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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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シシリーの黒い霧

Salvatore Giuliano

Salvatore Giuliano
1962年
イタリア

フランチェスコ・ロージ監督・脚本
ピエロ・ピッチオーニ音楽


まず、ある家の中庭に男の死体が横たわっている。
この男は誰なのか。
誰に殺されたのか。
その謎に始まる。

その男が当局が躍起になって探していた男サルヴァトーレ・ジュリアーノであった。
主役は死体でいきなり現れ、その後も回想においても姿は見せない。
物語の展開によって徐々に際立つのは、シシリーと謂う場所か。
実際にここの空気を吸ってみたい気にもさせられる。
この貧しい殺伐とした地。

1950年代。シシリー島に独立運動が渦巻く。
そこで活躍した義賊「サルヴァトーレ・ジュリアーノの殺害の謎」を巡って、様々な立場の人や組織が錯綜し、解明どころか一層闇は深まる。
ジュリアーノを中心とした独立義勇軍、マフィア、地主が手を結び所謂、政府軍~ファシストと闘っていたが、独立を勝ち取ったにも関わらず、約束した特赦をジュリアーノたちに与えず、逆にイタリア解放委員会は彼らを弾圧した。
今度はマフィアが憲兵隊、警察と組んでジュリアーノたちを追い詰めていった。
人民連合派がシシリー島の自治政府の選挙で共産党が勝利したが、メーデーの祝いの会場を何とジュリアーノ一味が襲撃した。その首謀者が誰で、実際に手を下したのは誰なのか、その裁判が延々と行われる。

それからは、どことどこが結託しているのか、複雑な絡みでよく分からなくなる。
策略と裏切りと密約と取引それから黙秘が繰り返され更新されてゆく。
そして姿も名前も分からぬ人物が秘密の記録を握る。
だがそれは燃やされたという情報がまことしやかに流される。
真実を告白すると声高に叫んだ人物は何らかの方法で殺害される。
何と監獄でジュリアーノの片腕の男が毒殺される。
毒を呑まされたときの館内に鳴り響く苦痛の叫びは真実であろう。
だがそれを直ぐに闇が呑み込んでしまう。

このドキュメンタリー風のリアリズムは底知れず冷たく重い。
前半は引いたカメラが多くセリフも抑えられているが、後半の裁判シーンからはセリフが洪水となって溢れ出す。
証言から複雑怪奇な関係が浮かび上がるが、それをすぐさま打ち消す情報も現れ混沌を増すばかり。
結局、ジュリアーノは誰のさしがねで殺害されるに至ったのか。
ジュリアーノ一派に共産党員のメーデーの祝いの会場を襲わせたのは、一体誰なのか。
これは一向に解明の方向に行かない。
まるでよく出来た小説のような噺である。


1960年、群衆の渦巻く広場で突然銃声が響き渡り、当時の事情を知るマフィアの男が射殺される。
何かを握っている人は、こんな風に突然、暗殺されるのだ。






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ヘッドライト

Des Gens Sans Importance001

Des Gens Sans Importance
フランス
1955年

アンリ・ヴェルヌイユ監督
フランソワ・ボワイエ、アンリ・ヴェルヌイユ脚本
ジョセフ・コズマ、、、音楽

ジャン・ギャバン 、、、ジャン・ビヤール(長距離トラックドライバー)
フランソワーズ・アルヌール 、、、クロチルド・ブラシェ(カフェのウエイトレス、ジャンの恋人)
ピエール・モンディ 、、、ピエロ・バーティ(相棒のドライバー)
ポール・フランクール 、、、エミール(カフェの主人)
ダニー・カレル 、、、ジャクリーン・ビヤール(ジャンの娘、女優志望)
リラ・ケドロヴァ 、、、マダム・ヴァコ(連れ込み宿の主人)

「とるに足りない人々」、、、誰もがそうだ。まさにそういう映画だ。
ヘッドライトという邦題、、、素晴らしい。
(稀にみる傑作邦題だと思う。ヘッドランプではない。ライトなのだ)。

噺としては、特別な何かではなく「とるに足りない人々」の深い霧の中を覚束ない光を灯して彷徨う姿を、淡々とぶっきらぼうに、しかし全体として詩情豊かに美しく描き切ったものだ。
その意味で、極めて薫り高い濃密なフィルムに思える。


パリからボルドーがやたらと暗い。
地味な行き来である。
その途上、街道筋のドライブイン(ラ・キャラバン)にジャンは仄かな光を見出す。
美しいクロチルドに惹かれ自らの閉塞した人生に希望の光が差し込む。
モノクロの色調がとても美しい。ライティングも的確な演出になっていた。

トラック野郎になると、それにしか見えないジャン・ギャバンの役作りも見事。
雨なのにオイル塗れでエンジンの整備をするジャンが渋すぎる。
映画の質感、そのものがいぶし銀になっている。
流石はジャン・ギャバン。

睡魔と闘いながら大型トラックを操り、夜霧を縫って走る姿に常に不安が付き纏う。
霞むライトだけが頼りの、特別な緊張感の持続する映画だ。

ジャン(本名と同じか、道理で)は社長の都合で予定がしょっちゅう狂わされ家を何日も空けることから妻との折り合いも悪くなり家のなかも険悪な雰囲気に染まっている。
睡眠不足と闘いながらへとへとになって漸く家に戻ると、労りの言葉はおろか、妻や娘の小言しか聞かされない。
彼は上司に告げ口をして点数稼ぎをする同僚を殴り、自から職場を辞める。
クロチルドとの関係(子供が出来たこと)を手紙を隠し持っていた娘から家族にばらされても、言い訳ひとつせず、何も持たず俺は出て行くと、、、思い切りがよい。
クロチルドは、田舎のカフェ勤めから脱したい。都会で良い仕事に就きたいという希望を持っている。
彼女はジャンに自分を違う場所に連れ出してくれる何かを感じた。
時間がお互いに不規則ですれ違いも多くなったが、ふたりは愛情で結ばれていた。
しかしクロチルドは、ジャンが大変な状況であることを知り、迷惑をかけまいと子供を内緒で降ろすことにする。
結局、彼女は堕胎に失敗してあえなく命を落とす。

ジャンとクロの果敢ない夢は潰える。
終盤、ジャンが親友ピエロと家族の話を穏やかな口調でしている。
元の鞘に収まったのだろう。
「とるに足りない人々」の強かさも感じられる。自らの生を生き抜こうとする強かさの印象が最後に残った。
クロは美人薄命をそのまま逝ってしまったが、基本的に皆強かである。
娘のジャクリーンも女優を夢見てとてもしぶとく頑張っている。
不思議に最後は明るい感じで終わった。
そうとても清々しいのだ。
恐らく、クロのことをエミールのラ・キャラバンで仮眠をとりながら回想するシーンから始まっていることも大きい。
われわれは、クロが亡くなっていることを最初から察知したうえでジャンの物語を見始めている。
悲劇を経た確かな再生を感じる。







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アース

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earth
アラステア・フォザーギル監督


自然の造形がひたすら美しい。
大変なスケールの撮影である。これは尋常ではない。
BGMもそれにフィットした荘厳なものであった。
(調べたらベルリンフィルではないか。重厚なフルオーケストラのはず。)
そしてメッセージがシンプルで分かりやすい。
われわれをガイアという意識に導こうとしている。

だが、それを実行することは難しい。
われわれの子供に見せるべき映画である。
(というより託すかたちで、、、)

北極の氷が融けてゆくこと。
融けるのが年々早くなってきていること。
氷が直ぐに薄くなり、無くなってしまえば、氷上での狩りが一切出来ない。
このままのペースで行けば、2030年には北極クマが絶滅すること。
それを何とか防ぐ手立てが打てる可能性を持つのも人であろう、、、。
(勿論、地球環境を破壊したのは人であるにしても)。


まず地軸の変化があった。
巨大隕石の衝突で地軸が23.4°傾く。
地球の公転によって、この傾きが季節という変化を繰り返す。
(この時、飛び散った破片により月が形成された)。
そして多様な生命を生み出すことになった。

太陽を多くの生き物が追い地球を縦断する旅に出る。
北極から南極へ、、、その幾つもの壮絶な旅をカメラが追ってゆく、、、
壮大な物語だ。

ホッキョクグマ
ザトウクジラ
ゾウ
、、、、、

途中、ぎりぎりの生存をかけた死闘も描かれるが、必ずしも成功するとは限らない。
飢えが酷いほど大きな賭けに出て失敗してしまう。
微笑ましい生命の営みにも幾つか触れるが、、、
全体として、人の乱獲によって著しく数を減らした上に気候変動による影響が次第に大きく表れてきた。
この惑星が育んできた生命の環境に危機が迫っていることをこの美しくも壮大な映像は告げる。

餌や水を求めての決死の旅が描かれる。
生きることがこれほどまでに過酷なのだ。

最後に、一頭の北極クマの何処に向けて泳ぐかも覚束ない、当て所ない泳ぎを追うカメラ。
確かに象徴的である。
われわれの姿にも重なる。
いや重なる事にも気づかずこうして生きているのだ。
だがその地盤はかなり危うい。
(無意識的に付き纏うこの不安もその為か)。


このクマの旅は、この先どうなるのか、、、。
それは、ヒト次第なのだ。












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写真が撮れない~いつものことだが

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今日は家に帰ってから、眠くて眠くて、、、
睡魔に襲われどうにも起きていられない。

娘のピアノを聴くだけで精いっぱいであった。
ちなみに、長女は今朝、体調不良を訴え、学校を休んでいる。
年に一度の運動会というお祭りでもあるし、何とか参加させようとはしたが、「ダメ!」の一言であった。
確かに寝冷えでもして風邪気味なのかクシャミばかりしている。
何にせよ彼女は一度、ダメとなるともうどうにも動かない。
それでも小さい頃は、抱きかかえて先生のところまで連れて行って預けたものだが。
もうそれは効かない。重いし。
やはり今一つ冴えない感じだ。熱はなさそうであったが、、、。
(食事だけ摂らせて、わたしは次女を見に行く)。

次女は顔を真っ赤にして応援団で頑張った。
他の子がテントの下にいるときに、炎天下でずっと叫んでいたものだ。
振り付けと文言をずっと考えてきたものだし、当日の発表に掛ける意気込みはかなりのもののようで。
ハッスルしすぎたか、もうヘロヘロと言う感じになっていた。
徒競走はもうおまけみたいなもので5着である。
仕方ない(笑。
旗の前に座ったとたん、もう隣の子と手遊びを始めていた。
友達も結構いて、学校が楽しそうである。

ひとつ、いつも運動会で苦労するのだが、集団の表現でも徒競走でも何でも自分の子供がよく見えないのだ。
もう少し保護者に見せる工夫はできないのか。
カメラマンが入ってどの子も洩れなく撮ってくれるのなら、いちいちカメラなど構えウロチョロしないが、、、。
ともかく見える場所がないのだ。
本当にない!
これがストレス。

今日もズームで(と言ってもコンデジのズームで)連射モードで数撃てば当たる方式で撮ってみたら、とりあえず写ってはいた。
満足からは遠いが。

長女抜きで家族でお弁当を囲み、ほとんどを平らげた。
次女はすかさず他のシートにお邪魔して、美味しそうな「唐揚げ」をたんまりせしめてきた。
この子は将来、くいっぱぐれる心配はなさそうだ(爆。

炎天下に暫く立っていたせいもあるか、、、
家に帰ってからやたらと眠い。
これを書いている今も、頭の10分の9は眠りこけている。
(実はその前に3時間ほど横になっていた。そのまま眠るつもりだったのだが、今日の備忘録は付けておきたいと思い先ほど起きたものだ)。

取り敢えず、写真が酷く撮りにくいという、運動会が終わればいつも忘れてしまうこの件をひとこと書いて、本格的に眠ることにする。




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明日は運動会

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急に暑くなったかと思うと運動会だ。
亀もこの暑さ~気温の上昇にびっくりしている。
(甲羅干しをするより、亀島のなかに隠れてしまった)。

運動会が終わると直ぐにピアノの発表会が控えている。
長女はそこそこ練習は進めてはいるが、次女はほとんど練習をしない。
次女は最近も東京ビッグサイトに「東方~ゆっくり、、、」のグッズやらゲーム~の展示、即売会に行ってきたりして、オタク度を深めるばかり。
家ではスマホゲームばかりしている。パソコンでもしているが、、、。

わたしは、どうもゲームというのがめんどくさくて熱中したことがない。
基本、やるとしても2次元タッチのものがよい。
3Dには関わる気がしない。とは言えひとしきりMayaで3D制作をしていたものだが、、、もうやめた。
ディスクトップアクセサリーなども以前入れていたのは、棒人間がゆらゆら砂浜から砂を掬ってゆく類のものでとても趣きがあってし親しめた、、、だがMacを使わなくなりそのソフトもいつとはなしに消滅して久しい。
そう、紙飛行機の飛ぶのも良かった、、、。
Winのディスクトップでそういう余地を感じたことはない。
(98SEの頃の宮沢賢治の短編を幻灯機で見せるソフトは秀逸であった)。

何の話だったか、、、。
運動会がどれだけ暑いか、である。もう憂鬱のレベルに達している。
カメラを持って(最近は、軽いコンデジしか持ち歩かないのだが)娘を探してもいつも見つからないのだ。
合唱の発表会でも見つからないくらいだから、行くだけ無駄な気もするが、お昼は家族で食べたい。
(わたしはただの一度も親と昼を食べたことがない。昼自体、叔母が昼に届けてくれる手はずになっていたのを忘れたらしく、ありつけなかったこともある(爆)。
まあ、明日はさしずめ昼に体育館でみんなでお昼を食べる日というところか。
へとへとになって、、、。

次女は、こういう時にあちこちの島を渡り歩き、色々なお菓子をせしめてくる。
とても長女には出来ない芸当だ。


明日は我慢してソーラン節と徒競走を眺めたら、なるべく屋根の下に隠れて過ごそうと思う。
待てよ、次女が応援団に入っていた。

熱中症だけは避けたい。


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そして涼しい所へ逃避行したい、、、。

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フリークス 怪物園

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Freaks
1932年
アメリカ

トッド・ブラウニング監督・製作
ウィリス・ゴールドベック、レオン・ゴードン、エドガー・アラン・ウールフ、アル・ボースバー脚本

”Freaks”のことは、本や雑誌のなかで取り上げられているのをこれまで幾度も観てきてはいたが、実際にそれを鑑賞する機会がなかった。

今日やっと見る事が出来た。
色々な意味で、想像以上のものであった。
(ただオリジナルの90分ものは、様々な圧力~弾圧で切り刻まれ64分短縮版を見ることになったが、いまやオリジナル版は存在しないという、、、なんという、、、)。

見世物小屋~サーカスが舞台であるが、本物の見世物小屋のスターがキャストを務める。
(最近の映画のようなVFXは一切ない!1932年である。)
彼らがよくこれだけヘビーな役を演じる気になったものだ。
ユーモラスな場面も少なくないが、全体に鬼気迫るものである。
本気で自ら意欲的に愉しんで演じていることが分かる。
そこには異様な緊張感が基調にあった。

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生々しいのだ。
われわれの(日常の無意識的な)身体感覚を宙吊りにする何とも言えない居心地の悪さ、寄る辺なさがずっと続く。
その異形さも、下半身が無く腕だけでバランスを取って昆虫のように軽快に移動する人や、両腕がなく足ですべての手の仕事をなす女性や、手足がなく布にくるまってモゾモゾ動き、口と舌だけでマッチを擦って煙草をくゆらせている人や、それぞれが別の男性と結婚を決めたシャム双生児の姉妹や、小人症の人たちや、小頭症の人たちなど、、、マジンガーZに出ていた「あしゅら男爵」の元型と思われる顔半分が男女で分かれている人もおり、、、ともかくオールスターが揃っていた。
他の映画にも(「ブランカニエベス」などで)よく出てくる小人症の人がとても身近に感じられ彼らがメインに登場したときはホッとする。

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そのなかで怪力を誇るヘラクレスと曲芸を担当するクレオパトラは数少ない健常者であるが、ふたりで結託して遺産が転がり込んだハンスという小人症の男性の金を横取りしようと彼の殺害を企む。
偽装結婚をして小さな夫の飲み物に毒を混ぜて殺そうというのだ。
(この式の席で披露されるフリークスの持ち芸が凄い。長い剣を丸呑みするプロフェッサーや火を喰らう怪人や、、、これらも圧巻であった)。
しかし最初にハンスが結婚パーティでワインを飲んで倒れた時から周囲のフリークスが事の次第を察知し、暗殺を企む二人を鋭くマークし始める。
勿論、ハンスが中心となって彼らを仲間全体で追い詰めてゆく。

かなりスリリングである。
噺の骨格は、奇形の人たちがこれまでの差別でこころに蟠りを抱えているも基本的に素直で純粋な善良なパーソナリティの持ち主で、数少ない健常者の力自慢と曲芸師の男女は、内面は冷酷で強欲な怪物として描かれる。
かなり単純で判り易い構図だ。

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しかしそれを尋常でないアクター、アクトレスが演じる為、その攻防も特異な様相を呈する。
決闘の場は雨の強い深夜の荷馬車での移動時である。環境(演出)的にも禍々しい。
(彼らは荷馬車単位で生活しており、見世物小屋の移動時には、所謂キャンピングカー単位での大移動となるのだ)。
それぞれに自らの武器を持ったフリークスが闇の中から襲い掛かる。
これは当時においてはかなりの衝撃を観客に与えたことは想像できる。
(銀幕を汽車が走って来るだけで席から飛び退いた観客が沢山いた時代からそれほど経ってもいない)。
当然既成観念を逸脱した嫌悪感から、けしからんとかいきり立つ人権擁護の紳士淑女もいただろう。

Freaks005.png

だが、そんなことより、エンターテイメントとしてとても面白いなかなかない見ものであることは確かなのだ。
何でこれに素直に驚き、楽しめないのか?(当時としてはインパクトが強烈過ぎたのかも知れぬが)。
それでは熱演した役者にも申し訳なかろうに。
どこがどう残酷であったのかはもう知る由もないが、こんな貴重なフィルムを切り捨てるなど蛮行にもほどがある。
ぎこちない流れを時折感じたものだが、それが影響しているのは間違いない。
しかし全体として観れば、とてもよく出来た映画であった。
優れた監督だと思うがこの「衝撃作」以降仕事が来なくなったという。
今であればどうだろうか?保守的で排他的な感性は寧ろ強まっている気はする。

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わたしとしては、何度も観たくなる数少ない作品のひとつになった。






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ワン・フロム・ザ・ハート

One from the Heart005

One from the Heart
1982年
アメリカ

フランシス・フォード・コッポラ監督・脚本
トム・ウェイツ音楽
ヴィットリオ・ストラーロ撮影


フレデリック・フォレスト 、、、ハンク
テリー・ガー、、、 フラニー(ハンクの彼女)
ナスターシャ・キンスキー、、、ライラ(サーカスの美女)
ラウル・ジュリア 、、、レイ(フラニーの浮気相手)
レイニー・カザン、、、マギー(フラニーの親友)
ハリー・ディーン・スタントン、、、モー(ハンクの親友)

随分前に一度見ていたはずだが、ほとんど何も覚えていない。

トムウェイツとクリスタルゲイルのミュージックビデオみたいな映画でもあった。
主人公ふたりの場面や個々のシーンが交錯しながら進行するところで、彼らの内なることばを歌詞にしたような曲が唄われてゆく。
歌が実に饒舌に場面のイメージを豊かにしていた。
(基本的に、登場人物はほとんど歌らしい歌は唄わないミュージカルである)。
そしてその絶妙なセットである。
ビビットな色彩と光の織り成す奥行きの深い舞台劇を想わせる映画が展開する。
全て監督所有のスタジオでセットを作り撮り切ったという。
(前作の「地獄の黙示録」のロケに余程懲りた部分もあったか)。

One from the Heart001

そのセットは見事であった。
とても人工的でアーティフィシャルな箱庭的~ジオラマ的なもので、すこぶる良かった。
(わたしはこういう人工的なものにはときめいてしまう質なので、掴みはOKであった)。
しかも、しかもである。
このジオラマ的セットに、ナスターシャ・キンスキーときた!。
サーカスの花形スター(恐らく)であろうことから、もういうことなし。
と謂いたいところなのだが、余りに彼女の出番が短い。
ショーでワイングラスに入っていたり、廃車工場の敷地で綱渡りしてみたり重力感覚を失うほどに魅了されるシーンが見られるのだが、如何せん、出番が短い。
出来れば、彼女が出ずっぱりでいてほしかった。
噺は変わってしまうかも知れないが、元々あってないようなどうでもよい噺である。
物語よりナスターシャ・キンスキーが見たいことは言うに及ばぬ。
大変このアーティフィシャルな容れ物に、ナスターシャ・キンスキーはピタリと収まる。

One from the Heart004

この限られた空間における撮影もかなり工夫が凝らされているようであった。
耽美的で郷愁に溢れる無時間的な空間。
そこにトムウェイツとクリスタルゲイルの歌~曲が反復して絡んでゆくのだ。
それだけで抽象的で渋いファンタジーに酔えるではないか、、、。


ただし、問題もある。
噺がつまらない。
ほとんど、どうでもよい噺に終始していた。

倦怠期でブルーな気分の主人公たちとは言え、そのふたりがつまらない。
ほとんど、華がなく共感ももてず、感情移入などしようもなかった。
「この夢から覚める方法はないの~?」

One from the Heart002

このつまらぬ夢から脱する意味でも、ナスターシャ・キンスキーを主に出してくれれば世界は飛躍的に美しく覚めたはず。
この秀逸なセットのなかを優れた撮影技術をもつカメラマンが、魅惑的で自動人形のようなナスターシャ・キンスキーの動き回る姿を撮った方が、幻想的で芸術性も高い映画になっただろう。勿論、その際にはトムウェイツには光景に合った曲に書き換えてもらう必要が生じるが。
そんな試みも充分面白いと思う。
全く異なるテーマ(さしづめ、ベガスのサーカス?!)の別な映画となろうとも。
(わたしはそっちの方が良い)。

噺の内容的には、ただグダグダ倦怠期のカップルの終わりそうで終わらないやりとりが引き摺られてゆくだけのものである。
というより、コッポラはよくこれだけつまらぬ話でベガスの街を自分のスタジオに作るほどの大変な作業をしたのだろう。
スタジオ内でどれ程の街空間(飛行場まであるスケール)が創造~再現出来るかを実験してみたかったのだろうか。
そうした部分もあると想う。

One from the Heart003

確かに、2人のそれぞれの部屋での様子を交錯しながら映すところやこの街丸ごとのセット化による独特な時空間の現出など当時としては実験性の高い試みであったに違いない。
ボラボラに旅行したいとずっと言い続けていたが、このふたりは結局このジオラマの外に出られるのか?


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ギャラクシー・クエスト

Galaxy Quest001

Galaxy Quest
1999年
アメリカ

ディーン・パリソット監督
デビッド・ハワード、ロバート・ゴードン脚本
デヴィッド・ニューマン音楽


ティム・アレン 、、、タガート艦長(マイケル・ネズミス)
シガーニー・ウィーヴァー 、、、マディソン中尉(グウェン・デマルコ)
アラン・リックマン 、、、ドクター・ラザラス(アレクサンダー・デイン)
トニー・シャルーブ 、、、技術主任チェン(フレッド・クワン)
サム・ロックウェル 、、、ガイ・フリーグマン(6人目の乗務員)
ダリル・ミッチェル 、、、ラレド(トミー・ウェバー)
エンリコ・コラントーニ 、、、マセザー(サーミアンのリーダー)
ロビン・サックス 、、、サリス(サーミアンの敵)
パトリック・ブリーン 、、、クエレック(サーミアン)
ミッシー・パイル 、、、ラリアリ(サーミアン)
ジェド・リース 、、、テッブ(サーミアン)
ジャスティン・ロング 、、、ブランドン(サーミアン)

BSで観た。
哀愁たっぷり、妙にエモーショナルなドタバタコメディ。
20年前のSF・TVドラマ”ギャラクシー・クエスト”を受信(傍受?)した異星人が実際の記録ビデオと勘違いして、彼らの敵を倒すため宇宙船プロテクター号のクルー(役者)に助けを求めてくるという荒唐無稽なハチャメチャな設定。
SFの香りはほとんどないが、ファンタジーとしては充分楽しめる映画であった。
昔見たスタートレックを思い起こす、、、。あからさまなオマージュを見る(笑。

助けを求めるのは良いとして、何故TV番組に出ていたものにそっくりの宇宙船プロテクター号を彼らはあらかじめ作っていたのか。
本物の記録と思っているのならわざわざ作って用意しておく必要があろうか?
ただ頼みに来るのではいけないのか。
テクノロジーだけは物凄く発達していても、戦い方を知らない、というのも同じく凄い。
不思議な点は多いが、取り合えず(撮影用の模型ではなく)本物のプロテクター号がなければ話にならないため、それは良しとしたい。

それでも、異星人の地球人似なのがやはり気になる(邪念のない方も邪悪な方も)。
頼って来た善良な?異星人は危険なほど純朴で人がよい。
悪者異星人は如何にも悪を絵に描いたような分かりやすい人だ。
極端ではあるが、思考形態や感情表現からして地球人そのもの。ちょっとだけ異文化の外国人レベルと言える。
(アメリカVSロシアくらいのものではないか?)
でなければ、こんな漫才めいた攻防は無理。
わざと笑い方や表情や拍手やハグをぎこちなく不自然な感じにしているが、他者の違和感と言うほどのものではない。


まず面白いのは、様々なファン層である。
「ギャラクシー・クエスト」の面々を落ちぶれた役者とみて馬鹿し面白半分で関わっているファンから、彼らを尊敬し、「プロテクター号」の詳細な内部構造を熟知しているファンまでいる。
主人公たちが、敵の仕掛けた起爆装置を解除しなければならぬ危機的状況に、そのオタクファンたちが船内の正確な情報を伝え案内をしてくれたことで助かる。ファンの少年はお母さんにゴミ出しの仕事を言いつけられそれをしながら船長に(宇宙人から受け取ったスマフォみたいな通信ガジェットで)逐次情報を伝えるのだ。
この一連のシーンはスリリングでもあり楽しい。

Galaxy Quest002

ちょっと疑問であったのは、全く邪念のない顔をそろいもそろってしている宇宙人サーミアンであるが、通常?情報リテラシーの低い文化圏にいる人々がフィクションを実際の記録映像と錯誤してしまうということはありうることだろうが、高度な文明を誇り、地球人とは比べ物にならないテクノロジーを持つ彼らが、それを見抜けないというのは、違和感がある。
彼らの文化には、どのような意味でも人をだます、ファンタジーも含め作り物の世界を楽しむ~表現するという価値は生じなかったようだ。確かに嘘をわざと作るのは大人の仕事であり、彼らは子供の精神をそのまま維持している様子が窺える。みんなノンフィクションに見えるのも無理ないのかも知れない(子供にとってはすべてが現実であるし)。
そのTVで謳われる愛や正義や勇気に信頼などの概念がそのまま彼らの文化に息づくこととなり、ギャラクシー・クエストの面々を敬愛することとなったようだ。
そう受け取れば気にせず見ることはできる。
悪に染まった敵の異星人サリスは、フィクションを一目で見抜いた。
そういうものなのか。


ギャラクシー・クエストのメンバーたちが、マイケル・ネズミスが取って来た新しい仕事だと思って、それに乗って後戻りが出来なくなり、本物の宇宙戦争をやるしかない、そして宇宙人サーミアンとの仲間意識も深まり奮起してサリスたちと自ら戦うまでの過程はとても説得力があった。
何より演技で操作(らしき仕草)をしていたのが、そのまま実際の宇宙空間移動、ブラックホールを利用したワープまで出来るのだ。
怯え戸惑いながらも操縦し、終盤には見事にプロテクター号を(番組のように)操り、悪者を打破する流れはよくできている。
最後の最後に一ひねり(いやふたひねり)もあり密度は高かった。

Galaxy Quest003

コミカルだが何故か最後には感動している。
色々な要素がこれでもかというくらいに詰め込まれているが、消化不良や中弛みなど全くなく、最近観た映画の中でも出色の出来であった。


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キングダム

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KINGDOM
2009年

佐藤信介 監督
原泰久 原作
黒岩勉、佐藤信介、原泰久 脚本

山崎賢人、、、信
吉沢亮、、、政/漂
長澤まさみ、、、楊端和
橋本環奈、、、河了貂
本郷奏多、、、成きょう
満島真之介、、、壁
高嶋政宏、、、昌文君
阿部進之介、、、バジオウ
一ノ瀬ワタル、、、タジフ
六平直政、、、里典
深水元基、、、朱凶
橋本じゅん、、、ムタ
坂口拓、、、左慈
阿見201、、、ランカイ
宇梶剛士、、、魏興
加藤雅也、、、肆氏
石橋蓮司、、、竭氏
要潤、、、騰
大沢たかお、、、王騎


原作は未読。
親子で映画館鑑賞。
何故かいつもの映画館ではなく、家から遠く離れた映画館へと遥々電車に乗って出かける。
だがいつもクライマックスあたりで決まってトイレに立つ長女は母親と朝けんかをして行かなかった。
(次女には、コーラはでかいカップはやめるように忠告した)。
チケットがもったいないが、電車に酔う子なので、よかったかも。
そのうちソフトで見せようと思う。

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山崎賢人がワイルドで粗野な役であったが、まずまずだと思う。
アクションも変化があって迫力は充分と言える。
共に闘う者たちの信頼を得て皆が団結してゆく過程も自然な流れであった。
スケールの大きい作品で、中国ロケである。
その意味でも大きい(が、思いの外、広さと奥行きは感じなかった)。
他のキャストもベテランが多く、かなり緊張感が走っていたことが窺える。
この話は始皇帝の誕生までを描くドラマかと思っていたが、この刻み方だとまだまだ先が長そうだ。
続編は、いくつもあると思われる。
重い歴史ドラマであるが、テンポの速いフラットな印象を受けるものだ。

政~吉沢亮がとても光っていた。
役が練れていた、或いは信との絡みのうちに厚みが醸し出されていったのかも。
やはり即興的な部分が大なり小なり加わってくるものだろうし。
政/漂の2役も見事に演じ分けられていた。

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成きょうは、発達障害が顕著な幼児性の顕著に残る人格で、血筋を何より重く見る狭隘な権威主義者だ。
歪んだ気難しい表情と衝動的で不安定な立ち振る舞いが、よくそれを表してはいたが、やや平板すぎる感じはした。
誰でも意外な一面は時折見せるものであり、も少し複雑な厚みがあれば、より人らしくなると思う。
政に腕を少し切られた時のキーキー泣き叫ぶところなど、如何にもという感じで、人格の一貫性は充分保たれてはいたが。

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王騎は、ある意味、他の登場人物より超越的な場所にいる人物であり、彼らから見るとスーパーマン(アウトサイダー)的存在である。
誰よりも情勢と歴史を俯瞰できる視座を持っているため、認める人物もその尺度の上で決まるようだ。
政は認められた(信もここぞとばかりに自己アピールしていたが)。
その姿と振る舞いと言葉使い~身体性からカリスマ性が溢れ出ていて、そこに現れただけで皆がたじろぐところが凄いし笑える。
槍?の腕前も当然超人的で、一振りの風圧だけで階段を転げ落ちてゆく兵士もいた。
物凄い人なのは分かるが、何故かニヤニヤ見てしまうコミカルさがある。
確かに少年の信が憧れてしまうのは分かる偶像性に満ちた人だ。

隣にいる騰も出来る懐刀という感じがよく出ていた。
王騎との阿吽の呼吸も少ない場面でしっかり窺えた。

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昌文君も如何にもと言う感じの忠臣ぶりである。
優秀で信用の出来る人物であるが、やや弱気なようだ。
見た目が恐ろしくそれらしいので、この人もちょっと笑ってしまう。
動きが窮屈そうで、実際あの鎧では合戦も普通の歩行も大変だったのではなかろうか。
それに比べると政など軽い服装で楽そうであった(信もだが)。

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山の民を率いる王である楊端和には、その登場の場面からして驚いた。
くぐもった仮面の奥から聞こえる絶対的王の声からして、まさか長澤まさみとは思わなかった(笑。
(原作を知っていれば、ここで出るのは彼女だということは、百も承知なことだろうが)。
そのギャップも作用し、大変魅惑的であった。
終始、声は低いトーンで表情の変化も抑え、剣捌きは冴えわたる、まさにクール・ビューティーの極みではないか。
血飛沫を受けた顔がまた美しい。
華麗な二刀流である(ワイヤーアクションもあったが、もう少し自然な感じに出来なかったか)。
これを見た子供は、マネしたくなるだろう。

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政に寄り添う、昌文君の副官である。
終始出ずっぱりであり、地味ではあるがしっかり脇を固める役であった。
この映画に出てくる人の中では、もっとも普通の真面目な~ノーマルな人と言う感じで、そこに好感が持てる。
漂の死を覚悟した闘いぶりを皆に語って聞かせる場面に、この人の人格が窺えた。
こういう人もいないと、話が奇人、変人と超人ばかりで落ち着きが無くなってしまうはず。

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闘いはかなり過酷なもので、敵は矢を放ちまくり、壮絶な戦場のはずなのだが、河了貂というフクロウ?のコスプレをした珍妙なキャラがいる。面白い配役で、トリックスター的な役割とも思えるが。
但しいることはよいのだが、戦場の真っただ中で平気で生き残れるものとは、到底思えない。
何か特殊な必殺技でも武器でもなければ不自然である。
途中で拾った毒の吹き矢では覚束ない。
橋本環奈の演技もどうも中途半端な感じであった。
キャラの性格がいまひとつ分かりかねる、というか練れていないようだ。

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もう少し楊端和の戦いが見たかった。
あのようなワイヤーアクションはない方が良い。

続編は、また映画館に観に行こう。
このスケールは、TVやパソコン画面ではちょっときつい。
今度はいつもの近場の映画館で。
長女もつれて(爆。


中国ロケのスケールは、ある程度感じられたがもう少し広さと奥行きが見たかった。


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プラネット・イン・ブルー

The Living Sea

The Living Sea
1995年
アメリカ

グレッグ・マクギリヴレイ監督

メリル・ストリープ、 、、ナレーション
スティーブン・K・カトーナ
ジュディス・コナー

スティング音楽


この映画は環境ビデオにとても良い。
ときおり、背景に流しておきたい。
考え事をする時に合うとは思わぬが、感性を使う仕事やリフレッシュしたいときや瞑想に耽りたいときにも良いと思う。
単にのんびりしたいときにもとても合う。
時間(尺)も程よい。


美しい海洋生物の多様性を改めて味わった。
また、海辺で遊ぶ人たちにもスポットを当てる。
海と人は切り離せない。
どれほど深い繋がりがあるか。
潮とともに生まれ、潮とともに死ぬ人たちに思いを馳せる。
(潮によって舟は送り出され家族を養う魚を与えてくれる)

「海は繊細なクラゲを包み込む一方で、屈強なクジラも育む、、、
、、、知識を深めることが大切で、知らなければ守れない。
深く理解すれば、その対象を愛せる。」

まったくその通りだ。
メリル・ストリープが語ると確かな説得力がある。
(やはり違う)。

だが、この映画は科学ものではない。
様々な説を紹介するようなことはしない。
また、海と人間との関係の大切さを語るが、環境問題や政治・経済を説いたりしない。

只管、美しい海とスティングの音楽にメリル・ストリープのナレーションの絡み合った映像を雰囲気たっぷりに流してゆく。
細かいことは言わない。
世界の海は繋がっている。
基本的にはそう述べるだけ。

とは言え、平板なイメージの垂れ流しにはならない。

印象的だったのは、カナダのファンディ湾の緩慢の落差である。
舟が岸に座礁しているのか、と思いきや潮が満ちると海の上にポッカリと浮かぶのだ。
この風景の違いが笑ってしまうほど面白い。まさに自然をありありと感じさせるものだ。
普段、月の引力をこれだけ感じられることもない。

そして、風による荒波である。
攪拌である。嵐による遠心力で派生する波が一週間かけて岸辺に到達する。
数千キロ移動した波相手に仕事をするアメリカ沿岸警備隊の元気な波乗りぶりも楽しく描かれ、、、。
地球を回って来た波に乗ることで、自然との調和と深海の神秘を想う瞑想的な時間をサーファーは与えられる。
海と人の一体感はこんな場に感じられるのだろう、としばし想う。
(遠い昔の海と人の関係が思い起こされる)。

更に海の健康診断ということで、遠隔操作無人探索機で深海を調査するときに現れたクダクラゲには驚く。
数百の個体が集まり一つの生命体を形成しているという、オーガニゼーションの妙。
巨大な体の各器官がそれぞれ独立した個体という。
海はこうしたものを見ることが出来る。
ホタルイカもこのような組織化をみせることを読んだことがある。
まだ分からないことは多い。深く潜る必要性は高い。

そしてわたしが一番、気に入ったシーンがパラオの島に囲まれた塩湖の海中の光景である。
海洋生物が閉じ込められて独自の生態系を作っている。
そのなかで100万個のピンクのクラゲが太陽を追って移動する様は圧巻と言うより幻惑的であった。
女性の海洋科学者がその絵本のような世界をひとり泳いでいるのだ。
(とても羨ましい仕事に感じられた)。
通常、こんなシチュエーションは考えられない。しかしこのクラゲは体に持っている藻しか食べないのだ。
肉食でないために刺されることなどない。


様々な海の光景とそこに溶け込む人の姿が描写されてゆく。
パラオの少年が海と先祖の伝説を木彫りしていたりサンゴの大切さをダイブしながら父親が息子たちに教えるところなど、最高の学びの場に思える。
世界には魅惑的な海がたくさんあるはずだが、この海はまた格別に感じた。


「海は繊細なクラゲを包み込む一方で、屈強なクジラも育む、、、
、、、知識を深めることが大切で、知らなければ守れない。
深く理解すれば、その対象を愛せる。」

最近、絶滅寸前の種(ザトウクジラなど)の復活などがいくつも見られている。
クジラなどの数によって海の健康が測定できるという。
海への理解が深まってきたためであろうか。

良質なイメージビデオと言えるか、、、。
スティングの音楽は海によくマッチする。






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津波の子供たち



Children of the Tsunami
2012年
イギリス

ダン・リード監督、製作


どうもドラマストーリーが鬱陶しく感じられ、ドキュメンタリーに触手が向いてしまう今日この頃。

この3.11についても、直後から諸説が巻き起こり、何が起きたのか混乱するばかりであった。

このようなことが何故起きたのか、、、
なかには大変、オドロオドロしいとんでもない規模の陰謀によって引き起こされたという実しやかな説もある。
ことごとく、災害や大事故は、陰謀に結び付ける向きがある。
そのような陰謀説には、必ず背後に巨悪が存在し(決まってアメリカの~家であるが)、糸を引いているという。
日米関係において常に日本がアメリカの言いなりになっているという構図だ。
何か基本の骨組みは恐ろしくパタン化しており、いつも一緒に思える。
(ホントにそうした関係なのかもしれないが、、、だとすれば恐ろしいことだ)。

ここでは、起きたこと~自然災害はそれとして受けとめたところから、現状を少しでも良い方向にもってゆく努力を人々が静かに始めている様子が窺える。
流れは、被害者~主にこどもたちの事故(事件)後の気持ち(感情)をインタビューしたもので綴ってゆく。
これもひとつの証言であると思う。
淡々と静かに進む。

印象に残ったものに、、、
揺れと津波の様子を説明する子がいたが、とてもシンプルでイメージとして捉えることが出来た。
話す勇気が沸かずに、日記帳を買ってもらいそこに気持ちを書くことにした幼い女の子。
一番仲の良い子の誕生日プレゼントをしっかり渡すことが出来ず、さよならも言えずにそのままになってしまった女子。
17人のクラスで4人残った一人だけど、いまも友達だから離れたくないという男の子。
明らかなPTSDであろう、災害の後から弟が喋れなくなったと語る兄。
仮設住宅の暮らしにまだ馴染めないと話す子供たち、、、。
まだまだ、大きな進展がなく、身動きのとれぬままに耐えている様子がよく受け取れる。
(前は大きな広いおうちに住んでいたけど、かなり狭い、、、同じ棟が続いているので家の番号を間違ってしまった、、、窓から住んでいた家のあるところがいつも見え、早く帰りたい、、、草木のあるところは放射線在留濃度が高いからコンクリートの駐車場で短時間だけしか遊べないの、、、)
噺の中で子供のだれもが、必ずと言っていいほど、「放射線」を口にしていた。
それは災害の恐怖の記憶~悪夢と今後の生活に対する不安を象徴する特別な何かとなっていた。

しかし思いの外、厳しいトラウマに悩み引きずるような子がいないことに少しホッとしてしまった。
というより、そうした子はここに出ていなかったのかも知れない。

そして、流れとして、将来自分は何になりたい、どうしたいという抱負を述べる。
安全を考える人になりたい。
皆の安全を守りたい
災害の時に助けてもらったから、人助ける仕事に就きたい等々、、、。

何というのか、親や周囲の大人やメディア等の語りの聞きかじりの解釈とマイクやカメラを向けられた構えによって発せられた漂白された内容に落ち着き、彼らの身体的な場から思わず発せられる生々しさや直截性の感じられる言葉は思いの外少なかったように思う(表現力が稚拙とかいうレベルではなく、寧ろその逆で芝居がかった感じの子もいた)。
別に子供だからきっと人を驚かせる文脈を壊すような発言が現れるとかいう幻想を抱いているわけではないが。
邪念のない前向きな表情は愛くるしく、言いたいことは把握できたし共感もするが、、、。

寧ろここでは脇役で、ことばも僅かしか聞けない(或いはまったく無言な)のだが、、、
仕事を辞め、重機で土を掘って所在不明のこどもをひたすら探す父親。
校庭のすぐ傍に高台があったのに、何故助けられなかったのか、と悲痛に訴える子供を亡くした母親。
(保護者対象の事故の説明会では、親は子供たちは学校に殺されたという認識であった。)
日夜探し続けてきた我が子が偶然、海でカモメにつつかれて浮かんでいるところを発見された母の静かな慟哭。
そのお母さんは、重機を自ら操り残りの子たちを探している。
この言葉少ない胸が裂けんばかりの悲しみを湛えた彼らの姿~表情に、ここで起きた現実を感じた。


イギリス人監督の一定の距離を置いて淡々と撮る映像は、過剰な思い入れや演出がなく誠実にこの土地の空気を拾っていたと思われる。



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シャチ~優しい殺し屋~

Killer Whales001

Killer Whales
2013年
イギリスBBC

クリス・コール監督

”Killer Whales”という異名をとる血生臭いイメージをもつシャチであるが、実際はどのような存在なのか、、、
専門家たちの詳細な調査・研究によるBBCドキュメンタリーには興味を惹かれた。
音響カメラをシャチに取り付け海中で何が行われているかを魚群探知機で調べてゆく。
声~言葉のパタン収集もしデーターも蓄積された(シャチのことばの辞書を作るという科学者もいる)。
彼らは声も言葉~コミュニケーションと効果的な威嚇~狩りに使い分けている。
それから犬に水面に浮かぶ彼らの糞を探させてその水域に棲むシャチの健康~環境状態を細かく調べた。
(観光船のストレスや栄養不足と汚染などが発覚し、シャチにとって環境はかなり過酷なものであることが分かる)。


一頭ずつ背びれの形が違いその後ろの色~サドルパッチの形も異なることで、個体識別が可能である。
名前をひとりひとりに付けて、かなり研究も深まって来た。

シャチは文化を持っている。
家族単位の群れで暮らし、率いるのは雌の家長である。
雌は14歳で成熟し平均3頭の子を産むという。
基本的に雌も雄も同じ群れで一生を過ごす。
群れ特有のことば(映画では方言という)を持ち、狩る獲物も群れによって異なる。
(血縁が近いと言葉も似てくるが、離れていると全く異なる言葉となるようだ。人間もそうなるが)。
シャチは狩る対象が他のグループと重ならないようにして争いを避けて来たことが分かった。
ここは、人間より賢い(人はしょっちゅう漁場を巡る問題を起こしている)。

Killer Whales002

シャチは魚を食べる定住型(レジデント)と哺乳類を狩る回遊型(トランジエント)とその他の2つの4つの共同体に大きく分かれ、世界におよそ10グループあることが知られている。人類に次いで広い範囲に生息する哺乳類なのだ。
そして生息地によって異なる食性を持つ。
(特殊例として、南極大陸には異なるタイプのグループが3つ重なり合って生息しているが、主食が違うためその為の接触は起きず共存共栄している)。
エイを狩ったり、トドを狩ったり、ミンククジラを狩ったり、ゾウアザラシやペンギンだったり、、、そして見事に統制の取れた無敵のチームプレイを展開するが、そのやり方もグループごとに異なる。
ニュージーランドのシャチはエイを狩るのだが、エイの尻尾の毒を封じるためにひっくり返して咥えて動きを止めるなど、対象に特化したテクニックを磨いている。
獲物を追う時も、単に獲物の後を追うのではなく、隊列のフォーメーションを変えながら迫り、囲い込んで溺れさせる技術を持つ。
その他にも全員でシンクロして泳いで大波を起こし、対象を水中に引き落として捕獲するなど、、。
伝統を継承しつつより洗練させ~効率化もそれぞれ独自に図っているらしい。
パタゴニアのシャチに至っては「シャチアタック」という岸辺にいるトドを仕留める必殺技などを開発している、、、そういったものをそれぞれがもっているのだ。
まさに文化である。

群れの中に病気のものや怪我のものがいるときは、成員皆で世話をする体制も組まれる。
体の障害で狩りの出来ないシャチがずっと元気でいられるのも、食物を仲間からシェアしてもらっているからだ。
4つのグループから支援を受けているシャチもいた。極めて高度な支援体制ではないか。
自分の共同体の成員でなくても、生きることに支障のある者は助けるというシステムが出来ているのだ。
苦労して獲った獲物を仲間にそのまま渡したりもする。
きっとそうする必然性があったのだろう。
シャチには高い知性だけでなく、感情が備わっていることも分かっている。
(脳に人と同じ感情を生む細胞が見つけられているそうだ)。

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最後にシャチは人間に似ているとある女性科学者が述べていたが、それはどうか?
出来れば似ていないことを祈る。
(似ていたなら、ロクなものではない。少なくとも差別や支配を始めることは間違いない)。




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ウォーキングwithモンスター

Walking with Monsters

~前恐竜時代 巨大生物の誕生~
Walking with Monsters
2005年
イギリスBBC

古生代カンブリア紀(5億3000万年前)から中生代三畳紀前期(2億4800万年前)までを描く。
つまり恐竜出現前夜まで。

ドキュメンタリーといっても全てCG映像というのが、面白い。
ある意味、SFとも謂えよう。
魚類の先祖から始まるシナリオである。
細部まで拘ったCGで見られるだけ有難い。
書物で読むのも良いが(それはそれで想像力を刺激するが)画像で示される臨場感はまた捨て難い。
捕食シーンは今一つ迫力と詳細に欠けるが、基本的な形態と質感や動きには充分説得力がある。
それにしても荒唐無稽な方々が次から次へと登場する。
地球生態系のうちで生命が様々な形体を試行錯誤して来た顛末が窺えるというものだ。


それは海から始まる。
沿岸の浅瀬~境界というか縁では特に激しい蠢きが窺える。
(いつもこういう襞のような場所に何かが起こって来た)。

捕食動物の誕生は、目を持つことから、というのはよく分かる。
距離を持って、対象の動きに反応する~と言うより対象化するには、やはり目しかない
目を持つことで、動物は争い合うようになる。はじめてそれが可能となるからだ。

また激しい戦いに耐えられるように、丈夫な鎧を身に着けたりして体自体を変革してゆく。
将来、人がまるで同じことを、道具(武器)として外部へはてしなく拡張してゆくこととなる。

進化しその体に合った新たな環境を開拓しようとすると、必ず未知の敵に遭遇しさらなる戦いに巻き込まれてゆく。
ことごとく戦いなのだ。そして、いまだに戦いではないか、、、。
未知の戦いに対し常にクリエイティブな身体的対応を迫られる(われわれは兵器を作り続ける)。
ご先祖の奮闘ぶりが健気に思え、この時点でこの形質を獲得したのだなと感慨深い。
(特に巨大節足動物に追われても、いつまでも疲れずに逃げおおせる肺と心臓を獲得した小型で敏捷な爬虫類等々)。
その連続であったことをわれわれの遠い先祖の姿をCGで見て実感する。

それにしても巨大節足動物(の世界)はいただけない。
あの大きな蜘蛛に追いかけられたらたまったものではない。
一度夢に出てきたら、暫く不眠症だろう(蜘蛛に対する恐怖心はこの頃の記憶が元になっているか?)
爬虫類の直接の先祖に当たるトカゲみたいな先輩が逃げ切ったと思って一息ついたら、あらぬところから不意打ちにされて絶命したときはちょっとショックであった。蜘蛛の悪知恵はこの頃から凄い。
酸素が過多で気温が高い時分には、でかい節足動物がうようよしていたのだ。どこかに(大脳旧皮質か)その記憶が残留して沈潜しているのなら何とか消し去りたい(恐怖は生存欲動にとってなくてはならないものだが)。


結構盛りだくさんで、色々お目にかかれるのだが、カンブリア紀は例の目を獲得したアノマロカリスである。
まるでゴルフボールみたいな目玉だ。硬い鎧に包まれているが、そこが強みではあるが脆さもここにあった。
この時期にすでに背骨を獲得して(脊椎動物となり)素早く泳げる魚類の先祖も誕生している。

4億2000万年前 シルル紀では、ケファラスピスという進化したお魚が誕生し、人類の体の基礎的な部分(脳など)を作ったといわれる。兜を被った魚みたいなご先祖である。
節足動物も同様に進化しウミサソリなどという巨大な恐ろしいものになっている。
プテリゴトゥスという3m以上ある節足動物もいた。上には上がいるものである。危険だ。
海の外には、300倍の二酸化炭素が大気中に充満していた。気温もはるかに高い。
最初に陸に上がったのは、このサソリであった。

3億6000万年前 デボン紀には、魚が鰭を4本の足に進化させ陸に上がる。
巨大な両生類が水辺に住み着くことになった。
まだ酸素が薄いために十分な肺のない節足動物は大きな外骨格を支えきれず小さくなってゆく。そして両生類の餌となる他なかった。
皮膚が薄いため水辺から離れることの出来ない両生類は、巨大な魚~ハイネリアに食われる危険性を常に残していた。

3億年前 石炭紀には、卵が殻に覆われ、体も乾燥に強い皮膚を得て、完全に陸上生活に耐える爬虫類が生まれる。
酸素濃度は現在の40%も多い。羊歯類が巨大化して森を形成していた。
心臓のスペックが高いペトロラコサウルスは水から離れた生活をスタミナ十分に送る事ができたが、高温で高濃度の酸素が充満した大気のもと復活した巨大節足動物が最大のライバルとして立ちはだかった。両生類も豊富な水場を中心に強力な捕食動物となっている。
ヤスデのご先祖も自動車より大きかったというからもう勘弁してくれといいたい。トンボもやたらとでかい。不気味な世界だ。
この時期、高濃度酸素大気にちょっとした稲妻で大爆発が起きる。こういった自然環境も脅威の一つであった。

2億8000万年前 ペルム紀初期、空気が乾燥し酸素が薄くなってくると巨大な節足動物は絶滅する(小さなものは残る)。
その替わりに爬虫類が大型化して地上を支配することとなった。彼らは大きな帆をもって熱調整が出来るのだ。
エダフォサウルスは草食であり、肉食はディメトロドンである。
彼らは極端な暑さと寒さという厳しい変化に対する体の調整能力を獲得することで繁栄して行く。
哺乳類型爬虫類でありわれわれの体温調整能力も彼らから受け継いでいるという。
ディメトロドンの母親が卵を守る戦いがかなりの尺で描かれてゆく。
飢えや敵との闘いの過酷な現実がよく伝わって来た。

2億5000万年前 ペルム紀後期、さらに爬虫類は進化して強靭な体を得る。
しかし地殻変動により、地球の大陸が一つになり(パンゲア大陸)灼熱の世界と化し砂漠化が進んだ。現在より60%気温が高い。
スクトサウルスというリクガメの先祖とゴルゴノプスという獰猛な肉食獣が闊歩していた。
しかしこの頃の爬虫類は、寧ろ爬虫類より哺乳類に近い要素があったようだ(恐竜には直接繋がらない)。
ディイクトドンという哺乳類に近い狡猾で小さな爬虫類も地下に番で棲んでいた。
彼らは深いトンネルを作ってゆき、生き延びていったが、多くの大きな動物は次々に劣悪な環境に耐え兼ね絶滅してゆく。
水場が消滅して行き、灼熱地獄の中90%の生物が絶滅した。

2億4800万年前 三畳紀、地球が回復してゆき、針葉樹の森が現れる。気温は現在の40%高い。
ユーパルケリアという小さい敏捷な爬虫類が二足歩行の能力を得、恐竜の直接の祖先となる。
リストロサウルスという発達した脳を持つ植物食性の爬虫類がもっとも数多く広く地上を占めていた。
しかし彼らは哺乳類型爬虫類の最後の存在であった。
彼らの代わりに進化、発達して地上を支配するのは二足歩行のユーパルケリアを始祖とする恐竜であった、、、


という壮大な物語である。
恐竜の造形はまずまず良かったが、捕食とかその辺のVFXはかなり物足りなさを感じた。
その描写も臨場感溢れるものであれば、もっと入り込めた感はある。
だが、結構好きなテーマであったため、楽しめた。


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幸福の罪

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Nevinnost    Innocence
2011年
チェコ

ヤン・フジェベイク監督・脚本


オンドジェイ・ヴェトヒー、、、トマシュ(リハビリ医)
アナ・ガイスレロヴァ、、、リーダ(ミラダの妹)
ジタ・モラヴコヴァ、、、ミラダ(トマシュの妻)
ヒネク・チェルマーク、、、ラダ(刑事、ミラダの元夫)
アナ・リンハルトヴァ、、、オリンカ(トマシュの患者14歳少女)

またもやおかしな邦題。

まさに”Innocence”だ。
オリンカこそロリータだ。
そして15年目のオリンカがリーダであった。
リーダは15年間トマシュを思い続けて身近で待っていた女性であったが、今度はトマシュが刑に服している間の20年ずっと思い続けて待つというオリンカである。
狂気の沙汰。

ある意味、リーダからオリンカへバトンタッチされた。
トマシュは刑務所で卓球していた方が気が楽でよかろうに。
実際、解放感が窺え、楽しそうだ。
外に出たらまた同じようなパタンを繰り返すしかないのだから。

思ってしまうのは仕方のないことだが、何か他の場所を見出したらよいのだ。
それに「あなたは誰も傷付けない主義」とか「何も失いたくなかった」と言われてしまうトマシュの心性は、どうしたって地獄を呼ぶ。
そう、特異な磁場が出来ているではないか、、、。
身近で恋愛感情~関係のある複数の人間が顔を突き合わして暮らしていて、誰ともうまくやっていける訳ない。
少女は少女で、詩的妄想ラブレターを書いては送ってくるし、、、。
そうした感情~性愛が引き寄せられてくる。
オリンカもこれを昇華させ本にでもして売れっ子作家になれば、将来リーダのように湖で溺死することもなかろう。
文才はありそうなので、ラブレターや日記をまとめてゆけばよいのでは。時間はたっぷりあるのだ。
ただ、妄想を日常世界にそのまま撒き散らすと大変危険であることがよく分かる。


物語はとてもよくできている。
最後にそういう形にブーツストラップするか、と感心した。
登場人物の陰影もよく描き出されている。
女性の魔性としたたかさ、アグレッシブなところが印象的であった。
それから独善性も。
男性はラダがひたすら耐える不憫な存在に思えたが、いい人ぶっているトマシュはやはり元凶なんだろうな。


というところで、今日はよく練られた噺の内容には一切立ち入らず、この映画で示された教訓をひとつあげておきたい。
誰をも傷つけずになどという綺麗ごとを言って、何も失わずに済まそうという虫の良い考えは、通用しないばかりか、周りを不幸に陥れるだけである。


このチェコの映画、全体に重く、ユーモアもペーソスに溢れていた。
カフカのチェコである。
一度は行ってみたい。


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密着!ネコの一週間

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2013年
イギリス

ヘレン・セイジ監督

サラ・エリス博士(生命科学)
アリア・シェイク(BBC研究開発部門)
BBC放送


飼い猫(人に馴染んだ猫)の生態を探るドキュメンタリー。
イギリス サリー州で50匹の一般家庭で飼われている猫を対象に行われた検証である。

わたしも猫好きで高校生まで、猫をたくさん飼っていた。
というか、一緒に生活していた。
猫には愛着がありとても興味がある。
だが外へ出かけて行った猫が実際どんな生活をしていたのかほとんど知らない。
実は、飼い主は自分の猫の秘密の生活については、分かっていないことが多いのだ、、、。

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首輪にGPSと猫目線で対象を記録することのできる小型カメラを装着し、いつも通りの生活を猫たちにしてもらう。
カメラは夜の闇にも対応し(夜の見回りは彼らの日課である)、音も拾う。威嚇の声がよく入る(笑。
猫はいつものように外に出てゆく。
時間はそれぞれ違う。
そんな、各猫のルーチンを(本部でモニター越しに)見守る一週間。


分かったこと、、、

彼らには縄張りがある。
家からあまり遠くに離れない。

限られた場所を共有して生きている。
時折、自分の縄張り内に入った他の猫と睨み合いになる。
猫は基本、単独行動である。
自分の場所に他者を入れない。
邪魔者を発見し、それに向かって急に走ったりする。
だが、可能な限り争いは避け、お互いに距離を置こうとする。
距離の置き方は、その場所を訪問する時間帯をずらす等の工夫で対応したりしている。
(つまり縄張りが重なる猫は、その時ひとりは家にいてもうひとりは外に出ている)。
何よりケガは身体的負担が大きいことを知っているのだ。
(わたしの飼い猫はよくケンカをして血だらけになって帰って来たものだが。頭は良いが野性味がたっぷりあった)。

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行動範囲(縄張り)が重なると、トラブルは起こりやすい。
だがそこは、臭い付けで相手に自分の存在を知らしめ直接の争いに発展しないようにしている。
猫のメモ~注意書き、である。
猫は平均一日の5分の1は外に出ているそうだ。
しかし一番くつろげるのは家であるようだ(見たまんまではないか。
猫との付き合いは9000年前からあり、人は猫にネズミ退治をしてもらうのと交換に、餌と寝場所を提供してきた関係だ。
虎やライオンの側面である狩りは今もやめられないがそれも役に立っている。
(だが、街が衛生的になるにつけ、その能力は使う必要性が減っている)。
うちの猫もよく狩りをやっていたものだ。野生の側面を充分に解放していて元気だった。

狩りと関係しているのか、他の家の猫の餌を毎日食べに行っている猫が思いの外、多かった。
これは面白い。猫にとって家は一つではないのか。
飼い主はそれを見てまあ恥ずかしいわと言っているが、、、。
(自宅と別荘の関係だろうか?)

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そして興味深いのは、彼らに野生的な面が少なくなり人との暮らしの中で徐々に猫同士の仲間意識が芽生えて来たということ。
ここで調べた、6匹の猫をずっと飼っている家では同時間にどの猫も同じ場所を歩き回っていたという。
まだこのようなケースは特殊であるが、最近の傾向でもあるという。
猫は変わりつつあるのだ。

猫と人は今後、ますます親密になってゆくようだ。
そして猫も親兄弟でもないのに、集団で散歩などをし始めるのかも知れない。
ちょっと変な感じだが、、、。


ほとんど同じに見えるが、、、外国の猫も見てみたい。



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一遍~田中泯

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国宝「一遍聖絵」(全12巻)を日曜美術館でやっていた。「踊念仏」興味があった。
ゲストも田中泯である。ファンである。そういえば、泯さんは一遍に似ている。
もう遠い昔、大学生の頃、彼の八王子のワークショップ場に泯さんを見に行ったものである。
(ショップはすでに終わっていて、彼が独りで味噌汁を作っており、「味噌汁飲んでらっしゃい」と謂われたものだ。いきなり来てお弟子さんたち?に交じり味噌汁だけ飲むというのも気が引け、お礼を言って帰ったが、、、今考えると飲んで何か話でも伺うべきだったと思う)。

鎌倉時代の一遍上人の活躍した頃、飢餓や飢饉が拡がり蒙古の襲来も経験し、いよいよこの世も末だと思っている庶民に対し、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば極楽浄土に逝ける、という思想は極めてラディカルに響いたはずである。
「南無阿弥陀仏」と唱えて踊り続けているうちに、皆トランス状態になって、極楽を見てしまっているのだ。
ここにいて、もうすでにここにはいない、、、
「踊念仏」はパンデミックに広まった。
SNSのない時代に凄い拡散力であった。
あまりの生活苦から、難しい文を読み砕いたり、沈思熟考などしている身分ではない庶民にとって革命的な方法であったに相違ない。

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「南無阿弥陀仏」と唱え、後は身体に任せればよいのだ。
わたしがその時代にいたら、間違いなく田中泯、ではなくて一遍上人の後をついて念仏を唱えながら鐘を鳴らして踊っていたはず。
そんな庶民の様子が国宝「一遍聖絵」にはリアルな臨場感をもって精緻に描かれていた。
絹~和紙ではない~に描かれているのも驚きだが、一遍上人は風俗画のなかのほんの小さな人物の一人として描かれているのも特徴的である。これは鎌倉の時代考証にもってこいの貴重な資料でもあった。
そして一遍がどういういきさつで武士からすべてを捨てて修行僧となったのか、どのように修行を進め、その果てにどのような悟りを得たのか、その悟りとは何であり、それをどういう形で布教していったのかがとても分かりやすく実感できるものとなっている。
これこそ、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の絵にも言える、絵で表すことの有効性である。
文盲の人にも理解が出来るのだ。
「千年経っても道標となる」貴重な資料だ。
芸術性も大和絵と水墨画を高いレベルで融合させ、和紙に描くより二倍以上は手間のかかるという絹に描くという気合の入り振りが、まごうかたなき国宝の品格を示していた。

もう一人のゲストコメンテーターの政治学者で作家の方も(噺が)面白く、一遍上人像にも少し迫れたが、やはりキメは身体論であった。泯さんは大いなるものを通過させる「器」としての身体~踊りを終始強調していた。
「初めから一遍は念仏を身体で考えていた」
「踊りと(念仏を唱える)歌のなかから自分を超えた自分の力、人知を超えた不可思議な力を感じざるを得ない」
「踊ることで初めて分かる」
「予め持ってしまっているものを捨て続ける」
「規制訓練化された身体性を踊りで打ち壊す」
「今は自由に踊るということ自体出来ない」
「要するに言葉に解消出来ないモノは身体に任せればよい」

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共感する言葉に小気味よくこちらも乗せられていくのだが、「嘘をついてる人は身体が辛いでしょ」で皆が笑う。
自覚があるのだ。わたしも勿論。身体にあちこち無理がある。分かっている。だが、ズルズル来てしまった、、、。
「身体は大きなものが通過するかりそめの場所なんですね」
だから「豊かな器にすべき」(田中泯)
まさにこれでキマッタ(笑。


9/11: 爆破の証拠 - 専門家は語る 後

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9/11 Explosive Evidence - Experts Speak Out

監督のリチャード・ゲイジは、全米建築家協会員、専門家1500人を超えるAE911Truth (911の真実を求める建築家とエンジニアたち)創始者である。
一切の憶測や陰謀説を拒否して純粋に「これらのビルがどのようにして崩壊したか」を追求する姿勢は誠実で堅実なものであり、もっともこの事件に対する有効なスタンスだと思われる。
そして、この映像を見て、あなた自身で結論を見出す位置に立ってほしいことを告げる。
この主張に賛同する(サインした)人々も一般人も含め25000人を超えている(2012年時で)。

何より不自然なのは、FEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)がWTCからまともな検証をする前に証拠を取り去ってしまった事だ。特に未曽有の大事件である場合、この地区を完全封鎖し全てのものを維持、保存~記録して詳細な調査を進めるものであろう。まるで証拠隠滅をするようなかたちで、すぐさま瓦礫などを撤去しスクラップとして中国に送ってしまったという。
疑問を抱く科学者が分析をしようにも肝心なものがほとんど残されていないばかりか、逮捕の不安と恐怖も抱くこととなった。

またこの「テロ」~陰謀によりマイケル・ムーアの大嫌いなブッシュは高い支持率を得て、アフガニスタン戦争とイラク戦争へと突入し、軍需産業が絶好調となる。まず国民が犠牲になることで国家意識を高め同時に敵国に対して復讐~攻撃の正当化~コンセンサスをとる。ある意味、戦争をするときの常套手段だ。こうした事件を契機に国防・安全の見地から「愛国者法」「軍事法廷法」「国民安全保障省」「国防権限法」等、自由や人権を奪う悪法が制定され、アメリカ国民の逮捕状なしでの捜査や身柄拘束が可能となり、逮捕拘留も無期限とされる。罪状も分からず証拠もなく、弁護士もおらず裁判もなく拷問や暗殺も起こりうる状況に置かれてしまった。
(日本でもNHKアナウンサーが911で4000人もタワーで働いていたユダヤ人が1人しか犠牲になっていない事実を告げた後で謎の自殺を遂げている。タワーは途中からユダヤ人所有になっていた)。

しかしこれは破格の犯罪である。
どのような企みの元でなされたにせよ、対テロ戦争で6000人の米兵が亡くなり、アフガン・イラクで1000000人が命を落とし、4兆5000億ドルの税金が消えた。
それほどの犠牲を払ってまでこのような茶番を行う価値が誰にあるのか(あったのか)。
つまり誰が得をしたのか?!
(この映画では取り上げていないが、恐ろしく多額の保険金は支払われたそうだ)。
多くの人が疑っている。政府~FEMAの公式見解を鵜呑みにしている人はいない。
あの戦争の正当性を信じている人は少ない。


遺族のひとりは答えられていない疑問があることが恐ろしいと述べる。
そして安全、国防という幻想で国民の自由と人権を奪う。

これは「自由」をかけた闘いとなろう。
(「華氏911」でも語られていたことだ)。
国~政府・体制~権力との。

政府見解に明らかに反する科学的検証から導き出された事実に誰もが大きな不安と恐れを抱き、それを無視や否定しようとしたり、逆に批判し、自己防衛を図る人も少なくない。
ここで新たに示された信憑性が多くの人々~遺族にとっての強い困惑を呼び、更なる外傷を生む場合もある。
自己解体の危機を経験するのだ。
彼らの国への信頼、その盲目的信念は打ち砕かれ、寄る辺を失う。
あたかも信じて疑わなかった親愛なる親に完全に裏切られたという衝撃であろうか。
(わたしには、こういうケースに対するショックなど些かもない。初めからわたしには親~地盤もバックボーンもないため、如何なる基盤が崩れ去ろうが知ったことではない。ストレートに真実に食らいつくのみ)。


~証拠が導くものに向かわなくてはならない。
理解すること、受け容れること、世界に対する信念を打ち壊す「誠実さ」に身を委ね、「恐れ」に打ち克つことである。
「受け容れ追求する。起こったことのすべてに光を当てる。それが究極的に癒しのプロセスとなる」。
これは至言である。
わたしもこれをまさに自分に課し実行している。
(自分の問題において)。


なお、この日に何が起きたのかは、まだ何も明らかにはされていない。


余り知られていない第7ビル(第三のビル)の「制御解体」その自由落下に等しい対称性を保つ崩落。
(火災では構造上絶対に倒壊しない47階のビルが僅か7秒で綺麗に沈む)。

ツインタワーにしても、12秒で同様に沈んだ。
非対称的損傷を受けたにも関わらず、見た目には完全に対称的な「制御解体」する様子がはっきりと見られる。
ツインタワーのエレベーターシャフトは管理会社ならいつでも出入り自由であったそうだ。
数日前にもそのような業者が立ち入りしていたそうだ。
そこに入れば全てのコアになる梁や柱に容易にアクセス出来るという。
本来ボーイング707の衝突にもしっかり耐える構造を持ったビルであったのだが。


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911爆破の証拠―専門家は語る 前

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9/11 Explosive Evidence - Experts Speak Out
2012年
アメリカ

リチャード・ゲイジ監督

わたしは陰謀説で楽しむ体質ではない~ちょうど子供がお化けに怖がる楽しみに似ている~が、この「アメリカ同時多発テロ事件」に関しては、公式報道は明らかにストーリーが杜撰すぎて、このまま閉じるようなものにはなるまいと考える。
目に見える事実(記録)と証拠が、このように暴かれてしまっては、テロはやはりアメリカの自作自演に思えてくる。
この考察・検証の映像は、あくまでも構造工学 高層建築 物理学 化学 消防 金属工学そして制御解体の分野の各専門家が科学的に矛盾点をあげて、旅客機が突っ込んだとしても、まずあのような災害は生まれないことをはっきり示している。それを裏付ける尋常ならざる出来事の間違いようのない証拠が提示されている。だがその暴挙を誰(何者)がどのような目的で行ったのか、その陰謀に関する(政治的・経済的)部分にまでは一切踏み込まない。彼らはジャーナリストでも政治家でもないため科学的に解明できる部分までしか述べない。
しかし彼らの検証から、周到に大きな組織によって遂行された結果であることだけは間違いないことが分かる。
彼らが訴える権力から独立した調査機関が早急に必要である。もうすでに随分の時が経ってしまっている。
遺族に対しても真実こそが本当の癒しとなるはずである。

わたしは実はこの事件にそれほどの注目をしていなかった。
何故だか分からない。当時の自分の状況が周囲に目を向ける余裕を作らせないものだったのだと思われる。
ただ、この物々しい事件についてTVニュースや写真で見たことは覚えている。
とても不思議な印象を抱いたものだ。
何故、このような派手でアクロバティックな(不確実で失敗の確率の高い)テロを決行したのだろうという感想であった。
演出効果でも狙ったのかとも感じたが。
爆弾を秘密裏に仕掛けて爆破した方がどう考えても確実に思えた。

しかし、今日このドキュメンタリー映画を見て分かったのは、このあまりに見事な素早い「制御解体」は、実際に事前に仕掛けられた爆発物と焼夷物質によって、映像に残るように、ほぼ自由落下状態で崩落したようだ。特に三つ目の飛行機が刺さらなかった第7ビルである。火災の飛び火でビルがあのような形で崩落することなどありえないことは素人にも分かる。
ツインタワーにしても、大型旅客機が追突したくらいで潰れるような強度ではないと建築家が口をそろえて言う。
更に使われている鉄骨があの程度のショックで全てが同時に折れるようなことはあり得ない。
熱も1500℃を越えなければ鉄は溶けださない。勿論、その温度に届かなくても強度は下がるが、コンクリートに包まれた鉄骨である。専門家にすれば最も熱くてせいぜい400℃くらいまでだそうだ。そして何日間も400℃くらいで燃え続けたビルも鉄骨だけはそのまま残る例が過去いくつもあったという。しかも、飛行機の燃料は着くまでにほとんど使いきっており、ビルは非常に酸素の少ない状況で黒煙が立ち上っていた。しかも壊れた窓から助けを求め手を振っている人たちも見えたではないか。熱自体それほどの高温ではなかったことが分かる。そして不可思議なのは、旅客機の突っ込んだ下の部分やその他のところから段階的に爆発が覗えるところである。これは救助に入った消防士も規則的に鳴る爆破音を聞いている。
そして地面には鉄が溶岩のようにドロドロに流れているのを多くの人が見ている。恐ろしい高熱が鉄を溶かしたことが分かる。その熱は旅客機の突っ込む前に発せられたものであることも検証されている。しかも数日間にわたりずっと瓦礫の奥かなり下の部分で強い火災が続いていた。これは酸素のないところでも激しい発熱をするある兵器しか考えられないものであった。

残った粉塵や赤と灰色の固まった鉄を調査した科学者は、そこにビルや旅客機の事故からは絶対に生まれることのない物質を発見していた。
ナノテルミットという最新の大規模な工場の(ナノ技術の完備された)製造工程を経なければ作れない焼夷物質である。
アメリカ軍が戦争で使用しているまさにそれであった。
これは到底、砂漠でゲリラ活動を訓練している人々に製造可能なものではない。
専門家はこのナノテルミットが旅客機追突のタイミングに同期して鉄骨を内部から融解していったものとみる。
単に上部の破壊が、床を潰しつつ下の階に段階的に降りてゆくような力学では全く説明のしようがないことを明らかにする。
しかも綺麗に対称性を保って恐ろしく短時間に沈むことなどまず起こりえない。
そして遺族のもとに帰らない~蒸発した遺体など、このような熱量を持たなければあり得ないと。
(しかしコンクリートがパウダー状に積もる様子を見た科学者は、それ以上の兵器も考えられる余地を挙げている)。

~明日に続く。




華氏119

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水曜日はどうにも忙しく、毎週水だけお休みにしようか、箇条書きだけでも載せようかと迷う、、、。
Fahrenheit 11/9
2018年
アメリカ

マイケル・ムーア監督

わたしは、基本的に政治に興味はない。政治について語る準備もない。
政治体制がどうなろうと実存の在り方が変わるものでもない。
だが、その体制~外圧にも限度がある。
不可避的に政治に関わざるを得ない危機的状況にすでに差し掛かっている部分はあるようだ。
(最近、全く別の件でそれをひしひしと感じたことがある。個人情報漏洩に関する重大な件だ。日本もいよいよおかしくなってきた感がある)。

「119」はメキシコ国境にせっせと壁を作っているトランプが勝利宣言をした日であるが、かつて1989年11月9日に「ベルリンの壁」が崩壊した。
こんな風な対比がブラックジョークになって笑えるところがあったりするが、全編極めてシリアスに迫っていた。
ちょいと映像に入れるムーアの一言(ツッコミ)がいちいちクスっと腑に落ちる。
音楽の演出も良いセンスで、映像の編集もサスペンスドラマ調であったりして綺麗であった。
何よりアメリカ愛が凄く、本気で自国を憂いていることが分かる映画である。その分何の遠慮もなく鋭い。
日本のメディアからは伝わってこない盛りだくさんで強烈な事柄、事件もかなりビビットに確認できた。
デモ隊が警察と対峙しこちらの武器は、という箇所で「マイケルムーアだ」というところは、ホント笑える。
華氏911」ではブッシュを叩くも、次の選挙に再選させてしまったが、、、今度はどうか?

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トランプをぎゃふんと言わせてほしいとは思ったが、噺はそんな現代版ヒトラーを生むに至った社会構造を暴いてみせるところに力点が置かれている。トランプの暴挙を挙げ連ね批評・断罪するというより、こういう人を国の代表に押し上げてしまう政党~政治家~資本家そして民衆とが作る利権構造に寧ろスポットを当てているのだ。そこに説得力があり、個人の悪事ではなく全体の病として分析した結果の危機的で恐ろしい事態を晒していた。

トランプ政権の誕生は日本のわれわれにとっても確かにショックであった。
未開票でありながら、ヒラリー陣営はシャンパンを抜いて祝賀を始めていたのだから、アメリカ本国においても青天の霹靂と受け取ったひとは多かったことであろう。
トランプが勝つことを予見していたのはマイケル・ムーアくらいではないのか。
他の政治家、評論家、芸能人、メディア、著名人は皆、ヒラリーが勝つと公言していた。
初の女性大統領の誕生だわと思い込み結果も見ずに感激して泣いている人さえいたものだ。

何故トランプが大統領に選ばれたのか、という前に、、、
本人は別になる気などなく、自己顕示欲を充たす~金になるために立候補してみせただけであった。
NBCが歌手のグウェン・ステファニーに払った出演ギャラが自分より高かったことに怒り?その対抗意識で自分の人気を確かめるために出馬してみたらしい。
別世界の生物のことなので、わたしには意味不明なのだが、演説会に集まった群衆の数やこれは儲かると飛びついてくるメディアに酔って、暴言を喚き散らしながらも、大統領も悪くないと思うようになったようだ。金持ちのビジネスマンの悪ふざけで始めたこととは言え、、、。
だから勝ってもスピーチの用意もなかった(爆。

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だが、強大な権力が転がり込んできたものだから大変だ。
何とかに刃物である。
その後は、ただ只管「アメリカ・ファースト」と雄叫びをあげ訳の分からぬツイートをしながら邁進してゆく。
得体の知れないパワーだが。

民主党がどうしょもなく腐っていた。
「共和党と民主党は同じ穴のムジナ」とバーニー・サンダースの謂うように、本当に政治をやる気の若手民主党議員の足を引っ張りわざと負けさせ、大統領予備選では得票数の改竄により圧倒的に勝っていたバーニーを落とし、クリントンを勝たせた。
公立大学の無償化や金融業界の規制を掲げ多くの貧困層、労働者から慕われ支持を集めていたバーニーが実は優勢であったことを知っている党員たちの心が民主党から離れ、共和党のトランプが対抗馬であることからすっかり政治~選挙(政治への参加)から遠ざかってしまう。クリントンは金融業からの献金を受けているところからも党員からは拒否反応が出ていた。
こんな実情から、恐ろしく低い投票率のなかトランプ政権誕生への道筋を作ってしまう。


民主党がこんな党だとは知らなかった。
ハッキリ言ってこの二大政党では、アメリカは変わりようがない。
同じ大企業~資本家から献金を受けており、利権絡みで結果的に同じ行動しかとれないのだ。
これは、オバマも同様であった。
大統領の執事の涙」でオバマが当選して感極まって泣いていた主人公の父子がこれをどう感じるのか、、、。
(ある意味あの続編とも謂える)。
やはりみんな同じ穴のムジナだと呆れかえるだけだろう。
国民に目を向けている政治家が日本と同様に、いないことがまず基本的問題だ。

民衆を偽の安全の為に自由を手放す方向にもってゆき骨抜きにする。
謂い方を変えれば「安全」という幻想を担保に「自由」を奪う。
民衆が政治に失望し諦めた時にここぞとばかりに独裁政権が生まれてゆく。
ナチスドイツの例と重ねながら、この構造を映像編集でムーアが楽しく示している。

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前後するが、リック・シュナイダー州知事のミシガン州フリントで起きた耳を疑う汚染水問題から彼は噺を始めた。
まだ、トランプが政権を握る以前の話だが、この事件がトランプのやり方の手本(縮図か)となっていると彼は睨む。
今一つ説明が曖昧でよく把握できなかったが、フリントに供給する水源をこれまでの綺麗なヒューロン湖から汚染されたフリント川にシュナイダー知事が独断で替えてしまう。これが最悪の事件(犯罪)の始まりであった。
何でもすでにある上水道とは別な(もっと効率的な?しかし無用な)パイプラインを設置することにしたのだ。オーナーは知事の大口献金者だそうで、その際に銀行も儲かる。要するに自分の懐が更に潤い、自分の権力行使が何より目的であったとは、ムーアの捉え方だが、その辺のやり方がトランプにも引き継がれているというものだ?

その長期の工事の間、水源はフリント川から供給された。
その水を知らずに飲んだ住人が鉛中毒になり深刻な健康被害を受ける(上水道管の問題か?)。子供たちへの影響が大きく、一生涯その病から癒えることはなくDNAを損傷し子孫にも受け継がれるということ。高齢者には死亡者もかなり出た。
しかし州はその汚水の水質検査データを隠蔽し、改竄した情報を流して、毒の水を人々にずっと飲ませ続ける。
それを後程知った他州からのミネラルウォーターのペットボトルが寄付によって無料配布されたというが、驚くべき実態だ。
漸く知事の責任を問う訴訟が始まったというが。今のアメリカでこれか、という一番のショックである。
トランプはこのリック・シュナイダー(の手法)を支持しており、今もとても仲が良いそうだ。

フリントの鉛混入の水道水汚染では、利権絡みで政治家はまるで話にならず、ついに非常事態宣言をしてオバマが動くことになったが、彼を民主党の良心のように期待した人々は、ただ落胆するだけであった。つまり何がどうなるでもなく、単なるパフォーマンスに終わってしまったのだ。これには誰よりマイケル・ムーアががっかりしていたのが分かった。

その後が酷い。フリントの市街地に事前の予告も何もなく軍事演習が突発的に行われたのだ。
空いた建造物が多いことから選ばれたというが、空き家が多いのは、経済的に逼迫し貧困の地となった結果であるからだが、その苦境に追い打ちをかけるような無神経極まりない突然の銃弾の雨霰である。住民は民主党に見切りをつける。
民主党の、労働者や貧困層に対する姿勢の一端が窺えた場面であった。

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この時点で労働者の救済を訴えたトランプに人が流れるのも必然であった。
ムーアに言わせればひとつの選挙戦のポーズに過ぎないのであるが。

もう大人に任せてはいられない。
フロリダの高校乱射事件では全米の高校生が立ち上がる。
犯人はKKKに所属する退学させられた高校生であった。
これに対し銃規制を訴える高校生の迅速な行動と集客力ではなく動員力は素晴らしい。
これは忽ち全国に波及して大きな運動となる。
SNSがこれにも大変寄与する。もっとも有効な使い方を彼らは知っている。
全米ライフル協会(NRA)の支持と献金を受けるトランプらに打撃を与える事が出来るか。
今後に注目したい。

明るい展望を印象付けてエンディングへ、、、。

マイケル・ムーアとしては、その方向に持って行きたいのはよく分かる。
ドキュメンタリー映画の力とはこの現実に働きかける力であろう。
人々に希望と行動力を促す。
わたしでさえ、影響を受けた(笑。
(全く慣れない政治ものであり、いつもと異なる類の話をしてとてもぎこちなかった(爆)。




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アンダー・ザ・シルバーレイク

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UNDER THE SILVER LAKE
2018年
アメリカ

デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督・脚本


アンドリュー・ガーフィールド、、、サム
ライリー・キーオ、、、サラ
トファー・グレイス、、、サムの友達
ゾーシャ・マメット、、、トロイ
キャリー・ヘルナンデス、、、ミリセント・セヴェンス
パトリック・フィッシュラー、、、コミック・マン


登場人物が、皆これといって特徴がない。
個性がない。いや個別性というべきだろう。
最後まで観ていて目立つのは自己保存欲と性衝動くらいか。
本当にフラットな生活平面を生きており、、、
快楽原則に従い生きている感じだが、さしてギラついた(退廃を極めるとか享楽的な)ものでもなく、それに対応する現実原則もあってないようなものなので、ストレスも強烈なリビドーもほとんど窺えず、思慮もなく何か目先の刺激に釣られて動く生きたゾンビみたいなのがひたすら出てくる。

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であるから、ひとりも善人などおらず、悪人と謂うより皆が出鱈目でいい加減で滅茶苦茶な人格であり、誰がどうなろうとどうでも良い気分で観られるところは気楽でよい。
勿論、スーパーマン的な存在や哀愁を感じ同情するような駒の入る余地などない。
(善悪の彼岸におり勧善懲悪自体要請されない世界である)。
主人公など、タフさが取柄の妙なオタクであるが、所謂本能の赴くままに都会を漂っているだけのゴロツキである。
ギャングでもなければ、特にオタクを極めて何かを発信するというのでもない。
ただ、いつもオペラグラスで覗いていた向かいに住む美女が突然、消えてしまったから、訳のわからぬ謎解きをゲーム攻略に興じるような感覚でしてゆき、何故か彼女の居場所を突き止める。そうした行為~身振りが習性でもあるから必然的にか。
だが、彼女とはテレビ電話で話しただけで本当のところどうなのか分からぬものだが、、、。
真相に気づくとか近づくなんてこと自体ひとつの欺瞞であり自己満足に過ぎない。
そもそも、本当のところ自体が問題にされない。思い込みがあるだけ。そこがわれわれの世界そのものでもありとてもリアリティはある。
だがそれを確認したところでどうというものでもない。

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殺人事件も幾つか発生するが、本当にその被害者が死んだのかどうかは分からない。
メディア情報でしかそれを知ることはないのだし。
偽装して異なる生を生きようと~転生しようと金持ちが地下組織を作っていたりしていたが、それもどうなんだか、、、。
実にキッチュでいい加減な儀式をやっていてイカガワシイだけ、どういうつもりなのか。
地下世界というのは、人類普遍の異界へのロマンであるが、幻想にすぎない。
フラットな地平には実に安易に「超越した場所」が作られる傾向がある。
(これはわたしの強い実感からだが)。
暗号とか秘密のメッセージ、隠された巨大な陰謀とかに惹かれ足を掬われたりその探索に暇な時間をやたら費やして過ごす。
パソコンの前で。スマホを肌身離さず。
うちの娘も危ない。充分に予備軍に入隊しているぞ。
(その前にわたしもパソコンに取り囲まれて生活している)。

そう舞台がハリウッドのすぐ隣のシルバーレイクというのも象徴的だ。
とてもイカガワシイ。
みんながみんなで面白くもなんともないコメディーを惰性的に演じている印象である。
ハリウッド(ユートピア)まで到達していれば、何やら重厚なエンターテイメントを懸命に披露するのに、という感じか。
その距離感を感じるひとたちの現実とも謂えるか。



基本的にこういう映画はひとつ作れば充分だと思う。


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少女邂逅

Eda Yuka
2018年
枝 優花 監督・脚本
水本夏絵 音楽

保紫萌香、、、小原ミユリ
モトーラ世理奈、、、富田紬

監督が23歳の若さ。
道理で瑞々しく果敢なく屈折した、、、主人公と地続きの地平に,まだいる人に想える。
(対象化するだけの距離は持つが)。

虐めが原因なのか、場面緘黙症のミユリは森で同級生からいつものようにいじめを受けていて、リストカットしようとして出来なかった腕に何故だか蚕が登って来ていた。
彼女はその蚕に「つむぎ」という名を付けて密かに飼い始める。
だが後日、また帰りにいじめを受けた際、その「つむぎ」が見つかってしまい、いじめっ子に森に捨てられてしまう。
またリストカットしようとしていると、不思議なタイミングで夢のように少女が助けてくれる。
その少女が翌朝転校してきた「紬」であった。
勉強が出来る凛とした少女であるが、ミユリに親身に関わるところからも特別な何か(秘密)を抱えていることを感じさせる。

この辺の文脈は少女漫画かライトノベル調で如何にもと謂う感じであったが。

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紬とミユリは親しくなり、紬の影響でミユリは言葉を取り戻してゆく。
ふたりは暫く、密かに親密な時を過ごす。
神のように慕う紬からミユリは自分の一番の存在だと言われ、自己肯定感が抱けるようになる。
ミユリの表情は明るく穏やかになり、身なりや容姿も綺麗になって友達も自然に出来てくる。
思った通りの運びだが、紬のミステリアスな雰囲気に蚕~繭のイメージが絡み、理科の授業も丁度蚕の生態を扱っており、その教師と紬の関係も微妙に匂わせながら、流れ全体に独特の雰囲気が醸し出される。
極めて過酷な状況を脱したかに見えて、危うさと不安と焦燥は充満してゆき緊張感は高まってゆく。
蒼暗い光の色調がそれを演出し、紬=蚕~繭から想起される残酷なイメージが随時差し挟まれて展開する。

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ミユリは取り巻きの友達との関りが増え、以前のように紬とふたりで逢う時間が次第に少なくなってゆく。
しかしふたりの大切な約束は生きていた。
一緒に授業をサボって沖縄旅行に行くことである。
狭い場所から飛び出して、解放されることを共に強く願っていたのだ。
この片田舎から、今の自分から、自ずと敷かれてしまうレールから、、、。
この沖縄旅行はただの気晴らしではなく、それら自分を呪縛する全てからの解放を意味する象徴的な行動でもあった。
そのために紬は放課後に無謀な金策に走っていた。
ミユリの、死をイメージする白昼夢なども現れ、不吉な予兆も感じさせる。

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待ちに待った旅行をついに決行するが、それは女の子がふたりで楽しく燥いでゆく旅とは異質なものとなっていた。
とても寂し気な乗り継ぎ駅でベンチに待つときに紬は眠ってしまう。
ミユリはその時に、紬の太腿に幾つもの刃物で付けた傷跡を見出す。
そこから出ている絹糸は幾ら引っ張っても途切れることなく引き出せるのだ、、、。
ミユリは闇の深さを知り、引き裂かれたところでこの関係は終焉を迎えた。
深夜、紬は捜索願を受けた警察と父親に保護され強制的に連れ戻されていった。

終盤、国語の授業で、カフカの変身をミユリが読む最中、遅刻して席に着いた紬が倒れる。
丁度、グレゴールが父に非情にもただの虫けらとして追い立てられる描写に差し掛かった時であった。

後日、東京の大学に受かり、列車を待つ駅のホームで、かつての悪友の口から、紬の死とそこに至った実情を知らされる。
紬は誰にも洩らさなかったが劣悪な境遇のなかにいて、彼女こそ誰よりも超脱~変身と解放を企てていた当のひとであったのだ。
彼女はグレゴールさながら部屋の隅で独り餓死したのだという。

紬の本当の姿がフラッシュバックするなか、ミユリは列車のシートで、初めてリストカットする。


志乃ちゃんは自分の名前が言えない」もそうだが、この辺の少女アドレッセンス映画に秀作が窺えるようになってきた感がある。





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エンジェル 見えない恋人

Mon ange001

Mon ange
2016年
ベルギー

ハリー・クレフェン監督・脚本


フルール・ジフリエ、、、マドレーヌ
エリナ・レーベンソン、、、ルイーズ(エンジェルの母)
マヤ・ドリー、、、マドレーヌ(10代)
ハンナ・ブードロー、、、マドレーヌ(幼少期)


映画らしい映画を観た。
ハリウッドの金を使いたい放題使いまくった大袈裟な映画ばかり観ているとやはりおかしくなる。
こういうものを見ないと。

そもそも映画に飛んでもないお金をかける必要はないのだ。
CGは使っているが、ほとんど役者~マドレーヌの演技だけで成り立っている。
カメラワークも特異だが、この映画の文脈上不可避な肌の肌理まではっきりわかるほどのアップ~触覚的接写がとても多い。
感覚の研ぎ澄まされる森の中の湖畔の屋敷と精神病院。自然音や光が微分的に際立つ環境の設定。
カメラの視界の揺れ(またはぼやけ)ははっきりと見えない主体の視座に共感させる。
生活感が全くないアーティフィシャルな抽象性が際立つが、この物語にとって雑多なノイズは不要だ。
その省略が斬新でもある。お陰できっと制作費もかからなかったと想える。
コンセプトがしっかりしていれば、見事なものが出来上がるこれが良い例と謂えよう。

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エンジェルと謂う透明な存在とマドレーヌと謂う盲目の少女の稀有な邂逅が、日常の自明な関係性というものを改めて問い直させる新鮮さがある。(透明エンジェルという基本設定は、思い切ったものだが、一種のお伽噺において不自然さなど感じさせない)。
これを哲学書で読んだらつまらぬものになろうが、このような繊細で抒情的な映像で描かれると感情的なレベルからの実感及び反省的思考が生じてくる。

透明なエンジェル(少年の名前であり、その存在を象徴する名詞と謂える)は、嗅覚と聴覚の異常に鋭い盲目の少女の前では完全な形で存在することが出来る。
すぐに打ち解けて、仲良く遊ぶようになり、かくれんぼがお気に入りの遊びとなる。
視覚以外の感覚で気配を追う。近くに感じることの存在感~実在感。
そして触れ合う、確かで対等な関係性が結ばれてゆく。
(よく「触れ合い」と謂われるが、本当の触れ合いは視覚がかなりの邪魔をしていることに気づく)。

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だがエンジェルにとり、なくてはならぬ存在となったマドレーヌは目を治すための手術を受けることとなり、その地を去る。
エンジェルはひたすら独りで待つ。彼に友だちは出来ない。
数年後、彼女は戻って来る。
だが、もう目で世界を認識する身体性が基本と化しており、彼が傍にいても以前のように気づくことがない。
視覚の優位性が身についているのだ。

触覚を肝心な関係に置く母子間におけるような暖かな親和性から離れ、物事に距離をもち対象化~記号化して管理する視覚世界に身を置けば、見えないモノは遠ざかってしまうだろう。
相手に身を委ねる対等な関係から相手を離れて観念的に支配する暴力的関係への移行である。
そう、見るという行為はいたって暴力的である(見方の問題もあるが)。

彼女は改めて彼の姿を目で確認し激しい動揺をきたす。
手では触れたのに何にも見えないのだ。
子供の頃は、全く自然にお互いを認知し合っていたのに。
彼は彼女と別れる決心をする。

逃げる彼を追い求め、彼の住処の湖畔の小屋までやって来て、彼女は彼を見つける。
しかし彼は湖に飛び込んでしまう。
彼女も飛び込み、必死に彼を救い出して命を助ける。
ここで、彼らは結ばれる。

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つまり、そのままを受容する。
触れ合いそして見つめ合う。
「こころであなたの視線を感じる」。
極めて近距離で見つめ合う行為は、母に抱かれた赤子と同様の呼吸の律動に同期できる対等の視界である。
彼らの間に、透明でなく目も見える赤ん坊が生まれる。
親子の記念写真を3人で撮るが、若い母親と宙に浮かんだ赤ちゃんだけが映っている。
ハッピーエンド。幸せそうである。


フルール・ジフリエが独りで頑張った。
ハンナ・ブードローとマヤ・ドリーのふたりも歳相応の爽やかで凛とした演技で、とても自然にフルールに繋いでいた。

清涼飲料を飲んだ後の感覚でいる、、、。





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夜に生きる

LIVE BY NIGHT001

LIVE BY NIGHT
2016年
アメリカ

ベン・アフレック監督・脚本
デニス・ルヘイン原作

ベン・アフレック 、、、ジョー・コフリン
エル・ファニング 、、、ロレッタ・フィギス(フィギスの娘、宗教家)
ブレンダン・グリーソン ,、、トーマス・コフリン(父、警視正)
クリス・メッシーナ 、、、ディオン・バルトロ(ジョーの相棒)
シエナ・ミラー 、、、エマ・グールド(ホワイトの情婦、ジョーの愛人)
ゾーイ・サルダナ 、、、グラシエラ(ジョーの妻)
クリス・クーパー 、、、アーヴィング・フィギス (警察本部長)
ロバート・グレニスター、、、アルバート・ホワイト(アイリッシュ系ギャングのボス)
レモ・ジローネ、、、マソ・ペスカトーレ(イタリア系ギャングのボス)
ミゲル・J・ピメンテル、、、エステバン・スアレス(グラシエラの弟、ラム酒製造)


アルゴ」の監督である。かなり印象的な後に残る作品であった。

1917年、入隊しフランスでドイツと闘う。しかし戦場では善人が次々に死んでいった。
退役後に「従ったルールは嘘っぱち、作った連中は守りゃしない、二度と命令には従うまいと誓った」という主人公、夜に生きる決意をした。組織を嫌う一匹狼のアウトローだ(仕事のために組む仲間はいるが)。
今のフラットな社会では味わえない、一歩間違えば命がないスリリングな生き方ではある。
心身共にタフでないと到底長生きなど出来まい。
イントロで掴みはOKか。わたしも誰の指図も受けないと誓っている(爆。そこだけは、ほんとに。

強盗を続けて10年経ったところからドラマは始まる。

この主人公ジョーの父は法の番人、警視正ときた。
経験から得た渋い蘊蓄を披露してくれる頼れるオヤジさんだ。
「自分の行いは自分に返って来る。思いもよらぬ形でな。」
「無知から来る根拠のない自信はいつも輝いて見える。」
等々、なかなか(シニカルで)言えてる。

ジョーの経験から学んだ認識は、
「ルールーはぶち壊すだけではダメ、自分のルールを作る必要がある」と。
我が道を行く。
アウトローなら必然的な流れだ。これも正しい。こう生きたい。

LIVE BY NIGHT002

強盗を続けながら、ギャング勢力図をペスカトーレと二分するホワイトの情婦と堂々と逢瀬を重ねているのも確固たる信念を貫いている。自由奔放で何にも囚われない。
流石にこの代償は高くつき、ホワイトには酷い目に逢わされるが、ペスカトーレを後ろ盾として自分の野望を達成しようとする。
禁酒法を利用した酒の密造で財を成し、その先(酒が解禁となった後)を考え、カジノで安定した収入を得る計画を進めるのだ。

この映画に見られる対立の構図が、二派に分かれるギャングの抗争と謂った単純なものではなく、人種間抗争が根深く絡んでいて何処から銃弾が飛んでくるか分からぬところもよく描かれている。その辺の感覚は日本人には判り難い所でもある。
とは言え、その手の差別感覚はここ(日本)にも無自覚な意識層にはっきりと広がり潜在はしている。
ここでは、白人とは言えKKKからすれば、アイリッシュやイタリアンは明らかに下の階級であり、それよりさらにキューバ系となれば謂わずと知れたものとなる。ジョー自身、アイリッシュでイタリア系の相棒とつるみ、ラム酒の違法製造の仕事はキューバ人としている。恋人~妻もキューバ人だ。彼の独自性はよく分かるが、これはもう、WASPからすれば排斥の標的以外の何者でもない。
こんな構図であるから、余計に組織~ファミリーを否定するのも分かるというもの。

LIVE BY NIGHT005

しかし人間、何からも無関係でいられるものではない。
アウトローであればギャングやマフィアとの関りは避けがたい。
人種差別からも逃れられない。
それだけでなく、宗教的な道を究めんとする者との倫理的な軋轢も当然生まれる。
そして自分が守らなければならぬ家族。
幾つもの潮流にどうしても巻き込まれる。この関係性を巡っての闘いとなろう。

LIVE BY NIGHT003

夕暮れのイルカの泳ぐ河をボートで走る光景など美しい。
美しいと言えば、ロレッタ・フィギスである。
映画女優を目指すが、途中で蹂躙され麻薬を打たれ廃人となるところをジョーに助けられ帰郷後宗教に目覚め地域の人々を精神的に導く大きな存在となってゆく。
彼女の影響で、ジョーたちの最も大きな計画であるカジノの建設も頓挫してしまう。
ロレッタとジョーのカフェでの会話は、文脈を離れて充分魅惑的なシーンであった。
利己的な欲求や固着した信条や何からも解かれた人と人の対話に近づいている。
これは両者にとってとても貴重な場となったはずだ。
しかしロレッタには、もうこれ以上前に進めない自己解体を促したのか、、、。
果敢なげで美しい、ここだけ何度も観たくなるほどの場面。
ことばのやり取りの美しい映画である。
(それから水~河と空の美しい、、、旅でこんな情景が見れそうな気もする、そんな)。

LIVE BY NIGHT004

結局、この物語は、彼の父の言葉のように、自分の行いがあらぬ形で突然返って来て、ジョーは昼間の世界に着地することとなる。息子とふたりだけで。
(ロレッタの父であるフィギス本部長に彼女のもっとも悲惨な状況にある写真を見せたことから彼が受けた心的外傷がその狂気を帯びた暴挙に結び付いたのだ)。
確かにこういうブレた形の因果関係をわたしもよく体験してきている。
それが来る前に完膚なきまでに叩き潰すのが鉄則であろう。


ギャング映画という現在からある意味遊離したようなテーマを描きながら、とてもリアリティに充ちた世界を味わえた。
この監督の映画には注目したい。
それから、ファニング姉妹にも期待したい。







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大統領の執事の涙

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Lee Daniels' The Butler
2013年
アメリカ

リー・ダニエルズ監督
ダニー・ストロング脚本
ウィル・ハイグッド「A Butler Well Served by This Election」原作

フォレスト・ウィテカー 、、、セシル・ゲインズ
オプラ・ウィンフリー 、、、グロリア・ゲインズ
ジョン・キューザック 、、、リチャード・ニクソン
ジェーン・フォンダ ナンシー・レーガン
キューバ・グッディング・Jr 、、、カーター・ウィルソン
テレンス・ハワード 、、、ハワード
レニー・クラヴィッツ 、、、ジェームズ・ホロウェイ
ジェームズ・マースデン 、、、ジョン・F・ケネディ
デヴィッド・オイェロウォ 、、、ルイス・ゲインズ
ヴァネッサ・レッドグレーヴ 、、、アナベス・ウェストフォール
アラン・リックマン 、、、ロナルド・レーガン
リーヴ・シュレイバー 、、、リンドン・B・ジョンソン
ロビン・ウィリアムズ 、、、ドワイト・アイゼンハワー
クラレンス・ウィリアムズ三世 、、、メイナード
ヤヤ・アラフィア 、、、キャロル・ハミー
ミンカ・ケリー 、、、ジャッキー・ケネディ
ネルサン・エリス 、、、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
マライア・キャリー 、、、ハッティ・パール
アレックス・ペティファー 、、、トーマス・ウェストフォール

「リーダニエルズの執事」ってどういうこと?

フォレスト・ウィテカー繋がりで。やはり演技が際立つ。あのアミン大統領は圧巻だったが、どれも良い。彼ならでは。
昨日同様、法は黒人を守らず、白人が勝手に黒人を殺す蛮行に対し、裁かれることはない。法は逆に黒人に牙をむいた。
ガンジーの手法がここでも現れるが、相対化する黒人運動家も出てくる(マルコムXなど)。
ハウスニガーという屈辱的立場から大統領が信頼を寄せる執事へと、、、こんなこともあるのかと物語のなかの彼も観ているわたしも思い(訝り)つつその展開を追った。
物語は、ウィテカー演じるセシルの内なる声を彼自身がナレーションしながら進む。
とても分かりやすい流れを呼び、観ることにほとんど抵抗は感じない。

セシル・ゲインズは、白人の経営する農園に囲われた黒人一家の息子として幼少期を過ごすが、農園の主の白人に目の前で父親が射殺されてしまう。その後、農園のハウスニガーとして作法を教え込まれ過ごすこととなる。しかし命の危険を感じそこを出ることを決意し、都会に当てもなく単身で飛び込むが、何処にも自分を受け入れてくれる所はなく、寝る場所すらなかった。
ある晩、空腹に耐えかね店のショーケースを破りケーキに食らいついたところを使用人の長に見つかり、結局そこに職を得ることとなる。
何が幸いすることになるか分からぬものである。その時の黒人の使用人が人格者でなければ、彼の人生はそこで終了となっていたはず。

Lee Daniels The Butler004

その店で、所謂白人客用の顔と言葉遣いを持って洗練したサービスを提供する技術を徹底して習得する。
「相手の目を見ろ。」「相手が何を望んでいるか直ぐに察すること。」「会話は聴くな。何も反応するな。」「存在を消しその場の空気となれ。」「政治的関心を示すな。」等々、、、。しかし彼はしっかり客の会話は聞き取っていたが。
やがて、セシルは有能な執事を探していたホワイトハウスの事務長の目にとまり、所謂ヘッドハンティングされる。
ホワイトハウスでも卓越した給仕や接待の技術から頭角を現し、人気者となった。
結婚もして息子も二人いるしっかりした家庭を築くに至る。
息子二人を大学に出し、車も乗り回す独立した黒人として豊かな生活を営むことになった。
彼は何とホワイトハウスで7人の大統領に仕えることとなる。
(アイゼンハワーからオバマまで、である、、、)。

しかし安定したセシル一家に不安と心配事が侵食して来る。
如何にも利発そうな長男は、世の在り方に対し懐疑的で批判的な姿勢を見せていたが、豊富な知識を得、大学入学と共に黒人の人権を主張する政治的運動にのめり込んでゆく。(わざわざ遠い南部の大学を選んで入学したのだ。自覚犯である)。
これは命を危険に晒す行為に他ならない。
あのシドニー・ポアチエをくそみそに批判するのだ。一筋縄ではいかない息子に育っていた(笑。

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演出も父のホワイトハウスでの執事の仕事~要人のパーティの洗練されたテーブル準備と、長男の大学のゼミの実践でレストランの白人席を占拠し罵詈雑言を浴びながらそれに耐える政治活動の様子を交錯させ映してゆく。こうした対比の場面が幾つも交錯して見られ進んでゆく。
息子は父が執事であることを体制に迎合していると捉え恥じていたがそれに対して、彼の尊敬するキング牧師は、「彼ら執事は勤勉に働き、信頼を勝ち得て白人の黒人に対するイメージを変えて来た。高いモラルと威厳ある振る舞いで人種間の憎しみや軋轢を溶かしてきたのだ。従属的に見えて彼らもまた戦士なのだよ」とルイスに諭す。キング牧師もまた、優れたディベートの人なのだ。

とは言え、息子は繰り返し逮捕されながら、フリーダムライド運動などの更に激しい運動に身を投じてゆく。
キング牧師は、ベトナム出兵に反対の立場であったが、国の為に働きたいと自ら志願してベトナムに発ったゲインズ家の次男は戦死してしまう。
こうしたことから妻はアルコール依存症になり家庭状況は不安定さを増す。
そしてセシルと長男のルイスとの仲も次第に険悪となり、会えば必ず喧嘩となってしまい、ついに父は息子を勘当することになる。

ただ、息子の過激な公民権運動に反対する父も職場において、巧妙な説得術で黒人の給与の是正を図り、それに成功を収め、同僚から更なる信頼を得ていた。彼も息子とは違う形で黒人の人権向上には一役かっていたのだ。ただ仕事を忠実に丁寧に行うだけではなかった。
(反目しながらもやはり知らず影響は与えあうものである。息子もただ過激なブラックパンサーからは足を洗っている)。
しかし、その功績を大統領夫人に認められ、執事ではなく晩餐会の来賓としてホワイトハウスに夫婦で招待を受けてから、セシルは迷い葛藤し始める。自分が執事として働いていた時には全く感じなかった虚無感を味わったのだ。
そしてルイスの活動を評価する書籍を何冊も目にしそれを読むことで、息子の活動の意味と価値を認識する。

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彼は執事の仕事に集中できなくなり、レーガンに惜しまれつつ仕事を辞める。
セシルは息子の演説の場所に姿を現し、和解して共にデモに加わり一緒に逮捕される。
これで、家庭はまたひとつのまとまりを呈することとなった。
だが、最後にサプライズが訪れる。
ついに黒人大統領であるオバマ政権が誕生したのだ。
父子が感動して彼の演説に聞き入る。
そして、セシルは再びホワイトハウスに呼ばれてゆくのだった、、、。

相当詰め込み、荒唐無稽な面はあるにせよ、フォレスト・ウィテカーが感動の大作にしてしまった。
これは、ハリウッドお得意の、「父と息子」の映画である。
既視感はバリバリだが、それでも充分に説得力もある内容で、キャストのお陰もあり一息に観てしまった。







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グレート・ディベーター 栄光の教室

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The Great Debaters
2007年
アメリカ

デンゼル・ワシントン監督
ロバート・エイゼル原案・脚本
ピーター・ゴラブ 、ジェームズ・ニュートン・ハワード音楽

デンゼル・ワシントン、、、メルヴィン・トルソン(ワイリー大学教授)
フォレスト・ウィテカー 、、、ジェームズ・ファーマー・シニア(神学教授、7か国語に精通)
デンゼル・ウィッテカー 、、、ジェームズ・ファーマー・ジュニア(ディベート部員)
ネイト・パーカー 、、、ヘンリー・ロウ(ディベート部員)
ジャーニー・スモレット 、、、サマンサ・ブック(ディベート部員)
ジャーメイン・ウィリアムズ 、、、ハミルトン・バージェス(ディベート部員)
ジーナ・ラヴェラ 、、、ルース・トルソン(メルヴィンの妻)
ジョン・ハード、、、ドージャー保安官
キンバリー・エリス、、、 パール・ファーマー(ジェームズの妻)


”グレート・ディベーターズ”、、、アベンジャーズよりもかっこよい。
デンゼル・ワシントンとフォレスト・ウィテカー目当てに観たのだが、途中からフォレスト・ウィテカーの実子かと思ってしまうデンゼル・ウィッテカー(凄い名前?!の方に集中してしまった。14歳で大学に飛び級で入り、精鋭のディベートチームでも選抜されてしまうのだから優秀なのだ。いかにもおぼっちゃま風だがよいキャラである。

1935年、アメリカ合衆国テキサス州マーシャルから始まる。
当時のアメリカ南部は黒人にとってまだまだ厳しい状況が続く。
黒人でいること自体が、絶えず危険に晒され、緊張を強いられることが分かる。
そんな時代にディベートを武器に黒人の人権を勝ち取ろうというヴィジョンをもつチームが生まれた。

確かに「ことば」こそ唯一の武器であろう。

この映画は、黒人の大学、ワイリー大学教授のメルヴィン・トルソン率いるディベートチームの快進撃を軸に描く。
次々に対戦相手の大学を打ち破り、遂に白人の大学との対戦に漕ぎつける。
そして大学ディベートの王者、ハーバード大も彼らを認め、対戦を誘ってくるのだった。
これに勝つことが、彼らにとってどれほどの大きな意味を持つことか。

The Great Debaters003


「真実のことば」だけで闘う彼らには、感動した。
「敵はいない」何故なら「ことばが真実だから」

実話をもとに描いているという。
なるほど、、、。

チーム内のとても人間臭い思春期特有の性の葛藤や動揺も描かれている。
チャーミングで優秀なサマンサ・ブックを巡るヘンリー・ロウとファーマー・ジュニアの三角関係だ。
パパは早い時期からそれを警戒して釘を刺していたが、想定通りそのへんでひと拗れもする。
(サマンサがヘンリーを引っ叩いた瞬間に思わず嬉しそうに笑ったジュニアの顔が印象的だった)。
更に、リサーチを重ね原稿を作成する役目と表に出て注目を浴びる弁士との間の葛藤も見られた。
確かにそうだろうと想えるところである。

トルソン教授が労働者と秘密の集会を開き、組合組織を指導するもう一つの顔が問題となり、チームの一人が欠けたり、教授自身が逮捕されるなど、危うい緊迫感も続いてゆく。
ここではトルソンの思想は理解するが、やり方を疑問視し息子の身を案じていたファーマー・シニアが、まさに保安官相手のディベートでトルソンを救い出す。
(葛藤を抑えながらも揺れ動く感情の繊細な表現は、やはりフォレスト・ウィテカーならでは)。

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それまで表で闘ってきた実力者で恋敵のヘンリー・ロウから大舞台の弁士を任されたファーマー・ジュニアが快挙を成し遂げる。
最後のハーバード大相手に「正義を求める不服従は善き武器である」を見事論証するくだりはなかなかの感動ものであった。
実際に自らが体験したところから切り込んでいった流れは説得力を持ち人々を惹き込む。

デンゼル・ウィッテカー君のフォレスト・ウィテカーのお株を奪う熱演に知らぬうちに惹き込まれてしまった。
精悍で存在感抜群のデンゼル・ワシントンと繊細で重厚なフォレスト・ウィテカーに、ネイト・パーカーとジャーニー・スモレットも霞まずに好演していた。他のキャスト、特に黒人女性がとても綺麗でチャーミングであった。

一種の映画の快感を味わえたものだ。







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