聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅

Der atmende Gott
2011年
ドイツ、インド
ヤン・シュミット=ガレ監督
わたしは、ヨガは全くやらない。それについての知識もない。
T・クリシュナマチャリアから始まる近代ヨガの流れを追うドキュメンタリー。
監督自らもヨガの実践者である。
その愛弟子であるK.パタビジョイスやB.K.S.アイアンガーそしてクリシュナマチャリアの三男から直接指導も受ける。
それぞれ思想や方法・実践スタイルが異なるところも面白い。
(アイアンガーは師に対して批判的であり、彼独自の体系を完成させて大きな影響力を及ぼしている)。
当時の貴重な映像や書籍(写真)も見られる。
そもそも近代ヨガというものが、王族の身体能力を高めるために導入されたという起源からして面白い。
様々なアーサナの練習風景ややり方なども詳しく見られる。
ヨガ実践者、愛好家にはたまらない内容だろう。

「身体」に悩まされ、それについて考えることも少なくないが、正しく呼吸し集中を得ているかが問題のようだ。
思想的に身体にアプローチするのではなく、アーサナ~形を取ること・形から働きかけることで身体をあるべき状態にもってゆく方法論と謂えようか。
マントラを唱えながら行うこともあるという。
(呼吸法との関係もあり)。
「眉間に集中」というのも何度もあった。
確かにその場所に彼らは印を入れている。三つ目の「目」の場所か。
色々な場面で集中力をとても強調していた。
日常的に体調~気持ちが乱れ優れないと、とても集中力は発揮できない。
そう、精神と直結したこころの状態にもってゆくには、まずはしっかり集中できないと。
集中できる状態に持って行くに当たり、アーサナと共に呼吸法は肝心となる。
監督が教えてもらう場面を観て気づいたことだが、ヨガのアーサナは、筋肉の力をいささかも要しないということだ。
力を使わずに、型~位置取りでアーサナを保持する。
これには、コツが要る。体の各部に渡る力の調整と微妙な位置・角度などの設定である。
まさにマスター、しっかり会得した指導者に個人的にみてもらわないと自分一人ではとてもできないことだろう。
実に細やかな体の各部分の力の配分や力の抜き方、それと同時に位置取りを正確にきめないと、辛くてその型を維持できない。しかし謂われた通りの位置取りと微細な力の配分が決まれば、大変楽にアーサナをキープ出来るということが見てとれる。
その一連のアーサナにもってゆく正しい動作を眺めているだけでも、非常に示唆に富んでおりヨガというものの奥深さが感じ取れた。身体構造とその力学関係の緻密な研究の上に成り立ったものだと思う。
「力を抜いて位置で支えなさい」これはわたしにとって重要な宿題となった。

ヨガは身体全体を無理なく、くまなく使い切る方法なのだ。
身体というのものは、普段の生活ではほとんどまともに使われていない。
(そもそも身体という観念がないがしろにされている)。
だから疲れる。
スポーツであっても多くの場合、体の一部が機械的に(不自然に)酷使されているだけなのだ。
そのため故障する。アンバランスなのだ。
「無理が無ければ呼吸が楽になる」というのも分かる。
「毎日、夕日を見なさい」これも効いた。アイアンガー氏が謂うので説得力があるのだが、これはやらねば。
わたしにとって一番無理なくできるし(笑。

意識がクリアになり気持ちが安らいで安定する。
これを現代人は薬やたばこ、アルコール、気晴らしで何とか胡麻化したりしている。
そして蓄積してゆく。考えてみれば、恐ろしい。
ヨガは以前はインドであっても、精神に支障をきたした人や変わった人のやるものと見られていたり、見世物の曲芸の一種と受け取られていたともいう。
確かにアーサナは大変難しいものが少なくない。
観た感じは曲芸風であるし、なかなかやろうとは思えないところはある。
しかし精神的に(根本的に)身体を自分のものにする(コントロールできるようにする)のなら、ヨガは確かに有効なものだろう。
身体というものを見つめなおす上でも、やはりヨガは無視できないものだ。
ピアノ曲が流れていて、妙に画像にもマッチしていて、心地よかったのだが、シラブジのピアノ曲でコルサコフをアレンジしたものだという。とてもお洒落に感じた。
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