プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。
友人から、お前はトマトか?と聞かれたので、だいぶ前に使っていた写真に戻します。

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亀の病気 一難去ってまた一難

kame005.jpg

長女が気が付いたのだが、脱走して帰ってきた亀の後ろ足の付け根と首元に、白い綿のようなものがモヤモヤと付いている。

何だこれ?と調べてみると、、、
どうやら「水カビ病」というものらしい。
亀や魚特有の病気のようだ。

もう一匹の方もよく観察すると、尻尾の先の方にやはり小さいが白いものがくっついていた。
厄介な病気でなければ良いが、、、
ウェブ上で治療法も確認してみた。

亀に紫外線を当て充分乾燥させ、カビは歯ブラシで擦って取るとある。
その患部に傷用イソジンを約10倍に薄めて広めに塗る。
これが家庭で出来る一般的な治療法のようだ。
ただし、初期段階であれば、これで治療できるとある。
(重症の場合は、動物病院だ)。
うちの亀はどのくらいの段階に来ているのか、、、。
心配ではある。

ともかくできることをまずやってみたい。
水カビは水温と水質の管理が大切という事(そうだろうな。ここの所暑いものだからヒーターを外していたが、水換えはしていた)。
25度にくらいに保ち、換水頻度も増やしてみていくつもりだ。水温は28度と書いてあるところもあった。

これから毎日、亀を一回は乾かしてはイソジン塗りを繰り返すルーチンとなる。
結構大変だが、成果が出ればいう事ない。
ともかく治療である。
亀が脱走したころ、水替えが億劫になったりしたこともある。
こちらの体調が辛かったころだ。そのタイミングに乗じて抜け出てしまったのだ。
ホントに生き物は素直である。
外遊に出てきた頃にストレスもあったろうが、怪我もしたのだろう。傷口から感染することも多いらしい。

ともかくカビなど日常的に環境にあるもので、抵抗力があれば影響を受けず問題ないはず。
ちょっと心身ともに弱くなってしまったのだ。
体力面でのケアも同時に考えていかないと。
餌の面からも。


まず早速、先ほど歯ブラシで白いモヤモヤを擦ってみたが、ほとんど何も取れなかった。
見た目からすぐ落とせそうに感じたのだが、かなりこびりつきがキツイ。
あまり力を入れても良くないだろうし、亀が前脚でやめろ、やめろよと止めようとするので、どうしたものかと、、、。
ピンセットでつまんで取るというのもあったが。
ともかく、皮膚が傷付かないようにやってみないと。
今日は程々で止め、何も取れなかった。


今、大きな水槽を二つ用意して2人を離してみている。
症状に差があるため、混ぜない方が良さそうだ。
両方に今季初めてヒーターを入れたが、赤外線ライトは重症の方にだけ当てている。(一つはクリップがうまく働かず落ちて割れてしまった)

それにしても、白カビが2個所共に付け根にあるのが、文字通りネックであった。
次女と亀を押さえながら患部に薄めたイソジンを塗ろうとするのだが、悉く首も脚も甲羅の中に引っ込めてしまい塗らせてくれないのだ。それでもどうしても塗ろうとすると前脚で必死に綿棒を払い除けようとしてくる。
やはり薬湯に漬けようかと思ったが、調べたサイトには飲ませないようにすることとある。
そうだろう。飲んだらまずかろう。
患部に直接塗布するのがやはり良いはず。
今後の課題だ。
うまく塗れないようだったら、うんと低く薬湯を張って短時間漬けて引き上げるか。
長細い容器みたいなものに薬を満たし、首だけ出した状態ですっぽりはめてから出すとか、、、。
亀の島も買い替えることにした。そこにもカビがありそうである。
色々試してみたい。



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お気に入りCD作り その2

piano.jpg

以前、ポップスによる「お気に入りCDを作る」特集をしたが、その2回目をまた、長女と二人で作った。
今回は、「東方プロジェクト」に詳しい(コミケにまで行って来た)次女もアドヴァイザーとして招いたが、お気に入りの曲の入ったその割高CDが未だに届かず、取り敢えずあるものだけで一つ作ることとなった。
今日、長女が1か月ぶりにピアノ上手なお友達を呼んでいる。
彼女に第2弾を渡したいのだそうだ。

候補の曲が今一つ集まらず、わたしのiTunesライブラリを当てにして来たので、協力した。
ポップだが渋い曲を数曲提供した。
そう、かなり渋い(笑。
前回が、煌びやかな曲が多かった(宇多田ヒカルの世紀の名曲「初恋」まで入れた)ので、、今回はちょっと地味目で良いかと。

全て長女が適当に並べた(どういう基準で並べたかは分からない)上にわたしが数曲挟んだもの。


平野綾、、、冒険でしょでしょ?(「涼宮ハルヒ」ですっかり馴染んだ。平野綾は涼宮ハルヒに似ている)
arlie Ray、、、残酷な天使のテーゼ (Eng Ver.)(エモーショナルではなくタイトでハウスな英語のversionも良い)
木村弓、、、いつも何度でも(『千と千尋の神隠し』主題歌。シンプルの一言。心に沁みる。まやかしがない)
レキシ、、、SHIKIBU feat. 阿波の踊り子(まやかしの塊。とてもあざとい。紫式部のうたが謳われるところでは背筋がゾクッとする。かなりのセンスだ)
arlie Ray、、、次回予告(予告編のBGMがなかなか良いのだがこれはそのアレンジ版)
手嶌葵、、、テルーの唄(長女が好きなので、この曲はダブってしまった。3歳ごろドライブ中に曲に合わせて唄っていた)
下川みくに、、、魂のルフラン(『ヱヴァンゲリヲン』と謂えば高橋さんであるが、この人のものも良い。破綻し現実に溢出した暴力的な物語として記憶に生々しい)
平野綾、、、Super Driver(パンチが効いていて清々しい。平野綾のパワーが全開。涼宮ハルヒのものと同等になったような)
上白石萌音、、、366日(声とアコースティック感が心地よい。でもどちらかというと、shortversionのPV版の方が好きだ。オリジナルは少し長すぎる。歌詞が)
中村 中、、、友達の詩(まずこの曲が娘のライブラリーにあるはずはない。わたしのコレクションから。酒が飲みたくなる)
坂本冬美、、、また君に恋してる(この曲は、歌の上手さで選ぶ。勿論、わたしのライブラリーより。演歌畑の人のボーカルは格別。これも酒が合う)
arlie、、、Love letter(次女の大好きなアーティスト。わたしのリストからピックアップ)
いきものがかり、、、YELL(卒業式かい。と言う感じの曲で今回は終わり)
前回よりも2曲少なく、時間も短い。

「メイドノココロハ アヤツリドール」の”東方ボーカル”の曲が届かず、少し物足りないのだ。
(次女が言うにはそのアルバムには他に6曲くらい良い曲が入っているというので、かなり当てにしていた)

それにしても、”SHIKIBU feat. 阿波の踊り子”の、、、

~めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
      雲がくれにし 夜半(よは)の月かな~

の入るタイミングには(痙攣的な)美を感じる。わたしだけだろうか。この”間”なのだ。
全ての美は、間にあると思えてくる。

木村弓と手嶌葵さらに上白石萌音のボーカルには救われる。
われわれには救いが必要なのだ。その為に曲がある。このような歌が求められる。

それから、平野綾の曲なども時折、無性に聴きたくなる。
元気になるのだ。「元気であれば何でもできる!」(アントニオ猪木)

そして坂本冬美のボーカルを聴くと歌の「上手さ」というものを対象化して考えてしまう。
中村 中も上手い。
「上手い」ということは、確かな価値に相違ない。

乃木坂でいえば、久保さんである。彼女はすこぶる歌が上手い。
いくちゃんとのデュエットは大変高い音楽性を示していた。これは是非継続してもらいたい。
そうしたら、お気に入りCDに入れられるではないか。
(どうせならふたりで曲作りからやってもらいたいものだ。久保さんはプロデューサーとしても能力を発揮しそう。



あよ(東方ヴォーカル)、、、「メイドノココロハ アヤツリドール」の入ったCDが届いた為、二曲目に挿入した。
先日遊びに来たピアノ上手なお友達には、これと取り換えてもらうことにした。
もう典型的なテクノサウンドでわたしには、とても懐かしい。

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あの頃君を追いかけた

Apple of My Eye002

You Are the Apple of My Eye
2018年

長谷川康夫 監督
飯田健三郎、谷間月栞 脚本
未知瑠 音楽

山田裕貴、、、水島浩介(豆腐屋の息子)
齋藤飛鳥、、、早瀬真愛(医者の娘、学園1の秀才)
松本穂香、、、小松原詩子(イラストレーター志望の真愛の親友)
佐久本宝、、、大野陽平(秀才)
國島直希、、、町田健人
中田圭祐、、、秋山寿音
遊佐亮介、、、杉山一樹


閉店秒読みの蔦屋に買い物帰りに寄ったところで本作を見つけた。
おおっ齋藤飛鳥である。
いくちゃんのお友達ではないか。
(仲良しかどうかは知らぬが。お仲間であることは違いない)。
であれば、観ない理由はない。
で、観た。

Apple of My Eye004

最初はなんちゅうもん観始めてしまったのか、と正直思ったものだが、、、
やはりヒロインの齋藤飛鳥である。
そのまま引きずり込まれるように見入ってしまった。
ただ、観ながらジャッキーチェンの映画を観るときのような一種独特の雰囲気~質感も覚えたのだが、この映画、台湾映画のリメイクとのこと。
道理で季節感がかなり違った。
主人公の男子の家では、彼と父がいつも裸だし。
これ新潟県を舞台にしていたようだが、こんな半袖姿や室内での意味不明の裸はちょっと考えられない。
また感覚的、感性的にどうも違和感を感じてしまう部分(特にギャグ等に)はあった(日本的ではないのだ)。

とは言え、水島浩介と早瀬真愛との関係に寄り添ってゆくと細かい所には目をつぶることは出来る。
ふたりには何と言うか、健気で瑞々しいリアリティがあって好感がもてるのだ。
しかし抽象的なセリフを吐く部分での実感が今一つ感じられないところは気になった。
咀嚼しきれていないか、言葉自体に少し違和感でもあるのか。
格闘技の意味~価値が彼らにとってどういうものであり得るのか、そこが中途半端に立ち消えになってしまう。
それに連動して彼らの仲も途絶える。

Apple of My Eye003

だが早瀬真愛の凛として涼やかな容姿の醸す風は、この作品を何であろうと正当化する。
わたしもしっかり浸り込んでいる。
特に後半から終盤。

パラレルワールドがとても説得力と実体力をもって提示される。
そうだ。そこで他の選択もあったのだ。
別の流れに乗ることも可能であった。
まさにそうなのだ。
ちょっとした意地の張り合いや恐れがこの宇宙~時空に自分を押し留めてしまう。
肝心な時ほど、軽やかさが必要となる。
自分の本心に向き合うことを恐れてはならなかった。

最後の最後に、よりによって早瀬真愛の結婚式に彼女の夫にキスをするなど思い切った行動に出るが、それは不毛でしかない。
ふたりが別れるに至る流れのなかでの別の視座とあり得る他の選択が走馬灯のように映される展開はとても素晴らしかった。
それはふたりの内面の記録でもある。
充分知っていながら、相手のもう一歩踏み込むのを待ってしまい、時が決定的に引き裂いている。

「パラレルワールドでは僕らは突き合っている」(浩介)
「羨ましい」(真愛)
こんな経験は誰にも少なからずあるはず。
その点において、共感できる。
そして主演の2人にも。

Apple of My Eye001

齋藤飛鳥が余りにはまり役ではないか。
この次にこれより良い役ってあるだろうか。
(ただウエディングドレスはどう見てもまだ早い感じであった)。

とてもクールな(淡々とした)齋藤飛鳥がともかく素敵であった。


次は堀未央奈主演の映画だな。
これも観るのだろうな。
いくちゃんはこれからも只管、ミュージカルをやり続けるのか。
(わたしは何より彼女の音楽が聴きたい。久保さんと組んで是非やってもらいたいのだが。これについては改めて)。


観て損はない映画だと思う。






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薔薇の名前 その2

IL NOME DELLA ROSA007

IL NOME DELLA ROSA
1986年
フランス、イタリア、西ドイツ

ジャン=ジャック・アノー監督
ウンベルト・エーコ原作

ショーン・コネリー 、、、バスカヴィルのウィリアム
F・マーレイ・エイブラハム 、、、ベルナール・ギー異端審問官
クリスチャン・スレイター 、、、メルクのアドソ(ウィリアムの弟子)
エリヤ・バスキン 、、、セヴェリナス(薬草係)
フェオドール・シャリアピン・Jr 、、、ブルゴスのホルヘ(盲目の師)
ヴォルカー・プレクテル、、、 マラキア(図書館管理者)
ミシェル・ロンズデール 、、、アッボーネ修道院長
ロン・パールマン 、、、サルヴァトーレ(異教徒)
ヴァレンティナ・ヴァルガス、、、少女


この映画なら何度だって観られる。というものはそう多くはない。
「薔薇の名前」は間違いなくそれに入る。
「映画」の苦手なわたしでも、観る快楽に浸れる貴重な作品なのだ。

ロケ地が凄い。
このような場所がまだ地球上にあることに驚愕する。
そして修道院の閉塞性である。
蔵書の山を呑み込んだ図書館はエッシャーの構図で閉ざされている。

IL NOME DELLA ROSA003

原作はその構造に圧倒され幻惑されるものだが、映画もその内容~ストーリーの部分を非常に精緻に重厚な形で再現に成功している。
筋は追うつもりはないが、一つだけわたしの特に好きなところが、図書館の秘密の入り口を開き、その階段を降りて迷い込んだウィリアムとアドソ師弟の張り詰めたシーンである。
迷宮に迷い恐れ、お互いを見失ったりもするが、片や師の方は、蔵書の山に歓喜して奇声を上げあれやこれやと読み耽る。
片や弟子の方は不安と恐怖でただお師匠様を頼り探すのみ。
相手の存在を響き渡る声で確認し合う。
ここには仕掛けの落とし穴、鏡、薬草まであり、暗号を解いて核心の本の秘蔵された部屋に進まなければならない。
(お目当てはアリストテレスのギリシャ語による写本である)。
所謂彼らの日常世界をグロテスクに象徴した悪夢のようだ。

何故、これはどの蔵書を誰にも閲覧させずに迷宮の果てに隠蔽するのか。
アリストテレスの詩学の第二部にあっては、その存在を否定したホルヘが毒まで塗って封印し続けていた。
ウィリアムにとり知は探求するものであるがホルヘにとっては保存するものである。
ホルヘに必要なのは、崇高な反復のみなのだ。

しかし基本的に考えることは疑うことであり、当然神もその対象の一つに過ぎず、教会にとっては脅威でしかない。
ましてやキリスト教の根幹も担うアリストテレスの説となればその影響力は甚大である。
アリストテレスの詩学第二部は、笑いが恐れを殺せばもはや神を必要とせず信仰の成立しない危険性を孕む。
次々にそれを読まんとした僧を毒殺したその書物を千切って口に押し込んでゆくホルヘの鬼気迫る執念。
そして松明を書物の只中に落として自らと共に知の迷宮全てを焼き払うのだ。
清貧の意味を取り違えた異端のドルチーノ派もそうだが、まさにウィリアムの語る信仰と狂信は紙一重の差である。
その差による狂気の沙汰の極みがありありと窺える。

IL NOME DELLA ROSA002


胸をときめかせて(異端の)知の山々に打ち震えたばかりのウィリアムは呆然とし、アドソを燃え盛る塔から逃がした後、力なく書物を守るように覆い被さる。
この時のウィリアムの絶望にひしがれた姿には深く感じ入った。
(わたしにとってはここが山場である)。

深夜に外で3人の異端者をベルナール・ギー指揮の下で火炙りにしている最中に背後の修道院の塔が凄まじい炎に包まれ丸焼けになって行く。それを見た修道僧たちや日頃虐げられている農民たちが火に向け一斉に集まる。
農民たちは無実の娘を魔女として焼こうとした僧たちを許すことが出来ない(彼女のところにはまだ火が回っていない)。
僧たちは黙示録の予言に恐れ戦き混乱を極めまずは火を消しにかかる。農民たちは暴動に出る。
ベルナール・ギーはさっさとその場を離れ立ち去ってゆく。怒りを隠さずその後を追うアドソ。
ベルナール・ギーにとって、僧殺しの真犯人などどうでもよいのだ。
しかし、帰り際に馬車の車輪が脱輪したところを農民たちの手にかかり馬車毎谷に落とされ彼は絶命する。

燃え盛る書物の塔を見て師匠の名を呼ぶアドソの前に手に持てる限りの貴重な蔵書を抱え煤だらけになったウィリアムが降りてくる。アドソは歓び駆けよって抱き着く。
命が助かろうとウィリアムにとっては大落胆以外の何ものでもない。
ホルヘについ先ごろ謂われた、君はさぞ優秀な司書となったろうに。が想い起される。
世界中の集められる限りの貴重な書籍群に取り囲まれ至福に浸った時は一瞬で奪われた。

最後に濃い霧のなか、師匠と馬で修道院から去る道すがらで、、トワイライトゾーンか?厩であの夜が明けたかのように目の前に現れ結ばれた娘が、この度の難を逃れてアドソを待っていた。ほんのひと時ではあるが、ふたりは手を握り合うだけで愛を確かめ合う。
そしてそのままアドソはウィリアムの後を追い、娘を置いて去って行く。
「何の後悔もない」と自分に言い聞かせ。
もう永遠に知ることもないたった一人の恋人である彼女の名前。

IL NOME DELLA ROSA008






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薔薇の名前 その1

IL NOME DELLA ROSA001

IL NOME DELLA ROSA
1986年
フランス、イタリア、西ドイツ

ジャン=ジャック・アノー監督
ウンベルト・エーコ原作

ショーン・コネリー 、、、バスカヴィルのウィリアム
F・マーレイ・エイブラハム 、、、ベルナール・ギー異端審問官
クリスチャン・スレイター 、、、メルクのアドソ(ウィリアムの弟子)
エリヤ・バスキン 、、、セヴェリナス(薬草係)
フェオドール・シャリアピン・Jr 、、、ブルゴスのホルヘ(盲目の師)
ヴォルカー・プレクテル、、、 マラキア(図書館管理者)
ミシェル・ロンズデール 、、、アッボーネ修道院長
ロン・パールマン 、、、サルヴァトーレ(異教徒)
ヴァレンティナ・ヴァルガス、、、少女


まず、何より圧倒されるのはその濃密な絵である。
わたしは、これほどの質量で描かれたキリスト社会~教会世界を見たことがない。
複雑な巨大迷路に秘められた知識~図書館。仕掛けと暗号によって読まれることから守られる異端の書物の山。自然のロケーションも含め。
書物と男色。彼ら修道僧は書物を読む際に、指を舐めてページを捲るのだ。誰もが。
この威容。異形の峻厳さ。怪しく血生臭い修道院。
のっけからその暗黒の只中に突き落とされる。
こちらもエッシャーの絵の中に捕らえられるのだ。

西洋でペストの流行る少し前の噺だ。
「キリストの清貧」を真理とするフランチェスコ会に対し教皇側が異端の烙印を押し対立関係となっている。
この修道院で丁度、アヴィニョン教皇庁の使節団とフランチェスコ会使節団の会談の機会が持たれる。
ウィリアムは調停役として招かれたのだが、修道院では連続殺人が起き、悪魔の仕業と揺れているところであった。
その殺人はヨハネの黙示録にみたてたものであるかに見えた。

彼はその明晰な頭脳を買われて院長からその事件の捜査も依頼される。
完全な名探偵だ。
ここからの筋は一切追わない。


開かれた読みとは、、、記号に暗号、隠喩に充ち満ちた物語において。
それをどう解釈して行くか。筋がしっかり通っていればそれを持って解決となる。
しかし読み取りコードを誤れば全く異なるこれまた整合性の取れた解釈が成立しかねない。
その辺の愉しみである。
そもそも本当の答え、解決などあるのか。
最終的にこう捉えてみたが、全く違うようにも捉えられるのだ、と突き放される。そんな世界の実相を味わう。

そもそもこの噺だが、老僧となったアドソの回想物語である。
当時、飛び抜けた知性を持った修道士ウィリアムの見習い僧として彼に付いて事件の解決にあたる立場の若者であった。
ウィリアムは差し詰めシャーロック・ホームズで、アドソが助手のワトスンとなろうか。
このふたりの推理や様々な記号(自然界の痕跡含む)の解釈を巡るスリル溢れるアクションを見るだけでもちょっとしたクライムサスペンスなどより遥かに凝っていて面白い。
まだ10代の若さのアドソにとっては不安と恐怖もかなりのものであったろう。
特に彼は(幻視のような)色濃い夢を見る。これも記号として作用する。


アリストテレス詩学の第二部を巡ってウィリアムとホルヘとの激論が交わされる。
そこでテーマとなるのが「笑い」である。
ウィリアムは笑いの認識における重要性を力説していたが、誰よりその「笑い」の本質を理解していたのはホルヘであった。
その為人々が「真理に対する不健全な情熱から解放される術を学ぶ」ことを何より恐れた。
神を笑い飛ばされる危険からキリスト教を守らなければならない。
ウィリアムたちは次々に記号を読み取り、暗号を解き、ホルヘのところまで辿り着く。
彼はその存在すら疑われていたアリストテレス詩学の第二部をずっと隠し持ち、読まれぬようにページに猛毒を塗って管理していた。しかし知識欲のある僧侶たちはそれを何とかして読みたい。
ホルヘによる計画的な毒殺とも取れるが、セヴェリナス以外は皆、自分の知識欲に駆られて命を落としたとも謂える。


映画は観たが、、、

原作を持っているのにまだ読んでいない。
映画自体もやはり一筋縄ではない。
これは原作を読んでから書くべきか、もう一度映画を観直してから書いた方が良いか、、、。

このまま、書けそうな気がした時まで、寝かせておくか。
どうやら、そうした方がよさそうなので、暫くこのまま何も書かないでおきたい。

ウンベルト・エーコ原作の映画である。
1327年。中世修道院を舞台にした7日間のドラマ。
主演は、ショーン・コネリー。
クイズか(爆。

ウンベルト・エーコというとわたしは直ぐにホルヘ・ルイス・ボルヘスを想いうかべてしまうのだが、ここでも盲目の師ブルゴスのホルヘが登場している。
この師もそうだが、どの修道僧も凄まじい。
異端審問官ベルナール・ギーが「アマデウス」のサリエリの俳優であったり、このような末節な部分まで何かを思わせる。

ともかく、まだこの映画について語る用意がない為、今回は見送り。
またの機会にしたい。

物語るという方法でしか理解できない世界がある、ということだけは実感できた。





バックトゥザフューチャー

Back to the Future001

Back to the Future
1985年
アメリカ

ロバート・ゼメキス監督・脚本
アラン・シルヴェストリ音楽
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース『The Power of Love』主題曲


マイケル・J・フォックス 、、、マーティ・マクフライ
クリストファー・ロイド 、、、ドク(ドクター・エメット・L・ブラウン)(博士
リー・トンプソン 、、、ロレイン・マクフライ(ロレイン・ベインズ)(母
クリスピン・グローヴァー 、、、ジョージ・ダグラス・マクフライ(父
ウェンディ・ジョー・スパーバー、、、 リンダ・マクフライ
マーク・マクルーア 、、、デイヴ・マクフライ
クローディア・ウェルズ 、、、、ジェニファー・ジェーン・パーカー(彼女
トーマス・F・ウィルソン 、、、、ビフ・タネン(悪ガキ
フランシス・リー・マッケイン 、、、ステラ・ベインズ


「我々がこれから行こうとする場所には、道など必要ないのです。」
 ロナルド・レーガンが一般教書演説に、ドクの最後のセリフから引用している。

Back to the Future005

1985年のカリフォルニア州ヒルバレーというところが舞台。
模型世界の香しさ。
デロリアンも出ている。この伝説のカルトカー。
主人公の少年はトヨタ・ピックアップにぞっこん。
博士ときたらテロ組織からプルトニウムを騙し取る。
雷も落ちる。

夜の電光。

この空気感。
爽やか。
余りに綺麗に伏線が回収され見事にエンディングへと収斂し飛び去って行く。

デロリアンにぎっしり詰められた機器のジュール・ベルヌ調の香しさ。
プルトニウムをスポンと装着する。
原子力カーが未来に戻る。

いやその前に、テロ組織の襲撃を逃れて、ドクは撃たれ、マーティは30年前の1955年11月5日に行ってしまう。
そこでまだ若いドクに逢う。
ビデオで老人のドクを見せることで彼はマーティを信じるが、その携帯撮影スタジオを見て、流石は映画スターが大統領をやる時代だと納得するところが笑える。こんな笑いに全体が充ちている。

Back to the Future004

プルトニウム切れだが、丁度30年前の落雷の記事を持っていた。それで電力が賄える。
時計台への落雷まで1週間。
車にぶつかる父を助けたお陰で、母になる女性に惚れられていた。
その修復をその間にしなければならない。
過去を改竄したら未来は飛んでもないことに。
この場合は、父となるべきジョージと母となるべきロレインが結婚に至らなけれな、自分も自分の家も消滅してしまう。

だが結局面白いように事は上手く流れる。
マーティの必死のお膳立ても実りジョージがロレインを不良のビフから守り、二人は結ばれる運びに。
父と母がダンスを楽しむパーティで、マーティはちょっと進んだライブを思いっきりやって、みんなあっけにとられる。
(50年代に無謀にもスケボーで街を飛び回るし)。
マーティの自信にも繋がる。「為せば成る」ここから来たのか。
さらにそれ以上の両親の固い絆とジョージの自信も得られ、特に彼の頼もしさが倍増している。
(未来は不可避的に改竄される。しかし良い方に。そうビフを懲らしめたのが一番良かったか)。

Back to the Future002

ドクはマッドサイエンティストではなく勇敢な騎士のような男である。
落雷でデロリアンを未来に戻すときの身を挺した行動は、タップリスリルと窮地にあっても決して諦めない精神をみた。
そして未来の運命などにも囚われない。
しかしマーティが書き残していった手紙を一度は破るがそれを後で貼り合わせ、30年後のテロ襲撃に備える主義に対する柔軟さを持っている。このちゃっかりしたところは、アインシュタインみたいだ。彼の飼い犬がその名だが。

80年代と50年代のアメリカが味わえるのもとても楽しい。
トヨタやビクターもかなり幅を利かしていたことも分かる。
あれもこれもと詰め込んだようには全く見えないが、たくさんの要素が絶妙に混ざっている。
家に戻ってみるととても裕福で、父がやたらカッコよいSF作家になっており、母もスマートになっている。
そしていじめっ子のビフを父が顎で使っていた。
さらにガレージには彼への車、ピカピカのトヨタ・ピックアップが。
マーティにとっては、ニンマリどころの話ではない、がこれでよいのか?この変貌だとその影響もさぞかし大きいはず。
そこへ、未来に出掛けていたドクがやって来て、君らの子供が大変だとマーティとジェニファーを乗せて、今度は空中に浮かんで飛んで行ってしまう。その前に、燃料はプルトニウムではなく、ゴミを燃料にしていた(爆。
何処にも隙が無く、妙な破綻もなく、細部まで行き届いたエンターテイメントの絶品だ。

Back to the Future003



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これも吹き替え推し














ブルー・リベンジ

BLUE RUIN001

BLUE RUIN
2013年
アメリカ、フランス

ジェレミー・ソルニエ監督

メイコンブレア、、、ドワイト
デヴィン・ラトレイ、、、ベン
エイミー・ハーグリーヴス、、、サム
ケヴィン・コラック、、、テディ
イヴ・プラム、、、クリス
デビッド・W・トンプソン、、、ウィリアム


"青い破滅"である。
Amazonprimeで観た。
この自閉的な何とも言えない吹っ切れなさがリアルでよい。
ひとつの考えに囚われると人はそこから容易に抜け出せなくなる。
どうにもやりきれなくなりそれを止める理由を見つけようともするが、仮に見つかっても事態がすでにそれを許さないところまで動いてしまっている。
自らそれを欲してではないが、行き着くところまで行くしかなくなるのだ。
躊躇いながらズルズルと破滅に向かう。

映画によくある、きりっとしまった主人公によるスタイリッシュでクールな復讐劇など、この作品の前では子供騙しの物語にしか思えなくなる。
最初は身の危険と復讐心を同時に抱き、ともかく両親の仇を取り不幸な生活に区切りをつけようと思たのだろう。
オンボロ車を根城にして、みすぼらしい恰好でホームレスに甘んじているうちに、仇の殺人犯が司法取引でさっさと出獄してきてしまったのだ。
犯人を不意打ちにして痛手を負いながらも殺害するまではとりあえずは何とか成し遂げるが、、、。
その後、姉に泣きついて自分のしてしまったことを告白するも、かえって報復の危険に姉家族を巻き込んだことから彼女に強く拒絶され見放されてしまう。

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案の定、直ぐに姉の家に潜むドワイトをファミリーが豪華リムジンに乗り、襲ってきた。
彼は脚をボウガンで撃たれ負傷する。
だが、犯人の兄を車をぶつけて気を失わせ、トランクに詰める。
このまま終わることがないことだけははっきりしていた。

昔馴染みのベンに銃のことで助力を頼み親身になって支援は貰うが、基本的には気の進まぬままに独りで敵のファミリーのアジトに潜入し最終的なケリをつけることとなる。
(この頼りになる精悍な男のお陰で長男に撃ち殺されるところを返り討ちで仕留めることにはなる。ドワイトは命拾いしたのだ)。

BLUE RUIN005


相手と実際に対峙してみると、実情は異なるのだ。
その差異が内省を呼び込み、熱を冷まし、疑問が湧き、動揺と混乱を抑える自己正当化の為の理屈を求め始める。
事実~事態の認識は人により常に(大なり小なり)ズレる。
当然のことだが、一つに事件に対する情報~認識は違うのだ。

ここではすでに亡くなっている出所した犯人の父親がドワイト家の両親を殺害し、その次男が身代わりに自首したのが実情なのだ。
父親は癌の為、獄中生活が耐えられないとみて身代わりとなったそうだ。とは言え、かなりの長生きをしたという。
いずれにせよ、敵のファミリーにとっては、次男が濡れ衣で不当な制裁にあって殺されたという認識を持つ。
そして報復に燃える。
ドワイトにとっては、もはや誰が実際に手を下したかどうかなどどうでもよかった。
この連鎖を彼はは止めたいと願うようになる。早く終わらせたい。これが一番の願いに他ならない。
姉には幼い娘が二人いる。
ここに届かないようにしなければならないと。
行くところまで行く理由つけとなるのだ。
それがなければ、もう直接両親殺害に関わったわけでもない相手を殺す必然性が自分の心中に維持できない。
彼は時折、吐きながらもヨロヨロと実行に移る。

よくあるサスペンスのようにシステマチックにことを進めて待機するのではなく、留守中の犯人の家に立てこもりながらもアルバムを眺めては眠りこけてみたり、どことなく投げやりで集中を欠く所作が目立つ。
勿論、そういったことに対して素人であり手際などよいはずもないが、やる気自体も薄いのだ。

BLUE RUIN004

そして彼らが帰ってきたところで撃ち合いとなる。
圧倒的有利な立場にいて、彼はそれを有効に利用しなかった。
わざわざ自分から彼らに語り掛け、心情を吐露してからの撃ち合いである。
ドワイトはまだ子供の三男に撃たれるが、彼に対しては発砲しない。他のファミリーを全て撃ち殺して自らも果てる。
ウィリアムは、自分の殺された父と向こうのファミリーの母との間の子であるのだ。
そのことがバレて向こうの父に両親が殺された経緯である。

ウィリアム独りが銃を投げ捨てその場を立ち去って行く。
恐らくドワイトが死ぬ間際に言った彼の隠したカギの掛かったままの車に向ってゆくのだ。

連鎖は解かれたはず。




吹き替え推し


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ドクター・エクソシスト

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Incarnate
2016年
アメリカ

ブラッド・ペイトン監督
ロニー・クリステンセン脚本
アンドリュー・ロッキングトン音楽

アーロン・エッカート 、、、ドクター・セス・エンバー
カリス・ファン・ハウテン 、、、リンジー・スパロウ(キャメロンの母)
カタリーナ・サンディノ・モレノ 、、、カミーラ・マルケス(バチカンの使者)
ダヴィード・マズーズ 、、、キャメロン・スパロウ(11歳の少年)
キーア・オドネル 、、、オリヴァー(エンバーの助手)
エミリー・ジャクソン、、、ライリー(エンバーの助手)


近くの蔦屋が潰れるので、セルヴィデオかAmazonprimeかBS録画ものか、民放のお昼のロードショウから、観る事にしている。
蔦屋は返却日をうっかりして、遅延料を払うことが多かったし、Amazonprimeはとても便利なのだが、ちょっと選択肢が少ない。BSNHKものは、ホントにたまに掘り出し物に出逢うが、古い昔見たことのあるものが多い。お昼のロードショウは、CM観ているのか映画観ているのか分からない、しかもカットも半端ではない映画体験であったが、鮫映画はこれでもか、というほど観れた。

今日は、Primevideoである。
「ドクター・エクソシスト」という安っぽい邦題から、B級臭プンプンであるが、アーロン・エッカートということで、観ることにした。
彼の代表作みたいなものは観ていないが、佳作と言ってよいものをわたしにしては、かなり観ている。
ダークナイト」、「ラビット・ホール」、「ザ・コア」、「世界侵略 ロサンゼルス決戦」、「ペイチェック 消された記憶」などで。

ドクター・セス・エンバーは、クライアントの意識に入り込むことで憑依した悪魔(彼は寄生体と呼ぶ)が現実だと信じ込ませている夢から彼を解放し、助け出すという超能力を使う特別なエクソシストである。本人はきっぱり宗教を否定しているため、悪魔とかエクソシストとかいう言葉は使わない。
彼はその寄生体に対する復讐心によって彼らと戦っている。
かつて、マギーという寄生体によって妻と息子を交通事故で失い、自分も下半身不随となり車椅子による生活を強いられていた。
彼が悪魔たちの憑依から人々を解放し救ってゆくことから、彼をマギーが付け狙っていたのだろうか。
死ぬよりも残酷な運命を与えるなどと言っていることからも向こうもかなり激しい憎悪を向けているようだ。
(これでは戦う他に選択肢もなかろう)。

パソコンで医療的な身体管理や闘いのモニタリングなどを支える助手スタッフはいるが、闘いは全面的に夢に入ることが出来る彼の超能力による。
通常の憑依された人間を救うには、その人間の願望により構成された彼を惑わす夢を悪意のある幻想として本人に自覚させ、そこから避難させれば解決である。だが、他者の夢の中でその寄生体そのものを滅ぼす手立てはあるのか?そこがいまひとつよく分からない(少なくとも、こちらにはそれがあるのかどうか伝わってこない)。

悪魔~リンジー~寄生体は、接触によって、対象に憑依する。
この接触がポイント。
不用意に接触すると乗り移られるか、例の力で宙に浮かされ地べたに叩き付けられなどして呆気なく殺されてしまう。
(ここでも恐ろしい霊力で二人が殺されている。だが、警察が動いた形跡がない。何故か)。

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潜在意識内では時間が止まる。
ということで、時計が止まる。
ココでいう時間とはどういうものなのか?
事象から自立した何かなのか?

ドクターは、自身レム睡眠に入り、対象の意識に潜入するという。
ただし、8分間が限度となる。それを越えると自分の命を失う羽目となる。
夢の中では時間が止まっているのに時間勝負なのだ。
ここがスリリングなシーンともなるのだが。

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結局、キャメロンを救い出す手立てとなるのは、こともあろうにドクターの妻が生前付けていた十字架のブレスレットなのだ。
それをマギーが取り憑いたキャメロンの父の口に入れることで成し遂げる。
果たして敵を倒す確かな戦略や武器を備えているのか心配になる。
(まさか十字架が武器とは、、、)。

どうやら、マギーの方が上手で、やられた振りをしてドクターに入り込み、彼の願望をリアルに再現し実は家族は助かり自分も歩ける世界を生きている。何とラッキーなというところなのだが、彼は腕時計を見て気づいてしまう。
そこから抜け出るために、彼はビルから飛び降りる。
憑依された対象が死ねば寄生体も滅んでしまうのだが、救急車に乗せられ隊員が心臓を蘇生させようと電気ショックを与えると奇蹟の復活を見せる。喜ぶ同乗したカミーラに向け、瀕死の彼が笑みを浮かべて差し出した指を彼女は握ってしまう。
ここでマギーはカミーラに移動し(目の色が変わり)、セス・エンバーの心臓は止まる。
彼の「お前も巻き添えにしてやる」という執念も実らず、マギーの勝利に終わった。

なるほど。
(とは言え、相討ちくらいにしてやらねば無念すぎるだろう、とは思ったものだが)。
続編が期待できそうな?、、、どうであろうか、この映画の興行収入次第であるか?


マギーそのものは出てこなかった。実体が無いとか言っていたが、何らかの実体がなければ、作用できないはず。
続編が可能ならそこで、ちょっと見せてもよいのでは。
キャストはとても良い。
アーロン・エッカートは何でも全力でこなす俳優とみた(笑。
母もカミーラも凛として華があるし、助手ふたりも良い味を出していた。
特に取り憑かれる少年キャメロン役のダヴィード・マズーズは今後の活躍が楽しみな俳優だ。
音楽、効果音もかなり上質なものであった。
なかなか見応えのある映画であった。



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吹き替え版推し。


フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館

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2015年
イタリア

ルカ・ヴィオット監督

プライムビデオで鑑賞。

昨日と違い、解説がしっかりしていた(ウフィツィ美術館長アントニオ・ナターリによる)。
質の高いドキュメンタリー映画になっていた。

そして語り部~主人公がロレンツォ・デ・メディチである。
フィレンツェをこよなく愛した男である。
役者もフィットしている。彫刻で見た彼に似ている。しかし服装は現代のラフな服を着ている。
「フィレンツェが生んだ芸術を輝かせること。永遠に!」
「芸術がフィレンツェを形作り、フィレンツェが芸術を生み出す」
これが説得力を持つドキュメンタリー映画だ。
ロレンツォ・デ・メディチは卓越した政治家でもあるが、どれほど学問・芸術に肩入れしていたかが分る。
審美眼も一流だ。

そして権力を持つと、優れた美術品を収集したくなるのも自然だろう。それらがひとつの場所に会すると確かに凄まじい相乗効果が得られる。
自分だけの鑑賞室を持つ夢を実現したフランチェスコ一世など、何と贅沢な男だ。

ブルネレスキ(建築)~ドナテルロ(彫刻)~マサッチオ(絵画)の3人の天才の紹介から始まるが、ブルネレスキの斬新なドーム設計の説明を聞いても改めてその才能に感心するが、何よりドナテルロである。
ダヴィデはすこぶる魅惑的で、ミケランジェロとはまた異なるタイプの天才の彫刻であることを再認識する場となった。
そしてここから、レオナルド~ミケランジェロと流れる展開にはゾクゾクする。
(ひとつの映画でドナテルロとミケランジェロのダヴィデが見られるのもホントに贅沢である)。

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ブルネレスキ設計の二重構造のドームを持つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とミケランジェロのダビデ像(レプリカ)が立っているシニョーリア広場などもしっかり眺める事が出来、ドキュメンタリーとしてちゃんと機能している。ヴェッキオ宮殿内の絵画の並びにも惹かれた。そして何よりウフィツィ美術館。ミケランジェロの「聖家族」やボッティチェリのプリマベーラ~春が拝める。「ヴィーナスの誕生」は改めてじっくり観てみたい。
うちの近くの高校では、美術部に入ると、夏休み合宿で、この辺をしっかり見学できるそうだ。何と羨ましい。


レオナルドの「受胎告知」で解説者がこの絵の主役はあの山(遠近法の消失点)であると言っていたのは慧眼と思う。
まずわれわれの目は、あの海からせり上がって来た幻のような山に惹き付けられるはずなのだ。
「アンギアーリの戦い」は感慨深い。そう実験が過ぎて壊滅したのだった。
ボッティチェリの解読しなさいと突き付けてくるような寓意画がこれまで苦手であったが、時代背景も考えると制作する必然性も見えてくる。
寓意的神秘に達している「春」は改めて見事に思う。
新プラトン主義の意匠でもあるのだ。植物が500種類も描かれているのには参った。

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レオナルドの「東方三博士の礼拝」の修復後の画面がかなり観れた。
レオナルドの絵は、未完と兎角謂われるが、それ自体が至高の構造図みたいな作品になっていることを実感する。
アルテミジア・ジェンティレスキを初めて知った。怨念を感じる程の迫力の「ユーディット」は印象に深い。
ミケランジェロの弟子であり美術史家として高名なジョルジョ・ヴァザーリのフレスコ画も見られ建築家としての働きにも触れられた。
ベンベヌート・チェッリーニの「メデューサの頭を持つペルセウス」も初めて知る。
これらは収穫。
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」までの射程があった。
確かにこの作品、品格があって美しい。

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やはりレオナルドとミケランジェロのふたりが天才のなかでも飛び抜けた存在であることも彼らの作品を目にしながら流れの中で再認識できる。
そしてジョットがルネサンスの父と言ってもよい存在であることをしっかり確認できた。

とりとめもないことを並べてしまった。
色々と思うことが錯綜し、なかなかまとまらない。
この映画は観て損はない充実した内容に思う。




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レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮

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Leonardo da Vinci - Il genio a Milano
2015年
イタリア

ルカ・ルチーニ, ニコ・マラスピーナ監督

ピエトロ・マラー二
マリア・テレーザ・フィオリオ
ヴィットリオ・ズガルビ
ヴィンチェンツォ・アマート
クリスティーナ・カポトンディ
アレッサンドロ・ヘイベル
ガブリエラ・ペシオン

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何とも微妙なドキュメンタリー映画であった。
まず、解説者が前面にしゃしゃり出て、絵的に色々と邪魔をしながら結構長くしゃべるのだが、レオナルドの謎に迫るというほどでもなく、すでによく知られている内容を繰り返すに留まる。新しい資料や考察とか、変わった角度からの分析とかが披露される訳ではない。
ラファエロがレオナルドとの交流なしで、あのような偉大な画家にはなり得なかったという説には全く同感である。
(レオナルドに逢う以前の絵とそれ以降~晩年の絵では大変な質的な差が横たわっている)。
同感はするが、別に新しいことは何もない。
そこに関しては、邦題の通り、「迷宮」を確認するだけで、面白味などないに等しい。

それから姿を見せず、レオナルド(一人称)の語りが入るのだが、吹替の声と喋り方が全くイメージからかけ離れている。
これもうちょっとどうにかならなかったのか。
レオナルドのあの精緻で重厚な自画像を見たうえで、決めたのか?
知性も芸術性も微塵も感じられない喋りである。
どういうつもりなのか、、、

Leonardo da Vinci002

だが後半に至り、特に終盤の役者による小芝居はちょっと興味を引いた。
サライである。
サライも含め4人の愛弟子のエピソードはもう少し詳しく知りたいものであった。
もっと小芝居が観たいものだ。
この辺のドラマ性で押せば、面白い映画にはなったはず。
なかでもサライの役者が良い味を出してくれた(この役者に感謝したいくらいだ)。

わたしもサライについては、レオナルドが寵愛する美青年でモデルにもしていたことくらいは知っていたが、何とも人間味溢れる彼の姿~演技に触れると(勿論、フィクションであっても)ワクワクするものがある。
手癖が悪いこともどこかで読んだが、その上に大嘘つきで大食いというのには笑った。
それでも優秀な弟子たちに負けずに大事にされていたというからには、何らかの特別な魅力があったのだろう。
恐らく本物は(絵から察しても)、この役者より美男子で謎めいていた男だとは思うが、ここでのサライもなかなか印象深い。
サライが出てきたあたりからわたしは俄然観る意欲が高まった(そろそろ途中放棄しようと思いかけていたところであった)。

Leonardo da Vinci003

「最後の晩餐」と絡めて観てゆくと、ちょうどイエスに対するユダが、レオナルドに対するサライに思えてくる。
忠実な愛弟子がサライに噛み付き「お前はマエストロから全てを奪った」と憤慨していたが、そういう男だったのだろうか。
かなりいい加減で、適当な感じで、植木等みたいにカラッとしているわけではなく、ジメジメしている(爆。
ただ容姿が良いというだけで、ブドウ園を半分も分け与えられ、大事な絵画も何枚も貰い、かなりの裕福であったというのも腑に落ちない。レオナルドと同等の謎の男には違いない(謎の存在であることでは、負けていない)。

この映画を観た、最大のと言うか唯一の影響~興味の沸いたことは、サライについてである。
こんな面白い人物がいるだろうか?
サライはニックネームで、「小悪魔」だそうだ。
寧ろサライの視点が気になってくる。

Leonardo da Vinci006

是非、サライを主人公にした映画を作って欲しい。
映画「サライ」である。
誰かやってもらえないだろうか。
サライから観た他の(優秀な)弟子たちと、そのマエストロであるレオナルドが素描される、、、。
これは、絶対面白い作品となるはず。
資料にじっくりあたる必要はあるが、作り甲斐のある映画になるに違いない。
他の愛弟子の人間像やその作品もしっかり紹介して欲しい。
実際、愛弟子たちの優れた絵は幾つも現存する。
(何枚か観ているがかなり見応えのあるものばかりだ)。

そしてレオナルドと彼は一体どういう関係であったのか。
それがレオナルドの透徹したモノの捉え方や途轍もない想像力とどう関連していたのか。
恐らくサライとの付き合いもそのなかの一部(一環)であったはず。
サライの想う親方像からわれわれは、「レオナルド」を新たに洗いなおす、物語なんて結構斬新ではないか?
何にしてもサライはレオナルドと一番、関係は深かったのだ。
レオナルドが各地を転々としなければならなかった政治情勢や不遇に耐えなければならなかったところも、余り普通の美術書には書かれていないものである。これも是非忘れずに近場にいたサライの目で綴って欲しい。

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では、お願いします。





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マーニー

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Marnie

1964年
アメリカ

アルフレッド・ヒッチコック監督
ジェイ・プレッソン・アレン脚本
ウィンストン・グレアム『マーニー』原作

ショーン・コネリー 、、、マーク・ラトランド(裕福な会社社長)
ティッピー・ヘドレン 、、、マーニー・エドガー(女詐欺師)
マーティン・ガベル 、、、シドニー・ストラット(マーニーの被害に遭う社長)
ダイアン・ベイカー 、、、リル・マインウェアリング(マークの亡き妻の妹)
マリエット・ハートレイ 、、、スーザン・クラボン(マークの会社の社員)
ブルース・ダーン 、、、船員(殺されたバーニスの客)
ルイーズ・ラサム 、、、バーニス・エドガー(マーニーの母)


久々にヒッチコックの映画を観た。BSで録れていたものだ。
朝食後に観始めたのだが、ヒッチコックの映画にしては、大変見ずらい映画で、何度も息抜きしながら何とか見終えた。
マーニーという幼少時に受けたトラウマが原因で盗癖と虚言癖が治らない女性がともかくキツイ。
この女性の言動に付き合うのがどうにも耐え難い。

」の翌年の作品だが、う~ん「鳥」が余りの傑作であったもので、それから見ると、、、ヒッチコックらしさは充分窺えるのだが、何とも見ずらい。
ここまで、重症になると余程の義理?でもない限り、こんなに面倒みるひとがいるか?

マークはマーニーが好きになったからだという。
う~ん。好きになるか?
好きになったというのだから、そうなのだろう。一目惚れか。
これだけ無私の態度で何度裏切られようが徹底して尽くす、、、決して諦めない。
そうか、自分の娘だったらそうするな。そうする以外の選択などありえないし。
まるで、娘の教育だ。親父の視線だ。それなら痛いほど分る。実際、ホントに痛いもの(爆。

でも、他人でここまで出来るか?
そう、好きだからと言っていたっけ。
そうか、好きなのか。
好きなら出来るか。
そういうものだろう。

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どうもこういう映画は手に余る。
このマーニーのシンドさは、途轍もない。
わたしは終始、マークはよくここまでやるなあ、と距離をかなり持って眺めているだけだった。
実際、TV画面から次第に距離を持って遠くから観ていたくらいだ(笑。
この映画にドップリ浸かって身を入れて観れる人こそ映画通という人であろう。
わたしは、基本的に映画というメディア自体が苦手なにんげんであるからして、生理的にキツイ映画ではすぐにヘタる。
映画そのものの出来だとかそういうレベルではなく、こういう登場人物に、まいるのだ。

勿論、彼女が精神に深手を負っていることは理解はできる。
一般に盗癖と虚言癖などは幼少期の母親との関係がとても大きく作用するものだ。
このヒロインもそうだ。母との関係に問題があることははっきりしている上に、衝撃的な事故(殺人)も経験してしまった。
当然、深いトラウマとなってその後の人生を支配してしまうだろう。
自分でもどうにもならない精神的基調の上を衝動に突き動かされて生きるのだ。
(この辺は、ヒッチコックの好きな題材の一つであることは分かるのだが。サイコのような面白さ、共感には繋がらない)。
確かに事務所の金庫周辺を行き来する緊張感は、ヒッチコックのものだが。

ひとつ映画に入って行くには、、、
その主人公の様々な動きに共感する条件として、生理的にも主人公と同等の生理・感情が働かなければならない。
わたしは、どうもこの主演女優に魅力を覚えないのだった、、、。
だからなのだ!(ほとんど、バカボンのパパである(爆)。

そういうレベルで引いていたのだ。
この主演女優がいくちゃんとまで行かなくとも、マリオン・コティヤールほどの女優であれば、わたしも主人公に共感して、一緒に彼女の動向や心理に対しハラハラして見守っていたかも知れない。
「映画」と言うものはそういうものだ?
そうした面は不可避的にある。

だからキャストは大事なのだ。
この映画以降、この女優は恐らく使っていないはず。
アルフレッド・ヒッチコック監督は元々、女優選びのセンスが良いことにも定評がある。
ショーン・コネリーは役柄にピッタリであった。
よく頑張った!
自然にこう言いたくなるではないか(笑。

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まずは、マークがムーニーにしたように、自らが抑圧した記憶にはっきり向き合わせるところから始めることが大切であろう。
その場を設けるだけの知性と行動力は必要である。
そして、こういう人が日常の中で無償の愛を注ぐことが出来れば、それに勝るものはない。
大病院に連れてゆき、専門医に任せるより、遥かに正しい。
これは断言できる。
(だが、これは極めてレアな例である。そういう奇蹟の物語である)。





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湿地

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Myrin
2006年
アイスランド、デンマーク、ドイツ

バルタザール・コルマウクル監督・脚本
アーナルデュル・インドリダソン原作
ムギソン音楽
ベルクステイン・ビョルグルフソン撮影

イングバール・E・シーグルズソン、、、、エーレンデュル警部
オーグスタ・エバ・アーレンドスドーティル、、、エヴァ(エーレンデュル刑事の娘)
ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン、、、オルン(コーラの父、難病の保因者)
オーラフィア・フロン・ヨンスドッティル、、、エレンボルク(女性捜査官)
テオドール・ユーリウソン、、、ルーナル(元悪徳刑事)
ソルステイン・グンナルソン、、、ホルベルク(難病の保因者、オルンの父、ウイドルの父)


「負の連鎖」にどう向き合うのか。
この問題は途轍もなく大きい。

今現在の苦悩~不幸~ここでは難病により最愛の娘が死に妻も自殺する。
この不幸に納得が出来ず、夫(オルン)がその難病について調べると、それは遺伝性のものであり自分もその保因者であることが分かり、その難病の因子は母ではなく浮気相手の男のものだと分かる(しかもそれは当初、レイプによるものとされてきた)。
オルンがその男ホルベルクを探し出し、詰め寄ったところで事件が起こる。

病という連鎖に男は打ちのめされる。
ここで最愛の者を失った。
自分もその病の保因者であり、それは引き継がれたものである。
だがそれだけであれば、その不条理は諦観のなかに霞んでゆくものであったかも知れない。
しかし、その病は母からでも父からのものでもなく、犯罪者(保因者)という他者のものと知る。
ここで、自分は父の実の子ではない、更に犯罪によって生まれた者(望まれて生まれたのではない者)であるという認識に直面する。
だが、更に警察が調べると、それはレイプによるものではなく母の不貞によるもの、裏切りによる結果であることが判明する。
この実の父となるホルベルクと言う者もどうしようもないゴロツキであったが、母も被害者などでは全くなく自分の行いを偽証して保身を図っていた(警察をも騙していた)女だった。
オルンにとっては絶望的なアイデンティティの問題~実存の問題となる。

遡行してその原因を突き止めたとしても、それで問題自体がどうなるわけではない。
変わらず不幸の実体はそこに横たわっている。
よく原因が掴めればもう解決したも同じだ、などという噺も聞くが全くそんなことはない。
訳の分からぬ不幸を言語化して構造として捉えれば、確かにそれを引き起こしたメカニズムは把握できようが、事態を変えることには繋がらない。
事態は全く動くわけではないのだ。原因が分かったところで回復させる手立て・方法がなければ変わらず受苦するのみである。
新たな場所を用意しなければならない(これには必然的に自己解体を伴う。自殺する場合も少なくない)。

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この流れでは行き着く先も見えていた。
無理やり事態を打開しようとすれば今回のように殺人などに直結する。
オルンは自分たちが遺伝学の医学者に「偏差」と呼ばれていると語っていた。
度合は違えど誰もがズレているのだ。
それぞれが偏差値を持ち、それは揺れ動くがやはりどうにもならない値はある。
「ぼくは何者だ」と自問し、エーレンデュルの目の前でオルンは自殺する。


この物語では、殺人事件からその犯人を探る流れで始まるのだが、、、。
(オルンがホルベルクを衝動的に殴り殺す)。

アイスランドの映画は以前、「静寂の森の凍えた姉妹」を観ているが、色調は同様のものであった。
空は広くて重くいつも仄暗く何かが常に鬱積して静かに渦巻いている。

雄大な自然のなかにあって、人はいたるところで負の連鎖を抱えて生きている。
そして破滅に至る者も少なくない。

主人公の刑事も娘に負の連鎖の芽をはっきり窺っているが、それをどうすることも出来ない。
(娘は成り行きで妊娠しているが、子供を産んだら虐待しそうで怖いと父に訴えている)。
寒々しい重苦しさが画面いっぱいに溢出ていた。

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エコール

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Innocence
2005年
ベルギー、フランス、イギリス、日本

ルシール・アザリロヴィック監督・脚本
フランク・ヴェデキント『ミネハハ』原作

ゾエ・オークレール 、、、イリス(6歳アジア系の少女)
ベランジェール・オーブルージュ 、、、ビアンカ(12歳の少女)
リア・ブライダロリ 、、、アリス(中等級の少女)
マリオン・コティヤール 、、、エヴァ(バレエの教師)
エレーヌ・ドゥ・フジュロール 、、、エディス(生物の教師)


エヴォリューション」の監督ルシール・アザリロヴィックのこれより11年前に作られた作品。
これは、少年は一人も出てこない。思春期前の少女たちとどこか生気のない若く美しい女性による世界である。
昨日の映画より設定も表現、演出も現実的で具体性もあり普通の映画として観易い。
「水」が出てくる場面~イメージが要所要所にあり、水を大事なメタファーとして扱う監督であることも分かる。
(昨日の映画でもそうであった)。


棺で6歳の少女が森の中の大きな屋敷に運ばれてくる。
そこは深い森の中にある秘密の学園であった。
6歳から12歳の女子生徒(児童か)で構成されている。
他には若い女性の先生2人と年輩の主事のような女性がいるだけだった。

新入生が来ると在校生みんなで棺を囲み迎える。
幼い少女に制服を着せてリボンを付けさせる。
最年少は赤、年長組は紫、年中さんは青のようだ。

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「新しい周期が始まる」(エヴァ)
このセリフは昨日の映画「エヴォリューション」でも語られた。
確かにヒトは何度か脱皮する。
その間際の時期は難しい。
一生を左右するような新たな時を迎えるのだ。変態するのだ。
少女たちの不安と焦燥、そして動揺は大きい。
「卒業」を待つことが出来ず、性急に事を起こして命を落とす少女も出てくる。
ここでは、ローラとアリスが規則を犯して脱走を図り、ローラは溺死しアリスも行方不明で絶望視される。
恐らく、イリスが棺に入ってこの学園に現れた時、その赤リボンはナターシャのモノだと同じ歳のセルマが叫ぶが、そのナターシャという娘もそのような逃亡で命を落としたのかも知れない。

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理由は分からぬが、こうした館に知らぬ間に運び込まれると、幼いながらも当然これまでいた世界が気になるはず。
そして外部に強い憧憬を抱く。亀みたいに脱走を試みたくなる。
この第二次性徴が現れる頃までの外界との隔離はなんであるのか、、、
その意義、目的は明かされない。誰の権利・意図で彼女らが連れてこられた(選ばれた)かも分からず仕舞い。

青色のリボンの年齢の少女を見に、年に一度校長がやって来る。
その時、校長の目にとまれば、彼女に外の世界に連れて行ってもらえるのだ。
それに賭ける少女も当然出てくる。
アリスがそうであり、熱心にバレエの練習にも取り組むが、最後まで選考に残るも惜しくも落とされる。

ここが自分の家よ、と言って落ち着いていられる子が無事に卒業まで漕ぎつけるようだ。
順応性の高いことが肝心なのだ。エヴァも落ち着かないイリスに年上の先輩(ビアンカ)に服従しなさいと勧めている。
ここにいるからには、その掟に従いそれなりに愉しんで暮らしている生徒が無事に外界にでてゆくらしい。
逆らうと罰があると、彼女らの中で囁かれる(噂では、エディスの脚が不自由なのは、かつて脱走を図って脚を折られたという)。

何やら語りながら森林の道を歩く彼女らの姿は美しい。

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湖や小川もある。
そこで水浴びもする。
森の大きな館ときたら、川や湖はなくてはならない。

自然に仲良くなったり、年長者に憧れたり、喧嘩をしたりするようにもなる。
脱走の相談も出たりする。

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バレエのレッスンが殊の外重要のようだ。
その理由も最後の方で分かる。
年長組になると、毎夜9時ごろに皆、外に出掛けていた。
実は彼女らは、踊りを見せていたのだ。
別の館に密かに行き客相手に舞台発表をしていた。
天使の羽をつけてバレエを踊るのだ。

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ビアンカは見えない暗闇の客席から「美しい!」と絶賛の声を浴び、バラの花を投げられる。
舞台で彼女らがバレエを見せることで学園経営費が捻出されていたのだ。
(どれほど高い演目なのだ)。

敷地には幾つも館があり、毎夜ビアンカが出掛ける秘密の館にはバレエの舞台があることをイリスも知ることとなる。
舞台からは客席は見えないが、いつも客(出資者たち)は来ていた。
いよいよビアンカたちの学年最後の舞台になり、彼女らはそれを終えると卒業が待っている。
(在校生、先生との別れを惜しむ)。

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この舞台のある館の地下は何と地下鉄に連結しており、そのまま列車に乗って表の世界に出られるのだった。
二人の先生に送られ駅を出ると別の大人の女性に迎えられ外には公園が開けており、大きな噴水があった。
卒業生たちはすぐさま靴を脱いで噴水に入って燥ぎ始める。
いつしか、若い男性が水に入っており噴水を挟みビアンカと笑顔を交わす。





マリオン・コティヤールは流石に美しいが、影のある教師でいつもの華やかさはない。
子どもたちが丁度小学生の年代であり、所謂低学年の子供のレッスン場面などが多くさかれ幼過ぎるきらいはあった。
美しき冒険旅行」のジェニー・アガターみたいな際立った少女がいないのは、全体の雰囲気を乱さないためもあろうが、キャストにちょっと小粒感はあった。

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エヴォリューション

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Evolution
2015年
フランス、スペイン、ベルギー

ルシール・アザリロヴィック監督・脚本


マックス・ブラバン、、、二コラ
ロクサーヌ・デュラン、、、ステラ
ジュリー=マリー・パルマンティエ、、、母親役

11年前の前作『エコール』はまだ観ていない。
思春期前の子供の精神世界~漠然とした不安、などを描くことが得意な監督か。
瑞々しい不安な感覚が何と言うかこそばゆい。
ともかく、大きな何か、、、思想や価値~メッセージを打ち出す類のモノではなく、幽かに残る間の時~トワイライトゾーン~を想起させるような映画であった。だからディテールが生々しくも残酷で美しい。
そして睡魔も呼ぶ。

オンド・マルトノで音を作っているそうだ。
なるほどと思った。あの独特な単音の作る空間。
映画そのものがオンド・マルトノの世界というか、ミニマリズムの世界である。
監督の狙いはよく分かる。

どうしてもすべてが象徴的に見えてきてしまうものだが、この時期の世界はとても濃くて重層的な意味に充ちている。
と謂うより、まだ意味が分化せずに(有機的に文節化せずに)豊かな塊として渦巻いてもいる。

この世界にどことなく郷愁を覚えてしまうのは、自分もかつていた世界の質感に惹かれるからか。
それを感じて場面を味わう見方でよいかと思う。
これを監督が判じ絵みたいに意味を組み込んだ、象徴を読み解く映画として見たら全く味気ないモノとなろう。
それはこの映画を観ていることにはならない。
単に特定の思想(の体系)に還元した別のモノになるだけだ。
しかしそういう「読み」を引き寄せ易い映画でもあろう。
確かに水に羊水、ヒトデとライトと星にステラとか、視線の向きなども含め、ある特定の世界~意味を志向することば(名称)や画像が特別な意味を帯びてくる、、、。
オンド・マルトノが効果的にその意味の拡散を留めている。

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壁の緑はどういう変化であったのか、その辺も気にし始めたら解釈に気持ちが流れてゆく。
二コラの海パンは補色の赤である。ヒトデも赤、、、血も勿論。
そうしたところからも、かなり危うい映画ではあるが。
病院があまりに人間世界のものに似ている、とくに服装~手術着など、この辺で明らかに何らかの文化的な交流も見えてしまい、この種族の立ち位置が覚束ないモノにも思えてくる。

とは言え、捉えて来た男の子に施術して自分たちの子供を産ませるというこの女だけの種族に、妙なリアリティを感じる。
この母役をしている吸盤を背中に持つ女たちが深夜、群れを成して海辺でウネウネしている様子などまさに悪夢である。
夜の暗闇にこんな夢に近い恐怖と不安を抱えていた時期を今でも時折想い起す。
彼女たちに表情がないことから、人ではないことは最初から察しはついていたが、どうやら人間の男の子は彼女らにとって単なる外部生殖器に過ぎないもののようだ。この他者性。
この異物性。孤絶感。このしこりのような感情は何故かリアルに残っている。

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その女の種族のなかの一人、ステラが二コラがかつていた人間世界に彼を帰還させる。
そう、彼は少年たちの中でただ一人、車や観覧車や実の母であろう女性の絵などをスケッチブックに描いていた少年だ。
(元居た世界の記憶があることが分かるし、彼のいる島の生活を対象化して捉える目を持っている)。
他の少年たちは彼女らの子孫を産んだ後、死んでいる様だが、彼はどうやら生かされて彼女の意志で戻されるようだ。
ステラは自分たちの子孫だけでなく、二コラ自身に特別な感情~意味を感じたようである。
彼を本来あるべき世界に生かしたいと思ったのか。
二コラを人間世界の灯の見える海上に独り残し、彼女はボートから何も言わず去って行く。

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このことばのなさがとてもよい。
ことば以前の世界に同調させる。
二コラの再生の時である。


仮の母親役のジュリー=マリー・パルマンティエは『マリー・アントワネットに別れをつげて』にも出演していた。

広告でデヴィッド・リンチが比較に挙げられていたが、確かに生の原初的なイメージは通じるところを感じる。








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ジョニー・イングリッシュ/アナログの逆襲

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Johnny English Strikes Again
2018年
イギリス

デヴィッド・カー監督
ウィリアム・デイヴィス脚本


ローワン・アトキンソン、、、ジョニー・イングリッシュ
ベン・ミラー、、、ボフ
オルガ・キュリレンコ、、、オフィーリア・ブリトーヴァ
ジェイク・レイシー、、、ジェイソン・ヴォルタ
エマ・トンプソン、、、イギリス首相


『ジョニー・イングリッシュ またまた登場』と謂ったところか、、、。
ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』の方が笑えたしカッコよかったし面白かったが、これも悪くはない。
オルガ・キュリレンコにもう少し出番があってもよかった。キャストの人物像もかなりペラペラな造形で、全体的に小ぶりな感じがした。
このシリーズは、ジョニー・イングリッシュがどれだけ意表を突いたおバカぶりを見せてくれるかに尽きるのだが、確かに一昔前のガジェットが沢山出て来て興味は引くも(真っ赤なアストン・マーチンやフロッピー・ディスクはよかったが)、アイデアや小ネタ、ディテールとスケールにおいて、「気休めの報酬」ほどではなかった。ネタの数はたくさんあったのだが。

Johnny English Strikes Again003

諜報機関MI7のエージェントの情報が全て漏れてしまうというサイバー攻撃に遭い、引退したエージェントに事態収拾を頼むことになり、よりによって小学校の先生をやっているジョニー・イングリッシュに出番が回って来るといういつもながらのあり得ない噺。
首相はG12サミットを控え、ロンドンで次々に起きるサイバーテロにも頭を抱えていた。
そこで、IT長者のジェイソン・ヴォルタを招き救いを求める。
(その前にサイバーテロ対策の政府専門機関があると思うのだが)。
すぐさまヴォルタは政府のネットワークに入り込み(ハッキングし)問題を解決してみせ首相の信頼を得る。
そしてイギリスの情報インフラは古くて問題があるとか何とか言葉巧みに、自分の会社のサーバーにデータを移動してしまう。
ジェイソンの会社でイギリスのビッグデータを一元管理する方向に強引に持ってゆこうとする。
ハッキングやネットワークを混乱させるサイバーテロを仕掛けたのがそもそもジェイソン・ヴォルタであったのだ。
という判り易いからくりである。

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ロシアスパイのオフィーリア・ブリトーヴァが序盤に電気自動車を華麗にコーナーリングを操り存在感を示したまではよいが、その後ジョニーとのスパイ同士の駆け引きやらで二転三転して盛り上がるような場面は特になく、終盤は2人で協力してヴォルタに立ち向かうあたりでは(あまりやることもなく)平板で尻すぼみな感じで終わってしまった。何と言うか本が弱い感じがする。

Johnny English Strikes Again002

今回、ジョニーのバカボンのパパのような悪魔的なバカぶりが面白いというよりちょっとやりすぎな面も目立った。
何も考えない、いきあたりばったりが単に危険でしかない、というのもどうか。
特にヴォルタに狙いを付けたのはよいが、その邸潜入のシミュレーションをVRゴーグルをつけて行う場面で、一般市民にかなりの迷惑と損害を与えている。ケガ人も出ている。これは単に狂人の振る舞いであり、笑えるところではなかった。
少なくともこういうコントは、悪人相手にすべきであろう。
それまでの捜査においてもレストランで火災を起こしてみたり、ツーリング競技の自転車に向けて催涙ミサイルを発射したり、、、の殆どすべてが民間人に対する危険行為なのだ。これらははっきり犯罪ではないか。
スパイを首相からクビにされるのも当然だ(首相にクビにされると言うのもありえないが)。

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G12サミットでイギリスの全システム管理をヴォルタに委託する同意書に署名させるというのもあまりに乱暴で荒唐無稽だが、この噺の流れからして妥当にも思えた。システムを全部ストップさせるぞと脅されヨーロッパの各国代表がサインすること自体考えられないが。
一番面白かったのは、ボフの妻リディアが艦長を務める潜水艦からミサイルを発射させ、ヴォルタのサーバーが装備されたドット・カーム号を破壊し解決に及ぶ、ところである。
携帯を誤って操作したために潜水艦からミサイルが(誤作動で)発射されることになり、以前ジョニーがドット・カーム号に仕掛けておいた発信機に反応してミサイルがそこに着弾するという、もうどうどうでもよい連鎖であったが、NHKのピタゴラスイッチふうに決まり、ここは爽快であった。

Johnny English Strikes Again001

毎度のこと、結果良ければすべてよし?で英雄扱いされて終わりとなる。
だが、あまり終盤まではスリルもお笑いもそれほどなく、盛り上がりに欠けた。
最後の下ネタもオースチン・パワーズよりも大分控え目でこれは好感が持てた(笑。



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亀帰る

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9月6日に家出した亀が「や~っ」とひょっこり戻って来た。
フーテンの亀さんという感じ。
やはり家が恋しかったのだ、、、。

というのは嘘、実は昨夜、ピアノの先生から「お宅で亀がいなくなっていません?○○さんが路を歩いているのを保護されているそうですよ」といった内容の連絡が妻のlineに入ってきたのだ。
(ピアノの先生が犬の散歩中にでもしたのであろう○○さんとの雑談からそれが分かったのではなかろうか。うちの亀のことは先生は知っている)。

亀が○○さんのところにいるそうだよ、と娘たちに伝えると、えっほんと?とちょっとホッとした表情は見せたものの、嬉しいんだかそうでもないのかはっきりしない。
どう、嬉しい?と聞くと「うん」とは答える。
嬉しいことは嬉しいようだが、どうなんだか、、、。
もう飽きていてほとんど普段は見向きもしないで過ごしてきたのだ。

○○さんは畑で採れた野菜をよく届けてくれるご近所の方である。
6日に○○さんのところで働く従業員の人が路をひたすら歩む亀を発見し、車に轢かれてはまずいと思い取り敢えず保護したらしい。
(亀はとても車に轢かれやすい。危険認識などなく道を我が物顔でマイペースで歩く)。
そして○○さん宅でも亀を一匹飼っていることを思い出し奥さんに聞いてみると亀はちゃんといると。
ではこの亀は何処から来たのか、この亀は何者なのか、、、ということにはなったが、暫くはポリバケツに入れておこうということになったらしい。

早速、手ごろな青いポリバケツに入ったうちの亀とご対面となった。

○○さんが路で確保してくれた日は、丁度家の亀が姿を消した日であったので、状況から見てまず家の亀であることはほぼ間違いない。
この日にこの狭い範囲で何匹もの亀が逃走したとしたらそれこそ何かの異常事態であろう。
娘と一緒に玄関先で確認するとやはりうちの亀以外の何ものでもなかった(笑。
流石に10日ぶりにその亀の姿をしげしげと観ると娘たちからも笑みがこぼれた。
やはりわたしもホッとしたものだ。
(最悪の場合、何処かで干乾びるか車に轢かれることもあり得たのだ)。

暫く亀に詳しい奥さんに亀の雄雌の見分け方とか、亀談義を色々聞かせてもらったのだが、一番興味深かったのが○○さん宅の亀の来歴である。
いつものように畑へ野菜の収穫に行ったときに、小さな銭亀がいるのをご主人が発見しそれを持ってきたのだそうだ。
見つけた時はほんの2センチくらいで、うちの亀の購入時と同じ大きさである。
(うちの場合、ペットショップで娘二人に一匹1080円で売っていた子亀を買ってあげたものだが)。
それが今では甲羅の長さで30センチを超えているという。
うちの亀より一まわり大きい。(それで初めて見た時すぐに自分の亀ではないと分かったそうだ)。
亀の成長の早さはわたしの悩みの種でもあるがそれより寧ろ気になったのは、亀が普通いない場所に(度々)いることである。
O君の場合も、庭に何故かいた亀をそのまま育てている。
彼らは何処からか~本来いるべきところを抜け出て~やってくるのだ。
クールな面構えで。

犬や猫なら飼い主がポスターを作ってあちこちに貼ったりして、時には道を名前を呼びながら探していることもあるが、亀でそれをやっていた人をわたしはひとりも知らない。亀の名を呼んで探していて亀がそれを聴いて向き直って駆けよって来るイメージは全く沸かない。
大きな池に住み着いている亀はそこに安住しているようだが(近くにそういう公園があるが)、水槽等に飼われている亀は、やはり常に脱走を図っているふしはある。
やはり広々とした「外」が意識されるのだ。
「外」が見えればともかくそこに出てみたい。そして歩いてゆきたいのだろう。
行けるところまで。まさに運を天に任せ。


脱走して車に轢かれる亀の噺は度々聞いている。実例も見ている。
しかし運よく捕らえられたり、人の家の庭にやって来た亀は、その後はつつがなく一生を送れるようである。
今回は、引き取りに行って戻って来たのだが。
水槽に戻したばかりの時は、ふたりとも何やら違和感を感じて不穏な状況が続いたが、1時間もするとこれまで通りという感じで和んではいた。
ただ、彼らはこのまま大きくなるのだ。

水槽の広さの問題がひとまず解決かと思っていた矢先である。
全てが元に戻った。亀島もひとつ捨てていなくてよかったが。
水槽問題が残った。
世話をするのは、今後もわたしひとりである。
元気に戻ってきたのは、嬉しいものだが、、、


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十三人の刺客

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1963年

工藤栄一 監督
池上金男 脚本
伊福部昭 音楽

片岡千恵蔵 、、、島田新左衛門
里見浩太郎 、、、島田新六郎
内田良平 、、、鬼頭半兵衛
菅貫太郎 、、、松平左兵衛督斉韶
丹波哲郎 、、、土井大炊頭
嵐寛寿郎 、、、倉永左平太
西村晃 、、、平山九十郎
月形龍之介 、、、牧野靭負
水野浩 、、、三州屋徳兵衛
丘さとみ 、、、おえん
三島ゆり子 、、、牧野千世
藤純子 、、、加代
河原崎長一郎 、、、牧野妥女
水島道太郎 、、、佐原平蔵
加賀邦男 、、、樋口源内
沢村精四郎 、、、小倉庄次郎
阿部九州男 、、、三橋軍次郎
山城新伍 、、、木賀小弥太


昨日の「大殺陣」の監督の一年前の作品。脚本も同じ人だ。
道理で噺も世界観も内容も絵や撮り方も似ているはずだ。
わたしでも知っている豪華キャストが揃っていた。
音楽が何と伊福部昭である。
セリフはちょっと聞き取りにくい。

今回は、将軍の弟である暗愚で残虐な明石藩主松平斉韶を暗殺する刺客13人の噺である。

松平斉韶の悪政を訴え切腹して上位に訴える家老であったが、それが何らかの形でとりあげられることもなく、家老の家族も全員捕らえられ斉韶本人により無残に殺害されてしまう。
こんな男がやがて幕府の中枢に座るとなれば世も末である。
そこで乗り出すのが丹波哲郎演じる老中土井大炊頭であり、腹心である島田新左衛門に暗殺を命じることに。
この若すぎる丹波哲郎が見る角度によりアランドロンに見えたことは収穫であった。

それにしても片岡千恵蔵という人は浮世絵の侍そのものだとつくづく思った。
顔がである。
どう見ても偉い侍の顔である。
この人に頼まれたら断りにくい。ましてや三味線であんな腕前を魅せられては、、、。
放蕩していた新六郎も叔父のライブを観た夜に、侍に戻る決心をする。

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今回の話も、待つ間の緊迫感はかなりのもの。
まず、島田新左衛門の動きを察した鬼頭半兵衛が島田の屋敷に訪ねてくる。鬼頭自身誰よりも松平斉韶の馬鹿ぶりに悩んでいたが、自分の仕える主君でありそれを守るのが武士の務めである。全く対立しあう立場~関係となってしまった武士同士、昔の噺などを暫くしてから「また会おう」に対し「しかと!」と答えて、戦場で相まみえることを確認し、別れる。
両雄とも周到な計画を練り、ひたすら準備を進め、その日を迎える。
ただ島田は、参勤交代で帰藩して来る斉韶一行を襲うに際し、宿場町を丸ごと買い取るという太っ腹ぶり。
頭だけでなく金も湯水のごとく使う。それにより斉韶らの動きをかなり封じ込めるが、鬼頭も心理戦に持ち込み島田らをじらし混乱させようとする。ここは策士でもある平山九十郎が刺客の内輪揉めを一喝し乱れを治めてひたすら待たせる(ここは動いた方が劣勢になる)。

集まった剣士は皆かなりの腕がありそうである。
勿論、すでに人を真剣で切る世の中ではないにせよ、腕を磨き続けて来た平山九十郎のような剣豪もいる。
結局、13対53の対決となるが、これなら結構行きそうである。
そして双方の知略と駆け引きもなかなかのもの。
この辺、とても魅せる。

しかし、いざ決戦が始まると様々な仕掛けを作ってそこにうまく追い込んだのに、いまひとつ肝心の仕掛けが機能しているのかどうか、、、よく分からないゴタゴタの状況になってしまうのだ。
高い柵で囲った狭い迷路状の路に誘い込み、上から弓矢と長い槍で(横からも)集中攻撃をする。これは優れたアイデアである。数に差があってもこれなら圧倒的に有利に闘いを進められるはず。
だが、見ていると幾らでも狭い空間で狙い撃ちが出来るのに、余り当たっている様子がない。槍もそれほど効果が見られない。
更にこともあろうに、自分から飛び降りて切りかかり、逆に切られたりする刺客もいたりする。
何の為の罠なのだ。

迷路の中の出入口を鬼頭に見破られもするが、普通そここそが一網打尽にする誘い口にするだろう。
だが、そうもなってはいない。上に巨大な丸太を置いており、それを落とす仕掛けもあったが、今一つタイミングも取れずにほとんど空振りとなっている。とてもよく出来た仕掛けのようでいて、その運用の拙さから効果的に敵の戦力を削ぐことが出来ず、焦って自ら切り込んで行っている感もあった。

まあ、物語上、そう簡単に相手を倒したら噺にならない。
だが、ちょっとちぐはぐな感じは否めず、何でこんなに効率が悪く、刺客側が無駄死にしているのか、とイライラして来る。
どうも集団の闘いの難しさ、指揮系統の取りにくさの問題もあろうか。
この時、大将の島田新左衛門は宿の間にあって、静かに作戦地図を眺めて戦況を把握するに留まっている。
そこへ、ひとり逸れた松平左兵衛督斉韶が転がり込み、何やら威張って虚勢を張るが、クールにお命頂戴という感じでバスっと切り捨てられる。ここは爽快であった。
確かに切り殺すのは、この島田新左衛門でなければなるまい。(だが状況から見てたまたまそうなったに過ぎない)。
そしてそこに遅れて駆け付けた鬼頭半兵衛との一騎打ちも、なるほど武士とはこういうものかとは思い、取り敢えず納得はした。

だが、最後の平山九十郎の死に方はさっぱり分からない。
果たして剣豪が剣を失うとあのような姿になるものだろうか。
彼は闘いのなかでも自らの刀を敵に投げつけ、すぐさま敵の刀を拾って見事に応戦して大活躍をしていた。
独り敵を次々に切り倒す剣士であった(であるからやはり凄腕の鬼頭も彼を避けて隊を動かしていた)。
なのに、何故今剣を手放しているからと言って、あれほど戸惑うのか。少しばかり走れば直ぐに死んだ敵の刀を奪い応戦できたのでは、、、。未だによく分からないままである。
後に斉韶は参勤交代から帰還した日に病死したことで処理されている。
この暗殺の件でお咎めはないはずで、生きてさえいれば、そのまま元の生活に戻れるのではないか。


この監督は集団劇が好きなようだ。
そして権力の圧政に立ち向かうこころある武士の死にざまを描くことに美学を見出しているのか。
そういう趣味らしい。

時代劇も面白いがセリフが何とも聞き取りにくい。
わたしが聞き慣れないせいであろうか。



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大殺陣

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1964年


工藤栄一 監督
池上金男 脚本

里見浩太郎 、、、神保平四郎(書院番)
宗方奈美 、、、山鹿みや(素行の姪)
平幹二朗 、、、浅利又之進(浪人)
大友柳太朗 、、、酒井忠清(大老)
大坂志郎 、、、星野友之丞(御家人、暗殺の指揮を執る)
大木実 、、、北条氏長(大目付)
河原崎長一郎 、、、別所隼人(刺客)
三島ゆり子  、、、神保加代(平四郎の妻)
安部徹 、、、山鹿素行(軍学者)
稲葉義男 、、、渡海八兵衛(素行の部下、刺客)
砂塚秀夫 、、、助七(刺客)
山本麟一 、、、日下仙之助(僧になった刺客)


BSで録れた時代劇が幾つかたまっているので、少しは観てみることに、、、。
何でも日本映画で初めてハンディカメラが導入された作品だそうだ。
成るほどと思うシーンが幾つもある。
もう団子状で切り合いしているところに、カメラもサムライさながら突進して行く感じがそのブレからも容易に感じ取れる。
何とも言えない迫力だ。


まず権力の専横に苦しむ庶民や武士たちの様子が描かれる。
その元凶が大老酒井忠清であると、、。。
4代将軍・家綱の時代が舞台。

大老酒井忠清が家綱の弟である甲府宰相・綱重を後継に担ぎ出し、摂政として天下を操らんとする企てを、山鹿素行の計略で集めた少数の同調者により潰す噺。

多勢に無勢の闘いとなるが、山鹿素行曰く、なあに向こうは太平の世で刀など使えぬサムライばかり、大丈夫みたいなことを言って高をくくっていたが、こちらだって初めて人を切るような連中である。無謀にも程がある。
つまりこちらも、少数精鋭ではないのだ。
見ていてこの面々で大丈夫か、と心細い。

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この物語のポイントは、酒井忠清をストレートに暗殺するのではなく、彼ほど警備が厳重でない甲府宰相・綱重を少人数で暗殺するという素行の計画に従い実行する点である。
流石に、街道で綱重一行を待ち構えているあたりからの緊張感はかなりのもの。
指揮をとる星野友之丞などは、前夜に家族に累が及ばぬように妻・息子を切り殺してこの暗殺に臨んでいる。
その決意のほどは重いなどというものではない。
どのメンバーも異様にピリピリしており、それが伝わって来る。
実際、待つことが一番シンドイのではないか。

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しかしやはり「大殺陣」という割には、あの大根を切るような、ズバッ、ズバッという小気味よい音で次々に切り捨ててゆく感じではなく、大振りに刀をブルンブルン振り回し、それのほとんどは虚しく空を切り、たまたま敵のどこかに当たるという感じの百姓一揆みたいな(これもどんなんだか知らぬが)光景であった。
剣客と謂える強者がいない為、切っては捨て切っては捨てみたいな流れるようなリズムはそこには望めぬ。たまたま頭とかに当たってわあっとか相手が倒れるなど、そうしたものである。
だが実際の闘いはこういう感じであったように思えてくる。
きっとこちらがリアルなのだ。
そして捨て身の追撃の迫力で籠から転げ落ちた綱重とそれを守るサムライたちを吉原の門内におびき寄せるまでは成功するが、ここで何と一番肝が据わっていそうだった渡海八兵衛が弱気になり、裏切ることとなる。これで総崩れとなりターゲットを討ち果たすことなく、決死隊は皆討ち死にしてしまう。

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そして更にリアル感があるのが、これまでかというところで、かつて酒井の反対派の粛清の際にとばっちりで巻き沿いを喰った神保平四郎を助けた浪人浅利又之進が、運ばれてきた神保の無残な躯を目の当たりにする(彼は丁度吉原に遊びに来ていてこの事件に巻き込まれた)場面だ。神保の手には自分が貸した刀が固く握られていた。刃は中ほどでへし折れ、闘いの壮絶さを物語っていた。
神保の無念の姿に、これまで厭世的で享楽に耽って世を渡って来た彼の内面の奥底から激しい怒りが燃え滾って来た。
彼は神保の手から折れた刀を抜き取り、馬で駆け付けて来た酒井と今や談笑しながら吉原を後にしようとする綱重向って切り込んでゆく。
綱重などもうすんでのところまで追い詰められた直後だと言うのに何と楽観的なのか。
まさに喉元過ぎれば熱さ忘れるである。だが、これもリアルでよい。そんなものだろう。
一難去ったところでホッとして油断したのだ。
確かにテロ実行隊は殲滅された。
つまり想定外の男(吉原で遊んでいた男)にふいに綱重は討たれたのである。
無論、綱重を切った浅利又之進も取り押さえられ殺された。
だが、見事山鹿素行の計画は成就されたのだ。

酒井忠清の現実を認められない悲壮な姿は判るが、この様子を遠くから眺めている山鹿素行はどうしたものか。
全くの傍観者である。
立案者一人だけが生き残った。
(ちなみに彼の自慢の姪であるみやも仲間である日下仙之助の手にかかり殺されている)。

無常で暗い映画である。








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これから暫くは、時代劇というものを観てみたい。





ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間

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2018年
短編3つ並んだオムニバスアニメ映画。
昨日は実写オムニバスであったが、今日は日本アニメのオムニバスを観てみた。

スタジオジブリ出身の3人の監督がそれぞれ1作ずつ提供している。

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「カニーニとカニーノ」
米林宏昌 監督・脚本

木村文乃、、、カニーニ
鈴木梨央、、、カニーノ

借りぐらしのアリエッティ」、「思い出のマーニー」、「メアリと魔女の花」の監督である。
「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」はよい作品であった。
だが、この短編映画に関しては、どうもしっくりこない。
まず、このカニである。
擬人化したカニが実に中途半端な抽象的なモノなのだ。
人の形体ならそれでよいとしても、川の中にいるモノとしての物理属性がないとコンテクストから浮き出てしまう。
妙にリアルな川の流れ(CG)などを作っているため、尚更違和感を感じ続けるはめになる。
そう、大きな鯉?魚もCGで不気味な質感を出していた。
(川~その流れと巨大な魚を自然の脅威として描き、擬人カニを異質な存在としたかったのなら、それは一体何なのだ。カニとは完全に自然の側に生きるものであり、そのモドキはカニでもヒトでもない、文字通り宙に浮いた記号である)。
彼らは川底を歩く水(水圧)抵抗がまるで感じられない。地上を歩くのと同じなのだ。
そのくせ、水泡の威力はあるらしい。
カニを擬人化するのならどのカニも人型かと想えば、他のカニはカニそのものである。
向こうのカニも家族のようであったが、主人公家族とどう違うのか。

この家族には、どのような特権が与えられて浮いてしまっているのか。
それから羽~トンボの羽か~に何やら特別な意味~サインを見出しているように窺えるシーンがあるが、あれは何なのか。
何処かの伏線があったようにも見えない。

この擬人カニ家族はそのキャラクターだけでなく行動、振る舞い諸共、記号だ。
画面に重ねられるテロップみたいな在り方であった。
少なくともわれわれの間近に広がる小さな世界にこのようなドラマが潜んでいるみたいな実感など微塵も湧かない。
コンセプトに物質性がない。

米林宏昌という監督は、ジブリを離れてから後の「メアリと魔女の花」から作品に極端に精彩がない。
「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」は、ジブリにあって初めて可能となった作品であったようだ。

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「サムライエッグ」
百瀬義行 監督

篠原湊大、、、シュン
尾野真千子、、、ママ

卵アレルギーの少年シュンとママの奮闘記といった内容。
シュン君は野球の好きな活発な少年のようだ。
ママはダンススタジオで、先生をやってるのか?
ふたりとも体を動かすことが好きなのだ。
アレルギーがこのふたりの生活に特別大きな場所を占めているにせよ、とても普通な親子である。
食生活で僅かでも注意を怠ると大変な事態を引き起こすことも説得力を持って描かれていた。
いくら気を付けていても毎日の生活である。何らかの手違いは確率的にも起こるものだ。
あのようなアイスクリーム事故が起きたとしても不思議ではない。

試練を幾つも掻い潜ってきて、シュンは自分から「治す」とママに告げ治療に前向きになる。
(ここで見られる治療法は「経口免疫療法」のようだった)。
丁度抜けた前歯も生えてきたところで、生きる意欲を新たにする。
母子の絆も希望と共に強くなるのだろう。

絵のタッチは柔らかくて母子の愛情と生に向ける意欲を描くには、丁度良い。
われわれの近くにあるであろう、このような生活にスポットを当てる試みは成功しているのではないか。

ところでこの「サムライ~」というのは、何処から来たのか。
彼は野球ファンでもあるだろうから、例の「サムライジャパン」から来たものか?
あのように闘志を持って卵に負けない体を作って行くぞ、とかいうことだろうか。

それにしてもあまりピンとこない題である。
それまでにサムライが何らかの形で話題にでも出ていれば、それなりに分かるだろうが、最後にああいった形で出て来ても唐突感は否めない。

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「透明人間」
山下明彦 監督・脚本
中田ヤスタカ 音楽

オダギリジョー、、、透明人間
田中泯、、、盲目の老人

これには、ハッとした。
こちらの観る姿勢も自ずと変わる(笑。

唯一、惹き付けられるアニメであった。
拾い物である。

とても繊細でフラジャイルで危なっかしい。
この覚束ない抽象性と浮遊感。
いいねえ!
と思わずニンマリした。

まず、スピードとアングルと構図。
まるでジブリらしくない危うい疾走感が嬉しい。
(前のふたつは、ジブリの二番煎じの子供だ)。
ジブリ映画も確かにスピード表現はあるが、その質がまるで違う。
この翻弄されるがままの脆弱な強度である。
ジブリは確かな主体が速い速度で飛んで行く。王道であるが。主体がブレない。中心がある。
ここでは、全てのモノが相互関係も不全で不確かに複雑に揺れ動く。

明らかに異なる新たな流れで、ジブリから生まれたというこの何とかという会社の未来は、この危険な監督に賭けるべきだろう。
前2作を見終わる当たりでしみじみ思ったのは、京都アニメーションの実力の高さであった。
あのレベルは到底、今後は無理かと思っていたら、この作品である。
正直びっくりした。

見えないということは質量もないということだったのか。
そして透り抜けられてしまう、ようなシーンもあった(勿論われわれもミクロの視点から見ればスカスカなのだが。夥しいニュートリノが通り過ぎている)。
彼は服を着てサングラスをかけて、モノも運んだりして、何らかの形体は保持している、らしい。
スクーターにも乗って飛ばしていて、ちゃんと現実世界に作用を及ぼしている。
この微妙な存在の仕方が曖昧で不思議だが、心理的に納得出来てしまう。
この在り方~コンテクストが気になって物語に入れないということが、ないのだ。
物理的にではなく存在的(実存的)に納得出来てしまう。
何故ならわれわれ人間がそういう存在だから。
(実は物理的にもそうである。われわれの地球自体が超高速でピアノ曲線を描きグレートアトラクターに引っ張られているのだ)。
スリリングに本質を突いている。
だから良い。

とても贅沢なキャストをこれまた贅沢に使っている。
オダギリジョーと田中泯である。どういうつもりだ、と聞きたい。
(しかし田中泯さんは最近、こういった方面によく顔を出す。ダンスは続けているのだろうが)。
Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅの音楽プロデューサーである中田ヤスタカが音を担当ということだが、作画スタイルにピッタリあっていた。

この監督の作品を今後も期待したい。
「透明人間」拡大版も面白そうではないか。
最後に、彼がスクーターを安定した乗り方で錘(消火器とか)持たずに普通に乗っているのは、何とも言えない。
この先、彼は不透明な誰からも目に留まる人になってしまうのか。
あの赤ん坊を助けたのは、無我夢中のことであったろうが、赤ん坊に承認されてから自我の重みが出て来たのだ。
ヒッグス場を通過してある意味、失速してしまったのだ。これは存在にとって仕方のないことではある。



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人生模様

FULL HOUSE001

O. HENRY'S FULL HOUSE
1952年
アメリカ
オムニバス作品

オー・ヘンリー原作
ジョン・スタインベック、、、ナレーター

皆、上質な寓話とも謂える。
とても良くできた映画を一度に5編も観れてお得感はタップリである。



「警官と賛美歌」
The Cop and the Anthem
ヘンリー・コスター監督
ラマー・トロッティ脚本
ロイド・エイハーン撮影

チャールズ・ロートン、、、ソーピイ(浮浪者)
マリリン・モンロー、、、街で出逢った美女
デヴィッド・ウェイン、、、ホレス(浮浪者)

ほとんどコントみたいな内容であったがよく出来ていた。
公園で寝泊まりするソーピイは、冬の間は暖かく過ごしたい。
そこで、冬の3か月を刑務所で過ごすことにするが、罪を犯してもことごとく当てが外れ逮捕されない。
相棒のホレスに捕まる秘訣を教えてやろうと言ったはよいが、上手くいかない。
街角で出逢った目を見張るような美女には、感謝までされ調子が狂う。
盗んだステッキを彼女にあげてさっさと退散する。

しかしソーピイは(教会)ボランティアなどに身を委ねることには抵抗を示す。
嗄れなりの主張~拘りがあるのだ。
夜も更け今日は企みが全て失敗に終わったところで、休憩で入った教会に賛美歌が流れている。
それを聴いた拍子に涙が込み上げて来て止まらなくなる。

突然、自分のこれまでの生き方を対象化し、相棒が心配するのもよそに猛省してしまう。
すっきりして、明日から真面目に働くぞと歩いているところに警官がやって来て彼を逮捕してしまう。
(昼間は何をやっても見向きもしなかったのに)。
そして裁判所で、当初の狙い通りに収監されることに。罪状は浮浪罪である(爆。皮肉にしても出来過ぎではあるが(笑。

マリリン・モンローの果敢なげで繊細な美に打たれた。
キャストは皆、いうことなし。とても面白かった。



The Clarion Call
ヘンリー・ハサウェイ監督
リチャード・L・ブリーン脚本:
ルシアン・バラード撮影:

デイル・ロバートソン、、、バーニイ(刑事)
リチャード・ウィドマーク、、、ジョニイ(ギャング)

とある強盗殺人事件が迷宮入りしかけていた時、ニューヨーク市警16分署の刑事バーニイは犯人の遺留品に見覚えのあるキャンプタウン・レースと彫られたペンを見つける。
これを持っている人物は自分のよく知った男であった。
かなり探しまわった末、とある酒場でその男を見つける。10年ぶりに逢う幼馴染ジョニイであった。
その遺留品が決め手となり、バーニイはジョニイを自首させようとするが、彼はかつて1000ドルの貸しがあることを盾に逃れてしまう。

しかし、「クラリオン・コール新聞」編集長が犯人の情報提供者に1000ドルの懸賞広告を新聞に掲載したのを見て、バーニイはすぐさま新聞社に駆け付ける。
そしてシカゴ行きの列車の中でバーニイはジョニイにかつての借りを返し、心おきなく彼を逮捕する。

短い尺で無駄なくしっかりまとまっていて、見応えがあった。
リチャード・ウィドマークのゴロツキぶりが半端では無かった(笑。



「最後の一葉」
The Last Leaf
ジーン・ネグレスコ監督
アイヴァン・ゴッフ、ベン・ロバーツ脚本
ジョセフ・マクドナルド撮影

アン・バクスター、、、ジョアンナ(画学生)
ジーン・ピーターズ、、、スーザン(姉)
グレゴリー・ラトフ、、、バーマン(老画家)

この噺は子供の頃、児童書で読んで知っていたが、とても新鮮で瑞々しい想いで観る事が出来た。
この映画には特に古さは微塵も感じられない。
そんな美しさに充ち溢れている。
キャストの良さが大きい。
女性二人の美しさもそうだが、グレゴリー・ラトフの売れない画家がとても良い味を出している。

ある意味、彼のような存在こそが神と謂える。
何も言わず自分の絵を売った金でジョアンナの薬を買い与えたり、普通赤の他人がそうは出来まい。
老画家バーマンの亡くなった翌朝、夜通しの吹雪にも拘らず窓の向かいの壁のツタの葉っぱがひとつだけ残った。
姉も妹もそれに深く安堵し、生への希望を抱く。
しかしその葉は枝を離れてもそこに留まっているではないか。
不思議に思った姉が下を眺めると、ランタンと絵筆とパレットに梯子がバラバラに横たわっていた。

才能があれば彼も報われたのに、とベッドで回復の兆しを見せる妹の呟く言葉を遮り、「いえ、彼は最高の画家よ。今に分かるわ」と姉が答える。
知っている噺であっても率直に感動した。




「赤い酋長の身代金」
The Ransom of Red Chief
ハワード・ホークス監督
チャールズ・レデラー、ベン・ヘクト、ナナリー・ジョンソン脚本
ミルトン・R・クラスナー撮影

フレッド・アレン、、、サム”スリック”ブラウン(指名手配中の横領罪の犯人)
オスカー・レヴァント、、、ビル・ペオリア(サムの相棒)
リー・アーカー、、、J.B.(悪ガキ)

脚本というのは、こんなにたくさんの人で寄ってたかって書けるものなのか?
それにしては、良くまとまったストーリーであった。
コミカルでパンチも効いている。まるで漫画だ。ブラックコメディか。

アラバマ州が舞台であるが、そこで一儲けを企む指名手配の2人組がその地の金持ちを探るために村の寄り合いみたいな集合場所で、土地を買いたいと切り出し地主を紹介してもらう件での村人とのやり取りがほとんどギャグで可笑しい。
勿論、その家の子供を誘拐して身代金を奪う手筈だ。
だがその子役J.B.が、破格の悪ガキで、彼ら二人はいたぶられ散々な目に逢う。
無理やりインディアンごっこをさせられたり、時計を巻き上げられたり、かなりの暴力も受ける始末。
悪党がそれほど悪でないので、痛めつけられる彼らが気の毒に思えてくる。
ここで驚きなのは、J.B.が仕組んで本当の熊に彼らを襲わせようとするところである。
今ならCGで合成させるところだが、このシーンでは生出演なのだ。
かなり思い切った演出である。

結局子供を誘拐して身代金を奪うつもりが、同情するJ.B.の両親に頭を下げ金を払って、彼から解放してもらうこととなる。
映画史上ナンバーワンのおまぬけギャングであろう。
だが、笑う気にはなれなかった。



「賢者の贈り物」
The Gift of the Magi
ヘンリー・キング監督
ウォルター・バロック、フィリップ・ダン脚本
ジョセフ・マクドナルド撮影

ジーン・クレイン、、、デラ・ヤング(妻)
ファーリー・グレンジャー、、、ジム・ヤング(夫)

ニューヨークのクリスマス・イヴのお話である。
もうロマンチックな童話そのものという感じであるが、次女に薦めたら関心ないようだった。
何だろう、古さを感じたのか、、、。

しかしそこにあるのは、純粋に相手を大切に想うこころである。
こういった物語のある種の元型とも謂えるパタンであり、とても安堵して何故かハッピーな気分になってしまう(笑。
例の自分の自慢の髪を切り夫の時計に付けるプラチナの時計飾りを買った妻に、夫は自分の大切な時計を売って櫛をプレゼントしたのだった。

どちらもそのプレゼントを使うのは当分の間、我慢しなければならない。
だが、ずっとこの先、幸せを噛み締めることは出来る。
実にシンプルな噺だが、こちらも気持ちが充たされている。
きっと物語とはこういう装置なのだ。






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田舎司祭の日記

LE JOURNAL001

LE JOURNAL D'UN CURE DE CAMPAGNE
1950年
フランス

ロベール・ブレッソン監督・脚本
ジョルジュ・ベルナノス原作
ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト音楽

クロード・レデュ 、、、司祭
ジャン・リヴィエール 、、、領主
ニコル・ラドラミル 、、、シャンタル(領主の娘)
ニコル・モーリー 、、、ルイーズ(シャンタルの家庭教師、領主の愛人)
レイチェル・ベーレント、、、領主の妻
アンドレ・ギグベール、、、トルシーの司祭
アントワーヌ・バルペトレ 、、、デルバンド(医者)
マルティーヌ・ルメール、、、セラフィタ(司祭の教義問答の生徒)

バルタザールどこへ行く」、「スリ」、「ブローニュの森の貴婦人たち」は観ているが、まだ肝心な何作かは観ていない(「ジャンヌ・ダルク裁判」、「少女ムシェット」、「湖のランスロ」も、やはり観ておかないと、勿体ないだろう)、ロベール・ブレッソン監督の初期の作品である。
この作品、わが敬愛するタルコフスキーの最高のお気に入りだそうで、心して鑑賞したが、間もなく何度か睡魔に襲われる。
(懺悔せねばなるまい、、、この信仰の不可能性を突き詰めた映画で、不謹慎な)。
「ジャンヌ・ダルク」は、リック・ベンソンのミラ・ジョヴォヴィッチ主演では観ているが、かなり違うだろうな(これもかなり良かったが)。

彼はシネマトグラフと自身の映画を呼び、役者をモデルと言う。
今回もほぼ素人を使い、過剰な意味が帯びてしまうことを防いでいる。確かに自分の好きな役者が出たりすれば、その役者の演技を楽しみたいなどと言う鑑賞を許すことになる。
不純物は出来る限り取り払いたい。
純粋なテクストの提示、それが可能なら。
潔癖な人なのだ。
この主人公も同様に潔癖だろう。

彼は会う人みんなから、体の調子が悪そうだ。気をつけ給え、みたいな事を言われる。
(坂口安吾が聞いたらきっと羨ましがるに違いない),
この青白い主人公は、自らの使命の遂行のため、病を隠し通す。
言い訳をしない。
誤解も解かない。
全てを周りの(悪意ある)人々に委ねる。
これが司祭というものか、潔いのか、諦観もあるのか、ちょっと独特な宗教的な自閉性を感じる。
(シュルレアリストなら承知しない(爆)。

LE JOURNAL003

彼の初めての教区は、閉塞的で悪意に満ちた「バルタザール〜」でも印象深い共同体である。
そして結局、バルタザールと同じように、自分の意志などと関係なく、若くして生を取り上げられてしまう。
もう一つ共通に感じられることが、女性の裏切りと喪失である。
飼い主の裏切り、一目置き信じた女性〜少女の悪意である。
この辺、監督の原体験〜女性観なども感じてしまうところだ。
セラフィタはバルザックをちょっと意識してはいないか。ちょっと聖性を感じる少女ではあったが、悪魔だった、ような。

物語の展開の仕方はこれまで見たブレッソンのどれとも異なり、「日常の出来事を率直に書いた」日記にそくしてそれを読みつつその情景を描いてゆくタッチである。
(本当に虚飾のない表現もない素直な感情が書き記されてゆく)。
その文面が余りににシンプルなもので、それに従い展開する物語もミニマルである。

とても淡々とした干乾びた不毛の日々が反復される。
その間、胃の痛みは増してゆき、当初から肉・野菜が食べれず、ずっと安物の砂糖を入れた赤ワインとパンだけで過ごす。
これでは胃癌も進行するばかりだろう。度々倒れるが無理もない。
派手に吐血もする。

彼の教区の人間は彼を蔑み、ベテランのトルシーの司祭などは、教区の人間を蔑む。
根拠のない悪意と噂話に全く的外れな忠告。
これではコミュニケーション意欲も消失しよう。
彼らとのやり取りを経て、次第に信仰に対する懐疑心が大きく育ってゆく。
やはり一方的な癌の進行にも伴いか。

そして祈れなくなる。不眠に陥る。だが「仕事」は続ける。
内省と思索が迷いを深めてゆく。
不信感は募り、懐疑が頭をもたげる。
書くことは確かに優れた方法である。
自殺や激しく生々しい憎悪の告白が彼(の生)を揺り動かす。
音楽の入り方も禁欲的で良い。

領主の妻を導く、かなりの尺を使った件がかなりシンドイ。
ある意味、ここが真骨頂なのかも知れぬが、ここでのやり取りに関しては、わたしは蚊帳の外であった。
タルコフスキーのような宗教者(神学者)でないとついては行けないだろう。
ここを頭で理解しても意味はない。平穏なこころを見出し夫人は自殺する。

LE JOURNAL002

自転車による移動はみぞおちに来たが、オートバイに乗って疾走したとき、初めて危うい生の快感を知る。
ここが素晴らしい。ここでの彼の歳相応の明るく爽やかな笑顔に共感する。
こちらまで救われる思いがした。
死と隣り合わせで、バイクで飛ばすことは生の快感に直結するのだ。
彼はここで、違う生の可能性にも想いを馳せる。
だが時すでに遅すぎた。

死ぬ間際に彼が言い放ったという、、、
「それがどうした、すべては、神の思し召しだ!」
、、、実にカッコよい捨て台詞だ。
強烈な皮肉でもあり不信感の表明でもある。



クロード・レデュはとても優れた役者だと思う。そして他のキャストも申し分ない。
ロベール・ブレッソンの意図は充分に達せられているはず。



暗いディテールを見るならこちらBlu-rayか。
しかしわたしはDVDでも問題は感じなかった。

DVD



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亀が脱走

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2匹いるうち1匹が脱走してしまった、、、次女の亀ではある。最近は見向きもされていない亀であるが。
もう随分の間、亀は毎日、わたしひとりで世話をしている。娘たちは飽きてしまって知らんぷりであった。
わたしが夏バテで、2日間何もせずほっぽらかしでいた水槽はちょっと状態が変わっていた。

上に被せておいた覆いがかなりズレて変形していたことで、その隙間から亀の得意な懸垂で縁越えを決行したのだ。
亀嶋に乗ったおっとりした長女の亀の背中を踏み台にすれば高さは充分稼げ、活発な次女亀の腕力なら容易いところだったかも。
(そう言えば、以前何度か予行練習をしていた節もある)。
水がもう汚れていたのも気に食わなかったかも知れなかった。

ここ2日ばかり餌は与えていたが、水替えをサボっていた。
夏の間だけ(水が臭いだすのと、天然紫外線に当てる目的で)、縁側の上~外に水槽を出しておいたのだ。
その水槽に、今1匹しか亀がいない。
このシュールな現実に当惑し、ちょっと暑い中、眩暈を覚える。

この亀は生れた時から5年間ずっと一緒にいた相手が消えたことをどう思っているのか。
恐らくもう気づいてはいるはずだが、表情は今一つ読めないところ。
いつも組んず解れつ一緒にいたのだし、そのうち寂しく感じたりするものだろうか、、、。
(読み取れる表情や仕草、行動などがそもそも可能なのかどうか)。

今年から始めた、夏の間だけ外に置くことをやめ、今日から室内の日当たりのよい場所に水槽を戻すことにした。
外は気象の変化をまともに食らうこともあり、それまでずっと室内の変化の乏しい(安定した)環境にいたためか、雨が急に激しく降って来たときなど、ふたりでかなり慌てていたのを見たものだが、それなりの自然に接してきたことで、逞しさも加わったのだろうか(笑。
何らかのスウィッチでも入ったか。
元々、爬虫類は脱走を常に狙っている生き物だとは色々なところで書かれているが。
ともかく、囚われていれば、やみくもに外には出たいのだ。
それが動物にとっての自然の欲求であろう。

後は、娘の謂うように「い~じ~さんに連れられて行っちゃった」ら良いよねというところか、、、。
長女はまだ、異人さんがしっかり呑み込めていないようなのだ。
何処かの家で手厚く育てられてくれればよいのだが。

O君も大雨の降った翌日に、庭に何故か亀がいてそれをずっと飼っているという。
もうかなり大きくなって困っているそうだが(笑。
家も今いる亀が巨大化すれば、一匹でこの水槽がちょうどよくなってしまうはず。
そう考えると、タイミング的にはよかった感もある。
飽くまでも何処かで拾われたという希望的観測のもとでだが。

亀は道をすたすた独りで歩き始めると車に轢き殺される可能性が圧倒的に高い。
家の近辺を娘と手分けして回ってみた範囲では、そのようなぴょん吉みたいな亀は発見できなかった。
ともあれ、このような天気で1日外にいたら干乾びてしまうため、誰かに見つかって捕獲されたことを願いたい。




青いパパイヤの香り

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L'odeur de la papaye verte    Mùi đu đủ xanh
1994年

トラン・アン・ユン監督・脚本


トラン・ヌー・イェン・ケー 、、、ムイ
リュ・マン・サン 、、、ムイ(少女期)
グエン・アン・ホア  、、、ティー
チュオン・ティ・ロック 、、、母親
ヴォン・ホイ 、、、クエン


1950年代のベトナムのサイゴン(現ホーチミン)が舞台。
10歳のムイが裕福な布商人の家の使用人に雇われた。
毎日食事、掃除、洗濯などの家事をせっせとこなしてゆくのだが、何ともその風景が実に抽象的な感覚である。
実体感が薄い。お芝居でやっているというか、ロールプレイゲームを楽しむような、そんな日常にも見える。
旦那がいつも三味線みたいな楽器を奏でていて、その音がわたしには実に不快で耳障りだ。
音楽そのものが不愉快に感じる。この何もしない旦那が家の独特な抽象性を高めている。
(この頃と謂えば、ベトナム民主共和国の独立をかけてフランスと戦っていた時期ではないか、、、)

カエルがよく出て来た。
家の中と外の境界が曖昧なのだ。
雨も多く池や水瓶など水気がタップリあり、きっとイモリなどもいただろう。
植物の葉や実、特にパパイヤを切り開いた時の真っ白な粒粒の中身など、生々しい官能的な美がそこかしこに漂う。
空気が綺麗そうで、映像全体が良い色をしていた。
セリフは抑えられていて静謐な雰囲気が支配する。
皆が蚊帳の中で眠ていた。

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旦那が度々有金全部掴んで家出する習慣をもち、その度に家は窮地に陥る。
前に家出していた間に7歳の娘が病気になって亡くなったため、生きていれば同じ歳であったムイはその家の母に大事にされる。
年老いた使用人も彼女によく仕事を教えてくれた。
祖母と生地商売の母と何もせず楽器を弾いていて突然愛人のところに雲隠れする父と3人の息子の家であるが、一番下の息子は何かとムイにちょっかいを出して虐めていた。明らかに気を引こうとしていたようだが、ムイは何とも思っていなかった(当然だろうが)。
父が家出してそのまま10年後にムイが雇われた新たな家は、前の家によく遊びに来ていた長男の友人クエンの屋敷であった。

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それまでフランスの植民地であったことから、その影響が結構見られる。特にこのような上流家庭には。
調度やガジェットや服装・ファッションは勿論だが、、、
クエンはパリの音楽大学を卒業しており、現代音楽の作曲家のようだが、ドビュッシーもよく弾いていた。
彼には婚約者がおり、自分のことを良家の子女と言ってはばからず小うるさく演奏の邪魔ばかりして気を引くことばかり考えていて、いよいよ鬱陶しくなってきたころ、ムイの魅力に気づく(ようやく)。


両生類にせよ蟻にせよ植物や雨や何にしてもアーティフィシャルな感じがとても強く、郷愁に染上げられた光景に想えた。
この映画実は、ベトナムで撮ったのではなく、フランスのスタジオセットの中で街並みを作って撮られたものだと言う。
道理で、全体が模型的でキラキラしていたのだ。
ずっとフランスに住んでいたという監督の少年期の回想で創られたかのような。
静謐な箱庭感覚。
耐え忍ぶ苦しみや悲しみが爽やかでキラキラした光の内に浄化されてゆく。
こういうのはとても好きだ。

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最後に、ムイは身籠り、お腹の子に向けて詩を読んで聴かせていた。
(文字をクエンから習ったのだ)。
幸せなお金持ちの作曲家の妻になっていた。
(この頃のベトナムは実際、情勢はどうだったのだろう、、、そんな気持ちもちょっとはしたが)。
最近のベトナムはやたらと活気に満ちている感じであるが。

とても気持ちの良い童話みたいな噺であった。


少女期のムイも20歳のムイもどちらも雰囲気のよい女優である。
この凛とした瑞々しいヒロインのリレーで、この映画の調和~統一感も見事に保たれていた。





デューン/砂の惑星

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Dune
1984年

デヴィッド・リンチ監督・脚本
フランク・ハーバート原作『デューン』
音楽ブライアン・イーノ、TOTO

カイル・マクラクラン、、、ポウル・アトレイデス(ムアドディブ)
ホセ・ファーラー 、、、シャッダム四世(大王皇帝)
ポール・スミス 、、、ラバン(ハルコネン男爵の甥)
フランチェスカ・アニス 、、、レディ・ジェシカ(ポウルの母)
スティング 、、、フェイド・ラウサ(ハルコネン男爵の甥)
ユルゲン・プロフノウ、、、 レト・アトレイデス公爵(ポウルの父)
シアン・フィリップス 、、、ガイウス・ヘレン・モヒアム(ベネ・ゲセリットの教母)
フレディ・ジョーンズ 、、、 スフィル・ハワト(公爵家のメンタート)
ディーン・ストックウェル 、、、ユエ・ウェリントン(公爵家の医師)
リチャード・ジョーダン 、、、ダンカン・アイダホ(公爵家の副官)
ケネス・マクミラン  、、、ウラディミール・ハルコネン男爵
エヴェレット・マッギル 、、、スティルガー(フレーメンのリーダー)
マックス・フォン・シドー 、、、リエト・カインズ博士(帝国惑星学者)
ブラッド・ドゥーリフ 、、、 パイター・ド・ブリース(男爵家のメンタート)
リンダ・ハント 、、、シャダウト・メイプス(公爵家の家政婦、フレーメン)
ヴァージニア・マドセン 、、、イルーラン姫(シャッダム四世の娘)
シルヴァーナ・マンガーノ 、、、ラマロ(フレーメンの教母)
ジャック・ナンス 、、、ネフド(男爵家の親衛隊員)
パトリック・スチュワート 、、、ガーニイ・ハレック(公爵家の副官)
ショーン・ヤング 、、、チャニ(カインズ博士の娘、フレーメン)
アリシア・ウィット 、、、アリア・アトレイデス(ポウルの妹)


フランク・ハーバートの『デューン』はどこかにあるはずなので、探してみたい。
BSに入っていたので観たのだが、短い方のバージョン(137分)であった。
出来ればもっと何が何だか分かる程度になっているであろう189分版を見たかった。
ちょっとこれでは急に場面が進展していて自然な流れがない。
心の呟きをこんなに使っては、映画としては厳しいものになる。
とは言え、初期(正式版)は10時間にも及ぶ構想であったそうで、5巻くらいに分けて放映するつもりであったか。
まさにスターウォーズである。
お金が工面できずに初版は宙吊りとなりお蔵入りしたようだ。
だが、この初版長編映画のキャストが凄まじい。
「シャッダム四世役にサルバドール・ダリ、ハルコネン男爵役にオーソン・ウェルズ、パイター・ド・ブリース役にウド・キア、レト・アトレイデス公爵にデヴィッド・キャラダイン」(Wikiより)
しかも音楽が、ピンク・フロイドとマグマである。更に美術担当にH・R・ギーガーとくる。
実現を考えた案なのか、、、。この面々で作られたら破格のカルト映画にはなっていたはず。

プロデューサーがいきなり亡くなり、一旦頓挫するがその後、「エル・トポ」、「サンタサングレ 聖なる血」、「ホリーマウンテン」のアレハンドロ・ホドロフスキー監督が先に記した10時間ものを例のキャストで構想し製作に入るも絵コンテ止まりで、予算の捻出がかなわず何でも『ホドロフスキーのDUNE』という挫折した映画製作の顛末を描いた映画が作られるにとどまったという。見る気などしないが。
この監督がそのまま無事に作り終えたとしても、相当アクの強い個性ムンムンの強烈な映画にはなっていたことは間違いない。
(それにしてもホドロフスキーの次にリンチとは、余程プロデューサーは個性的なSFを作らせたかったのだろう)。

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そしてデヴィッド・リンチ監督に引き継がれ何とか違う形で完成にこぎつけた本作。はっきり言って何処から見ても中途半端感は否めない。駄作でつまらない類のものではないのだが。
120億円の製作費を使いすったもんだの末にスケールダウンしてこれでは、、、巨大な脱力感をファンや関係者や評論家は味わったのでは、、、。
「最終決定権が監督自身になかったことから、大変悔しい思いをしたし、残念な結果を迎えた」(Wikiからリンチ監督の回想)。
しかし、このダイジェスト版みたいな大味なぎくしゃくした映画はわたしにはそれなりに楽しめた。
デヴィッド・リンチ監督ならではの身体感覚が滲んでいるからだ。
彼のツインピークスにはなくてはならない主役のカイル・マクラクランも若さ漲る感じで飄々とやっているところも大きい。
なかなか若いうちから個性的な役者だと思った。

ブライアン・イーノが絡んでおり、音の演出は大変面白かった。
ベルイマンの映画ではいつも重厚な主役を演じるマックス・フォン・シドーが他の映画ではこのようなSFの脇が多いことに気づく。
だが、彼が出ているだけで嬉しい。
スティングは、何とも野心的な雰囲気をここでも出していた。まさにこういう人だと思う。

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さて内容だが、何とも言えない(笑。日本の特撮TVのノリにも似ている。勿論、圧倒的にこちらの方が重厚だが(ノリは軽い)。
ただ、後のSF作品(映画、アニメーション)にかなりの影響を及ぼしていることは分かる。
リンチ色(臭)を脱色して利用したようなところ~場面・ガジェット・衣装その他は、ところどころに散見された。
あの「ギルド」というのは、リンチ100%ものであった。
(ホドロフスキー色やリンチ色がそのまま使えるはずがない)。

独特のディテールは比較的よく作り込まれていると思った。
良くも悪くも監督の個性・趣味~身体性の匂う映画である。
ただ、監督の思うように作らせなければ。もう少し尺もあげて。そう二部作くらいにして作ればもう少し周到な計画で、構造のしっかりした作品も作れたのでは、、、。
ともかく発表前にブラッシュアップもう少しでもかけておけば、と愚痴りたくはなる。
(デヴィッド・リンチ監督は好きな監督であるし残念な形で出してほしくはなかった)。

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Arrival”、”Blade Runner 2049”のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のもとでリメイクされるらしい。
SF映画では考えられる最高の監督だが、これを引き受けるのはどうしたものか、、、
余り無理をしないで欲しいものだ。
どうやら二部作とするらしい。賢明だ。




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蝉の音

semi.jpg

蝉の幼虫は3-17年を地中で暮らすと言う。
戸川純の歌みたいに、地中で樹液を啜って何度か脱皮するそうだ。
その間、敵~モグラなどに襲われる場合もある。

そして長い時を経て地上へ、、、。
夕方に出てくると言うのは風情を感じる。
滅茶苦茶暑い強烈な日光をいきなり浴びたら、出てきたことを後悔するはず。

木に登り、日没後に「羽化」する。
このときの蝉の殻を子供時代によく集めた。
元の形を少しでも綺麗に留めているものはお宝であった。

それは見事でフラジャイルな造形をじっくり味わう濃密な時間になる。
いくら辛い日常のなかでも、その時間を暫し断絶する自然の美の力をそれは放っていた。
こういう美がなければヒト~わたしも到底生きてはいけない。

「人間原理」の研究を進める科学者の中に、その絶妙な調整に恩寵を見出し「神」を持ち出す人もいる。
ちょっと、びっくりしたものだ。科学者がまた何で神を、、、。
辛うじて知的生命となるまでどうにか環境的に保護はされてきたとはいえ、このわれわれの共同体~社会がどれ程のモノだと言うのか!

これはかなりの失敗である。
神など全然大したことはない。
別にアウシュヴィッツや広島・長崎を引き合いに出すまでもなく、この日常の歴史をどう説明するのか。

極近傍で、とてもソリッドな音が静かにじわじわと立ち上がる。
周りを見回すが部屋にはその音の主は見えない。
ただ、凄く近いことが分かる。

窓を窺う。
よく分からない。
いるのかいないのか。神のように。

小さな低音から、徐々に大きくゆっくりうねりだし、それはグレツキの「交響曲第三番」の第1楽章 Lentoを想い起させた。
だがその音には、調性、旋律のテクスチュアは抜け落ちていた。
だが、はっきりと生命活動を知らせる律動がビビットである。

それはとても近傍に響き、近さの内に留まった。
そして、、、
ひとつの厳かな音が始まりから終わりまで重厚に奏でられた。

蝉の音であることは明白であるが、いつも聞く、距離を持った途中の音ではなかった。
やはり今回も分厚い音となったが、近くで始めから終わりまでを(恐らく初めて)聴いた。
時間はそれほど感じなかったが、成虫は長くて一か月の生命である。

一曲とて疎かには出来まい。
音の粒まで確認できた気がする。
彼らのディテールを聴いたようだった。

近くのディテール。
この辺、最近科学でも何かと話題になっているところ、、、。
何故か「交響曲第三番」を聴きたくなった。

やはり「神はディテールにいらっしゃる」か(ミース・ファン・デル・ローエ)
あっけらかんとした原始宗教的な感覚を味わった。
この宗教感覚は何なのだろう。



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霧の中の風景

Landscape in the Mist002

Landscape in the Mist    Τοπίο στην ομίχλη
ギリシャ、フランス、イタリア
1988年

テオ・アンゲロプロス監督・脚本・原案・製作
エレニ・カラインドルー音楽
ヨルゴス・アルヴァニティス撮影

ミカリス・ゼーナ 、、、アレクサンドロス(5歳の弟)
タニア・パライオログウ 、、、ヴーラ(12歳の姉)
ストラトス・ジョルジョグロウ 、、、オレステス(若い劇団員)
エヴァ・コタマニドゥ 、、、旅の一座の女優
ヴァシリス・コロヴォス 、、、トラック運転手


青い霧のかかった、広い光景が切り取られる。独特の長回し。
静謐で格調高い詩的空間だ。
何処を切っても一幅の絵画である。
その空気にわたしも浸る。
この映画は観るのではなく、浸る。


毎日、駅に姉弟でやって来る。
だが汽車にはなかなか乗れない。お金も持っていない。
ドイツ行きの汽車である。

ふたりは、出発の日を探っていた。家出をして。
「乗っちゃった!」
父を探しに旅に出たのだ。
しかし切符を持っていないため、次の駅で降ろされ保護される。

叔父さんのところに取り敢えず行くが、邪険にされ追い出される。
父親がドイツにいるなんて嘘であり、私生児であることを叔父は告げる。
ふたりの旅の根拠が失われる。
しかし姉は信じない。
雪が降ってきて人々が立ち止まっているところをふたりは逃げる。
5歳の弟が大人のような美しくも悲しい詩を詠んで行く。

美しい雪景色。
トラクターに惹きずられて馬が運ばれてくる。その遠景には何やらドラマを秘めた結婚式が続く。
馬の死に、少年は泣きじゃくる。

ずっと歩きずくめで、翌朝、ふたりはバスに拾われる。
笑顔の爽やかな旅芸人の青年との出逢いであった。

Landscape in the Mist004


何ともエキゾチックな光景である。
風格ある役者たち~一座が忽然と空間に現れ立ち去ってゆく。この街には劇場がないと、、、。
彼らは一つの劇を演じて移動を続ける放浪者なのだ。
歌声が遠く響き渡る。

人気のない街路には玉ねぎが転がる。
幼い彼は、お腹が空くが金がない。
レストランで店主に「金はないが腹ぺこだ」と素直に伝え、働くことにする。
いつの間にか入ってきてバイオリンを弾く老人。音色に聞惚れる。

彼がカモメを呼んで走り出したところを、姉と劇団員の若者オレステスに見つけられる。
姉はきつく彼を抱きしめる。弟はレストランの片付けのバイトで食料を分けてもらっていた。
しっかりしたマイペースの弟である。

二人は若者と打ち解け仲良くなる。
彼はオレステスからゴミとして捨てられた(木の映った)というフィルムの断片を貰う。
光景に融合する詩的な関りである。
岸辺では俳優たちのセリフが互いに干渉しあう。
彼らは劇場がみつからない。
どれほど残酷で無常であっても何処を切っても一幅の名画にしか見えない。

一座を離れて雨~嵐の中を歩くふたり。
トラックにやっと拾われる。
だが悲惨なことに姉は運転手から暴力を受け、ふたりは迷路に嵌る。
そして父のことを思い描く。

ひたすらドイツを目指す。
しかし何処にも辿りつかない旅は、カフカを思い起こす。
不在の父に逢うための無垢な魂の旅なのだ。巨大な重機に圧倒される二人。
そして再びオレステスに出逢う。
彼のバイクに3人で乗り、疾走する。
海辺を、走る。

Landscape in the Mist007

彼はバイクを売り、兵役に就くことになるという。
劇団も衣装を売り解散する。
ふたりは汽車に乗って、進まなければならない。
もうお別れである。

Landscape in the Mist008

だが少しだけ移動を引き伸ばし束の間の時を共に過ごす。別れを惜しむように、、、。
青年が海辺に腰かけていると、何かが浮いてくる。
白い塊。海から巨大な手首がせりあがる。
大きな切断された手の彫刻をヘリで引き揚げていたのだ。
早朝の白んだ空に浮かんでゆく手。
何処に向かって行けばよいのか、、、。
「もしわたしが叫んだとして、天使の誰が聴くだろう」
宙吊りされた人差し指の欠けた手。

ふたりは鞄も持たずに出てゆく。
青年はゲイのようだった。
「こんな風に別れたくなかった」
という彼に耳を貸さず二人で真夜中の路を進む。
「駅まで送るよ」彼女は青年に抱き着き、さめざめと泣く。
「最初の時は誰でもそうだ」
初めての失恋。

青年と別れた二人は駅までとぼとぼ歩いてゆく。
明け方には駅にいた。
彼女は兵隊と取引しようとするが、兵隊はお金だけ置いて行った。
そのお金で、また姉弟で旅を続ける。
今度は切符をもってドイツに向かう。


そして真夜中にドイツに降り立つ。
「川を渡ったところがドイツよ」
そっとボートに乗り、二人は真っ暗な闇に消えてゆく。
「止まれ!」銃声が真っ暗な闇に響く、、、
(きっと撃たれてしまったのだろう)。
だが、朝靄のなかに二人はいる。
二人の向かう先に、木が一本立っていた。
これはかの青年に貰ったフィルムに映っていると(嘘を言われた)木に他あるまい。
その木に会いに来たかのように二人はしっかりと抱きつく。

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こちらは、Blu-ray。暗い空間の細部は明瞭に見えた方が良い映画か。

涼宮ハルヒの憂鬱-Ⅱ

Endless Eight004


The Melancholy of Haruhi Suzumiya

2006年

石原立也 監督
谷川流 原作

       (声:
キョン 、、、杉田智和
涼宮ハルヒ 、、、平野綾
長門有希 、、、茅原実里
朝比奈みくる - 後藤邑子
古泉一樹 、、、小野大輔
朝倉涼子 、、、桑谷夏子


不思議なことには敏感。
しかしそれは三面記事の野次馬的なレベルを出ない。
だが、本人の気づかぬ次元で宇宙~時空改変を知らず行っている、という特異点であるハルヒ。
微妙で思い切った設定である。
望むことを彼女はいつの間にか実現してしまうのだが、そのことに全く気付かない。
途轍もない絶妙な凄いことをやっている事実には無自覚で、意識は常識的に面白いことをいつも探している始末。
単にお祭り騒ぎをしたいだけのようにも映る。
だが、彼女が実現した(想像もせずに創造した)世界を彼女自身が観測せずに果たしてその世界は存在したと謂えるのか!
それは無いに等しいではないか。
宇宙は自身の生んだ観測者を前提として初めて存在する。


いま、この世でもっとも不思議でワクワクできるのは、科学的な発見などではないか。
最近の大きな出来事として、ヒッグス粒子の発見(2012)、重力波の直接検出(2016)、ブラックホール撮影(2019)などが特別感慨深い。だが日々宇宙(惑星間)観測機により孤独のうちに続けられていた調査・発見のニュース~情報には胸が躍る。
ここのところ、主にカッシーニによる土星と土星周辺の探査であった。
その余りに美しく神々しい冒険。あのグランドフィナーレのビデオは何度見ても、こみ上げる涙を抑えられない、、、。

それはあくまでもメディア(編集・製作)を通して享受できる情報であることは違いない。
それでも、こんな情報以上のものが、他で得られるとは思えない、、、
そしてこれが観測者あっての宇宙なのだ。リルケの言うように、ことばの数だけ宇宙は深まり広がってゆく。
絶妙なチューニングによって辛うじて存在し得た観測者。
それが初めて宇宙を存在せしめる。この表裏一体。
であるから、映画「メランコリア」で地球が天体衝突により破壊され宇宙の藻屑と消えたときに、同時に宇宙は死んだのだ。
(人間原理の重要な要素のひとつ、地球に向かう他天体の軌道を自らの強大な重力で逸らしてしまう木星の力がこの時は及ばなかった)。

一次情報や所謂情報化される前のデータ~事象に触れる機会はさすがにわれわれ市井の人間には制約が多すぎる。というより接する手立てが限られている。身体的限界も含めて。
ハルヒはともかく素手で直接何か途轍もないものを掴んでみせたいのか。あくまでも自分の手で。仲間と一緒に、、、。
気持ちは分かる。神になりたいのか?(本当になってしまっているが気づかないだけなのだが)。
当然彼女の現実においては、到底何を企てようが満足できるところまでは届かない。
その執念~無意識的欲動が、情報爆発~時間大震動~閉鎖空間(次元断層)の生成などを引き起こすというのか。
とんでもない規模の危うい祭りである。

ハルヒの望む世界を彼女自身が創り、彼女はその世界内にいながらその世界がなんであるかを知らない。
いやこれはわれわれにも言えることではないか?
彼女に必要なのは、観測者なのだ。
彼女の世界を見てくれるもの。それがあって初めて彼女も真に存在しうる。
自分の小ささを自覚させられるのではなく、自分の無限の可能性をその広がりを見届けてくれる存在が必要なのだ。
それが彼女に選ばれた普通の人キョンなのではないか。
そして彼女の望みであった宇宙人の長門有希に未来人の朝比奈みくるに超能力者の古泉一樹がそれぞれの目で見守る。
キョンはハルヒに選ばれた。とみんなが言う。一番の謎。それは何故キョンが選ばれたのか?
キョンこそハルヒの観測者なのだ。
ハルヒが消失したときにも、彼は天文学者のように彼女を見つけ出した。



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涼宮ハルヒの憂鬱-Ⅰ

Endless Eight001

The Melancholy of Haruhi Suzumiya

2006年

石原立也 監督
谷川流 原作

       (声:
キョン 、、、杉田智和
涼宮ハルヒ 、、、平野綾
長門有希 、、、茅原実里
朝比奈みくる - 後藤邑子
古泉一樹 、、、小野大輔
朝倉涼子 、、、桑谷夏子


無意識的な爆走で宇宙を消滅させる可能性のある涼宮ハルヒを観測・監視するおどろおどろしい(宇宙規模の役職の)3人とハルヒ宇宙の微調整役の普通の人キョンで成り立つ噺。

「人間原理」をベースに展開する。

ハルヒは、自分では「宇宙人と未来人と超能力者」を友達にして何をかやらかすぞと息巻いているのだが、その無意識的願望によりその通りの存在が(恐らく改変~創造されて)集まってしまっている。
SOS団として。

しかしハルヒは意識の上では、そんな存在がいるわけないと信じている(端から諦めている)。
かなり常識的な超自我~感覚は持っている。
だが、無意識的願望を元に世界を創造してしまう特異な力をもってしまった。それが3年前の七夕に生じたらしい。
彼女には何の自覚もない。意識的にSOS団員に命令してやっていることと言えば、普通のお遊び~イベントを派手にやるに過ぎない。
つまり自分の潜在パワーには全く無自覚なのだ。また、それに多少でも気づくようなことがあると、どのような大変動が宇宙に起こるとも限らない。(古泉の言うように重力定数や粒子の質量比が僅かでも変われば宇宙は消滅しかねない)そんな覚束ない状況にあるのだ。ハルヒが呼び寄せてしまった(創造してしまった)3人は、彼女の無意識的願望を満たす存在であると同時に彼女が世界を取り返しのつかないほどに改変しないようモニターしながら場合によっては早急に修正する役ともなる(何という大役か)。
古泉が「人間原理」をキョンに解説する際に用いた「崖っぷちでつま先立ちしている道化師のごとき存在」こそがハルヒを取り巻く彼らそのものと言える。
だから、ハルヒに常に振り回され危うい目に遭い時には命からがら急場をどうにかしのぎつつ、世界を元の姿に戻したりしてハルヒと仲良く時にはなだめながら遊んでいるのであった。

世界の創造者というものは、やはりハルヒのように荒ぶる神なのだろうか。


ここで何と言っても陰で凄い活躍を続けているのが、長門有希である。
実際のところ、彼女がいなければとっくにキョンは殺され、歯止めの効かないハルヒによって宇宙は消滅であろう。
長門有希は途轍もない功労者である。
ハルヒよりファンが多いのは当然であろう。
(わたしもファンである)。

古泉がハルヒの無意識に形成する閉鎖空間で「神人」を倒す活躍も既視感はあるが、縁の下の力持ちか。
キョンによる宇宙の微調整も何とはなくできていたりそうでもなかったり、であった。
朝比奈みくるはハルヒの良い玩具であったが、彼女が捕まえてきた萌えキャラである。
ハルヒの無意識的な欲望を満たし安定を呼ぶ存在としてとても役立ってはいた。
未来人としてのどういった役割を果たしていたのかは、いまひとつはっきりしないのだが。

やはり長門有希が大活躍なのだ。
キャラもとてもそれらしい。
ハルヒとの対比でも。
丁度、惣流アスカラングレーと綾波レイのテンプレートにピッタリの鉄板キャラとでもいうべきか。
ここではそれにテーマ音楽付きの鉄板萌えキャラ朝比奈みくると非常に安定した相棒キャラの古泉一樹が支える。
これらの構成は強力だ。




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