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GOMA28

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絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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カッシーニ グランドフィナーレⅡ
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スノーデン
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レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
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ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
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オーケストラの少女

One Hundred Men and a Girl003
One Hundred Men and a Girl
1937年
アメリカ

ヘンリー・コスター監督
ブルース・マニング、チャールズ・ケニヨン、ハンス・クレイリー脚本
チャールズ・プレヴィン音楽

ディアナ・ダービン 、、、パッツィー
アドルフ・マンジュー 、、、ジョン(パッツィーの父、トロンボーン奏者)
レオポルド・ストコフスキー 、、、本人(指揮者)+フィラデルフィア交響楽団
アリス・ブラディ 、、、フロスト夫人
ユージン・パレット 、、、ジョン・フロスティ
ミシャ・オウア 、、、マイケル・ボロドフ(フルート奏者)


良い邦題だと思った。
原題の直訳ではさすがに厳しい。

ディアナ・ダービンの帽子の鳥の羽がチャーミングであった。
モーツアルトの「踊れ喜べ幸いなる魂よ」第3楽章”ハレルヤ”とヴェルディの椿姫”酒宴の歌”もしっかりと歌っている。
立派な歌手であり、とても素敵な女優だ。
爽やかで豊かな演技力と素晴らしい歌唱力からみても、ジュディー・ガーランドよりディアナ・ダービンを推したい。
リストのハンガリア狂詩曲第2番もストコフスキー指揮で演奏が聴けた。

One Hundred Men and a Girl002

噺は恐慌時代に誰もが共感を持てるような筋書になっている。
失業している優秀な楽器奏者が日々大変な目に遭っている。オーケストラの楽団が少ないためではないかとパッツィーは考える。
それなら新たにオーケストラを作って彼らを救うことで、素晴らしい楽曲を多くの人が聴けて誰もが幸せになる、、、というパッツィーの願いを叶えるまでの周囲を巻き込んでの彼女の破天荒な(かなりご都合主義的な)奮闘が描かれる。
父娘の愛情の物語でもある。
(ハリウッドは、父息子の愛情はよく描かれるが)。
勿論、ファンタジーとして歌と音楽を愉しみつつ素直に噺を満喫すればよいのだ。

One Hundred Men and a Girl001

ここで大事なのは、何度しくじっても諦めない、ということ。
何度も角度を変えてチャレンジすること。
アイデアもとても大切だ。
特にここで肝心なのは、彼女が人の先頭に立ち彼らを動かすことに長けていることである。
いくら不景気の最中と言えども、あっさりと失業音楽家が100人あの短時間に召集出来るとはちょっと思えないが(質の問題もあるし、オーディションも必要だろう)。
ことごとく彼女に引っ張られて、大の大人たちが彼女のレールに乗っかってうまい方向に動いてゆく。
前向きで素直な屈託のない笑顔の美少女だからうまくゆく面もあろうが、この軽やかな行動力は見習いたい。
歌手としても優れた才能を持つが、このまま音楽プロデューサーとしても実力を発揮するはず。
彼女は政治家や実業家になっても大成しそうだ。

かのアンネ・フランクが大戦中の隠れ家にディアナ・ダービンの写真を貼っていたという逸話もある。
やはり彼女は単なるアイドルというより、希望の象徴でもあるのだ。

One Hundred Men and a Girl004

この物語はあまりに強引な筋運びとファンタジックな展開で最後まで突き進むが、恐慌後のまだ社会全体が疲弊しているときに大変有効な触媒になったはず。メガヒットを記録し、ディアナ・ダービンが世界的に名を轟かせたのも頷ける。
勿論、本物の大指揮者のレオポルド・ストコフスキー(の演技)が、これだけたっぷりみられるというのもお得感が大きい。
他のキャストも申し分ない。哀愁たっぷりのアドルフ・マンジュー演じる父や、儲けのためなら何でも割り切る実業家のフロスト氏やパッツィーに先行投資してくれたタクシーの運転手などとても判り易いキャラで王道の運びに寄与している。

最後、ストコフスキーが自宅ホールにぎっしりと並んだ失業音楽家楽団に戸惑い唖然としつつも、その演奏に自然と指揮を始めてしまうところには、パッツィーと同じようにこちらも笑みが出てしまう。
こう来るとわかっていてもそう来てほしいとわれわれも切に願っている。
そういう映画だ。

ディアナ・ダービンの存在がそうさせている。





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赤い風車

Moulin Rouge006

Moulin Rouge
1952年
イギリス

ジョン・ヒューストン監督・脚本
アンソニー・ヴェイラー脚本
ピエール・ラミュール原作『ムーラン・ルージュ』(ロートレックの伝記小説)


ホセ・ファーラー、、、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、ロートレックの父(アルフォンス・ド・トゥールーズ=ロートレック伯爵)
クロード・ノリエ、、、アデル・ド・トゥールーズ=ロートレック伯爵夫人
コレット・マルシャン、、、マリー・シャルレ(屈折した娼婦)
シュザンヌ・フロン、、、ミリアム(自立した聡明な夫人)
ザ・ザ・ガボール、、、ジャンヌ・アヴリル(人気歌手、ダンサー)
ミュリエル・スミス、、、アイシャ(アフリカ系女性ダンサー)
キャサリン・カス、、、ラ・グーリュ(スターダンサー、アイシャと犬猿の仲)
ジョルジュ・ランヌ、、、バルタザール・パトゥ刑事


画面が全体的に白んでいたが、映画そのものの色彩は綺麗であった。
当時のムーランルージュの活気に溢れた退廃的な雰囲気が充分に溢出していた。
同じ題名のミュージカル「ムーランルージュ」より遥かに良かった。
ロートレックの名作も幾つも出てきてホッとする(伝記映画なのに本人の作品がほとんど出ないものもある)。
ホセ・ファーラーのロートレックが渋い(本物はもう少し剽軽なところもあったのでは。貴族の品格はよく窺えた)。
ロートレックはわたしの思い入れの深い画家であり、どう描かれるかは大変気になる存在である。
病を気にしてお屋敷に連れ帰ろうとする母に対して、わたしはこの街に友達がいると言ってあげた名前がゴッホであった。
やはり天才同士、しっかり認め合う仲であったのだと思う(彼とゴッホが気が合うことは、美術関連書に散見されるが)。
(作風と題材はあまりに異なるにしても)。

Moulin Rouge007

ロートレックのアルコール漬けの自意識は、適切な態度、行為の決定が出来なかったと謂える。
最初のコレットにスウィッチを入れられたところで、思いっきり飛んでもよかった。
もう失うものなど何にもないという覚悟で軽やかに。
まさに”ダダ”である。
まだ大貴族であることと身障者であること(の拘りの自意識)から抜け出せない。
あれだけの才能を持ってしかも作品が認められつつあったのだ。
親の庇護を受けずとも自分の描いた絵で堂々と自立できるところまで漕ぎつけていた。

Moulin Rouge008

レッテルを外した単独者としてジャンプできるところまで来て、逃避の為に依存していたアルコールにやられてしまう。
皮肉なものだ。
ミリアムとしなやかな意識による関係が作れなかったことが敗因である。
人はそれぞれ違う。
コレットはロートレックとは成育環境は途轍もなくかけ離れてはいるが、自意識の壊れ方はロートレックに勝るとも劣らない。
惹かれ合うものがあってもそれは愛情とは別の心的現象であり、お互いに消耗し合い潰れることは最初から運命つけられている。
しかしミリアムは確立した自我を持った聡明で自立した女性であり、ロートレックにとってはこの上ない存在であったはず。
彼もそのことは分かっていながら意固地になってしまった。意識が強張っていた。
自己解体を恐れ逃げてしまった、、、。
後の祭りである。

前に失敗して大きな痛手を負っていても、次のチャンスに対してはまっさらなこころで受け止めるしなやかさがほしかった。
何が邪魔をしたのか、、、。
彼の自己保全意識もそうだが、ここではアルコールが大きい。
彼の意識~精神を曇らせ、生命も奪ってしまったものだ。
これではやり直しも効かない。
生きてさえいれば、何度でもやり直しは、出来るのだ。

Moulin Rouge005

ロートレックのような画家には少しでも長く生きていてほしかった。

しかしこの病的で甘美な腐臭漂うパリの雰囲気はまた格別である。




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アンデルセン物語

HANS CHRISTIAN ANDERSEN003

HANS CHRISTIAN ANDERSEN
1952年
アメリカ


チャールズ・ヴィダー監督
マイルズ・コノリー原作
モス・ハート脚本
ウォルター・シャーフ音楽

ダニー・ケイ、、、ハンス・クリスチャン・アンデルセン
ジョーイ・ウォルシュ、、、ピーター(助手の少年)
ジャンメイル、、、ドロ(バレリーナ)
ファーリー・グレンジャー、、、ニールス(バレエ演出家、ドロの夫)


ダニー・ケイが本当にアンデルセンに想えた。
受容性があり優しいが一旦のめり込むと周りが見えなくなり極めて頑固になる創作家にはよく見受けられるタイプだ。
だが、彼が恋するバレリーナはちょっと、、、どうであろう?
全体に柔らかな色調で安らぎと郷愁を覚える画面であった。

終盤の舞台幻想は見応えがあった。
実際の舞台も盛況のようであったが、アンデルセンの脳内オペラの方が遥かに幻想的で神秘的であった(に違いない)。
映画内の舞台シーンであるが、ここだけ独立して鑑賞できる演出と踊りのパフォーマンスで見事である。
デンマーク王立バレエ団やブロードウェイ俳優も助演しているという。


全体として、ちょっと控えめなミュージカルという感じの映画であった。
小品であるがセンスのよい歌や踊りも入るがストーリーの中に自然に溶け込み妙に突出することはなかった。
靴屋のアンデルセンは、子供相手に即興でお話を作っては語って聞かせる人気者であったが、町の大人たちからは良く思われていなかった。学校(共同体)で教える物語=学習より遥かに生き生きして個人的で現在形であり普遍性ももっていたからか。何より題材が身近で面白いのだ。「醜いアヒルの子」など孤立に悩む少年のことをすぐさま将来に向け勇気の溢れる話に昇華してくれるのだ。伝統や歴史を語る語り部とは異なる未来に向けた希望を語る最高のカウンセラーであり先生であった。
アンデルセンは地元オーデンスを追い出されコペンハーゲンに渡った直後に出逢ったバレリーナに恋心を寄せる。
人妻ドロに思いを募らせ生み出される童話~物語や幻想と現実が交錯しつつ物語は展開する。
助手のピーターはアンデルセンにとって実によい相棒であり、親方が苦手な現実認識と常識の点で彼をうまく補完する存在である。

HANS CHRISTIAN ANDERSEN001

そもそもアンデルセンは、バレリーナのドロが演出家の夫から虐待を受けていると勘違いし、彼女を自分の愛で救い出そうと思い込んでしまった。そこは子供であっても助手のピーターの方が現実の有様を包括的に俯瞰する目を持っている。実際、彼はドロ夫婦の仲睦まじい様子を上の階から眺めて笑っていた。
アンデルセンは自分にとってよいように現実を捉えてしまう(もちろん誰でも少なからずそうであるが)。
だが、彼の想像と創造の根拠はそこにあるのだ。きっとその強烈な思い込みに。分かる気がする。
そのため、ニールスに楽屋に閉じ込められて、実際の舞台が見れなくてもイマジネーションで舞台を見たと謂えるのだ。
それだけ自分の想像力に対し確信をもっている。想像界が現実より優位にある。
だから安全な日常を送るためにも彼にはピーターみたいな周りが見える相棒が必要なのだ。

HANS CHRISTIAN ANDERSEN002

人妻バレリーナとの恋に破れ、ピーターにもうお話はしない、と固く誓って国に帰るが、以前よりずっと盛大に老若男女を集めて話しを語っていた。
前と違って人にせがまれてやっているのだから、もう何の問題もない。
童話集が幾つも出た後のことだけあり、人々の彼に対する関心と好意も随分違う。
彼を率先して追い出した校長が彼に好きな童話をリクエストしていた。

一方的な恋には破れるが迫害した者たちから認められる。世界に広く信奉者を得る。
これが彼にとり、きっとハッピーエンドである。









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ロボット

The Robot002

Enthiran The Robot
2010年
インド

シャンカール監督・脚本・原案・製作


ラジニカーント 、、、バシーガラン博士/チッティ
アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン 、、、サナ
ダニー・デンゾンパ  、、、ボラ博士

3時間があっという間のコメディである。
intermissionも入るが関係ない。
「ムトゥ 踊るマハラジャ」の主人公のラジニカーントがここでも2役主人公。
天才工学博士と彼によって作られた高性能ロボットを見事に演じている。
もう60ちょっと前だそうだが大活躍である。フィジカルな面でも踊りまくり。勿論VFXも凄まじいが。
それを言ったら、ゴージャスで美しいヒロイン、アイシュワリヤーも40だという。
女子大生をしている。しかもロボットをたぶらかしてカンニングをしてバレたら彼を裏切りしらばっくれている。
凄い。
IT~宇宙物理でも凄い~大国のインド人のバイタリティーもひしひしと感じる。


The Robot003

踊る踊る。インドの極彩色の踊りを。
ラジニカーントはバシーガラン博士としてもサナと踊り、チッティとしてもサナと踊りまくる。
要するに、この主人公二人(三人)は終始、唐突に踊りまくっている分けだ。
独特の様式美もあってそれがくすぐったくて楽しい。
所謂、ミュージカルとも違う。ここの踊り部分をすっ飛ばしても話にはまったく関係ない。
関係ないが、決して邪魔にはならない。話が途切れることもない。だが、関係ない(笑。
意味がなくて面白いが、こういう文化なのだ。
蚊とロボットが対話するところもこの踊りの挿入に等しい次元のものか。


ロボットは作っている最中や出来たばかりは、なんともローカル色が強いものであったが、どんどん洗練されてゆき、シュワルツェネッガーばりになっていた。
それに従い、情報の記憶・整理・統合そしてディープラーニングに繋がる学習能力も飛躍して行く。
更に運動能力はもうスーパーマンである。だが、まだ人間理解が浅いために失敗もある。
ロボットが人に役立つ為に人間のような感情をもつように学習を重ね、怒ったり葛藤もするようになる流れも不自然な印象はなかった。
雷に当ったのが飛躍を生んだのか、知性と意識に目覚めたのだろう(これは大きな飛躍である)。
しっかりヒトみたいに感情がはっきり表れる。

The Robot004

ヒトみたいな感情を一度もつと厄介な流れになることも描かれ、自立し主体的に成り、恋敵になったことで生みの親の博士にロボットは壊され捨てられる。
そこに付け込んできた金のためなら何でもやる悪辣な博士が、ゴミ置き場から彼を回収して蘇らせるが、そのとき彼から神経回路のプログラムをダウンロードし自分の作ったロボットも同じように動けるものに完成させる。
そして彼はチッティに凶暴な殺人マシンになるチップも組み込んでしまう。
博士はそのせいで殺され博士のロボットは悪魔となったチッティによって彼のコピーロボットに改造され全て手下となる。
それによって大暴れしてサナを拉致して王国を作ろうとする。

アクションのもっとも際立つところだが、同じ顔と体の夥しい数のロボットの群れが様々なフォーメーションで合体を繰り返して警察(軍隊)を蹴散らすところがもうこれでもかというところまでやり尽くしている。
思う浮かぶパタンは全てやったのではないか。
CG技術の勝利である。
カーチェイスも車がハチの巣なのにロボットが大丈夫なのは分かるが、、、。
チッティも実にタフで賢く強いが、一番強かったのはヒロインであった。
このヒロインこそ無敵である。これだけ激しい銃撃とカーチェイスをしてかすり傷一つないのだから。
心身ともに超人的タフさが際立った。

The Robot001

さて、それでも例のチップを抜かれると、もとの理知的なチッティに戻り、彼を一度は捨てたバシーガラン博士の命を弁舌も鮮やかに裁判で助ける。
そして自ら自身を解体して終わる。
最期に彼の身近な人々に投げかける言葉は感動的であった。
全てはロボットが「感情」をもってしまったことから始まった、、、。



「ムトゥ 踊るマハラジャ」を近いうちに観たいものだ。
前から言っているが、、、。






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コールドプレイ ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ

Coldplay A Head Full Of Dreams 004

Coldplay: A Head Full Of Dreams
2018年
イギリス

マット・ホワイトクロス監督

クリス・マーティン
ジョニー・バックランド
ガイ・ベリーマン
ウィル・チャンピオン


コールドプレイのドキュメンタリーフィルムをAmazonPrimeで観た。
結成20周年記念。
結成前の大学でバンドメンバー探しをしていたころから、ライブやスタジオレコーディングを挟みながら、曲作りメンバー同士の葛藤などかなり紆余曲折しながらグループとしての結束を強めてゆく過程~軌跡がしっかり描かれている。
20年間に渡り、よくこれだけの映像を撮り続けてきたものだと感心する。
はじめにこのグループは成功し長続きするという確信を得たからこそ可能となったものであろうが、撮影者の眼力いや耳のお陰と謂えよう。
それにしても編集作業は並大抵のものではなかったはず。
膨大な映像データから実に綺麗に淀みないひとつの流れが創造されていた。
労作である。

Coldplay A Head Full Of Dreams 003

わたしは、U2の十分の一も彼らを聴いて来なかった。
レディオヘッドの方はそこそこ聴いていたが。
どちらかというとREMのファンだったりした。
それからダイナソーJrとか、、、。

リリカルでキャッチーで力強い楽曲はヒットするだけのことはあるとは思うが、どうもわたしにはいまひとつ響かなかった。
歪や陰りが美的なアクセントにはなっているのだが、あくまでポピュラーである。
ロックの毒~狂気や退廃~がちょっと薄い。
いや、好きなタイプのバンドなのだが、のめり込めないというところなのだ。
結局、あまり聴いた記憶もない。
そんなグループの軌跡を丁寧に辿るドキュメンタリーである。
ファンでなくとも観られるモノかと思いつつ観たが、なかなか良かったことは確か。
ただ、かなり優等生のグループだなと感じた。
グループとして辛い時期を何度も乗り越えるところで、メンバーが皆しっかりしているし、自分を持っていることも分かる。
品も良い。荒くれや乱暴者もいない(笑。
悩んだ末に打ち出す答えがまたいちいち真っ当なもので、素晴らしいと言うしかない。
それが決して上滑りのモノではなく、苦闘の末に獲得した確かな認識なので、説得力がある。
だが、やはり優等生なのだ。
難癖付ける気はないのだが、ちょっと物足りなさが残る、、、。

Coldplay A Head Full Of Dreams 001

グループが解体寸前になったところでの解決策にブライアン・イーノをプロジューサーに迎えるというのは、誰のアイデアなのか?
このグループが20年以上も続くのは、こういう機転が利く人がいるところにあるのでは。
これで彼らは蘇生し、盛り返し勢いづく。
クリス・マーティンがブライアン・イーノを頼りがいのある校長先生に例えていたところが面白い。
こんなクリエイティブで包容力ある校長もいまい。
まさに”ENO IS GOD”である。

ファンであるなら、知らなかった情報や好きな曲の出来たいきさつなども触れられ大変な価値のあるフィルムであるに違いない。
特にファンでなくとも、20年以上をメンバーチェンジもなく、初期からのスタッフと共にコールドプレイブランドをひたすら高めていく姿は、感嘆に値するものだ。
わたしの敬愛するミュージシャンであるロバート・フリップはアルバム一枚出すたびにメンバー一新してしまうような芸術至上主義の人であるが、コールドプレイの方向性も一方の極として豊潤な成果をあげていることは確かに思えた。

Coldplay A Head Full Of Dreams 002

一曲でも曲を通して聴きたかったのだが、全て短くカットされていたため少し残念で不完全燃焼に終わった。
CDの並ぶ棚から彼らのアルバムを探したのだがどうも見つけられなかった。
明日にでも探し出して一枚タップリ聴いてみたい。








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村山槐多

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久しぶりに「日美」(NHKのTV)を見て、わたしは22歳で夭逝した村山槐多という画家をはじめて知った。
1896年〈明治29年〉9/15 ~ 1919年〈大正8年〉2/20
若くして天才として認められた画家であり詩人である。
高村光太郎から「火達磨槐多」と呼ばれたそうだが、激しく生き急いだ画家でもあった。
「ガランス」の赤からの連想でもあろうが、高橋 睦郎は彼を「血達磨槐多」と呼んでいる。
何れにせよ「ガランス」の画家と呼ぶのが相応しい。

どんな作品を描いたのか、初っ端から見て驚いた。
真っ赤な(「ガランス」の吹き出る)裸僧が合掌しながら大放尿しているのである。
強烈で壮観だ。ある境地に確かに辿り着いている。

それまでは、セザンヌ、ゴッホを強く意識した作品を描いていたが、、、
野獣派のような表現を独自に編み出したようだ。
「尿する裸僧」(イバリスルラソウ)は自画像でもあると思う。
彼の悟りの(真の)姿である。
村山槐多の19歳の作品。すでに晩年に近い。
これでいいのだ、という感じの絵である。

こんな傑出した作品~画家がいたことに、何やらこちらまで元気が出てしまった。

murayama003.jpg

「紙風船をかぶれる自画像」
大正の青年は、こんなにモダンなのか、と思ってしまう。
この遊び心。軽やかなユーモア溢れるセンス。頭に紙風船を載せて実に似合っている。
親近感を呼ぶ。
きっと友達、ファンも多かったと思われる。
そして恋多き男でもあったようだ。
余りに激しい情熱をぶつけて相手をドン引きさせて逃していたらしい。
その失意の念を詩に書き、自らも含め多くの人を酔わせていた。
今生きていたらロックミュージシャンになっていたかも。
(モーツァルトがパンクをやっていたかも、と同じような意味で。詩人でもあるし)。
表現者として生き、死ぬしかない男であった。

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彼が好んで使用した深い茜色の「ガランス」がもっとも鮮やかに使われた「カンナと少女」である。
ホッペの「ガランス」は秘めやかにこの娘の性格~個性を匂わせている。
香しい生命力に充ちた可愛らしい絵だ。
こんな絵を手元に置いておきたい。
イバリスルラソウは、一度見たらいつまでも後を引くが目の前に置いておくにはちょっと強烈。
近くに置くには太陽より月が心地よい。
この少女にも恋心を抱いていたようだ。
そして常に恋文のようなものを書き、詩を書いては人々を唸らせていた。

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「湖水と女」
初恋の相手は中学時代の年下の男子であったそうだが、長じては年上の女性に恋をした。
しかし何と言うか自分の表現欲を刺激し高める相手~触媒という感じもしてくる。
それによって良い詩が生まれ、新たな絵が描ける。
全て(出来事~事象のすべて)は創造過程に統合されてゆくのだ。
詩が書きたい。絵を描きたい。「ガランス」を塗りたい。全てはその快楽に収斂されてゆく。
良い一生であったと想う。

murayama004.jpg

「自画像」
彼は自画像を多く描いている。木炭デッサンでもそれが多い。
まるでレンブラントの夥しい自画像群みたいに。
わたしとは何か?これは最後に来る最大の謎なのかも。
そして死の間際には、木をひたすら描いていったと謂う。
一日でも多く生きてこの木を描きたいと願いつつ22で亡くなった夭逝の天才ではあるが、不思議に悲壮さはなく、何か妙に前向きにさせてくれるこの画家の力を感じる。
「ガランス」は大変官能的で生命力に充ち満ちているのだ。

生命と快楽。
何をおいても、この基本なのだということをこの画家の人生が再認識させてくれた。



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パーフェクト・トラップ

THE COLLECTION006

THE COLLECTION
2012年
アメリカ

マーカス・ダンスタン監督
パトリック・メルトン脚本

ジョシュ・スチュワート、、、アーキン
エマ・フィッツパトリック、、、エレナ(富豪の娘)
リー・ターゲセン、、、ルチェロ(救出隊リーダー)
クリストファー・マクドナルド、、、エレナの父
ナビ・ラワット、、、リサ(アーキンの恋人)
ランドール・アーチャー、、、覆面の怪人コレクター


ソウ ”SAW”」の監督の作品。あのようなアイデアと重さは感じられなかった。
コレクターの覆面怪人はただ殺人マシンとして描かれ人格~人間性が全く滑り落ちていた。
(全く喋らないということで、それを徹底している)。
他の登場人物も人としての厚みや内面性が感じられない。
ホラー以外の何ものでもなかった。
絵は、とても綺麗であった。PV的な見せ方も感じられる。

THE COLLECTION010

何とも、、、無差別殺戮映画であった。
覆面の男が最初から登場してせっせと事に当たっている。
(犯人は黒幕として姿を隠していて最後の方に登場したり、意外な人物がそれであったりするパタンではない)。
彼が夥しい惨殺死体から、人間の骨標本とかを採って綺麗な直方体の水槽にコレクションしてゆく話だ。
秘密のパーティーに招待し、みんなが音楽に乗って踊っている最中に、全員まとめて一気に押しつぶして切り刻んで殺してしまうと言う、何とも身も蓋もない大味なやり方だが、一度に多くの標本を得ると言ったら効率的な方法であろう。
(殺戮にも食肉産業みたいな工業技術が導入されているという感があった)。

THE COLLECTION011

何故だか一体だけ残して箱に入れておき、後でなぶり殺しにするという趣味もあるらしい。
噺に伏線とか捻りもどんでん返しも何もなく、ただ平面的に直線的に進んでゆくだけ。
それでも迷路のような旧ホテルのアジトの中にはトラップが幾つもあって、殺され方も充分に怖い。
(が、それほどの手の込んだトラップには思えないのだが)。
デッドコースター」みたいな、ピタゴラスウィッチ的な気を持たせる遊び心などもあってよかった気はする。

ともかく、最初のクラブハウスでの人間ミキサーみたいなのが、ちまちましたトラップなどより圧倒的に怖くてすごい。
あれの前では何人たりとも生還など出来まい。
だから、アーキンのように生還できたのは、後でなぶり殺しにしようと、ひとり箱に仕舞われた身でないと可能性はない。
たまたま、エレナに箱を開いて貰ったのが、ラッキーであった。
そしてそれが、ここの怪人の野望を打ち砕くことになる。
スピーディーな展開で忽ち最後まで持って行かれる。

THE COLLECTION007

死ぬ一歩手前で、這う這うの体で脱出して何とか命を拾ったアーキンは、病院で安静に治療を受ける間もなく、エレナ救出に駆り出される。
結局、エレナ救出の為に組織された人間は皆、闘いの内に殺されてしまう。
この闘いの終盤当たりで何か捻りや場合によってはどんでん返し的な展開もあり得るか、と思いながら見ていたのだが、全くそういった流れはなかった。
旧ホテルのアジトが火に包まれ、アーキンが戦い終えて精魂尽き果て動けなくなっていたところで、エレナがコレクションの水槽を次々に鉈で割って水を零してゆき、彼らの周囲を取り巻いた火を鎮火させアーキンを助ける。
ここはなかなか絵的にドラマチックで美しいシーンであった。
アーキンと彼女だけが生きて戻る。
アーキンは二度目の生還である。
あれだけいたぶられて重傷を負っていながら、これだけ闘えるのだ。
強者である。



そして終わりにひと展開があり、あの業火に包まれたアジトから逃げ延びた怪人の正体をアーキンが見破り、彼を例の箱に詰めてこれから復讐するところで終わる。
相手の顔は映さなかった。

何故だろう?
この続編を考えているのだろうか、、、。






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フード・インク

Food Inc001

Food, Inc.
2008年
アメリカ

ロバート・ケナー監督・脚本・製作


食べるという基本的な、そして最も重要な行為をどれだけ意識的に行うか。
肉体が概念化され記号化され疎外されたところで、食べる行為も概念化されている。
いや、自動化されてもいるか。
この生の自然に属する身体に、自我~意識がどう向きうかという基本問題のひとつだ。
数日後に胃カメラの検査を控えており、自分にとってホントに重要なことであることを実感する。
これは、自分を取り戻す契機ともなるはず。
われわれは食べ物の加工の実態から切り離されて、モノを大した自覚なく食しているのは事実だ。
世界の抽象化~自身の抽象化はここからも来ている。

食料品生産の形態においては、、、
過去1万年よりここ50年の変化の方が大きいと言う。

Food Inc005

工業フードシステムが、原料となる動物と労働者と消費者のすべてを疎外している様子がはっきりと窺えるドキュメンタリーであった。
マクドナルドをはじめとするファーストフード店が、調理場に工業システムを導入し徹底した効率至上主義で大成功してから、食肉に限らず食品加工の生産方法が全体として根本的に変わっていった(食品に限らず企業システムの変革に繋がっている)。
特にコーンの生産が遺伝子組み換えなどにより、著しい発展を遂げた。
そして同時にドライブインの普及である。
大量に均一な(加工)食材が必要となった。どこでも素早く同じ味の食事が手軽にできること。しかも安い経費と労働力で。
集約的大量生産システムが敷かれ一握りの巨大企業が市場を支配するようになる。
個人の農家や食肉業者は大企業と契約して生き残るか廃業に迫られることとなる。
(一度契約すれば、企業の指定する設備を多額の借金で配備するのが義務付けられ、その後の隷属~搾取を免れない)。
労働力も不法移民や低所得層や遺伝子組み換えの低コストのコーン生産によって職を失ったメキシコ人たちから調達する。
使い捨てを前提にした雇用で。
権利も何もなく労働条件の劣悪さから大怪我を負ったり死者も出している状況だと言う。
そして不法移民の逮捕も実施されるがあくまでも工場の生産ラインに影響を及ぼさぬ程度に毎回済ませることになっている(当然、企業との連携の上でだ)。

食肉用の牛には草ではなく安価に手に入るコーンを食べさせ、特殊な大腸菌が工業フードシステムの飼育場で新たに生み出された。
O-157である。
コーンではなく草を食べさせれば、この大腸菌は発生しないが、どこもコストの問題からそれに戻すことはしない。
大腸菌を殺すアンモニアを混入させて対策を講じている状況た。

牛たちは劣悪な糞まみれの飼育場にギュウギュウに押し込まれていて、虐待もあり自分の足でまともに歩けない牛も少なくない。
一頭がO-157になってもこの糞まみれの環境ではどれだけ周囲の個体に広まるか分からない。
大量処分も頻繁にあるようだ。

そしてケビン法をひっさげ、このようなシステムを共同して敷いている政府と食肉業界に対し政治的闘争を繰り広げている女性は、2歳の息子をハンバーガー(O-157)で失っている。6年闘い続けているが、今現在目立った成果はあげていない。企業の謝罪もいまだにないと言う。
消費者~犠牲者に対しての国の反応は恐ろしく遅く、まずは献金をしている大企業の為に速やかに動く。
食品につて知る権利も保障されていない。
議会では次々と危険な含有物や遺伝子組み換えなどが非表示で通ってしまう。
肝心な時に国は企業の側に立ち、国民にそっぽを向くこともよく分かる。
(国そのものがひとつの大企業である。しかも食品~コーン、食肉業界は多国籍企業が牛耳っているという)。

Food Inc002
Food Inc004
なかには、生態系全体の健康を掲げて食肉、農業に関わる個人もいるが、かなり厳しい闘争を強いられているようだ。
オーガニック食品の普及についても今一つ詰めがなかった。今後の展開が見たい。
このような状況が今のアメリカだと言っても、マイケル・ムーアの監督映画などを見ているとさして驚くほどではない。
大手企業名がしっかり出てくるのもアメリカらしい。
そしてことごく取材拒否というのも、ムーアの映画に似ている。

それより日本もこの広がりの中に納まり進行しているのは確かである。
(いやグローバルスタンダートであろう。TPPとの絡み)。
われわれも様々な権力に幾重にも絡めとられ搾取されていることには変わりない。
「食」による搾取から脱却できれば、大きな解放に繋がるだろう。
その点で、まず自分が食するモノの検討から始めたい。

改めて、今夜から、、、。
何を食べたらよいのか、、、。
また、家庭菜園でも始めてみるか(笑。

「動物、労働者、環境を大事にする企業から買おう」と最後に誰かが言っていた。
そうなのか?後は個人生産者の直売であるか。
確かに悪いものは売っていないように思う。





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ギュスターブ・モロー展に行く

Gustave Moreau001

新橋のPanasonic汐留美術館に会期の最終日1日前に滑り込んだ。
物凄く混雑しており、整理券が出されていた。
整理券を持って食事に行こうかとも思ったが、ちょっと微妙な待ち時間なのだ。
だからあちこちふらふらして時間を潰し入館時間に並んだ。
チケットを買う窓口まで、待つこと待つこと、、、これほど美術館に入るのに時間を要した経験はない。
(大概、行ったところで券を買って入っている)。

モローってこんなにポピュラーだったの?
ルノアールやモネやゴッホならともかく、、、。
色彩の乱舞するこころを高揚させるハーモニーとは明らかに異なる世界だが。
(わたしはバルテュスやボッチョーニに並んで大好きな画家であるが)。

しかし、この入場制限は正しかったことに気づく。
何時も人気画家の展覧会は会場内の人混みが尋常でなく、落ち着いて長時間気になる絵の前に立ち尽くせない。
(気になる絵のマチエール~タッチやディテールを観始めたらきりがないのだ)。
人の頭でなかなか見れなかったり、人の流れが気になりじっくり見れなかったりするものだが、自分の問題意識に沿って好きな見方でどの絵も悠々と見る事が出来た。
良かった!

わたしが大分以前、学生時代に模写した「一角獣」がありしみじみ見呆けた。
もう一つ模写した「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」は残念ながら来ていなかった。
(これは今も額に入れて飾ってあるので娘がここで見たらきっと面白かったろうに)。

Gustave Moreau003

代表作?そうユイスマンス的にいえば「L’Apparition(出現)」は極めてモロー的と謂えよう。
ここにも如実に見られるように、、、
ギュスターブ・モローは、色の付け方~塗り方~置き方が独自である。
画集ではなかなか分からないが、実物を近くで見ると、その入魂の大胆な一筆に呆気にとられる。
ベラスケスやフェルメールにも通じる大胆で計算し尽くされたタッチだ。
物凄く細密で規則的なシャープな線描が、水墨画を思わせる薄塗りの奥行きを持った空間と同居していたり、、、
抽象的で激しい動勢を伴う原色(又は高彩度の色)による厚塗りそのものもそれがあるべき部分を饒舌に充たす造形足り得ている。
通常、異なる複数の描き方~システムがひとつの画布(描面空間)に同居することは~絵としての又は主題としての求心性を逸してしまい~不可能なのだが、モローの象徴性(文学的抽象性)と過度な装飾性は、それらを必須の要素と化して呑み込んでしまう。
そして禍々しくも煌びやかで荘厳な美=狂気を現出させる。

ここで更に強調したいのは、前から気になっていたのだが、「パルクと死の天使」である。
この絵を敢えて言えばセザンヌに近いものがある。
パルク周辺が明らかに塗り残されているのだ。
セザンヌにも絵の中心あたりに塗り残しのある絵が幾つかある。
アングルなどには到底考えられないことであろう。
しかしこの絵の稠密性と深い神秘性の醸す重力は尋常ではない。
キャンバス地も造形の要素として昇華させていることが分かる。
彼は様々な実験を繰り返し、試せることは片っ端してきたのではなかろうか。
そしてそれらを見事なまでにシンセサイズしている。

Gustave Moreau002

今回の展示会では、習作や下絵~アイデアスケッチ風のモノやデッサンも多かった。
基本的にモローの作品は未完が少なくないのだが、それも究極的に仕上がった作品に等しい強度を感じさせる。
この意味では、彼の弟子でモロー美術館初代館長のルオーにも言えることだが。


モローの絵は誰にも追従出来ない孤高の絵に相違ない。
しかし決して閉じてはいない。
楼閣のなかの絵ではない。
(ある意味、モローの城のような「ギュスターブ・モロー美術館」には、是非とも行ってみたいが)。

モローは隠者の印象が強いがその密室で描かれ続けた作品は、未知の領域に幾らでも接続出来る開放性を持っている。



うちの娘たちも、並んでいる時はしこたま文句を言っていたが、いざ絵を観始めると、神妙な目でディテールを追い続けていた。
お喋りの絶えない次女でさえも、会場内では一言も喋らなかった。
やはり確かな磁力があるのだ。


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是非こちらも参照のほどを。
ブルトン~モロー 「ピエタ返歌」
ギュスターブ・モロー ~ 時刻表を持った隠者


悪魔のいけにえ

The Texas Chain Saw Massacre001

The Texas Chain Saw Massacre
1974年
アメリカ

トビー・フーパー監督・脚本・製作・音楽

マリリン・バーンズ 、、、サリー・ハーデスティ
ガンナー・ハンセン 、、、レザーフェイス(四男、人喰い)
エド・ニール 、、、ヒッチハイカー(次男、人喰い)
アレン・ダンジガー 、、、ジェリー(友達)
ポール・A・パーテイン 、、、フランクリン・ハーデスティ(友達)
ウィリアム・ヴェイル 、、、カーク(友達)
テリー・マクミン 、、、パム(友達)
ジム・シードウ 、、、ドレイトン(長男、コック)
ジョン・デュガン 、、、グランパ(人喰いじい様)


遠い昔、何かで見たような気もするが、定かではない。
ホラーの古典であるが、ホラーに関心のないわたしは、意識して観ようとは思わなかった。
しかしここのところ、ホラーに縁があったため、その繋がりで観てみた。
とても郷愁を覚える絵であり、粗削りな質感だ。
だが、ぶっきらぼうなパワーを感じる。
執拗な「恐怖の眼」の接写も印象深いところではあった。

The Texas Chain Saw Massacre005

『テキサスチェーンソー大虐殺』であるが、ウィスコンシン州プレインフィールドで実際にあった、エド・ゲインによる猟奇殺人事件が元になっていると言われるが。
監督は特にその事件に拘っているようでもなく、記憶も曖昧だし、どう取ってもらっても良いようなことを言っていたらしい。
(つまりは実際の事件はあまり意識はしていないということのようだ)。


不穏な空気はかなりおかしいヒッチハイカーを車に乗せてしまってから充満してゆく。
どちらかというと、殺される場面よりこの辺の気の高まりの雰囲気の方が怖さはある。
まず誰から犠牲になるのか、ワクワクしてくるのだが、、、。

川に遊びに行ったら水が干上がっていて、辺りを見回したらガソリンの貰えそうな家があった。
だが、そこからが実に呆気ない展開なのだ。

ともかく、いきなり殺される。
直截なスプラッターシーンはない。その分、あっさり味は強い。
もうちょっとタメを置いて一人一人のバリエーションがこってりあっても良いのではと思った。
大体、呼んでも返事のない他人の家にズカズカ入り込むものか?
このような猟奇殺人ファミリーの家でなくても、後で物取りに間違えられでもしたらどうするのか。
ともかく、人の家に入って行っては、秒殺される。
5人しかいないのに、そのペースで大丈夫かと心配したが最後の女子サリーがしぶとく頑張ってくれた。
スリリングと謂えばそうであるが、、、。

The Texas Chain Saw Massacre002

夜も更け帰って来ない仲間を探しに、車いすのフランクリンと友の名を大声で叫びながら行くが、相手に自分たちの存在をわざわざ教えて歩くようなもので、正面から来たレザーフェイスのチェーンソーですかさずフランクリン刻まれる。
それを見てギャーギャー騒ぎながら藪の中を逃げるサリーだが、、、
逃げまくった挙句、給油のために立ち寄ったガソリンスタンドに逃げ込む。
そこで警察を呼ぼうとしたら、電話がないという。先ほどはガソリンがまだ届かないと言う。
何にもないスタンドなのだ。

The Texas Chain Saw Massacre006

しかし悪いことに、ここの経営者ドレイトンは、人食いファミリーの長男であった。
当然の如く縛られ家にまで運ばれ、家族総出で迎えられ、料理されるはめとなるのだが、、、
牛殺しの達人のじいさまにここは犯ってもらおう、ということで椅子に座ったままのじいさまに斧を持たせて首を切り落とさせようとするが、手に持った斧をすぐに落っことしてしまう。それを何度も試す。なかなか上手くいかない。業を煮やして次男が代わりにやろうとしたところで隙が出来てサリーは一目散に逃げだす。
かなりトンマなはなしだ。

とは言えサリーの方もギャーギャー叫びながら芸もなく逃げるだけ。
夜気に塗れて逃げる事が出来るのだから、明後日の方角に石でも投げて、息を殺して逆方向に逃げるとかも効果的だろうと想ったが、折角距離を少し稼いだのにワザと自分の位置を知らせるようにギャーギャーわめいて一直線に逃げるからいつまでもチェーンソー持ってついてくるではないか。
このレザーフェイスは人の皮を剥がして付けているそうだ。
捕まえた人肉は全て無駄にせず使い切っていることが分かる。

The Texas Chain Saw Massacre003

すぐに捕まるかと思っていたら、結構サリーもタフであった。
完全に体力勝負の持久戦となったが、道端に出たところでトラックに助けられて結局一人だけ生き残る。
荷台で喜ぶ。この気持ちはとても分かるが、、、。
次男は巨大トラックにひき殺される。
レザーフェイスはチェーンソーを持って道の真ん中で踊っている。
トラックの運転手もいきなりこんな騒動に巻き込まれて災難であったろう。

The Texas Chain Saw Massacre004

ともかく、何となく遊びに出掛けた男女5人組が、何の理由もなく殺される(一人生き残るが)。
たまたま、出逢った人を殺しては料理して食べるカニバリズム(最近こればかり)ファミリーに自分たちから関わってしまったのが災いした。
車の中でしきりに運勢が悪い時期にあると愚痴っていたのだし、そんなときは外出を控えた方がよかったはず。
運が悪い時は、なるべく動かず籠って過ごすのが無難だ。
バーベキューにされたらそれまで。
しかし調子が良ければ、彼らのように旅に出るに越したことはない。


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ジェーン・ドウの解剖

The Autopsy of Jane Doe004

The Autopsy of Jane Doe
2016年
アメリカ

アンドレ・ウーヴレダル監督
イアン・ゴールドバーグ、リチャード・ナイン脚本

エミール・ハーシュ 、、、オースティン・ティルデン(検死官)
ブライアン・コックス 、、、トミー・ティルデン(検死官、オースティンの父)
オフィリア・ラヴィボンド 、、、エマ(オースチンの彼女)
マイケル・マケルハットン 、、、バーク保安官
オルウェン・ケリー 、、、ジェーン・ドウ(死体)


死体の体内から出て来た埋葬布には、1693年のニューイングランドの件が記されていることが分かる。
マサチューセッツ州セイラム村での魔女裁判だ。
この女性は無実の罪で(ほぼ全員がそうだが)殺され、その復讐のために本当の魔女となった女性らしい。
自身は何もせず裸で解剖台に横たわっているだけで、これだけの恐怖と惨劇を巻き起こす。
シュールだ。これは新しい手法ではないか?

どうやら、彼女のからだの皮の内側に書かれた呪文が彼女を死なせない作用をもつようだ。
これには二人も目を疑う。
だから摘出した臓器は直ぐに腐っていた。
つまり外側の皮一枚~見かけだけでずっと生きて来た~腐敗から逃れてきたと謂える。
彼女は永遠に死なず(腐敗せず)、関わった人間を祟り続けるのだ。

わたしは、これほどフィジカルに怖い映画を観たことがない。
血液検査で血を採取するときでさえ、まともに注射器を見れないのに、ずっと生々しい解剖の様子が続くのだ。
これは厳しい。大変しんどい。お陰で途中20回はポーズしてコーヒーやジュースを飲みに行った(苦。
こういう映画を観るたびに太る(ストレス太り)。

The Autopsy of Jane Doe002

惨殺事件のあった現場の地下に外傷の全く見られない綺麗な女性の死体が見つかる。
他の血みどろの遺体との関連性が全く掴めず、別件の可能性も充分考えられるものであった。
担当の警官に、この謎の死体の検死を頼まれたのが、検死官ティルデン父子である。
関連性が説明できるよう一晩のうちに検死を済ませて欲しいとのこと。
それを素直に受ける、とても真面目な親子だ。
如何にもプロらしい洗練された手際の良さで手順よく仕事を進めてゆくのだが、、、。

死んでいるのに、体は柔らかいし、何処にも外傷が見つからない。
メスを入れれば何と、血が出てくる。鼻から血と共に蠅も出て来た。
一体いつ死んだのか?
灰色の瞳からして少なくとも一日は経過していなければならない。

手・足首は骨が砕かれており、ウエストは強力なコルセットのようなもので締めあげられ不自然に細くなっていた。
爪や髪には泥炭がついていた。北部の地方に見られる土壌である。
外見には傷などの傷みが一切見られないことがとても不自然に思える。
(運び入れた警察がそもそも不思議に思わなければならぬはずだが)。

しかし身体を開いてみると、内臓器官は悉く損傷を受けており、肺に至っては燃やされているのだ。
明らかに惨い拷問にかけられ殺されたことが分かるものである。
何故、この凄まじい内部でありながら外観に何の傷みも見られないのか。
それにただ殺すだけなら銃や毒で殺せるのに何故こんなことをしたのか。
ただ、彼女を苦しませることが目的であったとしか考えられない。
そして消化器官を開くと、抜いた歯を包んだ布が見つかる。
何やらそれには儀式で使われた呪文や幾何図形が描かれているようだった。

The Autopsy of Jane Doe001

不穏な空気で解剖室が満たされてくる。
これは尋常でない事件に巻き込まれたことを二人ははっきり認識するのだった。
更に、頭部を切開して脳の組織を顕微鏡で調べた二人は驚愕する。
彼女は生きているのだ!
彼らは混乱を極める。父の謂うように「不測の事態」である。

死因が掴めぬというより、生きているのか死んでいるのかも分からぬ状態の女性であることが分かって来る。
そして読み取れなかった布の文字が何を意味するのかが分った。
レビ記20章27節とある。
ここから一気に現代医学からオカルトの世界に雪崩れ込む。
彼女が魔女裁判にかけられ惨い拷問に苦しめられた復讐であることに気づく。
物音が響いたり足音が聞こえたかと思うと激しく扉を叩く。
亡き妻の形見の愛猫がダクトのなかで重傷を負い、安楽死させる。

先ほどから、暴風雨の荒れた天候の話しが続いていたところに被るように、不気味な歌が流れてくる。
「心を開いて明るく照らしましょう、、、」童謡のような妙に単純で明るい歌が聴こえるのだ。
足音や物音が響きだす。死体の足に括り付けた錫が鳴る。
突然、停電し蛍光灯が割れる。
警察に電話をするが、通じない。二人は、脱出を試みる。
その途上で、安置所の死体に襲われ恐怖に駆られて逃げ惑う。
エレベーターまで来た時に死体~ゾンビがやって来たため、父が手に持った斧で一撃を加えるが倒れた死体はエマであった。
全て解剖台の上の彼女の仕業であることが実感されてくる。

The Autopsy of Jane Doe003

完全なホラーモードになる。
だが、ここで二人は冷静になり、解剖室に戻り、真相を究明して彼女を止めるという使命感に燃える。
彼女に火を放っても室内は燃え出すが彼女自身は全く燃えた痕跡もない。
やはり彼女は魔女に他ならない。
父は彼女と契約を結ぶ。「わたしは味方だ。息子には手を出さないでくれ」と目を見つめて囁く。
すると父に彼女がされた拷問が全てなされる。
もがき苦しみ彼は力尽きメスで心臓を刺して死ぬ。
彼女ジェーン・ドウの切り刻まれた身体は急速に元に綺麗に戻ってゆく。

息子はひとり脱出を図るが、息子を助けに来たと受け取った声は、人間のものではなかった。
死んだはずの父の姿に驚いた彼は手摺が壊れた拍子に下の床に落下してしまう。

終盤はかなりあっさり息子も殺され、綺麗な体のままのジェーン・ドウは大学の解剖室へと車で運ばれてゆく。
彼女の他に運ばれた死体は二つであることから、エマの死体は幻~ゾンビの替え玉であったか。
割れた天井の蛍光灯が父の死後、全部電力が復旧し点いたことから、かなりの出来事が幻想であったように受け取れる。
ラジオもここ数日間ずっと晴天であることを告げていた。
恐ろしい磁場に翻弄され真面目で善良な父子の命が奪われたものである。
たまたまジェーン・ドウと関係してしまったばかりの不幸であった。


ともかく、生理的に怖い痛い映画であり、わたしの耐性を超えていたと謂える。
だが、終盤のオカルトホラー場面以外の緊張感は素晴らしく、よく練られた流れであった。
本作のノルウェー人監督であるアンドレ・ウーヴレダルの話題作、「トロール・ハンター」も機会を見つけて観てみたい。
かなり期待できそう。




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7 WISH / セブン・ウィッシュ

Wish Upon001

Wish Upon
2018年
アメリカ

ジョン・R・レオネッティ監督
バーバラ・マーシャル脚本

ジョーイ・キング、、、クレア(主人公の女子高生)
エリザベス・ローム、、、ジョアンナ(クレアの亡き母)
ライアン・フィリップ、、、クレアの父
シドニー・パーク、、、メレディス(クレアの親友)
シャノン・パーサー、、、ジューン(クレアの親友)
キー・ホン・リー、、、ライアン(クレアの中国人の友人)
アリス・リー、、、ジーナ(ライアンの親戚)
ジョセフィン・ラングフォード、、、ダーシー(クレアをいじめる同級生)
ミッチェル・スラッガート、、、ポール(クレアが憧れている同級生)
シェリリン・フェン、、、ミセス・デルカ(隣人)


人は、身の丈に合わない大きな願いが苦労もせず運よく叶うと、不吉なことが起こるのでは、といったネガティブな想い~感情に捕らわれることがある。それはよく分かる。欲・得の対称性が大きく崩れた状態はとても不安で居心地の悪いものだ。
ここでは、古代中国文字で、願いに対し血の代償を貰うと書かれたオルゴールが猛威を振るう。
唱えた願いは必ず叶うが、このオルゴールが突然鳴り出したときに、代償として親しい人や動物が死んでゆく。
これは霊的な(呪いによる)超越的システムなので、ヒトがそこに介入して代償の生贄を阻止することは叶わない。
つまりオルゴールに向かって願い事を一度唱えたら、それまでなのだ。

このオルゴールは、ゴミ漁りを趣味(仕事?)とする父が拾い、娘がそれを受け取ったことから機能し始める。
彼女の母は、彼女が幼い時に自殺しており、そのトラウマが彼女の人生の基調を作っていることも分かる。
後に母の描いた絵から判明するが、母もこのオルゴールを所有していたことで、死ぬこととなったのだ。
恐らく願いはすべて(7回)唱えたはずだが、結局自分が死んだだけで何一つ状況は変わらなかったように窺える。


願いが叶い、音楽の鳴っている間に、身近な人が1人死ぬ。
どうやら、願いの代償の選択はオルゴールにお任せのようだ。
もし代償~生贄の指定もできるのなら、潰したい組織を願いとし、消したい人物を生贄にすれば一石二鳥とくるのだが、そうはいかない。生贄は願った人物にとって大切な存在が自動的に選択されるらしい。最愛のペットであったり、親友であったり、肉親であったり、大切なひとであったりするのだ。これは依頼主にとっては、当然困る。

だが、ここの主人公の女子高生は、まずしっかり仕様書(オルゴールの周囲に古代文字で書かれている説明)を読まずに願いが叶うところだけ確認して始めてしまった。
そのため、願い事は叶うが、同時に死んだ者との関連性に気づかない。
何やら願いの成就と同時に親しい人が死ぬことに気持ち悪くなり、専門家に翻訳を頼み、漸く事の次第を知る。
マニュアルをろくに読まずに直ぐに動かし始めてしまう現代人には無理もないところもあるか。
だがそれを知って事の重大さに気づき、そのようなトンデモナイものから逃れるかと思うとそれは出来ないのだ。
この呪いのマシンの強力な呪力に魅せられ惹きつけられてもう離れられない。
7つも叶えられると書いてあるなら、まだ残ってるもん。ときた。

ホントにどうでもよい欲望の奴隷となってしまっている。
「喧嘩した友達が腐ればよい」翌日その彼女は腐る。代償として母からもらった愛犬が死ぬ。
「憧れのイケメンがわたしに夢中になりますように」すかさずその彼が迫ってくる。金持ちの叔父が風呂で滑って死ぬ。
「金持ちの叔父の遺産が全て欲しい」何故か彼女に遺産が転がり込んでくる。とても親しくしていた隣人がディスポーザーに巻き込まれて死ぬ。
漸くこの事態の符合に気づき、ライアンの親戚のジーナにオルゴールの周りのすべての言葉の翻訳を依頼する。
ついでにこのオルゴールの由来についても詳しく知ることとなる。
憎しみを晴らすため悪魔と契約してこのオルゴールを作った夫人のことやこれを手にした人間が、もう何人もが「犠牲」となり悲惨な最期を遂げていたことなど(この辺は、結構稚拙な説明にも思えたが)。
そして大金持ちになったにもかかわらず、相変わらずゴミ漁りをしている父を見て、「もうお父さんがあんなことしませんように」と願うと、父は生活態度が変わるが、ジーンがこのオルゴールの危険性をスマホでライアンに知らせようとしているときに、足を滑らせて死んでしまう。
ここで、思いを叶えたら血の代償が必ず待っていることをはっきり知る。
これはある意味、われわれが摂理のバランスをそうやって保とうとする無意識的な願いなのかもしれない。

Wish Upon002

クレアはもう死の螺旋構造に巻き込まれていることは充分に承知ではあったが、欲望がどうにも抑えられず「みんなの人気者になりたい」とまた唱えるのだ。ここへきてこれかい、である。彼女のトラウマの深さも垣間見えるところではある。
それまでも親友の言うように、超自己中の下らない願いばかりであったのだが、、、。そしてパーティーでは、持ち上げられて身の程を弁えないフィーバーぶりで親友たちからも愛想をつかされる有様に。
だが、その代償に親友がエレベーターの落下で死んでしまう。
この惨劇を前に、クレアは深く思うところがあった。自分をここまで暴走させるに至った幼少の頃の母の自殺を無きものとしたかった。根本的な解決を狙ったのだ。
「母が自殺を図りませんように」すると母が元気な姿で暮らす普通の生活が開けていた。しかし、庭で木を切っていた父が電ノコの事故で死んでしまう。
「これが拾われる前に戻って」最後の願いであった。
父がそれを拾う前に自分のバッグにしまい、無事に彼の手が届かぬように出来た。
それをバッグごとライアンに託しデートの約束~キスをしてから、それを土に埋めてと頼む。
そして学校に向かおうと走り出したとき、ダーシーたちの乗る車に彼女は轢き殺される。
ちょうど、彼女の母がかつてそれをゴミ箱に捨てた後で自殺したように運命的に。


映画の終了時のエンドロールが半分過ぎたあたりで、穴を掘っていたライアンがそれをしげしげ見て、「7つの願い」を確認するところが映る。
彼はそれを埋めることはないのが分かる。
もしかしたら、これまでのパタンから死ぬことを察知していたクレアが彼に復活させてもらうために予め仕組んでいたのかも知れない。

続編を示唆する終わり方ではあった。





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RAW 少女のめざめ

GRAVE001.jpg

GRAVE/RAW
2016年
フランス・ベルギー

ジュリア・デュクルノー監督・脚本

ガランス・マリリエール、、、ジュスティーヌ
エラ・ルンプフ、、、アレックス(ジュスティーヌの姉)
ラバ・ナイト・ウフェラ、、、アドリアン(ジュスティーヌの親友)
ローラン・リュカ、、、ジュスティーヌの父


Amazonprimeでホラーを立て続けに3本も観てしまった。
かなり疲れた。時間も余裕もないのに馬鹿なことをした。
観たくて見たというより、つまらないから、もっと他にという形で観ることになった結果だ。
「ザ・インシデント」を観て次に「ハイテンション」を観て、この「RAW 少女のめざめ」となった。
この作品が飛びぬけてよく出来ていた。
最初のものは「普通」と「異常」を分ける(人をカテゴライズする)ということの暴力性と危うさは描かれてはいたが、特に相対的な視点の導入もなく精神病患者の捉え方が極端で粗雑でもあった。
二つ目は、ただの狂気の猟奇殺人に想わせ最後にその意外な正体を明かすというひとつの典型か。動機を明かされたところで狂人であることには変わりない。ただの狂気の殺人者の話に過ぎなかった。
どちらも、血飛沫とかは充分なものであり、かなりのえぐさであった。

本作は、自分が変態して行くことに大きな戸惑いと不安に揺れるのは「ブルー・マインド」にとても近く、葛藤しつつも自らの道を進んでゆく姿が丁寧に描かれたものであった。
特にヒロインの苦しく複雑な心境が大変繊細に演じられていて、この女優には今後注目してゆきたい。特に儚げな雰囲気が(西洋の女優には珍しく)素晴らしい。そう、ちょっとエレン・ペイジに雰囲気は似ているか(JUNO/ジュノ)。
また力強い姉の存在も、双方を際立たせる良い相方であった。
(ゲイの親友でもある彼氏も良い味を出していた)。

GRAVE003.jpg

母からベジタリアンとして育てられてきた姉妹であったが、両親から独立するところで、ベジタリアンとして居続けることは大変困難となる。肉一般に対し命に係わるアレルギーで、食したら死ぬくらいの禁止が超自我に埋め込まれていればどうであったか、、、。
ともかく、大学(獣医学部)入学と同時になされた新入生歓迎会でウサギの腎臓だかを無理やり食べさせられたことが、人食いの本性を顕現させるトリガーとなった。
恐らく先に入学していた姉もその形で目覚めたのであろう。
更に両親もこの大学の獣医学部で結ばれたのだそうだ。
(獣医学部とは、他の種に対する差別を持たない~相対化する視座を有する人の集まりとも謂えるか、どうか)。

尚、この血筋は母型のものらしい。
だから母は厳しく肉を避け食事制限をさせて育てて来た過程も分かる。
だが、親の手を離れてしまっては、厳しい管理はもう出来ない。
しかしこの大学、度が過ぎはしないか。
日本の体育大学でもここまで後輩をいたぶる大学~学部もあるまい。
姉はこの洗礼を受けて完全に(本性の)カニバリズムに目覚めたと謂えよう。

そして彼女は、道端で走って来る車を物色し、手ごろなものが見つかると、当たり屋みたいに飛び出し、急によけて道端で激突して大怪我を負ったドライバーを喰ってきたのだ。
一度、味をしめたら元には戻れない。
これは、恐ろしいことだ。
余程旨いのだろう。

GRAVE002.jpg

ヒロインも姉の指を喰ってから、そちらへの趣向が否応なく高まって行くのだが、ギリギリのところで踏ん張って我慢していた。
そして姉は妹の親友でもあり彼氏とも謂える(妹と一緒に寝ていた)ルームメイトを喰ってしまい刑務所に入る。
最初、妹は自分が喰ったと思い込み、大パニックに陥るが、近くに口周りと体中血染めの姉が座り込んでいて誰の仕業か判明する(何かと妹の彼氏にちょっかい出していたのは、喰おうと思って目を付けていたようだ)。
妹は姉を殺そうともしたが、この社会における最大の理解者でもあるため、思いとどまる。

最後に父と二人でレストランで食事中に、彼は母がその遺伝子を継承していることを自分の体中の深い傷をもって明かす。
両親もギリギリのところで関係を保ってきたのだ。
「お前たちに解決策を授けられず申し訳なかったが、きっとお前なら良い方法を見つけ出してくれるはずだ」
父の言葉に感極まる表情の娘であった。
非常に頭脳明晰な彼女である。
きっとこの娘なら良い方法を見つけられるだろう。

こういった題材の映画では極めてよく出来た作品であった。
ガランス・マリリエールは覚えておきたい。







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ジャズ幻想

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6月15日。
都内某所。
夕方。
雨。
地上からとても高い場所にて、ジャズのシークレット・ライブを堪能した。
(こんな高い場所に2台のグランドピアノとアップライトが1台置いてあるのがちょっと不思議な感覚であった)。

わたしは、ハッキリ言ってジャズには疎い。
友人のS君は、50年代ジャズ愛好家で、わたしが幾つか聴かされたものはどれも贅沢で豊潤な味わいの穏やかなモノであった。
嵌れば癖になるのはよく分かる。聴きながら眠ってしまうような心地よい音楽なのだ。
だが、その当時の自分の心境や置かれた状況から、そこに耽溺できる余裕がなかった。
わたしも、ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレットに チック・コリアにセロニアス・モンクあたりは、そこそこ聴いてはいたが、、、。

さて、今回のシークレットライブは、世界的に有名なジャズピアニストのT氏によるもの。
かなりの枚数のCDアルバムを出されているそうである。
ここでは、コール・ポーターの曲がふたつ、マイルス・デイヴィスの「フラメンコ・スケッチズ」が演奏家のアレンジで聴くことが出来た。それからヴィラ・ロボスの曲(「ブラジル風バッハ」は聴いたことがあるが)やフェリーニの映画音楽が余りに印象深いニーノ・ロータの曲~ここではゴッド・ファーザーであったが~粋なアレンジで、聴き応えがあった。
知らない作曲家のものも幾つか、、、曲名は聞いたが忘れた。そしてオリジナル曲では、わたしも行ってみたいフィンランドのヘルシンキで見たアウラン湖からインスピレーションを得たという「アウラン湖の妖精」が披露された。
所謂、4ビートのスウィング系のジャズからは、かなり離れた複雑な造形だ。
フリージャズではないが、印象派的な色彩を感じさせるカテゴライズを逃れようとするような音楽であった。

圧倒的なテクニックで「表現」される音の洪水にそれは酔いしれた。
ピアノもその会場のオーナーである調律師が選び抜いたNY・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイの極上の二台による演奏である。そりゃあ、CDで聴くよりずっと良い。特に澄んだベース音(左)と煌びやかな高音(右)がともにビビットにクリアに響く。
このピアニストによると、NY・スタインウェイであっても、10台中7台は、外れだそうだ。
ここのオーナーの選んだNY・スタインウェイは、特に素晴らしいものらしい。そしてハンブルグものも、いうことないそうで、やはり調律師は耳が違う。それこそ普段から調律や手入れも十二分に施されているはず。

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終盤のお弟子さんの才能豊かな女性ピアニストとのインプロビゼーションの共演は凄かった。
ふたりが、交互に演奏し合うものだが、その場の緊張感が一気に高まる。
最初の一曲目はうちの娘の白鍵のみの4音によるテーマで、これはとても馴染み易い音楽となった。
2曲目のテーマは、現代音楽風のモダンジャズになりそうなものであったが、ふたりの展開がこちらの予想を超え、実にスリリングでゾクゾクする演奏となった。二曲目が断然よかった。
この阿吽の呼吸の、研ぎ澄まされた演奏そのものに間近に接し、インプロビゼーションの醍醐味もタップリ味わえた。
お弟子さんがかなりアグレッシブな演奏であったのも驚く。モダンジャズというか現代音楽風のフリーキーなジャズが好きそうな気がする。
この次の「ソロ演奏」を聴いてみたくなった。かなり過激な演奏なのではないだろうか。
(わたしは、実験的なジャズロックなどが好きであるため、期待してしまうところがある)。

そして予想外の(わたしにとっての)嬉しいハプニングいやサプライズか。
一曲だけだが、フルートが絡んだ。
フルートはわたしも大好きで、幼少の頃、吹いていた(笑。
今も随分の間吹いていないムラマツのフルートがある。
そして曲が”フォーレのパバーヌ”なのだ。
あの哀愁あるたまらない曲!「ギター伴奏のフルート」でよく聴いたものだ。
これはもう、涙ものだ。
(わたしは、やはりクラシックが好きだ)。

だがこのチューンはジャズアレンジだが原曲の哀愁がタップリ味わえた。
とても惹かれた。
特に、低音部の音の厚さが大変官能的であった。
わたしは高音の伸びより分厚い低音にドギマギする。
(かつて習っていたころ、あなたは低音がとてもよく出るわね~と褒められた影響もあるか(笑)。
直ぐに演奏者に声をかけ、ファーストアルバムを購入した。
セカンドよりもクラシックのポピュラーな名曲がタップリ入っており、パバーヌがあるのは、こちらだから。
しかし、家で聴いてみると、フルートは変わらないが、この日に聴いたものの方が伴奏が良かった。
このピアニストと組んでライブアルバムを出して欲しい。
でも”フォーレのパバーヌ”は好きだなあ~。


なお、シークレットライブであるため、プレイヤーのお名前、ライブの場所等全て伏せております。


ここのところ、現代音楽~ミニマル・ミュージックをよく聴いていたこともあって、またダイナミックでセンシティブな音楽を聴いてみたくなった。フルートの音色の影響が大きい。

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アンチ・ヴァイラル

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Antiviral
2012年
カナダ、アメリカ

ブランドン・クローネンバーグ監督・脚本
カリム・ハッセン撮影
アーブ・グレイウォル美術


ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、、、シド(『ルーカス・クリニック』の社員)
サラ・ガドン、、、ハンナ・ガイスト(セレブの美人女優)
マルコム・マクダウェル、、、アベントロス(ハンナの主治医)
ジョー・ピングー、、、アービッド(培養肉を販売する精肉店の店主)
ジェームス・ケイド、、、レビン(裏社会で非合法な商売をしているアービッドの友人)
レイド・モーガン、、、デレク(シドの同僚。ルーカス・クリニックから盗んだ端末で違法ウイルスを製造し儲ける)
ニコラス・キャンベル、、、ドリアン(ルーカス・クリニック社長)
ウェンディ・クルーソン、、、ミナ(ライバル社『タッセル』社長)


デヴィッド・クローネンバーグ監督を父に持つブランドン・クローネンバーグ監督の作品。
スタイリッシュで耽美的で退廃的で自堕落な世界である。
機械もあの毒々しい手触りを感じさせ、それと融合したり変形するソフトマシーンたる悪夢も健在で、見事継承している。
病の蔓延という形で更に踏み込んでいるかどうか、、、。
血筋は充分に感じられるものだが、この先、違いに注意して観てゆきたい。
撮影~絵がとてもシャープでビビットである。
お父さんより洗練された雰囲気だ。

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偶像信仰が高まる社会というのは病んでいる証拠でもあるが、ここでもセレブに異様な執着を持つ社会が描かれる。
「神」の位置に「セレブ」が就くわけか。
こうした志向を持つ個人というのは、いつの時代~場所にもいるであろうが、社会の多くがそれに熱狂し大きな企業が幾つも成り立つというのは、実に異様な事態である。

わたしも(娘も)いくちゃんファンだが、こうしたレベルのファンではない(当たり前だが)。
ここでは、細胞レベルの一体化が図られる。
神を崇めていているうちに自らが神となってしまう(同化してしまう)に等しい。

ひとつは、皮膚や臓器の細胞に拘る。
培養した皮膚を腕に貼り付けて喜んでいたり、、、。食べてしまったり、、、。
しかし、こんな形で取り込もうとする、その対象とは一体何なのか?
「生きた対象~存在」に憧れているのなら、それは対象を対象たらしめる精神に対してであろう。
その精神が輝かせる身体であり、その総体を崇拝(憧憬)しているはず。
こんな、細胞を培養した肉なんぞ食ったり血を呑んだりして一体化の恍惚~幻想に耽るなんて、かなり想像力に乏しい。
というか、あまりに即物的で単純すぎはしないか。
目が良くなるとか言って、魚の目を食べる人にも似ている。
タンパク質~アミノ酸に分解されてはじめて吸収されるのだし、これは女性の拘るコラーゲンについても言えることだ。
一種のカニバリズム幻想でもある。

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もうひとつは、よく分からないのだが、対象がウイルス感染して発病したところで血液を採り、自分にそれを注射して同じ病いになろうというもの。自分だけでなく顧客に一周間後には発病できますよ、と高い値段で売りつけ注射してあげる~そういうお洒落なサービス(商売)なのだ。これで大企業が運営できている。雰囲気は、大変ゴージャスな会員制高級エステサロンみたいな構えである。
しかし、病いなのだ。
病に苦しむのである。これは崇拝するセレブと、どう繋がると言うのか?
ウイルス繋がり、ってもうそれセレブと何の関係も無かろうに、、、ウイルスにとっては宿主なんてどうでもよいのだし。
主人公もしょっちゅう口に体温計を咥え、調子悪そうにしていた。
顧客も同様。
どういう社会なのか。
これは、どういうことなのか?
何を考え何を思っているのか、、、。
特定の変わった人対象ではない(それなら今でも地下組織にあるかも知れぬが)。
そうした需要の絶えない(表)社会なのである。

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みんなが、調子悪そうにしている。
主人公なんて今にも死にそうにしているではないか。
しまいには血反吐を吐き床を這いずり回っている。
だが死にたくはないみたいだ。
しかし抗ウイルス剤なんて使っては意味はない。
何の為に皆、大金払って感染しているのだ。
だが、題名が「抗ウイルス剤」であった!?
一緒に同じ病気で死ねれば本望ではないのか、、、。


しかし人類がこうした形で、病的に先細りしてゆく可能性はあると思われる。
恐らく想像力の枯渇というかたちで。
これは、大変強く実感するものだ。
普通に生きていても実感する。
他者に対する感覚がおかしい。
(身近なところを眺めてみても)。
この映画はそれをグロテスクに捻じって強調しているようにも想える。

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キャストは皆、よかったが、特に主人公のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは秀逸であった。文字通りの迫真の演技である。
彼の演技に乗せられ見切ったと言ってよい。
何やら彼を応援しながら見ていた節もある。
役者の力量によるところだ。
彼が最後に崇拝(いや溺愛)するセレブであるサラ・ガドンの腕を切って血をすするところなど何やら崇高な宗教的雰囲気も醸していた。
いつしかケイレブ・ランドリー・ジョーンズのファンになってしまった。
そういえば、この人、かの名作「スリー・ビルボード」で広告代理店の経営者をやっていた人だ。
注目の俳優だ!







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トランス・ワールド

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Enter Nowhere
2011年
アメリカ

ジャック・ヘラー監督・製作
ショーン・クリステンセン・ジェイソン・ドラン脚本


キャサリン・ウォーターストン、、、サマンサ
スコット・イーストウッド、、、トム
サラ・パクストン、、、ジョディ
ショーン・サイポス
クリストファー・デナム


エイリアン: コヴェナント」のキャサリン・ウォーターストン
パシフィック・リム: アップライジング」のスコット・イーストウッド
シャーク・ナイト」の美しきヒロイン、サラ・パクストン。
基本的に、この3人の演技のみで進む。
と謂うより、エッシャーの疑似空間を核心に向け降りてゆくような垂直的(螺旋)構造を見る。
コンセプトが良く、練り込まれた優れた作品であった。
かなりの低予算に思えるが破れ目は見られない。


見ず知らずの男一人と女二人が森のなかの小屋に迷い込む。
(車のガス欠か車の事故、相手の男に置き去りにされたとそれに至る状況は違うが、小屋で共に過ごす羽目になる)。
前半は迷き込んだ森の山小屋からどうやって脱出するか、それに尽きる。
直線的に小屋から遠ざかろうと移動しても常に小屋に戻ってきてしまうのだ。
夕方からは凍えるように寒く、野営は出来ない。
一か八かの脱出も日のあるうちに限られる。
だが、どうあがいても小屋から逃げることが叶わない。
(パックマンみたいだというトムの言うように)。
カフカ的な世界でもある。

だいたい、ここは何処なのか?
三人の認識が皆まるで違う。
互いに信用できず疑心暗鬼になりそのヒリツク空気が張り詰める。
そして見つけた防空壕に更に戸惑う。
ドイツ語表記にポーランドの地図が壁に貼り付けてある。
ワインの製造年月日からして今は大戦中なのか、いや単なる年代物であるだけか。
そしてここは、ポーランドなのか?どこなのか。そしていつなのか、、、。
どうやら、それぞれが異なる時代(時間流)に生きていたことが分かってくる。
こんな疑問~認識が生じること自体、尋常ではない。
狂気の事態である。

今現在、三人とも不幸であり、それがそれぞれが生きて来た結果であること。
死刑になった母を確認して帰り道に道端に突っ込んだトム、生まれた時に母が死にその後はギャングの生活を続けて来たジュディ。妊娠しているサマンサは、ジュディを生んで間もなく息を引き取ることになっている。
三人とも夢を見るが全て近未来の来るべくして来る光景であり、皆が若くして命を落とすというものなのだ。
このままでは、それを変えようがない。
だが、そこに4人目の人物が現れることで、大きく事態が動く。

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銃を構え殺気立ったドイツ兵である。
(時折、森の中に轟いていた銃声はこれであった)。
そして上空を舞うのは二次大戦中の戦闘機であった。
過酷な任務遂行に当たっている彼はひどく興奮していたが、このドイツ兵が激しく彼らに詰め寄ったのは、ブレスレットに対してであった(相手がアメリカ人では、冷静になりようもないが)。
ここから、一気に見も知らぬ彼らの繋がりが解けてしまう。
彼らの血の系譜が明らかになる。
何故、そこから逃れられないのかも、この文脈の生む地場によるものであった、、、。

ドイツ人の父ハンスと娘であるサマンサ、その娘であるジョディ。その息子であるトムの関係が。
(驚くべきことに彼らは皆、死に分かれており、一度も互いの顔を見合ったことがない関係である。その欠落が引き起こす過酷な養育環境が愛情・愛着関係の不毛を生み、彼らの生き難さと不幸を導いていた)。

ここから大変濃い人間関係~人間性が描かれてゆくところは秀逸と言う他はない。
皆が、時間を隔てた縦の血縁関係にあることを知り、動揺し混乱するも、この状況を変えさえすれば、われわれは全く別の人生を生きる事が出来るという、この磁場からの解放に賭ける。
怒涛の展開である。
この円環構造の外へと、バラバラになりかけていた三人は力を合わせ飛び出そうとする。
ことばのほとんど通じないドイツ兵を予定通りその地で戦死させないことが、全てを好転させることに繋がるのだ。
必死にトムが先頭に立ってこの計画を推し進める。

子どもを毛嫌いしているようであったジュディがトムがハンスに撃たれようとしている時に身を犠牲にして彼を守る。
ジュディを死なせまいとして必死に声をかけ止血しようとするサマンサ。
遂にトムがハンスに撃たれる時に、自分が先に死に、トムが消えることでせめて痛みから彼を救おうとする。
この畳み込む展開のうちにその人間の思いが瞬時に籠められてゆく。

「あなたのせいよ!」と叫び、ハンスの腕を取り、爆撃のなかをやみくもに防空壕にまで駆けるサマンサ。
そこに飛び込み扉を閉めたところで、大きな爆破が幾つも聴こえ、大きく振動を繰り返すが、、、ここで歴史が変わる。
彼らは歴史から解放された。

最後に、素直に優しく育った美しいジュディが母サマンサを労りながら生活をしている様子が伺える。
父ハンスの記事も新聞に載っており、彼は退役後、慈善家として一生をまっとうしていた。

トムは生れてくるのだろうか、、、それだけが気になったが、綺麗なエンディングであった。




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ソイレント・グリーン

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Soylent Green
1973年
アメリカ

リチャード・フライシャー監督
スタンリー・R・グリーンバーグ脚本
ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』を下敷きに。

チャールトン・ヘストン 、、、ソーン(刑事)
エドワード・G・ロビンソン 、、、ソル・ロス(本、資料係)
リー・テイラー=ヤング 、、、シャール(家具、家に付属するメイド~愛人)
チャック・コナーズ 、、、タブ・フィールディング(護衛)
ジョセフ・コットン 、、、ウィリアム・R・シモンソン
ブロック・ピータース 、、、ハッチャー
ポーラ・ケリー 、、、マーサ
スティーヴン・ヤング 、、、ギルバート


古い映画特有の質感が良い。
2022年の近未来デストピアが描かれる。
もう明後日くらいの世界だ。

一年中猛暑が続き、公害で水は汚染され、動植物も激減し、少なくとも庶民の目の前からは姿を消す。
大変な人口増加に加え、極度な食糧難。
所謂、生の食材などの流通は絶え、無味無臭の「ソイレント・グリーン」などの合成食と水が配給されるのみ。
人々は配給時に長蛇の列を作り、配給量が足りないと「暴動」を起こす。
刑事のソーンは毎週、配給時の庶民の暴動鎮圧に駆り出される。
ここで管理社会の人に対する姿勢が露骨に現れる場面が、人々をパワーシャベルで石ころみたいに掬い上げて捕えているところである。単なる物というか頭数に過ぎない。とは言えわれわれも統計上の数に過ぎなかったりする。

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富裕層は豪邸に住み、そこには「家具」と呼ばれる美しい娼婦?が付属する。
水もお湯もエアコンも使い放題で、生の野菜や果物、肉などの食材が冷蔵庫に保管されている。
ちなみに、ソーンとソルが共同で住むアパートでは、電機は脚漕ぎ(自転車)で発電していた。
上流層では、香りのよさそうな石鹸があったり、リビングにでかいゲーム機器が置いてあったりと、、、。
貧富の格差はここまで進んでいた。

貧困層は、夜など建物の階段に折り重なるように寝ている。
施設の床にも隙間なく寝ている。
こうなると、最早生活水準とかいうレベルではない。
辛うじて生きながらえている状況だ。
社会としてみれば、これは言うまでもなく、Degenerationではないか。

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刑事であるソーンも金持ちの家で事件~殺人などあると、現場検証したついでに金目のものや食料を枕カバーに入るだけ入れてかっさらってしまう。何とも浅ましい。
そこで得た戦利品をソルと共にひとつずつ眺めては、昔を懐かしみ感動しているところなど、何とも言えない。
しかし、生の野菜をフォークで食べ、リンゴを丸かじりし、牛肉で作ったシチューを味わってボトルの酒を呑んでいる時のふたりの表情を観ていると、こちらまでニンマリしてしまう。妙に共感するところがある。食生活は大事なのだ。
ソルへのお土産として書物をプレゼントする。もう本など一切売ってはいないのだ。
まあ、酷い未来である。
1970年代初頭に考えられた2022年。明後日くらいに迫った未来。
こうはならないにしても、気象異常と人口増加は他人事ではない。
人を人とも思わぬ管理社会という面においても。

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「本」(情報収集にあたる知識人)や「ホーム」(高齢者を安楽死させる施設)や「家具」(豪邸付属の美女)など、人のモノ化~記号化は、この映画の隅々まで行渡っていた。

主人公のソーンは、「ソイレント・グリーン」を製造する企業の上層部の有力者(弁護士)が暗殺された事件を追ってゆくうちに、その背景には巨大な組織が控えていることを推察する。
ソルが「交換所」で例の書物の内容を他の「本」たちと検討し合い「ソイレント・グリーン」が実は何であるか、その恐ろしい事実をついに突き止める。
ソルはその足で「ホーム」へ行き、ベッドに横たわってベートーベンの「田園」を聴きつつ、昔の地球の荘厳な自然の光景が広がる映像を眺めて静かに死出の旅に出ようとする。
だが、そこへソーンが駆け込んで来て、ガラス越しに相棒との最期の対話を果たす。
「証明するのだ。交換所へ行け。全てをあばけ」と、まさにソルの遺言である。

ソーンは独り密かに、ソルの遺体が運ばれる先を追ってゆく。
廃棄物処理場からベルトコンベヤーに乗って運ばれてゆく死体の群れは、ソイレント・グリーンとなって流れ出していくのだった。
ソイレント・グリーンが海洋プランクトンから生成されると言うのは全くの嘘であった。実際はプランクトン資源も枯渇しており、人は人を食っていたのだ。

それを突き止めたソーンは、警備兵との激しい撃ち合いとなり自らも撃たれて重傷を負う。
逃げ込んだ教会で最後の死闘となり死力を尽くして敵を倒す。
上司に隙を見て連絡していたため、瀕死の状態で警察に救助される。
「交換所に行って本は正しかったと伝えてくれ」「海は死にかけている。ソイレントの原料は人間なんだ。証拠は掴んだ」と言って担架に運ばれてゆく。
「牛のように人間を飼育するぞ。彼らにそれを伝えてくれ」「何とかして奴らを止めろ」と血に染まった指を突き出し叫ぶ彼に対し、上司は判った、必ず伝えると返すが、、、。
その担架が病院に向かったようには見えない。





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マザーハウス 恐怖の使者

THE HOUSE AT THE END OF TIME

La casa del fin de los tiempos    THE HOUSE AT THE END OF TIME
2013年
ベネズエラ

アレハンドロ・イダルゴ監督・脚本
ヨンカルロス・メディナ音楽

ルディー・ロドリゲス
ゴンサーロ・クベロ
ロスメル・ブスタマンテ
ギジェルモ・ガルシア


2011年11月11日の11時11分11秒である。
ここからの怒涛の展開に唖然とする。
ちょうど後30分で終わりという時点である。
それまでに敷かれた細やかな伏線全てが見事に回収されてゆく。
鮮やかにブーツストラップされる。
非常に丁寧に構成された作品であることが分かるところだ。

時系列を入れ替えつつ展開するドラマはよくあるが、それらは主人公の回想をその都度差し挟むような形式であることが多い。
この物語は、家の中で文字通り、その時間流が唐突に現れる。
そして、上記の時間に、何と1981年11月11日と今現在2011年11月11日と1981年11月の初旬に怪しい侵入者に怯えたその夜、
この(3つの)時間流がひとつの家のなかに鬩ぎ合う。
家族はその流れに怯え翻弄される。
その過程で衝撃の事実が次々に明かされてゆく。
観ているこちらとしても、最初のシーンの謎から全てが解かれてゆくのだ。

もっとも意外な真相は、1981年11月11日、弟の葬儀の夜、夫を殺したのが2011年に生きる老母であった、というもの。
(彼女~まだ若い母は何も分からず夫と息子殺害の罪で逮捕され終身刑となったのだが、実は30年後の自分が手を下したのだった)。この女性は過酷極まりない30年間もの服役を予め済ませた後に罪を犯したのだ。
老母は、迷った挙句、息子の先天性の心臓病の治療の為、彼を1981年から2011年の世界に自ら連れ去る。
この辺の動きは全て序盤の動きの対象構造である。
そして涙なしには観られない、司祭と少年レオの関係を明かす握手と更に、例のムーンストーンを持つ若い女性との出逢い。
ここには思わず感動した。見事にやられた。

この点において、この物語は、チャチなご都合主義的な物語を組むためのタイムワープファンタジーとは全く異なるものである。
個人の超能力で自在に時間を駆け巡る類のものではなく、登場人物はごく普通の市井の人で、主体は「家」というブラックボックスと謂えるか。
敢えて言えば歳をとった者の方が時空を俯瞰する立場にはあると言えるが、(空間化した時間を)自在に振舞える人などいない。
行為は、自分の意思でそうした、というより、そのお膳立てが成されたところで、選択を迫られる形で彼らは突き動かされている。
そしてある意味、全ては仕組まれている。ここに自由意志や偶然の入り込む余地などない。

しかし「家」の磁場みたいな物質性が今一つ感じられない。
司祭がこの家の歴史を調べると、イギリス人のイブラハム・エックハルトの建てた家であることが分かった。
彼は、「生命体の絶対的な真実を突き止める」為にこの地に屋敷を建造したという。
「この地」に拘ったということは、「家」はこの地の特殊な力を発動させる装置なのか?
この家は異なる時間流が交錯する「場」のようだが、その構造~作りに説得力が欲しい。
(これまでにも居住者が失踪を繰り返してきたようだ)。
その辺の説明が、その設計者の記録・思想・研究・設計図、いずれかの形で(オカルティックな疑似理論でもよいから)少しは欲しい所ではある。



ホラーテイストを演出に利用しているが、ホラー映画ではない。
この邦題ではまずわたしの触手は動かない。
Amazonプライムで、何故か出逢ってしまったので、観てみたというところ。
絆と愛情(そして憎しみ)を巧みな切り口で描く斬新な映画であった。
こう書いてしまっては身も蓋もないが、、、。
SF映画として観た方が良いか。

複雑な構成の噺の為、ポイントのみを備忘録として記して置きたい。
1981年。ドゥルセは、夫ホセと長男レオを殺害した罪で終身刑を言い渡される。
30年間の服役後、高齢の為、自宅に戻される。
警官監視のもと、司祭がカウンセリングの形で定期的に家を訪れる。

失業して久しいファン=ホセにもう匙を投げている妻ドゥルセは、彼と激しい言い合いとなり険悪な関係は深まる。
ドゥルセは子供には愛情を注いでおり兄のレオにムーンストーンを手渡し「怖いときにこれを握ればわたしが助けに行く」と告げる。
(ホセも子供思いの普通の父親である)。
その夜、不審な侵入者が部屋に押し入ろうとする。
その不審者は息子レオにも接触したようであった。
レオはロドリゴと遊ぶな(3日ほど)と言われ、母宛ての手紙も託された。

レオは親しい遊び仲間(恋心も抱いていたか)であるサライがロドリゴと恋人気分で付き合っていることに嫉妬を覚える。
ロドリゴは子供らしい愛の証としてサライにムーンストーンを握らせ、怖いことがあったらこれを握れば助けに来ると言う。
(幼い子供の心理でありどちらにどのような思いを抱いたのかは定かではないが、レオは攻撃性の矛先を弟に向けてしまう)。
野球の試合でレオの打球がピッチャーのロドリゴを直撃し倒れた際に後頭部を強打し弟は亡くなる。
その葬儀でレオとサライはムーンストーンをそれぞれが持っている!
(量子のような振る舞いで、ひとつのムーンストーンが二人の手にある状態である)。
これが1981年11月11日である。
葬儀の後でレオはマリオに「いつまでも親友でいてくれ」と頼む。彼ははっきりと同意して彼らだけの握手を固くする。
この日の夜。映画の冒頭の悲惨な事件が起きる。

それまでの実情をドゥルセから聞いた司祭は、この不吉な家について徹底して調べる。
すると特異な理由で建てられ、すでに何度も失踪事件が続いている曰く付きの物件であったことを突き止めた。
その後、司祭は自殺を試みるドゥルセを思いとどまらせ、11月11日の11時11分11秒に何かがある。それまで待てと説く。
この「11 11 11 11 11 11」というメッセージは老人の姿をした亡霊が鏡に残したものであった。



2011年11月11日の11時11分11秒。

悲しみに沈むホセがひょんなことから、妻の隠していた手紙を読んでしまい、レオが心臓病で死んだ男とドゥルセとの間に出来た子供であることを知ってしまう。
妻は離婚を迫り言い争いが絶えないうえに、実の息子を事故とは言え死に至らしめた長男が実子でなかったことを突き付けられ、ホセは完全に精神のコントロールを逸してしまう。彼は激情しレオに強い殺意を抱く。
(これについては、ドゥルセは託された手紙「父がレオを殺そうとする」により知ってはいた。更に占い師からも同じことを聞かされていたのだ)。

ドゥルセが部屋に入るとなかには若い自分がいた。
タイムワープを悟った彼女は、すぐにレオに遭い、自分の素性を明かし、例の伝言を伝え手紙を託す。
つまりふたりとも死なずに済むように、と。
それからレオは死んだはずのロドリゴに再会する。「お前が大好きだ」と言って抱きしめ母から貰ったムーンストーンを彼に手渡す。
「怖いことがあったらこれを握ればすぐに助けに来る」と言って。
この時貰ったストーンをロドリゴはサライにあげていたのだ。
その直後、レオは家で出逢った父に「ロドリゴは生きていたよ」と伝えるが、父は「お前は俺の息子ではない」と包丁を振り回し彼に追いすがる。懸命に逃げ回るレオ。

ドゥルセの前に刃物を手に持つ老人が現れる。この老人によって全ての謎が解かれる。
何と彼は2071年から来たレオだという。
そしてこともあろうに、自分を殺そうとしている30年前のホセ~義父を殺してくれと頼むのだ。
1981年の医学では助からぬ先天性の心臓病(実の父と同じ病)が、2011年の医学では治癒できるから助けてほしいと言う。

彼女はレオを今にも刺し殺そうと襲い掛かったホセを逆に刺し殺す。
そしてレオをその姿のまま2011年に連れ去る。
その時代に彼女の境遇で到底、レオを養育することなど出来ない。
ドゥルセは、司祭にレオの将来を託す。
彼はそれを快く引き受ける。
白昼堂々と警察官にも真実を述べ自分の営む孤児院にレオと向かう司祭。
手を差し伸べた司祭と握手をし、レオは全てを悟る。彼こそ成長した親友マリオであった。
レオは弟に会いたいというと「最後の審判の時にきっと会える」とマリオは答える。
そして通りかかったマリオの友人である女性にレオを紹介する。
彼女はムーンストーンを持っていた。彼女こそ大人になったサライであった。ふたりとも同時に相手を認識する。
成長した親友と恋人に彼は発病前の子供の姿で出逢ったのだ。





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ミスター・ガラス

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Glass
2019年
アメリカ

M・ナイト・シャマラン監督・脚本・製作
ウェスト・ディラン・ソードソン音楽

ブルース・ウィリス、、、デヴィッド・ダン(不死身の肉体を持つ)
サミュエル・L・ジャクソン、、、ミスター・ガラス~イライジャ(94回骨折をしてきた頭脳明晰な車椅子の男)
ジェームズ・マカボイ、、、ケヴィン・ウェンデル・クラム(24の人格の中のひとり。ケイシーの彼。ビーストは無敵)
アニヤ・テイラー=ジョイ、、、ケイシー・クック(前作でビーストに助けられた女性)
スペンサー・トリート・クラーク、、、ダンの息子
シャーレイン・ウッダード、、、ミスター・ガラスの母
サラ・ポールソン、、、精神分析医(世界の均衡を維持する組織の幹部)


わたしはこの物語につながるものは、「スプリット」しか見ていない。
「アンブレイカブル」は見ていないが、「スプリット」とこれだけでも内容に浸ることは可能だ。
個と共同体との間の相克の歴史の新たな一遍を見た。

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噺は静謐で不安にうねり反復する音楽とともにじわじわと進展する。
最終的に、かなり感動した。
「失意の者たち」が自らを取り戻す。この流れにとても共感する。
「信じてほしい。普段人を信じるときみたいに」
スーパーマンとしての承認欲求ではない。
矮小化され抑圧された自己の解放~超脱の過程を。その結果の今の姿もそのまま受け容れてほしいのだ。

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ガラスの次の言葉~
われわれの真の能力を自覚させたくない勢力がある。
持てる能力を完全に信じ覚醒するところを目の当たりにすれば、他にも目覚める者が現れる。
信念、その存在は伝播する。
自分を信じる者が次々と現れるだろう。
~この件には感動した。
自分を信じることにかなりの苦難~膨大な時間を浪費する、ことは多い。

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彼らの能力を誰よりも恐れる精神分析医(ある巨大組織の手先)は騙る~
均衡を維持し秩序を保つこと。
われわれは善も悪も止めたいのだ。
神々は我々の中には存在しない。
身近に神などあってはならない。
このやりかたでわれわれは10000年の間、秩序を守ってきた~
そう全ての権力は、多くの人間を去勢し矮小化し搾取して操って来たのだ。
そして彼らのような超人を患者として扱い目撃者のいないところで処理し、全て事無く収めたかに見えた。
(しかし3人は「本物」であった。ガラスは一枚上手であった)。

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彼らの存在の証は、ガラスの緻密な策略により外部に溢れ出てゆく。
全ては明かされ世界中に拡散してしまうのだ。
彼女が設置させた100個以上もある施設のカメラが全てを録画していた。
ガラスはそのカメラをフルに活用し、彼ら3人の姿がしっかりカメラに収まるように仕向けた。
彼らを始末した後、バックアップも含めデータを完全消去したが、すでに防犯カメラの映像は個人サイトにライブ配信されていた。
後の祭りである。全てガラスの仕業であった。

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ヒーロー誕生の記録であった。
3人とも亡くなってしまうが、その姿を目撃した人々にメッセージとして託される。
ケヴィン・ウェンデル・クラムも他の人格を抑えて最期まで「照明」を握る。
彼はケイシーに見守られて息を引き取る。

後に残ったダンの息子とガラスの母とケヴィンの恋人のケイシーの3人が、超人3人の生きた姿が拡散されてゆく様子を確認する。
全ての均衡を突き破って、人々が真に知るべき情報が、彼らの端末から意識を直撃し深く揺さぶり始めることだろう。

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ザ・マミー

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Vuelven
2019年
メキシコ

イッサ・ロペス監督・脚本

パオラ・ララ、、、エストレヤ(母を待つ11歳の少女)
イアニス・ゲレロ、、、シャイネ(ストリートチルドレンのリーダー)
ロドリゴ・コルテス
テノック・ウエルタ

ほぼ、子役だけの映画とみてよい。
堂々とした演技だ。
パッケージにギレルモ・デル・トロ監督からの高い評価が載っていたが、彼の「パンズ・ラビリンス」と同等の基調を感じる。
(向こうの方が装飾性が高く耽美的ではあるが、しかし共に繊細で稠密な作りである)。
とても暗い空間が多く、フィルム・ノワール的な雰囲気~要素が強い。
メキシコの現実の恐ろしさとその闇の深さに引き込まれてゆく。

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母が何者かに連れ去られ、独り家に残されてからエストレヤの身辺に不吉な影や不気味なクリーチャーが現れる。
これは彼女の白日夢か幻想か、それとも、、、。
お腹も空く。母もおらず学校も暫く閉鎖となり(戦争か)もはや日常の時間は立ち消えた。
彼女の歩く後に血液の流れが走って行ったり、不在の母の囁きがはっきり聞こえたり、壁のトラの落書きが動き出したり(アニメーション)、人形が動いて喋ったり、飛翔するクリーチャーがスマホに飛び込んできたりと、、、
心象界と現実が混在・錯綜するかのような場に彼女は入り込む。

家にいるのが怖くて、ストリートチルドレンのねぐらに彼女は逃げ込む。
(彼らも親や兄弟をさらわれ臓器売買の業者などから逃げて潜伏している年端もいかぬ少年たちであった)。
はじめはなかなか彼女を受け容れない少年たちであったが、人身売買や麻薬密売組織の男で彼女の母を誘拐したと思われる人物が殺されてから、彼らはその一味に命を狙われ始める。
共に逃げながらエストレヤとシャイネの距離が縮まり、ほかのメンバーも彼女に打ち解けてゆく。
少年たちのリーダーのシャイネがその殺された(当初はエストレヤが撃ち殺したと勝手に思い込んでいた)男から盗んでいたスマホを彼らは取り戻しに来たのだった。
そこには、その組織のボスで議員に立候補している有力者の男が誘拐してきた女たちを拷問にかけ撃ち殺している現場の動画が保存されているのだ。
(実はその動画で殺されていたのがエストレヤの母であった。それを確認したのがシャイネである)。
そのデータが漏れては選挙には勝てない。手下と共に血眼になって追ってくる。

スマホを持って逃げることは居場所を教えながら逃げるに等しい。
とは言え少年たちにとっても動かぬ証拠であり、それは手放せない。

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但し、それは少年たちにとり事実関係の確証とはなっても実際に証拠として法的な有効性は極めて覚束ないものであった。
その動画を見せられたパトロール中の警官は見なかったことにして少年たちから逃げ去ってしまったのだ。
これこそ嘘だろというような現実であった。
メキシコの現実の怖さの一角を見た思いである。
もう少年たちで何とかするしかない。
エストレヤは何度も母から「その男をわたしたちが捨てられている場所に連れてきて」という声を聴いていた。

少女は先生からかつて渡された願い事の叶うチョークを持ち歩いてはいたが、自分の精神的な危機には取り敢えず効いたが、他者には効かなかった。
後半から仲間の少年が無残にも追手のギャングに撃ち殺される。
そして連中のボスとの取引の際、スマホをすり替えられたことに気づいたボスにシャイネも撃ち殺される。

彼女の母といい、年少の少年(と彼のトラの縫い包み)もリーダーのシャイネにしても、死んだ後に彼女のもとに現れる。
しかも実際に物理的に状況に働きかけるのだ。
現実よりも確かに。いや彼らが現実なのか。
母の何度も呟く呼び声通りにその男を、殺された母たちの遺体置き場に誘導することとなり、そこに閉じ込めるとすでに死んでいるシャイネが手榴弾(死んだ幼い少年のクマの縫い包みからもらった爆弾)で内側から爆破してしまう。

もうこれは想念界=現実の闘いか。
幻想的ではあるがファンタジーなどと言えない、救いのない重く悲惨な磁場での出来事が描かれている。

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ホラー映画として広告が出ているが、現実のメキシコの恐怖の実情を母をある日突然奪われた少女の視座から描いたものであった。
その意味で確かに恐ろしい。






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ファースト・コンタクト

The Beyond009月2

The Beyond
2017年
イギリス

ハズラフ・ドゥルール監督

ジェーン・ペリー、、、ジリアン(「スペースエージェンシー」所長)
ノエリーン・コミスキー、、、ジェシカ(ジリアンの親友の科学者)
トム・クリスチャン
デビッド・ベイリー、、、ヤコブ博士
エズラ・カーン

The Beyond003

モキュメンタリー形式で科学番組の特集を観る感覚に近い。
こういう感じは好きである。

地球衛星軌道上に突然現れた謎の現象。国際宇宙ステーションの近傍でもあった。
船外作業をしていたマルセル飛行士は強烈な光に呑み込まれ姿を消す。
どうやらそれはトンネル状の構造をもっているらしくヴォイドと名付けられ、スペースエージェンシー(国際的宇宙関連組織)によって解明が急がれる。
そこに生命の存在を示す1420メガヘルツの電波が観測されたことが大きい。
もしやそれがワームホールで、そこから覗く天体らしき球体が知的生命体の惑星であるならば、ファーストコンタクトの願ってもない貴重な機会となろう。科学者たちが一斉に色めき立つ。

それと機を同じくして巨大な球体の雲のような物体が世界各国上空に現れ留まる。
各国の軍は緊急体制を取り動きに対して身構える。
人々は恐怖と不安からその物体の排除を訴えるデモを起こしたりする。
今一つ世界の人々への政府(いや国連か)の見解と説明がどうなされたのかが不明である。
それ次第では大きなパニックが起きかねまい。

この事態に対し所説入り乱れるが、どれも的外れな見解に思える。
あまり説得力を覚えない。
ともかく、そのワームホールみたいな裂け目が消える前に、その中を調べようということで、無人探査機を飛ばすがいまひとつ詳細なデータが得られず消失してしまい、飛行士を向かわせたいが、人体が耐えられるような環境ではない。
そこで、秘密裏に開発が進められていた「ヒューマン2.0」計画が実行に移される。
倫理面で大いに問題を抱えこれまで政府から容認されなかった研究であるが、この事態から緊急に実施される運びとなった。

The Beyond001

人の脳を強靭な人工人体に移植し、生身の体では対応できない環境下でも任務の遂行を可能にするプロジェクトである。
ここで肝心なことは、一たび移植を実行するともう元には戻れないということだ。
生きていても違う身体に生きるわけであり、以前の生活には戻れないことを意味する。
それを理解したうえで参加する人を募集するが、癌に侵された人や下半身不随の人や野心的な元軍人や宇宙で専門知識を活かしたい人などが集まる。
様々な能力、適性テストを経て、下半身不随の男性がその認知能力の高さから選ばれる。
だが、移植の際に脳と人工身体(接続する神経系)の拒絶反応が出て、(ニューロンの混乱により)脳がオーバーロードしその男性は死亡する。

研究者はショックを受けるが、時間的猶予はない。
より適応力を高める工夫と改良が加えられ間を置かず二度目の試みとなる。
人工ボディ(合成ジェルの神経系)に脳を移植する体の細胞を予め注入し脳との親和性を高めることで、拒絶反応を回避するのだ。
今度は全スタッフの生体サンプルから酵素に適合する人間がピックアップされた。
なかでももっともふさわしい人間として、ジリアンの親友のプロジェクトを熟知する科学者であるジェシカに白羽の矢が向く。

The Beyond004

ジェシカは悩んだ末に決心する。
そして再び移行が行われた。
彼女は適合を示し、融合は成功する。これはある意味、神の領域ともいえるか。
史上初めての意識と機械の融合である。
音声合成装置が不具合を起こし、それは付け替えることになった。

宇宙船には、武器を腕に仕込んだ兵士型ヒューマン2.0も同乗しヴォイドに向け飛び立った。
そして思ったよりも遥かに早く地球に帰還した。
僅か数日で帰ったのにジェシカの脳には数年分の情報が蓄積されたことがトランスコーダーを繋ぐことで分かった。
地球の時間と向こうの時間の流れは大きな差があるのだ。

彼女の記憶の解析から観た光景が再生される。
凄まじい圧力と光に呑み込まれたかと思うと知らぬ間にジェシカは見知らぬ惑星に降り立っており、そこで霧のような不定形な存在の出向を受ける。そのなかに消息を絶ったマルセル飛行士が現れ、彼から「何も心配ない、時が来た」というメッセージを直接意識に受ける。彼はしっかり生存していたのだ。
同乗した兵士型はいつの間にか宇宙船の外にいて、腕の武器の大爆発と共に跡形なく消えた。

彼女が目覚めたころ、大量の宇宙デブリが地球に壊滅的被害を及ぼす規模で降り注いで来る。
この時、一斉に宙に待機していた球体が蠢き大きく巻き上がり、衝突を全て防いでくれた。
ここで相手の意図が明確になる。
地球は救済に値するという判断の下での行為であった。
(コンタクト用に用意した地球の歴史を詰め込んだ記録ドライブを元にした判断であったようだ)。

誰もが自分たちの他者に対する自動的な反応に自覚的になる契機でもあった。
ジリアン博士は脅威に対する攻撃の構え以外の対応~判断をする必要性を説く。
軍は未だに懐疑的であったが。
マルセル飛行士も何も覚えていないが無事地上に発見される。

そしてヴォイドの消えた後、地球の近傍に新たに地球そっくりの惑星が突然、生成される。
アース2と名付けられたその星は、人口急増と汚染、資源欠乏に危ういところに立つ地球人にとって神の恩寵以外の何ものでもあるまい。
彼らが何故、そこまでしてくれるのか。
ただし、われわれは過去に学ばねばならない。同じ過ちは許されない。
という認識を新たにするのであった、、、。


太陽系の重力バランスが気になるエンディングではあった、、、。
太っ腹の宇宙人である。

コンタクト」、「メッセージ」を思わすSFであったが、、、。




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宇宙人ポール

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Paul
2011年
イギリス・アメリカ

グレッグ・モットーラ監督
サイモン・ペッグ、ニック・フロスト脚本

サイモン・ペッグ 、、、グレアム
ニック・フロスト 、、、クライブ
ジェイソン・ベイトマン 、、、ゾイル
クリステン・ウィグ 、、、ルース
ビル・ヘイダー 、、、ハガード
ブライス・ダナー 、、、タラ
ジョン・キャロル・リンチ、、、 モーゼス
シガーニー・ウィーヴァー 、、、ビッグ・ガイ


グレアムとクライブの主役二人が脚本なのだ。
なるほど。
こういう風に運びたかったのだ。
オタクだ。

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ポールは基地に捕らわれていた時に、いろいろと地球人に協力して来たという。
スピルバークにもアドバイスをして来たそうだ(スピルバーク本人の声で出演していた)。
この60年間、地球の大衆文化に多大な影響を与えて来たらしい。
ポールらしい(爆。

19分くらいのところで、トッドラングレンの”Hello Its Me”が絶妙な距離感でかかった時はどぎまぎした。
一瞬、誰の何という曲か分からずに聴いている時のゾクッとする遊星的郷愁たるや半端ではなかった。
名状し難い事象に触れ宙吊り状態にあるときのめくるめく高揚。
それは曲名が分かったところで、ふと覚め着地してしまう。
日常において、こうしたワクワクにもっと触れる機会は持ちたい。
もっと長く。

御話は、コテコテの”典型的なグレイ”のフィギュアの宇宙人がコミコン帰りの偶々出逢ったオタクの地球人の助けを借りて宇宙に還るというもの。
何なんだという感じだが。
宇宙人は妙に世慣れした癖の強い人間いやアメリカ人そのものという感覚の宇宙人だが、地球が長いと感化されるのか。
アメリカ宇宙人ポールとイギリスからコミコンとUFO関係の聖地巡りにやって来たオタク2人とのロードムービーである。
(後半から女性が2人加わるが)。

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ポールは米国政府から用済みとなり身の危険から逃亡を図ったというが、軍事に転用できる情報などは伝えなかったとみられる。
(情報自体持ってなかった雰囲気もないでもない)。
ポールには、治癒力と保護色化(透明化か)更にテレパシー能力があるがその為、残るは解剖されて研究材料になるだけのようだ。
ここへ来て仲間に連絡し連れ帰ってもらうのだという。
(随分、長くゆっくりしていたものだ)。
キャラが面白くて目が離せなくなる。

2人のオタクもクリンゴン語とか、他の映画のオマージュとしてセリフやらネタやら沢山決めているみたいだが、わたしとしてはその辺を探して面白がるほど詳しくはない。
それでもあちらこちらで充分にんまりは出来た(知っているものもあった。ビッグ・ガイに吐いたことばなど(爆)。

それからオタク2人のイギリス人というアメリカにおいてのエイリアンの立場から見て、カフェで出逢ったおっかない所謂レッドネックたちやゾイルのパパのキリスト教原理主義者は、ある意味、ポールのようには到底馴染めない地球人なのだ。
その辺の対比もコミカルで面白い。

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シガーニー・ウィーヴァーを最後に実に勿体ないというか贅沢な使い方で締めていた(笑。
よく練られたコメディであり、ミスタービーンを観る感覚で愉しめる。
ポールを連れ帰る宇宙船の母船の超巨大でゴージャスなこと。
これ程圧倒的な科学力であったのか(ポールを観る範囲では到底想像もつかない)。
ワープしたか夜空に忽ち消えて行った(笑。

ともかく、リドリー・スコットの”エイリアン”の対極の宇宙人も過激と謂えば過激であった。



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カウアイ島

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わたしは、ハワイはカウアイ島だけ行っていない。
ハワイに行ったらカウアイ島に行かなければ話にならないとみんな言うがそれはよく分かる。
カウアイ島専門でじっくりその地を堪能してみたいとは思っている。
(というが、まだまるで知識はない。旅行ガイドというのを見るのが好きではない為か)。

1年に350日雨の降る、雨によって地形の出来た島である。
虹が凄いスケールで見る事が出来、サークルレインボー(真丸の虹)でも有名だ。
これは是非見たい。そして”ナイトレインボー”である。ブロッケン現象というのもこの目で見てみたい。
何より売りは、「太平洋のグランドキャニオン」と呼ばれるワトメア渓谷だろう。
あのジェラシックパークもその辺で撮影したとか聞くが。
そう大きな滝の近くをヘリが飛んでいたっけ。
雨が多い為、滝が至る所にあるとか。これは壮観だ。

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カウアイは海底からのマグマの噴出によって出来たハワイの島で最も古いものだそうだ。
北から順番に出来て行ったかたちになったので一番新しいのはハワイ島であり、今でも火山活動が活発だ。
(マウナロア、フアラライ、キラウエアはまだマグマ源から切り離されていない)。
もうマグマ源からとっくに切り離されているので(プレート移動の為)、カウアイに火山の心配はない。

ただ、トカゲやムカデがホテルのベッドにやって来ると知人から聞いて、どうも二の足を踏んでいる。
(うちの家族は野菜に小さな腹ペコアオムシが付いていただけで大絶叫なのだ)。

TV特集でざっと見たが(途中で眠ってしまったのだが)火山の溶岩の層で出来た壁面がどこも細かい土になっており、石~岩に見えるところも皆角が取れて丸くなっており、内側から侵食されてボロボロになって崩れてゆくのだそうだ。
全て雨による浸食作用である。
この地の石は、河の流れで丸くなったのではない。
雨が外側から石を削り、火山岩の微細な穴に雨が入り込み内側からも砕いてゆくのだ。

雨の力をまざまざと大変なスケールで見せつけられる。

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水の島だ。
オヒヤの木は雨で根を深く地に張ることが出来ないため、幹から根を生やし大気中の霧から水分を吸収しているのだという。
まるで、多肉が妙なところから根を一杯垂らすのに似てはいる(用途は違うが)。
その他、固有種の植物や鳥がかなりいるというのも、魅力である。
(これこそが一番の魅力だ)。
葉にワックスが付いていて雨滴を全て滴らせてしまう木や、雨が花弁にかからないよう筒状に曲がった花弁を持つ木など、、、。
多様な植物の宝庫か。
雨に適応する術を皆身に付けているのだ。

TVでも雨の中の島の探検をしていたが、雨音と葉の踊りが心地よくそのまま眠ってしまった、、、。
録画してあれば、睡眠に効くとても気持ちの良い環境ヴィデオともなるはず。
わたしは宮古島の海岸の音を録音したCDを長いこと寝るときにかけていた。
雨~滝と緑と虹は心身にとてもよいと思う。

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この続きは、そのうち家族で行って確かめることにする。
恐らく探検が大変な分、ホテルは良い所を選びたい。




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さらば冬のかもめ

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The Last Detail

1973年
アメリカ

ハル・アシュビー監督
ロバート・タウン脚本
ダリル・ポニクサン原作

ジャック・ニコルソン 、、、ビル・バダスキー(海軍下士官)
ランディ・クエイド 、、、ラリー・メドウズ(護送される海軍新兵)
オーティス・ヤング 、、、マルホール(海軍下士官)
キャロル・ケイン 、、、売春婦


これはさすがに「報告書」には書けないねえ。
「さらば冬のかもめ」で雰囲気は出ていると思う。良い邦題だと感じた。

ラリーは募金箱に手を出し40ドル盗もうとしたが未遂に終わった若い水兵であったが、その箱を設置したのが隊長夫人であった為、8年の服役と海軍除隊を命じられる。大した罰である。偽善慈善事業を容易に思わせる。
ビルとマルホールがその海軍新兵をポーツマス海軍刑務所に護送する任務にあたるのだが、、、
2日あれば到着する場所に何故か一周間の時間が与えられその間の日当もシッカリ付く。
ふたりの海軍一等兵曹はすっかり慰安旅行気分である。
前半、何度か流れる調子のよい「アメリカンパトロール」が、この一向には妙にぴったり合っていた。

若い新兵は護送中のバスで持ってきたお菓子を次々に食べてゆく。
身体は大きいがまだ本当に子供であることが分かる。
顔つきも幼い。

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どうやら話を聞くと手癖が悪く、自分で欲しいと思わなくても知らぬ間に何やら盗んでしまうという。
ビルはそれに対し、刑務所ではなく病院に連れて行くべきだと呆れる。
(どうやら、幼少年期の生育環境の影響も大きいように見受けられた)。
新兵の身の上話など聴きながら行動を共にするうちに次第に打ち解けてゆき、彼に対する同情も深まる。
両親の離婚などかなり辛い少年時代を経てきていることも知り、ビルの分析では、奴はこれまで酷い生活を経験してきたから刑務所に自ら入りたがっているという。
だから手錠を掛けたり殊更見張らなくても大丈夫ということだ。
実際、ラリーも2人をとても慕っており、彼らを困らせることはしたくないと言う。

当初は、手っ取り早く奴をポーツマスに送り届け、2人でゆっくり旅を楽しみ帰ってこようという目論見であったが、ラリー中心の旅へと完全にシフトしてゆく。

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40ドルを盗みそこなったことで、除隊の上に8年である。青春期の多くの時間をそこで費やすのだ。
ビルとしては、ポーツマスに着くギリギリのところまでは、ラリーを精一杯愉しませてやろうという気持ちである。
真面目なマルホールとしてはその逸脱ぶりには批判的ではあるが、一緒に乗っかっている。
未成年なのに酒を飲ませてやったり、日蓮正宗の伝道所~創価学会を見学して題目を唱えることを覚えたり、トイレで出逢った海兵隊に喧嘩を売って喧嘩を体験したり、好みのハンバーグ(料理)でなければケチをつけ作り直させることを覚えさせたり、ダーツの賭け事で儲けてみせ、分け前を与えたり、とても旨いホットドッグをご馳走したり、最後の夜には売春宿に連れてゆく。
少しでもこの時期に経験することをさせてやりたい2人の親心ではある。

海軍の信号科に所属するビルは、手旗信号をラリーに教える。
かなり筋が良く覚えは早い。
「お前、信号科に志願しろよ」ほぼ親父さんくらいの気持ちになっている。

「奴はこの数日で成長して大人になった」と感慨深げに呟くビル。

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寒い雪の中で三人でバーベキューをする。
そういえば、ラリーのお母さんに合わせようと彼のもぬけの実家に立ち寄った時も、彼らはとっても寒そうに凍えていた。
この寒さが基本的に彼らを取り巻く環境に思える。

そのバーベキューの後、今回の旅行の最終地点に向かう前の重苦しい空気を感じている最中、ビルのハチャメチャな指導の賜物で、本当に成長して自我も芽生えたラリーが、ついに脱走を試みた。
彼は”ブラボー、ヤンキー、バイバイ”と、ビルから習いたての手旗信号を送ってから逃げ出すのだ。
(とりあえず、彼なりに成長した姿を見せたくて、逃げて見せたのか?)
2人の海軍下士官が本気になって雪のなかを追いすがりラリーを押さえつけ捕まえる。
この時のすったもんだでラリーは少し怪我をする。

2人から離れ、ラリーが独り鉄格子の向こうに連れられて入って行く。
閉まる音がやたらとデカい。
その甲高い金属音でこれまでの時間がはっきり断たれる。
ビルとマルホールは、夢から覚めるように、海軍の日常時間に引き戻されるのだった。


彼に暴行を働いたのか、と刑務所長に問われるが、何とも答えようもない。
その過程を微に入り細を穿つ報告など到底できない相談だ。
それとも脱走を試みたのか、に対してはビルはきっぱり、それはありませんと返す。


ほぼ、こちらの思った通りに展開する物語~ロードムービーではあるが、それで充分ペーソスに溢れていて面白いものであった。




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バルタザールどこへ行く

AU HASARD BALTHAZAR001

AU HASARD BALTHAZAR
1964年
フランス、スウェーデン

ロベール・ブレッソン監督・脚本


アンヌ・ヴィアゼムスキー 、、、マリー
フランソワ・ラファルジュ 、、、ジェラール
フィリップ・アスラン 、、、マリーの父
ナタリー・ショワイヤー 、、、マリーの母
ヴァルテル・グレーン、、、ジャック


ロベール・ブレッソンのシネマトグラフ。
こう言ってしまえば、半分は見た気になってしまう。
期待を裏切らない。

冷たくソリッド。
しかし感情面を些かそぎ落とし過ぎたきらいは感じる。
つまり反応が不自然なシーンが幾つか見られた。
まるで人形なのだ。
芝居を許さぬ監督が、モデル(彼は役者とは呼ばない)に人ではなく人形を演じさせている。
これはリアリズムとは別の何かを思わせる。

しかし主人公はあくまでもロバなので、大した問題にも思えない。
人の動きなどしばしば書割のひとつくらいのもの。
純粋な彼の目が全てを見届けてゆく。
彼の名はバルタザール(東方の三賢者のひとりで神性の象徴である。ちなみに画家のバルテュスもこの名である)。

ロバである彼は自分の気持ちはあるが、その行動全般において人間に対し受動的であるしかない。
人の都合で次から次へ主人が代わるのだが、マリーの下にいた時以外は全て過酷な環境であり、相当酷い虐待を受けてゆく。
特にジェラールに使われる時は極めて悲惨だ。棒で殴る蹴るだけでなく尻尾に火を付けられる。
このジェラール一味は完全に箍の外れた悪である。
またその行いに対し、反発する者がいないのも不気味であり、あたかも自然災害みたいに受け取られているふしもある。
これだけ悪事の限りを尽くしていれば、普通はとっくに警察の世話になっているはずだが、いつまでも自由に振舞い、酒呑みの風来坊みたいな男を寄ってたかっていたぶり狼藉の限りを尽くしてもいる。

マリーの堅物の父親は、しなやかな感性のない為、徒に敵を作り、片意地を張り続け遂に上手くいくはずの事業を自らの手で潰してしまう。
村人も基本的に羨望と妬みのもとに他者が努力によって成功をつかみ取ることを許さない。
厳格で融通の利かない父といい、閉塞的で悪意に満ちた村といい、マリーにはそこからの解放を望む気持ちが大きかったはず。
そんな彼女のこころの隙間に付け込んで来たのがジェラールであった。
最初は嫌悪していた連中とつるむうちに彼女は自らを失い彼らに依存し呪縛されてゆく。
彼女にとって解放や超脱と思っていたものが、似て全く非なる感覚~感性の麻痺を齎す。

AU HASARD BALTHAZAR003

そんななか、幼馴染の温厚で誠実なジャックからの求愛を受けるマリーであるが、ゴロツキのジェラール一味から受けた外傷経験に蝕まれ、それを素直に受け容れる余地が残されていなかった。
誰もが普通に生きて、普通に精神を病み、滅んでゆくのだ。
そうした構造を透徹した目でしっかり見届けていたのがバルタザールであった。

結局、マリーはジャックと結ばれることを決心するが、ジェラールたちと手を切るために訪れた場所で彼らに乱暴されてしまう。
これを最後に彼女は姿を消してしまう(或いは自殺か)。
父は悲嘆に暮れ寝たきりになって衰弱死する。
母はたった一人となり、ロバだけをこころの支えとしていたが、ジェラールたちにそのロバ~バルタザールも奪われてしまう。
ここまでくるとジェラールという装置は我々の世界の普遍的な悪~災いとしての機能を果たすものか。

ジェラールたちが密輸に手を出しバルタザールに品を運ばせて行く途上で当局に見つかり、逃げ遅れた彼は被弾し、真白の羊の群れに取り囲まれて静かに息を引き取る。
この宗教的なシーン。
この最期の光景は神々しいほどに美しい。

AU HASARD BALTHAZAR002










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シェーン

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Shane
1953年
アメリカ

ジョージ・スティーヴンス監督
A・B・ガスリー・Jr.脚本
ジャック・シェーファー原作

アラン・ラッド 、、、シェーン
ヴァン・ヘフリン 、、、ジョー・スターレット
ジーン・アーサー 、、、マリアン・スターレット(妻)
ブランドン・デ・ワイルド 、、、ジョーイ・スターレット(息子)
ウォルター・ジャック・パランス 、、、ウィルソン(早撃ち用心棒)
エミール・メイヤー 、、、ライカー(悪徳牧畜業者)

TVシリーズを見た記憶が微かに残る。
勿論、キャストは違う。
「シェーン、カムバ~ック」は永遠にループするかも知れない。

ワイオミングの高原地帯が舞台。
色彩が思った以上に綺麗でちょっと驚く。
デジタル・リマスターなかなかのもの。

入植者のスターレット家でたまたま食事をご馳走になった縁でしばらくそこに居候するシェーン。
スターレット家をはじめ入植者たちはその一帯を牛耳る牧畜業のライカー一家との土地を巡る確執があった。
(何れにせよ先住民を追い払った土地を俺の土地だと主張し合う関係ではあるが)。
一宿一飯の恩義ではないが、流れ者のシェーンはその間に入り、スターレットたちを守る。
(これも「仁義」か)。

当然守ることは分かってはいても、そこは直ぐに表立って助けるとかはせず、ギリギリまで距離を置いた余所者として振舞う。
こうして気を持たせなければ、ドラマにはならないが、その流れに充分ワクワクできる。

ジョーイ・スターレット少年が、国吉康雄の絵(「オレンジを盗む少年」)から出てきたようなジャガイモのような男の子であることに、まず惹かれた。
何ともプリミティブな開拓少年と謂う風貌なのだ?!
遭って忽ちシェーンに憧れる。
確かに少年時代の理想のモデルは大事だ。
闘いを教えるが、最後に愛を残す。
ジョーイはシェーンの謂う通りの大物になると思う。

ヒーリーが撃ち殺されるときの泥濘がとても気になった。
あそこは、何故あんなに酷い泥濘でなければならなかったのか。
彼がウィルソンに挑発され近づくまで何度もすっころびそうになっている。
不安で躊躇しながらも早撃ちガンマンの前で度胸を見せなければという姿勢をああした状況で演出したのか。
しかしあのへっぴり腰では腕以前の問題ではないか。

自分の逃げだした家に火をつけられることで農民が団結を深めるという心情は分かる気がする。
自らが作ったものを破壊されることで、敵に対する攻撃性が目覚めたのだ。

シェーンのガンマン衣装は妙に面白い。
低予算SF映画の宇宙船クルーの着るようなスーツにも見えた(気のせいか?)
だが、途中で購入して着ていた作業着よりずっと良かった。
いずれにせよアラン・ラッドが見た目、強そうでないところが良い。
ジョー・スターレットをはじめ農民たちは、とてもそれらしい顔つきと仕草であり、グラフトンの酒場にたむろする連中は如何にもチンピラであるし、雇われ早撃ちガンマンはまさにそれらしい風貌で、その世界に入り込めた。

罠と知りつつ独りでライカー一味の待つグラフトンの店に向おうとするジョー・スターレットを止め、身代わりに行くシェーン。
確かに相手にウィルソンがいては、自分が行かなければ勝ち目はない。
ここはどうしても勝たなければ、農民を救えないのは明白であった。

だが(銃撃戦により)闘うことで決着をつけることは、この谷を暴力で支配しようとしていたライカー一味と同じ土俵でケリを付けることを意味する。
しかもジョーイ・スターレット少年の目の前で。
この事後処理はとても大切なものとなろう。

「もう心配ない。この土地から銃は消えた」と彼は少年に語る。
さあ家に帰って、まっすぐな男になれ、と言い残し、彼は留まることを願う少年の言葉にも振り向かずに去って行く。
村を銃によって救った人間はそこに留まることは出来ない。
法によって統治される共同体において、彼はいてはならない存在であった。
これからの平和は彼がいないことで保たれていくのだ。

「血が流れているよ、大丈夫?」「ああ、平気だ」と言って静かに去って行く先が墓地でもあった。
これは暗示的であり、象徴的である。
あの呼びかけと共に永遠に反復する別れである。






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仁義

Le Cercle Rouge

Le Cercle Rouge

1970年
フランス、イタリア

ジャン=ピエール・メルヴィル監督・脚本


アラン・ドロン 、、、コレー(出所したばかりの男)
イヴ・モンタン 、、、ジャンセン(スナイパー、元刑事)
ジャン・マリア・ヴォロンテ 、、、ヴォーゲ(逃亡した容疑者)
フランソワ・ペリエ 、、、サンティ(人望あるキャバレーの主、元ギャング)
ブールヴィル 、、、マッティ(警視)


「人は赤い輪の中でいずれ必ず出逢う、、、」という釈迦?の意味深な語りから始まる。
「紅い輪」か、、、。
そして、そろって破滅に向って逝く美学が描かれる。
とても冷ややかな感触が残った。

それにしても仁義とは、、、かつてアランドロンは見事な「サムライ」を演じていた。
そのイメージからか、、、。
だが、確かにジャンセンやヴォーゲそしてサンティには任侠道を感じさせる。
特にジャンセンは日本のやくざの凄腕用心棒みたいな仁義が感じられフランス人とは思えない。(何とも言えない)。

序盤はほとんどセリフらしいものがない。
この辺からして、サムライっぽい。
ニヒルなドロンがここでも見れる。
やはり夜景や夜の室内の多い暗く静謐な映像だ。


容疑者として列車で護送されるヴォーゲがピンを使って敏腕刑事マッティの隙を付き手錠を外して窓を蹴破り逃走する。
模範囚として早く刑期を終わり出所の運びとなったコレーに何と刑務所長が「やま」の話を持ち掛けてくる。
初っ端から、善も悪もないというより、皆悪人というこの映画の基調が窺える。
この「仕事」は、真面目だからお前に任せられるという理屈だ。
もう逆戻りはしたくないというコレーを説得して刑務所長はその「旨い噺」について詳しく説いて聴かせる。

出所後、コレーはかつての仲間リコ(貸しのある仲間)から無理やり金を都合させ、取り敢えず中古車を買い、ドライブインに入る。
ちょうどそこに、逃げおおせて来たヴォーゲがコレーの車のトランクに隠れ潜む。これが運命的な邂逅となる。
コレーは容疑者逃亡のニュースはすでに知っており、彼が自分のトランクに隠れたことも察知していた。
(わざとトランクのカギを開けておいたのだ)。
誰もいない荒れ地で、ヴォーゲと向き合い、たばことライターを彼に投げて渡すところで義兄弟の契りが結ばれたというのか?
何を語るでもなく、相棒となっている。

コレーがせしめた金を奪いに来たリコの手下をヴォーゲが撃ち殺す。
その際に奪われた札束が使い物にならなくなったため、コレーは刑務所長の宝石泥棒を決断したのか。
コレーとヴォーゲに腕利きのスナイパーであるジャンセンが加わる。
これに例の刑務所長と宝石の換金になくてはならぬ故買商の5人で一味を結成することになる。
だが、所長は役をしないし、故買商はリコの配下に下っていた(これが大きい)。

コレーとヴォーゲにジャンセンは盗みの実践において流石にプロという仕事運びを見せる。
特にアル中で身を持ち崩していた(幻覚に悩まされていた)ジャンセンが仕事の依頼できりっとしたパリジャンになってしまうところが凄い。タバコ、帽子、コートが余りにかっこよい。やはりファッションの国である。
そして銃弾を距離と速度(20mで0.05秒)の計算から、鉛、アンチモン、錫の配合比率を決め、手作りする。
弾が鍵穴に溶解して入り込み中で冷えて固まることが条件なのだ。
これが、レーザー光線警備を断ち切るために、作られた銃弾である。
そしてその狙撃の腕前が神業と来ている。プロ中のプロである。しかも着こなしもプロである。ダンディズムの極北か。
ビデオは撮られるにまかせていたが、顔はマスクで覆ってあるためそれは仕方ないとしたか。
しかもジャンセンは最後まで付き合うが分け前は要らないと。彼無しでは成功し得ない仕事であったのに。何だこのカッコよさは。
(アル中から脱することが出来ればよいらしい)。

結局、この悪事を持ち掛けた刑務所長と故買商はコレーを裏切り生き残った。
警察に息子を人質にされた事情通のサンティが警察に協力してしまったために、見事最新警備システムを破り、宝石商から巧みに宝を強奪したコレーたち3人は皆死ぬこととなる。
何と言うか、ここまで完璧に仕事をしておいて、殺されるというのも理不尽な気もしてくる。
周囲の誰もが悪事を重ねており、マッティの上司も誰もが(警察も)悪であるという認識であった。
結局、悪の勢力争いに過ぎないというフラットな世界の冷たい描写か。





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