n-1の試み

3学期が始まったかと思うと、明日はピアノだ。
もう毎回、一つずつ上がれるような簡単な曲ではなくなっているが、一応、落ちるなよとは言っておく。
こちらとしては、2回で一つ上がれればよいという心積りではあるが。
しかし、この休み中のダラケぶりでは明日は危ない、、、。
ピアノを新しくしたのに、何故こんなにシラケているのか。
練習の楽しさより辛さが勝るようではそれまでである。
どうも尋常ではない。
何かを変えなくてはならない。
明日の学校の持ち物でも見つからないものが出て来て、大騒ぎである。
勿論、わたしが見つけて渡すと、それどこにあったの?である。
もうそろそろわたしも体力的限界で、面倒見切れない(笑、いやホントに。
いろいろ工夫はしてはみるが、すぐに散らかして不明にしてしまう。
エントロピーは確かに増大する。
物の管理は難しいものか、、、(わたしもよく置き忘れはするが、、、)。
娘は、主体として余りに脆弱なため、それが出来ない点が大きい。
多くのルーチンを(ルーチンであるべきことを)人に依頼している部分が多すぎるのだ。
依頼していることにまだ気付かない。
実際の事柄にしても精神的にも。
それで押さえるところをことごとくやり過ごしてしまう。
その上でアイテムへの依存性が大きすぎる。
実際に、ゲームをやってiPadで何やらずっと見呆けた後で、色々探し物をはじめたりするから夜更かしにもなる。
次の日の目覚めにも影響大である。
親として取り敢えず、iPadは使用禁止とした。
この怠惰な受動性と依存性はマズイ。
何でも使い方の問題である。
しかしそれが制御できない。
一種の麻薬である為、依存性も極めて高い。
依存は精神にとってよくない。
自律にとっても自立にしても。
依存はきっと無意識~身体性を蝕む。
もっとも怖い。
精神を蝕む。
浄化である。
「それ」なしで暮らす。
n-1をすべてに、、、。
今年は、それをテーマにしようか、と思う。
わたし自身にとっても。