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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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一遍~田中泯

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国宝「一遍聖絵」(全12巻)を日曜美術館でやっていた。「踊念仏」興味があった。
ゲストも田中泯である。ファンである。そういえば、泯さんは一遍に似ている。
もう遠い昔、大学生の頃、彼の八王子のワークショップ場に泯さんを見に行ったものである。
(ショップはすでに終わっていて、彼が独りで味噌汁を作っており、「味噌汁飲んでらっしゃい」と謂われたものだ。いきなり来てお弟子さんたち?に交じり味噌汁だけ飲むというのも気が引け、お礼を言って帰ったが、、、今考えると飲んで何か話でも伺うべきだったと思う)。

鎌倉時代の一遍上人の活躍した頃、飢餓や飢饉が拡がり蒙古の襲来も経験し、いよいよこの世も末だと思っている庶民に対し、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば極楽浄土に逝ける、という思想は極めてラディカルに響いたはずである。
「南無阿弥陀仏」と唱えて踊り続けているうちに、皆トランス状態になって、極楽を見てしまっているのだ。
ここにいて、もうすでにここにはいない、、、
「踊念仏」はパンデミックに広まった。
SNSのない時代に凄い拡散力であった。
あまりの生活苦から、難しい文を読み砕いたり、沈思熟考などしている身分ではない庶民にとって革命的な方法であったに相違ない。

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「南無阿弥陀仏」と唱え、後は身体に任せればよいのだ。
わたしがその時代にいたら、間違いなく田中泯、ではなくて一遍上人の後をついて念仏を唱えながら鐘を鳴らして踊っていたはず。
そんな庶民の様子が国宝「一遍聖絵」にはリアルな臨場感をもって精緻に描かれていた。
絹~和紙ではない~に描かれているのも驚きだが、一遍上人は風俗画のなかのほんの小さな人物の一人として描かれているのも特徴的である。これは鎌倉の時代考証にもってこいの貴重な資料でもあった。
そして一遍がどういういきさつで武士からすべてを捨てて修行僧となったのか、どのように修行を進め、その果てにどのような悟りを得たのか、その悟りとは何であり、それをどういう形で布教していったのかがとても分かりやすく実感できるものとなっている。
これこそ、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の絵にも言える、絵で表すことの有効性である。
文盲の人にも理解が出来るのだ。
「千年経っても道標となる」貴重な資料だ。
芸術性も大和絵と水墨画を高いレベルで融合させ、和紙に描くより二倍以上は手間のかかるという絹に描くという気合の入り振りが、まごうかたなき国宝の品格を示していた。

もう一人のゲストコメンテーターの政治学者で作家の方も(噺が)面白く、一遍上人像にも少し迫れたが、やはりキメは身体論であった。泯さんは大いなるものを通過させる「器」としての身体~踊りを終始強調していた。
「初めから一遍は念仏を身体で考えていた」
「踊りと(念仏を唱える)歌のなかから自分を超えた自分の力、人知を超えた不可思議な力を感じざるを得ない」
「踊ることで初めて分かる」
「予め持ってしまっているものを捨て続ける」
「規制訓練化された身体性を踊りで打ち壊す」
「今は自由に踊るということ自体出来ない」
「要するに言葉に解消出来ないモノは身体に任せればよい」

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共感する言葉に小気味よくこちらも乗せられていくのだが、「嘘をついてる人は身体が辛いでしょ」で皆が笑う。
自覚があるのだ。わたしも勿論。身体にあちこち無理がある。分かっている。だが、ズルズル来てしまった、、、。
「身体は大きなものが通過するかりそめの場所なんですね」
だから「豊かな器にすべき」(田中泯)
まさにこれでキマッタ(笑。


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