娘の表彰式

今日は、午前中は桜木町で開かれる美術展○○の入選・入賞作品展に行き、どうにか締め切り日前に娘二人の絵を観る事が出来た。
会場で観るとまた面白味が違う。
ここでも遠藤彰子先生の言葉が脳裏を過るのだが、どう見てもこれは入賞だろうと思う作品やこれはちょっと、、、という作品など、その選定基準がどこにあるのか、今一つ判り難いところを突き付けてくる絵はあった。それは、最初からそういうものだとは思っているにせよ、、、。
子供らしいド迫力のパワー溢れる甲乙つけ難い絵が、片や入選で片や金賞であったりする。自分の娘の参加するコンペでこの差は流石に気になる。
カラーペンセットとスケッチブックというベーシックなご褒美は貰っているが、余り相性は良くない感じ。
普段桜木町まで滅多に来ないので、美術館に寄ったり美味しいものを食べたりして帰りたいところなのだが、今日は午後直ぐにもう一つの絵画展の表彰式がある。こちらの会はまた挨拶が長い。入れ代わり立ち代わりお偉いさんの訳の分からぬ話が続くので気は重いが副賞やお花なども貰えたりするので、娘たちはそこそこ愉しみにはしている。今回は、よく遊ぶピアノ友達も同じ賞で表彰される。
実は、今回の絵はうちで3人で一緒に描いたのだ。勿論、3人は個性も違いそれぞれ全然違うタイプの絵に仕上がったが、皆同じ賞というのは、結果的に良かったと思う。コレで一人でも違う賞だったらそれもそれ、なのだが何だか居心地は良くないはず。
3人ともかなり確かな手応えを感じているので、そこに優劣が挟まれると、造形表現の勉強と謂うより、人生を学ぶ機会になってしまう。
こうしたコンペで腕試しみたいなものは、どうなのだろうと思う。
メリットとしては、そこに集まるかなり強烈な作品群を目の当たりにする機会はとても良い刺激となるはず。
学校(校内レベル)では、これほど多彩な個性~表現に触れることは出来ない。
個別に講評を(専門家から)貰えることもひとつの参考になる。
但し、外的システムに照らして位置づけされることが、どう作用するかである。
やる気に繋がればよい、ということならそれはそれでよいとは思う。
だが、この時期は、何よりも内的な動機(必然性)とものを生む歓びだけで描くことを大切にしたい。
ただ、無我夢中で描くこと。
賞狙いで描いている子(と親)も確かにいる。
伸び伸びと描けていれば、動機は何でもよいかもしれないが。
自らの志向性や想像力というより想いを抑圧するような作用が無ければ、はっきり言ってどんなシステムを利用しようが構わない。
確信のもとに(自己肯定に裏打ちされた)創造性が発揮できれば、何があっても強く生きて行ける。
今回の主催者側のフェイスブックで、受賞作の中の序列付けについての反省が綴られていた。
ほぼ賞の見直しに近い自己解体の様相を呈している。
ある意味、誠実で良いと思う。
それくらい揺れ動くフレキシビリティはもって臨んで欲しい。
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