薔薇の名前 その1

IL NOME DELLA ROSA
1986年
フランス、イタリア、西ドイツ
ジャン=ジャック・アノー監督
ウンベルト・エーコ原作
ショーン・コネリー 、、、バスカヴィルのウィリアム
F・マーレイ・エイブラハム 、、、ベルナール・ギー異端審問官
クリスチャン・スレイター 、、、メルクのアドソ(ウィリアムの弟子)
エリヤ・バスキン 、、、セヴェリナス(薬草係)
フェオドール・シャリアピン・Jr 、、、ブルゴスのホルヘ(盲目の師)
ヴォルカー・プレクテル、、、 マラキア(図書館管理者)
ミシェル・ロンズデール 、、、アッボーネ修道院長
ロン・パールマン 、、、サルヴァトーレ(異教徒)
ヴァレンティナ・ヴァルガス、、、少女
まず、何より圧倒されるのはその濃密な絵である。
わたしは、これほどの質量で描かれたキリスト社会~教会世界を見たことがない。
複雑な巨大迷路に秘められた知識~図書館。仕掛けと暗号によって読まれることから守られる異端の書物の山。自然のロケーションも含め。
書物と男色。彼ら修道僧は書物を読む際に、指を舐めてページを捲るのだ。誰もが。
この威容。異形の峻厳さ。怪しく血生臭い修道院。
のっけからその暗黒の只中に突き落とされる。
こちらもエッシャーの絵の中に捕らえられるのだ。
西洋でペストの流行る少し前の噺だ。
「キリストの清貧」を真理とするフランチェスコ会に対し教皇側が異端の烙印を押し対立関係となっている。
この修道院で丁度、アヴィニョン教皇庁の使節団とフランチェスコ会使節団の会談の機会が持たれる。
ウィリアムは調停役として招かれたのだが、修道院では連続殺人が起き、悪魔の仕業と揺れているところであった。
その殺人はヨハネの黙示録にみたてたものであるかに見えた。
彼はその明晰な頭脳を買われて院長からその事件の捜査も依頼される。
完全な名探偵だ。
ここからの筋は一切追わない。
開かれた読みとは、、、記号に暗号、隠喩に充ち満ちた物語において。
それをどう解釈して行くか。筋がしっかり通っていればそれを持って解決となる。
しかし読み取りコードを誤れば全く異なるこれまた整合性の取れた解釈が成立しかねない。
その辺の愉しみである。
そもそも本当の答え、解決などあるのか。
最終的にこう捉えてみたが、全く違うようにも捉えられるのだ、と突き放される。そんな世界の実相を味わう。
そもそもこの噺だが、老僧となったアドソの回想物語である。
当時、飛び抜けた知性を持った修道士ウィリアムの見習い僧として彼に付いて事件の解決にあたる立場の若者であった。
ウィリアムは差し詰めシャーロック・ホームズで、アドソが助手のワトスンとなろうか。
このふたりの推理や様々な記号(自然界の痕跡含む)の解釈を巡るスリル溢れるアクションを見るだけでもちょっとしたクライムサスペンスなどより遥かに凝っていて面白い。
まだ10代の若さのアドソにとっては不安と恐怖もかなりのものであったろう。
特に彼は(幻視のような)色濃い夢を見る。これも記号として作用する。
アリストテレス詩学の第二部を巡ってウィリアムとホルヘとの激論が交わされる。
そこでテーマとなるのが「笑い」である。
ウィリアムは笑いの認識における重要性を力説していたが、誰よりその「笑い」の本質を理解していたのはホルヘであった。
その為人々が「真理に対する不健全な情熱から解放される術を学ぶ」ことを何より恐れた。
神を笑い飛ばされる危険からキリスト教を守らなければならない。
ウィリアムたちは次々に記号を読み取り、暗号を解き、ホルヘのところまで辿り着く。
彼はその存在すら疑われていたアリストテレス詩学の第二部をずっと隠し持ち、読まれぬようにページに猛毒を塗って管理していた。しかし知識欲のある僧侶たちはそれを何とかして読みたい。
ホルヘによる計画的な毒殺とも取れるが、セヴェリナス以外は皆、自分の知識欲に駆られて命を落としたとも謂える。