小さいおうち

2014年
山田洋次 監督・脚本
中島京子 原作
松たか子、、、平井時子
黒木華、、、布宮タキ
片岡孝太郎、、、平井雅樹(時子の夫)
吉岡秀隆、、、板倉正治(平井の部下、デザイナー、時子の浮気相手)
倍賞千恵子、、、布宮タキ(晩年期)
妻夫木聡、、、荒井健史(布宮タキの親戚の青年)
橋爪功、、、小中先生(小説家)
吉行和子、、、小中夫人
室井滋、、、貞子(時子の姉)
中嶋朋子、、、松岡睦子
木村 文乃、、、ユキ(荒井健史の恋人)
市川福太郎、、、平井恭一(少年期)
米倉斉加年、、、平井恭一(晩年期)
赤い三角屋根のモダンな家が良かった。
良い家だ。
あの窓から眺める空や遠くの街の景色は格別だろう。
やがて戦争がそれを台無しにする。
これは確かに身につまされる。
絵に残したい。
(絵の本来の使命のひとつだ)。
生涯独身を通し現在初老に至った一人住まいのタキは、大学ノートに自叙伝を綴り始めた。
頻繁にやって来る親戚の丁度孫ほどの歳の健史が、それを読んでは感想を述べ、チャチャを入れては誤字を直す。
そんな形で創作は進んで行った。
(健史としては、自叙伝もさることながら必ず出してくれる美味しい豚カツ等の手料理目当てのところもあったか)。

噺は昭和11年に始まる。
東京に上京した布宮タキは平井家に女中として雇われる。
平井時子と夫の雅樹。当時5歳の恭一の住むモダンで可愛らしい家に住み込みで働くのだ。
恭一が小児麻痺に罹り、タキが献身的な介護をするなかで、彼女への信頼は揺ぎ無いものとなってゆく。
やはり一人息子を安心して任せられ、息子からも最も頼られるということほど大きいものはない。
程なく主人の玩具会社の人間とは質の違う部下である板倉正治が家を出入りするようになる。
芸術的な感性の豊かな彼と平井時子は直ぐに「馬が合い」惹き合うようになっていった。
一方、タキは時子のことを好いており、平井家も自分にとって掛買いのない居場所となってゆく。
更に板倉に対しても好感を抱いていたことは間違いない(同郷の人であったことからも最初から親しさは感じていた)。

タキが最初の頃は無口で動作もぎこちなかったが、標準語を習得し、徐々に饒舌に喋り出す。それと同時に所作も洗練されてゆく。
彼女の生活の充実感も感じられてくる。
この辺の変化が文脈に溶け込み自然に表されていた。
戦争がまだ現実味を持たない時期はさぞ居心地のよい屋敷であったに相違ない(東京オリンピックを見据えた展望もあり日本全体も浮かれていた)。
奥様、時子のブルジョア出のお嬢様特有の屈託のなさと自己肯定感は爽やかである。
彼女が如何に世間知らずのお嬢様であるかが分かるも、容姿端麗に加え穏やかな性格で誰に対しても気さくに接する人柄に次第にタキは惹かれてゆく。
主人雅樹は、人は良いのだがタキに戦時になったら若者は戦争に駆り立てられるからという理由で飛んでもない歳上の老人を婿に進めるようなセンスのまるでない実利一点張りの企業人である。見合い相手は時子がキッパリ断ってくれたようだ。
主人はさっぱりとした性格で別に実害はないため、こういう人だと思って付き合っている分にはよかったはず。
タキの当時の暮らし振りと現在自叙伝を書き進める彼女の姿を交互に見せつつ進展してゆく様が、まさにわれわれの心象〜想念が過去と現在の間を行き来するリズム~呼吸に共振するような極めて自然な流れに感じられた。

タキは時子が板倉と逢瀬を重ねてゆくことに危機感を抱き始める。
戦争の機運がいよいよ高まり、巷が殺伐としてくるなかで世間体が気になりだす。
(時子は音楽に対する感性は豊かでも世間に対する感覚は疎い)。
そして自分と時子との関係が薄らいでゆくことに胸がざわつく。
平穏で住み心地の良い平井家が崩壊することへの恐れにも繋がった。
彼女は、板倉が召集令状を受け戦地に赴く最後の日に時子が板倉のもとに出掛けるのを思いとどまらせる。
替わりに手紙を書かせ、こちらに訪ねて来る分には噂も立たず問題ないと言って自分が手紙を手渡しに行く。
だが、その手紙は板倉に届けてはいなかったことが後に明かとなる。

戦後、板倉正治の描いた赤い屋根の「小さいおうち」を布宮タキおばあちゃんは部屋に大切に飾っていた。
遺品整理の際、あっさり捨てられたこの絵の重要性が最後に分かるのだが、この絵とおばあちゃんとの接点が何も語られない。
それだけでかなりの尺を要するドラマチックなシーンともなるはずではなかろうか。
おばあちゃんの自叙伝は時子と雅樹夫妻が大空襲で庭の防空壕の中に抱き合うようにして亡くなっていたところで終わっている。
おばあちゃんは、ここで号泣して先に進めなかったようだ。
どこからかこの絵に纏わるエピソードが出てこないかと思ったが、板倉正治の記念館でもその特別な絵に関する情報は出なかった。そこで平井恭一がまだ存命であることを知り、彼を訪ねるが絵に関しては何も語られない。
少なくとも、おばあちゃんが有名な絵本作家として活躍する板倉正治を知っていたことは確かであろう。
そして訪ねるか連絡を取るか或いはただ絵本原画展とかもしくは回顧展みたいな展覧会で絵を購入しただけかも知れない。
意味深に部屋の絵を映しておいて、彼女にとってのその絵の今現在持つ意味やその絵を手に入れた経緯や作家となった板倉との関係などが全く語られないのもどうか、、、。

目が見えなくなり脚も動かなくなった恭一を訪ねた健史とその彼女であったが、ここの件はいま一つに思えた。
毎日脚のマッサージを丁寧にしてもらい良くなって歩けるようになった誰よりもタキを好いていた少年が、何となく母の不倫に気付いていたとしても、タキの秘密や苦しみなど分かろうはずもない。
健史にタキに何か言ってあげたいことはあるかと聞かれ、今知ったばかりの事実関係に対し、そんな事に悩まなくて良いと伝えたいと言うが、しかしそれ以前に、恭一はタキに何を話したかったのだろう。
ただ印象的だったのは、江ノ島を眺めにタキと板倉と3人で何度も浜辺まで訪れており、あの2人はお似合いだと思っていたと言う事だ。
この2人の間にも何らかの感情の交流が深まっていたに違いない。
この時子とタキと板倉の関係は何ともデリケートである。3人がそれぞれを好ましく思い、いたわり合っている。
その微妙なバランス関係が崩れるのをタキは誰よりも恐れていた。
絶妙のバランスを保ったあの赤い三角屋根のモダンな家を守ることが何よりも大切なのだ(戦争の不安も相まって)。
時子の暴走は、確実に世間の外圧からタキにとって掛買いのない場所を確実に壊す事は明らかだった。
だがそれだけではない。それならタキの提案通り板倉を家に呼べば、取り敢えずは当たり障り無くやり過ごすことが出来よう。
タキは板倉に手紙を渡さなかった。未開封の手紙が恭一の前で初めて開けられたのだから。
女中としての駆け出しの頃、レクチャーを受けた小中先生の意図を実行に移したのだと思われるが、、、。
きっと時子を守ろうとする彼女への熱い想いがそうさせたのだろう。
この三角形は、かなりダイナミックな揺らぎを保ちながら実質、大空襲で家が燃えて無くなるまで〜時子が亡くなるまでは続いたと言えようか。
