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GOMA28

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無彩限のファントム・ワールド

Phantom World001

Myriad Colors Phantom World
2016年
石原立也 監督
秦野宗一郎 原作

          声):
一条 晴彦、、、 下野紘(チームE所属、ファントム封印、召喚)
川神 舞、、、上坂すみれ(脳機能エラー対策室、チームEのリーダー)
和泉 玲奈、、、早見沙織(チームE所属、ファントム・イーター)
水無瀬 小糸、、、内田真礼(防衛省直属の「対ファントム要員」、チームE所属、声を武器とする)
姫野 アリス、、、井上喜久子(脳機能エラー対策室顧問)
ルル、、、田所あずさ(妖精ファントム、晴彦の無意識から生まれた少女)
熊枕 久瑠美、、、久野美咲(チームE所属、初等科、ドールマスター)
アルブレヒト、、、久瑠美のクマの縫い包み、巨大化してファントムと闘う


テーマは荒唐無稽で、遺伝子組み換え研究を行っていた阿頼耶識社がテロに襲われたことから、人々の脳に異変が生じはじめ、彼らの生みだすファントムが誰の眼にも見えるようになった(人の生みだす化け物が可視化するようになった)。そのなかで人に実害を与えるファントムの処理の為、特異能力者が集められ、事に当たることになった。
この物語の主人公たちは皆、独自のファントム退治の特異能力を有し、専門機関に所属しチーム或いは単独で様々なファントムに立ち向かっている。彼らは、ホセア学院高等部に所属しクラブ感覚で顧問の下、活躍している(熊枕 久瑠美だけは初等科4年で加わっている)。
その過程で、自己の確立や仲間との友情を深めてゆく姿が描かれる。この辺は完全に少女漫画の世界でもある。

TVアニメーション14話を続けて観てみた。
こんなことははじめてである。面白かったが大変であった。
わたしの何時も頼りにしている「劇場版」がないのだ。一回で観れないのはキツイ。

しかしTVアニメも一話完結型のものであり、それぞれの回で事件は盛り上がってちゃんと解決を見る。
しっかり枠内で、スリルやアクション・バトルありナンセンスや笑いや感慨深い流れも用意されている。
それと共に、脳機能エラー対策室のチームEがはじめは川神 舞と一条 晴彦の2人だけの弱小チームであったが、ファントムイーターの能力を持つ厳格な家の娘の和泉 玲奈や縫い包みの強大な力を有するアルブレヒトを操る初等科の少女、熊枕 久瑠美や防衛省直属の「対ファントム要員」に幼い頃にスカウトされたエリートの水無瀬 小糸をチームに入れてゆくことで、学園一の最強チームに育ってゆく過程も描かれる。

Phantom World002

全体として京都アニメーションにしては異色な、セクシーな巨乳美少女が活躍する青春ファンタジック・コメディとでも呼ぶべきか。
京アニ、守備範囲は広い。
科学ネタを散りばめつつ、オカルト・お色気ファンタジー路線で大変キャッチーなアニメーションを構築している。

絵が相変わらず綺麗で、一回分が30分弱で、今回は登場人物誰もが可愛らしいこともあり、興味を惹かれて鑑賞するも、何とも電信柱のファントムが出て来て、宮沢賢治の世界みたいですね、ってそれはないだろ。
電信柱たちの挑戦を受けて川神 舞と電信柱ファントムがリンボーダンスで競い合うところなど、このアニメの基本線がよくわかる。
彼女が巨乳である分、闘いは不利かと思われたが、、、。

全てがこの路線内なのだ。この後のエピソードもこういったものばかり、手を変え品を変えである。
どれだけナンセンスであっても、作画の出来で魅せてしまうものだ。
特に学園の校庭に露天風呂が突然できていて大猿相手に闘うところなど、この最たるもので、ほとんどジョークの世界である。
京アニの力技でちゃんとエピソードとして形になっていた。

楽しくセクシーなエンターテイメントとして焦点が絞られ、しっかり作り込まれたアニメーションであった。
充分、続編も出来る余地もあり、劇場版も生まれておかしくない。
(TV版から見て、劇場版が一番作り易いタイプのモノであるに違いない)。
こういう作品も作れる京アニには、是非とも頑張ってもらいたいものだ。







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響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ その2

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2016年

石原立也 監督
花田十輝 脚本
武田綾乃 原作「響け!ユーフォニアム」

          (声:
黄前久美子、、、黒沢ともよ(ユーフォニアム)
加藤葉月、、、朝井彩加(チューバ)
川島緑輝、、、豊田萌絵(コントラバス)
高坂麗奈、、、安済知佳(トランペット)
滝昇、、、櫻井孝宏(吹奏楽部顧問)
塚本秀一、、、石谷春貴(トロンボーン)
中世古香織、、、茅原実里(トランペットパートリーダー)
小笠原晴香、、、早見沙織(部長、サックスパートリーダー、バリトンサックス)
中川夏紀、、、藤村鼓乃美(ユーフォニアム)
吉川優子、、、山岡ゆり(トランペット)
後藤卓也、、、津田健次郎(チューバ)
長瀬梨子、、、小堀 幸(チューバ)
田中あすか、、、寿 美菜子(低音パートリーダー、副部長、ユーフォニアム)


この後の「劇場版 響け! ユーフォニアム ~届けたいメロディ~」(2018)があり、「劇場版 響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ」(2019)で完結のようだ。本作は3部作の1作目ということになる。

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「響け!ユーフォニアム」ということで、ヒロインがその楽器であることからも、当然黄前久美子とユーフォニアムを中心に展開するものと思っていたら、寧ろ彼女と深く絡む高坂麗奈とトランペットを巡り展開する映画であった。
キャラとしても麗奈の性格と技量は際立っており、久美子は特に強い個性や主張を持つわけでもなく彼女の理解者としてサポートする立場と言える。
勿論、久美子の心の揺らぎや葛藤、麗奈との関係を通して自分を見出してゆく過程も見られ、終盤、久美子の強いこころの叫びも窺え彼女の変化もしっかり分かる。
だが、麗奈のビビットな身振り~言動が物語を進展させてゆく。

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もうひとり大きな役割を果たしているのは、部活顧問の滝昇であろう。
語り口はソフトだが、指導方針とその方法はきっちりと詰めてあり、全くブレない。
その容貌~姿と声がまさにそういう人を表しており、ここがアニメーションの説得力であることを実感する。
高坂麗奈が恋心を抱いているというのもどう展開するのか。
かなり強力な軸であろう。
(そもそも彼女がこの高校を選んだのも、滝が吹奏楽部顧問に就任することを知っていたからである)。
そのような特別な繋がりは、確かに部活という共同体をざわつかせる要因にもなろう。
だが、それを力で捻じ伏せる確かなものを持っているうえに久美子というノーマルな見方がいる。

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細やかな所作がとても綺麗な流れを作っているが、特に久美子と麗奈の二人のシーンは大変魅力的な仕上がりとなっている。
微妙な感情や想いを伝える想定外の仕草とそれを支える表現力と光と陰による演出力、これらは京アニならではのものであろう。
単に描写が細かいとか質感がよく出ているというレベルのものではない。
皮相的な写実ではなく、絵の作りそのものが独創性を目指している。

ユーフォニアムがこの後の展開で大きな役目を果たしてゆくのか。
久美子がこれからどのような変化を見せるのか。
終盤にはかなりのまとまりと技術の向上を示していた部員たちのそれぞれの動きも気になる。
第二部、三部もこれは是非観たい。

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響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ その1

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2016年

石原立也 監督
花田十輝 脚本
武田綾乃 原作「響け!ユーフォニアム」

          (声:
黄前久美子、、、黒沢ともよ
加藤葉月、、、朝井彩加
川島緑輝、、、豊田萌絵
高坂麗奈、、、安済知佳
滝昇、、、櫻井孝宏
塚本秀一、、、石谷春貴
中世古香織、、、茅原実里
小笠原晴香、、、早見沙織
中川夏紀、、、藤村鼓乃美
吉川優子、、、山岡ゆり
後藤卓也、、、津田健次郎
長瀬梨子、、、小堀 幸
久石 奏、、、雨宮 天
鈴木美玲、、、七瀬彩夏
鈴木さつき、、、久野美咲
月永 求、、、土屋神葉
田中あすか、、、寿 美菜子


ストイックな吹奏楽部アニメーションである。
(ティータイム主体の「けいおん!」とは違う。とっても真面目なのだ!)
勿論、TVアニメの方は観ていない。
わたしは、アニメ自体あまり見ないのだ。
(「鉄人28号」は別だが)。

やはり楽器を演奏するアニメは作画自体が難しいものだな、とは思った。
しかし観てゆくうちに細かいところ(動き)は気にならなくなる。
全体としてのイメージが出来上がって行くからか。
楽器の質感などは素晴らしい。

物語としては、久美子と麗奈の繋がりが中心に描かれてゆく。
わたしもこの二人の関係にはとても好感を抱いた。
技術を磨き合う上で成り立つ友情というのは素敵だし、この二人の関わり方がとても絵になり美しい。
憧れでもある。

二人以外のキャラクタもよく描かれていて、顧問の滝昇は勿論、吉川優子と中世古香織の思慕の関係とか、塚本秀一の黄前久美子に寄せる思いとか、、、副部長の田中あすかの個性や部長の小笠原晴香の葛藤もしっかり感じ取れるように描かれている。
特に高坂麗奈の強い個性と感情表現の幅は秀逸であった。うざいことに対して独り叫ぶところが良い。魅力的なキャラが活き活きしている。
黄前久美子の普通さも説得力がある。
誰にも好感が持てるアニメーションと言えるか。
ハルヒみたいな極端な存在は一人もいない(いてもよいが)、個性はあっても普通の真面目な子ばかりである。

この吹奏楽部のヒエラルキーはただ一つ、演奏技術によって決まる。
とても潔いものだ。
「もっと上手くなりたい!」久美子の切実な叫びも共感である。

滝昇の指導の下、部活メンバー1人1人の音楽への向かい方が純粋になり、一つの部としての技術レベルが格段にアップして行く様がとてもよく分かる流れであり、そこを充分に楽しめる。
そして、こうした部活生活の体験は大変貴重なものだと実感できる。

多くのスポコン劇などに見られるような、おどろおどろしい煽りは微塵もなく、すんなり自然に入って行けるドラマであった。




ヤモリが毎晩やってくる

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今日、劇場版「境界の彼方」(過去・未来)を見直してみたが、どうもTVのダイジェスト版を観ているような感じで、こういう内容なのかということを知ることはできても、感情的にしっくりこない。
かなりスリルとアクション~戦闘シーンは激しく、エモーショナルな場面も多く、泣いたり叫んだりも半端ではない、非常にドラマチックな物語なのだ。
そこに全くついて行けない。
「妖夢」、「境界の彼方」、「半妖」、「異界士」、等々が普通に語られ次々に荒唐無稽な戦いがストーリーのなかでは自然に巻き起こるので、これを観るにはやはり、それらが何であるかすでにしっかりと納得している必要があることが分かる。
これは、暫く寝かせておきたい。
やはり映画単体で観られるものがよい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

恐らく家に住みついているのだろう。
毎晩、私の部屋の網戸にヤモリが現れる。
夜行性だから夜は活発なのだ。
昨夜など、口に昆虫(羽虫)を咥えて登場した。
(よく家の周りの害虫を食べてくれるというが)。
夜これを書く頃に決まって現れる。
一日も欠かさず。

此処を通ると決めているのだろう。
動物は決めたら余程何かの不都合がなければ、それをやめない。
今夜もかなりの間、窓の外を行ったり来たりしてから姿を消した。

トカゲよりもヤモリの方が幾分ぼんやりしていて可愛らしい。
トカゲは動きが敏捷で鋭い感じがする。
体も趣味の悪い縞模様でギラギラしているのが多い。しかもグラデーションがかかっていたり。
昼行性で真昼間に突然現れするっと身をかわす様はとても狡賢そうで、、、。
瞼があるからか、悪そうに見える。
ペットショップで見かける大きなトカゲなどになると、何とも言えないが。
ベジタリアンのグリーンイグアナではもうわたしにとってはちがうものだ。
あくまでも庭で突然姿を見せ、ちょろちょろしている可愛げのないのが、わたしにとってのトカゲである。
いつもビクッとする。

また明日もきっとヤモリは時間を守って現れるだろう。
ヤモリにはこういう安心感がある。


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娘のピアノ発表会

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いつもの会場で今年も発表会が開かれた。
最近、幾つかの高級なピアノ~NY・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイを弾く機会があり、キータッチなどに煩くなってきたふたりであるが、ステージのピアノのタッチもそこそこよかったようだ(笑。
きっとこの前、映画(「羊と鋼の森」)で見たような調律がなされていたのだ、多分。
そんなことを連想しているのは分かった。

発表は、これまでのベストパフォーマンスであった。
ふたりとも、ミスタッチはなく(大変速い音符も滑るところがなく)一音一音の粒がクリアに響いていた。
特に妹の方はペダルがとてもタイミングよく効果を充分に発揮していた。
姉の方はタッチの強弱がしっかり効いていて一つのまとまりとして説得力のある演奏になっていた。
ともかくミスが見られなかったうえにそれなりの曲想が窺えるものであった。
(長女の演奏は家で弾くものと雰囲気が違っていて、弾き方を少し変えていた)。

ともかく、よい演奏であった。
朝、姉妹で大喧嘩して、家の中がかなりグラついた割には、よく持ち直したものである(苦。
こちらとしては、3日前あたりから気が気ではなく、生きた心地もしなかったため、ホッとした。
3つ降りた5Fのサンマルクカフェでフルーツパフェやフレンチトーストを取り敢えず食べ、帰路に就く。
今日はわたしの車で来たのではなく、タクシーで会場まで乗り入れた為、電車である。

ご褒美が欲しいというので、ビルを出る前に、長女には乃木坂文庫二冊(いくちゃんと高山さんの推薦本)。
次女には、たこ焼きを買ってあげた(現在、彼女はたこ焼き命なのである)。
帰りはプラプラ歩きたい気持になったので、電車を降りてバスには乗らず、あちこち寄り道しながら帰った。

発表会後に貰ったトートバッグがかなりお洒落で、二人とも気に入ったようであった。
いよいよ発表会用のドレスもちょっときつめか。
来年は新調しないといけないかな、、、と思う。



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たまこラブストーリー その2

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Tamako Love Story
2014年

山田尚子 監督
吉田玲子 脚本
片岡知子、マニュアル・オブ・エラーズ 音楽
洲崎綾「プリンシプル」主題歌
ダイナマイトビーンズ「恋の歌」劇中歌


声):
洲崎綾 、、、北白川たまこ(餅屋「たまや」の娘、バトン部)
田丸篤志 、、、大路もち蔵(餅屋「大路屋」の息子、たまこと同級生、映画研究会)
金子有希 、、、常盤みどり(たまこの親友、バトン部部長、たまこと同級生)
長妻樹里 、、、牧野かんな(たまこの親友、バトン部、たまこと同級生)
山下百合恵 、、、朝霧史織(たまこの親友、バトン部、たまこと同級生)
日高里菜 、、、北白川あんこ(たまこの妹)
藤原啓治 、、、北白川豆大(たまこの父)
日笠陽子 、、、北白川ひなこ(たまこの亡き母)
西村知道 、、、北白川 福(たまこの祖父)


この物語の肝としてあげられるところは、、、
たまこともち蔵の幼馴染の意味合いの違いと幼くして母を亡くしたたまこの拠り所が商店街に置かれているところか。
これは、たまこの自ら無意識に作り上げた柵からの脱却と自立への物語として捉えられる。

大路もち蔵はどうやら初期から北白川たまこに一定の距離を置き、しっかりよその子として彼女と関わってきたようだ。
片や北白川たまこは、彼をファミリーの一員みたいな存在(兄妹)として捉えていたか。
少なくとも、もち蔵から告白されるまで、たまこは微塵ももち蔵に対して恋愛感情などもっていなかったのは事実であろう。

最終的に、糸電話のコップをいつもキャッチできなかったたまこが、東京行き新幹線のホームで初めてキャッチできたところで、こころが繋がる~アクロバティックな飛躍~着地が見えたところだが、ほんとうにそうだったのかどうかは怪しい。
周囲からそういうありきたりな物語へと誘導された雰囲気は消し難い。
だが、別に客観的に見て、王子であっても大路もち蔵であっても、とても良い人物~相手だとは思うが。

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たまこにとって「うさぎ山商店街」が母親代わりであろうことは容易に想像がつく。
彼女はその場所に不変を要請する。日常の円環構造を維持しようとする。
精神的な後ろ盾は誰にとっても必要だ(しかしそれを商店街が引き受けてくれるのは極めて稀有なことだろう)。
だが、いつまでも生暖かい巣の中で保護され続けて過ごす訳にはいかない。
高校三年で、進路が目の前に控えていることと、更に告白されその相手を選ぶかどうかという、主体的な選択を迫られる。
自立~自己対象化を不可避に要請される流れは止まらない。

もち蔵は、東京へ出てゆく。映像の勉強を本格的にしたい。目的が円環構造を破る。
たまこのこころを揺るがし解体させたまま、彼は外部に出ようとする。
しかしたまこの状況は周囲の親友との関係もありもう不可避的にもち蔵の方向へと流れ着くしかない。
後は、たまこ自らがほんとうにそれを欲するかである。
ノーという立場も理屈の上からは残されてはいようが、周囲の流れから言ってそれは難しい。
(結局、恋愛というものは、このような政治的局面でその気になって行くところは小さくないと思われる)。
そのタイムリミットが常盤みどりによって謀られる(牧野かんなもそれを推す)。

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恐らくこれまで漠然と将来は実家の餅屋を継ぎ、不気味に心地よい商店街に安住しようとしていただろう。
もち蔵の告白は、たまこの殻を破り自立を促すトリガーとして作用した。
これがなければ、外に意識を向けることが随分と遅れたように思われる。
もち蔵を意識の外にある他者として捉えなおす~書き換える。
同時に商店街の外部に意識を馳せる。
外の世界=自分の世界に。

しかし急速に自我の形成は図れない。
これからはもち蔵という他者と共にそれを行ってゆけばよいか。


どうなのだろう。こんな風にしか受け取り難い作品であった。
かなり革新的な。






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たまこラブストーリー その1

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Tamako Love Story
2014年

山田尚子 監督
吉田玲子 脚本
片岡知子、マニュアル・オブ・エラーズ 音楽
洲崎綾「プリンシプル」主題歌
ダイナマイトビーンズ「恋の歌」劇中歌

声):
洲崎綾 、、、北白川たまこ
田丸篤志 、、、大路もち蔵
金子有希 、、、常盤みどり
長妻樹里 、、、牧野かんな
山下百合恵 、、、朝霧史織
日高里菜 、、、北白川あんこ
藤原啓治 、、、北白川豆大
日笠陽子 、、、北白川ひなこ
西村知道 、、、北白川 福
立木文彦 、、、大路吾平
雪野五月 、、、大路道子


日頃ほとんどアニメを観ないわたしがここのところ立て続けに観ていることでちょっと変調をきたしている。
観ておかないとならぬというパラレルワールドからの情報めいたものを受信しているわけでもないのだが、、、。
餅屋が道を挟んで向かいにあり、片方は娘でもう片方には息子がおり、両者ともに同い年の高校3年生ということで、いつも一緒に生活してきたも同じであり、これをほとんど延長する感覚で商店街の全店が極めて親和的な関係で共同体を形成している。

日常を精緻に描くことに長けている京都アニメーションとは言え、このアニメの日常はわたしにとって全くの非現実的なものであるし、昨日続けて観た「境界の彼方(過去・未来篇)」など、もう飛んでもない異界での荒唐無稽な激しい闘いでもある。とは言え「境界~」の方がテーマ的には馴染み深い。この商店街とたまことの関係の方が遥かに異界であった。
よく分からない作品なのだ。
「たまこまーけっと」TV版の終わりごろのものを数本観てみた。
こちらでは、南の島の王子のお嫁さん探しにペラペラ喋りまくる鳥がやってきて、占いをする従者の娘も餅屋に居候して話が進展~混迷していた。この映画では最初の導入部に商店街を去り帰国して餅つきをたしなむ王子たちの光景が描かれる、がほとんどそこくらいである(終盤にも大事なところで出ては来るが。あまり本編内容には影響しない)。
それにしてもメチャ・モチマッヅィとかチョイ・モチマッヅィやら鳥の名前からしてデラ・モチマッヅィと、、、何で餅が不味いみたいなフザケタ名前なのか、、、?何か不穏なオチが控えているのか気になっていたが、どうもはぐらかされたような感じだ。
(名前で言えば、王子がたまこをお妃にすることは叶わなかったが、その代わりに大路(もち蔵)が実際にたまこを射止める。何なんだこれ)。

この異様でアーティフィシャルな空間は何なのか?
南洋の鳥が何とも言えないTV版よりこちらの方は落ち着いた体裁はとられてはいる。
徹底して外部のない箱庭的な閉塞空間が形成されていることに変わりはない。
遠い南国から王子がやってこようが、微塵も外部性はないのだ。
(少女漫画は昔からそうだったように思うが、このアニメはどういうものなのか?)

ただしTV版との大きな差異は、この作品では最初から共にあり、いつも変わらずごく自然のありきたりの存在である、もち蔵がたまことの鉄壁の関係性を改変してしまうのだ。
このもち蔵がこのまるで能天気なテーマパークのような商店街をそのシンボルでもあるたまこを大きく動揺させ異化してしまう。
とは言え、この商店街の修復性はかなりのもので、たまこがぐらつくくらいで解体するような代物ではないようだ。
だが、たまこは根底から~昔の記憶の改変すら起こし~物語のほとんどの時間を使ってもち蔵との関係を更新ではなく書き換える。まるでOSを取り換えるように。
これは大きな努力による変革ではなく、危うい異次元への飛躍なのだ。
そもそも生まれた時から一緒にいるような関係はもはや兄妹の関係と同等である。
このとても近い、心的な忌諱を孕む関係性は身体に根深く沈潜しているものであろう。
まさに日常性の根底~根拠を消滅させる(身体性を解体する)事態が発生したと謂える。

ある意味、これは京都アニメーションお得意の日常の書き換えの過激な実験作でもあろうか。


涼宮ハルヒの消失 その2

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The Disappearance of Haruhi Suzumiya
2010年

石原立也 総監督、武本康弘 監督
志茂文彦 脚本
谷川流 原作

       (声:
キョン 、、、杉田智和
涼宮ハルヒ 、、、平野綾
長門有希 、、、茅原実里
朝比奈みくる - 後藤邑子
古泉一樹 、、、小野大輔
朝倉涼子 、、、桑谷夏子

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SOS団は元々、よく分からないが常に何か面白いことを人を巻き込みやっては驚かせている涼宮ハルヒをリーダーに、それぞれ目的があってよく分からない組織から派遣されてきたらしい超能力者の古泉一樹、宇宙人の長門有希、未来の人である朝比奈みくる、ただの人であるキョンで構成される。

12/17にSOS団で部室でクリスマスパーティの飾りつけをして、あくる18日にキョンが登校すると、学校は涼宮ハルヒと古泉が存在しない、誰とも全く話のかみ合わない事態になっていた。
世界が改変されていたのだ。全てがずれて調子の狂った元気のない世界になっていた。
ただし、彼一人だけそれに気づいている。異なる時間系における意識をキョンだけそのままひきづっているのだ。
クラスのハルヒの席には、かつてキョンを殺そうとした朝倉涼子が普通のクラスメイトとして馴染んでいる。
そしてSOS団部室は文芸部の部屋となっており、物静かな人間の少女である長門有希が1人で読書に耽っていた。
朝比奈みくるは、彼とは疎遠な存在となっていた。

12/19に文芸部の書棚の本から「プログラム起動条件 鍵を揃えよ 最終期限2日後」と書かれた栞が発見される。これは、明らかにキョンのいた時間系の長門によるものであった。

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不在のハルヒと古泉を他校に発見し、まるで他人の彼らに洗いざらいの事態を説明すると、ハルヒは面白いとそれに乗っかり、古泉はキョンがパラレルワールドに移動したか、元の時間系が改変された可能性について冷静に説く。
いずれにせよ、積極的に動き出したハルヒに連れられキョンの高校のSOS団部室にかつての仲間を集合させる。
鍵とは部員全員のことであり、パソコンが起動しキョンに彼がかつて望んでいた今現在のこのままの世界(長門の世界)でいるか、かつての混沌としたパワー溢れるハルヒ中心の世界に戻すか選択を委ねる。
彼が特別な立場の人間であることがよく分かる。

キョンは元のハルヒの世界を選ぶ(かつては否定せんとした世界である)。
すると突然送り込まれた時空は、3年前の七夕の日であった。
ここで大人の朝比奈みくるに出逢い、長門に頼めば世界は改変されずに済むことを知らされる。
感情の感じられないかつての長門に会い、この件を打ち明けると、世界を改変した直後に再生プログラムをその人物に撃ち込めばよいと銃を渡される。
朝比奈とキョンは3年後の12/18の指定された場所に飛ぶ。改変者の現れるのを息を殺して隠れて待つ二人。

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何とそこに現れたのは長門有希であった。彼女こそが時空の改変者であったのだ。
キョンはタイミングを見計らい彼女の前に進み銃を構えるが、突然出てきた朝倉涼子に刺されてしまう。
だが、そこに潜んでいた他の者たちが全てをキョンの思いのままに処置してくれたようであった。

過去に戻った未来の自分がその時に確かにそこにいたことは朧げな意識のうちに気づいていたようだ。
3日間眠り続けて目を覚ますと元の世界に戻っていた。古泉とハルヒ団長は相変わらずであった。
だがこの世界改変の事件は古泉や長門らには物議を呼ぶ問題となっていたようであった。
その夜、屋上にいると長門が訪ねてくる。
彼女は今回の件で、情報統合思念体による処分が下るという。
キョンはそんなことはさせない。もし長門がいなくなったらハルヒを焚きつけてSOS団で必ず探しに行くと誓う。
長門は「ありがとう」と答える。

AI問題で必ず取り上げられる感情である。
彼女に芽生えた感情が理論上エラーを引き起こしつつ複雑に絡んでゆくことにより、キョンが無意識に望んでいた世界に同調したのかも知れない。彼女ごと。彼女自体が改変後のあのような控えめだが繊細で可憐な少女になりたいと願ったためでもあろう。
しかしこの新たに選びなおされたハルヒ中心の世界においても、長門は変わっていた。
エンドロール後に、取ってつけられたような、長門が図書館で本を読んでいるシーンで終わる。
ごく普通の光景に見えるが、長門に瑞々しい感情が窺える。

客観的に同じ世界と窺えようが、受動的に関わる世界とそれにまさに当事者として関わるとでは全く異なってくる。
以前の世界に戻ったというのではなく、その世界を主体的に選びなおしたのだ。
そうしなければ、その世界を変えることなど出来ない。
これはずっと昔にカントも説いていたことだ。

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それにしても凄いアニメであった。
わたしのなかでは、「 魔法少女まどか☆マギカ」と双璧をなすものである。



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涼宮ハルヒの消失 その1

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The Disappearance of Haruhi Suzumiya
2010年

石原立也 総監督、武本康弘 監督
志茂文彦 脚本
谷川流 原作

       (声:
キョン 、、、杉田智和
涼宮ハルヒ 、、、平野綾
長門有希 、、、茅原実里
朝比奈みくる - 後藤邑子
古泉一樹 、、、小野大輔
朝倉涼子 、、、桑谷夏子


わたしは、涼宮ハルヒ関係のものは全く観ていない。
「涼宮ハルヒの憂鬱」すら観ていない(これから観てみたいがTV版全回観るのは大変)。
(これの劇場版があればそれを先に観るのだが)。
だが、べらぼうに面白かった。
何も細かい部分まで全部理解する必要などない。
世界観はしっかり味わえた。

京都アニメーションと知らず観ていた「聲の形」といい「けいおん!」といい、日常描写の密度が半端ではなかった。
ただし、この映画より「けいおん!」の人物描写の方がデザイン、動き共に完成度はかなり高く感じた。
作画の点で大変評価の高い京都アニメーションであるが、確かにそれに同意するも、ストーリー~物語の内容自体に瞠目するものがある。わたしとしてはその思想性に惹かれる。

3時間近い作品であったが、あっという間に観終わった感じだ。
最初の頃こそ、「けいおん!」の方が絵がいいなあとか思いつつ観ていたのだが、それも気にならなくなっていった。

やはり日常のディテールへの描き込みであろう。
感情を捉える所作が細かい。表情も細やか。けいおんにも見られた紅茶の揺らぎと仄かな湯気。
個性をちょっとした身振りで(靴の脱ぎ方などで)表すところなど、良質な映画ならではのものである。
登場人物の日常生活がとても身近に臨場感もって眺められる。

そのため、その日常の書き換えが突然起きたときのインパクトは大きく、キョンが新たな現実の隅々に緊張した神経を張り巡らすのにこちらも思わず同調している。

受け身な感じのキョンとやたらと威勢よく取り仕切るハルヒとの関係を中心に動くものか、と想い観始めたのだが、どうやら長門有希という(感情のない理性だけの)宇宙人?の女の子がキーパーソンであることが分かる。
ハルヒ消失というくらいで、肝心のヒロインは影を潜め、味わい深い性格の長門有希が印象に強い。
この少女の寡黙さと僅かな感情の起伏が物語の主調を成し、全ての事象の微視的な場に注意が注がれ静かにひたひたと進展してゆく。
こういう流れであるから、一時も目を離せない。

ハルヒが不在である普通の落ち着いた(しかし力の無い)~実際風邪が流行っていて欠席者も多い世界で、以前のハルヒ中心に回る世界を対象化して喪失感に苛まれ戸惑う寄る辺なきキョン。
ここでハルヒだけでなく、超能力者でキョンの監視をしていた古泉一樹もおらず、キョンを殺そうとした転校したはずの朝倉涼子は普通の少女として現在のクラスに溶け込んでいた。彼と特に親しかったらしい朝比奈みくるは、特に縁のない同じ学校の生徒に過ぎなかった。以前の世界の記憶を保持するのはどうやらキョン独りであるらしい。
打つ手なく、普通の大人しい(秘めたものをもった可憐な)女の子になってしまった長門有希と一緒に文芸部室~かつてハルヒの結成したSOS団部室で事態の整理をしている矢先、世界が激変する前にこの事態になることを予測して彼に以前の長門が書き送った栞を本の中に発見する(どうやら長門という少女は非常に大きな力を持った存在であったらしい)。
彼はそこに書かれていた事態を戻すことを可能にする鍵を見つけることに全力を尽くす。

彼はひょんなことからハルヒが他の進学校に通っていることを知る。何と古泉一樹も彼女と一緒に下校する同じ学校の生徒であった。
ここから物語は大きな展開を示す。
ハルヒも古泉も前の世界の記憶はないにも関わらずキョンの説明に興味を示す。特にハルヒは強烈に反応する。
ハルヒはキョンの通う北校に古泉と共に乗り込み、かつてのSOS団メンバーをその部室に全員集める。
そのメンバー全員こそが例の鍵であった。

パソコンがひとりでに起動し、世界を元の時間流に戻すか、このまま放置するかをキョンに委ねるプログラムが立ち上がる。
正念場である。彼はそこで熟考する。
ハルヒに振り回されいつも常軌を逸した騒ぎに巻き込まれる生活を選びなおすか、このまま特異な生徒のいない学園生活を享受するか。
(以前、キョンが望んだものは後者であった)。
だが、彼は今やハルヒが彼女として機能しない日常を認めることが出来ない。
彼はプログラムを実行し元の活気と生命力溢れる世界に戻すことを決断する。
だが、それは同時に内面をもち感情を育む長門~このほんとうをいえば彼女の望んだ姿になることを疎外する決定でもあった。
元に戻れば彼女は感情の感じられない存在に落ち着くことを意味しよう。




映画けいおん! その2

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山田尚子 監督
吉田玲子 脚本
かきふらい 原作「けいおん!」

        (声
平沢唯 、、、 豊崎愛生(放課後ティータイムメンバー、卒業を控えた3年)
秋山澪 、、、 日笠陽子(放課後ティータイムメンバー、卒業を控えた3年)
田井中律 、、、 佐藤聡美(放課後ティータイムメンバー、卒業を控えた3年)
琴吹紬 、、、 寿美菜子(放課後ティータイムメンバー、卒業を控えた3年)
中野梓 、、、 竹達彩奈(放課後ティータイムメンバー、在校生)
山中さわ子 、、、 真田アサミ(軽音部顧問)
平沢憂 、、、 米澤円(唯の妹)


ストーリーはこの上なく禁欲的で日常的である。
大袈裟な事件などは一切排除されている。
ただ導入部の、顧問の先生が現役時代に結成したバンドの曲に合わせて弾き真似をしてから、音楽的な対立からバンド内で揉めるという小芝居を打って梓を面白がらせようとしていたところは、妙に面白かった。このまさに小芝居によってスッと物語にのめり込めた。

アフタヌーンティーを愉しむのが目的のような軽音楽部「放課後ティータイム」の卒業旅行がものの弾みで(すっぽんもどきのドンちゃんが選んだ)ロンドンに決まり、在校生の梓~アズにゃんも一緒に連れて行くことになる。
と言っても先輩が皆頼りないため、ただ一人の後輩の梓が色々調べてコーディネーター役に自主的につく。

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ロンドンでも和気あいあいのゆるいペースは変わらない。初っ端で予約したホテルを間違え、ゴージャスな回転寿司屋に入ったら他のバンドと間違えられ、そこで法被を着せられ演奏する羽目に(これはちょっとうれしいハプニング)。梓が靴擦れで新しい靴を買ったりと、チェックインするまでに如何にもといった珍道中を愉しむ。

途中で何も食べられなかった(食べそこなった)ため、ホテルで持ってきたカップ麺などを食し、卒業生の4人は独り部活を継ぐ梓にプレゼントする曲作りを内緒で進める。
先輩として何か残せるものを作っておきたい。
と言うよりアズにゃんが喜ぶ事をして卒業したいという気持ちか。
とても自然なものである。

最終日、先輩から突然舞い込んできたライブの誘いを受け、日本の女子高生バンドとして出演。
これまで彼女らがしっかり音楽活動をして来たことが、わたしにも分る展開となる。
なかなか上手いし、キャッチーなチューンを聴かせ盛り上げて、帰国の便にギリギリ間に合う。
実に充実した3泊5日の旅ではないか。

日本に戻って、完成したものをアズにゃんに皆で演奏して聴かせる。
彼女の拍手まではそのままダイレクトに見せるが、その後の語らいは窓越しに引いて窺わせ想像の余地と余韻を残す。
そして夕日の中で、卒業生たちがやるべきことを終え、大学生活への展望を、彼女らの細やかな脚の動きだけを追って饒舌に語ってゆく。この絵による演出自体がとても洗練されている(こうした場面は多い)。

新鮮であった。このように殺人事件もなければ、争いも闘いも虐めもなく、ちょっとした冒険と友情を深める、日常をほとんどはみ出さない気負いのない噺であるが、充分に愉しめるのだ。
学園ものとは、元々こういうものだと言われればそれまでだが、日常をそのまま描いて魅せる映像作品となっているのは、この「絵」によるところが大きい。
ストーリーを具体化~表現するレベルで極めて質の高い仕事がなされていることは確かだ。

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熟練した職人技を感じるもので、この安定性~品質を頼みに仕事が寄せられる側面は大きいと思う。
だが同時にこれは高度な表現であり、芸術でもある。
集団の制作であり、伝統工芸的な側面を求められると、自在性は難しいとは言え、やはり表現における進展~進化も続いていると感じられる。ピカソのような単独者であれば、その自在性~自由な発想は無制限に発揮できるが、この集団も自らのコピーを垂れ流すようなことはしていないはず。意匠を凝らすことで絶えず前進して来たに違いない。
(よくどこの制作チームによるものかを調べるだけで、その出来を一律に推し量る向きがあるが、そんな判で押したような制作しかしないのなら、早晩AIが大部分を肩代わりする流れとなろう)。
今後の京都アニの復活と増々進展してゆく様を見てゆきたい。

声優陣(キャスト)もキャラへの溶け込みは申し分ないものであった。
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京都アニメーションの他の作品も是非、観てみたい。






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映画けいおん! その1

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山田尚子 監督
吉田玲子 脚本
かきふらい 原作「けいおん!」

        (声
平沢唯 、、、 豊崎愛生
秋山澪 、、、 日笠陽子
田井中律 、、、 佐藤聡美
琴吹紬 、、、 寿美菜子
中野梓 、、、 竹達彩奈
山中さわ子 、、、 真田アサミ
平沢憂 、、、 米澤円


京都アニメーション・クオリティを味わう。

瞳や紅茶の映り込みや微かな震えなどの繊細かつ微細な表現。更に環境光と陰の自然で優しい移ろいなどに瞠目したが、何よりキャラクターの生き生きとした全く破綻のない滑らかな安定感である。
それぞれの人格・個性がそのフィギュアの造形にピタリと融合していて生きたその子たちに寄り添い世界を生きる感覚が持てる。
裂け目が感じられないと、こうも安らかに映画を観ることが出来るのかと実感した。

新海監督の作品は、その世界観にはとても共感でき好きなのだが、キャラのフィギュア造形がいまひとつである。
更に風景描写は細密ではあるが、写真的なリアリズムで無駄に細かく情報量がやたらと多く、平面的な人物キャラそのものとの乖離が気になりどうもしっくりこないところがあった。
つまりその世界観~内容の現出にこの形式が必然的なものなのかどうか、、、。
秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』には、特にそう感じるものはあった。
写真にCG加工を施して作成した画像にはどうエフェクトをかけても白々しい過剰さが残ってしまう。
(『君の名は。』で見事な内容と形式との調和を果たすが、、、人物フィギュアが飛躍的にレベルアップしたことが大きい。これには完璧に感動した!)

その意味では、この「けいおん」に裂け目は全く感じない。
熟練した極めて高いスキルによって描き込まれた絵でできているからだ。
だから自然に入り込んでいる。全てが自然だからだ。
高校卒業を控えた「けいおん部」で卒業旅行にロンドンに行って演奏をしたりほとんど女子会を愉しみ、後輩の女子に卒業生皆で作った曲をプレゼントする、、、。それだけのゆっくり流れる噺であるが、生理的に充分について行ける。
どこがどうというのではなく、その世界が楽しく愛おしくもなっている。
これは間違いなく調和のとれた芸術とも謂えよう。


明日に続く



スパイダーウィックの謎

The Spiderwick Chronicles001

The Spiderwick Chronicles
2008年
アメリカ

マーク・ウォーターズ監督
ホリー・ブラック原作『スパイダーウィックの謎』
ジョン・セイルズ脚本
ケイレブ・デシャネル撮影監督

フレディ・ハイモア 、、、サイモン/ジャレッド
サラ・ボルジャー 、、、マロリー(姉)
メアリー=ルイーズ・パーカー 、、、ヘレン(母)
ニック・ノルティ 、、、オーガーのマルガラス
ジョーン・プロウライト 、、、ルシンダ叔母
デヴィッド・ストラザーン 、、、アーサー・スパイダーウィック(大叔父)

他に、ゴブリン・ホブゴブリン・グリフィン・ト ロール・ホグスクィールなどが登場


シンプルに映像はVFX含め美しかった。
特に導入部はワクワクさせる演出で秀逸。
標本や書物の雑然と置かれた素敵な部屋で、ディテールの映し方も良い雰囲気で煽るではないか。
何と言っても妖精の出てくるファンタジー物なのだ。
普段、まず観ない映画。
ファンタジーで、魔法を使うと、単に何でもありの自堕落な噺になってしまいもうすぅきにしなさい、てな感じになりがち。
これはその類のものではなく、節操はあった。
現実からきっぱり離れて何処かに行ってしまわないように進行する(アーサー・スパイダーウィックはかなり行ってしまうか?)

Amazonprimeの次のお勧めに従って観てみた。
何と受動的な。
わたしも少なからず巻き込まれたのか?

The Spiderwick Chronicles002

この映画でもいきなり魔物に取り囲まれ大変な目に合う、何も知らず古い屋敷に引っ越してきた母と娘と双子の息子一家の物語だ。
気配で期待感を煽りつつ進むところは上手い。
やがて妖精が出てくる(見えるようになる)のだが、これが小憎らしい姿の可愛げのないものばかり。
特にゴブリン。如何にも悪そうな造形~フィギュアでウジャウジャいる。
妖精と言われて普通に連想するのは羽をもったエル・ファニングとか、、、なのだが(残。
この映画はやはり現実的だ、渋いものに当ったとつくづく思う。

その恐ろしく可愛げのないゴブリンとかその親玉の何にでも変身できる極悪のマルガラス相手に闘いが繰り広げられる。
このファミリーにとっては不可避的に戦わざるを得ないのだが。
向こうの要求は、妖精図鑑の本をよこせというもの。
大叔父のアーサー・スパイダーウィックが80年ほど昔に妖精を研究して著したもので、これが悪い妖精の手に渡ると世界がそれの支配下に落ちてしまうらしい。そんなこと言われると、すでに幾重もの(構造的な)支配に甘んじているようにも思えるのだが、われわれも。

The Spiderwick Chronicles004

元主の彼らの大叔父アーサー・スパイダーウィックはその本を完成させたばかりに風の妖精に何処かに連れていかれて消息不明のまま故人の扱いに、その娘のルシンダは父を探しにいったところでゴブリンに腕を切りつけられ、自殺未遂と受け取られサナトリウム暮らし。だが未だに父は135でも生きて戻ってくると言い張る。
屋敷にやって来た母ー子供ファミリーは父親と離婚したところで、まだその事実を双子の息子は知らされていない状況。彼らの父も不在の存在なのだ。それもあり母子関係は特にジャレッドと母が対立し緊張状態で不安を抱えている。

屋敷に入るや早速やんちゃなジャレッドがお屋敷探索をして屋根裏の隠し部屋にて美味しそうな本を探し出してしまう。
その本の表紙に但し書きが乗せられていて、そこには「この本は決して読んではならない」とあった。
好奇心旺盛な反抗期の少年にとっては、お母さんに内緒で隠れて是非読んでね、を意味する(魔法ファンタジー的に言えば「封印を解いたな~」、というところか)。
彼はすぐさまその本の内容を読み、覚えて実際に魔法を使ったり、、、結局結構使いこなせる本であることが分かる。
マルガラスに奪われなければ、面白く使えてよいみたいにも思える。
あのでかい鳥、いやグリフィンにも乗れたり、、、。ハリーポッターにもなれるぞ。

The Spiderwick Chronicles003

だが、その本を屋敷の保護サークルから出してしまったことに誰もがとても神経質に慄く。
ジャレッドが余りに警戒心や危険認識が無さすぎるところもあり、些か無謀な展開も見せる。
サークルの外に絶対出すなと書かれていたのをしっかり読んで、その直後に外に本をもって出る、天晴な少年だ。

こちらには、どうも実感が湧かないが、その本を巡りそれを絶対的に守る基本ルールの元に展開する。
ゴブリンたちはやたらとしつこく付き纏うし、襲い来るマルガラスは凶暴で凶悪である。
しかしゴブリンは小粒の悪役に過ぎず、ここで唯一の超越的な能力を持つのはマルガラスくらいか。
人間側も何とか知恵を働かせ、可愛くない妖精の協力者も加え、ぎりぎりで凌いでゆく。
本の恐ろしさのどうも分からぬままともかくそれを渡してはならないというルールで逃げては迎え撃つアクションがスリリングに続く。
本にはゴブリンを退ける薬品の作り方など記されているが、特殊能力などは最後まで出て来ないことで、逃走劇の緊張感は維持される。クラッカーにハチミツ塗ったのが好物というのは、妖精に親近感を持つ。

The Spiderwick Chronicles005

終盤のお母さんがようやくジャレッドを信じ、皆で屋敷に立てこもり敵を迎え撃つところでは、秀才サイモンのトマト爆弾が功を奏し、ゴブリン殲滅。
するとこのタイミングでドアを叩いて入ってきたお父さん。
シチュエーション的にあり得ないが、とりあえず質問するジャレット。
僕に何か言うことない?
お前を愛していると言いに来た。
ナイフでグサッて、なかなか賢い。
見抜かれ怒り狂ったマルガラスに屋根のてっぺんまで追いつめられるジャレットであるが本をそれっと夜空に投げる。
それを取りに鳥に変身して飛んでゆくところを鳥大好物のホブゴブリンが喰ってしまう。

悪い妖精を退治し、落ち着いた屋敷にルシンダ叔母を連れ戻してくる。
そこに何と夥しい風の妖精に孫悟空みたいに乗っかったアーサー・スパイダーウィックがやって来た。
ルシンダは父が約束を守って戻ってくれたことに喜ぶも、彼はそのまま戻らないと霧のように消えてしまう身であった。
それでは一緒にあちらの世界に行きましょうと、手を取ると80歳を超える彼女は幼い娘となり二人仲睦まじく戻って行くのであった。



まとまったファンタジーであった。




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星を追う子ども

Children who Chase Lost Voices from Deep Below003

Children who Chase Lost Voices from Deep Below
2011年

新海誠 監督・脚本
天門 音楽

声)
金元寿子 、、、アスナ(渡瀬 明日菜)
入野自由 、、、シュン/シン(アガルタの少年:兄弟)
井上和彦 、、、モリサキ(森崎 竜司)
島本須美 、、、リサ(森崎 竜司の亡き妻)
日高里菜 、、、マナ(アガルタ人と地上の人間とのハーフの少女)
竹内順子 、、、ミミ(猫)
折笠富美子 、、、アスナの母

Children who Chase Lost Voices from Deep Below005

ここでも強烈な喪失と郷愁が支配する新海ワールドが繰り広げられる。
「君には生きていてほしい」が耳に残る。
そして何と言っても地下世界である。
ジュールベルヌでずいぶんドキドキワクワクしたものだが、こちらはスケール(深さ)が違う。
黄泉の国にまで繋がってしまうのだ。
地底の光源(熱源ではなく)が具体的に分かるとよかったが、、、いずれにせよ環境的には地底世界の方が安定しており、生命の進化や文化の発達にとっても障害は少ない。
彼らは地上の民の指導的立場で彼らを導いて来たが、その役目を果たし地下に戻っていったという。
しかし文明を発達させた地上の王たちの武力による侵入により、地下世界の破壊や略奪が続き、不幸にも文化は衰退してしまったという。
「夷族」という宮崎作品ならば物の怪に当るような妖怪みたいなものが出て来るが、これはものの交わりを忌諱する者たちの象徴的存在とも受け取れる。地下世界の住人たちは、地上の人間を厳しく拒絶している。

Children who Chase Lost Voices from Deep Below002

作風~キャラクタデザインがとてもジブリっぽい。というか伝統的な日本アニメという感じ。
逆にジブリが日本アニメのスタンダードになっていることに気づく。
新海作品にしては、激しいアクションシーンが目立つ。
珍しくかなりハードな冒険譚となっている。
つまり形の上では、とても普通な映画に見えるのだ。

オーソドックスで観易く手堅い作りの映画となっているため大変説得力もある。
ただ丁寧な作りだが、後の新海作品を観ているこちらからすると、彼のビビットな色と光(影)の繊細な交錯は見られず平面的で地味な色面である。
電話やキッチンなど見ると、時代設定は今から50年くらい前だろうか、、、。
ラジオとかオルゴールが重要なアイテムで昭和の香り。
そう考えれば丁度、質感からして相応しい気もする。
ファンタジー作品であれば、設定が過去であっても何ら問題はない。

自分だけの場所が欲しいと言って秘密基地みたいなものを森に内緒で作って籠っていたり、、、
鉱石ラジオを手作りしてそこで独り不思議な音楽を受信し、、、その音を聴いて歓びと哀しみを同時に感じ自分は独りではないと思い、、、いつもここではないどこかに思いを馳せる、、、
このヒロイン、アスナには惹かれる。

Children who Chase Lost Voices from Deep Below004

アスナは幼い時に父を亡くしており、夜勤の入る看護婦の母との二人暮らし。
父の形見のクラヴィス(鉱石)ラジオを森で独り聴いて過ごす。
ある日、基地の傍で見たこともない大きく獰猛な動物に出逢うが、不思議な少年シュンに助けられる。
彼はアスナがラジオに使っている鉱石と同じものを首から下げており、どうやらその石は特別な力をもつものであるようだった。
彼は地底世界アガルタからやって来た少年だった。「君には生きていてほしい」彼はアスナに祝福のキスを送る。
その少年との出逢いから彼女は地底世界に誘われる。
産休で入った担任のモリサキは地底世界アガルタの秘密を探る組織アルカンジェリに所属し亡き妻を蘇らせようとしていた。
シュンに淡い恋心を抱くアスナであったが、翌日彼の死を知る。
モリサキの授業で彼女は地底世界が死者の世界であり死者を蘇らせることも可能な場所であることを教えられる。
Children who Chase Lost Voices from Deep Below001

アスナはシュンが身に着けていたクラヴィスの回収に現れた彼の弟のシンにも出逢い、アスナと彼を追ってやって来たモリサキと共に地底世界に侵入する。
そこからが大スペクタクルのアドベンチャームービーの幕開けである。
この地こそアスナが鉱石ラジオで聴いた音の出処でありその音を聴いて想像した場所であった。
二人にとっては非常にハードで危険で過酷な旅となるのだが、シンにとっても人間に肩入れしてしまったことから、共同体からはじかれ彷徨い続ける身となってしまう。
アスナは聞かれる。どうしてお前はここに来たのか?
「わたしはただ寂しかったんだ。」

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そんな中シャクナ・ヴィマーナという神の船やラピュタのロボットを連想するケツァルトル(ケツァルコアトルから来ているか?)などが夢の中のように幽玄な姿を見せる。
このもの悲しく荒廃した壮大な世界で何度も衛兵や夷族に狙われ命を落としそうになりながらも死者を蘇らせるフィニス・テラに向かうモリサキの願いの虚しさがはっきりと露呈してくる。
アスナもモリサキもシンもこの過酷極まりない冒険と闘いを通して身も心も極限状態までゆき、そこで突きつけられる。
死とは何か。そして生とは何か。
これをわれわれは何も知らないことを改めて思い知る。

結局、モリサキの願いは叶えられず、彼は死を望むがシャクナ・ヴィマーナから「喪失を抱えながら生きよ」と告げられる。
そしてアスナはモリサキにこの呪いは祝福でもあることを伝える。







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雲のむこう、約束の場所

The place promised in our early days001

The place promised in our early days
2004年

新海誠 監督・脚本・製作総指揮
天門 音楽

声)
吉岡秀隆、、、藤沢浩紀
萩原聖人、、、白川拓也
南里侑香、、、沢渡佐由理
石塚運昇、、、岡部
井上和彦、、、富澤
水野理紗、、、笠原真希


新海誠ならではの、喪失感と郷愁が綯交ぜになった感覚が色濃く味わえた。
相変わらず光と影の光景表現がよい。
キャラクタデザインはかなり稚拙に思えたがそれを補う世界観があった。
世界と彼女のどちらを選ぶか、という葛藤を超え、彼女の目覚めの為に戦火の中を手作り飛行機で飛ぶ。
(わたしなら彼女と世界のどちらなどと聞かれたら、迷わず彼女を選ぶ。世界などというものに惑わされてはならない)。
夢と現の間を行き来するこの物語を象徴するような飛行機の造形と動きが幻想的で素敵であった。
並行宇宙の情報に夢の中で長いこと曝されてきた彼女は結局、こちらの世界に目覚めて生きることになる。
その時、大事な想い。決して忘れまいと誓った想いもきれいに消えてしまっていた。
(原理的に異なる系の間の相互作用はない)。
夢と現は両立しない。どちらを選ぶかである。
この脳と宇宙の関係の着眼点は興味をそそる。
(そもそも想像は何処から来たのかという秘密にも繋がる)。


津軽半島に住む藤沢浩紀、白川拓也、沢渡佐由理の3人が中学3年生のときから始まる。
戦後、1996年日本は津軽海峡を挟んで南北に分断された。
彼らの住む本州(青森)は米軍統治下にあり、ユニオン(共産国家群)に占領された蝦夷(北海道)には、途轍もなく巨大な白い塔が聳えていた。
異国の地に、触れ得ないものの象徴として幻のように立つ塔に憧れ、いつも近くで見てみたいと思う3人であった。
そして浩紀と拓也は自作の飛行機ヴェラシーラで、佐由理を海峡を渡りその塔まで連れてゆく約束をした。
塔の設計者エクスン・ツキノエの孫娘が沢渡佐由理である。
彼女は塔の夢を見てから原因不明のナルコレプシーになり東京の病院で眠り続けていた。
彼らのヴェラシーラ計画は佐由理が突然姿を消したことで頓挫する。

こんな背景は何とも言えない畏怖と郷愁の感情が疼き、惹きつけられるものだ。
塔が並行宇宙の観測装置であることが推測され、軍事・政治的な利用価値~目的として高度な未来予測が想定されていた。
そのため、反ユニオン組織は塔の爆破テロを狙っていた。大学生になった拓也もその組織に絡んでいた。
彼の先輩の研究者である笠原真希は、並行宇宙を感知する能力が人(の脳)に備わっていることを脳科学から検証していた。
これは夢を通しての機能であるか?その辺の可能性については大変興味がある。脳と宇宙の関係である。

塔が並行宇宙の侵食をある一定の領域に留めている外因が、眠り続ける佐由理に求められることが拓也の指導教官でもある富澤らによって突き止められる。
そして彼女の脳に並行宇宙の情報がなだれ込んでいる可能性が示唆された。
では彼女は眠ったままでいないと危険であるのか?眠りから覚めた瞬間、この宇宙は並行宇宙に飲み込まれるのか?
彼女の夢に白昼夢で同期する浩紀は、独り別世界を彷徨う彼女を塔に連れて行けば、目覚める確信を得る。
彼女は軍事的なサンプルとしてアメリカに移されることになるが、拓也の決断で彼女を再び津軽に連れ帰る。
そして浩紀が飛行機ヴェラシーラに眠ったままの佐由理を乗せ、アメリカとユニオンの開戦による空中戦が繰り広げられる中を、塔に向かって飛行する。塔を直ぐ近傍に捉え彼女は大きな喪失感と共に涙を流して目覚める。
人が目覚めるときとは、いつもこういうものだ。誕生の時も、、、。

浩紀は反ユニオン組織(拓也)から託されたPL外殻爆弾によって、彼女の目覚めと共に拡大を始めた並行宇宙の侵食を塔の破壊で食い止める。
全てを忘れてしまった彼女であったが、これからこの世界で彼と共に生きればよいのだ。

毎朝の目覚めといい、人が生まれるときも、ことごとくこうしたものなのではないか。
わたしは娘が生まれた時の記憶が鮮明に蘇った。
ここに生まれる前の世界の名残を強く彼女に感じたものだ。






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スターレット

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Starlet
2012年
アメリカ、イギリス

ショーン・ベイカー監督・脚本

ドリー・ヘミングウェイ(マリエル・ヘミングウェイの娘)、、、ジェイニー(ポルノ女優)
ベセドカ・ジョンソン、、、セイディ(老婆)
ステラ・メーヴ、、、メリッサ(ポルノ女優)
ジェームズ・ランソン、、、マイキー(メリッサのヒモ)

ここのところ、ずっとAmazonprimeで観ている。
観ていないソフトが幾つもあるが、、、。

馬鹿げた邦題無視。しかし原題もなんだこれ。このチワワが何だというのか?
しかし、実に不可思議な交流を描いているにも関わらず、淡々とした映画であった。
空気感は寧ろ心地よいのだ。
カリフォルニアのカラッとした明るさが主調になる。
ドリー・ヘミングウェイの掴みどころのない爽やかな雰囲気によるところも大きい。

ガレージセールの花瓶を買いに来たジェイニーに対し、おばあさんが「それは魔法瓶だよ。返品には応じない」と念を押して売った時点で、この「魔法瓶」は特別な容れ物であることが窺える。
案の定、それには多額の札束が押し込まれていた(1万ドル)。
きっとそのおばあさんは、先着一名様に大金を詰め込んだ魔法瓶をプレゼントしたのだ。
もう自分にはこんな大金には用もないというところか。

ジェイニーは大金で、それが気づかずに入っていた可能性もあり、魔法瓶を返しに行ったが返品は受け付けないの一言で持ち帰ることになる。
彼女はおばあさん宅を見張り、タクシーで買い物に行っていることを知り、自分が車で彼女を送迎することに決める。
付き纏い無理やり送迎することを怪しまれ、一度は警察に訴えられるが、疑いは晴れそれ以来、頻繁に送迎やビンゴ大会やお茶、朝食などを共にするようになる。
ジェイニーとしては、せめてそんな形でお金の分を還元したかったのか。
自分がポルノ女優であることは、ずっと伏せていて、派遣の仕事をしているような、ニュアンスを伝えている。

そのおばあさんセイディは週末に僅かな賞金の出るビンゴ大会に出るくらいが趣味で、その他はスーパーで買い物するだけの余生を孤独に送っている。人付き合いもしない。ペットもいない。庭は荒れるままに。部屋も片付けない。
他の家族は死別したようだ。夫はギャンブラーであったという。
子供もいない、と答える。
厭世的な生活を送るセイディであったが、ジェイニー相手に喋るようになり時折笑顔を見せるくらいに打ち解けてくる。
パリに憧れをもっているらしい。

ジェイニーの職業柄の性格であろうか、介護の専門家にもいないくらい非常に献身的で対等な姿勢をもってセイディに接する。
彼女のDVD発売記念のコンベンションでのファン対応にもそれがよく表れていた。
撮影現場でも、仲の良い職場の同僚みたいな雰囲気でサラっとしている。
しかし、同じ職業にあっても、彼女と同居している女優のメリッサなど酷く自己中心的な性格であり、しかも強欲である。おまけにジェイニーがわたしの為でなくおばあさんの為に金を使っていることに腹を立て、事もあろうにセイディの家に押しかけ、ジェイニーがあなたの金を盗んだからその罪悪感から付き合っているだけで、あなたの友達でも何でもないと訴えに行く。
散々、ジェイニーに世話になっておいて、この浅ましさである。
セイディは唖然としてそれを聞くが、それでジェイニーに対する態度を変えることはない。

結局、ジェイニーは8000ドルを使い、セイディの憧れの地、パリに旅立つことにする。
つまり、受け取った金ほぼ全てをおばあさんの為に使う。
空港に行く道すがら、セイディの夫の墓石に花を手向けることをジェイニーは頼まれる。
墓参りでジェイニーは気づく。夫の横に娘の墓を発見する。
セイディには18歳で亡くなった娘がいたのだ。
子供はいない、と言ったのは亡くなって、もういないということを意味していた。
「フランク・パーキンス献身的な夫」その隣の墓標に「サラ・パーキンス愛すべき娘」とあった。

セイディは、かつては愛情深い日々を送っていたことを窺わせる。
そしてあまりに若くして逝ってしまった娘の面影を今やジェイニーに重ねているのかも知れなかった。
或いは、メリッサの暴露話に対しての何らかの確証を得ようというものか。
気になるのは、ジェイニーの何とも言えぬ表情~反応である。
わたしには判別できない。


ほぼ、ドリー・ヘミングウェイとベセドカ・ジョンソンの映画であった。
チワワの印象は残らなかった。どこがどうチワワなのか。
ドリー・ヘミングウェイ、とてもいい感じの女優であった。
作家アーネスト・ヘミングウェイの曾孫となる。
(マーゴ・ヘミングウェイは叔母)。

わたしもパリには行きたい。



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シンクロナイズドモンスター

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Colossal
2016年
カナダ、スペイン

ナチョ・ビガロンド監督・脚本

アン・ハサウェイ 、、、グロリア(失業中ライター)・製作総指揮
ジェイソン・サダイキス 、、、オスカー(グロリアの幼馴染、バー経営者)
ダン・スティーヴンス 、、、ティム(グロリアの彼氏)
オースティン・ストウェル 、、、ジョエル(オスカーの友人)
ティム・ブレイク・ネルソン 、、、ガース(オスカーの友人)


アン・ハサウェイのセンスの良さが、演技と製作面で光った。
時間と空間(そして大と小)を同期するイマジネイティブな映画。
幼いころの宿題で作った韓国のジオラマの破壊とそれに対する怒り、そして落雷による失神(これがポイントか?)からカバンから転げだす怪獣とロボットのフィギュアの繋がり。
当時の荒れた広場は公園に整備されており、何故か韓国のある場所と同期していた。
かつてジオラマを壊され、カバンから怪獣が転げ落ちた少女は大人となり、その場所にたまたまやってくる。
少女のジオラマを踏みつぶして壊した、ロボットの持ち主の少年も年相応の大人となっており、その磁場に引き寄せられてくる。

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そんなとき、突然韓国に巨大怪獣が現れる。
韓国民はパニックになるも好奇心もそれに負けずに強く、避難しつつも見物人は減らない。
(海外からもわざわざ観に押しかける。やはり怪獣は人気者だ)。
世界は騒然となり、各国が韓国の支援~救援に乗り出す。

グロリアもTVニュースでそれを目の当たりにし、驚き呆気にとられる。
だが、その怪獣の仕草が自分が公園でしていた動作そっくりであることに気づく。
(ここが、どうにも弱い。人はほとんど無意識で日常動作~所作を行っている。よほどの際立つ癖などない限り、あれは自分の動き~パタンだなんて気づく可能性はないはず)。もしかしたら彼女の頭を掻く癖か?
それで実際に公園に行き、タブレットでリアルタイムのTVニュースを観ながら、自分の動きと怪獣の動作を照らし合わせてみると、ピッタリなのだ。これは気持ち悪いし笑える。ジョエルなどは容易に信じず、これはアプリの悪戯だろと言い張る。

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このグロリアという女性、ニューヨークで活躍するライターであったが、酒が災いしてクビになるも酒浸りは酷くなるばかり、彼氏の家で自堕落な生活を続け、ついに呆れた彼氏ティムに家から追い出される。
呆然として今や空き家の故郷の実家に戻るが金もなく、偶然出逢った幼馴染オスカーのバーでウエイトレスに雇ってもらう。
このオスカーこそ幼いころグロリアの宿題のジオラマを踏みつぶした闇深いロボット少年であった。
最初のうちは優しく色々と世話を焼いてくれるが、彼女が自分の支配下(管理下)から外れると途端に横暴な態度をとり暴挙に出たりする。
彼女が怒って出てゆくと、シンミリ反省して謝ってくるが、猜疑心と嫉妬心が刺激されると過剰に攻撃性を発揮してくる。
昔とちっとも変っていないサイコ野郎であった。

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この男が彼女と一緒に公園の磁場に入ると、何と韓国のその場所には、怪獣とロボットのペアが出現してしまう。
韓国人は更にパニックになり逃げ惑うが、面白さも増えその一帯の野次馬の賑わいは変わらない。
人々はこのライブ感覚に痺れるのだ。
問題は、これらのColossal Figureが動き回ると死傷者が出るということだ。ビルを倒壊させても当然のこと。

オスカーのバーでは、閉店後決まって朝まで酒を呑み明かすのがルーチンであった。
それでグロリアの酒浸りは一向に改善されることがなく、公園で酔っ払って倒れた際には、韓国でかなりの死者を出していたらしい。
このため、彼女は自責の念に心を痛め、断酒に踏み切る。オスカーの勧める酒をキッパリ断る。
そうした主体的な態度がオスカーには気に食わない。更に彼女への劣等感(子供の頃の学業成績や長じてライターとしての活躍)更に他の男との関係に嫉妬するなどの劣情と自分が初めて主役として注目を浴びることへの快感も綯交ぜとなり、彼女が止めれば猶更意気込んで公園で暴れようとする。怪獣対ロボットの闘いでは、決着はつけられない。
グロリアは身を挺して彼を公園から引き釣り出そうとするが、腕力では敵わない。

そこで何と、彼女は折角迎えに来てくれたティムの元に帰ることを決めたのに、独り韓国に飛びその場所に向かうのだ。
韓国の巨大ロボットに彼女が近づいてゆくと、、、
公園にいるオスカーの元に巨大な怪獣が現れる(よくこんなこと~原理に気づいたものだ)。
怪獣は彼を掴み上げると、大きな口を開け、進撃の巨人みたいに喰うのかと思わせて、遥か遠くに投げ捨ててしまう。
韓国でも巨大ロボットが何処かに投げ飛ばされて消えていった。


これは酒に呑まれ男に支配される自分を脱し、自立してゆく女性の物語であった、ようだ。
オスカーを投げ飛ばすというのもよい。
清々しい最後であった。
アン・ハサウェイ自身のオスカー女優である自分を吹っ切り、更なる飛躍を目指す身振りでもあるか。
この人もナタリー・ポートマンみたいに幅の広い有能な女優だな、と思う。






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ゆれる人魚

The Lure001

The Lure
2015年
ポーランド

アグニェシュカ・スモチンスカ監督
ロベルト・ボレスト脚本

キンガ・プレイス、、、クリシア
マルタ・マズレク、、、シルバー
ミハリナ・オルシャンスカ、、、ゴールデン
ヤーコブ・ジェルシャル、、、ミーテク
ジグムント・マラノウッツ、、、ナイトクラブの支配人


うら若き人魚の金さん銀さん姉妹であった。
ここのところ、Amazonのprimevideoをよく観ている。
借りるくらいならよいが、まず購入しない映画を観るのにちょうどよい。

最近では、「RAW 少女のめざめ」は、ソフトを持っていてもよいなとは思ったが、その他はprimeで一度観ればもうたくさん、である。
この映画も、後者に入る。
かといって、つまらぬ映画ではない。

The Lure003

ロック&ポップのミュージカル映画で、それこそPVを見るような感覚で楽しめる。
歪んだポップの出来はなかなか良い。ドナ・サマーの懐かしいカヴァー(アイ・フィール・ラブ)もあった。
だが、ひと昔前の音~ハウス&テクノである。
ロックMTV感覚でもあるが。イメージヴィデオ的なシーンも多い。

ブラックファンタジーと言えるのか。
物語は単純極まりない童話である。
初っ端から人魚であることは関係者(ナイトクラブの人々)公認のうえでショーでパフォーマンスを披露する。
実際に人魚に変身(戻り)もする。拍手喝采である。それはかなりの見世物であろう。

The Lure002

だが、もう少し彼女らの弾けたライブを観たい。
ステージがもっとあってもよかった。
それからワルシャワの魅力が堪能できるような場面も欲しい。
イメージヴィデオ的に。

人にも人魚にも厚みが足りない。鱗を一つ剥がして、これでベースを弾いてというところなど良かったが。
姉の銀さんはベーシストのミーテクと恋仲となり、何と下半身を切り捨て、人のものに付け替える。
単純に胴体を電ノコで切って下半身を縫い合わせたり、何とも身も蓋もない生々しさがある(特に接合跡。フランケンか)。
そう、魚臭い。青み魚の感触か。イルカのようなスマートな感覚ではなくウツボ系なのだ。

The Lure004

姉妹が人でいるときは良いが、人魚モードの時の顔が歯が狼みたいになっていて口のあたりがちょっとどうか。
人喰いモードでワイルドな状態であるから仕方ないのだろうが、美的ではない。
顔が壊れている。噺の内容でブラックにすればよいと思う。
そこの特殊メイクや演出にもう少し繊細な工夫が欲しかった。

どうにも我慢できずに、二人とも人を喰う。
その場面もさしてスプラッターでもなく、怖さも恐ろしさもない、
人魚は元々がこのように獰猛ということなのか。
生きる上で捕食が不可欠であれば、この先は必然的に悲劇しか待ち構えてはいない。

恋人が他の女性と結婚して、夜のうちに彼を喰えずに、朝を迎えて日を浴びミーテクの腕の中で泡となる銀さんのシーンは渾身のVFXで魅せねば。
せめてあそこは盛り上げないと。
肝心なところで、ほぼ手抜きであった。ここで金をかけずにどうする。


最後に、ミーテクを殺し海に飛び込む金さんであったが、彼女が海のなかを泳いでゆく姿は見えず、海藻の揺らぎだけが映されるところは、不気味なもの悲しさと絶望的な孤独が感じられる演出であった。
無常観である。


デビッド・ボウイも拘った、ワルシャワには行ってみたい。


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日の名残り

The Remains of the Day002

The Remains of the Day
1993年
イギリス、アメリカ

ジェームズ・アイヴォリー監督
ルース・プラワー・ジャブバーラ脚本
カズオ・イシグロ『日の名残り』原作

リチャード・ロビンス音楽

アンソニー・ホプキンス 、、、ジェームズ・スティーヴンス(執事)
エマ・トンプソン、、、ミス・ケントン(女中頭)
ジェームズ・フォックス 、、、ダーリントン卿
クリストファー・リーヴ 、、、ルイス(アメリカ人の富豪)
ピーター・ヴォーン 、、、ウィリアム・スティーヴンス(スティーヴンスの父親)
ヒュー・グラント 、、、レジナルド・カーディナル(ダーリントン卿が名付け親になった青年、新聞記者)
ミシェル・ロンダール、、、デュポン(フランスの政治家)


この映画については、小説は読んでいる。
一人称の硬質な品格ある文体の小説が見事に映画化されていた。
アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンは完璧に感じた。この他の役者は思いつかない。
まさに品格によって。

対独宥和主義者であったダーリントン卿に長く仕えてきた有能な執事のスティーヴンスであったが、主の死後アメリカ人の富豪ルイス氏がダーリントンホールを買い取り、彼もそのまま新たな主に仕えることとなった。象徴的である。
スティーヴンスが新しい主人ルイスの勧めで彼のダイムラーを借り、イギリス西岸のクリーヴトンに小旅行に出かけることになる。
ちなみに原作はフォードで出掛けた。その間にご主人も何処かに旅行と言っていたが、本当のところはよく分からない。

スティーヴンスはかつての女中頭のケントン女史に会うのが目的である。20年前の彼女の自分に対する想いを今になって確認したい。この間に自分が関わってきた全てのものが次々に瓦解してゆくなかで、晩年を迎え確かなものを確認したい。彼のなかで時熟したのだ。(世の中と共に自分もまた変わったのだということを)確かめる時だと、そんな気持ちだと思う。名目上は使用人の不足を何とか補うため彼女の現状を確認したいというところか、、、。
その旅路のさなかに過去の回想シーンが鮮やかに挟まれ物語はゆったりと濃密に展開して行く。
この構造は小説と同じである。
異なるところはいくつか見られ原作に出て来て映画にいない人物もいる。ファラディ氏など。彼はJFKであり、かなりきついジョークを連発していて、映像化されるとかなりどぎつくなってしまうはず。新しい主人を全くの別人ルイスに替えてしまうというのも、この映画の場合正解であったと思う。リリカルな品格が保てる。

The Remains of the Day004

有能な執事スティーヴンスは品格を何度も説く~諭す(問われたりもする)。
スティーヴンスもその父もイギリス紳士としての品格を極めんとした人であろう。
「品格」という概念に思い入れも強く、それに何より重きを置く。

ひとつの権威に完璧に仕える職業意識によって品格は磨かれてきたのだ。
勿論、その権威の主体に対しても並々ならぬ敬愛の情を抱いてきた。寧ろそれを前提としていた。
しかし品格自体を対象化~目的的にしてしまうようなニヒリスティックな状況に事態は向ってしまう。
ダーリントン卿のように品格ある高潔な名士がドイツに良いように利用され権威を失墜してしまう(彼はひたすら国家間の相互理解に尽力してきたのだ)。最終的には敵に魂を売った売国奴扱いにされ名誉も失う。スティーヴンスもその主がユダヤの女中をクビにしたあたりから、彼を支え続けて来た信念は流石に揺らぎだす。動揺を隠しきれなくなる。
それまで絶対的に信頼してきた存在が大きく迷走を始めるのだ。
やはり彼の主は政治に関しては素人に過ぎなかったのだ。政治は悪党でないと務まらない。
尊敬すべき特別な主に仕えそれを支えるプライドが、執事という職務を完ぺきに熟すことに静かに移行するように映る。

The Remains of the Day003

いくら執事はそこで行われる要人たちの会話や対談に関わらないように心掛けていてもやはり、社会に生きるひとりの人間である。
自然に話は耳に入ってくるものだろう。
疑問も沸々と沸いてこよう。
しかしそれらについては一切口にはしない。
それがマナーだ。心のうちに沈めておく。これも疲れる稼業だ。

だが、クリーヴトンで出逢った人々には色々と根掘り葉掘り聞かれる。
ダーリントンホールから来た紳士であることから。
彼は諸外国の要人にもたくさん逢って来た。
主は当然ダーリントン卿である。
あなたは、常に彼の身近にいて、今一体どういう気持ちでいるのか、と執拗に問われる。

この旅でそれを総括するつもりだ、という意図の返事を返す。
かつての主の悲劇~大英帝国の崩壊に同期する極私的な、恐らく一時も脳裏を離れない大切な女性を喪失した彼自身の生き方を対象化する旅であった。

The Remains of the Day001

彼は彼女に20年ぶりに逢うが、彼女の彼に対する気持ちは変わっていなかった。
彼はかつて彼女の気持ちを知りながら執事という品格の象徴を守るあまり彼女を受け容れなかった。
ミス・ケントンは、他の男性の求婚に応じミセス・ベンとなっていた(だが結婚生活は破綻していた)。
すでに世界も自分も、全ての状況は変わっていた。
しかし彼女の状況はミセス・ベンをこの地に縛り付けた。
孫が出来たのだ。近くで世話をしてやりたいと言う。
以前のように、お祝いを言うスティーヴンス。
「ミセス・ベン、どうやらバスが来たようです」自分から事を急くようにこう言ってしまうところ、わたしもそうなのだ。
ほんの束の間の語らい。雨のなか彼女はバスに乗りこみ暫し繋いだ手はやがて解かれ、、、今生の別れを互いに確認し合う。
去りながら泣いて手を振り続けるケントン女史の表情は忘れられない。
これだけが彼にとり(決して取り戻せない)確かなものであった。

小説では、スティーヴンスが新しいアメリカ人の主人ファラディ氏がジョーク好きの為、一生懸命ジョークの練習をする場面、それを恐る恐る試す場面があるが、それはここにはない。とてもお茶目で滑って(スルーされて)反省したりするところは楽しいものであったが(ブラックユーモアも満喫できる)。

エンディングは、共に旅から戻ったルイスとスティーヴンスがカラッと明るいダーリントンホールにて、これからのことを話す。
ご家族がお移りになるころまでには、しっかりと整えます、とこれまで通り職務を完璧に遂行する姿勢を見せるスティーヴンス。
ルイスが屋敷に迷い込んだ鳩を窓の外に放つ。


小説ではファラディを立派なジョークでびっくりさせようとジョークの練習に取り組む決意を新たにする。
人生が思い通りにいかなかったと言って後ろばかりを振り向いていても始まらない。
一日の内で一番楽しめるのは、夕方なのだ。






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クワイエット・プレイス

A Quiet Place004

A Quiet Place
2018年
アメリカ

ジョン・クラシンスキー監督・脚本
ブライアン・ウッズ、スコット・ベック脚本・原案


エミリー・ブラント、、、 エヴリン・アボット(妻、妊娠中)
ジョン・クラシンスキー、、、リー・アボット(夫)
ミリセント・シモンズ、、、リーガン・アボット(長女、聴覚障害者)
ノア・ジュープ、、、マーカス・アボット(長男)


アボット一家に焦点を絞り凶悪エイリアンとのサバイバル戦を描く。
(この事態が局所的なものなのか全世界レベルの出来事なのか、、、特に説明はない)。
音を極限的に絞り、ひとつのファミリーに限定し、その地域は明らかに酷い田舎であり、夜の場面が多い(夜の漆黒の水溜まり)。この絞り込みから特異な極限閉塞空間が現出している。
その空間に「それ」は突然音に反応し現れ、襲い掛かり殺戮を繰り返す。「それ」に視覚はないらしい。
クリーチャーのデザインはギーガー調であるが、やはりこの辺に落ち着くか。
一家はコミュニケーションに手話を導入し音を出来る限り排除した密やかな生活を営んでいる。裸足で歩いている。
(長女が聴覚障害者であることから手話による会話は必然的な移行に感じられる。他の家族よりその点でアドヴァンテージは高かっただろう。それで生き残っているのか)。

静謐な展開の為、息が詰まる怖さである。
他の家族や州や国や外国は一体どうなっているのか(そういえば無人のスーパーに行方不明者の貼り紙が沢山あった)。
この事態に国防省が何らかの対策を打ちたてなかったのか?その前に大打撃を被ったのか?
だいたい大騒音が途切れない都会などはどうなったのか?
もしかしてすでにそういう場所は全滅しているのか、、、地下に潜ったのか?
父の補聴器作成デスクには新聞記事が沢山貼られており、エイリアン対策の練られた跡は窺える。
外部との通信場面などはないため、もう誰かの助けを期待できる状況ではないらしい。
(そう、この映画には外部が存在しない。とんでもない窮地に立たされていることが分かって来る)。
ほぼ孤立状態、、、ならばこのような苦境にあっても子供~子孫は作る必要があろう。
赤ん坊を育てる部屋も準備されていた。これは彼らにとっての挑戦でもあろう。そして無論、希望だ。
人類は急速な先細り、後のない事態にある。
(湖に外来種が放たれ在来種の魚が全滅してしまった例と同様)。

エイリアンは空は飛びそうもないため、上空からのおびき出し攻撃などどうなのか?
軍用ヘリなどもうないのか。
音と言っても反応する周波数帯はどれくらいなのか、、、音に敏感なら逆に音を利用する手があろう。
、、、怖いながらも色々考えてしまった。
ともかく怖い。

A Quiet Place002

この一家は以前、4歳の末っ子をエイリアンに殺されている。
それが誰ものトラウマとなっており、その子に(音の出る)おもちゃのロケットをそっと渡した姉は自分を責め、父親との関係を悪くしていた。その男の子は、ロケットでここから脱出すると言っていた。
(ここには、弟が殺される原因を作った自分を父が憎んでいるという娘の一方的な思い込みがあった)。
父はその娘の為に何度も補聴器を考案して試させている。
これが最終的に残された彼の家族を救うガジェットとなった。

A Quiet Place003

水に浸かりながらの対峙と謂い、サイロに落ちたところへ急襲するなど、このクリーチャーはどこにでも突然現れる。
ここがヒタヒタと近づく日本の幽霊とは趣が違う。
忽然と現れ瞬殺である。
しかし、父の作ったリーガンの補聴器が敵を遠ざける凶器いや武器となる。
彼女は、残された母と長男と生まれたばかりの弟と共にいる自宅で、迫って来る相手を前にして気づく。
補聴器のハウリング音?である。
これをマイクから拡大して相手に聴かせる。
音に敏感であればその弱点も音にあるはず。
最初の頃に直観したがほぼその通りに展開した。
その音に苦しみ悶え倒れる。痺れた後起き上がりざまに母から銃で撃たれ退治される。
弱点を掴んだ母娘の不敵な微笑みで終わる。

A Quiet Place005

エミリー・ブラントとジョン・クラシンスキーは実の夫婦であり、ミリセント・シモンズは本当の聴覚障害者である。
真に迫る演技であったが、よく分かる。

何と言うか最後まで見ると妙に爽快な映画であった。



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ボルケーノ

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Volcano
1997年
アメリカ

ミック・ジャクソン監督
ジェローム・アームストロング、ビリー・レイ脚本

トミー・リー・ジョーンズ 、、、マイク・ローク(L.A危機監理局長.)
アン・ヘッシュ 、、、エミー・バーンズ博士(地震学者)
ギャビー・ホフマン 、、、ケリー・ローク
ドン・チードル 、、、エミット・リース
ジャクリーン・キム 、、、ジェイ・コールドウェル
キース・デヴィッド 、、、エド・フォックス
ジョン・コーベット 、、、ノーマン・カルダー
ジョン・キャロル・リンチ 、、、スタン・オルバー
マイケル・リスポリ 、、、ゲイトー・ハリス


「火山」であるが、「溶岩」であろう。
終始、溶岩と人との闘いであった。
後手に回りながらも未曾有の事態に対し、優秀な学者とのタッグで危機監理局長が陣頭指揮を執りよく頑張ったという映画である。娘を持つ父親という立場に引き裂かれつつも。この辺は身につまされる。

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今人類は、地球がかつてないほど穏やかで変化の少ない奇跡的な状況の下で暮らしている認識は必要だと思う。
大きな気候変動や地殻変動が起きれば、荒唐無稽に感じる驚異の自然災害が突然起きる可能性は高いはず。

ここでも、眼前に起きていることの意味が掴めず、一体何なんだとわが目を疑っているうちに時すでに遅い状況に追い込まれてゆく。
突然の想定外の大災害にどう対処するか。
多くの場合、その出来事の前で現実逃避し思考停止してしまうのではないか。
この映画のようにトップの人間が最前線で身を張って災害の拡大を阻み解決に向け陣頭指揮を執ることもありだと思うが、寧ろ彼は本部のディスクにいて、全体を見渡し住民の避難経路確保や誘導、更に今何が起きているのか正確な情報の伝達とその対処方法をしっかり指示するべきではないだろうか。彼の上司が謂うように。

この映画の性質上、淡々としたドキュメンタリー調のモノとは異なり、スリル満載のパニック娯楽映画である。
エンターテイメントであるからには、ヒーロー(ヒロイン)やドラマチックな犠牲・殉教、更に対立を超えた手と手を取り合う協調と協力などの感動が欲しい。この映画はその全てを備えている。
そして演出効果も、見事な溶岩と火山弾のVFXにより成功している。
臨場感が充分で緊張感は高い。その点でよく出来た映画と謂えよう。
キャストも皆、存在感が充分で、そのほとんどが生きた人間になっている。
マイク・ロークL.A危機監理局長はちょっとばかりスーパーマンぽかったが(特に最後のシーン)。
カッコよいと言えば、謂うことなし。
相方のヒロイン博士もこういった映画には無くてはならない存在で、充分役を全うしていた。
(このパタンは余りに既視感が強すぎるが)。

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様々な条件下(気温や傾斜角や溶岩流の組成~粘り気)で異なるだろうが、地上の溶岩流はゆっくりで、考える余地もあり対策を練ることが可能であった。速く流れるところでは40kmくらいの車でも逃げ切れるか分からない速度で流れたりすると聞いている。
しかし地下を流れる溶岩の速度は速かった。外気に冷やされにくい点もある。
バーンズ博士の分析通り、ともかく対抗するに当たって、この速度は重要なファクターであろう。
それから火山弾の避け方である。
これに当たらぬようにする方法は彼女の謂う通りであろう。
弾道を墜落直前まで見切ること。徒に逃げては確かに危ない。運を天に任せる対処の仕方だ。

そう、この物語は、逃げるのではなく、どんな苦境に立っても立ち向かうのである。
その姿勢を活き活きと雄々しく(自己犠牲を払っても)示すエンターテイメントなのだ。
生きる力を人々の胸に沸き起こそうとするものであり、その目的~価値観はよく分かる。

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こういう映画の王道をゆく作品であるが、大変見応えはあった。



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サイバー・リベンジャー

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I.T.
2016
アイルランド/フランス/アメリカ

ジョン・ムーア監督
ダン・ケイ、ウィリアム・ウィッシャー脚本

ピアース・ブロスナン 、、、マイク・リーガン(航空会社の経営者)
ジェームズ・フレッシュヴィル 、、、エド・ポーター(ITエンジニア)
アンナ・フリエル 、、、ローズ・リーガン(妻)
ステファニー・スコット 、、、ケイトリン・リーガン(娘)
ミカエル・ニクヴィスト 、、、ヘンリック(ITセキュリティスペシャリスト:掃除屋)


IT社会特有の歪みが全編に窺えるが、それ以前にコミュニケーション不全の問題と階級関係の問題が横たわっている。
この点において、大変根深い普遍的な、今や何処で起きてもおかしくない話でもある。

ITは通常、適切に管理運営されていれば、問題ない。
しかしそこに人間関係の齟齬や軋轢、対立、敵対関係、憎悪などが絡むと、それを利用した攻撃は時に凄まじい威力を生む。
相手への打撃は途轍もないものとなる。
情報の操作や改竄、拡散によって精神的に押し潰されることも充分にあり、それが機器の作動に直結する場合、物理的~肉体的損傷を被る事態ともなる。
個人や家族をターゲットにしても、簡単にそれを潰すことが可能であるが、その対象が巨大企業であっても取引上に架空の(又は改竄)情報を差し挟むことで信用を失わせ失墜させることも出来る。
これが純粋に利潤を求めての利害関係によりなされるだけでなく、個人的な悪意からなされる場合もいくらでも考えられ、それがネットハッキングによりどれだけ有効かを示す作品ともなっている。

IT008.jpg

しかし、そうした事態を生む関係というとこれは、もうIT以前の歴史を大きく遡る普遍的な極めて人間的な事態に端を発している。
ディスコミュニケーションは階級関係や共同体意識からくる差別意識もさることながら、ヒトが単独者になって行くに従い、ますますその強度は増してゆくばかり。
ここでは、まず社長ファミリーの従業員を見下す驕りの意識が、エドを不用意に持ち上げ、彼を重く見ているかのような錯覚を与え、娘の誘うような素振りが彼に期待を持たせ幻想を煽らせる。
ここでエドの極めて個人的な資質も絡み事態は酷く拗れてゆく。
エドの劣悪な成育環境は、彼に癲癇をはじめ幾つもの病を植え付け、自立に必要な自我の確立も阻害してしまった。
(現在、親に充分な包容力や保護能力、教育資質がなく、そこからくる愛着関係がもとで破綻する人間も多い)。
彼は額面通りの(皮相的な)賞賛を真に受けそれだけで親しい友人になった気で過剰に甘えてきたり、叱責を受けてひどく傷つき、激しい攻撃に転じるタイプの男だ。
これでは一個の人間として自立しているとは到底言えない。自我の確立を疎外されてそのまま育ってしまった感が大きい。

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わたしは、勿論エドに共感はできないが、リーガンファミリーの驕りにも嫌悪の情を覚える。
この構図はどこにでも見受けられるものではないか。
ここにIT社会の現状が重なる。
エドを邸宅に招待したときに彼はその家~ファミリーのITネットワークを全て掌握してしまった。
社長の気紛れで気にかけてもらっていると勘違いしたエドは、ネットワークをアップデートし更に快適にするが、その時中庭で観たプールサイドに優雅に寝そべる娘の姿に惹かれてしまう。
お互いに相手を意識し合い、温度差は勿論あるが良い感情は持ち合うのだった。
しかしこれを発端に一気にもつれ、行くところまで突き進む。
ここで顕わなことは、その利便性から余りに人はIT~ネットワークに依存しすぎているのだ。
妻の乳癌の検診とその検査結果の超極秘情報までメールに乗せるか。
いくら邸宅内のスマート安全監視システムであろうが、風呂場にまでカメラを装着するか。
エドの逆襲で真っ先に使われたのが癌の陽性の通知とケイトリンの入浴動画のネット上へのアップ拡散である。
(ここら辺は、エドがやらなくてもその家のシステムに乗っかっていれば誰かにハッキングされてもおかしくない)。
そしてマイクの高級スポーツカーの乗っ取りで事故を誘発させる。これは以前TV番組の特集で観て十分可能であることを知った。
更に勿論、会社の信用失墜である。大打撃である。やれることは全てやってやろうというものだ。
ひとは余りに他者にネット管理・運営を簡単に不用意に任せすぎる。そこに付け込もうとすればいくらでも隙がある。
だからこそまず、人間関係には気を配らなければならない。

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はじめは些細なことなのだ。
エドがケイトリンにフェイスブックの友達申請をし、彼女が承認した。そして彼女が思わせ振りなメッセージを送りエドがそれを真に受けてそのまま行動に出た。
このくらいのディスコミュニケーションはいくらでも見られるものだが、ここからどこまでも行ってしまうのだ。
父はプライベートに踏み込むなと激高して、いきなり彼をクビにし、エドはITでできることを全て使って逆襲をしてゆく。
IT~ネットワーク上であるから猶更極端に進める。そしてITを徹底活用することでそれが可能となった。
最後の決着をつけるには肉弾戦しかなくなり、文字通りのグチャグチャである(苦。
ITに纏う気持ち悪さが充分に溢れる映画であった。
最後にネットの掃除屋に依頼し、スキルに勝る彼の協力を得て何とか瀕死の状態ながら切り抜ける、、、。
大変な消耗戦となった。そうわたしもIT管理者の役を本業の傍ら長いことやって来たこともあり、観ていてやたらと疲れた。

また見ようとは思わない。
だが一度くらいは見ておいてもよいとは思う。


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トータル・リコール 2012

Total Recall2012 005

Total Recall
2012年
アメリカ

レン・ワイズマン監督
フィリップ・K・ディック原作『追憶売ります』

コリン・ファレル 、、、ダグラス・クエイド / カール・ハウザー
ケイト・ベッキンセイル 、、、ローリー(クエイドの妻、連邦警察の諜報員)
ジェシカ・ビール 、、、メリーナ(レジスタンス、ハウザーの相棒)
ブライアン・クランストン、、、 コーヘイゲン(UFB代表)
ビル・ナイ、、、マサイアス(レジスタンスのリーダー)
ボキーム・ウッドバイン、、、ハリー(クエイドの職場の同僚、連邦警察の一員)


1990年「トータル・リコール」(ポール・バーホーベン監督)のリメイク版である。
夢というものは、やはり潜在意識が自分に何をか告げ知らせようとするものなのか。
そのソースは過去から汲み取られる。そして常に同じ夢が現れる場合、潜在意識がアラートを発していると捉えた方がよい。
ダグラス・クエイドからカール・ハウザーに戻りかけた彼は、勿論、以前の自分がどんな男であったのか知らない。
彼は本当の自分を取り戻したいと願う。

しかしマサイアスが肝心なことを諭す。
今更過去に捕らわれることはない。今現在が何であるかがもっとも大切なことなのだと。
そう、記憶を消されたり、異なる記憶を植え付けられ操作されてきた彼としては、本当の自分というアイデンティティにどうしても拘りたくなる。その根拠を過去の(記憶を弄られていない頃の)自分に求めようとする。しかし果たして過去の自分がいまあるべき自分であろうか?
自分という「存在」は絶えず「現存在」によって生成されるものであり、その根拠は「現存在」にこそあるという。
マサイアスは、ほとんどハイデッガーであった。

ハウザーは納得する。
マサイアスを射殺したコーヘイゲンが安心しろ、直ぐにお前を昔のお前に戻してやると言って現在の記憶をまた上書きしようとするが、拒否して抵抗する。そうなのだ。昔の自分などもう現存在にとっては意味をなさない。
夢に再三現れた女性が誰であるかがはっきり分かった以上、彼女とこれからの困難を切り抜けてゆけばよい。
現実が過酷であっても、もう悪夢に魘されることはない。


この物語は郷愁を誘う。そして途轍もないアクションが続き緊張感も半端ではない。
銃撃戦は頻繁に起こり、シンセティックというロボット相手のバトルも見ものである。
貧困層の労働者の居住区であるコロニーには絶えず酸性雨が降り続いている様子で、ぎらぎらする極彩色の看板にごみごみした細い路地などまさにブレード・ランナーのサイバーパンクな光景だ。日本語の電光看板も目立つ。
この猥雑な空間での考えられる限りの逃走劇が繰り広げられる。
そして富裕層の居住地であるブリテン連邦での磁力によって浮遊して飛ぶ車での壮絶なカーチェイスもハラハラしっぱなしであった。磁力によるアクションも唸った。
そしてイギリスを中心とした富裕層の住むブリテン連邦(UFB)とオーストラリアの労働者の居住地コロニーを結ぶ唯一の交通手段であるフォールという巨大エレベーターの中での重力反転のアクションも入るこれまた壮絶なバトル。
他のアクション映画と比べても圧倒するほどのものだ。


富裕層のブリテン連邦と労働者の居住するオーストラリアに位置するコロニーで世界が二分化されて形成されており、唯一の移動手段がフォールというエレベーターで地球の表裏の交通を可能にしている。
また火星に労働に出たり、土星旅行に行ったりもしているようだ。
しかし労働者に旅行は無理である。
そこで、リコール社が記憶の植え付けで、旅行気分をリアルに味合わせるサービスを提供していた。
悪夢に悩まされ続けてきたクエイドは火星が妙に気になって仕方ない。そこで火星旅行を経験してそれが意味するところを知りたいと思うようになる。
いくらリアルと言っても単なる幻想に過ぎないじゃないかというクエイドに対して社長は、脳にとっての現実となりますと返す。
ここで脳内の記憶を探られたことが契機となり、クエイドは自分をはみ出してゆく。

その後はクエイドの身体性が彼の意識に対して多くの情報を刺激的に与えてゆく。
自分では持った経験がないはずなのに銃を完璧に使いこなす。
闘いに必要な武術や体術を心得ている。
ピアノが弾きたいと言いながら弾くこともなかった彼がUFBのかつての自分の部屋でピアノを弾き始める。
そのピアノのキーが昔の彼と出会うキーとしても働いた。
(実はこのシーンもブレード・ランナーを強く想起した。静かな郷愁と共に)。
そしてメリーナを見分けるのもかつて握り合った自分と彼女の手を貫いた銃弾による傷であった。
このように身体性が意識を逆照射してアイデンティティを収斂する面は大きい。

また、面白かったのは、二人を投降させようとハリーがネゴシエーターとして現れた時である。
彼は、君は今リコール社の椅子に座っている状態なんだ。これは全て脳内の幻想であるから、早く戻ってこいと説得するのだが、これがかなりの説得力を帯び、ダグラス・クエイド / カール・ハウザーが迷いに迷うところはこのコンテクストにおいては実によく分かるところであった。何が本当で嘘なのか、誰が敵で味方なのか、混乱するのも当然ではある。だが、メリーナの涙~その身体性からどちらの言うことが本当か決まる。

UFBが人口過密となり労働者の居住するコロニーの土地を奪うため、 コーヘイゲンが自作自演でテロを頻発させ、その黒幕がレジスタンスのマサイアスであると仕切りに宣伝し、シンセティックを増産して攻撃に向かうパタンは、現実において既視感たっぷりなものがあった。


ケイト・ベッキンセイルが物凄く強くてタフな悪女で出ずっぱりであった。
冷酷無比なクールビューティで存在感抜群であった。
人間味のあるジェシカ・ビールとは良い対称を成していた。
オリジナル版のようにマサイアスがお腹から出てくるのか気になっていたが、その辺はとてもすっきりしていて、普通のおじさんがその人として出てきて直ぐにローリーたちに追い詰められ、コーヘイゲンにあっけなく射殺されてしまった。
謎のレジスタンスのリーダーなのだ。もう少ししぶとくてもよかったが。
オリジナルのこの部分は、クローネンバーグ監督テイストであったが今回はその要素は締め出してあった。







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かこさとし 最期のメッセージ

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わたしの敬愛する絵本作家、かこさとしの最晩年の姿が窺える貴重な番組を観た。
92歳で亡くなられたというが、最後まで大作に取り組んでいたことを知った。
腰を痛め長く椅子に座ることが出来ず、緑内障もありほとんど視界も覚束なかったようだ。
創作机は自作だという。天板自体が光り、トレースをしやすい仕様となっていた。
とっても短くなった鉛筆が整然と並び、パレットは使わなくなった子供用のディッシュがいつの間にかそれになっていたそうである。
素敵な書斎でもあった(わたしはひとの書斎を見るのが大好きなのだ)。

「日美」で観た。何か書いておきたいと感じた。
彼は戦時中、軍人になろうとしたが近視の為なれず、科学の研究でお国に貢献しようと決める。
東大に入学するもその年に終戦となり、周囲が何の反省も総括もせず民主主義者にあっさり鞍替えしてしまったことに驚く。
自分は償いをしなければならぬと考えた結果、自ら物事をしっかり判断できるような子供たちを育てようと決心する。
工学博士として研究所勤務の傍ら、「東大セツルメント」を立ち上げボランティア活動として子供たちに自作の紙芝居を作って見せるようになる。大変盛況であったようだ。
それも頷ける。発想や着眼点やストーリーも良いと思うが、それを具体化する「絵」が優れている。
余り数は紹介はされていなかったが、ものによってはモンマルトルのロートレックを想わせる構図・構成も見られた。

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子供には誤魔化しは効かず、ディテールで手を抜くとついて来ないという。確かにそう思う。
そして内容的にも、彼らが自ら必要~面白いと感じたこと以外には乗ってこないことを思い知らされる。
つまらなければ、彼らはザリガニやトンボを捕りに何処かへ行ってしまうのだ(笑。
彼はザリガニやトンボより面白いものを作ることに挑戦した。
即興で歌も飛び出した。

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幼児教育の本よりも実際の子供の活動から得ることの方がずっと大きかったという。
絵本も書き始めるが、ヒットの糸口は、子供の遊びから発想を得たことであった。
子供が蟻の動きを見て名前を付けたりして楽しんでいるのを見て、蟻を主体にストーリーをつけた。
紙芝居から絵本にシフトして、本業の知識を活かし「科学本」も本格的に制作を始める。
わたしが好きなのはこれだ!
蛇腹の本も作る。確かにページをめくるばかりが本ではない。そのままの面に続く~展開するほうが納得できる世界もある。
絵の世界も単なる平面を超えて半ばファンシーグッズみたいな形態にもなったものもある。
内容と形式は切っても切り離せない。
毎日ワクワクする楽しい仕事を進めていたことが良く分かった。

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こういうのをまさにライフワークと言うのだろう。
うちにも「宇宙」と「海」がある。
少ないか、、、。
これと「宇宙・不思議ないれもの」佐治晴夫の文と三嶋典東の絵による本も合わせて見ていた。
とても立体的に俯瞰しつつディテールまで見渡せた。


かこさとしは一望するモノを作りたいのだ。
そして何でもかんでも平等に並列させる。
全てを呑み込もうとする。
そう、身近なところからスッと入って行けるが、その先どこまでも、時空の果てまで見届けようとする。
きっとあの終戦時、19歳の彼がそう決めたのだ。
壮大で空前絶後の未完のままの最後の作品、、、
地球の進化を一望する大作。
「宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜」
福岡伸一氏(分子生物学者だがフェルメールの研究家)が解説に来ていたのも面白かった。
これは誰かが完成させなければならない。

松岡正剛さんあたりがやってくれるか。



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三十九夜

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The 39 Steps
1935年
イギリス

アルフレッド・ヒッチコック監督
ジョン・バカン原作『三十九階段』
チャールズ・ベネット、アルマ・レヴィル、イアン・ヘイ脚本

ロバート・ドーナット、、、ハネイ(外交官)
マデリーン・キャロル、、、パメラ
R・マンハイム、、、アナベラ(諜報員)
ゴッドフリー・タール、、、ジョーダン教授
ウィリー・ワトソン、、、Mr. Memory
ペギー・アシュクロフト、、、小作人の妻
フランク・セリア、、、保安官


階段(ステップ)が何故、夜になったのか、夜のシーンが多いからなのか、よく分からないが、相変わらずヒッチコックは面白い。
(イギリス時代にすでに基本的なところは出来上がっていて、アメリカ作品で洗練さを増すといったかたちか)。
ただ、この数字が何か込み入った謎解きに関わるとかいうものではなかった。

野次の飛ぶミュージックホールで何でも記憶してしまう記憶術師のショーが始まる。
暫く彼Mr. Memoryの驚異的な記憶力に誰もが唸るが的外れな質問をして場を白けさせる客もいる。
そんなとき銃声が突然響き、場内が騒然となる。、外交官ハネイと諜報員アナベラがその混乱の中で出逢う。
助けを求められたことで自宅に彼女を連れてきたがひどく外を警戒していており、困難な状況に立たされている様子であった。
イギリスの機密書類が海外に渡ることを阻止する任務に就いているらしい。
その翌朝、彼女は背中を刺され死んでしまう。ハネイはよく無事だった。
「The 39 Steps」、「小指の先のない男」とスコットランドのある場所にチェックの付いた地図を残して。

監督の得意な巻き込まれサスペンスが始まる(もっとも有名なのが「北北西に進路をとれ」か?)。
列車は重要な要素として欠かせない(今回は後半の話を面白くする女性との偶然の出逢いの場)。
それから劇場、ホールもよく出てくる。
画質は悪いが暗くてもぞもぞした感じが余計に不穏な緊迫感を醸してゆく。
警察にこの件を説明することをせず、ハネイはいきなり真相究明に走る。
(わたしはこういう危ない橋はまず渡らない。死体を置いたまま失踪したら殺人犯にされるのは避けられないし、その後は警察と彼女を殺した組織に狙われるのも必至)。
案の定、二手から狙われ散々逃げ回る。秘密を握る邪魔者と殺人犯として。
途中で自分のことを信じてもらえた気になったところで、見事に捕まったりする。が相手も脇が甘い。
隙をついて逃げ出す。ただの外交官にしては身が軽い。
小作人の妻にえらく気に入られ外套を貰って逃げたことが幸いし、小指のない教授に銃で撃たれたときにポケットに入っていた讃美歌の本で命拾いする。このシーンは余りに印象的であった為か、後の映画にも(物は変われど)数多く使われる。

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パメラ嬢と手錠をされたままふたりで逃げるところからは、この物語の肝か。
ヒッチコックらしさがとても出ているフェティッシュなシーンとコミカルなやり取りが織り交ぜられて展開する。
これまでのスピーディな流れからここはまったり進む。この緩急が上手い。
ここでも宿の主夫婦(特に奥さん)に気に入られたお陰で、相手をかわす。

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最後の怒涛の展開は見事。
彼が時折、無意識に鳴らしていた口笛がここではじめてその意味を明かす。

小指のない例の男を追って来た場所が、物語の初めにハネイが楽しんだミュージックホールであった。
そこに流れる音楽と彼の身に沁み込んだ口笛がピタリとシンクロし、彼は咄嗟に事の真相に気づく。
そう、イギリスの「機密書類」とはじめ聞かされていたことがミスリードを誘っていた。
すでに彼は警察に囲まれながらも舞台にいるMr. Memoryに大声でThe 39 Stepsと叫ぶ。
するとすぐさまジョーダン教授がピストルで記憶術男を撃つ。
場内騒然となる。警察は逮捕の対象をハネイから教授に替える。
瀕死のMr. Memoryにその部分(The 39 Steps)を話すことを許す。
彼はやはり機密文章を丸暗記していたのだ。話し終えて「これで忘れることができる」と言ってこと切れる。
つまり教授は書類を一時盗んで記憶男に全て記憶させ書類を元に戻していたのだ。
(この人、サヴァン症候群か?)
これで誰にも気づかれず、国外にMr. Memoryごと機密情報を持ち出すことができるという斬新な策であった。
(奇抜なアイデアである)。

こうして見てゆくと、この映画の様々な部分~要素が後の映画に引用・応用されていることが分かる。
きっとこのタイプの映画の教科書みたいな作品なのだ。

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そうそうつい最近観た「或る夜の出来事」も離れたくとも離れられない男女の逃避行みたいなものであったが、それはこの映画の一年前のアメリカ作品である。このテーマはもう少し古くからある(普遍性のある)ものなのか?








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テルマ

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Thelma
2017年

ノルウェー・フランス・デンマーク・スウェーデン

ヨアキム・トリアー監督・脚本

エイリ・ハーボー、、、テルマ
カヤ・ウィルキンス、、、アンニャ (テルマの親友、恋人)
ヘンリク・ラファエルソン、、、トロン (テルマの父)
エレン・ドリト・ピーターセン、、、ウンニ(テルマの母)


ここでも信仰と抑圧の構図が見える。
重苦しいヨーロッパ(氷と雪に閉ざされた北欧)のキリスト教の闇がひとりの少女(の無意識)にのしかかっている。
何でもない日常の光景にずっと不穏な緊張を煽る効果音が響き続けるところは実に鬱陶しい。
ノルウェーの田舎はあんなふうに魚が下を泳ぐ氷の上を歩き狩りに出かけるのが日常なのか。
(何とも覚束ない地平である。テルマの世界を象徴するかのような)。

如何にも優しそうな父が猟銃を鹿ではなく幼い娘に向ける。
彼女もそれを察知するが、、、長じて父の優しい姿しか浮かばなくなっている。
この意味は後程、明かされる。

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彼女は親元を離れオスロの大学に入学し、ひとりの女学生に出逢った時に激しい発作を起こす。
自分の内なる(性的な)欲望に目覚めた時であった。
ジェンダーの問題もあり彼女は自分のこころに戸惑う。
恐らく彼女は厳格な両親の元、幼い時からキリスト教にがんじがらめになっていて、自分の欲望に従うような行動をとったことがなかったのだ。
しかし抑圧を解かれた欲望の力は、尋常なものではなかった。
恐らく両親が死んだと偽り精神病院に幽閉している祖母も同等の能力を発揮していたのだろう。
(隔世遺伝であろう)。

イメージ界と現実が綯交ぜとなったシーンはどれも美しい。
幾つもあったが、終盤の湖の底に向け潜水を続け上がったところがいつもの大学のプールで、そこにはアンニャが待っていたところなど、特に眩かった。
こうありたいという(痛々しいほどの)生の欲望に接続するシーンだからだ。
現実とは、わたしが望んだことが現象したものなのか。
彼女は戸惑い混乱する。
神にすがり、罪を告白し懺悔する。
だが更に激しく彼女は引き裂かれてゆく。
文字通り、現実が幻想に吸い込まれる。
発作は続き、入院して検査をするが心因性のものであるとしか診断が出ない。
(癲癇検査はあのような激しい光刺激の元に行うのか。呼吸にしても。初めて見た)。

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父に彼女はありのままを素直に告白する。
「愛してる人がいる。彼女もわたしを愛してくれているの。」
父は返す「それはお前が望んだからだ。寂しかったのだろう。」

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父はそれをよく知っている。
テルマはまだ幼い少女時代に赤ん坊の弟をベッドから氷の下に瞬間移動させていたのだ。
彼女のそのころの記憶がないのはそのせいであろう。
自ら少女期の記憶を深く抑圧したのだ。
そしてキリスト教の厳格な教えの中に埋没してきた。
しかしこころを震わす対象に出逢い自分を偽らないことを彼女は選択する。
自分であることを自らに許す。
(厳格なキリスト教徒には大変な決断となった)。
やはりダダが生まれる土壌である。

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一度は否定して消し去られたかと思われた愛する対象であるアンニャが姿を現す。
(これまで何処にいたのか?)
テルマがはっきり自分を認め肯定したところで、出現したようだ。
それには、父を亡き者とする必要があった。
父もボートで湖に独り出ることは、それを知ってのことであろう。
弟と言い、彼女の無意識の力による犠牲は大きい。
両親~宗教による強力な抑圧がなければ、弟も父も死ぬことはなかったか、どうか。
彼女は今恋人と共にしっかり自分を生き始めている。

久々に清々しいハッピーエンドであった。

わたしはこうした表現~映画は好きだ。







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カイジ 動物世界

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動物世界 Animal World
2018年
中国

ハン・イエン監督・脚本
福本伸行原作「賭博黙示録カイジ」

リー・イーフォン、、、カイジ
マイケル・ダグラス、、、アンダーソン (ゲーム主催者)
チョウ・ドンユィ 、、、リウ・チン(カイジの彼女、看護婦)
ツァオ・ビンクン 、、、リー・ジュン(元不動産業の悪友)
ワン・ゴー、、、モン(ゲーム中に仲間となる詐欺師)

漫画も日本の実写映画も見ていない。
賭け事ものは、浜辺 美波主演の「賭ケグルイ」TV版を見ているくらい。
そういう賭け事の複雑なやり取りは面白いとは思うが、いまひとつよく分からない~ついて行けないところはある。
ただ、演出の持って行き方で、緊張感たっぷりに鑑賞できる(爆。
(高杉真宙が大騒ぎするせいで盛り上がる)。

それにしてもこの映画では、賭け事の緊迫感とは別にカイジのトラウマから発する(発作の?)ピエロイメージの暴発がある。
アメコミ風アニメが突然飛び出る面白い発想だが、衝動的な高ぶり~激情を象徴的する脳内イメージなのか。
子供の頃見たTVヒーローらしいが、それが時に現実とのダブルイメージとして3Dで暴れまわったりする。
変身シーンなどのVFXは相当なものである。ただの演出~想像を超えピエロと一体化し現実に暴力行為に走っているシーンもあり、まさにダブルで重なってしまう。
何とも言えないが、異様だがポップで軽快なリズムを生む効果は抜群だ。

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このカイジという人は、定職に就かずバイトで意識の戻らぬ母をずっと入院させて看病しており、常に金に困っている。
その病院の看護婦リウと彼は慕い合っている。彼女は彼の母の面倒も見ている。
いよいよ金に困り、彼は悪友リーの持ちかけた内容も定かでない投資話を呑み自分の家を抵当に入れてしまう(権利書を手渡す)。
すると怪しい男がカイジのもとに現れ、アンダーソンという謎の人物に引き合わされる。
そこでカイジは、リーによってはめられたことを知り、彼は保証人として多額の借金を背負い込む身となっていた。
彼はアンダーソンにディステニー号に乗船しそこでゲームをやって形勢を逆転する気があるか確かめられる。
そこで行われるゲームは、勝てば借金はチャラになるが、負ければ命がないという凄まじいゲームであった。
(この辺、船の豪華客室ではゲームを命がけでやっているプレーヤーを優雅に観察して楽しむVIPがいるなど、人狼ゲームを思い起こすものだ)。

カイジには乗船する以外にもはや選択の余地もなかった。
船には、多額の借金をそこで帳消しにしあわよくば稼いでやろうと構えている一癖も二癖もあることが見て取れる如何にも危なそうな連中が集められていた。
生死を賭けたゲームは何とじゃんけんカードによるものであった。
グー・チョキ・パー各4枚合計12枚と、星が3つ配られ、カードを使い果たし、星が3つ残っていれば勝ち残り生還できる。
星やカードの売買もでき、それによっては生還だけでなく大儲けも可能となる。
だが星がなくなる、またはカードが残る場合は、死を覚悟しなければならない。
ルールとしては極めてシンプルではあるが、策略を巡らす多人数を相手にただ運では到底勝ち抜けないものである。
ここからは、かなりの尺で延々とスリリングな頭脳戦~姑息な騙し合いや不正も含め、激闘が繰り広げられてゆく。
正直、これほどじゃんけんカードで熱の上がるゲームが可能になるとは思わなかった。

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こういうゲームが元々あるのか、この映画で考えられたものなのか、原作にあるのか分からないが、よく練られたゲームである。
相手の性向を見て心理的に札を読むのにはじまり、ゲームへの取り組みパタンがグループ単位で策略を練り連携を取って戦ったり、カードを借金して主催者から購入して会場に回る手札の操作をし数学的な計算を元に戦うなど、ここまでやるかと感心する。特にカイジである。ただの喧嘩好きの青年ではなく、数学の特異な切れ者なのだ。
これだけ数学的思考が得意なら、金設けは日常生活の中でとっくに出来ていたのでは、と不思議に思う。
ともかく、カイジの凄さと共に周りの人間の自己中の強欲さ卑劣さばかりが浮き上がって行く。

最初の彼のだらしない乱暴者のイメージから次第に頭の切れる人情にも篤い男ぶりを見せてゆく。
カイジはどんどん格好よくなってゆくのだ。
しっかり勝って金もせしめ、彼女の元に無事に帰る。
だが、どうやらハッピーエンドに落ち着かない、、、。
不穏な終わり方で、はっきり続編を予告していた。
勿論、観たい。

面白い映画であった。
原作と邦画の方は、暇があったら観てみるのもよいか、、、。
(あくまでも余裕次第である)。



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ザ・ミスト

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Dans la brum
2017年
フランス

ダニエル・ロビィ監督
ギョーム・ルマン脚本

ロマン・デュリス、、、マチュー
オルガ・キュリレンコ、、、アナ(マチューの妻)
ファンティーヌ・アルドゥアン、、、サラ(娘)
アンナ・ゲイラー、、、コレット(最上階の老婦人)
ミシェル・ロバン、、、リュシアン(最上階の老紳士)


あの大傑作「ザ・ミスト」と同じ題で大丈夫なのか、と思ったが、見てみるとかなり質的に惹きつけられた。
緊張感も不気味さも危機感も充分にある。
わたしは映画を観るときは基本、無批判に見る。
そうしないと面白くない。
登場人物に徹底して寄り添う。
そこが映画を観る醍醐味ともなろう。

途中で超越的~批判的に見始めたらそれまでだ。
だが、これまでにそうならざるを得なくなり途中で観るのを投げ出した映画は実は幾つもある。
この映画には好感がもてる面もあり、ずっと見続けることは出来た。
しかし何度か、そう行くの?と首を傾げてしまうところはあった。
オルガ・キュリレンコをはじめ役者はとても良かったのだが、、、。

Dans la brum005

パリである。
アパート2階に住む親子3人の家庭であるが娘は自己免疫疾患でカプセル状の装置に入ってずっと生活をしているようだ。
両親は二人とも研究者のようだが、よく分からない。二人は娘が外で暮らせる新たな治療法を世界中に模索していた。
そんな時突然、強い地震が来る。

地震は収まるが、外の様子が何かおかしく、下に降りてみると、尋常ではない悪夢のごとき非日常の事態に巻き込まれてしまう。
確かに何かが起きるとき、激変するときとは、こういう唐突な事態なのだ、と痛感する。
(ここまでは本家に劣らぬ秀逸な導入部)。
妙な霧が津波のように静かに押し寄せて来るのだ。
主人公は咄嗟に身の危険を感じ、妻の手を引き霧を吸わないようにして自分のアパートの上へ上へと逃れる。
丁度、最上階の部屋の下で霧は留まり、その老夫婦の部屋に暫く居候し様子を見ることになる。
この階から屋根に伝わりよじ登り、周囲を見渡すと何と白い不気味な霧のなかに地上のほとんどの部分が海中に沈んだように隠れてしまっているではないか。
足のすくむような恐ろしい光景である。イブタンギーの絵にもこのような恐ろしさの張りつめたものがある。
電気もストップする。充電池頼みになり、通信も覚束なくなる。娘の生命維持カプセルが心配である。
基本、生活インフラは脆くもことごとく途絶えてゆく。
(これは傑作ではないか、と内心ワクワクする)。

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医療用の酸素ボンベをアパートの老人宅から調達し、必要な物を下に降りて探すが、この辺から何か奇妙な動きが気になり集中を時折欠くようになる。屍が累々と転がっている状況なのだ。マチューも冷静に分析しパリの3分の2以上の人は死んだろう。これはもう公共サービスは受けられないことを意味する、と。その通りで社会の機能は停止状態に陥った。これはよく言われるポストアポカリプスものであろうか。途轍もない事態であるが、それほどの驚きと危機感が感じられない。電気だけでなく水道、食料の問題~展望を彼らはどう考えるのか。
しかし、まだ中央政府の何らかの指示か有用な情報が流されているかも知れない。倒れている人や車から携帯やラジオ、電池や酸素など、そして身を守るための銃などをかき集めるだけ集めたいものだが、あっさりしている。
大丈夫なのか。こちらの方が心細くなる。

外で出逢った兵隊に付いてゆけないことは、娘を残してゆけないことからも分かるが、そこで酸素ボンベを何故、少なくとも人数分貰わないのか?(そしてどこに行くのか場所を詳しく確認しなくてよいのか)。
押しかけて居座り、とってもお世話になっている老夫婦の分も当然確保すべきであろうし、貰っておけばいざとなったら予備タンクとして使えるかも知れない。
(ここで少し気持ちが離れる)

Dans la brum003

夫婦で街に降りて、娘の特別スーツを研究所に取りに行く途中で、妙な犬に吠えられる。
ここで伏線かも知れぬが、犬はこの霧でも平気な犬と死んでいる犬がいることが分かる。
吠えまくる獰猛な犬に夫婦で逃げ惑うが、犬ごときに何という体たらくだ。
酸素の浪費も甚だしい。ここでこの二人に対する信頼感がかなり失せる。

研究所に着いてからも夫が爆風に曝され火傷を負うが、その応急処置は良いとして肝心の持ち物チェックを怠るとはどうしたものか。
かなり抜けている。普通、火傷を負った時点でスーツの入ったケースの破損にも気づかないか。
妻は破損したケースを運び独り老夫婦のもとに戻る。
夫は酸素が持たないから研究所に残ったことは賢明だったが、その場所をもう少し探らないものだろうか。
結構、酸素ボンベなどストックしてはないか。そうでなくとも通信機器とか。医薬品、当面の食料など、、、。

Dans la brum004

夫は火傷を負いながら、屋根をサーカスみたいに伝わってアパートに戻ろうとする。
もう酸素もないのに娘にスーツを届けるのだ。早く戻ってアイデアを練る必要はあろう。
夫が戻る直前に娘のカプセルのバッテリーが底をつき、妻がマスクなしで娘のいる2階まで降りてバッテリーを入れ替え、帰り際に息絶えてしまう。
夫はそのすぐ後に戻り、階段の途中に妻の亡骸を見て絶叫する。
だが、どうなのだろうか。
大きなゴミ袋に空気をたっぷり入れて被り首から漏れないように縛り、階下に降りて入れ替え戻るくらいなら持たないだろうか。
キュリレンコの美意識にはそぐわないだろうが、そういう場合ではない。濡らしたタオルと併用ならどうか。
(あの酸素マスクも気密性は低くないか。霧を吸い込む隙間もかなりありそうな、、、)。

Dans la brum006

いちいちつまらぬことを書いてしまったのは、この映画の基本コンセプトは気に入ったからである。
もう少しこちらの納得する形でのパニックにして貰いたかったのだ。
この途轍もない閉塞感は、あおの傑作ザ・ミストばりである。
その閉塞の極みのような空間に閉じ込められていた少女がいや免疫不全の少女たちが、この霧の中では普通に生きれる存在であったことが分かる。彼女の病気友達~彼氏がそれを教えに徒歩でやってきたのだった。
これには、ハッとした。そんなことは、あってよい。ニュータイプの誕生か?!
(「地球幼年期の終わり」みたいな、、、いやいやそう楽観できる状態か?)

父はもうケガでボロボロの身体だが「お前はもう自由だ」みたいなことを言って喜ぶ。
そして気を失い、目覚めた時には娘のカプセルの中にいた。
この先、立場が逆転ということになる。このアイデア事態は面白い。
だが娘が外を歩けるようになったのは良いが、こんな世界である。

ハッピーエンドなのか?
インフラの回復する見込みはまるでない。
父が看過したように公共の如何なるサービスも復活する見込みはない。
産業という形での大規模生産はもうあり得ない。備蓄したものも毒でダメになってはいないか。
直ぐにバッテリーは無くなり、食料も底をつく。それがすぐ先に見えているのだが、どうするのか。
これまで数回、地球上の生命が90%くらい滅んできた歴史があるが、これは結構決定打かも。

そして誰もいなくなった、、、という話に繋がるのか?






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或る夜の出来事

It Happened One Night002

It Happened One Night
1934年
アメリカ

フランク・キャプラ監督・製作
ロバート・リスキン脚本
サミュエル・ホプキンス原作

クラーク・ゲーブル、、、ピーター・ウォーン(新聞記者)
クローデット・コルベール、、、エリー(大富豪令嬢)
ウォルター・コノリー、、、アンドリュース(エリーの父、銀行家)
ジェムソン・トーマス、、、ウェストリー(飛行士、エリーの婚約者)
チャールズ・C・ウィルソン、、、ゴードン(新聞社編集長)


クローデット・コルベールは「クレオパトラ」に出演した同じ年である。
何とこの年に4本も映画に出演しており、勿論、全てヒロインである。
本作ではアカデミー主演女優賞にも輝いている。
どんな役でも熟す実力派の売れっ子女優のようだ。

本作では、大富豪のじゃじゃ馬令嬢である。
いくら金持ちでも常に監視付では息が詰まる。
それは分かる。自由が欲しい。

豪華船で父娘が何やら結婚話を巡り言い合いをしており、婚約の解消を迫る父から逃れるように娘が船から海に飛び込み、泳いで行ってしまう。後をボートで追った側近たちは彼女を見失ってしまう。当然、ボスには叱られる。当たり前だ。
これは大した娘だ。例え我儘な自己中であっても大物になり大成するタイプではないか。

娘はカッコよい飛行士のウェストリーと結婚することが、過保護の状況から逃れる有効な術にもなっているようだ。
何事も自分一人では行動できず、船の上での軟禁状態でもあった。
だが、結婚である。本当に自分が好きになった相手と結婚して欲しい。
ちょっとした行きがかりで自分に都合よく幻想を抱いてしまったのでは。
その彼は娘にとって本当の相手ではないのでは、と父は疑っているようである。

It Happened One Night005

エリーはニューヨーク行きの夜行バスに乗り込み、偶然新聞記者のピーターの隣に座ることに。
さてここから、数分に一回はクスッと笑ってしまうコメディが展開して行く。
お互いに面白いことをしているわけではなく、大真面目なのだが、掛け合い漫才みたいになってしまう。
口は上手いが基本辛口のピーターと勝気でお転婆のエリーの珍道中は時々ピタリと気が合うが、大概おっとりと話は進まない。

そんななか、エリーは財布の入ったバッグを盗まれピーターは元々金などない。
おまけにバスが夜中にぬかるみに突っ込み立ち往生。
エリーの父親は探偵を雇い探し回っており、新聞一面にも大捜索の記事が載り、情報提供者には1万ドルの懸賞金もつき、彼女は一刻も早くニューヨークの婚約者の元にたどり着きたい。
ピーターの才気により、何とか捜索の手を逃れてゆくが、おちおちしていられない。

It Happened One Night003

豪雨のなか、2人きりでモーテルに泊まることになるが、この時代の映画だからか(いや、ヘイズ・コードによるためか)とても上品に二人が寝るベッドの間を毛布を吊るして仕切り、それを「ジェリコの壁」と呼ぶ。この辺、ピーターの教養を感じるところだ。
(聖書に記された不落の城壁であるから不可侵である、ということ)。
彼は口はきついが相手に対してとてもマメな気遣いもするジェントルマンである。
この他でも麦藁の上で寝ることになっても、その後のラブロマンスのような発展はしない。
では、お互いに心は全くの他人のままかと言えば、気持ちはすでに両者ともに惹かれ合っているのが分かる。
(両主演の演技力のたまものだ。わたしでもよく分かる)。
片やピーターは殊更冷たく突き放し、しかしこんな時はエリーの方が素直な気持ちを表す。
(確かに自分に率直という点においては、彼女の方が一枚上手である)。

It Happened One Night004

そして終盤の展開はハリウッドの方程式に従い、誤解とすれ違いで一波乱。
ちょっとしたハプニングから、せっかく両者が素直に心を開いたところで起こる大きな思い違い。
ピーターもエリーも互いにそっぽを向き合うことに。
このままいってしまうのか!(とは言えこのまま最後まで突き進んでしまっては物語として身も蓋もないことはわれわれも知っている)。
観客ハラハラ、グッと惹きつけて、最後の最後に何と封建的かと思ったお父さんがこれほど娘の心の底まで見通せる優しい父であったことを示し、娘も彼の気持ちに背を押され結婚式の最中にウエディングドレスのまま走って逃亡、車に乗ってピーターの元へ(爆。

お父さんへの電話でこれから「ジェリコの壁」を崩しますが、と許可を申請すれば、父もにんまりと勝手にせいと返し、毛布がその時床に滑り落ちる。
直截な描写よりこのような粋な表現の方が楽しいし奥行きもある。

ハリウッドの基本的な手法は変わらないと思うが、この時代の映画の表現の質の高さを感じる。
この映画の影響を受けたラブコメ作品は相当な数に登るであろうことも分かる。

直ぐに浮かぶものでは、「卒業」そして「ローマの休日」などはその最たるものだろう、、、。


アカデミー作品賞
アカデミー監督賞:フランク・キャプラ
アカデミー主演男優賞:クラーク・ゲーブル
アカデミー主演女優賞:クローデット・コルベール
アカデミー脚色賞:ロバート・リスキン
以上、受賞も頷ける。後に来る映画のお手本みたいな作品となったようだ。





勿論、ラブコメと同時にロードムービーでもあった。



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クレオパトラ

Cleopatra001.jpg

Cleopatra
1963年のエリザベス・テイラーのではない(持ってはいるが4時間超と長いので体調のよい時に見たい)。
1934年のもの。
セシル・B・デミル監督・製作
ウォルデマー・ヤング、ヴィンセント・ローレンス脚本

クローデット・コルベール、、、クレオパトラ7世
ウォーレン・ウィリアム、、、ガイウス・ユリウス・カエサル
ヘンリー・ウィルコクソン、、、マルクス・アントニウス
ジョセフ・シルドクラウト、、、ヘロデ大王
イアン・キース、、、アウグストゥス


制作時期がかなり大変な時代であったこともあり、予算の限界も大きかったと思われる。
巨大な調度品やクレオパトラの座るゴージャスな椅子など美術がかなり頑張っていることは分かるが。
スケール感と奥行きがあまりなく、噺自体かなり呆気なく終わってしまった感があった。
クレオパトラという題材からすると、とてもこじんまりした小品という形にまとめられた印象だ。
かなり画面が劣化もあり、荒れていた(AmazonPrimeで鑑賞)。

Cleopatra007.jpg

Cleopatra008.jpg

噺はクレオパトラ7世がプトレマイオス13世派によって東部国境のペルシオンに追いやられたところから始まる。
その後の展開が、絨毯にくるまれてカエサルのところに運ばれるなどの有名な逸話は描かれるが、かなり大きな省略が目立つ。
特に産んだ子供が出てこない。と謂うより完全に消し去られているではないか。
「ブルータスお前もか」もあるにはあったが、少なくともクレオパトラに深く関係したカエサルやアントニウスをその間に生まれた子も含め、もっと描き込んだ方が良いように思われた。
もとよりクレオパトラのカエサルやアントニウスに対する愛情と葛藤やエジプトを守るための苦悩と決断など彼女の心情を描くことがテーマであり、歴史映画ではないのはわかるが、背景の動きや生活環境の描写が薄い為、彼女の危機感と緊張がいまひとつ共感しにくいところはある。

確かにアントニウスを魅惑する場面などは、こんな雰囲気であっただろうかというディテールを想わせる。
そのあたりの彼女の政略と恋愛に引き裂かれる心情は丁寧に追われていたと思う。
後は実際の戦闘シーンなど入れなくてよいので、緊迫した情勢がもっと分るようになっていれば、彼女の苦悩ももっと浮き彫りになったのでは、、、。
やはり100分枠は厳しい気がする。
この尺で史実(実際に分からぬところも多いとはいえ)詰め込み過ぎると、せわしない希薄な物語になってしまうだろう。
もし最初からこの長さが決まっていたとしたら、この運びも分かる。

Cleopatra010.jpg

要するにクレオパトラの魅力が描かれていたか、という観点からすれば、このクローデット・コルベールという女優のキャスティングも含め成功しているとは思う。
キャストは皆良かった。
マルクス・アントニウスが石膏像とそっくりの役者だった(笑。
カエサルも自信満々の野心家で、こんな人だろうなとすんなり思った。

クレオパトラの女優クローデット・コルベールが見終わるころには本当にクレオパトラに感じられた。
見ていくうちに魅力の増す女優であった。
エジプト人には見えぬが。
(それを言ったらみんな英語を喋っているし。かえってこういう映画は吹き替えの方が抵抗ない)。
最後に毒蛇に噛まれるところもサラっとしていた。
(そういえばこの時代の映画は、こうした質感~文法であった)。

Cleopatra006.jpg

この年代の映画を幾つか観てみたが、デジタルリマスターを施すとまた格段に見応えが増すと思われるものばかりであった。
特にこの映画はその筆頭かも知れない。



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”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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ファースト・コンタクト
ファースト・マン
13F~サーティーン・フロア
あやつり糸の世界