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GOMA28

Author:GOMA28
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ヴァージニア

Twixt003.jpg

Twixt
2011年
アメリカ

フランシス・フォード・コッポラ監督・脚本・製作


トム・ウェイツ、、、ナレーター
ヴァル・キルマー、、、ホール・ボルティモア(オカルト作家)
ブルース・ダーン、、、ボビー・ラグレインジ(保安官)
エル・ファニング、、、V( ホールの夢に現れた美少女)
ベン・チャップリン、、、エドガー・アラン・ポー
ジョアンヌ・ウォーリー、、、デニース(ホールの妻)
アンソニー・フスコ、、、アラン・フロイド(牧師)
オールデン・エアエンライク、、、フラミンゴ(湖の対岸の若者グループのリーダー)
ドン・ノヴェロ、、、メルヴィン( 時計台の管理人)


コッポラ監督の幻想的な傑作に「コッポラの胡蝶の夢」があるが、それに比べれば、とてもこじんまりとした小品であった。
観ている最中に3回ほど眠ってしまった。
この作品と夢繋がりで観た気になってはいる。
ちょっと怪しいが。

何だか現実は、特にどうということもない、冴えない流れである。
とっても地味。
だが、そこに夢が侵蝕してくる。
Vという謎の美少女がボルティモアに助けを求めてくる。
ゴシックな風情であるが、ちょっと狙いすぎの演出過多で美しさに乏しい。
(折角のエル・ファニングが死んでいる。実際死んでいるのだが)。

Twixt005.jpg

ほとんど夢の中の世界でホール・ボルティモアはエドガー・アラン・ポーに導かれ、二人で事件の真相を確認してゆく。
つまり次作のネタがしっかりモノに出来るのだ。
しかし何でも夢の中で解決では安易すぎないか?
エドガー・アラン・ポーが出てきてしまって、何でも聞けてしまうではないか。
Vというか、エル・ファニングまで出てくれば、夢に浸っている方が良いと思いきや、、、
大概、誰の夢でもそうだろうが、とてもダイナミックでスリリングな展開で、Vが吸血鬼の正体を現し噛みつかれるなど散々な目には逢う。

だが、ゴシックロマンとかいうほどの絵ではない。
場所がアメリカのどこだかの片田舎である。
ゴシックロマンであればヨーロッパの古いお城とかでないと雰囲気は出し難い。
それに代わる何かがあればよいが、どうも感じられない。
しかしエル・ファニングのあの様相は、それを狙っているとしか思えないのだが。

Twixt001.jpg

夢の世界の出来事は、起きたらスッと消えてしまう危ういものだ、、、。
余程の夢でなければ白昼のもとに描き起こせない。
この夢が相当にビビットな出来事であることは分かるが。
彼はそれをしっかり書き留めて、新作として仕上げてしまう。
編集者にも好評で、売り上げもまずまずという、何ともどうでもよい結末であった。


ベン・チャップリン演じるエドガー・アラン・ポーがまるで本人が出てきたように肖像画そっくりで凛々しかった。
それに比べ、であるがホール・ボルティモアは終始、締まらなかった(笑。
エル・ファニングの出演した映画の中では、もっとも地味で彼女の魅力が活かされてはいなかった。
噺の上でも、自分の自堕落さが元で最愛の娘を事故死に導いてしまった自責の念から現れる娘のイメージ~霊と杭を打たれて死んだVの姿が重層してこんがらがっている。
夢が活性することで、深層の意識も無軌道に浮上した感じであろうか、、、。
単に混乱して整理がつかないようにも思える。
湖の対岸の若者たちの存在は、実際にいたようだが、何を意味しているのか今の時点ではピンとこない。
イメージの中ではそのリーダーのフラミンゴがVを殺人神父から救い、吸血鬼に変えたようだが、、、。
夢か現か分からぬ世界を描くことは、面白いが、物語の構造まで何やらあやふやで捉えどころがないものを見た印象であった。

Twixt002.jpg

こうしたタイプの映画であれば、ギレルモ・デル・トロ監督が撮ったら凄いものになりそう。




暗い場面が多く、Blu-rayが鑑賞には適している。




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血のお茶と赤い鎖

Blood Tea and Red String001

Blood Tea and Red String
2006
アメリカ

クリスチャン・セガヴスケ監督・脚本

Christiane Cegavske001

監督自ら女性ストップモーションアニメーターである。
音楽・効果音も面白い。
セリフはない。
ヤン・シュヴァンクマイエルの弟子が作ったような感じの作品(笑。
アメリカ映画ということに驚く。
(監督もアメリカ生まれではある)。

Blood Tea and Red String004

人面鳥、人面蜘蛛、人面向日葵、、、のキャラクターが独自か。
そこに貴族階級を象徴する白鼠と嘴を持つ茶色い動物がいる。
そして白い人形、、、これを皆で奪い合う。
更に荷を引く亀。

Blood Tea and Red String003

人形特有の動きのぎこちなさが原初への郷愁を誘う。
それによる劇~物語を演じさせることで、ヒトへ逆照射する本源的な何かがある。
夢の文脈で騙られる物語。


Blood Tea and Red String002

~血と水は身体と地の底を巡り巡る~
テーマのようだ。
水や血を介して成される様々な行為が行われ、繰り返され、流転してゆく。
それが人形世界で夢の形で見せられる。

ビニルの水からそれが受け取れれば、この世界を堪能できると思う。






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モンキービジネス

Monkey Busines

Monkey Busines
1952年
アメリカ

ハワード・ホークス監督

ハリー・シーガル原案

ケーリー・グラント、、、バーナビー・フルトン博士
ジンジャー・ロジャース、、、エドウィナ・フルトン(妻)
チャールズ・コバーン、、、オリヴァー・オクスレイ社長
マリリン・モンロー、、、ロイス・ローレル(社長秘書)
ヒュー・マーロウ、、、ハンク・エントウィッスル(エドウィナの幼馴染)


ケーリー・グラントやジンジャー・ロジャースがよくこれ程弾けた演技をしたものだと驚く。
終盤にはチャールズ・コバーンも負けじと弾ける。
皆、青年、子供に成り切って燥ぐ。
この頑張る様をどう捉えるかで楽しみ方が決まる映画だ。
これを単に馬鹿らしいと思ったら、全く観れたものではなかろう。
素直に笑って観られるかどうか、、、。
名優がこんなに馬鹿をやっている。頑張っているなあと眺めても楽しいではないか。

Monkey Busines001

そして、ここに出てくる初期のマリリン・モンローの素敵なこと。
まだセクシー路線ではなく、ちょっと頼りないブロンド美人役の瑞々しさが良い。
やはりモンローは違う。
栴檀は双葉より芳し、である。

Monkey Busines004

バーナビー・フルトン博士は製薬会社に勤め、若返りの薬の開発に心血を注いでいた。
そして吸収率さえ上がれば効果が期待できるところまで漕ぎつくが。
まだまだ、完成まで時間を要すると思い取り敢えずの効果を試験するため自分で飲んでみると、いきなり青年時代に気持ちは飛んでしまった。つまり気持ちだけは若くなってしまったのだ。
ただしこの薬を飲んだ時、ウォーターサーバーの水も後から飲んでいる。
彼は大学生の格好をしてオープンカーを買い込み、社長秘書ロイスを乗せて遊び回る。ダイビングをプールでしたり、ローラースケートをしたり、車で無鉄砲に飛ばしまくり、ロイスのキスマークまでつけて帰宅する。
疲れて眠ると元に戻っている。

Monkey Busines002

妻のエドウィナが余りにも天才に対する理解が深く、寛容でよく出来た人だと感心していたが、彼女も若返ると手を付けられないほど我儘娘になる。
お互いに、若返りの厳しさを痛感し、よく乗り越えてきたものだと感慨に浸り、もう薬の生産はやめようとする。
(少青年期の無軌道さ、思慮のない行動ばかりを大袈裟に抽出して単純化を図っている)。

Monkey Busines003

結局2年を費やして研究開発した薬は苦いだけで実際の効き目はなく、その後飲んだ実験用のサルが見よう見真似で薬を調合した液体をウォーターサーバーに混ぜてしまったものこそが若返る効力を発揮していた、という荒唐無稽な噺である。
つまり薬を飲んで苦い為、後から飲んだ水が実は若返りに効く薬となっていた。
あり得ない馬鹿げた話だがそれを受け容れて楽しむ映画だ。
そのサルが薬を調合する仕草が実に上手い。
このシーンが大きな見所でもある。
彼が他の研究員と燥ぎ回る演技も誰よりも様になっていた。
もしかしたら、助演男優賞並みの演技であったのでは、、、。
映画に出た動物の演技では歴代1,2位を争うものではないか。

Monkey Busines006

ともかく、若返り薬を”B4”と社長が命名したり、色々とオフザケ満載の映画であった。
文字通り”モンキービジネス”インチキビジネスで如何に成功するかの社長にとっては賭けであろう。
サルを締め上げて製法を聞き出していたようだが、、、。
だが実際、これは際どい麻薬に他ならない。
そして、このような麻薬に頼ると、これまでに築いた家庭や友情など全てを壊しかねないという、最近の日本の実情にもリンクしてくる。
(トリップ時の覚醒感は捨て難いものであろうが、その依存性こそが命取りとなる)。
最後は二人の愛が一番の薬だ、みたいなところに落ち着くが、確かにそれしかないと思う。

Monkey Busines005


何と言ってもマリリン・モンローとサルの演技のポイントが高い。



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ブエノスアイレス恋愛事情

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Medianeras
2011年
アルゼンチン、スペイン、ドイツ

グスターボ・タレット監督・脚本

ハビエル・ドロラス、、、マルティン (ウェブデザイナー)
ピラール・ロペス・デ・アジャラ、、、マリアーナ (建築家、ショーウインドーのデザイナー)
イネス・エフロン、、、アナ
アドリアン・ナヴァーロ、、、ルーカス
ラファエル・フェロ、、、ラファ
カーラ・ピーターソン、、、マルセラ


雰囲気はとても良い。この空気感が心地よい。
ブエノスアイレスという都市の光景を初めて見た。
猥雑な味のある建造物の群れ。全く自分勝手に周りなど何も考慮せず建てられたビル。これがたっぷりと堪能できる。
ビルの外壁には隙あらばという感じで逞しく雑草が伸びていた。
その無計画で無秩序で無節操な荒涼とした都会で刹那的な生活を長年に渡り続けて来て心身ともに疲弊した男女の噺。
(彼らは不健康な生活に馴染みやたらと薬を呑んで、健康に対して神経質である)。
何故かニンマリしてしまう。
この街にもこの(これらの)男女にも、、、。
とても身近に感じるのだ。
別にマルティン が鉄腕アトムのフィギュアを大切そうに持っているからだけではない。
アサヒスーパードライもあったか、、、日本物があちこちで目についた。この辺からも混然とした雰囲気が受け取れる。

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マリアーナの方は、「ウォーリーを探せ」の本で街中にいるウォーリーがどうしても見つからないことに拘っている。
(そこに自分が運命の人になかなか出会えないことを重ね合わせているようだ)。
本業の仕事が無くショーウインドーのデザイナーをバイトでやっている、この独特な内とも外ともつかぬ狭間の空間というのも面白いものだ。多少は見られるが仕事である。気易く観察も出来て良いではないか。外に出るのに抵抗のある人のモラトリアム空間として適している。
この点では、マルティンが精神科医に勧められた、外に出易くなるにはカメラというアイテムが最適というのと同等であろう。
彼女がプールでちょいと出逢ったドクターに失恋し落ち込んでいると隣の部屋の住人がすかさず、ショパン「別れの曲」(エチュード10の3 ホ長調)を弾き始めるというのも何なのか、、、。これもシンクロニシティか。それにしても普通のアパートで防音装置無しのピアノは流石にキツイ。笑ってしまったが。

彼らの感じるこの閉塞感と焦燥感は身体的に共有できるものだ。
とてもわたし(われわれ)と近い環境~境遇にあるところからして。
(ずっとパソコンの前に座ったっきりとか、、、何でもウェブ上で済ますところなど同じではないか)。
そんななか、明らかに主演と分かる二人がなかなか出逢えない。
ということは最後にどのように劇的な邂逅を用意しているかであるが。
この二人やることがシンクロしていて、人となりが似ていることが分かる。
(ウディ・アレンの「マンハッタン」を同時にTVで観ながら同じように涙しているところは、笑えた。結構笑えるところが多い)。
しかも近くに住んでいてすれ違いながら、回り道をしている、、、。
(この辺はハリウッド映画でも定石だが)。
これはよしとして、、、

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彼らの出逢うところが余りに突飛なのだ。
ウォーリーを探せのウォーリーの服を着て外に出る人っているだろうか。
普段マルティンはセンスの良い格好をしているのに、、、。
それより光取りの為に開けた窓からお互いの顔を確かめ合ったのだから、そこから徐々に近づくとか、パソコンのチャットで出逢ったところから接近する方が自然で説得力はあると思う。
これなの?と正直思ったものだ。

そしてもう仲良しになっていることがユーチューブにアップされていて、デュエットで口パク唄真似でノリノリであったが、これもまたそんなに長続きしそうもないように思える。
そんなブエノスアイレスという都市の光景である。
やはりこの建造物の群れが主人公であった。
ブエノスアイレスである。





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ミステリアス・ピカソ - 天才の秘密

LE MYSTERE PICASSO002

LE MYSTERE PICASSO
1957年
フランス

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督

パブロ・ピカソ
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、、、監督
クロード・ルノワール、、、撮影


この映画の為にピカソが絵~ドローイング、水彩、油彩の実験性の高い作品を描いている。
何れもこのフィルム上にしかない絵だ。
それらの絵の制作過程が見届けられる。
(とは言え、5時間の制作時間を編集により10分にまとめている。ここはちょっとアニメーション作品を見るような感覚もあるが変化の壺は押さえられている。更に絵の生成そのものを正面から捉える工夫の為、裏側から撮影している。ということは、左右逆転した絵を見ていることにはなる。つまりピカソの生な視座・思考とは言えない。特に左右逆転すると意味が異なるような絵はここでは適さないが、そういう題材はなかったと思う)。
ピカソの思考と感性は保留付きだが、筆致の繊細で大胆な運動を追えるのだ。
これは言うまでもないが、画期的なことである。
フェルメールもベラスケスも(二人ともダリが自分の他に天才と認定した画家であるが)完成作を拝むしかない。
このピカソという天才の制作過程が具に見られる奇蹟的体験と謂えよう。


サラっと見事なデッサンで一気呵成に描かれ完成というものもあるが、寧ろそれは少なく。
試行錯誤し訂正され、飛躍もし躊躇し塗り重ねられ、当初のデッサンがほぼ姿を消し誰をも裏切る形体で完成を見ることの方が多い。
時には、描き込むごとに本人曰く、酷くなり、更に悪くなり、最後には新たに描こうという場合もある。
次に描かれたものを見ると、前回の失敗を踏まえると確かに成程と思うが、予想を超える形態に新鮮な驚きは隠せない。
恐らく我々だけでなくピカソ当人にとっても、そうではないか?
この場はとても張り詰めたしかしユーモアも見られる特異な創造の現場としてフィルムに焼き付けられてゆく、、、。
(そのドキュメンタリーをこうして我々の誰もが見ることが出来る。有難いことだ)。

LE MYSTERE PICASSO003

絵を描くことの秘密の快楽がここに示されている。
巨匠との一種の共有感を得た気分。
ピカソは楽しんでいるし、こちらもワクワク、ドキドキしながら先の読めぬミステリーに遭遇しているのだ。
そして何より自分でも描きたいと思えてくる。
創作意欲が湧いてくる。
ここが素晴らしい。

圧倒的な大作を見せつけられ、ただ感心するだけというスタンスではなく、創造の秘訣に触れたような感動と共にこちらも能動的に揺れ動く力がこのフィルムに秘められている。
この映画を撮った(撮るという発想を持った)製作関係者及び監督には感謝したい。
勿論、主役ピカソにも。
彼が首を縦に振らなければ、始まらないことだ。
しかしほんの時折垣間見えるカメラマンや監督とのちょっとした(しかし重要な)打合せ場面で、ピカソ自身もノリノリでかなり意欲的にこれを貴重な創造の場にしようとする意思が窺える。

LE MYSTERE PICASSO001

自ら発明・確立したスタイルを次々に解体しつつ目まぐるしい作風の変化を見せてきた画家であるが、ここに描かれる絵は「キュビズム」色が濃い。「キュビズム」が基調にあるが、1957年の晩年であるから当然か。
実質的に「キュビズム」が彼の最後の成果であったと思う。
分析的なキュビズムへの深まりはあったが。
(シュルレアリズムへの傾倒も晩年大きかったが、余り彼ならではの独自性は見られない)。

尺取りも大変であったようだ。
後、どれくらい描けるかというピカソの問いに、後6メートル残っているというのも面白い。
フィルムの長さが6メートルと言われても、専門家にしか分からない(笑。
しかし巨匠はその尺に合わせてピッタリと仕上げてくる。
彼もまた、こういう映画を撮りたい~残しておきたかったのだ。
後の世の我々がこうして観られるように。

BGMもとてもそれぞれの作画の作業に合ったセンスの良いものだった。

これは本当に素晴らしい仕事である。

LE MYSTERE PICASSO004





これは、絶対Blu-rayにすべき。



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アリス

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ALICE
1988
チェコスロバキア、スイス、イギリス、ドイツ


ヤン・シュヴァンクマイエル監督・脚本

クリスティーナ・コホトヴァ、、、アリス


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大胆な「アリス」だ!
ただもう唖然として見てしまった。
次にどうなるかは謎であるし。
如何にもシュルレアリストの作品である。
アリス以外のモノはみな人形であった。
その世界はグロテスクな悪夢であり可愛らしいと謂えば、アリスくらいのものである。
アリスの物語自体はほぼ独自路線を行っているが、主人公のアリスはオリジナルを強く連想させるクリスティーナ・コホトヴァ嬢である。

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可愛くない人形(特にうさぎ)、内臓、骨、バター、目玉、舌、ガラス(破片)、ハサミ、懐中時計、直ぐに抜けるドアノブ、木屑、水、小石、トランプ、、、
夫々のモノがとてもアクが強く効果音とも相まって、それ自体の存在感がある。
それからアリスは何の躊躇もなくモノを口にする。石から変わったクッキーを食べたり、インク(青)を飲んだり、、、。
小さな子特有の行為ではあるが。
それで体が大きくなったり小さくなったりするのはよいが、小さくなると人形になるのだが、全く似てない。
少しは似せてほしい。別人ではないか。
更に何とも言えないのが、キノコの傘の左半分と右半分のそれぞれを食べると、目の前の物が大きくなったり小さくなったりするのだ。
食べた本人は変わらず相手の大きさが変わるというのはどういうことか。
面白い~シュールと謂えばそうだが、、、ユーモアとかコメディに繋がるようなところはない。

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出てくる人形が昆虫みたいにどれもよそよそしく、可愛げが無く攻撃的だったりする。
荒唐無稽な幻想であっても、その文脈においてはリアルだ。
アリスが何歳か分からぬが原作と同じ年頃で、違和感がなく、とてもしっくりする。
だから、結構サスペンス調にハラハラして観ることが出来た。
やっていることは、基本的に、「遅刻だ。怒られる」とか「首をはねられる」と言って逃げるウサギを「待って、ウサギさん」と追い駆けるだけである。途中で色々思わぬことに引っ掛かるが。

アリスが語り部風に、「女王は首を切ったおしまい」と言った、という感じで彼女の口元だけをクローズアップして映してゆく手法で統一している。
アリスの夢の絵本(読み)でもあろう。

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ティムバートンの煌びやかなアリスとは随分趣は違うが、この仄暗い無垢なアリスにも嵌ってしまった。
こちらのアリスの方が、われわれの初期の記憶を泡立てる郷愁は色濃い。
クリスティーナアリスは歳相応の無防備な攻撃性があり力技も披露する。
靴下の芋虫が床穴を出たり入ったりするところで、自分の靴下を目一杯の力で引き抜いていた。
そして何か引っ張ったりした弾みで後方にしょっちゅう跳ね飛ばされるがへっちゃらだ。
結構タフでアクティブでもある。ここについてはティムバートンのミア・ワシコウスカのアリスも負けてはいないが。
どちらも疲れ知らずだ。
(確かに夢の中では、疲れというものはない)。
帽子屋とウサギの脅迫的無限反復運動もそれを押し止める物理的抵抗はない。

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観終わった後の後味であるが、、、
とても生々しい少女の夢(悪夢)の中を覗いてしまったという感覚である。
彼女が最初に川に小石を無心に投げ込んでいたが、同様に紅茶の入ったティーカップにも幾つも石を入れていた。
このカップの中の小石を見つけてしまった居心地の悪い身体感覚に近い。

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ボイス・オブ・ムーン

LA VOCE DELLA LUNA

LA VOCE DELLA LUNA
1990
イタリア

フェデリコ・フェリーニ監督・脚本
エルマンノ・カヴァッツォーニ原作。脚本
ニコラ・ピオヴァーニ音楽
トニーノ・デリ・コリ撮影


ロベルト・ベニーニ、、、イーヴォ(詩人)
パオロ・ヴィラッジョ、、、ゴンネッラ(元知事)
ナディア・オッタヴィアーニ、、、アルディーナ(片思いの相手)
アンジェロ・オルランド、、、ネストレ(友人)
マリーザ・トマージ、、、マリーザ(ネストレの妻)


ソラドミ、、、これってそれほど不吉な音になるだろうか、、、悪魔を呼ぶという。
自分でもフルートで吹いてみた(笑。

世界全体を満たす寂寞と郷愁。
月の声が微かに生々しく響く。
夜の静寂に映える草原に、、、。
「もう少し静かだったら、皆も静かでいたら、、、何か分かるかもしれない」
これがフェリーニ最期の呟きか。

LA VOCE DELLA LUNA001


イーヴォは月の声が聴こえた。
井戸からも聴こえる囁き、、、。いや井戸から月の声がするのだ、、、。
確かに(その町の)夜はずっと月の音色に包まれていた。
そして昼間も。
月に支配されている(憑かれている)ような人々が次々とイーヴォに寄ってくる。
(同じ音色、同じ律動をもって共鳴するのだ)。
そして月夜に相応しい噺に興じる。その噺で構成された映画である。
「生きるより 思い出す方 が好きだ、、、 どちらも同じだけど」
フェリーニ自身もそうではないか?
(全体を底でまとめるような筋書きはない)。

しかしイーヴォはアルディーナに惹かれている。
手紙を届けに深夜彼女の家に訪れる。
アルディーナの寝姿を扉の傍で窺っていたら、彼女に見つかり靴を片方投げつけられ酷くののしられる。
彼はその靴を懐に忍ばせ帰って行く。
アルディーナとは何か?
少なくとも不正と卑劣な策略を張り巡らせる体制側の人間に思えるが、、、。
彼の側の人間には想えない。
それとも、、、

LA VOCE DELLA LUNA002

イーヴォの純粋さが痛々しくもユーモラスである。
イーヴォとは何か?
この世界における道化であろうか。
素直で哀愁があり周辺に追いやられている人たちに可愛がられる。
ネストレとの屋根での想い出噺には魅惑された。
そして、世の全ては虚偽であると信じるゴンネッラにも気に入られ連れまわされる。

イーヴォはアルディーナに片方の靴を返すことを口実に近づくが、彼女は彼を逮捕させたいと謂う。
イーヴォはショックを受ける。ゴンネッラは彼のことを「体制による不正と卑劣な策略の犠牲者」と言って同情する。
ニョッキを食べる祭りで、アルディーナが小麦の女王に選ばれる。
イーヴォは感動の面持ちで、彼女をパーティの群衆の中に探すが、彼女は何と男とダンスをしながらキスをしていた。
彼は落胆し相手の男の頭にニョッキを擦り付け、会場から逃走する。
そしてゴンネッラと合流し彼の右腕に任命された。

LA VOCE DELLA LUNA003

花火が上がる。
その後、周囲は異様に静まり返る。
ゴンネッラは静寂の素晴らしさを説く。
しかし彼らの前には、巨大な廃墟のようなライブハウスが開かれていた。
そこでは、何とマイケル・ジャクソンのサウンドで踊る若者たちの姿。
ゴンネッラはそのサウンドが認められない。

一方「やっぱり 女は男の知らないことを知っている」とイーヴォ。
彼はそこにいる女たちに片っ端に懐の靴を履かせてみる。
「この靴は君のものだ」
どの女もその靴がピッタリ合った。
「この靴は君のものだ」
君たちは大勢いても一人なのだ。
皆がアルディーナなんだ。

アルディーナとは月か?

LA VOCE DELLA LUNA004

町の蛇口や水道管修理をしている3兄弟が、月を捕まえる。
(確かに彼ら以外に月を生け捕り出来る者はいまい)。
町の中央広場に月はロープで繋がれていた。
夜が昼間のように明るくなっている。

その月を見に、ローマ枢機卿も訪れる。
「月には何の秘密もない。全て明かされている」と彼は述べる。
それに対し「我々は何故生まれてきたのだ。我々に何を望んでいるのか。我々は何をしているのか」と男が問いかける。
その男は答えろと拳銃を月に向けて撃つ。
現場が騒然となる。
町は混乱する。

月は元の位置にいる。

沈黙が支配する。
「まるで 僕の一生が 今夜一晩のようだ」
妹夫婦がイーヴォを連れ帰る。
家に戻ったイーヴォの幸福そうなこと。
井戸の傍で月の声に彼は耳を澄ます。


主演のロベルト・ベニーニが素晴らしかった。
「月」の映画につまらないものは、ない。
フェリーニの遺作である。







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女は女である

Une femme est une femme001

Une femme est une femme
1961年
フランス、イタリア

ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本
ミシェル・ルグラン音楽


ジャン=クロード・ブリアリ、、、エミール(本屋の店員)
アンナ・カリーナ、、、アンジェラ(踊り子、エミールと同棲中)
ジャン=ポール・ベルモンド、、、アルフレード(同じアパートの住人)


製作側がとても楽しんで作っていることが伝わる映画。
軽快に実験を愉しむというか。
噺自体は、アンジェラがエミールに子供が欲しいとねだるが彼はまだ子供は早いと言って要求を撥ねつける。
このやり取りだけで始めから終わりまで通す過激な実験作とも謂えよう。

Une femme est une femme003

音や音楽が途切れるのは斬新な感触。
部屋の調度品が可愛く、置いてある自転車がお洒落だが、部屋の中を自転車に乗りながらセリフのやり取りまでするところはありそうでない。
原色がビビットでポップ。
セリフ、所作・仕草がいちいち小粋。
アルフレードが今夜、これから「勝手にしやがれ」を見るんだと言っていたのを含めクスっとしてしまう面白さなどたくさん散りばめられている。
電気スタンドを持って歩き、本を棚から取り出し、本の文字で語り合う(喧嘩する)ところもアイデア。
無言の文字による当て擦りである。子供もやりそう。ゲームとして。そう少なくともアンジェラにとってはゲームか。
シャルル・アズナブールの歌でアンジェラがホロリとしているのも可愛らしいというか、、、全体的に皆可愛らしいが。
解説がいちいち入るのも違和感があるが、それも絶妙な演出になっている。
特に、エミールは本屋に勤めているくせに、ことばをその額面通りにしか受け取れない、、、とか。
今すぐ子供が欲しい、とアンジェラに迫られタジタジになり、他の男と作れなどと言い出すところも(笑、アホっぽい。
彼女の舞台の歌の歌詞も言いえている。「~わたしに怒る男はいない~それはわたしがとっても綺麗だから~」
何とも、、、。

Une femme est une femme002


みんなが楽しめるコメディであるかどうか、は疑問だが、ユーモアとペーソスに溢れ、物珍しいことが多くて飽きさせない。
電話が部屋に無く、アパート共有なのか、いつも隣の部屋の電話を普通に使っている。
アンジェラが踊りに使う曲を自分で袖でセットして出るところも、何か学校の学芸会めいていたが、舞台から見下ろす客の少ないこと(笑。これは幾ら明るくても、生活は楽ではないことが分かる。
何故かジャンヌ・モローがひょんなところにいたのにはびっくりした。まさにワンシーンだけ。
支配人のマルセイユで働く者はいないか、という問いに南仏なんか行きたくない!と断るところは、わたしにとって意外であった。
(憧れの南仏~)。
アンジェラがミュージカルが好きということで、家でもあんな風に踊って歌って面白い掛け合い(言い争い)を好むのだ。
エミールは喧嘩を吹っ掛けられていると真面目に思っているが。
ことばを真に受け頭が固い男に対し、、、
女は悉く、言ってることと思っていることが、違う、ようだ。

Une femme est une femme004

ただし、アンジェラの子供が欲しいという気持ちはそのまま素直なもので、そこの部分でふたりは落ち着かない。
とうとうアンジェラはエミールの元を去り、彼はやけになり売春宿に行き、彼女は軽い友人アルフレードと関係を持ってしまう。
暫くして彼女はエミールの部屋に戻って来て、全てを打ち明ける。
彼のセリフが笑える。
「これじゃあ、喜劇か悲劇か分からない~」って喜劇に決まってるだろ(笑。
というところで、「今から子供を作ればもし子供ができても二人の子供になるじゃないか」と訳の分かったような分からぬことを言って仲直りとなる。ハッピーエンドなのか、、、。

アンナ・カリーナという女優が余りに大きい。
ゴダールにとってなくてはならない女優であろう。
アンジェラが彼女でなければ、相当印象の異なる作品となっていたはず。
(まず良くはなっていない)。

ジャン=ポール・ベルモンドがやけに軽めの役であった。
良い薬味の役で良かったが。

ゴダール映画だった。





わたしは、南仏行きたい(笑。
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悲惨物語

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Eugenia
1973年
フランス、リヒテンシュタイン

ジェス・フランコ監督・脚本

ソリダッド・ミランダ、、、ユージェニー(娘)
ポール・ミューラー、、、アルベール(養父)
ジェスフランコ、、、作家


マルキ・ド・サド・の「悲惨物語」からインスパイアされた映画だそうだ。
何度もBGMで流れるチープなシャンソンみたいな主題音楽が何とも、、、胡散臭い。

ちょっと引き籠り風(軟禁状態か?)の内向的美少女が養父から間違った教育を受け、ふたりでもろともに破滅に向かう御話。
(何故、この少女が養父とだけしか人間関係を持っていないのかは説明はない。その状況が描かれるのみである)。
昨日の「危険な戯れ」が、父から解放され大金をせしめて恋人と晴れ晴れと逃避行に出る話だが、こちらは養父に人生を搾取され続け、恋人を得てようやく自分を見出し、外に出ようとしたところで、逆上した養父に殺されるという悲運~悲惨の美女物語である。
そして印象的なのは、この女性は必ず座るときに体育館座りをして首をちょっと傾けるのである。
日本では珍しいものではないが、リヒテンシュタインでもそうなのか、、、。監督の趣味・趣向なのか。

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試写室でサディスティックな映像を具に眺め、その後病院に駆けつけ(先ほどの映像にも出ていた)血だらけの瀕死の女性にインタビューを行う作家がこの映画の監督でもある。この今にも死にそうな女性がユージェニーであり、作家はその父アルベールとは一体何者かということを知りたいのだ。
このオタク評論家めいた(日本人にいそうな)風貌の作家役兼監督は、全編に渡りしっかり出演している(なかなかの役者だ)。

父のことについて洗いざらい話して欲しいという作家に対して、全て包み隠さず話すから、最後に殺して欲しいという条件でベッドに横たわる息絶え絶えの美女は騙り始める。
物語は、その噺が映像~回想として流れてゆくという形式をとる。
(よくあるパタンである)。

養父の作品を密かに読んでしまったことから彼と関係をもってしまうユージェニーは、ふたりの秘密の共犯関係(ある意味、完全な主従関係)を結び、完全犯罪を続けてゆく。
(この特異な関係性がどのようなメカニズムで形成されたのかという過程は描かれない為、既成事実として受け入れたうえでふたりの行為の展開をサスペンス風に観てゆくことになる)。
このふたりの企みに気づいた、以前からアルベールの作品に興味を持ち研究対象にしている作家が、彼らを常に尾行・監視し始める。

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映像でふたりによって行われてゆく行為をいちいち書いてもしょうもないので、運命を決めるに及んだ養父の教えを記しておきたい。
(字幕から拾っておいたものだが、正確かどうかは保証できない)。

「お前は真の生きる意味を知った」
何?唐突に、とは思わなかったか。
「それは特別な体験がもたらす究極の悦びだ」
「お前は他者の痛みを支配し、他者の苦しみを糧に生きる」
この辺で、何それ?と思い、引いていたならこの娘は若くして死ぬことはなかったと思うが、、、。
「人生の醍醐味は自らの歓喜だと知るがよい」
「崇高かつ陶然たる感覚を得るのだ」
回りくどく勿体ぶっているが、メッセージいやマニフェストには権威付けは大事である。
「傷や血にまみれた他者の顔を見るとき、お前は最上の悦びを感じる」
ここでうっそーと思わないのだから、もうすでに染まってしまっていたのだ。
「知られざる秘密はお前に強さと快楽をもたらす」
何処からこの確信が来るのだ?

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これで、もうあなたとわたしは一心同体みたいなことを確認して、ふたりして荒唐無稽な秘密の遊びを始めてゆく。
ただ、折角捕らえた獲物なのに、余りにあっさりと殺し過ぎている気もした。
もう少し儀式めいたことをして変わった殺し方をして愉しむのかと思っていたが、直ぐに殺すので見ていて何か勿体ない気がした。
残虐なエロティシズムというものは、ほとんど感じられなかった。
これを幾度となく繰り返してゆくところに、例の作家(兼監督)が彼らの前に立ち現れ、あなたたちのやっていることはお見通しですぞ、と述べ、警察に密告するようなことはしませんが、このようなことを続けていると必ずあなたがたにその行いの報いが帰ってきます、と自分がこのような噺を書いて演じさせているのに何を惚けたことをみたいな警告を残し去って行く(笑。雰囲気的にはこの作家が一番怪しい。だが、次第に知的に見えてくるところが演技力か、こちらの慣れか、よく分からない。

そして、獲物として狙ったトランペット吹きの男に本当の恋心を抱いてしまったユージェニー。
チェ・ゲバラの噺などして、ふたりで逢瀬を重ね、精神的に惹かれ合う。
自分の足で独り立ちしたいと考える。
ここで全ての歯車が狂ってしまう。
アルベールは嫉妬に狂う。
トランペット吹きを殺し、事前の予告の通りに、ユージェニーの体をハサミで切り裂き、自分はナイフで切腹する。
(自分の尊厳を保つ唯一の自殺は切腹によるしかない、と言っていた)。
この監督、その風貌からも日本にかなり詳しそうである。

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ベッドで作家に全てを語り終え、ユージェニーは事切れる。
飛んでもない養父に囲われていたことで、若くして死んでしまい、何とも切ないところだが、、、。
実は、この監督についてちょいと調べたところ、この監督に見出されめきめき頭角を現した美人女優ソリダッド・ミランダ自身も道半ば大変若くして自動車事故で亡くなったそうだ。この作品が遺作となるらしい。これは余りに惜しいものではないか。
ジェス・フランコ監督の落胆は激しく暫く何も手につかなかったそうだ。

だが、それだけでは終わらない。
その後のこの監督の製作現場に常に幽霊のように彼女が立ち現れるようになり、指示~お告げ?を与え監督はそれに従い、現場は大混乱を来すことになったそうである。
そして監督にとってこの女優の後釜がようやく出現した際には、その女優に彼女が憑依したかのような演技をさせたという。
現場スタッフも皆そういう証言をしていると、、、。

これって、こういう映画より100倍面白い噺なのでは、、、。
「ソリダッド・ミランダ物語」として渾身の大作を作ってみたらどうか?
ドキュメンタリータッチのオカルト映画である。
監督の最高傑作となりそうではないか。







リヒテンシュタインの街を歩いてみたくなる、、、。

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危険な戯れ

Le Jeu avec le feu

Le Jeu avec le feu
1975年
フランス

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本


アニセー・アルヴィナ、、、カロリナ(娘)
ジャン=ルイ・トランティニャン、、、フランツ(組織の一員、カロリナの恋人)
フィリップ・ノワレ、、、ルソー(父)
クリスティーヌ・ボワッソン、、、クリスティ
シルヴィア・クリステル、、、ダイアナ
アゴスティナ・ベッリ、、、マリア


『快楽の漸進的横滑り』と『囚われの美女』との間の作品。
アニセー・アルヴィナがここでもヒロインで出ているが、わたしは「快楽の漸進的横滑り」での彼女の方が良い。
役柄が単調で物足りない。
まあ、そういう役なのだから仕方ないが。


館が妙である。
構造的にあり得ないことから、全てがカロリナの妄想にも思えてきてしまう。
(では、彼女は何処にいるのか?)
あのドアを開けて、隣の部屋がオペラ上映できるような大ホールであるはずはない。
実にいい加減な構造の(幻想の)館なのだ。

半面、凱旋門の屋上が妙にリアリティがあって、清々しかった。
ここだけが現実みたいな。
やってること、語っていることは非現実的だが。

富豪に娘を誘拐したと犯人から脅迫電話がくる。
しかし娘は学校からいつも通りに帰ってきた。
誘拐犯に手違いがあったようだ。
だが、美女の強奪が密かにあちこちで進行していた。
父は今のうちに娘を安全な場所に保護しようと考える。
依頼した探偵みたいな男に娘を任せたら、彼が連れて行った安全な場所こそ美女誘拐秘密組織~クラブの運営するサディスティックな饗宴を日夜催す館であった。

ここでは、捕えられてきた女性は完全に物として扱われている。皆薬を打たれて無表情であるため生命感がない。
非日常的にほとんど女性は裸体で過ごす。彼女らは美しいが、ただそれだけ。生きていない人形として戯れの対象となるのみ。
カロリナは鞭打ちには合っても、その他は犬に追いかけられる程度で済むが、他の女性は皆、お遊びが済んだら刺されたり、焼かれたりして処分されている。何と危険で贅沢な娯楽だ。とっても観念的だ。

このような地下組織が存在するのか、カロリナの少女から大人の女性に変わる(何らかの)イニシエーションのイメージなのか、、、
残酷で性的な虐待がなされているようでいながら、全く暴力やエロティシズムが実際に感じられない。
抽象的で脱色され脱臭され人間味はまるでない。全ての行為と女は記号化されている。
館での過ごし方が彼女だけ超越的~余りにも自由自在であることからも、やはり彼女の白日夢なのか。
剽軽な効果音も妙である。

カロリナは結局、組織の人間であり恋人らしいフランツと組んで、父親の用意した身代金100万フランを組織と警察を出し抜いて強奪し、車で逃亡を図る。
父親は、彼女を閉じ込めて走る車が横転して火を噴いたことから、彼女が焼死したと受け取りピストル自殺する。
それをドアの陰から窺う忠実な執事のニヤッとする表情の意味は、、、。
やったぜ!というノリで燥いで走り去って行くカロリナとフランツ。

やはり父の懐から解放されて自立する女性の妄想劇であるか。
アラン・ロブ=グリエ監督・脚本を意識させるような映画とは思えない作品であった。
監督の趣味は形だけは満載であったが、、、。
アニセー・アルヴィナも綺麗なだけで、あまりやる気が感じられないと思ったのはわたしだけか。



字幕もので、字幕をoffにして観てもよいか、、、。




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アラン・ロブ=グリエで再度、見直してみたいのは、『不滅の女』だろうか。
『快楽の漸進的横滑り』と『囚われの美女』も良かったが。
脚本も含めれば、一番は勿論、「去年マリエンバートで」となる。


不滅の女

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L'Immortelle
1963年
フランス、イタリア、トルコ

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本

フランソワーズ・ブリヨン、、、謎の女
ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、、、教師


アラン・ロブ=グリエ監督の処女作映画。
丁度、「去年マリエンバートで」と同じころ(作り始めたのはこちらが先)の作品であるからか、雰囲気が似ている。
わたしは、これまで見た彼の映画では(「危険な戯れ」も含め)、これが一番、気に入った(笑。
所々でマリエンバートと、とても似た雰囲気になる。
(あのポール・デルヴォーみたいな静止した群衆の光景とか、、、)。
「去年マリエンバートで」の方が好きだが、彼の監督作品では、今のところこれがベスト。
魅惑的なショットが多い。


イスタンブールに休暇でやってきたフランス人教師の男。
トルコでは、なかなかフランス語も英語も通じない。
トルコ語やギリシャ語が飛び交う。
(そして彼らは何やら企んでいる不審な表情)。
音楽もまさに地元の音楽で、かなりの尺で流れ、それだけでも堪能できるくらい充実していた。
更に光と影のコントラストの強さ、これが何やら自然に幻覚を誘うような、意識と無意識の境界を曖昧にする場所に思えてくる。

ことばが主人公にとって外国語であるが、それ以上に意味が伝わらない。
相手がわざとはぐらかす場合もあり、幻想か現実かも分からなくなった結果でもあるか。
そんな時に白いスポーツカー(コンパーチブル)を乗り回す謎の女性に港で出逢う。

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教師の男は、この女性と逢瀬を重ねる。
だが、いつも男と女の間には距離があり、親密にはならない。常に距離を保つ。奥床しいとか道徳的とかいう次元のものではなく。
これから先の、ロブ=グリエ作品と随分雰囲気は異なる。(必然的に監督お得意の性的描写もほとんどない)。
このジャック・ドニオル=ヴァルクローズ氏の風貌がカフカの小説の主人公めいて、克明に描かれているのに抽象的な感じの存在なのだ。人間的接触が見られない。あたかも人形のような人である。しかしその目で見れば、登場人物全員が人形と言っても良い。

彼女は「わたしは自由よ」という割には、人目を気にし場合によっては唐突に帰ってしまう。
犬に殊更大袈裟な反応を示す。
(時折)一緒にいるサングラスの男、、、。
わたしはチューリップ、、、何かの暗号みたいに言う。本当の名前も国籍も明かさない。
フランス語を流暢に喋っても、彼は彼女をフランス人とは受け取っていない。
彼女は旅行者と言っているが、思いの他トルコ語やギリシャ語に通じているらしい。
そしてイスタンブールの裏・表にとても詳しい。

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この映画がもっとも反復が有効に活かされていたように思う。
その方法~形式が内容にピッタリ合っている。
反復されたときにまさにここはこれだ、と唸るところもあった。
反復と回想の決定的違いも良く分かった。

反復、静止、不在、凍結した構図、、、そして、、、浜辺、この作品がもっとも効果的に(蜃気楼のような)浜辺を描いている。
女性の髪形が急に異なり、一見では同じ女性とは思えなかった。このあたりでシーンの塊が連続的に(線状的に)流れる映画ではないことが知らされる。
不連続的なシーンで構成されているとすれば、最後まで見れば結論が分かるというものにはならない。
円環構造で、ただ細やかな出来事を追ってゆくとすれば、女は不死でしかなくなる。そこで不滅と言ってもよいか、、、。
一見オーソドックスな形式を取っていると思って観ていたのだが、時制の細かいコラージュ作業が見て取れる。

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彼女に突然逢えなくなった男は必死に彼女を追い求める。
これまでにパーティなどで、彼女と自然に話していた人物に問いただしたり、一緒に買い物に行った店の主人に確認したり、彼女の近所の人間に聞いたりもするが、その多くが彼女が一体何者で今何処にいるとかいうより、彼女自体を知らないという。
その存在を知らないと、、、(土産物屋の主人は彼女を覚えているとは答えたが、何故か彼女に売ったビザンチン時代の貴重な置物をまだ誰にも売っていないと持っているのだ。)

彼女のことを初めてまともに話せる人を見つけるが、彼女はこの国の特異性を訴える。
「外国人相手の怪しい商売があり、誘拐や秘密の監獄や人身売買が横行している」
ここではあり得ないことが起きることを忠告する。

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そしてそれから、、、
ロングショットでマリエンバートみたいに人が並び(ここはスーラの構図も連想させるか)人影が止まり、ネジが巻かれたかの如く動き出すシーンが幾つか続く。
そんな中で、止まった人々の内に彼は彼女を見出す。
(本当にそこに彼女はいたのか、彼の妄想か、彼女はいつでもどこにでも現れ、そしてどこにもいないそんな存在に思えてくる)。
彼は彼女に確認したいことが山ほどあるが、決まってそんな時「ここでは話せない」と言って何処かに場所を移す。
「あなたの部屋に行きましょう」と言っては、そこを通り過ぎてゆく。
そこに人がいたからだ。彼は何者だったのか?危険な監視者なのか、、、。
快楽が横滑りしつづける。

そして暗闇の路を彼女の車でただ走り続けるしかなくなる。
何処に行くのではなく、路に従い只管闇を走るしかなくなっている。
どうにもならない、出口もなく、走って行くと前方に犬が佇んでいた。
彼女の大きな叫び声と共に車の運転席は道路脇の木に激突して、助かったのは助手席の彼だけであった。

だが、彼女の死後にも彼はその幻影を見てゆく。
そしてこれまでのシーンが反復される。
異化されながら反復する。そして前後する。嵌め込まれる。
彼は面影?を追ってコラージュを彷徨う。
彼女は回帰するのか。という問いも最早意味を持たない。
彼は彼女の事故車を購入し、またあの闇を疾走するとまたしても同じ犬が前に立ちふさがり、恐らく同じ木に激突して今度は彼が死ぬ。

だが、実際誰が死んだのか、どうなのかはっきりしない。話も終わらない。





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ヨーロッパ横断特急

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Trans-Europ-Express
1966
フランス、ベルギー

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本

マリー=フランス・ピジェ、、、エバ
ジャン=ルイ・トランティニャン、、、イライアス
クリスチャン・バルビエ、、、ローレンツ
チャールズ・ミロー、、、フランク


「嘘をつく男」のひとつ前の作品であり、これもモノクロである。
主人公も同じジャン=ルイ・トランティニャンが演じる。
特別にアラン・ロブ=グリエ監督に評価を受けている俳優なのか。

イライアスは、麻薬の運び屋の試験を受けている。
三人の映画製作者に列車のコンパートメントで出逢ったことから、彼は主人公として彼らのアイデアに従いこの映画の中で動かされることに。
パリからアントワープへ特急列車に乗って麻薬を運ぶ男というところまでは、設定されていたがその先を偶然目にしたイライアスを元に作って行く。
つまりその3人は、映画の中に出演しながら同時に、イライアスその他(彼ら3人以外のキャスト全て)を好きなように動かすメタレベルの存在でもある。
こういう構造も映画においては成立可能であるということをこの作品で示そうとしたのか。
かなり上手くいっていると思う。実験として面白いが、その結果も愉快である。

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この映画はメタ構造を持った形で進行するが、その基本形式自体は極めて普通?の映画である。
文法的にほとんど変わったことはしていない。
また、性的な表現も極めて大人しい。
アラン・ロブ=グリエの中で最も観易い映画ではなかろうか。

この3人であるが、監督役が何とアラン・ロブ=グリエで、助手のスクリプターが彼の奥さんだそうだ。そしてもうひとりがプロデューサーである。この3人のやりとりも(剽軽で)傑作である。
この3人が決めたストーリーで物語が動くが、ちょっとここは拙いと奥さんからのダメ出しを受けて、プロットが修正されたりする(笑。
映画という視覚芸術で、出来る限りの色々な実験をしてきたことが分かる。

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時折、監督グループの俯瞰的視座が入るが、薬の運び屋候補生のイライアスが警察や身内の監視をかわしながら目的の場所へブツを運んで行くサスペンスストーリーもスリルがあり結構楽しめるものになっている。
それらしき人物と合言葉で情報を交わし合うが、この辺の出会いは少しご都合主義というか上手く運びすぎな感じはしたが、テンポや流れはスムーズで観易い。

ここでもイライアスは身内(組織)の幹部には評価されるが、麻薬の実物を任せる為に、再度テストを反復させられる。

エバという娼婦に見せて実は身内の監視人と同時に警察の密通者である女との逢瀬も監督の趣味が入り何とも言えないモノであった(笑。つまりこの役者が映画の中でそして、監督の映画を通してやりたいことは、しっかりやっている。
色々な意味で、たくさん盛り込んだもの~特に即興性が上手く作用してエンターテイメントとして成功していると思う。

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結局、イライアスは身内の殺し屋と警官に追い詰められピストルで撃たれて死ぬ。
勿論、これは監督グループの次作に向けたひとつの試作かと思うが、この形での実験作としてもしっかりまとまっていて見応えもある。

だが、一番最後のジャン=ルイ・トランティニャンとマリー=フランス・ピジェのコメディ調のエンディングシーンは、ちょっと引いた。

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嘘をつく男

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L'Homme qui ment
1968年
フランス、イタリア、チェコスロヴァキア

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本

ジャン=ルイ・トランティニャン、、、嘘をつく男(ボリス・ヴァリサ又はジャン・ロバンと名乗る)
ズザナ・コクリコバ、、、ローラ(ジャンの従妹、妻)
シルヴィ・ブレアル、、、マリア(ロバン家の召使)
シルビー・ターボヴァー、、、シルビア(ジャンの妹)
ヨゼフ・クローネ、、、フランツ(執事)


昨日観たアラン・ロブ=グリエ監督の「エデン、その後」のひとつ前の作品である。
モノクロで、しかも普通にストーリーがあり、戸惑う。
監督名を見直してしまった。
ボルヘスの短編「裏切り者と英雄のテーマ」を下敷きに描いたものだそうだ。
なるほど、自分の小説が原作ではないのだ。しかしボルヘスも曲者である。
このアラン・ロブ=グリエ氏、小説家がたまたま映画も撮ってみたというスタンスではなく、本格的に映画を製作していることが分かる。
自分の芸術表現の形式に映画がとても有効な手段・方法なのだろうことは推察できる。
なお、前の記事に書いた「去年マリエンバートで」は、アラン・ロブ=グリエ原作、アラン・レネ監督による映画であり、ちょっと誤解を招く書き方をしてしまったかも知れない。
このアラン・ロブ=グリエの監督作品は、以下の通り9作に及ぶ。
作家と同時に、完全に映画監督とも呼べるだろう。
(彼の文学論からして、表層をカメラ~視線によって記述するには映画という形式は最適なのかも知れない)。

『不滅の女』  L'immortelle (1963年)
『ヨーロッパ横断特急』 Trans-Europ-Express (1966年)
『嘘をつく男』 L'homme qui ment (1968年)
『エデン、その後』 L'Eden et après (1971年)
『快楽の漸進的横滑り』 Glissements progressifs du plaisir(1974年)
『危険な戯れ』 Le Jeu avec le feu (1975年)
『囚われの美女』 La Belle Captive (1983年)
『狂気を呼ぶ音』 Un bruit qui rend fou (1995年)
『グラディーヴァ マラケシュの裸婦 』 C'est Gradiva qui vous appelle (2007年)

この中で、『不滅の女』から『囚われの美女』(すでに観た)までは、どれも観る事が出来そうだ。
何故か行きがかり上、わたしにとって、「アラン・ロブ=グリエ週間」となってしまった(笑。

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最初に僕の話をしよう、と我々観客に宣言したその男は、名前はジャン・ロパンと告げるが、物語に入ってゆくと、すぐにボリス・ヴァリサと名乗り、ウクライナ人とも呼ばれていた、とくる。
(ジャン・ロパンはレジスタンスのリーダーであり、ボリス・ヴァリサという墓碑銘が見られ故人である)。
この調子で進む。最初から茶番めいていた。

森の中で、沢山の兵士に狙撃されているようでいて、手榴弾も炸裂していたはずだが、それは彼のいる場所とは次元が異なっているように思えるのだ。
彼は他に気がかりがあるような面持ちで、特に緊張感もなく普通に街中をうろつくように背広にネクタイ姿で取り敢えず逃げているように窺える。

男は街に出るが、その状況は占領軍の監視下にあるような光景であった。
酒場でジャンという男が英雄扱いされていて、その男の帰還が望まれている事を聞きかじる。
男は噂のジャンの妻と妹がいる家に赴く。
自分はボリスと言い、ジャンとはレジスタンスの同志の関係でいつも行動を共にしていた。などと持ちかける。
男は戦争の経験について女たちにしきりに話すが、曖昧な話ですぐに突っ込まれて、先に進まず深まることもない。
ジャンとの活動の思い出話も幾度となく反復されるが、その度に内容は変容してゆく。
忠実な関係であったと言う話と裏切ったと言う話が交錯する。
つまり、これらは回想ではなく反復なのだ。

LHomme qui ment002

そして、この男は、何の目的で嘘をついてこの街に潜入しているのかも不明だ。
彼が泊まるその屋敷には、3人の女がいた。
ひとりは、ジャンの妹のローラ。もうひとりは、彼の従妹で妻のシルビア。そして召使のマリアである。
彼女らは、兄又は夫を待つ女で登場するが、彼女ら自身、実在しない兄や夫がいる振りをしていると述べたりする始末。
そして3人で何やら芝居をして愉しんで遊んでいる。断頭台の処刑の物まねをして燥いでいたり、、、。
ストップモーションもかかり、舞台芝居がかった動作をするところは、マリエンバートみたい。
そして効果音も面白い。和太鼓みたいな音が何度も入る。
教会の鐘の音や鳴り響く銃声。
そして女の髪が切り落とされる。相変わらず瓶が(脅迫的に)割れる。
ただここでは、血はほとんど流れない。

3人の女たちも至って怪しい。何のために何をしているのか分からないが、妙な芝居じみた遊びに興じている。
男も自分を役者で役作りをしているところだと言っていた場面もあるが、それも適当な嘘だ。
ついに終盤で自分は実はすでに死んでいるとまで言っている。
この男とそれぞれ女たちは突然、関係を持つ。
そこに必然的な流れが感じられないが、突然起きる。
だかその後、親密になったりの人間的変化は、見られない。

LHomme qui ment003

ここで我々は何をどう見て辿れば良いものか。

ジャン〜ボリスいや何者でもない男の、目的も脈絡も見つけられない行動を、ただ追うしかない。
ここに出てくる人間たちが一体何者なのか。
不意に見つめるその無機質な表情からして、ほとんど人形に見える。
そう、冒頭の銃弾の雨の中を、物思いに耽ると言うか上の空のような顔で彷徨い、突然撃たれて倒れたかと思うと、ケロっと起き上がってまた歩き出す姿からして、そうであった。

ヒトが表層そのもののオブジェと化していたかどうかは分からないが、スナップショットは幾つも見られた。
少なくとも制度的内面の物語からは、周到に抜け出ていたと思われる。



これはとても映像が鮮明。


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エデン、その後

LEden et apres001

L'Eden et apres
1971年
フランス、チェコスロヴァキア、チュニジア

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本


カトリーヌ・ジュールダン、、、ヴィオレット(学生)
ピエール・ジメール、、、ディッシュマン(不思議な男)
リシャール・ルドウィック、、、マーク(学生)
ロレイン・レイナー、、、マリエ・イブ(学生)


昨日の「快楽の漸進的横滑り」のひとつ前の作品。
パリの大学生たちが「エデン」という名のカフェに集い、そのガラス張りの沢山の部屋を行き来しながら、即興で演技をして楽しむ、、、。
実際、脚本があるのだか、ないのだか、、、。
ここでもモンドリアンやマルセル・デュシャンの作品がモチーフに取り上げられている様だが、、、。
実際、それ程内容に食い込むものでもなさそうだ。
幾つもの大小のガラス張りの部屋に仕切られた「エデン」のセットが俯瞰するとモンドリアンの構図になっていそう。

LEden et apres005

ともかく、暇そうな学生が、ロシアンルーレットじみた死を賭けたゲームに興じる劇をやり始める。
ピストルで撃ってみたり、騙して毒を呑ませてみたり、、、
鏡とガラス、例によって白地に赤い血。瓶が割れて鋭いガラス片が散らばる。
全体の雰囲気はルースでニヒリスティックなものである。
それを外から観察していたアフリカ帰りのディッシュマンという男がかき回し始める。
「君たちは生きた物事に関わることを拒絶している。安全地帯で微笑んでいるだけだ」とか演出家かプロデューサーみたいなjこと言って、インドの手品を見せ、その場を変容させ~ちょっと異なる演出になってゆく、、、。

LEden et apres002

ヴィオレットの叔父が描いた一見白と青のコンポジションみたいな絵だが、90°傾けるとこれは家なのだ。
白壁に青い窓の家である。高く売れる絵だそうだ。
その絵を奪って金にしてどこそこに旅に出るのなんのという噺になり、その絵を誰かが奪いその争奪戦で殺人などが起きてほとんどが死んでゆくみたいな展開となる。どうでもよいが舞台は、どうやらジェルバ島であるらしい。
この自由な転換には驚かないが、そのエキゾチックな風景には魅せられた。
島が丸ごと白と青のコンポジションではないか。
(モンドリアンも喜ぶと言うものだ。彼は緑が大嫌いだが、ここには見つからない)。
例の絵そのままの家もあった。
(デュシャンについては、ちょっとピンとこなかった。確かめる気もしないが)。

LEden et apres003

さて、ここで何だか、ヴィオレットの幻想というか妄想か悪夢というか白日夢かただの夢みたいな映像が脈絡なく続く。
例の大学生やインド帰りの男が、死んだり殺されたりしても、次のシーンでは生きて何をかやっている。
ヴィオレットも何度か殺されかかるが、毒を騙して呑ませて相手を殺しその場を逃れる。これで毒殺も二度目である。
時制のコラージュでもない。現実ではないようなので、単なる想念~イメージが連結して行く流れのようだ。
盗まれていた絵は見つかるのだが、この絵の為に多くの人が死んだことで、彼女はその絵(の所有権)を放棄する。

とりとめのないままどうするのかと思って、煎餅を齧りながら見ていると、海辺でヴィオレットと同じ年頃の女性が、彼女を待っていた。その女性はヴィオレットに自分と同じ服を着せ、一瞬同化し(ピッタリ一つの人に重なり)彼女をこのコンテクストから解放したみたいであった。
その女性の見守る中、ヴィオレットの人影は海に入ってゆく。

LEden et apres004

夢から目覚めると(即興劇が終わると)、「エデン」にはいつも通り学生たちが集まっていた。
少なからず、映画の中で映画批評を行っているような作品だ。彼の映画は。
チュニジアが何よりもポイントである。行ってみたい、、、






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快楽の漸進的横滑り

SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE001

GLISSEMENTS PROGRESSIFS DU PLAISIR   SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE
1974年
フランス

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本
アラン・ロブ=グリエ「快楽の漸進的横滑り」原作

アニセ―・アルヴィナ、、、アリス
オルガ・ジョルジュ=ピコ、、、ノラ、弁護士(二役)
ジャン=ルイ・トランティニヤン、、、刑事
マイケル・ロンズデール、、、判事
マリアンヌ・エッゲリック、、、クラウディ
イザベル・ユペール、、、ピット


この原作小説は大昔に買って持っているが、読んだ覚えがない(笑。
この映画を見てみると、果たしてどのような記述となっているのか、、、想像もつかない。
探して読んでみよう。
昨日の「囚われの美女」の前の作品に当たるものだ。

SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE005

アリスはベッドで女友だち(同性愛の相手)のノラの体に絵の具で絵を描いているとき、彼女は何者かに心臓をハサミで突かれ死んでしまう。アリスは殺人容疑で、アリスの部屋に似た女子感化院の白く広い部屋に収容される。
そこにはあらゆる叙述が途切れ過去も現在も錯綜して滞っている。
幾度となく反復される特別なイメージ。それが模造~類似したものとしてまた更に反復する。
彼女の殺人容疑は突然晴れるが、彼女のノラにそっくりな弁護士が、アリスと戯れているうちにノラと同じようにベッドで出血多量で死んでしまい、また話は元に戻ってしまう。
何が起きたのか、何があったのか、何が始まり、終わったのか、夢か現か、、、何も定かではない。
だが、鮮烈なイメージ~絵だけは残る。

SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE003

「主題は割れた瓶」(判事)瓶が何度となく割れる
「美しい死体を作ろうと思った」(アリス)という死体
そして、岸に砕ける波、、、
海辺のベッド
青い靴、
赤い血と絵の具の赤
白く広い部屋

マネキン人形
女子感化院
収監された美女たち
中世のような地下室の拷問部屋
グレゴリオ聖歌

アリス~ロブ=グリエの志向する強烈な(ときにフラッシュバックする)イメージが独特な平面的カットで反復される。
アリスは赤い血と死体が好きなのか、、、
そして、ここに遠近法は存在しない。

過去も現在もなく全てが横滑りしてゆき叙述は生じないため物語は起きない。
映画という作品(表現)枠すらも破れ、絶えず観客に開かれている~「これを誰が喜ぶんだ」「観客が喜ぶでしょ。」こちら~銀幕を見詰める客(の方向)に向けられたアリスの視線。
ことばはやはりここでも機能不全。
ことば遊びのような連想が羅列されて。

時間性を解体する。いや解放する。そして後に残るものとは、、、

SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE002

、、、このような映像が表れる、、、ということか。
極めて物質的な感触その恍惚感。
アーティフィシャルなエロティシズム。
平面的で構成的な光景。
相変わらず、どこをポーズしても「絵」である。
まるで絵画である。
絵画を見るような映画体験であった。
少なくとも、独特な様式美に昇華された映像と謂えよう。

SUCCESSIVE SLIDINGS OF PLEASURE004

しかしわたしにとって「囚われの美女」のような見ることの快楽は薄く、4回ほどコックリと眠ってしまった。
アニセ―・アルヴィナ~アリスの裸体の美しさ。小悪魔の表情。そのファム・ファタールぶりは特筆ものであるが、何故か余りに長く感じられた。この何にも接続しない美~硬質なエロティシズムに耐え難さを覚えたのか。
正直、これ程、長く感じた映画は、ない。
退屈とは違う。飽きたわけでもない。
だが睡魔との闘いであった。ふと眠って目を覚ますとまだ映像は続いていた。
もしかしたらあらゆる形式を破って切れ切れに溢れ出す映像に酔ったのかも知れない。
わたしの夢にまで浸透してきたのかも知れなかった。






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囚われの美女

LA BELLE CAPTIVE

LA BELLE CAPTIVE
1983
フランス

アラン・ロブ=グリエ監督・脚本
フランク・ベルビラ原作・脚本

ダニエル・メグイシュ、、、ヴァルテル(闇の組織の情報の運び屋)
ガブリエル・ラズュール、、、謎のブロンド美女~コラント伯爵の婚約者マリー・アンジュ
シリエル・クレール、、、サラ~ヴァルテルのボス


去年マリエンバートで」以来のロブ=グリエ監督作品の鑑賞。
マルグリットの「囚われの美女」をモチーフに展開してゆく。
まさに見ることの快楽を味わう。
無機的で研ぎ澄まされた厳格な作りである「去年マリエンバートで」とはまた異なり、物語性はないがストーリーの流れはあって、それに身を任せてすんなり観れる幻想譚である。

デューク・エリントンのジャズ・ナンバーの流れるダンスクラブからはじまり、シューベルトの弦楽四重奏で終わる。
マルグリットの「囚われの美女」であるが、「森」ではなく「海」に接続する。
ロブ=グリエ流のオマージュそしてアレンジ(コラージュ)なのだろう。だが、この絵のなかに絶えず収まって行く。
「反復」が多用されるリズムはとても新鮮だった。
心地よい、夢と現、エロスとタナトスを巡る幻想譚とも謂えるか。
ただ只管、映像に酔った。そう陶酔した。

LA BELLE CAPTIVE001

ヴァルテルのボスである黒皮ライダースーツを纏うサラのバイクに乗る姿~イメージが特にスタイリッシュでこの映画を象徴している。
この映像の平面性が醸す饒舌。
全てのシーンがビビットで鮮明であっても微妙にズレて夢のように噺が繋がって行く。
そう映像のコラージュだ。
どこを切断しても幻想的な「絵」になる。
そして「囚われの美女」のなかにいる(ただしマグリッドの絵の中には美女は描かれてはいない)。

LA BELLE CAPTIVE002

ダンスクラブでヴァルテルの出逢ったブロンドの美女がボスからの電話に出ている間に消えてしまう。
ヴァルテルは組織のボスであるサラに任された、アンリ・ド・コラント伯爵にメッセージを渡す任務を急ぐ。
すると夜道に先ほど消えた女性が足を怪我して横たわっている。
彼は女性を車に乗せ、医者を探す。
迷い込んだ屋敷には、マリエンバートでの城のように正装した怪しい男たちがおり、2人を取り囲んで奇妙な問答を交わす。
ヴァルテルは嘆く。「ことばは同じなのに話しは全く通じない」
ヴァルテルは医者を呼べと叫ぶと、ようやくある部屋に通される。
そこでその美女が吸血鬼として存在していることが暗示される。

LA BELLE CAPTIVE005

ヴァルテルは彼女の誘いに乗り一夜を過ごすが、朝になると彼女は(またしても)消えている。
彼女の残したブレスレットには、マリー・アンジュ・ド・レーヴと刻まれていた。
そして彼の首には噛まれた真っ赤な傷跡が。
豪華な屋敷はその中を津波が襲ったかの如く荒れ果てていた。外に出ると何の異状も見られなかった。

近所の住人にその屋敷についての情報を求めるが、もうずっと誰も住んではおらず閉め切られた状態であるとのこと。
日本の幻想譚にもこのようなケースは多く、普遍性を感じる。

LA BELLE CAPTIVE003

新聞記事で、その女性は彼がメッセージを渡すように指令されたアンリ・ド・コラント伯爵の婚約者であり、失踪中であるようだった。
更に伯爵も館で首に噛まれた跡を残し死んでいた。
ヴァルテルはサラから任務完了を言い渡される。
しかし彼はまだ追求しなければならないことがあった。
マリー・アンジュはどうしたのか。彼がそれを調べ始めると不思議な風情の刑事も絡んでくる。
彼女の血の付いた靴が幾つもみつかるが刑事に没収されてしまう。
替わりに何枚も貰った絵葉書が「囚われの美女」であった。
何とスタイリッシュな。まるで夢の論理で(断続し飛躍して)進む。

その刑事に後押しされてマリー・アンジュの父ヴァン・ドレーブ教授に逢うと、すでに彼女は数年前に海辺で水中銃で撃たれ亡くなっていたという。
その父が言うには、最近彼女と逢ったという人が何人もいるそうだ。
ヴァルテルもその一人ということか。

教授は騙る「路ですれ違う人の大半は死人なのだ」
(映画館でマルセル・プルーストに出逢ってしまう人である)。
真実めいて来るではないか。
こちらもこの文脈に囚われそうになっている。
マグリッドの絵の中に、、、いや、アラン・ロブ=グリエの作るめくるめくコラージュの中に。

LA BELLE CAPTIVE004

ヴァルテルが叫び声をあげて目覚めると、隣には妻であるサラが寝ている。
そしてその妻は、結局何者であったのか、、、。
謎の死を遂げた女を巡り彷徨い続けた果てに行き着いた場所は、ここなのか。
彼女は彼に死を告げるために来たのか。
ということは、彼は自分の死の間際に、この映像の全てを見たということか、、、






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バタフライルーム

THE BUTTERFLY ROOM007

THE BUTTERFLY ROOM
2012年
イタリア、アメリカ


ジョナサン・ザラントネロ監督


バーバラ・スティール、、、アン(サイコパスコレクター)
ヘザー・ランゲンカンプ、、、ドロシー(アンの娘)
レイ・ワイズ、、、ニック(親方)
エリカ・リーセン、、、クローディア(ジュリーの母)
カミール・キートン、、、オルガ
エイドリアン・キング、、、レイチェル
P・J・ソールズ、、、ローレン
ジュリア・パットナム、、、アリス
エレリー・スプレイベリー、、、ジュリー

冒頭のバスタブのシーンが全体の雰囲気を想像させる上手い導入となっていた。
現在と過去が交錯しながら徐々に進展して行く観易い映画である。
蝶の採集とその標本作りを趣味としバタフライルームまでもっている老女アンは、どうやら手放したくないモノは全て標本にしてコレクションしてしまうらしい。そうすれば時間も凍結出来るではないか。
子供であれば、永遠に意のままになる子供として保存出来る。
(この老婆もどういうトラウマを深く抱え持っているのか?)


まずは、ショッピングモールでアンは少女アリスに出逢う。
アンが声をかけるとアリスは待っていたかのようにお人形を巧妙にねだる。
そして連絡先をゲットしたアリスは、アンに買わせた人形をゴミ箱に捨てて帰る。
それからはアンというより、寧ろアリスの方から近づいて来る。
お金をせびるカモにするためだ。
アンはアリスにいつまでも関わって貰いたいため彼女の言いなりで我儘を聞き、お金もはずむ。
アリスの思うつぼでアンはよい金づるになる。
フランス語を教わって、普通はお月謝を支払うところ、お小遣いをたんまり貰うのだ。
(これは、やめられまい。お別れを匂わすと直ぐに小遣いを倍にしてくれる)。

THE BUTTERFLY ROOM002

しかしこの関係が崩れるのは、アリスが沢山のこういった初老の女性を騙して金づるにしていることをアンが気づいてしまってからである。とても手広くやっていたのだ。彼女の母にもわざわざそれを訴えに行ったるする。
このアリスの人を喰った小悪魔的美少女ぶりが昨日見た安田聖愛みたいだった(笑。
アンは嫉妬に狂い、アリスがもっとも頼りにしている富豪のオルガを殺害し、アリスを何と蝶と同様のコレクションに加えてしまうのだ。

もう立派なサイコ標本コレクターである。
これをお隣に住む幼い少女ジェシーが見つけてしまう。
ジェシーにとっては、とっても綺麗で素敵な女の子、というところでじっと見つめてしまうのだが。
大人は、それでは済まない。

THE BUTTERFLY ROOM005

そしてアパートのお隣で、度々預かって蝶の標本作りまで教えているジュリーであるが、アンとしては、アリスほど惹かれる存在ではないようだ。まだ、幼過ぎる面もあろう。
だが、ちょっと男にだらしない放任気味の母親のクローディアともそこそこうまく付き合い、頼まれればいつでもジュリーを預かっている。学区の送り迎えもきっちっとしてとても丁寧に世話もしている。
ここは、事を荒立てず、現状維持で付き合っていれば、殺されるようなところまでは行かなかったと思えるところだ。

ただアンとしては、子供を大切にしない、放任~ネグレクトする親に対しては、侮蔑の念、悪意を抱くようだ。
自分では娘を完全に自分の思い通りに操るために散々虐待し続けて来たにも拘らず。
大概、そういうものだ。反省的な意識はそこにはなく、無意識がそうさせているのだから。

THE BUTTERFLY ROOM006
THE BUTTERFLY ROOM004

子供の頃はいい子だったのに。
彼女らを永遠に子供で居させつづけることはできる?
これがアンの意識の基調としてずっと流れ続けているため、とても惹かれたアリスが標本にされるのは不可避であったか。

THE BUTTERFLY ROOM001

アンが死んだとジュリーには伝えていた娘のドロシーは生きていた。
しかし彼女は母の虐待による精神的障害に苦しんでいた。
結婚して子供もいるが、適応不全に悩んでいる。
余りに根深い外傷が癒えずに絶えず社会生活に影響を及ぼしてしまうのだ。

彼女はジュリーやクローディアたちから母アンの狂態を聴き、過去に封印してきた未だに自分を支配している忌まわしい虐待の記憶を蘇らせる。その件を聴きクローディアはドロシーに同情しアンを強く警戒する。
アンに対し、ジュリーに近づかないよう警告を与えた。
ここで、お隣同士の関係は完全に破綻する。

THE BUTTERFLY ROOM003

だが、アンは邪魔者も直ぐに始末してしまう。ネグレクト親なら尚更。
まずは、クローディアを殺し、ジュリーに標本針のデカいのを持って襲い掛かかってゆく。
この子役エレリー・スプレイベリーのパニックぶりが、なかなかのものであった。芸達者である。
最後、ジュリーを追って飛び出してきたアンは、娘ドロシーが車で駆けつけて来たところに出くわし轢かれて死ぬ。
ドロシーの何とも言えぬホッとした表情。
だが、それで吹っ切れたわけではない。

その後、、、ドロシー宅で孤児となったジュリーの誕生日を息子や夫たちと共に盛大に祝っている。
そのなかで息子を叱ったときに母と同じ言葉~想念が無意識に出て来て、ムンクの叫びに近い表情となってフリーズするドロシーのショットで終わる。

~子供は大きくなってはいけない~

ホラーだ。





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ポエトリーエンジェル

Poetry angel003

Poetry angel
2017年

飯塚俊光 監督・脚本

主題歌 Mrs. GREEN APPLE「soFt-dRink」

岡山天音、、、玉置 勤(妄想癖のある梅農家の息子)
武田玲奈、、、丸山 杏(吃音に悩む女子高生)
鶴見辰吾、、、玉置 靖(勤の父)
美保純、、、玉置真理(勤の母)
下條アトム、、、中島甚次郎(杏の祖父)
角田晃広、、、林 俊太郎(先生)
山田真歩、、、板屋智恵子(引篭もりコスプレイヤー?)
芹澤興人、、、土井浩二(キャバレーの呼び込み、自称ラッパー)
山﨑賢人、、、説明会に参加した青年
安田聖愛、、、説明会勧誘の美人
小川あん、、、林原さとみ(杏のクラスメイト、エンジェルズのひとり)


和歌山県「地域・ひと・まちづくり補助事業」から作られた映画だそうだ。何でもよいが。
お役所主催の「詩のボクシング」(声と言葉のスポーツ)に美女の勧誘で参加してしまい、それがきっかけで自分の妄想を現実に接続できるものに変容させられることに気づく。
元来スポーツとは、言葉を身体から解放する作用を重んじられていたという(ギリシア時代など)。
そうだと思う。
そうでなければ、身体もこころも想うままに動くまい。


まず家を継ぐ意思もなく何処かに就職するでもない。モラトリアム、これを巡って親との確執の続く鬱陶しい日々。
その焦りもそれほど深刻に受け取っている様子もないのは、彼が妄想の中に逃避してさほどのストレスも抱え込んではいないせいか。母が彼に自立に向けての圧力をかけないよう配慮しているところも大きい。

そんなところに就職した友人が訪ねてくる。
ビールとワイン~地方と東京~農業とIT業界
そして酔っぱらって友人が絡んだ女の子が帰宅途中の丸山 杏であった。
彼女は恐らくボクシングジムからの帰り道であっただろう。彼女のパンチを喰らったのが友人を止めようと入った勤の方であった。
つくづくインフェリオリティコンプレックスに落ちて腐ってしまう勤である。
母には詩を書くとか小説を作るとか言ってはいても、実際のところ何とも稚拙な表出に過ぎないが、まずはこれを発端に自らの解放を目指すことになる。

Poetry angel005

それに並行して丸山 杏のひととなりが描かれてゆく。
武田玲奈の出演作は幾つか見ては来ているが、正直上手い役者とはとても思えなかった(静止画~写真は一級のモデルだと思う)のだが、ここでの目の表情を主とした内省的で力強い演技には思わず惹き込まれた。
彼女は言葉の少ない静かでこころに何かを秘めた役柄が似合う人だと思う。
おばあちゃんとの縁側での和やかな会話のなかで嘘をついてしまう気持ちもしっかり伝わって来た。
(蛇足だが、ヱヴァンゲリヲンを実写するとしたら、その実質主役を務める綾波レイが彼女なら出来そうな気もする。もしそのイメージが合わなければ、例え演技派の優れた女優であろうと、世界中のオタクから凄まじい吊るし上げを喰らうこと間違いなしの恐ろしい役となるのだが、上手く演じられるのでは、とこの映画を観て感じた)。
彼女は吃音を笑われたことが外傷経験となって、全てに消極的になり自分を閉ざしてしまっている。
そこにご丁寧に親切心からお節介なアドバイスをして来る林原さとみのような優等生もいる。
その反動からか放課後ボクシングジムで地道なトレーニングを続け、走り込みもしているが、ジムのトレーナーも彼女の存在を軽んじ他の娘の指導ばかりに熱心になっていた。やはり自分のことば(内言語であっても)を自ら抑圧した精神では、動きも固くなるのは仕方ない。試合を前にしたその選手の練習台みたいな役をやらされ、酷く傷つき、練習にも出れなくなり走り込みも出来なくなる。

Poetry angel004

町の事業で役所から派遣された「詩のボクシング」の先生である林は、如何にもお役所仕事で適当に形だけで済まそうとしているかに見えるコミカルでちょっとグロテスクなエクササイズをしていたが、高校(杏の在籍高校)の「詩のボクシング」部であるポエトリーエンジェルズと強化試合を行うことになる。詩と謂うより独り芝居をしあっているような感覚か、、、。
ここで大敗を喫し(当たり前だが)、林自身吹っ切れたようで根本的に指導を考え直すことになる。
部員同士で相手をよく観察~洞察してもっと人間を知る~自分を知ろうとする。
詩の本を読んで学習するより方向性は正しいと思う。
「詩は日常の延長」、「生き様で負けた 」という彼の分析が合ってるかどうかはともかく。
要するに自分だけの言葉を絞り出すには、まずは自分の無様さにしかと向き合う必要があろう。
その自分をしっかり受け容れること。そして肯定すること。互いに受け容れ合うこと。
「ダサくってもいいんだ」みんなそうだが、林が一番覚醒したような感もある。
「大人が子供に見せるべき姿は大人気なさです」完全に本気で、笑える。

Poetry angel001

温厚で一番真っ当な語りが出来る中島甚次郎が勤の家で梅作りを手伝う中、腰を痛め入院してしまった為、孫の杏が参加することとなる。その後、練習を重ね、前回の雪辱戦と運ぶ。その時、杏とさとみとの対戦となる。
さとみはそこで杏の切実なこころのうちを知ることとなる。
まるで、詩とは呼べないが、紛れもない本心であり、その強度を持つものである。
勤は丁度その日の朝、近辺で流行っていた名産品の盗難事件が自分の家でも起きてしまい、倉庫の梅が全て持ち去られていた。
父は大きな打撃に頭を抱え、打ちひしがれていたが、勤の試合であることを知っており彼を軽トラで会場まで送って行く。
そこで父に「詩好きなのか。そうか、いい人生だな」と送り出され、勤に対する父の秘めたる本心を知り彼は完全に現実を捉え直す。
(以前は皮肉交じりに「詩で夢が見れるのか。いい人生だな」と言っていたのだが、文脈の中で意味は反転した)。
「草刈機の腕」からどう展開するのかと思ったが、今朝失ったものを対象化して観なおすことが出来、それが自分にとっての宝であったことを彼は認識する。
「僕の左腕は草刈機、僕の右腕は梅の木だ」と梅と現実をしっかり受け容れ、なかなかよいパフォーマンスになった。

Poetry angel002

杏とさとみのその後の関係も少し触れておいてもよかったか。
こちらの想像に託すのも良いが、さとみの意識の変化までは描くべきであろう。

山ピーが如何にも彼らしい役でほんのちょっとだけ出ていて笑ってしまった。
友情出演なのか?
そう言えば山﨑賢人主演の「氷菓」で岡山天音と共演していた。
友達なのか。


勤と杏は、最後に「おはよう」をあんな風に自然に暖かく言い合えることを勝ち取ったのだ。
全体として詩的な、気持ちよい映画ではないか。





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西遊記~はじまりのはじまり~

Journey to the West001

西遊 降魔篇
2013年
中国

チャウ・シンチー監督・製作
レイモンド・ウォン音楽

ウェン・ジャン、、、玄奘(妖怪ハンター)~三蔵法師
スー・チー、、、段(妖怪ハンター)
ホアン・ボー、、、孫悟空
ショウ・ルオ、、、空虚王子(妖怪ハンター)
リー・ションチン、、、沙悟浄(妖怪)
チェン・ビンキャン、、、猪八戒(妖怪)
チャン・チャオリー、、、天残脚(足じぃ(妖怪ハンター)
クリッシー・チャウ、、、スーメイ(段の配下の妖怪ハンター)
程思寒、、、玄奘の師匠
シン・ユー、、、虎筋蟷螂(妖怪ハンター)


ユニークな妖怪と妖怪ハンターがいっぱい出てくる。
諸星大二郎の漫画をちょっと思い出す。
かなりボリュームを感じる(お金を使った贅沢感がある)映画であった。

しかしやたらとコミカルな場面も続き、ちょっとセンスが独特で違和感を覚える部分はある。
それにしても沙悟浄ってあんな可愛気のない化け物魚の妖怪だったのか、、、。
猪八戒は、顔が脂ぎってツルツルしていてかなり不気味であったが、豚らしさはとても出ていた(横浜中華街の豚のお面を連想する)。
中学時代、猪八戒ブタオとあだ名を付けて遊んだともだちも思い出す(笑。
そう、ちょっと不思議な郷愁も感じる映画であった。

Journey to the West002

玄奘という妖怪ハンターは、沙悟浄と闘ったり、猪八戒を相手にしたり頑張るのだが、いつも詰めが甘く同業者の段に助けられる。
段は美しくやたらとタフで強い。彼女は最初は馬鹿にするも助けるうちに玄奘が気になって来る。
玄奘の志が素晴らしいと、段が恋心をもって接するようになるのだが彼はまったく取り合わない。
物凄い堅物なのかと思っていたが、彼も彼女のことを愛していたと彼女の今際の際に伝える。
かなりお下劣だったりコミカルな運びに塗れて、玄奘は確かに崇高な志を貫こうとしていた(ように思える)。

Journey to the West005

妖怪たちは、孫悟空も含め飛んでもなく残虐で情け容赦なく人を惨殺して行く。
老若男女見境なく殺してゆくが、、、
4,5歳くらいの可愛い女の子を食べてしまったり、段が孫悟空に殺されるところは、さすがにショックである。
(後で何とか生き返らないかと思って観ていたが、そこはシリアスであった)。
~はじまりのはじまり~というだけあって、三蔵法師にお仕えして旅に出る前は、皆どうしょもない連中であったことが分かる。
ゲゲゲの鬼太郎に出てくるどこか可愛気のある妖怪とは全く異質のものであった。
(ここが日本的な妖怪と大陸妖怪の違いだろうか)。

Journey to the West003

玄奘のウェン・ジャンは、頼りない妖怪ハンターから段が殺され悟りを得て三蔵法師となるころには、かなり神々しい坊さんになっており、内省的で誠実な好青年の雰囲気がよく出ていた。
段のスー・チーは相変わらず綺麗で可愛らしかった。このようなアクティブな役がやはり似合う。
その他の登場人物も妖怪も含め非常にアクが強く、ビビットな存在感を魅せていた。
玄奘の師匠がわたし的には一番、気になった(とても引っ掛かる恵比寿天みたいな風貌なのだ)。

VFXもダイナミックかつ細部まで充実しており、その点での不安はなく、愉しんで観ることが出来た。
特に最後の孫悟空と大日如来の闘いのスケールは大きすぎて笑うしかない。
孫悟空が巨大猿に変身するところは、そのまま「ドラゴンボール」に重なっていた。
(監督も影響ははっきり受けているはず)。
シンプルに面白い映画である。
エンターテイメントとして見事に成功している作品だ。
(コメディー感覚については、ちょっと異質感があるが、ジャッキーチェン映画に馴染んでいれば特に気にはならないはず)。
シリアスに悲恋も描かれ、この世では結ばれぬ恋の歌が流れる、、、。
段が死んでしまったことはとても切ないが、覚醒して三蔵法師となった彼の活躍が当然気になる。

Journey to the West004


続編を予告するようなエンディングであるため、調べてみたら、あった。
だが、何とキャストがキレイに代わってしまっているではないか、、、。
(スー・チーは違う人役で入っている様だが)。
嫌な予感がして、幾つか映画評を見てみたら、かなりがっかりしている人ばかりなのだ。

わたしも、このキャストで続きが観たい。やっと馴染んだ妖怪たちなのに。
何故キャストが維持できないのか。
そうでなければ、続編とは感覚的に思えないはず。
これだけ強烈な面々で、その印象も強く残っているのに、違うキャストでは、見る気は萎えてしまう。
噺もイマイチのようだし、、、この映画のイメージを壊したくないので、観るのはやめることにした。






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ル・コルビュジエの家

El hombre de al lado001

El hombre de al lado
2009年
アルゼンチン

マリアノ・コーン 、 ガストン・ドゥプラット監督・撮影
アンドレス・ドゥプラット脚本
セルヒオ・パンガロ音楽


ダニエル・アラオス、、、ビクター
ラファエル・スプレゲルブルト、、、レオナルド
エウヘニア・アランソ、、、妻


「ル・コルビュジエの家」に興味惹かれて観た。
クルチェット邸というル・コルビュジエが唯一建てた私邸だそうだ。
全体像は掴めないが、何となく雰囲気は感じ取れた。
人間工学的にも住みやすい空間に思える。開放的な雰囲気の建造物である。
特に大きな窓辺に嵌め込まれた矩形の枠など娘も入って憩う姿が素敵であった。
原題は「隣人」のようだ。
ならば特にル・コルビュジエ設計の家でなくても良かった気もするが、、、。
椅子のデザインで成功を収めた高名なデザイナーであるレオナルドの裕福な環境は充分伝わって来るものだ。

El hombre de al lado002

強面で粘着質だが柔軟性と受容性も持ち合わせたユニークな隣人ビクターとの出逢いが彼が壁に空けた穴~窓によって生まれる。
ビクターの家の窓が開けば、窓同士が面と向かって出来てしまうことになり、プライバシーが保てない。
レオナルドの奥さんの拒否反応は凄まじかった。
娘は面白がっていたが。

壁に穴を開けるというのも気持ちよさそう。
同一画面で開ける側と開けられる側が映されるオープニングからして惹き付けられる。
構図・カメラワーク・インテリア・部屋に流れる音楽どれもとてもセンスが良い。
勿論、噺そのものもコミュニケーションの本質をコミカル(アイロニカル)なタッチで突いていてとても面白い。


壁に開けられた穴~窓を巡ってお隣り同士の奇妙な関係が生まれる。
片やプライバシーの侵害だと法的根拠を振りかざしてそれを阻止しようとする。
片や法はともかく、自分の家にも陽光を分けてくれという主張である。
普通に考えれば、視線が合わない位置で透明でない明り取り窓を設置すれば問題はでないのでは、と思うが。
その辺のアイデアを建設的に出すことはなかなかしない。本来ならレオナルドはデザインの専門家なのだから双方が納得できる妥協案をデザイン的に提示するべきではないか。
だが、レオナルド側にコミュニケーションをとる意思がそもそもない。

El hombre de al lado003

初っ端からずっと、その窓の設置を巡っての隣人同士(レオナルドvsビクター)の諍いが続く。
(壁を叩く騒音にかんしても)。
レオナルドはともかく壁を元通り塞ぎたい。
ビクターはレオナルドの言い分を呑みながらも何とか光を自宅に取り込みたい意志を様々な角度で伝える。
これがとてもしぶとい。押しも強い。
終盤で、摺ガラスの細い窓をかなり上方に作ることで妥協を得ることが出来たかに見えたのだが、、、
レオナルドの妻が頑として譲らずそれもダメになる。
夫婦仲も悪くなる。
娘は、両親から距離を置きヘッドフォンで自分の世界に籠っている。
どこもみんな断絶状態ではないか。
ル・コルビュジエの家の大きな窓の多い開放性に対して住む人間の閉鎖性が際立つ。

レオナルドはビクターと小さな摺ガラス窓で妥協を図りこの件を終わらせようとしたが、全てを拒絶する妻との仲を何とか戻したい。
間に挟まれ仕事もまともに手に付かなくなる。
納品の期日にも間に合わなくなり、困り果てる。

El hombre de al lado004

ここにあるのは、ディスコミュニケーションの問題と謂えるか。
同じ言語を喋りながらも思いはまったく共有できない。
よくある隣人同士の諍いと謂えばそれまでだが。
感情的にレオナルド側がビクターの存在自体を端から拒絶している。
これは階級意識と謂える。特に妻である。
(娘にとっては関係ない為、彼女はビクターのやることを面白がっている)。

先入観と価値観とその拘りが排他的に作用するだけ。
相手を理解しようという気持ちが微塵もない為、言葉はまるで噛み合わない。
多少でもその気持ちがあれば、妥協点はどこかに見いだせるものなのだが。
皮肉にも塞ぐ直前の窓から娘がギャングに拉致されるところを確認したビクターが彼女を助けに入ったところで撃たれてしまう。

外出から戻ったレオナルドは、ただビクターの傍らで手をこまねいているうちに彼は息を引き取る。
そして、ビクターの開けた穴は閉じられる。
何もなかったかのように。


とても良くできた噺だ。
最後はショッキングであったが、こう来たかと唸ってしまった。
センスの良いスタイリッシュな映画であった。






肉まん作り

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なるべく安全な素材~食材を使いシンプルに調理して食べるようにしている。
添加物(香料など)には気を付け、糖分・塩分の過剰なものや刺激の強いもの、調理済みのパックもの、栄養剤の類は口にしないように気を付けている。
ここ最近意識的にそうして来た。
家族でわたしだけ、かなり適当に食べたいものを食べてきたのだが、体調が思わしくなかったので、少しずつ変えてみることに、、、。

わたしにとっては、何を摂るより、習慣的に食べて(飲んで)来たものを幾つか止める方が健康に良いことが分かった。
特に依存的に摂ってきたものを止めることで、体調改善されることが分かる。
少年~青年期から身についてしまった食癖を断つことはとても肝心なことであった(食環境の変革)。
そのお陰か、ここのところかなり体調は良い。スッキリして気持ちも和む。

食べないことで、身体を良くしていくこと。
ここでもn-1の発想が生きる。

さて今日は何を食べよう。
毎日、その都度0から決めるのも面白い。
作るのがめんどくさいことはあるが、何か食べないとお腹も減る。
そこで今日は妻と肉まんを作った(妻レシピに従い)。
ちなみに、わたしひとりだと、海鮮スパゲティ、煮込みうどん、カツカレー、クリームシチュー、グラタン、ラーメンあたりに落ち着いてしまう。面倒な時は、冬ならかったっぱし食材を入れた鍋となる(笑。夏の場合は、フルーツをやたらと入れた冷や麦かサラダうどんとかだ。レパートリーはない。お弁当とくれば、キャラおにぎりか先だって作ったサンドウィッチを主に肉団子と唐揚げにフルーツで大概のところ済ましてしまう。

妻は得意は韓国・中国料理全般である。
ともだちが来て振舞うときは、その何れかとなる。
サムゲタンは好評である。それ目当てで来る客もいる(笑。

本日の肉まんであるが、、、
皮は強力粉3に薄力粉7で煉って延ばす。
アンは二種類。
その1:大根、春雨、豚と牛の挽肉、桜エビ
その2:玉葱、キャベツ、豚と牛の挽肉、長葱
良くこねて団子状にして、皮に包んでゆく。
形は小籠包モドキで2周りくらいデカい。
アンは妻が作り、わたしはひたすら包む係をやる。

タイプ1とタイプ2をそれぞれ40個ずつは作った。
かなり疲れる作業であった。
それを蒸かしていると、休みの日は朝から晩までずっとパソコンをやっている二人の娘が降りてくる。
蒸している湯気の気配を察して来るのだ。

蒸したばかりのホクホクを食べてみる。湯気が凄い。
どちらが旨いか聞かれたが、同じくらいであった。
何度にも分けて蒸したのを食べ比べたが、皮が薄目で柔らかくホクホクしたものが食べやすく美味しかった。
蒸し方なのか、皮の作り方(粉の調合)なのか、ともかくアンはそれ自体変わらず、結構おいしいので、皮次第なのだ。
食感と食べやすさでかなり決まって来ることがわかる。


今日はしたことと謂えば、この肉まん作って食べたくらいであった。
のんびり、間延びした一日がゆっくり過ぎる、、、。
無理なく抑え気味に食を摂っていることで、体調は良くなった。


TVで大食い選手権~フードファイターの闘い、を見た。
凄い世界もあるものだ。
優勝者は何と凄いボリュームの生にんにくのこってり乗った豚骨ラーメンを19杯も食べていた。
信じられない。
彼らにとって食べることとは、何を意味するのだろうか。
プロなのか、、、ならば仕事なのだ。食べることがとっても苦しそうだった。
ともかく、呆気に取られて見てしまった(唖然。






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みんなで公園へ

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家族みんなで半分眠りながら公園に行った。
(わたしはドライバーなので、半分眠ってはいられないのだが、、、)
公園で白昼夢みたいな時を過ごした。
本当にぼんやりと恍惚感をも感じつつ、、、。
そもそも、そんな陽気の~妖気も漂う日ではないか。
公園には、わたしと娘では時折、行ってはいたが、こんな日はあまりない。

わたしの好きな場所~スポットは、「木漏れ日の路」と「メタセコイヤの路」である。
ここを歩けば、公園に来たと身体が認識する。
路の前方~遠景が郷愁を誘い込む。
公園には回帰するのを目的に来ているのだ。
メタセコイヤの木がずっと並んでいるのだ。この反復のリズムの果てに、、、。
永劫回帰を想う。
リフレッシュする。

彼女らはアスレチックは、もう飽きたみたいで、行かなかった。
そこにはすでにスリルも眩暈もないらしい。
その分、噴水の傍をずっとオタク噺をして歩いていた。
学校でも休み時間などにしているやつだ。
ここに来てもウィークデイの時間を引きずっている。
スウィッチを替えたい。

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妻がお弁当をたんまり用意して来たため、たっぷり食べる。
そのなかには前日わたしが発表会のお弁当用に作ったサンドウィッチのポテトエッグハムサラダの残りをアレンジして使ったハンバーガーみたいなのもあった。定番の唐揚げとミカンにお茶はわたしの好きなルイボス茶など、、、旨かった。
陽が強く、眠くなる、、、
ところかまわず寝そべりたい(笑。
これも公園の醍醐味か。
昔はよく寝そべったものだ、、、、芝生で寝そべって、うとうとする、、、、
もうだめだ、そのまま眠ってしまうのは困る。
クレープ屋さんのアイス・クレープを食べてちょっとばかり目を覚ます。

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植物園では「柿の品評展示会」が催されており、様々な姿の柿の盆栽?を見て回った。
わたしのなかでは、多肉と亀の次は盆栽という流れが生じつつある。
この小宇宙にはわたしのプラモデル時代と同質の時間性が漂う。

そう、ここには多くの時間(系)が息づいている。芽吹いてもいる。マルチバースみたいに。
新たな物語を始めることに、早すぎることも遅すぎることもない。
そう悟った。

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ふたりの人魚~娘の音楽発表会

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蘇州河
2000年
中国、ドイツ、日本

婁燁(ロウ・イエ)監督・脚本
ボルグ・レンバーグ音楽
王昱(ワン・ユー)撮影

ジョウ・シュン、、、ムーダン、メイメイ【二役】
ジア・ホンシャン、、、マー・ダー(運び屋)
俺(カメラマン)


形式的に面白い映画であった。
終始、姿は一切見せない俺の(主観的)視座から描かれるのだが、特筆出来るのは、俺が見ている日常世界だけでなく、恋人のメイメイが俺に語った物語をやはり同様の視界で描き出してゆくところだ。
つまり何度もマー・ダーの語る彼女ムーダンの噺を聴かされたメイメイがその噺を俺に聴かせて俺が咀嚼した物語世界がやはり日常の光景のように映っているのだ。俺がカメラマン(映像作家)であるというところが上手く生かされてもいる。

今まさに広がる世界を映すだけでなく、物語られた世界(文学)を映像化して接続する。
この本来異質な像がシームレスに映像空間のなかに侵食してくる。
俺の想像や何処かの記憶など、何らかの心象であったりする。
もしかしたら夢であったり、、、。

それぞれの像は鮮明であっても境界はぼやけ、独特のイメージのコンテクストが綴られる。
ムーダン、メイメイの瓜二つの綺麗な女性がいるのか、本当は同一人物なのか実際どうなのか分からぬまま進み、ようやく二人が出会ったときは片方(ムーダン)は死んでいた。そして作り話と疑っていたマー・ダーの噺も本当のことだと確信する。しかしこの時点でムーダンとマー・ダーが死体となっている為、2人の存在以外のディテールはもはや確認しようがない。
しかし、マー・ダーが自分の元を立ち去ったムーダンを命がけで死ぬまで探したことは事実である。
メイメイは、俺にわたしが消えたらどうする?死ぬまで探す?と確認し、彼女もまた姿を消す。
俺はどうするのか、、、。
どういう物語を接続するのか。

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考えてみれば、このような手法は他の映画でも(無意識的であっても)取り入れられている。
ただし、この映画はそれを意図的に方法として採用し曖昧にぼやけた心象世界を見事に作り上げている。
この映画を観ることでわれわれも、それを構造的に意識させられる。
形式面でとても綿密に練られた映画であると思う。

どうも上手くまとまらないのだが。
こちらも映像に浸っているうちに眠くなってきて何度か寝落ちしてしまった(笑。
感覚的なところに妙に意識が向いてしまうが、そのうちストンと気の抜ける映画だ。


もしかしたら単に疲れていたのかも知れない。
娘の学校の音楽発表会の日であった。
娘を集団の中で探すのがとても大変なのだ。
合奏では、リコーダーと鍵盤をやっているので、空間的文脈において探し当てはしたが、はっきり見えたとは確信できない。
合唱のフォーメーションのなかではもうさっぱり何処にいるのか分からず仕舞いであった。
ずっとあいまいなまま音だけ聴いて来た。
(実は音もどこか上の空になっていた。探す行為が集中する気持ちを疎外するのだ)。

今年はピアノの伴奏はやらないことにしていたが、一緒に遊ぶ(絵も描いて一緒に表彰式に行った)お友達が今年も伴奏をしていた。
長女が、複数曲あるので一曲伴奏に立候補すればよかった、と言っていた。
来年やればよいとおもうが。
ピアノならはっきり何処にいるのか分かる。
落ち着いて見ることも出来から、音にも浸れるはず。
今年はそのお友達の姿ばかりがよく確認できた。






スイス・アーミー・マン

Swiss Army Man001

Swiss Army Man
2016年
アメリカ

ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン監督・脚本
アンディ・ハル、ロバート・マクダウェル音楽

ポール・ダノ、、、ハンク
ダニエル・ラドクリフ、、、メニー
メアリー・エリザベス・ウィンステッド、、、サラ


ハンクという人の精神状態はかなり危ない。
どれくらいの時間~期間かは分からないが、思いを寄せる人妻の家の傍に潜み、動けない自分の助けを求め、ついにどうにもならず首吊り自殺を思い立ったところで、死体を浜辺に見つけた。
ここからがこの映画の真骨頂である。
彼の乖離性人格がその死体に投影され、後程メニーと名乗るその男が彼を元の場所に蘇らせる~自分を肯定させるのだ。
ここから暫くの間、下ネタとお下品なオナラネタ満載のファンタジー世界に飛ぶ。
まずは、その死体がオナラ~腐敗ガスか~の噴射を推進力にして、ハンクの見立てた孤島から彼を背中に乗せて脱出に成功する。
人の住む土地に来たにも関わらず、なかなか「故郷」~現実に戻れない彼は森(という見立て)のなかで躊躇・動揺している。
彼らの発する声を使ったボーカリゼーションによるBGMは、実にこのシュールな物語を饒舌に演出していた。

水が欲しくなると死体の口から水が滝のように溢れ出てくる。
あれだけ派手にオナラをしている身体から出た水をハンクは飲む。
旨いらしい。自然水なのかも知れない。
それまでハンクが一方的に話しかけていたその死体が言葉を返し始める。
最初は質問などから、まるで記憶喪失者みたいに聞いてくるが、何も思い出せないという設定の人格で、ハンクの過去をある意味封印したい人格をかなり煽ってくる。
徐々に言うことも達者になって来て、ハンクの方はいいように押されてゆく。
その人格は今のハンクを大きく揺り動かすものとして出現しており、その為何かとハンクをハンクたらしめる抑圧・隠蔽パーソナリティに対し、ずけずけと手厳しく指摘・批判して来る。下ネタ攻撃もそのひとつである。

このメニーと名乗ってから急速に饒舌になり洞察力も冴えてくる死体は、まさにスイス・アーミー・ナイフみたいに多目的に使える多機能男であった。
まずは水上ボートさながらにハンクを乗せてオナラで突っ走り、ミネラルウォーターサーバーみたいに口から水を吐き出し、いちいちもっともだが辛辣な見解を披露する。「お前は壊れてて、空っぽで、汚くて、臭くて、無用で、古い。お前はゴミみたいなもんだ、違うか?」には笑うしかない。
その他、重宝することは、硬直した腕で丸太を切れるし、歯で髭も剃れる。更に動物相手に口に籠めた小石を体内ガスで放出してピストル代わりにも使える。指を鳴らせばライターみたいに火もつけられ、火にお尻を向けて放屁すれば火炎放射器さながらである。
またあそこが、「故郷」の方向を示す磁石にもなる。いがらしみきおの漫画か(笑。
まったく都合の良い多機能人格である。
死体にここまでやらせるか。いや死体だからここまでできるのだろう。

Swiss Army Man002

通常、開放的で批判的な人格を想定し白昼夢のなかで思い描くにしても、もう少し現実的なあり得る人格を浮かべるのではなかろうか。
このハンク特有な強烈な乖離した人格なのだろう。
このメニーが死体であることが、逆説的で説得力も強いのだ。
生きていても臆病で何もできず、自分を否定して、自然な欲望を全て抑圧している。
自由も何もないではないか。それで生きていると謂えるかということを死体から終始突っ込まれているのだ。
そして森?のなかで人間が捨てたゴミを利用してハンドメイドのサラと出会ったバスの中の光景を再現してメニーと記憶~経験を共有し再認してゆく。結局これで自分を認める過程を辿ってゆく。この間メニーに指摘される事柄を皆ハンクは認めてゆくようになる。
もう一人の自分のメッセージにこころを開く。
それにしてもハンクという男、器用である。森のバスなどよく出来たファンタジー作品である。

そして過酷なサバイバルを恐らくうんと近場で展開してきた末、サラの家の庭に転がり込む(爆。
笑う箇所はたくさんあったが、これが一番吹き出した。

Swiss Army Man003

そこで、ハンクは愛しいサラを前にして、自分を初めて曝け出す。
逞しい姿を見せる。
ホントに彼にしてみれば過酷なイニシエーションを潜って来たのだ。
それは間違いない。
メニーは自分の役目を終えたかのように単なる死体となって横たわっていた。
ハンクは解放されたと謂えるか?
覚醒し自立(自律)を得たのか?


だが、それを見守るサラは、救急車は呼んでくれるも、何なの?という怪訝な表情を浮かべるだけであった。
そんなものなのだ。

そして最後に死体のメニーは再び放屁により海の中を突っ走ってゆく。
(ハリーポッター氏もこういう方向に行かなければ生き残れないところにきているのか、、、)。
それを見守る人々は、皆ついてゆけないという呆気にとられた顔で佇む。
この水上ボートみたいなもの、彼らにはどう見えているのか、定かではない。

とても印象に残る怪作である。






音楽がとても斬新で特筆すべき出来であった。





アトランティスのこころ

Hearts in Atlantis001

Hearts in Atlantis
2001年
アメリカ、オーストラリア

スコット・ヒックス監督
ウィリアム・ゴールドマン脚本
スティーヴン・キング原作

アンソニー・ホプキンス、、、テッド・ブローティガン(初老の紳士)
ホープ・デイヴィス、、、リズ・ガーフィールド(母)
デヴィッド・モース、、、ボビー・ガーフィールド
アントン・イェルチン、、、ボビー・ガーフィールド(少年時代)
ミカ・ブーレム、、、キャロル・ガーバー(少年時代の彼女)
アラン・テュディック、、、モンティ・マン
アダム・ルフェーヴル、、、ドナルド・ビーダーマン
トム・バウアー、、、レン・ファイルズ
セリア・ウェストン、、、アレイナ・ファイルズ
ティモシー・レイフシュナイダー、、、ハリー・ドゥーリン
ウィル・ロスハー、、、サリー=ジョン(少年時代の親友)


アントン・イェルチンの熱演とアンソニー・ホプキンスのいつもの名演でこの映画は素晴らしいものになった。
ふたりとも天才である。アンソニー・ホプキンスは、レクターよりもこちらのテッドに魅力を覚えるが。
また、この噺が良い。
原作は5編に分かれた大作だというが、上手く1話に完結させている。
脚本も良い。
少女との淡い恋に身勝手で 軽薄・狭量な母や「迷い犬」の貼り紙とか新聞読みのバイトや新品の自転車に観覧車など、、、それから定番のいじめっ子や不吉な黒い影法師、、、プラターズの「オンリーユー」等々が絡み、、、
ボビー・ガーフィールド少年と超能力者テッド・ブローティガンとの少年と初老の紳士との友情がリリカルに描かれてゆく。
まるでレイ・ブラッドベリの原作と謂われても納得するものだ。
明らかにスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』路線上にあるものだ。

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父に先立たれ経済的に苦しいガーフィールド家の二階(貸し部屋)にふらっとやって来たテッドという初老の紳士と11歳のボビーとの出会いから始まる物語である。(やはりレイ・ブラッドベリぽいではないか)。
共産主義との戦いに超能力者を利用したという噺は聞いたことがあるが、テッドは政府の追手から逃げまわっていたのだ。
彼は千里眼(透視能力)でひとのこころ~隠していることが何でも読めてしまう。
テッドはボビーが淡い恋心を抱いているキャロルとキスをすることも予見する。
それを聴いたボビーは照れまくり誤魔化すが、実際にお祭りの観覧車で実現してしまう。
ボビーは「目の奥で気配を感じること」をテッドから教えられ、実行することでお祭りのカードゲームに勝って儲ける。

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ボビーは母から疎んじられ、誕生日プレゼントも無料で手に入る大人向け図書券であった。
自転車が欲しくても母子家庭でそれは無理というのだが、自分は綺麗なドレスを幾つも買って持っているのだ。
彼は孤絶感と母に対する不満を抱え持っていた。
対等に語り合い尊重して接してくれる造形の深いテッドにボビーは、深くこころを惹かれてゆく。
ボビーはテッドが超能力者であることに気づき、その能力の為に悪者に狙われていることも知るに及ぶ。
彼は一生懸命テッドを守ろうとするが、息子についても周囲に対しても全く理解を示さない母によってテッドは通報されてしまう。
テッドは、彼らの家の二階に留まることは出来ず、ボビーを危険に晒さないために逃亡を諦め、影法師みたいな奴らに連行されていった。ボビーは銀行から下ろした逃亡費を手にその車に追いすがるが、もうなす術もない。
テッドはボビーに向い最後に伝える。「きみのことは、何があっても忘れない。」
、、、ボビーも全く同じ気持であった。
こんな想いが、お互いにこころの底から沸き立つなんて素晴らしいことではないか。

一方、母親は職場の上司に騙され痛い目に逢い、職すら失いお金もなくどん底の状況に陥る。
ボビーは、テッドに渡すことになっていた金を母に全てぶちまけ、これまで母のしてきた酷い仕打ちを非難する。
ここは通らざるを得ないところだが、実にシンドイものだ。
こちらもホントに同調してしまった。共感もした。
この演技を見るとこの子役が只ならぬ人であることが分かる。
(アンソニー・ホプキンス絶賛の子役であったらしい。彼はそのまま役者として大成してゆく矢先に27で夭逝してしまった。なんてことだ、、、)。

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母の新しい職場が見つかり彼らはキャロルと別れ引っ越してゆく。
その車には、ボビーの欲しかった自転車があった。
母との和解が進んでいることも感じ取れる。


久々にお気に入り映画が見つかったという感がある。
アントン・イェルチンの出演する映画をチェックしてゆきたい。








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ドリームキャッチャー

Dream Catcher001

Dream Catcher
2003
アメリカ

ローレンス・カスダン監督・脚本・製作
スティーヴン・キング『ドリームキャッチャー』原作
ジェームズ・ニュートン・ハワード音楽
ジョン・シール撮影

モーガン・フリーマン、、、アブラハム・カーティス大佐
トーマス・ジェーン、、、ヘンリー・デブリン博士
トム・サイズモア、、、オーウェン・アンダーヒル将校
ジェイソン・リー、、、ビーバー
ダミアン・ルイス、、、ジョンジー
ティモシー・オリファント、、、ピート
ドニー・ウォールバーグ、、、ダディッツ


ここで度々出てくる”SSDD”とは、「クソのような毎日」という意味らしい。
Same Shit Different Dayの略。
最初、何かの作戦実行の為の暗号かと思った(笑。

”Nobound,Noplay”は、ここはボールが跳ねないから遊べない、、、から「どうしようもない」という意味で何度か出てくる。
ダディッツから貰った能力で結構楽しめたのでは、とも思うが、、、。
とってもキツイ日々を送っている大人たちのようだ。
幼馴染4人組の大人になってからの話なんて、まるで『スタンド・バイ・ミー』の続編みたいな感じもしてしまうが、、、。
かなりの悪夢である。

少年のある日、4人は虐められている知的障害のダディッツを助けたことで、彼を(象徴的な)中心として絆を強めた。
大人になって、ヘンリーは自殺願望がありピストルをこめかみに当てて危うく引き金を引きそうになる。
ピートはアル中らしい。ビーヴァーは彼の持ち歌らしい”ブルー・バイユー”からして経済的に苦境にあるようだ。
ジョンジーは、何度も事故に遭いその度に奇蹟的に生き返ってはいる。ダディッツに唐突に呼ばれるらしい。
ほとんど幸福と感じるような生活は送っていないようだ。

彼らが冬の山小屋に集まる(毎年の定例)のときに、物凄い急展開となる。
「スタンド・バイ・ミー」から飛躍し、人間世界の縁~ほぼ外部に放り出される。
何らかの感染症を疑う男を助けたところからそれは、始まった。
ここからはパンデミックホラーになる。地球の軍隊からもここは隔離されたと見放される。
彼らは得体の知れぬ敵に怯えつつ、国からもエイリアンもろとも焼き殺される運命に突き落とされるのだ。
あの「エイリアン」の幼体みたいな憎たらしいのが、感染した人の体内で育ち、お尻の穴から出て来て暴れるのだから始末に悪い。

しかしどれだけ成長が速いのか。その辺はよく分からないが、エイリアンは感染による地球支配を狙っているのだという。
何か体に異変を感じたら感染症を疑う必要はあるなとつくづく思っているところだが。
エイリアンに感染させられているかどうかはともかく。
ウイルスなどもともとエイリアンみたいなものだし(パンスヘルミア仮説をみるまでもなく)。
いやむしろあの卵から孵った小さな幼体が身体に入り込めばそのまま成長して出てくるのなら分かり易い。
むしろそっちか。
ともかく、異物は許さない。この典型がアブラハム・カーティス大佐だ。
確かにこのエイリアンは対話など可能な相手ではない。


4人とも良い奴なのだが、ここで、ビーヴァーが自己犠牲によりジョンジーを逃がすが、彼もまたミスターグレイ(エイリアンの親玉)に身体を乗っ取られる。(ちなみに、このミスターグレイというのは、ダディッツにかつて教えられた名であり、彼はこの事態をはじめから予測しており、全貌を知っていたようなのだ)。
やはり感染した女性を助けたヘンリーとピートであるが、ビールを呑んでおしっこをしているところで女性の体から這い出たエイリアンに襲われピートも絶命する。こんな風に主要キャストが次々に犠牲になってゆく。それも血みどろのおどろおどろしい惨劇に遭う。

“記憶の倉庫”に隠れる事の出来るジョンジーは身体を乗っ取られながらも、自分=意識を保ち続ける事が出来た。
この倉庫の映像が面白い。まるで秘密の地下図書館だ。
これはダディッツから得た能力なのか事故による臨死体験から生まれたものなのか今一つ分からぬが、お陰でそのミスターグレイが体外に出れば元の人間に戻れるわけだ。

モーガン・フリーマン演じる25年エイリアンと闘ってきて発狂したカーティス大佐が、ジョンジーに乗り移ったエイリアンを追い詰めてやってきたオーウェン・アンダーヒル将校とヘンリー・デブリン博士そして白血病をおして合流したダディッツにヘリで襲い掛かる。
大佐は住民もエイリアンも皆殺しにして始末する計画であり、自分の思い通りに動かぬ者は誰であろうと許さないのだ。
最後はスリリングなシーンで畳み掛ける。
ジョンジーは水源に一匹のヘビ状のエイリアンを投げ込むことで水を通して全ての人間を感染させる計画であった。
(これをすでにダディッツは見抜いていたのだ)。
カーティス大佐とアンダーヒル将校は相討ちになり、最後はジョンジーの体から出たミスターグレイとダディッツとの対決となる。
何とこの時、ダディッツも宇宙人であることが分かり、異形のもの同士の壮絶な闘いの末、双方もろとも爆発して消える。
とても面白いありそうでない印象的なシーンであった。
しかも最後に水に放り込まれる直前で仕留めたエイリアンの体内から転げ出た卵から孵化した幼体が水源に落ちそうになったところを自分に戻ったジョンジーが気づいて踏み潰す。
終始、かなりのテンションでもっていかれる映画であった。


IT イット』はともかく「キャリー」、「シャイニング」、「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」、「ミスト」など彼の作品で映画化されたものはどれも傑作揃いであることに、いまさらながら唸る。それにしても凄い。
これも癖は強いが、そこに並ぶ作品に違いない。





ファースト・マン

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First Man
2018年
アメリカ

デイミアン・チャゼル監督
ジョシュ・シンガー脚本
ジェームズ・R・ハンセン『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生』
ジャスティン・ハーウィッツ音楽
リヌス・サンドグレン撮影

ライアン・ゴズリング、、、ニール・アームストロング(ジェミニ8号・アポロ11号の船長)
クレア・フォイ、、、ジャネット・アームストロング(ニールの妻)
ジェイソン・クラーク、、、エド・ホワイト(アメリカ人初の宇宙遊泳をしたニールの友人。アポロ1号で事故死)
カイル・チャンドラー、、、ディーク・ストレイン(元テストパイロット兼エンジニア)
コリー・ストール、、、バズ・オルドリン(アポロ11号のパイロット)
クリストファー・アボット、、、デイヴ・スコット(ジェミニ8号のパイロット)
キアラン・ハインズ、、、ボブ・ギルルース(NASAのファースト・ディレクター)
パトリック・フュジット、、、エリオット・シー(ニールの友人。フライトテストエンジニア)
ルーカス・ハース、、、マイケル・コリンズ(アポロ11号の司令モジュールのパイロット)


デイミアン・チャゼル監督、あの大ヒット作『ラ・ラ・ランド』に続きライアン・ゴズリングとのタッグである。
ライアンは「ブレードランナー2049」の主役でもある。
監督の方は『セッション』も凄かったが、『10 クローバーフィールド・レーン』も撮っている。
それぞれ全く違う作り方だ。とても幅が広い監督だと思う。

この映画は、エンターテイメントな観易さを一切狙わない。
あくまでもドキュメンタリータッチでニール・アームストロングの目線で描き尽くす。
(ライアン・ゴズリングが寡黙で内省的な彼になりきっている)。
誰一人過剰な演技はしない。
大変リアルで(コクピット内などの)臨場感は半端ではない。
X-15の飛行実験など過酷さが直接伝わって来る(気がする)。
何と言うかドキュメントを新たに撮り直したような感覚だ。
宇宙空間の、光か漆黒かという過酷な光景が続いたところで、眼前に露わになった月面には、はハッとした。
寂寞感もよく出ている。そして地平線上に浮かぶ地球。そりゃあ世界観も揺らぐはず。

星条旗を立てるシーンが無かったとか(旗の立っているシーンはあったが)、ライアン・ゴズリングはアメリカ人ではないとか皮相なナショナリズムを喚起するところはあったらしいが。
ともかく、ソ連に宇宙では、アメリカはそれまで連戦連敗を喫し、何とか一矢報いる目的で多額の予算を投入したアポロ計画であることは間違いない。税金をそんなことに使うのか、という批判はかなりのものであったのは事実である。

終始ニール・アームストロングの視座で描かれる。
彼の内面が感じ取れる。
常に死と隣り合わせの生であった。
X-15では、命からがらに帰還することになるし、最愛の娘には2歳で先立たれ、これがある意味彼の人生観や仕事の目的を決定したように思われる。
そして仲の良かった同僚の相次ぐ死。
特にアポロ1号の悲劇は衝撃的であった(わたしたちにとっても)。
エド・ホワイトは隣人でもあり、アームストロング家が火災になった時、駆け付けて家族を助けてくれた友人ではないか。
(この際、夭折した娘カレンの写真、遺品など全てが焼失してしまったらしい)。
こういった経験が人格に与える影響は小さくはないだろう。

ニールが寡黙な分、映画も実に寡黙に淡々と進む。
船内の暗く冷たく荒涼とした光景。激しい振動。思わぬトラブル。制御出来なくなった際のジェミニ8号など生きた心地ではなかった。だが、彼は冷静沈着に幾度となく危機を脱する(映画を観た範囲でも3回は死んでいてもおかしくはない)。
カレンを失ってから、彼はアポロ計画にのめり込む。
月面に降り立ち、地球上の誰もが聴いたあの名言を吐いた後の、例の「空白の10分間」がひっそりと描写されている。
脳幹腫瘍で他界した長女の腕輪を彼はそっと谷に投げ入れる。
そのころバズ・オルドリンは陽気にピョンピョン弾みながらかなり遠くまで散歩に出ていた。

ちなみに、2人が月面で作業などをしてる間、月周回軌道上で司令船の操縦や月面の写真を撮影していたマイケル・コリンズは、彼らがトラブルで司令船まで戻れないときは、独りで地球に帰還することも任務として与えられていた。その恐怖も抱えていた。
ちょっとしたやりとり、おい、食べ物どうだ、ガム持って行くか、などにその辺の気持ちも窺える。


紛れもない傑作である。




画像に集中するには、この吹き替え版が好ましく思われた。


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ドリンク

Dr Pepper001

わたしは、欲しい飲み物が冷蔵庫にないとどうにも落ち着かなくなる。
好きなドリンクは、ドクターペッパーとカルピス、最近は間にルイボスティーも入って来た。
この辺は、常にいつでも飲めるようになっていないと困る。
ブログなど手に付かない。

何故、こんな話題に、、、というのも、今夜気づいたのだが、これら全てがないのだ。
仕方ないので、梅酒のソーダ割を飲んでいる。
ほろ酔い気分のうち睡魔も襲ってきた。
色々の想念が膨らみ渦を巻いているのだが、これは絵にしないと形にならないようだ。

膨らみ渦を巻くというのは、薄っぺらい表現に過ぎない。
形に、出来れば音楽のような形にしたいのだが、、、。

ドクターペッパー買っておけばよかった。
(*あくまでも宣伝ではなく)



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娘の表彰式

yume.jpg

今日は、午前中は桜木町で開かれる美術展○○の入選・入賞作品展に行き、どうにか締め切り日前に娘二人の絵を観る事が出来た。
会場で観るとまた面白味が違う。
ここでも遠藤彰子先生の言葉が脳裏を過るのだが、どう見てもこれは入賞だろうと思う作品やこれはちょっと、、、という作品など、その選定基準がどこにあるのか、今一つ判り難いところを突き付けてくる絵はあった。それは、最初からそういうものだとは思っているにせよ、、、。
子供らしいド迫力のパワー溢れる甲乙つけ難い絵が、片や入選で片や金賞であったりする。自分の娘の参加するコンペでこの差は流石に気になる。
カラーペンセットとスケッチブックというベーシックなご褒美は貰っているが、余り相性は良くない感じ。

普段桜木町まで滅多に来ないので、美術館に寄ったり美味しいものを食べたりして帰りたいところなのだが、今日は午後直ぐにもう一つの絵画展の表彰式がある。こちらの会はまた挨拶が長い。入れ代わり立ち代わりお偉いさんの訳の分からぬ話が続くので気は重いが副賞やお花なども貰えたりするので、娘たちはそこそこ愉しみにはしている。今回は、よく遊ぶピアノ友達も同じ賞で表彰される。
実は、今回の絵はうちで3人で一緒に描いたのだ。勿論、3人は個性も違いそれぞれ全然違うタイプの絵に仕上がったが、皆同じ賞というのは、結果的に良かったと思う。コレで一人でも違う賞だったらそれもそれ、なのだが何だか居心地は良くないはず。
3人ともかなり確かな手応えを感じているので、そこに優劣が挟まれると、造形表現の勉強と謂うより、人生を学ぶ機会になってしまう。
こうしたコンペで腕試しみたいなものは、どうなのだろうと思う。

メリットとしては、そこに集まるかなり強烈な作品群を目の当たりにする機会はとても良い刺激となるはず。
学校(校内レベル)では、これほど多彩な個性~表現に触れることは出来ない。
個別に講評を(専門家から)貰えることもひとつの参考になる。
但し、外的システムに照らして位置づけされることが、どう作用するかである。
やる気に繋がればよい、ということならそれはそれでよいとは思う。
だが、この時期は、何よりも内的な動機(必然性)とものを生む歓びだけで描くことを大切にしたい。
ただ、無我夢中で描くこと。
賞狙いで描いている子(と親)も確かにいる。
伸び伸びと描けていれば、動機は何でもよいかもしれないが。
自らの志向性や想像力というより想いを抑圧するような作用が無ければ、はっきり言ってどんなシステムを利用しようが構わない。
確信のもとに(自己肯定に裏打ちされた)創造性が発揮できれば、何があっても強く生きて行ける。


今回の主催者側のフェイスブックで、受賞作の中の序列付けについての反省が綴られていた。
ほぼ賞の見直しに近い自己解体の様相を呈している。
ある意味、誠実で良いと思う。
それくらい揺れ動くフレキシビリティはもって臨んで欲しい。



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少女椿

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TORICO 監督・脚本
丸尾末広『少女椿』原作
黒石ひとみ 音楽
佐々木健一 美術

中村里砂、、、みどり
風間俊介、、、ワンダー正光
森野美咲、、、紅悦
武瑠(SuG)、、、カナブン
佐伯大地、、、鞭棄
深水元基、、、赤座
中谷彰宏、、、嵐鯉治郎
鳥居みゆき、、、みどりの母親


丸尾末広の漫画は過去に幾つか見ているが、これは知らなかった。
しかし映画と漫画である。全く別の独立した表現芸術として成り立っているものである。
いちいち原作をうかがう必要はあるまい。

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中村里砂が中村雅俊と五十嵐淳子夫妻の三女だそうだ。驚いた。確かに綺麗で大きな目がキリっとしておりお母さん似か。
この映画がデビュー作だそうだ。
かつてわたしの同僚で、その人の趣味をディスプレーするHPをわたしが製作したこともあるのだが、五十嵐淳子さんと何度も一緒にPTAの仕事をしたことがあると言っていたのを思い出す。
娘さんが同じ学校の同学年の関係からのようだ。もっと上の娘さんだと思うが(長女あたりか)。
懐かしい。ババールの収集家である。


女性監督のようだ。如何にも女性が撮ったという感じはしなかった。
実写でありながらアニメーションも挿入されており、それが効果的であったかどうか、今一つピンとこない。
実写自体がアニメっぽい感じはする。
これならもっと様式美を狙って印象強く単純化を図り、極彩色など使ってもよかったかも。
色(美術)がその環境作りをどれだけできるかでも決まって来るはず。
アニメを時折入れるのなら実写をもっとアニメ化した方が良かった気がする。
丸尾末広の世界観を表すのなら、おどろおどろしさ、やグロテスクさは生半可なものでは済まない。
それから「昭和」ではなかろうか。あまりそういった感じもなかった。
その辺、果敢に攻めるしかないだろう。

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キャラクターは原作を知らないので分からないが、みどりとワンダー正光、座長の嵐鯉治郎はよかったが、後はあまりしっくりこなかった。カナブンは女優がやった方がピッタリくると思う。
ワンダー正光は所謂役者の演技だった。とても豊かな歪んだ愛情がたっぷりと表現されていた。
みどりとコンビの演技は哀愁があって光った。
みどりは、幼さがよく表現されていたと思う。
この先の精神的な成長も想わせる流れも彼女の演技に感じた。

しかし脚本・演出が何とも弱く、雰囲気からしてしっかりした形が見えない。
見世物小屋?サーカス?よく分からぬが、建物~空間の佇まいも、それぞれの団員が芸を披露する様子もない。みどりもワンダー正光の横にたつだけなのか?
芸の場面なしに話を進めるのは無理があり過ぎる。
ワンダー正光の瓶に入る芸は見事だがそれだけ。気持ち悪いと客に言われてキレるところまではよしとしてその後の人を念力で殺しにかかる場面はちょっとしょぼい。かなりチープなVFXが目につく。
そうしたところは幾つもある。
みどりがいびられ暴力を振るわれるシーンも今一つ迫力がない。
みどりが女優に引き抜かれて、ゴージャスな生活をしているところはもっと描写しても良いのでは。
変化の振れ幅はあった方がダイナミックな見応えを生むし。
ワンダー正光との揺れ動く関係の有様は描かれてはいるが、もう少し深く描き込んだ方が、彼が魔法力を彼女の為に使い過ぎて最後に力尽き倒れて死んでしまう場面のインパクトを強め物語も締まると思うのだが。
このふたりの人間関係は骨子に据えるものであろう。

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恐らく(見るからに)低予算での製作であったことは分かるが、しっかりしたコンセプト、原作の読み込みがあれば、それなりの感動を生むものが出来ていたと思う。
インタビューを少し見たのだが、若者層をターゲットとして統計を取って作品作りをしたとか答えていた。
あ~なるほど、と思った。
間があると退屈するからアニメシーンを挟んだのだという。
そういうレベルか。

ものをつくる以前の問題だ。
(中村里砂さんには、次回は良い映画、というより「映画」に出てもらいたい)。

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監督はファッションデザイナーで、中村里砂とは以前からのお友達らしい。
それで主演を頼まれたのか。確かに綺麗で可愛らしいが、いきなりこれでデビューというのは、如何なものか?
YOUTUBEで「少女椿」のアニメーションをやっているとのこと。
こっちの方は観てみたい。




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