ハイヒール

Tacones lejanos
1991年
スペイン、フランス
ペドロ・アルモドバル監督・脚本
坂本龍一 音楽
ビクトリア・アブリル、、、レベーカ(TVメインキャスター)
マリサ・パレデス、、、ベッキー・デル・パラモ(母、人気歌手)
ミゲル・ボゼ、、、ドミンゲス判事、レタル(ゲイの歌手)、情報屋
フェオドール・アトキン、、、マニュエル(レベーカの夫、ベッキーの元恋人、TV局経営)
ミリアム・ディアス・アロカ、、、イザベル(マニュエルの愛人、サブキャスター)
ハビエル・バルデム、、、TVプロデューサー
この題で惹かれた。とがった感じ。
赤が印象的であった。
今日も女たちががみがみ騒ぐ。
自己主張できることは、きっとよいことだ。
再婚相手の自動車事故死を機に単身メキシコに渡り、15年ぶりにスペインに戻って娘と再会する母。
まだ現役の歌手である。地元の人気も衰えていない。
彼女のそっくりさんのゲイの歌手すらいる。
そして、母は娘が結婚した相手マニュエルのかつての恋人でもあった、、、。
ああこのパタンで来るか、、、と思ったらその線であった(爆。
気が重くなるのだが、仕方ないということで付き合う。
母~息子パタンとは異なる重くヒリツクしこりが顕になってゆくが、かなりクールな感触で展開する。
娘と母との複雑な愛憎劇であり、娘が全身シャネルで固めているのも母への対抗意識からであろう。
とても酷い母だが、ある面において(女性として)娘は彼女に深い憧れを抱いていたことは間違いない。
歳をとっても未だに華麗な雰囲気を纏っている。
どうもよく分からないのは、ミゲル・ボゼはドミンゲス判事になったり、夜のゲイの歌手になったり、情報屋となっていたり、レベーカに求婚したりするのだが、どういういきさつでそうなったのか。そもそもレベーカとの距離感覚、とその不思議な行動様式である。ここがしっくり流れないのだ。判事があそこまで自由に容疑者を連れまわせるのもどうなのか、、、妙な権限を持つ抽象的な存在なのだ。
ただ、それがあってもグイグイと惹き込んでゆくストーリー・演出である。
これはかなりのものだ。
女性囚人の間で突然始まるダンスが面白く素敵であった。
その一か所だけでなく、もっとミュージカルな要素が入ってもよかったのでは、、、
(いっその事ミュージカルにしてしまえば、もっと面白かったか)。
レベーカが別荘で撃ち殺されたマニュエルの犯人であることを自らの番組で涙ながらに告白して見せ、彼女は逮捕されるが、その後、撤回する。ドミンゲス判事の計らいで母と対面しこれまで抱いて来た彼女への想い~憎しみの情、確執を語る。
レベーカは母が自分の価値を否定して置き去りにしたことだけは絶対に許せなかった。
母は話しの全てを受け容れる。
そして帰りにレベーカは倒れ、妊娠していることを知る。
ドミンゲスがレタルそして情報屋であったことを知り、彼との子であることも疑いなかった。
結局、判事の力が大いに働いたらしく、レベーカは証拠不十分で釈放となる。
(その後、具体的に彼とどうなったのかは描かれない)。
レベーカにとって、自分が母に勝てたと想えたことは、マニュエルと結婚したことであった。
しかしそのマニュエルはレベーカに離婚を迫っていて、もはやどうにもならない状況なのだ。
二重に自己否定された彼女には、もうマニュエルの存在自体許せないものであった。
舞台終了後に母ベッキーは狭心症で倒れ、病院に運び込まれるが、危険な状態であった。
レベーカは真犯人は自分であることを打ち明けるが、死期の近い母が娘の罪を(自らの贖罪として)被ることにする。
彼女がもってきた犯行に使った拳銃を母が手で触る。
「ママといたころ、ママのハイヒールの音が
寝室を出て廊下に消えるまで眠れなかった、、、」
母は静かにベッドで息を引き取る、、、
「そのときから、いつかヒールの音が戻るのを
起きて待っていたのよ、、、」
レベーカは母の傍らに寝て彼女に縋りつく。
