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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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銀杏の皮むき

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今日は娘の小学校の「銀杏作業」(PTAの仕事)に行った。
銀杏の皮をむき種を出す単純作業だが、その数が途轍もない数なのだ。
長靴履いてレインコートを着てビニル手袋にマスクに帽子姿でひたすら作業に打ち込む。
というより、わたしの場合、自閉的に自動的に埋没する。
それを9時から11時半まで続けた。一言も発せず、全く休むことなく。

その結果、その場を離れた瞬間、非常に疲れて、何をする気力もない(笑。
この後に映画を見るなど、とんでもない(もともとそんなに好きではないし)。
休憩にならない。
疲れているが、寝る気にもならない。
だが、ボーっとしていて何も手もつかない。

そんなときは、決まって”ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース”を見る、いや聴くことにしている。
特に最後の13分くらいから終わりまでのところ、、、。
これで、動き出す気力が湧く。
少なくとも栄養ドリンクなどより1000倍、いや20,000倍よい(爆。

まだ、気力が戻らぬ場合は、わたしが特別セレクトしたニューオーダーのアルバム(プレイリスト)を掛ける。
アカデミーあたりで、ほとんど蘇生している。
(あの石野卓球さんもNEW ORDERの熱狂的なファンらしい。先日相方のピエール瀧氏とドイツでライブを観て大盛り上がりだったそうだ)。
ピエール瀧、懐かしい。また演技見たい。

銀杏特有の匂いは、することはするもほとんど気にはならない。
マスクで緩和される面もあろうが、銀杏に関わるという前提意識があるため、その匂いに殊更文句を言う気にはならない。
凄く熟れた末に腐った酸味たっぷりの匂いというか、観方いや嗅ぎ方によっては退廃的で官能的な匂いともとれなくはない。
ユイスマンスなら何と言うか、、、。

山のように積まれた銀杏の実を1テーブル6人くらいのママ(たまにパパ)が囲み、めいめいに程よい数の実を自分の手前に引き寄せてムキムキの作業を進める。その際、剥いた皮と種をしっかり分けて仕事をする。
当然のように各自の目の前には、二山がうず高く形成されてゆく。
一定時間を置いて、種と捨てる皮をそれぞれの担当ママが回収に来る。
わたしは今日、自分の目の前に14回、銀杏の種の山を作った。
作っては消え、作っては消える山。やってゆくうちに風情を感じ始めるではないか、、、。
(これはもしかして、かなりの前衛アートかも、と疑ってみたくなる。少なくともインスタレーションの一つとみても良い)。

回収に来る周期が微妙に異なるため、こちらが一定スピードで作業を行っていても、その時点で出来ている山は高さ~大きさが異なる。大きな山が崩され持って行かれると何か寂しい想いに囚われるのだが、まだ育ち切っていない山が持って行かれると、惜しい気がする。皮の滓の方は溜まり始めると目障りなので持って行ってもらうとスッキリする。
大概、皮屑の山の方が体積が大きい。
匂いは勿論、ここから発せられている。

今月のイベントは、今日で終わるが、来月初めには、娘たちの絵画の表彰式が控えている。
しかし今回は前回のように良い賞は受賞できなかった。
ここのところ、銅賞や佳作止まりが多い。
遠藤彰子先生に今回は今一つの審査結果でしたとメールすると、個展を控えた大変お忙しい時期に関わらずとてもご丁寧なお返事を頂いた。細かいお話を載せるのは控えるが、賞に一喜一憂することなく作品を作り続けるモチベーションに役立てましょうというお答えが基本であった。真っ当な考えだと思う。審査員全員で決める為、大賞の作品より入選作に良いものが見られることもあると。
確かに、審査員の価値観~審美眼によって選別される以上、好みの問題は避けられないだろう。

子供らしい描線、タッチの力強さと快活な色彩に加え大胆な構図、構成が見られるとポイントは高いことは、わたしも経験上分かるのだが、今回は、渋い印象派風の写実の方向で描いたものだ。もう5年生になると所謂子供の絵は描けなくなっている。
しかし受けが今一つであったものか。インパクトと謂うべきかな(笑。

家に遊びに来た時によくピアノを弾くお友達も、同じ美術展の授賞式で逢うことになっている。
ピアノと絵画両方のお友達は余り出来ないと思う。大事にしたいものだ。




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20世紀少年 ぼくらの旗

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3: Redemption

堤幸彦 監督
長崎尚志、浦沢直樹 脚本
浦沢直樹『20世紀少年』原作

第1章、第2章のメンバーに加え、、、

高橋幸宏、、、ビリー(ベーシスト)
福田麻由子、、、磯乃サナエ
広田亮平、、、カツオ
武蔵、、、厳道館師範代
高嶋政伸、田村淳、、、地球防衛軍隊員
コンサートの客、、、吉田照美、原口あきまさ、斎藤工、左右田一平


よく、これだけの有名俳優やミュージシャンやタレントを集めたものだと感心するが無駄使いみたいにも思える。
「ぼくらの旗」というほど、この旗(のイメージ)を取り戻すこと自体に力点が置かれているようには見えなかったが、、、。
しかしこの最終章はとっても面白かった。よく出来ていた。感動もしてしまった。
昨日の第2章が単に説明的であったのに対し、これは感情的に共感できる映画となっていた。
脚本が1章とこの章は、原作者が加わっている。その差か。
平愛梨と豊川悦司がやたらとカッコよく、パワー全開している感じであった。


子供騙しのSFみたいだと映画の中でも謂っていたが、そんな荒唐無稽な世界も簡単に信じ込んでしまい、突飛な偶像をどこまでも高く掲げてそれに依存し思考停止してしまう傾向をヒトは強く持っていることは否めない。そのコインの裏面に当たる自分たちとは異質な存在感の薄いヒトを差別、迫害しやがて無視しているうちにその存在自体を忘れ去ってしまうこともあるのだ。これは考えてみれば恐ろしい。何れも集団心理の属性である。ここで集団の上層にいる者は、虐げられている者の抱える気持ちなどに全く無頓着である。理解など及ぶべくもない。しかし、子供時代のこの関係が二十世紀少年~ともだちを生み出した。

ヤン坊、マー坊(佐野史郎)が子供の頃のようにまた太っており、面白かった。
「ともだち暦3年」の話である。
「世界大統領」というのになってしまっているともだち。
東京には巨大な壁が作られ、前章で防毒マスクのセールスマンたちが振り撒いた細菌兵器で荒廃した地を隔離していた。

ともだちは、気球から「8月20日」に宇宙人がUFOで来襲して極めて強力な細菌を振り撒き、世界が終わるとアナウンスする。
1章では、時間の関係でハリボテ風船ロボットだったものが、しっかり二足歩行できる巨大ロボットに完成された。
しかもそのロボットには中性子爆弾が積まれており、ともだちのリモコン操作により爆破する仕掛けであった。
敷島博士によって作られたものだが、彼はUFOを撃ち落とすための武器も製作していた。

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ともだちの部下、幹部たちも、やりすぎのともだちに心は離反する者が増えていた。
粛清される者も沢山出て、世界は滅びるという予言から、ともだち配下の者も一般人も、誰もが戦々恐々としている状況である。
そして、これまではわたしについてくるものは命は救われると繰り返していたのだが、実は一連の大量殺戮と救済劇は全て自作自演であり8月20日には全員滅ぼすとハッキリ真実を告げる。
これで、人々は頼るところを失い動揺し始める。

ヨシツネは、反政府組織ゲンジ一派のリーダーとして反政府活動の支援をし、カンナは武装蜂起でともだちを倒すことを掲げる氷の女王一派を率いていた。
そんななかで、ラジオから叔父のケンヂの歌が流れてくる。
生きていることを仲間たちは知る。
これでカンナやショーグンたちは勢いづく。
カンナは、捕えらえた際、実の父であるともだちとふたりきりで語り合う機会をもつ。
この時、彼を銃で撃とうとするが、それは出来ない。撃てばどうにかなるという考えは浅はかであったことを認識する。

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春波夫の付き人として身を隠していたマルオは、(ケンヂの姉の科学者)キリコの潜伏先を突き止める。
そこで、蕎麦職人として逃亡を図っていたケロヨンとも再会する。
ふたりは、キリコが自分を実験媒体として、ともだちが使用する新しい細菌兵器を無効にするワクチンを開発する様子をずっと眺めることになる。その実験は成功しワクチンが完成を見る。その生産がどうなったかは分からないが、巷で品薄のようだった。


いよいよ当日が来る。ともだちは、計画通りUFOを飛ばし、東京中に細菌を振り撒き多くの人々を虐殺してゆく。ともだちの配下の者も一般人も見境なく虐殺して行く。二足歩行の中性子爆弾内臓の巨大ロボットも地下工場から姿を現し歩き出す。中にはお面を被ったヨシツネが乗っていた。しかしヨシツネはともだちを止めようとして近づいた関係であり、本当のともだちはその後に現れる。
2機のUFOはショーグンとスナイパーをしていた田村マサオがともだちを裏切り片付ける。
ともだちは彼らがフクベエと呼んでいた男だった。彼はみんながフクベエだと勘違いしたのを利用しフクベエに成りすましていた。
ビルから墜落死したかに見せかけていたのだ。
しかし実際に彼が誰なのか、素顔を見ても分からなかったというのは、恐るべきことである。
そのフクベエは、かつての忠臣、万丈目に撃ち殺される。

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ともだちがあそこだけは守ると言っていた万博広場にカンナは出来る限り人を集めた。
そこでコンサートを開くのだ。
披露する曲は、地下でヒットを続け人々の心を支えていたケンヂの曲である。
会場には想像を遥かに超える人々が集結し、ともだちからケンヂに乗り換えたようであった(どうしても偶像に頼りたいのだ)。
巨大ロボットを止め、ともだちの死を確認してから彼は会場に駆けつけ、このステージに上がる。
彼は熱狂的に彼を迎える聴衆に向け、俺は君たちの考えるような男じゃない。ただの人間だと断ることを忘れない。
そして地球滅亡の危機は去った事を宣言し、仲間との再会を喜び噛み締める。

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ヨシツネはお面を被って虐めを受けた経験から、子供時代にお面を被り皆から酷い目にあっていた彼の気持ちが理解できた。
「ともだち」はおれたちが作ってしまった、と彼は分析する。
しかし、ケンヂはおれが作ったんだ。と言い、ともだちランドからバーチャル空間へ飛ぶ。
そこで少年時代の仮面をかぶった子が万引きをして咎められた件の濡れ衣を晴らす。
そして中学時代にお面を被った生徒が屋上から飛び降り自殺を図ろうとするとき、T.Rex「20センチュリー・ボーイ」を校内放送で流し、それを聴いた彼は自殺を思いとどまる。ケンヂは彼とともだちになることを了承するが、お面を外せという。
彼は迷うが結局外す。彼はフクベエではなく、かつまたであった。
万引き事件の日から彼はみんなから無視されるようになり、存在自体ないモノとされた。死んだものとされた。
実際に子供時代に死んだのはフクベエだったのに、その存在感のなさ~存在の否定から、かつまたが死んだことにされたのだ。
そして誰一人、その状況を疑う者がいなかった。
更に万引きをしたのは、ケンヂであった。ここで、彼は駄菓子屋の店主に自首してしっかり詫びる。そしてかつまたにも謝る。
この構造を作ってしまったことに。
彼とケンヂは、レノン=マッカートニーみたいなロックを一緒にやろうと屋上で約束する。
ケンヂの脳内バーチャル空間で。

虚しい。
起きてしまったことは、もうどうにもならない。
ヒトは後悔しないように生きるしかない。






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20世紀少年 最後の希望

The Last Hope001

2:The Last Hope
2009年

堤幸彦 監督
長崎尚志、渡辺雄介 脚本
浦沢直樹『21世紀少年』原作

昨日の第一章のメンバーに加え、、、以下のメンバーが加わる

藤木直人、、、蝶野将平(チョーさんの孫の刑事)
小池栄子、、、高須(ともだち幹部)
木南晴夏、、、小泉響子(カンナのクラスメイト)
小日向文世、、、山根昭夫(ともだちの友達、裏切る)
森山未來、、、漫画家(オッチョ~ショウグンの子分)
ユースケ・サンタマリア、、、佐田清志(ともだちを裏切る英語教師)
六平直政、、、仁谷神父(カンナの相談役)
陳昭榮、、、中国マフィア・王(カンナのファン)
Samat Sangsangium、、、タイマフィア・チャイポン(カンナのファン)
前田健、、、マライア(ニューハーフ)
荒木宏文、、、ブリトニー(ともだちから脱走したニューハーフ)
佐藤二朗、、、殺し屋巡査
徳光和夫、、、万博司会者
小松政夫、、、珍宝楼の店主・珍(カンナのアルバイト先)
西村雅彦、、、七龍の店主(カンナがラーメンを食べる)
古田新太、、、春波夫(万博テーマソング歌手)


佐田清志(サダキヨ)がトヨタ2000GTに乗っていた。
そこには鉄人28号までぶら下がっているではないか。
何と趣味が良いのだ。
わたしも乗ってみたい車だ。
サダキヨの再現した「ともだち」の家というのも昭和オタク記念館みたいで趣きがあって良い。
サダキヨに絶交だと叫び彼の粛清に向おうとしたともだち配下が、サダキヨが火をつけ燃えてゆくハウスを見て絶叫して惜しがっていた。そりゃそうだろう。保存した方が良いに決まっているが、ギャグコメディーみたいに見える。

確かにギャグめいてきた。それは良いのだが、どうにも乗れなくなって来た。
その大きな理由は、「ともだち」が何故これほどまでに強大な支配力を得たのかが全く分からない為である。
大衆のみならず海外の人々や各国要人たちをどのように洗脳していったのか、その過程が全く描かれていないために、いきなりローマ法王とともだちになったとかそんな場面を前提に進められても全くついて行けない。

確かに第1章で、選挙にも出て政界に進出する姿勢を見せてはいたが、ここには途方もない飛躍があり、ともだちの実績も人々を引き付けるカリスマ性などの魅力も何も描かれぬままにほぼ世界の偉人扱いがされている。あり得ない。
普通に見てきて、この組織に何らかの魅力も凄さも感じられず、構成員はまるでショッカーの人々みたいで、ギャグにしか見えない。
特に佐藤二朗の巡査が出てくる場面はコメディ性が強まりほとんどギャグの世界になってしまう。
このような政党が出ても、とてもオーム真理教ほどの求心力も持てないはずである。
このどうにも間の抜けた空虚な熱狂ぶりに、説得力など微塵もない。ギャグにもならない。白けるだけ。距離が大分できる。
少なくともわたしは、ともだちに何の魅力も憤りも覚えない。それ以前に存在感が余りに薄い。
あのマスクもそうだが、フィギュアにインパクトがなさすぎる。
その意味ではヒトラーの対極にある。やっていることは大量虐殺でも。

The Last Hope002

ただ、こういう筋であるからそのように描いたとでもいうかのようにその線で進んでゆく。
原作は充分なページをさいてこちらを納得させる情報を提供しているのだろうか。
魅力的な人物は、それなりに出てくるのだが、如何せん肉付けが足りない。
感情移入の出来るのは、カンナとヨシツネ、ショーグン(オッチョ)くらいか。
ともだちは、いつまでも謎にし過ぎて薄っぺらい存在でしかない。
ヤマネとサダキヨもとても薄くてペラペラ。

それから、カンナが(神の子であっても)警察やともだち教団からも徹底してマークされているはずなのだが、その割には自由に交通している。
大概、クライムものなら何処に潜伏しようがどういうルートをどんな交通機関でどのように取ろうが突き止められその都度ドンパチ始まったりするものだが、これにはほとんどない。田村マサオが唯一、要所要所で狙撃しては来るが。蝶野将平は存在自体があやふやなもので、こんな抽象的なキャラは置かない方がよい。ニューハーフもかなり邪魔な気がする。そもそもこの辺のエピソードは何なのか?大幅に削除してもっと濃く描くべきもの~ところを描かないと(物語の骨子に関わる部分を)。

The Last Hope003

やはり物語上一方の柱である「ともだち」が薄いと物語が成り立たない。
ワザとサダキヨに「ともだち」(マスクをしているから誰でもなれる)を撃たせても、それで本人が死んだのかどうかなど分からぬではないか。単に教団の演出で新宿を通って計算通りに(替え玉を)暗殺させたにしても、あのスカスカ感はない。そして万博の開催初日のセレモニーで世界各国に生中継のなかで生き返り、神となるなどというバカげた芝居に引っ掛かる人間がそもそもいるはずもない。
この場面は酷かった。いや全体に余りに現実味がない。荒唐無稽なファンタジーでも、もっとその文脈の上でのリアリティはしっかりあるものだ。

この第2章、カンナやヨシツネ、ショーグンが頑張っていたが、共感できるようなところは、少なかった。
ほとんどのキャストは良く、特にカンナ、ショーグンは絵になっていたのだが、この描き方では活きてこない。
小泉響子も面白いキャラで、流れと共にどう変わって行くか噛んで来るのかとちょっと期待したが尻つぼみで終わった。
昭和テイストやそれに対するオマージュも分かることは分かるが、弱い。
どうやら最後の最後で、ケンヂが生きているらしいことは見てとれる、、、。

The Last Hope004


最終章も観てはみるつもりだが、モチベーションは低い。






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20世紀少年 終わりの始まり

Beginning of the End001

Twentieth Century Boys
1: Beginning of the End
2008年

堤幸彦 監督
長崎尚志、福田靖 脚本
浦沢直樹『20世紀少年』原作


唐沢寿明、、、ケンヂ(元ロックギタリスト)
豊川悦司、、、オッチョ(ケンヂの幼馴染)
常盤貴子、、、ユキジ(ケンヂの幼馴染)
畠山彩奈、平愛梨、、、カンナ(キリコの娘)
香川照之、、、ヨシツネ(ケンヂの幼馴染)
石塚英彦、、、マルオ(ケンヂの幼馴染)
佐々木蔵之介、、、フクベエ(ケンヂの幼馴染)
石橋蓮司、、、万丈目(ともだち教団幹部)
中村嘉葎雄、、、神様(ホームレス、ケンヂの仲間)
黒木瞳、、、キリコ(ケンヂの姉)
光石研、、、ヤマさん(刑事)
井浦新、、、田村マサオ(ともだち教団暗殺者)
片瀬那奈、、、敷島ミカ(敷島博士の娘)
宇梶剛士、、、モンちゃん(ケンヂの幼馴染)
佐野史郎、、、ヤン坊、マー坊(二役、ケンヂの幼馴染のいじめっ子)
竹中直人、、、ピエール一文字(新興宗教の教祖)
遠藤憲一、、、深手を負った「ともだち」教団からの逃亡者
吉行和子、、、諸星壇の母
津田寛治、、、諸星壇
石井トミコ、、、ケンヂの母
竜雷太、、、チョーさん(定年退職を控えた刑事)

その他、、、まだ有名人は出てくる。
誰が何役とか書いていたら、それだけで疲れそう。

豪華キャストをこれでもかという感じで使っている。
例の如く原作は未読。
これは3章のなかの第1章に当たる物語。
以前、とても話題になっていたことは知っているが、話題作が嫌いなわたしは、今になって観てみようかと思った次第。


1997年と2000年について描かれ、彼ら登場人物たちの子供時代1969年についても何度も回想シーンが入る。
謎と記憶と不思議と陰謀に友情が加わり、世界を俺達で救うおうという話が、T.Rex「20センチュリー・ボーイ」(まさにテーマソングか)のグラムロックサウンドの勢いで一気に最後までもつれこむ。
どうやら少年たちのワクワクときめく秘密基地で作ったお話~「よげんしょ」を元にした事件が彼らが大人になった時代にそのままの形で実行されてしまう。しかも彼らの結束の印として作ったマークまで、そのまま使われている。

細菌兵器、羽田空港・国会議事堂の爆破、世界同時多発テロの発生、巨大ロボットが都市を襲い、人類は破滅に向かう。そこへ人類を救うためにヒーローが立ち上がるというありきたりな他愛もない噺なのだが。
まさか?という荒唐無稽な流れで、次々に自分たちの作った予言書通りに事が運ぶことになるに及び黙って見ていられなくなる。
子供時代の大切な思い出が悪夢となってしまったのだ。
そして預かっている姉の娘を彼らが奪いにやって来て、実家のコンビニまで焼かれてしまう。
それを企て実行に移している組織が「ともだち」という。
だが、そのテロを起こしている犯人はケンヂ一派とされ指名手配を受け追われる羽目となる。警察も「ともだち」に丸め込まれていたのだ。

その「ともだち」の首謀者はケンヂと少年時代に関りをもった人物のようだが、それが誰なのかハッキリ分からない。
彼は「忍者ハットリくん」のお面をつけているのだ。(ケンヂの思い出の中の少年時代にもそのお面をつけている少年がいたのだが)。丁度アノニマスのお面のようだ。
一体何のためにそんなことをするのか。
ただし、ケンヂに危険を知らせて来た彼らの大事な幼馴染が殺され、その他にも多くの死傷者を出している。
これは自分たちがかつて描いたシナリオであり、悪夢を振り払うためにもこの暴挙を止めなければならないという決心のもとに秘密基地仲間が集まり行動を開始する。
この流れは途切れたり弛むことなく何だか子供のごっこ遊びみたいなテンポで楽しく展開するのだ。

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ともかくホントの素人7人の幼馴染の集まりで、細菌兵器を使い世界同時多発テロや空港爆破、選挙戦などを組織的に繰り広げるような相手と闘う。その相手もその素人集団に対して遊び~世界征服を仕掛けているのだ。
目的は遊びである。世界征服ごっこであろう。
子供のお遊びの拡張版である。
何と贅沢な遊びだ。
限度を遥かに超えた途方もない遊びだ。
一体これは何なのか?
それを知るには、第2章、第3章を見る必要があるようだ。


ハッキリ言ってこの1章では、何も分からない。
そして終盤、ケンヂは巨大ハリボテ風船ロボットに自分で仕掛けた爆薬で爆死してしまった様子。
(フクベエもロボットを操縦していると思っていた男とビル屋上から絡み合って落下死する)。

最後に大きくなったカンナがゲリラ活動をして警察に追われているところが描かれる。
次を観るしかあるまい。






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こぼれる月

MOON OVERFLOWING001

MOON OVERFLOWING
2002年

坂牧良太 監督・脚本

河本賢二 、、、高(強迫神経症)
目黒真希 、、、あかね(高の彼女、やはり神経症)
岡元夕紀子 、、、千鶴(不安神経症)
岡野幸裕 、、、ゆたか(依存性、拘りの強い粘着気質の青年)
田島令子 、、、千鶴の母


ドキュメンタリーで描いた方がインパクトがあったのでは。、、。
というのも、理解度不足からくるあやふやな(おどろおどろしい)創作が入ってしまうと、病気~障害の誤解に繋がってしまう。
当人に出演してもらうこと自体が難しいところはあると思うが(治った人ならまだしも)。
その内的体験・衝動・感覚(苦痛)をどう伝えるか(描くか)である。実際その病をそれとして対象化するには、やはりいままさにその状況にある人には無理であろう。
かつて、わたしはその症状に苦しみました、と過去形で言える人の協力、出演の方が説得力は増すはず。
ドキュメンタリーの方が正確で力がある、と思う。
役者が演技しているということが、何かと引っかかった。
こぼれる月というほどの詩情も感じないし、あまりリアルにも思えないのだ。演技が上手い下手ではなく。こうした創作自体。

MOON OVERFLOWING002

わたしも身体が自分のものではない、乖離感に悩まされた時期がある。
それはまさに身体感覚としてであり、今現在の「場所」からその状態の記述~解説は困難なものとなっている。
その時の記憶は残っているが、(身体)感覚がきれいにない。
今考えると自分が自分の主ではなく、他者によって操られる、乗っ取られた感覚に近いものであった。
それはまた、あらゆる客観的な(外部の)法など、全くどうでもよいものという前提によっている(ここは今でも変わらないが)。
つまりそれくらいに第一義的であり、根源的で原初的な、そして代替不可能な(還元不能な)欲動そのものだったのだ。
だからと言って、それを本当の自分の姿、自分の真に望むもの~ことかと言えば、もはや自分がどうのという次元のものではない。
これについては、また改めて別の機会に考えたい(今日は全くそういった気分ではないので)。

本人が家に籠ってしまうことも、外には出せないケースもあることが分かる。
恐ろしいからだ。そして危険だから。保護するしかない。
わたしは、現在仕事を退き、基本的に家事(特にお料理)をやっているが、ほとんど家を出れない。
普通、これは精神的にキツイ。大変閉塞感を感じ煮詰まってくる。
部屋に籠っているということは、少なくとも自然ではない。清々しい天気の日や月の綺麗な夜など、、、。
(わたしは雨の日の散歩も好きなのだ)。
それでもなお、中に籠った方が安らぐとすれば、スイッチが入る事への恐怖があるからだ。
(強迫神経症については、場所は何も関係ないか)。
儀式がともかくやめられない。
分かっちゃいるけどやめられないことは誰にでもある。
これは、大目に見るしかあるまい。
時間を少し浪費するくらいのものだ。と思うしかない。

映画では、その病気とうまく付き合って行くようにと、担当医から言われていたが、薬をずっと飲み続けて症状を緩和する以外の方法を模索する必要はあろう。
つまり苦痛からの解放である。
ひとつは、自分をこのように在らしめた原因とその構造を突き止めることに他ならない。
それが出発点だと考える。すくなくともわたしの場合、そうであった。


度々ある顔~表情アップが邪魔に思える。
どうも構図も落ち着かない。
必要以上に暗すぎる場面がストレスになる。
水がやたらと零れていたが、それが何だというところ。
まさか、これがこぼれる月にかかるのか、、、ってどうでもよい。
わたしには、全く引っかかりがなかった。

この映画がこうした人~他者に対する関わり方の考慮に役立つのならひとつ意味はあると思うが、どうであろう。
自分たちとの違いを単に差別(弾圧)の対象としか見なかったり、質の悪い者はそこに自分の内面(劣情)を無意識に投影して、攻撃してきたりもするものだ(爆。
よくって自分もこういうことで悩み医者にも通ったとかいう人が感慨に耽る感じで終わる気がする。


鉄道員

Il Ferroviere004

Il Ferroviere
1956年

イタリア

ピエトロ・ジェルミ監督・脚本
カルロ・ルスティケリ音楽

ピエトロ・ジェルミ 、、、アンドレア・マルコッチ(鉄道機関士)
エドアルド・ネヴォラ 、、、サンドロ(末っ子)
ルイザ・デラ・ノーチェ 、、、サーラ(妻)
シルヴァ・コシナ 、、、ジュリア(長女)
サロ・ウルツィ 、、、リヴェラーニ(アンドレアの親友)
カルロ・ジュフレ 、、、レナート(ジュリアの夫)
レナート・スペツィアリ 、、、マルチェロ(長男)


いつものように、BSから入っていたその名は知っている名作映画。
「鉄道員」を誇りにしている父親をいつも尊敬の眼で観ているサンドロという幼い息子の目を通して語られる戦後イタリア庶民の一家族の生活模様~ドラマ。

きっといつかどこかにあった家族のドラマだ。そう想う。
わたしからは、とても遠い世界の出来事なのだが、、、。
勿論、感情移入も可能なところだが、「家庭」とか「家族」に何の価値も魅力も見いだせない身としては、別世界の愛おしい人々の営みの光景に見える。それこそパラレルワールドの。
そうだ無数にある諸地球の何処かでの、味わい深い人情模様だ。

Il Ferroviere001

物語が始まった時点で、酒飲みだが厳格で不器用な父の下、母と末っ子はそれでも信頼感を保ち暮らしているが、長男は賭け事に興じ定職に就かず、長女は流産して、何やら不穏な空気に包まれている。
末っ子のサンドロは、溌溂としたしっかりとした子で、周りの大人をとても冷静に観察している。
空気を読み、何か問題があったことも的確に察知して、様子を窺っている利発な子だ。
まさに語り部に相応しい。
やはりパパが好きで、父親を中心に物語られてゆく。
また、この家族をまとめているのは他ならぬ母である。
とても優しい母なのだ。この母は家族の誰とも親和的関係が常に保たれている。これは凄いことだ。
お父さんは流石にこうは、いかない。権威をつい振りかざしてしまう。それが普通の時代でもあったか。

Il Ferroviere002

父権に対する長男、長女の反抗が大きくなり、末っ子は覗き見しながら戸惑いつつ人生を学ぶ。
彼は「内緒と言われたんだけど」と断って洗いざらい父や母に報告する。
この関係の透明度が良い。
結局、この表向きは伏せておいてバイアスで真相が伝えられる回路がお互いの顔を立てて分かり合える良い方法となったようだ。
やはりこの家族、末っ子が機能しないとそれこそバラバラになったまま崩壊しかねない。
この子とパパのよく出来た親友リヴェラーニとの繋がりがまた理想的である。
この関係が外部からこの家族の分解を和らげ抑えていた。
そしてリヴェラーニとカフェのマスター他友人たちの器の大きいこと。暖かいこと。
何と言うか日本でいえばかつて存在した下町人情であるか。

Il Ferroviere003

父は特急の機関士であったが、カーブの視界を利用し自殺を企てた若者を轢いてしまい心を痛める。それを気にして赤信号に気づかず危うく大事故を引き起こしそうになり、小さな路線の汽車に移動させられてしまう。表向きと違い、繊細な神経を持ちこれまでも多くの困難を酒で紛らわせて家族の為に身を粉にして働いて来たのだ。

酒が元で体を壊して倒れ、絶対安静の日々が続いたが、クリスマスの夜気分が高揚して訪れるかつての友と共に楽しい時を過ごす。
そこには家を出て行った息子も戻り、やはり家を出て独り暮らしをしていた娘からも一度別れた相手と一緒に帰ると電話がかかって来る。
得意のギターを弾いて唄い、これほど良いクリスマスの夜はなかったとしみじみ語り、妻にセレナーデを弾いて聴かせる。
その音色のふいに途切れた時に、彼はこと切れる。
暫くは妻も帰って来た娘も気づかなかった。その顔がにこやかに眠っている様だったために。


暫く後、末っ子は、マルコッチ!と友達に呼ばれ更に快活に頼もしさが増した様子で学校に向かう。もうサンドロではないのだ。
長男はすっきり吹っ切れた様子で立派に仕事に就いていた。

、、、かつて、はっきりと存在した家族のドラマとして感慨深いものであった。






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トゥー・リブ・アゲイン



To Live Again
2001年
アメリカ

スティーヴン・シャクター監督

ボニー・ベデリア、、、アイリス(元、ソーシャルワーカー)
アナベス・ギッシュ、、、カレン(監禁されていた女性)
ティモシー・カーハート、、、ハンク(アイリスの友人のソーシャルワーカー)
フランシス・スターンハーゲン、、、カレンの母


娘の事故死から立ち直れずにいる元ソーシャルワーカーのアイリスは、かつての仕事の同僚ハンクから母親によって17歳から16年間も自宅で監禁されている女性カレンのケースを頼みこまれる。
カレンには統合失調症(当時は分裂病)の疑いがあるため、精神科病院に収容されるが、母親の虐待によるPTSDによるものと睨むアイリスは、彼女の人生を取り戻してあげたい一心で、カレンを自宅に引き取り彼女のケアを親身に行う。
母親の再三にわたる妨害にも挫けず紆余曲折しながらアイリスとカレンの二人が共に自らの人生を取り戻してゆくという話である。

実話を元にしているとあるが、こういったケースはいくらでもあるものだ(わたし自身の受けたもの~その憑依的な搾取は生後からずっとであり、カレンより酷い)。
このような監禁という極端な場合でも隣人は他所の家への干渉を嫌い無関心を決めこむ。まして表面上普通に暮らしているような家庭である場合、何らかのサインを敏感に察知して家族の内的関係を洞察しないことには分かってはこない。
何と言っても親子関係であることが実に厄介なのだ。容易に他者は踏み込めない。親戚なども全くあてにはならない。
更にここでは、福祉局をはじめ関係諸機関(行政)が皆怠慢で書類管理がなされておらず、過去にカレンの症状が監禁によるものであり、彼女の診断や家庭環境の調査などを要請した書類などが全く確認されずに埋もれたままになっていて彼女に有効な働きかけをする者も機会もなかった。
誰も手を差し伸べる者がおらず、無為に16年が経過する。
それでもアイリスのような人に幸運にも巡り会えたことで~これは奇蹟に近いが~事態は大きく動く。

母親は無意識的に娘を自分のアイデンティティを支えるためのアイテムとして消費し尽くしており、衰弱させ動けない状態にまで追い込んでいる。端から見れば、重い病の娘を独り身を削って看る健気な母にも映りかねないところだ。
母親との共依存関係が出来てしまっている為、カレン自身はどういうかたちでも母には逆らえない。
自らを失ってしまっている以上、確かな見識を持ちしっかりした思考の働く他者にその呪われた文脈から引き剥がして貰う他あるまい。
これは文字通り救命救助であって、他力本願でしか手立てはないのだ。

丁度アイリスには、そのクライアントが失われた最愛の娘に重なるところがあり、何とか彼女自身の生を取り戻させたいというモチベーションも高かった。彼女の意識においては、カレンの蘇生が亡き娘の甦り~成仏と等価でもあったか。
だからあれ程、一生懸命になれたのだ。ボランティアで関わっていたはずである。
ここで更に条件的に良かったのは、アイリスが自宅の広い庭に、馬と犬を飼っていたことだ。
動物いや生物との関りの精神に及ぼす影響は大変大きい。
国際宇宙ステーションでも食用の野菜を育てているが、宇宙飛行士が植物に触れることで、漆黒の無重力宇宙空間に囚われた精神の安らぎに大きく役立っているそうである。他の生命に触れることのご利益はわたしも身に染みて実感するところだ。
カレンが馬の出産に関わったことは、彼女らにとって象徴的な意味も持つ。とても希望に満ちた出来事であったに違いない。

このイベントも経験し、ターミネーターのような母が彼女を強奪に来て、そのまま分裂病専門の病院に収容され薬物漬けにされても、アイリスの決死の潜入による、薬を飲むなというメッセージが受け取れたのだろう。
実際、彼女は統合失調症ではないのだ。薬でボーっとなり思考停止していては、もうその先がない。
審問会で、カレンは審問官に自分の人生を取り戻したい。アイリスのように生きたい、とたどたどしく自分の言葉で訴える。
彼女の思考は生きていたのだ。
わたしもここまでの流れで、胸の熱くつまる思いが込み上げた。
無事アイリスがカレンの後見人になり、その後カレンは自立生活を始め、アイリスとハンクの訪問時に食事をご馳走するまでになっていた。
しかし一方、母親には微塵も反省意識など無く、自分が生を繋ぐためこの先も娘に憑依し消費し尽くそうという意欲は衰えることがない。必ずあなたを取り返しに来るわと被害者アピールしていた。
こういう親は底知れずタフであり、長生きする。

アイリスのような人は滅多にいない。
これが実情である。
埋もれたカレンが世にどれほどいることか、、、。


子供に残存する親の影響は途轍もなく根深い。
宇宙背景輻射のようにいつまでも持続する。
であるから、われわれは新しい遺伝子を自ら作り出さねばならない。
自らのうちに。

完全に親から歴史から切断された存在となること。



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ボーダーライン

Sicario002.jpg

Sicario
2015年
アメリカ

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
テイラー・シェリダン脚本
ヨハン・ヨハンソン音楽
ロジャー・ディーキンス撮影


エミリー・ブラント 、、、ケイト・メイサー
ベニチオ・デル・トロ 、、、アレハンドロ
ジョシュ・ブローリン 、、、マット・グレイヴァー
ヴィクター・ガーバー 、、、デイヴ・ジェニングス
ジョン・バーンサル 、、、テッド
ダニエル・カルーヤ 、、、レジー・ウェイン
ジェフリー・ドノヴァン 、、、スティーヴ・フォーシング
フリオ・セサール・セディージョ 、、、ファウスト・アラルコン
マキシミリアーノ・ヘルナンデス 、、、シルヴィオ
エドガー・アレオラ 、、、ギレルモ
ベルナルド・サラシーノ 、、、マニュエル・ディアス


PRISONERS”、”Arrival”、”Blade Runner 2049”のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督であり音楽はヨハン・ヨハンソン。撮影はロジャー・ディーキンスとくる。どういう形のものになるのか、期待はかなりのものであった。

まず凄くドキュメンタリー調のドラマで、危うい緊張感と臨場感が半端ではなかった。
まさに”ボーダーライン”を描いて行く。気の利いた邦題である。
そして『殺し屋』という原題もその通りのものであった。

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最初の人質救助に向かったアジトでの惨い死体の山にもその直後の爆弾にも驚くが、メキシコ国境での自動車渋滞する民間人密度の濃いところで突然起こる激しい銃撃戦で相手を殲滅する場面など、ここが如何にのっぴきならない場所なのかを分からせるのに充分である。
道すがらに普通にたくさんぶら下がっている、見せしめ~威嚇のための首をはねた屍の逆さ吊るし、、、。
初めて見たら誰でも恐ろしさより先に吐き気を催すだろう。

FBI捜査官のケイト・メイサーに寄り添いながらこちらもドキドキしながら心細くついて行く感じで進む、と言うかそれしかない。
彼女自身も分かっていないまま、巨大な深い闇組織である麻薬カルテルのボスに近づく計画に飛び込む。しかも正義感をもって。
(断わるまでもなく、正義という相対的概念を絶対視する輩ほど迷惑なものはいない)。

しかし、彼女と共にこちらも事の真相が次第に見えてくる。
これが恐ろしい。
敵の残虐さに劣らない味方?のやり方である。

Sicario003.jpg

当初から残虐な場面が恐ろしいのだが、それ以上にこの麻薬カルテルの件が善悪の彼岸で行われる復讐劇~復讐の連鎖でもあることに愕然とする。
メキシコの麻薬カルテルを攪乱する為にコロンビアの麻薬カルテルを利用するなど、目的のためには何でも駒として(捨て駒として)利用し尽くす乾いた手口はどちらもどちらである。
主人公たちも勿論、アレハンドロたちに利用されていた。最も手軽に使われていたが、途中で気づくもその根深さ~重量にどうにもならない。結局、そのその捜査が合法であるという書類にも彼女はサインさせられる。
(この正当化の為にスカウトされたようなものであった)。
だが、この流れを見てゆく限り、ケイトたちの合法的な捜査などでどうにかなるような相手ではないことは、端から分かるところだ。

終盤の敵のトンネル~坑道に夜襲をかけるところの臨場感は圧倒的。
赤外線カメラによる視界と等身大的なアングルは、所謂ヒーローもののアクションものとは全く異なるリアルな危機感を煽る。
低音の独特なリズムの音楽がピタリと合って、監督の演出力がフルに活きる。
俯瞰画像もとても効果的であった。
ケイト・メイサーのキャパを超えた双方の応酬に彼女が耐えきれずアレハンドロに銃を向けることとなり、逆に撃たれたときは驚いた。防弾チョッキが生きていてホッとしたが、もはや彼女自身ここが自分のいる場所ではないことを悟るところであろう。
(後で、彼に「小さな街に行け。まだ法の生きている」と諭される)。

Sicario001.jpg

無法者にはそれ相応のやり方しかないのか。
少なくとも正義漢ぶって応じていたらひとたまりもない。
百に一の勝機もない。
とは言え、メキシコの無力な警官の死に様など見ると気の毒な限りである。
カルテルの巧妙な方法で蓄積した資金力が物凄い為、武器は充実しているし、何でも買収してしまい、警官など思うがままに操ってしまう。
(メキシコの私服警官は皆敵だなんて言われていたが、これでは治安などどうなっているのか)。
確かにそのなかにあって、歯向かう気概のある者といったら強い復讐心をもった者ぐらいかも。
少なくとも正義でことがどうにかなるようなものではない。
最終的に、アレハンドロたちは一山片付けたかたちであろうが、これで済んだ訳では勿論ない。
救われのなさは底知れないものを感じる。


ここのところ、行きたくないなと思える外国が映画を観るたびに増えているが、メキシコとコロンビアの怖さはまざまざと見せつけられた。ある意味、トランプが塀を作る以外に方法がないと判断したことも頷けないわけではない。それが非道だとか正しくないという前に、この重い現実である。
先ずは塞いでしまえ、というところか。地下道も含めて。
苦肉の策であろうが。

絵としては流石に綺麗であった。
リドリー・スコットに繋がる空間を見た。

今後もドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品には目が離せない。
ヨハン・ヨハンソン氏の夭逝はとても惜しい。







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久々に公園へ

Jóhann Jóhannsson001

ここ4つばかり観た映画では何も書けない気がして、やめた。
そのなかでひとつだけ、女性探偵が事件真相を探る独自の方法として被害者になりきって犯人に迫るクライムサスペンスはなかなか面白かった。彼女自身が変身して行くのだ。地味な日常生活ぶりから被害者の豪華別荘でブランド物のドレスを着て高価な化粧品でセレブになってゆく。変身することでアイデンティティも変容をきたす。いや抑圧自制してきた本来の自分が解放され顔を出し始める。その過程で、彼女は自分の愛の対象を見つけ事件の解決より自分の幸せを取るというところで、ハッピーエンドを匂わせて終わるものであった。なかなかリアルで説得力もあった。事件は振出しに戻るのだが、彼女の満面の笑顔で終わるところが良い。

わたしも何かやるときに取り敢えずは目的を置いて始めるのだが(流石にそれなしに何をか始めるわけにもいかないが)、大概途中で異化されて行く。それをやる過程で相手に影響を与えるが、わたしも不可避的に逆照射され変容する。互いにインパクトを与えあう関係となるのが通常であろう。先の女性探偵の場合、捜査の過程で自分が同性愛者であることを認識してしまうのだから大変大きなアイデンティティの変革を味わう。その何だか良く分からない美しい女性知能犯に彼女も惹かれ、もはやそちらの方に絶大なる価値を見出してしまうのだ。ユレーカ!であろう。それはそれでよいではないか。探偵なんてもう知らない。
この作品だけは良かったかな、、、。

アンドレ・ブルトンがシャツを取り換えるように思想を変えるみたいなことをマニフェストに謳っていたが、変身する身振りの中でひとはきっと軽やかに、しなやかに解放されてゆくのだと思う。
ちなみに、その映画は「探偵クレア 白蘭の女」である。

ここのところ、毎晩”Iris”(Wim Mertens)や”20,000 Days on Earth”(ニック・ケイヴ)の終わり12分30秒あたりからのパートや、 ”Academic”(New Order) 、”初恋”(宇多田ヒカル)などを飽きずに聴いている。かなりのヘビーローテになっている。これに時折、”SHIKIBU”(レキシ)とかJóhann Jóhannssonの曲のどれかが加わったりもする。

今日は久しぶりにお天気であったので、妻を職場に送ってから直接公園に息抜きに行った(本を予め積んで)。
しかし何と施設が一切使えない。わたしは月曜日は閉まっていることは知っていたのだが、祭日の翌日も閉まることを今日知った。
やられた。
車から、重い本を3冊、飲み物とおやつも抱えて出て来たのだ。
で、屋根のある外のテーブルをとって、そこで読書を始めたのだが、折角良い空気を吸いに来たのに、近くの席で煙草をふかしているのだ。
確か公園全体が禁煙であるはずなのだが。
少し経ってから煙草は席をたって何処かに去ったのだが、暫く煙草の臭いは周囲に残存した。

良い陽が当たり気持ちよく本のページをめくりはじめると、今度はご老人集団がやってきて、近くで同じ話を10回くらい繰り返してするのだ。しかも耳の遠いひとのことも考えてか、やたらと大きな声ではっきりと話す。まるで「ツインピークス」のゴードン主任捜査官のデヴィッド・リンチみたいに話すのだ。これには参った。折角静かな所で読書をしようと来たのに。

それで仕方なく、隣の市民健康文化センターに行くと、テーブル椅子はゴロゴロ空いていた。ここで一休みして本でもと行きたいところなのだが、それが出来ない。何と長渕剛がガンガンに館内全体にかかっているではないか。一体どういうこと?!
公共施設である。税金を払っている誰もが平等に使えなくてはならないはず。
絵画と違い音はどうしても空間に響き渡りわれわれの耳に平等に入ってきてしまうもの。
当然、音に対する趣味は誰もが異なる。
こういう場では無音にすべきではないのか。
特定の音楽を聴きたければイヤフォンで自分独りで聴けばよい。
(これって、常識的マナーであろうに)。

雨上がりの草木の煌めく日であったが、どうやら読書は家でするしかないようだ。
帰りに女子大に付いているコンビニで美味しいチキンを買ってそこで食べながらちょとでも読書をと思ったら、何やらここで食べるなら10%課税で持ち帰るなら8%とか訳の分からぬ貼り紙がある。ともかくいつもここで学生が食べているのに今日は誰もいない。
これはまずそうだ。
クライムサスペンス映画みたいに?直ぐに店を出て、車の中で宇多田ヒカルを聴きながらチキンを食べて帰路に就いたものだ。
何だか、外に出ても全く落ち着かない、、、。

ほんとにもう。

Jóhann Jóhannsson002




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Wim Mertensを聴く

From Brussels With Love001

ジェルジ・リゲティやヘンリク・ミコワイ・グレツキ、スティーヴ・ライヒやテリー・ライリーからほぼ同時期にうまれたといわれるミニマルミュージックであるが、音楽評論家でもあったマイケル・ナイマンが概念として「ミニマル」を初めて提唱したらしい。

ミニマルミュージックを語るうえで忘れてはならない作曲家~ピアニストにベルギーのヴィム・メルテンがいる。
「ブリュッセルより愛をこめて」が1980年にベルギーのクレピュスキュールレーベルから生まれ、このなかではじめてヴィム・メルテンを知った。
このアルバムには、イアン・カーチスの死を悼むドゥルッティ・コラムの名曲「スリープ・ウィル・カム」やエリック・サティーのピアノ曲にジャンヌ・モローの語りの絡むトラックや彼女とブライアン・イーノのインタビューも収録されていてとても興味深いものであった。
マイケル・ナイマンやハロルド・バッドの如何にも彼ららしい曲や、トーマス・ドルビーの瑞々しく高揚感のある曲などどれをとっても美しいものばかり。そのなかでもっともわたしの興味を惹いたのがヴィム・メルテンのClose Coverであった。これもまたピアノのいたってシンプルな名曲である。
このアルバム以降、ヴィム・メルテンはわたしのヘビーローテーションとなった。

先ほどから”Maximizing The Audience”がずっと部屋を優しく深く充たしている。
漆黒の外は雨か、、、。

今日は娘たちを三種混合の予防接種に連れて行ったり、そのご褒美?にレストランにも行ったり、、、またいつものようにせわしない一日であった。
落ち着かない日々のルーチンの締めには、その干乾びた反復のすべてを清め煌めかせてくれる星々の創る静寂のような彼のミニマルミュージックしか思いが及ばない。
少なくともわたしにとって、、、。

一日を終える最後の大切な時間~音楽は。








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意識のとりとめもない流れ

yume.jpg

月に一回通院している。
高血圧症である。
今日、病院で測ると、120の70であった。
ここ2年間は、その辺に安定している。
以前、高かったために医者に掛かったのだが、薬で抑えられているにしても、どうなのだろう、、、
ずっとこのまま飲み続けた方がよいのだろうか?

飲むのをやめてまた上がるのも嫌だし、という気持ちだけで続けている。
恐らく薬のお陰で安定しているのだろうが、ずっと飲み続けるのはどうも感覚的に違和感が拭えない。
(飽きても来ている)。
風邪の時に飲む薬とは違うことは分かっているが。
傷が癒えれば薬は塗らないが、これは症状を抑える薬であり、本質的に体質を改善するものではないため、続けるしかないようなのだが、、、。


薬は未だに飲み間違えたりする。
朝飲んだかどうか、思い出せないこともあり、昼頃悩んだりもする(爆。
それぞれの残りの数が、貰って来たスタート時からすると、不揃いなのだ。
どこかで特定のタブレットを飲み損ねているに違いない。
ともかく、物忘れが酷い為、薬の管理には気を付けてはいるのだが。

どうもわたしは、管理というものが苦手なのだ。
Blu-rayの管理は完全に行き詰っているし、音楽CDもなかなか見つからない。
中にはケースだけのもある。何処かに持って行き、そこのデッキに挿したままで帰って来たのだ、きっと。

今日は更に検査も入れていたので、時間もかかり映画など観る暇もなかった。
おまけに最近やたらと眠い。
帰って2度も昼寝をした。秋だからか。
最近、昼寝をする時間が増えてきて、肝心の絵など描く余裕がないのだ。
(P.K.ディックの小説に、人が光合成を始めるようになり睡眠時間が次第に増えてゆく世界の話があったのを思い出す)。

別に余裕で描いている訳ではないが、家事と亀、多肉の世話と一番手の焼ける双子のお世話もある。
通院などあれば、ルーチンやイベントはかなり飛んでしまう。
でも絵の時間は何とかキープしたい。
そんな時に、一番カチンと来るのがセールス電話などである。
特に、インターネットプロバイダー替えの勧誘電話はやかましい。しょっちゅうくる。
そんなことは、こちらのペースでやることだ。

何と言うか、時間が上手く使えないことが、最も気持ちを苛立てるようだ。
何をしたから、とか何があったから、というハプニングが原因というより、、、。
また、時間が足りないという尺の問題でもなく、、、。
何が入ってこようが、ストレス処理~こころの安定が、血圧も落ち着かせるのだ、きっと。
出来ないことはそれでよし、としよう。
眠ることもよし、である。
ヨガの瞑想の側面も今後考えてゆきたい。

そしてやはり絵がもっともこころを落ち着かせる。
優先順位を決めてやるしかない。
余裕をもって。




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聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅

Der atmende Gott001

Der atmende Gott
2011年
ドイツ、インド

ヤン・シュミット=ガレ監督


わたしは、ヨガは全くやらない。それについての知識もない。


T・クリシュナマチャリアから始まる近代ヨガの流れを追うドキュメンタリー。
監督自らもヨガの実践者である。
その愛弟子であるK.パタビジョイスやB.K.S.アイアンガーそしてクリシュナマチャリアの三男から直接指導も受ける。
それぞれ思想や方法・実践スタイルが異なるところも面白い。
(アイアンガーは師に対して批判的であり、彼独自の体系を完成させて大きな影響力を及ぼしている)。
当時の貴重な映像や書籍(写真)も見られる。
そもそも近代ヨガというものが、王族の身体能力を高めるために導入されたという起源からして面白い。
様々なアーサナの練習風景ややり方なども詳しく見られる。
ヨガ実践者、愛好家にはたまらない内容だろう。

Der atmende Gott003

「身体」に悩まされ、それについて考えることも少なくないが、正しく呼吸し集中を得ているかが問題のようだ。
思想的に身体にアプローチするのではなく、アーサナ~形を取ること・形から働きかけることで身体をあるべき状態にもってゆく方法論と謂えようか。
マントラを唱えながら行うこともあるという。
(呼吸法との関係もあり)。
「眉間に集中」というのも何度もあった。
確かにその場所に彼らは印を入れている。三つ目の「目」の場所か。
色々な場面で集中力をとても強調していた。
日常的に体調~気持ちが乱れ優れないと、とても集中力は発揮できない。
そう、精神と直結したこころの状態にもってゆくには、まずはしっかり集中できないと。
集中できる状態に持って行くに当たり、アーサナと共に呼吸法は肝心となる。

監督が教えてもらう場面を観て気づいたことだが、ヨガのアーサナは、筋肉の力をいささかも要しないということだ。
力を使わずに、型~位置取りでアーサナを保持する。
これには、コツが要る。体の各部に渡る力の調整と微妙な位置・角度などの設定である。
まさにマスター、しっかり会得した指導者に個人的にみてもらわないと自分一人ではとてもできないことだろう。
実に細やかな体の各部分の力の配分や力の抜き方、それと同時に位置取りを正確にきめないと、辛くてその型を維持できない。しかし謂われた通りの位置取りと微細な力の配分が決まれば、大変楽にアーサナをキープ出来るということが見てとれる。
その一連のアーサナにもってゆく正しい動作を眺めているだけでも、非常に示唆に富んでおりヨガというものの奥深さが感じ取れた。身体構造とその力学関係の緻密な研究の上に成り立ったものだと思う。
「力を抜いて位置で支えなさい」これはわたしにとって重要な宿題となった。

Der atmende Gott002

ヨガは身体全体を無理なく、くまなく使い切る方法なのだ。
身体というのものは、普段の生活ではほとんどまともに使われていない。
(そもそも身体という観念がないがしろにされている)。
だから疲れる。
スポーツであっても多くの場合、体の一部が機械的に(不自然に)酷使されているだけなのだ。
そのため故障する。アンバランスなのだ。
「無理が無ければ呼吸が楽になる」というのも分かる。

「毎日、夕日を見なさい」これも効いた。アイアンガー氏が謂うので説得力があるのだが、これはやらねば。
わたしにとって一番無理なくできるし(笑。

Der atmende Gott004

意識がクリアになり気持ちが安らいで安定する。
これを現代人は薬やたばこ、アルコール、気晴らしで何とか胡麻化したりしている。
そして蓄積してゆく。考えてみれば、恐ろしい。

ヨガは以前はインドであっても、精神に支障をきたした人や変わった人のやるものと見られていたり、見世物の曲芸の一種と受け取られていたともいう。
確かにアーサナは大変難しいものが少なくない。
観た感じは曲芸風であるし、なかなかやろうとは思えないところはある。

しかし精神的に(根本的に)身体を自分のものにする(コントロールできるようにする)のなら、ヨガは確かに有効なものだろう。
身体というものを見つめなおす上でも、やはりヨガは無視できないものだ。

ピアノ曲が流れていて、妙に画像にもマッチしていて、心地よかったのだが、シラブジのピアノ曲でコルサコフをアレンジしたものだという。とてもお洒落に感じた。





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VHSテープを巻き戻せ!

REWIND THIS!001

REWIND THIS!
2014年
アメリカ

ジョシュ・ジョンソン監督

最近、観るものがドキュメンタリーに偏っている。
演じモノがとても胃に重く感じられるのだ。
所謂ドラマでも、淡々として流れるものがよい。

ここのところ、毎日欠かさず、「ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース」を観ている。
たまらない魅力。どうしても観たく、いや聴きたくなるのだ。


さて本作は、ひたすらオタクにインタビューする類のもので、観ながら脱力しつつニンマリしてしまったりする。
出てくる人が皆、拘りのコレクターばかりなところもちょっと嬉しい。
わたしも自分のマンションから今の実家に戻る際に、かなりの本数を処分してきたが、それでも2000本は残っている。
セルビデオは当時一本10000円位が相場であったし、そう簡単に捨てられない。
買うときはいつも胸をときめかせていたし、今でもケイトブッシュのシングルビデオクリップ集など煌めくアイテムである。
多少の画質がどうしたというのだ。画面に筋が入ると流石に落ち込むが、気にしてはいられない。
とは言え、セルゲイ・パラジャーノフの「ざくろの色」などの画質は相当キビシイものになっていた。
何が映っているのか判然としない部分もあって、この映画の最大の売りでもある鮮やかな色調もいまひとつのコントラストでうやむやであった。パラジャーノフものは、3つVHSでもっているが、どれもDVDにはなっている。場合によっては買う方向で考えるかも知れない。
だが、VHSのまま放置されたコンテンツも多いと聞く。それらに詳しい彼らマニアには、そのVHSは死んでも手放せない価値である。
それ、よく分かる。

REWIND THIS!002

VHSビデオデッキを残しておく理由は確かに在る。
わたしは、引っ越してきて2台場所の関係もあり捨てたが、頼みのメインデッキが作動しなくなり、修理に出したがすぐにソフトを呑み込んだまま動かなくなってしまったため、また2台中古で購入する羽目になった。何やってんだかである。
当時、TV録画した貴重なコンテンツも多い。もうとっくの昔に亡くなった人のビデオも少なくない。今後どんどんそうしたものは増えてゆくことになる。これらは死守しなければならない。滲んだ画像には何やら霊的な尊厳も加わって有難く見えてしまう。
想い出の自然と重なる絵は鮮明であれば良いというものではないことを感じた。
パソコンのストリーミング画面でしか映像を見たことのないうちの小5の娘たちとはまず、この感覚は共有不可であろう。
(彼女らには、メディアの記録媒体もデータそのものも手元にはないのだ。全てがクラウド管理という中央集権には、恐らく収集マニアは、馴染まないのではないか。彼らは少なからずアナキストで、徹底した個人主義者であることが多い)。

映画ではホームビデオ文化についての解説というかメディア論的授業の教材めいた部分が多い。
この時代をリアルタイムに生きたわたしにとっては自明でありわざわざ聞くことでもないが、知らぬ世代にとっては今現在のメディア環境がここから発展したということが学習できるはず。ただ、VHSデープやデッキ自体を手で触って操作もしてみないと正確には認識できないだろう。勿論、巻き戻しを体験するのは当然のこと。

REWIND THIS!004

ホームビデオ以前と以後は、映像文化にとり別世界とも謂える。
VHSとベータは日本の技術である。
それが世界の大変革を齎した。
どの世帯にもビデオデッキがTVの近くに据え置かれ、まずTV番組が放送時間から解放される。
そのため、番組表に支配されずに時間を自由に使うことが出来るようになった。
好きな番組は何度でも見ることが出来るだけでなく、ディテールをポーズしたり巻き戻したり、スロー再生して確認も可能であった。これは映画のVFXを素人の目で解析するにも役立った。
そこからビデオカメラで手軽に映像を取り込み、ビデオデッキで編集してお手軽インディペンデント映画を作ることに熱中する人もたくさん出てきた(映像と言うものに対して、人はとても主体的に低予算でアウトプットが可能になった革命である)。これと同時に、大手映画会社もそのビデオ販売権利を新たに生まれたビデオコンテンツ会社に売るにとどまらず、自らも映画のビデオコンテンツ部門を作り積極的に映画コンテンツの販売、レンタルを開始する。個人経営のビデオレンタルの店が次々に立ち上がり大変な儲けを手にすることとなる。これまでは番組~シリーズ終了でそれまでであったものが、パッケージされてその後に売り出されることになった(この件を押井守が感慨深げに語っていた)。
更に、ヒトは何も大掛かりな映画をソフト化するばかりが能ではないことに気づく。
最初から低予算でシリーズ量産可能なビデオ映画を手軽に作ればよいではないかというプロが出てくる。
これが日本でいえば「Vシネマ」と呼ばれるコンテンツである。
Vシネマに特化する俳優も生まれてきた。

海外VHSマニアたちが熱く語っていたが、Blu-rayなんぞ短命に終わるだろう。
またVHSが盛り返すのだ、と。
何故なら、まだ多くの人の知らないコンテンツがVHSの中にだけ眠っているのだから。
もしテープの劣化、散逸などでこれらが失われれば、その貴重なコンテンツには二度と触れることはできない。
彼らは今現在もレアコンテンツ収集に奔走し、管理保存に心血を注いでいる。
そう、わたしも頭を痛めているのは、管理~整理である。
こういう収集物の管理・整理術が肝心になってくる。
「VHSテープを巻き戻せ!」であるが、これは管理上、鉄則である。こうしないとテープが痛むのだ。
(VHSメディアを知らない世代は覚えておいて欲しい)。

REWIND THIS!003

まさかこれからVHSが流行ることはあるまいが、貴重なコンテンツが消滅することはなんとかしてもらいたいものだ。
わたしも自分の持っている資源は捨てないことを心掛けたい。
(猛烈な圧力が掛かるが。わたしの場合、鉄人28号フィギュアやLPレコードその他、色々あるので)。







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CRASS:ゼア・イズ・ノー・オーソリティ・バット・ユアセルフ

THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF001

CRASS:THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF
2006年

アレクサンダー・ウーイ監督

ペニー・ランボー、、、リーダー、ドラム
スティーヴ・イグノラント、、、ヴォーカル、作詞
イヴ・リバティーン、、、ヴォーカル
ジー・ヴァウチャー、、、アートワーク、撮影
ギタリスト、ベーシストは昔のライブビデオで出ていたが、、、


クラスの名前は知っていたが、わたしはパンクにそれ程傾倒しなかったため、そのサウンド(メッセージ)には触れずじまいであった。
バンドの存続期間は、1977年から1984年までである。パンクバンドとしてみれば長いが、多くのパンクとは違い筋金入りである。
このドキュメンタリーを観て、当時から彼らを知っていたなら、かなり救われた部分があったはず。
ホントにそう思った。
パンクは直ぐにひとつのファッションへと絡めとられてしまっていたから、このように最後まで抵抗し続けた骨太の精神があったことを見過ごしていた。

THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF002

アナーコ・パンク・バンド~アナキストである。
社会の枠組みから離れて生きることは可能であるとペニー・ランボーは主張する。
「世界の中にありながら世界に属さない」吉福伸逸の言葉を思い起こす。
特に極めつけは、キリスト教批判であろう。
(パンクでよくあったのは格差社会批判どまりであったが)。

ダイヤルハウスというかなり広い庭付きの家で自給自足の共同生活を送る。
どんな思想の人間も分け隔てなく受け容れる。そこはルールは一切なく、相手を思いやる行動の自発性のみで成り立つ。
そもそも、ペニー・ランボーは上流階級の出であるが、スティーヴ・イグノラントは労働者階級である。
イギリスに根深くある関係性をまず解体し、互いを解放した。
スティーヴ・イグノラントは、これまでの人生で自分がこれほど尊重された経験はないと述べている。
(彼はその影響で文学に深くのめり込んで行くが、両親は揃ってそんな馬鹿な真似はよせと言い続けたそうだ。彼はそれを直ぐに歌詞にして痛烈にうたっている)。
彼はお互いに尊敬の念で結ばれている同等の関係だと今現在も誇りにしているという。
この出逢いからCRASSという理念が始まったのだ。
社会独特の排他性の対極の実践。
自由に出入りでき、自由に誰とでも対等に語り合える。
宿泊・食事代など一切請求せず、自分のことを語るのが代償。
畑(肥料含む)仕事にも余念がない。
(環境保護やフェミニズムにも深く関与する)。

ライブで大金が入ってもすぐになくなる。
創作費用の他は食費とガソリン代以外、全て寄付してきて手元にはいつも何も残らない。
レコーディングもレーベル運営全て自分たちで行う。アルバムデザイン・ロゴ・撮影まで。
DIY精神に貫かれたバンド(過激な歌詞の為、どこも仕事を引き受けてくれなかったことが発端)。
余計な金は貯めない。
生活を豊かにするのではなく人生を豊かにすることが目的。
理念はブレない、、、。

THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF003

流石に歌詞は優れている。同時期のパンクバンドよりことばが絞り込まれていてストレートに響く。
妙な曖昧さがない。彼らに曖昧さがない為だ。
イヴ・リバティーンのヴォーカルはまた呪術性を感じるもので、このバンドのサウンドを重厚にしている。
政治的な直接行動は歌詞に劣らずかなり刺激的でお茶目なメディア戦術もとっていたが、、、
フォークランド紛争において、レーガン大統領とサッチャー首相の演説を、会話形式に繋ぎ合わせまことしやかな形で巷に拡散させた件は、もうその道のプロである。まだ、携帯とかSNSなどない時代である。KGBが作ったテープだと噂され、危険な輩だと警戒されたうえに、何と本家KGBからスカウトも来たという。逆に危ないではないか。当人たちはそこまで本気に受け取られるとは想定していなかったようだが。

更に街での政治活動も建物に直接ペンキなどを使うことはせず、ポスターにメッセージを書いていったそうだ。
戦争を行うのではなく、戦争と戦え、、、ポスターの書き換えというのも鋭いメディア戦術だ。
しかも過激ななかに分別を持って行動をしている。

ジー・ヴァウチャーのアートワークは、相当なレベルのものだ。
つまりそんじょそこらのパンクとは一線を画する芸術性ももってしまっていた。
ロゴマークについては、ペニー・ランボーも大絶賛である。
確かに洗練されていて無駄がない。
彼らが確固たる思想と行動理念を持っていたことが形に現れている。

THERE IS NO AUTHORITY BUT YOURSELF004

ダイヤルハウスの敷地が大企業に狙われるが、死守している。
このような貴重な場を失いたくない。

しかし影響力が非常に大きくなり偶像化されることで、人々に依存されるようになってきた。
自分たちは人々の解放を狙って活動を起こしてきたのに、われわれを指針として生きようとする人が出てきた。
いつしか、望まれる偶像として役を演じる自分に気づき、活動から身を引く流れとなった。
そう、当事者が自分が自分でなくなるのだ。
これは実に怖いことであり、そう言うものだと思う。
こういう人々を根底から揺るがす強烈なメッセージを放つアーティストは、長く誠実に活動をすることはとても難しい。

最近、またCRASSのグッズが大企業から彼らに何のことわりもなく販売され売れまくっているらしい。
スティーヴ・イグノラントが怒っていた。
ベッカムが俺たちのロゴの入ったTシャツを着てやがる。
大企業は何でも金にしてしまう。
商品として絡めとって行く。
(かつてパンクはことごとくそれにやられた)。


難しい問題である。






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エスケープ フロムL.A.

Escape From LA001

Escape From L.A.
1996年
アメリカ


ジョン・カーペンター監督・脚本
デブラ・ヒル、カート・ラッセル脚本

カート・ラッセル 、、、スネーク・プリスキン
ステイシー・キーチ 、、、マロイ
スティーヴ・ブシェミ 、、、エディ
ピーター・フォンダ 、、、パイプライン
ジョージ・コラフェイス 、、、クレボ・ジョーンズ
ブルース・キャンベル 、、、ビバリーヒルズの外科医
ヴァレリア・ゴリノ 、、、タスリマ
パム・グリア 、、、ハーシー
A・J・ランガー 、、、ユートピア(大統領の娘)
クリフ・ロバートソン 、、、大統領


BS録画で観た。ジョン・カーペンターだから観てみようかという乗りである。

「ニューヨーク1997」(姉妹作)は観たような気もするが、これと言った印象がない。
だが、本作を見たら物凄い既視感があったので、どこかで観ている気はする(怪しいが)。
内容的には、至って単純。主人公は撃たれない(雨霰状態でも弾が当たらない)。
だが、噺の展開は伏線も含めよく出来ている。最後には成程、と唸った(笑。
VFXも単にリアルにではなく、独特の禍々しいキッチュ感もあり、アメコミ風な質感で統一していた。
絵はかなり凝っていたと謂える。
上質なエンターテイメント作品には違いない。

2013年の近未来と来た。もうとっくに追い越しているが、「2001スペースオデッセイ」はいまだに輝かしい作品として価値は色褪せない。2013をどう描き出しているかだ。
何だか知らぬが島と化したロサンゼルス島は、所謂政治犯を収容するそれ自体が監獄のような場となっていた。
それに対するアメリカは飛んでもない規制の敷かれた人権も何もない警察国家みたいなものとなっている。
つまり、それだけ見れば絶対ロサンゼルス島の方が住みよいはずなのだが、こっちも何やらマフィアの巣窟みたいになってしまっている。形だけは、チェ・ゲバラみたいな風貌のボスが革命と解放を叫んでいるが、やっていることはマフィアよりも酷い。配下の者~奴隷か?に殺し合いをさせてみんなで喜んでいるなどいつの時代だ。ただのテロリストか。
アメリカ大統領も空爆で皆殺しだとか、自分の娘(名前がユートピア)を電気椅子で処刑だとか、もう尋常ではない狂態を呈しているし。
どこから見てもどちらも酷い。

Escape From LA004

タスリマがこのロサンゼルスを、ここも捨てたもんじゃない、向こうは監獄だけどここには自由があって気に入ってるわ。とスネークに語った瞬間、韓国マフィアに突然狙撃されて死んでしまう。ここだけ妙にハードボイルドであったが、まさに象徴的であった。
法でがんじがらめにして統制されては生が抑圧され干乾びてしまうが、自己中心的な自由が行くところまで行ってしまえば、こんなことも充分起こり得るのだ。
どちらも暴力の支配である。

しかし荒唐無稽で盲目的な暴力を地で行く国が実際あるのだから、この映画の世界ばかりが突飛なわけではない。
陰惨で殺伐としてどこかコミカルですらあるB級映画感がそのままの国や地域が存在するというのが凄いものだ。
実際、彼ら本物のギャングたちは、ハリウッド映画を観て殺し方とかファッション、立ち振る舞いなどを真似ているのだ。
映画の世界と現実は接続し混じり合って行く。
この2013も実際のどこかの場所とパラレルに存在していてもおかしくない。

Escape From LA003

SF的ガジェットや兵器もちょっと面白いものである。
人工衛星から特定の場所の全てのエネルギーを無効化させるシステムなどなかなかのものだ。
ユーモラスでコミカルなところも少なくない。
アメリカ政府にゲバラ似のボスが犯行声明をTV放送している画面の端で、捕らえられたスネークがウォーキングマシンでせっせと歩かされているのって、この映画、何を意図しているのかよく分からなくなる。
一番極めつけなのは、パイプラインと足を怪我しているはずのスネークがビルの谷間から激しい大波に乗ってサーフィンを始めると丁度そこにオープンカーで逃げてきたエディの脇に並んで進み、ボードから車に飛び移るところなど何なんだ、である。とっても面白いシーンであった。
スネークがアメリカ政府の手先として動かざるを得ない形にされた神経破壊ウイルスも、実際にあっても不思議に思えぬが、ここでは単なる風邪ウイルスであったというのも、コミカルなオチというのもほどがある。あれだけニヒルなスーパーヒーローで、しょっちゅう残り時間をタイマーで確認しながら任務を遂行していたのにで、ある。
そう絵にかいたようなヒーローであったが、バスケ、サーフィン、ハングライダー、ジョーズ風の潜水艇、ユニバーサルスタジオも海中に沈んでいたし、ロスだなーというところもしっかり魅せる。ハングライダーでの奇襲には笑えたが。

Escape From LA002

サービス精神で映画を作るとこうなるという見本みたいな映画か。
やはりこういう映画もたまに見たくなるものだ。

最後の締めがカッコよかった。結局スネークは政府から提供されたガジェットを実に上手く使いこなしたわけである。
ホログラフで最初の頃は散々やられてきたが、最後に決定的にホログラムでやり返し打ち負かすところは、こちらの胸がすくところだ。
しかし世界中のエネルギーを無効化してしまい、人類は生き残れるのか、はなはだ疑問ではある。
国で禁じられているたばこを拾い武器と一緒に渡されたマッチをすって美味そうにくゆらせている満足げな表情を見ると、これはハッピーエンドなのかと思う。







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ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース

20,000 Days on Earth004

20,000 Days on Earth
イギリス
2015年

イアン・フォーサイス, ジェーン・ポラード監督
イアン・フォーサイス, ジェーン・ポラード、ニック・ケイヴ脚本

ニック・ケイヴ
ウォーレン・エリス
カイリー・ミノーグ
ブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)
ザ・バッド・シーズ


ニック・ケイヴは、20世紀の終わりに人間であることをやめた。
わたしもやめた。
ちょうどいい。
彼の場合は、曲~ロックによって現実とも幻想とも呼べない狭間を生きる存在となること、であるか。
その曲は飼いならされたところで死ぬ。
”Ghosteen”近作のそれは美しいこと、、、。瑞々しく開かれた静寂に優しく包み込まれる、、、。

荒涼とした風景や機材ばかりではない調度の趣味の良い室内が妙に美しい。
絵も流れも実に綺麗に撮られている(白日夢的)ドキュメンタリー。
わたしは特にニック・ケイヴをよく聴いたわけでもファンでもないが、気になる存在としてはずっとあった。
彼の影響を受けた(わたしの気になる)ミュージシャンは多い(いまや伝説のアーティストの域か)。

20,000 Days on Earth001

このなかから、特に(妙に)気になった部分をあげておきたい。

失って一番恐ろしいことは、「記憶」だという。
確かに。
そしてその記憶の編集が作品の源となろう。
記録保管所って何だ。

彼にとって「ロリータ」第1章を読んでくれた父の記憶~存在がとても大きいことが分かった。
父とは、物言わぬ目撃者。彼の精神において父の想いは決定的な部分を占める。
そっとライブを見に来ていて、「お前は天使のようだった」とボソッと語ったという、、、恐らく今の彼を創った言葉か。
ことばとは、そういうものだ。そして彼はことさら、ことばに拘る。当然だ。当然のことだ。

20,000 Days on Earth003

自分の世界を離れる時、現実に戸惑う。
この感覚物凄く分かる。
わたしの場合、恐怖と不安にも苛まれる。

曲作りでは対位法が何より肝心であると。
和声より対位法というのは納得。

ノリが良く冗談も言うが後で後悔するところが良い。
気分が削がれちまった、とかいって。

ウォーレン・エリスが鰻と海藻のサラダ?を作ってニックに御馳走として出したが、彼はこっちに置くよと脇に置いたきりで芸術論などをずっと交わしていたが、あれは結局、食べたのか?旨いのかどうか気になった。

彼の運転する車の中での盟友との対話のシーンが幻想的で素敵だ。
かなり突っ込んだ話である。
実際は、彼の脳裏でのダイアローグなのだろう。とても感慨深い噺を噛みしめていた。
カイリー・ミノーグだけ助手席ではなく、後部座席に座って話していた。カイリーの話は内容的には砕けていたのだが。
(物凄く紳士的な人なのか)。

20,000 Days on Earth002

ニーナ・シモンのライブとは、どれほどのものだったのか興味が湧く。
ニック・ケイヴが何度も繰り返して友に話すくらいのステージだ。
要チェックである。

終わり13分前くらいからが、すこぶるカッコよい。
圧倒的に痺れる。メッセージ性も極めて強く、メモを取りたくなった。
こんなかたちで絞めてくるとは、にくい。
これはルー・リード並みのライブではないか、、、。
そうニック・ケイヴは、詩人としてルー・リードにとても近く感じる。

観終わってみると、とても精緻に練られた(編集された)ドキュメンタリー形式のニック・ケイヴ脳内映像のように思えてきた。
創造的で気品のある作品であった。



ベルリン・天使の詩」で(ザ・バッド・シーズと共に)本人役でライブをやっていたが、これもまた観たくなった。




これは字幕版の方が良い。


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聖者たちの食卓

Himself He Cooks006

Himself He Cooks
ベルギー
2012年

バレリー・バートー、フィリップ・ウィチュス監督、脚本、製作、撮影


シク教総本山にあたるハリマンディル・サーヒブでの毎日10万人を対象とする無償の炊き出しの光景~ドキュメンタリー。
無私の奉仕活動を続けるシク教徒の調理、給仕、食事後の片づけ、皿洗いの様子がダイナミックに描写される。
準備に入る際の堆く積まれた食材の入ったドラム缶や薪やコンロや大きな鉄板や人がスッポリ入るくらいの鍋(実際、洗うときには人が入っていた)に圧倒される。
時折映し出されるシュールな水面の表情が美しい。

Himself He Cooks003

ナレーションも音楽も無く、ただひたすら巨大な鍋で豆カレーを作り、鉄板でナンを焼き、軽業みたいにひっくり返す。
ズラッと並んで座る老若男女の銀色の皿に、それは美味しそうなカレーとナンをシク教徒がポンポンと配って行く。
それからカップに水もたっぷりこぼしながら注ぐ。
めいめいに好き勝手に食べ、お代わりも要求できる(しかし残してはならない。当然だ!)。
男が一枚だけでは足りないらしくもう一枚要求するが、気前よく2枚渡す。
ナンの焼き方も本場ならではの手際の良さ。そりゃ、10万食である。ドンドン量産しなければ追いつかない。
最後のクレジットを見て驚くが、これが500年も続いているそうだ。
圧巻。というか眩暈がする。

Himself He Cooks005

沢山の人々が黙々とインド料理をお腹いっぱい食べている光景には見ていて恍惚となる。
そして見ているうちに、自然とこちらもカレーが食べたくなる。
間違っても、カレーライスではない。ナンにカレーをつけて食べるのだ。これを見たならナンしかない!
子供が三種類のカレーをナンに同時につけて美味しそうにほおばっていた。これなのだ。
これをやる。今夜。

Himself He Cooks002

誰が誰の隣に座ろうと、これも勝手なようだ。
カースト制度など、ここで考える問題ではないらしい。
主に巡礼者や旅行者に対する食事の無償提供事業であるため、宗教、人種、性別、年齢、階級、職業は全く問わないという。
(基本的に、食事の施しを受ける場であるから、自ずと来る階層は決まってくるだろうが)。
それから仕来りであるが、この黄金寺院~ハリマンディル・サーヒブに入るときには、手を洗い、靴を預け、足を清めることになっている。国では誰もが知っているルールなので滞りなく進んでいるが、それを知らない外国人にも立て札に英語表記があって安心した。
面白いのは、預かった靴をこれまたボランティアで磨いてくれていた。
至り尽くせりではないか。

Himself He Cooks004

フィリップ・ウィチュスは料理人であり料理評論家としても有名とのこと。
調理風景を撮らせればそりゃ上手いはず。

こういう奉仕活動を続けているのは、ここしかないという。


ここに行って一度、彼らの中に並んで座り、カレーを食べてみたい。
そんな気にもさせる映像。

これって、ベルギー映画なの?!
もう一度見てみたくなる映画だ。






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残穢

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2016年

中村義洋 監督
鈴木謙一 脚本
小野不由美 『残穢』原作

竹内結子、、、私(作家)
橋本愛、、、久保さん(建築デザイナー学生)
滝藤賢一、、、直人(「私」の夫、作家)
佐々木蔵之介、、、平岡芳明(怪奇作家)
坂口健太郎、、、三澤徹夫(心霊マニア)
山下容莉枝、、、田村さん(「私」担当の編集者)


小野不由美は好きな作家だ。この本は未読だが、読み応えのある作家であり、機会があればこれも読んでみたい。
確かに「残穢」だ。
とても精緻に描かれてゆき、よく出来た御話だと思って見ていたのだが、最後の最後の締めがどうなのか、、、
周辺的な関係者からまた徐々に災い(呪い)が主人公らに迫って行く兆しを見せて終わりか、、、。原作は実際どうなのか。
このエンディングがちょっと即物的で中途半端感が強い(今一つはっきりしないのだ)。

マンションの一室で畳を掃くような音が聞こえる、というところから、既に何処かで聴いていた話や自分が読者から寄せられた体験談をもとに書いた話などが次々にひとつの場所に繋がってゆき悲惨で禍々しい出来事の本質が掘り起こされてゆく展開は見事であった。
しかもそれは明かされることで解決をみるといったものではなく、穢れは浄化されたりはせず、その絶対的な重みは残存し続けそれに無暗に触れてしまった者に災いを齎す。何一つ事態は変わっていない。
ただ、把握しきれない広がりと深みをもつ穢れの全容に迫れるところまで迫りそれを総括する構造図を描きかけたところで、それを完成させる意味~意義を主人公たちは失い、これまでの生活に戻って行くというところなど説得力を感じる。
「自分が一体何を追い求めていたのか分からなくなりました」という久保さんの言うことは、そこまで観てきたこちらにも共感できる。
(但し終わり方がどうも落ち着かない。続編が用意されているというならそれもよいが、、、そこまでのイメージともそぐわないし)。
これまでに見たホラーの中では出色の出来に思える。
原作がかなりのものなのだ。

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やたらと出しゃばって情報提供してくる平岡芳明の謂うように、それについて見たり語ったり聴いたりすることですでに呪われるというのなら、もう主人公たちの運命は決まっているも同じであろう。
どんなところでも生存出来る逞しさとは、あの久保さんの住んでいたアパートの主婦たちのような人種以外にいまい。

何かを感知してしまった人はそこを逃げてゆくしかないが、それに気づいてしまっていることで、それは憑いているのだ。
知るとは本来そういうものであろう。
そして謎の自殺や心中や事故によって死ぬ。
主人公たちが地道に調べてゆく過程で、陰惨な出来事は悲惨な死亡事故などに必ず帰結していた。資料に出くわすたびにそれを齎した穢れに慄くことになる。
(その資料の古新聞や写真、掛軸や過去帳なども上手く活かされている)。
穢れの深みと広がりは際限のない様相を呈して行く。

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このまま広がり続け、繋がりからその起源を見出した者まで、殺してしまうのかどうか、、、。
それでは、自分たちが永久に浮かばれまい。
だがそうしたベクトルを有するもの~場なのかどうか、そこが判然としない(わたしには)。
やはり続編を観たいものだ。
(というより原作はどうなっているのか。ちょっと気になる)。


キャストは良かった。
力任せの演出でびっくりさせることしかないホラーとは根本的に違う怖さを魅せる良作であった。






オマールの壁

Omar003.png

Omar
2013年

ハニ・アブ・アサド監督・脚本・製作


アダム・バクリ、、、オマール(パン屋)
サメール・ビシャラット、、、アムジャド(オマールの幼馴染)
ワリード・ズエイター、、、ラミ(イスラエル捜査官)
リーム・リューバニ、、、ナディア(タレクの妹、学生、オマールの恋人)
エヤド・ホーラーニ、、、タレク(オマールの幼馴染)


ハニ・アブ・アサド監督の「パラダイス・ナウ」の次の作品だ。
テーマ性は同一面にあるが、切る角度が異なり、サイードの父の立場を鮮烈に描写するもの。
何と言うか扱うテーマは変わらぬのだが、映画としてのエンターテイメント性が飛躍した感がある。
ハリウッドでも意識したか。
上手い、という感じの映画に仕上がっている。
内容にも関わらず、とても面白く観てしまった。

パレスチナ自治区の様子が少しばかり窺えた。
オマールがしょっちゅう軽々と登り降りしていた巨大な高い壁であるが、あれは自治区の外縁として聳えているわけではないらしく、自治区の中をイスラエルが何らかの政治的な意図で区切っている壁のようだ。
壁の向うに降りてもお仲間が住んでいる。実際オマールは、お隣の家に行くような感じで壁を(実際、命がけで)乗り越え、幼馴染と恋人に逢いに行くのだ。よく登っている最中に秘密警察に撃たれないものだと、はらはらするが。

まさに「オマールの壁」だ。
彼専用の彼だけの濃い意味のある壁だ。
(橋であろうと、坂道だろうと、空き地であろうと、月であってもそれぞれ人によって特有の価値をもつ)。

彼は高所での身のこなしがとても軽い。運動神経のよいパン作りの技ももった真面目な好青年である。
そこを降りると仲間と襲撃に備えて狙撃訓練をし、タレクの妹ナディアと手紙を交わし愛を育む。
ワクワクするひとつの親和的な共同体に憩う事が出来る。
だが、勿論その時間に留まり続けることは出来ない。
ほんの束の間の猶予期間のようなものに過ぎないことは承知の上だ。
誰もがそれを心得ている。
彼など、ここに生まれなければ明るい将来が約束されていたであろう青年だ。
(何処に生まれる、どういう親の元に育てられる、これが大変大きな意味を持ち、人の運命を決定することは避けられない)。

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ここには前提がある。
抵抗と解放の為、命を賭して闘うこと。
占領とは死に等しい。
生まれた時から宿命を背負う。
そして極めて危うい疑心暗鬼の世界で生き延びてゆかなければならない。
面倒を見てやっている幼馴染アムジャドが「サルの捕まえ方」の話をし始めた時に、待ち伏せのカフェが秘密警察に急襲され、オマールは捕らえられ、しかも彼は一発も撃ち返さなかったと仲間組織の人間に広められている。この裏切りの濡れ衣を着せたのは誰か。その場に一緒にいた男以外にいまい。

そして彼に最悪の魔の手が忍び寄る。
イスラエルの捜査官ラミにまさに嵌められる。
秘密警察に連行され拷問を受けても自白はしなかったが、ナディアの命を盾に脅されたら従うしかない。
しかし何故これほど彼のこと、仲間の情報の詳細を捜査官とは言え押さえているのか。
すでに彼の仲間のうちの誰かが密告者であるのだ。
オマールは中途半端な立場を保ちつつ上手く切り抜けながら密告者をあげようとするが、彼自身が裏切者扱いをされ、命の危険に脅かされる。二度も秘密警察に捕らえられ拷問で痛めつけられる。
しかし、彼としてはナディアを守ることが至上命令となってゆく。
だがラミはそこにこそ目をつけ彼を釈放し操ろうとする。
情報操作術では彼の方が数枚上手なのだ(情報操作に巧みな者が闘いを有利に運ぶのは言うまでもない)。
それに加え、彼らはテクノロジーも駆使する(絶対に外せない通信機など)。

Omar001.jpg

結局、オマールは親友や恋人との関係をズタズタにされる。
ラミの流したナディアとアムジャドとの間に子供が出来たという嘘を巧みに信じさせることで、タレクは死に自分は最愛の恋人を諦め貯めた金を全てアムジャド~裏切者に渡して身を引き、何よりナディアを裏切ることとなってしまった(ナディアは疑いはしたがオマールを愛し続けていた)。
ラミは再びオマールに目を付けたパレスチア過激派組織を潰すために情報提供を彼に催促してくる。
銃をくれれば、自分の問題を片付けそれに協力すると彼を呼び出し、「サルの捕まえ方を知っているか」と声をかけ試し撃ちをする為に手渡された銃で復讐を遂げる。と同時に無音のエンドロールへ。


奸計に嵌められどうにもならないというようなことは、日常においてもある。
わたしも、何故だか知らぬがそうした事態に陥っていた(絡めとられていた)経験がある。
如何なる悪意がどのように介在・作用したのか、未だに真相を突き止めようなどと思っていない為、有耶無耶なままだが。
(実際のところ犯人の当たりは付けてはいるが、、、取り敢えずは昔のことだ)。
情報を操作してターゲットを追い込もうという輩は何処にでもいる。パレスチナではそれが生死に直結してしまうが。






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パラダイス・ナウ

Paradise Now

Paradise Now
フランス、ドイツ、オランダ、パレスチナ
2007年

ハニ・アブ・アサド監督・脚本
ベロ・ベイアー製作・脚本
アントワーヌ・エベルレ撮影

カイス・ナシェフ 、、、サイード
アリ・スリマン 、、、ハーレド
ルブナ・アザバル 、、、スーハ
アメル・レヘル 、、、ジャマール
ヒアム・アッバス 、、、サイードの母
アシュラフ・バルフム 、、、アブ・カレム


ハニ・アブ・アサドはパレスチナ人で製作者にはイスラエル人もいるということが救いか。
この終わりなき闘いが別の形をとる可能性のひとつが窺える。

イスラエルに自爆攻撃で一矢報いるパレスチナの若者二人を追う。
この立場に置かれた者の、彼らの内面が余りにリアルに緊迫した映像。
サイードやハーレドは希望のない不遇の日々を送る幼馴染の青年だ。
そこに、海外で教育を受けた地元で英雄と称えられる父をもつ上流階級の娘スーハが絡む。

ジャマールのような組織交渉人や幹部のアブ・カレムが言葉巧みにサイードやハーレドのような青年を乗せてゆく。
彼らは日々の生活環境の中で自然に洗脳されているのだろう。そこへ組織が付け込み自爆攻撃の駒に彼らを手際よく仕立てあげてしまう。
テルアビブの自爆攻撃の実行者に選ばれたことを名誉に思い、おれたちは直ぐに英雄になれる。天国が待っている。とは言ってみるが、、、

いくら自分の置かれた現実が過酷で無残なものであるにせよ、、、。
イスラエルの仕打ちがどれだけ酷く、武力では圧倒的に不利とは言え、、、。
そして同輩たちが組織の使命を受けて殉教者として潔く死んでゆくのを見て来たとしても、、、。
神の思し召しなら、、、次は俺たちの番だ、と颯爽と出掛けてはみたが、僅かな手違い、アクシデントが全てを軋ませる。

ここにスーハの双方を相対化する視座が加わる。
暴力に対する暴力ではなく、別な形の解決法の可能性を示唆する。
最後は「死ねば天国に行ける」「そんなものは頭の中にしかない」「占領されて生きるより、頭の中の天国の方がマシだ」
ここまで追い詰められているのか。
しかし自分の死がこの関係を終わらせることに繋がるのか?
殉教ではなくこれが単なる復讐に過ぎないのなら、この連鎖は止むことがないだろう。
自分のしようとしていることが正当化出来なくなって迷い始める。

死を目前にして、殉教者としての声明文(お仕着せの定型文)を切々と読み上げている彼らに対しての幹部たちの当事者意識の微塵もない自堕落な態度。
結局、彼らのビデオ~尊厳などどうでもよく、2人はただの捨て駒に過ぎないことが、彼ら自身にも分って来る。
しかも街では殉教者(自爆兵士)と密告者として処刑される者のビデオを高値で売買してる業者もいる。
ここは、一体どうなっているのか。
サイードは大いに迷う。一方何の疑問もなくパレスチナのパラダイムに浸ってきたハーレドの方が、サイードの迷いとスーハの理論に揺り動かされ、自爆戦士を降りることに決め、サイードと共に家に戻ろうとする。

だが、サイードの内面はもっと複雑であった。
彼の父は善良だったが、弱さから密告者として処刑されてしまった。
その屈辱は払拭出来るものではなかったのだろう。
結局占領は死と同じ。であれば、何らかの衝撃を相手に与えて死ぬ意味はあるというものか。
しかし相手はそれをどう受け取るか。やはり復讐は復讐しか生むまい。
サイードが自ら謂うように「加害者が被害者を名乗る」相対的な関係でしかないのだ。
だから終わらない。

そして、こんな関係の外で極普通に生きている人間たちがいるのだ。
外にはそうした人間が。スーハの見て来た世界を彼も実感する。
そこで、ハーレドのように戻ることを彼はしなかった。

もはや相手に対する憎しみや恨みではなく、この宿命に対する復讐に向ったのだ。
サイードの自らの現実に対する絶望が全てに勝ってしまったのかも知れない。
サイードは最初の意識とは異なる次元で実行する。




世界は何故これほどまでの苦痛と悲しみにに充ち充ちているのか、、、。







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多肉植物の大移動

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外の棚で野放図に暴れ放題延び拡がった大量の多肉植物を一日で剪定?して室内に運び入れた。
未曾有の台風のせいである。
これは、想像以上に大変な作業(準備)だった。


鉢から1メートルもはみ出て好き勝手にアクロバティックな運動をしているところは、やんちゃな亀と何ら変わらない。
うちは、娘も含め、みんな一緒ではないか、、、。
それでわたしがこんなに疲れるのだ。そうなんだ?

実際、多肉はしっかり世話をしたのは、半年前でそれ以来ほっぽっていた為にこうなったのだろう。
亀も水取り換えをサボった翌日に出て行ってしまったのだし、、、。
やはりやることをしっかりやっていないとツケがまわるものなのか。
余りに素直に形となって表れているのに、呆気にとられる(笑。

ただ、その姿が何とも言えず面白い形で、これはこれで良い気がしてくる。
ちょっとした偶然でも、なかなか生まれそうもない形もあるし。
しかも 中には元の形ではなく、もしかしたら改良前の世代の形に戻ってしまったのかと思えるような、違うフィギュアになっているのもある。
日照や気温の関係でサボテンも形はかなり変形するものだが、、、。
(判り易いところで、玉サボテンが徒長して柱サボテンになってしまったり)。

しかし多肉は放っておく方が面白い結果を生むのかも知れない。
(亀は気を付けてみていかないと危ないが)。
まさに多様性の妙であろう。
とは思ってはみたが、暴れ多肉を室内に並べるにはやはりスペースを取り過ぎて無理がある。
棚から取り出すにも、知恵の輪みたいにこんがらがって、かなりの困難があった。
パラパラとそこでも葉っぱが散乱する羽目に、、、。
余りにだれもが野生的で自由な人々なため室内に全て収まりそうもないので、鉢からはみ出た部分は切断することにした。
面白味は減るがまた直ぐに伸びるし。

以前みたいに、切り取った部分をまた別の鉢などに活けると、本家を凌ぐ勢いでまたデカく育ってしまう。
数も増える。
それでこんなに沢山になってしまっているのだ。
厳選して育てていたはずなのに、80鉢を越えていた。
まさにいつの間に、という感じ。
最初は25鉢くらいで維持していたのに。
(マンションで一人住まいの頃は、かるく150鉢以上あった。それで苦労する羽目になったので少数精鋭の体制にしたのだが)。

ということで、大きなゴミ袋パンパンになるほど切れ端を処分して、数は増やさないことにした。
大人しくなった多肉はどれもちょっと上品に見える(爆。
かなり初々しいのもいる。
暫くは室内で鑑賞しよう。


さて戸締りもきちんとして、(みんなで)明日に備えよう。



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亀が治ってきた

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毎日、娘たちではなく、わたしがせっせとイソジン塗りと水替えに水温管理を行っているせいか、亀の白い部分がかなり小さくなってきた(祝。
未だに後ろ足の付け根とかは、塗らせないように抵抗している。
前回の記事で書かなかったのだが、足の白い部分が消えて来て良く分かったのだが右足の小指に当たる爪の部分が無くなっているのだ。
恐らく、縁側に置いた水槽から抜け出る際に、上に乗せた格子状の覆いの何処かに爪をひっかかり、それを無理に体重をかけて引き抜こうとした時か、下に落下してお隣に向けあるいてゆく過程で、何らかの障害物に足を取られるなどしたか、、、。

かなりのサバイバル体験を経てきていることが分かる。
それでも囲いの外に果敢に出ようとするその意志は、本能的なものだろう。

ともかく、かなり白カビが目立たなくなってきたので、大きな水槽二つでの管理は大変な為、今日から一つの水槽に亀島ふたつにヒーターふたつ、亀ライトひとつ、の体制に戻すことにした。

するとこれまで、ずっと(恐らく彼らは生れた時から)一緒に育って来たにも拘らず、何やら様子が変なのだ。
暫く、個別に暮らしていたからなのか、凄くバタバタして牽制し合ったり、片方が追うと大変な勢いで逃げ惑ったり、一体どうなっているのか、というかんじなのだ。
ずっと、バタバタし通し。

これで夜中に見に行ってまだやっていたら、別々にした方がよいかな、、、と考えている。
ストレスが溜まったらまずい。
まさか、暫くぶりに逢ったので、歓びの表現でやっているのか、、、。
何時間か後で、前のように落ち着いていたら、このまま行くつもりだ。

わたしとしては二水槽はキツイ。
娘たちは最初の頃は、面白がってイソジン塗りに興じていたが、ここのところ何かと理由をつけて、仕事をこちらに押し付けてくるのだ。
まったく、、、。


そもそも亀は娘の情操教育の為に買ってきたのだ。
やはり明日から彼女らに世話をさせよう。
こちらも手伝うが、、、。



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草原の実験

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Испытание  Test
2014年
ロシア

アレクサンドル・コット監督・脚本
アレクセイ・アイギ音楽
レバン・カパナーゼ撮影

エレーナ・アン
ダニーラ・ラッソマーヒン
カリーム・パカチャコーフ
ナリンマン・ベクブラートフ・アレシェフ


無言劇である。だが、美しく広大な自然に音楽もあり、画面~世界は饒舌である。
わたしはただ、無心に観ていればよいのだ。身を任せるように。
観終わってみて、映画が全部こうだったら良いのに、と思った。


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牧歌的にどこまでも拡がる長閑な緑の平原であった。
父と彼に余り似ていない美しい娘が二人していつもの毎日を送っている。
父をトラックに乗せて(14歳の)彼女が運転し、二股に道の別れるところまで父を送る。するとそこで娘はトラックを降り、後は父一人で仕事場まで向ってゆく。
少女が一人歩き始めると、丁度その時を待っていたかのように、地元の少年が現れ彼女を馬に乗せて家まで送る。
家に着くと彼女は井戸の水を彼に振舞う。それをゴクゴク飲み残りを岩に向け打ちかけると水がサーっと乾いてゆく。(爽やかさの演出か?)そしてかれは颯爽と帰って行く。

少女は独りの時間を愉しむ。家でスクラップブックを眺めたり、、、思うが儘の生活を緩やかに送る。

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父は飛行機のパイロットに憧れる男であったようだ。
一度、2人の(軍関係者のような)男が、家まで飛行機でやって来て、父に飛行機を操縦させてくれたことがあった。
父は大喜びであった。

父想いの娘は父が疲れて帰って来ると、足を洗い靴下を履かせる。
ソファーに座り柱に寄り掛かったまま居眠りを始めると、柱と頭部の間にクッションを挟む。
ともかく、細やかな気の配れる優しい娘である。

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だが時折大人の怪しげで魅惑的な表情も垣間見せる。
あくまで無意識であろうが。
そういう年頃でもあるのだ、、、。

彼女の写真を撮り幻灯機で夜に家の壁にそれを映して見せる、ロシア?の少年。
彼女をいつも颯爽と迎えにきては水を爽やかに飲んで帰って行く地元の少年。
二人が偶然鉢合わせ、彼女を巡り取っ組み合う。
それを家の窓から眺める少女。

何とも原初的な光景だ。
とても生々しい恋愛の姿だ。
彼女は2人に同時に水をかける。

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父の体調が思わしくなくなり、世界が不穏な不協和音を奏で始める。
この穏やかな草原がピリピリと緊張してゆく。

彼女らの住むこの美しい草原は、、、
カザフスタンのセミパラチンスク核実験場のようだ。
冷戦時、アメリカと核兵器開発で鎬を削っていたソビエト連邦の核実験場であった。現在は独立したカザフスタン共和国の土地である(同時に核実験は廃止される)。
当時、土地一帯が無人であるという間違った認識からその地が実験場として選定されてしまう。
(本当に調べたのかは疑わしいが)。
であるから住民への避難警告など一切なされなかった。
秘密警察の指揮下で実験の為の秘密基地が建設されたそうだが、彼女の父もそこで労働に従事していたのかも知れない。
父は恐らくその仕事中に被爆でもしたのか、病気となり一度は(病院に?)連れて行かれ娘と離れ離れになってしまう。
自力であるとき家に戻って来るが、すぐに亡くなってしまう。

彼女一人で父を葬る。

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不穏な緊張感が一気に高まる。
少女は父の遺品か?僅かな荷物を持って家を出てゆくが、途中でトラックはガス欠で動かなくなる。
自分の家のある広大な草原が高く張り巡らされた有刺鉄線で囲まれていることを知る。
そこが世界の限界~縁のようなのだ。

そこで、歩いて地元の少年の家を訪ねる。
彼女は自分で髪を切り、ショートカットになる。
何か、「ミツバチのささやき」とか「 サクリファイス」を想わせる。そう血縁関係はありそうだ。

少年たちの最後の決闘があり、どうやらロシア少年が彼女を得たらしい。
ふたりの結ばれたことが、彼らの吊るされた洗濯物が風に靡く姿で象徴される。
何と上手い演出だ。
そしてふたりで黙々と綾取りをしているとき、家のガラスがひとつ衝撃波で割れる。

それは、赤い閃光とともに凄まじい爆風となって押し寄せ、一瞬のうちにその一帯をなめ尽くす。
彼女の家も勿論、2人も一瞬に呑み込まれていった。

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その理不尽で盲目的暴力の前には~国家権力にせよ何者かの悪意にせよ自然災害であるにせよ~人の日々のルーチンなど、実はかなり覚束ないところで辛うじて成り立っている、果敢ないものなのだ。

456回の核実験がその地でなされ、人体実験の場でもあったようだ。市民の被爆による被害の実態はソ連当局によって隠蔽されてきたという。


エレーナ・アンの恐らくこの時だけの異様な美しさが際立った。
この処女作を彼女は今後、超えられるのか、、、。
ピーター・オトゥールみたいにならないことを祈ろう。






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アクト・オブ・キリング

The Act of Killing001

The Act of Killing
2012年
イギリス・デンマーク・ノルウェー

ジョシュア・オッペンハイマー監督

プレマン(ゴロツキ)たち多数




いきなり魚のオブジェが登場。かと思って見ていると、口から女性ダンサー?が次々に出て来て緩く踊り出す。
滝を背景に踊り子たちに交じり、主演の殺人者コンビが幻想的な風情で両手をあげ天を仰いでいる。
マイクでしきりに「平和だ」の声がリフレインする。この光景はファンタジックなパラダイスのよう(大変キッチュだが)。

1965年インドネシアにおける大量虐殺に実際に関わった者が沢山出演するドキュメンタリー。
昨日の「ルック・オブ・サイレンス」の前に発表された作品。
とても長い(3時間近い尺である)。
90%くらい進むまでは、ただ只管かつて殺戮に関与した男たちが次々に登場しては自らの武勇伝を誇り具体的な状況などを解説してみせたりしてゆく、うんざりする胸糞悪いものが続く。これが長い。

最初の魚から踊り子など奇妙なシチュエーションがちょっとリンチ監督を思わせる演出で戸惑うが、その後は「ルック・オブ・サイレンス」が違う角度からこの世界を切り取ったものだなということが分かる。色調は同じ。事件の背景とかこの作品の方が分かりやすく述べている。ほぼインドネシアの普通の人間すべてがパンチャシラ青年団のような暴力組織(民兵)の傘下で暮らしている印象を受け、とてもインドネシアに遊びに行きたいとは思えない国に自分の中ではなっている。恐喝と搾取、賄賂などが日常の風景である。
軍隊、警察、知事これらが全て無法者の集まりプレマンによって構成されるパンチャシラ青年団と深く繋がっているのだ。
だが、彼らからは監督はとても親密に扱われており、おいジョシュアと迎えられ余程信頼関係をしっかり築いておいたことが分かる。
単に憧れのアメリカ人ということだけではなかろう。
彼らは民主主義の世に暮らしているとは言え、基本的に軍部独裁当時と何も変わってはいない。

スカルノ大統領からクーデターにより政権を奪った将軍が軍事政権を打ち立て、前大統領側近をはじめ前政権関係者や支持者や軍の独裁を認めぬ者を全て共産党員として粛清をした。
組合員、小作農、知識人、華僑たちが捕らえられ尋問されて虐殺される。
彼らは共産主義と闘って民主主義を勝ち取ったのでは全くない。
彼らが殺した者の中に果たして共産主義者が何人いたものか?
それでも彼らは大義を果たしたというプライドを持ち、罪悪感すらない。
(軍部の作った恐ろしい共産党員の映画を拠り所としている者もいた。その白々しい内容に縋って)。
処刑場所は街中の普通の事務所だ。

殺された人数は全体で100万人を超える。
しかしアメリカや日本はその事実を黙認あるいは支持しており、大量虐殺の事実は隠蔽された(デヴィ夫人が怒っていたらしい。虐殺などなかったと言われては、そりゃ当然だ)。
これはその動かぬ証拠として当時の事を精確に残したい人々の協力の下、製作された映画である。
自分たちの武勇伝を後々まで伝えたい殺人者たちの協力で成立したものだ。
実際彼らは、自分たちの工夫した道具ややり方をとても丁寧に説明し、役には真剣に打ち込んでいた。
監督は彼らが中心となり映画を製作する過程を追い、その成り行きを映画でじっくり伝えてゆく。

冒頭にファンタジックな絵の中で陶酔の表情を浮かべていたプレマン(語源は自由人つまり無法者)のリーダーのふたりが3時間近いドキュメンタリー映画の最後まですっと深く関わって行くのだが、文字通りThe Act of Killingで実際の殺戮を再現するロールプレイのうちに自分が惨殺した被害者の経験を追体験することとなる。
役をやり深みに嵌って行くことで、被害者という他者の気持ちに同調してしまう。

他者の気持ちが分かるということ自体矛盾だが、演技に嵌ることは憑依的な面は大きいはずで、その無意識的な身体性から意識レベルに立ち上るものは確かにあろう。演技の上とは言え尊厳を踏みにじられ、恐怖の場面に身を浸してみると当時の深層の記憶が身体から蘇る面はかなりあるはずだ。
実際、彼は終盤において自分のやって来たこと(1000人ほど殺してきたこと)を対象化してゆく。
おれに報いが来るのか、、、。おれは殺した。殺すしかなかった、、、。前半の余裕の表情を浮かべながら威圧感を持って自慢気に話す姿とはずいぶん異なる。

自分のやったことに慄き、苦し気に嘔吐する。一言二言、自問自答しながら激しく嘔吐する。
嘔吐を繰り返す。
それは自分が抑圧・隠蔽してきた深層から突き上がって来る思いそのものである。
その不気味な異物がいまや容赦なく突き挙げてくる。

ちなみに映画の最後は、冒頭の滝の場面に戻り、そのプレマンのリーダーが自分の殺害した男から自分を殺し天国に送ってくれてありがとうと言われ手を握るものである。
ギャグにもならぬ。

完成を観たその夜、事務所屋上の殺害に使っていたスペースに独りやって来て、内省と遡行に及ぶ。
嘔吐の場面である。

最後の最後でブーツストラップしてきた。
これをドキュメンタリーに入れる事が出来たところで、この映画がしっかり成立した、と謂える。









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ルック・オブ・サイレンス

The Look of Silence

The Look of Silence
デンマーク・フィンランド・インドネシア・ノルウェー・イギリス
2014年

ジョシュア・オッペンハイマー監督・製作

アディ・ルクン(眼鏡技師)
彼の両親と子供
その他は全て本物の殺人者たち。


まさに兄を虐殺された眼鏡技師アディ・ルクンの『沈黙の眼差し』であった。

これ一回限りのドキュメンタリー(に違いない)。
この映画を放映後、もう同種の映画をこの国で撮ることなど出来るはずがない。
撮影スタッフ、監督はよく無事であったものだ。
現地人でかつての殺人チームと同じ地区で今も暮らしている眼鏡技師アディ・ルクン一家も安全なのか?
何よりそれが心配だ。
エンドロールでスタッフクレジットが、”Anonymous”であったのは、当然頷ける。

恐らく万全な危機管理を施した上で仕事をして、バレる前に素早く帰国したのであろう。
撮ったもん勝ちである。
だが、アディ・ルクンは(とその一家も)、土地の人であり、素性を知らせず眼鏡の調整あるいはお勧めで接触したにしても、直ぐに何処のどいつか分かってしまうだろう。この後、移住しているはずだ。監督がその辺のケアも怠ってはいないはず。

それにしても充分日本のそこいらにもいそうな普通の糞馬鹿男たちがかつて殺した共産党員をさぞ自慢気にこうして殺したああして殺したとその残虐極まりない殺害の仕方を笑顔で懇切丁寧に実演までして説明しているのには、ホントに呆気にとられた。
軍部のプロパガンダで共産党員は神を恐れない無法者で残虐な奴らだなどと吹き込まれているにせよ、 何の疑問もなく10万人(100万ともいわれている人)を残虐な殺し方で葬って来たのだ。
そもそもインドネシアに、共産党員がそんなにいるものか。殺されたほとんどの人は、組合員や農夫であったという。
突然収監されて、トラックで順番に「ヘビ河」まで運ばれ、そこで切り刻まれ水に放り込まれていったそうだ。
しかも命乞いする囚人の喉を掻っ切って血を呑んだという。
何でも犠牲者の血を呑めば、気が狂わないのだそうだ?!

The Look of Silence002

その連中が今現在も英雄(地元の名士)として経済的にも恵まれた生活を送り、相変わらず権力の座にいるという。
小学校では声高に教師が「民主主義」を獲得した経緯などを子供たちに教えている。
かつて共産党員であった者がいる家系の子供は、将来インドネシアの公職には就けないことも教えていた。
スカルノ大統領の統治時代にインドネシアをアメリカ側につけるために軍部が将軍を6人惨殺してその犯人を共産党に仕立て、民衆蜂起という形で(軍部は直接手を汚さず)共産党員の大量虐殺を行わせたのだ。教師は当時の軍部のプロパガンダのままを子供たちに教え込んでいる。
これが現状なのだ。
なるほど、アメリカに加担して働いた(という意識の)連中だ。アメリカ人監督が俺たち英雄の記録映画を撮ってくれるんだと想えば、気安く撮影に協力するはずだ。アディだけは立場上危ういが、兄を虐殺され、娘の学校ではその殺された兄たちを鬼畜のような存在として教え込んでいる。歪められた歴史に一石を投じたい、そう奮い立ちインタビュアーを買って出たのであろう。

チャチな記号操作でいとも容易くこんな風に人が心底操られることは、このわたしがよく知っている。
人間というものがどういうものかを再確認しないと本当に危険であることは明白である。
福祉国家が確立してくればそれはかつてのイタリアのファシスト党と同じ構造を持つことに警鐘を鳴らしている佐藤優氏などもいる。
これは地続きの問題として捉えてよい。

アディの兄の惨い殺し方を嬉々として説明する能天気な殺害者二人組のビデオを自宅で見つめる彼の『沈黙の眼差し』は、深く印象に残った。
彼らは何とその一連の惨殺行為を自ら描いた絵を添えて本まで出版していた。
勿論、英雄譚としてである。
この映画で出て来た多くの殺人者たち(政治家や有力者たち)で、少しでも反省の意を見せていたのは、ひとりいたような、、、そんなところであった。みんなその行為の(イデオロギー的な)正当化をしたり、自分は上からの命令に従ったまでというよくあるものから、殺害した者の血を呑んだから平気だ!という意味不明なものまで、自らの行為の総括をする者など一人もいない状況であったのには驚くばかり。
特に多いのは、今うまくやっているのに、何で傷口を開くようなことを今更やる必要があるんだ、という殺害者の子供たちの言い草である。

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奇蹟的な微調整の上に成り立つ「人間原理」によって生存する知的生命であるわれわれとはよく謂うが、非常に低レベルな人間原理で辛うじて存在しているに過ぎないとも謂えようか。







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クローバーフィールド HAKAISHA

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Cloverfield
2008年
アメリカ

マット・リーヴス監督
ドリュー・ゴダード脚本
マイケル・ジアッチーノ音楽 エンド・タイトル曲“ROAR!”

マイケル・スタール=デヴィッド 、、、ロブ(日本本社への栄転し副社長)
マイク・ヴォーゲル 、、、ジェイソン(ロブの兄)
オデット・ユーストマン 、、、ベス(ロブの恋人)
ジェシカ・ルーカス 、、、リリー(ジェイソンの彼女)
リジー・キャプラン 、、、マリーナ(リリーの友人)
T・J・ミラー ハッド  、、、ハドソン(ロブの友人、ほぼすべての手持ちカメラの撮影)


10 クローバーフィールド・レーン」を観ていたので、これも観ておくことにした。
監督は違う。
これは、ハッキリ100パーセント・パニックムービーであった。
それ以外の何ものでもない。
「10 クローバーフィールド・レーン」の方がずっと内容は豊かで変化にも富んでいた。
両者には内容的に何の関係もないが、「クローバーフィールド」とは何なのか?
まあ、今回のような題材だと、こうした展開と流れに落ち着くしかないだろうが。

こういったパニックものはカムコーダ撮影が流行っているがこれは特にブレが酷かった。
配役の一人、ハドソンが逃げたり怪獣に襲われたりしながら撮っている画面を見せられている為、当然揺れは半端なものではない。
様々な揺れそのものをその時の状況として演出としているのであるが、臨場感たっぷりの体感パニック映画とか謳われたりしたら、有難くはない。
そんなの別に体感したくない。違う形で臨場感出して欲しい。
酔う。

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ここに見られるクリーチャーは、暗闇に見え隠れしながらその異形を垣間見せる効果的な演出だ。
スピードも相当ある。突然、ドンっと来て瞬殺と来る。
ビルを叩き壊すような巨大なのもいれば、犬くらいのサイズで襲ってくるものもいる。
大きさにバリエーションがあれば討ち漏らしも減るはず。そつがない。
形そのものも捉えにくくデザインで異物感~他者性はかなりのものであった。
どうみても話し合いに応じる風情ではない。

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前半のウダウダした怠い流れから、一気に非日常に入るところは予測は充分ついていてもワクワクはするものだ。
その後の夜景の中の展開も、かなり既視感は感じつつも、今度は誰がどんな風にやられるのか、期待しながら見られる。
一本調子で死の恐怖に追われながら逃げ惑うものだが、緊張感もあり前半のように部屋掃除しながらは観れない。

結局、先にヘリに乗り込んだリリー独りが助かったということか。
後半から主人公ペアと思しき二人はあえなく心中ということに。
途中までは分かるが、こんなシビアな状況に至るまで、ビデオを撮って逃げるだろうか。
なんでそれほどビデオに拘るのか。
ロブの昇進・日本行きパーティの流れでここまで取り続ける意味が分からない。
(怪獣に襲われ死ぬまで撮り続けたのだ。この映画の為に撮ったというメタレベルの行為か)。


怪獣は、恐らくロブの来日を歓迎してサプライズでやって来たのかも知れなかった。
ロブは彼女と死んでしまったが、、、。

マイケル・ジアッチーノのエンド・タイトル曲が伊福部昭調のなかなか聴かせる曲であった。
この曲が最大の売りに思えた。






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亀は一本足で立つ!

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亀の首の付け根と右足の付け根の白カビに如何にして薬を塗布するかという問題が思いの他簡単に片ついたと思ったのだが、、、
敵もさる者である。
昨日あたりから、余裕が出て来たのか、塗る方の脚を引っ込め片足立ちで対抗し始めた。

片足で立って首は伸ばしてこちらを窺い、片腕で牽制して来る。
何すんだ止めろよ、という感じ。

ちなみに左脚にも少し白っぽいところが見られる。
それでそちらにも塗ってみると、今度は左を引っ込め右で立つ。
ちょっと面白くなり、右をすぐさま塗ってみると、慌てて足を取り換える。
何度かそれを繰り返したが、まるでギャグだ。

こちらはそれに付き合っているほど暇ではない。

素早く不意を突くところで、スポイドも使ってみたが、確実に患部についたかどうか定かではない。
そこで今日から低く薬湯に浸ける形にした。
亀温泉である。
これに暫くつけてから、乾かして暖かめの水槽に還す。

これでそこそこ患部にまで浸み込むようにみられる。

この形でなんとかなりそう。
ちなみに、白い部分は小さくなっている。
薬は効いている様だ。
暫くこれで様子をみたい。




魅惑の探査機 その3

最近、旧友(かつての仕事の同僚)に逢う機会があり、時折ブログを見てくれているそうだが、宇宙物がめっきり少なくなったねえと謂われた。確かに書いていないし、かつて書いたものは、情報として確実に古くなっている。特に冥王星についてとか、、、。
以前は折に触れて書いていたものだ。ちなみに今日はソ連がスプ―トニック1号(人類初の人工衛星)を発射した日だ。1957年だ。
もう宇宙開発も歴史の重みを充分に感じるようになってきた。
ソ連~ロシアと謂えば、当初はアメリカに先駆けて人工衛星や有人飛行などで圧倒的な成果を挙げてきたものだが(スプ―トニック打ち上げでアメリカの焦りがよく出ている映画「アイアン・ジャイアント」)、探査機関連では失敗が目立つ。NASAやESAやJAXAの活躍が目覚ましい。


mars odyssey
2001マーズ・オデッセイ:NASAによる火星探査機。表層の水の痕跡の発見、地表の鉱物の分布、放射線測定を目的とした。のちの探査機マーズ・エクスプロレーション・ローバーやフェニックスの通信中継も行う。ビーグル2は着陸できなかったため実現しなかった(魅惑の探査機 その2)。もっとも長期間、火星の探索に当たっている。運用中。

全然関係ないが「マーズ・オデッセイ」(映画)~何故かわたしはかなり憤慨している(爆。



Phoenix.jpg
フェニックス:NASA所属、アリゾナ大学の月惑星研究所とカナダ宇宙庁、ロッキード・マーティンの開発した火星探査機。火星の地下の氷を着陸することで直接探査した。5か月間の活動を続けたが、火星の冬を経て、塵に埋もれ破損したことが確認され運用終了となった。





Voyager 2
ボイジャー2号:木星・土星・天王星・海王星のグランドツアーを敢行したNASAによる宇宙探査機。すでに42年以上稼働し続けており、恒星間空間に達したというアナウンスが昨年あった。ボイジャー1号とともに恒星間空間を飛行中。運用中。
「地球の音」という銅製レコードと再生用の針を搭載されている。地球上の波や風の音、動物の鳴き声の他、55の言語も収録。人類のロマンのメッセージだ。



New Horizons
ニュー・ホライズンズ:NASAによる太陽系外縁天体(エッジワース・カイパーベルト)探査機。冥王星をどうしてもアメリカ人は詳細に調べたかった。ニュー・ホライズンズが出掛けた後で、冥王星は準惑星にカテゴライズされた。クライド・トンボー(冥王星発見者)の遺灰が搭載されたことでも有名。太陽電池を使えないため、原子力電池を使用している。エッジワース・カイパーベルト内のウルティマ・トゥーレに最接近して得られたデータが先ごろ公表された。運用中。

ニューホライズンズ
ニューホライズンズその後、どうなったのか?

Cassini Huygens
カッシーニ:NASAとESAによって開発される。土星探査機。惑星探査機ホイヘンス・プローブ が搭載され、タイタンに投下された。組成・風速・気温・気圧を直接観測する。タイタンに吹く風の音が聴けた。3時間40分後に運用は終了。
カッシーニ自身については、以下をご覧の程。

カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ



プラス探査車
Mars_Rover.jpg
マーズ・エクスプロレーション・ローバー:NASAによる火星探査車。
バイキング着陸船~マーズ・パスファインダーに次ぐミッションに当たる。
2機のローバーは、スピリット(MER-A)とオポチュニティ(MER-B)である。スピリットは6年間、オポチュニティは14年を超える探査を行った。「火星の水」についての詳細な調査、これに尽きるか。人類が将来居住可能の地か?

小噺:
マーズ・エクスプロレーション・ローバー・オポチュニティ



Curiosity Rover
マーズ・サイエンス・ラボラトリー(キュリオシティ):NASAによる火星探査車。生命の保持可能性について探ることをミッションとした。ほぼダイレクトに宇宙線と太陽の放射線が地表に降り注ぐ環境で生命の可能性はまずないとは思うが。

火星をテラフォーミングしようという科学者はいるようだが、一朝一夕に出来るものでもない。


これに関する些末な記事(笑、、、火星のカニ



全体を見渡せばもう夥しい探査機が地球を飛び立っているのだが、わたしの興味を特に引いたもののみをとり上げた。
ソ連~ロシアも面白いものをかなり投入したのだが、ほとんどが上手くいっていない。
ベネラ-Dに期待したい。
写真だけ載せるつもりが、ついいらんことを書いてしまった(苦。




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魅惑の探査機 その2

akatsuki.jpg
あかつき:JAXA、ISAS開発の金星探査機。金星周回軌道上から金星大気を観測。運用中。





Europa Clipper
エウロパ・クリッパー:NASAによって構想が進められているエウロパ探査機。エウロパ(木星第二衛星)における生命の居住可能性を調査し、将来の着陸地を選定する。2023~2025打ち上げ予定。





OSIRIS REx
オシリス・レックス:NASAによる地球近傍小惑星であるベンヌの探査機。日本のはやぶさに当たる。サンプルリターンを目標とする。運用中。





Pioneer 11
パイオニア11号:NASAによる木星・土星探査機。人類と太陽系を(地球の位置関係も)描いた金属板が地球外生命に向けて備えられた。今どの辺を飛んでいることやら。ボイジャー計画の先駆け。





Mars express
マーズ・エクスプレス:ESAによる火星探査機。バイコヌール宇宙基地からソユーズロケットで打ち上げられた。ビーグル2号の降下には失敗し、2001マーズ・オデッセイ(NASA)との連携は出来ず。大気や地下の構造を探査。運用中。








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魅惑の探査機 その1

わたしは宇宙探査機のデザイン~その機能美が好きで、ニュースや特集番組などでは、ついつい見入ってしまう。
なかでもカッシーニ、ボイジャー、ニューホライズンズの大ファンである。
以前、ここで数回に渡り試みたマジックアワーの探査機版をやってみたい。
コメントは出来る限り排したい(ついつい余計なことを書きたくなるので。書き出すときりがない)。



JUNO.jpg
ジュノー、、、NASAの木星探査機:木星の極付近の磁気圏、重力場、磁場、組成の調査。運用中。




ジョット
ジオット、、、欧州宇宙機関 (ESA) のハレー彗星探査機:彗星のコマ内部まで突入し、近距離より彗星核の撮影を試みる。運用終了。




Venera 10
ベネラ-D、、、ロシア連邦の金星探査機:2025年に打ち上げ予定。金星地表の地図情報化を進める。




はやぶさ2
はやぶさ2、、、JAXAで開発された小惑星探査機。地球近傍小惑星 「リュウグウ」からサンプルリターンを計画。運用中。




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これまでの写真カタログ、”マジックアワー”

マジックアワー Ⅰ
マジックアワー Ⅱ
マジックアワー Ⅲ
マジックアワー PreⅠ
マジックアワー PreⅡ
マジックアワー Presence



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