マジックアワー Ⅱ

何かの拍子に、名前(題名・作曲者)を忘れたことで音楽の生々しい本質力の及ぼす美に痙攣し圧倒された経験がある。
覚えている限りでは、それ一度きりなのだが、、、。
今となると極めて宗教的な体験に思える。
絵~画像についてはどうであろうか。
これは確かに難しい。
ゴッホなど一目で特徴は判ってしまう。忘れようがない。彼ほどでなくても大概、画家の場合は分かる。
(視覚的表象についてはその表現形式から言って厳しい)。
画家自身について何も知らないのに彼(彼女)の作品であることだけは判ってしまう。
その判り易い「ゴッホ」でも、その人物についてはほとんど何も知らないにもかかわらず。
何が分かってしまうのか、、、極めて記号論的な認知のレベル。
安物クイズ番組的な。
ゴッホの謎の死については勿論、1889年に描いた「星月夜」の夜空の中心にある異様なうねりについても心理学的な解釈がせいぜいのところ。
精神的に衰弱~混乱していた所謂、異常~妄想がそうさせたと、、、。
彼は肉眼では見えない渦巻星雲をそこにしっかりと感知していたのかも知れなかった。
(その当時まだ一部でしか知られていない天体現象)。
彼は異常に気象や天体に対する感覚が鋭敏であった。
独特の緑の空と海についても、、、南フランスのほんの一瞬のマジックアワー、、、知る人ぞ知る色を捉えていた。
一番、理想的なのは、何も知らずに初めて「それ」を見る事なのだが、、、。
多くの場合、名前(名称)~言葉(に纏わりつく卑俗なイメージ)が被ることでその本来のアウラが掻き消えている。
もう一度、その世界を未知のトワイライトゾーンに見る事は叶わぬか。
何であっても一たび知ってしまったら元には戻らない。
再度、新たな表象の生成をよぶ方法は、、、。




