プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。
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ル・コルビュジエの家

El hombre de al lado001

El hombre de al lado
2009年
アルゼンチン

マリアノ・コーン 、 ガストン・ドゥプラット監督・撮影
アンドレス・ドゥプラット脚本
セルヒオ・パンガロ音楽


ダニエル・アラオス、、、ビクター
ラファエル・スプレゲルブルト、、、レオナルド
エウヘニア・アランソ、、、妻


「ル・コルビュジエの家」に興味惹かれて観た。
クルチェット邸というル・コルビュジエが唯一建てた私邸だそうだ。
全体像は掴めないが、何となく雰囲気は感じ取れた。
人間工学的にも住みやすい空間に思える。開放的な雰囲気の建造物である。
特に大きな窓辺に嵌め込まれた矩形の枠など娘も入って憩う姿が素敵であった。
原題は「隣人」のようだ。
ならば特にル・コルビュジエ設計の家でなくても良かった気もするが、、、。
椅子のデザインで成功を収めた高名なデザイナーであるレオナルドの裕福な環境は充分伝わって来るものだ。

El hombre de al lado002

強面で粘着質だが柔軟性と受容性も持ち合わせたユニークな隣人ビクターとの出逢いが彼が壁に空けた穴~窓によって生まれる。
ビクターの家の窓が開けば、窓同士が面と向かって出来てしまうことになり、プライバシーが保てない。
レオナルドの奥さんの拒否反応は凄まじかった。
娘は面白がっていたが。

壁に穴を開けるというのも気持ちよさそう。
同一画面で開ける側と開けられる側が映されるオープニングからして惹き付けられる。
構図・カメラワーク・インテリア・部屋に流れる音楽どれもとてもセンスが良い。
勿論、噺そのものもコミュニケーションの本質をコミカル(アイロニカル)なタッチで突いていてとても面白い。


壁に開けられた穴~窓を巡ってお隣り同士の奇妙な関係が生まれる。
片やプライバシーの侵害だと法的根拠を振りかざしてそれを阻止しようとする。
片や法はともかく、自分の家にも陽光を分けてくれという主張である。
普通に考えれば、視線が合わない位置で透明でない明り取り窓を設置すれば問題はでないのでは、と思うが。
その辺のアイデアを建設的に出すことはなかなかしない。本来ならレオナルドはデザインの専門家なのだから双方が納得できる妥協案をデザイン的に提示するべきではないか。
だが、レオナルド側にコミュニケーションをとる意思がそもそもない。

El hombre de al lado003

初っ端からずっと、その窓の設置を巡っての隣人同士(レオナルドvsビクター)の諍いが続く。
(壁を叩く騒音にかんしても)。
レオナルドはともかく壁を元通り塞ぎたい。
ビクターはレオナルドの言い分を呑みながらも何とか光を自宅に取り込みたい意志を様々な角度で伝える。
これがとてもしぶとい。押しも強い。
終盤で、摺ガラスの細い窓をかなり上方に作ることで妥協を得ることが出来たかに見えたのだが、、、
レオナルドの妻が頑として譲らずそれもダメになる。
夫婦仲も悪くなる。
娘は、両親から距離を置きヘッドフォンで自分の世界に籠っている。
どこもみんな断絶状態ではないか。
ル・コルビュジエの家の大きな窓の多い開放性に対して住む人間の閉鎖性が際立つ。

レオナルドはビクターと小さな摺ガラス窓で妥協を図りこの件を終わらせようとしたが、全てを拒絶する妻との仲を何とか戻したい。
間に挟まれ仕事もまともに手に付かなくなる。
納品の期日にも間に合わなくなり、困り果てる。

El hombre de al lado004

ここにあるのは、ディスコミュニケーションの問題と謂えるか。
同じ言語を喋りながらも思いはまったく共有できない。
よくある隣人同士の諍いと謂えばそれまでだが。
感情的にレオナルド側がビクターの存在自体を端から拒絶している。
これは階級意識と謂える。特に妻である。
(娘にとっては関係ない為、彼女はビクターのやることを面白がっている)。

先入観と価値観とその拘りが排他的に作用するだけ。
相手を理解しようという気持ちが微塵もない為、言葉はまるで噛み合わない。
多少でもその気持ちがあれば、妥協点はどこかに見いだせるものなのだが。
皮肉にも塞ぐ直前の窓から娘がギャングに拉致されるところを確認したビクターが彼女を助けに入ったところで撃たれてしまう。

外出から戻ったレオナルドは、ただビクターの傍らで手をこまねいているうちに彼は息を引き取る。
そして、ビクターの開けた穴は閉じられる。
何もなかったかのように。


とても良くできた噺だ。
最後はショッキングであったが、こう来たかと唸ってしまった。
センスの良いスタイリッシュな映画であった。






肉まん作り

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なるべく安全な素材~食材を使いシンプルに調理して食べるようにしている。
添加物(香料など)には気を付け、糖分・塩分の過剰なものや刺激の強いもの、調理済みのパックもの、栄養剤の類は口にしないように気を付けている。
ここ最近意識的にそうして来た。
家族でわたしだけ、かなり適当に食べたいものを食べてきたのだが、体調が思わしくなかったので、少しずつ変えてみることに、、、。

わたしにとっては、何を摂るより、習慣的に食べて(飲んで)来たものを幾つか止める方が健康に良いことが分かった。
特に依存的に摂ってきたものを止めることで、体調改善されることが分かる。
少年~青年期から身についてしまった食癖を断つことはとても肝心なことであった(食環境の変革)。
そのお陰か、ここのところかなり体調は良い。スッキリして気持ちも和む。

食べないことで、身体を良くしていくこと。
ここでもn-1の発想が生きる。

さて今日は何を食べよう。
毎日、その都度0から決めるのも面白い。
作るのがめんどくさいことはあるが、何か食べないとお腹も減る。
そこで今日は妻と肉まんを作った(妻レシピに従い)。
ちなみに、わたしひとりだと、海鮮スパゲティ、煮込みうどん、カツカレー、クリームシチュー、グラタン、ラーメンあたりに落ち着いてしまう。面倒な時は、冬ならかったっぱし食材を入れた鍋となる(笑。夏の場合は、フルーツをやたらと入れた冷や麦かサラダうどんとかだ。レパートリーはない。お弁当とくれば、キャラおにぎりか先だって作ったサンドウィッチを主に肉団子と唐揚げにフルーツで大概のところ済ましてしまう。

妻は得意は韓国・中国料理全般である。
ともだちが来て振舞うときは、その何れかとなる。
サムゲタンは好評である。それ目当てで来る客もいる(笑。

本日の肉まんであるが、、、
皮は強力粉3に薄力粉7で煉って延ばす。
アンは二種類。
その1:大根、春雨、豚と牛の挽肉、桜エビ
その2:玉葱、キャベツ、豚と牛の挽肉、長葱
良くこねて団子状にして、皮に包んでゆく。
形は小籠包モドキで2周りくらいデカい。
アンは妻が作り、わたしはひたすら包む係をやる。

タイプ1とタイプ2をそれぞれ40個ずつは作った。
かなり疲れる作業であった。
それを蒸かしていると、休みの日は朝から晩までずっとパソコンをやっている二人の娘が降りてくる。
蒸している湯気の気配を察して来るのだ。

蒸したばかりのホクホクを食べてみる。湯気が凄い。
どちらが旨いか聞かれたが、同じくらいであった。
何度にも分けて蒸したのを食べ比べたが、皮が薄目で柔らかくホクホクしたものが食べやすく美味しかった。
蒸し方なのか、皮の作り方(粉の調合)なのか、ともかくアンはそれ自体変わらず、結構おいしいので、皮次第なのだ。
食感と食べやすさでかなり決まって来ることがわかる。


今日はしたことと謂えば、この肉まん作って食べたくらいであった。
のんびり、間延びした一日がゆっくり過ぎる、、、。
無理なく抑え気味に食を摂っていることで、体調は良くなった。


TVで大食い選手権~フードファイターの闘い、を見た。
凄い世界もあるものだ。
優勝者は何と凄いボリュームの生にんにくのこってり乗った豚骨ラーメンを19杯も食べていた。
信じられない。
彼らにとって食べることとは、何を意味するのだろうか。
プロなのか、、、ならば仕事なのだ。食べることがとっても苦しそうだった。
ともかく、呆気に取られて見てしまった(唖然。






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みんなで公園へ

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家族みんなで半分眠りながら公園に行った。
(わたしはドライバーなので、半分眠ってはいられないのだが、、、)
公園で白昼夢みたいな時を過ごした。
本当にぼんやりと恍惚感をも感じつつ、、、。
そもそも、そんな陽気の~妖気も漂う日ではないか。
公園には、わたしと娘では時折、行ってはいたが、こんな日はあまりない。

わたしの好きな場所~スポットは、「木漏れ日の路」と「メタセコイヤの路」である。
ここを歩けば、公園に来たと身体が認識する。
路の前方~遠景が郷愁を誘い込む。
公園には回帰するのを目的に来ているのだ。
メタセコイヤの木がずっと並んでいるのだ。この反復のリズムの果てに、、、。
永劫回帰を想う。
リフレッシュする。

彼女らはアスレチックは、もう飽きたみたいで、行かなかった。
そこにはすでにスリルも眩暈もないらしい。
その分、噴水の傍をずっとオタク噺をして歩いていた。
学校でも休み時間などにしているやつだ。
ここに来てもウィークデイの時間を引きずっている。
スウィッチを替えたい。

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妻がお弁当をたんまり用意して来たため、たっぷり食べる。
そのなかには前日わたしが発表会のお弁当用に作ったサンドウィッチのポテトエッグハムサラダの残りをアレンジして使ったハンバーガーみたいなのもあった。定番の唐揚げとミカンにお茶はわたしの好きなルイボス茶など、、、旨かった。
陽が強く、眠くなる、、、
ところかまわず寝そべりたい(笑。
これも公園の醍醐味か。
昔はよく寝そべったものだ、、、、芝生で寝そべって、うとうとする、、、、
もうだめだ、そのまま眠ってしまうのは困る。
クレープ屋さんのアイス・クレープを食べてちょっとばかり目を覚ます。

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植物園では「柿の品評展示会」が催されており、様々な姿の柿の盆栽?を見て回った。
わたしのなかでは、多肉と亀の次は盆栽という流れが生じつつある。
この小宇宙にはわたしのプラモデル時代と同質の時間性が漂う。

そう、ここには多くの時間(系)が息づいている。芽吹いてもいる。マルチバースみたいに。
新たな物語を始めることに、早すぎることも遅すぎることもない。
そう悟った。

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ふたりの人魚~娘の音楽発表会

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蘇州河
2000年
中国、ドイツ、日本

婁燁(ロウ・イエ)監督・脚本
ボルグ・レンバーグ音楽
王昱(ワン・ユー)撮影

ジョウ・シュン、、、ムーダン、メイメイ【二役】
ジア・ホンシャン、、、マー・ダー(運び屋)
俺(カメラマン)


形式的に面白い映画であった。
終始、姿は一切見せない俺の(主観的)視座から描かれるのだが、特筆出来るのは、俺が見ている日常世界だけでなく、恋人のメイメイが俺に語った物語をやはり同様の視界で描き出してゆくところだ。
つまり何度もマー・ダーの語る彼女ムーダンの噺を聴かされたメイメイがその噺を俺に聴かせて俺が咀嚼した物語世界がやはり日常の光景のように映っているのだ。俺がカメラマン(映像作家)であるというところが上手く生かされてもいる。

今まさに広がる世界を映すだけでなく、物語られた世界(文学)を映像化して接続する。
この本来異質な像がシームレスに映像空間のなかに侵食してくる。
俺の想像や何処かの記憶など、何らかの心象であったりする。
もしかしたら夢であったり、、、。

それぞれの像は鮮明であっても境界はぼやけ、独特のイメージのコンテクストが綴られる。
ムーダン、メイメイの瓜二つの綺麗な女性がいるのか、本当は同一人物なのか実際どうなのか分からぬまま進み、ようやく二人が出会ったときは片方(ムーダン)は死んでいた。そして作り話と疑っていたマー・ダーの噺も本当のことだと確信する。しかしこの時点でムーダンとマー・ダーが死体となっている為、2人の存在以外のディテールはもはや確認しようがない。
しかし、マー・ダーが自分の元を立ち去ったムーダンを命がけで死ぬまで探したことは事実である。
メイメイは、俺にわたしが消えたらどうする?死ぬまで探す?と確認し、彼女もまた姿を消す。
俺はどうするのか、、、。
どういう物語を接続するのか。

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考えてみれば、このような手法は他の映画でも(無意識的であっても)取り入れられている。
ただし、この映画はそれを意図的に方法として採用し曖昧にぼやけた心象世界を見事に作り上げている。
この映画を観ることでわれわれも、それを構造的に意識させられる。
形式面でとても綿密に練られた映画であると思う。

どうも上手くまとまらないのだが。
こちらも映像に浸っているうちに眠くなってきて何度か寝落ちしてしまった(笑。
感覚的なところに妙に意識が向いてしまうが、そのうちストンと気の抜ける映画だ。


もしかしたら単に疲れていたのかも知れない。
娘の学校の音楽発表会の日であった。
娘を集団の中で探すのがとても大変なのだ。
合奏では、リコーダーと鍵盤をやっているので、空間的文脈において探し当てはしたが、はっきり見えたとは確信できない。
合唱のフォーメーションのなかではもうさっぱり何処にいるのか分からず仕舞いであった。
ずっとあいまいなまま音だけ聴いて来た。
(実は音もどこか上の空になっていた。探す行為が集中する気持ちを疎外するのだ)。

今年はピアノの伴奏はやらないことにしていたが、一緒に遊ぶ(絵も描いて一緒に表彰式に行った)お友達が今年も伴奏をしていた。
長女が、複数曲あるので一曲伴奏に立候補すればよかった、と言っていた。
来年やればよいとおもうが。
ピアノならはっきり何処にいるのか分かる。
落ち着いて見ることも出来から、音にも浸れるはず。
今年はそのお友達の姿ばかりがよく確認できた。






スイス・アーミー・マン

Swiss Army Man001

Swiss Army Man
2016年
アメリカ

ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン監督・脚本
アンディ・ハル、ロバート・マクダウェル音楽

ポール・ダノ、、、ハンク
ダニエル・ラドクリフ、、、メニー
メアリー・エリザベス・ウィンステッド、、、サラ


ハンクという人の精神状態はかなり危ない。
どれくらいの時間~期間かは分からないが、思いを寄せる人妻の家の傍に潜み、動けない自分の助けを求め、ついにどうにもならず首吊り自殺を思い立ったところで、死体を浜辺に見つけた。
ここからがこの映画の真骨頂である。
彼の乖離性人格がその死体に投影され、後程メニーと名乗るその男が彼を元の場所に蘇らせる~自分を肯定させるのだ。
ここから暫くの間、下ネタとお下品なオナラネタ満載のファンタジー世界に飛ぶ。
まずは、その死体がオナラ~腐敗ガスか~の噴射を推進力にして、ハンクの見立てた孤島から彼を背中に乗せて脱出に成功する。
人の住む土地に来たにも関わらず、なかなか「故郷」~現実に戻れない彼は森(という見立て)のなかで躊躇・動揺している。
彼らの発する声を使ったボーカリゼーションによるBGMは、実にこのシュールな物語を饒舌に演出していた。

水が欲しくなると死体の口から水が滝のように溢れ出てくる。
あれだけ派手にオナラをしている身体から出た水をハンクは飲む。
旨いらしい。自然水なのかも知れない。
それまでハンクが一方的に話しかけていたその死体が言葉を返し始める。
最初は質問などから、まるで記憶喪失者みたいに聞いてくるが、何も思い出せないという設定の人格で、ハンクの過去をある意味封印したい人格をかなり煽ってくる。
徐々に言うことも達者になって来て、ハンクの方はいいように押されてゆく。
その人格は今のハンクを大きく揺り動かすものとして出現しており、その為何かとハンクをハンクたらしめる抑圧・隠蔽パーソナリティに対し、ずけずけと手厳しく指摘・批判して来る。下ネタ攻撃もそのひとつである。

このメニーと名乗ってから急速に饒舌になり洞察力も冴えてくる死体は、まさにスイス・アーミー・ナイフみたいに多目的に使える多機能男であった。
まずは水上ボートさながらにハンクを乗せてオナラで突っ走り、ミネラルウォーターサーバーみたいに口から水を吐き出し、いちいちもっともだが辛辣な見解を披露する。「お前は壊れてて、空っぽで、汚くて、臭くて、無用で、古い。お前はゴミみたいなもんだ、違うか?」には笑うしかない。
その他、重宝することは、硬直した腕で丸太を切れるし、歯で髭も剃れる。更に動物相手に口に籠めた小石を体内ガスで放出してピストル代わりにも使える。指を鳴らせばライターみたいに火もつけられ、火にお尻を向けて放屁すれば火炎放射器さながらである。
またあそこが、「故郷」の方向を示す磁石にもなる。いがらしみきおの漫画か(笑。
まったく都合の良い多機能人格である。
死体にここまでやらせるか。いや死体だからここまでできるのだろう。

Swiss Army Man002

通常、開放的で批判的な人格を想定し白昼夢のなかで思い描くにしても、もう少し現実的なあり得る人格を浮かべるのではなかろうか。
このハンク特有な強烈な乖離した人格なのだろう。
このメニーが死体であることが、逆説的で説得力も強いのだ。
生きていても臆病で何もできず、自分を否定して、自然な欲望を全て抑圧している。
自由も何もないではないか。それで生きていると謂えるかということを死体から終始突っ込まれているのだ。
そして森?のなかで人間が捨てたゴミを利用してハンドメイドのサラと出会ったバスの中の光景を再現してメニーと記憶~経験を共有し再認してゆく。結局これで自分を認める過程を辿ってゆく。この間メニーに指摘される事柄を皆ハンクは認めてゆくようになる。
もう一人の自分のメッセージにこころを開く。
それにしてもハンクという男、器用である。森のバスなどよく出来たファンタジー作品である。

そして過酷なサバイバルを恐らくうんと近場で展開してきた末、サラの家の庭に転がり込む(爆。
笑う箇所はたくさんあったが、これが一番吹き出した。

Swiss Army Man003

そこで、ハンクは愛しいサラを前にして、自分を初めて曝け出す。
逞しい姿を見せる。
ホントに彼にしてみれば過酷なイニシエーションを潜って来たのだ。
それは間違いない。
メニーは自分の役目を終えたかのように単なる死体となって横たわっていた。
ハンクは解放されたと謂えるか?
覚醒し自立(自律)を得たのか?


だが、それを見守るサラは、救急車は呼んでくれるも、何なの?という怪訝な表情を浮かべるだけであった。
そんなものなのだ。

そして最後に死体のメニーは再び放屁により海の中を突っ走ってゆく。
(ハリーポッター氏もこういう方向に行かなければ生き残れないところにきているのか、、、)。
それを見守る人々は、皆ついてゆけないという呆気にとられた顔で佇む。
この水上ボートみたいなもの、彼らにはどう見えているのか、定かではない。

とても印象に残る怪作である。






音楽がとても斬新で特筆すべき出来であった。





アトランティスのこころ

Hearts in Atlantis001

Hearts in Atlantis
2001年
アメリカ、オーストラリア

スコット・ヒックス監督
ウィリアム・ゴールドマン脚本
スティーヴン・キング原作

アンソニー・ホプキンス、、、テッド・ブローティガン(初老の紳士)
ホープ・デイヴィス、、、リズ・ガーフィールド(母)
デヴィッド・モース、、、ボビー・ガーフィールド
アントン・イェルチン、、、ボビー・ガーフィールド(少年時代)
ミカ・ブーレム、、、キャロル・ガーバー(少年時代の彼女)
アラン・テュディック、、、モンティ・マン
アダム・ルフェーヴル、、、ドナルド・ビーダーマン
トム・バウアー、、、レン・ファイルズ
セリア・ウェストン、、、アレイナ・ファイルズ
ティモシー・レイフシュナイダー、、、ハリー・ドゥーリン
ウィル・ロスハー、、、サリー=ジョン(少年時代の親友)


アントン・イェルチンの熱演とアンソニー・ホプキンスのいつもの名演でこの映画は素晴らしいものになった。
ふたりとも天才である。アンソニー・ホプキンスは、レクターよりもこちらのテッドに魅力を覚えるが。
また、この噺が良い。
原作は5編に分かれた大作だというが、上手く1話に完結させている。
脚本も良い。
少女との淡い恋に身勝手で 軽薄・狭量な母や「迷い犬」の貼り紙とか新聞読みのバイトや新品の自転車に観覧車など、、、それから定番のいじめっ子や不吉な黒い影法師、、、プラターズの「オンリーユー」等々が絡み、、、
ボビー・ガーフィールド少年と超能力者テッド・ブローティガンとの少年と初老の紳士との友情がリリカルに描かれてゆく。
まるでレイ・ブラッドベリの原作と謂われても納得するものだ。
明らかにスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』路線上にあるものだ。

Hearts in Atlantis002

父に先立たれ経済的に苦しいガーフィールド家の二階(貸し部屋)にふらっとやって来たテッドという初老の紳士と11歳のボビーとの出会いから始まる物語である。(やはりレイ・ブラッドベリぽいではないか)。
共産主義との戦いに超能力者を利用したという噺は聞いたことがあるが、テッドは政府の追手から逃げまわっていたのだ。
彼は千里眼(透視能力)でひとのこころ~隠していることが何でも読めてしまう。
テッドはボビーが淡い恋心を抱いているキャロルとキスをすることも予見する。
それを聴いたボビーは照れまくり誤魔化すが、実際にお祭りの観覧車で実現してしまう。
ボビーは「目の奥で気配を感じること」をテッドから教えられ、実行することでお祭りのカードゲームに勝って儲ける。

Hearts in Atlantis003

ボビーは母から疎んじられ、誕生日プレゼントも無料で手に入る大人向け図書券であった。
自転車が欲しくても母子家庭でそれは無理というのだが、自分は綺麗なドレスを幾つも買って持っているのだ。
彼は孤絶感と母に対する不満を抱え持っていた。
対等に語り合い尊重して接してくれる造形の深いテッドにボビーは、深くこころを惹かれてゆく。
ボビーはテッドが超能力者であることに気づき、その能力の為に悪者に狙われていることも知るに及ぶ。
彼は一生懸命テッドを守ろうとするが、息子についても周囲に対しても全く理解を示さない母によってテッドは通報されてしまう。
テッドは、彼らの家の二階に留まることは出来ず、ボビーを危険に晒さないために逃亡を諦め、影法師みたいな奴らに連行されていった。ボビーは銀行から下ろした逃亡費を手にその車に追いすがるが、もうなす術もない。
テッドはボビーに向い最後に伝える。「きみのことは、何があっても忘れない。」
、、、ボビーも全く同じ気持であった。
こんな想いが、お互いにこころの底から沸き立つなんて素晴らしいことではないか。

一方、母親は職場の上司に騙され痛い目に逢い、職すら失いお金もなくどん底の状況に陥る。
ボビーは、テッドに渡すことになっていた金を母に全てぶちまけ、これまで母のしてきた酷い仕打ちを非難する。
ここは通らざるを得ないところだが、実にシンドイものだ。
こちらもホントに同調してしまった。共感もした。
この演技を見るとこの子役が只ならぬ人であることが分かる。
(アンソニー・ホプキンス絶賛の子役であったらしい。彼はそのまま役者として大成してゆく矢先に27で夭逝してしまった。なんてことだ、、、)。

Hearts in Atlantis004

母の新しい職場が見つかり彼らはキャロルと別れ引っ越してゆく。
その車には、ボビーの欲しかった自転車があった。
母との和解が進んでいることも感じ取れる。


久々にお気に入り映画が見つかったという感がある。
アントン・イェルチンの出演する映画をチェックしてゆきたい。








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ドリームキャッチャー

Dream Catcher001

Dream Catcher
2003
アメリカ

ローレンス・カスダン監督・脚本・製作
スティーヴン・キング『ドリームキャッチャー』原作
ジェームズ・ニュートン・ハワード音楽
ジョン・シール撮影

モーガン・フリーマン、、、アブラハム・カーティス大佐
トーマス・ジェーン、、、ヘンリー・デブリン博士
トム・サイズモア、、、オーウェン・アンダーヒル将校
ジェイソン・リー、、、ビーバー
ダミアン・ルイス、、、ジョンジー
ティモシー・オリファント、、、ピート
ドニー・ウォールバーグ、、、ダディッツ


ここで度々出てくる”SSDD”とは、「クソのような毎日」という意味らしい。
Same Shit Different Dayの略。
最初、何かの作戦実行の為の暗号かと思った(笑。

”Nobound,Noplay”は、ここはボールが跳ねないから遊べない、、、から「どうしようもない」という意味で何度か出てくる。
ダディッツから貰った能力で結構楽しめたのでは、とも思うが、、、。
とってもキツイ日々を送っている大人たちのようだ。
幼馴染4人組の大人になってからの話なんて、まるで『スタンド・バイ・ミー』の続編みたいな感じもしてしまうが、、、。
かなりの悪夢である。

少年のある日、4人は虐められている知的障害のダディッツを助けたことで、彼を(象徴的な)中心として絆を強めた。
大人になって、ヘンリーは自殺願望がありピストルをこめかみに当てて危うく引き金を引きそうになる。
ピートはアル中らしい。ビーヴァーは彼の持ち歌らしい”ブルー・バイユー”からして経済的に苦境にあるようだ。
ジョンジーは、何度も事故に遭いその度に奇蹟的に生き返ってはいる。ダディッツに唐突に呼ばれるらしい。
ほとんど幸福と感じるような生活は送っていないようだ。

彼らが冬の山小屋に集まる(毎年の定例)のときに、物凄い急展開となる。
「スタンド・バイ・ミー」から飛躍し、人間世界の縁~ほぼ外部に放り出される。
何らかの感染症を疑う男を助けたところからそれは、始まった。
ここからはパンデミックホラーになる。地球の軍隊からもここは隔離されたと見放される。
彼らは得体の知れぬ敵に怯えつつ、国からもエイリアンもろとも焼き殺される運命に突き落とされるのだ。
あの「エイリアン」の幼体みたいな憎たらしいのが、感染した人の体内で育ち、お尻の穴から出て来て暴れるのだから始末に悪い。

しかしどれだけ成長が速いのか。その辺はよく分からないが、エイリアンは感染による地球支配を狙っているのだという。
何か体に異変を感じたら感染症を疑う必要はあるなとつくづく思っているところだが。
エイリアンに感染させられているかどうかはともかく。
ウイルスなどもともとエイリアンみたいなものだし(パンスヘルミア仮説をみるまでもなく)。
いやむしろあの卵から孵った小さな幼体が身体に入り込めばそのまま成長して出てくるのなら分かり易い。
むしろそっちか。
ともかく、異物は許さない。この典型がアブラハム・カーティス大佐だ。
確かにこのエイリアンは対話など可能な相手ではない。


4人とも良い奴なのだが、ここで、ビーヴァーが自己犠牲によりジョンジーを逃がすが、彼もまたミスターグレイ(エイリアンの親玉)に身体を乗っ取られる。(ちなみに、このミスターグレイというのは、ダディッツにかつて教えられた名であり、彼はこの事態をはじめから予測しており、全貌を知っていたようなのだ)。
やはり感染した女性を助けたヘンリーとピートであるが、ビールを呑んでおしっこをしているところで女性の体から這い出たエイリアンに襲われピートも絶命する。こんな風に主要キャストが次々に犠牲になってゆく。それも血みどろのおどろおどろしい惨劇に遭う。

“記憶の倉庫”に隠れる事の出来るジョンジーは身体を乗っ取られながらも、自分=意識を保ち続ける事が出来た。
この倉庫の映像が面白い。まるで秘密の地下図書館だ。
これはダディッツから得た能力なのか事故による臨死体験から生まれたものなのか今一つ分からぬが、お陰でそのミスターグレイが体外に出れば元の人間に戻れるわけだ。

モーガン・フリーマン演じる25年エイリアンと闘ってきて発狂したカーティス大佐が、ジョンジーに乗り移ったエイリアンを追い詰めてやってきたオーウェン・アンダーヒル将校とヘンリー・デブリン博士そして白血病をおして合流したダディッツにヘリで襲い掛かる。
大佐は住民もエイリアンも皆殺しにして始末する計画であり、自分の思い通りに動かぬ者は誰であろうと許さないのだ。
最後はスリリングなシーンで畳み掛ける。
ジョンジーは水源に一匹のヘビ状のエイリアンを投げ込むことで水を通して全ての人間を感染させる計画であった。
(これをすでにダディッツは見抜いていたのだ)。
カーティス大佐とアンダーヒル将校は相討ちになり、最後はジョンジーの体から出たミスターグレイとダディッツとの対決となる。
何とこの時、ダディッツも宇宙人であることが分かり、異形のもの同士の壮絶な闘いの末、双方もろとも爆発して消える。
とても面白いありそうでない印象的なシーンであった。
しかも最後に水に放り込まれる直前で仕留めたエイリアンの体内から転げ出た卵から孵化した幼体が水源に落ちそうになったところを自分に戻ったジョンジーが気づいて踏み潰す。
終始、かなりのテンションでもっていかれる映画であった。


IT イット』はともかく「キャリー」、「シャイニング」、「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」、「ミスト」など彼の作品で映画化されたものはどれも傑作揃いであることに、いまさらながら唸る。それにしても凄い。
これも癖は強いが、そこに並ぶ作品に違いない。





ファースト・マン

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First Man
2018年
アメリカ

デイミアン・チャゼル監督
ジョシュ・シンガー脚本
ジェームズ・R・ハンセン『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生』
ジャスティン・ハーウィッツ音楽
リヌス・サンドグレン撮影

ライアン・ゴズリング、、、ニール・アームストロング(ジェミニ8号・アポロ11号の船長)
クレア・フォイ、、、ジャネット・アームストロング(ニールの妻)
ジェイソン・クラーク、、、エド・ホワイト(アメリカ人初の宇宙遊泳をしたニールの友人。アポロ1号で事故死)
カイル・チャンドラー、、、ディーク・ストレイン(元テストパイロット兼エンジニア)
コリー・ストール、、、バズ・オルドリン(アポロ11号のパイロット)
クリストファー・アボット、、、デイヴ・スコット(ジェミニ8号のパイロット)
キアラン・ハインズ、、、ボブ・ギルルース(NASAのファースト・ディレクター)
パトリック・フュジット、、、エリオット・シー(ニールの友人。フライトテストエンジニア)
ルーカス・ハース、、、マイケル・コリンズ(アポロ11号の司令モジュールのパイロット)


デイミアン・チャゼル監督、あの大ヒット作『ラ・ラ・ランド』に続きライアン・ゴズリングとのタッグである。
ライアンは「ブレードランナー2049」の主役でもある。
監督の方は『セッション』も凄かったが、『10 クローバーフィールド・レーン』も撮っている。
それぞれ全く違う作り方だ。とても幅が広い監督だと思う。

この映画は、エンターテイメントな観易さを一切狙わない。
あくまでもドキュメンタリータッチでニール・アームストロングの目線で描き尽くす。
(ライアン・ゴズリングが寡黙で内省的な彼になりきっている)。
誰一人過剰な演技はしない。
大変リアルで(コクピット内などの)臨場感は半端ではない。
X-15の飛行実験など過酷さが直接伝わって来る(気がする)。
何と言うかドキュメントを新たに撮り直したような感覚だ。
宇宙空間の、光か漆黒かという過酷な光景が続いたところで、眼前に露わになった月面には、はハッとした。
寂寞感もよく出ている。そして地平線上に浮かぶ地球。そりゃあ世界観も揺らぐはず。

星条旗を立てるシーンが無かったとか(旗の立っているシーンはあったが)、ライアン・ゴズリングはアメリカ人ではないとか皮相なナショナリズムを喚起するところはあったらしいが。
ともかく、ソ連に宇宙では、アメリカはそれまで連戦連敗を喫し、何とか一矢報いる目的で多額の予算を投入したアポロ計画であることは間違いない。税金をそんなことに使うのか、という批判はかなりのものであったのは事実である。

終始ニール・アームストロングの視座で描かれる。
彼の内面が感じ取れる。
常に死と隣り合わせの生であった。
X-15では、命からがらに帰還することになるし、最愛の娘には2歳で先立たれ、これがある意味彼の人生観や仕事の目的を決定したように思われる。
そして仲の良かった同僚の相次ぐ死。
特にアポロ1号の悲劇は衝撃的であった(わたしたちにとっても)。
エド・ホワイトは隣人でもあり、アームストロング家が火災になった時、駆け付けて家族を助けてくれた友人ではないか。
(この際、夭折した娘カレンの写真、遺品など全てが焼失してしまったらしい)。
こういった経験が人格に与える影響は小さくはないだろう。

ニールが寡黙な分、映画も実に寡黙に淡々と進む。
船内の暗く冷たく荒涼とした光景。激しい振動。思わぬトラブル。制御出来なくなった際のジェミニ8号など生きた心地ではなかった。だが、彼は冷静沈着に幾度となく危機を脱する(映画を観た範囲でも3回は死んでいてもおかしくはない)。
カレンを失ってから、彼はアポロ計画にのめり込む。
月面に降り立ち、地球上の誰もが聴いたあの名言を吐いた後の、例の「空白の10分間」がひっそりと描写されている。
脳幹腫瘍で他界した長女の腕輪を彼はそっと谷に投げ入れる。
そのころバズ・オルドリンは陽気にピョンピョン弾みながらかなり遠くまで散歩に出ていた。

ちなみに、2人が月面で作業などをしてる間、月周回軌道上で司令船の操縦や月面の写真を撮影していたマイケル・コリンズは、彼らがトラブルで司令船まで戻れないときは、独りで地球に帰還することも任務として与えられていた。その恐怖も抱えていた。
ちょっとしたやりとり、おい、食べ物どうだ、ガム持って行くか、などにその辺の気持ちも窺える。


紛れもない傑作である。




画像に集中するには、この吹き替え版が好ましく思われた。


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ドリンク

Dr Pepper001

わたしは、欲しい飲み物が冷蔵庫にないとどうにも落ち着かなくなる。
好きなドリンクは、ドクターペッパーとカルピス、最近は間にルイボスティーも入って来た。
この辺は、常にいつでも飲めるようになっていないと困る。
ブログなど手に付かない。

何故、こんな話題に、、、というのも、今夜気づいたのだが、これら全てがないのだ。
仕方ないので、梅酒のソーダ割を飲んでいる。
ほろ酔い気分のうち睡魔も襲ってきた。
色々の想念が膨らみ渦を巻いているのだが、これは絵にしないと形にならないようだ。

膨らみ渦を巻くというのは、薄っぺらい表現に過ぎない。
形に、出来れば音楽のような形にしたいのだが、、、。

ドクターペッパー買っておけばよかった。
(*あくまでも宣伝ではなく)



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娘の表彰式

yume.jpg

今日は、午前中は桜木町で開かれる美術展○○の入選・入賞作品展に行き、どうにか締め切り日前に娘二人の絵を観る事が出来た。
会場で観るとまた面白味が違う。
ここでも遠藤彰子先生の言葉が脳裏を過るのだが、どう見てもこれは入賞だろうと思う作品やこれはちょっと、、、という作品など、その選定基準がどこにあるのか、今一つ判り難いところを突き付けてくる絵はあった。それは、最初からそういうものだとは思っているにせよ、、、。
子供らしいド迫力のパワー溢れる甲乙つけ難い絵が、片や入選で片や金賞であったりする。自分の娘の参加するコンペでこの差は流石に気になる。
カラーペンセットとスケッチブックというベーシックなご褒美は貰っているが、余り相性は良くない感じ。

普段桜木町まで滅多に来ないので、美術館に寄ったり美味しいものを食べたりして帰りたいところなのだが、今日は午後直ぐにもう一つの絵画展の表彰式がある。こちらの会はまた挨拶が長い。入れ代わり立ち代わりお偉いさんの訳の分からぬ話が続くので気は重いが副賞やお花なども貰えたりするので、娘たちはそこそこ愉しみにはしている。今回は、よく遊ぶピアノ友達も同じ賞で表彰される。
実は、今回の絵はうちで3人で一緒に描いたのだ。勿論、3人は個性も違いそれぞれ全然違うタイプの絵に仕上がったが、皆同じ賞というのは、結果的に良かったと思う。コレで一人でも違う賞だったらそれもそれ、なのだが何だか居心地は良くないはず。
3人ともかなり確かな手応えを感じているので、そこに優劣が挟まれると、造形表現の勉強と謂うより、人生を学ぶ機会になってしまう。
こうしたコンペで腕試しみたいなものは、どうなのだろうと思う。

メリットとしては、そこに集まるかなり強烈な作品群を目の当たりにする機会はとても良い刺激となるはず。
学校(校内レベル)では、これほど多彩な個性~表現に触れることは出来ない。
個別に講評を(専門家から)貰えることもひとつの参考になる。
但し、外的システムに照らして位置づけされることが、どう作用するかである。
やる気に繋がればよい、ということならそれはそれでよいとは思う。
だが、この時期は、何よりも内的な動機(必然性)とものを生む歓びだけで描くことを大切にしたい。
ただ、無我夢中で描くこと。
賞狙いで描いている子(と親)も確かにいる。
伸び伸びと描けていれば、動機は何でもよいかもしれないが。
自らの志向性や想像力というより想いを抑圧するような作用が無ければ、はっきり言ってどんなシステムを利用しようが構わない。
確信のもとに(自己肯定に裏打ちされた)創造性が発揮できれば、何があっても強く生きて行ける。


今回の主催者側のフェイスブックで、受賞作の中の序列付けについての反省が綴られていた。
ほぼ賞の見直しに近い自己解体の様相を呈している。
ある意味、誠実で良いと思う。
それくらい揺れ動くフレキシビリティはもって臨んで欲しい。



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少女椿

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TORICO 監督・脚本
丸尾末広『少女椿』原作
黒石ひとみ 音楽
佐々木健一 美術

中村里砂、、、みどり
風間俊介、、、ワンダー正光
森野美咲、、、紅悦
武瑠(SuG)、、、カナブン
佐伯大地、、、鞭棄
深水元基、、、赤座
中谷彰宏、、、嵐鯉治郎
鳥居みゆき、、、みどりの母親


丸尾末広の漫画は過去に幾つか見ているが、これは知らなかった。
しかし映画と漫画である。全く別の独立した表現芸術として成り立っているものである。
いちいち原作をうかがう必要はあるまい。

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中村里砂が中村雅俊と五十嵐淳子夫妻の三女だそうだ。驚いた。確かに綺麗で大きな目がキリっとしておりお母さん似か。
この映画がデビュー作だそうだ。
かつてわたしの同僚で、その人の趣味をディスプレーするHPをわたしが製作したこともあるのだが、五十嵐淳子さんと何度も一緒にPTAの仕事をしたことがあると言っていたのを思い出す。
娘さんが同じ学校の同学年の関係からのようだ。もっと上の娘さんだと思うが(長女あたりか)。
懐かしい。ババールの収集家である。


女性監督のようだ。如何にも女性が撮ったという感じはしなかった。
実写でありながらアニメーションも挿入されており、それが効果的であったかどうか、今一つピンとこない。
実写自体がアニメっぽい感じはする。
これならもっと様式美を狙って印象強く単純化を図り、極彩色など使ってもよかったかも。
色(美術)がその環境作りをどれだけできるかでも決まって来るはず。
アニメを時折入れるのなら実写をもっとアニメ化した方が良かった気がする。
丸尾末広の世界観を表すのなら、おどろおどろしさ、やグロテスクさは生半可なものでは済まない。
それから「昭和」ではなかろうか。あまりそういった感じもなかった。
その辺、果敢に攻めるしかないだろう。

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キャラクターは原作を知らないので分からないが、みどりとワンダー正光、座長の嵐鯉治郎はよかったが、後はあまりしっくりこなかった。カナブンは女優がやった方がピッタリくると思う。
ワンダー正光は所謂役者の演技だった。とても豊かな歪んだ愛情がたっぷりと表現されていた。
みどりとコンビの演技は哀愁があって光った。
みどりは、幼さがよく表現されていたと思う。
この先の精神的な成長も想わせる流れも彼女の演技に感じた。

しかし脚本・演出が何とも弱く、雰囲気からしてしっかりした形が見えない。
見世物小屋?サーカス?よく分からぬが、建物~空間の佇まいも、それぞれの団員が芸を披露する様子もない。みどりもワンダー正光の横にたつだけなのか?
芸の場面なしに話を進めるのは無理があり過ぎる。
ワンダー正光の瓶に入る芸は見事だがそれだけ。気持ち悪いと客に言われてキレるところまではよしとしてその後の人を念力で殺しにかかる場面はちょっとしょぼい。かなりチープなVFXが目につく。
そうしたところは幾つもある。
みどりがいびられ暴力を振るわれるシーンも今一つ迫力がない。
みどりが女優に引き抜かれて、ゴージャスな生活をしているところはもっと描写しても良いのでは。
変化の振れ幅はあった方がダイナミックな見応えを生むし。
ワンダー正光との揺れ動く関係の有様は描かれてはいるが、もう少し深く描き込んだ方が、彼が魔法力を彼女の為に使い過ぎて最後に力尽き倒れて死んでしまう場面のインパクトを強め物語も締まると思うのだが。
このふたりの人間関係は骨子に据えるものであろう。

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恐らく(見るからに)低予算での製作であったことは分かるが、しっかりしたコンセプト、原作の読み込みがあれば、それなりの感動を生むものが出来ていたと思う。
インタビューを少し見たのだが、若者層をターゲットとして統計を取って作品作りをしたとか答えていた。
あ~なるほど、と思った。
間があると退屈するからアニメシーンを挟んだのだという。
そういうレベルか。

ものをつくる以前の問題だ。
(中村里砂さんには、次回は良い映画、というより「映画」に出てもらいたい)。

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監督はファッションデザイナーで、中村里砂とは以前からのお友達らしい。
それで主演を頼まれたのか。確かに綺麗で可愛らしいが、いきなりこれでデビューというのは、如何なものか?
YOUTUBEで「少女椿」のアニメーションをやっているとのこと。
こっちの方は観てみたい。




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