「図案対象」久保克彦

「図案対象」
若々しく生命力に溢れた幾何学的な図象。
そんな第一印象をもった7メートルを超す、5つのパートに分かれた絵である。
第二次大戦で大学卒業後に動員され中国大陸で戦死した画家、久保克彦の絵(卒業制作)である。
自分の生=絵画制作がはっきりと断絶することを知った時点で、そこから遡行するような形で人は全ての思考・思想・記憶・感情を動員して総括を行おうとするものか。
戦争において、自分という時間流が戦場でふいに断ち切られる。
いや実質的に戦争に動員された時点で、画家という生命は終わっているか。
奇跡的に生きて終戦を迎え、家(アトリエ)にまでたち戻れれば、そこから断絶した人生の再開~制作続行は果たせるだろう。
だが、極限状態において、当人は「終わり」を予知してしまっているのだ。
これが”スワンソング”であると。
TV番組*で「図案対象」を見て分かった。
これは認知し認識した事象全ての見取り図ではないか。
芸大の卒業制作である。
それが最期の作品である。
構図・構成は計算しつくされたストイックな緊張が張り詰めており、カメラが近くによると、ほとんど全ての作図線が残っている。
恐らくそれらも重要な構成要素として敢えて残したのだ。
単に設計図やプロセス~時間性を重層的に残すというより、意味~読みのヒント・ガイドラインとしても。
一見、そのダイナミックさと要素の構成・配置から、フラクタル図形からの無限~永遠、有機物と幾何図形の対比の作る象徴性を内容として強く感じさせるが、実は5つの巨大絵画が全て1:1.618の黄金比よって貫かれていることが分かっている。
これには、驚く。
各画面においても黄金比によって正確に構成されている。
黄金比によってできる長方形をまた区切って正方形が切り出されてゆく。
その完全性の枠の中に、彼が拘る要素がことごとく整然と収まっている。
そして、各画面にある有機物の落とす影で時間を示す。
朝から夕刻までの意識~生きられる時間であろう。
エッシャーとはまた異なるスケールと質を感じる。
これが死を眼前にした者のひとつの「回答」なのだ。
世界との相関関係において実相を描くことを強いられた、とも謂えようか。
巨大な不安と恐怖を抱えつつ。
同期の芸大卒業生で、彼がただ一人の戦死者であったという。
――>同期の東京美術学校工芸科図案部15人のうち、ただ一人の戦死者
(甥の久保克彦様からのご指摘により訂正。お詫び申し上げます)。
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「この絵を描いたからこそ、これから自分が戦争に行くということに向き合えたんじゃないか」と番組で芸大の女子学生が述べていたが、わたしもそうだと思う。
これを描いたことで、死を受け容れる覚悟も出来たのだろう。
(しかし、これは見ようによっては、未完であるとも謂える)。
彼は友への手紙に「自分は一兵卒で死ぬ」と書き送っていたという。
死を受け容れてしまうと、本当にそうなる(引き寄せる)ことにもなるかも知れない。
続きを必ず帰ってから描くと決めていたら、きっとそうなっていたように思う。
上野の芸大美術館で10/2から展示されるという。
季節も良いし、見に行きたい。
*新日曜美術館