桜桃の味

Ta'm-e-Gīlāss Taste of Cherry
1997年
イラン
アッバス・キアロスタミ監督・脚本・製作
ホマユン・パイヴァール撮影
ホマユン・エルシャディ、、、バディ
アブドルホセイン・バゲリ、、、バゲリ(トルコ人剥製師)
アフシン・バクタリ、、、クルド人兵士
今度はジグザグ坂をランドローバーで走る。その点で心配はなく観る事に専念出来る(笑。
バディは自殺を決意しその手助けしてくれる人間を車で探していた。
深く掘られた穴があり、そこに自分は睡眠薬を飲んで寝るから翌朝覗いて呼びかけに反応無ければスコップ20杯分土をかけてくれと言う依頼である。
どれほどの悩みと苦痛により自殺を選んだのかは一切語らないが、他人に話しても頭で理解は出来ても実感する事は所詮不可能であるから話さないと言う。確かにそれはもっともだ。
礼金は20万払うと約束である。相当な金額らしい。

最初に出逢ったのは、若いクルド人兵士で、金が儲かる簡単な仕事ということで、一度は乗りかかったが、仕事内容を察すると気味悪がって逃げていってしまう。
自殺の手助けなんてとても出来そうにない、まだ幼さの窺える内気な感じの青年である。
人選を誤ってはいないか。
次の男は、アフガニスタンの神学生であった。彼も貧しい苦学生のようであったが、バディの話を聴くと、コーランの教えのもと自殺は神に背く行為だと否定を繰り返すだけであった。
彼の立場ならそうするのは自然であろう。
普通、、、神学生にこういうことを頼むか?
コンクリート会社の掘削場で死んだように座り込み、思いに沈むバディの人影に土砂が勢いよく零されていく。この演出は実際に翌朝土をかけられる死のイメージを掻き立て秀逸であった。
映画ならではの演出を最大限に活かしている監督である。
いつのまにか助手席にいた老人は、バディの仕事を引き受けたただ独りの人間であるようだった。
最初、いきなり助手席にいるところから話が始まるため、バディの脳裏に浮かんだ架空の人物かと思った。
苦痛と悩みの内容は知らされないが、初老の男は彼をまるごと受け止め、彼の願いを聞き入れたのだ。
そして自分も過去に自殺を企てたが、首を釣ろうとロープを掛けた桑の実の甘味な味に助けられ自然の美しさに打たれ生還したと謂う。死を意識した後の生の素晴らしさを語る。
彼はバディの願いを受け止めた上で語る。夕日の美しさ、星空の美しさ、緑の美しさ、それらに君は目をつぶってしまうのか、と。
君が変われば世界も変わる。
わたしはむしろ君が生きる手助けがしたい、友よ、、、と呼びかける。

バディの幻想かと、思った彼は自然史博物館まで送らせて中に消えてゆく。
バディは帰りかけるが気持ちを高ぶらせまた博物館に取って帰す。
そして剥製の製作方法を講義している彼バゲリを外に呼び出し、明日自分がただ眠っているだけかも知れないから、声をかけるだけでなく石を投げて起こしてみてくれ、腕を持って揺らしてみてくれと頼む。
バゲリはよおく分かったと言って講義に戻ってゆく。

座り込んで空を眺めるバディ。
明らかに彼の心に変化が訪れているのが見て取れる。
長く伸びて行く美しい飛行機雲を見つめる。その後まさにターナーの夕日が燃え広がった。
そして黒い雲が空を覆い月も隠れて行く。
バディはその夜、穴に降り横たわる。

とても解像度の荒いビデオ画面に切り替わっている。翌朝であろう。
穴から青空が窺え、外には撮影スタッフがカメラや集音マイクなどを持って働いている。
バディ役の俳優が緩んだ表情で歩いており撮影スタッフ、監督か?と何やら話す。
若い兵士達が号令をかけながら勢いよく列をなして走っている。
不思議に唐突に変わったとか物語を中断してしまったという感がない。
兵士達に監督から撮影終わり、もう休んで結構と言う指示が伝わる。
若い兵士達はめいめいに疲れた様子で腰を下ろし、談笑する。
映画自体は昨夜で終わってしまっていたのか、、、。
バゲリの出る幕はなかった。つまり、バディがどうなったかは示されない。
いや、それでよいのかも知れない。
この目の荒い光景が陽の光に包まれているようだ。
桜桃の味をあの自然史博物館のベンチで知ってしまったのかも知れない。
(バディ独りではなく、こちらも)。
そういう映画だったのか。
アッバス・キアロスタミという監督、かなり形式~様式美にこそ拘るひとに想える。
窓の扱い、光と影の使い方になど特に。
そういえば、小津安二郎の大ファンということだ。
(分かるような気がする)。
