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GOMA28

Author:GOMA28
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氷菓 その2

hyouka005.jpg

2012年
武本 康弘 監督・脚本
米澤穂信 原作


                         声):
折木奉太郎(古典部、推理の達人)、、、中村悠一
千反田える(「豪農」千反田家のひとり娘、古典部部長)、、、佐藤聡美
福部里志(奉太郎の親友、古典部、総務委員会)、、、阪口大助
井原摩耶花(漫画研究会、図書委員、古典部)、、、茅野愛衣
入須冬実(総合病院院長の娘、女帝と呼ばれる)、、、ゆかな
糸魚川養子(神山高校教師、司書)、、、小山 茉美
十文字 かほ(荒楠神社の宮司の娘)、、、早見沙織
折木 供恵(奉太郎の姉、元古典部、インドにいる)、、、 雪野五月
遠垣内 将司(壁新聞部部長、父が教育界重鎮) 、、、置鮎龍太郎
田名辺 治朗(総務委員会委員長)、、、福山潤
陸山 宗芳(生徒会長、絵が上手い)、、、 森川智之


古典部初代「氷菓」編集長で、えるの叔父である関谷純が、如何なる経緯でこの文集を作り、学校を去って行ったのか。
権力闘争が熱狂しエスカレートする様がよく窺える。
これは人間の性である。
戦争の原動力とも謂えよう。
たかが文化祭を巡っての学校側の理不尽な縮小通達に対する生徒会の反発・反抗行動であろうが、それが熱に浮かされた暴力による舵のとれない攻防となれば、先は知れている。
大きな逸脱が起きて双方とも驚いて鎮まるとか。
コメディというかギャグに近い。

ここでは生徒たちの焚いた火が格技場に燃え移り、全焼したことで一応の終結をみる。
文化祭は従来通りに開催され、生徒の要求は通るが学校は火災の責任をけじめとして彼らに取らせた。
結局、運動の実質的なリーダーは表には出ず、名目上のリーダーとして祭り上げられていた関谷純が生贄となり退学処分となる。彼は表向きは静かにそれを引き受けた。だが、それに対し誰一人として彼の身の潔白を主張する生徒はいなかった。
彼を学校~権力から生徒の文化祭~自主性を取り戻した英雄扱いすることで学校と生徒双方が事の本質を隠蔽した。
優しい英雄として彼を葬り、その後暫く文化祭は神山祭ではなく関谷(せきたに―>かんや)祭と生徒の中で呼ばれることとなる。欺瞞である(誰が望んでそんな英雄などになるか)。
関谷純は退学を予感したときに、古典部の文集を創刊しその名を無理を通して「氷菓」とした。
「氷菓」~アイスクリーム~”I scream”これが折木奉太郎の受け取った(暴いた)メッセージであった。
そして幼いえるが叔父に文集「氷菓」の意味を問うた時に、その恐ろしさに絶句して泣き出しその記憶を封印した当のものであった。その翌日、彼は姿を消した。
彼は幼いえるに、強くなれ、さもないと悲鳴すらあげられなくなる、それは生きたまま死ぬことを意味する、と説いたという。
その時の記憶を彼女は取り戻し、聞いたときと同様に涙が溢れ出す。

わたしは、このことより寧ろ、えるが優しかった叔父に何を聴いたのか、いつも気になりながらも思い出せないでいることを奉太郎に訴えた際、時が経てばそれも時効になると謂われ、何としても今、思い出そうと彼にすがった事に共感する。
時効でとても大事な思い(しかもそれがどうしても思い出せずにいる思い)が消えてなくなることの恐怖こそ真の恐怖である。
わたしは今を生きている。今(もっとも)気になることは、今それを知りたい。自然である。
これがえるの原動力であった。これが奉太郎をも動かした。

hyouka009.jpg

この後、蛇足みたいな感じで、数学の授業での進度を教科担任が誤ったことに関して、何故そう言うことが起きたのかという推理を奉太郎が行う。何とも些細な日常にフォーカスしたものだと思うが、それをストーリーとしてまた面白く料理してしまう。
このホントに小さなエピソードが京アニらしさを如実に表すところか?
この件で、えるがその数学教師に対し抗議して怒ったことを7つの大罪と絡めて語って特に不自然さを感じさせないところもなかなかのもの。
結局、数学教師ならではの進度を記録する際のD組~”d”とA組~”a”の文字表記の見間違えということであった。確かに在り得る。

それから、部活の合宿で温泉旅行に繰り出す噺が続く。
直ぐにバスに酔ってしまい温泉でものぼせる奉太郎のイベントを楽しめない宿命を摩耶花に指摘される回。
その旅館で首つり自殺が以前あったことを知らされたうえで、その夜女子二人が向かいにある使われていない本館の窓にそれらしき影を観てしまう。当然の流れで奉太郎が推理を頼まれる。えるに頼まれたらやらざるを得ないパタンが確立してゆく。
目の錯覚ではあろうが、どういう錯覚なのか、、、
温泉旅館のふたりの小学生姉妹の性格を捉えたうえでの推理が冴える。
無断で借用した浴衣を雨で濡らしたことが姉に言えない妹が、かつて首つりのあった部屋にそれを干していたのを見たものであった。幼い姉妹の間の大変ささやかな、しかし充分にあり得るエピソードを何か郷愁に染め上げて描いたものであった。
一人っ子のえるの姉妹願望が一瞬揺らぐが、最後に姉が妹を労わる仲の良いところを目にして救われる光景で終わる。

古典部4人が招待されて2-Fの試写会に参加するところから始まる「万人の死角」は圧巻であった。プレ文化祭の回となる。
文化祭で発表する2-Fビデオ映画の脚本家が倒れたということで、撮影が途中でストップしてしまう。
そのピンチを彼らが救うという話である。
これがまたよく出来ている。女帝と呼ばれる入須冬実に最初はオブザーバーとして関わるように誘われるが、結局奉太郎が脚本家のその先の部分を推理するのではなく、推理作家の役をやらされ脚本創作を噺の最後までさせられてしまうのだ。
人心を操ることにかけて特別に秀でているために付けられたあだ名である「女帝」の名に恥じない乗せようである。
奉太郎が終盤、それに気づき怒りを顕わに食い下がるも、女帝は冷静にそれをかわす。
脚本家は、登場人物は誰も死ぬ設定をしていなかったにも拘らず、スタッフたちの暴走で死人を出してしまい、それに意見できずに本を進められなくなる。それを察し冬実が病気ということで彼女を降板させ、その続きを他の者に推理させて最後まで撮り終わろうとする名目であったのだ。しかしそれでも脚本家の考えがまずは第一のはず。入院中であろうとその先のプランくらいは聞き出せるであろうが敢えてそれをせず。

奉太郎としては、途中までの素人臭い映像を忠実に読み取り、他の生徒が批判するカメラワーク・演出の悪さ、稚拙さを彼女の積極的な意図であると受け取り考える。
何処にも死角のない密室殺人のトリックを、カメラを回しながら役者たちについて回る第7番目の役者として撮影件懐中電灯(照明)担当と捉えることで破綻なく見事解決する。
これでカメラが超越的視座をもたず、同時にあらゆる場所から情景を写したりする演出が取れないことが分かる。要所要所でカメラ担当者は光の必要な際に懐中電灯で対象を照らす。これも登場人物たちにピッタリ寄り添って移動する一人の役者であるところから自然な動きであることが分かる。そして他の6人がそれぞれの場所に散った後、彼はおもむろにマスターキーを堂々と取ってターゲットに接触して殺すことが楽々できた。所謂、叙述トリックを敷いていたのだ。

奉太郎の示した線で続きが制作され、誰もが唸る作品に仕上がり、冬実からも感謝される。だが、古典部の他の3人からは、それは奉太郎の作品であっても脚本を担当した生徒の真意ではないことを説かれる。その何れもがもっともなものであった。そして彼らの話を聞いて自分が脚本をテクストとして読み取るだけで、脚本家の気持ちに思いが向いていなかった事を確認する。つまり彼がテクストに向き合っているときに他の3人は脚本家自身に想いを馳せていたのだ。そこから導かれた結論はミステリーより彼女の思いを反映させた随分とロマンチックな内容であった。もう撮り終えた後であり、再考する意味は失せたにもかかわらず奉太郎は食い下がる。
(恐らく冬実の真の意図は、脚本自体が面白くないため極力誰も傷付けない形で、それをうまく書き換えて上映し成功させたかったのであろう)。
奉太郎の「やらなくてよいことはやらない」モットーは、えるや冬実さらに姉のお陰でとっくに破綻していた。


思いの外長くなったので、文化祭の回は、明日にでも、、、。



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