鞄を持った女

LA RAGAZZA CON LA VALIGIA
1961年
イタリア
ヴァレリオ・ズルリーニ監督・脚本
マリオ・ナシンベーネ音楽
クラウディア・カルディナーレ 、、、アイーダ(クラブ歌手、未亡人)
ルチアーナ・アンジェリロ 、、、マルチェロ(富豪の放蕩息子)
ジャック・ペラン 、、、ロレンツォ(マルチェロの弟)
エレオノラ・ロッシ=ドラゴ 、、、ロレンツォの叔母
レナート・バルディーニ
とても古典的な映画である。舞台もパルマで古都である。
落ち着いて観られるものだが、、、。
マルチェロ(ジャック・ペラン)が兎も角、素晴らしい。
演技もよいが、こんな青年いるか?!
まず今、こんな青年は最古の化石の発掘をするつもりで探さなければ見つかるまい。
何と謂うか、、、瑞々しくも切ない純愛なのだ!?
そしてその青年がたちまち恋に落ちたのがクラウディア・カルディナーレである。
クラウディア・カルディナーレがこれまた清楚で美しい。
(クラウディアにときめくのは別に何の不思議はないが。ときめかないなら病院で診てもらう必要はあろう)。
綺麗なお姉さん(CMにあったな)に初恋する(こういう言い回しあるか?)年下の男の子(こういう歌あったな)である。
しかもずっと後まで、手も繋がない(これも歌にあったな)、極めてプラトニックな愛が描かれてゆく、、、。
まあ~それでも何というか、、、管轄外の映画である(爆。
勝手にしなさい、と思いながら鑑賞である。
やはりイタリア女性である。よく喋り気は強くダンスやお酒は好きである。

噺は息苦しい程にシビアである。
リッチオーネのクラブ歌手のアイーダは偽プロモーターに騙され、新しい仕事の為、その男と二人でゴージャスな旅に出かけたのだが、途中で見知らぬ街に独り置いてけぼりを喰らう。仕事どころか元のクラブからも見放され、彼女は途方に暮れるも、どうにか偽名で騙した男の家をつきとめて行くと、その対応に出たのが男の弟ロレンツォであった。
彼は彼女の困惑振りとその美しさに戸惑い、兄に言われたとおりにそのまま追い返すことが出来ない。
兄の不義と彼女への淡い恋心から彼女にお金やドレス、ホテルの部屋などの支援をしながら関わりを続けてゆく。
当然、彼の思いは次第に深まって行き、彼女もそれに気づくが困窮の為、彼の援助に甘えるしかない。
仕事を見つけるまでと思いつつ二人の時間が流れる。

門限を破ったり勉強に身が入らなくなり、その素行から叔母や教師である牧師にことの次第がバレてしまう。
牧師はロレンツォを諭し、アイーダに対してはこの地を去るように言い渡す。
アイーダは牧師から、彼女を騙して捨てた男はロレンツォの兄であることを告げ知らされる。
しかしロレンツォは只管、アイーダに尽くす。文字通りの無償の愛である。
お金も叔母から貰うお小遣いからのやり繰りである。
恋に胸が張り裂けそうな本当に生真面目な青年(少年か)なのである。

アイーダは故郷リッチオーネに戻るが、もう元恋人のバンド・マスターであるピエロは彼女に憤っており、頑として撥ねつけてしまう。
彼女はなす術もなく、上手く取り入って間に入って来たクラブオーナーに身を任せる方向になる。
金を無理やり2万リラ握らされ契約成立と持ち込まれた時に、後をつけてやって来たロレンツォが爽やかに割って入る。
この登場はまさに待ってました、である(分かっていても)。
そしてロレンツォが男になる。
相手を柄にもなく殴るのだ。だが逆に、怒った男にボコボコにされる。
仕方ない、喧嘩などはじめてなのだ。

海辺ではじめてお互いのこころを開き、お互いに対する愛情を確認する。
しかし、二人は結ばれる運命にはないことは、最初から分かっていたことである。
お互い見つめ合い慈しむように静かに抱擁する。
これはすでに衝動的な恋愛を超えた崇高な姿に見えた。
薄暗い駅の待合室での静謐で張り詰めた別れのシーンは秀逸であった。
この感情を押し殺した言葉少ない空間の重みは限りなく切ない。
アイーダは終始ロレンツォに視線を向けない。
彼女は彼にに早く汽車に乗ることを促す。
ロレンツォは返事はいらないからと言って最後の手紙を手渡し彼女の腕にそっと触れ出てゆく。
当座の生活資金であろうか。当然、家が裕福とは言え16歳の男の捻出できる額を遥かに越えた札束が同封されていた。
これで、彼女は他者の思惑に惑わされずに自分のやりたい仕事を選べるはずである。
クラブを渡る流浪の身は変わらぬであろうが。
(鞄を持つ女である)。
まだ若い青年と若い未亡人との今生の別れである。
(恐らくこのシーンは、恋愛~悲恋映画の別れのシーンとしては不滅の名シーンに数えられると想える)。
