霧の夜の戦慄

The Upturned Glass
1947年
イギリス
ローレンス・ハンチントン監督
ジョン・P・モナハン 、 パメラ・ケリノ脚本
ジョン・P・モナハン原作
ジェームズ・メイソン製作
ジェームズ・メイソン 、、、犯罪心理学講師、マイケル・ジョイス(脳外科医)
ロザムンド・ジョン 、、、エマ(手術を受けたアンの母)
パメラ・メイソン 、、、ケイト(エマの妹)
アン・スティーヴンス 、、、アン・ライト
ヘンリー・オスカー 、、、コロナ―
モーランド・グレアム 、、、クレイ
「ひっくり返りやすいグラス」
君はデザインは良いが「不安定で割れやすいグラス」だ、、、主人公に接した医者が彼をパラノイアだと診断して述べたメタファー。
確かに謂えてる、、、。
邦題は「パラノイア」でもよかったかも、、、しかしこの映画、霧に包まれてからが実にピリピリ来る。
主人公のこの人はパラノイアであろうか?
被害妄想でも誇大妄想でも独裁者的でも無いと思うしナルシシズムもサタニズムも持ち合わせていないような、、、。
どこがどうパラノイアなのか、、、。
彼の講義を公聴した学生が言う、自分の犯罪を人前で誇示してしまう性格からか、、、確かに、ナルシシズム、、、。
「倫理的な確信から裁く者の高潔さがある」ときた、、、ここはナルシシズム以外の何ものでもない。

主人公は3つの脳外科病院を掛け持ちする専門医であり、学生対象の心理学講義も週一で受け持つ男である。
学生への講義内容は、「健全で立派な社会の一員」による犯罪心理についてのものである。
全て匿名で物語が克明に語られてゆくのだが、それは自分の今の生活そのもの~まさに自分自身のことなのだ。
不仲となって別居している妻が離婚を受け容れない。
そんな時期に、失明の恐れのある少女を手術で救ったことで、視力が戻るまでの期間、彼女の母エマと親しく付き合う事となる。
彼女の夫も地質学者で一度調査に出ると数年帰ってこないこともある。
彼の仕事に明け暮れる人生の空虚さをエマが埋めてゆく。
音楽とピアノの趣味が合い、互いの生活は潤いのある豊かなものとなった。それは確かだ。
しかし、彼も彼女も既婚者であり、愛し合っても結ばれない。彼女には元気に回復したアンという娘もいる。
ということから、二人は別れることに決めた。
だがすぐその後、エマが窓から落ちて死んだという知らせが彼のもとに入ってくる。

その死に彼は不信を抱き、調べてゆくと彼女の妹が事件に深く絡んでいる事を知る。
正義感から行動をとろうがそのままほったらかしておいても、特に何がどうなるものとは思えないが、彼は行動に出た。
パラノイア的に関わる。もう止まらない、、、。
講義では、彼は妹に復讐を果たし完全犯罪が成立したことで終わるが、講義を終えて車に乗ると少し巻き戻った時間流に乗り込む。
これから妹のケイトを乗せて夜の街に、売りに出されているエマの家へと向かうのだ。
わたしとしては、ここに接続したことに一番わくわくした。かなりのものである。唸ってしまう。
ここからが噺の世界ではなく、現実界であり講義は少し先の成り行き~完結までの物語を示していた。
さて、実際どうなったのか、、、
恐らくここからがもっとも面白い所なのだ。
第二章としてもよいくらい。
ヒッチコックのよく出来た映画と同等の質だと思う。
噺の通りには行かないのだ。姉の時のように自殺に見せかけることは、抵抗されて首を絞めてはどうにもならない。
鍵まで下に落とされドア部分を壊している。これも内側に誰かがいたことを容易に窺わせる。
何とか車に骸を乗せて、海に運ぼうとしたところ深い霧に覆われる。
深い夜霧の中を進む途上で、交通事故にあい瀕死の少女の手術を行うことになる。
常にネタバレを大々的にやってるわたしでもこの辺で止めておく(笑。
霧の中の雰囲気と謂い、晴れ渡る夜明けの断崖も見なければその雰囲気は掴めない。
ただ一つだけ、この医者はどんな危篤の患者でも飽くまでも救おうとする。そして腕が良いため救ってしまう。
この強い正義感と完全主義こそが、途中で乗り込んで来た医者の出した”パラノイア”という診断である。
強い正義感は、思い込みが激しく極端な単純化を起こし不安定で、どうすっ転ぶか分からない危険なものなのだ。
理想主義者であり、原理主義的でもある。テロ組織にピッタリか。
はめ込み画像がかなり目立った。
車の運転シーンでは仕方ないと思ったが、公園を散策するシーンにもあった。
ちょっとどうなのか、と思うところであった。
それから学生にどのようにしてあのようなストーリーを話していたのか~理解させていたのかという疑問も湧く。
言葉で長々と詳しい説明は難しい。映画(の形式)であるからあのように描けるのだ。
(この形式~表現における二重性はやはり気になってしまう)。

繰り返しになるが、正気の犯罪者を強調しているところこそパラノイアたる所以だ。
しかし犯罪者と認定されなくとも、この世に正気の者がどれだけいるか?
そもそも正気~正常とは何なのか、、、その辺を問題とすると議論が陳腐になるのでやめる(やるほどの意味も価値もない)。
なかなか強気で憎たらしいケイト役のパメラ・メイソンはこの映画の製作まで担当している主人公のジェームズ・メイソンの妻だということ。パメラは小説家でもあり、この映画の脚本も受け持っている。夫婦で相当入れ込んだ作品であることが分かる。
確かに力作であった。