プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ルードウィヒ/神々の黄昏

Ludwig001.jpeg

Ludwig
1972年
イタリア・フランス・西ドイツ

ルキノ・ヴィスコンティ監督・脚本

ヘルムート・バーガー 、、、ルードウィヒ2世
ロミー・シュナイダー 、、、エリーザベト(オーストリア皇后、ルードウィヒの従伯母)
トレヴァー・ハワード 、、、ワーグナー
シルヴァーナ・マンガーノ 、、、コジマ・フォン・ビューロー(ワーグナーの愛人~二番目の妻)
ソニア・ペトローヴァ 、、、ソフィ(エリーザベトの娘)
ジョン・モルダー=ブラウン 、、、オットー(親王陛下、ルードウィヒの弟)
ゲルト・フレーベ 、、、ホフマン神父
ウンベルト・オルシーニ 、、、ホルンシュタイン(伯爵)
ヘルムート・グリーム 、、、デュエクハイム(大佐 、親友)


ヴィスコンティはドイツにかなり興味と深い教養をもっていたようだ(どうやらドイツ語も流暢に喋れたそうだ)。
『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』『ルートウィッヒ』はドイツ三部作とも謂われている。
そう謂えば昔の友人が『ベニスに死す』を滅法気に入っていた。
この映画は、イタリア語で作られているがヘルムート・バーガーは、母国語であるドイツ語の他にイタリア語、英語、フランス語も堪能であった為、イタリア語はそのまま彼の発するセリフで撮られている。

音楽はワーグナーばかりか、と思っていたらシューマンもかかっていて嬉しくなった。
全編に流れる音楽が実に良い。”トリスタンとイゾルデ”が絶妙。
そして圧倒的な美術。
城と謂い調度、馬車、衣装と謂い、大変な贅は尽くされていても決して華美なものにならずシックで落ち着いた雰囲気の王室を舞台に描かれる。生涯コアな貴族生活の中にいた人ならではの絵である。
外から素人が想像して作ったレベルではない。
爛熟した文化の凋落と終焉がとても説得力をもつ。

第4代バイエルン国王である。
ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場やワーグナーで大変な浪費をしたと非難轟々であったが、今では国の財源となっているではないか。
バイロイトなど音楽愛好家の聖地みたいにもなっている。
藝術にお金をかけた人はやはり、後々国の為に残している。大変貴重な財産であることに違いない。
やはり作るときに勢いで作っておくことだ。目先の利益に拘っていては偉大な文化財など生まれない(と思うが)。
日本で謂えば足利義政(第八代将軍)あたりか。彼も政治には全く関心がなく藝術ばかりやっていた。
とは言え、自国が戦争やっているのに、わたしは戦争には興味が無い。わたしにとって戦争など存在しない、はないだろう。
そんなことを言っている間に、自国民が次々に戦争で命を失っている。
やはり困った人だ。
せめて戦争を少しでも早く終わらせる努力をしてみてもよかったか。

音楽に造詣の深いルートウィッヒがワーグナーに心酔するのは分かるが、相手のワーグナーとコジマの憎たらしいこと。
篤くもてなされ資金も潤沢に援助されているのに、金をせしめるだけせしめルードウィヒを思い切り馬鹿にしている。
「パトロン気取りの愚かな若造とか変人の家系の末裔が」などと言って、手紙にも酷いことを並べている。
しかしワーグナーとはホントにあんな男だったのだろうか。
コジマも輪をかけて酷い。あのフランツ・リストの娘ではないか。
かなり幻滅である。

ルートウィッヒは非常にハンサムな国王であったそうだが、肖像画と比べてもヘルムート・バーガーは見事その域に達していた。
しかしとても似ていて笑ってしまったのがワーグナーである。
これまた肖像画そっくりさんであり、そのお陰でワーグナーのイメージがかなりダウンした(笑。
エリーザベトは当時ヨーロッパ随一の美貌で通っていたが、ロミー・シュナイダーとはちょっと異なるタイプの美女に思える。
映画的には文句ない。ルートウィッヒともピッタリである(ルートウィッヒをふってしまうが)。金使いの荒さもルードウィヒとどっこいどっこいだったようだ。

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結局、異性で愛することが出来たのはエリーザベトだけであったという。
これも孤独だ。
元々彼の中には厭世観が蔓延っており、「世界は耐えがたいほどに卑しい」とオットーにも語っていた。
自由でいたい。不可能の中に真実の生を、と。
まさに音楽の中に閉じ籠るしかないような言説となる。
城の建設に異常な熱意を示すことも同じ次元の心性によるものであろう。
そして当代随一の音楽家ともなれば、如何に悪名高くても(血税をいいように使いまくる)ワーグナーであったか。
(ワーグナーに対しては浪費家で知られるエリーザベトも批判的であった)。

Ludwig002.jpg
デュエクハイムから滾々と諭されるところは、かなり悲痛だが、国王にあのように率直に意見の謂える存在~友は貴重である。
金や物質的欲望ばかりに明け暮れている身近な側近たちへの不満や戦争をなかったことにして認めない、それを勇気ある選択だとして義務を無視し幸福を見出したと主張するルートウィッヒの姿勢に対し彼はとても静かに意見を述べる。

高い理想を掲げて真実に生きたいと言われるが、本能と欲求のまま偽善と欺瞞もなく過ごせる特権的な自由人の立場をとっているに過ぎない。
本来自由は万人のもの、平凡に生きる者も物質的な安定だけを求めているのではない。真の自由は誰にも手にする権利がある。
道徳的束縛が無く快楽と自由に生きている者たちに騙されてはいけない(ワーグナーたちのことか)。
陛下は別の存在理由を見出さなければならない、、、。
世界は元々純粋なものではなく善も悪もない。陛下もその社会の枠の中にいる。

これを聞いて苦悶するルードウィヒ。
晩年は(まだ若いが)かなり精神も参って憔悴しており容貌にもそれが表れている。
果たして彼は狂王であったのか。
デュエクハイムの言うように彼を狂人に仕立てよう(追い詰めよう)とする勢力があったのか。

Ludwig004.jpg
最後の溺死体で岸に上げられたところで終わるこの惨さが彼の短い人生を象徴している。
華麗であるが退廃的で重く悲痛である。
ルキノ・ヴィスコンティ自身を彼に重ねている部分も小さくはない気がする。

4時間は丁度良かった。







家族の肖像

Conversation Piece001

Gruppo di famiglia in un interno / Conversation Piece
1974年
イタリア・フランス

ルキノ・ヴィスコンティ監督・脚本

バート・ランカスター 、、、教授
ヘルムート・バーガー 、、、コンラッド・ヒューベル(夫人の情夫)
ドミニク・サンダ 、、、教授の母(回想)
クラウディア・カルディナーレ 、、、教授の妻(回想)
シルヴァーナ・マンガーノ 、、、ビアンカ・ブルモンティ伯爵夫人
クラウディア・マルサーニ 、、、リエッタ・ブルモンティ(夫人の娘)
ステファノ・パトリッツィ 、、、ステファーノ(リエッタの婚約者)
ロモロ・ヴァリ 、、、ミケーリ(弁護士)


ヴィスコンティと言えば、貴族の末裔、滅びの美学等々のフレーズが直ぐに思い浮かぶが、キャッチフレーズとしては適当なものには思える。彼の場合、貴族と言っても歴史的な名家であり大富豪の極め付けの貴族であった。
ここでも伝統と格式のある邸宅に多くの値打ちある調度品と書物にレコードと夥しい鑑定済みの名画に囲まれてひっそり過ごす男の生活ぶりが描かれるが、、、。
名品がたくさんあってもそれによって華美になったりギラギラしない展示と扱いのセンス~気品が窺える。


「家族の肖像画」を選び収集して、独りもの静かに時を過ごす老教授。
何故、”家族”なのだろうか。
今日も有名な画廊が強引に絵を売り込みに来ていた。

丁度そんなとき不意に、思わぬ客が屋敷に侵入してきた。
彼らは二階に間借りしたい、部屋は改装したいと勝手に要求し、孤独を大切にしている教授が断っているにも拘らず、住み始め改装をして家全体を軋ませてしまう。
静かな環境での読書や思索どころではない、教授は他人の気配と騒音に悩まされてゆく。
観ている方としては、相当にイライラしてくる(特に自己中でヒステリックに喚く伯爵夫人は神経に障る)。
これは犯罪行為ではないか。
しかし教授もしかるべきところに訴える等の強硬手段には出ず、ズルズルと彼らを引き入れてしまう。
彼もその傍若無人な連中のなかに何をか期待するものがあったからかも知れない。

彼らは間借りした部屋で騒ぐだけでなく、教授の書斎にもズカズカ現れ、隠し部屋にまで入って来る始末。
伯爵夫人を筆頭にその娘、娘の婚約者(試験的婚約らしい)そこに過激思想をもつ夫人の情夫と凄い面々の腐乱した関係が教授の静謐な時間を乱すことを止めない。
何度も出て行ってくれることを頼むが、コンラッドが暴漢に襲われたりなんだりで、結局ダラダラと彼らは居続け出入りがなし崩しに続く。
余りの無作法とデカタンに呆れ返る教授ではあるが、コンラッドの教養には次第に興味を示す。
彼は絵画、音楽に造詣が深い。
久しぶりに?噺の出来る相手なのだろう。
ふたりは絵画について話しこむ。
コンラッドは確かに魅力的で知性と独特な見識をもち危険な匂いを纏っている。
教授はコンラッドに親近感を感じるにつれ、夫人や娘、その婚約者たちとも距離は保ちつつ関りは続けてゆく。
彼の内に何かが変わっていった。
何と教授自ら彼らを食事に誘うのだ。

教授はこの静かな時を絶えず乱す不可解な集団を”家族”と呼んでしまえば合理的に受け止められることに気づく。
そう、家族とは本質的にそうしたものだ。
不条理の塊であって、予測不能で、不透明であり、より自らの孤独を際立たせる共同体ではあるが、”家族”によって取り込める場がある。たいそう苦しいが生を活性化する作用が働く。教授に生の意欲が垣間見える。
かつての母や妻の若々しい回想が挟まれる(それにしても回想に使う女優の何と贅沢なことか)。
そして(疑似的な)息子としては、芸術の分かるコンラッドであることは、他の誰も同意するものであった。
コンラッドは伯爵夫人やその取り巻きに愛想をつかし、一度は出てゆくが戻って来る(この連中は常に出たり入ったりを繰り返す)。
ようやく教授がこの事態に折り合いを付け新たな出発をしようとした矢先に、突然コンラッドは爆死を遂げてしまう。
教授は深く落胆し、自らの死とも直面する流れとなってゆく。

果たしてコンラッドは自殺したのか殺されたのか、を問えば殺されたのだと思う。
教授宛の手紙は明らかに遺書ではなく別れを告げるものであった。
伯爵夫人としては自殺して何時までも罪の意識を自分たちの心に残そうとしたと自分への執着を彼に期待していたようだが、実際はリエッタの言うように彼の関わっていた過激派の仲間(敵)に殺されたのだろう。
あの夜、暴漢に襲われた時と同じパタンではないか。
爆死というのも最後の最後まで落ち着かない”息子”~家族である。

しかし、コンラッドの死により、教授の”家族”幻想は瓦解し、彼自らも死に瀕して行く。
伯爵夫人や娘とその婚約者は、コンラッドの事を忘れてそれぞれの道をゆくことにする、という。
ベッドに横たわる教授を彼らは晴れやかな表情で見舞い、たち去って行く。
最後に虚空に腕を差し出して何かを掴もうとするも、力なく崩れる。

貴族の滅びの美学と言えようか。
今や全ては幻。
二階の物音と共に、家族の肖像画から抜け出てきた人物たちとの束の間の戯れであったか。

Conversation Piece002



何やら「野いちご」(ベルイマン)を思い起こす。
それから「鑑定士と顔のない依頼人 」(ジュゼッペ・トルナトーレ)を。







シェイプ・オブ・ウォーター

The Shape of Water001

The Shape of Water
2018年
アメリカ

ギレルモ・デル・トロ監督・脚本・原案・製作
アレクサンドル・デスプラ音楽
ダン・ローストセン撮影

サリー・ホーキンス 、、、イライザ(掃除婦、口が利けない)
マイケル・シャノン 、、、ストリックランド(エリート軍人)
リチャード・ジェンキンス 、、、ジャイルズ(孤独な絵描き、イライザの理解者)
ダグ・ジョーンズ 、、、不思議な生きもの
マイケル・スタールバーグ 、、、ホフステトラー博士(生物学者、ソ連スパイ)
オクタヴィア・スペンサー 、、、ゼルダ(掃除婦、イライザの親友)
デヴィッド・ヒューレット 、、、フレミング(研究所上司)
ニック・サーシー 、、、ホイト元帥(ストリックランドの上司)


「パンズ・ラビリンス」の系譜であるファンタジー映画と謂えよう。
この監督のファンタジーは過酷な現実社会の影に息づく暗黒ファンタジーである。
スプラッシュ」のような能天気なファンタジーとは違う暗い闇と血生臭い湿り気がある。(わたしはスプラッシュも好きな映画である)。

舞台は米ソ冷戦時代のアメリカ政府の極秘研究所である。
ちょっと魅惑的な地下研究所という雰囲気で、わたしもこんなところなら行ってみたい気がする。
何故か基本的にどこも緑(ピーコックブルー)に染まっている。
そして対比的に禍々しい赤に染まる場面が何度か現れる。
そこには、幼い頃首を絞められことばを喋れない孤児として育ったイライザと黒人のゼルダが清掃の仕事に携わっていた。
The Shape of Water003

或る時清掃の合間に、イライザはアマゾンの奥地で原住民に神と崇められていた生き物に遭遇する。
彼は猛獣のような扱いで捕らえられていた(かなり手荒な虐待を受けている様子が窺えた)。
見た目は半魚人で知性が感じられ(ことばや音楽に独自の反応を示す)コミュニケーションの可能性が窺える。
なかでも瞼のリアルな動きにはビックリさせられた。
水槽のガラス越しに手を合わせて相手を確認するふたり、、、。
双方の孤独が一瞬のうちに引き寄せたか、お互いに惹かれ合うようになってゆく。
声の無い者と物として扱われる生き物との恋が生まれる。
究極的な恋愛物語となろうか。
どうやら彼はゆで卵が好物のようであった。

The Shape of Water005

マジョリティの代表みたいな家庭生活を営むストリックランドがホイト元帥の命に従い、不思議な生きものの生体解剖を断行することとなる(彼は研究所の基調を成す緑を嫌うが、触手の向いたキャデラックが緑ではなく「ティール」であることに安堵して購入する)。
彼にとってはその生き物は、単に軍事的な意味を持つ物に過ぎない。

しかしその生き物を担当するホフステトラー博士は、生き物の魅力に気づき、生きた彼を研究したい熱意を持つ。
当然、死体の解剖に反対する。
生体の観察と解剖学的な機能分析は相容れない。特に対象が知性~創造性を持ち得る場合。
彼はストリックランドからも当局からも睨まれ板挟みとなる。
だがすでにその生き物に恋するイライザに彼も協力し研究所からそれを逃がすことに成功する。
生き物はイライザの家の浴槽に一時退避することとなる。

こうしてその生き物と彼を守ろうとする声のないイライザ、ゲイの画家ジャイルズ、高度な生命体としての接触を望むホフステトラー博士、イライザの親友の黒人ゼルダたちに、その生き物を敵国に渡すまいとする(渡る前に殺害しようとする)ソ連・米国の権力の牙が迫って来る。特に立ちはだかるのはサディスティックなストリックランドのタフな上昇主義者振りである。
その生き物はそれぞれの政府にとって、宇宙に飛ばすことに利用価値が見込まれているようであった。
(主に宇宙線の関係からであろう)。

イライザたちの住居の階下が映画館なのだ。
猫を喰って脱走した半魚人が突っ立ってそこで銀幕を一心に見ていた。
意外と早く見つかるものだ。
動く抽象的な画像が鑑賞できるのだ。概念的思考に達していると思われる。
(思わず猫を喰ってしまった後の反省を見ても)。

The Shape of Water006

不思議な生き物の造形は素晴らしい。
隙がない。特に顔が見事。
アマゾンで捕まった生物とのこと。
タンパク質はともかく、塩分をあんなに与えてよかったか?
アマゾンは淡水ではないのか?

脇を固めるキャストもいう事なしであるが、ストリックランド役のマイケル・シャノンの怪演はなかなかの印象を残した。
後味もよくないくらい(笑。
思いの外、暴力や性描写があり、全体として生々しい生態を感じた。

The Shape of Water002
The Shape of Water004


結局、これに尽きる御話であった。
”Unable to perceive the shape of you, I find you all around me. Your presence fills my eyes with your love. It humbles my heart, for you are everywhere.”
一回死んだので水中で蘇生できたのだろうか?彼の力で。
何れにせよ、もう向こう側の噺である。
青い靄のような深い水の中にふたりは消えてゆくのだ。
素敵なエンディングであった。


デル・トロ監督作品では「パシフィックリム」、「パンズ・ラビリンス」の次によい。



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