長女の作品展受賞式

長女の作品展受賞式に出る。
昨年も一昨年も人数制限などの理由でわたしは参加出来なかったため、今日は出る事は決めていた。
事前に知らせておけば主席に問題ない式である。しかも歩いて行ける距離なのだ。
滅多にないことで、出ないわけはない。
何故か受付より1時間半早く会場に行き、入選、入賞した全作品を見て回る。
わたしはギリギリで良いと思ったが、余裕を持って行ったため(家族に無理矢理連れてこられ)あちこち見て回れたのは、それはそれで良かった。
かなりダイナミックな作品があり、楽しめたものだ。
子供の作品は面白い。
制約がないほど面白い。
学年が上がる程、型が見えて来て上手い割に面白味は失せる。
だが全体に、やんちゃで無鉄砲な絵が多い。
元気になる。
癒される。
解放される。
こちらも無邪気に遠慮なく笑える。
今、わたしに最も必要なのは、笑いではないか、ということに気づく。
久し振りに笑った。
何と言うか、一瞬でも柵から解かれ自由を実感する。無となる。
これは大切な事だ。
これから一日に一度は笑えるようにする。
これは気づきかも知れなかった(爆。
絵を観てこんなことを思ったのは、恐らく初めてだ。
(大画家の崇高な思想に圧し潰されそうになることはよくあることだが)。
審査員の先生に会場で出遭い、どの絵か聞かれ(長女が)指さすと、構図をしきりに褒められた。
「こんな構図は初めてだ」こう言われて嬉しくないはずはない。
わたしの指南だ(爆。
娘も描いている時はどうかな、という顔でいたが今は納得しているようだった。
(忽然と蝶やヤギが現れるところについても)。
その後、時間が空いてダラダラ、ボンヤリ過ごす。
こういう時間が体にとって危ない。
些かコーラを飲み過ぎた。
だがその後の式は長い。あまりに長い。噺が長いのだ。しかも似たような内容が。
特に次から次に来る来賓挨拶はキツイ。その後の審査員挨拶も同様だが。
「本当に皆さんの作品には感動しました」確かに謂わないわけにもいくまいが、、、その後もほぼ同様の運び。
欠伸をしたら涙が出てきた。
これが学校のかつての朝会なら、バッタバッタと倒れる生徒続出であろう。
ああ、あの光景、懐かしい、、、。
(一時間目のはじめに額から血を流している女子がいたっけ。鼻も真っ赤だったような)。
ボロカメラを一つ下げていったが、ちゃんと保護者が写真を撮る為のスペースが設けてあって、皆物々しい一眼レフで撮影していた。夫婦そろってビデオと高級カメラでバシバシやっているのを見ると執念を感じる。
これには参った。
こちらは手ぶらで行くつもりが、出るときについでに昔のコンパクトカメラを首にぶら下げて来たものだ。
取り敢えず撮れたが、その前に撮ったスナップの方がずっと良かった。
賞状を貰う時の写真はやはり退屈だ。式全般、そういうものだ。
ともかく、いつも残念なのは作品が戻らないことだ。
高解像度のコピーが賞状と一緒に貰える場合もあるが、ほとんどが冊子や画集に小さく印刷が載る程度。
やはり額に入れて飾りたいので、コピーが欲しい。
これさえ貰えれば嬉しいものだが、、、。
でも作品は返してくれても良いのではと思う。
(ずっと保管管理など出来るとも思えない。その後どうするのだろう)。
最後に集合写真を撮って、帰り際にシクラメンの鉢植えを頂いた。
(色鉛筆セットとかサインペンセットにスケッチブックとかいう、よくある副賞はなかった)。
シクラメンは上品なピンクで、一度は絵に描かせたい。
冬はシクラメン、クリスマスローズ、冬咲きクレマチス、ジュリアン、パンジー、ノースポールなど家にあるだけでも描ける花は多い。
さて来年はどう狙うか。