気ままな情事

Il Magnifico Cornuto
1964年
イタリア
アントニオ・ピエトランジェリ監督
フェルディナンド・クロメリンク原作戯曲
ウーゴ・トニャッティ、、、アンドレア(帽子製造工場社長)
クラウディア・カルディナーレ、、、マリアグラチア(アンドレアの妻)
サルヴォ・ランドーネ、、、べリザリオ(部下)
ミシェル・ジラルドン、、、クリスチアナ(アンドレアの浮気相手の人妻)
ポール・ゲール、、、ガブリエーレ(骨董品屋)
プッと笑えるところの多いコメディなのだが、些か長すぎる。
もう少し短く畳み込んでもらえると観易かった。
アンドレアは人妻クリスチアナと妙な心理的駆け引きをしつつ浮気に及ぶ。
彼女は、また随分浮気の手引きに手馴れている。
相当な猛者だ。アンドレアもそれに積極的に乗ったのであるが、、、。
余りに簡単に浮気をする人妻に対し「人妻」という彼の概念にまず不信感を抱く。
その危うさを感じる。自分の妻も例外ではなのではないか、と。
無意識的にも、彼は浮気による内在する規範意識に反する行為を働いたという感情~罪悪感を不信感に反転させ妻に投影し始める。
自分が過ちを謝り恥じる代わりに、彼女に猜疑心を向けだす。
優雅で美しい妻マリアグラチアが人々の賛美の的である誇りと共に常に抱いていた不安が、自分の浮気をきっかけに更に膨れ上がり、このような転嫁を引き起こした感じだ。
夫アンドレアの暴走が始まる。
マリアグラチアの貞節を疑い、部下に尾行させたり、持ち物を内緒で調べたり、電話を盗聴したり、車で追いかけたり、ともかく監視をエスカレートさせてゆく。
しかし気品のある落ち着いて冷静な妻は、嫉妬も愛の内よ、などと言ってサラッとかわす。
自分に対する監視行為もほとんど見通していた。
だがアンドレアの妄想が病的に膨張して行く。
(実際、ここまでくればかなりの病気だが)。
その妄想世界では、マリアグラチアは妖艶な娼婦となっており、アンドレアが疑惑を抱く人物たちが全員彼女のもとに吸い寄せられており、背徳の楽園みたいな状況と化している。
それにしては今一つ想像力が欲しいところだが、自分が過去に行ったそのような場所を材料にして構成しているのだろう。

見ようによっては、いや見所か。ここがクラウディア・カルディナーレのもう一つのセクシーな(エロティシズムの)売りの面である。
マリリン・モンローMM、ブリジット・バルドーBB、に並ぶCCたる所以だ。
だが、ここでの若き社長夫人であるマリアグラチアは、清楚で生真面目な嘘の付けない女性である。
(両面で質の違う美を遺憾なく発揮できる女優なのだ)。
それにしても、アンドレアは妻を疑い小細工ばかりしてフラフラしていてよく社長が務まっているなと思うが、、、。
この手の噺では、こちらがその人物の職業の余計な心配をしてしまうような事が結構多いものだ。
いくら調べて行っても、マリアグラチアは常に誰が見ても品行方正な生活を送っている。
アンドレアは逆にその為に、不信感を募らせ狂ってゆく。
どうしても自分の持つ過ち~罪の意識を妻に告白させたい。不信感を正当化したい。
この奇妙な同一化、、、ある意味、これも愛か?いやエゴイズムか、、、
ここまで来るとサイコだが。
ついに彼女を車に乗せて、浮気を暴力的に問い詰め、認めて告白しないと大事故を起こす勢いで危険運転を続ける。
彼女はその恐怖から、過ちを犯し相手はガブリエーレだと騙る。
それで取り敢えず彼は落ち着きは取り戻し、家に無事に戻るが、今度は浮気の事実に対して切れまくり奴を殺すと息巻く。
当然やって行けずにマリアグラチアは家を出て身を隠す。
その後、彼は彼女を追い、車で急発進して庭木に突っ込み負傷する。
彼女はそれを聞き、邸宅に帰って来るが、お互いに口を利かない日が続く。
或る日アンドレアは、彼女とガブリエーレの電話を盗聴し、彼らが全くの潔白で車の暴走を止めるために彼女が咄嗟についた嘘であったことを知る。
アンドレアはそれでとても安心し、負傷していながらもすっかり元気になる。
盗聴した電話で確かめたのだ。嘘はない、真実だと確信が得られたのだ。
彼曰く、「あれは麻疹だった」
それ以来、もう君を疑うことなど何があってもないと断言し、すっかりご機嫌となる。
(これで散々な目に遭った妻が納得できるのか!とは思ったものだが、、、)。
最後は、いつものお金持ちのパーティーで皆で楽しく呑んだりダンスに興じる光景である。
夫が猟に行こうと仲間を誘っており、一晩家をあけることになった。
それに呼応して妻がその日、他の男性と彼の家に泊まるわと約束をしている。
何にしても彼女の方が一枚上手なのであった。
(恐らく盗聴なども彼女が逆利用していたようだ。べリザリオの尾行など全て承知していたし)。
かなり怖い噺でもある。
女の怖さだ!
(同時に男の馬鹿さ加減でもある)。