エンドレスエイト インターミッション

Intermission
いくちゃんの写真集についてではない(笑。
恐れ多くてコメントなどしようがない。
そうではなく、「エンドレスエイト」についての考えがまとまらず、一先ず休憩にしたいのだ。
原作とか読まないと、よく分からない世界かも知れない。
(原作に忠実とは言え、原作にはこのような繰り返しはないという。一回の記述で凄まじい回数のループの後にキョンのひとことでループを脱したようで、読んでもこれについてはあまり意味はなさそうだが)。
原作を読んでいれば、感じ方が違ってくることは当然ある。
しかしこれは表現形式が異なるのだから当たり前のことであり、その世界観をその形式を活かして表すことに成功していれば文句はないはず。
どうなのだろう。
わたしとしては珍しく、これについて書かれたスレッドなどを拾い観してみたが、驚いたことにコアなファンにかなり評判が悪く、実際売り上げをこの話から落としているようで、それ以降立ち直らなかったようだ。いやセールスの問題より深刻なのは、この大傑作「ハルヒ」シリーズ自体の評価を落とす要因に、この作品がなってしまったらしい。何ということ、、、。
ちょっと今回は、いつものように無手勝流な感想を気軽に書けない気分に陥った。
同時に夏の疲れもどっと来た。
わたしは原作はおろか、毎週の番組を一周間楽しみに待ったうえで視聴していたわけではなく、DVDで一気にまとめて観てしまったのだ。この違いが殊の外大きく影響した感もあるが。
ファンのほとんどは、この作品に怒っているようなのだ。
主に8回ほとんど同じイベントをそれぞれ制作チームを変えてまで作ったのに、完全にイベント・セリフ・シーンが細かい部分まで統制がかけられており、ほぼ同じもの~シークエンスで出来てしまったのだ。それでも作画の個性などは滲み出ており、わたしはその辺の違いを味わうことが楽しかったのだが、、、つまり型を同じにしても溢れ出てしまう表現の妙が、である。
批判の多くは所謂、バタフライエフェクトによる作用がどうなってるのか、自然に考えてもっと多彩で多様な動き~イベントになって当然だろう、いつものようにキョンではなく視点を変えてイベントを捉えてみたらどうなのか、ここでは全てを知る立場の長門がその適役ではないかとか、同じイベントでやっても一回ごとに視座を変えたら変化に富むというのもあった。水着が毎回違うことに注目し、浴衣はその場で買うからまあよいとして、水着は家からもって集まるにしては、たくさん持ってい過ぎだと怒るファンもいた。わたしは毎回異なる衣装を愉しんでいたので盲点を突かれた。リアリティにおける信憑性である。確かに女子なら水着を8種類(以上)持っていても不思議はないが、男子が海パン8種類(以上)持っているのは、ちょっとマニアの領域かも知れない、とは言え、ここまでつつかれるのは、相当この作品が強い批判欲を引き寄せるものになっていることは違いない。
わたしの観方が甘かったのか。
しっかり観ていなかったから、怒りがこみあげてこなかったのか。
わたしは単に純粋に面白かったのだ。
ファンが如何に苦言を呈していても、わたしが面白かったのだから仕方がない。
どうしろというのか。
と、開き直ってみても、この温度差以上の感覚は、やはり気になる。
元々わたしは、滅多なことでは作品を批判的に観ない。
極めて受容的な姿勢で鑑賞する。
勿論、その姿勢もその作品の出来具合の程度によるとはいえ。
余りに酷い時は(最近、何作か確かにあった。「Her」などそのひとつで、普通のパソコンにインストール出来る程度のAIに安易に感情を持たせて、気色悪い会話を延々とさせる映画などには)流石にブチギレ鑑賞放棄するが。
これは、そんなおバカで下らぬものとは、次元の異なる作品である。
丹念な作画でディテールまで緻密に描かれた表現豊かな作品である。
ひとつだけ観れば、文句なしの京アニ品質の傑作ではないか。
要するに、問題は、「反復」(そのさせ方も含め)に尽きるとは謂えよう。
デザインの問題となる。
但し、ひとつだけ、大方のファンの意見にあるらしい「エンドレスエイト」が「消失」の要因となったというのはどうか。
確かにその「時間」は彼女にとって有意味に働いたと思うが、、、。
今日、娘たちと「涼宮ハルヒの消失」を一緒に観て、胸の締め付けられるほどの感動を覚え、思ったのだが、エンドレスエイトがなくても、「消失」は起きたし、それまでの流れの必然の結果でもあったのではないか。
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