小原 古邨

小原 古邨とは、明治時代の日本画家、浮世絵師、版画家である。
これも録画してあった「日曜美術館」で観た。
最近、NHKの回し者みたいである。
決してそうではない(爆。
元は小原 古邨は1作単位で描く日本画家であったが、パリ万博の時期に丁度フェノロサに見出され、欧米に輸出する絵の制作を頼まれたという。超絶技巧の優れた芸術である上に、日本画ブームにも乗り、大変な注目と注文も殺到したようだ。
(日本画の極めてシンプルな題材である「花鳥」による自然に対する繊細な感性が欧米の人々に求められていた)。
制作が当然追いつかない。そこで木版画~所謂、多色摺り木版画錦絵によって対応することとなる。
ここではフェノロサが一枚噛んでいるが、どのような形で木版画生産の流れとなったのか。
それはともかく、とても瑞々しく透明感あふれる精緻な技巧に支えられた浮世絵である。
アイデアもセンスも抜きん出ており、絵の中に時間を描き込む手法も洗練されている(この点はマグリッドを凌ぐかも)。
特に「蓮に雀」という、葉に舞い降りた雀の重さで葉の上に溜まった水が滴り落ちる瞬間を捉えるところは凄い。
(今なら)そういう写真を写真専門誌等で観ることは出来るかの知れないが)。
彼は師匠から「対象よりも本物らしく描け」と指導されたそうだが、自然~生き物をそれ以上に美しく描くことに成功している。
確かに実物の雀よりそれらしいものとして極めて精緻に描きあげられている。まるでイデアに遡るかのように、、、。
そして当番組を見て、強烈に悟ったのは、版画制作そのものは、絵師と彫師と摺師との共同作業であること、である。
絵師の世界~思想を彫師と摺師がどれほど深く理解しているかで、「作品」が決まる。
当たり前なことかも知れぬが、実際に「原画」~版下絵の解釈によって摺り方が変わり、作品が違うものになるのを目の当たりにすると、つくづく彫師と摺師の「原画」の把握~受け止め方の重大さが分かる。
小原 古邨の版木が老舗の版元で見つかり、それを現代の摺師が、試行錯誤して刷り上げる様には惹き込まれた。
(21の版木に、30色の墨で繊細に摺って行く)。

枝に泊まるフクロウの下に三日月が見える。
この月が空間に出ているのか、下の水面に反映しているのかで、絵の世界が大きく変わる。
この摺師は水面に映る月と受け取る。わたしもそう思う。
すると摺りの技法が大きく変わる。異なるぼかし技術を採用するのだ。
「あてなしぼかし」というそうだ。クリアな夜空に浮かぶ煌々とした光を放つ月とは異なる水面に滲んで光る月に見事になっている。
これには痺れる。

そしてもうひとつ、小原 古邨の版画に使われた技法である。
「正面摺り」これは輪郭が馬簾で擦ることで光沢が出る事を利用し、烏の羽の部分などに艶模様となって摺りあがる。
これにより、光が当たれば特に羽のリアルな質感が浮かび出るものだ。
「きめ出し」(何か相撲の決め手みたいだが)、積もった雪の質感を出すために、和紙に凹凸を作り、やはり光の当たり具合で白い雪に陰影が生じる。重さや雪の質感が絶妙に表れるものだ。
驚いたのは、まるで3D効果みたいに蝉の羽が震えるように煌く効果である。「雲母摺り」という雲母の粉を混ぜて摺る技法だそうだ。
しかもこの時期となると合成顔料が輸入される。
より鮮やかな色彩表現も可能となった。
そのユリの花弁の瑞々しい鮮やかさは、それまで見られない色である。

これまでわたしは単純に、絵師がもっとも上に立ってイニシアチブを握る者と想像していたのだが、、、その卓越した芸術性を支える創造者として当然だと思っていたのだが、、、実は版元の企画がまず先行し、絵師,彫師,摺師はそれを実現させるために動員される技術者という位置づけであったようだ。つまり商業資本~プロデューサーとしての版元であって、その下に絵師,彫師,摺師が配置されるのが一般的構図であったようだ。
まるで、映画産業の世界みたいだと思った。
とは言え、いくらテーマが出され、制約が課せられようと、その枠内で如何に創造豊かな逸品を作り上げるかは、絵師の原画~版下絵次第であろう。そしてそれを具体化する高度な技術(と技法)を持つ彫師と摺師の存在によるであろう。
しかしこれだけの版画がある会社の倉庫にずっと眠っており、300点が最近偶然、日の目を見たというのには、驚く。
彼の版画は海外に多く渡っており、向こうでは画集が幾つも出ている人気作家であるそうだが、、、。
わたしは、この番組で初めてこの画家を知った。
今は手袋とマスクで絵を扱うが、その当時の人はこれらの絵~版画を、たなごころで観ていたのだ。
丁度それにピッタリのサイズでもある。
贅沢ではないか、、、。