隆史、、、小豆洗い
栗山千明、、、鳥刺し妖女・アギ
豊川悦司、、、加藤保憲


荒俣宏、京極夏彦、水木しげる、宮部みゆきなどその道の権威の作家も製作のみならず、役者でも出演している。
大変豪華なキャストであるが、やっていることは、ほぼオフザケみたいなものだ。
先生方が酒でも飲んで大盛り上がりで(悪乗りで)愉しんで作ったみたいな、、、。
(わたしとしては荒俣宏先生の役者姿が拝めて嬉しい限りであったが、もう少し尺とセリフがなければ失礼ではないか)。

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神木隆之介はとても良い役者だと思うが、ちっちゃな子役にしては何とも、、、上手いには違いないが。
高橋真唯の刺激が強すぎたのでは、、、(笑。あんなに太腿をさすることもなかろうに。
(アドリブであったのなら、まことにけしからん(爆)。
この女優は度々、映画等で観たが、最近ブレイク中の今田 美桜のご先祖みたいな感じだ。
もっと出て来てもよいビビットな魅力で華がある。

妖怪「川姫」は言うことないが、「すねこすり」という妖怪には白けた。ここに出てくる動物系の妖怪はどれも縫い包みそのものであり、あまりにお手軽なチープなものだ。タダシがその妖怪を殊の外可愛がり親愛の情を寄せるが、全くそれに感情移入できない。
「すねこすり」が酷い目に逢っても可哀そうでも何でもない。
VFX技術も2005年当時ならもっと何とかなってもよいはずである。
チャーリーとチョコレート工場」も2005年の作品だがVFXなど圧倒的だ。(「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」も2006年ではないか。あのライオンまでとは言わないが)。
ゲゲゲの鬼太郎に出て来た面々は、ちょっと地味だが取り敢えずイメージを壊さないものではあった。
塗り壁のドリフターズギャグには、笑う気もしなかった。随所に笑いをとりたい演出が目立つが、ほとんど笑えるレベルになかった。
荒俣先生の「帝都物語」から出て来た加藤(豊川悦司)は様になっていた。嶋田久作がこの役でも良いのだが、アギにあれほど慕われる役となると、豊川悦司の方が適役か。
そして何やら独自路線の「小豆洗い」(岡村隆史)は、トリックスターぽくってかなり面白かった。

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それにしてもあれほど圧倒的な力の差がありながら、小豆洗いの零した小豆一粒で、加藤がやられてしまうというのも、余りに呆気なく何とも言えない。まさにドリフのコントでやられたという感じである。笑うには余りにおまぬけすぎる。
やたらとスタイリッシュで強いアギも、キャットウーマンのホワイト版みたいで無敵の活躍ぶりであったが、加藤に裏切られ、とても呆気ない最期であった。ただし彼女は充分に力を見せつけることが出来た。しかしタダシは麒麟送子の剣を持ちながらそれほどの威力を感じさせる戦いぶりでもなかった。
もう少し闘いに膨らみやバリエーションが欲しい。技などが多様にあったり、奥義とかを出すなどもう少し芸が欲しいところだ。
これでは、加藤に舐められても仕方ない。

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全体として、長い映画ではあったが、高橋真唯と栗山千明が存在感を充分に発揮できていたと思う。
このふたりが、映画を支えていたような感じだ。
VFXはかなりいまいち、、、。









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夜の静寂に Ⅱ

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夜の静寂に」の続編でもなんでもない。
別の話である。
(映画にもそういうのがあるが)。

闇が深くなるほど、音も吸い取られてゆく。
そうした感覚に浸る、、、。

これで雪でも降れば猶更だ。
自我もどこかに埋められてゆく、、、。
もうそんな気持ちなのだ。

スッキリと全てを忘れてしまう。

すると、、、
昔、教科書か副読本で読んだ詩を思い出す。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

   三好達治の「測量船」から、、、

一つこのような形式を決めれば、幾らでも反復生成できる詩である。
読んだ当初は何とも思わなかった。
しかしシンプルな繰り返しの磁力は大きい。
(今でも覚えている、いや思い出してしまうくらいだ)。

「連意」という作法で作られている。
音楽でいえばミニマルミュージックに似た感覚である。
この反復が静かに思えるのは、主体がない(雪は主体にはなりえない)せいであろう。
ヒト~ワタシがないことで、とても静かに時が凍結してゆく。


今のこのスッキリした空間である。




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お友達が来る

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いつものピアノの上手なお友達が来て、娘たち3人で遊んでいた。
主に好きなアニメ、学校のよもやま話、ゲームである。
丁度今日の午前中に調律をしてもらったのも、synchronicityであろう。
一曲、次女の大好きな「鬼滅の刃」のテーマを彼女にリクエストしたようだ。
凄いもので、しっかり暗譜していて力強いタッチで豪快に弾いてくれた。
(わたしも思わず二階から降りて来て聴いてしまったものだ)。

その子が算数も得意ということで、最後に問題を出してもらって勉強ごっこみたいな感じになっていた(笑。
毎回、来る度にこれをやってくれるなら、有難いものだ。
基本的にうちの二人は勉強がとっても嫌いなのだ。
わたしもこの時期、勉強を主体的にやっていたかどうか、定かではない。
余り子供時代の記憶もないので。
(思い出すことは、悪い出来事しかない)。

幼年期~少年期のことを思い巡らしているうちに、眠くなってきた。
実際、2時間椅子に座ったまま入眠していたことに気づく、、、
最近、何かと眠い。
多肉を眺めていると、とても親近感を覚える。
わたしも光合成を始めようか、、、
仄かに明るい緑の夢に浮かびたい。

キャサリン・ジェンキンスの「千の風になって」を今日は何度か聴いた。
iTunesのライブラリーから長女が見つけ出して、気に入ったようだ。
確かに良い。日本のそれも新垣 勉のヴォーカルで聴いてみたが、2番の歌詞がとても好きだ。
出逢いは、違うものになる契機である。
毎日、必ず何かが路をやって来る(ブラッドベリではないが、、、)。
ニュートリノも宇宙線も無数に取り抜けてゆく。
でも何かが引っ掛かり、知らぬうちに、そう転寝をしている隙に、自分が何かになっていたかも知れない。
植物に憧れる、、、わたしは、、、常にゆらぎのなかにある。

 秋には光になって、畑に降り注ぐ
 冬はダイヤのように、煌めく雪になる
 朝は鳥になって、あなたを目覚めさせる
 夜は星になって、あなたを見守る


すべては恩寵である。





公園は寒い

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午前中、かなり寒かったが、公園で長女と遊んだ(笑。
(次女も誘ったがメンドクサイとのこと、、、)。
ほとんど、ヒトがいなかったため、遊具は貸し切りであった。
かなりの速度で片っ端、制覇しわれわれのお気に入りの「木漏れ日の路」と「メタセコイヤの路」も堪能した。
そして動物園で、モルモットを抱いて、なでなでして憩い、ヤギと羊にニンジンもあげた。
噴水も今日は、あまり人がいないにも拘らず、どれも勢いよく吹き出ていた。

今日が25日であったことを痛感する。
植物園の中はこれでもかというほどにクリスマス仕様となっていた。
クリスマスの飾りの前でいちいち写真を撮って歩く。
フランス庭園の展望できるコーナーでは、毎年恒例のサンタコスプレをして縫い包み(今年はオラフ)を抱いて写真の撮れるセットがどっかと設えてあった。

女子は、こういうのはとっても好きだ。
幾つかのパタンが用意されていたが、一つだけオーソドックスな形で撮って済ませた。
今年は妹が来ていないのだ。
いつも必ず二人で撮るので、今一つやる気も起きない、、、。
夜はイルミネーションをやると思うが、やはり次女はパソコンやってる方がいいだろう。

隣の大学にくっついているコンビニで、二人の好物のチキン(3種類あってどれも美味しい)を3つとトルティーヤを買って帰ることに。
最近のコンビニはヘタなスーパーより美味しいものを揃えている(ところがある)。
この大学は学食を解放しているので、そちらで食べることも考えたが、妹がいないので(待っている為)昼は家に何か買って帰ることにした。
だが、大学の学食はやはり魅力はある。
何とも言えない郷愁~懐かしさもある。
また今度、二人を連れて来てみたいものだ。
(女子ばかりなので、わたしとしても娘と行った方がよい)。

よく遊んで冬休みのスタートが上手く切れたかと思ったら
帰りの車で長女が大量の鼻血で大変なことになった。
寒い中、急激に運動し過ぎたか、戻った車内との寒暖の差が大きすぎたか、、、静かに慌てて家に戻り暫く安静に、、、。
体調は整えておきたい。
もうすぐ、オーストラリアに行くのだし。
(3学期も3日遅れで登校となる予定。ちなみにわたしは亀のお世話等で自宅待機!(寂ゴ~ン)。




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まだらの少女

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2005年
井口昇 監督
楳図かずお 原作
小中千昭 脚本

中村有沙、、、中村弓子(小学5年生)
成海璃子、、、山川京子(弓子の従妹)
鈴木理子、、、山川マリ子(京子の盲目の妹)
嶋田久作、、、京子の父
田中美奈子、、、京子の母


これも噺自体はシンプルなものである。
憎しみが物語の動因となっている。そして憎しみはうつってゆくと。
蛇がその象徴か。
成海璃子の表情~目が蛇そのものの怪しい感じであった。
そして中村有沙が妙に艶めかしい。
中村有沙と成海璃子という非常に若い女優同士の巧みな演技がポイントでもあろう。


中村弓子の小学校では、同学年の女子が面談中に担任を撲殺する事件が起きている。
その現場となった理科室は閉鎖されているが、弓子はその部屋が気になっていた。
彼女はドアの下から蛇が這い出てくるのを見る。その時、憎しみという声を聴く。
幻視と幻聴か?何かの兆を明らかに感じるものだ。弓子の無意識の表れか、、、。
彼女は、表向きは素直な良い子であるが、ウェブ上の掲示板に悪意のある書き込みをしている。
(ストレス発散からか?)

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事件のことを気にした弓子の母は、連休を利用し彼女を和歌山県の美土路村の親戚に預けることにした。
しかし彼女一人で行くには、ひどく田舎の山間の心細い旅であった。
しかも山道で逢う村人たちは決まって、彼女の姿を目にすると怯えたり、威嚇したりしてとても排他的な雰囲気なのだ。
弓子は不安に押しつぶされそうになり水溜まりで転んだりして居た堪れなくなったときに、親戚の山川家の長女京子に出逢い漸くホッとする。

京子には暖かく迎えられたが、親戚の家では冷たい対応を受ける。
どうやら、村の占い師が蛇が村にやって来るから警戒するようにというお告げを下したようなのだ。
しかし今どき凄い村である(横溝正史か(笑)。
盲目の妹のマリ子は縁側で呪いの童歌などを謳っており、霊感体質のようであった。
周囲は怪しい人ばかりである。
だが、弓子が思いの外、楽観的な明るい性格で、この境遇であっても結構楽しめる性格らしい。

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弓子は親密になった京子に学校で感じていた憎しみについての悩みを打ち明ける。
すると京子は弓子に憎しみと恐怖は脳の同じ部分で感じるものなのよと諭す。
如何にもと言う感じではあるが、かなり意味深だ。
京子は、占い師のところに弓子を案内し、彼女は蛇ではないと村人に言って貰い誤解を解こうと提案する。
京子は直ぐにその家に入って行ってしまう。

弓子も恐る恐る入ってゆくと、その恐ろし気な家の屏風に蛇の絵が描かれていた。
それが下にポトリと落ち、実際に蛇になる。
何故か弓子独りになっていた。
そして至る所に蛇が現れ、ついに蛇の化身みたいな化け物までが現れる。
これが占い師の真の姿なのか、、、。

弓子は恐怖に駆られ「こんなの現実じゃない」と自らに言い聞かせ現実逃避を図る。
咄嗟にマリ子の唱っていた歌を思い出し、唱ってみると蛇女は一旦ひるんで苦しむが、、、
しかしその実体に耐えきれず、悲鳴を上げて逃げ出すと、結局蛇女に足を噛まれてしまう。
漸く姿を見せた京子に支えられ、傷から毒を吸ってもらい、診療所で解毒剤を注射してもらう。

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それから、京子の弓子に対する様子がおかしくなってゆく。
弓子の顔を覗き込み「歯が少し尖ってる」などと口にし始める。

朝弓子が目覚めると浴衣が乱れており、敷布には大きな蛇の抜け殻が敷かれていた。
それに戦き、洗面所で確認すると、首筋に抜け殻の一部が貼りついている。
そこへ京子は歯を見せてと執拗に迫り、マリ子は京子が通ると「ヘビ」と叫び怯える始末。
表に出れば、村人たちが松明を持って集まり、襲って来るではないか。
「ヘビは煙草のヤニを嫌うものだ」とか叫んで迫りくるのだ。
逃げ惑った先に京子がおり、彼女に救いを求めるが、そこで弓子の口を見て、歯が尖っているから蛇女ねと言い放つ。

京子の部屋に逃げ込むと、パソコンのモニタが開いており、そこに何と自分が酷い書き込みをしていた例のHPがあった。
これは、京子の作ったものであったのだ。ディスクトップにあるフォルダには、弓子を呪うような落書きされた写真が幾つも入っていた。弓子は事の真相に気づき愕然とする。自分の中に憎しみが宿っていたことを悟る。
京子が言うには、弓子の憎しみがわたしにうつったのだと。そして蛇は蛇を食べ強い蛇が生き残ると。
京子は本当の蛇女に変身し、弓子に襲い掛かかり、体に巻き付き頭から呑み込もうと口を開き鋭い歯を突き立てる。
ここで、弓子は「あなたの憎しみを受け止めるわ」と京子を自分から抱きよせる。
弓子も覚悟を決めていた。

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京子は蛇の姿から解かれ、その場に倒れ込む。
最後は、仲良く弓子を駅まで京子とマリ子姉妹が見送るところで終わる。


主演女優の演技に説得力があったため、引き込まれて観たが、綺麗にまとめられた噺であった。
楳図かずおらしい物語ではある。
境界の肌触りが描かれている。






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ねがい

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2005年

清水厚 監督
村井さだゆき 脚本
楳図かずお 原作

笠原織人、、、柚木等(成績優秀な小学生)
遠山景織子、、、柚木悦子(等の母)
尾美としのり、、、柚木善郎(等の父)
奥村夏未、、、浦野智子(塾のともだち)


ついでなので、これまでに見たことのある楳図かずお原作の映画をどれも書いておこうと思う。
楳図かずお氏の作品は、見た範囲では人間が深層~闇に持つ思いのきわどさを描いたものが目に付く。
そこに怖さは確かに感じるが、所謂ホラー映画の原動力になる怨念や霊力とかに絞られるものではない。

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子供部屋での空想が膨らむ姿を暗示させる導入部にはワクワクさせられる。
子供部屋の扉の向こうでは「ねがい」が叶うと、、、。
等少年は、特にともだちもなく、自分で人形を作り、それをともだちと呼ぶ。
その人形を「モクメ」と名付け、魂を入れたいとねがう。

映像がなかなか禍々しくそのドギツイカラーも相まって怪しい基調を醸している。
(薬屋を真ん中に挟んだ二つに伸びる路地の構図など、「アッジェのパリ」をも思い起こさせる)。
等少年の創ったともだち~人形「モクメ」も如何にも凶悪感漂う形相だ。
(ちょっと、「鉄人28号」に出てきたバッカスに似ている)。
誰が見ても気持ち悪いと思うであろうが、等も塾でチャーミングな美少女と親しくなってからは、モクメをとても疎ましく感じるようになる。
「等君の部屋で一緒に勉強しよう」と誘われ、母からも喜ばれ、いざ部屋に招待するにあたり、モクメが邪魔で必死に隠す。

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等の家庭環境は恵まれているようで、優しい両親に大切に育てられていることが分かる。
お母さんは子供にとっては自慢したいであろう、よく気の利く綺麗な専業主婦である。
(何かとすぐに「おか~さ~ん」である)。
お父さんも物分かりの良い穏やかな人で、どちらかと言えば甘やかされて育っている様子だ。

モクメは何らかの欠如感、乾きから人工~抽象の心の拠り所を創造しようとしてできたのではなく、精神のもつ過剰さから作られた産物であった。確かいつも通らない道を自転車で走り、知らなかった魅惑的な場所を見つけその途上で拾った木から、人形作りが始まったはず。そうした広がり、他の系に連結するような感覚だと思う。
何であれ自分が望んで一生懸命に作り上げ念をかけたモクメであったが、これがいることで彼女とも気楽に会うこともできない。
既に現実が空想を追い越していた。今風に言えば、彼は立派なリア充であったのだ(笑。
等は、夜自転車の荷台にモクメを乗せて怪しい工事現場の深い穴に突き落として帰ってくる。

当然のごとく、ここから悪夢が始まるのだ。
等がモクメに魂を吹き込む媒体として電気スタンドに念を集中してかけていたのだが、それが見事に壊れていたのだった。
やはり当たり前のようにモクメは自力で帰還を果たし、等に殺気を放ち迫ってくる。
よりによって鋭い釘の歯を口に備えておくものだから、それでいやというほど噛みつかれる羽目にもなる。
しっかり等のねがい通りに自分の意思で動きまわり、等が智子と会うのを妨害し遂に彼女を塾の階段から突き落としてしまう。
智子はその日を最後に塾を辞めてしまった。

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モクメの反撃は止まらない。
差し詰め「ともだちだと言っただろ」というところか。
こうなると、怨念ものか。
等は自業自得とは言え、一気に地獄に突き落とされた様相である。

夜。いるはずの母が鍋は火をかけたまま、Tvもついたまま不在で、母はすでにモクメに殺されたのだと恐怖し、もぬけの空の家で、等は嵐の雷光のなかモクメに襲われる。
脚を掴まれ階段を這いずって降りてくるところなど、まさにホラーのシーンである。
子供の持つ残酷さもよく表されており、モクメに「ごめんなさい。ぼくが裏切ったんだ。これからもずっとともだちでいるよ」と言いモクメがひるんだ隙に椅子が壊れるほどにモクメを叩き壊す。
「お前がいるとともだちが出来ないんだよ」でとどめをさす。
モクメを作り始めたときは、気持ち悪がる母に対し「ともだちなんかいらない」と言ってモクメ作りに没頭していたのだが、、、。


引っ越しの挨拶に来た智子を駅まで迎えに行っていた母とそこで偶然逢った父が三人で帰宅すると、あちこち血だらけの等が玄関に憔悴して座っていた。彼は何度も「ごめんなさい」を繰り返していた。
もうこれ以降、等の空想が現実を侵蝕することはなくなるはず。


楳図かずお氏のものとしては、非常にストレートな運びだ。
演出はとても凝ってはいるが、噺そのものは至って分かり易い。









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蟲たちの家

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2005年

黒沢清 監督
楳図かずお 原作
村井さだゆき 脚本

西島秀俊、、、御厨蓮司
緒川たまき、、、留以子(妻)
内田朝陽、、、直也(留以子の甥、俳優)
白田久子、、、小栗羽奈子(職場の後輩)


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同じシーンが3回とても効果的に使われていた。ジャンプカットもあり時制も自在に編集して構成し実験性の高い演出に思えるが破れ目は感じない。
この形式が映画の内容を大変雄弁に演出している。
この映画も基本的には、御厨夫妻宅の空間で繰り広げられるものだ。

蓮司が知る世界と留以子の感じる世界の違いは、単に齟齬が生じているというより別な世界に属しながらもお互いの存在を取り敢えず確認し合っているといった関係だ。
パラレルワールドを覗くかのような感覚もあるくらい。

元々、われわれがある対象と接するとき、どれほどそれに深く寄り添っても原理的に相手についての自分の考えを持つに過ぎない。
当たり前過ぎることだが、自分の投影像を見ていることを忘れている場合も少なくあるまい。
その関係性のグロテスクな拡張にも思える。
場合によっては、ほとんどホラーのような暴力関係にもなってしまうだろう。

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ただ、留以子の「ザムザは、父親によって精神的に閉じ込められていたのよ」という読みは鋭い。
これは丁度、カフカと父親との関係になぞられる。
(カフカの父は非常に権威主義的で頑固で高圧的であった)。
自分も同様に夫に威圧され家に閉じ込められていると感じる留以子。

一方夫の方は羽奈子に、「留以子はもともと強迫神経症気味で空想癖があった」と言い、彼もまたカフカの「変身」を引き(この辺の教養においては似たもの夫婦だが)、「ザムザは、自分だけの世界に逃げ込み、結局現実に立ち向かうことを放棄した」と捲し立てる。留以子がまさにそれだと。
留以子が甥の直也を自宅に呼び相談しているところを、蓮司は浮気と断じたのだが、そこから双方の幻想が肥大し始めたようだ。
これを受けて、夫婦と言うものはすれ違いが続くうちに大きな溝が生まれるみたいなことを言われると妙に説得力がある。

留以子の告白と蓮司の見る彼女の世界が対比的に描かれるところがとても面白い(直也の見る彼らの世界もシーンとして加わってゆく)。
片や二階の奥の部屋に逃げ込み、蝶になり、甲虫になり、と虫に変身しながら身を隠しついに蜘蛛となって動かぬ姿の留以子とそれを眺め、この状態が落ち着くようだからと、その環境維持を認め糸を吹き出すスプレーで協力もしている蓮司。
呆れかえる蓮司の浮気相手の羽奈子。
二人でその場を離れるも、、、大きな物音が響き何やら二階で何かが起きている気配。羽奈子がひとりで見に行く。

CGでひょこひょこ部屋の陰から歩いて来る虫が不安を煽るアクセントになっていた。
異様な雰囲気の中、羽奈子の血みどろの死骸が現れたかと思うと、スッと糸で引かれて見えなくなった後に、、、
留以子の変身したオオグモが現れるとこれは迫力があるというもの。
ともかく間の構成も含めカットが凝っている。

オオグモを蓮司が抱きかかえる形で受け止めると、裁ちばさみを持つ留以子となっている。
「やっと目覚めたんだね」と言って二人は抱擁する。

最後は、外は雪景色の中、何やら引っ越しの準備を進める留以子と、二階の例の部屋に座っているのは蓮司であった。
留以子はボウルに野菜をたくさん刻んで蜘蛛の巣だらけの部屋に持ってゆく。
蓮司は「こうなるまでにどうしてこんなに時間がかかったのか」と感慨深げに呟く。
留以子はその様子に微笑む。


DVDの特典ビデオで、原作者の楳図かずお氏とキャストたちの語り合う場面があるのだが、日曜美術館のMCを緒川たまきさんが務めていた時に、ゲストで彼が呼ばれていたのに全く覚えていなかったのが、何とも面白かった。
(緒川たまきさんの拍子抜けしているところが、である)。







絶食

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2005年

伊藤匡史 監督
楳図かずお 原作
高橋洋 脚本

上野未来 、、、知子
中川翔子 、、、理恵
辻本祐樹 、、、あきら
貝塚直美 、、、知子(肥満体)
津田寛治 、、、刑事

小品であるが、過去に見ているので、書いておきたい。
ここは備忘録として書いているところでもあり。
わたしは、原作となる楳図かずおの漫画はほとんど見てこなかったことに気づく。
まことちゃんの姿には結構馴染んできたこともあり、漫画も見たような気でいたが、まともに読み切ったものはなかった。

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最初は、上野未来が知子であると思い、あきらに振られてから、負の幻想で肥満体の醜い自分が生まれ出たように観ていたが、亡くなった妹の部屋で鏡を見ながら顔のマッサージをしていて母親にたしなまれたところから、こっちが本体(貝塚直美)なのだということが分かる。
それまでは、自分を可愛らしい妹に同一視した幻想の中で生きていたようだ。
現実の和子は貝塚直美の演じる女子高生なのだった。

これでは、あきらがちょっと無理~やんわりお断り、というのも分かると言うもの。
自分(という現実)に戻ると和子は途端に吐き気を催し、食べたものは戻し、食欲も無くなる。
そして結果的に絶食状態を招く。
ここは詳しく描かれないが、そのようだ。
(絶食の苦闘も描かれてもよかったか)。

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そしてある時、何やら起きて鏡を見ると、自分が上野未来版和子となっていた為、実は覚醒したのではなく、余りの空腹からの妄想で理想のプロポーションを得たと思い込んでいるだけかと観ていたのだが、どういうわけかホントに亡き妹のように可愛らしい姿になっていたようなのだ。
その足で、妹の服を着こみ、散策に出掛け、あきらを見つけて思い切ってデートに誘う。
あきらも見た目がスッキリ爽やかで可憐な和子になっていた為、すんなり誘いに乗る。
(見た目が良ければ誰でもよいという男らしい)。

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それから暫くは、かつて和子の経験したくとも出来なかった甘酸っぱい青春のひと時を最愛の彼と共に過ごす。
まさに青春ラブコメ風に進むが、、、
ラブホテルに二人で行ったところで、まさか和子にあきらは食べられてしまう、、、。
和子は空腹から狂気の心理状態でずっとそこまでやって来たのであった。
舌を食べるところから、猟奇的ホラーにはなっている。
そして警察の調べで、すでに母親は死んでおり、まず母親を喰ってからのお出かけであったらしい。
(つまりドレス選びの時は、喰った後であろう。そうでなければ服は血だらけ)。

最後に和子を取り調べる警官役に津田寛治という贅沢である。
特に凝った捻りもどんでん返しもなく、ストレートに思春期女子の貪欲な欲望がグロテスクに描き出されている。
それにしても、貝塚直美の和子そのものの生々しくも即物的な破壊力が圧倒的であった。

上野未来も少しばかり太り気味に感じられた。
もう女優は2006年ごろを最後に止めてしまったそうだ。
とても勿体ない。
キャパを感じさせる女優であるのに。



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明日はカップリングで入っていた「蟲たちの家」を。





おろち

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近所の蔦屋が潰れてしまってから、AmazonPrimeの便利さが実感される。
そう度々ソフトを買うわけにもいかないし、BSに入って来る過去の名画は、気分に乗らないとちょっと無理。

2008年
鶴田法男 監督
楳図かずお 「おろち」原作

木村佳乃 、、、門前葵/門前一草
中越典子 、、、門前理沙
谷村美月 、、、おろち/佳子
嶋田久作 、、、西条
山本太郎 、、、大西弘
山田夏海 、、、少女時代の理沙
佐藤初 、、、少女時代の一草

楳図かずお原作の映画はこれまでに「まだらの少女」、「ねがい」、「蟲たちの家」、「絶食」を観たことがあるが、この作品はなかでも際立った仕上がりの傑作と言ってもよいと思う。


おろちとは、「人の営みのあるところ、わたしがいる」というのだから、何らかの普遍的な存在らしい。
普遍的に潜在する何者か。
ISILがそれになっては困るが。

100年に一度よく眠れば歳も取らず、ずっと生きていられるという。
様々な人の業を見てゆくには好都合な体質だ。
この映画では、狂言回しの立場であった。
物語そのものへの介入はほぼない。
門前葵を庇って自動車事故で怪我を負った時は、まだその時期になっていないにも関わらず睡魔が襲ってきて、眠りに落ちるときに洞穴(洞窟か?)の中に落ちてそこで気を失っている。
(怪我などをした際には、睡眠で治癒するのか)。

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この物語で彼女は、佳子という薄幸の娘に知らずに憑依して門前家の運命に寄り添うこととなる。
奇遇に思えるも、眠る前に、この門前家の運命を見届けたいと念じていたからか?
それにしてもまさか、親子流しと来るとは、、、。
何とも言えぬ昭和初期みたいな色合いがまた趣深い。
どうにもならぬ業と薄幸とが何ともノスタルジックに描かれる。

噺としてはとてもよく出来ている。
最後のどんでん返しも見事。
綺麗で直向きな門前理沙が最後の最後でそう来るか、である。

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この流れはやはり人間の業の成せるものとしか謂いようもない。
受け容れられない運命と言うものはある。
29歳になると飛び切りの美貌が醜く崩れてゆく遺伝病など、当事者であれば翻弄されないわけはない。
(執事の西条が葵の主治医であったとしても、最先端医療を持つ病院に行く選択が何故ないのか?葵が大女優であった為秘密裡に内輪で解決するしかなかったのか)。

そして代々、大きな洋館の上の部屋に閉じこもって最期を迎える。
こういう血筋の宿命であると。
おろちでなくとも、そりゃ興味深々となるに無理はなかろう。

時折、外の世界にも出るが、ほとんどはお屋敷内の空間が中心である。
空間的にも時間的にも強い閉塞性に息苦しさは増すばかり。時折現れる映画関係者の大西弘もここに風穴を開けることは到底出来ない。余りにチンピラ臭がきつ過ぎた。
母娘3代に渡る濃密で壮絶な運命は結局、変えようがなかった。

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それにしても、血筋の繋がりのない娘を姉妹として生まれた時から一緒に育て、我が子を疎み他人の子に希望を託す母に育てられた娘(たち)の精神も安らかな関係であるはずもない。
その血の繋がりのない娘が長じて母そっくりとなり、女優を継ぐというのも皮肉である。

絵として観ても名作だと思う。
演出も的確であった。
子役も含め、キャストは申し分ない。
特に中越典子の美しさが際立った。









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地獄への道:モスルの戦い

The Battle for Mosul001

Highway to Hell: The Battle for Mosul
2017年

アーロン・ホレット監督

マット・ブラウン (映画プロヂューサー)

昨日は、保護者~担任の懇談会であり、わたしは長女・次女両方の担任と話をした。
わたしの時代と違い、こうあるべきという枠に全員を高圧的に当て嵌めてゆく、まず外部基準ありきという教育ではなく、ひとりの子どもの場所からその成長を促してゆく形が基本となっているところが確認できた。
理想が外部の何かではなく、その子がその子らしくなることにおかれているのなら、安心できる。
わたしもそれ以外のものにする気はない。

その辺の噺を二人とするため、昨日はブログは休刊とした。
独自の世界は芽生えており、どちらも好きなことをかなりやりためている。
ツールはパソコンで、完全に身体化してしまっているのは、致し方ない。
もう状況的にそれが何をやるにも前提である。
時々、口出ししながらも、このまま見守るつもりだ。

The Battle for Mosul002

イラク政府軍が、ISILにより2014年6月に奪われた都市モスルを奪還するため、同盟関係にある民兵組織らと共に起こした大規模軍事作戦である。2016年から開始された。
「モスル奪還作戦」とも呼ばれる。
第二次世界大戦以来最も激しい市街戦ということ。

ドキュメンタリー映画である。

The Battle for Mosul003

このような場において、子供の教育はどう保障されるか。
いやその前に、生命は、生存権は、だれが守るのか。
圧倒的武力衝突を前にして。
死は何処にでも転がっている。道々には兵士の屍が。

一人のISILを上空から発見次第、100人の民間人がそこに住んでいようが空爆で一掃してしまうという。
映画でも子供が病院に連れて行ってもらえず、設備のない避難所で絶命するシーンがあった。
実際、老若男女問わず疑わしいところには絨毯爆撃されている。
普通に民間人のいるところをISILが武力で占拠し、それをイラクと国際有志連合が武力を持って奪回を図るのだ。
当然の如く、街は壊滅的被害を被る。

The Battle for Mosul004

白旗をあげて銃弾の合間を縫って、荷物片手に逃げる民間人。
この環境で、学校も何もないはず。
友達も明日は、いるかどうか分かるまい。
実際、家族や親戚も、あっという間に空爆で亡くなってしまう。
かなり離れた場所にある病院はもう収容限度を超えて新しい患者には番が回ってこない。

ドローンから撮った映像か、、、
一台の猛スピードで走って来たオートバイが市街地で大爆発しその周囲が壊滅的な被害を受ける。
これが、反復されてゆく。
彼らにとっては、それが日常であり既視感に過ぎなくなる。

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そもそも、彼らの理想とは、何なのか。
一体、どうしたいというのか。
復讐の連鎖はよく見て取れるが。
誰もが怒っている。
その先は見えない。


これを彼岸の出来事といつまで捉えていられるか。
ISILが占領地を失っても、国際テロという形で拡散・潜在してゆくとなると、何処にいようが警戒は怠れない。




相原求一郎

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冬の北海道の極寒の雪景色を描き続けた画家。
色味が少ないのは、生温い色が許せなかったのだ。
わたしの住む土地にも時折雪は降り、全てを白く覆い尽くす光景に酔うことがあるが、そんな生温い雪ではない。
本当の雪なのだ。
とは言え、この「天地静寂」という絵には、僅かな緑が描き込まれている。
福寿草が死の雪白の中に垣間見えるのだ。

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満州に4年間兵役に就いていたが、そこでもずっと絵を描き続けた。
死と隣り合わせの緊張の続く日々に満州の原野を描き続けたことが、帰国後も原体験となって彼を突き動かす。
そして満州の原野に見た赤い夕日を、冬の極寒の北海道にそのまま見たのだ。

それからというもの、北海道の山の初冠雪の時期にそれを描きに行くライフワークが生涯続く。
(どうやら「初冠雪」というのが山に拘る画家や写真家にとって外せない特別なタイミングとなるようだ)。

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寒風吹きすさぶ北海道。
実家は埼玉県の川越である。
長男であるため家業を継がなければならなかった。
実業家と画家の二足草鞋を生きることとなる。
そのため北海道への取材・制作旅行も5日程度が限界であったという。
だが彼は死の間際まで病を押してその場所に赴く。

どの絵も、固い氷の潜む白雪の極寒の様相が余りに鮮烈で痛々しい。

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面白いのは、北海道を訪れ自らのスケッチする風景を8ミリフィルムに収めているのだ。
後の人間にとり貴重な資料であるが、本人はどういう意図で撮っていたのだろうか。
だが、真っ白い過酷な風景に対峙する画家の強靭な姿に圧倒されるだけではない、何かを感じる。

彼は冬の断崖絶壁を潮風に晒されながら描いている。
普通なら数分と立っていられない場所であろう。
そこまでして彼を追い詰めるものは何であったのか。
戦争体験も大きなものであったに違いないであろうが、、、。

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「天と地と」(150号)
まさに両極性を強く感じる非常に重厚な絵である。
これが彼の絶筆であった。
この絵の前で息をひきとっていたという。

この絵だけは、風景をそのまま写実したものではなく、構想をじっくりと練り、雪の峰と黒い丘と鋭く落ち込んだ崖を再構成して構築した風景であった。
これまでに描いて来た大切な場所を統合・構成した集大成の画像となろう。
生涯をかけた宇宙の創造だ。

自分の生涯の終わりに、このようなモニュメンタルな作品を残したいと、、、少なからず誰もが思うものであろうが。
山をこのところ作品によく見る。
これまで自分のなかで、「山」について想う機会はさほど持たなかったことに気づく、、、。
山か、、、。


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奈良原一高

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奈良原一高はもっとも好きな写真家のひとりで、すでにこのブログで1回、美術専門のブログ”Low”で4回記事にはしている。
主に「消滅した時間」について書いた「奈良原一高
敢えてまた書くのは、日美で観たから(笑。奈良原一高という人に改めて興味を持ったからか。
これまでも彼自身については書いたことはなく、久しぶりに番組を観て気づいたことや想い起したことなども含め書いておきたい(備忘録か)。

軍艦島の写真「人間の土地」でデビューした写真家である。
普通ならそこを撮るとなると、社会派的な報道写真の枠組みで構えてしまう誘惑というか使命みたいな観念に囚われると思う。
土門拳はまさにそういう使命感に燃えた写真家だ。同じ場所を「筑穂の子供たち」で世に出している。
(土門は「生活から遊離した抽象はやり切れない」と奈良原を批判した)。
だが、奈良原はすべての物事をイデオロギーを外して見ようとする。
物事はどのようにも捉え見ることが可能なのだと。
人が物事に接するとき、無意識に自分の内面~体制的先入観を投影して観てしまっていることが多い。
例えば軍艦島に隔離されて働く労働者(とその家族)は悲惨だという政治的固定観念である。
しかし実際の事物はそんな認識枠に留まらない広がりを持つ。
その広がりは宇宙大にもなる。
物事は、もっと美しくてもよいのだ。実際に美しい。そして残酷でもある。

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奈良原のデビュー前の写真に廃墟の軍需工場を撮った「無国籍地」がある。
まさにこれが写真家としての原点であろう。
彼は13歳で終戦を迎え、それまで信じていた国家や親友を喪う。一夜にして日本は民主国家となり梯子を外された。
この虚無感をまさに形象化した写真であったか。
土門の嫌った抽象を強く求めた。
やがて奈良原は芸術写真家として確固たる地位を得る。

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その前に、彼は大学時代、一年下に河原温がいた。以前河原についても書いたことがあるが、突出したコンセプチュアルアーティストである。
その彼の才能にいち早く気づき、あの「浴室」を購入していたそうだ。河原温の第一コレクターみたいだ。
やはりこの感性は突き抜けている。
ファッション写真に進出しても、その芸術的意匠は更に磨きがかかり、モデルと環境(背景ではない)が等価で切り離せない関係を成立させている。全体として、ひとつの風景と化しているかのよう。
空間の美学的追求と謂うより、林忠彦の「風景的人物写真」も想い起してしまうが、その抽象化度はかなりのものだ。
そして同い年の詩人、谷川俊太郎の「20億光年の孤独」が好きだという。
とても分かる(笑。
少年時代に経験した終戦時のB29の飛んでいないポッカリ空いた明るい青空の虚無~突き抜けた時空も原体験のひとつに数えられよう。
(その後の写真集にそれが強く感じられる)。

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絵画的な構図を極めた芸術写真家として高名になるが、彼自身それに対する違和感が強く芽生えてくる。
ひとつは、美輪明宏の謂うように、帰属意識を持たない(持てない)彼はどのような形でもそれに安住することは出来ない。
常に何からも自由であろうとする。
ヨーロッパに行き、「人間が構築した世界」その連綿と繋がる歴史の重さを体験する。
自分は、終戦を持って、歴史の全てを失ってしまった。
だがそれだからこそ、宇宙的(巨視的)な視線から文明の光景を切り取る作業が出来たという。
アメリカに赴き、他の惑星を見るような視点から多くの州~場所を撮り続ける。
(写真を撮る前は、自分を常に空っぽにするという)。
そしてスペースシャトルの打ち上げに臨み、地上の諸々の事物に深い愛おしさがこみ上げてくるのだった。
それはこれまでの全ての経験からの彼自身の解放でもあった。
「静止した時間」、「消滅した時間」にそれが見事に結実している。

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番組で面白いエピソードが語られていた。
ファッション写真を撮っていたころ、森英恵に服飾から自分で全てやりたいと言い、そこまでやることはないとたしなめられたということだ。田淵行男もそういう類の人であったが、優れたクリエーターは自分の作品に関わることは徹底して自作したくなるようだ。
確かに分かる気はするが、、、。


また彼の写真をじっくり眺めたくなった。




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田淵行男

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田淵行男という飛んでもない人を初めて知る。
共感し感動した。
これもまた、日美から(笑。
「まだ見ぬ頂を求めて」という題であったか。まさにその通りであった。
山岳写真に革命を齎した写真家だ。
1940年12月1日未明に彼が息を殺して撮った浅間山からそれは始まる。
(太平洋戦争一年前ではないか)。

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これまでの全貌を説明的に捉えた単なる記録写真から、部分を切り取ることでディテールからその山の本質を鷲掴みするような芸術的山岳写真を生み出した。記号的に対象を眺めて確認する類のものではなく、息を呑むような緊張感が張り詰める臨場感がそこにはある。恐らく作家がその場所を切り取る瞬間のこころのざわつきの感じられる程のものである。
この抽象画のような浅間の画像は、センセーショナルな話題を呼び多くの議論を引き起こしたという。
彼は学校の先生をしながら山で7000日を過ごしたそうだ。
一枚をものにするために多くの月日を必要としたのだろう。

更に彼は高山蝶の研究家であり、細密素描家であり、「本」の企画・立案・制作をも受け持つ所謂ディレクターか。
博物学的素養を持つ突出したクリエーターでもあった。
ともかく、「山」が好きで多面的に、とことんそれに迫った人であった。
(荒俣宏氏をつい想いうかべてしまう。向こうは魚であるが)。

これもまた、1枚限りの1本勝負である。
冬山にテントを張って待機し、早朝3時にカメラと割れたら終わりのガラス乾板を持って山道を凍えながら分け入って行く。
当時、カメラも重く、ガラス乾板による撮影でもあり、絶好の場所~光を息を殺して待ちそれを切り取るのが撮影であった。
今のように軽量高性能デジタルカメラで幾らでも撮り放題の時代ではない。
「リトレックⅠ」という日本製の寒さに強い一眼レフカメラが愛用機であった。
例の浅間も初冬の初冠雪の光景を狙ったそうだ。
彼の登場で、山の本質を芸術家の目で捉える山岳写真が生まれた。

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確かに違う。
そして彼自身が編集した、いやもはやディレクターとして最初から最後まで関り作り込んだ写真集は、もうそれ自体が高度なアート作品となっている。
プロの編集者でもここまで拘るのは、松岡正剛氏くらいだろう。
通常、写真家がそれを載せる本自体を自分の思いのままに作ってしまうなんてことがあろうか。
そこまでは到底手が回らないはずだ。
それぞれページ毎に異なるアートワーク、奇抜で斬新なレイアウトなど、読者への伝え方をどの次元まで突き詰めようとしたのか!
彼は写真を撮って後は編集者に丸投げする写真家と異なり、実際の読者にどこまで自分の撮った山の実質を知らせることが出来るかに極限まで拘ったのだ。

とは言え彼自身とても楽しみながら工夫を凝らしている気がする。
感性的な軽みやしなやかさを多分に感じ取れるのだ。
意匠を凝らしてはいるが、楽しく見れるものになっている。
遊び心も旺盛な人であったのではないか。

そして高山蝶の細密画。
博物学を治めた人らしい絵である。
対象に対する「愛」が半端ではない。
幼くして両親を亡くした彼の精神の拠り所でもあるのだ。
雪を纏う高山に惹かれ、寒冷地を求めそこに追いやられた蝶に自分を(運命的にも)重ねたのか、、、
これは肖像画でもあるのか。

tabuchi001.pngtabuchi002.jpgtabuchi003.jpgtabuchi004.jpg

どこまでも高みへ白く光る場所へまだ見ぬ頂へ。

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好きなこと、好きなもの、惹かれるものに彼は徹底して拘り続けた。
そうして出来上がったものが肌身に感じられるようなスリリングで美しいものであるのは当然だ。




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林忠彦

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「決闘写真」と彼は自らのポートレートを呼んだ。
よく目にする文学者のポートレートは、ほとんどこの人の撮ったものであることを知った。
(画家のものもある)。
一対一の存在を賭けた真剣勝負。
撮るまで、かなり長い時間をかけるという。

晩年は風景写真に移ったそうだ。
しかしそれも尋常な風景ではない。
「風景的人物写真」という(林氏の定義)。
わたしにとって新たな観念だ。
結構、NHKの日曜美術館とコズミックフロントネクストは、勉強になる(バラツキはあるにせよ)。
今回もそこから。


彼にとっては、ポートレートを撮ることは、被写体に決闘を挑む行為であったという。
まさにシャッターを「切る」間を巡る勝負か。
風景を薄暮の頃合いを見て撮るときも、侍みたいな掛け声をかけてシャッターを切っていた。
その絶妙な光の具合。
まさに「光画」というに相応しい。

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わたしにとっては何と言っても文学者のポートレートであるが、、、
作家それぞれの個性、世界観、ひととなりを見事に捉えているものばかり。
ひとつは太宰治のバーのスツールに胡坐をかき、誰かと談笑しているショットである。
栞にその写真が印刷されていたものを持っていたものだから、本を読み終わるまではそれとなく眺め続け、それを「太宰治」としていつしか馴染んでしまっていた。(それ以前は文庫本のカバーに印刷された如何にもナイーブで内向的な感じの写真であったが)。
ある時、彼は誰と話し込んでいるのかな、と本を閉じる際にふと思ったことがあった。
(その時は、話し相手は多分バーのマスターかなと感じた程度であるが)。
今回の番組で、その答えが知らされるとは夢にも思わなかった(これだけでも番組を観る価値はあった(笑)。
その話し相手とは、何と坂口安吾なのだ(彼はわたしの大好きなサティの「ソクラート」の日本語訳もしてくれている)。
そして、太宰を撮る前に、撮影したのがそのすぐ近くに座っていた織田作之助(「夫婦善哉」の作家)であった。
何というゴージャスなバーだ。この時代を代表する無頼派トリオ?が一堂に会する店とは、、、。まあそういう店だから林忠彦も網を張っていたのだろうが。
こんな機会に勝負をかけない分けにはゆくまい。

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もうひとつとっても気に入ったのが、その坂口安吾の自室でのポートレートである。
作家は普通、自分の書斎はなかなか見せてくれるものではないという。
余程の人間関係を結ばないとまず無理と言うものだ。
(わたしも友人の書斎はとても興味があり、家にお邪魔すれば無理を言って見せてもらうが)。
その執筆中の安吾の姿は彼の妻でも見ることの出来ないものであったそうだ。
これは快挙である。いくら見ても見飽きないそれは凄まじい混沌とした(エントロピーがピークとなった)部屋だ。
こういうところで、書いていたのだなあ、あの「堕落論」をとか、「桜の森の満開の下」とかを、、、と思うとホントに感慨深い。
実に感慨深い。

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他にも川端康成のポートレートを徐々に間合いを詰めながら撮って行き、ついに20年間かけて傑作をものにするなど、凄い執念である(粘着気質でもあるか)。面白いのは、谷崎潤一郎にこれで撮影を終わりますと言って、彼が気を抜き素で微笑んだところをすかさず別のカメラで表情を切り取ったという写真も趣深い。そういう騙し討ちも「決闘写真」のひとつに数えられよう。

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そして晩年の風景に対峙した写真であるが、、、
天候、つまり光の具合や時には雨などに強く拘って、その場を狙ったそうだ。
同じ場所に7回趣き、まさにこの光だ、というところでシャッターを切る。
人はその場にいないが、これまでにそこを通った人々の視界を追体験するような写真というか光画である。
確かにポートレートも顔だけで成り立つものだけでなく、環境ポートレートと呼んでもよい、彼の内面を饒舌に表す周囲の情報を纏ったものが多い。
そこから特定の人を抜き取った形のものが、彼にとっての風景写真=「風景的人物写真」なのだろう。
江戸時代の旅人の記憶を覘くような、、、。

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この写真家の作品は、これまで知らぬうちに、かなり目にしてきたことに改めて気づく。



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絵画クラブ「金陽会」

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菊池恵楓園(ハンセン病収容施設)の入所者で作られた絵画サークル「金陽会」のTV番組を観た。
ここのところ、日曜美術館はよく見ている。
小野正嗣さんにも馴染んできた(笑。
良い味を出していて好感が持てる。

彼はしきりに、サークルメンバーの絵が光に充ちていて、いのちを祝福する歓びの絵になっていることを強調していた。
不条理な差別を受け過酷な生を強いられたにも拘らず、安らかな肯定感に充ちていると。
全くその通りだとわたしも感じる。
直截な怒りを返す場合は、やはり言葉かなと思う。
絵という表現形式は、あまり批判~特定のメッセージの発信には向かない。
そのつもりで描いても絵はあまりに多くの情報を纏ってしまう。
どうしたって曖昧になる。

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仮に自分が受けた謂れ無き差別・偏見と隔離、人権と自由の剥奪に対し激しい怒りを日常的に抱えていても、絵を権力~暴力に対する報復手段には使えない思う。絵そのものの形式からしてそう思うが、もうひとつ自己実現のあらゆる可能性を奪われた場にあって唯一自分たちの力で獲得した自由な創作の場なのだ。
そこで思うままに絵筆を振っていくなかで当然様々な感情や想いが浮かんでくるにせよ、結局は自分が得るべくして得られなかったものを補完して行く過程となるのではないか。
わたし自身の場合もそうだ。だんだん面白くなるにつれて、それが形となって見えてくるものだ。
外に対する復讐などより、まず必要なのは自分を充たすこと、救うことである。
もう喉もカラカラなのだ。余計なことに力を割いている場合ではない。
皆さん恐らく水を得た魚みたいに活き活きと自らが生き直すように作業に没頭して行ったはず。

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描くうちに造形そのものへの歓びに充たされていく。
それは、描かれた作品を見れば良く分かるというもの。
世界が自らの手で創造できるのである。
自分が創造した世界に魅入るこの充足感。
愛情に包まれた動物の親子の微笑ましい世界であったり、幼い頃の懐かしく煌めく瑞々しい想い出であったり、ずっと行ってみたかった憧れの場所であったり、、、題材は何でもよいのだ。そのような自分を真に充たし喜ばせる世界を想像し創造する方向に自然に向かうはず。
外に攻撃の牙を剥くより、こちらの方が遥かに大きな快感が得られるし、まずやるべきことであった。
そしてやり始めたら、どこまでも止められない。
創造とはそういうものだ。

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必然的に技量も上がり個性も洗練される。
外の人に向けて展示する機会が生まれ、そこで高い評価を得る。
これはすでに敵対ではなく包含の関係である。
われわれの世界の方が豊かで広かったのだ。
これ以上の満足があろうか。
更に心身ともに元気が湧き、より造形意欲が増してゆく。
もはや、ハンセン病患者が苦難にもめげずに一生懸命描いた絵です、などというレベルのものではない。
何の枠も関係ない、純粋に優れた造形的価値を持つ絵となっていた。

そしてとても静かな境地に達する絵も生まれてくる。
暖かい絵、大胆な絵、可愛らしい絵、楽しい絵、、、どれも見事に熟成していて大変味わい深い。
見飽きることがない絵ばかりであった。

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改めて、昨日の秋野亥左牟ではないが、「絵」の力をつくづく思い知った。
絵による浄化、歓びの世界の構築。
基本、絵の創作とは精神運動を絶大な肯定力に向かわせるものなのだ。

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秋野亥左牟

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昨日は、庭仕事で余りに忙しく、記事をアップするどころではなかった。
パソコンの前に座る暇もない状態で、ちょっと健康的な気分を味わった。
頭も空っぽになり、亀とも親交を深めた。
本当はこっちの方が正しい生活ではないか、と思う。
いや恐らくそうだ。

秋野亥左牟、、、例によって日曜美術館で観る(笑。
日本画家の秋野不矩の次男である。
絵本作家として高名なそうだが、わたしははじめて知った。
かこさとし以外の絵本作家で、これほどの人がいるとは、、、
(長新太はこの際、出さない方がよいか)。
かこさとしとも、全くタイプは違う。

机上に研究資料を積み重ね準備をしてから仕事に取り組むのではない。
基本は、天と地の間に身をひとつおく。
赤裸々に生きる。
そこに初めて何かが生まれてくる。
場所の魂を呼び込む巫女みたいな人だ。

akino isamu

所謂、雰囲気的にはヒッピーみたい。
流浪するヒッピー。
ただし、直ぐに地を横断して去って行くのではない。
まずその土地に暮らし、現地の人との交わりを通じてその土地ならではの伝統を継承したかのような絵~絵本を描く。
それが絵~絵本を描くプロセスなのだ。

彼にとっての旅~異国での生活とは、身に付けてしまったものを剥ぎ取る儀式でもある。
間違っても知識を蓄積して行く過程ではない。
彼は障子の巻紙を担いで旅をしたらしいが、その長い巻紙に現地の画家が描いたかのような作風による絵が生成される。
そこに押し付けがましい個性や自我は窺えない。
「プンクマインチャ」ネパールの民話を題材にしたものなどは、特に素晴らしい成果に見える。
TVで見る限り細密な様式美による線描と鮮やかな色彩である。
わたしにとってえらくエキゾチックな絵に見えた。

akino isamu002

今日、絵本は注文した(笑。
じっくり眺め味わたい。
日本の民話、伝承も怖いものが少なくないが、これもかなり恐ろしい噺らしい。
とても楽しみである。

彼は辺境を愛した。
中央が失ったもので生きているからである。
彼は終戦を経験したことで権力に対し酷く失意を覚えその後、高校時代に共産党に傾倒するもそこでも権威に翻弄されることになる。
当時、共産党は彼に危うい任務を課しておきながら後にそれは一部の党員の暴走によるものという形であっさり弁明~処理して終わった。その出来事はその後の彼の世界観~生き方の基調を形成したように窺える。
彼の母である秋野不矩は「亥左牟の運動には悲しみが肉体化していない」と語ったという。
確かにその歳頃特有な観念的な志向により足を掬われた感が強い。
母はインドで絵を教える仕事があるから一緒に来なさいと亥左牟を誘う。
この旅で、絵の力を真に実感することとなる。
これで彼の行く末が決定的となった。

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旅の人生を彼は送ることとなる。
そして辺境の地を体験、時には漁師(海人)となり、海の中で独りを体験し、空~星~海を知ることとなる。
干潮、満潮、星の位置と動きを知り、生きた海~宇宙を悟った。
ある意味、贅沢である。
本の知識では得られない、身体に染み渡る英知であろう。
そんな場所から生み出された作品である。
どれほど凄いか、、、。

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わたしにとって、かこさとしと秋野亥左牟が絵本界の双璧となりそうである。


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平櫛田中

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平櫛田中
「日曜美術館」で初めてその存在を知る。
廃仏毀釈も手伝い、木彫が廃れてしまった時期に近代日本の代表的木彫作家として活躍した。
「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」
並々ならぬ使命感が窺える。

日本の伝統美術の価値を高く評価する岡倉天心からの影響で基本となる作風が決まる。
「不完全の美」
表現しない部分を残し見る側が想像力を働かせ全体像~世界観を把握する。
この代表作として「尋牛」が生まれる。

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この作品は特に時空間の拡張を伴う。
自分と重ね弛まぬ修練を続け歩み続けるその姿~場所である。
尊敬する岡倉天心の像も幾つも傑作を残す。

そしてロダンからの影響。
暫くの間、裸婦モデルを使った彫像による制作に没頭する。
西洋の彫塑作家のように人体構造などの徹底した造形研究を木彫制作にも活かしてゆく。
対象の構造把握をしない~対象に対する洞察をせずに制作技量だけ高めてしまう当時の木彫の水準を脱する。
その成果が「転生」となる。

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そして彼の代表作は何と言っても「鏡獅子」であろう。
国立劇場の正面ホールに置かれる「鏡獅子」は、圧倒的な大作である。
2mの高さで美しく彩色されたものである。

6代目尾上菊五郎をモデルに22年の歳月を経て完成させた途轍もない力作であるが、精緻な彩色が成されている。
この彫刻~立体像に彩色を施す意味とは何か。
仏像も、今現在全ての色が脱色し、所謂「わびさび」をしみじみ感じる様相を呈していても、かつては原色の極彩色で鮮やかに塗られていたものが多い。
彩色された像を見るとわたしは大変エキゾチックな印象を持ってしまう。
そして彫塑というより、人形を想わせる。
この辺がどうにも悩ましい。

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だが、この「鏡獅子」に関しては、彩色は全く自然の不可避の造形要素であると感じられる。
モデルが尾上菊五郎という歌舞伎役者であるところも大きい。
ちなみに6代目尾上菊五郎の裸像もあるが、こちらもミケランジェロばりの筋骨が表現されており素晴らしい。
(6代目は数えきれないほどのモデルを務めてくれたそうだ。この協力あっての賜物であろう)。

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岸田劉生

『驚く可きは実在の力
自分は猶これを探り進めたい』

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「道路と土手と塀」
この坂の向うに何が控えているのか、どのような広がりがあるのか、とても怖いが好奇心は更に大きく疼く。
路に横たわる二本の黒い影が不安を煽る。

実在に迫る。
確かにそれが放つ力~面白さ~異様さに惹き付けられてゆき、想像力に接続する。
この土の路のボリューム(量感)とムーヴマン(動勢)はもはや尋常ではなく、それは想像力をエネルギーにしてせり上がる。
文字通りにせり上がる。
遊び心もあるかもしれない。
だがそれがどう展開し得るか、かなりの危うさを秘めている。

物は動いてゆくことをわれわれに思い起こさせる。

岸田劉生はデューラー(写実の極み)とウィリアム・ブレイク(幻視)に深く傾倒していたと謂うが、それは完全に血肉化されていることも分かる。
表面的に似ているなどの(影響は)感じさせない。
少なくとも彼は、ラファエル・コラン経由の折衷的(印象派と象徴派を口当たりよくミックスした)作風を西洋絵画として継承していた当時の日本油絵画家とは一線を画する。
おフランスから取り寄せたこじゃれた油彩ではない。
独自の思索を突き詰めた絵画である。


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「麗子像」
上下に圧縮されていて手がとても小さい。
そしてこの謎の微笑は、、、。
とても日本的に思える。
自らのルーツに遡った姿が娘の肖像「麗子像」へと昇華したかのような。
いつもこの絵を観ると仏像を重ねてしまうが、よくよく見ると尚更そう見える。
有難い気持ちに何故かなる。

写実を極めた先の帰結としてのデフォルメ。
最初からピカソやマチスの真似から入ったデフォルメではない。
本物の形。

『驚く可きは実在の力』

本物の絵もこの力を持つ。


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小早川 秋聲

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「國之楯」

従軍画家、小早川 秋聲の作品「國之楯」の静かな衝撃は未だに脳裏を巡っている。
はじめて見た時、ミケランジェロの「ピエタ」を想った。
しかし「ピエタ」は、神聖で荘厳な作品であるが、地続きに共感できる人間的ドラマも重ねて見ることも可能だ。
だが、この「國之楯」は、これを前にして無言で立ち尽くす以外に何もできない。
自分なりの言葉に絡めることが不可能なのだ。
何らかの形で押さえようとしても言葉が全て滑り落ちてしまう。

完全に隔絶されているのだ。
そこに見えていても、その場所は、この時空に存在していない。
全ての意味の文脈から断ち切れた。
まさに「死」の場所。
その姿が無限の重みとなっている。
顔は日の丸の旗に覆い隠され、手にも手袋をして横たわる身体は、生身を全く晒していない。
この身体は、もはや誰にも触れえないことが分かる。
如何なる言葉も受け付けない。
「死」の実相にこれほど迫った絵画があっただろうか。

小早川ほど長期に渡って兵士と同じ地平で共に過ごした従軍画家はいないと言われる。
自身、軍人であり僧侶でもあった日本画家だ。
常に兵士と行動を共にしてその最前線における生の現実を描き続けた。
つまり、突撃風景よりも寧ろ彼らの日々の生や死とそれを弔う姿~光景をすぐ隣で描いて来たのだ。
日本にいて写真などを元に戦意高揚のための観念的な絵を描いた戦争画家とは、明らかに一線を画する。
彼ら戦争画家は(例えば藤田嗣治の「アッツ島の玉砕」など)日本の兵士の死体など一切描かず、敵の死体が累々と積み重なるところを勇猛果敢な日本兵が死を恐れず突き進むといったものである。
(玉砕ならば、日本兵が全員死んだのである)。
または、真珠湾攻撃の様を上空から俯瞰した(航空写真の)構図でモニュメンタルに描いたものが傑作として残されている(これも藤田嗣治のものが有名)。

そうした絵のなかで、超然と際立つ作品である。
この作品は日本軍から受け取りを拒否された。
だが、この絵を観た兵士誰もが、帽子を取り敬礼をして動けなくなったという。

そう、それを前にして動けなくなる絵画である。




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亀、ほぼ回復~娘の遊びの送り迎え

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亀の白カビ病はほぼ治ったと言ってよいか。
O君がわざわざ赤チン(マーキュロクロム液)と亀のおやつ(天然川エビ)を送ってくれたこともあり、治りも早くなったように思える。
それにしても、赤チンは懐かしい。
子供の頃、転んで膝を擦り剝くと決まってこれを塗っていたものだ。
だから怪我の部分はいつも赤かった。
外を飛び回っている腕白どもは、皆どこかに赤チンが塗られていた(笑。
いつから赤チンが薬屋から消えたものか、、、。
と謂うより、よくO君はこれを持っていたものだ。
O君もS君も不思議なものを持っており、時折見せてくれたりプレゼントしてくれもするが、こういう時は助かる。
(S君の場合は、作ってしまうのだが)。

さて、亀の患部を見ると白く纏わっていたものがほとんど見えないレベルになった。
もう明日からは、単純に水替えだけにするつもりだ。
体を毎日、念入りに洗っていたのだが、その洗い桶でも隙あらば脱走しようと縁にしがみ付き必死に懸垂していたことで体力も付いて回復に良い結果を齎したかも。
それから、最近彼らは決まって新しい暖かい水に入ると気持ちよさそうにまず、ウンチをするようになった。
そのため、必ずそこでまた水を新しく替えることになる。
考えてみれば(考えるまでもなく)厄介な奴らだ。
まあ、出るものが出るのは健康的で良い。

うちは冬眠がちょっと怖いので冬でも水温は温め、普通に生活させている。
今後もそのつもりだ。

赤チンから想い起すが、かつては子供は結構好きな時間に外で遊び、陽が落ちてかなり暗くなっても夢中になって遊びほうけていた(自分もそうだが)。遊ぶというとほとんど外を飛び回っていた記憶が強い。
勿論、子供だけの世界であり、そこに親の介入など全くなかった。
今日もそうだが、わたしはここのところずっと、娘の遊びにも(塾に限らず)送り迎えをしている。
「誰ちゃんの家で遊ぶ約束したの」ということで今日もその子の家の門まで次女を送り、携帯で「もうすぐ帰るの」という連絡で門まで迎えに行って連れて帰った。これの繰り返しである。ホントに送り迎えばかりしている(爆。
家の中では、ほとんどオタク噺とゲームをしている様だが、凄く面白かったというので、それはそれでよいかと思うが、、、。
今夜はカレーを食べたいと言うので、野菜のたっぷり入ったカレーを作った。


こうした感じで、亀たちと娘たちの世話が当分続きそうである。


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わたしは、ダニエル・ブレイク

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I, Daniel Blake
イギリス、フランス、ベルギー
2016年

ケン・ローチ監督
ポール・ラヴァーティ脚本
ジョージ・フェントン音楽

デイヴ・ジョーンズ、、、 ダニエル・ブレイク(心臓病を患う大工)
ヘイリー・スクワイアーズ、、、ケイティ・モーガン(シングルマザー)
ディラン・マキアナン 、、、ディラン・モーガン(ケイティの長男)
ブリアナ・シャン 、、、デイジー・モーガン(ケイティの長女)
ケマ・シカズウェ、、、チャイナ(ダニエルの隣人)


制度的に給付金が支給されにくいシステムになっているのか。財政赤字から福祉関連の支出を極力抑えるように故意に手続きを煩雑にしその対象となる人々に諦めさせようとしている実情が見て取れる。
姑息な手だ。
かつて福祉大国と謂われた(揺り籠から墓場までの)イギリスもこのような為体である。
経済的に停滞が見えている先進国の多くはこう言った状況なのだろう。

ただし、どうであっても心臓に病を抱え主治医から就労を止められている者~国民に対し、何の経済的支援~保証も出来ないのであれば、最早国としての体をなすまい。
あからさまに生存権が侵されているではないか。緊縮政策のしわ寄せが福祉面に如実に表れている。
ここは大きな問題である。
国民側もサイレントマジョリティーでしかない。
であるからか、ダニエル・ブレイクが壁にスプレーで文句を書き付けた時に、如何にも経済的に底辺に暮らしているような人々から声援が自然に沸き立った。閉塞空間に小さな風穴が開いた感じだ。

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ダニエルが支援手当の給付の審査に赴いた時から、その後ずっと滞って話が進まないどころか、僅かな申請上のミスや不備を突かれ受給停止や罰則まで課せられる始末。
しかもバカげた質問をくどくどした挙句に就労可能という判断を下す。君は医者かねという質問に医療専門職であると事務的な答えを返す。そして彼に求職活動をして支給の審査を受けろという。
ここでは、特にお役所側は、助けを求めて長い時間並び漸く呼ばれた人を、杓子定規な言葉と理解不能な対応で遠ざけつづける。
普通の神経なら苛立つのは当然だ。
彼は実直で腕の立つ人情に篤い大工であるが、パソコンなど必要ない世界に生きて来た。
それが死活問題の手続き全てパソコンなしでは出来ないウェブ上での作業なのだ。何時間かけてもエラー音に悩まされ続ける。
お役所が国民に対し敵対しているようにしか見えない。
そんなとき大概周囲はその人に対し自己責任と謂って突き放すだけであろう。
彼はただ真面目に真っ当に生きて来ただけなのだ。それのどこが悪い?

フランツ・カフカもお役所の役人であったが、ある労働者の救済の為、自らが彼の弁護士を内緒で雇い、自分たち(役所側)が裁判で負けるように仕向けたそうだ。カフカの(自称)弟子であるグスタフ・ヤノーホの手記にあったエピソードであるが、後にそのことを知った労働者は、カフカの事を「聖者」と呼び深く感謝していたと。それは尊い行いであると思った。
しかし聖者がそこここにいるわけはなく、この噺で描かれるのは弱者同志のお互いの状況の理解と同情・共感による相互扶助、支え合いの精神の尊さである。
この人と人との関係の原点に立ち戻り、再度システムの見直し~改善をすべきではないか。
システムこそが肝心であり、何処かにいるかも知れない良い人頼みというわけにはいくまい。
現状のシステムでそのまま行けば、エアポケットに落ちてしまう人は必ず出る。
誰がそのシステムの歯車に就いても多様なニーズに応えられるものにしておかなければ悲劇は続く。
セーフティネットの完備を目指すべきである。

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しかしここではシステムには回収できない個々の生身の人間同士の触れ合いの大切さが押さえられている。
ふたりの幼い子供を抱えたシングルマザーのケイティとの出逢いはお互いにとって感情を清めるものになったはず。
不寛容に対する怒りの感情よりも同情と他利的な思考に充たされる方が人間として幸福であるのは言うまでもない。
わたしが最もショックを受け胸が熱くなったところは、ケイティが慈善団体の催すフードコートで、思わず缶詰を開け中身を食べはじめてしまい、我に返りその行いを恥じて動揺を隠せないでいる場面であった。すぐさまダニエルが駆け寄り彼女を慰め元気づけていたが、過酷な生活の耐え難い空腹からしてしまったことで酷く自尊心を傷つけてしまうのだ。
しかしこれが生活であり、そこに寄り添える相手のあることの大切さである。
これは何にも代えがたい。

I, Daniel Blake002

様々な面で、経済面・精神面に渡りダニエルはケイティ一家を援助するが、彼自身の力も尽きてしまう。
ケイティ一が強力な支援機関を探し出し、今度はダニエルに恩返しをしようと彼をその機関に引き合わせるも、そのトイレで心臓発作で倒れ、帰らぬ人となる。
彼の葬儀にケイティ一が「彼はお金で買えぬ物を与えてくれました」と述べ、ダニエルのポケットに入っていた紙のメモを読み上げた。

「わたしはクライアントでも顧客でもユーザーでもない。怠け者でもたかり屋でも物乞いでも泥棒でもない。国民保険番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた、それを誇りに思っている。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しはいらない。わたしは、ダニエル・ブレイクだ。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度と言うものを。わたしは一人の市民だ。それ以上でもそれ以下でもない」

鉛筆書きの履歴書であろう。
役所で何を学んできたのかと言われ撥ねつけられたものである。






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女神の見えざる手

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Miss Sloane
2016年
アメリカ、フランス

ジョン・マッデン監督
ジョナサン・ペレラ脚本


ジェシカ・チャステイン、、、エリザベス・スローン
マーク・ストロング、、、ロドルフォ・シュミット
ググ・ンバータ=ロー、、、エズメ・マヌチャリアン
アリソン・ピル、、、ジェーン・モロイ
マイケル・スタールバーグ、、、パット・コナーズ
ジェイク・レイシー、、、フォード
サム・ウォーターストン、、、ジョージ・デュポン
ジョン・リスゴー、、、スパーリング上院議員


ジェシカ・チャステインは「ゼロ・ダーク・サーティ」の主演女優であった。
今回は辣腕ロビイストを重厚に演じる。
凄まじい生き方だ。
その緻密に先を読んだ企画力と大胆な発想と行動力、更に自らを一つの駒として投企し勝利をものにするなんて誰も思いも及ばぬところだろう。そこまで周到な計画が立てられるのか、と唖然とするしかない。
やることの一つ一つは限度を超え冷酷無比に思えても全てを総合して最終的に見れば、社会の停滞や腐敗の悪循環を鮮烈に打ち破る破壊力を確かに発揮していた。それをもって正義と謂っても良いだろう。
(こういう人が実際にいるのだろうな、と思うと背筋が凍り付くが)。

Miss Sloane002

それにしても脚本が凄い。
観始めると目が離せない。
先の読めない展開には冷や冷やし通しである。
エリザベス・スローンのヒールな潔さに感情移入してしまい、彼女を応援しながら見ているもので、気が気でないのだ(笑。
基本彼女は自分の陣営においても孤独なのだから。
彼女の先の先を予測する目と独自の手法に誰も付いてこれないことからも。
これは飛び抜けた能力によるというより、唯一無比の個性によるものと謂えるか。
やることが尋常ではない。
ここまで稠密でスリリングなポリティカル・サスペンスは、観たことがない。
これ程超脱したヒロインも見たことがない。

内容は、銃規制法案を巡る、ロビイスト同志の闘いでもあるが、実質独りで立ち向かうヒロインの壮絶な人生の物語だ。
常に人の裏をかき出し抜き欺き、情報を操作し、ターゲットを操り誘導し、自分(たち)の政治的思惑を成功に導こうとする過酷と謂えばこれほど過酷な仕事もあるまい。
だが、彼女の場合、クライアント~大物のお得意様に依頼されれば、どんな仕事でも引き受けるというものではなく、確固たる選択基準があり、自分の意志にそぐわない仕事は引き受けない。
自分が真に正しいと信じた仕事のみを、手段を択ばずやり遂げ勝利を手にすることが、彼女の歓びであり目的なのだ。

Miss Sloane003


ジェシカ・チャステインがこれ程の女優であることはゼロ・ダーク・サーティの時は気づかなかった。
非常に役柄に説得力を感じた。
余りに凛々しく孤独すぎるが実際にいてもおかしくないリアリティを覚える。
稀に見る作品。



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ボディ・ハント

House at the End of the Street001

House at the End of the Street
2012年
アメリカ

マーク・トンデライ監督
デヴィッド・ルーカ脚本
ジョナサン・モストウ原案

ジェニファー・ローレンス、、、エリッサ・キャシディ(17歳女子高生、バンドで音楽活動)
マックス・シエリオット、、、ライアン・ジェイコブソン(隣家に住む青年)
エリザベス・シュー、、、サラ・キャシディ(エリッサの母、医師)
ギル・ベローズ、、、ビル・ウィーヴァー(警察官、相談相手)
エヴァ・リンク、、、キャリー・アン(ライアンの妹)

サラとエリッサの母娘が森の端の片田舎の家に引っ越してくる。
すぐ隣の家が3年前に父母を障害のある娘が殺すという悲惨な事件があった家だった。
そのせいで、地価は低落していて、家もお手頃な値段で借りることが出来た。
問題の家がすぐ隣であることに母は胸騒ぎを感じる。


「僕はキャリーじゃないよ」
「あなたはキャリーよ」と母の怒りに触れ殴られる。
ライアンは幼い頃、ブランコ事故で妹のキャリー・アンを喪ったことで、両親に妹の替わりとして育てられる。
(ちょうどダリが亡くなった兄の身代わりとして育てられたように)。
彼はアイデンティティを認められず、常態化した虐待の中を生きて来た。
思春期となり、力の均衡がズレ、彼は両親を殺す。
この時、彼は誰として殺したのか?キャリー・アンとして?新生ライアン・ジェイコブソンとして?
キャリー・アン=ライアン・ジェイコブソンとして殺したのか。

表向きは、事故で頭を打った障害で暴力衝動~殺意をもつキャリーが両親を殺害しそのまま行方をくらましたこととなっている。
つまりライアン・ジェイコブソン(という人物)は、惨事に逢った家族の生き残りの一人に過ぎない。
犯人の兄である。
当時、彼は叔母の家に預けられていたという(そういうことになっている)。

足枷は確かになくなった。
この時点から彼は自分自身として生きることを始めようとしたのか。
だが、直ぐにそれが可能とはならなかった。
彼は、自分のアイデンティティを成立させるために、キャリー・アンを必要とした。
なくてもやり直すことは可能であったかも知れぬが、彼には必須要素であったようだ。

どのようにして彼はキャリー・アンを調達していたのだろうか?
こんな片田舎で。
美女が一人でも失踪すれば、直ぐに街中大騒ぎになろうが。
しかもライアンは買い物すら出ることを控えるほどの引き籠りに近い生活を送っている。

House at the End of the Street003

こうした猟奇ホラーには必須の地下室がここでもしっかり機能を果たす。
ここに犯人の深い闇の快楽と原罪の秘密が詰まっている。大変な情報量だ。これは誰もが怖さ見たさで入ってみたくはなる。
お化け屋敷よりずっと怖い。
向こうの人(欧米人)は、訪ねた家に人がいないときに、平気で家探しをするというところもこうした映画では必ず見られる彼らの習性のようだ。そして必ず何かを見つけ出し自ら危険に陥る。ある意味、自業自得だ。
妙に話が分かるお節介(親切)な警官が深入りして、絶体絶命の主人公にあと一歩のところであっさり殺されるところも、定石通り。

勿論それだけではない。
ライアン・ジェイコブソンが如何にもその地の住人に不当な差別を受け、謂われなき悪意を向けられているかが強調され、そのなかで、独り静かに誠実に生きているさまをこちらにそして主人公エリッサに示す。当然、それに対する同情を呼ぶ。
更にこちらには彼が秘密裏に、暴れて外に飛び出す妹を匿って養い面倒を必死で看ている様が窺える。
だが、地域で一番健気で良いヒトこそが、ホラー製造鬼なのだ、という既視感。

と謂うより、少し捻くれた感じで観てゆくと役者が幾ら上手くても、中盤くらいで薄々分かって来る。
ここでは、包丁を持って屋敷を脱出したキャリー・アンを止めようとして、首を折って死なせてしまい、何てことをしてしまったのかと悔いた後あたりから完全にこれは黒だと分かってしまう(その後、キャリーのスペアを用意するところでやっぱりねと何なんだ、である(爆)。
主人公のエリッサに疑いが過るのはもう少し先であるが、それまで贔屓をして必死に庇っていた人間が殺人犯であることに気づきショックを受ける。
そして彼が殺意をむき出しにして襲い掛かる、主人公に迫りくる最大の危機。
そこへ、もっとも(本当に)彼女を大切に思う、来るべき人が飛び込んでくる。
すんでのところで、彼女を救う。
必ず事件の流れに親子のドラマ(不和~葛藤~和解)を絡めるところも忘れてはならない。

House at the End of the Street002

これぞ、ホラーの鉄板パタンなのであろう(笑。
もはや様式美の世界かも知れない(TVの水戸黄門みたいな)。
素直に観れば、上手にこちらのミスリードを誘う演出と脚本で、充分に愉しめるものだが。
ジェニファー・ローレンスのファンには、観て損はない内容と謂える。

最後、治療施設に収容されたらしいライアンであるが、彼は自分のアイデンティティが生み出せるのだろうか。






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隔離

Solitary002.jpg

Solitary
2009年
アメリカ

グレッグ・デロチー監督・製作
ジャスティン・ヘイス脚本・原案

アンバー・イエガー、、、サラ
アンドリュー・ジョンソン、、、レズニック(医師)
キーロン・エリオット、、、マーク(夫)
クリスティン・サリヴァン、、、ジーナ(姉)
B・アンソニー・コーエン、、、刑事
ダルトン・リーブ、、、刑事


とても緊張感ある映画であった(字幕が変だったが)。
終盤まで、サラが幻想の内にいるだけなのか、彼女の相続する遺産を巡って周囲の者が陰謀を企んでいるのか、判然としないままに物語は深みに嵌って行く。
広場恐怖症のサラは2日前に夫マークが失踪してしまい、家を出ることが出来ないまま、手を尽くして夫の安否を探ろうとする。
だが家の周囲と室内で昼夜を問わず不審な動きや物音がする。
不穏な気配に悩まされながら夫や会社に電話をし、警察にも捜索願を出すが、一向に進展しない。
夫の幻が克明に見えたりもする。そして赤ん坊の泣き声なども聴こえた(姿を消した夫は子供を欲しがっていたが、サラはまだその要求は飲めずにいた)。
ほんの僅かでも彼女は普通に外には出られない。少しでも出たら、パニック障害で呼吸を酷く乱して家に戻らざるを得ない。

姉と高名な精神科医が彼女のケアと治療に家まで訪れる。
何度も彼らの訪問が繰り返されるうちに、サラの苛立ちは増してゆき、彼らに対する疑念が沸き上がって来た。
幻や物音だけでなく悪夢も見るようになる。
そしてジーナやレズニックに対する敵意すら湧き上がってくるのだが、ここへ来てサラ自身にも自己解体の兆しが訪れる。

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徐々に飛んでもない外傷経験から精神崩壊を免れるために彼女の意識がしいた防衛機制が解かれてゆく。
そしてずっと開けることを拒んでいた部屋をサラが決心して開けたことで、6か月前の自分の誕生祝いの日に自動車事故に遭い、夫が亡くなっていたことをようやく思い出す。
事態を知った彼女は姉に謝るが、それだけではまだ不完全であった。
自分自身についての認識が欠けたままであった。

それは無理もない。
実は彼女も無事ではなく、その事故で意識不明の昏睡状態にあったのだ。
意識がないのに夫の死をどこで悟ったのか。
それとも意識の離脱があったのだろうか。

再びパニックになり、レズニックと口論となり、彼の存在を消したいと願う。
そしてレズニックを撃ち殺した後で彼のノートパソコンを開き、全てを悟る。
潜在意識下にあって、ノートパソコンから事態を客観視するというのも、如何にわれわれの(無)意識がテクノロジーを前提にしているかが良く分かるところだ。
サラは病院のベッドで意識のないまま生命維持装置で辛うじて生きており、レズニックとジーナが懸命に彼女の意識にアクセスを試みているところが俯瞰されたのだ。
そう、幽体離脱した魂は上方から自分とそれを取り巻く人々を俯瞰するという。その角度からのパソコン映像だ。

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つまり、姉の願い~目的とは、昏睡状態の妹自身にこれから先の判断を委ねたいという切なるものなのだ。
わたしの先ごろ亡くなった叔母も7年間に渡り生命維持装置で「生きていた」のだが、こんな激しく葛藤する夢の中を生きていたのだろうか、、、。
世界の破れ目を日々感じない為、何の疑問もなく生活を営んでいるが、もしそれが多少なりとも思い当たるようであれば、今いる世界~自分を疑った方が良いかもしれない。
精神科医の遺体はキレイに消えていた。
もはやすべてが明らかであった。
これまでのサラに起きた混乱は、全て夫との関係における葛藤(主に子供の件)やサラ自身の抱える広場恐怖症なども含む実存的不安が成せる現象に相違なかった。
それが明白になったところで、彼女はこころからレズニック(の治療)にお礼を述べる。

そしてサラが開いた部屋に見た光景は、マークが以前から欲しがっていた赤ん坊を彼があやす姿であった。
その可愛らしい赤ん坊はサラによく似ており、目元は夫にそっくりであった。
最愛の子供を抱き、二人でミルクを作って与える。

外にも何の障害もなく安らかに出てゆき、陽の光を全身に浴び彼女は笑顔で全てを受け容れた。



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デッド・フレンド・リクエスト

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Friend Request
2016年
ドイツ

サイモン・ヴァーホーヴェン監督・脚本

アリシア・デブナム・ケアリー、、、ローラ・ウッドソン(心理学科の女子大生)
ウィリアム・モーズリー、、、タイラー・マコーミック(ローラの彼氏、研修医)
コナー・パオロ、、、コービー(ローラの元カレ、プログラマー)
ブリット・モーガン、、、オリビア(ローラの親友)
ブルック・マーカム、、、イザベル(ローラの親友)
リーゼル・アーラース、、、マリーナ・ミルズ【マリーナ・ネデファー】(黒魔術を操る女学生)
スーザン・ダンフォード、、、キャロライン(ローラの母)
ショーン・マークウェット、、、ガス(ローラの親友、イザベルの彼氏)


Jホラーのテイストであった。
これは怨念モノであり、情念モノとも謂える。
根拠もなく手あたり次第、次々に人々を最後まで殺し続ける西洋ホラーとは一線を画する。

貞子もそうだが、この時代デジタルソースに乗って、ウェブ上から波状攻撃をスピーディーに仕掛けてゆくのがトレンドだ。
黒魔術の使い手マリーナ・ネデファーも貞子と同レベルのスキルとパワーを有する。
パソコンの黒いパネルがそのまま黒魔術の黒鏡と等価の役割を果たしているようであった。

Friend Request002

マリーナ・ネデファーという突出した存在が物語を支配する。
全身火傷の瀕死の母から生まれて施設に引取られ、虐めのターゲットにされながら壮絶な幼少年期を経て孤独のまま大学にまで至る。
SNSに自分の制作した動画をアップし続けているが、友人は0であった。
明らかに黒魔術の不気味な面白い動画なので、イイねやフォローや友達申請が来てもおかしくないとは思うが、0なのだ。
(SNSにおけるフレンドの濃密さは、そのSNSの属性により大きく違う。フェイスブックの場合、実名登録で知っている人が基本友達になることが多い為、濃い関係ではある)。

一方、同じ大学のローラ・ウッドソンは誰もが憧れるアイドル的存在で、SNS上の友達数も大変な数である。
しかも研修医の彼氏もいて、親友にも恵まれ、何一つ不自由のない満たされた生活を送っていた。
この人気者の彼女に、全く孤独でいつも一人のマリーナが友達申請をして来る。
ローラはサイトの動画の出来映えを見て才能に惹かれ、申請を承諾する。

Friend Request003

はじめて出来た友達に喜びを隠しきれないマリーナであったが、ローラは実生活で特に親しく関わるつもりはなかった。
この辺の温度差は通常不可避であろう。
マリーナは、ローラとの距離を急速に詰めて来て、誕生パーティーにも呼ばれていないにも関わらず主席しようとする。
この件でローラは他者との距離感覚に乏しいマリーナとの友達を破棄する。
それを受けて、マリーナは儀式として黒鏡の前で首をくくって火で焼かれる「自殺」をして(生まれ変わり)ローラに呪いをかける。

まずはマリーナはローラのアカウントを乗っ取り、自分の自殺場面をウェブ上に拡散する。
しかし同時に自分のアイデンティティを証明する現実の全てのデーターは、抹消してしまった為、実際に彼女が実在したかどうかを訝る者も出てくる。元々影の薄い存在であったこともあり。
警察は、ローラのSNS(IPアドレス)からの発信であった為、彼女を疑うが、捜査は一向に進展しない。

メッセージ~動画のアップは、マリーナ死後も続き、ローラにも孤独を味合わせるという趣旨のメッセージが届いて来る。
その通りに実現して行く。
彼女の周りの親友たちが不審な死を遂げてゆくのだ。
ローラは、恐れ戦き焦燥しながらも何とか手を打とうとするがどうにもならない。
然もその殺害場面を撮った動画が、ローラのSNSを通して配信~拡散されてゆくのだ。
彼女は、一人また一人と親友を失い、自分の信用も失ってゆく。
文字通り、友達も激減し、支えをなくして行く。

そんななかで、ネットワーク上の問題やオカルト世界に関する調査でローラを助けて尽力してくれるのがコービーであり、精神的支えになるのがタイラーであった。
まず、彼らはSNSを解約しようとするが、ソースコードが生きて自立している為、コマンド類は全て撥ねつけられる。
しかもローラが解消したはずの友達にマリーナが戻っていた。
更に、親友が殺される直前に誰もがマリーナを友達承認していたのだ。
ローラを取り巻くこのSNSネットワークは完全にマリーナの手中にあることが分かる。

追い詰められてゆくローラたち。
そこでもう味方はコービーとタイラーだけかというところまで来るが、何とコービーはローラの腹に突然ナイフを突き立ててくる。
ずっとこの事件に関わって来た彼はマリーナがローラを独りにすることが目的であることを認識するに至った。
であれば当然、自分は最大の協力者であり友であることから殺されないはずはない。
しかし、ローラを殺せば、もう殺戮の意味も失せ自分は助かることから、彼女の存在を消そうという発想を得たのだ。
だが深手では無かった為、彼女はどうにか逃げ延びる。
タイラーはコービーに殺害される。

終盤、マリーナの呪いは遂げられ、ローラはあたかもマリーナになった(生まれ還った)かのような姿となり、大学の食堂にかつてのマリーナのように座っていた。
(マリーナはローラを欲することで、ついに一心同体になってしまったのか)。
ノートパソコンに映るSNS画面には、友達0が表示されていた。


ネットをないがしろにしてホラーはもう描けないであろうことは分かる。






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サクラメント 死の楽園

The Sacrament001

The Sacrament
2013年
アメリカ

タイ・ウェスト監督・脚本・製作総指揮
エリック・ロビンス撮影


AJ・ボーウェン、、、サム・ターナー(VICE社特派員)
ジョー・スワンバーグ、、、ジェイク・ウィリアムズ(VICE社カメラマン)
ケンタッカー・オードリー、、、パトリック・カーター(妹キャロラインを連れ戻しに来た兄)
エイミー・サイメッツ、、、キャロライン・カーター(パトリックの妹、教団信者)
ジーン・ジョーンズ、、、ファーザー(チャールズAリード、教祖)
ケイト・リン・シャイル、、、サラ・ホワイト(アーティスト、教団信者)


この映画は1978年「人民寺院の集団自殺事件」*(ガイアナ)をモチーフとしたモキュメンタリー映画である。
*918人が殺害・自殺によって命を落とした惨劇である。
POVによる臨場感は半端ではなく、実際のカルト教団の記録映画を見る生々しさであった。
突撃潜入取材の出たとこ勝負の命知らずの記者がやはり潜入によって(強固に見えて辛うじて成り立っている)共同体内部に亀裂を入れてしまう。

洗脳とはよく言われるが、ここでは麻薬もかなり使用されていたようだ。
共同体は教祖に心酔している者と覚めているが脅されて言いなりになっている者とに分かれていたが、外部から人が入って来たことにより、我慢していたなんちゃって信者がザワツキ始めた。
どんなに上辺を取り繕い貼り付けたような笑顔で暮らしていても、歪のある共同体はちょっとした外部~他者の侵食で瓦解してゆく。

The Sacrament002

思想統制と謂っても生まれた時からそこに住んでいれば、北朝鮮のように他の情報がないことで落ち着くとは思うが、これまで下界で過ごしてきてここに移り住めば不可避的に相対的な見方をするはず。
枠~システムを維持する為の抑圧装置があれば、当然反発が生まれる。
それに対する厳しい罰則があれば猶更のこと。

しかしここを出たらまた過酷な環境で惨めに耐え忍ばなければならない。
この理想郷の内部を外に曝すとアメリカ軍隊~外部の悪の象徴が、大挙してきて皆殺しにされるとか、殊更に外部を恐怖の対象として結束を固めようとする。荒唐無稽な脅しが有効性を持つこと自体、ここの成員の精神状態がどういう状況にあるのか。
日々冷静な判断の出来ない状態に追い詰められている可能性は高い。
「エデン」と名付けられたこの共同体はかなりキツイ環境となっていることが分かる。
教祖に心酔しているかに想われる人も薬漬けである可能性は高い。
それから祭り、音楽・ダンスを上手く利用する。
だが、それらに絡めとられない人はそこからの脱出のタイミングを計って堪えている。

The Sacrament003

であるから、外部からやって来て、直ぐに出てゆく人に取りすがろうとする。
内部がバラバラになって、どうしても特派員とヘリに乗って帰るという人が出てきてしまい、教祖はもう歯止めが効かぬことを悟り、集団自殺を強要する。
誰もが逆らえないなか、異を唱える者も出て来る。
自警団みたいなメンバーはマシンガンを携えていた。
素直に天国に行くことを承諾した者以外は、毒薬を強制的に飲まされたり、それを拒み逃げて行くところで次々に銃殺されてゆく。
パトリックは妹に毒を注射されて絶命し、妹は石油をかぶって焼身自殺する。
共同体の敷地に銃声が鳴り響く。
修羅場だ。死体がゴロゴロと横たわる。

The Sacrament004

恐らく、実際の人民寺院の集団自殺はもっと凄惨であったことが推察できる。
人数もこの映画より多いが、殺戮がもっと陰惨であったようだ。
下院議員と代表団、ジャーナリストも射殺されている。


この映画では結局、生き残ったのは、サムとジェイクの二人であった。
共同体の信頼性はそこからの離脱も自由であることが保証されているところにあると思う。
誰もが無意識的にも何らかの共同体~体制に属している。
それを意識化し対象化して自ら選び直す必要はあるはず。


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