初恋-Ⅱ

暇になったので長女と一緒に歌ってみたが、花音さんの言う通り、ホントに日本語(の文節)のメロディに乗せ方が、まるで英語の乗せ方みたいだ。完全にメロディーリズムの作り方は欧米のコンテンポラリーミュージックのもので、とても際どくスリリング(トリッキー)に日本語の音が乗る形になっている。だがその詩そのものは日本的な宗教感を深く感じさせるものだ(アルバム全体の生死観などにおいて)。
ストリングスのアレンジが徐々に畳みかけてきて、打楽器も素晴らしい効果を挙げている。
(この辺のプログラミングは熟達を感じる。)
「メロディーが細かい周期で上下を繰り返し、全くの対称なのではなく、ややずれながらうねっている。宇多田さんの声と歌い方はバイオリンかギターのチョーキングのような感じを受けます」というST Rockerさんのわくわくするような分析が愉しみである。
ただわたしとしては、もう少しミニマルミュージック的な反復と重層(さらに重奏)と変化を愉しみたかった。
ラベルのボレロみたいな昇まりを、、、。
ロングバージョンとかもあって欲しいな。
楽曲全体として、余りに完璧に綺麗にまとまり過ぎている感じもした。
宇多田さん自身、完全主義者なのだと思う。
そしてやはり天才だ。
欲しいものが
手の届くとこに見える
追わずにいられるわけがない
正しいのかなんて本当は
誰も知らない
まさに「初恋」の澄み切った瑞々しい衝動である。
そして、これは、初恋に限らない。
いや、この「初恋」の衝撃~欲動と同質のエネルギーで、科学が芸術が哲学が生まれるのだ、きっと。
正しいかどうかは、後になって分かる。が、そんなことどうでもよい。
宇宙のすべてのイベントは、こちらが追うと同時に向こうからやってくる。
その瞬間のうるさいほどの胸の高鳴りが真実であることをはっきり告げ知らせる。
(古くは内的必然性などと呼ばれてもいた)。
後の意味づけなど歴史のやること。もはや関係ない。
風に吹かれ震える梢が
陽の射す方へと伸びていくわ
小さなことで喜び合えば
小さなことで傷つきもした
自然の摂理に従うように、この身を任せてみれば
些細な出来事がとても愛おしく感じられる、、、
狂おしく高鳴る胸が
優しく肩を打つ雨が今
こらえても溢れる涙が
私に知らせる これが初恋と
高鳴る胸が、肩を打つ雨が、溢れる涙が、、、切々と狂おしく重層する。
内なるリビドーの突き上げであるのか、天からの愛撫なのか、もはや内も外も混然一体となり、ただ涙だけが溢れ出て止まらない。
その溢れ出る涙そのものが、(その身体性の昇まりが)まさに「初恋」と名付けられた。
~エストリルのクリスマスローズより。生きる意味を恋の中に見出す。
これもまた真理
そう、至高体験に見出す真理。
